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ACIM10-03-27#1

March 27, 2010 ©NWFFACIM
2010年3月27日


ページ位置の確認。
A Course In Miracles (reference pages)
Section: ILLUSION AND REALITY OF LOVE1
Sparkly Book – p.386 /
JCIM – p.162 /
CIMS – p.324
First Edition – p. 313 /
Second Edition – p. 337



今晩は、ようこそ。  
今晩は、「神」の「息子」よ、「娘」よ。

貴方自身の神性を認識する事が、これを積極的に抱擁出来る様に成る事が、貴方を貴方の「父」ともう一度繋げ直して、貴方を自分の正しい「マインド」に戻します。 (言い換えれば、貴方が自身を『貴方の正しい「マインド」』からこれ以上遠ざけなく成る事により、貴方の正しい「マインド」が貴方の下に戻って来ます。)
我々は、貴方が強大な同伴者達と共に居る事に関して話してきました。 その中の一人は精霊、つまり貴方「自身」です。

それだけではなく、貴方は「貴方が創造した全てのもの」にも伴われており、彼等全員が(リアリティと幻想の間の少しのギャップを橋渡している)橋の向こう側で貴方を待っています。 
彼等は十分強大なので、貴方が必要な決意と自制を行い橋を渡り始めたなら、彼等は牽引力(弾き付ける力)を用いて、橋を渡っている貴方を助けます。

貴方が今すでに橋を渡りきっていない事には特定の理由があります。
橋を渡る為には、貴方はこの理由をしっかり見据えて、それを手放す必要があります。 「父」と貴方「自身」に対して貴方を無知にしてしまっているのは、貴方が「この理由」にエネルギーを与え続け強化し続けているからです。
その理由とは「特別な憎悪関係」“The special hate relationship”と呼ばれているものです。

我々は「神」の聖なる娘/息子としての貴方の美しさに関して述べて来ました。 これには理由があります。
これが貴方の真理であるだけでなく、この知識/理解が貴方に「この事実を抱擁しようとする意欲」を与えるから。

実存する「特別な憎悪関係」は一つしかありません。
この答えを聞いたら貴方は驚くことでしょう。
それは貴方と「神」との間の憎悪関係なのです。
「父」との特別な憎悪関係? 強烈過ぎる言葉ですか? いいえ、これは{貴方の現状を示すに}強すぎる言葉ではありません。

「自分一人のやり方で全てを見てみよう」と貴方が決めた時、「物事のあり方を自分で定義しよう」と決めて、「父」から離縁した時、貴方は自分の存在の中の「彼/神の場所」を完全に否定したのです。 「彼/神/父」が実際に貴方の「存在」の源であると云う事実を否定したのです。
と同時に貴方は、自分の「持って生まれた権利」から自分を分離して、直ちに恐れと罪を体験し出したのです。
そして貴方は、罪と恐れが示しているチャレンジ(試練)を受けて立ったのです。
貴方は罪と恐れに面して、それは『自分の正気が「自分はリアルでない領域に居る」と云っている事なのだ』とは解釈せず、父からの分離行為を止める事もして来なかったのです。
そして恐れと罪が{かりそめの}永遠の中で、貴方の存在の一部に成ったのです。

ここで言う恐れとはなんでしょう? 何に対する恐れでしょうか?
この時点で、貴方に恐れる事が出来るのは一つの事だけです。 それは『貴方が「父」を否定した事』がばれてしまう事です。
実際のところ貴方は彼/神との憎悪関係に在るのです。 何故なら貴方は「私は彼/神とは全く関係が無い」と言ったのだから。
「私は彼とは関係を持ちたくない。 私は自分の独立を体験したいので、彼からの遺産は全て否定したい」

貴方が自分の「源」を否定している時、そして「本当に貴方であるもの」と「貴方の持って生まれた権利」の直接体験を貴方が失ってしまい、それ故に貴方が「貴方で在るもの/真の貴方」を否定している時、それは憎しみの行為なのです。
自己否定はもっとも激しい幻想で、これにはネガティブな効果が伴います。

本を読みましょう。 新しいセクションです。

“ILLUSION AND REALITY OF LOVE1”
[愛の幻想とリアリティ]

“Be not afraid to look upon the special hate relationship, . .”
[特別な関係を見る事を恐れるのは止めなさい。]

ここ暫く「貴方という神の聖なる子供」や「巨大な同伴者」や「貴方の創造したもの」その他にに関して話してきた後では、これは全く違う事に感じられるかもしれません。
しかし「聖なる瞬間」を持つ事を一旦貴方が決断したなら、これが次のステップです。 貴方が自分の神聖を取り戻す事を決めたなら、これを見る必要があるのです。

“Be not afraid to look upon the special hate relationship for freedom lies in looking at it. “

[特別な関係を見る事を恐れるのは止めなさい。 何故ならば、それを見据える事が自由へと繋がっているのだから。]

それを見ようとしない限り、貴方はそれがそこにある事を認識出来ません。
もちろん貴方は「神様が嫌いだ! 神が大嫌いだ。」と言って一日中過ごしている訳ではありません。
しかし貴方が毎日の全ての瞬間に自分の行動を「神」に委ねていない事が、貴方が神と相反している事を示しています。

こんなにシンプルな事です。
そして貴方はこれに気付いていません。
貴方がこれに気付かずにいる間は「故郷」に戻る事は不可能です。
だから我々は長々と「故郷」へ帰る事とその為に必要なステップに関して話しているのです。
そして今我々は、貴方が「神」の聖なる「子供」である事を認識するステップ(段階)に来ています。

さて、恐れと罪によってもたらされた不調和の体験は、貴方に自己嫌悪をもたらしました。
だからこの特別な憎悪関係(現在これだけが貴方と「神」の関係に成っています)の二次的側面は、貴方が自分自身を憎み嫌う様に成る事です。

ここでも貴方は次の様に考えるでしょう。
「でも、私は基本的に自分を嫌いだとは考えていませんよ。 人生の殆どの場面で私は自分自身が好きでした。 私が自分を嫌いに成るのは、とても落ち込んでしまった時だけの話しです。」

では、次の様に訊ねましょう。 「神の息子よ、貴方は貴方自身が好きですか? {貴方は、自分の事を神の息子として示す事が出来ますか?}」
「またその話を、持ち出すのですか?  私が「神」の聖なる「息子」である事を頭の中で抱擁する事は出来ます。 しかしそれを公にしたくはありません! 私はそれを主張したり、その様に生きたり、その様に成ったりしたくありません!」

つまり貴方は自分自身が好きでは無いのです。
これはそういう意味のなのです。
これを見る事を厭うのは止めなさい。
もし貴方が自分の神聖を知りたくないと思っているなら、それに関して気付いているべきなのです。
何故なら、それ(貴方が自分の神聖を知りたくないと思っている事)に対して無意識で居るのではなく、それに気付いたなら、貴方は選ぶ事が出来るのだから。 この様にして貴方はもう一歩先に進むことが出来るのだから。
貴方は、そう選択して橋を渡り、目覚められる事、自分の正しい「マインド」に戻って行ける事を知っている必要があります。

“Be not afraid to look upon the special hate relationship for freedom lies in looking at it. It would be impossible not to know the meaning of love, except for this. For the special love relationship, in which the meaning of love is LOST, is undertaken solely to offset the hate, but NOT to let it go.”

[特別な関係を見る事を恐れるのは止めなさい。 何故ならば、それを見据える事が自由へと繋がっているのだから。 「特別な関係を見る事を恐れている事」だけが愛の意味を解らなくしているのです。 何故なら(その中で愛の意味が失われている)特別な愛の関係が築かれるのは「憎しみを埋め合わせて(相殺して)しかし憎しみを手放さない為」だからです。]

「いいえ、私はそれを手放しません。 もしそうした場合「私が神の神聖なる子供である事」を認めなければならないのなら、私は憎しみを手放したくありません。 私は不可能に挑戦している(そして、それを達成していると自分に思い込ませている)充足感と高揚感をそれなりに楽しんでいます。 だからこれは手放せません。」 (と貴方は言っているのです。)

しかし、
“Your salvation will rise clearly before your open eyes as you look on this. You cannot LIMIT hate. The special love relationship will not offset it, . .”

[貴方がこれを見るに従い、救済が貴方の目の前にクリアに立ち昇って来ます。 貴方は憎しみを限定する事は出来ません。 特別な愛の関係は、{実際には}憎しみを埋め合わせ/相殺するのではなく]

憎しみを変える事、限定する事、減少させる事は出来ません。

“. . . but will merely drive it underground and out of sight. It is essential to bring it INTO sight, and to make no attempt to hide it. For it is the attempt to balance hate with love that MAKES love meaningless to you. The extent of the split that lies in this you do not realize. And UNTIL you do, the split will remain unrecognized, and therefore unhealed.”

[憎しみを意識の奥深くへ隠すのです。 これを見える所に引き出し、隠す事を止める必要があります。 何故なら、憎しみと愛のバランス(均衡)を取ろうとする事が、貴方に愛の意味を失わせているからです。 貴方は「この事により起こっている分断」に気付いていません。 貴方がこれをするまで、貴方は分断に気付く事が出来ず、故に分断を癒す事が出来ません。]

だから、貴方が橋を渡って行くに従い、これが癒される最後のものに成るのです。 何故なら、これが貴方が初めて行った「癒されない行為」だから。
貴方が「父」との繋がりを切断し、貴方自身の神性の意識体験から自分を切り離した事が、貴方がリアリティの意識体験から離れた時に行った一番最初の行為だったのです。
だから「故郷」へ帰る過程で、貴方は一番最後にこれを解除する事に成るのです。

ですから、(特に貴方の神性に関して聞き続けた後では)これは余り楽しくない事に見えるかも知れませんが、それでもこれをクリアに見る必要があるのです。

さて「特別な愛の関係」とは何でしょうか?
次の様に言いましょう。 特別な愛の関係とは、特別な憎しみの関係を覆い隠す関係です。

では、特別な憎しみの関係とは何でしょうか?
これは貴方が「二つのステップ」を行う事無く兄弟姉妹との間に築いている関係です。

貴方は「二つのステップ」を行なって聖なる瞬間に入り兄弟姉妹に関する真理を知りたいと願い、その真理に満たされて(貴方が「父」と繋がる事を決めた事により)貴方に示された新しい視点から兄弟姉妹と関わり合うべきなのです。
貴方が(孤児院の中に居る、孤児的マインドを持った)孤児のフリをしている限り、貴方の全ての関係は無意識の関係なのです。
私が言いたい事は、「貴方は誰か「リアル」な人と確かに関係を持っているのですが、貴方はその人の真の姿に対して無意識で居る」と云う事です。

それは何故でしょう? その理由は孤児的マインドの中では、貴方の兄弟姉妹は単に目的への手段でしかないからです。
その時彼等は貴方にとって、家族ではなく、貴方と同じ聖なる「持って生まれた権利」を別け合う者ではないからです。

目的への手段に成っている全ての関係は、貴方の利益の為に使われるものとして存在してしまいます。
そして、それらの関係は貴方が感じている自己嫌悪を忘れる事を助ける為に使用されます。
だから、貴方は自分の兄弟姉妹をどの様にでも使って「貴方が自分を嫌っている事」を隠そうとします。
貴方が行う全ての行動は、この事実を覆い隠す試みなのです。
(一時的なものであるにしても)貴方が自分自身を好きではないという事実、貴方が自分自身に関して良いフィーリングを持っていないという事実を覆い隠す試みなのです。
貴方は自分の兄弟姉妹を使って自分を何か価値在る者に仕立て上げようとします。 これが貴方のゴールです。

これはどう言う意味でしょう?  これは貴方が自分の兄弟姉妹を物(目的への手段)として見ている事を意味しています。
だから貴方は彼等の神性をも否定しているのです。

その時、貴方は彼等との繋がり(コネクション)を失っています。
そして彼等も、貴方を「目的への手段」として見ており、貴方との繋がりを失っています。

この様にして「存在する事」が、お互いに繋がっていない(お互いの価値と尊厳を認め合っていると騙し合っている)人達の間のダンス(やり取り)に成ったのです。 
これをしている間、誰も立ち止まって「二つのステップ」をして「父」に「私の兄弟に関する真実は何ですか? 私の兄弟の神性を見せて下さい。」と訊ねていないのです。
お互いを騙し合う関係を実践している貴方達が、これ程友好的にしていられるのは驚くべき事です。

貴方達が(孤児として、孤児のマインドで)お互いと関係しているやり方が酷い惨い意地悪な破壊的なものであると云う事実を見る意気地が貴方に無ければ、貴方は橋を渡る為に必要な力を得る事が出来ないでしょう。 貴方は、「貴方と共に居る強大な同伴者」や「貴方の創造した者達」や「貴方が正気に返る事を望んでいる父」の所に行こうとする機動力が持てないでしょう。
貴方の正気は貴方の正しいマインドで、その中では、全ての関係が聖なる関係なのです。

“The symbols of hate against the symbols of love play out a conflict which does not exist.”

[憎しみのシンボルは愛のシンボルに対して、実存しない闘争/対立/葛藤を演じて見せます。]

「憎しみのシンボル」と「愛のシンボル」とは何でしょうか?
孤児達がお互いを物(目的への手段)として扱う時、貴方達は愛情ある様に振舞ったり、愛情が無い様に振舞ったりします。
愛情ある様に振舞う事は「愛の現れ」に成っている事ではありません。
だから、その様な時貴方の全ての行動は愛のシンボルを作っているのです。
それらは「愛とは何か、憎しみとは何か」決定している相互合意された定義群なのです。 それらの相互合意された定義群は、両方とも間違っています。 何故なら、そこでは愛が愛ではなく、愛が憎しみとして解釈され得るから。

つまり貴方が「憎しみに対する相互合意された定義」を持っている場合、誰かがやって来て貴方に関する真理を示した時、「貴方は神の聖なる息子です。 ここに来て、貴方の神性の意識体験の中で私と繋がりなさい。」と彼が言った時、それは意地悪な事です{貴方はそれを意地悪な事として受け取ります}。

真理を「知っている」者、「父」と共に立っている者が「貴方は憎しみの関係に耽溺している。 貴方の特別な愛の関係さえ、特別な憎しみの関係を覆い隠す為のものだ。」と言ったなら、貴方は「そんな事は在り得ない。 それは噓だ。貴方は私を騙している。 貴方は私を憎んでいる。 何故なら、貴方の言う事を信じたなら私はキチガイだと云う事に成る。」と言うでしょう。

そして真理を「知っている」者は優しくこう言うのです。 「しかし、貴方は狂気に至っているのです。 何故なら、貴方は物事をクリアには見ていないから。 そして物事を本当にクリアに見る方法はあるのです。それを私が示しましょう。」と言います。
しかし、これは(貴方が信じ込んでいる)相互合意されている定義群とは辻褄が合わないのです。 だから、この呼び掛けは誤解されてしまいます。

“The symbols of hate against the symbols of love play out a conflict which does not exist.”

[憎しみのシンボルは愛のシンボルに対して、実存しない闘争/対立/葛藤を演じて見せます。]

これは「リアリティ」の中で実際に起こっている事ではありません。
これはマインドの誤解の中でだけ起こっているのです。

“The symbols of hate against the symbols of love play out a conflict which does not exist. For symbols stand for something ELSE, and the symbol of love is without meaning if love is everything. You will go through this last undoing . . .”

[憎しみのシンボルは愛のシンボルに対して、実存していない闘争/対立/葛藤を演じて見せます。何故なら、シンボルとは何か「別なもの」を表しているものだから。 そして愛が全てである場合、愛のシンボルには意味が無いから。 貴方はこの最後の解除を]

特別な憎しみ/愛の関係を見つめるこの解除作業は、両方とも憎しみに満ちており、それらにしがみ付く事が貴方の為に成らないとクリアに示すのです。

“You will go through this last undoing quite unharmed, and will at last emerge as yourself.”

[貴方はこの最後の解除を安全の内に行い、そしてやっと貴方自身として現れ出ます。]

貴方は、自分の正しい「マインド」に戻って行きます。 貴方の正しい「マインド」が貴方の中に戻って来ます。
そこに貴方、リアルな貴方が存在しています。

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

ACIM10-03-20#2

本を読みましょう。 文節の一番初めの文章の真ん中まで戻ります。


. . . the Holy Spirit is part of YOU. Created by God,
[…精霊は「貴方」の一部なので、…….]

He . . . . . . the Holy Spirit . . . . . left neither God nor . . .. . . God’s . . .. . . creation.”
[ 彼(精霊)は、神からも(神の)創造からも離れませんでした。]

“[Repeats] . . .left neither God nor His creation. He. . . the Holy Spirit . . .. . . is both God AND you, as you are God and Him . . .. . . the Holy Spirit . . .. . . together. For God’s answer to the separation added more to you than you tried to take away. “

[神からも神の創造からも離れませんでした。 精霊は神と貴方の両方なのです。 貴方が神と精霊が一緒に成ったものである様に。 それは「分離に対する神の答え」が「貴方が取り去ろうとしたもの」よりも多くを貴方に付け加えたからです。]

{神の子が行った}分離に対する神の答えは精霊でした。
これが(この精霊が)父と子と精霊に成ったのです。
貴方が自分全体の僅かの部分を選んで「これが私だ、これが私だ、この小さな部分が私だ。そしてこの小さな部分に対して私が信じている全てが、物事の在り様だ。」と言っている間、神が貴方の全てを保管しているのです。

だから、

“. . . God’s answer to the separation added more to you than you tried to take away. He protected both your creations and you together, . .”

[「分離に対する神の答え」が「貴方が取り去ろうとしたもの」よりも多くを貴方に付け加えたから]

これをする寸前まで、貴方は「創造の動き」の中で神を認識している「存在/現われ」だったのです。 そして「動き」に対する貴方の認識が貴方の創造、「創造」の中の貴方の役割だったのです。 

“He . . .. . . God . . .. . . protected both your creations and you together, keeping one with you what you would exclude.”

[彼(神)は貴方の創造達(貴方の創造したもの達)と貴方の両方を一緒に保護しました。「貴方が除外しようとしたもの」と貴方を一つに保ったのです。]

「いいえ。 私は神の聖なる子供ではない。 私は人間だ。 私はパワフルな人間だ。」とか「私は人間だ。 そして私はパワフルな人間に成りたい。」(と貴方は言った訳です。)

“He protected both your creations and you together, keeping one with you what you would exclude. And they will take the place of what you took in to replace them.”

[彼(神)は貴方と貴方の創造の両方を一緒に保護しました。「貴方が除外しようとしたもの」と貴方を一つに保ったのです。それら(精霊が保護したもの)は、「貴方がそれらの代わりに据えたもの」に取って代わります。]

「貴方がそれらの代わりに据えたもの」とは、卑小な自己定義です。


“They are quite real, as part of the Self you do not know.”

[それらは(貴方が知っていない部分の「自己」として)とてもリアルなのです。]

「それら」とは、貴方の創造全ての事であり。 その中で貴方は神を(なんの躊躇も無く)認識していたのです(貴方が孤児に成る前までは)。
これがどれだけ重要な事か解りますか? 貴方が知らない「自己」が存在しているのです。
これはリアルに現存しています。これが存在していないと貴方が考え、自分は物質的な生物でしかないと貴方が自分を主張している今現在でも、これ(貴方が知らない「自己」)は存在しています。
「存在の動き」に意識的に参加して(その役割を果たしている)「自己」は、今でも存在しており、どこかに消えてしまった訳ではなく「創造」の全てを意識しています。

「貴方が分離したマインドを体験している」と言う事も可能です。 (貴方が作り上げて信任を与えている)卑小な自己と、(真の貴方である)「自己」(変わる事無く、この瞬間にも実存しており、神から与えられた役割を完全に果たしている「自己」)。

私が何を言おうとしているか解りますか?
私が言おうとしているのは、「貴方は自分が誰かハッキリ解っている気でいます。 しかし、貴方が気付いていない「貴方」が実存しており。 それはリアルで、この瞬間に父と意志的に繋がっており。 そして、その全てはそれ自身を、この卑小な自己定義(貴方がしがみ付いている自己定義)の中に閉じ込めているのです」。

貴方には強大な同伴者達(mighty companions)が居る事は以前にも話しました。
貴方には強大な同伴者/連れがおり、それは今の貴方「自身」なのです。
これは何か「貴方が育って成らなければいけないもの」ではありません。 
これは既に十全に存在しており、完全に発達しているのです。
これは現在十全であり、これが貴方を愛しています。
これは貴方を常に愛し続けており、貴方が自分の正しい「マインド」へ返って来るように招いているのです。
これは「神の現れ(Presence of God)」なので、これは強大な同伴者なのです。 神の聖なる息子よ、娘よ。

孤児的マインドは貴方にとってとても慣れ親しんだものなので、貴方はある程度の自制心と決意を育てなければいけません。 何故なら、瞑想して天国へ入る時間的余裕を人生が貴方に与えているとは必ずしも限らないから。
貴方は「ここ、ここ、ここで、日常のストレスと行動の中で、何が真理か知る事を求める選択」をし始めなければいけません。
貴方は、休暇を取ってとても重要なスピリチュアルな事を探索する事は出来ないかも知れないから。 そしてこれに関しては、文句を言ったり頭に来たりしてもしょうがないのです。

座って瞑想し貴方の平和に入って行く事が出来れば、それは素晴らしい事で、その様に出来る場合も多々あるでしょう。
しかし(目覚める為には)必ずしもその様な機会が与えられ続ける必要はなく、またその様な機会に恵まれていない人も多いでしょう。

人生のドラマの真っ只中で、何が適切な事か「訊き」、奇跡を示す行動をして、奇跡が起こり得るようにする事が、貴方にとってより重要に成って行くのです。
何故でしょう? それは貴方が「聞いた/訊いた」からです。 貴方は生徒で、貴方が学び、貴方が認識した事が貴方を灯したからです。

そして貴方が「した」からです。 貴方が教えたのです。 貴方は「生徒(に成っていた人)が聞き真理によって灯されて喜んだ事」を起こした現れに成ったのです。
それは貴方達が、全ての人達が既に知っている真理を、あれこれの本に既に書いてある(例えば皆が効くと言っているポジティブ・シンキングなどの)真理を規則正しく教える教師であろうと勤めたなら、起こり得なかった事です。
古い事を繰り返すのは、全然学びではありません。  古い事を繰り返す事は、生徒の不在を意味しています。
それは誰かが教師に成ろうとしている事を意味しています。 とても良い教師、とても効果的な教師に成って、あわよくば学校の校長に昇格しようとしている訳です。
そこには学びが無く、(教えようとしている人が)生徒に成っている事の謙虚さから来る真摯な行動が無く、(資格/免状がなくても教えられる能力を起こす、「神のスピリット/霊」と共に教える能力を発生させる)学習がありません。


貴方の創造達は…..

“They are quite real, as part of the Self you do not know. And they communicate to you through the Holy Spirit, and their power and gratitude to you for their creation they offer gladly to your teaching of yourself, who is their home.”

[それらは(貴方が知っていない部分の「自己」として)とてもリアルなのです。そして彼等(貴方の創造達)は精霊を通して貴方とコミュニケートします。そして彼等の力と、彼等を創造した貴方への感謝の念は、「貴方自身(そこが彼等の故郷です)に関する貴方の教え」に喜んで捧げられます。]

これが、(貴方が)「強大な同伴者達」に伴われている事の意味の一部です。
貴方は「貴方が創造したもの達」に伴われているのです。 それら貴方の創造物達は、それらの中に(貴方が以前そう見ていた様に)「神の現れ」に対する貴方の意識を再起動させるつもりでいます。 貴方がそれらの中に「神の現われ」を見たので、それらが貴方の創造物に成り、貴方は「自分が誰か」解る様に成ったのです。

貴方が何かを見ている時(それが花であっても、一握りの泥であっても、割れた爪であっても)、それを無防備な在り方/無垢なマナーで見る事が出来たなら、貴方は照らし出される(光明を得る)体験を呼び込んでいるのです。 
その時貴方は、貴方が見ているものを新しく見る事により、それが唯の物理的な物ではなく、(他に適切な言葉が無いのですが)エネルギーなのだと認識出来る様に成っているのです。
それは「光」のエネルギー/「愛」のエネルギー/聖なるエネルギーなのです。 神の聖なる子供よ。 神の聖なる蘭の花よ。 神の聖なるテーブルよ。

そして貴方がそれを「愛」として体験したなら、それによって愛されるという避け様のない体験(そしてそれに付随した全ての事)を貴方はします。
貴方の周りのすべてが意味を持ち出し、貴方がその意味をより完全に受け入れ、それが大きく広がり、貴方が物質だと思って来たもの全ては(十全なる)「神の現れ(Presence of God)」であり、それが貴方を愛していると発見するのです。

貴方は自分がどれだけ「愛であるもの」により抱擁されているか理解します。 何故なら「愛」とは、そうするものだからです。 それが貴方を愛します。それは全てを愛するのです。

だからこの強大な同伴者、つまり(貴方と何時でも一緒にいる)貴方「自身」が貴方を今愛しているのです。
今この瞬間、貴方の最上の「存在」の統合性が存在しており、それが働いています。
そして幸いな事には、これだけが、貴方が選択出来るもう一つの体験なのです。
もちろん、それ以外の選択肢は「貴方が常に保持し続けてきた孤児的マインド」です。
いずれにしろ、ここには二つの選択の余地しかないので、これはいたってシンプルなのです。

貴方には、自分の意識/注意をシフトさせる選択をする事が出来ます。
貴方にはそれをする能力があります。 これがするべき事の全てなのです。
その時貴方がしているのは「間違った知覚の仕方」から「(貴方の生得権である)クリアな意識的気付き」へと貴方の意識をシフトさせる事だけです (神の聖なる息子よ、娘よ!)。

“You who are host to God are also host to them.”
[神のホストである貴方は、彼等のホストでもあるのです。]

貴方は、貴方の創造物達のホストでもあるのです。

” For nothing real has ever left the mind of its creator. And what is not real was never THERE.”
[何故なら、リアルなものは何も創造者/造物主のマインドの外には出なかったから。 そしてリアルでないものは、そこには初めから存在していなかったから。]

貴方が居るそこに二つの自己が在ると(体感的に)クリアに見えるように成って行きます。
そして、貴方はその内の一つを選択しなければなりません。 貴方は今、その内の一つを選んでいます。

“You are not two selves in conflict.”
[貴方は、闘争/対立している二つの自己ではありません。]

しかしその様に見える事でしょう。
だから貴方は、(貴方の現在のマインドではなく)貴方の中の精霊を選べるように決意し自己鍛錬する必要があります。
そして貴方は常に(何が適切かと貴方が考えた事とは別に)「ここでは何が適切だろうか? 今何が適切だろう?」と聞き続けなければいけません。
貴方は「現在の貴方の物事に対する限定された知覚」を超えて「知っている」「何か」に対して訊ねなければいけません。

これはどう云う意味でしょう?
「貴方は信頼出来る様に成らなければいけない」と言う事です。 貴方が今までの人生で一番信頼した時以上に(精霊/ガイドを)信頼出来る様に成らなければいけません。
何故なら、貴方の孤児的マインドの中で貴方の歪められた知覚は「何も信用出来ない。だから私は出来るだけコントロールしなければならない。」と言っているから。 

しかし、これはただ単に「貴方が取り入れた存在の仕方」であって、「これが真実ではない事」を見える様になる地点まで貴方は到達する必要があります。 今、今、今、今貴方が「神へ導く声/真理へ導く声」を聞く事を選べるように。

これをする事により、貴方は今までの人生の中で起こった事の無い様な一週間を過ごすかも知れません。 そして二週間、一ヶ月、一年、そして永遠に。 貴方は、二度と「自分が何か知っている」と考えたり、「自分だけで行動出来る」と考える事には戻らなくなるのです。

“You are not two selves in conflict.”
[貴方は、闘争/対立している二つの自己ではありません。]

貴方が自分をその様に考えていたとしても。


“What is beyond God? If you who hold Him . . . . . . God . . .. . . and whom He holds ARE the universe, . .”
[神の向こうに何が在るでしょうか? 「彼(神)を抱いている貴方と、神が抱いているもの」が宇宙であるならば、]
宇宙つまり「創造」の全てです。 


“If you who hold Him and whom He holds ARE the universe, all else must be OUTSIDE, where NOTHING is.”

[「神を抱いている貴方と、神が抱いているもの」が宇宙であるならば、その他全ては(なにものも存在していない)「外側」にあるに違いありません。]

次の文は、今夜話した事を聞いていなければ、理解が難しいかもしれません。

“You have taught this, . .”
[貴方はこれを教えました] (貴方は上の文章の事を教えてきました。)

「チョッと待って、ラジさん。 貴方は私が孤児だと言ったではないですか?」
いいえ。貴方は自分が孤児だと考えたのです。 しかし貴方が孤立した存在だと云うこの想像の直ぐ隣に、貴方である「自身」が十全にそれ自体として在り続けています。
貴方はただ、それを無視しているのです。 だから{貴方がまだ気付いていない}貴方がこれを教えたのです。
貴方である「自身」が、これを休む事無く教えているのです。


“. . . and from far off in the universe, yet not beyond yourself, the witnesses to your teaching have gathered to help you learn.”

[そして、宇宙の中の離れた所(しかし貴方自身を超えていない所)に、貴方の教えの証人達が集まって、貴方が学ぶ事を助けます。]

これはどう云う意味でしょうか? 「宇宙の果てまで続く、貴方の全ての創造物が、
貴方が学ぶ事を助ける為に集まっている」とは。

貴方は「存在」の統合性を見たでしょうか? そして『「神が全て」でそれ以外の何も起こっていない、「目覚める」以外の事に到達するのは不可能だ』と理解出来たでしょうか?
それ以外のものは本当に何も起こっていないのです。 貴方はただ単に「(リアリティ/天国以外の)何か他の事が起こっている」と想像しただけなのです。 そして想像とは薄っぺらな実体の無いものです。
だから貴方が目覚める事は難しくありません。 これは「貴方が自分の注意を何処に置くか。そしてどれだけ確実に貴方の注意をそこに置き続けるか。」に掛かっています。


“Their gratitude . . .. . . the gratitude of your creations . . .has joined with yours and God’s to strengthen your faith in what you taught.”

[彼等(貴方の創造したもの)の感謝の念は、貴方と神の感謝の念と一緒に成って「貴方が教えた事」に対する貴方の信心を強めます。]

『貴方である「自身」が教えた事』に対する現在の貴方の限定的な信心をより強い(より広大な)ものにします。

“For what you taught is true.”
[何故なら、貴方が教えた事が真実だから。]

貴方は「リアルな貴方」が存在する事に気付きつつあります。
貴方が今まで気付かずに来た、今現在の貴方の「自己」が「神の現れ」の全てです。
それが強大な同伴者(貴方が体験したどの様な卑小な恐れをも遥かに凌駕しているコンパニオン)です。 この同伴者は(貴方を完全に縛っている様に見えている)これらの薄っぺらな想像を貴方が放棄出来る様にそこに立っています。
何という愛でしょう。 



“Alone, you stand outside your teaching . . .. . . outside the teaching of your Self . . .. . . and APART from it. But WITH them you must learn that you but taught YOURSELF, . .”

[一人で貴方は、貴方の教えの外に外に立って(貴方「自身」の教えの外に立って)それから離れています。 しかし貴方は彼らと共に、貴方が「貴方自身」を教えた事]

しかし、貴方が生徒に成るまで「貴方が貴方自身を教えている事」に貴方は気付く事が出来ません。 「全てに対する貴方の卑小でパーソナルで権威的なコントロール」の外にいる誰かを貴方が呼び入れられる様に成るまで。

“[Raj did not read] . . . and learned from the conviction you shared with them.
[そして「貴方が彼らと共有している確信から学んだ事」を学ばなければ(認識出来る様に成らなければ)いけません。]

This year you will begin to learn, . .”
[今年貴方は学び始め、]

つまり、本当に聞く事の為に必要な謙虚さ(貴方の学びが「これが真理だ」と貴方一人で決めた真理に反しない様に、今まで貴方が聞く事の中に持ち込んでいた偏見を放棄する事です)を貴方は発見します。

“This year you will begin to learn, and make learning commensurate with teaching.”
[今年貴方は学び始め、教える事で学習を開始します。]

この様にして、貴方は学習と教育(学ぶ事と教える事)が実際にどの様に行われるのか理解します。


“[Raj did not read] You have chosen this by your own willingness to teach.  
Though you seemed to suffer for it, the joy of teaching will yet be yours.”

[貴方は自身の教える意欲によりこれを選びました。 貴方はこれ故に苦しんでいる様に見えますが、しかし教える事の喜びは貴方のものになります。]

貴方の生徒が体験するその喜びが、教える事の喜びを貴方にもたらします。
そして貴方が生徒に成り、学びが起こる事を許可する事により、貴方が「存在」の喜びで光り出し、その喜びを通して他の人達を教えます。 その喜びが貴方のものなのです。


そして先週ポールが「自分はこの様な事をしているべきではない」と感じながらも様々な事をした結果、ポールが関わっていた人達に関する「動き」の神聖が照らし出されていました。
それはスピリチュアリティや神聖とは全く関係ないものだったのですが。

貴方のしている事がどれだけ取るに足らなく見えていたとしても、貴方がインスピレーションを受けて自動的に(自分ではコントロールせずに)それと関わったなら、それに関わった全ての人は(貴方には想像出来ない位)より「神」を認識出来る(「神」に気付いていられる)様に成ります。
これが奇跡です。

“Though you seemed to suffer for it, the joy of teaching will yet be yours.
For the joy of teaching is in the LEARNER, who offers it to the teacher in gratitude, and shares it with him.
As you learn, your gratitude to your Self, Who teaches you what He is, will grow and help you honor Him.
And you will learn His power and strength and purity, and love Him as His Father does.”
[貴方はこれ故に苦しんでいる様に見えますが、しかし教える事の喜びは貴方のものになります。 何故なら、教えの喜びが学習者の中にあり、感謝の念を持って学習者がそれを教師に捧げ、教師とそれを分け合うから。 貴方が学ぶに従って、(「彼」がどの様な存在か貴方に教えている)貴方「自身」に対する貴方の感謝が育ち、貴方が「彼」を尊ぶ事を助けます。 そして貴方は「彼」の力と強さと純粋さを学び、(「彼」の「父」が「彼」を愛している様に)「彼」を愛します。]
そして貴方は「彼」を貴方「自身」として愛します。


“ His Kingdom has no limits and no end, and there is nothing in Him that is not perfect and eternal.  All this is YOU, and nothing outside of this IS you.”

[彼の王国には限りがなく、終わりもありません。 そして彼の中には完璧で無いものや永遠でないものは存在していません。 この全てが「貴方」で、この外にあるものは何も貴方ではありません。]

この(貴方が想像し、しがみ付いている)「貴方の外に在るもの」つまり「エゴの枠組み」(あるいは孤児的マインド)を貴方が放棄したなら、貴方はこれ(神の王国/天国)を体験をします。


“To your most holy Self all praise is due for what you are, . “.

[「貴方であるもの(貴方の本当の在り様)」故に、『貴方の一番神聖な「自身」』へ全ての賞賛が与えられるべきです。]  

『貴方の一番神聖なる「自身」』つまり「神の聖なる子供である貴方」です。

ええ。 未だ貴方は、それが貴方だと考えていません。しかし貴方が私の言っている事を聞いて学んだなら、貴方はこの体験をする事が出来ます。 それが貴方のするべき事です。


“To your most holy Self all praise is due for what you are, and for what He is Who created you as you are.
Sooner or later must everyone bridge the gap which he imagines exists between his selves.
Each one builds this bridge, which carries him ACROSS the gap as soon as he is willing to expend some little effort on behalf of bridging it.”

[「貴方であるもの(貴方のリアルな在り様)」故に、そして貴方を貴方として創造した彼であるもの故に、『貴方の一番神聖な「自身」』へ全ての賞賛が与えられるべきです。 遅かれ早かれ全ての人は、彼が彼自身達の間に存在していると想像したギャップ(断絶)の橋渡しをする事になります。 それぞれの人が{貴方達それぞれが}この橋を作ります。 そして彼がその橋を渡す努力を少しでもすれば、彼は直ちに橋を渡ってギャップを乗り越える事が出来ます。]  

解りましたか? これが要点なのです。
これは難しい事ではありません。 これは「何処に自分の注意を与えるか」貴方が決め、そして決意と共に、そこへ自分の注意を与える事なのです。
それだけです。 この様にシンプルなのです。

“Each one builds this bridge, . .”
[それぞれの人がこの橋を作ります。]

それぞれの人が自分の為にこの橋を作ります。 誰か他の人が作ってくれる訳ではありません。
だからマイトレーヤ(救世主)の出現を待つのは止めなさい。 誰か他の人が来て橋を作ってくれる事を待つのは止めなさい。

“Each one builds this bridge, . “
[それぞれの人がこの橋を作ります。]

それぞれの人が、彼/彼女自身の決意を元に、神の子に成りたいと云う(それぞれの)望み故に、この橋を作ります。



“Each one builds this bridge, which carries him ACROSS the gap as soon as he is willing to expend some little effort on behalf of bridging it.”

[それぞれの人がこの橋を作ります。 そして彼がその橋を渡す努力を少しでもすれば、彼は直ちに橋を渡ってギャップを乗り越える事が出来ます。]  


“His little efforts are powerfully supplemented by the strength of Heaven, and by the united will of all who make Heaven what it is, being joined within it.”

[彼の少しの努力は「天国」の力によって、と同時に『「天国」をその様に在らしめている(そして天国の中で繋がっている)全ての者』の一致団結した意思によって、力強く助けられています。]

全ての神の子供達によって助けられています。

“And so the one who would cross over is literally transported there.”
[だから「渡って行こうとしている者」は実際にそこへ運ばれるのです。]

これは確約されています。 しかし貴方はまず橋を作らなければいけません。
この自身と(貴方が自分の頭の中に在ると思っている)この「自身」の間に(決意を持って)橋を作らなければいけません。


“Your bridge is builded stronger than you think, and your foot is planted firmly on it.”

[貴方の橋は、貴方が考えているよりも強く作られています。 そして貴方の足はその上にシッカリと立っています。]

神の聖なる娘よ息子よ! 貴方の足はそこにあるに違いないのです。
何故なら、貴方は(「自分は死滅者に成った」と云うファンタジーを作り上げた)放蕩息子/放蕩娘の「父」なのだから。
「貴方であるもの」「自身」が貴方なのです。 そしてファンタジー(幻想)は貴方ではありません。


“Your bridge is builded stronger than you think, and your foot is planted firmly on it. Have no fear that the attraction of those who stand on the other side and wait for you will not draw you safely across.”

[貴方の橋は、貴方が考えているよりも強く作られています。 そして貴方の足はその上にシッカリと立っています。 橋の向こうに立って待っている者達の励ましが、貴方が安全に橋を渡れるようにします。]

「橋の向こうに立って待っている者達」とは、既に目覚めている者達、そして貴方の創造物達(貴方が創造したもの達)の事です。


“Have no fear that the attraction of those who stand on the other side and wait for you will not draw you safely across. For you WILL come where you would be, . “.

[橋の向こうに立って待っている者達の励ましが、貴方が安全に橋を渡れるようにします。 何故なら、貴方は『貴方が既に居る所』……..に来るのだから。]

そして貴方である「自身」だけが、そこにある「自身」なのだから。
「貴方に、自分は限定された存在だと感じさせてしまっているもの、自分は苦しんでいると感じさせてしまっているもの」を手放す事に貴方が抵抗しているにも関わらず、貴方がこの「自身」を受け入れる事を拒んでいるにも関わらず、貴方はそこにいるのだから。


“For you WILL come where you would be, and where your Self awaits you.”

[何故なら、貴方は『貴方が既に居る所』、『貴方「自身」が貴方を待っている所』に来るのだから。]

余り考え過ぎるのは止めなさい。

貴方の「自身」が貴方を待っている場所とは、貴方の注意が届いている先の事です。
それだけのことです。
貴方「自身」が、貴方が自分の注意/意識を与えている所に居るのです。

問題は「貴方は何処に自分の注意を与えるのか?」です。

よきしらせです。  素晴らしい週をお過ごし下さい。




「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で(読者にどの様な義務も負わせる事も無く)提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはその様なものだからです。 貴方と同等の方が既にこのギフトを貴方に差し出したので、これらの資料が貴方に提示されています。  


A Course in Miracles Study Group with Raj, March 20th 2010
Northwest Foundation for A Course in Miracles
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
Website: http://www.nwffacim.org
E-Mail: paul@nwffacim.org

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

ACIM10-03-20#1

March 20, 2010 ©NWFFACIM
2010年3月20日

原文テキスト
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=29166&mid=141597#M141597
オーディオ&ビデオ
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=29176&mid=141620#M141620


ページ位置の確認。
Chapter 16 – Section – THE REWARD OF TEACHING
1Mathew 26:42

2 Sparkly Book – p.384, Last Line
JCIM – p.161, 7th Full Par.
CIMS – p. 323, Par.25
First Edition – p. 312, 3rd Line from Bottom
Second Edition – p. 336, Par. 5, Sen.9



今晩は。ようこそ。  

我々は“The Reward of Teaching.”  「教えの報酬」と云うセクションを読んでいます。

教えの報酬(教える事のご褒美)とは何だと思いますか?
教える事の報酬とは喜びです。 誰の喜びでしょうか?
教師の喜びです。 

では何故教師は喜びを体験するのでしょうか?
それは生徒が学んだからです。 教師が教え、生徒が学びます。
{精霊が教え、貴方が学びます。 と同時に貴方が教え、貴方の周りの人も学びます。}

閃きが発生し、認識が起こります。 教えられている事に対する認識が起こるのです。
今まで暗闇(無知)が在った所に認識の光が当たります。 それは、光明をもたらす為に教師がした全ての事に報いるものです。
教師の役割を生徒が認知する(教師の役割が上手く機能している事を生徒が示す)事により、生徒は教師に喜びを与えるのです。

さて、生徒はどの様にして学んだのでしょうか?
生徒が学べる唯一の方法は、[知っている事(Knowing)]への抵抗を生徒が放棄する事によってです。 「そこで照らし出されている事」に対する抵抗を放棄して、それを自分の中に受け入れるのです。
生徒は聴く事により学びます。 シンプルです。
「二つのステップ」 = 躊躇して「ここでの真理は何ですか?」と訊ね、そして耳を澄ませるのです。 
もし人が抵抗なく嫌がらずに聞けば、真理が示されます。
閃きが起こり生徒が学びます。 そして何が起こるのでしょう?

生徒は畏敬(awe/聖なる驚き)を喜びと共に体験し、彼(生徒)はそれを教えるのです。 彼がそれを教えているのです。
次の様に言ってみましょう。 彼(生徒)は自分自身がそれを教えている事を発見するのです。

これは頭の中で計画された事ではありません。
生徒が「私はここで、先生の言っている事をとても注意深く考えて、その意味を完全に把握し、閃きを受けて、大きく微笑み、先生が教える事に成功したと知らせる事に成るだろう。」と考えたのではないのです。
いいえ、{この様に前もって計画されたもの}は教えではありません。
学びが実際に起こっており喜びが感じられたなら、そこで瞬間的に起こっている「喜びの体験」と「喜び(故)の行為」が「教え」になるのです。

もしその日教師{としての貴方}の具合が優れず気分が悪ければ、教師は「教え」が起こっている事に気付かず、教師{貴方}は喜びを体験しないかもしれません。
しかし重要なのは、(それにも関わらず)そこで「教え」が起こっていた事です。
そして最重要なのは、「教え」は計画されたものではなかったと云う事です。
「教え」は計算出来る様なものではないのです。
「教え」は生徒がしようと{計画}していた事ではないのです。

私はここで何を言おうとしているのでしょう?
私が言おうとしているのは次の事です。
全ての人が(孤児的存在の実在を証明しようとする試みが人生の目的に成ってしまって居る)孤児的マインドから行動/思考しているので、私が「聴きなさい、学びなさい、しなさい」と言った時「何か特定の目的に向かって計画的/計算的にするべきなのだろう」と受け取られてしまっています。
しかし(唯一意味をもつ)行為とは「聴いて、学んで、する」という言葉の中に現されているものであり、それは貴方の「存在」が瞬間的/自動的に光り出し、(貴方の思考の中で)計算されていなかった驚きの表現が現れる事です。  これが「する」と云う事です。

これは孤児的マインドにとっては余り満足出来る事ではありません。
これはエゴにとっては物足りない事です。
何故なら、意味深い教えが、プランや如何様なコントロールも受けずに自発的に起こるなら、起こった事に対する信用/名声/評判/名誉/賞賛を得る者は誰も居なく成ってしまいます。 信用に価する価値ある個人として確立/認識される事(これがエゴの人生の全てです)が出来なくなってしまいます。

私が「貴方は自分が誰か知らない。」と言ったなら、貴方は『「自分が誰か判っていない」と言うなんて、この人は自分が誰だと思って居るのだろう? もちろん私は自分が誰か解っています。 自分の証明書を見せたり家系を示したりだって出来ます。』と反発するでしょうか?
しかし私が次の様に言ったとしたらどうでしょうか? 
「貴方は自分が誰か知っていない。 神の聖なる息子よ、娘よ!」

「ああ、そういう事を言っていたのですか。 うーん、それは大変結構ですね。 もし私が神の子供なら? もしかしたら、そうかも知れません。 しかしその可能性を深く追求するのは止めておきます。 それが本当かどうか調べるのは遠慮しておきましょう。私の行動が私の神聖を明確に現してしまう様にするのは止めておきます。」 (この様に、二の足を踏んではいませんか。)

貴方がそれ(「自分は神の子である」)を抱擁する(受け入れる)のを躊躇している事が、「自分が誰か」貴方には解っていない事を示しています。
貴方は自分で考えている様な孤児では無いのです。 貴方は、自分で考えている様な独立した存在ではないのです。
そして貴方は偶発的な(自然の中で偶然に現れた)ものでもありません。
貴方は精子と卵子故にただ出現し、ある一定期間生き延びてから死に、もう二度と現れない存在ではありません。

「貴方は神の聖なる子供である」と誰かが云わなければならないのです。 貴方がこれに抵抗しなくなるまで、私はこれを確信を持って何度も繰り返し貴方に言って聞かせる必要があるのです。
貴方は、(新しい事を学ぶことによって)自身も変化して行く生徒の様になる必要があります。

貴方は今現在「神の現れ(Presence of God)」なのです。
たった今貴方は(貴方が今居る所で)「神が成っているもの」なのです。
より正確には、今貴方は神から隔たっていない(神と違っていない)意識的気付きという「マインド」なのです。  意識的気付きとして貴方は、神と異なっておらず、神が知っている全てを内包しており、だから神の全ては貴方なのです。
貴方と貴方の父は一つです。 そして神がその一つです。 貴方の父がその一つなのです。

今現在起こっている一番大きな学びは、今教えられている主要なレッスンは、「貴方が生徒に成る事(縛られていない好奇心と共に謙虚に聞く事)により教師としての役割を十全に満たす事が貴方の使命である」と云う事です。
何故(貴方は生徒に成らなければいけないの)でしょう? それは「創造」と呼ばれている「神が満たしているもの/神が成っているもの」で貴方が満ちる様にです。

そうして貴方が「創造」の前に立って聖なる驚き(awe)を体験し、それを体験した喜びが貴方の「存在」を照らし出し、(それが)他の人達に教える様に。 そしてこれが行われている間、(それを見た)他の人達も自分達が教えている事を発見します。 「神が成っているもの」の意識体験を彼らも自然と体験している事を発見します。
何故これが起こるのでしょうか? それは彼等がその時、自分達を隔てる事/独立して存在する事/自分個人のアイディアを持つ事/自分のだけのもくろみを持つ事、を怠ったからです。

神の共同創造者としての貴方の役割は、(次に神が何をするか注意深く見ている)その「マインド」の(無防備な/個人的目論見に影響されていない)現れに成る事です。
そして(そこで起こっている)「創造」体験故に発生している「聖なる驚き」の表現が(皆がそこから学ぶ)教えに成るのです。
と同時にそれが、「天空の音楽」(宇宙的ハーモニー/喜びと愛の完全な表現)として聞える喜びに成るのです。

私は確かに壮大な大きな表現を使っていますが、これら全ては「二つのステップ」と云うアイディアに内包されているものです。
だからもし貴方が教師に成りたければ、{良き事を}「する人」に成りたければ、受け取る人に成りなさい。
男性的で高圧的になるのではなく、女性的で無防備に成り、生命を受け取りそれを呼び込みなさい。
侮辱された{自分が神から独立した存在ではないと認められる}孤児に喜んで成れる様になりなさい。

価値ある事に対するどの様な所有権や功績を主張する事も無く、「創造」の起こる子宮に成りなさい。
貴方は「創造」を起こしている場所に成っているのではなく、「創造」を許可している場所に成っているのです。
これ(「創造」が起こる事)を許可する事により、「創造」の全体を(「その中で神が成っている意味」と共に)体験する事が出来るのです。

その時貴方は、貴方自身が貴方を体験し認識している事を発見します。
そこ、そこ、そこに、「神に対する貴方の認識」を貴方が創造しています。 そこにあるものが貴方の創造です。 これが創造に対する貴方の役割です。
認識されていない「神」は存在していません(non-existent)。

もし貴方が自分一人だけで何かをしようとしたならどうなるでしょうか?
「自分が承認者/権威者に成ったフリをしよう」と貴方が考えたなら?
「私は自分だけで物事を創造しているフリをしよう。 私はここに神を認識する私の役割を満たす事を止めよう。 私は物事を行い、ここに私自身を認識したと言い、ここに私自身を認識しよう。」

貴方が「何かのフリ」をして遊んでいる時に、貴方は真の貴方以外のものに成っていると思いますか?
貴方が「何かのフリ」をしている時、貴方のフリが事実になり、本当の貴方が蒸発して消えてしまうと思いますか? もちろんそんな事は絶対にありません!
だから、あたかも二つの自身が存在する様に見えるのです。

貴方がエゴやエゴ感覚と戯れようと決めた途端、真の貴方の全ては(貴方が自分以外の者に成ったフリをして遊ぶ事を止める迄)「父」に預けられているのです。 (これはもう何度も私が言って来た事ですが。)
この様にして預けられている(貴方)「自身」が精霊と呼ばれているのです。
「父と子と精霊」の精霊です。

しかし「父が子に成っている事」、つまり「創造の動き」しか実際には起こっていないのです。
でも「子」が「フリ遊び」をしよう、「真の自分」を無視しようと決めた瞬間、父が「ギフト」を与えたのです。 これが本件に関する一番簡単な言い方です。
この「ギフト」が貴方の神聖/神性なのです。 これが貴方の想像力に触れられずに預けられているのです。 これが「精霊」と呼ばれているものです。
この様にして、聖なる三位一体があるのです。

貴方が「自分が誰か」思い出した途端、「貴方が誰か」と云う意識体験に抵抗しなくなった途端、永遠の生徒に成る事によって貴方が真の教師に成った途端、そこにあるのは「父と子と精霊」ではなくなります。そこにあるものは(その子供が自身の源として理解し認めている)「父」になるのです。 (そこにあるのは)全ての創造の{中の}「父」なのです。 

そしてこれは余り正確な言い方ではありませんが、
「父」の「創造」行為に対して承認/認識を与えるのが「子」の役割なのです。 これが「創造」をリアルにするのです。
「貴方が承認の印を与えたもの全て」が貴方の創造です。 貴方の創造とは、貴方が真実として認めた「しるし」です。
そして貴方が「全てのもの/事」の中に「父」を認識する事が、「天国/リアリティ」にとって不可欠なのです。

さて、我々が二週間前に話してから、貴方は以前より多く「二つのステップ」を行えたでしょうか?
ここで私は二つの質問をしましょう。
正直に考えて、このアイディア(二つのステップ)が余り好きではないと思っている人は何人位居るでしょうか?
何人の人達が、これ(二つのステップをする事に)に抵抗しているでしょうか? これをしたけれど、嫌々ながらした人はどれだけ居るでしょうか? したけれども出来れば本当はしたくなかったと考えながらした人は何人位いるでしょうか?

これを知るのは良い事です。
何故なら、殆どの人は、自分達が悟りを開きたい/目覚めたい/救済を得たいと考えていると思っています。
しかし事実、殆ど全ての人はこれ(目覚め/救済)に対して抵抗しているのです。
そして貴方がこれに抵抗している理由は、貴方が自己重視{自分の分離感覚を尊ぶ事}に耽溺しており、これを絶えず麻薬の様に得続けなければ居られないからです。

その場合、ここでの学びはなんでしょうか?
それは貴方がこれ(二つのステップ)をするつもりに成っているけれども、驚いた事に、貴方はこれをする事に関して余り喜んでいない、と言う事です。

ここで学ぶべき事は「この件に関しては、貴方はハッキりと決断しなければいけない」と云う事です。
条件付けられている躊躇を前にしても、貴方はし続けなければいけません。
(「これが自分の信用を保つ」と貴方が信じている)条件付けられている躊躇は貴方の神聖(孤児ではない、自然の中の偶然の産物ではない、神の子としての本当の貴方)の体験を否定してしまうので、貴方は(「二つのステップ」/聖なる瞬間を持つ事を)あえてし続けなければいけないのです。

これに関して文句を言って時間とエネルギーを浪費するのは止めなさい。
文句を言いそうになったら、ただ「それはしない。その様な反応は起こさない。私は怒る必要は無い。」と言いなさい。
「私がする必要があるのは、「(これを続ければ)私の存在にとって重要なものが無くなってしまう」と云う示唆を受けても進み続ける事だけだ。 何故ならその様な示唆は噓だから。」(と言いなさい)
これは練習と自己鍛錬を必要とする事です。

過去二週間の間に「ガイダンス」を聞き、次の事を訊ねられた人は何人いるでしょうか?
「私はどれだけ(信じる)リスクを取ることが出来るだろう。私はどれだけ神が存在すると云う事を信じ、それに賭けることが出来るだろう。 私はどれだけ(コントロールを)放棄して天国が目の前にある事、奇跡と呼ばれている瞬間的知覚の変容が起こる事を求めているだろう。」
貴方はどれだけ、「現在の自分の感覚から驚異的に異なった事」が体験出来るか試してみる気に成れていますか?
もし一定常識内でこれをするつもりに成ったのなら、貴方は「二つのステップ」を行って繋がり、そして聴くのです。

ポールは前のミーティングの次の日から、これをしました。
そして我々は久しぶりに沢山話しました。 少なくとも、より頻繁に話しました。
そして私は彼を導きました。 彼が「ここでは、どうする事が適切ですか?」と訊いた時、私はその適切な事を彼に教えました。
私は「適切な事/するべき事」を教えるだけではなく、適切な事をする時のフィーリング(感情)、動機、そしてエネルギーを彼と共有しました。

こうする事により、彼は通常よりも少しアグレシブ(行動的)に成っていました。
誰かが躊躇している時、誰かの狭間越えを後押しする事に関して、ポールは少し「押しが強く」成っていました、
彼は普通そう云う事は極力したがりません。 しかし、これ(強い後押し)もまた「関わり合い」なのです。

ある人に、どうしてもするべき事がありました。
ポールはそれを知っていて、それが重要な事だと気付いていました。 何故それが重要なのかポールにも解らなかったのですが。
その人が行動を起こす事に自信を持てないでいる時、「その行動を取る事が必要なのだ」と云うアイディアとフィーリングをポールが示す事が適切だったのです。

「ポールは、そうする事を嫌がったのですか?」と聞く人もいるかも知れません。
あるいは「何故ポールはそうする事を躊躇したのでしょう?」と疑問に思う人もいるかも知れません。

まず第一に、これはポールの普段のマナー(やり方)ではありませんでした。
通常彼は、とても薄い「関わり方を」好むのです。 
彼は誰かに何かを強く薦める様な事は滅多にせず、(その様なやり方で)何か動きの力を示す事は余り無いのです。
だから、これは(ポールにとって)少し居心地の悪い事でした。

しかし自分の「良きもの」の為に、私が教えた全ての事の為に、(貴方達の前で)彼が口にしている全ての言葉の為に、彼はリスクを取る意志と決意を言い、それを感じたのです。
だから彼はそれをしました。

しかしここで古い(繰り返されてきた)習慣が出て来てしまったのです。
彼は「これは私がしているべき事ではない。 これは私の聖なる仕事ではない。」と言い始めました(これが彼の躊躇、彼の条件付けられている抵抗なのです)。

彼が今笑っているは、(私が笑っているからだけではなく)彼自身もまた笑っているからです。
彼はこの可笑しさを、私と同じ様に感じています。

その時、彼が参加していた事(関わり合い)は、スピリチュアリティとは全然関係が無いものでした。
それは、とても一般的で平凡な(必要を満たす)事だったのです。
「私はテキストをウェブに未だアゲてない。 私は前のミーティングで話していた事に関して考察していない。 私はラジが前回読むように指示したセクションを読んでいない。」
{だから}「私は、これ(こんなに平凡な事)をしている暇はないのだ!」
{とポールは言って/考えてしまったのです。}

この様な体験をしているのはポールだけではありません。 貴方達の多くもこの様に行動して来ました。
貴方は注意深くしていなければ、「これが自分の本当の聖なるワークだと(条件反射的に)貴方が信じ込んで来た事」に戻ろうとして「二つのステップ」を完全に放棄してしまいます(自分の神聖を隠しておきたいにも関わらず)。

私が言いたいのは次の事です。
貴方が訊いた時に得るガイダンス(指示)は、それが貴方のガイドから来るにしろ私から来るにしろ、それは精霊(貴方の正しい「マインド」でしかないもの)から来るものと一緒です。
何故なら、貴方達は全員同じ必要を持っており、従って我々は全員同じ役割を持っているのだから。
そしてここでの必要は、貴方が貴方「自身」(真理を「知っている」もの、貴方がエゴと戯れている間真理を保っているもの)と再度親しくなる事です。

貴方は「二つのステップ」を行って「ここの真理はなんですか?」と聞く意志を持たなければ、(真理をそのまま全体として受け入れる事が出来る)「完全にオープンな意識、全く無抵抗な意識」に成る気に成らなければいけないのです。
自分が受け取る真理に合致させる為のフィルターや意見やプランを貴方が持っていては駄目なのです。
もし貴方が目覚めたいのなら、貴方は「自分が期待していない事(貴方の孤児意識の判断には合致しない事)」を聞く意志を持たなくてはいけません。

前回のミーティングの後の一週間、ポールは我々が話してきた「(風の)動き/愛の動き/創造の動き」の中で過ごして来ました。
彼は、今まで学んできた前提や判断基準に基づくコントロールは手放して、(創造の)流れの中に居てそれと共に流れて行く事を自分に許した結果、今までの彼の(行動/判断)基準には合わない全く新しい行動様式をとる様に成りました。
それは全くオリジナルで、とても自発的で、と同時に全く真摯なものでした。

この様な体験を貴方もする様に成ります。 これは突然なんの前触れも無く起こるのです。
すると貴方は「どうして私は、これをしているのだろう?」と言うでしょう。
と同時に貴方は、この新しい行動をサポートする後押しを得ます。
貴方が「動き」と完全に一致して、貴方が「今迄貴方が抱擁して来なかった基準」に基づいて適切に行動する事を助けるサポートです。

ポールがこれ(動きと共に流れる事)をした結果、(先週土曜まで毎日)「先週のミーティングを行わない(で代わりに何か他の事をする)」と私が言う度にポールは「私はそんな事をしているべきでは無い筈だ。 私はACIMのスタディー・グループを行いラジに話させるべきなのだ。」と感じていました。

本当にそうですか? {この様な時}貴方のガイドは「本当にそう? 本当にそうですか?」と云う様なコメントを貴方に与えるでしょう。
「貴方は毎土曜を神に縛り付けて、自分が期待している事を厳密に行う積りでいるのですか?」
しかしその時、もしかしたら神は(「創造の動きの一部として」)今までとは違うやり方で「貴方に成る」のかもしれないのです。 そして貴方は、それを許す過程で、それが起こる事を許可する過程で、何か新しい事を学ぶかもしれません。

ポールは何を学んだのでしょう? 彼は自分がどれだけ彼自身の善悪/正誤/適不適の概念に縛られていたか学びました。
そして彼が自分の先入観に自身を縛りつけておいたなら、今週起こった数々の奇跡は起こらなかったでしょう。

そして貴方が「二つのステップ」を行い自分を譲って精霊か貴方のガイドに自身を導かせたなら、「偏見/先入観/目論見を持って聞く事、あるいは、どの様に物事が起こるべきか自分は既に知っていると考える事」がどれだけ不毛で馬鹿げた事か内的に解る様に成るでしょう。

“Thy will not mine be done.” 1
「私の意志ではなく、貴方の意志が成されます(貴方の意志が成されます様に)。」

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

プロフィール

翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

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