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2012-11-05

今回本は読みません。
聖なる瞬間に関する話をまだ続けます。
これが一番重要なことだから。

聖なる瞬間が何であるか深く理解したあなたの振舞いが変わるようになり、あなたの在り方が変化し、それがアトーンメント(和解/贖罪)に成り、それが目覚めに成り、それがコースの教えている果実を実らせるのです。
目覚めはプライベートな事柄ではなく、それを独立的に行なうことは出来ませ。
十分学んだから目覚められるというものではないのです。
そのように考えていたのでは絶対必要な要素が無視され続けてしまうのです。
そのように考えていたのではあなたの兄弟姉妹が無視されてしまうのです。そして神がのけ者にされてしまうのです。

聖なる瞬間は「聖なる関係を築き育てるという目的」の為に使われるべきなのです。
だから目覚めはプライベートな行為ではなく、目覚める為には関係(人間関係)が必要なのです。
関わり合い(関与)が必要なのです。
孤児院の中から、独立的境地からの関わり合いではなく、平和と愛の実体と空気の中から起こる関わり合いなのです。
孤児院の環境内では(独立した存在として他と関わり合っている境地では)、関わり合いは常にコントロール(操り/操作)に成るのです。 自分達が存在してる環境内を出来るだけ上手くコントロールし統治することが必要になるのです。

だから全ての人達が統治(政府)に関与していると言っても良いでしょう。
しかしこの統治(政府)は『「独立」と呼ばれている基本的に間違った信念』の上に築かれているものなのです。
すると政府は独立した要素が常にお互いと尊大に競い合う場所に成ります。
「その中で様々な独立した部門(利権団体)がゴールを設定し達成しようとしている、多大で複雑なもの{としての政府}」が存在することになるのです。
その場合関係は常に言い争いであり、力ずくに合意された不合意(不満)の下に関係が作られているのです。 だからそこには常にストレスが掛かっているのです。
何故なら、全ての人達が同時に他者をコントロールしよう(統治しよう)と試みており、そして他者にコントロールされることを避けようとしているのだから。
これがストレス{のもと}なのです。これが二分化(分極化)で、これが存在の基本的在り方として受け入れられてしまっているのです。
そしてこの状態に対する疑問が提示されることは決してないのです。
この状態がただ生きられるだけなのです。

しかし聖なる瞬間はこれとは違うのです。
何故ならあなたは「聖なる関係を作り育てる目的」を持って「聖なる瞬間」に入って行くのだから。
聖なる関係は『自分の思考の静寂内(思考が無い状態)で父に向き合って「父よ、私と関係を持っているこの人の真理は何ですか? 私と関係しているこの物体の真理は何ですか?」と尋ねている人』によって起動/開始されるのです。

わたし達が今まで話して来たことからすると驚く人もいるかも知れませんが、

「(自分の心配をするよりも)あなた以外の人を思いやることによりあなたは目覚めるのです。」 

殆ど全ての宗教にはゴールデン・ルールに類するものがあります。
ゴールデンルールとは:

「人からこうしてもらいたいとあなたが思っているように、人に対して行いなさい。人にしてもらいたいことを、自分から人に行ないなさい。」

“thou shalt do unto others as you would have them do unto you.”

ゴールデン・ルールは振舞いのルールなのです。
あなたが他者に対して行なうべき振舞いのルールです。
ゴールデンルールは「人にはこうしてもらいたいとあなたが思っているように他者が振舞うようにしむけなさい」とは言っていません。
あなたがゴールデンルールのフォーカス(焦点/対象)なのではなく、あなたと関係している人がフォーカスなのです。

「孤児院の中に居る」とは、「私には父がいない、私には母が居ない、私には源が無い」と言っている間違ったポジション(立場)を取った結果として現れている状態のことです。
その結果として現れている状態は真実ではなく。この立場/視点から行なわれている全てのことは自分勝手なのです。 これは独立状態を極限まで推し進めたものなのです。
この方向から(独立的行動/存在/考えから)「独立を試みている人々が避けようとしている問題」が解決されることは無いのです。
「あなたが自自身を気遣う以上に他者を気遣うこと」だけが問題を解決するのです。

これが新しい統治です。 これが今まで行なわれてこなかった統治/政府です。
『私は見たいと求める。私は自分の兄弟に関する神の正直な真理を見たいと願う。
「私が静けさの中で明晰を求めそれが与えられた時鮮明に示されること」以外に基づく行動を私は拒否する。』
あなたはこれを既に理解していることでしょう。
しかしこれを十分明白に理解して、あなたがこれを実践しあなたの振舞いが変わるように成る必要があるのです。
何故なら、あなたの振舞い/行動が変わるまで、孤児院(『「他者の代償/犠牲によって拭い去られるべき不足感」から発生している統治』が行なわれている場所)にあなたが居続けてしまうのだから。
そして孤児院内(独立的状況内)では、他者達が「あなたを代償/犠牲にして凌駕しなくてはならない不足感」から行動し思考しているのです。
だからあなたのマインド内から(あるいは他者達のマインド内から)立ち昇って来ている統治に注意しなくてはならないのです。 全体のクリアな体験以外のものから発生している統治に関わらないようにしなくては成らないのです。
『あなたが自分の独立思考/行為/論理を黙らせて、それら(独立的思考/行為/論理)が存在していない状態で「この場所に関する私が思い出せていない神の真理は何だろう?私が未だ知っていない真理は何だろう? それは何だろう? その真理が聞えるまで、私は聞き続けよう。」と言って得られた体験がクリアに示すあなたの全体』から起動している統治が必要なのです。

今あなたの世界は多大な混乱に直面しているかもしれません。
政府の人達は「自分達は孤児だ」と考えていて「誤解に根ざしたアイディアを通じてコントロールすることが秩序を得る唯一の方法だ」と信じているかもしれないから。
『「あなた達が関係している全てのことに対する誤解に根ざしたアイディア」を使って状況や人々をコントロール(説得)することが必要だと信じている人達』が世界を動かしているから{とあなたは考えているかも知れません}。
そのようなアイディア群は全く神聖ではなく、信頼出来ず、確かに間違っているのです。
そしてそのようなアイディアの間違いは常に「意地悪な思いやりのない操りの行為」として表現され出現するのです。

人々が持っている「動物的性質」故に社会がこのように{操りを通して}働くことは避けようがない{と考えられているのです。}

人々全員がこのような状態/思考から抜け出る必要があるのです。
そこから抜け出る方法が「聖なる関係を作り育む為に聖なる瞬間を実践すること」なのです。
父がそのマインドと愛をあなたと分け合って(共有して)います、あなたがそれ(父のマインドと愛)を体現し新しく成れるように。
聖なる関係は「父のマインドと愛が示している明晰」に従って作られ育まれるのです。

関係が存在している時、当然のこととして、そこには協力が現れているのです。
協力とは「一緒に働く/機能する」ことです。 協力とは、上手く操ることではありません。
「協力」と「操り/コントロール」の違いを理解することが重要なのです。
あなたが図らずしも(協力ではなく)操りに捕らわれて(拘って)しまわないように。

「コントロールの不在(操りを放棄すること)がカオス/混沌をもたらしてしまう」とあなたが考えたなら、あなたは兄弟姉妹の真理を見たり兄弟姉妹と建設的に関わり合うことが出来なくなってしまうので、これを理解することが大切なのです。
聖なる瞬間は「誰も孤児ではないというチャンスにあえて賭けてみるリスク」を取るよう全ての人達に呼び掛けるのです。
そして「あたかも自分の兄弟姉妹が神の子であるかのように」して兄弟姉妹に対して接したなら{兄弟姉妹が神の子であるという前提の下に兄弟姉妹と関わりあったなら}、あなたが裏切られることはなく、代償を払う(被害を受ける)必要もないのです。
何故なら、あなたがこのような信心を自分達の関係の中に持って入るまで、「あなたとあなたの兄弟姉妹/同胞がリラックスして新しい在り方で存在する(新しいパラダイムに基づいて存在する)為に必要な要素」はもたらされないから。

関係の中には協力があるのです。
しかし協力が建設的に成り成就される為には、『「自分が協力しようとしている者達」が何をしようとしているか』あなたは理解する必要があるのです。
彼等(あなたが協力しようとしている者達)は孤児的意識から行動しているのでしょうか? それとも彼等は父の視点との繋がりから行動しているのでしょうか?
彼等は「関係の全要素が操り/闘争/コントロールである場所」から来ている(行動/思考している)のでしょうか?
彼等は「全員がお互いを怖れており、本当の気遣いが不可能な場所(意識)」から来ているのでしょうか?
彼等は「気遣うことが危険で、警戒せずに気遣っていたならあなたが危険に晒されてしまう場所」から来ているのでしょうか?
{このことに}あなたは注意を払う必要があるのです!
何故なら、あなたが協力する場合、あなたは誰と協力するか選択する必要があるのだから。 

そして協力に対するもう一つの見方(今までとは違うこの新しい視点)を導入したなら、下記のゴールデン・ルールが働き出し、ゴールデンルールが意味を持って来るのです。

“Do unto others as you would have them do unto you.”
[あなたが彼等にして欲しいと思うことを、あなたは彼等にしてあげなさい。「自分に対してこうして欲しい」と思ったなら、あなたは彼等にそうしてあげなさい。]

あなたがエゴ的マインドに捕らわれていない時、(他者に対する)気遣いが尊重されるのです。
気遣われること(大切にされること)が重要なのです。 人間性が重要なのです。
人らしい体験(人間的体験)が重要なのです。

これらの礎の上に聖なる瞬間と聖なる関係が育ち栄えるのです。
しかし聖なる関係はシンプルに始るのです。 聖なる関係と聖なる瞬間は「もったいぶった(空虚な)アイディア」から始るものではないのです。
それらは偉大に成ること(偉大に成ろうとすること)からは始らないのです。
それらは『(「全ての人達が受け入れ仕える巨大で優れた同意/定義/意味の構造」を作る為に全ての人達が認めるべき)壮大なアイディア』から始るのではないのです。

本当の統治/政府は何と繋がることから来る(発生する)のでしょうか?
成功と繋がるのではなく、重要/権威と繋がるのではなく、『必要を認め必要と関わり合う「人の度量」と繋がること』から本当の統治がやって来るのです。

救済への道は、必要が感じられ、必要に対して注意が払われ、必要が修正されている道なのです。
そして「目覚めとは、needyな人達(必要を抱えた人達/乞食/他者の助けを必要としている人達)の間から始る動きである」と言うことが出来るでしょう。
Needyな人達とは、自分達の重要性(権威)で膨らんでいない人達のことです。
Needyな人達とは、『自分達自身の大きなアイディア」で膨らんで、「他の人達をそのアイディアの周りに集め、そのアイディアを認証させ、その重要性を確立/共有させよう』とはしていない人達のことです。

しかしそれらのアイディアは「それらのアイディアを生成させなかった(考え付かなかった、推進させなかった)者達」とは完全には共有されていないのです。だから{自分達自身の大きなアイディアと繋がって行動している限り}闘争的な孤児的マインド/行為/イベントが続くのです。
だから必要とされていることはそれ(自分独自のアイディアの生成/表明)ではないのです。
だからもしあなたが目覚めを促進したいなら、もしあなたが真理の道を進みたいなら、あなたはあなた自身の必要(neediness/必要を認めざる得ない境遇)を認め、「自分が特定のことを必要としているということ」を受け入れて、お互いの必要を裁かず、あなた達全員が愛の中で繋がれるように成るべきなのです。 
「(もうこれ以上必要/欠乏が体験されないように)必要が満たされることを見たいという熱望=愛」の中で繋がるべきなのです。

しかしこれは謙虚さの中でだけ起こることなのです。
謙虚な人達によって、関係の中の謙虚な参加者によって、「必要が満たされること」が起こるのです。
今日あなたの世界の中で起こっていること(あなた達を怖れさせていること、現在も継続されていること、その他の全て)を観察したなら、「誰と行動を共にするべきか」あなたは選択する必要があるのです。
あなたは孤児のマインドから来ている者達と行動を共にするべきでしょうか?
『「凌駕されるべきものとして存在している欠乏」に対処しようとしているマインド(そこには常に裁きと独善が関わって来ます)』と共に行動するべきでしょうか?

欠乏のマインド(必要を自分自身のアイディアで制御しようとする意図)には常に「裁きと独善/我々対彼等/高低」などが関わって来ます。
あなたは『いいえ、私はそれはサポートしません。そこには「人らしさ、人への愛」が表れていないから。そこには兄弟姉妹への気遣いが無いのだから。』と言える様に成らなければいけないのです。
これが(あなたがこう言えるように成ることが)重要なのです。
あなたはこれを見る必要があるのです。何故なら状況が修正される為には選択が必要になるのだから。

「コースが言おうとしていること」をあなたが実生活に活用出来るように、私は次のことを明確にしようとしているのです。
「必要が存在していることを認識している者」と一緒に協力しなさい。必要を体験している人達を尊重して、必要の修正への一番真っ直ぐでシンプルな道の中で答えが与えられるように。 何故なら愛の結果はシンプルなのだから。

愛はシンプルです。
気遣い(ケアー)とは切実な催促なのです。 それは必要からの救出(必要が満たされること)を与える「全体性/健全性/一体性」を一生懸命見つけようとすることなのです。

必要の認識がどのような構造/形態で現れているように見えたとしても{必要がどのような形で認識されたとしても}、「人のシンプルな必要がどのように満たされるべきか訊ね聞くこと」があなたの世界状況を修正することになるのです。
「あなたの地球の各状況が修正されること」に関して私は話しているのです。
そこでは「平和の中に休まっていく体験」が数多く起こっています。
自然の秩序の中に委ねて行くことが必要とされており、自然の秩序の中に委ねて行くことが起こり得るのです。
しかしあなた達は「自分自身に対してそして他者に対して統治{愛以外の統治}を適用してしまうこと」を避けなければいけないのです。
あなたは「気遣いにも愛にも基づいていない統治、自己顕示/独善の概念を満たそうとする統治」を避けなくてはいけないのです。

もし「人類愛をサポートしていないもの」に注意と滋養が与えられたなら、救済/修正は起こらず、より多くの痛みと苦悩が現れるでしょう。
「人への愛を尊重している者達」と繋がってください。
何らかの概念の梯子の最底辺に居る「あなたの兄弟」があなたの救済なのです。
{社会の底辺に居る兄弟があなたの救済なのです。}

「必要状態(欠乏状態)にある全ての人達」があなたの救世主なのです。 何故ならば、彼等によって、聖なる関係の相手があなたに与えられるのだから。{何故ならば、「欠乏状態にある人とあなたの関与」が聖なる関係に成り得るのだから。}
孤児達(独立者達)との関係は聖なる関係を持つことの妨げに成ります。
何故なら、孤児達との関係があなたを興奮状態と防御状態に置き、それが全ての人達の間に壁として残ってしまうから。
それは真理ではなく、それはコースの目指している所でもありません。

「必要(満たされるべきこと)を見つめ認めている人、必要(なされるべきこと)をダイレクトに表現しなくてはいけないと解っている人」だけと繋がる意思を持ちなさい。
シンプルに答えを提供する「お互いへの兄弟愛」を表明しなさい。
何故なら、シンプルな答えがそこに在るのだから。
あなたの人類愛(思いやり)を尊重し、嫌わずに居なさい。それ(関わり合い/思いやり)を飛び越えようとするのは止しなさい。
あなた達の必要には注意が払われる(気遣われる)べきなのです。 例え必要(欠乏)がリアルではなく、不明瞭な思考の結果であったとしても、あるいは間違いとして認識されていない間違いがただ繰り返されているだけだとしても。
協力したいとあなたが思っている人達に要求しなさい。 そして自分達と協力してくださいとあなたに言っている人達に要求しなさい。
人類愛(兄弟姉妹愛/人への愛)に対して注意を払って欲しいと要求しなさい。
何故なら、あなたは気遣って(心配して)おり、全ての人々は他者に「証人に成ってもらう必要」があるのだから。{人は他者から「お互いの神聖を目撃し証言してもらう必要」があるのだから。}

これがシンプルな真実です。
人が二つのステップを行なっている時、聖なる瞬間の中で聖なる関係が発生し育成されている時、何が起こると思いますか?
あなたがあなた自身に関しては考えておらず(自分を心配しておらず)、あなたの兄弟に関する真理を知りたいと求めたので、これが起こるのです。
どうしてあなたは自分の兄弟の真理を知りたいと求めないのでしょうか?
「兄弟の真理を知りたいと求めることは、あなたが兄弟の神聖に対する証人に成ることである」とあなたは知っているから、あなたはそれを求めていないのです。

自己生成されている人(自立した人)の日々はもう過去なのです。
そのような在り方は決して実存していなかったのです。
関係の時がここに来ているのです。 何故なら「神の創造の無限性」は「聖なる関係の無限性」なのだから。
全ての人々が「思いやりの果実(効果)/苦しみを修正すること/必要を解決すること」にこだわった時にのみ、人々の中の神が明確に現れるのです。
これが素晴らしくシンプルな真実です。
そして振舞いが変わることが必要なのです。
単にアイディアのレパートリーを変えたり、考えを反芻するのではなく、他者に対する思考と行動が実際に変わらなくてはいけないのです。
誰か他者にあなたの代弁をさせざる得ない時{誰かに信任を与えなくては成らない時}(これは協力の過程で避けることの出来ないプロセスです)、(あなたが信任を与えようとしている)その人がどのような基盤(基本的アイディア)から行動しているか考慮しなさい。
彼はコントロールする人(操る人)でしょうか?
彼は富と成功に対して仕えようとしている人でしょうか?
それとも彼は人に対する愛を尊び「必要を満たすこと」と「世界中の人々への優しさ」をモットーに全てを行い人々と係わっているでしょうか。

自分勝手な人達と繋がるのは止めなさい。
もしそうしたなら、あなたは彼等の{卑小な}ゴールを推進してしまい、それにより苦しむでしょう。

「一番弱く見えてしまうこと、効果的ではないように見えること、とても山などを動かせるようには見えないこと」を世界中の全ての人々がするべき時なのです。
そして必要とされていることはシンプルです。
人への気遣い(人を大切に思うこと)故にあなたのマインドを黙らせ、コントロールしようとする努力を放棄して、その静寂の中で耳を済ませて「私の兄弟に関する真実はなんだろう?」と訊ねるのです。
「私のコミュニティー/町/国内に現れている『人間愛に基づいて修正されるべき事態』に関する真実は何だろう? 」
そう訊ねてあなたはそれ(気遣い/思いやる心)に注意を与えるのです。
「憤慨してしまい憤慨から行動してしまうあなたの性癖」よりもこの気遣いがあなたにとって大切に成るようにしなさい。
あなたのマインドをこの新しい方法で使い始めなさい。
愛のシンプルなやり方でマインドを使い始め、あなたの兄弟姉妹にもそのようにマインドを使い始めて欲しいと伝えなさい。
「あなたにとってこれ(他者を思いやること)が大切だという事実」を他の人々にも知らせてください。
これは全ての人々にとって大切なことなのだから。
だから誰かが立ち上がってこれを言い始めなくてはならず、立ち上がることを怖がっている人達を勇気付ける為にも、これを発信しなくては(これを公言しなくては)いけないのです。

あなたがこれを公言して、意地悪なマインド/けち臭いマインド/競争的マインドから統治を行なおうとしている人達に対して、他者の不利益のもとに行動しようとしている者達に対して、「あなた達が求めている統治」を知らせる必要があるのです。
「このような(愛に基づいた)関係を自分達は求めている」と人々に知らせる必要があるのです。

このようにしてあなたの世界の変容が始るのです。 無力な人など一人として居ないのです。
私が言っているパワー(力)とは「責任/権威を持っているように見えている者達(権力者)が表現しているタイプの力」とは別のものです。
自分のマインドを使うことにおいて無力な人など一人も居ません。
そして「自分が何に注意を与えるか選択する能力」を誰もが持っているのです。
あなたは「何者にも邪魔されることなく二つのステップを行うこと」を選ぶことが出来るのです。
つまり立ち止まり(反応を止めて)、黙り(思考を止めて)、「ここの真理は何だろう?」と尋ねるのです。
これが聖なる関係と呼ばれている関わり合い(関与)なのです。
そしてあなたが聖なる瞬間の中に入っている時、「神の法が全てを統治していること」をあなたは意識しているのです。
人の必要を満たすリアリティの動きが立ち現れるのです。
そして人の必要を解決することが人類愛のデモンストレーションなのです。
全ての人達はそこ(必要を満たすべき場所、必要が満たされるべき場所)に立っているのです。
例外無く必ず上手く働く自己統治の力(自らを律する力)を全ての人々が持っているのです。

「人類愛/人らしさ/必要を満たすこと」を尊ぶことにより、変容/変化する為に必要なサポートをあなたの世界に対して与え始めなさい。
そしてあなたの兄弟の真実を知りたいと熱望し、(あなたを満たした明晰の視点から兄弟の為の証人に成れるように)兄弟の真実を知りたいと熱望した結果としてあなたの中に気遣いが湧き上がり、「変容する為に必要なサポートをあなたの世界に対して与え続けられるようにしなさい。

これが今必要とされている仕事です。


yasu さん、sarah さん、 フリフリしっぽさん、静さん、三浦さんのおかげで、このテキストもアップ出来るようになりました。 ありがとうございます。

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

12-09-30

わたし達は意味(意義/意図)に関して話して来ました。
「聖なる瞬間の実践によって暴き示される聖なる意味」について話して来ました。
それが{全ての聖なる意味があなたに暴き示されることが}聖なる瞬間の祝福なのです。

そして次のタイトルは唐突にも、
[OBSTACLES TO PEACE1 ]
[平和への障害]

何故このタイトルがここで唐突に出てくるのでしょうか?
もう少し読んでみましょう。

[1. The Desire to Get Rid of It ]
[1. それ(平和)を捨ててしまいたくなること]

[The first obstacle that peace must flow across is your desire to get RID of it. For it cannot extend unless you KEEP it.]
[平和が流れ越えて(乗り越えて)行かなければならない第一の障害は、あなたが平和を捨ててしまおうとすることです。あなたが平和を保たなければ平和は広がれない(拡張されない)のです。]

あなたがインスピレーション(霊の流入)を体験している時、そしてあなたの関係(あなたと兄弟姉妹の関係、あなたと家具や樹木や家屋などの関係)の真の意味を体験している時、その時あなたがしている体験{聖なる体験}が消え始めてしまうのです。
受け取っている啓示{ヴィジョン}に対して、あなたの無知な習慣的反応{思考}から「無知/無明な状況/状態」が始ってしまうのです{そしてインスピレーション/啓示が萎んでしまうのです}。
あなたは自分の性癖から反応し始めてしまい、それによりあなたは平和を失ってしまうのです。
すると『外部からの要求に直面しながらも「二つのステップ/聖なる瞬間」を捨てない結果として現れる「啓示/インスピレーション」が続くこと』の利益無くしてあなたは自分で問題を解決しようとし始めてしまうのです。 

[It cannot extend unless you KEEP it.]
[あなたが平和を保たなければ平和は広がれない(拡張されない)のです。]
あなたが平和を{聖なる瞬間の実践を}放棄しては駄目なのです。

[You are the center from which it radiates outward, to call the others in.]
[あなたを中心にして平和は外側へと広がって、他の人々を内側に呼び込むのです。]

これが聖なる瞬間の祝福なのです。これが聖なる瞬間体験の中で照らし出される「意味/意図」なのです。  

[You are the center from which it radiates outward, to call the others in. You are its home; its tranquil dwelling-place, from which it gently reaches out, but never leaving YOU.]
[あなたを中心にして平和は外側へと広がって、他の人々を内側に呼び込むのです。あなたは平和の家なのです。 あなたがその静かな住処で、そこから平和が広がって行くのですが、決して平和がそこを去ることはないのです。]

それは何故でしょう? それはあなたが聖なる瞬間を全く手放さないからです。
だからあなたが聖なる瞬間を保つことにより平和が保たれ、「平和/聖なる瞬間」が外側へも拡張される(差し伸べられる)のです。
しかし今まであなたはあなた自身をこのように{このようなことが出来る者とは}定義しては来なかったのです。
だから聖なる瞬間の成就の中で「あなたの意味/意図に関する新しい理解」が照らし出されるのです。

[If you would make it homeless, how can it abide within the Son of God?]
[もしあなたが平和を宿無しにしたなら、どうやって神の子の中にそれが住まうことが出来るでしょう。]

もしあなたが聖なる瞬間を放棄してしまったなら、あなたの中に平和が住まうことは出来ないのです。

[If it would spread across the whole creation, it must begin with you, and FROM you reach to everyone who calls, and bring him rest by joining you.]
[平和が創造全体に広がる為には、平和がまずあなた(達)の中に広がらなくてはならないのです。そして(平和を求めて)呼び掛けている人達全員に対してあなたから平和が差し伸べられ、あなたと繋がることで彼に(平和を求めた人達全員に/神の子に)安息がもたらされるのです。]

だからあなたには仕事(行なうべきこと)があるように聞えるでしょう。あなたには目的(行なうべき行動)があるように聞えるでしょう。
だからあなたにはそれ程のプライバシーは与えられず、あなたにはあまり休息が与えらないように思えるでしょう。
何故なら、あなたの意識が「意味/意図」で満たされるように成り、あなたから沢山の平和が差し伸べられるように成り、癒やしをもたらす実際の関わり合いが必要に成るのだから。
これだけでも平和を捨てたいと思わせる理由に成ってしまうのです。
何故なら(例えそれがあなたの存在の目的を満たすことであったとしても)あなたはこれ程の関わり合いは求めていないかもしれないから。
だからあなたは「沢山の平和をそこにもたらし続けたくはない」と考えてしまうかも知れないのです。

[Why would you want peace homeless?]
[何故あなたは平和を宿無し(ホームレス)にしたいのでしょう?]
あなたは何故、あなたの中に平和が見つけられるようにしたくないのでしょうか?

[What do you think that it must dispossess, to dwell with you?]
[平和が何を捨てれば、平和を自分の中に住まわせても良いとあなたは考えているのでしょうか?]
平和が何を自分から奪うとあなたは考えているのでしょうか?

[What seems to be the cost you are so unwilling to pay?]
[あなたが支払いたくないと考えているコスト(代償)に見えているものは何なのでしょうか?]

あなたが平和の代償として見ているのは時間かも知れません。
{あなたが平和の代償として考えているのは}意味深い関係を持つ為に必要とされる関わり合いの努力(忍耐)かもしれません。
自分がしたいことをする自由が犠牲に成るとあなたは考えているかもしれません。

[The little barrier of sand still stands between you. Would you reinforce it NOW?]
[あなた達の間には砂のバリアーが少し残っているだけなのです。あなたはそれを補強しようとしますか?]

あなたが聖なる瞬間の祝福を体験して全ての意味を受け取った後{あなたはまだ残っているバリアーを補強しようとしますか?}
「(あなたから切り離すことは決して出来ない)全てのものへの愛」をあなたが自分の中に感じており、その愛が全てのものに対して差し伸ばされている時{あなたはまだ残っているバリアーを補強しようとしますか?}

[You are not asked to let it go for yourselves alone. Christ asks it of you for Himself.]
[あなたは、あなた自身だけの為にこれ(バリアー)を手放すように求められている訳ではありません。キリストがキリスト自身の為にあなたからこれを求めているのです。]
何故なら、これがあなたの目的が満たされることを助け、それにより神の目的が押さえつけられることなく満たされるのだから。

[He would bring peace to everyone, and how can He do this EXCEPT through you?]
[彼(キリスト)は全ての人達に平和を与えようとしているのです。あなたを通してでなければ、どのようにして彼にこれが出来るでしょうか?]

だからこれはお互いに対して相互に行なわれることなのです。
これは卑小でプライベートなエゴが何か壮大なことをしょうとするのではなく、不可分で無限のマインド(分離した独立部分として切り離すことの不可能な一つのマインド)が父の意志をそれ自身のものとして表現し認識し抱擁していることなのです。
これがシンプルで意味深い目覚めであり、これがアトーンメント(贖罪/和解)を発生させるのです。

[Would you let a little bank of sand, a wall of dust, a tiny seeming barrier, stand between your brothers and salvation?]
[あなたは「僅かな砂の土手/塵の壁/小さなバリアーに見えているもの」をあなたの兄弟と救済の間を阻ませてしまうのですか?]

あなたはまだそうしようと(救済を阻ませようと)しているのです。
何故なら「平和/救済が多くのものをあなたから奪い去ってしまう」とあなたはまだ信じているから。
しかし聖なる瞬間の成就をあなたが体験している時、自分の孤児的状況を保持し続けようとする確執がとても弱められるのです。
この確執が居残る傾向が見受けられていても、(神から独立して存在しようと試みている)孤児としてのあなたが(聖なる瞬間の実践を続けるのではなく)あなた自身を主張しているように見えても、そのような状態にはもう後戻り出来ないのです。
あなたに必要なのは「愛/神聖/意味の表明として全てを体験させるインスピレーションのヴィジョン」を継続させることなのです。
ヴィジョンと繋がり続ける利点をあなたは学ぶべきなのです。 一番初めにあなたが得た体験とその後に続く体験により、これ(ヴィジョンと繋がり続けること)を学び続けるようあなたは即されているのです。
あなたはこれを学習する必要があるのです。
それによりあなたはあなた自身を新しく認識するように成るのです。
平和(新しい自己認識)が創造の全てに行き渡る為には、これ(新しい自己認識)があなたから始り、あなたから「あなたと繋がることにより自分達自身に安息を与える全ての人達」に対してこれ(新しい自己認識)が差し伸べられなくてはいけないのです。
これがあなたの新しい意味/意義なのです。 あなたはこの視点から自分自身を認識し始める必要があるのです。
以前から言っている通り、あなたはパーフェクトなポイントの後ろに居るのではなく、パーフェクトなポイントに向かって進んでいるのでもなく、あなたは既にパーフェクトなポイントに居り、あなた自身をパーフェクトなポイントから理解する必要があるのです。
聖なる瞬間の成就の中であなたはこれを学ぶのです。
だから自分の平和を手放してしまう傾向が現れていても、(源との繋がりを持っていない)孤児として反応してしまう性癖が出てきてしまっていても、「絶対そうはしない」と言ってそのような呼び掛け{平和を手放そうという呼び掛け}は拒否する必要があるのです。
私は神の聖なる子供であって、パーフェクトなポイントの後ろに居るのでもそこに向かって進んでいるのでもなく、私は既にパーフェクトなポイントに居り、「ヴィジョンを受け取り続けている所」に存在し、そこから全てを理解する必要があるのです。

[Would you let a little bank of sand, a wall of dust, a tiny seeming barrier, stand between your brothers and salvation? And yet, it IS this little remnant of attack you cherish still against each other that is the first obstacle the peace in you encounters in its going forth.]
[あなたは「僅かな砂の土手/塵の壁/小さなバリアーに見えているもの」をあなたの兄弟と救済の間を阻ませてしまうのですか?(あなた達がお互いに対して使うことをまだ好んでいる)この攻撃の滓(バリアー)が少し残っているだけなのです。 あなたの中で平和が先に進む際に一番初めに遭遇する障害がこれ(バリアー)なのです。]

私の兄弟は私の努力には値しない。 彼に対する私の定義が「聖なる瞬間を彼に対して差し伸べる意欲」を私から奪ってしまう。{これが小さなバリアーです。}
「彼は神聖ではない。彼は私の裁きに値し、彼に関する真理を私は否定しなくてはならない」という自分の確信を私は放棄して、『「彼の真実」と「私が彼に対して取るべき態度」を照らし出し癒やしをもたらす聖なる瞬間』を実践しよう{といってあなたはバリアを取り去るのです}。

[This little wall of hatred would still oppose the Will of God, . .]
[この小さな憎しみの壁が、まだ神の意志に対抗しており、それを限られたものにしているのです。]
聖なる瞬間の成就の光りの中でこれが明確にされるのです。

[It] would still oppose the Will of God, and keep It limited.]
[それを限られたものにしているのです。]
神の意志を限られたものにしているのです。
神の意志を受け取っていない時、人は限定を体験するのです。

[The Holy Spirit's purpose rests in peace within you. Yet you are still unwilling to let it join you wholly. You still oppose the Will of God, just by a little. And that little is a limit you would place upon the whole.]
[聖霊の目的はあなたの中の平和に依存しています。 しかしあなたはまだ平和があなたと完全に一緒になることに躊躇を感じているのです。あなたはまだ少しだけ神の意志を否定してそれに逆らっているのです。そしてこの「少し」(少し残ったバリアー)こそ、あなたが全体に対して課している限定/限界なのです。]

(あなたはまだこれを理解していませんが)あなたが独立的存在に成ろうと試みている時あなたはそれ(独立的に成ろうとすること)を全体に(あなた以外の全てのものに)対して拡張しようとしているのです。

[You still oppose the Will of God, just by a little. And that little is a limit you would place upon the whole. God's Will is One, not many.]
[あなたはまだ少しだけ神の意志を否定してそれに逆らっているのです。そしてこの「少し」(少し残ったバリアー)こそ、あなたが全体に対して課している限定/限界なのです。しかし神の意志は「ひとつ」であって「多数」ではありません。]

神は遍在であり、全知であり、全能なのです。
そして神はひとつです。
創造と呼ばれている神の無限の存在には、あなたが含まれており、その無限性は「ひとつ」なのです。
あなたが独立を主張している時、あなたは全体に対抗しているのです。
あなたは「あなたが怒って/憤慨して/嫌っている対象」に対抗/対立しているだけではなく、あなたがマインドを誤用して「聖なる瞬間が提供している無限の視界」からあなた自身を隔てた途端に、あなたは全体を否定しており、全体に逆らっているのです。
あなたは神に逆らい、神を否定しているのです。
(別の言い方をするならば)あなたは「自分で見たいと求めたこと以外の全て」に対して自分を盲目にしてしまったのです。 その時あなたは「自分が見たいものを見たいように見ること」を選んでおり、それ以外の全てのリアルな意味をブロックしているのです。

[God's Will is One, not many. It has no opposition, for there is none beside It. What you would still contain behind your little barrier and keep separate from each other seems mightier than the universe,]
[しかし神の意志は「ひとつ」であって「多数」ではありません。そこには対立/反対がないのです。 何故ならそれ(神の意志)以外にはなにも存在していないのだから。あなた達が小さなバリアー内に囲って、お互いから分離させようとしているものは、宇宙よりも強大なのです。]

{あなたの分離体験の中では}あなたの意志は神の意志より偉大なのです。 
何故なら、自分の意志/意図を行使している時あなたは神の意志体験を受け取ることを拒否しているのだから。
そのようにして{自分の意志を行使/導入することにより}あなたは神より偉大に成っている{神より偉大に成ったつもりでいる}のですが、その時あなたは実際には卑小/最小に成っているのです。 
その時あなたは{神の意志に対する}拒否状態に在り、それがあなたを無意味にしているので、「自分が意味を持っていないという体験」が必然的に起こってしまっており、あなたはそのような体験をくつがえそう(凌駕しよう)し始めてしまいます。

この事態からあなたが抜け出す唯一の方法は聖なる瞬間の実践なのです。
『「あなたの想像力以外の何か」から真理を知ろうと願うことにより再統一する(繋がり直す)こと』が分離体験からの唯一の脱出方法なのです。
これが二つのステップ(聖なる瞬間)の実践なのです。
あなたがこれをしている時、「宇宙より強大に見えた傲岸で卑小なあなた」が傲岸な表現/表明を止めているのです。
そして(神から離れて自分独自の意志を行使しようとする)この傲岸が無くなっている時、真理/リアルだけがあなたに意識されるように成るのです。「聖霊があなたに暴き示しているもの」だけがあなたに認識されるように成るのです。
その時聖霊があなたに暴き示すものが「あなたの生得権」と「神の全能/遍在/全知」なのです。

[What you would still contain behind your little barrier and keep separate from each other seems mightier than the universe, for it would hold back the universe and its Creator. This little wall would hide the purpose of Heaven, and keep it FROM Heaven.]
[あなたの小さなバリアーの中にあなたが囲って、そしてお互いから分離させているものは、宇宙よりも強大なのです。何故ならそれは宇宙とその創造者を抑え留まらせようとするのだから。この小さな壁は天国の目的を隠し、それを天国から離そうとするのです。]

これ(あなたの小さなバリアー)が「ただのつまらない壁紙」をあなたに見せているのです。{あなたの分離した意図/意識が壁紙を壁紙にしか見えなくしているのです。}
これが「生きている愛の動きと現れがあなたを愛しており、宇宙の全てのものの性質をあなたに示していること」をあなたから隠し見えなくしてしまうのです。
これが祝福でしょうか?
これが天国に対してあなたを盲目にして、天国の体験を「天国/あなた」から遠ざけてしまうのです。

[Would you thrust salvation away from the GIVER of salvation?]
[あなたは救済を「救済を与える人」から弾き離そうとしますか?]
あなたが自分の平和を保とうとしなくなる理由がまたここでも示されています。

[For such have you become.]
[あなたが「救済を与える人」に成っているのに。 {あなたが「救済を与える人」に成ったのだから、「救済を与える人」から救済を取り除けようとするのは止めなさい。}]

(救済を与える人である)あなたはより意識的に成る(より一層目覚める)必要があるのです。 何故なら、あなたが見逃して来た創造のより多くが存在しているのだから。
そして怠惰であることにより、あなたは自分を盲目にしているのです。

だからあなたはより注意深く成る必要があるのです。

今まで以上に人生に興味を示し、より多くの注意を払うことでより多くを抱擁する必要があるのです。 「あなたが注目しているものが持っている聖なる意味」を父に暴き示してもらおうとする意識的意欲を持ちながら。

「これはハードワーク過ぎる。神よ、私は本当にそのようなことをしなくてはいけないのですか? より簡単なやり方が在るのでは?」
いいえ。 眠ることは、眠気を起こして曖昧になることは、関わり合いを失うことは、全てを意識していなくなることは、あなたの目的ではありません。そのようなことはあなたの役目や役割ではないのです。

[Would you thrust salvation away from the GIVER of salvation? For such have you become.]
[あなたは救済を「救済を与える人」から弾き離そうとしますか? あなたが「救済を与える人」に成っているのに。 {あなたが「救済を与える人」に成ったのだから、「救済を与える人」から救済を取り除けようとするのは止めなさい。}]

これが良き知らせです。あなたはこれに馴れていないだけなのです。
そして「あなたはあなたが創造された通りに存在する能力を有している」ということが良き知らせなのです。
「神があなたを今、今、今、今、創造続けている通りに存在する能力」をあなたは有しているのです。

[Peace could no more depart from you than from God. Fear not this little obstacle. It cannot contain the Will of God. Peace WILL flow across it, and join you without hindrance.]
[平和が神から離れられないように、平和はあなたからも離れられないのです。この小さな障害(邪魔)を怖れないでください。 それには神の意志を防ぎ止めることは出来ません。平和はそれを流れ越えて、邪魔されることなくあなたと一緒に成ります。]

あなたがリラックスしていたなら、『「それは自分が求めていることではないから」と言って自分の役割を満たさないこと』を選択してあなた自身を妨げなかったなら、私が問題なくあなたと繋がるのです。
『それは自分が期待したことではない、それは自分から余りに多くのことを要求してしまう。そしてなによりもそれは、自分の権威の上で自分の思考の上で創造的に成る「自分のオリジナリティ」を奪ってしまう。』
そうすることが(私と繋がることが)あなたのオリジナリティを奪ってしまうとあなたは考えています。
しかし、あなたは神ではないけれども、あなたの全ては神なのです。
そしてあなたの全てを神にさせた時、あなたは創造の動き(無限のオリジナリティ)と分離しようなく一体なのです。
その時あなたが失う唯一のものは、「オリジナリティの発生者は、{神の}動きではなく、あなた(自分)であると主張する権限」だけなのです。

[Salvation cannot BE withheld from you. It is your PURPOSE.]
[救済があなたから差し控えられることはありません。救済があなたの目的なのです。]

救済とは、「オオ、私には救済が必要だ! 私は目覚める必要がある。目覚めが起らなくてはならない。私は正しいマインドに立ち返る必要がある。」と言ってあなたが成ろうとするべきことではないのです。
救済とはあなたであって、あなたはその表現をもうこれ以上ブロックしなくなる必要があるのです。

あなたはパーフェクトなポイントの後ろに居るのではなく、パーフェクトなポイントに向かって進んでいる訳でもないのです。
あなたはパーフェクトなポイントに居り、パーフェクトなポイントから全てを理解するべきなのです。

しかしパーフェクトなポイントに居る(在る)ことなく、パーフェクトなポイントからあなた自身を理解することなく、「孤児として存在すること」からある程度の満足を得ることも可能ではあるのです。
これは「解らないことに直面しながらそれを理解しなくてはならないという要求/必要に晒され続ける、孤児として自分で答えを考え付かなくてはならないポジション、真理が何か説明しなくてはならないポジション」にあなた自身を置くことなのです。
そしてこれをすることによりあなたに信任/権威が与えられるので、これは刺激に満ちた体験なのです。
最終的に明晰がやって来るまで、神秘を保つ快感が与えられるのです。
神秘は刺激的で興味深いのです。
しかし、もしあなたが既に全体/十全であったなら、もし自身が真理/意味で満たされることをあなたが許可しあなた自身をパーフェクトなポイントから理解していたなら、もう二度とあなたが「何かを説明/解説する必要」は無くなるのです。

そしてあなたはミステリー(秘密)の中には存在しなく成ります。
これは退屈で面白くないことですね。何故でしょう?
何故ならもうあなたはそこから興奮/ハイ/高揚を得ることが出来ないから。
あなたの耽溺/中毒がもう使えなくなるから。
けれどもリアルな成就(本当に満たされる体験)は中毒からのハイを遥かに凌駕しているのです。
そしてあなたは「自分の平和を選び」そして「継続するヴィジョンと共に在ること」により、リアルな成就を選択しなくてはいけないのです。 あなたの目的である救済が上手く生きられるように。

[You CANNOT will apart from this. You have no purpose apart from each other, . . ]
[あなたは意志を使ってこれ(救済)から離れることは出来ません。あなた達はお互いを離れた目的は持っていません。]
この文章が今日の世界中の問題への解答なのです。もう一度読みましょう。

[You have no purpose apart from each other, . .]
[あなた達はお互いを離れた目的は持っていません。]
あなた達はファミリーから離れた目的は持っていません。
お互いに対する敬意から「二つのステップ/聖なる関係」を意識的に行なう必要があるのです。
お互いとの関係から逸れて行ってしまわない意欲、『「一番初めに{お互いと関係し始める前に}聖霊と向き合って父の下に行くこと」からお互いとの関係を築くこと』を止めない意欲が必要なのです。
そして聖なる瞬間を実践して、それ(あなたの特別な目的)が満たされ、(自分と関係を持っている人を裁かず、自分の平和を手放してしまう理由をあなたが見つけようとはしなくなることにより)あなたはヴィジョンと一緒に留まれるように成るべきなのです。

だから世界中の問題に対する答えは、
[You have no purpose apart from each other, nor apart from the one you asked the Holy Spirit to share with you. The little wall . . .]
[あなた達はお互いを離れた目的は持っていません。そして「あなた達と分け合うようあなたが精霊に頼んだもの/人」から離れた目的も持っていません。]

[The little wall will fall away so quietly beneath the wings of peace! ]
[小さな壁は平和の羽根の下でとても静かに崩れて行きます、]
自分の独立的孤児的行為への確執は、平和の羽根の下でとても静かに崩れて行きます。

[For peace will send its messengers from you to all the world.]
[何故なら平和の羽はそのメッセンジャー達をあなたから世界の全てに送るから。]
これはより希望に満ちた運命(目的)ではないでしょうか?
これは、貧しい区切り(分別)に拘るよりも、お互いに対する卑小なイザコザやどうでもよい裁きや、人々の間違いを探し当てることが聖なる瞬間の瞬間の目的であるかのように考えて振舞うよりも、素晴らしい目的ではないでしょうか?
しかし実際あなたは、聖霊に尋ねることなく、これらのこと(裁き、判断、拘り、闘争)をしているのです。
しかあなたの成就(あなたが満たされること)は、そのようなことよりも遥かに多くの意味を持っているのです。

[For] peace will send its messengers from you to all the world. And barriers will fall away before their coming as easily as those which you would interpose will be surmounted.]
[何故なら平和の羽はそのメッセンジャー達をあなたから世界の全てに送るから。そしてバリアー達はそれらのメッセンジャー達が来る前に崩れて行きます、「あなたが{平和の広がりに対して}介入させようとしたもの達」が克服されるのと同じ位易々と。]

これ(「あなたが介入させようとしていたもの」が克服されること)が目的なのです。
これが物事(天国)が機能する方法で、これが目的なのです。 物事(リアリティ)はこのように働き続けているのです。
その時あなたは、人類のカルマを解消したり発展させたりしているのではなく、(今まで持っていなかった)より偉大な能力を開発しているのでもなく、「真理があなたに届くことを今までブロックして来たもの」をただ単にあなたが無視し始めたということだけなのです。
あなたがそれを無視している時、真理が輝き出し、あなたは真理を見始めるのです。
そしてインスピレーションが起こり、神聖が起こり、天国の微笑みが体験されるのです。
{聖なる瞬間は}このように働くのです。 必要以上に複雑に考えないようにしてください。

[To overcome the world is no more difficult than to surmount your little wall.]
[世界を克服することは、あなたの小さな壁を乗り越えるぐらい、簡単なことです。]

あなたが外を見た時、あなたは「そこに世界が在り、そこには沢山の腐敗と不正直と貪欲が溢れており、目覚めに必要なことは行なえそうもない必滅者(肉体)がそこに溢れている」と言うのです。
これは何と酷い「呪い」なのでしょう。
これを「世界に対する呪い」と言っても良いでしょう。
しかしこれはあなた自身に対する呪いなのです。何故なら、これにより(この見方により)あなたは聖なる瞬間を実践しなくなり、あなたが世界に与えている呪いと同等の呪いをあなた自身に与えているのだから。

しかし{卑小な}世界を覆すことを不可能に見せているのは「あなたのこのようなマインドの使い方(物事の見方)」だけなのです。
何故なら、あなたの視界が変わることだけが 、あなたの選択が変わることだけが、「あなたの下した結論」と「その結論に達したあなたの偉大な技量」を尊ばなくなることだけが、変化することだけが、必要とされているのだから。

これがアトーンメントの為にあなたが支払わなくてはならないコストなのです。
これが平和の実践とヴィジョンを保つことのコストなのです。
{神の介入の為に、あなたは「自分が下した結論」と「自分で結論を下す技量」を放棄しなくてはならないのです。}

[To overcome the world is no more difficult than to surmount your little wall.]
[世界を克服することは、あなたの小さな壁を乗り越える位簡単なことです。]
何故なら、あなたの小さな壁を乗り越えることだけが必要されているのだから。

[For in the miracle of your relationship, without this barrier, is EVERY miracle contained. There is no order of difficulty in miracles, for they are all the SAME. ]
[何故なら、このバリアーが無ければ、あなた達の関係の奇跡の中に全ての奇跡が含まれているのだから。それぞれの奇跡に難しさの違いはありません、何故ならそれらは全て同じなのだから。]

[Each is a gentle winning over from the appeal of guilt to the appeal of love.]
[それらは全て優しく説得して、罪悪のアピール(呼び掛け)から愛のアピール(呼び掛け)へ気持ちを変えることなのです。]

だから罪悪は、マインドを占拠してしまう刺激に満ちたもの、注意を奪ってしまうものであって。 あなた達は全員それを楽しんでいるのです。
何故なら、罪悪は「(物事をより良くしたり罪悪を減らしたりする為に)より良い結論を引き出したり世界や兄弟姉妹を操ること」をあなたにさせようとするのだから。
聖なる瞬間を実践して成就(満たされること)を体験しヴィジョンの中に留まり続けるまで、あなたはミステリー(謎)と罪悪を等しく愛しているのです。
何故なら、それにより(聖なる瞬間を実践しヴィジョンの中に留まり続けることにより)あなたは「自分の救済の役割」を満たし宇宙を祝福出来るように成るのだから。

[How can this FAIL to be accomplished, wherever it is undertaken? Guilt can raise no real barriers against it.]
[これが行なわれた場合、これが何処で行なわれたにしろ、失敗が在り得るでしょうか?罪悪はこれに対してリアルなバリアーは築けません。]

罪悪は愛の呼び掛けをブロックすることは出来ないのです。
罪悪に出来ることは、あなたが罪悪を手放すことを遅れさせるだけ、あなたが父の意図に譲ることを遅れさせるだけ、あなたがあなたのマインド全体を体験することを遅れさせるだけなのです。
罪悪に出来るのはこれらを遅れさせることだけで、罪悪にはリアルなバリア(壁)は築けないのです。

[And all that seems to stand between you must fall away because of the appeal you answered. ]
[あなた(達)が応えた呼び掛け故に、あなた達の間に立っているように見える全てのものは、崩れ落ちて行くに違いないのです。]
目的を満たすものは常に選択なのです。
あなたは「何が目的を満たすのか」選ばなくてはいけないのです。
「あなたの卑小な孤児的自己に聞き入ること」によりあなたの目的が満たされるのか、それとも「父/聖霊と繋がること」によりあなたの目的が満たされるのか、あなたはそれを選んでいるのです。
「今までしていなかったこと」をあなたが行うまで、あなたは何が目的を満たすか解らないのです。
そして「あなたが未だしていなかったこと」とは、聖なる瞬間を実践することです。

だから聖なる瞬間を行ない、そこから得られる体験をしなさい。
そして体験が得られるまで、聖なる瞬間を続けなさい。
何故なら、私があなたに言っていることから、あなたは「私があなたに真実を伝えている」と知っており「コースが正しく叡智を伝えている」と解っているのだから。

[And] all that seems to stand between you must fall away because of the appeal you answered.]
[あなた(達)が応えた呼び掛け故に、あなた達の間に立っているように見える全てのものは、崩れ落ちて行くに違いないのです。]
今、今、今の瞬間にあなたが応えてる呼び掛け(アピール)故に、全ての障害が崩れ落ちて行くのです。

[For from you who answered, He Who answered you would call. ]
[そして(この呼び掛けに)応えたあなたから、あなたに応えた彼(精霊)が答えます。]

私はあなたに呼び掛けており、聖霊があなたに呼び掛けており、父があなたに呼び掛けているのです。

[His home is in your holy relationship.]
[彼の住処はあなた達の聖なる関係の中なのです。]
兄弟姉妹とあなたの関わり合いが、世界の全てとあなたの関わり合いが、彼(聖霊)の住家なのです。 世界の中の全ては誤知覚されている創造で、それはあなたから正しく知覚されることを待っているのです。

[Do no attempt to stand between Him and His holy purpose, for it is yours.]
[彼(精霊)と彼の聖なる目的の間に立ちはだかろうとするのは止めなさい。 それは(精霊の聖なる目的は)あなたのものなのだから。]

私と私の聖なる目的の間に立ちはだかろうとするのは止めなさい。
そして聖霊の聖なる目的をあえて抱擁しなさい。勇気を持ってあなたの神聖の衣を身に付けなさい。

[But let Him quietly extend the miracle of your relationship to everyone contained in it as it was given.]
[聖霊は「あなたの関係の奇跡」をそれそのままに「関係者全員」に差し伸べようとするので、そうさせなさい。]

これは「ペイ・イット・フォワード」という映画のような感じで、「あなたが受け取ったもの」をそれが求められる前に{要求される前に}与えることなのです。

[There is a hush in Heaven, a happy expectancy, a little pause of gladness in acknowledgment of the journey's end. For Heaven knows you well, as you know Heaven.]
[旅の終わりを認めて、天国に静寂があり、ハッピーな期待があり、感謝の小さなため息があります。何故なら、あなたが天国を知っているように天国はあなたを良く知っており、]
これが聖なる瞬間の成就なのです。

[No illusions stand between you now. Look not upon the little wall of shadows.]
[あなた達の間には全く幻想がないのだから。小さな影の壁を見るのは止めなさい。]

それ(あなた達の間に残っている小さな影の壁)があなたの性癖の僅かな残りです。

[The sun has risen OVER it. How can a shadow keep you from the sun? No more can you be kept by shadows from the light in which illusions end.]
[太陽がその上に昇っています。影があなたを太陽から隔てることが出来るでしょうか?これ以上あなたが影によって光(この光の中で幻想が終るのです)から離され続けることはありません。]

それ(光り/天国)をあなたから奪うことが出来るのは、それ(リアリティ/天国)からあなたの注意が逸れてしまうことをあなたが許可している場合だけなのです。
あなたの注意が逸らされてしまうことは非常に少なくなって来ています。
だからヴィジョンを保ち続けることはそれ程難しくないでしょう。
しかしあなたは、選択を満たすものを選んで、それが真実であるものとして振舞う必要があるのです。

[Every miracle is but the end of an illusion. Such was the journey; such its ending. And in the goal of truth which you accepted must ALL illusions end. The little, insane wish to get rid of Him Who you invited in and push Him out MUST produce conflict.]
[全ての奇跡は幻想の終わりに過ぎないのです。これが旅だったのです。これが終ったのです。そしてあなた(達)が受け入れた真理のゴールの中で、全ての幻想が終るのです。(あなたが呼び入れた)彼(精霊)を振り放そう押し出そうとする小さな狂気の願いは葛藤/闘争を生まずにはおれません。]

そしてあなたは「闘争/対立の体験」と「聖なる瞬間の中であなたが得た意味/意義の体験」の違いを認識出来るはずです。
「目的を満たすもの」を容易に選び続けられるように成る為に、あなたはこの違いを認識出来るように成るべきなのです。
「この小さな願い」とは、自治の願い、孤児的境遇を保とうとする願い、あなた自身の権限の下に何者かに成ろうとすることなのです。しかしそれは達成不可能なのです。
この小さな願いが今引き抜かれています。

[As you look upon the world, this little wish, this little wish uprooted and floating aimlessly, can land and settle briefly upon anything, for it HAS no purpose now. Before the Holy Spirit entered to abide with you, it seemed to have a MIGHTY purpose; the fixed and unchangeable dedication to sin and its results. Now it is aimless, . .]
[あなたが世界を見ている時、引き抜かれ目的無く漂っているこの小さな願い(精霊を振り払おう押し出そうとする願い)は、何処にでも落ちて暫くそこに留まることが出来るのです。何故なら今それ(あなたの願い)には目的がないのだから。精霊がやって来てあなたと共に居るようになる前までは、それには強大な目的があるようにみえていたのです。 その目的とは罪とその結果に変らぬ献身を与え続けることだったのです。今それは目的なく無駄に漂っており、]

何故なら、あなたはもう「今までのあなたの信念」を確信してはいないのだから。
あなたはより良きこと(叡智)を知っているのです。 例え叡智とあなたの繋がりがまだ安定していなかったとしても。
安定はヴィジョンを保ち続けることから来るのです。

[Now it is aimless, wandering pointlessly, causing no more than tiny interruptions in love's appeal. This feather of a wish, . .]
[今それは目的なく無駄に漂っており、愛のアピールに対して暫く邪魔する以上のことは何も出来ないのです。羽根のようなこの望みが、]
(孤児的境遇と戦って打ち勝とうとしている)孤児としてのあなたの自己感覚が、

[this tiny illusion, this microscopic remnant of the belief in sin, is all that remains of what once seemed to be the world.]
[この小さな幻想が、罪へのこの信念の残り滓が、世界に見えていたものの残骸の全てなのです。]
今までは{聖なる瞬間に入る前までは}、罪に対する信頼が物事の在り方に見えていたのです。しかし、

[It is no longer an unrelenting barrier to peace.]
[これはもう平和に対する揺るぎの無いバリアーではないのです。]

例えあなたがまだ聖なる瞬間を完全に体験していなかったとしても、私が知らせていること故に(コースを一緒に読み出してからわたし達が一緒に体験したこと故に)あなたは既にそのフィーリングを持っているのです。
あなたの中の神聖は、私が教えていること(私が話していること、私が勧めていること)の真実を認識しているのだから、仕事はもうある程度完了しているのです。

[Its pointless wandering makes its results appear to be more erratic and unpredictable than before.]
[これはもう平和に対する揺るぎの無いバリアーではないのです。その無目的な彷徨は、その結果を以前よりも不確実で気まぐれにしています。]
もう物事(事態)は以前程孤立的には見えなくなっているのです。

[Yet what COULD be more unstable than a tightly-organized delusional system? Its seeming stability is its pervasive WEAKNESS, which extends to everything. The variability which the little remnant induces merely indicates its limited results. How mighty can a little feather be before the great wings of truth? Can it oppose an eagle's flight, or hinder the advance of summer? Can it interfere with the effects of summer's sun upon a garden covered by the snow? See but how easily this little whish is lifted up and carried away, never to return, and part with it in gladness, not regret.]
[しかし強固に組織化されている幻想システムよりも不安定なものがあるでしょうか?この不安定さとして見えているものが、その根本的弱点であり、それが{幻想システムの}全てに広がっているのです。この少しの残り滓が引き起こしている変動は、その限定された結果を単に示しているに過ぎません。真理の偉大な羽の前で、小さな羽根がどのような力を持ちえるでしょう?それに鷹の飛行が邪魔出来るでしょうか? それに夏の到来を妨げることが出来るでしょうか?それは夏の太陽が雪に覆われた庭園に与える影響を邪魔することが出来るでしょうか?この小さな一束の毛は容易に運ばれて去って行き二度と戻らないので、それをただ見ていなさい。別れを惜しむのではなく、喜んでこれと別れなさい。]

聖なる瞬間の実践を続けなさい。 「天国の風刺画のような無知で馬鹿げたイラストレーション」が「真理のヴィジョン(意味体験)」で置き換えられるように。 
それら(リアルでないもの)が「リアリティの真意の直接体験」で取り替えられるように。

[. . . part with it in gladness, not regret. For it is nothing in itself, and stood for nothing when you had greater faith in its protection. Would you not rather greet the summer sun than fix your gaze upon a disappearing snowflake, and shiver in remembrance of the winter's cold?]
[喜んでこれと別れなさい。何故ならこれはそれ自体では何ものでもなく、そして(あなたがそれに対してより大きな信心を与えていた時でも)それは何の象徴(何の為)でもなかったのだから。消え行く雪の残りを眺めて冬の寒さを思い出して震えるより、あなたは夏の太陽に挨拶したいとは思いませんか?]

だから注意深く成りなさい。
より注意深くなり、あなたが「自分のパーソナリティ/キャラクタを満足させる反応」の為に「あなたの平和」を放棄しようとしている時、それを認識し止められるように成りなさい。
瞑想していて{瞑想から注意が逸れた時には}マントラに意識を戻すように、あなたの反応/反発を放棄しお喋りを閉じて「聖霊よ、父よ、ここの真理は何ですか?」と訊ねることにより聖なる瞬間に入って行くことに戻りなさい。


Chapter 19 – Section: OBSTACLES TO PEACE
Sparkly Book – p.459 / JCIM – p.192 / CIMS – p.387
Chapter 19 – Section: THE FIRST OBSTACLE: The Desire to Get Rid of It
First Edition – p. 380 / Second Edition – p.407

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

ACIM12-09-23

2012-09-23


聖なる瞬間/二つのステップに関して「難しいこと、困難なことをしなさい」と私が言っているように聞えたかもしれませんが、違います
あなたが父か聖霊(ガイド)に注意/意識を与えて訊ねたなら、瞬時に必ず反応が得られるのです。
自分一人だけでこの行為(聖なる瞬間)をしようとしていると考えないで下さい。
不可能なことを自分が試みているのだとは決して思わないで下さい。
そのような考えは真実ではないのだから。
聖霊とガイドと父は常にあなたに注意を注いでいるのだから。聖霊/ガイド/父は常にその注意の中にあなたを抱いているのだから。

全ての人々は天国の中に居て、しかし天国を見ていないのです。 
何故なら人々はその目(知覚)を閉じていて、「パーフェクション(完璧な状態)が自分達には見えない」と嘆いているのだから。
これはあなた達が芝生の上に寝ているような状態(どのような夢を見ているにしろ実際には安楽な状態)なのです。

そして「わたし達」はそれを(芝生に寝ているあなた達を)見ているのです。
わたし達は兆しを待ち続けているのです。
あなた達が自分の意識/注意を夢の縁まで持って来ることを。
そしてあなた達が少しでも夢に夢中になることを止めて、わたし達に注意を与え始めた途端、より一層の目覚めの為にわたし達が応答する(あなた達に答える)のです。
あなたは常に「自分が注目を受けているフィーリング」を持っているべきなのです。
「(あなたの意識が変容することをサポートしようとしている)永遠の愛」の中で抱擁されている気持ちを持っているべきなのです。

あなたは愛されているのです。
そしてあなたが自分のジレンマ(葛藤)に夢中に成り続けることを手放し、物事に対する現在の自分の知覚/認識を手放した途端に{父/聖霊/ガイドから}あなたへの対応/返答が得られるのです。
だからあなたが「聖なる瞬間/二つのステップ」を実践しているその時、あなたのガイド/聖霊/父もあなたに答えようとして「(聖なるコミュニケーションをブロックしている)幻想とリアリティの狭間」の反対側からあなたに手を伸ばしているのです。 
(これが知識的な理解でしかなかったとしても、それでもこれを知っていることは有益なのです。)

{聖なる瞬間への}あなたの試みは決して単独の行為ではないのです。
このことを知り、これを事実として抱擁してください。 
そしてあなたが{父/ガイド/聖霊に対して}意識を差し伸ばした時、(あなたに捧げられている、あなたの目覚めに捧げられている)永遠の愛を持った「誰か」があなたに意識を差し伸ばしていること(あなたに注意を注いでいること)が解るように成ってください。
あなたがこれを知っていることが重要なのです。
私が上記を述べているのは、これから読むテキストをより解り易くする為です。

[In the holy instant, you will see the smile of Heaven shining on BOTH of you . . . ]

[聖なる瞬間の中であなたは天国のスマイルがあなた達両者の上に輝いていることを見るのです。]

「あなた達両者の上に」とは『「あなた」とそして「あなたと関係を持っている人」の上に』という意味です。
それはあなたが彼/彼女の為に{兄弟姉妹へのあなたの愛故に}「あなたの彼/彼女に対する定義」を手放そうとしている「関係」です。
と同時にその時あなたは「彼自身に対する彼の定義」も手放しているのです。
(あなたの卑小なマインドではなく)源から「あなた自身とあなたの同胞に対する情報」を得ようとする意図を持って「(これが自分だとあなたが考えている)空想上のあなた自身」を超えて伸び出すのです{あなたの意識をその外まで伸ばし出すのです}。
あなたがこれ(二つのステップ)を行なっていてインスピレーションの流入を体験している時、兄弟姉妹に対する真理をあなたが体験している時(兄弟姉妹に対する真理をあなたが見ている時)、あなたは天国のスマイルを感じるのです。
これ以外には表現しようがありません。

私と一番最初に会話を行なう少し前にポールは光(光明)を体験しています。
その時彼は裕福な友達の豪奢な家に居ました。
そのリビングルームには美しい植毛紙(ファンシーで高価な壁紙)が貼ってありました。
そして全ての調度品も同じ位美しいものでした。
すると突然「それまで彼が受け入れてきた定義群」が溶け去ったのです。
その部屋の中が変化したのではなく、部屋に対する彼の知覚が変化したのです。

壁と壁紙そして部屋の中のその他全てが生きていることに彼は突然気づきました。
それは言わば定位置の流動状態に在ったのです。
それは生きていて、アクティブに壁紙だったり家具だったり(ポールと壁や家具の間の)空間だったりして、それは全て生きており、その実体(Substance/構成要素)は愛だったのです。
壁紙や植毛やデザインや、それら全ての実体は愛だったのです。
そして全てが彼を愛していたのです。
彼は(物体としてではなく)スピリットとして実体(substance)を体験していたので。

私がこの話をしている理由は、
『「父よ、(あるいは聖霊よ、)ここの真実は何ですか?」と言った時自分は(真実の体験ではなく)知的な説明を得るだろう』とあなたが考えてしまっているからです{そうではないと示す為に私は上記の話を説明しているのです}。
「ここの真実は何ですか?」と訊ね聞いている時、それに対する答えが説明として現れるのではなく、「意味」の体験として現れることが期待出来るように{私は上記の話を述べていたのです}。

上記の体験をする前にポールが「父よ、この壁紙の真理は何ですか?」と言っていたなら、ポールは「壁紙のデザインや素材や製造過程に関する答え」を期待してしまったかもしれません。

しかし「この壁紙に対する真実は何ですか?」に対する答えは「それはあなたを愛している生きた愛です」なのです。
この体験をしている時、ポールは自分を愛していて、そして壁紙をそして全てのものを愛していたのです。
だからこれは言わば、相互に愛を与え合い受け取り合うこと(愛の共有)だったのです。

だから{あなたが神に真理を訊ね聞いている時}、物体に対する真理の説明を探そうとするのは止めなさい。
「私のパートナーに関する真理は何ですか? この子の真理は何ですか? しおれかけているこの植物の真理は何ですか?」とあなたが訊ねている時、その説明が受け取れるのだろうと考えるのは止めなさい。
{あなたが受け取る}真理は「意味/意図」なのです。

{質問を訊ねている}その時もしあなたが説明を求めてしまったなら、あなたは真理の答えを見過ごしてしまうかもしれません。
「真理がどのような形で現れるか自分は既に知っている」と考えてしまうのは止めなさい。
しかしそこには(あなたが受け取る答えには)常に意味(意図)を体験することが含まれているのです。

『壁紙やその部屋の全てのものの「意味」が愛であるだけでなく、それらは全てポールを愛している「愛」であって、全てがポールを意識していたことを、全ては「固まった物質的物体」ではなく生きている愛のアクティブな交換(コミュニケーション)であること』をポールはそれまで知っていませんでした。
どのように彼が考えたなら、これ(愛)が体験出来たというのでしょうか?
「ここの真理は何ですか?」と人が尋ねた時、このような答えが得られると誰が考えられたでしょう?
解りますか? {つまり説明を期待していたなら、このような体験(意味の体験)は得られない可能性が高いのです。}

父は自身を無限の意味(意図)として表現します。
そしてあなたは、何かに対する意味(定義)を理解するのではなく、「意味/意図」の直接体験を求めるべきなのです。 
必要ならその体験の説明を後で言葉にすることも可能でしょう。{しかし説明は体験そのものではありません。}

あなたは「意味/意図」を体験したので、あなたは真理を体験したのです。
そして真理の体験をすることにより、壁紙とあなたの両方があなた自身を理解していることをあなたは理解するのです。
あなたと壁紙は「愛の動き」で、それらが互いに愛を受け取り与えている(愛を表明し、愛を認識している)のです(体験の中でこれが理解されるのです)。
これが本当の全体/健全であって、これは天国のスマイルとも呼べるものなのです。
下記を読み進むにあたって、上記を考慮してください。

[In the holy instant, you will see the smile the smile of Heaven shining on BOTH of you. And you will shine upon each other, in glad acknowledgment of the grace that has been given you.]

[聖なる瞬間の中であなたは天国のスマイルがあなた達両者の上に輝いていることを見るのです。そしてあなたはあなた達に与えられた恩寵を嬉しく認めて、お互いに対して輝き笑うのです。]

天国のスマイルを体験することによって、あなたは天国の意味を感じるのです。
聖なる瞬間を通してあなたが手を伸ばしている時(人間的状況を超えて意識を神に届けている時)、あなたはあなた自身だけで手を伸ばしているのではありません。
あなたが手を伸ばしている時、(あなたの繋がりを完成させる為に)聖霊/ガイドがあなたに向かってその手を伸ばしているのです。
これはお互いが相互に(あなたと聖霊が同時に)働きかけることなのです。

[For sin will not prevail against a union Heaven has smiled upon.]

[何故なら、罪は「天国が微笑みかけた連合(繋がり)」には打ち勝てないのだから。]

天国の微笑みを体験している時、全ての実体が愛に成っている体験をしている時、「あなたが神の直接表現に成っている体験内」に罪が入り込む余地はありません。
何故なら「あなただけで物事のリアリティを想像し、それ(あなたが想像したリアリティ)を作り上げ、それを真理にさせようとする願望」は{あなたが天国の反応を体験している}そこにはもう存在していないのだから。
天国のスマイルの体験内では、全ての実体が体験に成っている体験内では、全てが神の直接表現に成っている体験内では、そこには罪が生まれる余裕は全く無いのです。
「あなた自身だけで物事が何か(何がリアルか)想像しようとして、それを作り上げそれを真実にしようとする願望」はそこには存在していないのです。

罪は天国には打ち勝てないのです。
あなたが意味を体験している時、架空の自分を{作り上げて}成り立たせ続けようとする必要は終っているのです。
その時あなたが{体験そのものではなく}解説/説明を捜し求めてしまったなら、あなたは意味(意味深い体験)を取り逃がしてしまうから、だから私はこの説明をしているのです。
もしあなたが「意味」を取り逃がさなかったなら、その時あなたは説明を必要としてはおらず、その体験を他者に説明する為の説明は後日必要になるだけなのです{体験中は説明は不必要なのです}。

{リアリティを体験する上で}説明が重要でないことが理解出来たでしょうか?
あなたは新しい説明を必要とする体験を求めているのです、あるいは、あなたは全く説明を必要としていない体験を求めているのです。
何故なら、{あなたが聖なる関係を体験している時}「あなたという存在そのもの」が「あなたと関係している人」に対して「意味」をコミュニケート(伝達)しているのだから。

[For] sin will not prevail against a union Heaven has smiled upon. Your perception was healed in the holy instant Heaven gave you.]

[何故なら罪は天国が微笑みかけた連合(繋がり)には打ち勝てないのだから。あなた達の知覚は天国があなたに与えた聖なる瞬間の中で癒やされたのです。]

天がポールに与えた聖なる瞬間の中で「ポールの壁紙に対する知覚」が癒やされたのです。
そしてポールがこの体験をしている間、これ以外の理解も起こっていました。
その理解とは「もしこの美しい家の壁に油紙が貼ってあったとしても、依然としてこの家は美しかっただろう」ということです。
その実体は彼を愛している愛なので、{例えこの家が油紙で覆われていたとしても}同じインパクトを持っていたでしょう(ポールは同等の体験をしたでしょう)。
聖なる愛が彼を愛しており、彼以外の全てのものも彼を愛していたのです。

だからどのようなマテリアル(材料)でも、どのようなデザインでも良かったのです。
何故なら、全ての実体(構成物)は聖なる愛なのだから。
だから{この体験を通してポールの}美の定義が変化したのです。
愛の目を通して壁紙を眺めている時、そしてその壁紙の実体が愛であると認識されている時、簡素な壁紙もまた非常に美しいのです。

だから{ファンシーな}植毛紙の方が油紙よりも好ましい訳ではないのです。
どちらもあらゆる目的で使用可能だし、どちらを使ったとしても神のギフトの豊かさは存在しているのです。 何故ならその時あなたはもはや定義を見てはいないのだから。
{聖なる瞬間の中に居る}その時あなたは愛が表現されている衝動の(神の現れの)意味を見ているのです。

あなたがこの体験をしている時、

[Forget what you have seen, and raise your eyes in faith to what you NOW can see.]

[あなた達が今までに見て来たことは忘れなさい。そして信心の中で瞼を上げて今あなた達に見えるものを見なさい。]

この体験が起こっている瞬間には、この体験をすること以外にはあなたは他のどのような興味も(体験を説明したりする興味も)持たないのです。
しかし時間が経つに従い(例えば体験の24時間後には)昔の反応/考えを通してこのヴィジョンを振り返る必要があるように感じられてしまい、それ故に、このヴィジョンは色褪せてしまうかもしれません。

しかし、

[Forget what you have seen, and raise your eyes in faith to what you NOW can see. The barriers to Heaven will disappear before your holy sight, for you who were sightless have been given vision, and you can see.]

[あなた達が今までに見て来たことは忘れなさい。 そして信心の中で瞼を上げて今あなた達に見えるものを見なさい。あなたの聖なる視界の前で、天国へのバリアーは消え去ります。何故なら目が見えていなかったあなたにヴィジョン(視界)が与えられ、あなたは見えるようになったのだから。]

[何故なら目が見えていなかったあなたに、]
ただ壁紙でしかないものを見ていたあなたに、
[ヴィジョン(視界)が与えられ、あなたは見えるようになったのだから。]

これが重要なのです。 何故なら、これが聖なる瞬間そのものであり、その結果そのものなのだから。


[Look not for what has been removed, but for the glory that has been restored for you to see.]

[取り除かれたものを見つけようとするのではなく、あなたに見えるように修復された栄光を見つけなさい。]

あなたのヴィジョンが修復されることにより、今までそこに存在し続けて来た(しかし今まであなたには見えていなかった)栄光が修復されあなたに見えるようになるのです。
あなたが自分で作った定義群を取り下げたので、あなたのヴィジョンが修復されたのです。 
そしてあなたが定義群を取り下げられるようになったのは、「自分が作った定義群によって自分をリアルにしようとするゴール」をあなたが放棄したからです。
これはシンプルで美しいことです。

あなたを抱擁している「終わりの無い(常に存在し続けている)愛」を感じる方法は、リラックスすることです。静かに成ることです。
あなたのとても強い意識的独立的意志を放棄して、あなたの「存在」の平和の中に留まり、神の動きに譲り、あなたが動きを操作するのではなく、あなたが動かされるように成るべきなのです。
そしてこの動きは、地位や名誉や富やその他をあなた自身の手で獲得する為の関わり合いではないのです。

[Look upon your Redeemer, . .]

[あなたの救い主(救世主)を見つめて、

真理があなたの救い主です。
そこに暴き示される真理を見なさい。
そしてあなたの救い主である聖霊を見なさい。
あなたの正気であり、あなたの正しいマインドにしか過ぎない聖霊を見なさい。

[Look upon your Redeemer, and behold what He would show you in each other, . . ]

[あなたの救い主(救世主)を見つめて、彼があなた達の中に見せるものを発見しなさい。]

あなたのパートナーを見なさい。壁紙を見なさい。家具を見なさい。 そこで起こっている聖なる瞬間の中に見えるものを見ようとしなさい。
聖なる瞬間とは、あなたの注意の中で聖霊とあなたが行なう行動なのです。
それが「あなたが予測していなかったもの」をあなたにギフトとして与えるのです。
だからあなたがこのギフトを作り上げる必要はないのです。
「このギフトが何か?」あなたが計算して導き出す必要は無いのです。

それは何故でしょう?
何故なら、あなたを愛して正気に戻そうとする意図は、常に存在しており、あなたと共に働いており、あなたのマインドを新生させ変容させる目的を持ってあなたを愛しているのだから。
これはあなたがあなた一人だけでしようとしていることではありません。これはあなた一人で試みるべきことではありませ。
勿論あなたはこれに参加するべきなのです。
しかしあなたがこれを自分だけでしようとする必要は全く無いのです。

[Look upon your Redeemer, and behold what He would show you in each other, and let not sin arise again to blind your eyes.]

[あなたの救い主(救世主)を見つめて、彼があなた達の中に見せるものを発見しなさい。そして罪を再度立ち昇らせず、それ(罪)があなた達の目を眩ませないようにしなさい。]

「罪を再度立ち上がらせるのは止めなさい」とはどういう意味でしょうか?
あなた自身を独立的存在(真理ではなく想像力を使って結論を導いている孤児)として見ようとする意志を再度{あなたの意識の中に}立ち上がらせることは止めなさい、という意味です。

[. . . let that not blind your eyes [again]. For sin would keep you separate, but your Redeemer would have you look upon each other as yourself.]

[それがあなた達の目を眩ませないようにしなさい。何故なら罪があなた達を隔てており、あなたの救い主はあなた達がお互いのことを自分自身として見るようにさせようとしているのだから。]

罪(独立の試み)があなた達を分離させているのです。
植毛紙でさえも愛の体験を提供出来るなら、あなたのパートナーを見つめながら彼/彼女に対する神の意図を受け取ったならどのような体験が出来るでしょうか?
あなたが「意味(神の意図)」を感じて{その結果として}あなたの行動が変わり、あなたの存在(在り方)がそのような愛(そのような無垢、パートナーのマインド内から全てのバリアーを取り除く「あなたの自己防御の不在」)を伝えた時、あなたのパートナーは何を感じるでしょうか?
あなたの新しいヴィジョンの中で彼/彼女があなたと関わっている時、あなたの自己防御の不在が、彼/彼女のマインド内から全ての防御を取り除かせるのです。

[Your relationship is now a temple of healing; a place where all the weary ones can come and find rest. Here is the rest that waits for all, after the journey. And it is brought nearer to all by your relationship.]

[今あなた達の関係は癒やしの寺院であって。全ての疲れた人々がそこに来て安息を得るのです。ここが(旅の後で)全ての人々のために用意されている安息所なのです。そしてあなた達の関係によって、これ(安息所)が全ての人達のより近くに持って来られたのです。]

あなた達の新しい関係によって、安息が全ての人のもとに持ってこられたのです。
あなたの新しい関係の中で、パートナーや植毛紙や油紙やその他全てが愛の聖なる現われであって、その同じ愛がパートナーや植毛紙や油紙やその他全てと共有されていることがあなたの中で示されるのです。

[As this peace extends from deep inside yourselves to embrace all the Sonship and give it rest, it will encounter many obstacles. ]

[あなた達自身の奥深くからこの平和が広がって、神の子(の共同体)の全てを抱擁しそれに休息を与えている時、多くの障害が現れます。]

だから{この時点では}まだワークは終っていないのです。
しかしこれを聞いて落胆してしまわないで下さい。
体験を探求してみる必要があるんです。
「これは難しい過ぎるワークで、自分にとってナチュラルなことではない。」{とあなたは考えてしまうかもしれません。}
しかしこれはあなたにとって宇宙の中で一番ナチュラルなことなのです。神のマインド内であなたにとって一番ナチュラルなことなのです。

[As this peace extends from deep inside yourselves to embrace all the Sonship and give it rest, it will encounter many obstacles. Some of them you will try to impose.]

[あなた達自身の奥深くからこの平和が広がって、神の子(の共同体)の全てを抱擁しそれに休息を与えている時、多くの障害が現れます。その中の幾つかはあなたが(自分達に)与えようとするものです。]

時には簡単に昔の習癖の定義群や古い反応に戻って行ってしまうことでしょう。しかし{一回でも意味が体験出来たなら}壁紙の(家具の床の)リアルな意味を忘れることはもう不可能です。

[Others will seem to arise from elsewhere; from your brothers, and from various aspects of the world outside. Yet peace will gently cover them, extending past completely unhindered.]

[他の障害は、あなたの兄弟や「外」の世界の様々な要素や、その他の所から現れて見えます。しかし平和がそれらを優しく包んで、全く問題なくそれらを超えて広がります。]

(壁紙に関する)新しいヴィジョンが、あなたと「壁紙以外のあらゆるもの」との関係{聖なる関係}を可能にするのです。
あなたが予測/期待していた障害をも越えて、ヴィジョンは全て(壁紙)を越えて差し伸ばされて行くのです。
この体験は、確実に安堵/安心をもたらし、「何が真理か」訊ね続けるインスピレーションをあなたに与えます。 そこに真理が在り、その聖なる意味/意図の体験が開かれているのです。

[The extension of the Holy Spirit's purpose from your relationship to others, to bring them gently in, will quietly extend to every aspect of your lives, surrounding both of you with glowing happiness and the calm awareness of complete protection.]

[聖霊の目的を「あなた」の関係から他の関係へと拡張すること(それらを優しく引き寄せること)はすでに始まっています。これが方法とゴールを一致させる彼(聖霊)の方法なのです。あなた達両者の奥深くに彼(聖霊)が置いた平和が、あなた達の生活の全ての部分に静かに広がり、あなた達両者を「輝ける幸福」と「完全な安全への落ち着いた認識」で包みます。]

これ(輝ける幸福/安全への落ち着いた認識)がギフトの一部なのです。これが天国の微笑みの一部なのです。
これは避けようがないのです。これはそこにシンプルに在るのです。
これは与えられており、これが聖なる瞬間の果実(結果)なのです。

[And you will carry its message of love and safety and freedom to everyone who draws nigh unto your temple, where healing waits for him.]

[そしてあなた達は愛と自由のこのメッセージを「あなた達の寺院に夜を引き入れてくる全ての人」に伝えます。 彼等はそこ(あなた達の寺院)で癒やされるのです。]

あなたの寺院とは、愛に対するあなたの生きた認識、分離していない認識です。
その愛を認め、あなたの関与を通して愛を返すのです。
するとあなたは(あなた達は自分達のことを分離した切り離されて独立している者と考えていますが)あなたの存在が常にこれ(愛を反映し合うこと)をし続けて居たことを発見するのです。
あなたの真理は決して止められては居なかったのですが、あなたはそれを取り逃がして(見逃して)いるのです。
そして天国の確証としての全ての真理は決して止まっては(変っては)いないのです。
そして創造の全てを抱擁している無限の(揺るがぬ)愛は決して止まっていないのです。たとえあなたがそれを見逃していたとしても。

[You will not wait to give him this, . .]

[...あなたが待つ必要はありません。(あなたは彼にこれを与えたくて待ち切れません。)]

{あなたは}この癒やしを彼に与えたいのです。
あなたの新しい目的故に(あなたは新しい興味を持つので)、「彼(兄弟姉妹)の中に意味を認識すること」をあなたは待とう(遠ざけよう)とはしなくなるのです。
{彼の中に意味/真理を見ることを遠ざけ続けるよりも}真理を学ぶ事の方にあなたの興味が移るのです。
あなたは今までは『自分の権限の下に自分だけで(ビッグバンや進化と呼ばれている)物理的現象以外の源は全く持っていない「何者か」に成ろうと試みる観点』から全てを体験して来たのですが、{そうではなく}あなたは全ての意味を体験したいと思うようになるのです。

だから、

[You will not wait to give him this, for you will call to him and he will answer you, recognizing in your call the Call of God.]

[彼にこれ{癒やし}を与える為にあなたが待つ必要はありません。何故なら、あなたは彼に呼び掛け、あなたの呼び掛けの中に神の呼び掛けを認めた彼がそれに答えるのだから。]

さてこれは必ずしも「神に関する話をあなたがすること」に成るとは限りません。
これは、あなたが宗教を他者に教えるように成ったり、アイディア/定義/言葉を教える司祭に成ったりすることは意味していません。
そうではなく、あなたの存在が(あなたの在り方が)愛の否定しようのないコミュニケーションに成り、(他の人達が不毛な独立の試みへの中毒に固執し続けない限り)他の人達もそれを認識し、それを魅力的に(好ましく)感じるのです。
そしてたとえ人々が独立への中毒に拘り続けたとしても、「彼等は唯の油紙ではない、彼等は彼等自身が考えているような存在ではない」とあなたには認識出来るように成るのです。
油紙が神の生きている愛であるように、彼等もまた愛であり、彼等は(彼等を構成しているように見える物理的物質のお陰で美しいのではなく)愛の性質故に美しいのです。

[And you will draw him in and give him rest, as it was given you.]

[そしてあなたは彼を招き入れ彼に休息を与えます。丁度それが「あなた」に与えられたように。 あなたはこの全てをするのです。 ]

私があなたを引き付けたように、あなたも彼を引き付け、私があなたに安息/安心を与えたように、あなたも彼に安息を与えるのです。
そしてあなたがその安息をそのまま受け入れたり受け入れなかったりしている様に、彼もあなたが与えた安息をそのまま受け入れたり受け入れなかったりするのです。
しかしそれでもあなたは落胆しないでしょう。何故なら彼が唯の油紙ではないことをあなたは知っているのだから。彼女が唯の植毛紙ではないことをあなたは知っているのだから。
それら{あなたの兄弟姉妹や壁紙}は共に神の現れ(神の臨在)であり、神聖なる意味に溢れており、天の微笑みに溢れているのです。

今私があなたに対してこのように話しかけているように、

[All this will you do. Yet the peace which already lies deeply within must first expand, and flow across the obstacles you placed before it.]

[あなたはこの全てをするのです。しかしまず、すでに奥深くにある平和が広がり(「あなた」が平和の前に置いた)障害物を越えてそれ(平和)が流れる必要があります。 ]

「価値があるとあなたが考えて来たもの」を手放すことにより反感を取り外すことが、「これが真実だとあなたが考えていたこと」は真実ではなかったと知って怒りを引き抜くことが、変容を許可することなのです。
そしてあなたは自分が騙されたと言うでしょう。
あなたが{独立の試みを}ギブアップして、(あなたが抱擁されている)愛の塗油をあなたが感じて、「あなたが{兄弟姉妹に}与え返している愛」があなたであること(何故なら、全てのリアルな意味の光りの中ではそれ以外に分ち合うべきものは何も無いのだから)が照らし出されるまで、これは{自分がこのようなことをしなくてはいけないのは}フェアーなことでは無いとあなたは言うでしょう。

[This will you do, for nothing undertaken with the Holy Spirit remains unfinished.]

[あなたがこれをするのです。 聖霊と共に行なわれたことで未完成のままになるものは何も無いのだから。]

これが聖なる瞬間の体験なのです。
あなたの注意が揺るいでしまうので、天国の微笑みも揺らぐかもしれません。
しかし聖霊のギフトがあなたを永遠に変えるのです。そして「それまであなたが確立していた無知のレベル」にあなたが戻ることは許さないのです。
そしてあなたのもとに引き寄せられた真理が、あなたが体験した創造が、{あなたが進んで行く}道の幅を大きく広げるので、あなたがこれに(この目覚めのプロセスに)抵抗することは不可能に成るのです。
何故なら、あなたはこれ全体を体験したくなるのだから。

[You can indeed be sure of nothing you see outside you, but of this you CAN be sure: The Holy Spirit asks that you offer Him a resting-place where you will rest in Him.]

[『あなたの「外」にあなたが見ていること』の中には信じられるものは何も無いのですが、しかしあなたは次の文章を信じることが出来るのです。「聖霊は、あなたが彼(聖霊)に安息所(そこであなたは聖霊の中に入って休むのです)を与えることを求めています。」]

これはつまり、壁紙が愛になることを許可することにより、あなたは「あなたという愛」に成ることが出来る、ということなのです。

[He answered you, and entered your relationship.]

[彼(聖霊)があなたに答え、あなた達の関係の中に入って来ました。]

兄弟姉妹の真理を知りたいと求めてあなたが「二つのステップ(父に訊ね聞くこと)」を行なっている時、「あなた達の卑小な想像力に基づいて作り上げられた定義群」を導入すること無く、あなたは聖霊と一緒に居るべきなのです。

[Would you not now return His graciousness, and enter into a relationship with Him?]

[あなたは彼(聖霊)の気持ちに答えて、関係の中に彼(聖霊)と一緒に入りませんか?]

「あなたの正しいマインドにしか過ぎない聖霊、あなた自身の正気としてまだあなたが認識していないマインド」と一緒に関係の中に入りませんか?

[Would you not now return His graciousness, and enter into a relationship with Him?]

[あなたは彼(聖霊)の気持ちに答えて、関係の中に彼(聖霊)と一緒に入りませんか?]

「オオ、聖霊。 父と子と聖霊、そして私。」{と唯言うだけでは} それは聖霊と関係を持つことではありません。
聖霊と共に関係の中に入るとは、聖霊があなたを満たして「自己意志の全てをあなたの中から追い払うことなのです。
聖霊が「神の行為から立ち昇って来ていない全ての意志」や「神が自分自身に成っている動きから発生していない全ての意志」などを全てあなたの中から追い払うことが、聖霊と共に関係の中に入るということ(聖なる関係を持つということ)なのです。

[Would you not now return His graciousness, and enter into a relationship with Him? For it is He Who offered your relationship the gift of holiness, . .]

[あなたは彼(聖霊)の気持ちに答えて、関係の中に彼(聖霊)と一緒に入りませんか? 何故なら、彼(聖霊)があなたの関係に神聖のギフトを与えたのだから。]

何故なら、「あなたがパートナー/兄弟姉妹と築いている関係」に対して聖霊が聖なるギフトを与えたのだから。

[For it is He Who offered your relationship the gift of holiness, without which it would have been forever impossible to appreciate each other.]

[何故なら、彼(聖霊)があなたの関係に神聖のギフトを与えたのだから。そしてこのギフトが無かったなら{あなた達が}お互いに近づくことは永遠に不可能だったのだから。]

壁紙に関するこの体験が無かったなら、油紙が植毛紙と同じ位美しい体験を提供出来るものだとはポールには解らなかったことでしょう。
何故なら(その意味がどのような形を取ったにしろ)ポールが見ていた壁の上には意味が貼り付けられていたのだから。{だからそこに貼られているものがファンシーな植毛紙でも油紙でも、どちらでも美しい体験/意味深い体験が在り得たのです。}

[The gratitude you owe to Him He asks but that YOU receive for Him.]

[「あなたが彼(聖霊)に負っている感謝の念」をあなたが彼(聖霊)の為に受け取ることを彼(聖霊)は求めているのです。]

つまり「あなたと聖霊の一体性/ワンネスの意味」の体験と把握を妨げるバリアーを手放しなさい、差異の定義を放棄しなさい、ということです。

[And when you look with gentle graciousness upon each other, you ARE beholding Him. For you are looking where He IS, and not apart from Him.]

[そしてあなた達が優しさと共にお互いを眺めた時、あなた達は彼(聖霊)を見ているのです。何故なら、(その時)あなた達は彼(聖霊)が居る所を見ており、あなた達と離れたところに彼(聖霊)を見てはいないのだから。]

そしてあなた達は聖霊と共にお互いを見ているのです。
これはあなた達が目の前に(あたかも聖霊がメガネであるかのように)聖霊をかけて、全てを聖霊を通して見ているような感じなのです。

[For you are looking where He IS, and not apart from Him. You cannot see the Holy Spirit, but you CAN see your brothers truly . . ]

[何故なら、(その時)あなた達は彼(聖霊)が居る所を見ており、あなた達と離れたところに彼(聖霊)を見てはいないのだから。あなたは聖霊を見ることは出来ません。しかしあなたはあなたの兄弟を正しく見ることが出来ます。]

「あなた達が無知の中でお互いに対して作り上げたプライベートな定義群」を通してではなく、あなたはあなたの兄弟を正しく見ることが出来るのです。

[You cannot see the Holy Spirit, but you CAN see your brothers truly. And the light in them will show you all that you need to see.]

[あなたは聖霊を見ることは出来ません。しかしあなたはあなたの兄弟を正しく見ることが出来ます。そして彼等(あなたの兄弟)の中の光が「見る必要のある全てのもの」をあなたに示すのです。]

植毛紙が、あるいは油紙の中の愛が、あなたが見るべき全てをあなたに示します。
あなた達のお互いの中の意味が、壁紙の中の意味が、見るべき全てをあなたに示します。

[When the peace in you has been extended to encompass everyone, the Holy Spirit's function here will be accomplished. ]

[あなた達の中の平和が全ての人達を包むように広がったなら、聖霊の役割が達成されたのです。]
あなたが意味の体験の中に居続ける度に、これがより容易に成るのです。


達成されるべき聖霊の役割とは何でしょうか?

あなたをあなたの正しいマインドに戻すことが聖霊の役割なのです。


[What need is there for seeing, then? ]

[その時見る必要が何か残っているでしょうか?]

定義群を見る必要が、言葉の羅列や説明を思い付く必要が、概念や信念を考え出す必要が、{聖霊の役割が達成された}その時そこにあるでしょうか?

[When God has taken the last step Himself, the Holy Spirit will gather all your thanks and gratitude which you have offered Him, and lay them gently before His Creator in the name of His most holy Son . . .]

[神が自身で最後のステップを取った時、聖霊はあなた達が彼(聖霊)に捧げた全ての感謝を集めて(神の一番神聖なる息子の名において)...]

「神の一番神聖なる息子」は勿論あなたです。
あなたと「そこに発生している聖霊」の間の合一が父の前に供えられるのです。
あなたの正気の中で聖霊が父に対してあなたを与えるのです。

[And the Father will accept them in His Name.]

[そして父が(彼/神の名において)それらを受け取ります。]

父があなたを迎え入れ、「おかえり、息子よ! 良く帰って来てくれた。あなたは私が誰か知っているので、あなたは自分が誰か知っている。」と言うのです。
こうしてあなたの生得権(持って生まれた当然の権利)があなたの為に修復されるのです。あなたの意識的正気が完全に修復されるのです。

[What need is there of seeing, in the presence of His gratitude?]

[彼/神の感謝の現れ(表明)の前で、見る必要などがあるでしょうか?]

「生きている愛としての油紙の意味(あなたを愛している意図)であなたが満たされている」と理解されている時、油紙に対する概念など必要でしょうか?
たとえば油紙で飾り付けられた小屋(粗末なもの)の中の体験であっても、それは非常に意味深い体験、非常に意味のある神聖な体験、豊かな体験で在り得るのだから。

この事に関して考えてみてください、とは言いますまい。
今週はこの理解と共に居てください。「あなたが求めているのは意味(全ての神聖なる意味)なのだ」という理解と共に「ここの真理が何か知りたい」というあなたの全ての要求/探求を行なってください。 {あなたは意味が感じられる体験(神の意図があなたに示される体験)を求めるべきなのです。 }

そして「意味」は体験に成るのです。 それは言葉ではなく、定義ではなく、意味/意図の全てを躊躇無く満たす体験なのです。
言葉を持っていないことは、定義を持っていないことは、概念を持っていないことは、「あなたが訊ね聞いていること」の聖なる意味を少しも損なわないのです。

言葉を捜してあまり時間を無駄にしないようにしてください。
何故なら、{言葉を捜し求めるよりも}あなたは「意味」を体験し、意味の体験を基に兄弟姉妹や世界と関わり合い、意味の体験があなたを導くままに任せるべきなのだから。


Chapter 19 – Section: THE UNREALITY OF SIN
Sparkly Book – p.458, 1st Full Par.
JCIM – p.191, 6st Full Par.
CIMS – p.385, Par. 35
First Edition – p. 378, 3rd Full Par. Line 4
Second Edition – p.406, Par. 10

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

ACIM02-07-31

July 31, 2002 ACIM Study
Chapter 31-8

[Choose Once Again]
[もう一度選び直しなさい]

[誘惑が教えようとするレッスンは(たとえそれがどこでどのような形で起こっていようとも)一つだけです。]

ラジ:何が一番初めの誘惑だったのでしょうか?
質問者:相互合意です。
ラジ:そのとおり。
一人の神の子がもう一人の神の子に向かって「木の意味はアレコレだと仮定してみたらどうだろう。神が全てに与えている意味(リアリティそれそのまま)以外の意味/定義を使って全てを見てみたらどんなだろう?」と言ったのです。
するともう一人の神の子が「それは面白い。そのゲームに参加しよう。 それが木に関する真実であるフリを一緒にしよう。 その積りになって振舞おう。」と言って、そうして分離の体験が始まったのです。
こうして彼等は幻想(白昼夢)の中に入って行ったのです。 この白昼夢が彼等をリアリティから隔て出したのです。

質問者:神の子達が自由意志に気付いた時から、わたし達は他者と相互合意を交わし合うようになったのですか?
ラジ:次のように言ってみましょう。
「自由意志」と呼ばれているものは、父の視点とは異なった視点を持とうと二人の神の子が決めるまで発生しませんでした。 その時父の意志とは異なった意志が(父から分離して自分達だけの幻想を想像する自由が)在り得るという幻想が生まれたのです。

[このレッスンは神の聖なる子供に「彼は(神の子は)体で、死すべき体の中に生れ落ちてきたもので、その脆弱さから逃れることは出来ず、体が感じるよう命令しているものに彼は縛られている」と教えようとします。
「誘惑のレッスン」は神の子の能力に対して限定を与え、その限定された力だけが彼(神の子)の持っている力で、彼(神の子)はその卑小な限定された範囲の中でしか力を発揮出来ないと教えます。
キリストがその全ての栄光と共にあなたの前に現れて「世界を救う者達の仲間に成るか、地獄に留まり自分と兄弟姉妹を一緒にそこに押し留めようとするか、今一度選び直しなさい。」と言っていた場合、あなたはこのような存在(誘惑のレッスンが教えている限定された力だけを持っている存在)で在り得るでしょうか。
彼(キリスト)は来ており、彼(キリスト)がこの質問を訊ねているのです。]

ラジ:「世界を救う者達の仲間に成るか、地獄に留まり自分と兄弟姉妹を一緒にそこに押し留めようとするか、今一度選び直しなさい。」 (ともう一回読む)
つまり相互合意に浸る選択がすでにされてしまっているのです。
だから、その選択の影響を取り消すために、新しい選択をする必要があるのです。
あなた達はこれをするように求められているのです。
これをすることにより、あなた自身の正気を取り戻し、それを受け入れ、白昼夢から目覚めて「興奮」を、神との同期を外し続けるスリルを、手放せ得るようになりなさい。

あなた達全員初めは目覚めていたのです。
無意識から進化して(無機質から単細胞動物にそしてより複雑な生物に進化して)スピリチュアルな自己に至った訳ではないのです。

あなたが今リアリティ(天国)そのものを体験していないなら、初めは完全に目覚めていた(完全にキリストであった)あなたがどこかの時点で他のキリストと一緒に繋がって幻想/白昼無/リアリティに対する幻影体験を選択して、リアリティの正気な体験を失ったのです。

これが起こった瞬間に「聖霊」と呼ばれているものが定義されたのです(と、ここではそう言ってみましょう)。
聖霊とはあなたが白昼無で遊んでいる間(エゴとして存在する偽体験をしている間)預けられている、あなたの神性なのです。

そして(神があなたとして表現し続けている)聖霊はあなたに呼び掛け続けているのです。 
それがあなたに呼びかけているのです。そして私もあなたに呼びかけています。
私はコースを通してあなたに呼びかけています。そして様々なメディア(媒体)を通して呼びかけており、(ポールが私を聞いている位クリアにあなたが私を聞けるよう)あなたの内側からも呼びかけているのです。

私とあなたのガイド達は、目覚めるようあなた達に呼びかけています。
白昼無に夢中に成り続けることは止めて、故郷に帰って来るよう、あなた達は呼びかけられており、そのためにもう一度選択し直すことを求められているのです。

質問者: 二人が合意を交わして、するとそれまで「世界」と呼ばれているものが設立され...

ラジ:「設立」しようとしたのです。しかし本当に世界を作ることは出来なかったのです。
分離を目論んだ神の子達は天国を「世界」として設立しようとしたのです。

質問者:そしてその後その二人の仲間に加わった人達も出てきたのですね?
必ずしも二人のペアーだけでなく、つまりすでに幻想を設立しているグループに後から加わった人達もいたのですね?

ラジ: そのように言っても良いでしょう。
これは興味深い体験なのです。これが(現在の)あなた達に与えられている体験なのです。例えば、熱いストーブを触ることも興味深い体験です。
しかしそれを続ける必要があるでしょうか?

[あなたはどのようにしてこの選択を行なっているのでしょうか?
これはとても簡単に説明出来ることです。
あなたは常に「自分の弱さ(脆弱性)」と「あなたの中のキリストの強さ」のどちらかを選んでいるのです。
そしてあなたが選んだ方がリアルだとあなたは考えるのです。
{あなたが自分の弱さを選んだなら、あなたは自分の弱さをリアルに体験します。 あなたが「あなたの中のキリストの強さ」を選んだなら、(日常の一瞬一瞬の中で)あなたはそれを体験するのです。}]

ラジ: 上記の文章をひっくり返してみましょう。
「あなたがリアルだと考えているものは、あなたが選んだものなのです。」
だから現状では、あなた達が神の子供達だと、あなた達がキリストだと、神があなた達を創造したままの状態であなたが存在していると、神が今あなたに成っているままの状態なのだと、信じるのは難しいのです。
これを信じず、自分は(精子と卵子の結合から生まれた)ただの物理的身体にしか過ぎないと考えたなら、あなたはその信念に沿って生きてしまうのです。
あなたは自分が信じることを自分で選択しているのです。
だから目覚めるためにあなたは自分が信じていることを変える必要があるのです。
目覚めるとは、「あなたは(まだ自分では信じられないような)驚異的な存在である」という可能性を考慮してみられるように成ることなのです。 (少なくともあなたが今見ている夢よりも遥かに素晴らしい)この可能性を抱擁出来るようになり、それを熱心に探索することなのです。

[弱さに自分の行為を任せなくなれば、あなたは自分の弱さに力(リアリティ)を与えなくなるのです。
{自分の考えている自分の弱点を基に行動していない時、あなたは弱さを体験しません。}]

ラジ: これを別の言葉で言えば「エゴに防御出来ない唯一のことは無視です。」ということです。
(あなたが「あなたに対する定義」としてあなたと他者が相互合意している)自己定義から思考しなく(振舞わなく)なったなら、その定義があなたの自己体験と(世界とあなた達が呼んでいる)天国体験を統治しなくなります。
そうなれば相互合意が強化/保持されなくなり「世界」は瞬間的に変わり出すのです。

[そして、あなたの中にあるキリストの光に全ての決定権が与えられるのです。
何故なら、その時あなたは彼(キリスト)の所にあなたの弱さを持って行っており、その代わりに彼(キリスト)が彼の力をあなたに与えているのだから。]

ラジ:「その時あなたは自分の弱さを聖霊の下に持って来たのです。その時あなたはあなたの弱さを神の下に持って来たのです。その時あなたは自分の弱さを自分のガイドに手渡したのです。」などと言っても良かったでしょう。 
要点は、その時あなたはその時点での自己定義を超えて伸び出していた、ということなのです。 その時あなたは現在の自己定義との連立を放棄して(神/聖霊/イエスに)手を差し伸ばすことによって自分の孤立を破ったのです。

[試練とは繰り返され続けている同一のレッスンをあなたが学べないでいる状態なのです。 以前あなたは間違えた選択をしており、今度は(以前と同等の選択肢の中から)正しい選択を行ない、(以前の選択があなたにもたらした)痛みから自由に成ることなのです。]


ラジ: 試練/困難/ストレス/不安などはあなたが学ぶことを失敗しているレッスンに過ぎないのです。
しかし(どのような試練が起こっているにしろ)実際に学ぶべきレッスンは一つしかありません。
あなたが夢の中に居る時、あなたは何らかの試練を体験しています。そしてその夢の中で試練に対処しようとしている時、あなたは全くなにもしていないのです。
物事を上手く処理して試練を完了することが出来たとしても、それでもあなたはまだなにもしていません。
何故なら(例えどのような試練に面していたとしても)あなたが学ぶべき唯一のことは「(あなた達が自分の信心/確信を与えている)相互合意の結果として試練が起こっており、その時あなたはまだ天国に注意を払っていない」ということだからです。

つまりこれは窓の外ばかり見て学校が終ったら何をしようかと考えてばかりいる生徒のようなものです。
この生徒は放課後何がしたいか考えます。「しかし母さんがきっとダメだというに違いない。彼女はいつもダメっていう。僕はあまり母さんは好きじゃないんだ。その他あれこれ。」 このようにしてこの生徒は白昼無とストレスを作り続けています。
しかしいくら考え続けて母親に関する葛藤をどうにかしようとし続けても、それは彼が教室の中の授業に注意を払うことには繋がりません。
{あなた達もこれと同様に、本当に注意を払うべきことに意識を与えられていない状態が延々と続いているのです。}

だから白昼無の中のストレスから(それがどのようなストレスで、どのような意味を持っていたにしろ)学べることは、本当に有用なことは、「私は神に注意/意識を与えていない」なのです。
「私は本当に起こっているリアリティにまだ注意を払っていない。ここで天国を見ようとする好奇心を私は今持っていない。」
こう言ってあなたの注意をシフトすれば学習が始まるのです。

[あなたが直面している全ての「試練/ストレス/困難/謎」の中でキリストがあなたを呼んでおり「兄弟よ、もう一度選びなさい(選び直しなさい)。」と優しく言っているのです。
彼(キリスト)は全ての痛みを癒やし、真理の上に覆いかけられているイメージを全て剥がすのです。
あなた(神が喜びの祭壇をあなたの中に創造しました)の全ての惨めさを彼は取り除きます。
彼(キリスト)は地獄の夢の中のあなたを一人にはせず、あなたが苦しまないようにします、そして彼(キリスト)の顔をあなたから隠している全てのものをあなたのマインドから取り除きます。

彼(キリスト)の神性はあなたのものなのです。 何故なら、彼(キリスト)だけがあなたの中の唯一リアルな力なのだから。
彼の力はあなたのものなのです。 何故なら、彼(キリスト)は神の一人子として神が創造した自己(Self)なのだから。]

ラジ:はい。私は私に関する幻想(神を含まない定義)を持たずにあなたに私自身を示します。
(あなたが私と同等であることを知っている)私はあなたに私自身を示すのです。
私は、わたし達がファミリーであることを知っています。 家族メンバーがお互いを家族の一員として認められるように、わたし達はお互いの中に自分達を認識することが出来るのです。
そして私は、(あなた達を苦しめている)「相互合意されている定義」を強化せず保持せずにあなたにアプローチするので、現在ポールを通して話しかけているように他者の口を借りて話しかけるか、そうでなければあなたの内側から話しかけるのです。
私はいわば相互合意されている定義を強化しない、そして体験的レベルで「本当のあなた」をあなたに照らし示す「力」なのです。 あなたがそれを期待しているかいないかに関わらず、私はこれをするのです。

こうすることにより相互合意とは違う方向にあなた達が好奇心を発揮出来るようになるのです。 そしてこれがあなたの好奇心を広げて、インスピレーション(霊の流入)と洞察力がより容易に起こるようにするのです。

質問者:「わたし達が本当は何か」に対する体感レベルでの気付きですか?
ラジ:そのとおりです。
質問者: 少しこれに関して詳しい説明をして下さい。これと類似した体験を私はしています。
ラジ: (他からの、外からの)認証を求めること無くその体験そのものを信頼しなさい。
目覚めに必要な学習の一部は、自分の内側で起こっている洞察と光明そのものを信じてそれに従って行くことなのです。
その時あなたは(今まであなた達を統治して来た)すでに共有されている定義群以外のものに信頼/確信を与えるべき場所に繋がっているのです。これはとても重要なことなのです。
(あなた以外の者から)これらの体験に関する認証を求めることは、「イエスがああこう言ったから、私はこれそのもの(実際に起こった驚異的なこと)を信頼することなく(それが起こったという概念を)信じることが出来る。」と考えることに成ってしまうのです。
質問者:この体験に関する概念を排除するべきなのですね? 私がしている体験に概念を覆いかぶせるなと?
ラジ:その通りです。
質問者: それそのものを体験すれば良いわけです。 なるほど。
ラジ:あなたの概念には、あなた達の良く見知っているあらゆる定義群が入っています。

[あなたが作っているイメージが「神自身があなたとして成り立たせているもの」に打ち勝つことは出来ません。
誘惑を怖れる必要はありません。 誘惑をその真の姿で見て、選び直す(正しい選択をし直す)チャンスと捉えなさい。 そして全ての状況の中に、あなたが自分のイメージを今まで掲げてきた全ての場所に、キリストの力を行き渡らせ、それに全てを統治させなさい。]

ラジ: キリストの力に任せなさい。
これはキリストの意志に任せなさいという意味です。
想像上のあなたの自由意志を放棄してキリストに譲るのです。
「神がそこにキリストとして存在しているもの」以外のなにものも挿入しようとはしていないキリストに任せなさい。
それは「キリストとして神がそこに成っているもの」に合致していないものを全く含んでおらず、だから(そこに居る神以外のものを含まない)あなた自身の体験が出来るようインスピレーションを与えるのです。
だから信頼が必要なのです。何故なら、あなたはまだ自分の意志を働かせていない限り何を信頼したらよいか知らないから。
そしてあなたが自分の意志を使っていない場合、あなたは「現在の自己感覚を超えた何者か」に自分を委ねているのです。 これが出来るように成るには信頼が必要なのです。
目覚めるためには、これが不可欠なのです。
他の人と繋がって(神が成っているものに逆らう)新しい定義を作るのではなく、あなたは本当のリアリティ(神の本当の視界)と調和する必要があるのです。

[何故ならキリストの顔を隠しているように見えているものは、彼(キリスト)の尊厳の前では無力で、彼(キリスト)の聖なる視力の前で溶けて無くなってしまうのだから。
(キリストとして見える)世界の救世主とは、(キリストから離れた時に見えている)自分達の弱さではなく、キリストの力を選んでいる者達のことなのです。
彼等が世界を贖う(救済する)のです。 何故なら、彼等は神の意志の全ての力と繋がっているのだから。 そして彼/キリストの意志だけを彼等は望んでいるのだから。]

ラジ:自分の自由意志を表現する権利(神がくださった権利とあなた達が呼んでいるもの)を放棄しなければ、どうして「神が意志しているもの」だけを表明する意図に到達することが出来るでしょう。

これが(現在あなた達が自分達を統治している)「相互合意に基づいた定義」の狡猾なところです。
あなた達は「我々の自由意志を使う権利は神から来ている」と言っています。
「自分は、神と調和してしかし独立的に振舞うことで、神と共に創造するために存在しているのだ」と考えているわけです。
神と繋がることなく、神に譲ることなく、神と語り合うことなく(独立した存在のまま神と調和出来ると考えているのです)。

だから目覚めることを意識的に選ぶことは、リスクを伴った体験になるのです。
あなたは自分の自由意志と「自由意志を使うことによって自分のキャラクタが完全に現される、神が創造した独立的存在としてのあなたが完成する」という考えをとても大切にしているので、このように(神に譲ったなら自分を失うリスクがあると)感じられるのです。
この自由意志を使わなければ、コントロールすることが出来ないので、それは非常な損失/大いなるリスクとして体験されるのです。
しかしこのリスク感は、お化け屋敷を通り抜ける時と同じような自信をもって取り除かれなければいけないのです。
これは怖いことですが、これを安全に通り抜ける自信/信頼を持ちなさい。
相互合意されている定義は「あなたを正気から遠ざけているもの」を尊ぶようにしむけているので(彼等の正気であなたの正気を照らしあなたを癒そうとする者達と繋がることを阻止してしまうので)、その意味ではこれは簡単ではないのです。

質問者:父/キリストの意志だけが本当にある唯一の意思であることは私にはとてもクリアに感じられます。
私は頻繁にガイダンスを聞いており、時には私が訊ねる前に答えが返ってきます。
私のマインド内で質問が発せられる前に、答えが急に現れるのです。
これが誰の意志であるかは、それがもたらす感覚によってわかるのです。
しかし私が何かを怖れてパニックしていたり感情的に成っている時、私には「父よ、あなたの意志は何ですか?」としか言えなくなってしまいます。
そういう時私は思い出して「私はパニックしているのだ。答えが自動的に与えられていることは知っている。 父よ、あなたはこれをどう見ていますか?」と言うのです。
そして待つのですが、その時私はただ待ち続けるだけなのですか?
ただじっと待って、何かがクリアになるまで微塵も動かないのでしょうか?
そのようにするべきなのでしょうか?
このようになっている時には24時間位この状態が続き、そして答えが与えられます。 答えが瞬間的に返ってこないのです。 遅れが発生するのです。

ラジ: 遅れは(答えが聞えるまでに間隔が空いたのは)あなたがパニックしていたことが原因です。
あなたがパニックを起こしたのは、状況があなたの条件付けられている思考から「自分が危険に晒されている」という反応を引き出したからです。 あるいは「なにかを失ってしまう」という反応が起こり、それ(条件付けられている思考)がコントロールを取り戻そうともがいたのです。
あなたがパニックを起こしている時、あなたはコントロールを欲しているのです。
その時、あなたは「自分でコントロールする必要がある」という主張(呼び声)を正当化しているのです。
この自己主張があなたの聞く能力をブロックしていたのです。
その場合、真理の声を聞くことに集中することだけが答えです。 それに3分掛かろうとも24時間掛かろうとも、聞くことを続けなさい。
聞き取れない限り、何をしようとも夢の中で動き回ることしか起こり得ません。

質問者: そう確かに私は「こうしたらどうだろう? もしああしたらどうなるだろう?」と思い巡らしていました。
確かにそのようなレベルから問題を解決することは出来ないのです。
ラジ: そのとおりです。

質問者:あるいはチャレンジを受けて立つことは出来ないのです。 本当の問題は存在していないのだから。
これはいわばテストなのです。 私はそのように認識しました。
そして今までのところ、(決定を)遅らせたからといって何かを失ったことはありません。
「時は金なり」などの格言がありますが、そのようなことは私は体験していません。 直ぐに決断をしなければ死んでしまうような状況に遭遇したことは私はありません。
私自身の概念をクリアに消すだけの時間はいつでもあるのです。

ラジ: 何時でも必要なだけ時間はあるのです。 時間が不足していると示唆されているだけなのです。だからあなたはパニックしてしまうのです。
質問者: ハイ、確かに。 しかし不思議なのです。
騙されたというフィーリングによって時間が蒸発してしまったように感じることが多いのです。
すると反射的に「私には慌てる(怒る)正当な理由があるんだ」と感じる始めるのです。
もし私がその時パニックを起こしたまま(その時の概念に従って)行動したなら、酷い結果に成ったに違いないのです。
ラジ: それは夢を強化することになったことでしょう。
質問者:その通りです。しかし夢の中でさえも酷い結果になったに違いないのです。

ラジ:  あなたがリアリティを蹴ったなら、リアリティはビクともしないので、それを強く蹴るほどあなたの足は痛くなるのです。
神/リアリティを否定するゲームの中でより強い意図を発揮したなら、その体験はより居心地悪いものになるのです。
それはあなたが発揮している自己主張(自由意志)が原因で、あなたの置かれている(あなたが逆らっている)境遇故ではないのです。(あなたは、自分の境遇故に自分が苦しんでいるとそう考えるよう条件付けられているのですが。)

[だから(自分自身を弱く惨めな者として知覚/認識する)全ての誘惑に対して下記の言葉で応えるハッピーな習慣を学びなさい。
"I am as God created me. His Son can suffer nothing. And I AM His Son."
[私は神が私を創造した通りに存在しています。神の子が何かを苦しむことは不可能です。 そして私は神の子なのです。]
このようにしてキリストの力が呼び込まれ、それが行き渡り全てを統治し、あなたの弱さを(決して挫かれることのない)神から来ている力で置き換えるのです。

神聖を選ぶ前まで怖れと苦しみが自然に見えていましたが、このようにして奇跡が自然に見えるようになるのです。
何故なら、この選択をすることにより、間違った分け隔てが無くなり、幻想の選択肢(より好ましいと思われている代わりのもの)が手放され、真理を遮るものが無くなるのだから。]

ラジ:「この選択」とは神聖(全体)を選択することです。
分離/卑小さを最早サポートしない/育成しない/認定しない/認めないことを選択するのです。
あなたがパニックを起こしている時(その時あなたはコントロールすることに夢中なのですが)答え(解決)はコントロールすることではないのです(より良くコントロールすることでもないのです)。 そうではなく私(イエス)/神/聖霊に意識を与えて、その時わたし達からあなたが学んだ「あなた」を認めるのです。

つまり、あなたは神があなたを創造したあなたのままであり、神の子が何かに苦しめられることは不可能で、あなたは神の子なのです。これを自分自身に認めて、この事実をあなたの中に実体験レベルでサポートするものを呼び込むのです。
このようにして孤立を破って「選択」をするべきなのです。

質問者:私は病気の人達、ひどい痛みを被っている人達のケアーをしています。
これを彼等に知らせたらどうでしょうか? 
「彼等が神の子であり、彼等は何かを苦しむことは出来ない」と彼等に言ったらどうでしょう?
ラジ: それは素晴らしい体験になるでしょう。
しかしあなた達には、口を閉じて、信じられないことは表現したがらない傾向があります。
するとあなた達は自分達の信念の中に捕われ続けてしまいます。 何故なら、勇気を持って違う見方(真の視点)を示してくれた人が誰も居なくて、それ故に変容をもたらす真理の重みが伝わらなかったから。

質問者:私はよく穏やかなヒントを与えることをしています。
例えば「私はこの痛みを感じていてこの症状を持っていて、そして私の母親も父親もこの病気に罹っていて、私の兄弟もそうで、だから私もこの病気を持っているのです」と誰かが言った場合、私は「私はこの症状を前にも見たことがあります。これは治すことが出来ます。」と言うのです。「これが治った例を私は見てきました。 私は人々がこの症状から回復することを助けたことがあります。 彼等は治ったのです。これを治すことが出来るのです。」
コース(ACIM)を学び始めた頃私は「あなたは神の子であり、あなたを本当に苦しめるものなどないのです」と言って、それを聞いた人々が直ぐ立ち去ってしまっていたのです。
これらの体験の後、私はやんわりしたヒントを人々に示唆する様になりました。
人々が自分達の概念に疑問を持てるように助ける言葉を言うようになりました。
人々に受け入れられない表現を使って彼等を面食らわせてしまうことは避けるようにしています(人を見て表現を選ぶようにしています)。
ラジ: 私もそうしています。

[あなたは神があなたを創造したとおりの存在なのです。そしてあなたが見ている全てのものも(あなたがそのものに与えているイメージにも関わらず)それは同じです。]

ラジ:あなた達が「それそのもの」ではなく、それに対する「相互合意されている定義群」を見ることを選択している故に見えているイメージにも関わらず(それは神がそれを創造したとおりのものなのです。)。

[あなたが病/痛み/苦しみ/喪失として見ているものは、あなた自身を地獄に居る無防備な存在として知覚する誘惑に過ぎないのです。
これに(この誘惑に身を)委ねるのは止めなさい。 そうすればあなたは全ての場所に全ての形で表れている全ての痛みが太陽の前の霧のように消え去ることを見るでしょう。
神の子を癒やすため、そして彼の弱さの夢のドアを閉じ、彼の救済と解放のドアを開けるために奇跡が来ています。
あなたの全ての選択が(あなたの見ている、あなたの信じている)あなた自身のアイデンティティを確立していることを思い出しながら、(あなたの目の前の)彼/彼女をどのような存在にさせたいか、それをもう一度選び直しなさい。]

ラジ:これ以降の文章は自分自身に当て嵌めるべき言葉として受け取りながら読んでください。
何故なら、このセクションは救世主としてのあなた達を説明しているのだから。
あなた達にとって私のことを救世主と考えることは余り難しくないかもしれません。
しかしここで必要とされているのは、私があなたに接しているように、あなた達がお互いと接するように成ることなのです。
これらの言葉を私に当て嵌めることは簡単かも知れません。 しかしこのセクションのこれ以降の言葉をあなた達はお互いに対して言い合わなければいけないのです。
彼(あなたの兄弟姉妹)をどのような存在にしたいかもう一度選び直しなさい。
何故なら、今まではあなたは彼を「お互いに対してどのように対処するかあなた達二人が相互合意したとおり」にさせていたのだから。

[あなたの一つ一つの選択があなた自身のアイデンティティを確定していることを思い出しながら、あなたは彼をどのような存在にしたいかもう一度選び直しなさい。(あなたはこのようにして確定したアイデンティティを(自分として)見て、このアイデンティティを(自分だと)信じるのです) 
{アイデンティティ=これが自分だとあなたが思っているもの}]

ラジ:わかりますか?
私は「あなたが誰か、あなたが本当に誰か」あなたに教えています。
何故なら、私は「私であるもの」の私の体験を解り難くしたり暗くしたり変えたりするものを{私であるものの体験に}混ぜ入れたくないから。
だから私は、神があなたに成っている通りにあなたをあなた自身に照らし返しているのです。 何故なら、こうすることが私を目覚めたままに保つのだから。
そしてあなた達がお互いに対してこれを行なったなら、これがあなたの目覚めを確約するのです。

[私があなたから求めている少しのギフトを拒否しないで下さい。 (あなたが私に与えるギフトのお返しに)私はあなたの足元に神の平和を与えており、この平和を「不安で孤独で怖れを抱きながら世界中を彷徨っている人達全員」に与える力をあなたに授けるのだから。]

ラジ: これを「私が言っていること」と考えれば受け入れられますか?
しかしあなた自身がこれを言わなければいけないのです。
この意図をあなたが持たなくてはいけないのです。あなたが他の人々と関わり合っている時(その人々に与える)明晰と愛の場所からあなたが話し行動出来るように。
人々を優しく促すにしろ、神からの霊感に撃たれて大胆な台詞を言うにしろ(あなたは愛の場所/精神からそれを言うのです)。

[これは(わたしがあなたから求めている少しのギフトは)、あなたが彼と繋がり、あなたの中のキリストを通して彼の目の上に掛かっているヴェールを取り除き、彼自身の中のキリストを彼に見させる為に、あなたに与えられているのです。]

ラジ:わかりますか。 確かに私はこれをあなた達に言って、あなた達自身に対するあなた達の貧しい思考モデルを改善させようとしています。
しかしそれだけでなく、あなた自身も自分の兄弟を(例えそれがジョージ・ブッシュであっても)十分に愛して、上記の招待を彼に差し伸べ、「彼であるもの」に対するこの確信を持っていなくてはならないのです。

彼(ブッシュ)だって例外として外す訳にはいかないのです。 あなたが非常に嫌っている全ての人々を上記の文章の対象にしなければいけないのです。

あなたが誰かに対してネガティブな意見や見方や定義を考え表明している限り、その力(力学/傾向)があなた自身の体験の中に取り入れられてしまうのです。
それ故に、「誰か他者がその人自身をクリアに体験すること」をあなたの愛が許可しているよりも多く「あなたがあなた自身をクリアに体験すること」は出来ないようにブロックしてしまうのです。
これは、あなたと相性が悪い人が居た時それを認識しないということではありません。 「知性を表していない者」や「存在の愛を体現していないもの」を、そのように認識しなくなる訳ではありません。

あなたは各状況に関する「真理が何か」知るために神の下に行き訊ねるのです。
あるいは正しくない行動をしている個人がいたなら、その人に対するあなたの新しい酷い定義を作り出すのではなく(彼に関するこのあなたの定義が結局あなた自身をも定義してしまうのです)、あなたは彼に関する「真理」を知るために神の下に行き神に訊ねるのです。

わかりますね。
あなたは、あなたが信じていることを行い、あなたが信じているものを持つのです。
だからジョージ・ブッシュ(その他あなたが嫌っている人達)に関してどのような事をあなたは信じているのか、それにも注意しなさい。
あなたは「相互合意されている定義群」の縛りを打ち破る為に、時には自分でも信じられないことを抱擁出来るように成らなければいけません。

質問者:だからわたし達は、特定の人を安易に裁いてしまっているのです。
わたし達は、そのような人達をマインドの外に置いて、彼等のことを考えないようにするべきなのでしょうか?

ラジ: それが愛ですか?
そこに居ない、あなたのマインド内に居ない人を愛することが出来ますか?
見ないよう考えないようにしている人と関わり合いを持つことが出来ますか?

質問者: ではとことんやるか、そうでなければ私は全く何もしていないのですね?

ラジ:いいえ、そうでなければあなたは夢を(現実として)認めそれを強化しているのです。
その場合あなたは分離/孤立を再認証しているのです。
そこでは何かがとてもアクティブに行われています。
これは(好きでない人のことは無視して彼等のことを考えないようにしようとすることは)無垢な状態ではありません。
これは積極的排除なのです。
これは、「その人を(何らかの形で)リアルに愛すること」から積極的に{自分を}除外する行為なのです。
だからキーは...

質問者: わたし達が一番裁いている人や状況は最高の機会なのですね?
これがわたしのマインドを変えるための最高の機会なのですね?
ラジ: それが最高の機会かどうかはさておき、
人々に対するあなたの定義が、目覚めることから(救世主に成ることから)あなたをブロックしているのです。

「これは(わたしがあなたから求めている少しのギフトは)、あなたが彼と繋がり、...為に、あなたに与えられているのです。」これをわたし達は今読んだばかりです。
これはあなた達に与えられているのです。
この能力/度量(あなたが彼と繋がり、あなたの中のキリストを通して彼の目の上に掛かっているヴェールを取り除き、彼自身の中のキリストを彼に見させる能力)はあなたのものなのです。
あなた達のこの能力を認めてそれを高らかに宣言しあなた達に言って聞かせることによって、私はこれをあなた達に与えているのです。

この能力/度量はあなたに与えられているのです。 これはあなたのものなのです。
この能力を使わないとあなたが決めたなら、彼の中にキリストを見ることに対するあなたの無能を確立しそれをより強化することになるのです。
その時あなたは「彼が自身の中にキリストを見ることを彼に許可する」存在に成ることを怠っているのです。

質問者: では、私がこの事やあの人を特別な問題として見ていた場合...
ラジ: それは特別な問題ではなく、馬鹿な問題です。

教室の中に座って、放課後に何が起こるか、(人々がどのように振舞うか/反応するかあなたはすでに知っているので)どのような問題が起こるか思案を廻らせるのは馬鹿な問題です。 
何故なら、あなたがこのように思案している時本当に起こっていることは「教室の中で教えられていることにあなたが注意を払っていない状態」だけだからです。
教室の中では、教師が素晴らしい情報を差し出しているかもしれないのです。あるいは他の生徒とやり取りすることで素晴らしい気付きが起こりえるのです。
しかし「なんでもないこと/どうでもよいこと/違いをもたらさないこと」にこだわり続けることによって、これらすべてが失われてしまっているのです。

質問者:そう私は言おうとしたのです。 こだわりを捨てて、闘争を作らないようにするべきだと。
ラジ: しかし、あなたは兄弟を無視することを言っていました。
質問者: 兄弟に対する私の概念を無視するべきかもしれませんね。
ラジ: そう思いますか?
質問者: しかし、座り込んで特定の人のことをキリストとして見ようと努力するのではないのでしょう?

ラジ: そうではないかもしれません。 しかしあなたはいずれにしろ何かを考えていることでしょう。
あなたは虚無だけを常に抱き続けることは出来ません。
だから、あなたが概念を脇に退けたとしても、それを愛の能動的意識的表現で(その人の真理に対する意識的認識で)取り替えなかったのならば、その時あなたはその人を鉛の箱に閉じ込めようとしているスパーマンのように振舞っているのです。
その時あなたはその人を囚人として閉じ込めているのです。
そこでは、その人に対するアクティブな無知が働いており、それは憎しみなのです。

質問者: オーケー。 成る程、私が実際に何をしているかより明確に示す問題/状況が起こった時(そしてそのような状況内でどのように考えるべきか知るために)私には助けが必要なのでしょう。

ラジ:もしあなたに決意があるのならば助けが得られるでしょう。
クリアにわかっていない状況にも関わらず(聖霊/神に訊ね聞くことを)続ける意志があるのなら、自分の日常的慣習的思考方法に陥ってしまうわないよう努力を続けられるなら、そして「ここの真理は何ですか?ここの真理は何ですか」と神にたずねられるなら。
そしてこれを続けるのです。 何故なら、あなたが真理をそこに見るまで、あなたは(あなたが裁いている人と一緒に)夢の中に囚われつづけてしまうとあなたは知っているのだから。

質問者:だから私は質問したかったのです。 私は自分で望んでいるにも関わらず、毎回必ずこのシフトを行えていないのです。
ラジ: 実践し続けるのみです。
あなたが天国のど真ん中に居てそれを「世界」と呼んでいるのなら、あなたが直面している全ては「全てが本当は何か」知りたいと願うことを実践するチャンスなのです。

[救済の中にいる私の兄弟(姉妹)よ、私の声を聞き私の言葉を理解してください。
私が求めているのは、あなた自身の解放だけなのです。
愛らしさがいまだ強烈で包括的な(全てを内包している)世界の中には、地獄の余地はなく、そこから天国までたった一歩なのです。]

ラジ: これらの言葉をあなたが言うべきなのです。
兄弟姉妹と関わり合っている時、あなたはこの言葉が意味していることを感じていなければいけないのです。 たとえこれが傲慢に聞えたとしても。
「救済の中にいる私の兄弟(姉妹)よ」これはあなたの台詞なのです。

では、ここで言われていることの要点は何なのでしょうか?
この文章はあなたが兄弟姉妹に対して要求を突き付けるように成ると言っているのではなく、キリストと繋がったあなたという存在が意味深く変容をもたらし重要であると言っているのです。 あなたは重要な人なのです。
あなたは脆弱な弱虫ではないのです。あなたは橋にも棒にも引っ掛からない毒にもクスリにもならない人ではないのです。
「変容をもたらすもの」を自分の中に迎え入れた時、あなたは変容をもたらす存在(現われ)なのです。 
あなたは自分の兄弟姉妹の重要なパートナーに成るべくここに存在しているのです。 あなたはチャレンジをもたらなさい愛想の良いだけの人として存在しているのではないのです。
あなたが兄弟のことを良く考えている場合でも悪く考えている場合でも、いずれの場合でもあなたは(彼等に/状況に)影響を与えているのです。
あなた達はそれぞれ孤立して存在している訳ではないのです。
あなたは、自分だけで(他者に影響を与えることなく)何かを考えることは出来ないのです。
たった今あなたは良きにつけ悪きにつけ重要な影響を与えているのです。
あなたは(今現在に対して)影響力を持っていると理解しなさい。

「わたしは誰かを変えたり、誰かを特定の様子に振舞わせたりしようとはしていない。成るに任せるが私のモットーだ、だから私に腹を立てる人は居ない筈です。」(とあなたは言うでしょうか?)
しかしあなたは、(世界に対して人々に対して)影響を与えていない存在などには成れないのです。

あなたはインパクト(影響力)を持っているのです。
そしてあなたは、夢を成立させ続けることに貢献しているか、でなければ(天国を「世界」として見せている)「相互合意されている定義群」を壊すことを助けているか(そしてリアリティを否定している「相互合意されている定義群」によって苦しんでいる人達全員の目覚めに貢献しているか)、そのいずれかなのです。

しかしこの最後の文節を読みながら、これらの言葉が「あなたは他者に対して権威や自分の意志を押し付ける力を持っている」と言っていると受け取らないで下さい。
あなたはすでに力を持っているのですが、殆どの場合まだ間違った使い方をしているのです。

あなたが力を持っている(従ってあなたは兄弟姉妹に影響を与えることなく存在することは出来ない)ということを認識したなら、リアリティの為そしてあなたの兄弟姉妹を目覚めさせる(従ってあなたを目覚めさせる)ものの為に「あなた」の現れの力(「あなた」を現す力)を表現するよう意識的に選択しなさい。

[あなたの疲れた目に、私は今までとは違う世界のビジョンを与えます。 それはとても新しく清潔新鮮で、あなたは今までの痛みや悲しみは忘れてしまいます。
そしてあなたはこのビジョンをあなたが見ている人々全員に分け与えなければいけないのです。 そうしなければ、あなたはこのビジョンを見られないから。]

ラジ:ここもキーポイントです。
「自分の兄弟姉妹と分け合いたくない(共有したくない)もの」は、あなたには見ることが出来ません。
そして、あなたは「あなたが見ているもの」を兄弟姉妹と分かち合わずには居られません。 あなた達は常に「自分達が見ているもの/こと」を分け合っているのです。

質問者: つまり、最終的に私がハッピー・ドリーム(幸福な夢)に目覚めた時、私は「リアルな彼等」が見えるようになるのですね。
ラジ:そうです。
しかし「目覚めの啓示」は、あなたに耐えられないほど大きなパッケージで(一度に)やって来る訳ではありません。
目覚めの全容は常に毎瞬あなたに与えられており、それがあなたの根源的体験ではあるのですが、その未知を信頼するあなたの意欲と決意が、「父の意志(見方)が何か?」聞きそれを信じ抜く決意が、あなたの受け取るパッケージ(気付き)の大きさを決めているのです。

あなたが真理を垣間見る度に、あなたは人々に分け与えるもの(共有状態)を得るのです。
「私が完全に目覚めたなら、人々とシェアー出来るものが得られるだろう。」(とだけ考えないで下さい。) 何故なら、あなた達はほぼ毎日分かち合うべきことを体験しているのだから。

[このギフトを与えることにより、あなたはこれを自分のものにするのです。
そして「それはあなたのものである」と慈愛の中で神が任命しました。 わたし達が世界を歩いて、彼(神)のギフトがわたし達のものであることを様々な機会に再確認出来ることを喜びましょう。
このようにして地獄の様々な遺物や秘密の罪や隠れた憎しみが消え去り、それらが隠していた愛らしさが、(キリストが現れる前までわたし達が歩んできた茨の道からわたし達を引き上げる)天国の芝生のように、わたし達の視界の中に現れ出るのです。

私の兄弟よ私を聞きなさい。 私を聞いて私と繋がりなさい。
私の呼び掛けが虚しくなることはないと神が決めたのです。
彼(神)の確信の中で、私は満足して休むのです。
何故なら、あなたは聞き、あなたはもう一度選び直すのだから。
そしてこの選択の中で全ての人が安全に成るのです。

(訳注: これ以降のACIM文は神に対する呼び掛けで、あなた=神、私=読者です。 )
父よ、あなたの子供達であり私の兄弟達であるこれら聖なる者達を遣わしてくれたあなたに感謝します。 彼等に対する私の信心はあなたのものです。
彼等が私の元に来て永遠にそこに居続けることを(彼等をあなたが知っていると同じ位確かに)私は確信しています。
彼等は私が与えるギフトを受け入れるのです。何故なら、あなたが彼等のためのそのギフトを私にくれたのだから。
そして私はあなたの聖なる意志だけを行い、彼等がそれを(あなたから私に与えられた意図を)選ぶのです。
そして私は彼等に関して感謝を捧げます。
彼等が(彼等に与えるようにと神であるあなたが私に与えてくれたギフトを)選択する毎に救済の歌が世界に鳴り響きます。
何故なら、わたし達はひとつの目的を共有しており、地獄の終わりが近づいているから。]

ラジ:このような確信を持てるなら素晴らしいとあなた達は考えているかもしれません。
そのように考えているなら、あなたは自分がそのような確信(人々があなたの与えるギフトを受け入れるという確信)を持っているとはまだ信じていないのです。

わたし達は第一に「神/聖霊/私(イエス)/あなたのガイド」を招き入れ、あなた自身の中で真理を示させ「真理が何か」深く感じ取ることに関して話しているのです。
あなたがこれを行ないその真理を見て感じた時、あなたは自信を持って兄弟姉妹の前に進み出て話しかけることが出来るのです。
これは、その人の個人的救済者に成る自信ではなく、「あなたの体験しているシンプルに統一された真理がとても正しく、この真理がその人に関する真理でもある」という自信なのです。
その時あなたのマインド内には疑念がないのです。
その時あなたは、その人がそれを受け取り受け入れそれを認識することを疑っていないのです。 何故なら、あなたもそれを受け取り受け入れそれを真実として認識したのだから。
そしてその人にもこの真理を受け入れそれを体験することが出来ると疑わないのです。 何故ならあなたもそうしたのだから。
そしてこれをする前まであなたは、その人が今立っている所に立っていたのだから。
だから、あなたがそれ(その真理)を受け入れそれを体験出来たなら、その人にも同じことが出来るとあなたには解るのです。

[私の手は過去の誘惑を退けている(そして完璧に落ちつき輝き透っている光を弛まず見定めている)全ての兄弟と繋がるために伸ばされており、彼等を歓迎しています。]

ラジ:「過去の誘惑を退けている全ての兄弟」つまり「決意と確信をもってやり続けている全ての兄弟」ということです。

[私自身のもの(私の兄弟姉妹)を私に与えてください。彼等はあなたのものなのだから。
あなたの意志でしかないものの中であなたが失敗することが在り得るでしょうか?
私の兄弟の真実に関して、そして私と繋がることを決めてくれた各人の真実に関して、私はあなたに感謝します。 ]

ラジ:「私の兄弟の真実に関して...私はあなたに感謝します。」 
兄弟姉妹のプレゼンテーション(振舞い)に対してではなく、彼等に対する私の思考に対してではなく、兄弟姉妹の真実に対して私はあなた(神)に感謝します(ということです)。
あなたが嫌っている兄弟を赦して、彼に対する反感を横に置いて、彼に対する決め付けを止め、彼に関して神と話し「彼に関する真理が何か」本当に知りたいと願うのです。
その人が表している(象徴している)ように見える全てをあなたが嫌っていることが、彼/彼女を嫌う(軽蔑する)体験をあなたがエンジョイしていることが、あなたが自分の注意/意識を何に与えようと選択しているか示しています。
そして、これが(この選択が)「彼等の真理が何か?」神に訊ねられるだけあなたが真摯に興味を示すことを完全に阻止してしまっているのです。
何故なら、神が彼等に関する真理をあなたに告げたなら、彼等を嫌うことから得ている大きな満足をあなたは手放さなくてはならないから。
だから、あなたは父の視点のギフトを受け取っておらず、父の視点でもって兄弟姉妹を抱擁してその抱擁の中で自分自身を解放することが出来ていないのです。

[地上から天国への感謝の歌が聞こえて来ます。小さなバラバラのメロディーが「地獄から贖われた世界」より聞えてくるコーラスに育って行き、あなたに感謝を捧げるのです。]

ラジ:小さいバラバラの旋律。
教会で賛美歌を歌ったことがある人は、数人しか居ない時に賛美歌を歌うことが難しいことをご存知でしょう。
しかし沢山の人達と一緒なら、自分の声を出すことはとても簡単なのです。
だから、これがバラバラのメロディー(主張)に見えている時には、あなたの声が場違いな歓迎されていないものに感じられるかもしれませんが、気を落さないで下さい。
何故なら、これを愛と共に行なう人が増えれば増える程、これが行なわれている純粋さ故に、これは人々に届き「信徒」を増やし変容をもたらすプレセンス(現れ/表現)なのだから。

このようにして、これは「全てを内包した一つのコーラス」に成るのです。
しかし(とても実際的な方法で神を賞賛している)幾千の声のサポートがまだない時点でも、あなたは続ける意欲を持たなくてはいけないのです。
このような持続力と決意が必要なのです。

[そして今わたし達は「アーメン」と言いましょう。
何故なら、時が始まる前の永遠の静けさの中であなたが彼(キリスト)のために設定した住処にキリストが住み付いたのだから。
旅は終わりに近づいており、それはこの旅が始まった場所で終るのです。]

ラジ:このようにして、旅はそれが始まった地点(故郷)に戻りそこで終るのです。
この故郷からの逃避行を行なう前、あなた達は全員目覚めていたのです。
白昼無に浸ることを選択するまでは、あなたは神の永遠の直接表現であり、完全に目覚めたキリストだったのです。
だからあなたの故郷への帰還は、あなたが元居た場所に帰って行くことなのです。
これを知っておくことが大切なのは、あなたが近づいていると考えているものは、何かあなたが達成しなくては成らないようなことではないからなのです。
それはあなた自身をその中に入れ直すべきものなのです。
それは「あなたの存在」のナチュラルで永遠の状態なのです。
『「あなた」のこの自然な状態に、あなた自身を入れ直すこと』をわたし達はしているのです。
これは教室の中で夢見ている生徒が、(決して自分がそこから離れなかった)教室内に自分の意識を戻すようなことなのです。

だからこれは不可能なことではないのです。
あなたが今まで使ってきた(自分が神から分離しているという)自己主張を全て放棄してそれを完全に崩壊させたなら、そしてこの自己主張を二度としないことにしたなら、あなたはその時あなたの正しいマインドの中に直ちに戻るのです。

これは何かを達成することではないのです。
これは決して変らない根源的事実で、あなたが分離した独立的存在として自分自身を作り続けることを止めた時、自分がこの状態に戻っていることをあなたは発見するのです。

[それは(旅の厳しさは)跡形もなく消えるでしょう。
一つの幻想さえも信心には値しないのです。キリストの顔を隠す一つの闇さえも最早残っていません。]

ラジ: あなたの注意や信心に値する「相互合意されている定義」は一つもないのです。 そして「相互合意されている定義群」の結果として現れている暗闇は一つも残っておらず、キリストの顔を誰かから隠してはいないのです。

[あなたの意志がなされました、完全にパーフェクトに。]

ラジ:それは初めからそうであって、それが止まったことは無いのです。
神の意志が完全にパーフェクトに行なわれています。

[そして創造されている全てのものが、それ自身の唯一の源としてあなたを認めており、あなたを知っているのです。
あなたのイメージに従って、あなたの中に住んで動いている全てのものが光を放っています。
何故なら、わたし達はわたし達が「ひとつ」である所に到達しており、あなたがわたし達を据えた故郷にわたし達は居るのだから。]

ラジ:私はこれを知っています。 そしてあなたも「あなたの為に、そしてあなたの兄弟姉妹の為に」という言葉の意味を知るようになって来ているのです。
私はこのことを知っており、あなたを助けており、あなたと一緒に居るのです。
私はこのことを完全にクリアに知っているので、これを完全にクリアにあなたに伝え、「神が実存している」と信じてそれに従って行動する勇気をあなたが持てるように助けているのです。

もしあなたがコントロールすることを手放したなら、自分達の相互合意されている定義群を放棄したなら、全ては破滅せず全てが天国として照らし出されると発見出来ることに賭けて、そうする勇気があなたに持てるように私は助けているのです。
私と繋がるリクエストの中で、私はあなたをこれで(あえて上記のことをしてみようと思える勇気で)抱擁しているのです。
信じ難いことが信じられるように、これをあなた自身の為に受け入れて、私のあなたへの信頼を自分の為に受け入れて欲しいのです。
そうして私があなたの為にしていることを、あなたが兄弟姉妹の為に出来るように成って欲しいのです。
たとえそれが難しく思えても、関わり合いを持てるように。関与することが出来るように。
あなたが兄弟姉妹の為の神の証人に成る機会を彼等(兄弟姉妹)が提供している時、それを嫌なこととして避けてしまわないように。

さて私は(ACIM)の一番最後の章(の一部)を読みました。 
こうすることで、これより第一章から読み続けるために必要な文脈(大筋)が解ったでしょう。
(訳注: ラジはChapter31のセクション1/2/8への解説を行なったのですが。セクション1の解説は録音に失敗しておりテキストも残っていません。)

質問者: もし全ての人々がジョージ・ブッシュを愛したなら何が起こるのでしょうか?

ラジ: 奇跡。
しかし彼だけに限定しないで下さい。サダム・フセインを含めても良いでしょう。
あなたにとって抱擁し祝福することが難しい全ての人を(あなたの抱擁の中に)含めてください。
愛の力のクリアな表現があなたの生活の中に時折現れている時、それはどのような効果を示しているでしょうか?
それはどのようなことをあなたにもたらしているでしょうか?
その時の様子を思い出して、(自由意志の使用を控えて、憎しみを慎んだ時)あなたが(他者に)与えることの出来る愛のギフトの力を認識しなさい。
その時何が起こるか予測しようとして時間を浪費するのは止しなさい。
それを行い、行なうことによって何が起こるか発見しなさい。
それを行なって驚きなさい。
何故なら、あなたの解放した人があなたを解放するのだから。
これがあなたが故郷に帰る唯一の道なのです。

(夢見ている神の子達によって)一番初めになされた選択は、「父が成っているもの/父が存在している様子」から異なった「相互合意されている定義」を(二人の神の子が)使って故郷を離れることでした。 
だからあなたが選び直している時、あなたはもう一人の人と一緒にそれを選ぶのです。
これは、神の創造に対して愛の無い/愛らしくない(神の創造したものに反する、従って神に反する)性質や意味を与え続けるのを止めて、愛を表現する目的でもう一人の人と繋がることなのです。

終わり

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

プロフィール

翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

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