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Attainment of the Real World  サン~ローズ・ガイダンス

[Attainment of the Real World]
[リアルな世界を得ること]に対するガイダンス

[Sit quietly]
[静かに座りなさい。]

口を閉じるだけでなく、マインドも静かにしなさい。

真っ暗闇の中で絶壁の上を一歩一歩私にガイドされて歩いている時のように静かなマインドを持ちなさい。

そのような静けさと注意深さが必要なのです。 あたかもあなたの生命がそれに掛かっているかのように。 そしてあなたの命は確かにこの静けさに依存しているのです。

何故なら、あなたが今体験していることは「命」そのものからは程遠いものだから。 それは(あなたが現在体験している状態/人生は)「なにか無限なこと」に対する遠く狭い知覚なのです。

わたし達の繋がり全体を使って(あたかも崖の周りを歩いている時の様に)注意深くしていなさい。 私が見て感じるられることを知り、それを信じなさい。 するとあなたもまた「見て感じる」ことが出来るように成ります。 

[and look upon the world you see, and tell yourself, "The real world is not like this.  It has no buildings, and there are no streets where people walk alone and separate. ]

そしてわたし達は[あなたが見ている世界を(一緒に)見て「リアルな世界はこのようなものではない」とあなた自身に告げるのです。そこにはビルディングはなく、人々が孤独に離れて歩いている道もありません。]

(私が以前にも言ったように)ワンネス(一体性)が宇宙の法則なのです。

取り残されるものは何もありません(のけ者は存在していません)。
そのようなアイディアは天国の中には存在していません。 
わたし達全員にとって、全ての人と全てのものが大切なのです。

何故なら分離は存在していないのだから。
だからあなたが知っているような状態で存在しているビルディングはないのです。
そしてあなたが知っているような形の道や庭は存在していません。

だからと言って、天国がもぬけの殻だというわけではありません。
ビルディングの背後にあるアイディアが(天国の中に)存在しています。

ストリートはどうでしょう?
それらは「道」なのです。動きの神聖なのです。無限の方法/道なのです。

そして庭(ガーデン)は花の体験なのです。
歌のハーモニー(調和)にあわせて限りなく踊っている樹木の生命なのです。
それは天国のように完璧に美しく喜びに満ちている体験なのです。


[There are no stores where people buy an endless list of things they do not need. ]

[人々が不要なものを沢山購入しているような店は存在していません。]

欠乏/必要はないのでストア(貯蔵)もありません。


しかしアイディア群に基づいたデザイン達があるのです。
それらは歌でありダンスなのです。 動きであり音楽なのです。そして数学なのです。
無限の(限定されていない)体験の中に入って来ている美しさなのです。
それは喜んでいる生命の万華鏡です。

リアリティとしては、あなたは何時でも自分が必要としているものを得ています。

より上手く表現するなら、あなたは何時でも丁度その時正しいもの得ています。 それはあなたへ与えられている神のギフトなのです。

これが聖なる瞬間なのです。 それは神があなたに、あなたに、あなたに「成っている」ワンネス(一体性)の逐次的瞬間(瞬間の繋がり)なのです。

あなたがまだ殆ど味わっていない「喜びと平和」から流れてくる「聖なる瞬間」の(継ぎ目無く繋がっている)この「生命」を言い表す言葉は存在していません。

しかし「私の愛があなたに成ること」をあなたが許可したなら、あなたはすぐそれを味わうでしょう。 そして光としてのあなたの体験が始まります。
聖書に出てくる新エルサレムとは、「愛のみの場所」なのです。

[It is not lit with artificial light, and night comes not upon it. There is no day that brightens and grows dim. There is no loss. Nothing is there but shines, and shines forever." ]

[そこは人工的な光で照らされてはおらず、そこに夜が来ることもありません。 (明るくなってそれから暗くなる)一日も存在していません。 そこでは失われることがなく。 そこにあるのは永遠に光り輝いているものだけなのです。]


全てが光輝いているのは、全てが光で出来ているからだけではなく、あなたが光そのものだからです。 
そしてあなたはなんと美しいのでしょう。


[The world YOU see must be DENIED, ]
[あなたが見ている世界は「否定」される必要があります。]

上記の文は「あなたのいる場所がない」と言っているのではないのです。
全く違います!

あらゆる意味で限定されている世界ではなく、宇宙があなたのものなのです。
宇宙の中に現されている神の無限の(限りない)アイディアをあなたは見ることが出来るのです。 それを嗅ぐことが、聞くことが、味わい感じることが出来るのです。

この宇宙の中の全ては愛であって、この宇宙があなたを愛しているので、これは喜びの宇宙なのです。

だからあなたは、(現時点で)あなたの目の前に展開されているように見えていることを否定する必要があるのです。


[for sight of it is costing you a different kind of vision. ]

[何故なら、あなたがそれ(現在あなたが見ている世界)を見続けている限り、それと異なるビジョンは見えないのだから。]


私の見ているものを私と一緒に見ることは自分をハッピーにしないとあなたは思っているのでしょうか? 

(リアリティ/天国の全ての視点と共に)私の平和と喜びを分け合うことが、あなたをハッピーにしないのでしょうか? (勿論するのです。)

あなたが兄弟姉妹の共同体(Brotherhood)ともう一度繋がることをわたし達は渇望しています。 何故なら、あなた無しでは寂しいから。

これは(兄弟姉妹の共同体(Brotherhood)ともう一度繋がることは)難しいことではありません。

(あなたが見ているとあなたが考えている世界の代わりに)私の真のビジョンを求める少しの意欲だけを、私はあなたから求めているのです。


[YOU CANNOT SEE BOTH WORLDS, for each of them involves a different kind of seeing and depends on what you cherish. ]

[あなたは両方の世界を見ることは出来ません。 何故なら、この二つの世界はそれぞれに異なる見方を必要としており、「あなたが大切にしているもの」があなたがどの世界を見るか決めるからです。]

あなたは何を大切にしているのでしょうか?

あなたが作った痛みや損失に満ちた世界をあなたは大切にしているのでしょうか。
それとも、わたし達が繋がっている時(あなたへの私の愛がどのように感じられるか、それがどれだけ安全か)感じている少しの記憶をあなたは(目の前に見えているものよりも)大切に出来るでしょうか。

[The sight of one is possible BECAUSE you have denied the other. ]
[あなたは片方(の世界)を否定することにより、もう片方(の世界)を見ることが出来るのです。]

あなたが奇妙で限定された視点(それを我々は世界と呼んでいます)を選んでいる時、(あなたの知っていた)天国があなたの視界の中から静かに滑り出てしまい、天国は(限定された視点を見るようになってから知った)あなたの人生/生命の困難に隠されてしまうのです。

しかしあなたの限定されている視点/視界(あなたの現在見ている世界)が言い募っているリアリティや真実は間違っています。 何故ならリアルな世界はひとつだけなのだから。

[Both are not true, yet either one will seem as real to you as the amount to which you hold it dear. ]

[両方(の世界)が真実なのではありません。 しかしあなたがどちらか(の世界)を大切に抱くにしたがって、それが(その世界が)リアルに見えるのです。]  

しかし天国だけがリアルなのです。
世界は{どの世界を見るか/どの世界をリアルに感じるかは}あなたの今の選択次第でした。 しかしあなたに見えている世界があなたをきつく縛っているように見えています。 そして、死と生の間をめまぐるしく行き交い、人生に次ぐ人生をあなたは「生きて」来ました。 これは永遠の命のなんと馬鹿げた浪費でしょう。


[And yet their power is NOT the same because their real attraction to you is unequal. ]
[しかしそれらの力(「リアルな世界」と「現在のあなたが見ている世界」の力)は同じではありません。 何故ならあなたに対するそれらの吸引力は同等ではないのだから。]


これはどういう意味でしょう?

「あなたの見ている世界」は天国という喜びの上に投げ掛けられているあなた自身の発明なのです。 それは(あなたが見ている世界は)あなたに対して、あなたがそれに与えた力以外には、何の力も持っていません。それは実存していないので無効なものなのです。
しかしあなたはそれが(あなたの見ている世界が)あたかも「リアリティそのもの」であるかのように生きています (その限定的世界観の中で自分が生きているつもりに成っています)。


[You do not really want the world you see, for it has disappointed you since time began. ]

[あなたは自分が見ている世界を本当に欲してはいません。何故なら、それは(時が始まって以来)今まで何度も繰り返しあなたを失望させて来たのだから。]

時間はどのようにして「始まった」のでしょう?

時間はリアルなものではありません。 「時間」とは(「マインドが全てであること」に対する)無知の初期状態で、あなたが虚無(価値のないもの)を投射している状態なのです。
あなたの見ている世界(時間)は、それ自身こそがリアルだと叫び続けています。が、しかし上記が事実なのです。

[The homes you built have never sheltered you. ]
[あなたの作った家が今まであなたを安全に防御したことはありません。]

しかしリアリティの中で防御が必要でしょうか?
あなたとして知られている神のスピリット(霊)を傷つけられるものが在り得るでしょうか?  そのようなことが可能だと想像出来るというなら、そうして御覧なさい。 何故なら、それ(神のスピリット)が本当のあなたなのだから。


[The roads you made have led you nowhere, and no city that you built has withstood the crumbling assault of time. ]

[あなたが作った道は、あなたを何処にも導きませんでした。] 
何故なら「いまここ」だけが(無限のバリエーションを持っている)あなたが常に居るところなのだから。


[あなたの作った街は、時間の攻撃の前に崩れ去りました。]
何故なら、「あなたの創造は常にスピリットだけなのだ」ということをあなたは忘れてしまっているのだから。


[Nothing you made but has the mark of death upon it. ]
[あなたの作ったもの全てには、その上に死の印が付けられています。]

しかし全てのリアルなものは永遠の命だけを教えているのです。


[Hold it not dear, for it is old and tired, and ready to return to dust even as you made it. ]

[それを大切にいだくことは止めなさい。それは古く草臥れているのだから。あなたがそれを作った途端にそれが塵に帰っていくことを見ても驚かないでいなさい。]

それは(あなたの見ている様相は)大切なものではないのです。
{しかし、あなたの目の前には常にリアリティが在るのです。}
この世界と天国の大きな違いは、(あなたが見ている)世界の中ではものが構築されており、天国の中では物事は(神から完全な形を与えられて)ただ存在しているのです。

[This aching world has not the power to touch the living world at all.]
[この痛みに満ちた世界は、生きている世界に触れる力を持ってはいません。]

「生きている世界」はあなたの帰還を辛抱強く楽しみに待っています。
開かれたドアの横にあなたの衣服と指輪とサンダルが待っています。


[You could not give it that, and so although you turn in sadness from it, you cannot find in IT the road that leads away from it into another world.]

[あなたがそれに(あなたの見ている世界に)そのような力を与えることは出来ませんでした。 あなたはそこから悲しげに顔を逸らせたけれども、そこからもうひとつの世界へ続く道を探すことは出来ません。]

「あなたが自分で作ったと思っている世界」の中で、そこからリアルな世界へ続く道を見つけることは出来ません。

しかしこれは(あなたの見ている世界は)全く新しいものではなく、それは永遠の中に充満している美しくパーフェクトな「ところ」に対する限定された歪みでしかないのです。 それに対する英知をあなたは忘れ去ったのではなく、それを埋もれさせてしまっているだけなのです。

だからこの記憶は深くうめられてしまっているけれども、

[Yet the real world has the power to touch you even here BECAUSE YOU LOVE IT. ]

[しかしリアルな世界は、ここの中(限定された世界観の中)でさえもあなたに触れる力を持っているのです。 何故なら、あなたはそれを(リアルな世界を)愛しているのだから。]

そうなのです!!

あなたはこの言葉の中の力と真理を感じました。
あなたは真の愛があなたのもとに来ていることを忘れてはいません。

[And what you call with love WILL come to You]
[あなたが愛をもって呼んだものがあなたのもとにやって来ます。]

何故なら、それはすでにここに来ているのだから。

あなたが忘れた(捨てた)と思っていたものは、あなたの傍を離れてはいないのです。
それを無視しているのはあなたなのです。それが(愛が、リアルな世界が)あなたを無視しているのではないのです。
これが良き知らせなのです。

[Love always answers, being unable to deny a call for help, or not to hear the cries of pain that rise to it from every part of this strange world you made but do not want]

[(あなたが作った、しかしあなたが求めていないこの不思議な世界の各部分から湧き上がってくる)痛みの叫びや助けの声を無視することはなく、愛は必ず応えます。]

何故なら愛はあなたとして存在しているのだから。だから愛が「助けを求める声」を無視することは不可能なのです。
あなたが必要とする全ての助けを与えるために、愛はいつでも準備して待っています。


[The only effort you need make to give this world away in glad exchange for what you did not make is willingness to learn THE ONE YOU MADE IS FALSE. ]

[「(あなたが見ている)この世界」を「あなたの作らなかった(真の)世界」と取り替えるためにあなたがするべき努力は、あなたの作った世界の方が偽りなのだと学ぶ意欲を持つことだけです。]

「あなたが自分で作ったと思っている世界」がどれだけ痛みを作っているか理解出来たなら、それを放棄することは容易いことです。

何故なら、あなたは決してリアリティを変えることは出来ないのだから。
リアリティは神と同様に永遠で不変で良きものなのだから。 何故なら、リアリティが神で、神が全ての創造に成っていることがリアリティなのだから。


[You HAVE been wrong about the world because you have misjudged YOURSELF. ]

[あなたはあなた自身を誤って判断しているので、世界に対しても間違っているのです。]

あなたが(神とは)違う風に見ることを選んだ途端、あなたの世界はとても(神から)異なったものに成ったのです(成っているように見え出したのです)。
何故ならあなたの世界は、あなたが見ている(とあなたが思っている)だけのものだから。

「あなたが考えていること」があなたの世界として見え出したのです。
そしてあなたが一旦「自分は今までとは違う見方で見ている」と考え出したとき

[From such a twisted reference point what COULD you see?]
[このような捩れた視点から何が見えるというのでしょうか?]

神の創造がもやは神の創造としては認識出来ないぐらい捩れて見えるようになったのです。

[All vision starts WITH THE PERCEIVER, who judges what is true and what is false. ]

[全てのビジョンは(何が真理で何が間違いか判断している)知覚者(認識者)から始まっています。]


裁き(ジャッジメント/判断)とはあなた一人だけで考える行為のことです。
これは(あなたのオリジナルな意識である)英知(ノーイング)の正反対なのです。

{思考/ジャッジメントを使って}あなたは自分のビジョン(視界)を縮め、天国とは似ても似つかない場所を「発明」したのです。 

そしてあなたはそれを抱擁したのです。故郷の記憶と喜びが完全に無くなるまで。 
だからもう「自分はハッピーであるべきだ」という感覚だけしたあなたには残されていないのです。 


[And what he judges false HE DOES NOT SEE. ]
[そして、間違っていると彼が判断したものを、彼は見なくなるのです。]

あなたに残されているのは「思考」という奇妙な行為だけです。 英知(ノーイング)が縮まって「思考」に成ったのです。

あなたは思考を使って、全ての機会に自分自身を正当化しようと試みているのです。

[You who would judge reality CANNOT see it, for whenever judgment enters reality has slipped away. ]

[リアリティを裁こう(判断しよう)としているあなたには、リアリティは見えていません。] 

{判断しようとした途端}リアリティはあなたの誤認識によって隠されてしまうのです。

[何故なら、{あなたのマインドの中に}裁き/判断が入ってきた途端にリアリティは出て行ってしまうから。]

それは何故でしょう?
何故なら、リアリティは愛で、愛は完璧性の(全ての物事が素晴らしく在る)ビジョンを通して全てを見ているのだから。

はい。 このように愛されることの意味をあなたは少し感じたことがあります。
そして、「この愛があなたであることを初めて体験した時のこと」をあなたは思い出しています。

「世界(あなたが見ている定義と歪んだ知覚の世界)を成り立たせている愛」と「天国の愛」の間の大きなギャップをあなたは見たことがあります。

エゴの容赦ない裁き(判断/思考)とその暗い感覚がリアリティを視界から遮ってしまいます。

そしてあなたは自分が何を失ったか思い出せなくなっていて、「誰か」や「何か」を一生懸命探しています。 あるいは「多くの人々」や「多くのもの」を使って空虚な心を満たそうとして失敗しています。

しかし満たされて平安に感じるためには、私の手を取ってあなたのマインドを私に向かってオープンに開き、愛をその中に取り入れるだけで良いのです。

[The out of mind is out of sight]
[マインドの外にあるものは視界の外に出てしまっています。] 

あなたはあなた自身という輝けるものが見えていません。

[because what is denied is there, but is not RECOGNIZED. Christ is still there although you know Him not. His Being does not depend upon your recognition. ]

[否定されているものは依然としてそのにあるのですが、それは認められていないのです。 キリストは依然としてそこに{あなたのもとに}います。あなたは彼を知っていません(彼に気付いていません)。しかし彼の存在はあなたの認識には依存していないのです。]

そして彼(キリスト)は、あなたが助けを求めるのを愛の静けさの中で待っているのです。

[He lives within you in the quiet present ]
[彼は静かな今としてあなたの中に生きています。]


彼(キリスト)はあなたの中にあなたとして生きています。
「今ここ」が常に彼があなたの中にいる静かな今なのです。

あなたが自分の注意を全て過去と未来に与えてしまって今を無視しているので、それは静か(彼は無言)なのです。

「今」があなたは常にいる「ところ」なのです。あなたが際限なく過去を再現していたり、未来の夢を夢見続けている時でも。


だらからラブリーな「静かな今」がそこに居て

[and waits for you to leave the past behind and enter into the world He holds out to you in love.]

[そして、あなたが過去を離れ「彼が愛と共にあなたの為に広げている世界」の中に入って行くことを待っています。]


あなたが(思考に基づいた)未来の予測を永遠に手放し、(決して実際には起こらなかった)過去を捨て、永遠の現在の世界の中に入っていくことを彼(キリスト)は待っています。
彼は愛とそしてあなたという永遠のギフトを携えてあなたを待っています。
あなたはそれ(彼があなたの為に広げている世界/ギフト)をいま手に取って、彼の愛があなたに成ることを許してください。

あなたの故郷への帰還は確実で安全です。 それは彼の愛で満たされており、あなたは彼とあなたの喜びの両方で満たされています。


-----------------
ローマ人への手紙 8.19 J.B. Phillips の意訳

[The whole world is on tiptoe to see the wonderful sight of the Sons of God coming into Their Own]

[神の子達が彼等自身の中に入っていく光景。この素晴らしい光景を見ようとして世界全体が固ずを飲んで見守っています。]


上記はACIMの “Attainment of the Real World”  に対してサン~ローズが得たガイダンスです。
sunrose101@aol.com


JCIM: Chapter 12 “Attainment of the Real World” p125
2nd Edition: Chapter 13 The Guiltless World Vii -Attainment of the Real World p254


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サン~ローズからの助言

正しくありたい。間違えたくない。自分の正しさを確かめたい。 これが出来ないと怒っちゃうのね、オレ。 ACIM初めてからも結構怒ってる。

神(良きこと)への信心(矛盾にも係わらず揺ぎ無く信じる心)の方がより大切です。
ハーイ。

今日友達の誕生パーティに呼ばれてたけど断っちゃった。 

そうそう、ポールさんのとこではお金がまた不足しているそうです。
アメリカで募金が沢山集まるように良かったら皆さん祈ってあげて下さい。

「私は世界を赦しました。」 「神の法しか存在していません。」

――――――――――
サン~ローズからのメール
あなたのポストを読みました。 その中で私の目を捉えたのは(私に閃いた言葉は?)[抵抗が溶け出した]です。 [抵抗が溶け出した]と読んだとき私はとても静かになりました。

原子力発電所と呼ばれている所にあるリアクター(核融合炉)ではなく抵抗が溶けたのです。

リアクターは、わたし達の中の「(二つのステップをせずに「自分一人で行動したがっている部分」を象徴していると思いました。

二つのステップをしていない時、反応/反発を躊躇していない時、落ち着きを取り戻していない時、わたし達はオーバーヒートしてしまい爆発してしまいます。
わたし達もまた、のぼせて熱くなり爆発するのです。 それから...。
「何が本当に溶けているか」調べるには、わたし達がマインドを合わせてマインドをその本来の目的に使用すれば良いのです。
つまり踏み止まって「父よ、何がここの真理なのですか?」と訊ねれば良いのです。

(愛)への抵抗が溶け出しています。 リアクターが溶けているのではありません。
私が何を言おうとしているか解って貰えればいいのだけれど。
私もこの「流れ出てくるもの」を信じて、この表現に何か意味があると信じることにしました。

Thank YOU
Sun~Rose.

{これって、Sさんと同じこといってない?}

追伸:
上記の文はサン~ローズのものではなく、クリスティーンという人が書いたもので、
サン~ローズがそれを私に送ってくれたのでした。 

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ホリーネス

ホーリネス(神聖/神性)に関するガイダンス   (サン~ローズ)


あなたを含めた全ての人達が自分達自身の神聖を抱擁し受け入れるべき時なのです。

分離が発生した時、限定的なアイディアが起こり、それが表現されました。
すると直ぐに神の子は細分の恐怖を味わったのです。 自分自身を全体性から離れた限定的存在として感じたのです。 (実際には、全体性は今でも常に成立し続けているのですが。)

そのとき神の子の一部はその状態を受け入れることを拒否し、バランスと平和を取り戻しました。 しかしそうしなかった人達もいたのです。
これは、クスリを試して直ぐに止める人と、それに中毒してしまう人がいるようなものです。

これは完全に選択の問題で、だから「もう一度選び直しなさい」という私の言葉が重要なのです。
そして本当にこれは選択し直すという「こんなにシンプルなこと」なのです。

「あなたは一度間違った選択を行なっており、今あなたはより良い選択をすることができるのです。」

以前にも伝えた言い回しをもう一度示しましょう。
「あなたは常に『あなたの弱さ』と『キリストとしてのあなたの強さ』のどちらかを選んでいるのです。」
このことは幾ら強調しても強調し足りません。

あなた達は文字通り冒涜を選んだのです。
冒涜とは神聖の正反対なのです。
そしてこの選択がどれだけ悲しいものだったか示すために、神聖とはなにか説明しましょう。

神聖とはなによりもワンネス(一体性)の体験です。
そして神聖(Holiness)の姉妹は全体性/健全性(Wholeness)です。

だからあなたが自分の神聖に手を伸ばしている時、あなたはそれを一人でしているのではないのです。

エリザベス・バレット(Elizabeth Barrett)が「理想的恩寵と存在の果てを求めて、眼に見えないところへ手を伸ばす」“feeling out of sight for the ends of Be-ing and ideal Grace.” と言った時、彼女はこのことに気付き始めていたのです。

神聖を(ワンネスを)忘れてしまったあなた達一人一人がこれをしなければいけないのです。
手(身)を差し伸ばして、私を(あなたのガイドを)感じなさい。
するとあなたは自分が本当は孤独ではないことを理解し、(あなたが感じていた孤独にも係わらず)自分が決して一人になったことはないと理解するのです。

余りに長い間(宗教や無神論の下で)「相互合意されている定義」が「あなたは人間でしかないので、あなたの中から余り良きことは期待出来無い。あなたは死を定められている者だ」という冒涜を教えてきました。

あなたが見ている世界{あなたが世界に与えた定義/限定}の全てが、これをあなたに教えています。

「あなたがいつか死ぬ」という信念が、その証明{として使われています}。
この「事実」(と呼ばれているもの)をあなたは硬く信じており、それに固執しているのです。
「死」とは、この世界{あなたの定義群}の無力な神なのです。
そして現在あなた達は喜んで死を崇めています。 何故なら、死が存在しているとあなたが考えていることが、あなたが夢見続けることを可能にしているから。

そして夢見ることは分離し続けることなのです。
(たとえ幾人の人達にあなたがアイラブユーと言ったとしても)夢見ることは孤独なのです。
夢見ることは健全/全体ではありません。 夢見ることは神聖ではないのです。

神聖とは、あなたの源に戻る体験なのです。 それはあなたが源に戻った状態なのです。
{精霊/ガイド/神/イエスに向かって}「助けて!」と言うことの中には、あなたに想像出来る以上の神聖が存在しています。
孤独を捨てる喜び、愛のリアリティに対する抵抗を手放す喜び。 アア、その安堵。

あなたは決して冒涜(非神聖)には成れませんでした。
そのようなことは不可能です。

あなたは自分の意志(主張)を使って自分の神聖を塞いでいるだけなのです。
だから、それを取り除くことはとても容易です。

たしかにそれ(自身の神聖をブロックすること)はあなたの性癖になっています。
しかし性癖は容易に取り除くことが可能です。
ゴール(目標)がこのようにとても愛らしく、そしてあなたにはこんなに沢山の助けが与えられているのだから。

二千年に亘って私はあなた達を助けようとして来ました。
そしてあなた達全員がわたし達のワンネス(一体性)に目覚めるまで、あなたの神聖に目覚めるまで、私は何処にも行きません。

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You Are Loved and Safe 抜粋 "あなたは愛され守られている" サン~ローズ著

43. A MAJOR contribution of miracles is their strength in releasing man from his misplaced sense of isolation, deprivation and lack.
43. 奇跡の主な貢献は、人を彼自身の間違った孤立/困難/欠乏から開放することです。


ええ、確かにこれは難しいでしょう。 容赦ない奇跡の前では。
あなた自身には説明することが出来ない奇跡が起こっている時に、あなたが抱いて来た今までの見方に固執することは苦しいことでしょう。

何かが変わったのです。 そしてこの変化はあなたのマインドの中で起こっているのです。

突然、全ての「良くないこと」からの解放が可能に見えはじめるのです。
欠乏からの解放、そして(あなたがそれを許すなら)死という最大の侮辱からの解放の可能性が見えてくるのです。


Miracles are affirmations of Sonship, which is a state of completion and abundance.
奇跡は神の子の共同体の確証で、それは完了と豊潤の状態なのです。


奇跡は「神が存在すること」の証明です。 そして「あなたは自分で考えていたような存在ではない」ということの証拠なのです。


Whatever is true and real is eternal, and CANNOT change or BE changed.
真理でありリアルであるものは何事も永遠で、それが変わったり変えられたりすることは不可能です。


一時的なものは…..

2006年9月5日は、とても(繋がりが)不安定でした。


2006年9月6日

The Soul is therefore unalterable because it is ALREADY perfect,
だから魂(ソウル)は不変なのです。 何故なら、魂は既にパーフェクトなのだから。


既にパーフェクト(完璧)であるということが、どのような意味を持っているか少し考えてみてください。

エゴにとって全てのことは(ただそこに在る/存在するということではなく)何かに成ることです。  何故なら、もしエゴが「成ろうとすること」を止めて、実際に「存在」として在り始めたなら、エゴは無くなってしまうから。

そしてあなたは、何らかのレベルで、このことに既に気付いています。
そして何かに成ろうとし続けようというあなたの意思的選択が、あなたは実はまだ目覚めたくないと思っていることを示しているのです。

だから今すぐ、「成ろうとし続けること」を止めて、あなたは(あなたのリアリティは)既にパーフェクトであると認めなさい。 あなたは自分を向上させるために何かをする必要は全くありません。

あなたは確かに、『「神」がそなたを創造したまま』のものなのです。

あなたは筋肉を増やしたり、長い髪が再度生えてくるように、努力する必要はないのです。

それらのことは(あなたとは)関係がないだけでなく、あなたの完璧性を実現(表現)する上で存在してさえいないのです。

あなたは(魔法のコートを奪われたジョセフの様に)絶望の真っ只中にいる時の方が、何者かに成ろうと考えて鏡を覗き込んでいる時よりも、リアリティのより近くにいるのです。
(このジョセフとは、旧約聖書のヨセフの物語をもとに書かれたミュージカル劇=ジョセフ・アンド・ジ・アメージング・テクニカラー・ドリームコートの主人公ジョセフのことです。)

エゴは、加齢を発明しただけでは飽き足らず、「若々しく見えることが望ましく、それ以外の見え方は良くないという」ルールも制定しました。

このようにして、加齢を体験している人はそれを厭い、ある程度したらここを去るべきだという暗示が与えられています。 そしてそこには、一旦死亡した後で若々しくなって、古い物語や枯れた体を捨てて、世界の中に帰ってくる事が出来るという暗黙の信念があるのです。

そしてこの信念は、あなた達全員が『「神」なしで生き続けることに中毒していること』を隠しているのです。

よく「息をひきとるようにお亡くなりになりました。」とか言いますね。 馬鹿げたことです。

彼はもはや若い女の子を魅力出来なくなってしまったので、新しい体験を求めてもう一度17歳に成ろうとしただけなのです。

あなた達全員が、「生命には終りがない」と深いレベルでは認識しているのです。

そしてあなた達は、疲れる夢から抜け出る方法は二つしかないことも知っています。 それは目覚めるか死ぬかです。


– but – and – the mind can elect the level it chooses to serve.
The ONLY limit which is put on its choice is that it CANNOT serve two masters.
そしてマインドは、自分が仕えるレベルを選ぶことが出来るのです。
この選択の上に置かれている唯一の限定は「二つの主人に仕えることは出来ない」です。


あなたは「目覚める」と同時に「自分一人の意志を持つ」ことは出来ないのです。
『「神」の意志』と『貴方一人だけの意志』を同時に保つことは出来ません。 


2006年9月8日

The mind, if it elects to do so, becomes a medium by which the Soul creates along the line of its own Creation.
マインドは、そうしようと思ったなら、霊(ソウル)がそれ自身の創造を行う時の媒体に成ることが可能です。


上の文章を良く読んで下さい。

「神」(唯一の創造神)である「マインド」の個人的体験がマインドなのです。
そして、これが(「マインド」体験が)実存する唯一の創造なのです。 
つまり、この宇宙は「マインド」の宇宙なのです。

だからマインドを変えれば、癒しがもたらされるのです。
だから体や状況を診察(調査)することは無意味なのです。

「マインドは、そうしようと思ったなら」?  これは自由意志のように聞えませんか。

その通りです。 しかし、その代償は自由/無償ではないですね。
「神/マインド」に逆らって思考することの代償は狂気なのだから。
これは「自分のやりたいように振舞うこと」のとても高価な代償なのです。

そして(エゴの限られた視界ではなく)「神」を選択することが真の自由で、真の幸福そして真の平和のギフトなのです。

「マインドは、霊(ソウル)が自分勝手な創造を行うことを促進する媒体に成ることが可能です。」

聖書の創世記の第二章では、「神」がアダムを塵から作ったことになっています。
これは「神の子」の創造の媒体としては、おかしくないですか?
これが霊の創造に思えますか。

「神」だけが唯一の霊なのです。 そしてこの聖なる彫刻家は「マインド/愛の実体/生命の流れ」という媒体を使うのです。

これが全創造のために無限の自由/美/永遠を可能にしているのです。


2006年9月16日

If it does not freely elect to do so, it retains its creative POTENTIAL, but places itself under tyrannous rather than genuinely authoritative control.
それが(マインドが)そうする(自分勝手な創造を行う)気持ちになれなければ、それは自身の創造力の可能性を保ちます。 しかし、(目覚めていないマインドはその創造力を)本当に権威を持っている者ではなく、暴君のコントロール下に置いてしまうのです。


エゴのレンズ(卑小な私の感覚)を通して体験されている、あなたの個人性が(その体験の権威者になるのではなく)被害者になることを選択したなら、その体験はもはや神聖なもの(全てを内包しているもの)ではなくなります。

それはもはやリアルではなく、そしてリアリティが見えなくなってしまい、『「そこに本当にあるもの」に対する歪められた感覚』によって隠されてしまいます。

そうなると神の子は暴君(エゴという非情な主人)の統治下に置かれてしまいます。


As a result it imprisons, because such are the dictates of tyrants.
その結果、暴君がマインドを幽閉してしまいます。 何故なら、それが暴君の性質だから。


しかしそれでも自由はあなたの手元にあり続けているのです。
だから、あなたはただマインドを少しシフトするだけで良いのです。


To change your mind means to place it at the disposal of TRUE Authority.
「あなたのマインドを変える」ということは、それを真の権威者のもとにゆだねるということです。


キリストこそがあなたなのです。 そしてキリストというこの権威者が、「あなた/精霊(真のあなたを保っている者)」として統治しているのです。


The miracle is thus a sign that the mind has chosen to be led by Christ in His service.
だから奇跡とは、マインドがキリストに導かれて奉仕することを選んでいる「しるし」なのです。


癒しとエゴの両方を求めている者達には、奇跡は見えないか、見えてもすぐに忘れ去られてしまいます。

しかし、私か精霊に導かれていくことをあなたが選んだなら、あなたの心とマインドの中に奇跡が与えられ、それは決して(あなたから離れて)遠くには行きません。

このようにして奇跡は地獄から出る階段を作るのです。 大きく開かれた天国の扉の前にあなたが来るまで。


The abundance of Christ is the natural result of choosing to follow Him.
キリストの豊かさは、キリストに従おうと選んだ結果として自然にもたらされるものです。


ええ、「キリストは豊かで、私は貧しいものです。」(賛美歌:O Lord I would delight in Thee)31

これは「キリストとして在ること」を選んだ結果として自然に起こることなのです。

ここで一旦止まって、これらの言葉があなたの中に届くようにしなさい。
あなたは、私を崇拝したり賞賛するように求められているのでは無いのです。

あなたは「私=キリストとして存在すること」を求められているのです。

パウロは、ピリピ人への手紙の中で「イエス・キリストの中にいた、そのマインドをあなたの中にも招き入れなさい」“Let that mind be in you, which was also in Christ Jesus.” と書いています。

そして私はここで次のように言っているのです。
「マインド/神」があなたに成ることを許しなさい。 「マインド/神」が私=イエスでもあったように。

どうです、創造の全てにとって、あなたがどれだけ貴重で大切か分かりましたか? あなたはそれほど重要なのです。


ALL shallow roots – the structures the ego has built – must be uprooted, because they are not deep enough to sustain you.
The illusion that shallow roots can be DEEPENED, – that the ego can become permanent – and thus made to hold, is one of the distortions on which the REVERSAL of the Golden Rule rests.
全ての浅い根っ子(エゴが作った構造)は引き抜かれなければいけません。 何故なら、それらはあなたを保持するには浅すぎるのだから。
「浅い根っ子が深くなれる(エゴが永遠の存在になれる)、そして根付く事が出来る」という幻想の歪みの上に、ゴールデン・ルールの逆転が依存しているのです。


そしてゴールデン・ルールの逆転とは自分勝手/利己的に振舞うことです。
これは(与える行為の全てが喜びを増加させている)天国の中では全く理解されていない概念です。

自分勝手/利己的とは、自己撲滅の試み以外の何であり得るでしょうか。
そしてエゴは、これを試みているのです。

しかし、あなたの「自己/セルフ」は安全に保たれ、(あなたが気付くのを)辛抱強く静かに待っています。
そして、あなたの「自己/セルフ」とは精霊なのです。

精霊は、そこから脱走した部分を優しく見守って、それが(あなたが)静かに故郷へ帰って来るよう愛を送っています。


As these false underpinnings are given up, the equilibrium is temporarily experienced as unstable.
これらの間違った基礎(前提)が放棄されたなら、「正しいバランス(均衡)を取り戻すこと」が「不安定な事態」として一時的に体験されます。


エゴは『「神」を選ぶことは危険で気違いじみている』とあなたに思わせようとします。
しかし、あなたはその反対が真実であると知っています。

「神」として(「神」と同様に)「神」と共に在ることの安全と正気が永続し続けるのです。

しかしエゴはしつこくその立場を主張し続け、エゴだけがあなたを安全/正気に保つことができると言い募ります。


2006年9月18 早朝

However, the fact is that NOTHING is less stable than an orientation that is upside down.
しかし、逆さまな「向き/信条」こそが一番不安定なのです。


枝が地に埋まっていて根っ子が地上から生えている樹を考えてみて下さい。
このようなものを安定させようとすれば、ものすごく多くの人工的な補助が必要になることでしょう。


Nor can anything which holds it that way be really conducive to greater stability.
それを(逆さまな信条/信念を)そのまま保持しようと試みても、より本質的な安定をもたらすことにはなりません。


エゴとは人口的な概念、つまり偽物のマインド体験なのです。

44. Miracles arise from a miraculous state of mind.
44. 奇跡は、奇跡的なマインド状態から立ち昇ってくるものです。


なにがマインドを奇跡的にするのでしょうか?

少しの意欲(まだあなたにはぼんやりとしか思い出せていない「愛」=故郷を懐かしむハート)があなたのマインドを奇跡的にします。  
あなたから求められている「少しの意欲」とは無条件の愛のことで。 
それが、『あなたにとって「神」とは何なのか』という(深く隠されてしまっている)気付き/英知をあなたにもたらします。

エゴもまたこれを求め、同意と「愛」(とエゴが勝手に考えているもの)を一生懸命探し続けているのです。


By being one, – and everyone shares this Knowing, no matter how much It has been rejected – and so, because minds are joined – this state of mind goes out to ANYONE, even without the awareness of the miracle worker himself.
人が(「ひとつである」という)奇跡的マインド状態に成れば、このマインド状態は誰にでも与えられるのです。 たとえミラクル・ワーカー(奇跡のために奉仕している人)自身がこのことに気付いていなくとも。


そして全ての人がこの英知/気付きを共有しているのです。
たとえ誰かがとても強く「ひとつに成ること」を拒否していたとしても、
マインドは一つに繋がっているので、もう一人の人が「ひとつに成り」さえすれば、これが達成されます。


The impersonal nature of miracles is because the Atonement itself is one, uniting all creations with their Creator.
奇跡が非個人的な特質を持っているのは、アトーンメント(和解)そのものが「ひとつのもの」で、「創造の全て」と「その創造者」をひとつに結び付けているからです。


ここで「非個人的」と言っているのは、冷たく/非人間的という意味ではなく、差別しない/普遍的/全体的という意味なのです。

奇跡は全ての人に与えられています。

この点はいくら強調してもまだ足りません。
奇跡は全ての人のためにあるのです。
奇跡が与えられていない人など居ないのです。

(罪人の世界と呼ばれている)あなたの世界では「癒やしや良きことを得られるようになる前に、それらにふさわしく成らなければいけない」という概念がとても強く保持されていますが、これは全く馬鹿げています。

全ての人が癒しにあたいします。
奇跡を受け取るか拒否するかは、あなた自身が選択しているのです。

奇跡はあらゆる所にいま、いま、いま、いま、与えられ続けているのです。

エゴという錯覚/幻想だけが、あなたと奇跡(あなたの人生の中に奇跡が広がっていくこと)の間に立ちふさがっているのです。


45. The miracle is an expression of an inner awareness of Christ, – a saying “Yes” to God – and the acceptance of His Atonement.
45. 奇跡は、キリストに対する内なる気付き(「神」に対して「イエス」と言うこと)の表現であって、それはキリストのアトーンメント(和解/仲裁)を受け入れることなのです。


そしてアトーンメントとは「キリスト」と「あなた」と「全ての存在」とのワンネス(一体性/ひとつであること)なのです。 全てがあなたで、あなたがワンネスです。
そして「あなた」と「キリスト」と「全て」とのワンネスも(あなたの中にあるもの全ても)またアトーンメントなのです。

アトーンメントとは『「特別性」の追求(他者よりも優れたものに成ろうとすること)を放棄すること』で、それは全体の中のあなた(の位置/責任/任務)を喜んで抱擁する(受け入れる)ことなのです。
あなたは(全体に対するあなたの関わり合いは)創造(という聖なるファミリー)から絶対的に必要とされているものなのです。

これが「愛」を受け入れることなのです。 何故なら「愛」が「神」だから。 そして、あなたがこのように「愛」している時、あなたもまたこの「愛」なのです。


2006年9月19日

The mind is then in a state of grace, and naturally becomes gracious, both to the Host within and the stranger without.
そうなればマインドが恩寵の状態になり、「内なるホスト」と「外の他の人」の両方に対して自然と慈悲深く親切になります。


慈悲深くなるとは、自分から喜んで「愛」を拡張する(「愛」を差し出す)ことです。

「愛」が包括的になった時(他を受け入れられるようになった時)、これが起こるのです。
これがわたし達の言おうとしていることです。

排他的な「特別な愛」ではなく、全てを受け入れる「愛」が必要なのです。
「愛」の本来の性質は受け入れることです。


By bringing in the stranger, he becomes your brother.
(「愛」は)他者を招き入れて、その人があなたの兄弟になるのです。


こうして、その人があなたの大切で不可欠な一部になり、その人なしではあなたは不完全だということに気付くのです。


46. A miracle is never lost.
It touches many people you do not even know, and sometimes produces undreamed of changes – the butterfly effect – in forces of which you are not even aware.
46. 奇跡は決して失われることがありません。
それはあなたの知らない人達にも影響(バラフライ効果=連鎖反応)を与え、時にはあなたが気付いていない力を用いて、思っても見なかった変化をもたらします。


あなたが植えたフジウツギの上に夢見るようにとまっていた蝶がいましたね。 フジウツギのむせるような香りを吸い込みながらそこにいた蝶が、テキサスで起こったかもしれないハリケーンを回避させたのです。


That is not your concern. The miracle will always bless YOU.
それはあなたが気にすべきことではありません。 奇跡は常にあなたを祝福するのだから。


何故でしょうか? その理由は「一人を祝福するものは、全てを祝福するから」です。

そしてあなたは、これが(奇跡の連鎖反応が)あなたの人生/生命の中に直接明確に現れているのを見るでしょう。 たとえあなたが、テキサスや蝶から離れているように見えても。


The miracles you are NOT asked to perform have not lost their value.
あなたが行うように求められなかった奇跡も、その価値を失ったわけではありません。


「あなたが行うように求められなかった奇跡」とはなんでしょうか?

それは、あなたの兄弟が求めなかった奇跡です。
それは(もう少し痛みの中にまどろんでいようとして)あなたの姉妹が目をそむけてしまった奇跡です。


They are still expressions of your own state of grace,
それらはそれでも、あなたの恩寵の状態の表現なのです。


「あなたの恩寵の状態」?
奇跡を受け入れたくないと考えている兄弟姉妹によっても、あなたの価値が軽減されることはなく、良きことだけを意図しているあなたによって彼/彼女も高められるのです。

これを可能にするには、あなたが(神/精霊/ガイド=キリストに)降参する必要があるのです。
あなたは兄弟姉妹のために忍耐強く待てるようになる必要があるのです。
あなたはその可能性を既に持っています。


but the ACTION aspect of the miracle should be Christ-controlled because of His complete awareness of the Whole Plan.
The impersonal nature of miracle-mindedness ensures YOUR grace, but only Christ is in a position to know where grace can be BESTOWED.
しかし奇跡を起こす行動に関しては、プランの全容を知っているキリストにコントロールさせるべきなのです。
奇跡的マインドの(奇跡を志向することから来る)非個人的性質が、あなたの恩寵を保障しています。 しかしキリストだけが、恩寵がどこに与えられるのか知っているのです。


これはより正確には、「しかしキリストだけが、どこで恩寵が受け取られるか知っているのです。」と書かれるべきでした。

何故なら恩寵は常に与えられ続けているのだから。


47. Miracle-mindedness means miracle-readiness.
47. 奇跡的マインド(奇跡志向)とは「奇跡への準備が出来ていること」です。


つまり:
あなたは、奇跡を得る準備が出来ていますか? あなたは、ものごとに対する信念、ものごとのあるべき姿に対する自分の信念を放棄することが出来ますか? あなたは、全ての奇跡の後ろにある「愛」を認める準備が出来ていますか?
準備が出来ていることを確実にするためには、どのような意識をもつべきなのでしょうか?


Readiness means that you should always keep your perceptions straight, so that you will ALWAYS be ready, willing and able.
「準備が出来ている」とは、何時でもあなたの準備が整っており、何時でも奇跡に対して意欲と能力を与えられるよう、常に自分の知覚を真っ直ぐにしておくことです。


そしてあなたの知覚を真っ直ぐに保つためには、(自己定義から)伸び出して(精霊と)繋がり、子供のように「これは何なのかしら? ここでは何が起こっているのですか?」と訊ねる意欲を持ち続けることです。


These are the essentials for “listen, learn and do.”
これらが「聞いて、学び、行う」の必修事項です。


聞く意志を持てるようになれたなら、あなたは学び始めるでしょう。

そして「どうすれば良いか」学んだなら、あなたは「自分が学んだこと」を実践し始めます。
そして、「学んだこと」を「行うこと」だけがあなたの喜びになるのです。


2006年9月20日

You must be READY to listen, WILLING to learn, and ABLE to do.
あなたは聞く意欲を整え、学ぶ意欲を持ち、聞いて学んだことを実践できなければいけません。


この点が強調されているのは、「聞き/学び/実践する」ことに対する意欲/決意がなければ、奇跡は見えず体験もされないからです。

奇跡とは「無限の良きこと」の別名です。 それは、何時でも何時までも存在し続けている(何時でも体験することの出来る)「良きこと」です。

この体験を可能にするのは何なのでしょうか? それはあなたの意欲です。

あなたは「今までは可能だと自分では思っていなかったこと」を見る気になれるでしょうか?

「あなたの信念システム(世界観/宗教観)」と「奇跡がもたらす癒やし」のどちらがあなたにとってより大切ですか?

「奇跡に対するあなたの意欲」を阻止するものは、「状況や他者をコントロールしようとする欲望」だけではないでしょうか?

それは、あなた達全員が作り上げた世界(古代の契約のもとに合意されている世界)に対するコントロールです。 この世界は(あなた達の定義は)、始めから痛みしかもたらしてきませんでした。

あなたの見ている世界(世界に対するあなたの見方)はリアルではありません。 何故ならそれは奇跡を否定しているものだから。 それだけでなく、「あなたの見ている世界」(世界に対するあなたの見方)は奇跡を回避しようとする試みなのです。

それは(それが「神」から程遠いチャンネルを経由して届くのでない限り)癒やしを否定してしまいます。 往々にして、祈りを通したあなたの癒やしさえ、「神」を避ける試みなのです。

そこでは、一人の物理的な人が、もう一人の物理的な人のために「神」に祈って、「法則と呼ばれているもの」と「その人に与えられている劣化の傾向」を無効にしようとしているように見えます。

そうしている間は、「いったいどうして、愛に溢れているはずの父/母(神)が子供を病気にしたのか」(どうして病というようなことが在り得るのか)誰も訊ねたいとは思っていません。

そうして、この気まぐれで感情的な父に対して(「不明瞭なルール」を侵害してしまった罰を受けている)病人を赦して欲しいという惨めな祈りが上げられるのです。

そして「善良な人が死んでいるのに、罪人が癒やされている」と考えて人々は余計に混乱してしまうのです。

何故なら、「病人には自分の運命を選ぶことが出来ない」と信じられているから。 しかしそれは真実ではありません。


Only the last – being able to do – is involuntary, because it is the APPLICATION of miracles which must be Christcontrolled.
The other two, which are the VOLUNTARY aspects of miracle-mindedness, ARE up to you.
最後だけが(実践することだけが)自動的に(あなたの意志に反して)起こるのです。 何故なら、奇跡の適用(奇跡を使うこと)こそキリストのコントロール下に置かれるべきなのだから。
残りの二つ(聞くこと/学ぶこと)は、奇跡的マインドの自発的要素で、あなたは自分からそれを行う必要があります。


しかし、ここでもあなたは譲る必要があります。
譲って一歩下がり、キリストがあなたに成ることを許可するのです。

だから、あなたは常に「奇跡」か「あなたの痛み」のどちらかを選んでいるのです。

そして、その時、あなたは兄弟姉妹のためにも選んでいるのです。

コントロールは痛みしかもたらしません。 
しかし「喜んで譲ること」により(本当は常に存在している)癒しが見えるようになるのです。


岡上浩巳 翻訳

残念ながらこのウェブ上では、「サン~ローズがイエスからのインスピレーションをもとにACIMテキストの中に挿入した文」と「前から存在しているACIMテキスト」が見分けにくくなっています。 

テキストの見直しは賀来さん、マキさんにお願いしました。ありがとうございます。

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

プロフィール

翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

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