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第十五章

1991年 2月20日 水曜


ポール: 私は沢山の不快/挫折と多くの怒りを体験しています。

「私が見ているものは何も意味がない。」"Nothing that I see means anything,"と云うフレーズは唯の文章やアイディアではなく、私は今全てを実際その様に体験しています。
自分が見ているどの様なもの、起こっているどの様な事、私がしているどの様な事に対しても意味が見えていません。

「アポイントメントをこなす事」だけが行われている様に見えています。
私が会っている人々は、その事から何らかの意味を得て居る様ですが、私はどの様なものも得てはいません。

貴方と最後に話してから何日経ったか忘れてしまいましたが、その間、無思考で過ごす事は全然出来ていませんでした。 そして、貴方と一緒に居る事を特に意識出来てはいませんでした。

これが我々の一番最初の会話と似かよった状態である事は認識しています。(#11)

例えば、「貴方の言っている事」は(私の状況とは)関連がない様に見えます。
私の体験は変わっていない様に見えます。
それはより悪く成っている様に見えます。 それが満足をもたらす事は以前よりも少なくなっていると思います。
私は人々と親密に繋がっていない様に見えます。私は意味(意味ある物事)と親密に繋がっていない様に思えます。

そして私が今から言う事は、今現在の私のフィーリングを正確に示している訳ではありませんが、 しかしそこにはある程度の(んー、言葉が出てきません)快感、ある程度の「良いフィーリング」が在るようです。

何故なら、挫折している様に感じているにも係わらず、何も向上していない様に見えているにも係わらず、私はどうにかやっと成長した様に感じています。

そこには「動き」が感じられている様です。 「貴方と初めて話した時」感じていた、打ち破る様なストレスのフィーリングが感じられています。
だからその意味では、(「他の人たちにとって」と言うより)私にとって何かが起こっている様に感じられています。

しかし前回と比べても、私はこれを少しも優雅に行ってはいない様です。
いずれにしろ...私はその様な状況に今います。

貴方の言う事を聞いてみたいです。

ラジ: ポール、本当にこれはとても簡単な事です。

貴方はアイデンティティ(自己認識)の危機に面しているのです。
貴方はアイデンティティの感覚を保持しようとして戦っているのです。 崩れ行こうとしているアイデンティティの感覚を掴み続けようとしているのです。

しかしアイデンティティの「感覚」は、「アイデンティティそのもの」の代わりには成りません。
それは「アイデンティティ」に対する不当な誤解ですが、しかし、それが貴方が「今までの人生」で知っていた唯一のもの(自己認識)です。

そして、これが現在貴方が意識的に抱擁している(受け入れている)「貴方の無限の全て」なので、(貴方が「アイデンティティ」に対する自分の感覚を手放せば)貴方のアイデンティティが崩壊してしまうように見えるでしょう。

だから今、全てが無意味に成っているのです。
何故なら、貴方がもし「誰がそれを見ているか」知らなかったなら、それ(自分が見たもの)を「どう解釈したらいいか」貴方に解る訳がないのだから。

そしてもちろん、「リアリティ」を解釈する事は、それを他の表現で置き換える事になります。 『オリジナルな(原初の)形の「リアリティ」の表現』以外の表現で置きかえる事に成ります。

もし貴方がアイデンティティ「感覚」を通して、「リアリティ」に対する解釈の中にこれまで住んで来たなら、貴方は本当は何処に居たのでしょうか?
答えは「何処でもない所」ですね。 つまり貴方は何処にも居なかったのです。

そして「アイデンティティ」の感覚が崩壊したなら、その次には「リアリティ」に対する解釈が崩壊するのです。
貴方が『自分の「アイデンティティ」だと考えてきたもの』と、それが(貴方の偽りのアイデンティティが)『「リアリティ」として解釈して来たもの』が消え始めているのです。 それら「実体の無いもの」が無に帰しているのです。

これが意味する事は、『無限の中の意識点であり、その意識点から全てを意識している(故に全てに対する「全く間違った感覚」を作っている)貴方自身』が、「意識そのもの」に対して自己を譲り始めていると云う事です。

「全てを抱擁している意識」こそが、「アイデンティティ」の感覚ではなく「アイデンティティそのもの」なのです。

しかしそれ(全てを抱擁している意識)は無限なので、それは「それ自身に対する感覚」を「他のもの」から得る事はできません。
だから「アイデンティティ」と「意識/気づき」は、同じものを指しているのです。

もし「自分が誰か」知りたいと貴方が思ったなら、注意深くして(意識を保って)体験に注意を与え続けなさい。
そして、目覚める事は、確かに「アイデンティティを喪失する事」だと理解しなさい。
つまり「目覚める」とは、この時点まで、貴方によってアイデンティティ(自分自身を示すもの)として定義され体験されて来た「全ての事」を喪失する事なのです。
私はこれ以上シンプルに言う事は出来ません。

貴方が抱擁している(受け入れている)「アイデンティティ」感覚は、限定されており肉体的なものです。 それは、周りから拾い集めた「環境に関する解釈」と「周囲環境がこの解釈へ反応する様子」を基に、自身に対する感覚を作り上げます。

これが(貴方の)無意識を構成しているのです。

貴方が意識的に得ているアイデンティティ体験は一つだけで、そのアイデンティティ体験は、本当のアイデンティティではなく「アイデンティティ感覚{アイデンティティの代わりとして機能する「感覚」}」なのです。

この「アイデンティティ感覚」が「失われるもの」なのです。
しかし「存在体験」は、「意識として存在する体験」は失われません。
より詳しく説明すれば、「アイデンティティ感覚」が失われても「意識」が失われる訳ではありません。

だから、このアイデンティティの危機は、癒しの一部であり、「目覚め」の一部なのです。
これに抵抗するのではなく、これを抱擁して下さい。

これは喜ぶべき事なのです。 貴方には、これが明確な損失の体験としか見えなくても。
しかしこれ(アイデンティティ感覚の喪失)は、「リアリティ」の上に投射されている概念的イメージ(これが「リアリティ」に対する知覚を変質させ曖昧にしています)が失われているだけなのです。
そしてアイデンティティ感覚が、本当に「リアリティ」そのものを変えた訳ではありません。 それは少しも『「貴方」を変えたり、消滅させたり』はしませんでした。

貴方の「性癖/条件付け」は、なんとかして「アイデンティティ感覚」を再構築しようとしています。
しかし、ここで本当に必要とされている事は、「アイデンティティ感覚」を手放して、貴方自身を「意識の虚無、気付きの虚無、シンプルに存在する事の虚無」と見えるものの中に入れることです。 その中にシンプルに留まって、注意を払うのです。

「意識」体験の上に「アイデンティティ感覚」を上塗りしなければ、「意識」が「アイデンティティの意味」として(「貴方」の中で)確立される機会が与えられます。 そして「リアリティ」が「知られる」機会が与えられます。

だから現代的な用語を使えば、これはアイデンティティ・クライシス(アイデンティティ崩壊の危機)ではなく、癒しをもたらす危機ですが、もし貴方がこれに抵抗する事に成功してしまえば、癒しはもたらされません。

「自分はただ声を聞いているだけで、それらの言葉は自分とは余り関連が無い、実際的な意味が無い、それらは曖昧な理想主義的、使えないパラダイム(論理)でしかない。」と貴方が考えているのは知っています。

しかし、それらの言葉は貴方の奥深くに届いており、我々の視点から見れば、「貴方」のより大きな存在を通して、貴方はよりハッキリと目覚め始めています。

貴方は、この「表面的な無意味さ」と「アイデンティティの喪失」をただ耐え忍ぶのではなく、それを「純粋な意識存在に成る為の典型的シフト」として、とても望ましい健康的で正気に満ちた体験として、意識的に抱擁しなさい。

これは、理由があって起こっているのです。
これが起こっているのは、貴方が9年間に亘って「聞く事」を実践して来たからです。
貴方が9年間に亘って聞き続けて来た事が、貴方の目覚めの必要不可欠な部分だったのです。

それにより、貴方の正しい「マインド」内で「貴方」が十分に刺激され、これが(三次元的意識選択の結果ではない)より鮮明な自発的「目覚め」の引き金に成っています。

このプロセス内で貴方が出来る唯一の三次元的選択は、「聞く事」を選択する事、「知っていない場所{三次元的アイデンティティ感覚を使って知っていない場所}」に留まる事を選択する事です。

このアイデンティティ危機は、健康の危機です。 貴方が直面しているこの苦しい体験は、前回我々の会話が終った後から始まりましたね? 違いますか?
そして、これは以前の苦しい体験よりも、より鋭角的ではないですか? より避け様が無く、よりハッキリしていませんか?

もしそうなら「事態が進展していない」とは言えないでしょう。
「ストレスを生んでいる」と貴方が考えている「動き」が、「目覚め」の重大な動きなら。

「貴方は、もしかしたら、自分が誰か解らなくなるポイント」まで到達するでしょう、と私は冗談で言ってみましょう。
ここで冗談なのは「もしかしたら」と云う言葉です。

しかし、貴方は「貴方が存在している、と云う事が解らなくなるポイント」には到達しません。
貴方は「意識/気付き」を失うポイントには到達しません。

「アイデンティティ」に対する定義は存在していません。 
あるのは「アイデンティティ」の体験だけです。 
そして「アイデンティティ」の真の意味は、「意識や気付き」のポイントの中ではなく、「意識」として存在する体験の中で見つかるのです。

実際には、貴方は常に意識的であり続けました。 しかし、貴方は「それ(意識)が意味する事の定義」を考える事が必要だと感じ続けて来ました。
定義とは概念で、概念とは解釈/翻訳です。

そして現在貴方は、『「貴方」というスピリチュアル的にオリジナルなもの』へ(自身を)解釈し直す事に関与しています。 そして「(貴方「自身」の体験を失う原因と成ってしまっている)貴方自身を貴方自身に対して定義する行為」を解除しようとしています。

三次元的枠組みは、定義群の領域です。 だからそれは時間と空間から構成されている様に見えるのです。

原初に(一番初めに)「神が」全てを創造しました。 少なくとも貴方の「聖書」の初めの章にはそう表現されています。
そして第二章では、人が定義を加えています。「神が作った全てのもの」に対して人が名前を与えています。

それ以来、人は自分の定義群の世界に住み続けて来ました。「リアリティそのもの」に対して無意識な状態で、(神が「自身の意識の動き」の中に自身を認識している)「意識/マインド」としての彼自身の「アイデンティティ」に対して無意識な状態で、人は存在し続けて来ました。

貴方がここ数日間体験して来た問題は、実際には癒し/「目覚め」だったのです。 思考者としてだけでなく、定義者/解釈者としての貴方の自己感覚の喪失だったのです。

(聖書の中の)言葉は「神は自身が作った全てを見て、それを良いものと解釈した。」とは言っていません。

貴方の癒しは良好に進行しており、貴方は癒しに良好に反応しています。
そして「貴方自身に対する自己感覚」と「全てに対して意義を与えている様に見える定義群」の喪失は、問題ではなく解決なのです。
貴方はその中に留まって、「自分が誰だか知る」能力の欠如を、その無意味さを、完全に許可していなさい。
この体験から安らぎを得なさい、この体験を良くないものと定義して、これに抵抗するのではなく。

我々の会話が始まった頃、貴方は貴方自身が「知っていない所(知っていない状態)」に居る事を許していました。

その当時、「知っていない所」は「{貴方が}知的に知っていない所/状態」でした。
現在「知っていない所」は、「アイデンティティ感覚、そして、定義されている全ての事の意味」のど真ん中を叩いており、そこを突き通っています。

定義のない所で、貴方自身をアイデンティファイ(自己確認)する手段のない所で、「天国」/「キリスト」としての貴方「自身」/「神」の直接表現/「神」の視点から全てを体験する事、が貴方に示され始めます。

貴方が注意を払い続け、その全てを概念の中に/思考者の把握の中に閉じ込めようとしなければ、「(アイデンティティ感覚としての)貴方が良くやっているかいないか」知ろうとはせず、「貴方の定義を保持出来ているかいないか」知ろうとしなければ、この「目覚め」の動きは進行しており、(定義、解釈、アイデンティティ感覚の)解除が完了するでしょう。

「リアリティ」に対するこのイメージの投射が消えて行き、「リアリティ」がクリアにパーフェクトに示されている間も、貴方は先入観/偏見を持たず、好奇心を示していなさい。


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(#11) それは1982年に起こっていました。

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

第十四章

1991年 2月14日 木曜


ポール: こんばんは、ラジ。
ラジ: こんばんは、ポール。
今日貴方はとてもシッカリ我々と共に「ここ」に居ました。 そして貴方は挨拶を受けました。

私がこう言っているのは、貴方が私と共にいる時、貴方が「他の者達とも一緒に居る事」を認識出来る様になり、貴方がこれに関して好奇心を働かせる様促進する為です。

「ここに誰がいるか」調べようとするのは止めなさい。 ただ、「ここには気付くべきものがある」と気付いていなさい。
私だけでなく、様々な確たる「リアリティ」体験がここにはあるのです。

今晩は長くは話しません。 何故なら、貴方に対しては色々と「消化するべき事」を既に言ってあるからです。

貴方が「言われた事」を消化し、それがよりハッキリし出したなら、貴方は「ここ」に安定して居られる様に成ります。 貴方に対しては未だ言うべき事があるのですが、それらを今言えば、貴方は興奮してしまうでしょう。
貴方が『「ここ」により意識的に存在する事』に慣れようとしている時に、貴方を興奮/激昂させてしまうのは良い考えではありません。
貴方には後戻りして欲しくないのです。

シフトが起こっています。 貴方は無限の視点を選択しています。
今晩貴方はそれを少し失いかけていましたが、貴方は引きこもってしまいませんでした。
貴方が、この意識の安定度を獲得したのは喜ぶべき事です。

シフトが起こり、貴方がそれを感じた時、それは貴方には意味深くは見えず、ただハッキリと見えるだけかもしれません。 しかしそれで良いのです。

困難が乗り越えられ、貴方はもう「常に聞き続けなければならない」というアイディアに対して憤慨してはいません。
我々(つまり貴方と私)は(私に貴方の注意を常に与える事が示唆していた)大きな喪失感を否定しました。
この喪失は、「貴方(幻想の相棒)が失われてしまう事」として感じられていました。

しかし今、貴方はよりハッキリと貴方「自身」と共に存在し始めており、相棒に対する献身/専念を失いつつあります。 これは美しい事です。

「相棒に対する献身/専念の放棄」は選択されたものではありません。
貴方は、「そうしよう」と努力した訳ではありません。 貴方には、もうそれに対して興味を持ち続けるエネルギーが無いのです。 これは、この様にして起こるものなのです。

「私の言った事」がよりシッカリと貴方に届き始めたなら、貴方は「あそこにも、ここにも居ない」様な感じに成る事でしょう。
しかしこの「ステージ/段階」の特徴は「謂れのない安心感」と「理解する必要の欠如」と「自己防衛の必要の欠如」(つまり、特定の穏やかで静かな浮力)です。
だからこの様な体験/状況を認識しているのなら、貴方は自分が正しい道程にいる事が解ります。

全ては上手く進んでいます。長い会話を持って、「それを示す用意と意志が貴方にあった事」を私は嬉しく思っています。

しかし私は奴隷使いではないし、我々の話した事が貴方の中で結晶化するのを待つのは、とても大切な事です。

しかし、もし貴方が最初期の我々の会話を書き出したいなら、それは有益な事に成るでしょう。もし気が向けば、そうしてください。

では、さようなら。

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

第十三章

1991年 2月13日 水曜


ポール: こんばんは、ラジ。

ラジ: こんばんは、ポール。

昨日私が言っていた事に注目して下さい。
そこで言われていた事の意味と総括的性質を貴方が認識出来る様に成る事がとても重要です。

貴方は重要な場面に差し掛かっています。貴方は(こちら側に)移動して来れるポイントに来ています。
貴方は思考を本当に手放して、それを「聞く事」で置き換える事が可能なポイントまで来ています。

注意深さが「意識」の性質/機能/役割ではないでしょうか?
自分で作った「想像のガラクタ」で(例えそれがどれだけ首尾一貫しており、その行動がどれだけ首尾一貫していたにしろ)それ自身を一杯にする事が「意識」の役割なのでしょうか?

「意識」の役割とは「気づいている事」ではないでしょうか?
『純粋な「気付き」に成っている』と云う偉大な喜び(満たされる事)は、(マインド行動が邪魔していない時に)リアリティを直接体験する事からもたらされるのです。

純粋な「気付き」は、「知っているマインド」です。
マインドは何を知っているのでしょうか?

マインドは、『「神」が知っている事』を知っています。
では神は何を知っているのでしょう? 神は彼/彼女自身を知っています。

「神がそれ自身を知っていると云う事」はどの様に現れるのでしょうか?

それは「創造」として現れます。それは父母の、第一原因の、「彼/彼女自身を知っている事」の(特定の状態として)見えている様子、(特定の状態として)触れる様子として現れるのです。

これは、「貴方が既に気づいている事と、それ以外の限りなく沢山の事」を神の視点から体験するという事です。

しかし思考の忙しさが手放され、(純粋な「気付き」と呼ばれている)基本的内在的な「存在」が『意識を持っている「個人/自分」の現れ』として認識されるまで、貴方が神の視点を直接歪み無く体験する事は不可能です。

この「自分」の体験が、「神」の視点の体験です。
その時「自分や自身」と言う言葉は、もはや「分離したアイデンティティ」を示しておらず、無限の意識「存在」の事を示しているのです。

貴方があえて常に思考を止め続けるまで、『「存在」に対する無限の意識体験』の意味が体験される事はありません。

では「気付いている事/意識(Awareness)」の意味について見てみましょう。
これは「全てを詳しく調べる事」について言っているでしょうか? 全然違います。

「気付いている事」とは貴方が行う行動ではありません。 それは思考が起こっていない時に、自動的に起こる事なのです。
それは「何か貴方がする事」ではないのです。 それは貴方(の在り様)なのです。
この様な言葉は前にも聞いた事があるでしょう。 これは目新しい考えではありません。

『「考えている人」として存在しようとする』想像上のポジションを空けた時、貴方は上記の言葉の意味を体験する狭間に立っているのです。

「考えている人」の時は、既に来て去って行きました。
『意識的に在る』べき時が、『「意識」に成る』べき時が貴方の下に来ています。

貴方は今その様に成っています(タバコを吸いコーヒーを飲みながら)。
そして貴方は車の音を聞き、目の端から部屋の明かりの光を感じており、スーザンがここに居て聞いている事を知っています。

しかし、貴方は「意識」に成っているのです。 貴方は何も達成/執行してはいません。
しかし、存在/生命/人生は続いています。行動が起こっており、「動き」が起こっています。

そして貴方は、そのどれに対しても責任を持っていません。
{そして貴方は、そのどれをも自分で発生させてはいません。}

もし貴方が責任を負っている事(しようとしている事)があるとすれば、それは『意識的に聞こうとしている事と、<「存在」の意識体験として開き示されている表現>に成ろうとしている事』だけです。

そしてこれは、貴方がそこに座ってマイクを手に持ち、手でジェスチャーを示し、自分の口を動かして喋っている様に見えているのです。(#10)

貴方は誰かに向かって喋りかけていますか? 貴方はスーザンに向かって喋りかけていますか? いいえ。

しかし貴方は、啓示の動き(自身を開き示す動き)になっているのです。

確かにこれは(貴方に与えられている)「創造」の動き全体を抱擁しては居ません。
しかし貴方は実際に「リアリティ」の真ん中に立って、「リアリティ」の動きのより多くの現われに成っており、これを貴方が続ければ、この範囲(体験の広さ/深さ)がより大きくなり、それは『貴方が「神」の現れのより豊潤な表現に成っている事』として見えるのです。

これ(貴方が神の現れに成っている事)が起これば起こる程、これが起こっている事は貴方にとって重要ではなくなります。
何故なら貴方は段々「体と自己同一しなくなる」からです。 しかし体はますます、「神」の動き/「キリスト」の現われをより多く示す様になるでしょう。

だから目覚める事はとても難しく感じられるのです。 
何故なら、貴方は{まだ}エゴの視点から自分が目覚める事を見ているから。
そして貴方は無限の中を覗き込みます、貴方は「目覚めている事」の性質の中を覗き込みます。 しかしそれは(エゴを立証せず)エゴの観点から見て意味のある事を何も確定/認証しません。

だから、「目覚める事」は「とても魅力的ではない」体験、「満たされない」体験に見えます。
しかしそう見えるのは、「目覚める事」が、エゴや『エゴにとって重要なもの全て(それらが「生命に対する貴方の知覚」を形作っています)』を立証しないからです。

この9年間貴方は、「存在」に対する四次元的意識体験の中に自身を置き続けました。
これを弛まずし続けたので、貴方はいま「思考を手放す事」を正当な行為と考える事が出来ます。 何故ならこの9年間の体験が、「存在/いるもの」の現れと存在を立証して来たからです。

貴方が(パーソナルで「体」主体の)「ポールと云うプライベートな感覚」を放棄した時でも、貴方は完全に崩れ去ってしまわず、「知性を現す事」が出来なくなったりはしませんでした。

そうではなく、貴方はより意味深い「知性と英知と愛の現れ」に成ったのです。
貴方は、それらの事に関して所有権を主張出来る訳ではありません。
貴方は、それらの事を開発したり作ったりした訳ではありません。
貴方は(「自分を退かせて、その結果起こる事を尊重する」という以外の)自分のスキルを通して、これらの表現を見つけた訳ではありません。

しかしエゴの観点からは、これは貴方が犠牲を払ったという事になるのです。
貴方は、「独立した者」として存在する「権利」を放棄したのです。
貴方は、「(<自己主張/自己表出として達成する事>にプライドを持っている)自己創造/自己保持している者」として存在する「権利」を放棄したのです。

貴方が「存在」の四次元的意識体験に成っている時、「自分が何をしているか本当は説明出来ない事」を貴方は知っています。 何故なら、それは全自己意志の表明を超えて起こっている事だからです。
貴方は、自分が意図的(自己主張的)に行った事だけに、責任を持ち/手柄とし/説明する事が出来るのです。

9年間の実践を通して貴方は、『「永遠の意識的気づき」/「気付きの状態」に成り切る事が満足をもたらすだろう』と考えられる地点まで来ています(それがどの様な満足なのか貴方には解らなかったにしろ)。

そして貴方が「これは満足をもたらす事だろう」と考えて見る事が出来るのは、貴方自身が純粋な「気付き/意識」に成る事を許可していて、貴方が世界の中の意味深い現れに成っている様に見えていた時、貴方が貴方の「存在」の平和を感じ、「全てのもの」との調和を感じ、「存在する全て」との合一を感じ、それ故に神聖な満足を感じていたからです。

だから私は貴方に、一つ新しい任務/目標を与えましょう。
私と常につながり続けるだけでなく、貴方が思考する事を止める様、私は要請します。
つまり、貴方が私と話していてもいなくても、貴方が私を感じていてもいなくても、貴方は「静けさ」の中に居て下さい。

もし貴方が私と話していなかったなら、もし「貴方が抵抗していなければ起きている筈だった事」を貴方が許可していなかったなら、その時も「静けさ」の中で譲って、それが起こる事を許可してください。
そしてもし「自分が考え始めている事」に気付いたなら、瞑想している時の様に、「静けさ」の中に戻ってください。

もし貴方の言葉が、貴方が体験しているガイダンス(精霊/ガイドからの指導)から起こっていないなら、何も言わず思考を使わずにいなさい。

貴方が思考の任意的な刺激を受けていなかったなら、貴方は自分が交流/霊的交歓を求めている事を発見するでしょう。

貴方は「静けさ」の中にただ長く座り続ける事は出来ないでしょう。

だから貴方が「静けさ」の中に居て「聞いている」事、あるいは「純粋な気付き/意識に成っている事」を実践している度合いに比例して、貴方は(リアリティに対する完全な理解と共に)(貴方が本当に存在している、私が本当に存在している)「ここ」で目覚める事を強く求める様に成るでしょう。

思考は、「孤独でありたくない」と云う貴方の望みの邪魔をしてしまいます。
エゴの発達は、孤独に耐えられる様に成るだけではなく、孤独が刺激的になり、それが満足を約束する様に成る事なのです。
しかしその満足は「孤独でありながらも、孤独に苦しまないで居られる事」に依存しています。


この時点で、もう貴方に「私の言った事を考えて見なさい」と指示出来なくなっている事は興味深いですね。

「私が言った事」と共に居なさい。 何故なら「私が言った事」が貴方に関する真理だから。 そして貴方に関する真理が「貴方」だから。 そして「貴方」は貴方と共に居るのだから。

貴方は体験される為に存在して居るのです。
だから貴方は(思考する事無く)「純粋な意識としての貴方という」真理と共に居る事が出来、「静けさ」の中に留まる事が出来、合一(Unity)の体験(今それが起こっています)内に留まる事が出来るのです。

これはコミュニケーションと云うよりは交流/霊的交歓の体験です。

今現在起こっている事に関しては、「曖昧さ/どっちつかず」はありません。
交流は「曖昧さ」の感覚を橋渡しします。 交流とは「曖昧さ」の不在です。

分離していないと同時に「貴方が貴方であり、私が私である事」が、どの様にして可能なのか?
これを知的に理解する事は出来ません。

しかし貴方がこの交流体験に注意を払えば、貴方は「これが何なのか。どの様にしてこれが可能なのか。」知り始めます。
貴方がどれだけ「自分が知っている事」を「他の人達と分かち合おう」としているにしろ、これは「貴方の」狭間である事、これはシフト(それは自動的に起こります、貴方がそれと共に流れていてもいなくても)と共に流れて行く貴方のチャンスである事を覚えて置きなさい。
それ(貴方の知っている事/貴方が体験しているシフト)が「他の人達にとっても価値ある事」なのは素晴らしい事ですが、それは一番重要なものではありません。

貴方が「これを他の人達と分け合う事」に夢中になってしまい、「それが一番重要な事だ」と考えてしまったなら、シフトが貴方を不意打ちにして、驚いた貴方から三次元的感覚の反応を引き出し、貴方はこれを三次元的枠組みの中で(三次元的な人間の利益の為に)起こっている出来事として見てしまいます。
その様な状態に居る時、世界の中で意味深い事をしようとしたなら、貴方は失敗するでしょう。 貴方(の現れ)は無意味に成ってしまうでしょう。

だから、何が重要な事なのか間違えないようにして下さい。

_____________________

(#10)私は速記用口述録音機(ディクタフォン)を使って会話を録音していました。

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

プロフィール

翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

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