ACIM10-04-03#2
「愚かな振る舞い」は「愛を求めている声(Call for Love)」だと以前話しました。
これは「貴方が体として愛する事を求められている」と云う事ではありません。
何故なら、それ(体として愛する事)は特別な憎悪を隠す特別な愛でしかないから。 それは一つの幻想が他の幻想に対して何かしようとしている事であり、その結果「救済」はもたらされません。
何故なら、貴方の注意が行った所に貴方の信心も行き、貴方の信心が行った所に顕示(貴方の見ている「現実」)が現れるのだから。
その顕示は(その時貴方に見えているものは)「より優れた体に成らなければならない」と貴方に思わせてしまう事になるでしょう。
本を読みましょう。 少し戻って読み直します。
“ There IS no conflict in the choice between truth and illusion.1 “
[「真理か幻想か」の選択には闘争や葛藤はありません。]
葛藤はありません。
「愛への呼びかけ」(嫌な行為)がなされている時、その呼びかけをしている人{の体}に向き合うのではなく「父」に向き合えば、その時貴方は真理を選んでいるのです。 そして...
“There IS no conflict in the choice between truth and illusion. Seen in THESE terms, no one would hesitate. “
[「真理か幻想か」の選択には闘争/葛藤はありません。 この様に見れば躊躇する人は誰も居なくなります。]
しかし殆どの人達は、身体認識(体との自己同一)を元に物事を見ようとしてしまいます。 その場合、貴方は躊躇するべきなのです。
“But conflict enters the instant the choice seems to be one between ILLUSIONS, for this choice does not matter. “
[しかし異なる幻想の間を選択している限り、闘争/葛藤が入ってきます。 何故なら、これはどうでもよい(違いをもたらさない)選択だから。]
これが「どうでもよい」のは、どちらを選んだにしろ「幻想を選んだ事」には変わりないからです。 どちらにしろ、そこで選ばれているのは幻想なので貴方はまだ欺かれており(意味ある事は)何もまだ起こっていないのです。
だから貴方が(異なる幻想の)どちらを選んでも、その結果に違いはないのです。
いずれの選択も貴方を孤児院から連れ出す事はありません。
“Where one choice is as dangerous as the other, the decision MUST be one of despair.
Your task is not to seek for love, but merely to seek and find ALL of the barriers within yourself which you have built AGAINST it. “
[ある選択がもう一つの選択と同等に危険な時、その決定/結果は失望に違いありません。 貴方の仕事は愛を探す事ではなく、愛に対する障害を全て探す事です。]
ここは注意して読む必要があります。 この文章はとても重要です。
この文は自分を裁判に掛けて、自分の欠点をあげつらう様に指示している訳ではありません。
自分の欠点を調べる事が貴方の仕事なのではありません。
(理解ではなく)信念が貴方を統治している場所を探す事が貴方の仕事なのです。
そして貴方は「何が信念か」自分一人で調べる事は出来ません。
だから、
“Your task is not to seek for love, but merely to seek and find ALL of the barriers within yourself which you have built AGAINST it.”
[貴方の仕事は愛を探す事ではなく、(貴方が自分の中に作り上げた)愛に対する障害を全て探す事です。]
これをどうやって行うべきか私は言い続けてきました。
貴方はどうやって愛に対する全障害(バリヤ)を探すのでしょうか?
「貴方が知っている事全て、貴方が考えている事全て」がバリアだと仮定してみる事によってです。 『「父よ、ここの真理は何ですか?」と毎日言う事よりも貴方にとって大切な事はない』と思う事によってです。
例えば好奇心に満ちた子供の様に。 「パパ、アレは何? これは何? あれは何? ここの真理は何?」
その様な好奇心を持ちなさい。 何故なら、貴方が自分で答えを作る事に固執しなくなった時、貴方が得る答えが真理と幻想の違いを示して見せるから。
その時示される真理はとても素晴らしく、見間違えようがないので、貴方は即座に幻想を手放します。
“It is not necessary to seek for what is true, but it IS necessary to seek for what is false. Every illusion is one of fear, whatever form it takes. And the attempt to escape from one illusion into another MUST fail. If you seek love outside yourself, you can be certain that you perceive hatred within and are AFRAID of it. Yet peace will never come from the illusion of love, but ONLY from its reality. “
[「何が真理か」求める必要はありません。 しかし「何が間違っているか」知ろうと求める必要があります。 全ての幻想は(それがどの様な形を取るにしろ)恐れです。 一つの幻想から他の幻想へ逃げようとする試みは失敗するだけです。 貴方が貴方自身の外に愛を求めている場合、貴方は自分の内部に憎しみを知覚しており、それを恐れている事が確実です。 しかし平和はリアリティだけから来るもので、決して愛の幻想から来るものではありません。]
この文は誤解され易いかも知れません。
“It is not necessary to seek for what is true, but it IS necessary to seek for what is false.”
[「何が真理か」求める必要はありません。 しかし「何が間違っているか」知ろうと求める必要があります。]
「何が真理か」求める事は、これをアイディア(概念)として受け取った場合、その様に考えた場合、往々にして、口/思考を閉じて何が真理か「父」に訊ねる事には繋がりません。
貴方は思考と論理と理由付けと調査を使って「真理を求める事」をしようとしてしまいます。
何か行動をしようとするのではなく、「何が真理か」あるいは「何が幻想か」発見しようとするのではなく、貴方の役割は自分の注意を自身の思考的マインドから外す事です。
だから貴方は「したいと思っている事」/「ついしてしまう事」の反対をしなければいけないのです。
貴方は(瞑想している時の様に)静かに成る必要があります。 そこでは静かに成る以外の目的は存在していません。
真理を聞こう考えて瞑想するのではなく、瞑想の中で貴方が体験する平和の中で理解が開いて行きます。 これが自然と起こるのです。 貴方がこれをする訳ではありません。
これは重要な点です。
“Recognize this, for it is true, and truth MUST be recognized if it is to be distinguished from illusion: The special love relationship is an attempt to bring love into fear, and make it REAL in fear.”
[これを認識しなさい。 何故なら、これが真実で真実が認識されなければ真理を幻想から分離する事は出来ないから。 特別な愛の関係は、愛を恐れの中に引き入れて、恐れの中で愛をリアルにしようと云う試みなのです。]
これはどういう意味でしょう?
(特別な愛の関係は)恐れに満ちた状況内に愛を持ち込み、その中で愛をリアルにさせ、その状況内で変容を起こさせようとします。 「神」の法が絶対的に統治している場所(愛と憎しみの葛藤という幻想が起こっていない場所)に貴方達を引き入れる事無く。
恐れの中で愛を「リアル」にするとは、愛を恐れに対して有効に働くもの/力にして、恐れを変えようとする事です。
しかし、恐れはただ一つの事によってもたらされた幻想です。
そのただ一つの事とは、『「父」から離縁して独立した存在に成ろう』と貴方が決意した事です。
だから、恐れの体験を消滅させる唯一の方法は、(貴方がとても大切にしている)独立を放棄する事です。
これがイースターのメッセージです。
“In fundamental violation of love’s condition, the special love relationship would accomplish the impossible. “
[特別な愛の関係は、愛の条件の本質に反して、不可能な事を成し遂げようとします。]
“How but in illusion COULD this be done? “
[この様な事が、幻想以外の所で行えるでしょうか?]
もちろん、行えません。
イースター・メッセージとは「対立している力」の幻想から抜け出る事です
「神と悪魔/霊と物質、それらが戦っている。 どちらが勝つのだろう?」(という幻想から抜け出る事です)。
「神と悪魔」と云う概念は、貴方が自分の正気を放棄した(貴方が「父」から離縁した)時だけに可能なのです。
この(力の闘争の)幻想を修正する唯一の方法は、貴方が「父よ、助けてください。 お父さん、『貴方』の真理を示して下さい。」と言う事です。
貴方は墓の中でこれを言うのです。
貴方は墓の中でこれをするのです。
貴方はこれをして墓から出てくるのです。
これが(全瞬間内に宿っている)イースターの意味です。
ハッピー・イースター! 意味深いイースター! 目覚めたイースター!
目覚めた意味/意図。 この日の全体験の背景に「存在」のリアルな平和をもって{過ごしなさい}。
「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で(読者にどの様な義務も負わせる事も無く)提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはその様なものだからです。 貴方と同等の方が既にこのギフトを貴方に差し出したので、これらの資料が貴方に提示されています。 Rajの指示により、これらの資料が売買される事はありません。
A Course in Miracles Study Group with Raj, April 3rd 2010
The Northwest Foundation for “A Course in Miracles"
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
Website: http://www.nwffacim.org
E-Mail: paul@nwffacim.org
これは「貴方が体として愛する事を求められている」と云う事ではありません。
何故なら、それ(体として愛する事)は特別な憎悪を隠す特別な愛でしかないから。 それは一つの幻想が他の幻想に対して何かしようとしている事であり、その結果「救済」はもたらされません。
何故なら、貴方の注意が行った所に貴方の信心も行き、貴方の信心が行った所に顕示(貴方の見ている「現実」)が現れるのだから。
その顕示は(その時貴方に見えているものは)「より優れた体に成らなければならない」と貴方に思わせてしまう事になるでしょう。
本を読みましょう。 少し戻って読み直します。
“ There IS no conflict in the choice between truth and illusion.1 “
[「真理か幻想か」の選択には闘争や葛藤はありません。]
葛藤はありません。
「愛への呼びかけ」(嫌な行為)がなされている時、その呼びかけをしている人{の体}に向き合うのではなく「父」に向き合えば、その時貴方は真理を選んでいるのです。 そして...
“There IS no conflict in the choice between truth and illusion. Seen in THESE terms, no one would hesitate. “
[「真理か幻想か」の選択には闘争/葛藤はありません。 この様に見れば躊躇する人は誰も居なくなります。]
しかし殆どの人達は、身体認識(体との自己同一)を元に物事を見ようとしてしまいます。 その場合、貴方は躊躇するべきなのです。
“But conflict enters the instant the choice seems to be one between ILLUSIONS, for this choice does not matter. “
[しかし異なる幻想の間を選択している限り、闘争/葛藤が入ってきます。 何故なら、これはどうでもよい(違いをもたらさない)選択だから。]
これが「どうでもよい」のは、どちらを選んだにしろ「幻想を選んだ事」には変わりないからです。 どちらにしろ、そこで選ばれているのは幻想なので貴方はまだ欺かれており(意味ある事は)何もまだ起こっていないのです。
だから貴方が(異なる幻想の)どちらを選んでも、その結果に違いはないのです。
いずれの選択も貴方を孤児院から連れ出す事はありません。
“Where one choice is as dangerous as the other, the decision MUST be one of despair.
Your task is not to seek for love, but merely to seek and find ALL of the barriers within yourself which you have built AGAINST it. “
[ある選択がもう一つの選択と同等に危険な時、その決定/結果は失望に違いありません。 貴方の仕事は愛を探す事ではなく、愛に対する障害を全て探す事です。]
ここは注意して読む必要があります。 この文章はとても重要です。
この文は自分を裁判に掛けて、自分の欠点をあげつらう様に指示している訳ではありません。
自分の欠点を調べる事が貴方の仕事なのではありません。
(理解ではなく)信念が貴方を統治している場所を探す事が貴方の仕事なのです。
そして貴方は「何が信念か」自分一人で調べる事は出来ません。
だから、
“Your task is not to seek for love, but merely to seek and find ALL of the barriers within yourself which you have built AGAINST it.”
[貴方の仕事は愛を探す事ではなく、(貴方が自分の中に作り上げた)愛に対する障害を全て探す事です。]
これをどうやって行うべきか私は言い続けてきました。
貴方はどうやって愛に対する全障害(バリヤ)を探すのでしょうか?
「貴方が知っている事全て、貴方が考えている事全て」がバリアだと仮定してみる事によってです。 『「父よ、ここの真理は何ですか?」と毎日言う事よりも貴方にとって大切な事はない』と思う事によってです。
例えば好奇心に満ちた子供の様に。 「パパ、アレは何? これは何? あれは何? ここの真理は何?」
その様な好奇心を持ちなさい。 何故なら、貴方が自分で答えを作る事に固執しなくなった時、貴方が得る答えが真理と幻想の違いを示して見せるから。
その時示される真理はとても素晴らしく、見間違えようがないので、貴方は即座に幻想を手放します。
“It is not necessary to seek for what is true, but it IS necessary to seek for what is false. Every illusion is one of fear, whatever form it takes. And the attempt to escape from one illusion into another MUST fail. If you seek love outside yourself, you can be certain that you perceive hatred within and are AFRAID of it. Yet peace will never come from the illusion of love, but ONLY from its reality. “
[「何が真理か」求める必要はありません。 しかし「何が間違っているか」知ろうと求める必要があります。 全ての幻想は(それがどの様な形を取るにしろ)恐れです。 一つの幻想から他の幻想へ逃げようとする試みは失敗するだけです。 貴方が貴方自身の外に愛を求めている場合、貴方は自分の内部に憎しみを知覚しており、それを恐れている事が確実です。 しかし平和はリアリティだけから来るもので、決して愛の幻想から来るものではありません。]
この文は誤解され易いかも知れません。
“It is not necessary to seek for what is true, but it IS necessary to seek for what is false.”
[「何が真理か」求める必要はありません。 しかし「何が間違っているか」知ろうと求める必要があります。]
「何が真理か」求める事は、これをアイディア(概念)として受け取った場合、その様に考えた場合、往々にして、口/思考を閉じて何が真理か「父」に訊ねる事には繋がりません。
貴方は思考と論理と理由付けと調査を使って「真理を求める事」をしようとしてしまいます。
何か行動をしようとするのではなく、「何が真理か」あるいは「何が幻想か」発見しようとするのではなく、貴方の役割は自分の注意を自身の思考的マインドから外す事です。
だから貴方は「したいと思っている事」/「ついしてしまう事」の反対をしなければいけないのです。
貴方は(瞑想している時の様に)静かに成る必要があります。 そこでは静かに成る以外の目的は存在していません。
真理を聞こう考えて瞑想するのではなく、瞑想の中で貴方が体験する平和の中で理解が開いて行きます。 これが自然と起こるのです。 貴方がこれをする訳ではありません。
これは重要な点です。
“Recognize this, for it is true, and truth MUST be recognized if it is to be distinguished from illusion: The special love relationship is an attempt to bring love into fear, and make it REAL in fear.”
[これを認識しなさい。 何故なら、これが真実で真実が認識されなければ真理を幻想から分離する事は出来ないから。 特別な愛の関係は、愛を恐れの中に引き入れて、恐れの中で愛をリアルにしようと云う試みなのです。]
これはどういう意味でしょう?
(特別な愛の関係は)恐れに満ちた状況内に愛を持ち込み、その中で愛をリアルにさせ、その状況内で変容を起こさせようとします。 「神」の法が絶対的に統治している場所(愛と憎しみの葛藤という幻想が起こっていない場所)に貴方達を引き入れる事無く。
恐れの中で愛を「リアル」にするとは、愛を恐れに対して有効に働くもの/力にして、恐れを変えようとする事です。
しかし、恐れはただ一つの事によってもたらされた幻想です。
そのただ一つの事とは、『「父」から離縁して独立した存在に成ろう』と貴方が決意した事です。
だから、恐れの体験を消滅させる唯一の方法は、(貴方がとても大切にしている)独立を放棄する事です。
これがイースターのメッセージです。
“In fundamental violation of love’s condition, the special love relationship would accomplish the impossible. “
[特別な愛の関係は、愛の条件の本質に反して、不可能な事を成し遂げようとします。]
“How but in illusion COULD this be done? “
[この様な事が、幻想以外の所で行えるでしょうか?]
もちろん、行えません。
イースター・メッセージとは「対立している力」の幻想から抜け出る事です
「神と悪魔/霊と物質、それらが戦っている。 どちらが勝つのだろう?」(という幻想から抜け出る事です)。
「神と悪魔」と云う概念は、貴方が自分の正気を放棄した(貴方が「父」から離縁した)時だけに可能なのです。
この(力の闘争の)幻想を修正する唯一の方法は、貴方が「父よ、助けてください。 お父さん、『貴方』の真理を示して下さい。」と言う事です。
貴方は墓の中でこれを言うのです。
貴方は墓の中でこれをするのです。
貴方はこれをして墓から出てくるのです。
これが(全瞬間内に宿っている)イースターの意味です。
ハッピー・イースター! 意味深いイースター! 目覚めたイースター!
目覚めた意味/意図。 この日の全体験の背景に「存在」のリアルな平和をもって{過ごしなさい}。
「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で(読者にどの様な義務も負わせる事も無く)提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはその様なものだからです。 貴方と同等の方が既にこのギフトを貴方に差し出したので、これらの資料が貴方に提示されています。 Rajの指示により、これらの資料が売買される事はありません。
A Course in Miracles Study Group with Raj, April 3rd 2010
The Northwest Foundation for “A Course in Miracles"
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
Website: http://www.nwffacim.org
E-Mail: paul@nwffacim.org
スポンサーサイト