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Afterword

あとがき

この様にして旅が始まりました。
これはポールだけの旅ではなく、貴方の旅でもあるのです。
これは空間や時間の中の旅ではなく、「貴方ではない所」を目指している「内的」な旅でもありません。

これは解除を行う為の旅です。 これは『「貴方であるもの」から遠ざかり、貴方自身に対するパーソナルでプライベートで個人的な感覚へ入って行く事』を止める旅です。 

貴方は貴方「自身」を永遠に無視し続ける事は出来ないので、これは避けられない旅です。

そうするまで「貴方である者」/「貴方である事」が貴方の面前に現れ、貴方の注意を惹こうと貴方の面を叩き続ける事でしょう。 何故なら、あたかも気が違っている様に働き続ける事は、それこそ狂気だからです。

この「旅」は、貴方の「存在」に対する原初の最上の意識体験へ戻って行く事なのです。 だからこれは「帰還」なのです。
これをシンプルに受け入れれば、これはとてもたやすい容易な事です。

全ての不自然な努力はエゴであり、分離行動なのです。
だから、貴方は自分が天の王国(「存在」を歪みなく純粋に意識的に体験する事)へ入って行く事を自分に許可しなければいけません。

この本を終らせるには答えが必要です。
しかし、貴方が答えなのです。だから貴方は貴方自身の本を「貴方の意識体験の言語」を使って書くのです。

貴方は貴方「自身」に直面し、それと同意出来る様に成る必要があります。

これは簡単な事ではありませんが、これが難しく困難な必要はないのです。
そしてこれは必然的なのです。

貴方は一人ではなく、この旅の過程で貴方が一人孤独に成る事もありません。
しかしこれは完全に個人的な事なのですが。

貴方が意識的にこの旅をしているかどうかに関わらず「貴方の本当のあり方」故に、貴方はこの旅の中に居るのです。

貴方の成功は確約されています。 何故なら、自分の目的地から出発して貴方は旅を始めており、幻想のエゴ感覚上以外では、そこを実際に去った事はないのだから。

これはとてもシンプルな事です。

Rajpur (ラジプール)
Bellingham, Washington (合衆国ワシントン州ベリンハム)
1985年 5月20日
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テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

Chapter 51

1982年 6月21日 月曜


ポール: おはよう、ラジ。

ラジ:  おはよう、ポール。

ポール:  今朝は混乱している感じです。
私は使命感を感じており、と同時に追い詰められている気もします。
これは気分が良いものではありません。 

このプレッシャーや閉じ込められている感覚が幻想であると言う事を信じる事は出来ます。
しかし、その様な概念的な知識は、幻想を消す為に私が何をするべきか、何処へ行くべきか、現在私に教えてくれてはいません。

我々の財布には二ドルしか残っていません。
我々はコピー機の為の支払いをする必要があり、400ドルの借金も返済しなければならないのですが、あと二週間経たなければそれを払う事は出来ません。

我々の元にはそれなりの量の仕事が来てはいるのですが。 前と同じ話しですね(よく聞く話しですね)。

ラジ:  ポール、これは「前と同じ話し」ではあります。 しかし「この話/このストーリー」に関して明確にしましょう。

貴方が見て/聞いて/味わって/嗅いで/感じているものが、ストーリーなのだと騙されて考えないで下さい。

貴方は、「何が貴方にとってリアルなのか」(実際に起こっている「現実」を知覚する限定化/部分化された能力に基づいて)三次元的な意識存在の仕方(感覚器を基にした意識)に決めさせてしまっています。

その様にして貴方は、問題をより複雑にしているのです。

「部分的視点から何かを見る事」それ自体では、大した問題は起こりません。
しかし、部分的(三次元的/物理的)視点から見たものを信じてしまい、その様に見たものを元に思考や反応を起こす事は、大きな問題を引き起こしています。

ここで起こっている「前と同じストーリー」は「リアリティ」/「現実」/「四次元的な意識存在」です。 これが、起こって来た事、起こっている事、これからも起こり続ける事の全てです。

貴方は、自分が真実だと知っている「現実」を見ている時、厳しく正確に観察しなければいけません。 そして、その視点から行動し考え反応して下さい。

必要なのは「現実」を見る事であって、「現実」の「一部分」に対して反応したり反発する事ではありません。

現在貴方は、「物事が貴方の前に現れている様子」に対して自動的に反応する様に条件付けられてしまっています。

貴方に必要なのは、限定された三次元的視点ではなく、「現実/リアリティ」に対して(あたかもそれが緊急な反応を必要としているかの様に)自動的に反応する様に成る事です。

私が貴方に言っている事は何も新しくはありません。 しかし、これが貴方の取るべきステップなのです。 これが貴方に必要な事です。

さて、現在貴方を混乱させている幾つかの事に関して説明しましょう。

第一に(貴方にも解っているとおり)、貴方の信頼/信心/エネルギーは「今までの半年間置かれて来た所」つまり四次元的「意識存在」としての貴方「自身」を貴方が直接知覚している所に置き続かれなければいけません。

自分が正しい方向を向いているかどうか調べる為に、外部の情報源を使う事は愚かです。
メリー・ベーカー・エディーその他の著作者の著書や、他のグループ/組織の開示を基に、貴方の考える事や行う事を判断するのは適切ではありません。
これらの情報源は、人が自身の「存在」の神聖を、自身の意識体験として直接知覚出来ていない時には有効です。

しかし、貴方はその様な所には居ません。 だから、貴方の考えている事/信じている事/している事に対する権威を、『貴方の「意識存在」の直接的認識の外にあるポイント』に認める事は適切ではありません。

ポール:  ありがとう、ラジ。

ラジ:  外部の権威/概念/組織を放棄しても、何か価値があるものを失ったと感じる必要はありません。

それらがどれだけ美しく「貴方の「意識存在」としての「リアリティ」の開示に対する知覚」を示していたとしても。

ポール:  ラジ、それを覚えておく事にします。

ラジ:  では貴方が難しいと考えいる「もう一つの事」に関して話しましょう。

この困難は、貴方が他者に話しかけている時、その人が「我々の会話が行なわれている方法(ラジという個人性が貴方に話しかけている事)」を知った時に貴方が直面するであろう困難と類似したものです。

貴方の『「存在」の意識体験』の中で、貴方の『「存在」の意識体験』として開示されている物事の様子と共に、貴方は立っていなければいけません。

「リアリティ」は『「リアリティ」に対する部分的(三次元的)視点』に上手く対応/フィットする様に存在してはいません。

貴方が「リアリティ」に対する明確な説明を表明している時、それが「部分的な視点を持っている人達」が期待している真理と合致しなかった場合、『彼らは「真理」を否定しようとする事』を貴方は覚悟して置かなければいけません。

三次元的枠組みの中にいる意識的アイデンティティ(自分が誰か?という気付き)は、(三次元的枠組みから)それ自身を「ドア」(通り口)として認識出来るポイントまで移行して行かなければならないのです。
こうして意識的アイデンティティは意識的かつ積極的に「ドア」に成る必要があるのです。

そうすれば四次元的「意識存在」の「リアリティ」が、「三次元的/物理的な人」と呼ばれている「存在」として、「三次元的/物理的な人」と呼ばれている「存在」の「限定されて見えている意識体験」の中に「突入」していけるのです。

これが、「実際にリアルに起こっている事」への永遠に正確な意識的認識(キリスト意識)を暴き示します。

この発見/突入が「見よ、私はドアの外に立って叩いている。"Behold, I stand at the Door and knock."(#1)」という文章として認識されているものです。

しかし注意して下さい。
三次元的意識が「ドア」に成り、そして「キリスト/真理/「リアリティ」そのものに対する直接的知覚」に成って、「三次元的/限定されている人」の意識体験としてその「ドア」を流れ通っていく(様に見えている)事が「普通」に成る訳ではありません。
「人」は、彼/彼女自身が三次元的に自分を認識している状態のまま、「リアリティ」が流れ通る導管/媒体として永遠に残る訳ではないのです。

実際には、「ドア」として立つ事をより頻繁かつ確実に行えば、人が自身を「三次元的人間がドアとして立っている事」として体験し続ける事は確実に減っていくのです。
そうして、人は自身を(どの様な歪みも加えられていない)『「リアリティ」に対する意識的体験』/キリスト意識/神あるいは意識存在がそれ自身を無限に体験する方法、として意識的に認識する様に成るのです。

だから、貴方の体験内に現れて、貴方の体験内で開示されている事が『それ自身を顕わにしているキリスト意識』であると貴方に見えるように助けている人々は、その意味においては正しいのです。

しかし「この体験内のラジという名前の個人性が幻想である」と見るよう貴方を助けようとしている事に関しては、彼らは間違っています。

(彼らが現在見ている視界は、彼らの以前の視界より壮大でより無限に近いものですが、それでもまだ)彼らの視点はとても狭いので、彼らの視点を貴方のものとして受け入れる事は愚かです。

貴方がスピリチュアリズムに参加していない事は、その通りです。
貴方は「向こう側に渡った」魂と話している訳ではありません。
貴方は、「誕生と死亡の三次元的幻想にいまだ惑わされており、自分が生まれてそして死んだとまだ考えている個人性」と話している訳ではありません。
私は「キリスト意識」がそれ自身を「存在」に対する貴方の意識体験として示しているミディアム(媒体)ではありません。

しかし私は(『「四次元的意識存在」の無限の側面として存在した』その他全ての個人性と同様に)存在しています。

そこには、(部分的で三次元限定の視点を凌駕している)無限の進行が存在しています。

一旦「死すべき肉体の夢」から成長して脱出したなら、『「意識存在」として「存在」が無限に開示され続ける事が止まる』と考えるのは、愚か(無限を見る能力の不足)と言うしかありません。
これは、死の前であっても後であっても変わらぬ真理です。

「自分は生まれてきたと信じている者」が「自分は死んだと信じている者」とコミュニケートする事は不可能です。
これらは三次元に限定された枠組みの、二つの異なる状態なのです。

これは、「人の無限の一部(死んだ人達)を、その人自身の意識体験として得る事が出来ないと考えてさせてしまう」限定された視点から来る歪みの一部です。

「存在」の無限の個人化の内、目覚めている者の方が寝ている者よりも断然に多いのです。 だから「目覚めている者達」とコミュニケーションが出来ないと考える事は馬鹿げています。

より賢く成りなさい。 貴方の周りの人の三次元的視点を受け入れて、時間を浪費するのは止めなさい。

どの様な状況にあろうとも、あなた自身の『「リアリティ」/「四次元的存在」の意識体験』としてデモンストレートされたもの以外に対して権威を与えるのは止めなさい。

ポール:  どうもありがとう、ラジ.

ラジ:  どういたしまして、ポール。
さようなら。

______________________
(#1)John 10:9. (ヨハネ)

翻訳者註 上記の出典で原文通りですが、これは間違っているようです。

(#1)Reveration 3:20 (ヨハネの黙示録)
このちらの出典が正しいものです。

John 10:9 (ヨハネ)は実際には下記の文になります。
I am the door: by me if any man enter in, he shall be saved, and shall go in and out, and find pasture.

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

Chapter 50

6月14日 月曜


ポール: おはよう、ラジ。

ラジ:  おはよう、ポール。

貴方は、「自分の体験している事」には、より無限でより正確な視点が存在すると理解し始めています。 しかし「このより大きくより正確な知覚へと目覚めていく為の基盤が無い」と貴方は感じています。

貴方は何かが求められている事を認識しました。 そして「貴方が目覚めるまで、貴方が三次元的状況から解放される事はない」と私は貴方に言いました。

だから、貴方は出口の無い状態に自分が閉じ込められていると見ています。

しかし事実は、「存在」に行き止まりはありません。 限定されている視界だけが、無限がブロックされている様に見せているのです。

貴方は今、それ自身を(例外なく能動的/全能的に)開き示し満たし切っている「無限のよきものの遍在」として座っています。

これは直感的な知覚です。 これは、何か目覚めて入るべき所があると熱望し/信じ/直感する事です。  閉じ込められていると言う幻想を体験していたとしても、その「目覚め入るべき所」へ貴方の意識体験の焦点を当て続ける必要があるのです。

そして目覚めたいと熱望する必要があります。 夢の中のどの様な状況に対しても、それに打ち勝とうと試みて時間を浪費するのは止めなさい。 何故なら(夢の中での)物事の働き方もまた幻想なのだから。

だから、夢に対する唯一の回答は目覚める事だけなのです。

私は前回の会話で、「目覚め」が既に起き始めていると言いました。

貴方は目覚め始めており、夢が終り始めているので、夢の中の「良い」側面さえも、もはや良くない/良く働いていない/信頼できない様に見えています。

そして貴方が「終焉」の見かけに反応してしまい、それを長引かせようとしてしまわない事が重要なのです。

例えそうしようとしてもそれは不可能です。 もし万が一そう出来たとしても、それはただ夢を延長させる事でしかありません。

「目覚める」事を熱望し続ける上で、我々が「実体」に関して話してきた事を覚えていて下さい。

我々の話した全ての事を頭の隅に置いておきなさい。 何故なら「事実」は実在しており、「光」である「実体」から出来ているのだから。

この「光」が輝き貴方の道を照らす事を許しなさい。 これがどれだけ貴方に抽象的に聞こえたにしろ。

貴方の家族の体験(そして他の日常の体験)の四次元的真実がより感じられる様に成りなさい。
もし必要なら、我々が話した「事実」を自分自身に思い出させなさい。

これらの「事実」に照らし合わせて、貴方の日常の体験を測りなさい。 貴方の日常が表れている様子や、それが主張している様にみえている事を基に、貴方の日常体験を測るのではなく。

貴方は、神聖なる「事実」を事実として受け止めて進んでいかなければいけません。
{神聖なる「事実」は明白な「事実」なのですが、貴方にとってそれが明白でない間は、それが事実であるかの様に受け取って進んでいかなけれがいけません。}

この「事実」に基づいて、『この「事実」が貴方の意識的体験として現れる事』を積極的に期待し注目/注意し、それを見なさい。

ポール:  ありがとう、ラジ。 その様にします。
明日の朝また会話しましょう。


________________________________________
6月19日 土曜



ラジ: 「無限」とは意識体験の各瞬間の「現実性」なので、

開示(が見えるか見えないか)は、「何か(我々が)その中で広がって行けるもの」が現れていたり与えられている事に左右されるのではなく、我々がどれだけ早く「限定(思考)」を手放せるかに掛かっている、と貴方にも既に解っている事と思います。

これを理解する事が重要です。 何故なら、我々は往々にして自分達が限界によって押し留められていると感じているから。 あたかも限界が我々の「よきもの(Good)」に影響を与えたり、それを我々から奪ったり出来るかの様に。

その様な事は真実ではありません! 我々を押し留めているものは全く存在していません!

(自分にとって気楽で慣れ親しんでいる)限界感覚にしがみ付こうとしてしまうのは、何時でも我々自身なのです

我々を能動的に押し留めている輩(エージェント)は、『「既に知っている事」を放棄し「未だ知らない事」を受け入れる事』に対する我々自身の抵抗なのです。

この様な躊躇があるのは、「自分達は今現在見えている様な存在(限定された/分離している/体と呼ばれている限定的物体の「中に」存在している独自の知性で、不安定な環境に住んでいる潜在的被害者)なのだと言う」信念を我々が受け入れているからです。

「存在」に対する実際の意識体験を分離の視点から見た場合、限定/分離/独立/予測不能は避ける事が出来ません。

「存在」に対する意識体験を分離の視点から見ていないのであれば、そこに誤認識や誤解はあり得ません。

分離的/部分的な視界を破るには「意識のポイント」を「観察されているもの」の中から その中で「意識ポイントが観察されている」主観的「場所」(全てを内包している、「意識存在」に成っている無限の体験)へシフトさせる事が必須です。

これは我々の「拡張」の前に起こる、『「意識存在」としての我々の無限』に対する直感的知覚で、これにより我々は「拡張する」勇気を得るのです。

この直感/洞察が、我々は未知の中に拡張しようとしているのではなく、『「既に我々であるもの」の中に我々が拡張しようとしている事』を我々に示すのです。

我々は我々自身の無限の細部を知ってはいないでしょう。
我々「自身」の「普遍的性質」が受け入れられた「事実」となり、それを基準に我々が存在する様に成るまで、それらの細部を見る事はできません。
これを理解する事が重要であり、貴方はこれを見始めています。 素晴らしい!!

ポール:  貴方はもちろん、私がまだ書き取り中だった事をご存知ですよね?

ラジ: 私は「自分の準備が整っている」と貴方が考えるまで、何時も待っていられる訳ではありません、ポール。
実際の所、私は貴方を遮った訳ではありません。

貴方は自分の「存在」との繋がりを一日中オープンに保ち続けました。
これは素晴らしい事です。
この様な時に啓示が起こるのです。 貴方がこれと共に流れているのは、良い事です。

では、書き取りに戻って下さい。

ポール:  ありがとう、ラジ。
[ 私は5分ほど書き取りを続けました。]

ラジ:  貴方の注意を「貴方の無限の特定の場所」に与えるよう要求されており、それが「問題」として現れている場合、それは「貴方」のその側面を貴方の意識体験として意識的に統合するべき時と場面が来ていると言う事です。

貴方は「それには関わりたくない。今その様な時間はなく、より急を要する事がある。」と言います。

しかしポール、貴方の「存在」はそれ自身を「聖なる知性/普遍的秩序と順序」に従って「貴方」として開き示しています。

全ての問題は、貴方が「キリスト」(全く歪められていない「リアリティ」/「貴方の存在」に対する正しい知覚)になるチャンスです。 そして、その知覚が貴方の「自己認識」の一部として貴方の「自己認識」の中に揺ぎ無く統合されるチャンスです。

これ以上に重要な事はありません。 何故なら、これが明確に見える様になれば、急を要する事項が「分離的視界からくる幻想」である事が解るからです。

それらの「問題/幻想」は、貴方を困らせパニックさせる様な事としては実在していないのです。

ポール: ありがとう、ラジ。

ラジ:  どういたしまして、ポール。 (書き取りを)続けてください。

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

Chapter 49

6月12日 土曜


ポール:  こんばんは、ラジ 。

ラジ:  こんばんは、ポール。

ポール:  今日は幾つか特定の質問があります。

ラジ:  解りました、ポール。 質問してください。

ポール:  貴方の説明している「実体」と、私が毎日体験している実体の間にはどの様な関係があるのでしょうか?

ラジ:  ポール、この質問をしている時、貴方は「実体」が塊として集められ、言わば「物体」として存在していると見ており、だから「その「物体」が占めているスペースの中には「実体」が存在していない」という印象を受けているのです。

つまり貴方は「実体」を三次元的に考えているのです。
しかし実際には「実体」は四次元的、あるいは非次元的なのです。

「実体」が「意識存在」としての意識的体験の全ての側面を作っているのです。
{「実体」が、「意識を持って存在しているもの」としての「気付きつづけて行く貴方の体験」の各要素(健康/知覚/供給/その他)を提供しているのです。}

貴方が見ている事/聞いている事/味わっている事/匂いを嗅いでいる事/感じている事は何一つ「実体に対する意識体験」の外側で起こっている事ではありません。 しかし、それが「意識体験/体験意識」の外で起こっている様に(貴方には)見えているのですが。

この全ての事は「意識」なのです。 それら全ての事は「マインド」が自身を体験している事なのです。

私が説明し続けている「実体」と、貴方が毎日体験している実体の関連は、次の事だけです。
『「存在」を「意識存在」として意識的に体験している事』の中にある全アイディアのリアルな意識体験を「実体」が構成しています。

この意識体験の「リアリティ」が、三次元的宇宙として客観的に認識されています。しかし、これら全ての事(リアリティ)は「客観化されたもの/物質として認識されているもの」の中には存在していません。
{「貴方が自分の中に持っている客観的イメージ」の中には「リアリティ」は存在していません。 貴方は、自分はリアリティを基に客観的イメージを持っていると考えています。 しかし実際には、貴方の「客観的イメージ」を基に貴方の体験の表れ方が歪められて居るのです。 訳}

貴方が三次元的な宇宙を観察しており、それが「それ自体で存在し機能している」と解釈している時、貴方が見ている実体/物体は、「実体そのもの」とは全く関係が(繋がりが)ありません。

貴方の解釈の誤謬(限定された分離的/部分的視点から来る歪み)故に、「見られているもの/聞かれているもの/感じられているもの/味わわれているもの/嗅がれているもの」が「病/腐敗/死」を得る事が出来るかの様に見られているのです。

これらの機能障害は、貴方が「見ている/聞いている/味わっている/嗅いでいる/感じている」ものが実際には成し得ない事です。

ここ数ヶ月間に亘って我々が話してきたシフトを行うには、意識のポイントを客観的な場所から(その中で、「マインド」の本当の全アイディアが、完全にマインドとして(全く精神的なものとして)体験されて認識されている)主観的な場所に移す事が必要です。

ポール:  これが意味する事は、人が肉体ではないと言う事ですか?

ラジ:  これが意味する事は『「存在」の意識体験は、客観的/物理的/三次元的宇宙の中には存在していない』と言う事です。

「マインド」の「宇宙」の中には、無限のアイディア達が住んで居ると言う事です。
そして「意識」は、それらのアイディア達をハッキリと触り見る事が出来るのです。
だからそれらのアイディアは、「見えない触れない形の無い色の無い、つまり体のないもの」ではないのです。

つまり全てのものは、識別されており識別可能{既に知られており、繰り返し知る事も可能}なのですが、それらには限定された時空の感覚は伴っておらず、主観と客観の分離感覚も伴ってはいません。  しかし時空の限定や分離感覚は三次元的枠組みからは避け様がありません。

そこには「見ている人が、見られている状況の中に存在している」と言う感覚もありません。

人は神と同等に統合されており、と同時に「全ては無限の「マインド」であり、その無限の顕在化」なのです。

「マインド」がその顕在化(現実化)なくして存在する事はありません。

私が『「実体」とは「エネルギー」です』と言った時、貴方達の科学者が計量したり電気エネルギーとか原子エネルギーと呼んだりしているものの事を言ったのではありません。

ここで言うエネルギーとは「光」の事です。
しかしそれは、貴方達の太陽から発せられているエネルギーとしての光ではありません。

しかし「光」と太陽光線が四次元的に体験されている有り様は、とても良く似ています。
「光」は放射し/輝き/鮮やかです。 しかしこれらの言葉では不十分です。

客観的/物理的に体験されている「光」は、それが物体から反射している時だけ見る事が出来ます。

夜に貴方が客観的/物理的宇宙を見上げた時、光を反射する物体が無い限り空は黒く見えます。
光が見えるのは、それが惑星から反射されている時か、恒星が光を発している時だけです。

しかし四次元的には、「光」である「実体」は内部から光り出している様に見えます。
これは光の反射とは別のものです。

『「マインド」の顕在化された複数のもの』の間にある様に見えている空間は、四次元的な視点からは、暗くは見えません。 何故なら三次元的枠組みの中で「カラの空間として見えているもの」は、四次元的には、遍在している「存在の実体」で埋め尽くされているからです。

だから「カラの空間」も生きた輝き、つまり「光」である「普遍的実体」で埋め尽くされています。
そして「光」である「実体」は、生きている「愛」なのです。

貴方は輝きの中で既にこれを体験しています。 だから貴方は私の言っている事を既に理解しています。

ポール:  ありがとう、ラジ。

ここで話の主題を変えたいと思います。 どの様な意味で、「神」が人に全地球上の主権を与えたのか、知りたいです。

ラジ: ポール、その文章は三次元的幻想の中で言われた事です。

第一に、「神」から分離している人はおらず、だから「神が何かを与えられるような存在」としての人も居ません。
第二に、限定された枠組みの中でだけ、「人」から分離している「地球/地上」があり、そこで人に対して主権を与えられるかの様に見えているのです。

「人間という概念」(=エゴ)が地球という「外側」に主権を持っている、と言う概念は、「客観的/物体的に生命が発生している」と言う幻想をより深くしてしまうだけです。

四次元的に言って、「観察しているもの」と「観察されているもの」は「ひとつ」です。
しかしそれらの質/形/色などは(貴方には想像も出来ない程)無限のバリエーションを持って体験されています。

ポール:  どうやってイエスが死者を蘇らせたり、病者を癒したりして、それらの事に対して主権を持っていた様に見えていたのか、教えてください。

そして、イエスが「私を信じる者は、私がした事をする様に成り、それ以上の事も出来るでしょう。」"He that believeth on me, the works that I do shall he do also, and greater than these shall he do"(#1)と言った事を、どの様に理解すれば良いか教えてください。

もし私が「イエスのした様な事を」したなら、私は客観的/物理的な世界/条件/環境に対して主権を執行している様に見える事でしょう。
この質問は私にとって重要なものです。

私が貴方と話し始める前から現時点までにおいて、私はどの様な主権も執行しておらず、癒しも得ていない様に見えます。

ラジ:  その理由は、「限定された視界を操作して、限定された概念に沿ってそれを向上させる事」を止める時が来ているからです。

その様な事をしていても、夢から覚めたり、「分離している視界故の歪み」から起き上がる事には成りません。

もし貴方が「限定されている視界」を「癒して」それを改善する事に成功したなら、貴方は「目覚める」為に必要な仕事をする必要を感じなく成ってしまうでしょう。

貴方は聖書の文章に惑わされて居るのです。
その文章は「どの様なしるしも与えられはしません。」"no sign shall be given."(#2)(と正しく理解される時が来るでしょう)。

貴方は、自身の体験ゆえに、この(#1の)文章が貴方にも当てはまると感じています。

しかし、三次元的に与えられている全ての「しるし」は、貴方を分離的視界から導き出すのではなく、そこに押し留めてしまいます。

貴方の言葉にされていない思考に答えるなら、私は「貴方がこの状況に居る事」に対しては責任を負ってはいません。
私が望んだとしても、その様な事は不可能です。

私は単に、「貴方自身が開き示している「存在」故に貴方が居る場所」を指し示しているに過ぎません。 その限りにおいて、貴方はメクラでは無いのです。

私はそれ(貴方の三次元的状況)とは全く関係がありません。 私が貴方にそれを強要したり、貴方からそれを取り去ったりする事はできません。

三次元的な人としてではなく、「意識存在」として存在する事が、この時点で貴方が体験しているシフトです。

これをどうにかして変更する事はできません。 ちょうど三次元的/客観的視点から見た場合、赤ん坊の出産が一旦始まったなら、それはもはや選択の問題では無くなる様に。

(貴方の長男の)クリストファーが「誕生」している様に見えている時、助産婦が「愛とは与えるアート/技です。」と言ったでしょう。
これを貴方の事として覚えておきなさい。
何故なら、貴方はこの「目覚め」に譲り、それと共に流れて行かなければならないのだから。

ポール:  ありがとう、ラジ。

ラジ:  どういたしまして、ポール。さようなら。

__________________
(#1)John 14:12. (ヨハネ)
(#2)Mark 8:12. (マルコ)

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

プロフィール

翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

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