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第十八章

1991年 3月8日 金曜


ポール: 現時点では貴方が言う事を(それが何であれ)ただ聞きたいです。
貴方が何か言うのを聞きたいです。

ラジ:  ポール、貴方のジレンマは『貴方の限定的枠組み内で起こっている問題に対する解答の中に、「目覚め」への適切な答えが存在している』と考えている事から発生しています。
貴方はその様に考えて、『「何が適切なのか?」に対する特定の限定された定義』の中に無限を押し込めようとしています。

ポール、貴方は『「真理」の神聖なる現れの証拠』として『「人間状況的な絵」を改善しようと試み続ける時期』を既に通り越しています。
我々はもはや絵を直そうとはしていません。 そうではなく、「リアリティ」へと注意をシフトしているのです。 そして(貴方に見えている三次元的な)絵は(「リアリティ」から発生している)絵(現象)でしかないのです。
神聖な存在/現われの動きは、「古い写真の修復者」ではありません。

ここでも答えはシンプルです。 それは複雑ではなく回りくどいものでもありません。
それは意味が計りづらいものではなく、 とてもシンプルなものです。

「私と常に繋がっていなさい。」
この文章やその意味を誤解する事は絶対不可能です。

確かに貴方は、あの娘やこの娘の問題を解決出来る様に成りたいと思っています。
彼女達の行動に関して貴方が作り上げた「自分が利用されている感覚」を赦せる様に成りたいと思っています。
「ニュースレター」をどの様にして発行すれば良いか解り、家賃を払うお金を得る方法を知り、電話の二次ラインがもう一度繋がるようにする方法が解れば、大変嬉しいと思っている事でしょう。


ポール、(神聖なる現れへの)貴方の注意が三次元的枠組みの中に存在し続けられる様にする為に「夢を修復する事を助けて」貴方が夢見続ける事を私がサポートする事はありません。

以前言った事をもう一度言います。
エゴは、貴方に色々な問題を与え続ける事でしょう。 より沢山の課題や、より沢山「押入れの中の骸骨」(隠された秘密/恥)を貴方に示すでしょう
しかし、骸骨を捜したり、問題を発見して解決したりする事は、「目覚め」の動きではありません。

そして、昨日私がスーザンに言った様に、人は幸福な夢から目覚めると同じだけ容易に、不幸な夢からも目覚められるのです。
いずれにしろ、夢が幸福だろうと不幸だろうと、それはどちらも夢でしかなく、人はそこから目覚めなければならないのです。
だから、私と常に繋がり続けていなさい。

貴方は人間的に(相棒として/パーソナルなエゴの現れとして)物事に対処する事は段々出来なく成って来ています。
貴方はお尻がベッドに引っ付いてしまっていませんか? {外に出ないで過ごしているでしょう。}
貴方は私と繋がり続ける為の潤沢な時間を有しては居ませんか?
それが、ただ単に「ラジ、そこに居ますか?」と貴方が訊ね、私が「ハイ」と言い、そして貴方が「ラジ、そこに居ますか?」とまた言い、私が「ハイ」と言うだけであったとしても。

ポール、これはとても簡単な事なのです。

次の様に言ってみましょう。
麻薬を過剰摂取してしまった人は、休まず動き続ける必要があります。
貴方は映画で、麻薬を取りすぎた人にコーヒーが与えられ、部屋の中を担がれる様にして延々と歩かされている場面を見た事があるでしょう。
少なくとも「無意識の眠気と誘惑に屈してしまいたいと感じている人」にはその様に(これが延々と続くと)感じられるのです。
「我々は、歩いて歩いて歩き続ける「この意味の無い事」を続けなければいけないのだろうか? 眠る事の方がよっぽど意味がある様に思える。」

「ラジ、貴方はそこに居ますか?」と一日中言い続ける事が、無意味に感じられても構わず、そうし続けなさい。
貴方の理屈の視点から、これが有意義に感じられなくても良いのです。
「(薬物を過剰摂取して)歩き続けなければ死んでしまう人」にとって、「歩き続ける事」がそれ程理屈に合っていない様に感じられていても、それは問題ではないのと同様に。

なぜこれをするのでしょうか? 歩く事(私と話す事)を学ぶ為? いいえ。
これをするのは、基本的な機能を保つと同時に、歩き続けるのに必要な意識を保つ為です。
そうして薬物(エゴあるいは幻想)の作用がその人を殺す事無く過ぎ去るように。
何故? 生命と(コーヒーを飲んで、歩き回る事以上の)「生命に係わる全て」が再度アクセス可能に成る様に。

もう一度言います。
私と常に話していてください。

ここで私はとても厳格に成る必要があります。
貴方が明日(外からの)電話に答える必要があっても、 『「貴方はそこにいますか?」と私に言う』以外の事(日常茶飯事)に貴方が対処しなければならなくとも、貴方は明日、最低一分間に一回私に尋ね続けなさい。

もちろん我々は「私の存在以外の事」についても話すことが出来ます。
私が言いたいのは『私と繋がり続けると言う、絶え間ない無期限の「無意味に見える」馬鹿らしい事をあえてし続けなさい』と言う事です。

麻薬の取り過ぎで意識不明に成りそうな人に、(人間)関係や家族や創造的活動や友達関係やビジネスなどの意味が理解出来ているでしょうか?
いいえ。 彼のマインドにある事は「私が寝れる様に、ほっといてくれ」の一つだけでしょう。
「この様に無意味な事を続けさせようとしないでくれ。 私にとって大切な事を邪魔しないでくれ。」

次の質問もさせてください。
過剰摂取の効果をやり過ごす為に、その人が生命の無限の側面を意識的に抱擁し、それを選択する必要があるでしょうか?
いいえ。 必要なのは一つの事だけです。 動き続け意識を保つ事だけです。

{彼から見て}そこで起こっている唯一の意識体験は(眠りたいと云う意図しかマインド内に持っていない彼が)介入され煩わされている事だけです。
そこでは、眠りたいという欲望と、起き続けている事(目覚める事)への要求が対立しているのです。

動き続けて意識を保ち続ける事へ協力している限り、その人は薬物の影響をやり過ごす事が出来、「生きている意味や意識を保つ意味がどの様なものか」その人が考える必要は取り立てて無いのです。
意識を保つシンプルな意思さえあれば良いのです。 例え、「起きている事を要求されると云う」うざい体験だけが、そこで認識されていたとしても。

だからポール、私と最低毎分一回繋がり続ける要求がなされている事に対して、明日一日中怒り続けたいなら、怒っていなさい。 貴方が怒っていても泣いていても、私と繋がり続けさえすればそれで良いのです。

そうすれば、「不満の内に到達した行き詰まり」を貴方は越えて行くことが出来ます。
そこを越えた先に何があるのか、貴方が知っている必要はありません。

私が貴方に頼んでいるのは、私と繋がる行為をする事だけです。
これは(三次元的枠組みの幻覚的牽引力やそれが促進する貴方の無知/眠り/夢/幻想「リアリティ」に対する誤認識、から貴方を遠ざける)四次元的意識的気付きの行為です。

もし、これをする以上に重要な事があるのならば、私は貴方にそれを知らせた事でしょう。
私は、貴方の目の前にある、今すぐ出来る、絶対必要なステップを示しているのです。
電話線を繋ぎ直す事、貴方の娘を助ける事、貴方の背中を癒してワークに戻る事、これらの事は、貴方が取るべき次のステップではありません。
それらは貴方の目の前にある次のステップではありません。
それらの事は、貴方が効果的に変化させられる事柄でさえないのです。

だから貴方の人生は、この時点で、基本的に全くシンプルなのです。なにも複雑な事はありません。
正すべき誤解は存在しておらず。 理解し難い指示も必要ありません。
私から貴方への難しい指示などありません。何故なら、貴方は9年間に亘り、私と話したい時には何時でも「私がそこに居るか」訊ねていたからです。
だから私は「貴方が既にして来た事、どの様にするれば良いか貴方が既に判っている事」をする様に指示を与えているだけです。

今回の唯一の違いは、明日一日中、最低限毎分一回これをする様に、私が指示している事だけです。
もしこれ以上に重要な事があると想像したいなら、どうぞ、想像し続けてください。
しかし明日一日中、毎分最低一回私と繋がる事を止めないで下さい。

何故私は「馬鹿げている」と受け取られてしまいそうな事をするように、貴方に指示しているのでしょうか?
何故ならポール「明日、一日中一分間毎に私と意識的に繋がる事」によって、貴方は常に「存在」に対する四次元的意識体験から(貴方自身として)行動する事に成るからです。

私がとても偉大だから、貴方が私と常に繋がらなければいけない訳ではありません。
貴方の正しい「マインド」の中では、貴方も四次元的存在なのです。

このワークは「貴方の意識的気づきのポイント」を、『貴方「自身」を四次元的に体験する事が出来る場所』へと持って行く方法なのです。
だから貴方の為に、これをする事を私は求めています。 貴方は貴方自身の為にこれをするべきなのです。

これを行う為の(言わば)「焦点」として私を使いなさい。

これが貴方の次のステップなので、私はこれをよりしつこく貴方に求め続けるでしょう。
貴方の次のステップは、誰か他の人の問題を解決する事ではありません。

そして「私が貴方に求めている事」は本当に貴方の次のステップなので、(それを遂行した場合)人間的に言っても、貴方は何も重要な事を無視した事にはなりません。
貴方がこれをする事によって、貴方自身や貴方の家族や「私と話したいと熱望している他の人」が苦しむかもしれないと恐れる必要はありません。
苦しみは、貴方が次のステップを行わない事からやって来ます。 不快感は、貴方「自身」と調和/一致していない事から発生します。

私は、私自身を十分クリアに示したと信じています。 これがどういう意味だか解りますか?
これは私が「貴方」を貴方自身に対して簡潔にクリアに示したと云う事です。
これがガイダンスというものです。 これが最終的に貴方が求めているものです。

ここで訊ねられるべき事は「貴方は、貴方が正しい所に対して明晰さを尋ねた結果(得た答え)に対して反抗するのでしょうか?」です。
貴方は「それより前にやらなければならない他の用事」を持ち続けるのですか?
貴方は(正当に思える)特定の「問題」を解決し続ける事に固執し続けるのですか?
そうして(定義に従って)責任と知性を示し続けようとするのですか?

責任や知性に対する貴方の定義こそ、無責任で無知なのです。
何故でしょう? それはそれらの定義が「真理」を貴方に示していないからです。

それらは「リアリティ」を示していません。
それらは、貴方の成就(貴方が満たされる事)に対して貴方をメクラにしてしまいます。
アーメン。

さあ、これと共に座って居なさい。
文字通り、これと共に座りなさい。

ポール: 良く解りました。
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第十七章

1991年 3月2日 土曜


ポール:  私には特定の質問があると思います。

貴方も知っている通り、私はここ三日間腰が痛かったので、アポイントメントをキャンセルし、マッサージやカイロプラクターに通っていました。

最近貴方が言っている事からして、私は「故郷への誘導シグナル」から外れてしまった様に感じています。
これで正しいですか? 何が起こっているのでしょうか?

前に動いている様には感じられません。
物事が上手く動いている様には感じられていません。


ラジ: ポール、簡単に言えば、我々(貴方と私)は解除をしているのです。
貴方のこの人生の中で比較的優勢であったパターンを解除しています。
貴方が体験している身体的徴候は、この解除の一部です。

ポール:  私は聞いていますよ。

ラジ:  ハイ、ポール。 知っています。 

まずリラックスして下さい。貴方は裁判に掛けられている訳ではありません。

それから、自分が横道にそれてしまったと想像するのは止めなさい。

貴方が「腰の問題」を物理的な出来事(先日買い物を運んだりした事)と関連付けて考えている事は知っています。
しかし、「腰の問題」は物理的な出来事とは全く関係がありません。 それは「優勢な信念体系が解除されている事」と関連しています。

貴方が椅子に座って動かず私と話し続けていたとしても、物理的に引き金に成る様な出来事が無かったとしても、それでもこの解除(の徴候)は起こっていた事でしょう。
しかし確かにこの徴候は、貴方が言った様に起こりました。

[長い沈黙]

ポール: 私は聞いていますよ。

ラジ:  解っていますよ、ポール。
我々は単に、ある種の慣性を取り除いているのです。 聞き続けてください。

貴方の誕生をめぐる状況(と言ってみましょうか)はとてもトラウマに満ちており、貴方にとっては難しい事でした。

貴方が逆子として誕生しようとしている時、貴方の腰や背中が締め付けられている期間がありました。 血液がそれらの場所から押し出されて、貴方の頭や足の方へ押しやられていました。
これは物理的なダメージを残しませんでしたが、貴方はとても不自然なフィーリングと絶え間ない痛みを感じる様に成りました。

では今から、この信念を潰してしまいましょう。

確かに、貴方は二回身を翻し、自分が「後ろ」から生まれる様にしました。
しかし、貴方が「自分は物事に真正面から対処しようとしない」という信念を持ち続ける事は適切ではありません。

確かにドクターは貴方を二回ひっくり返し、貴方はそのつど元のポジジョンに戻っていました。 しかし、これが貴方の「人生に対するアプローチ」を表現していた訳ではありません。

『貴方には「人生/新しい事」に対峙せず避ける傾向がある』と云う感覚は絶対手放さなければいけません。

事実貴方は、常にシンプルな興味/好奇心そしてエネルギーを持って、「新しいもの」を覗き込んで来ました。 貴方は決して常識/習慣には捉われず、踏み均された道を歩んでは来ませんでした。

逆子として生まれて来た事が、貴方生来の「人生を歩むスタイル」を反映していた訳ではありませんが、貴方はその様な示唆を受け入れてしまいました。

そして、その時(誕生時)の辛さの記憶故に(貴方はそれをもう覚えていないのですが)「貴方が成長する時、その体験は痛みを伴う」と云う姿勢/態度を貴方は取り入れてしまいました。
だから、貴方は狭間(新しい事態)に対して常に熱心に向かって行きましたが、狭間を越えて行く時、貴方は躊躇してしまう傾向があります。

しかし狭間の特質として、一旦貴方がそこ(狭間)まで到達したなら、貴方はそこに飛び込まざる得なくなります。
これは狭間で自然と起こる「引き込みの動き」(と言っても良いでしょう)で、だから(その土壇場で起こる)貴方の躊躇は、この「自然と起こる、引き込みの動き」を苦しい体験にしてしまいます。

今ここで起こっている「卒業」の動きは、貴方にとって誕生の経験と同じぐらい重要な事だと感じられているでしょう。
貴方はそれを誤認識してはいません。 貴方はそれを過大評価してはいません。

しかしこの狭間を越えて行く為には、貴方が逆子として生まれたと云う「汚名」を、痛みの記憶(貴方はそれについて意識的に覚えてはいませんが)と共に手放す必要があります。
つまり、貴方は「この痛みが起こった状況」を赦さなければいけないのです。
貴方はその状況の全てを赦すべきなのです。

貴方の選んだ(誕生時の)姿勢、貴方の母親が選んだ出産施設(彼女は普通の病院ではなく「Christian Science Maternity Home」を選びましたが、病院であればより少ないトラウマでの出産が可能だったでしょう)、お医者さんが病院へ貴方を移す事を主張しなかった事、などを赦すべきなのです。
貴方はこれらの事は「何一つ考えた事も無かった」かもしれません。

しかし、もし貴方がこの状況を赦さず、(貴方自身を含む)関係者全員に責任を負わせる事に固執し続けたなら、貴方は上記の考えが漂っている事をいずれ見つけた事でしょう。

貴方に言って聞かせましょう。 誕生/出産は実際には起こらなかったのです。
貴方の出産に係わる諸々の状況も全く起こらなかったのです。
だから「貴方が人生に対して正対する事が出来ていない」と云う信念は間違っています。
そして推定されている罪悪感も間違っています。

貴方が完全に目覚めて、貴方自身が私と共に「ここ」に居る事を発見した時、
誕生のプロセスと誕生時の状況は誤認識(の一部)だったと知るでしょう。
誕生や死は、誰に対しても起こった事がありません。

『誕生に対するこの様な感覚/考え』や『「物質的身体の物理的成り立ちの証拠」として見えているもの』を解除するべき時が来ています。

誕生/出産という出来事にまつわる、(抜きがたい)誤解と痛みと落胆は実存していません、だから「それらが貴方の意識体験を司る事」は不可能なのです。
それら「出産に関する誤解/痛み/落胆」は、貴方の意識体験を物理的解釈に縛っている様に見えているだけです。 そして、体の物理的体験さえも物理的解釈に実際に縛られている訳では無いのです(何故なら、体もまた物理的なものではないから)。

だから、その様な誕生の感覚(出産に対する考え)と非難(責任をそこに見る事)を「いま」手放す必要があります。
それ(誕生の感覚と非難)は赦されなければいけません。 誕生の感覚から、貴方から、関係者全員から、裁き/判断を抜き取らなければいけません。 何故なら、その様な事は何も起こってもいなかったのだから。
誕生/出産は全く起こっていません。 「新しい物理的生命の開始」が起こったのではないのです。

「誕生/出産と呼ばれている事」に関する信念や、「誕生ストレスの物理的現われとして見られているもの」を解除するべき時が来ています。

そして貴方が背中に体験している(と思ってる)不安定感は、この(誕生は幻想だと云う)認識の前兆なのです。

貴方がカイロプラクターからベルトを貰った事は良い事でした。
これを使えば、「認識が起こる過程で発生する不安定化中」に貴方がバランスを取ろうとして筋肉を酷使してしまう事が防げるでしょう。

貴方は、この時点では自己批判/自己判断/自己疑念が全く適切では無い事を知る必要があります。

どの様にして「体に対する貴方の定義」を、『「真の貴方」そして「本当に貴方が居る場所」に対する貴方の理解』の中に持ち込む事が出来るでしょうか?
それは不可能です。

だから貴方は「自分の定義群が文字通り消え去る事」を見る事になります。

「自身の身体に対する貴方の定義」の大部分は、(貴方が実際には体験していない)「この誕生トラウマの体験を進展させた事」から来ています。

だから、幻想と定義群が必然的に消滅していく事を貴方が赦し(許可し)続け、意図し続け、それに対して好奇心を持ち続ける事をお勧めします。

そしてどうぞ、貴方が誘導シグナルから逸れていない事を明確に解っていてください。
貴方はここで「意味の無い道草」を食っている訳ではありません。
全て、起こるべき事が起こっているのです。

貴方の注意は今、私に向けられるだけでなく、「奇跡的な事/リアルな癒し」を観察する事に対して積極的な好奇心として現されるべきです。 癒しに対して限定期間(締め切り)を設けたりせず、それを無理矢理起こそうとせずに、それが起こる事を注意深く観察していなさい。

貴方は、『「貴方」の「リアリティ」が暴かれる事』に対して責任を負う事は出来ません。 何故なら、貴方が「貴方」の「リアリティ」を創造した訳ではないのだから。

これで今回の会話を終了します。

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第十六章

1991年 2月25日 月曜


ポール: 私はあれと対峙し続けています。 そして、とても居心地が悪いです。 貴方の言う事が聞きたいです。

ラジ:  ポール、貴方と話す機会が持てて嬉しいです。
前にも言った様に、我々が毎日話し合えるなら、それに越した事はありません。

自分一人でどうにかしようとして、貴方は不必要な乱気流の中に入ってしまいました。
それは貴方が故郷への誘導シグナル(故郷への標識)を見失ったからです。
この時点では誘導シグナルを見失うのは容易い事でしょう。 何故なら誘導シグナルを保ち続けるには、今まで以上に意識的な意図が必要とされるからです。

その理由は、貴方が「故郷への誘導シグナル」に譲っているなら、貴方はその道から外れる事を放棄しており、その時貴方は「エゴの自己感覚が(それ自身を事態に挿入して)その存在を確認/確立している様に見せる機会」を(エゴに)与えていないからです。
だからエゴ感覚が息切れしており、自身を確証しようとジタバタしているのです。
今まではエゴ感覚が貴方の主要な「アイデンティティ感覚」だったので、これはとても大きな損失の様に感じられるのです。

しかし、貴方がこの視点を放棄出来た時、貴方は貴方の「存在」の「平和」を体験するだけでなく、貴方の「Integrity (整合性/本質/良識)」を体験し、貴方のとても拡大された全体性を体験し、故に貴方の安定と不可侵性をも体験するのです。

しかしこれらの体験は簡単に失われてしまいます。 その理由は、貴方にとって「アイデンティティ感覚」が「とても慣れ親しんだもの」なので、そちらの方が有効で正しい様に感じられてしまい、だから「アイデンティティ感覚」の存続の方が確実に見えるからです。

誘導シグナルが、貴方の目的地の視界(絵)を貴方に与える事はありません。
それ(誘導シグナル)は、「全てが上手く行っている感覚」の取り留めのない(実体性の感じられない)体験なのです。

現在貴方に見えている領域は、エゴの定義/概念/結論から出来ています。
貴方にはそれらが見えていて、故郷への誘導シグナルは見えてはいないので、誘導シグナルは、それ程意味がある様には感じられないのです。

だからここには「貴方に見えているもの」(それは、定義で出来ており、基本的に幻想なのです)と、故郷への誘導シグナルの(実体感のない、しかし意味深い)体験の二つの要素が存在しています。

ここで選択する必要があるのです。 定義群の領域に手当たり次第アクセスする権利を放棄し、(「故郷」や「リアリティ」や貴方の「正気」を省みる事無く)動き回る権利を放棄しなければいけないのです。
これ以外の選択は在り得ません。 これは確かに自由を失う事の様に感じられるでしょう。

しかし幻想の領域で動き回る自由は、最終的には拘束でしか過ぎません。
何故なら、その様な自由は「貴方が誰か」に対して、「リアリティ」に対して、「天国そのもの」に対して、「貴方が本当に居る所」に対して、貴方を無意識にしてしまうから。

貴方が「信じている事全て」を放棄するのは確かに難しい事です。
「貴方が信じて来た全てのもの」は、「聞く事」に許可を与えられる様に成るポイントまで貴方を連れて来ましたが、「知る事」を熱望する許可を貴方自身に与えるポイントまで貴方を連れて来ましたが、しかし、これ(貴方が信じてきた全てのもの)は唯ここに至るまでの段階でしかなかったのです。

だから貴方は段階を完全に尊重/重視し過ぎてしまって、それ(段階)を正しい目的の為に使わずに、貴方の故郷(貴方のアイデンティティ)をそこ(段階の中/貴方が信じて来た全てのものの中に)に作ろうとしてしまってはいけません。

『「貴方が信じてきたもの」は本当の真実ではない』と今まで言われた事が無かったのは、重要ではありません。
重要なのは、貴方がこれに固執しない事です。

「段階/貴方が信じてきたもの」は、その目的を達成する為に、崩壊する必要があります。
そうでなければ「それがもはやは持っていない機能」を取り戻させようとして、貴方は(貴方が信じてきたものに)働きかけてしまうでしょう。

貴方がそこ(貴方が信じてきたもの)に留まって、そこに住まい、そこを住処としたなら、そこは崩壊し出す必要があるのです。 何故ならば、そこは「(実際には)そこ/それでないもの」には成れないから。

貴方は、後ろを振り返りはじめています。 その理由は、貴方の前進している動きが、地平線の彼方の新しい領域に、新しい視点に貴方を誘導しているからです。
だから古い視点は、貴方の後ろに消え去り、見えなくなり、もう貴方には与えられなくなるのです。

貴方は「慣れ親しんで来たもの」から遠ざかっているので、貴方が地平線まで到達した時、「貴方の後ろのもの」が視界から消えてしまう地点まで到達した時、「慣れ親しんで来たもの」を手放すのは簡単ではありません。

貴方が不快に感じており、気分が優れず、恐れている事は私も認識しています。

これ(故郷に帰る事)に比べれば、「故郷」から遠ざかる事はそれ程難しい事ではありませんでした。
(故郷から)遠ざかっている時の貴方の動きは、貴方の全体性と不可侵性と統合性に対する内部感覚(内的信用)から発生していたから。 だから全てのステップは自信を持って行われたのです。

しかし、恐れや躊躇が将来起こるのならば、貴方が故郷から遠ざかっている時にもそれら(恐れや躊躇)が感じられているべきだったのです。 でも、故郷から遠ざかっている時にそれらの感情を感じる事は不可能でした。

貴方が冷静に考えられる様に次の事を言いましょう。
無知を喪失する事に対して恐れを持つ事は、辻褄が合いません。
「ユニークで奇特なマインドの倒錯」を放棄する事に対して怒りを持つ事は馬鹿げています。

特定の論理やストーリーを贔屓にしていたり、特定の概念に溺愛する事は、意識的に気付いている事/目覚めている事には成りません。
貴方がそれらを手放す度、貴方は「それらを抱擁しているもの」を手放します。
「それら(論理/ストーリー/概念)を抱擁しているもの」は「貴方」ではなく、(「貴方がどの様に神聖な存在か」に対して貴方を完全にメクラにしてしまう)貴方自身の「自己感覚」です。
この様にして幻想や妄想が消えていくのです。

だから「故郷を示している誘導サイン」に専念する事が絶対必要なのです。
これは「虚偽の自由感覚」から貴方の注意を引き離す事を意味しています。
これは『「この様な自由」にアクセルし続ける事が存在理由だと云うアイディア』から発生している、「ユニークな自己感覚」から、貴方の注意を引き離す事を意味しています。

ポール、貴方は本当に(無意識にではなく)意識的に天国内に存在し続ける準備をしなければいけません。
貴方は、「天国内で貴方の神聖に対して無意識に生きる事」から遠ざかろうとしているのです。
これをすれば、貴方は「自分の神聖」と「貴方が既に天国に居ると言う事実」を意識的に体験出来る様になります。

この明晰さの中で、この正気の中で、貴方は出来うる限りオリジナル(原初的)に成るのです。

これはエゴに成し得る事ではありません。何故なら、このオリジナリティは計算されていないもので、エゴには「計算/計画する事」しか出来ないから。
だからこのオリジナリティと新鮮さは、エゴの存在していない所、つまり(弱体化しつつある)「貴方の過去/現在の自己感覚」が存在していない所から来ているのです。

「貴方」の全てが貴方に与えられる(それが貴方の持って生まれた権利です)様に、貴方はそれ(エゴ/現在の自己感覚)を死ぬままに放って置くことが出来ますか?
貴方はどの様にして、「故郷を示している誘導シグナル」を受け取り続けるのでしょう? 誘導シグナルとはどの様なものなのでしょう?

誘導シグナルとは「貴方と私の間のコミュニケーションとして現れているもの」です。
しかし、これは実際には霊的交歓(Communion)なのです。

もし貴方が盲目なら、他の者に貴方の手を引いてもらう事が賢明です。
特に、貴方がビジョンの完全な意識体験に導かれようとしている時には。

しかし貴方は、「私は自分の盲目/無知の状態に上手く対処する事を学んでいます。」と言ってしまいます。
「本当の所、私はとても良く対処する事が出来るのです。 私はこれに関しては自分に満足しています。」
「私の弱点にも係わらず、私は不自由感を乗り越えており、現在は十分有能に感じています。 私は自分自身に満足しており自慢にも思っています。」
「貴方は、これを私から取り去って、その代わりに、私自身では責任を持つ事が出来ない「満たされる体験」を与えてくれると言うのですか?」
「私が自分の知性を使って上手く(まるでもう私は盲目ではないかの如く、眼の見える人の如く)機能して来た時に感じた満足感を二度と味わえないのですか?」(と、貴方は不満足そうに言うでしょう。)

しかしポール、それは空虚な勝利なのです。 何故なら、貴方が眼の見えている人と全く同じ様に機能出来ていたとしても、その時でも貴方はやはり眼が見えておらず、盲目だからです。

これが、貴方のこの部分(弱点/欠点にも係わらず素晴らしい業績を見せている部分)には受け入れられない、耐え難い事なのです。
何故なら、苦労の上に得らた全てのもの、その苦労ゆえに発生している満足感、それ故に起こっている自尊心、それら全てを放棄しなければいけないからです。

それらを放棄して、代わりに(貴方個人の)功績が決して認められないもの、筆者/作者に成ると云うワクワクする感覚を決してもたらさないものを受け入れなければいけないのです。
持って生まれた権利を所持しそれを体験する事は、『「権利を持って生まれなかった者」が「素晴らしい功績と見える事」を成し遂げた時に体験するスリル』には遠く及びません。{興奮する度合いで言えば}
しかし、それ(エゴ)が提供する素晴らしい事や深い自己尊重の感覚は、価値を内包していません。

いいですか? 貴方は生得権(持って生まれた権利)から離れては存在出来ず、その様に存在した事はありません。
貴方は決して「本当の貴方であるもの」以下に成った事など無いのです。

「貴方は生得権(持って生まれた権利)を持っていない」と云う主張/信念そして「その信念の下に立てられた全てのもの」は、自己否定を意味しています。 それは(考え得る限り一番)不健康でキチガイじみた行動です。
貴方がどの様に優れた事を達成したにしろ、それは『現存していた/いる「素晴らしいもの」』を否定する行為だったのです。
だから、それがどれだけ優れていたにしろ、それは間違っているのです。

これは受け入れ難い事です、しかし貴方がこれを見つめなければ、貴方は「初めから存在していた素晴らしいもの/事」に対して譲る動機を見つける事が出来る様には成りません。

エゴは「それでも貴方は(エゴが設定した)定義群の中で上手く働き続けなければ成らない。」と言う事でしょう。
しかし(貴方が本当に現在居る場所である)「天国」は貴方がそうする事は求めていません。

前にも言った通り、定義群は「変更された/歪められた知覚」を作っていますが、「もう一つの(別の)世界」や「もう一つの(別の)場所」を作ってはいません。

「故郷」は「貴方が故郷に対して無意識である事」を求めては居ません。 しかしエゴはそう求めています。 定義群はそれを求めています。

もし貴方が、貴方自身の事を「(四次元的個人性である)私と話している三次元的存在」として見る事に固執したなら、貴方は自分自身を閉じ込めようとしてしまいます。

貴方が発見しつつある様に、
我々が話していて、私が貴方に真理をぶっきら棒に伝えて、貴方自身を「私と貴方の相棒(プライベートな自己感覚/エゴ的自己感覚/定義を世界に与えている者)の間」に見つけるよう即している時、貴方は自身が綱引きの綱に成ってしまった様に感じています。

だから貴方は私と話し続けて、「コミュニケーションの様に見えているもの(#12)」が起こっており、「貴方は私と共に「ここ」に居る」と言う事実をデモンストレートさせ、「貴方は三次元的世界の中で真実を伝えている三次元的存在ではなく、四次元的な個人性なのだ」と云う事実をデモンストレートさせ、それらに気付いている必要があるのです。

真理の意味を掴み取る事は、「自身の世界をより良く定義する貴方の能力」を向上させはしません。
真理の意味を掴み取る事は、貴方の「定義プロセスをコントロールする能力」を向上させて、より良き(エゴにとってより心地良く、エゴを脅かさない)定義群を作り上げる助けにはなりません。

真理の意味を掴み取る事は、貴方が『人間としてではなく「存在」の意識体験として、人間の子供ではなく神の子として』貴方「自身」のリアルな意識体験内に入って行く事なのです。
それは、狂気と「その概念の枠組み内でリアルに見える全て」を取り除く事なのです。
「狂気の概念の枠組み内でリアルに見えているもの」とは、「生得権を持っていない感覚/父無し子の感覚/思考行為以外の源を持っていない感覚/思考者に成っている行為以外に源を持っていない感覚から集められた」定義群から構成されています。

だからもう一度言いましょう。
私と繋がっている事が『貴方が私と共に「ここ」に居る事』、『貴方が私と同じ様な存在である事』、『貴方の正しい「マインド」の中で「貴方」に成っている体験が「貴方」にとって自然なのだと云う事』をデモンストレートしていると認識しながら、私と繋がり続けてください。 
これをする事で、貴方は「故郷を示している誘導シグナル」と繋がる事が出来、そうすれば、『貴方が、私と「貴方」と「天国/リアリティ」を意識的に抱擁している所』へと(知的にではなく、概念的にではなく)体験的に導かれます。

貴方の卑小さにしがみ付くのは止めなさい。 「自分で説明できる事」の中に留まろうとするのは止めなさい。
貴方の、神聖に気付く(意識を保つ)より偉大な能力を、「貴方の既に持っている定義群」に擦り合わせようとするのは止めなさい。

貴方の「創造したもの」の「安全/安定」を手放しなさい。
これは、『「全てのもの」に対して貴方が与えた定義』への貴方の自信/信頼について言っています。

それらのものを無意味にさせてしまいなさい。 何故なら、貴方はその様にして <貴方が『リアリティ/神の現れ/「貴方」の現れ』を直接体験している事を見えなくしている>定義群を解除するのだから。

それが(貴方にとっては)大変恐ろしい無防備な/不安定な/不安な体験である事を、私はとても良く知っています。
しかし、「私もこれをした事、だから私は自分が何を言っているか良く解っている事」を貴方は良く覚えておかなければいけません。

貴方は、「自分の安全/安定/安楽を定義しているもの」は幻想であると言う事実に気付きつつあります。
「それらの定義に対する貴方の信心」が不明瞭さ/不透明さを作っており、それが「貴方の無限の自由」を見えなくしており、だから貴方は『「神/リアリティ/貴方自身」を否定している状況』に入っているのです。

貴方が三次元的には何も達成しなかったとしても、もし貴方が常に私と会話し続けたなら、『「正しい行動」の構造定義に従わなければ罰せられる、酷い事が起こる、損害を受ける』と云う幻想から目覚め出る事が出来ます。

確かに、「世界の中での」貴方の役割や場所に関する、無数の無意識的な概念があり、
他者に対する貴方の定義(貴方が彼等をどう見てるか、貴方が彼等の必要をどう認識しているか、貴方が彼等が言った事をどう解釈し、どう定義するか)への耽溺があります。

しかし、いいですか? ポール。

(貴方の定義群の「ふるい」を通して)貴方が認識している全ての個人性達は、実際には我々と一緒に「ここ」に居るのです。 彼らも、貴方や私と一緒に「天国」に居るのです。
だから貴方は、彼らに対する自分の現在の定義や知覚に縛られている訳にはいきません。
その様に彼等を知覚して、故に『貴方自身も「そこ/三次元的枠組み内」に存在している』と知覚し続ける言い訳にしてしまっていてはいけません。

貴方のエゴがその様に(自分は三次元的枠組み内に存在していると)言い立てている事に、貴方が気付いている様に、私もまた気付いています。 しかしこれは問題ではないのです。
問題(つまり解決)は、我々が霊的交歓/交流(Communion)を行い続け、そうして貴方が「故郷への誘導シグナル」を受け取り続ける事です。
それを覚えておいて下さい。 現在続いている論争に対して「それが正当な行為であると」貴方が考えてしまわない様に。

唯一の正当な行為は、「貴方が故郷への誘導シグナルに乗り続ける事」です。 何故なら、貴方は誘導シグナルに乗り続けながら、立ち止まる事は出来ないから。

貴方が誘導シグナルに乗っている時、貴方は「故郷」に向かって動いています。
それは私の視点からは『「貴方」が「意識」を取り戻す事』として見えています。

だから、この動きは「空間の中を移動する事」ではありません。
そうでは無く、意識的気付きが増す動きなのです。 丁度貴方が朝目覚めている時、それが「意識的気付きの増す動き」である様に。

エゴが挑発的な質問という形で疑問を投げ掛けて来ている時、それらの意欲的な質問に対する答えを捜そうとする事は、ただ誘導シグナルから離れる行為でしかないと理解出来る様に成ってください。
エゴはチョッカイを出しているだけで、その動機は(本来エゴはリアルな動機など持てないのですが)「貴方が何かを明確に知る事」を目指してはいません。

[私は休憩して、ここまでの会話の録音を聞き直してみました。]

ポール:  貴方が言った事を今聞き直してみました。

貴方が話している事を私が聞き直した時、「疲れた悲しみ」の様なフィーリングが沸き起こり、私は今でもそれを感じています。
私はその様な雰囲気の中に居ます。 これが何なのか、不思議に思っています。

しかし、このフィーリング内に留まりたい訳ではないので、どの様な事であれ、貴方の言う事を聞きましょう。

ラジ:  そのフィーリングは、とても穏やかな反乱です。
これは全面的な反抗/反対ではなく、「全ての慣れ親しんで来たもの」を愛おしく眺めている様な感じです。
自分がそれを放棄する事を知っているので、「慣れ親しんだもの」に対する感情が引き出されているのです。
これは、昔を恋しがる感情です。

これは「故郷」を思い出す事や「故郷」に対して懐く熱望とは全く別のものです。
何故なら「故郷」に対する回想は、貴方を鼓舞し生気に溢れさせ、その熱望は疑い様が無いほど強いのだから。

「故郷」に対する熱望は「貴方がそれを求めている故に、貴方がそこへと動いている所」への欲望/欲求です。
それに対して、昔を恋しがる感情は、「貴方がそこへ向かっては動いていないもの(遠ざかりつつあるもの)」に対する不毛な執着です。

だから当然、昔を恋しがる感情を持っているのは貴方のエゴです。
そして『「故郷への熱望を持っているもの」と貴方自身が繋がる事』を許可しているのが、貴方の真の「存在」です。
前者は不毛な試みで、後者は開示されている成就です(「満たされている事」が示し開かれているのです)。

だからここでも我々は選択に関して話しています。 これは悪い幻想からより良い幻想へと選び直す事では無く、幻想と「リアリティ」/狂気と正気/満たされない事と満たされる事/悲しみと喜び、のどちらかを選ぶ事です。

これは最終的には「リアリティ」を選んで幻想を放棄する事なので、(貴方が)選択の領域(興味深く挑発的な選択肢の領域)から出る事を意味しています。 {選択する能力を放棄する事に見えます。}
これは大変な損失に見えます。 しかし自分を哀れんで時間を無駄にするのは止めなさい。

選択の領域(選択能力)は、満足と喜びを約束している様に見えますが、実際には無知と苦しみの領域なのです。

貴方が霊的交歓/交流(Communion)を選び続けるにしたがって、貴方の悲しみは消えていきます。
別の言い方をすれば、霊的交歓の領域では「悲しみの感情/昔を恋しがる感情」は起こらないのです。
私は悲しみを感じておらず、体験もしていません。 だから霊的交歓の中には悲しみは無いのです。

そして、貴方は霊的交歓の喜びを感じてはいないかもしれませんが、霊的交歓の中では悲しみは起こっていません。
だから我々は両者とも、悲しみは体験していないのです。 
悲しみを唯一体験しているのは、幻想の相棒だけです。

貴方は現在調整期間を過ごしているのでは無いと知る事が重要です。 何故なら、貴方から何かが取り上げられている訳ではないのだから。
貴方が、幻想の相棒であった事は無いのです。 貴方は三次元的存在には成りませんでした。
だから、貴方は絶対に何も犠牲にはしていないのです。

貴方がこの可能性を抱擁したなら、貴方は「調整の為の時間が必要だ」と主張はしないでしょう。
貴方は、私と一緒に既に「ここ」に居り、想像の中で「その他の場所」に居る様に感じているだけなので、貴方は「自分に調整が絶対必要だ」とは考えないでしょう。
エゴが、自分も「天国」に入ろうとして、調整の為の時間の猶予を要求するのです。

しかしエゴは「天国」には入れません。
何故なら、エゴは「自身が父とは異なっており、(父から)分離不可能な創造の動きの意識体験ではなく、それ自身の創造の中に住んでいる」という基本的信念に依存していてるからです。
それは「リアリティ」や「アイデンティティ(個人性の真の意識的アイデンティティ)」とは少しも調和/一致していません。

貴方がするべき事は、単に許可するだけです。
その許可を与える為に貴方がするべき事は、少しの好奇心を持つ事だけです。 少しだけ探検家に成ってみる事だけです。

貴方が必要なステップを行えば、「慣れ親しんだもの」が地平線の果てに消えて行き、貴方の注意をそこから外して「貴方が居る所」へ戻す事が出来ます。

貴方が取るべきステップとは、「貴方の定義群」を放棄して(貴方の動きと成長(より大きくなる事)の感覚に与えられている)「定義群からのデータ」を放棄して、その代わりに(貴方のマインドが私と共に置かれている時、貴方が霊的交歓状態内にいる事を意図している時)「貴方の認可とは関係なく起きている」動きを受け入れる事です。

貴方が「思考者」そして「物事に対する定義者」のポジションを放棄した時、これは言わば「碇を上げた様」なもので、これにより動きが可能になり、貴方は自分が「父の意志」という牽引ビームに引っ張られている事を発見し、それが間違いなく貴方を「父の意志」との調和へと動かすのです。

そうなれば、「父の意志」で出来ている『「貴方」の「Integrity(統合性/整合性)」』が体験され、それが貴方の目を開かせ、貴方は「私は目覚めた。何という夢を私は見ていたのだろう。」と言うのです。


今また貴方は考え始めてしまっています。
思考が、この交流/霊的交歓を長いセッションにしてしまうのです。
思考が、「貴方は何も達成しない」と言うのです。
思考が、「これは退屈な事に成る」と言うのです。
これもまた、「慣れ親しんだもの」を顧みてしまう行動なのです。

「慣れ親しんだもの」とは、「達成する事」/「何者かに成る事」/「実体験する事」など、(貴方のコントロールや著作権を立証する)業績を物理的にデモンストレートする事です。

既に言ってある様に、貴方は静けさの中にただ長く座り続ける訳ではありません。

貴方が「平和」の中に立ち入ったなら、その時必ず必要が感じられるでしょう。
エゴはこの必要を、著作権(コントロール)を主張する要求と解釈します。
しかし実際に感じられているのは、「孤独でなくなる必要」です。

何故でしょうか? それは「存在/存在する事」とは合一(Unity)だからです。
貴方が貴方の「存在」の平和の中に居る時、『貴方の「存在」にとって不可欠なもの』が意識の中に立ち上ってきます。
すると貴方はコミュニオン(霊的交歓)/コミュニティのより豊かな体験に惹かれて行くのです。

既に言った様に、「貴方」を含めて我々は全員「ここ」に居るのです。
そして我々全員は、「ここ」でコミュニティとして霊的交歓をしており、意識的合一/統一状態にあるのです。

だから貴方が本当に目覚めたいと思ったなら、「自分の手に何かを握り込んで、何かを達成しようとする事」に耽溺するのは止めなさい。
意識を取り戻す事が出来る様、目覚められる様、エゴには耐え難い「このスペース」に居続けなさい。

エゴは「これは永遠に無期限に続くだろう」と示唆します。
そして「(定義の視点から)なにも達成されず、全てが駄目になってしまう」と言うでしょう。

しかし我々は一緒に居続けており、これからも一緒に居続けるのです。
我々の霊的交歓は無期限に続きます。 その理由は、それがリアリティだからです。
だから、貴方はこれを「耐え忍ばなければならない問題」としてではなく、真理として抱擁するべきです。

「我々が一緒に居て、(どの様なバリアも設けずに)無限に意識している事」が貴方の生得権なのだから、終わりの無い永遠の「リアリティ」に対するこの意識体験に屈服しなさい。

今貴方は、「悲しみが無くなっている事」に気付いています。
「素晴らしいワクワクする喜び」は現れていないかもしれません。しかし、貴方の言う「疲れた悲しみ」は無くなっているでしょう。

そして内的均一感(自分の中が平らな感じ)を体験しており、そこにはもしかしたら、少し重さが在るかも知れません。
これは貴方が、故郷への誘導シグナル内で交流(霊的交歓)をしているからです。

暗闇を突き通す光の束は、闇を説明はしません。 それは、闇を照らして理解可能にはしません。
光がする事は、光の源について話し、闇の欠如を示すだけです。
だから貴方が霊的交歓をしている時、貴方は光の源を体験しており、それは貴方を光に引き寄せ、(貴方が想像している)闇の重要性を否定し無化します。

私は、貴方が私と交流(霊的交歓)し続ける事を奨励します。

そして「私(ラジ)と交流し続ければ、貴方の幻想が良く理解出来る様に成る、貴方の定義群がより意味深くなる、あるいは少なくとも、定義群を高めてより優れたものに出来る」と考える事を止める様、私は奨励します。

そして、これ(霊的交歓)を永遠に続けなさい。
もしこれを永遠に続ける覚悟を貴方がしたなら、それが「今」の中に貴方の完全な意志を入れ、貴方の「今」が照らし出され、啓蒙されます。

ここで一番大切なのは、「物事を、それそのものとして見る事」です。 「貴方を貴方として体験する事」です。 「貴方が本当に居る所」で「貴方自身」を体験する事です。

正気が狂気よりも酷い事など、あり得るでしょうか?
明晰が無知より酷い事など、あり得るでしょうか?
(その様に貴方が考えていなければ)貴方は自分がそれを耐え忍ばなければ成らないとは考えなかったでしょう。 何故、貴方はこの様な素晴らしい事を、無期限な(ウンザリする程長く続く)事として解釈したのでしょうか?

無期限(ウンザリする程長く)、とは永遠をネガティブに言い表した言葉です。
しかし「永遠の命」と云う様な言葉を、望ましい事として言うのはとても容易です。
「永遠の意識」ならどうでしょう? それは何か酷い事でしょうか?

ここでの酷い事とは『貴方は「プライベートなパーソナルな感覚」の権威(著作権)を放棄しなければならない』と云う事です。

その為には「権威者」のポジションを手放す必要があります。
それは、『純粋な気付き(「存在」に対する意識体験/天国に対する絶える事の無い意識体験)そのものに成る』と云う、屈辱的に見える状態に貴方をおきます。

しかしエゴはコントロールの執行を求め続けます。
「王様と私」の中でシャムの王様が「彼等は、コントロールを使って、私が持っている全てから私を疎外してしまわないだろうか?」と言った時の恐れを、何故貴方は持たないのでしょう?
コントロールの執行は、「意識体験としての貴方の全て」を貴方から取り上げてしまわないでしょうか? 

何故貴方はコントロールし続ける必要があるのでしょう?
貴方の価値はそれ(コントロールの執行)とは繋がっていません。
貴方の価値観はそれと繋がっていますが。
しかしエゴ/相棒はアイデンティティ感覚であって「アイデンティティそのもの」ではありません。

貴方は「リアリティ」からの息抜きを求めて「何か他の事」をしようと立ち上がっておらず、ここに私と一緒に居続けているので、私は嬉しいです。

「兄弟姉妹の全員との合一を体験する事」が貴方の「持って生まれた権利」です。
「兄弟姉妹の全員との合一/統一」に対して無知/無意識で居ない事が、貴方の「持って生まれた権利」です。
それを絶えず体験し続ける事が貴方の「生得権」です。
「眼が見えていない状態」や無知は、それ程素晴らしい事ではありません。

それから、もう一つ言いましょう。
「デッカイ男の子達」に立ち向かう事は別に名誉な事ではありません。
彼らの仲間に成る事無く、彼らに楯突いて、彼らと同じ権利を主張して、偉さを競う事は素晴らしい事ではありません。
ここでの基本的な葛藤/闘争が解りますか? 基本的な矛盾が解りますか?

貴方の世界の中で今開示されている事に関して云えば、
サダム・フセインが「西洋社会」に立ち向かっている事は、彼の信用を増したり、彼の名誉を高めてはいません。
何故なら、彼が「西洋社会」に立ち向かおうとし続ける限り、彼は仲間入りは出来ないのだから。 だからこれは不毛な試みです。

エゴとして存在する事は、平等ではないのに平等に成ろうと試みる事です。
しかし平等に成る事は(エゴには)許可できないのです。 何故なら、平等に成ってしまえば、「自己価値/自己尊重を主張する能力」が犠牲になる様に見えるから。

解りますか? 貴方はリアルです。 貴方は正当な存在です。
貴方は兄弟姉妹の一員で、貴方は価値ある存在なのです。
貴方は「神」の直接的表現であり、それ以外の何者でもありません。
貴方は既にそれなのです。
だから、貴方が何かをして、それを作ったり、それを達成したりする必要はありません。

では話を止めましょう。 しかし故郷を示している誘導シグナルから離れてしまわないで下さい。

________________________


(#12)ラジはここでは、コミュニケーションと霊的交歓(Communion)を分別しています。 ここではコミュニケーションが行われていた様に見えていましたが、実際には霊的交歓が行われていたのです。

(#13)実際の台詞は、"Might they not protect me out of everything I own?" 『彼等は、私を守って、「私の所有している全てのもの」から私を疎外してしまわないだろうか?』です。

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

プロフィール

翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

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