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第二章

1991年 1月5日 土曜


ラジ:  ではもう一歩先に進めましょう。

貴方は「ある種の状況では、ガイダンス(指示)を聞き入れる事が出来ない」と言わなくなる必要があります。

貴方が考えている障害の一部は、身体に関する状況です。 
貴方が何かの行動をしていた場合、ガイダンスを聞く為には「その行動を止めて座り、自分の行動を意識しなくて良い状況を作る必要がある」と貴方は考えています。

しかし、例えば貴方は自分の中心を意識して(センタリングして)、なおかつワークショップに必要な行動をして来ました。

ワークショップ中には身体を色々と動かす事になります。 それらの行動はセンタリングを妨げるものではなく、中心を意識する事を妨害はしません。 体の動きそのものは、中心を意識する事を妨げるものではありません。

必要なのは「無条件の許可を与える事」なのです。それが出来ればジョギングしながらでもガイダンスを聞くことが出来ます。
身体を忙しく働かせている事は、(ガイダンスを)聞く事の障害にはなりません。

センタリング(自分の中心に居る事)やガイダンスを体験している時にも、貴方は(自分の注意を動きに与えずに)身体的に動いている事が可能です。 何故なら体の動きそれ自体は「問題/主題ではない」からです。

体と体の動きは「見れるもの/触れるもの」を示し、(貴方が「聞いている」結果として、あなた自身が「知っている」事)その体験/表現を可能にする目的だけの為に存在しています。

全てのもの/全ての形は「知っている事/状態」の動きの表現、つまり「自身」の動きの表現なのです。

「知っている事/知っている状態」と共に居て、「知っている事」から存在していなさい。何故なら、そうすれば『「自己」に対する誤認識故に形にこだわり続ける事』が止まるので、全ての形が「存在」を示すように成るからです。

私がこの事を言っている理由は、貴方が「思考」から「知っている事/知っている状態」へとシフトする時、『貴方は「自身」に対して無意識に成ってしまう事はなく、体に対して無意識に成る事もない』と明確に解っている必要があるからです。 

つまり「自身」と「体」が(物質的)体と同一視されなく成るだけなのです。

自意識と身体意識が二次的なものになり、最終的には「知っている事」の「行動」の中でそれらは存在しなく成るのです。

しかしそれでも意識は、完全なアイデンティティそして(自己)認識と共に体験されるのです。 これも重要なポイントです。

我々が定期的に会話するのは大切な事です。 瞑想が「中心にいる(センタリングしている)体験」を貴方に思い出させる様に、我々の会話は「知っている事」の体験の性質/本質を貴方に思い出させます。

これ(我々の対話)がその純粋な喜び/整合性/自然さに対するクリアな視点を貴方にもたらします。

そして『この体験の中でも「自身」(アイデンティティと自己認識、「マインドと体」と呼ぶ事も可能です)の体験は全く失われない事』を貴方に思い出させます。

この体験は、貴方の(偽りのアイデンティティである)「相棒」やその「判断/裁き」やその分離感覚を表現せず、それらを成立もさません。

これを貴方に思い出させて、「分離/分割されていない事が望ましい。恐れを感じず、忙しく(偽りの)自己を表明し続けようとせず、不能も体験しない事が望ましい。(偽りのアイデンティティである)相棒を手放す事が望ましい。」と貴方に実感させる事が重要なのです。


『貴方が「知っている事」に成っている時に可能な』統一/統合(Integrity)の体験だけが、「無知や恐れに(シフトして)戻りたい」という願いを喜んで放棄出来る様に促進するのです。

貴方が何かに慣れ親しんでいたとしても、その何かが望むべき事であるとは限りません。

それが心地良い場合もあるでしょうが、それは満たされた(満足の)フィーリングをもたらしません。 何故なら、それは成就(満たし満たされる事)を抱擁(内包)していないから。

それ(無知や恐れ)は調和/一致や合一/統一の体験ではないのです。

貴方が(今)慣れ親しんでいるものは『貴方の「存在」の平和』はもたらしません。

貴方の「存在」の平和を貴方が感じている時(貴方がそれを今感じている様に)、「貴方の慣れ親しんで来たものは、この体験を含んでは居ない」と貴方にも明確に解ります。

貴方がプライベートな会話を行っている時にも、より注意深くしていなさい。 何故なら、そうしている時にも貴方は(その時同時に)この成就この調和を体験してるのだから。

しかし貴方はまだこの恩寵を完全には受け取っていません。
何故なら、貴方が「ドア/通り口」として立っている事が、貴方が(ドアとして立つ事により)「真理の声」の現れに成っている事が、『「存在」に対する貴方のリアルな意識体験』を作っていると貴方は未だ気付いていないから。

貴方はこれ(ドアとして立っている事)を「貴方」のリアリティとしてではなく、「実際に行われている何かリアルな事(#2)」の「楽しい副作用」のように考えてしまっています。

『貴方が体験している成就は、貴方が貴方「自身」と調和/同一化する体験である』と言う事実に注意を払いそれを認めれば、『「自身」の本質/整合性(integrity)は私や貴方{のパーソナリティ}から発生しているものではない』と解る事でしょう。

それ(成就/「貴方」)こそが「貴方」のリアルな体験なので、会話が終った後(あるいは一日の終わりに)それを手放してしまい、後に残ったもの(つまり幻想の相棒)が自分だという考えに戻る必要は無いのです。

[クリスが部屋に入って来て(ポールに)質問する。]

今貴方はクリスによって「中断」されました。 しかし、貴方は「我々の会話からかけ離れた中断」としてそれに対処はしませんでした。

貴方は、比較的簡単に自分の中心から「自分がクリスと対話している事」を見ました。 その結果「中断」はとても短いものでした。

しかし、もし貴方がこれを妨害と考えてこれに対応し、(少しの嫌気と共に)自分の注意をセンター(中心)から外部の注意力へとシフトさせてしまっていたなら、この出来事はより長引き、クリストファーは貴方に無視された様に感じた事でしょう。

貴方の「中心」に居て、そこから行動すれば、体験はシンプルにクリアにフルになります。

貴方は眼を開いたまま、貴方の「中心」に居続ける事を学ばなければいけません。

バイオフィードバックに関する貴方の体験(ビジュアルな体験はとても刺激的で、故に「ゼータ帯域やデルタ帯域から出る事」を妨げてしまう様に見える事)から受けた印象とは相反するかもしれませんが、実際には「貴方が自分の注意を置いている所」がより重要なのです。

貴方の注意が『「中心にいる事」の入り口』に向けられているか、それとも「刺激の入り口」に向けられているか、が違いをもたらします。

「刺激の入り口/境目」は体と関連した状態でしか意味を持っている様には見えません。
体はそれ自体で感じることが出来、意識を持つことが出来る(様に見えていますが)、その様な機能を持ってはいません。 体はただ単に(「知っている事」の結果として体験される)「意味」の表現の見える様/触れる様なのです。

「視覚的刺激が、中心に居る事の邪魔に成る」と言い立てる貴方の体験と知識に(惑わされて)、眼を開けて震わせる必要はありません。

「クリスが部屋に入って来た時の様な(そして今も起こっている様な(#3))」世界の中の行動が、「ドア」と成って立つ貴方の能力に影響を与える事が無い様に、視覚的な刺激がが(ドアとして立っている貴方の)邪魔に成る事もありません。

その様な環境的要素が邪魔に成ると貴方が考え、その様に貴方が結論を出してしまい、『「知りたい」という望みを表現する事』(それが「知っている事」が起こる事に対して許可を与えた事に成るのです)を控えた時にのみ、その様に(「知っている事」の邪魔に成っている様に)見えるのです。

貴方には既に必要な要素が(実体験として)揃っており、貴方はそれらに慣れ親しんでいます。

我々はただ単に、これらの要素を前に出して貴方に見える様にして、貴方が条件付けやエゴの古い性癖に捕らわれる事無く、思考から「知っている事」へと重心をシフト出来る様にしているのです。

貴方は一日中コーヒーを飲み、我々の会話中もタバコを吸い続けています。
それらも「動き」です。 それらは内部的そして外部的な行動なのです。
貴方はそれらが、「中心に居て(センタリングしていて)聴いている事」の障害に成るとは解釈していません。

しかしそれら(コーヒーを飲む、タバコを吸うなど)の行動は、コミュニケーションの一部ではありません。
貴方は頭を掻いたり、体を動かしたりしており、それらはコミュニケーションの一部ではありません。

貴方は『「知っている事」の表現とは直接関連していない日常的動き』が、「中心に居る事」に影響を与えるとは考えていません。

貴方はこれらの会話やワークショップをしている時には平安でいます、何故ならそれらは教育プロセス(と私が呼んでいるもの)、つまり特定の焦点の定まった「愛の表現」を伝えているからです。

しかし貴方は、クリスと一緒に居る時や晩御飯を食べている時や友達と一緒に居る時に「中心に居る事」を見つけることが出来ていません。

(ワークショップや我々の会話以外の時には)「自分の中心に居て、そこから世界に存在する事が(その為の基準が)」貴方には見つけられていません。

しかし私が指摘した様に、中心に居ても貴方は「頭を掻いたり」、今さっきした様に「舌を使って食べ物のカスを出したり」、コーヒーを飲んだり、(「教える事」なく)さっき部屋に入ってきたクリストファーと話したりする事が問題なく出来ています。
貴方はこれらの様な事柄の中でも「中心にいる事」が出来ています。

これらの実例を基にして貴方は、(我々の会話やワークショップの時以外にも)体験のレベルにおいて目覚めてこの世界に居る事、貴方の「中心」からこの世界に居る事が出来る様に成らなければいけません。

貴方は「知っている事」の視点から、その他の日常的状況の中に存在出来る様に成らなければいけません(貴方の「相棒の条件付けやその伝統的な反応」に依存する事に戻るのではなく)。

こうしなければ貴方は、『貴方の「知っている事」』から存在する事に慣れ、『貴方の「知っている事」』を探求し始められないのです。

『「知っている事」から存在する事』が、必ずしも問題を解決する事に成るとは限りませんが、貴方が今までにこれを体験して来た99%は「問題解決」と関連していました。

貴方はどの様にして「中心」から晩御飯を食べるのでしょうか?
貴方はどの様にして「中心」からオセロ・ゲームをするのでしょうか?
貴方はどの様にして「中心」から誰かを抱擁するのでしょうか?
貴方はどの様にして「中心」から風景を眺めるのでしょうか?

私は答えは言いません。
私に言える事は「それを探求しなさい!」です。

目的意識を持って、それを探索しなさい。 貴方が(意識的に)ワークショップや我々の会話を自分の「中心」からしている時の様に。

ここではこれが貴方にとってキーと成るので、次の事を覚えておきなさい。

これ(全てを中心から体験/行動する事)をしたなら貴方は、貴方の「存在」の平和/調和/統合性を体験します。

それは満たされる体験であり、それは(恐れ/不能感覚/相棒の全ての性質などを外した)「自身」の体験なのです。

貴方が「考え」出したら、スーザンがそれを指摘して貴方を助ける事を私は奨励します。

ポール、貴方の相棒(偽りの貴方)が独善的に自己防衛し始めた時、その行動を自分のものと考えそれにエネルギー(感情)を与えたなら、貴方は貴方「自身」の体験/貴方の統合性の体験/貴方の平和の体験/貴方が満たされる(成就の)体験を貴方から隠してしまう事に成ります。

この会話の間、貴方は疑いを体験しています。 しかし貴方はその疑いにエネルギーを与えておらず、それを脇に退けています。 これは良い事です。
もし貴方が自分の疑いにエネルギーを与えたなら{疑いに感情を与えて活性化したなら}、貴方は「知っている事」を体験する事は出来ません。
これを覚えていてください。

貴方は解析的/論理的に理解する必要はありません。 理解が一番重要な事では無いのです。
重要なのは貴方の「平和」を体験する事です。 重要なのは貴方の調和の体験です。
重要なのは貴方の「整合性(Integrity)」(それはフィーリングです)なのです。

(矛盾に歪められていない)そのフィーリングの現れの中で、貴方は「真理」の透明度なのです(貴方は透明な真理なのです)。

貴方は表現されている「理解」であり、表現している「理解」なのです。
しかし理解は所有物ではありません。

だから貴方が理解したければ、「理解しようとする」のは止めて、「知っている事」を招き入れなさい。
[無言]

ポール: 終わったんですか?

ラジ: いいえ。言い終わっていません。
今言った事を私は浸透させているのです。

良いです。 貴方が居る所に、自分を居させなさい。
次に起こる事を掴もうとしたり、既に起こった事を掴もうとする事は止めなさい。
私が言った事を浸透させている時、貴方は「私がその次に言う事」に注意を払い続けました。
貴方は「私の言った事」を掴もうとせず、それを意識的に体現しようとはしませんでした。 つまり貴方もそれを浸透させたのです。

他の事柄が(次に起こるだろう事が)急務を要する様に見えていた時も、貴方はそれにエネルギーを与えませんでした。 その時貴方は、多くの質問の忙しい表現で一杯には成りませんでした。

貴方は私と共に居続けて、次の言葉/次の「知っている事」(それがいつ起こるにしろ)を聴き続けました。

ポール、ここに貴方の平和があるのです。『「知っている事」が体験されている』今に貴方の静かな注意を与え続け、今にあり続ける意志の中に、貴方の平和があるのです。

ここ以外に貴方が居られる場所をありません。 貴方が居るべきところはここ以外にはありません。

今晩は、(貴方の思考ではなく)『貴方の「知っている事」』の中から存在する事、を探索してください。

貴方はテストされる訳ではなく、評価される訳でもありません。

ただ単に、それを探索しなさい。 これを探索していけば、全てのものに用途がある事が解り、より深い意味や関係などは後に明確に成るでしょう。 

そして私に質問してください。 今までの訊ね聞くプロセスが今後変化するに違いないと決め付けるのは止めなさい。

貴方は分解/分離されている訳ではありません。 貴方は私から独立して、私に二度と訊ねない様に成る訳ではありません。

貴方が訊ねていて私が答えている時、それは「貴方」が答えて居るのです。
そして「貴方」が答えている時、私が答えて居るのです。
これが解るように成って下さい。

だから、これら全ては(ただ単に「貴方が情報を得て、貴方の神聖を体験出来る様」に助けているだけではなく)貴方の神聖の実際的体験として完全に貴方と繋がって居るのです。

貴方は自分にとって前例のない事を体験しています。 だから貴方はそれに対してすぐ引き出せる反応/理解を持っておらず、機械的に落ち着きを取り戻したり適切に対応する事は出来ないのです。

貴方は最終的に理解に辿り付く訳ではない事を強調して置きましょう。
理解にたどり着く事がゴールなのではありません。

何故なら、「生命/人生」は概念内で動き開き続けている(開示されている)ものではないからです。 「生命」は「存在」の「絶対的に原初の動き」を反映している、動きなのです。

だからここでのゴールは、ゴールを持たずに今に居続け、「存在」の動きとその意図をサポートする為に立ち続ける事です。 「存在」は決して概念に閉じ込められる事は無く、常に原初(オリジナル)の開示を完全に表現しているのです。

だから(予測不可能なオリジナリティが起こっている)「確定されていないポイント/入り口/分岐点(スーザンはこれを今朝「波の頭」と言いました)」に立っていなさい。


さて、経済的な悩みがあるでしょう。 この悩み/不安は思考から出てきています。

今の時点で、貴方は自身を「知っている事」に対してオープンにしています。
貴方/私として示されている「知っている事」は、お金について示して(話して)いませんね?
だから、これは問題ではないのです。 {だから、これは今我々が注意を払うべき事ではないのです。}

これは調和/一致が求められている所ではありません。 これに関する調和/一致は求められては居ないのです。

我々が話している事は、貴方の経済に(そして他の事にも)直接関係しています。

エゴだけが(幻想の)相棒だけが、「知っている事」が「問題である様に見えているもの」に対処する様に求めるのです。
「知っている事」は問題を認めません。 「知っている事」は解決/回答だけを示すのです。

明日貴方と会話を続けられる事を楽しみにしています。


(#2)これはラジのことを言っています。
(#3)隣で新しい家を建てている音がしていました。

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テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

第一章

卒業 (Graduation)


1991年1月4日 金曜
 

Raj: 沢山話すべき事があります。 だから私と毎日話す時間を十分に取ってください。

私と話している時には、邪魔が入らないようお願いします。 これは命令ではありません。

これは下準備の様なものです。 「毎日我々が一緒に時間を過ごすより大切な事はない」と貴方が考えるように成って欲しいのです。

我々が一緒に過ごす時間が、貴方の他の大事な事を妨げている、あるいはこれ以上に重要な事が存在していて、我々の会話がそれを邪魔している、と考えるように成っては意味がありません。

平和な気持ちで「大いなる自身」に貴方自身を捧げられるように成って欲しいのです。

この一連の会話は卒業と名付けましょう。

この会話は常に(貴方の奥さんの)スーザンも聞いている訳ですが、それ以外の人に話すのは今の時点では止めてください。 スーザン、貴方が居る時に全ての会話が行なわれるとは限りませんが、貴方は全ての会話を聞く事を許されています。

―――――――――――――――――――――――――

さて、ここにある興奮や恐怖は貴方が感じているのではなく、エゴ=「幻想上の(貴方の)相棒」が感じているのです。

「幻想の相棒」とは、(まだ目覚めていない)貴方やその他の人達が自分の人格に付随していると考えているものの事です。

実際のところ貴方達は、この「幻想の相棒」こそが自分達だと考えています。

今貴方が感じている興奮は、これから聞く事が「不思議なもので、もしかしたら危険な事かもしれない」と言う「感じ」から来ています。 この危険はスリルの感覚も伴っています。 エゴは少しの怯えを楽しむものです。 怯えや危険は、チャレンジする意欲を掻き立てます。 しかしそれらは全て嘘でしかありません。

卒業(この本の原題は卒業です)。 貴方はどの様な状態へと卒業していく事が可能なのでしょうか? 卒業とは学習のプロセス、学びのプロセスを解き放っていく事ではないでしょうか?

エゴのセルフ(分離感覚に基づいた自己認識)に入って行く事は学業を始めるときに似ています。 そして貴方がエゴの感覚を放棄し、(エゴとして)物事を知り(学び)続ける事を放棄した時に卒業が始まります。

これは「貴方の存在」の基本的/根源的な完全性に戻っていくプロセスなのです。 これは「貴方が今までエゴとして学習してきた事」を全て無に戻すプロセスです。

(貴方が)学習に与えた価値を手放す事が卒業の意味です。

しかし人は学習を無効にする事で卒業できるように成るのではありません。
原初的なもの/必然的なもの/根源の存在の価値を認められる様に成らなければいけません。 それが学習プロセスや(学習により確立されて見える)アイデンティティ(自己定義)よりも大切だと気づき、その結果として卒業出来るように成るのです。

だから人は「何か学習を超越していること」を大切に思えるようになった時卒業する事が出来るのです。 学習以上に意味のある事が存在する故に、学習の無効化が可能なのです。
だから一生懸命学習を無効化しようと努力しても無駄です。

卒業とは思考から存在(ある/いる、という事)へとシフトする事です。

これは貴方にとって、全く知らない事、全く判らない事、全く経験の無い事ではありません。 貴方が訊ねて聞いている時、貴方はマインドの外に居る体験をしているのです。

これが思考を放棄するという事です。 思考を放棄して、それでも意識を保ち「知っている」(Knowing)という体験(それを貴方はガイドと呼んでいます)との繋がりを保ち続けるのです。

私は貴方達二人が話しを聞いている事を認識しています。 スーザン、貴方にとってもこれは意味を持つ様に成ります。 しかし現時点ではポールの卒業を主眼に置いて話しています。

こう私が言っているのは、ポールが私の話しを聞いている時「これがスーザンにとってどんな意味を持っているか?」とか「スーザンがこれにどう反応するだろうか?」と考えて脱線して欲しくないからです。

もちろんポールが私の言う事の意味を掴み取って行くに従い、貴方(スーザン)の反応を気にしているポールの側面(心もち)も減っていきます。

しかし「今聞いている事は他の人にとってどの様に聞こえるだろうか?」と思い悩む事無く、ポールには集中して聞いて欲しいのです。

重要なのは、私の言う事が「ポールにどの様に聞こえるか」です。 私の言う事が「ポールにどの様に聞こえるか」が彼の内なる動きを促進します。 

さてポール、この9年間で貴方にはシフトをする為に必要な要素が既にそろっています。

貴方が訊ねて答えを聞いていた時、貴方は聞くことによって「知っている体験」(Experience of Knowing)をしていたのです(「知っている所から体験する事」をしていたのです。)。

これは私から貴方へのギフトという訳ではありません。 何故なら私は「貴方から分離した存在」として、貴方に何かを与える事は出来ないからです。

貴方が、卑小な取るに足らない下らない者として何か素晴らしいギフト(貴方から分離したもの)を受け取ったわけではないのです。

そうではなく、これは『貴方が「自身(セルフ)」を直接体験した』という事なのです。

これは貴方の幻想の「相棒」、「ブンブン忙しいポール」が力を失いつつあると言う事です。

{貴方が独立/分離した者として世界に存在しているという}この見かけ上の「事実」が消え始めています。 それ故に、自分がどこにどの様に所属しているか、自分が何者か、知ろうとする欲求が高まっています。 これらの質問への回答を求め続ける事は不毛であり、不適切です。 貴方は何処へも行く訳ではないのだから。

幻想の相棒(つまり間違った自己意識)が行なってきた思考は、貴方自身の直接体験から来る「Knowing(知っていること)」に取って代わられるでしょう。

「貴方が私と話しているかの様に」見えていて、無限の「知っている事」から何を得ている様に感じていた時、貴方は「貴方」と繋がっていたのです、それが貴方の本質なのです。
しかし貴方が「幻想の自分自身」と自己同一し続けている限り、貴方にはこれ(知っている事)が自分自身と繋がる事とは感じられず、これをする事によって「自分自身がより意味の無いものに成って行く」感じがするのです。

ここでの卒業には思考を放棄して、常時聞き続けることが必要なのです。 考える必要を感じた時には、立ち止まって「知りたい」と願いなさい。

このとき質問者(疑問を感じている貴方)に注意を払い続けないことが重要です。

知りたいという望みは、質問者の存在を認めるものではありません。 このポイントを理解する事がとても重要です。 


〔「知りたいと望む」事は、単に「知る事を許可する」方法なのです。〕

上記はもしかしたら、一番大切な(一番変容をもたらす)真理の言葉です。 リアリティを貴方に指し示す一番力強い言葉です。

『「誰が質問をしているのか?」理解しようとする試み』から、間違った幻想の自己感覚が生じています。

人は、質問について分析する事で、質問者が恐れており、妬んでおり、慢心しており、要求しているという結論に達してしまいます。

しかしこれは鏡を使って、「直接には見えない角度に存在すると考えられているもの」を見ようとする様な試みです。

この質問の性質から浮かび上がってくる「質問者の特質」は間違ったもの以外には成り得ません。

これは失楽園と呼ばれている事態を説明しています。 人がリアリティに対して無知になる方法がこれ(質問を解析し質問者の虚像を作る事)なのです。

本当は、「質問する事」とは「知っているという体験」をする許可を(自分自身に)与える事にしか過ぎないのです。

だから、質問(を解析する事)によって質問者の性質を知ろうとする試みは、質問の本当の意味(知る体験を許可する事)から注意を逸らしてしまい、「知っている事」に到達する事を阻んでしまいます。

質問の本当の意味とは、質問の本当の目的とは、知る事の体験を(自分に)許す事です。

こうして貴方「自身の体験」が隠され続けてしまいます。 4次元意識の存在体験が、「実際には存在していないもの」の鏡像の中に隠されて続けてしまいます。

だからこの卒業は、リアリティに自身を与え、幻想の自己感覚を放棄する事により行われます。

「知っていること」を選ぶことにより、卒業が可能になります。

私が「貴方は貴方「自身」以外のものを聞いている訳ではなく、そこに不明確な聴講者がいる訳でもない」と知らせたので、貴方はこの選択を容易にすることが出来るはずです。

知っている体験をする事とは、「自身」を真に体験する事であり、誰か他の素晴らしい者を体験する事ではありません。

リアル(でない)ものに、投資し続け、それを信じ、それに関わり続ける必要があるでしょうか?  リアルではないものを信じ続けて、真に貴方のものには成らない価値を借り受けて、不能と限界の偽りの感覚を自分にもたらし続ける必要があるでしょうか?

過去に貴方が思考をいだき、論理を使用し、結論付け、その結論を表現した時、
貴方は権威/尊厳を感じ、自分が「原作者」だと感じていました。

貴方はこの感覚に耽溺し中毒しているのです。

この原作者としての感覚が、貴方のプライドの根源で、貴方に自信をもたらしています。 これが貴方を釣っている餌なのです。

この感覚このプライド故に貴方は「知っている体験」に価値を見出せなくなっているのです。 何故なら「知っている体験」の中では、原作者の感覚は働かないからです。

「知っていること」に対して著作権(権利)を主張できる感覚は起こらないのです。

何故なら「知っている事」は、なにか限定された体験ではないからです。 それは何か限定された(特定できる)対象物に関する体験ではないのです。

限定されておらず区切られていない「知っていること」には著作者の感覚は付随していません。

著作者の感覚を得るには、体験に対する「限定された原因」が必要になるのです。 それには、他の「限定された原因」から分離している必要があるのです。
著作者の感覚は、(重い密度と共に)客観的存在を示唆します。 つまり著作者の感覚が、限定された存在をもたらすのです。

「知っている体験」の中には中毒的要素はありませんが、思考/論理/結論付け/結論表明の体験に中毒依存してしまう事はたやすいのです。

中毒とは、「中毒性を持っているもの」がスリル(それ以外のものでは得れらない全能感覚)を提供することで成り立っています。

だから卒業と、そして「知っている事」へ関わり続ける決意は、意味ある事全てを放棄する事の様に感じられるのです。 「個人的著作(世界を個人的考えで塗りつぶしていく事)により、もたらされている尊厳と意味」がなくなってしまうと感じるのです。

考え/理由付け/結論を出す、つまり「判断を下す」事は、「知っている事」に取って代わられます。

そして思考/理由付け/判断の後に続く行動と言葉は、貴方が知っている「知っている事」によって置き換えられます。  それは貴方が「聞いた事」を、後日真似て言う事とは違います。

その時貴方は常時チャネリングしている様に見えるかもしれません。その様に考える事も可能で、そう考える事は間違ってはいません。

しかしチャネリングとは何でしょうか?
チャネリングとは、貴方が個人では責任を負い切れない事(自分で考えたのではない事)を表現することです。

チャネリングしている時、貴方は計算したりコントロールしたりしていません。
「その状態こそがリアルな貴方を現している」と私は今まで言って来たのです。 

思考/計算/判断する貴方、貴方がこれこそ自分(ポール)だと思ってきた貴方は、幻想の相棒で、最終的には意味の無い余計な荷物でしかないのです。

今までの9年の体験によって貴方は、「以上の事を聞いて」それが完全に正しと理解し、「それによって貴方は脅かされない/危険な状態には至らない」と理解出来る様に成っています。

そして貴方は未だに私を聞いていますね? 貴方は今でも、ここで起こって居る事を「あたかも貴方が私を聞いているように」概念化して受け取り、より沢山を聞こうとし続けています。

これは貴方が完全に許可しているという意味で、素晴らしい事です。

しかし貴方が聞いているのは貴方自身であって、これは「貴方の本質」を示す統合の体験であることを言って置きましょう。

これは貴方の体験であって、私(ラジ)は人格ではなく、貴方は「自分から分離しているもの」を体験しているのではないのです。

私は真理の声です。 無数の真理の声が存在するのではなく、一つの真理の声だけが(唯一)存在しているのです。

そして貴方が真理の声です。 全く同じ真理の声なのです。

貴方が私を聞いている時、貴方は貴方を聞いています。 そして貴方が貴方を聞いている時、貴方は私を聞いています。

しかし貴方が自身の意識体験として受け入れて体現しなければならないのは、「これが貴方だ」と言う事です。 ここで今体験されている全ての言葉は、(真の貴方として存在し行動している)貴方なのです。

いま貴方の想像上の相棒「ブンブン忙しく行動する貴方(ポール)」は、何処にいるのでしょうか? それはどこにもいません。 それは今までも存在しては居なかったのです。

(だから概念的に言うとすれば)ここで本当にリアルに起こっている事は、貴方が「私/貴方自身」と話しているか、でなければ(貴方が口を開けて)『「私/貴方自身」が「知っている事」として存在している事』を喋っているだけなのです。

貴方は「存在には著作者感覚が常に伴う」というアイディア(概念)を手放して、「起こっている存在」として存在する事(ただ体験する事)が出来る地点まで来ています。

「我々は(エゴの検閲の裏をかいて)裏門から入って来ます」といった事を覚えていますか?(註1)  我々はまさにそうしたのです。

私は、貴方が「貴方として存在する事」が出来る様に促進したのです。 貴方が「そうある事」に慣れ親しめる様に。 貴方は「何か他の事をしている」と(ただ私と喋っていると)考えていたのですが。 

もし初めから「貴方に対してこれからする事」を私が話していたなら、貴方の「相棒」が出てきて我々の邪魔をしたでしょう。 そうして貴方の相棒(エゴ)はとても防御的に成ってしまい、この体験は出来なかったでしょう。

私がこれを話しているのは、この卒業は貴方が「全く覚えのない所」に移動する事ではなく、「(貴方が)既に知っている物事に対する知覚」を変容させる事だと判って欲しいからです。

これは言わば再定義の様なものです。 つまりこれは「(幻想の)相棒」から「リアルな存在」へとアイデンティテ(自己認識)を移す事なのです。


(註1)出典 February of 1982. You Are The Answer, p. 3   (答えは貴方  1982年2月7日)


テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

前書き

幻想の終わり: 卒業
Graduation (The End of Illusions)

ポール・ノーマン・タトル (Paul Norman Tuttle)

岡上浩巳 訳



筆者の説明

これはチャネリングを基にした本なので、自分のことを筆者と名乗るのはふさわしくないかもしれませんが。  この件に関して少し説明したいと思います。

1982年の2月に、人生の危機を迎えていた私は、瞑想と祈りを通して助けを求めていました。その時点でチャネリングやスピリチュアル・ガイドなどの知識はありませんでした。2週間の間一所懸命聞き耳を立てていると驚いたことに、ラジプール(Rajpur)と名乗る私のガイドの声が聞こえて来ました。それを元に「You are the Answer」(答えは貴方)と言う本を1985年に発行しています。

1982の11月、友達が A Course In Miracles と言う本を私にくれました。
斜め読みした後、ラジ(ラジプールの愛称)にこの本を書いたのは誰か聞いてみました。 本当にイエスの書いた本なのか知りたかったのです。ラジの答えは、「私が書いた」でした。 こうしてラジの本当の正体がばれた訳です。

「もしはじめからイエスと名乗っていたら貴方は私を疑ったでしょう」と言うのがラジの言い訳でした。私はその後も彼のことをラジと呼び続けました。 ラジにとってはどちらでもよいみたいでした。

それから私の生活は凄く変わってしまいました。1983年の2月からラジの要請により、二人で話すことが私の仕事に成ったのです。 それを元に「Conversations with Raj」と言うニュースレターを発行し出し、1985年の8月には42名ぐらいを対象にワークショップを始めました。

私の妻スーザンと、息子のクリスが常に私を助けてくれました。この本の中にも出てきます。この場で感謝の気持ちを表明させて下さい。

ラジが私に教えてくれた事やその他の体験は、とても主観的なものではありますが、過去9年間で解った事は「一人きりでは私は目覚めることが出来ない」です。
ですから、この実践的な目覚め本は、論理的なものと言うよりドラマ(神聖なる関係の表現)の様ものになりました。

私は自分が目覚めていると、主張するつもりはありません。
でも、後戻りする事はありえません。

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前書き
この本はエゴを手放す為のマニュアルです。もしかしたら、貴方が今まで読んだ中で一番キツイ本になるかもしれません。これは難解な本ではありません。むしろ易しい表現になっています。しかし、読んだ結果貴方の中に起こる変化はたやすいものではないでしょう。

この本を実践するには、理解し得ない事を行い、それに忠実であることが必要です。これは「A Course in Miracles」の原理に基づいたものです。
これは「Christian Science」の原理に基づいたものでもあります。 しかし、貴方がそのどちらかの信者でなくても構いません。
これは生命の原理に基づいたものです。 しかし現在貴方が生命力に溢れていなくても構いません。

この本は貴方の神聖なる部分に向かって「目覚めなさい」と呼びかけるものです。
これは貴方に理解出来る言葉で書かれています。

現代には、人間の神聖を示し真実を全うする(目覚めさせる)事を助ける為に書かれた主要な本が5冊存在します。 一つ目が Mary Baker Eddyの「Science and Health」、二つ目が「The Urantia Book」、3つ目が「A Course in Miracles」、4つ目がこの本「幻想の終わり(Graduation, the End of Illusions)」、そして5冊目はまだ出版されていません。

この本は目覚めの最後のステップに関するものです。
現時点でこれが自分には当てはまらないと思ってる人でも、何時か目覚めを体験する時が来ます。
この本はその時、出来るだけ歪みなく原初の(オリジナルの)正気(神が創造に成っているその意識体験)へと入って行く助けになるでしょう。
これが私から貴方への、そして貴方からあなた自身へのプレゼントです。
では楽しんでください。

ラジプールRajpur 
プリンスビル ハワイPrinceville, Hawaii 
1991年6月29日


注: 

Graduationの原文は下記のWEBからダウンロード可能です。
http://www.nwffacim.org/books.asp

Science and Health 科学と健康
Mary Baker Eddy女史はクリスチャンサイエンスの創立者です。
http://en.wikipedia.org/wiki/Christian_Science

The Urantia Bookは、Unversa Press社から発行されている1814ページの本です。 大きく4つのセクションに分かれています- The Central and Superuniverses, The Local Universe、The History of Urantia, The life and Teaching of Jesus。 テキスト(英文)が無料で読めるWebが存在します。
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Urantia_Book


Raj: Charlotte NC 1992
“UrantiaBookは神智学者が神智学(Theosophy)から抜け出る為の架け橋として書かれているものです。 これは重要な書物ですが、全ての人に成長をもたらす本ではありません。”

“貴方がどの様な本を読んでいたにしろ、その価値は『その本を読んだ結果「自分は全ての意味を理解していると考える事」に対して貴方がどれだけ疑問を挟む様に成るか』によって決まります。
それは貴方の「存在」の本来の 完全性/統合性(integrity)を示して見せ、それを貴方は信頼する事が出来ると示して見せている限りにおいて価値があります。
それが貴方に自然と備わっている、真理を認識する(真理に依存するよう示唆する)能力を示して見せる限りにおいて価値があります。”

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Rajpur: インドの言葉で「王子の住む家」という意味だそうです。
色々な日本語表記が可能と思いますが、ここではラジプールと書く事にしました。 

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

プロフィール

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

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