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ACIM10-03-06#2

“You have taught freedom, but you have not learned how to be free. We once said, "By their fruits ye shall know them, and they shall know themselves." For it is certain that you judge yourself according to your teaching. The ego’s teaching produces immediate results because its decisions are immediately accepted as YOUR choice.”

[貴方は自由を教えて来ました。 しかし貴方はどの様にしたら自由に成れるか学んでいません。 ”彼等のもたらす結果によって、貴方は彼等を知るでしょう。 それによって彼等も、彼等自身を知る事に成るでしょう。” そう我々は一度言いました。 何故なら貴方は貴方の教えに従って貴方自身を裁く事が確実だから。 エゴの教えはすぐに結果をもたらします。 それはエゴの決断がすぐに「貴方」の選択として受け入れられるからです。]

貴方はそれ(エゴの判断)を「貴方」の選択として受け取ってしまいます。 だから、貴方はエゴの思考システム/信念システムの結果をすぐに実感する(見て感じる)事になるのです。

しかし、もし貴方が精霊に向き合って「ここの真理はなんなのでしょうか? 私はここで何と言えば良いでしょうか? 今私はどのようにしたら適切に振る舞えるでしょうか?」と訊ねたなら、そして貴方がそこで「流れるがまま/あるがまま」にさせたなら、貴方はすぐに結果を得るでしょう。 何故なら、そうする事が貴方の選択だと貴方が言って、貴方がそれを認めたからです。
これが要点です。 これが我々の話してきたシフトなのです。 

そこで貴方は真理を聞いてそれを自分で表現するのです。 他者に起こっている事として対処するのではなく、貴方自身に対して起こっている事としてそれを体験するのです。 (貴方の聞いた)真理が貴方の言葉であり、(貴方の体験している)真理が貴方の選択なのです。

貴方は(そしてポールも)よく「私は、自分の最上の概念や論理を超えた真理を知りたい。 私は真理を知りたい」と言います。
そして私が真理を知らせ、ポールはそれを聞いて、それを他の人にも教え、それを「ラジが言った真理」として知らせますが、彼は「自分が話している真理」の安らぎを得る事が出来ていません。
彼がその真理を自分の選択としたなら(自分のものとして選んだなら)、彼は安らぎを得る事が出来るのです。 「自分が選択さえすれば、その安らぎを得る事が出来る」と知っていたなら、彼はそれを得る事が出来るのです。

可笑しいのは、彼は「真理が何か知りたい」と要求したのです、彼は真理を知りたいと求めたのです。 彼は「真理を知りたい」と選択したのです。{しかし彼はその真理を自分のもの(自分の事)としては受け止めなかった(選ばなかった)。訳}

貴方達も、それと全く同じ事をしています。 
真理が示された時、それが(他の人の真理体験ではなく)自分の真理体験なのだと貴方が認識する事が大変重要なのです。 
そして「真理を知る事は貴方の選択次第なのだ」と知る事が重要なのです。

真理(を知る事)は自分の選択(次第)なのだと認識して貴方が真理を選んだ時、そこで言われている真理が瞬間的にすぐに結果として現れるのです。 これは、この様に働くものなのです。 貴方が真理を自分の選択と認識し、貴方が真理を選んだ時、貴方はその真理を得ます。  

誰もが「自分がお金持ちだったら良いのに」と言います。 しかし彼等は本当はお金持ちには成りたくないのです。 何故なら、もし本当にそれが彼等の選択なら、彼等はその選択をした瞬間的にお金持ちに成って居るのだから。

“The ego’s teaching produces immediate results because its decisions are immediately accepted as YOUR choice. And this acceptance means that you are willing to judge yourself accordingly. Cause and effect are very clear in the ego’s thought system because all your learning has been directed towards ESTABLISHING the relationship between them. And would you not have faith in what you have so diligently taught yourself to believe?”

[エゴの教えはすぐに結果をもたらします。 それは、エゴの決断がすぐに「貴方」の選択として(貴方に)受け入れられるからです。 エゴの教えを受け入れたという事は、貴方が自分自身をエゴの教えに従って裁く事を許したと云う事です。 エゴの思考システムの中では原因と結果は明確に示されています。何故なら(今までのエゴとしての)貴方の学びは全て原因と結果の関係を「確立」する事に向けられていたからです。 自分自身に対して一生懸命教えてきた事を貴方が信じない訳があるでしょうか?]

もちろん貴方はそれ以外の事は出来ないぐらい傲慢に成っているのです。 全ての孤児はそうなのです。

“Yet remember how much care you have exerted in choosing it’s witnesses, and avoiding those which spoke for the cause of truth and ITS effects.”

[しかし、貴方がどれだけ慎重にその証人を選んだか思い出して下さい。 どれだけ慎重に「真理の原因とその結果について話す者達」を貴方が避けたか思い出して下さい。]

この文は何を言っているのでしょうか? この文は「注意深く見てみなさい。」と言っているのです。

貴方は自分がどの様にマインドを使っているか注意してみる必要があるのです。 自分が求めているものに反して自分のマインドを使ってしまい、「神の聖なる娘/息子として持って生まれて来た権利」や「貴方が現在その中に居る天国」を体験する事を否定してしまわない様に。

“Does not the fact that you have not learned what you have taught . . . “
[「貴方が教えてきた事を貴方が学んでいないと云う事実」が]

貴方が教えてきた事とは、貴方が教えてきた真理、「二つのステップ」をして訊ね聴いた事であり、貴方が聞いた真理の事です。

“Does not the fact that you have not learned what you have taught show you that you do not perceive the Sonship as one?”

[「貴方が教えてきた事を貴方が学んでいないと云う事実」が、貴方が神の子(の共同体/Sonship)を一つのものとして認識していない事を証明してはいないでしょうか?]

{例えば、ここで真理を聞いた時}貴方達は「ラジがこう言った。ポールがこう言った。」と考えてしまいます。
しかし、もし貴方が真理を聞いてそれを真理と認めたなら、それは貴方の真理なのです。 それは他の人の真理ではなく、貴方の真理なのです。
ラジがこれを言い、ポールがこれに声を与え、貴方がこれを聞いて、貴方がこれを自分のものとした、その事が、神の子(Sonship)が一つである事を示しています。 何故なら貴方が神の子を「一つ」にしたのだから。 貴方は神の子のどの部分をも自身から遠ざけなかったから。

「しかし、それはラジが言った事でしょう。 それが真理だと私も思いますが、これはラジが言った真理でしょう。」
(この様に言って}貴方は真理を遠ざけてしまいます。

貴方は真理を体現し、自身の中に取り入れる必要があります。 貴方は真理を自分のものにする必要があります。
(啓示の結果として貴方の口から出てきた)真理の宣言の中で自分自身を認識すると云う意味で、貴方は自分のマインドを変えなければいけません。
これは、こんなにシンプルで美しい事なのです。

“Does not the fact that you have not learned what you have taught show you that you do not perceive the Sonship as one? And does it not also show you that you do not regard YOURSELF as one? For it is impossible to teach successfully wholly WITHOUT conviction, and it is equally impossible that conviction be OUTSIDE of you.”

[「貴方が教えてきた事を貴方が学んでいないと云う事実」が、貴方が神の子(の共同体/Sonship)を一つのものとして認識していない事を証明してはいないでしょうか? そしてそれは、貴方が「貴方自身」を「一つのもの」として認識していない事を示していないでしょうか? 何故なら確信なくして、上手く十全に教える事は不可能だから。 そして確信が貴方の「外」にある事もまた不可能だから。]

ええ。
貴方が(貴方の正気でしかない)精霊から真理を受け入れ、自分の口からそれを云ったなら、それは美しく癒しをもたらし驚異的で...、そして、それは貴方に関して何かを示す事になりますね?
それは貴方の神聖を暴いてしまうかもしれません。 そして貴方は「自分が神聖を本当に欲しているか」自信が持てないでいます。 「他の人からそれほど良くは思われたくない」と貴方は思っているかもしれません。
そんな事をすれば彼等は貴方に依存し出し、貴方に要求を突きつけ、その他諸々の面倒な事が起こってしまうかもしれません。
彼等は貴方を認めてくれて、貴方はそれをありがたいと思うでしょう。 しかし彼等は貴方に依存し出し、それは余り嬉しい事では無いかもしれません。 だから(そう考えて)貴方は第三者に{真理の表明/提示を}譲り続けるのです。

貴方は真理から距離を置き続け、それを貴方として示す事を避け続けます。 貴方はそれ(真理)を貴方として貴方自身に感じさせる事は許可していません。

しかし、それ(「貴方が真理を自分として示し、真理を自分として感じる事」を許可する事)が求められている事です。 それがシフトなのです。

これは(瞬間的に真理に気付くと云う)アイデア/概念に基づいた知的なシフトだけではないのです。
これは貴方のアイデンティティ/自己認識を変えてしまう体験をもたらす、貴方の中のシフトなのです。
このシフトが貴方の神聖を貴方に示し(貴方がそれを自分に許せば)貴方は自分の神聖を喜んで抱き止めます。
(このシフトに)抵抗する事無く(それを)抱擁する事で、この体験が(貴方そのもの/貴方のアイデンティティとして)貴方に認識され、それにより貴方自身に対する貴方の体験が変わるのです。

“You could never have taught freedom unless you DID believe in it. And it must be that what you taught came from YOURSELF. And yet, this Self you clearly do not KNOW, . .”

[貴方が自由を信じていなかったなら、貴方には自由を教える事は絶対に出来ませんでした。そして貴方が教えた事は「貴方自身」から来たに違いないのです。 しかし貴方がこの「自己」を「知らず」…..] 大文字の「自己」{より大きな/リアルな自己です}

“And yet, this Self you clearly do not KNOW, and do not recognize It even though It functions.”

[しかし貴方がこの「自己」を「知らず」そして認識してもいない事は明らかです。 この「自己」が機能しているにも関わらず。]

貴方の神聖は、貴方の神聖なるマインドは、常にここにあり常に機能しています。
貴方が貴方自身を「貴方の神聖/完全なるマインド」として体験している時、「貴方の神聖/完全なるマインド」は常に機能しています。
しかし貴方は少しの間(長すぎる少しの間ですが)、自分だけで(神/天国/リアリティから離れて)振る舞う能力を持った孤児のフリをする事を選択したので、貴方の神聖の直接体験を失っているのです。

“What functions must be THERE.”
[機能しているものは、「そこ」にあるに違いなのです。]

貴方が精霊に質問して答えを得たなら、精霊はそこに居るに違いないのです。 シンプルです。
精霊が答えて貴方がそれを聞いたなら、そして精霊が貴方の正気でしかないのなら、貴方は(自分ではその様に気付いていなくても)「貴方自身」を明確に体験しているのです。
だから、これを(今夜私がしている様に)貴方に言って聞かせる必要があるのです。
そして貴方は、これを自身に思い出させ続けて忘れないようにさせ、貴方自身の目覚めを(妨害するのではなく)促進し続ける必要があるのです。

“What functions must be THERE. And it is only if you deny what it has DONE that you could possibly deny its presence.”

[機能しているものは、「そこ」にあるに違いなのです。 それ(精霊/「貴方自身」)が行った事を否定する事によってのみ、貴方はその存在を否定する事が出来るのです。]

“This is a course in how to know yourself.”
[これは貴方が貴方自身を知るためのコースです。]
そうなのです。

“This is a course in how to know yourself. You HAVE taught what you are, but have not let what you are teach YOU.”
[これは貴方が貴方自身を知るためのコースです。 貴方は「貴方であるもの」を教えて来ました。 しかし貴方は、「貴方であるもの」が「貴方」に教える事を許可していません。]
{しかし貴方は、『「貴方であるもの」が「貴方」を教える事』を許していません。}

貴方は、たとえ孤児として振舞っている時でも、愛を表現しています。
愛はエゴ/孤児には表現出来ないものです。 愛はエゴ/孤児の中には存在していません。
貴方は自分が孤児だと主張していますが、貴方は愛を表現しています。

しかし貴方は、「貴方が表現している愛」に貴方を教えさせていません。
貴方は「愛が神聖なもので、愛の源が神に根ざしている」と認めようとしていません。
貴方を通して愛が表現されれば、それは神が貴方を通して表現された事であり、故に愛が真摯に表現されればそれが癒しになるのです。

すると貴方は「これは奇跡だ。 神が奇跡を行なった。」と言って、まるで貴方が全く関与していなかった様に振舞ってしまいます。
もちろん貴方は、自分が奇跡を起こしたと考えるべきではありません。
しかし貴方は罪や病や死を蒙りたいとは考えていないでしょう。
だから貴方はクリアに成るべきです。 貴方はエゴと神の子の両方で居続けようとする事は止めるべきです。
これが貴方のするべき事です。

“You have been very careful to avoid the obvious, and not to see the REAL cause and effect relationship that is perfectly apparent.”

[貴方はとても慎重に明白な事を避けて来ました、そしてとても明確に示されている「原因と結果」のリアルな関係を見ない様にして来ました。]

“You have been very careful to avoid the obvious, . .”
もう一度言いましょう。 [貴方はとても慎重に明白なものを避けて来ました、]

「明白な事」とは、貴方が神の娘であり息子だと云う事です。 そして今まで貴方が見たくなかったのは、
“. . . to see the REAL cause and effect relationship that is perfectly apparent.”
[全く明確に示されている「原因と結果」のリアルな関係] 
「神の子」の中にパーフェクトに現れている「原因と結果」のリアルな関係です。

“Yet within you is EVERYTHING you taught. What can it be that has NOT learned it? It must be this that is REALLY outside yourself, not by your own projection, but in TRUTH.”

[しかし貴方の中には貴方の教えた「全て」があります。ならば「それ(貴方が教えた事)を学んでいないもの」は何なのでしょうか? それは「本当は貴方自身の外にあるもの」に違いありません。 それは「貴方がその様に投射しているもの」ではなく、「真」に「貴方自身の外にあるもの」に違いありません。]

そして、
“What can it be that has NOT learned it?”
[「それを学んでいないもの」は何なのでしょうか?]

『「貴方が教えた事」を学んでいないもの』とは、この幻想的な自己感覚(実際には存在していない、{神から}独立した自己意識)に違いありません。 だから、それは貴方自身の外にあるに違いないのです。 解りますか? 

そして、それ(貴方が教えた事を学んでいないもの/分離に基づいた自己感覚/エゴ)が貴方自身の外にあるのは、貴方がそれを投射しているからではありません。
それが貴方の外にあるのは、それが貴方の外にしか居られないからです。 つまりそれは実在していないのです。
それは存在していないので、それが貴方の外に見えているのは、貴方がそれを投射しているからではなく、それが事実貴方の外に居るからです。 それは事実、貴方の外にあるのです。

“And it is this that you have taken in that is NOT you. What you accept into your minds does not REALLY change them. Illusions are but beliefs in what is not there. And the seeming conflict between truth and illusion can only be resolved by separating yourself from the ILLUSION, and NOT from truth.”

[そしてこれは貴方が取り込んだ「貴方で無いもの」なのです。 貴方達が自分達のマインドの中に何かを受け入れても、それは貴方達のマインドを本当に変えはしません。 幻想は、「実際には存在していないもの」に対するただの信念です。 真理と幻想の間の(見かけ上の)矛盾/紛争を解決するには、貴方自身を(真理からではなく)幻想から遠ざけるしかありません。]

では、どの様にして貴方自身をこの幻想から遠ざければ良いのでしょうか?  間違った前提に基づく理由や思考を続けて幻想を作る事によって、これをする事は無理です。

貴方自身を幻想から取り外す方法は一つしかありません。 それは、神が創造しなかった(故に実際には在り得ない)権利や能力を持っている「間違った自己感覚」にエネルギーを与えて、あたかもそれ(間違った自己感覚)を作っている様に見せる事を止める事です。

どの様にして貴方はこれをするのでしょうか? 先週も言ったとおり、口/マインドを閉じて静かに成る事で貴方はこれをするのです。
静寂の中で、貴方という「意識的気づき」が「それそのもの」として存在し続けます。 貴方という「それそのもの」は「注意深さ/意識を与える事」なのです。
注意深さとは、言わば好奇心なのです。
それは、生き生きとしている事であり、「何か」に目覚めている事です。

この注意深い静かさの中で、常に存在し続けている「創造の動き」が貴方に届く/響くのです。
「真理」が貴方によって認識され、貴方はそれを啓示と呼ぶのです。 
この様にして、貴方は貴方自身を幻想から取り外すのです。

「これこそが自分だ」と貴方が思い続けて来た(「これが貴方だ」と貴方が教えられて来た)エゴにエネルギー{意識}を与える事を怠って、貴方は精霊と繋がるのです。 つまり貴方は謙虚になるのです。
貴方の存在の静けさの中には傲慢は存在していません。 傲慢/権威者として振舞う事/力ずくで何かをしようとする事(willfulness)は注意深い意識的マインドという静けさの中にはありません。 

“Your teaching has already done this, for the Holy Spirit is part of YOU. “

[精霊は「貴方」の一部なので、貴方の教えは既にこれ(貴方自身を真理ではなく幻想から切り離す事)を行いました。 ]

“Created by God, He left neither God nor His creation. He is both God AND you, as you are God and Him together. For God’s answer to the separation added more to you than you tried to take away. “

[神によって「創造」された彼(精霊)は、神からも神の創造からも離れませんでした。 精霊は神と貴方の両方なのです。 貴方が神と精霊が一緒に成ったものである様に。 それは「分離に対する神の答え」が「貴方が取り去ろうとしたもの」よりも多くを貴方に付け加えたからです。]

“He protected both your creations and you together, keeping one with you what you would exclude.”

[彼は貴方と貴方の創造の両方を一緒に保護しました。「貴方が除外しようとしたもの」と貴方を一つに保ったのです。]

これは重要な文です。

“He . . .the Holy Spirit . . . is both God AND you, as you are God and Him . . . the Holy Spirit. . . together.”

[彼(精霊)は神と貴方の両方なのです。 貴方が神と彼(精霊)が一緒になったものである様に。]

「貴方は神ではない。しかし神が貴方の全てです。」と私は以前言いました。
だから貴方がいる所では、神が「そこにある全て」です。 そこに統一性と統合性(unity and integrity)があるのです。 貴方と精霊と神は一つです。 そして、この「一つのもの」が神です。
貴方が「神そして精霊と云う貴方」を「そこにある全て」にしたなら(それが神であり)「存在」の驚異的な完全性が、存在するもの全ての驚くべきパーフェクトな有り様が、貴方に体験出来るように成ります。

これはどういう意味でなのでしょうか?
これは貴方が自分の思考/過去の思考の結果/記憶にエネルギー{意識}を与えず、それを強化せずに「私は私自身に関して何も知っていない」と言う事を意味しています。
「私は私自身の真理に関して何も知ってなかった。 その結果、神の子としての私の体験は難しい事/厳しい事/苦痛な事/病を含んだものだった。 私はその様な体験をもはや求めていない。
自分を大きな声に作り上げて来たこの私は静かに成り、物事を認識出来る「マインド」の現れに成ろう。
そして私は静寂を保って、それが「神が満たすもの」で一杯に成るまで待っていよう。 (神がその静寂を満たしている)「全てのもの」が私に伝わる/認識出来るようになるまで待っていよう。」

これが貴方の祈りです。 これが貴方の実践するべき事です。
これをする事により、貴方は「貴方の教え」の安らぎに帰って行くのです。 これが貴方がまだ体験していないもの、しかし貴方が体験するべきもの、貴方が体験するに値するものなのです。

貴方は神に譲りませんか?  貴方は自分の正しい「マインド」でしかないものに従いませんか?
この様に訊ねるのは、少し可笑しい感じですね。
貴方は、貴方の正気に従いませんか? 
「私に、その位の事が出来ないとでも仰るのですか?」
では何故、貴方はそうしていないのでしょう?
しかしこれが求められている事なのです。

だから自分が既に全てを知っているフリをする代わりに、貴方は全ての事に対して「これは何ですか?」と訊き始めなければいけません。
貴方はもう一度好奇心を取り戻して、生き生きとした注意深さと期待に満ちなければいけません。

貴方が自分の方を向いて自分自身に依存している限り、その様な好奇心は見つかりません。 そして生命/人生はそれほど喜びに溢れてもいないでしょう。
しかしより多くの人たちがこれに気付き始めているので、人生はより喜びに溢れたものに成るのです。
その結果より多くの人々が自分達の「源」に入って行き、自分達の正しい「マインド」に入って行き、兄弟姉妹の共同体の中に入って行き、孤児体験を引き起こした事(分離/自分を{神/全体から}引き離す事)の正反対を行います。
だから貴方は分離を怠るのです。 分離を強化し続ける事を止めるのです。 分離を尊ぶ事を止めるのです。


“What you accept into your minds does not REALLY change them. Illusions are but beliefs in what is not there. And the seeming conflict between truth and illusion can only be resolved by separating yourself from the ILLUSION, and NOT from truth.”

[貴方達が自分達のマインドの中に何かを受け入れても、それは貴方達のマインドを本当に変えはしません。 幻想は「実際には存在していないもの」に対するただの信念です。 真理と幻想の間の(見かけ上の)矛盾/紛争を解決するには、貴方自身を(真理からではなく)幻想から遠ざけるしかありません。]

そして。
“Your teaching has already done this, for the Holy Spirit is part of YOU. Created by God, He left neither God nor His creation. He is both God AND you, as you are God and Him together. For God’s answer to the separation added more to you than you tried to take away.”

[精霊は「貴方」の一部なので、貴方の教えは既にこれを行いました。 神によって「創造」された(精霊)は、神からも神の創造からも離れませんでした。 精霊は神と貴方の両方なのです。 何故なら貴方は神と精霊が一緒に成ったものだから。 それは「分離に対する神の答え」が「貴方が取り去ろうとしたもの」よりも多くを貴方に付け加えたからです。]

かような愛。 
死ぬ迄に出来るだけ「沢山を得よう/大きくなろう」とチャレンジしスリルを楽しもうとしている必滅者(モータル)のフリを貴方がしている間も、かような愛により貴方は常に抱えられ育まれ永遠に保たれています。

“He protected both your creations and you together, keeping one with you what you would exclude. And they will take the place of what you took in to replace them. They are quite real, as part of the Self you do not know.”

[彼は貴方と貴方の創造の両方を一緒に保護しました。「貴方が除外しようとしたもの」と貴方を一つに保ったのです。 それら(精霊が保護したもの)は、「貴方がそれらの変わりに据えたもの」に取って変わります。 それらは(貴方が知っていない部分の「自己」として)とてもリアルなのです。]

それらとは、存在していないと貴方が主張している「自己」、神の子である「自己」、それが貴方だと誰にも気付かれたくない「自己」なのです。

“And they communicate to you through the Holy Spirit, . .” . . . your creations . . .“. . . and their power and gratitude to you for their creation they offer gladly to your teaching of yourself, who is their home.”

[そして彼等(貴方の創造)は精霊を通して貴方とコミュニケートします。そして彼等の力と、彼等を創造した貴方への感謝の念は、「貴方自身(そこが彼等の故郷です)に関する貴方の教え」に喜んで捧げられます。]

「貴方自身に関する貴方の教え」とは貴方の教えの安らぎを貴方が受け入れる事です。 全ては、貴方に貴方自身を教えているのです。 何故なら、{貴方の前に現れている}全ては貴方の個人性(Individuality)の見える様/触れる様(実体性)なのだから。 そして貴方の個人性とは神の現れなのです。

今週は、お願いですから、貴方の神聖を抱擁しようとして下さい。 それを否定するのは止めて下さい。 それに抵抗するのは止めて下さい。 それを隠すのは止めて下さい。

神聖である事とは行為/行動ではありません。 だから貴方は新しい行為によって神聖に成るのではありません。
貴方は孤児のマインドを使用せず、それを強化しない事によって神聖になるのです。
貴方は「二つのステップ」をする事によって、自分の神聖を隠す事を止めるのです。
貴方は自身を自分の正しい「マインド」の中に置く事によって、自分の神聖を隠す事を止めるのです。
貴方はどうやって自身を自分の正しい「マインド」の中に置くのでしょうか? 
自分の正しいマインドから{物事の有り様を}知りたいと願う事によってです。
忙しく考え喋り主張する事を止めれば、貴方は自身が『自分の正しい「マインド」』から知っている事を発見します。

今夜私が言った事は、貴方の気に入らなかったかもしれません。 これは難しい仕事のように聞えるかもしれません。
これは余り満足をもたらなさい仕事のように聞えるかもしれません。
しかし私は貴方に訊ねたいです。
罪/病/死はどれだけの満足を貴方にもたらすでしょう?
貴方がとても若かったとしても「私は死ぬまでに後60年ぐらいは生きられる。私はまだ長く生きられる。」と考えるのはどれだけ満足な事でしょうか。 貴方はそれで満足でしょうか?

その様な考えは貴方のマインドの中には相応しくありません。
何故なら、聖なる「神の子」は神の直接表現であり、従って神と同様に永遠だから。

だから「目覚める事」を尊重してください。
それを十分尊んで、注意を払い『貴方の「目覚め」を妨げて居る事』を止められる様に成ってください。 貴方の「目覚め」を妨げている事を放棄出来る様に成って下さい。

今まであまりこの様な指示は言って来ませんでしたが、
我々が今夜読んだ箇所を最低一日一回読み直して、貴方の注意を置くべき所を思い出してください。 貴方が迷ってしまい不必要な不幸を背負い込まない様に。
惨めさが起こっている枠組み全体から貴方が抜け出られる様に。
何故なら貴方は神の視点を自分のものにするべきなのだから。 貴方は神の視点を無視していますが、神の視点は何時でも貴方のものであり続けました。
私は貴方をとても愛しています。  貴方のシフトをサポートする為、今週私は貴方達一人一人と共に居ます。

次回貴方とお会い出来るのを楽しみにしています。



「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはその様なものだからです。 貴方と同等の方が既にこのギフトを貴方に差し出したので、これらの資料が貴方に提示されています。  Rajの指示により、これらの資料が売買される事はありません。 


A Course in Miracles Study Group with Raj, March 6th 2010
The Northwest Foundation for “A Course in Miracles”
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
Website: http://www.nwffacim.org
E-Mail: paul@nwffacim.org


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テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

ACIM10-03-06#1

March 06, 2010 ©NWFFACIM
2010年3月6日

原文テキスト
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=29084&mid=141369#M141369
オーディオ&ビデオ
不明

ページ位置の確認。
Chapter 16 – Section – THE REWARD OF TEACHING
Sparkly Book – p.383
JCIM – p.161
CIMS – p. 322
First Edition – p. 311
Second Edition – p. 334



少し瞑想しましょう。


今晩は。ようこそ。  
我々は新しいセクションに入りました。 

“THE REWARD OF [HEALING] TEACHING”
題名は[(癒しの)教えの報酬」です。

1st edition と 2nd edition の本に書かれている言葉は修正されたものです。 下記がその文章です。 

“We have already learned that everyone teaches and teaches all the time. You may have taught well, and yet you may not have learned how to accept the comfort of your teaching.”

[全ての人が常に教え続けている事を我々は既に学びました。 貴方は良く教える事が出来ていたかもしれませんが、「自分の教えの安らぎ」をどの様に受け取ったら良いか学んでいないかもしれません。]

ヘレンにこの箇所を話していた時、私は[全ての人が常に教え続けている事を我々は既に学びました。]とは言いませんでした。 [貴方は良く教える事が出来ていたかもしれませんが、]とも言いませんでした。 

私は下記の言葉を言ったのです。

“You have taught well, and yet you have not learned how to ACCEPT the comfort of your teaching.”

[貴方は良く教えて来ました。 しかし貴方は「自分の教えの安らぎ」をどの様に受け取ったら良いか学んで来ませんでした。]

この文を言った時、私は直接ヘレンに話しかけていたのです。 私は彼女について彼女に話していたのです。
だからこの部分では文脈が急に変わっていたのです。 1st Edition以降は、前置きが加えられました。 

“We have already learned that everyone teaches and teaches all the time. You may have taught well, and yet you may not have learned how to accept the comfort of your teaching.”

[全ての人が常に教え続けている事を我々は既に学びました。 貴方は良く教える事が出来ていたかもしれませんが、「自分の教えの安らぎ」をどの様に受け取ったら良いか学んでいないかもしれません。]

上記の方が(ヘレン以降に)コースを学ぶ人達にとっては読み易いでしょうが、ここではSparkly 版に書かれている文、私がヘレンに言った通りの(よりハッキリした)文章のままにして欲しいのです。

“You have taught well, and yet you have not learned how to ACCEPT the comfort of your teaching.”

[貴方は良く教えて来ました。 しかし貴方は「自分の教えの安らぎ」をどの様に受け取ったら良いか学んで来ませんでした。]

コース(ACIM)を学んだ人、これを人に教えたりシェアした事のある人全てにこの文は当てはまります。

“You have taught well, and yet you have not learned how to ACCEPT the comfort of your teaching.”

[貴方は良く教えて来ました。 しかし貴方は自分の教えの安らぎをどの様に受け取ったら良いか学んで来ませんでした。]

その理由は(そして、これがこのセクションの要点なのですが )貴方がまだ「精霊」と十分繋がっておらず、従って貴方の信頼を「精霊」にシフトしておらず、「精霊」と十分に交流(Communion)していないからです。 「精霊」と完全に交流/霊的交歓するあまり、貴方自身を精霊から分離したものとして見なくなるところまで、貴方がまだ行っていないからです。
その限りにおいて、貴方は「貴方が教えて来た事の安らぎ/安楽」をまだ体現/抱擁しておらず、従って(もはや孤児ではない)貴方の新しいアイデンティティーを体験する所まで行っていません。

だから、
“You have taught well, and yet you have not learned how to ACCEPT the comfort of your teaching.”

[貴方は良く教えて来ました。 しかし貴方は自分の教えの安らぎをどの様に受け取ったら良いか学んで来ませんでした。]

貴方はそれを今だ完全には抱擁しておらず。 故に「コントロールを手放す」と云うこの一番難しい事も出来ていません。
自分がコントロールを手放した結果としてカオス/混乱が起こらず、「貴方の存在環境、そして貴方の周り全てのもの」と云う『「生きている愛」の完全な平和/安全/安心が起こっている事』を体験出来るポイントまで貴方はまだ到達していません。

“If you will consider what you have taught, and how alien it is to what you thought you knew, you will be compelled to recognize that your Teacher, . .”

[貴方が自分の教えた事を顧みたなら、そしてそれが貴方が「知っていると考えてきた事」から見てどれだけ不思議なものか解ったなら、貴方の教師が]

これは「精霊」の事です

“. . . came from beyond your thought system, and so could look upon it fairly, and perceive it was untrue. And He must have done so from the basis of a very different thought system, and one with NOTHING in common with yours. For certainly what He has taught, and what you have taught through Him, have nothing in common with what you taught before He came. And the results have been to bring peace where there was pain, and suffering has disappeared, to be replaced by joy.”

[貴方の思考システムを超えた所から来ていると思い当たり、それ(貴方の思考)を公平に見る事が出来る様になり、それ(貴方の思考)は真理ではないと理解出来る様に成るでしょう。 彼(精霊)は全く違う(貴方の思考とは共通するものが全く無い)思考システムから行ったに違いないのです。 何故なら「彼が教えた事と彼を通して貴方が教えた事」は「彼が来る以前に貴方が教えていた事」とは全く違うから。 そして(彼の教えた事の)結果、痛みが在った所に平和がもたらされ、苦しみが消え、喜びで取って代わられたのです。]

上記の文章が重要なのは、精霊が(貴方に理解出来る言葉で)貴方とコミュニケートする事が、貴方に変容をもたらす事に成るからです。
これが、貴方が今まで「孤児的マインドの思考」を行って来た(精霊を自分のマインド内で聞き、自分のマインド内で自分のマインドを使って思考して来た)と全く同じ場所で体験されるのです。 だから「精霊を聞く事」は、今まで貴方が居た同じ所で起こるのです。

しかし貴方が{精霊から}聞く事は、今まで「これが自分だと考えて来た」孤児としての貴方が教え(表現し)/信じ/理解して来た事とは全く違うものです。

だから貴方はまるで二つの異なった自己を体験している様にも感じられるのです。
一つは、新しい素晴らしい事を学んでいる、そして今までと同じ場所に他の「マインド」/他の「現れ」を見ている、今まで通りの孤児としての貴方。
もう一つは、貴方とは違う考えを持って貴方に話しかけている、もう一つの「自己」。 「今まで貴方が体験して来なかったやり方」で貴方を抱擁し、「貴方に罪悪感を感じさせる事無く、貴方を変容させる様に」貴方をもてなしている、もう一つの「自己」です。

この本を読みながら私が貴方に教えてきた事が、この本が我々に言っている事です。
それは「精霊とは貴方の正しいマインドでしかない」と云う事です。
だから、本当はもう一つ別の自己がある訳ではないのです。人類とはとても異なった「聖なる三位一体」の自己がある訳ではなく、精霊は貴方の正気でしかないのです。

しかし貴方のマインド内ではあたかも二つの自己がある様に見えるのです。
一つは「貴方が今まで教えて(表現して)来た事」とは違う事を教えるものです。
もう一つは、貴方のマインド内を自分の思考で一杯にしている者、貴方が「自分はこの様な存在だ」と考えている者です。

何故これが重要なのでしょうか?
何故なら、救済は「貴方が忠誠を与えているものをシフトさせる事」にかかっているからです。 「貴方が尊んでいるもの」をシフトさせる事にかかっているからです。

これは複雑な事ではなく、複雑なプロセスを学ぶ必要もありません。
これはシンプルに行なえる事で、とても簡単で、尚且つ一番意味深いものです。
それは「しない事/取りあわない事」なのです。 「しない事」には力は要りません。 そしてこれは「目覚める」為に必要不可欠なものです。
貴方は何をしなく成るのでしょう? 貴方は思考する事をしなくなり、尊ばなくなるのです。
貴方は大きな騒音を自分で出して何も聞えなくしてしまう事を止めて、{精霊が}楽に聞ける様にするのです。

貴方はもう、ACIMの原則を「理解」しようと試みるのは止めるべきです。
他の者に分け与えたり正当化したり出来る「理解」を得ようとする事は、もう止めるべきです。
もう「コース」の知的な側面は無視するべきなのです。 何故なら貴方が学んで来た事を体現する事が絶対必要なのだから。

貴方は自分の努力によってこれを行うのでしょうか? 違います。

貴方は「二つのステップ」を行ってこれをするのです。 踏み止まって一歩後ろに下がり躊躇して(すぐに反応してしまわず)、「ここの真理は何なのですか?」と訊ねるのです。
精霊(貴方が孤児のフリをしている限り、これが「神の声」/「真理の声」です)に訊ねるのです。 貴方の正気にしか過ぎないものに訊ねるのです。
貴方の中の精霊が「神の声」であり「真理の声」です。
精霊は「私は自分で責任を取って、自分で物事を起こしたい。そうして自分の行動によって何者かに成りたい。」と云って貴方が離縁した貴方自身の一部分です。

“You have taught freedom, but you have not learned how to be free.”

[貴方は自由について教えて来ましたが、どの様にしたら自由になれるか貴方は学んで来ませんでした。]


貴方は(ACIMに関して)上手く話せるように成っていますが、まだそれを体現して実際に自由になってはいません。
貴方はまだ、(ACIMの教えを)他の何ものよりも重要なものとして受け取り(どのように存在し、何を言うべきか解る様に)「いま何が起こっているのですか? ここの真理は何ですか?」と精霊に訊ね続けてはいません。

私はポールに「全てに対して私に反応させなさい」と言ってあります。
私は(ポールに対しても、貴方達に対しても)精霊と同じ役目を持っています。

そして私が「全てに対して私に反応させなさい」と言っている時それは(ポールもこれに関しては良く誤解するのですが)、貴方自身が居なくなって、誰か他の者に完全に譲り渡し、他者の意向を話し行動する役者に成る訳ではありません。
「私に全てを任せなさい」と言っている時、私が意味しているのは上記の事ではありません。

私が言っているのは『静かに成って、貴方の取るべき反応を私に示させなさい。 神聖なる貴方を私に示させなさい。それらを貴方に分け与えさせて下さい。 貴方が自分自身の本当の声を使えるように私にガイドさせて下さい。 これを毎日行う事で、これに慣れて下さい。 自然なフィーリングと共に貴方がこれを出来る様に。 貴方がこれに抵抗したり、これが本当の貴方ではないと感じたり、「これは自分よりも優れた者だ」と感じたりしないように。』と云う事です。

重要なのは、貴方が自分の{正気から独立して存在し続けようとする}意志を取り下げる事です。

物事をなそう/物事を認証しよう/物事の原因と成ろうとする貴方の意志を取り下げて、精霊かあるいは私と繋がれる様に成り、貴方の本当の「存在」つまりリアルな「マインド」を(私か精霊に)照らし出させ、貴方がその中に入って行ける様にしなさい。 それが本当の「貴方」を引き出すのです。
その結果それ(貴方の「存在」/リアルな「マインド」)が自然である事を感じ、(最終的には)私の助けがなくても貴方がそこに居続けられるように成るべきなのです。

これが要点です。 これをした時、貴方は貴方の教えの安らぎを体験出来るように成るのです。

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

ラジとの出会い

私が始めてPaul Tuttle (ポール)さんとお会いしたとき、ゲイリー・レナードさんの著作に関して私が質問した所「ゲイリー・レナード氏の主張はラジの言う事とは異なっている」とポールさんに言われました。

その途端、私は興奮してしまい次の様に言いました。
「少なくともゲイリーさんの著作は理解出来た。 その本が何を言いたいのか解った。 しかるにACIMは分厚すぎる。そして文章がおかしい。ここまで難解で、よじれたロジックが内在している文は、おかしいではないか? 私はACIM(2nd Edition)を見て ”There must be a better way.” と思わずにはいられなかった。」と言いました。 そう考えたというより、その様な言葉が自分の中から押し出されて来ました。

それを聞いたポールさんは、はじめ何かを言いたそうでしたが、一呼吸置いてから(「二つのステップ」だったんでしょうね)傍にあったJCIM(Jesus’ Course in Miracles)を手に取ると、それを私に差し出して「これを貴方に上げましょう。」とだけ言いました。 恐縮した私が「あ、じゃ売って下さい。 幾らですか?」と訊ねると「いいや、これを貴方にギフトとして上げたい。」と仰るので、ありがたく頂きました。 

このギフトを受け取ったので、私はラジの翻訳をしたのでしょう。

この時は確かにラジと話している気持ちがしました(ラジとポールは結局は一つなのですが)。
彼は私の言っている事を受け止め、それを否定はしませんでした。 
そしてその場で何かを言う事によって私の気持ちを変える事が出来ない事も理解して、ラジは私とは言い争わず、手元のJCIMをプレゼントするという行為で答えました。

何時でもこれぐらい感服せざる得ない事をし続けてくれたら良いのに、過去の話などを聞くと、ラジはたまにキャラクター/パーソナリティにしか見えない様な事も言うので、聞いている方は混乱してしまいます。
(例、ラジはRolling Stonesが嫌いらしく、”Satisfaction” を嫌みったらしく音痴に長々と歌って見せたりしているオーディオが残っています。 その後、質問者に“You can’t always get what you want”を引用されて、一本取られてました。)

しかし、とりあえずラジの言っている事を出来るだけクリアに受け取ってみよう、という気持ちに私は成ったのです(プレゼントの効用)。

今から思えば、JCIMを差し出す事によってラジは、Foundation For Inner Peaceが出版している1st Edition 及び2nd Edition(最近は3rd Edition も出ている様ですね)に対する意見をも表明していたのでしょう。

ある意味でJCIMは、Foundation For Inner Peaceに対して異を唱える形で出版されていると思います。
前書きには、Hugh Lynn Cayce バージョンの説明が書かれています(JCIMや「Rajが読んでいるSparkly Book」はこれを元に作られています)。 後ろの方には Cayceバージョンと2nd Edition の文章が並べて書かれており、どの様にこれら二つが違うのか比較する事が出来る様になっています。
しかしJCIMがそれ程2nd Edition と違うようには思えませんでした。 確かに2nd Edition には書かれていない文がJCIMには存在しています。 しかし私には2nd Editionに比べて、それ程JCIMが読みやすい様には感じませんでした。

私がACIMを英語で読み始めて(読み始めようと試みて)不満に感じたのは、文章が解り難くとても抽象的な表現が多い、分量がやたらと多い、この二つでした。 その後ラジのACIMスタディーなどを聞き、その一部を訳し、ラジとポールの共著を二つ訳しました。 そして最新のACIMスタディー(5月1日分)を訳し終わった時点で、Rajの主張するACIMの根幹がよりハッキリしました(少なくとも私にとっては)。
私としては「ACIMが目指している所、ACIM学習者が目指すべきもの」を知らない状態で、ACIMの大量な文章を読み進む事は苦痛で不可能だったのです。

現在の私の理解ではACIM学習者が目指すべきは『この世界で何者かに成ろうとはせず、何かを達成しようとはせず、神からの独立を謳わず, 「精霊」か「ガイド」か「神」と繋がり、目覚める事/正気に返る事です。 その為には静かになって(思考/推量/反応を止めて)、聞く事を続ける事、これを常時続けられる様に成る事です。』


最近Urtextをインターネット上で読む機会がありましたが、ヘレンさんとイエスの対話部分は思っていた以上にこれが解り易いのです。  2nd EditionやJCIM以上に理解が簡単なのです。 しかしヘレンさんとイエスの対話は、ヘレンさん個人に対するアドバイスとして(Urtext 以外のものからは)削除されてしまっています。
もしこの対話部分が残されていたならば、ACIMはより理解し易いものであったはずと思いました。 そしてラジとポールの対話は、この部分を補う役目も担っている様です。

と同時に、何故対話部分が削除されたのかも理解できたと思います。 この様な部分を残せば多くの人はACIM全体を拒否してしまう、とヘレンさんらは当時心配したのだと思います。 例えば、Urtextの中でイエスは「ヘレンさんがアトランティス時代に神託を書き留める人だった」などと言ってます。  「アトランティスはチョッとまずいヨ。これではトンデモ系のレッテルを貼られてしまう」と、私でも思った事でしょう。
つまりイエスには「ここまで位だったら皆信じられるだろう」と云う様な遠慮がないのです。

最近Urtext (と云うか、ヘレンさんの手書きのノートから、文章をもう一度書き出したのだそうです)が書籍の形式で出版された様です。 私も注文しましたがまだ手元に届いていません。 
日本では近く日本語版が出版されるそうですね。 我々が待っていた日本語版。 これで日本語でACIMを学習し易く成る事と思います。 

しかし日本語に成ってもACIMは依然として手ごわいのではないでしょうか? 
その一番の原因はACIM原文の抽象性だと思います。 
もう一つの問題は代名詞の使用です。 (Urtextを含む)ACIMではItやHeなどの代名詞を使い過ぎています。
そして最後の要因は「一つの文に沢山の主題を詰め込みすぎている」です。
後ろ二つの要因は翻訳者の努力で解決する事も可能でしょう。 しかし原文の抽象性を翻訳で解決するのには限界があります。

ラジはACIMに出来るだけ具体性を持たせようとしているのだと思います。 
その結果、時折パーソナリティとして振る舞っている様に見えてしまったとしても。

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プロフィール

翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

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