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ACIM10-06-19

June 19, 2010 ©NWFFACIM
2010年 6月 19日

原文テキスト
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=29630&mid=142811#M142811
オーディオ&ビデオ
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=29618&mid=142775#M142775

ページ位置の確認。
A Course In Miracles (reference pages)
Chapter 16 – Section – SPECIALNESS AND GUILT
1 Sparkly Book – p390, Last Par. /
JCIM – p164, 3rd Par. /
CIMS – p. 328, Par. 47

Chapter 16 – Section – THE CHOICE FOR COMPLETION
First Edition – p. 318, 1st Full Par. /
Second Edition – p. 341, Par. 5



今晩は、ようこそ。  

今夜は本を読む事から始めましょう。

“To everyone Heaven is completion. There can be no disagreement on this, because both the ego and the Holy Spirit accept it. They are, however, in COMPLETE disagreement on what completion IS, and HOW it is accomplished.”1

[全ての人にとって天国は完成/完了です。エゴと精霊の両方がこれを受け入れているので、これに関して論争が起こる事はありません。 しかし、「完成が何か? それがどの様に達成されるのか?」という事に関してエゴと精霊は全く同意していません。]

その次の文には、二つの重要なポイントがあります。

“The Holy Spirit knows that completion lies first in union, . .”

[精霊は、完成の為にまず合一が必要で、]

これが「二つのステップ」の第一歩です。

“. . . and then in the extension of union.”

[その後に合一を拡張する(差し伸べる)必要があると知っています。]

これが「二つのステップ」の第二歩です。


第二のポイントは、

“To the ego, completion lies in triumph, and in the extension of the "victory" even to the final triumph over God. In this it sees the ultimate freedom of the self, for nothing would remain to interfere with IT. This IS its idea of Heaven.”

[エゴにとっては、完成は勝利に依存しており、そして(神に対する最終勝利を含んだ)「征服」の拡張にかかっています。 エゴはこの中に自己の最上の自由を見ています。 その理由は、{この様な勝利が得られれば}エゴに対して干渉するものがなくなるからです。 これが天国に対するエゴのアイディアです。]

今夜は「聞く事」に関して話します。 それがどれだけ重要で、どの様にすればそれが体験出来、どの様にして「聞く事」と共に生きて行くべきか話しましょう。
これは貴方達に出来る最も意味深い事です。
そして、これが故郷へ帰る方法なのです。
これが貴方が自分の正しい「マインド」へ返って帰って行く方法なのです。

これを私は何度も繰り返し言ってきました。
「またそれですかラジ。 何か新しい事は言えないのですか?」と考えている人もいるでしょう。
新しい事を言うべき時が来たら、私も新しい事を言いましょう。
それまでは、私は言うべき事を繰り返します。 何故なら、我々が新しい事へ至る為にはこれこそが必要だから。
完成へ至る事は、人間の意志を静かにさせて(貴方のプライベートで個人的な意図を静かにさせて)、神や「真理の為の声/神の為の声/精霊/貴方の正気でしかないもの」へ伸び出す事によって達成されます。

そして、貴方が意識を澄ませて(貴方の質問への)答えを聞いた時、貴方は「自分に聞こえて来た答え」には満足できないかも知れません。
そして貴方の周りの人達も、貴方が聞いた答えを好きには成らないかもしれません。
だから貴方は(聞く事はハード過ぎると考えて)聞く事を放棄しようとしてしまうか、そうでなければ、貴方はより一層意志(そうここでは「意志」です)を強くして、より強い自己鍛錬と共に聞く事に成ります。
貴方(や貴方の周りの人達)が感じているストレスにも関わらず、貴方は感情的反応から離れて、貴方の「存在」の静寂の中で、貴方の「マインド」の静寂の中で、より深く聞き続けようとするべきなのです。

私は「聞く事」をした三人の話をしたいと思います。
貴方がどれだけハードに意図的に聞くべきか迷ったなら、次の三者の例を思い出してください。
問題は「どれだけ一生懸命に神{の声を}を聞けば良いのか?」です。 貴方はどれだけ懸命に聞いていますか?

アブラハムについて話しましょう。 神を恐れる人(神を尊重する人)アブラハムです。 彼の一生は神に捧げられていました。
彼は神(の声)を聞き、神は彼の息子を犠牲/生贄に上げるよう彼に言いました。
殆どの人はこの場面で聞く事を放棄するでしょう。
彼等は「これは難しすぎる(酷すぎる)。これは全く理屈に合わない。」と言います。

しかし、もしこの様な(拒否)反応をしなかった場合、この様に神の声を聞いた人はどうするでしょう?
その人は今までより一生懸命に聞く事でしょう。 貴方は自分の息子をもちろん愛しているのだから。
貴方は(例え神の為であっても)自分の息子を犠牲にしようとは考えたくもないでしょう。
しかし貴方が神に忠誠を捧げているなら、貴方はより一層静聴するのです。
そして貴方は、「どの様な基準を基にしてこの世界で生きるか」自分が選択する所まで到達しなければいけません。
それは「精霊の視点」か、でなければ「エゴの視点」になります。
それは「神を聞く事か、貴方自身で貴方自身の為に考える事」のいずれかです。
もし貴方の息子や娘を犠牲にする事になるなら、貴方は死に物狂いで聞く事でしょう。

私は貴方を脅す為にこう言っているのではありません。
私がここで言おうとしているのは、「貴方は受け取ったガイダンス/指示に導かれて、正直に聞ける様に成る必要がある」という事です。
「正直に聞ける様に成る」とは、(自己定義/主張ではなく)「貴方の全ての意志/意識に成る事」に対して貴方が全く抵抗しなくなる事です。 「この瞬間貴方の面前に在る状況」に対して貴方全体が完全に関与する事が出来る様に成る事です。

「それはアブラハムの事で、その様な状況は現代では起こらないでしょう。 私がその様な覚悟を決める様に求められる事はないでしょう。」と貴方は言うでしょうか?

ならば私は貴方にこう訊ねましょう。 貴方は何故それだけの覚悟(Commitment)を決めたくはないのでしょうか?
なぜ貴方は、あの場所/静寂の中で躊躇する事無く(無条件に)全体的に(神と)関わり、神の法が統治している所で父を知ろうと願う貴方の望みの中に、貴方の完成がなされている合一の中に留まってそれを(聞く事を)しようとしないのでしょうか?  それが目覚めを意味しているのなら、それが「貴方の完成/十全/パーフェクトな有り様」を貴方が意識体験している事を貴方に示すのならば。 
その(静寂の)中では、貴方の完成が侵害され得る様にはもはや見えないのです。 何故なら、ここでは神の法が全てを統治しているから。

「 何をどこまでする必要があるか、それをどの様に解釈するか」に関する貴方の考えを変える必要があります。
貴方はこれを「自分には耐え切れない巨大な重責」と解釈する事も可能です。 しかし反対に、貴方はこれを「(貴方に)実行可能な巨大な重責」と考える事も可能なのです。
「疑いによって貴方が自分のマインドの合一/統一を分離させていない場所、したがって全体性を体験する事が容易い場所、全体性が自然でそれを侵害することは出来得ない場所」としてのマインドの枠組み(想念)を持つ事も貴方には可能なのです。
貴方はこれをする事(貴方の全体を体験する事)に価値を見い出せる場所まで到達しなければいけません。 何故なら、その結果が本当に奇跡的な事に成るのだから!

「ええ、私は聞いてみました。ラジを聞き始めてから何度も試してみました。 私は聞いてみて、時には何かと繋がった様な気もしました。 しかし、殆どの場合何も起こりませんでした。 だから、これ以上これに固執し努力し続ける決意をする気には成れないのです。」
{と、このように考えていては、奇跡的を得られるところまで到達する事は出来ません。}

さて、次の人について話しましょう。
しかしその前に、アブラハムにとってこれらの全ての事は、彼のプライベートな個人的なマインド内で起こっていた事を覚えて置いてください。
彼は自分の得たガイダンスを他者には打ち明けませんでした。 彼は自分の得たガイダンス/指示を公の前で実行しようとしたのではありません。

では、ノアの場合はどうだったでしょう?
ノアはガイダンスを聞き取り、それはとてつもない事を言っていました。
このとてつもない指示は秘密にしては置けませんでした。
海に面していない村で箱舟を作り始めたなら、それは人目を惹く事でしょう。 それは色んな意見を引き出してしまうでしょう。
それは嘲笑やからかいや否定を引き出すでしょう。村人だけからではなく、自分の家族からも。
彼の奥さんは、彼のしようとしている事がどれだけ馬鹿げて見えるか、彼に言わなかったと思いますか? これが彼と彼女とそして家族全員にとってどれだけ負担になるか、彼に文句を言わなかったと思いますか?
その様な場合貴方ならどうしますか?
箱舟を作るのを止めて….溺れてしまいますか?
「妻を怒らせるのは止そう。 私は彼女を愛している。 これまで彼女はとても貞淑だった。 彼女を困らせるのは気の毒だ。 そして私は自分のしている事を上手く正当化して説明する事も出来ない。 私は彼女を愛しているのだから。」 と言うかも知れませんね。
「神が本当に、彼女を困らせたり気まずい思いをさせたり中傷されたり蔑まされたりする事を私に求めるだろうか? この様な馬鹿げた事を止めて社会に順応していく方が全く理屈に合っている。」

しかし彼はそうはしませんでした。 彼はより深く聞き続けたのです。
彼は聞き続け、聞えた指示に従いました。 彼は二つのステップを行う事よりも重要な事を世界の中に見つけなかったのです。
静寂の中に入って、父か精霊に何が適切か/何を次にするべきか訊ねました。
そして答えが聞こえたなら、それに関してまた質問をするか、より深く聞き続けました。 そして理解が得られたなら、意を決してガイダンスにより示された事を実行したのです。

彼の状況ゆえに、彼のしなければ成らなかった事ゆえに、彼がどれだけ集中して聞き続け、どれだけの決心が彼に必要だったか想像出来ますか?
この様な決意(何があっても神を聴き続けようとする決意)は貴方には出来ないでしょうか? これは貴方には重すぎる重責でしょうか?

それともこれは、貴方自身の中で変化を起こすチャンスでしょうか?
『この決意を実行/保持する事は、貴方を「自身の真の生得権であるマインド状態/存在状態」に保つ事に成る、そしてこれは貴方の生得権なので、これはとても簡単な事なのだ(たとえ、これが今現在とても難しいと貴方に見えていたとしても)』という可能性に賭けてみる事ではないでしょうか?

この様な決意を持って貴方がこれ(聞く事)を行ったなら、瞬間的知覚のシフトが起こります。 これが奇跡です。 この様にして奇跡が起こり得るのです。
「これが起こるかどうか(実際に聞く事を行って)確かめたい」と思えるように成りなさい。

何故なら、これがコースの要点なのだから。 貴方の愛しているこの本は、貴方が何年も学んで来たこの教えの要点はこれなのだから。
これは目覚める事に関して述べている本です。

貴方が本当に聞いている事、状況から来るストレスに耐えて貴方が正直に勤勉に聞き続けた事。
それが結果/宝なのです。 {これが必要とされている事であり、と同時に}これが{奇跡の}結果/宝なのです。 奇跡とはこの事です。
「リスクを取って、神が実存する事に賭けてみる事」が出来る様になる場所まで貴方は到達しなければいけません。 自分の意図/意識/能力の全てを賭けて彼/神を求め聴くのです。貴方の全ての熱意を使って神を聴くのです。

さて我々が次に見てみるのはモーゼです。 モーゼは神に聞き入りました。
貴方は私が十戒について話すと考えたかもしれません。  
そうではありませんが、彼は確かに(神を)聞き十戒(その時点で必要とされていた神の法)を得ました。 彼はそれを山からもって降りて来ました。
この場面で彼を待っていたのは、家族と知り合いだけでなく、彼の後について来た全ての民でした。

(モーゼが山から戻ってきた時)彼等は不信心な事(神から離れた事)に耽っていました。
不信心な事に耽溺するあまり、彼等は「モーゼが(神を聞き続ける/神と共に行き続ける)決意と共に聞いた事」に聴く耳を持つ事が出来ない状態でした。
それはモーゼを怒らせ、彼は石版を打ち砕き、それから?
彼は全てを一から繰り返しました。 何故なら、貴方が神に信心/決意を与えている時、貴方に出来る事はそれだけだからです。

しかし、私が話そうとしている事はこれではありません。
私が話したいのは、モーゼが(ファラオとその兵士達から逃れた)イスラエルの幾千の民を従えて紅海の淵に立っていた時の体験です。
彼等は日中は光の柱を手がかりに進んで行きました。 これは彼等が父の意志の証拠(現れ)を信じていたからです。

そして今、彼等は紅海の前に立っており、ファラオの軍隊が迫って来ており、逃げる場所はありません。
その時、彼は神に尋ねた/神を求めたでしょうか? もちろんです!
今日この頃は、このように聞く(神を求める)必要が無いと貴方は思いますか?
彼が聞いて(神を求めて)いなかったなら、彼は恐ろしさの余りへたり込んで「(ファラオに)降参します!」と言った事でしょう。
そしてファラオの軍隊が彼等を連れ戻してしまったでしょう。 そこには奇跡がありません。

「神よ、貴方は何をしているのですか? 
貴方は私をここに連れてきました。 貴方は我々全員をこの袋小路に連れてきており、ここから逃げ道はありません。 ここからの逃げ道がない事を私は知っています。
貴方は愛ある神ではないのですか?
私は貴方の真の姿をやっと今発見したのでしょうか? 抜け目無く不正直で意地悪な貴方を。
貴方は我々を善良の可能性で釣って、我々を絶対絶命の境地に落とし入れて喜んでいるのですか?」
これは「聞く事」ではありません。 
これは貴方が頑固な自己主張/自己定義的お喋りを沢山している状態です。

しかし、自分の目の前に現れている事(に対処するの)は不可能だと貴方の全てが言っている時点で、(その状況に圧倒されてしまわず)貴方が聞き続ける事によって、「我々と一緒に居る神」が{その存在/その技を}デモンストレート出来る様に成るのです。
「父の視点/貴方の正気」が真理の声を通して貴方に届く事が可能になるのです。

「何ですって、神様? (紅海の時の様に)私は杖を差し伸ばすのですか?
御冗談でしょう。 そんな事をすれば、人々は私を馬鹿者だと思うでしょう。」

{しかし神は}「モーゼよ、それを持ち上げなさい!」と言って、そこで不可能な事が起こりました。
そしてイスラエルの民は乾いた川底を歩いて行きました。
この様にして「二つのステップ」は働くのです。 この様にして「聖なる瞬間」が起こるのです。

そのプロセスにおいて貴方が少し(あるいは沢山)困難な目に会ったなら、貴方の手には負えないと思える事態に成ったなら、それでもそのプロセスを(聞く事を)あえて続けなさい。 何故ならば、そこに宝があるのだから。 そこに答えがあるのだから。
その答えとは何でしょうか? それは不可能な事を可能にする事です。

“The Holy Spirit knows that completion lies first in union, and then in the extension of union.”

[精霊は、完成の為にまず合一が必要で、その後に合一を拡張する(差し伸べる)必要があると知っています。]

合一を広げる必要があります。 モーゼが杖を掲げた様に。
つまり、父の意志を拡張し(差し伸べ)体現し、ガイダンスを体現し、(自分の内部にある)合一に対して正直になり続けるのです。
この合一が、「必要とされている事」を顕わにして、それを(必要を満たしているものを)貴方が体現/表現出来る様に成るのです。

しかし、

“To the ego, completion lies in triumph, . .”

[エゴにとっては、完成は勝利に依存しており、]

勝利。 その中で孤児は一人で物事を達成しようとします。 合一の中ではなく、「二つのステップ」をする事無く。
孤児は自分一人で物事をしようとし、自分はそうする事に成功していると考えているのです。

“. . . and in the extension of the "victory" even to the final triumph over God.”

[そして(神に対する最終勝利を含んだ)「征服」の拡張にかかっています。] 

つまり、
“To the ego, completion lies in triumph, and in the extension of the "victory" even to the final triumph over God.”

[エゴにとっては、完成は勝利に依存しており、そして(神に対する最終勝利を含んだ)「征服」の拡張にかかっています。] 


「そら見ろ神様、私は何者かに成ったぞ。 やはり、私は貴方を必要とはしていなかったじゃないか。」
モーゼもその様な行動をしてしまいました。
モーゼが、貴方やポールやその他の人が焦れてしまった時と同等に振舞った事もありました。
彼の民が水を必要としていました。 だから彼は独自に(神に聞く事無く)「彼自身の聖なる能力だと自分で考えたもの」を執行しようとしました。
彼は神の命令を聞く事無く、自身の手で岩を打ち、すると水が流れ出しました。
彼は(水を得る事に)成功したのです。 しかし、彼はそれを神なくして行ったのです。

“In this it sees the ultimate freedom of the self, for nothing would remain to interfere with IT.”

[エゴはこの中に自己の最上の自由を見ています。 その理由は、{この様な勝利が得られれば}エゴに対して干渉するものがなくなるからです。]

困難な場面に遭遇して、貴方が「二つのステップ」を行うか、岩を叩いて水を出すか、そのどちらかを選ぶ場合、「二つのステップ」を選び、貴方の権限(「貴方が独自に持っている」と貴方が考えている権限)を放棄して、真理を父に訊ね、(奇跡を可能にする)瞬間的知覚のシフトが起こるようにしなさい。 
貴方が「聞く事」により一層専念しなければ成らなくなる(厳しい)場所を選びなさい。
そうすれば独自に行動しようとする貴方の傾向をより一層手放す事になり、貴方は貴方の中にある父の意思(それが「貴方」です)により一層正直になるのです。

貴方の中の神の意志(これが「貴方」です)に対してより正直に成るに従い、貴方は統一感を感じ、一体性(Unity)を感じ、完成を感じます。 そして奇跡/祝福が起こるのです。
ちょうど、箱舟が全員に安全を与えたように。
紅海が分かれて貴方が安全にそれを渡れる様に。
貴方の神への信仰が(貴方が今まで体験した事のない)内的明晰へ(「神への従順の結果危害が起こる事は無い」という気付きへ)貴方を導くでしょう。
アブラハムはそう気付いて、それまでより一層の決意を(神に)捧げるように成ったのです。



私がこれを話しているのは、学習の上で「信仰/信心への決意(Commitment)」が必要とされる場所に貴方が来ているからです。

ここでそれを学ぶべきなのです。 そしてポールもまた同じ所に来ています。
ポールの居る場所が、(それぞれ独自の在り方で)貴方達全員が居る場所でもあります。

私が今夜話しているのは、曖昧なフワフワした論理ではありません。
これは今日ポールとそして貴方達全員にとって、とても実際的/現実的な真理です(貴方が地球の何処に居るにしろ)。

ガイダンス(精霊やガイドからの指示)を訊ね聞く事で、貴方は真理の意味を学びます。
貴方が真理を引き出さなければ(真理が働く様にしなければ)、貴方は何が信頼に値するか(何が確実か)学ぶ事が出来ません。 何が「貴方の信頼に答えて決して崩れる事の無いもの」なのか知る事が出来ません。
信頼が無ければ、貴方は本当に{神に}譲る事が出来ません。 しかしアブラハムは、ノアは譲ったのです。
モーゼは譲りました。 彼は戯れにこれをしたのではなく、(「聞く事」に対する献身/専念により)彼の到達した内部の奥深い所からこれを行ったのです。

しかし『「聞く事」に対する献身』と聞いて、これを「物凄く大変な事」と決め付けるのは止めなさい。
貴方が聞く事への邪魔/障害を完全に放棄したなら。 聞く事/リスニングは深くなり、豊かになり、最上/最適になります。 それは貴方が「聞く事」を力一杯行っているからではなく、「奇跡を見えなくしてしまう事」をもはやしていないからです。
だから、これを苦行にしてしまうのは止めなさい。 その様な必要はありません。
しかしこれにはある程度の自己鍛錬が必要である事は理解してください。

私がポールとスーザンに指示した事は、貴方達という村人が周りにいる状態で(良きにつけ悪しきにつけ、意見や考察を持ちそれを表明している状態で)「箱舟」を作り始めるよう彼等に要請した事は、(ポールとスーザンにとって)「聞く事」へのより一層の献身を必要としました。
不可能に見えている事が可能だと解る様にする「意味」が深く広く聞ける様に、そして全ての人がその可能性を促進して(助けて)、全ての人が喜べる様に。

ポールは、深く聞く事が彼に「困った状況をもたらさず、神の法が満たされている体験を明確にする」と信じてこれをしなければなりませんでした。
(これは)神の法が成り立っている体験です。 「ここに風が動いています」と私がポールに言ったなら、彼が風と同じぐらい柔軟/軽快に成れる様に。
これはハリケーンではなく、そよ風です。 これには殆ど力など無い様に見えます。 しかし私は「創造の動き」をそよ風に例えました。

ファウンデーションの動き(Northwest Foundation For A Course In Miracels の移動)は不可能に見える事でした、それは論争/不和/不調/良いフィーリング/悪いフィーリングを生んでいる様に見えました。

何がそれら(論争/不和)を解消/解決するか解りますか?
それらに対処するのではなく、より大きな決意と共に聞く事です。 より強靭な意欲を持って聞き続ける事です。
つまり、抵抗するものを探そうとするのではなく、自分一人で(ストレスを解消する)何かを達成しようとするのではなく、(モーゼに様に)叩ける石を探すのではなく、計画性や故意や強情や意図的な考えを捨てて聞く事です。  何故ならストレスを(一人独自に、神から離れて)解除する事は、瞬間的な知覚のシフト/奇跡には成らないから。

(道や藪が取り壊されて、騒音と埃が満喫している)NFFACIMの現立地周辺の動きは、平静を乱していました。
ポールは自分がいつもより反応的/感情的に成っている事を発見しました。
自分がこれほど影響されている事を見つけて彼は驚いていました。
今晩のスタディ・グループが上手く出来るか真剣に悩んでいました。
それでも彼の決意と献身が、それらに打ち克ちました。

その結果彼は学び、違う場所(自分が悩まされて居ない場所)に入ったのです。
そして彼は貴方と貴方と貴方と同等なので、貴方も違う場所に入り、貴方も学びました。

そして一番重要な事は、我々が今晩読んだこの文節がより輝き、この文節と貴方のより明確な関連が示された事です。 これが重要なのです。

貴方がアブラハムやノアやモーゼの様に{聞ける様に}成る事が、貴方の持って生まれた生得権なのです。
彼等がした様に、貴方も「二つのステップ」が出来る様に成るべきなのです。
そして貴方が困難な場面に遭遇したなら、{聞く事を}続けて、(自分一人でそれに対処しようとする誘惑を退けて)父の意志に譲る事を選択し続けなさい。
そして(まるで貴方の息子/娘の命がそれに掛かっている位の決意を持って)父の意志に譲れる様に成りなさい。

貴方は、これが難しすぎる事ではないと(過大過ぎる要求ではないと)発見する必要があるのです。
ここで求められている事は、貴方達全員にとって基本的にナチュラルな事なのです。 これをする事が可能なのです。


次回貴方とお会いできる事を楽しみにしています。


「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはその様なものだから。 
貴方と同等の方が既にこのギフトを貴方に差し出したので、これらの資料が貴方に提示されています。 Raj の指示により、これらの資料が売買される事はありません。 

A Course in Miracles Study Group with Raj, June 19th 2010
The Northwest Foundation for “A Course in Miracles”
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
Website: http://www.nwffacim.org
E-Mail: paul@nwffacim.org

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

ACIM10-06-12

June 12, 2010 ©NWFFACIM
2010年 6月 12日

原文テキスト
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=29631&mid=142812#M142812
オーディオ&ビデオ
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=29590&mid=142686#M142686


ページ位置の確認。
A Course In Miracles (reference pages)
Chapter 16 – Section – SPECIALNESS AND GUILT
1 Sparkly Book – p389,
JCIM – p163,
CIMS – p. 327


今晩は、ようこそ。  
少し後戻りして読み進めましょう。

“On this side of the bridge to timelessness you understand nothing. But as you step lightly across it, upheld BY timelessness, you are directed straight to the Heart of God. At Its center, and ONLY there, you are safe forever, because you are COMPLETE forever. There is no veil the Love of God in us together cannot lift. The way to truth is open. Follow it with me.”1

[(時間の存在していない所への)架け橋のこちら側で貴方は何も理解していません。 しかし(時間の無い様子に支えられて)それ(橋)をこころ軽く渡って行くに従って、貴方は「神のハート」に直接向かっています。 その中心で、そこでのみ、貴方は永遠に完成しているのだから、貴方は永遠に安全なのです。 我々の中の「神の愛」が一緒に働いて持ち上げられないヴェールは存在していません。 真理への道は開かれています。 私と共にその道を歩いていきなさい。]

我々はこの様に「聖なる瞬間」に関する事を読みました。 これは「二つのステップ」に関する事なのです。
貴方が橋を軽快に渡って時間のない所へ向かうに従い、貴方は「神のハート」の方向へ直接向いています。

つまり、貴方が静かに成ったなら、「思考し理由付けし素晴らしい結論を導く」自分の能力を重要視する事を貴方が放棄して静寂の中に留まったなら、(貴方のマインドの中で)「神の現れ」が貴方の「マインド」として貴方に認識される様になります。
下記の言葉は、この事を言い表しています。

“. . . you are directed straight to the Heart of God.”

[貴方は「神のハート」に直接向かっています。]

そこにある静寂の中で、貴方に体験出来る事は「神のハート」だけです。
そこで体験出来るのは、貴方の正しい「マインド」だけです。
そこで貴方に体験出来る事は、「父の視点」だけです。

貴方は「神よ、ここの真理は何ですか? 父よ、何がここでの真理なのですか?」と訊ねて静かになり聞くだけでなく、「母よ、ここでの貴方の視点は何ですか? 父神/母神よ!」とも言ってください。 何故なら貴方には偏見があるから。

「父よ、何がここの真理ですか? 私の同胞の真理は何ですか? ここで必要とされている事に対する真理は何ですか?」と訊ねた時、貴方は答えに対して特定の期待を持っています。 それは「母よ(母なる神よ)、貴方の視点は何ですか? ここでの真理は何ですか? 私は自分の同胞に関して何を知る必要があるでしょうか?」と訊ねた時とは違う期待になります。
この様に(母よ、母神よ、と)言ってみるのは良い事です。 何故なら神は神であって、母でも父でもありません。 しかし神はそれら全てを内包しており、全てを抱擁し、「父」そして「母」と言う言葉が表している事すべてを体現/表現しているのだから。

「貴方の父」は優しいのです。 「貴方の母」は厳しいのです。
真理を示す事に関して「貴方の母」は揺るぎありません。
「貴方の父」は原則に沿っており、「貴方の父」は率直なのです。 「貴方の母」は優しいのです。 「貴方の父」は優しいのです。

だから「ここの真理は何ですか?」と貴方が神に訊ねる時、神の全て(父としての神/母としての神)を受け取る様にしなさい。 貴方が得る答えを男性性や女性性などの特質に縛り付けるのではなく、父としての神と母としての神を受け入れて、貴方への答えをより豊かなものにしなさい。
これが貴方得る神の体験をより広くして、それが貴方の「貴方であるもの」の体験をより広くします。

“At Its center, . .the Heart of God . . . and ONLY there, you are safe forever, because you are COMPLETE forever.”

[その中心(つまり神のハート)で、そこでのみ、貴方は永遠に完成しているのだから、貴方は永遠に安全なのです。]

先週我々は、癒しや全体性(wholeness)と完全性(completeness)がどの様に関係しているか話しました。
全体性(つまり全体的な機能、全体的にパーフェクトな様子)を体現する/現すことが貴方の持って生まれた権利だと(私は貴方に)知らせました。
そしてこれを体験していないのは、貴方が「貴方に関する真理」を掴み取っておらず、欠乏などに異を唱えていないからで、云わば、これは貴方の怠慢ゆえなのです。
完全性が事実なのに、貴方まだ完全性を見いだしておらず、それを見る体験もしていません。
何が完全性の体験を妨げているのでしょうか? これを次のセクションで取り上げます。

貴方が完全性を選ぶ時、貴方は何を放棄するのでしょうか?
貴方は特別な関係を放棄し、それをそれ以上選ばなく成るのです。

では、何が「特別な関係」なのでしょうか?
特別な関係とは:
「貴方の持っている体験」に対する視点の何処にも神が居ない状態で、貴方が持っている全ての関係の事です。
殆どの人達は、特別な関係とは「兄弟姉妹との関係の事だ」と考えていますが、それだけではありません。

もう一度言います。
特別な関係とは、父の視点が「関係に対する貴方の意識」に全く届いていない状態で貴方が(何者かと、あるいは何かと)持っている全ての関係/関わり合いの事です。 それにはテーブルや花や爪や椅子などとの関係も含まれています。

もし貴方が「父の視点」を持ってそれを見ていないなら、貴方は自分で開発したプライベートな視点を使ってそれを見ているのです。 それは貴方が自分で独自に開発した視点か、あるいは他者が開発し育てて貴方に教えた視点です。
そして、それは父の目を通して(貴方の正気でしかない精霊を通して)貴方が何かを体験しているのではなく、貴方が持っている定義(意見/偏見)に対して貴方が(プライベートに)築いている関係なのです。
「貴方の正しいマインドでしかないもの」が精霊で、精霊を通して貴方が体験しているものが「父の視点」なのです。 貴方が独立を弄んでいる間、預けられている貴方の生得権がこれなのです。

だから特別な関係とは、貴方が独自に自分一人で「何者か/何か」に対して持っている関係(関わり合い)全ての事を言っているのです。
そしてこれは歪められた体験/リアルではない体験なのです。 何故なら、貴方はそれを自分の正気を通して見ているのでは無く、貴方の「父のマインド(貴方は父の子供なので、それが貴方の「マインド」なのです)の現れ」を通して見ているのではないから。

(ラジは読みませんでしたが、この章の題名は「Specialness and Guilt-特別性と罪悪」です。)

“In looking at the special relationship, it is necessary first to realize that it involves a great amount of pain.”
[特別な関係を見るにあたって、「それ(特別な関係を見る事)には大きな痛みが伴うと」一番最初に理解する事が必要です。]

貴方はそれをしたいとは思いません。
(特別な関係を見据えるよりも)貴方はアレコレ理由を付けて説明し、(貴方が神と関係なく、「神の視点」を受け入れる事なく持っている)全ての関係を使って最善の状況を作ろうとします。
確かに貴方はなかなか良い関係を保つ事が出来るでしょう。 それなりの社会的/社交的関係も持てることでしょう。

何故、大きな痛みを伴う事実を見ようとするのでしょうか?  その事実が余り幸福なものでは無いにしろ。
しかし、特別な関係を見る事により、貴方は次の事を選択する必要に迫られます。

“. . . it is necessary first to realize that it involves a great amount of pain. Anxiety, despair, guilt and attack all enter into it, broken into by periods in which they SEEM to be gone.”

[「それ(特別な関係を見る事)には大きな痛みが伴うと」一番最初に理解する事が必要です。 不安/落胆/罪悪/攻撃などの全ては、「それらが無くなっている様に見える時期」に分断されて現れたり消えたりします。]

“ Anxiety, despair, guilt and attack . . .”
[不安/落胆/罪悪/攻撃]

貴方が「私独自の見方で見てみたいです。」と云って父から離縁した時、貴方の無限の視点/視界が消えてしまい、貴方は小さな存在に成ったのです。 その時、貴方は「自分の無限なもの」を否定した事になり、もう無限の存在ではなくなったのです。
「私の、私の、私の、私のやり方でやりたいです!」 そして貴方のやり方は卑小なのです。 それは無限の「限りないもの」ではないのです。

貴方がこの選択をして、それを体現/実現しようとした時、直ちに二つの事が起こりました。 怖れの体験と罪悪の体験です。これら二つを分ける事は出来ません。 
「父の視点」(それが自分達の視点でもあるのですが)を退けて自分達だけのやり方で物事を見ようとする人達には、この二つが一緒にやって来るのです。 

何故なら、独立していようとする(孤児で居ようとする)彼等の試みにも関わらず、彼等は孤児には成れないからです。
そう試みている間も彼等は、神の十全な直接表現であり続けるのです。

しかし、

“Anxiety, despair, guilt and attack [all] enter into it, broken into by periods in which they SEEM to be gone.”

[不安/落胆/罪悪/攻撃などの全ては、「それらが無くなっている様に見える時期」に分断されて現れたり消えたりします。]

貴方は少しの間、平和を得る事が出来るでしょう。 それには理由があります。 その理由に関しては後ほど話しましょう。

“All these must be understood for what they are.”

[これら全てを、それそのものとして(それが本当は何なのか)理解する必要があります。]

不安/絶望/罪悪/攻撃。 これらは何でしょうか?
これらは、貴方が自分を独立した存在だと主張し、自分の全注意を「自分が選んだもの」だけに与えて思考し/論理付け/結論を導く事に固執している時に自動的に現れる避けようのない効果なのです。 これらは、貴方が{神に対して}全く自分勝手な振る舞いをしている時に現れている効果/現象なのです。

“Whatever form they take, they are always an attack on the self to make the OTHER guilty.”

[それらがどの様な形をとるにしろ、それらは常に「他者に罪悪(感)を与えようと自己を攻撃する事」なのです。]

不安は、絶望は、罪悪は苦痛な事です。攻撃に晒されるのも苦痛な事です。
そして攻撃する事もまた苦痛な事です。 それは貴方にとって苦痛な事です。
貴方に苦痛をもたらしているものは攻撃だと正確に簡単に知る事が出来ます。
だから、

“Whatever form they take, they are always an attack on . . .”

[それらがどの様な形をとるにしろ、それらは常に. . . 「…….攻撃する事」なのです。]

誰に対する攻撃なのでしょう? それは苦痛を体験している人への攻撃です。
貴方が苦痛を体験しているのです。 何故貴方は苦痛を体験しているのでしょう?
それは貴方が「父よ、私は父が居ない方が良いです。」と言ったからです。
「お父さん、『貴方が存在せず私だけがそこに居る、分離した歪められた意識』だけに私の『マインド』を与えたいです。」

この苦痛は貴方の求めた独立の結果なのですが、自分の責任を認めたくないので、貴方はこれ(自分の苦痛)を使って他者を有罪にするのです。
「私は闘争に満ちた世界に住んでいる。 私は安全ではない世界に住んでいる。」貴方はそう主張しているのです。
「私は全てが二極化されて善悪(ポジティブ-ネガティブ)として表現されている世界に住んでいる。 このポジティブとネガティブの闘争/葛藤が私を惨めにしている。」
「悪魔が私をそう仕向けたのだ!」 「兄弟が私を虐待したので、私は苦痛を味わっている。」 「私は状況の不当な被害者で、苦しんでいる。」

この様にして貴方は、(自分は孤児では無いのに)自分が孤児であるかの様に振舞う内的選択をした事によって人が体験することに成った絶望/罪悪/攻撃/不安の原因を他者に押し付け、絶望/罪悪/攻撃/不安が「自身の苦痛の責任を他者に与える言い訳」として使われるように成ったのです。
これは知的ではなく、これは狂気の沙汰なのです。

“We have spoken of this before, but there are some aspects of what is really being attempted that we have not touched upon. Very simply, the attempt to make guilty is ALWAYS directed against . . .”

[我々はこれに関して既に話していますが。 ここで本当に行われている事の特定の側面にはまだ触れて来ませんでした。 簡単に言えば、罪悪を着せようとする試みは常に...対して行われるのです。]

それは何に対して行われるのでしょうか? 貴方の兄弟? 状況? (善悪に)二極化されている世界でしょうか? 独立した存在のフリをしている貴方に対して罪が着せられようとするのでしょうか? いいえ。

“. . . God. For the ego would have you see Him, and Him ALONE, as guilty, leaving the Sonship open to attack, and unprotected from it.”

罪悪を着せようとする試みは常に「神に対して行われるのです。 何故なら、エゴは貴方に彼を(彼だけを)有罪に見せようとし、「神の子供」を攻撃に対して無防備にしようとするから。]

こうして、不安/絶望/罪悪/攻撃が神のせいに成りました。 
神が貴方を護っていないので貴方がこれらの事を体験している(と貴方は考えています)。
神は貴方を愛していない事/神が愛に成っていない事/神が信頼出来る存在でない事/神が「貴方が自信を持って依存し自分を譲れる様な存在ではない事」に関して神は有罪なのだ(と貴方は考えています)。

“ The special love relationship is the ego’s chief weapon for keeping you from Heaven.”

[特別な愛の関係は、貴方を天国から遠ざける為にエゴが使用する主要な武器です。]

特別な愛の関係が孤児の主要な武器です、と言っても良いでしょう。

“It does not APPEAR to be a weapon, . .”. . . the special love relationship . . .. . . but if you consider HOW you value it and WHY, you will realize what it must be.”

[それ(特別な愛の関係)は武器には見えません。しかし貴方がどの様にそれを尊んでおり、なぜ貴方がそれを重要視しているか考慮してみれば、そうに違いないと貴方にも解るでしょう。]

我々は今これを説明しました。
特別な関係は、貴方と父との関係に取って代わる代用品の「リアルではない関係」であり、これが貴方を(貴方の真理を反映していない)孤児の状況に縛り付けてしまい、それ故に貴方は神を信用出来なく成っています。
特別な関係内に居る時、貴方は神を父としては認識出来なく成っており、神の事をただ単に「最上の存在」、全ての上に立つ(優しいかもしれないし/優しくないかもしれない、貴方を助けてくれるかもしれないし/助けてくれないかもしれない)上位の存在としてしか認識出来なくなっています。
この状態にいる限り、貴方は自身を父に預ける事が出来ないのです。

“The special love relationship is the ego’s chief weapon for keeping you from Heaven . . “

[特別な愛の関係は、貴方を天国から遠ざける為にエゴが使用する主要な武器です。]

貴方を貴方の父から遠ざける為に、(貴方が今そこで防御を解いて、自分の完全性を受け入れ、それを自分に感銘させる、それを全ての人/全てのものと分かち合い、それにより「特別な関係」を「聖なる関係」に変容させる)「貴方の神性に全く抵抗していない意識」から貴方を遠ざける為に(この武器が使用されています)。

“The special love relationship is the ego’s most boasted gift, and one which has the most appeal to those unwilling to relinquish guilt.”

[特別な愛の関係は、エゴの最も誇るギフトであり、と同時に、罪悪を手放す事を拒否している者にとって最も魅力的なものです。]

貴方は罪悪を手放す準備が出来ています。 他者が貴方に与えようとしている罪悪(感)を手放す準備が出来ています。 しかし、他者に罪悪(感)を与える事はまだ手放せないでいます。
貴方は罪悪を尊んでいます。 何故なら、それはコントロールする為の有益な道具だから。
ですから、誰もが(程度の差こそあれ)罪悪(感)を有効的に使って(たとえそれが他者の不利益になっても)「自身に利益をもたらす何か」を達成する事を学んでいます。

“The "dynamics" of the ego are clearest here, for counting on the attraction of this offering, the fantasies which center around it are often quite open.”

[ここでエゴの「働き」が一番クリアに表れています。 何故なら、この捧げ物の魅力に依存している故に、それを中心として築かれているファンタジー/幻想が(ここで)顕わに成っているから。]

つまり、それらの試みは見え透いており、それらが「愛ではない事」は明確なのです。 しかし、

“Here they are usually judged to be acceptable, and even natural.”

[ここで、それらは普通「受け入れられるもの」そして場合によっては「自然なもの」と判断されています。]

だから、孤児達が集まったなら、彼等は罪を使ってお互いをコントロールしようとします。 そしてそうする事が、全く自然に感じられるのです。
それは陽気なからかいの中に隠されているかもしれず、あるいは、明確な諍いとして現れるかもしれません。

しかし貴方は「それは皆がしている、自然な事さ。」と言うのです。
「女は皆その様にするものです。」などと言って、これを自然なものとして考えます。
これに対して疑問が提示される事はありません。 だから完成を選ぶ事が行われていないのです。

“No one considers it bizarre to love and hate together, and even those who believe that hate is sin merely feel guilty, and do not correct it.”

[愛と憎しみを一緒に行う事を誰も不思議だと考えていません。 そして憎しみが罪だと信じている者達さえ、それに対して罪悪感を感じるだけで、それを修正しようとはしません。]

罪悪は、「知的でないキチガイ染みた事」を止める事無く、選択し直す事無く行い続けさせるとても有効な方法です。
つまり、愛と憎しみは両方とも「特別な愛の関係」の一側面なのです(一側面として受け止められています)。
だから「特別な愛の関係」は「特別な憎しみの関係」と呼ぶ事も出来るのです。
しかしエゴが「特別な憎しみの関係」を誇る事はありません。 それは「特別な愛の関係」を誇示するのです。

そして「特別な愛の関係」の中には、契約書の中に小さく隠されている特別項目の様に、「特別な憎しみの関係」が隠されているのです。 この両方を使う事により、罪悪だけを使うよりも大きな力と効果がもたらされます。
罪悪(感)を上手く使えば、誰にでも殆どどの様な事でもさせる事が出来るのです。

人が兄弟やその他のものを「創造に対する父の視点」を通して楽しみ感じている時、それがリアルな愛です。 しかし愛が「(他者を喜ばせる)特定の効果を計画的に狙った行動パターン」でしかなくなっている時、それが罪悪と絡めて使われている時、それらはコントロールする為の二股の道具でしかありません。それは真の愛ではない愛です。

「お互いの利益に成る事を一緒にしよう。 でも、もし私の利益を侵害したら酷い目に遭わせてやるぞ。」
貴方は、これほど正直には言わないでしょう。
しかし貴方は「愛があるかのように」振舞って、(兄弟姉妹が楽しめるように)全ての正しい事をしています。
そして貴方の兄弟姉妹は、こうして貴方が与えている注意/注目(貴方はそれを愛情と呼んでいるかもしれません)を楽しんでいるでしょう。 そうして安全を感じ、貴方を信頼するかもしれません。
しかし彼等が貴方の気に入らない事をすれば、貴方は彼等を攻撃するでしょう。
貴方は彼らに罪悪感を与える事により、彼等を攻撃しようとするでしょう。

貴方が彼らに罪悪感を抱かせている時、彼等は貴方の愛(それが彼らにとって大切なものです)を全く得られていません。
彼等は「自分達に得られる注目はどの様なものでも重要だ」と感じています。
彼等は自分達の事を孤児だと考えており、彼等の父/母の愛を体験していないので、得られる注意/注目はどの様なものでも意味深く重要であると感じていますが、この世界の中で安全を感じさせてくれる注目/注意は特に大切だと感じるのです。 
父の視点を使う事無く、この世界と関わろうと決めたので、彼等はこの世界を二元的に(善悪に分けて)知覚しています。
この様にして、愛と憎しみが「特別な愛の関係」の二つの部分になっているのです。

もう一度言うと、「特別な愛の関係」とは『「父の視点」を使う事無く貴方が(誰かと/何かと)持っている』全ての関係の事です。

“No one considers it bizarre to love and hate together, and even those who believe that hate is sin merely feel guilty, and do not correct it.”

[愛と憎しみを一緒に行う事を誰も不思議だと考えていません。 そして憎しみが罪だと信じている者達さえ、それに対して罪悪感を感じるだけで、それを修正しようとはしません。]

“This IS the "natural" condition of the separation, . .”

[これは分離にとっては「自然」の状態なのです。] 

人間的状況にとっては、父と繋がっていない存在状況では、これは「自然」な状態です。
父と繋がっていない存在状況内では、「自分は精子と卵子と呼ばれている物質の融合から生まれたものでしかない、自分は偶然の産物で、神は存在しない、秩序は存在しない、いわゆる知的デザイン(“Intelligent design”)は存在しない。」と考える事が可能です。

“This IS the "natural" condition of the separation, and those who learn that it is not natural at all seem to be the UNNATURAL ones.”

[これは分離にとっては「自然」の状態なのです。 そして「これが自然ではないと学んだ者達」が、不自然な者に見えているのです。]

貴方達は全員、「自分のものの見方(視点)故に自分が不自然だ(おかしい)と思われている」と感じた事がある筈です。

“For this world IS the opposite of Heaven, being MADE to be its opposite, and everything here takes a direction exactly opposite of what is true.”

[何故なら、この世界は「天国」に反するものとして作られている「天国」の反対だから。 ここにある全てのものは真実と正反対の方向を向いているのです。]

注意しなさい。 この文章は「この世界は天国の正反対である」“For this world IS the opposite of Heaven.” と言いたいのではないのです。

この世界は(云わば)「神のマインド」を見える様/触れる様として示しているものです。
しかし、

“. . . this world IS the opposite of Heaven, being MADE to be its opposite, . .”

[この世界は「天国」に反するものとして作られている「天国」の反対だから。]

これはどういう意味でしょうか?
これは貴方が貴方の父との関係を放棄した時、貴方が「父よ、私は自分のやり方で物事を見たいです。」と言った時、貴方は父の視点から外れたやり方で世界を見るように成った、という事です。 貴方は世界を何か別のものにしたのです。
それ(貴方のものの見方)は天国では在り得なかったのです。 何故ならそれが天国と同じものであったなら、貴方はそれを天国として体験してしまい、貴方は父からの離縁を成し得なかった事に成るから。 それは貴方が独立した存在には成れなかった事を意味するから。
だから、今までとは違うように感じられるように、自分が独立的な存在に成ったと感じられるように、貴方は世界の意味を天国から違ったものに変える必要があったのです。

“. . . this world IS the opposite of Heaven, being MADE to be its opposite, and everything here takes a direction exactly opposite of what is true.”

[何故なら、この世界は「天国」に反するものとして作られている「天国」の反対だから。 ここにある全てのものは真実と正反対の方向を向いているのです。]

貴方は世界の中に居て、「それが天国である事」と一致しないやり方で振舞っています。
そして貴方は、天国としてのそれ(状態)とは全く反対の目的で世界を使おうとしています。
だから不安/絶望/罪悪/攻撃が貴方の傍にあるのです。

それ故に貴方が「完成/十全/父のマインドのパーフェクトな実現/父のマインドの中の全ての絶妙なアイディア(その中には貴方という絶妙なアイデアも含まれています)の様相(見える様子/触れる様子)」を選んでいる時、貴方は{複数の選択肢の中から}何か特定のものだけを選んでいる様に見えるのです。

[天国の中では]
つまり、貴方が居る今ここ、貴方がいま居るここ、そしてここにある全ては

“In Heaven, where the meaning of love is known, love is the same as UNION. “

[愛の意味が知られている「天国」の中では、愛は合一(一つに成る事)と同じです。]

そして特別な関係は合一の正反対です。
特別な関係とは、分離されている存在の間に築かれている関係です。 
特別な関係とは、お互いから分離されており、(独立した存在/孤児の枠組みを凌駕している)源から分離されている存在達の間の関係の事です。
だから(その様な存在にとっては)合一(Union)は不可能です。
合一の見せかけ(ハグ、性交、キス、愛撫)はあたかも合一がそこにあるかの様に人に感じさせます。 しかしそれは合一の模造(シミュレーション)でしかありません。
それは、例えば子供達が指を切って血を出し、その指同士をくっ付けて、それでお互いが義兄弟に成ったと考えている様なものです。
それは本当の兄弟ではなく、義兄弟に成ったと考えただけなのです。

同様に、エゴもファミリーに成ろうとします。 しかしこれを完成/実現する事は出来ません。
しかし、全ては既にファミリーなのです。
全ての人は既にファミリーなのです。 何故なら孤児など存在せず、父から分離している、父から異なっている「神の創造/神の聖なる子供」など居ないから。

“Here, where the illusion of love is accepted in love’s place, love is perceived as separation and EXCLUSION.”

[愛の幻想が愛の代わりに受け入れられている、ここでは、愛は分離そして排除として知覚されています。]

「ここでは」とは「天国の反対であるここでは」という意味です。

“It is in the special relationship, born of the hidden wish for special love from God, that the ego’s hatred triumphs. For the special relationship is the RENUNCIATION of the love of God, and the attempt to secure for the self the specialness which He . . .. . . God . . .. . . denied. “

[それ(愛の幻想)は特別な関係の中にあり、(エゴの憎しみが勝利すると云う)「神」から特別な愛を求める秘密の願いから生まれています。 何故なら、特別な関係は、神の愛に対する拒否であり、彼/神が否定した特別性を自分の為に得ようとする試みだから。] 

つまり「お父さん、私は自分のやり方で物事を見たいです。貴方のものの見方はもう受け入れたくありません。」と神の聖なる子供が言ったのです。
その途端、彼は自分が恐れと罪悪を感じている事に気付きました。
それ以外には何がそこにあったでしょう?
不安/絶望/罪悪/攻撃/惨めさです。
そして、「この体験が神の聖なる子供が行なった選択の結果である事」を完全に無視して、神の子供は自分を孤児として体験し出し、「神様はボクの事を嫌っているんだ!」と言うのです。

さて、現時点でそれ程困っていない限り「神が自分を嫌っている」と{意識的に}考えている人は居ないでしょう。
「いいえ、神が自分を嫌っているなんて私は思ってませんよ。」

では次の事を貴方に訊ねましょう:
貴方はたった今、{医学的な}裏付けも無く(病の末期症状や酷い負傷などから)完全な癒しをあえて期待する事が自分に出来ると思いますか? 
「それ(癒し)が貴方の持って生まれた権利である」というだけの理由で、貴方の生得権故に貴方が怪我や病をこれ以上体験する理由が全くない(病や怪我をこれ以上体験する事を正当化出来得ない)と信じる事が出来ますか?
「それ(病や怪我からの癒し)を体験する事が貴方の正当な権利だ」と今考えていないなら、貴方は神の愛を捨てたのです。
貴方は父の愛を否定しているのです。

“For the special relationship is the RENUNCIATION of the love of God, and the attempt to secure for the self the specialness which He . . .. . . God . . .. . . denied”.

[何故なら、特別な関係は、神の愛に対する拒否であり、彼/神が否定した特別性を自分の為に得ようとする試みだから。] 

貴方は「彼/神が貴方から良きものを取り上げた」とは言わないでしょう。
しかし貴方は『「神が貴方の源なので、神が貴方の原初であり最上なので、神が中心であると同時に周辺でもあるので、この瞬間自分は癒しを得る事が出来る」と無条件に期待する事は出来ない』と言っているのです。

“ It is essential to the preservation of the ego that you believe this specialness is not hell, but Heaven.”

[エゴの存続の為には、この特別性が地獄ではなく天国だと貴方が信じる必要があります。]

貴方が父の視点を体験せずに(つまり貴方が正気に返る事なく)、自分は兄弟姉妹と上手に共同して大いなる調和をもたらしたと考えたなら、その時貴方が体験しているものは地獄です。 それは狂気です。
 
ここでロジック/論理的思考が貴方を助けてくれるでしょう。
何故なら「瞬間的に癒される事を期待出来なく(期待しなく)成る事は、それ故に瞬間的に癒されなく成る事は、自分の狂気の結果なのだ。 そして自分の狂気は『自分が(自分だけの視点と視界を持った)独立した存在に成る事が出来る』という自分の信念から来ているのだ。」と気付いた途端、 「私はこの視点とはもう関わりたくない。これは狂気だから、捨てましょう。」と言う事が出来る様になります。
「私はある事を行ってこれ(独立)を放棄します。 私は二つのステップを行い聖なる瞬間を実施しましょう。 私は静かに成って自分の独立を放棄し『お父さん/お母さん、ここの真理は何ですか?』といいます。 そして私はこの探求/質問を手放しません。 私は答えを聞くまでそれを手放しません。 何故なら答えが聞こえた時私は自分の正気を体験するのだから。」
そして貴方が貴方の正気を体験した時、貴方は貴方の癒しも体験するのです。

もう一度読みます。

“It is essential to the preservation of the ego that you believe this specialness is not hell, but Heaven. For the ego would never have you see that separation can ONLY be loss, being the one condition in which Heaven CANNOT be.”

[エゴの存続の為には、この特別性が地獄ではなく天国だと貴方が信じる必要があります。 何故なら、「分離が損失にしか成り得ない事」(それは天国には受け入れられない状態/天国が成り立たない状態です)をエゴが貴方に見せる事は決してないから。]
Heaven cannot be in the condition of loss.
天国は損失状態ではありえません。
だから我々は、完成を選ぶ事に関して話しています。
だから我々は、先週と先々週も「完成を選ぶ事」に関して話してきたのです。
だから我々は特別性と罪悪に関して話しているのです。
何故なら{貴方は}意識的に選択する必要があるから。 貴方が正気の結論に至る選択を意識的に選ぶ必要があるから。 
「神の視点/視界を受け入れていない意識状態は、(実存していない、しかし貴方がマインド/意識を変えない限り貴方を苦しめ続ける)自虐的狂気だ」という結論に至る選択を貴方が意識的に行う必要があるのです。

その時貴方は初めて「自分のマインドを変えられる状態」に到達するのです。 その時貴方は初めて『選択し、「父よ、ここの真理は何ですか?」と言って父を常に貴方の体験の中に迎え入れる事』が出来る様になるのです。

「私が30年間に亘って毎日見続けて来た前にあるものの真理は、私がその意味を自分で解っていると思っていたものの真理は何ですか?」
「これの本当のリアルな意味は何ですか? これは(現在の)私にとっては天国を現していません。 しかし、これが天国だと私は聞きそれを私は信じました。 だから私はそれを真に体験したいです。 その為に私を助けて下さい。」
「私はその体験を求めています。 貴方の視点を体験したいのです。
私は貴方を自分の中に入れましょう。 私は貴方を招き入れます。
そして、私がこの体験を持てるまで、貴方を招待し続け、自分の玄関を貴方に対して開き続けます。」

貴方は常に自分の価値観を持っています。
だから、貴方が父の視点を訊ねていないなら、それは「何か他のものがより重要だ」と貴方が考えているからです。
この「何か他のもの」とは貴方自身の視点/視界(ものの見方)の事です。

真理(父の真理/父の視点)を知りたいと願う貴方の熱意を尊重し、実行し、拡大し始めなさい。
私が「何も実践的な事を言わなかった。何も使えるような事を言わなかった。」と貴方は思っているかも知れません。
しかし私は、貴方達一人一人の知覚の中にある幾つかのアイドル(偶像)を確実に倒しました。
そして貴方は、私が言った言葉によって変化したのです。
こうして起こった変化は、(貴方が新しい事を起こそうとするのではなく)貴方が全てを新しい方法で知覚/認識出来る様にします。
だから今週は変化した知覚を体験しエンジョイしてください。

I love you all.
次回貴方とお会いできる事を楽しみにしています。


「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはその様なものだから。 
貴方と同等の方が既にこのギフトを貴方に差し出したので、これらの資料が貴方に提示されています。 Raj の指示により、これらの資料が売買される事はありません。 


A Course in Miracles Study Group with Raj, June 12th 2010
The Northwest Foundation for “A Course in Miracles”
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
Website: http://www.nwffacim.org
E-Mail: paul@nwffacim.org

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

ACIM10-06-05

June 05, 2010 ©NWFFACIM
2010年 6月 5日


原文テキスト
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=29558&mid=142565#M142565

オーディオ&ビデオ
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=29553&mid=142555#M142555


ページ位置の確認。
A Course In Miracles (reference pages)
Chapter 16 – Section – SPECIALNESS AND GUILT
[今回は新しい箇所は読みませんでした。]



今晩は、ようこそ。  

今夜は本は読みません。 他に言うべき事があるからです。
しかしその前に、一緒に瞑想しましょう。
[瞑想]


OK。

今夜我々は奇跡に関して話します。
我々は[ A Course In Miracles]という本を読んでいます。
コースを読んでいる多くの人達が『[ACIM]では「奇跡が起こる事そのもの」はそれ程重要視されていない』と考えています。
病人を癒したり、死者を蘇らせたり、水の上を歩いたり、瞬間的に場所を移動したりする事とは関係ないと考えられています。
「重要なのは瞬間的な意識のシフト、(身体の変化や人生の変化は必ずしも伴わない)マインドの急激な変化が必要なのだ。自分が平和を見つけるので、今までの問題は問題に成らなくなるのだ。」 と考えている人達も多いようです。

しかし我々は先週次の文を読みました。

“. . . as you step lightly across [the bridge to timelessness], upheld BY timelessness, you are directed straight to the Heart of God. At Its center, and ONLY there, you are safe forever, because you are COMPLETE forever.”

[(時間の無さに支えられて)それ(橋)をこころ軽く渡って行くに従って、貴方は「神のハート」に直接向かっています。 その中心で、そこでのみ、貴方が永遠に完成しているので、貴方は永遠に安全なのです。 ]

この文章が言っている事を注意深く見てみましょう。 
この文章は「そこ(神のハートの中心)に居る時、[貴方は永遠に完璧なのだ/完成しているのだ]」と言っています。

貴方は『「神のハート」のセンターに自分が居た事が無い』と考えていますか?
貴方は自分が『貴方の神聖/貴方の全て/貴方の完全性に対する無知を全く持っていない「神の子供」であった事』は無いと考えていますか?
神が貴方を「(パーフェクトに成る可能性を秘めた)現時点ではまだパーフェクトではないもの」として創造したと思いますか。
もしそれが事実であれば、貴方は決して『時間の無さに抱かれて橋を軽やかに渡って「神のハート」に真っ直ぐに向かって行く事』は出来ないでしょう。

しかし「神のハート」の中心で(そこでだけ)貴方は自分が永遠に「完成している/完璧だ」と発見するのです。
永遠とは本当に永遠です。
永遠とは「今」であり、と同時に「その後」です。 しかしそれらは前/今/後という様に分割されてはいないのです。
それは「永遠」です。 それは永久、つまり「いつでも」なのです。
それは「存在(存在する者が存在する)」という、変えようの無い、不変の事実なのです。

貴方は(今まで)自分が未完成で不完全で部分的で孤独で分離していると考えていたかも知れませんが、 もし貴方が永遠の中にある自分の完全性の意識体験の中に入って行けたなら、その時貴方は「既に現存していた状態/常に存在し続けた状態」に入ったのです。

だから、もし貴方が「自分自身が神のハートの中で完全である事を見つける体験」をしたとしても、それはべつに貴方の新しい「存在」の状態ではありません。
それは(貴方が今までその中にいた)自然な「存在」の状態/状況なのですが、貴方はその状況に対して今まで無意識だったのです。 そしてこの状態を、貴方は今まで意識的に無視して来たのです。
どの様にして貴方はそれを意図的に無視したのでしょうか?  自身の完全性/完了性を意識的に無視する事によって、「奇跡的なもの」を無視する事によって、貴方の完全性の証拠を無視する事によって、貴方はこれをしました。

貴方が自身の完全性の証拠を否定した時、自身の完全性を「貴方の存在の永遠の状態ではない」として否定した時、貴方は自分自身との不調和を作り、その不調和が「貴方の存在の永遠の状態に対する意識的体験」から貴方の意識を逸らしてしまいました。

コースを学んでいる人で、「コースとは貴方の完全性を否定するものだ」と主張する人は誰も居ないでしょう。 コースは「神の愛」を否定してるものではありません。
「コースは貴方と神との関係を否定するものだ」と言う人はいないでしょう。 「コースは貴方の神性を否定するものだ」と言うコース学習者もいないでしょう。

しかし、おかしな事に、コースを学んでいる殆どの人達はこれ(自身の神性の否定)をしているのです。
そして貴方達の多くは、自分が「神の聖なる子供」ではないという主張をしています。
「パーフェクトな視力や肝臓の機能や走る力や(その他の)奇跡の証拠を自分が持つ理由付け(正当化)が出来無い」と多くの人が言っています。
もしコースがこれらの事(貴方の健全に対する疑い)を否定していないなら、完全性に関して学ぶ必要があるでしょうか? 神性に関して学ぶ必要があるでしょうか?
貴方が自分の神性を掴み取らないのなら、それを把握し抱擁しそれを体現しないなら、それを自分の中に取り込み、それに貴方を変えさせないなら、貴方の神性に関して学ぶ必要があるでしょうか?
何故なら「神のハート」の中で永遠に完全/完璧である人は無欠なのだから。 パーフェクトなのだから。
何処にもニキビなどないのです。愛の愛らしさだけが全ての所に現れています。
しかし、貴方は奇跡に対して議論を吹っかけてそれを否定し、奇跡に逆らって行動しています。

基本的に貴方達は全員、奇跡を怖れています。 もしかしたら小さな奇跡に対しては怖れていないかも知れませんが、大きな奇跡に対しては確実に怖れを懐いています。
実際貴方は往々にして、大きな奇跡{に対する恐れ/不信/自分が奇跡に値しないという考え}を使って自分に罪悪(感)を与え自分を惨めにしています。

もし飛行機事故が起こって、貴方がそのごく少ない生存者だった場合、それは(その様な状況は貴方達の社会の中で)奇跡と呼ばれるでしょう。
しかし貴方の生存は罪悪感を生み出してしまいます。 「なぜ私は助かったんだ? なぜ私が助かり、他の人たちは死んだのだ?」
もしハリケーンに遭遇して貴方の家屋だけ災害を逃れたのなら、(自分は他の人達程酷い目に合わなかったと考えて)他の人たちの周りで居心地悪く感じる事でしょう。

どれ位良いと良すぎる事に成るのでしょうか?
貴方を兄弟姉妹から分離させてしまう/孤立させてしまう程「良い事」は良すぎる事なのです{と貴方は解釈します}。
それは(貴方の得た良き事ゆえに)彼等が貴方は嫌うからではなく、貴方が不平等を感じるからです。  それは、{事態が}フェアー(公平)でないと貴方が感じるからです。

奇跡に対する(貴方の)態度/期待が変わる必要があります。
貴方は奇跡を抱擁し(受け入れ)始めなければいけません。 奇跡を地上まで持ってこなければいけません。
貴方は完全性を受け取って愛せるものとして抱擁出来なければいけません。
そして日々の暮らしの中で、貴方の行動を通して、貴方の体を通して、貴方の(人間)関係の中で、それ(貴方の完全性)を貴方が自分で体現(表現)する事を期待しなさい。
貴方は日常の中に完全性(全てがパーフェクトである事)の証拠を見るよう期待し始めなければいけないのです。

もし貴方が自身の完全性を見ていないのなら、それは貴方がそれを見る事を期待していなかったからです。 その理由の一部は、「罪悪感を感じたくない貴方」が奇跡が起こる事を許可していなかったからです。

だから私は貴方に訊ねましょう。 今日の終わりに(あるいは毎日)貴方は自分にこう訊ねて下さい。 「私は今日、奇跡を実証しただろうか? 私は奇跡を証言しただろうか?」 
つまり「私は、不注意に奇跡を見逃してしまっていなかっただろうか?」と自分に訊きなさい。  何故なら、奇跡的な事が毎日貴方の目の前で起こっているのだから。

何故私はこの様に言うのでしょうか?
それは、神が毎日貴方の目の前に現れているからです。
どの瞬間であれ、貴方の目の前に顕在化(出現)しているのは神だけなのです。
貴方は奇跡を目撃(証言)する事により、「奇跡的な事」に対する証拠(証言)を与えていますか?
それとも、貴方は自分の問題や悩みや妬みや怖れ(その他)に忙しくて(奇跡を見逃していたでしょうか)?
だから、貴方は奇跡を証言しましたか? 貴方は日々の中で奇跡的な事が起こるのを助けましたか? 貴方は日常生活の中で奇跡が自身の上に起こる事を許しましたか?

貴方はこの三つの質問全てに「もちろん」と言える様に成らなければいけません。
貴方は毎日何度も「もちろん」と言える様に成らなければいけません。

自分の人生を癒しの実践に捧げている人もいます。 「二つのステップ」を行った結果としてのヒーリングです。 父と繋がり、ヒーラー自身が父と繋がり真理を認識出来るよう(癒しを必要としている人に対する)父の視点を知りたいと望むのです。
「ヒーリングを必要としている人」に対する真理体験の認識の中で父と繋がり、そこに癒しが起こる事を期待するのです。
そして癒しを求めている人も、癒しが起こる事を期待するのです。
それらの期待が{神の視点と?}同じ方向を向いている時、そしてその期待が疑いや争いに邪魔されていない時、そこにあるのは知覚のシフトだけではなく、体験のシフトでもあるのです。 だから盲人の目が見えるようになり、病んでいた肝臓が働く様になり、体が機能するように成るのです。

しかし、癒しを必要としている人が例えば「何故私が癒しに値するのだろう。 多数の人たちが世界中の病院で苦しんでいて、この同じ病気で死亡したり、痛みに晒されているのに。 何故私に癒しが体験出来るだろう。 私は特別な注目には値しないのではないか?」 と言っていたりします。 {奇跡に対してこの様な抵抗/言い訳を持っている人が多いのです。}

しかし幸いな事に、癒しを実践している人にとっては、この様な質問/疑問は意味を持っていません。 
「欠乏に対する信念が覆され(無視され)て、完全性(完璧なありさま)で取って代わられる度、世界の中の欠乏に対する信念の濃度/強度が下がる」という認識の下、この様な(上記の疑いの様な)誤謬は直ちに修正されるのです。

人は癒しに値するのです。 何故なら(癒しが起こる事により)父の完全性に対する証拠/確証が与えられる事になり、それが父を称える事に成るから。 貴方がいるそこで、「人間」がいるその場で、父の栄誉が称えられる事に成るのです。
そしてもし貴方が、自分のいる(人間のいる)その場所で「神の現れ」の証拠を得たなら、「この人間体験の中の奇跡的出来事」が人間の体験を持ち上げ、皆が持っている「奇跡など不可能だという信念」を軽減する事になります。
これが必要とされている事なのです。 これを掴み取り、全く疑う事無く、躊躇する事なく、罪を使う事無く、これを意識的に抱擁する必要があるのです。 

貴方が奇跡を体験する事が、奇跡をリアルに示して見せ、全体性(全一性)の証拠を示します。  これが「自身の全一性(健全)をまだ体験していない人達」に(最低でも){自分も全体性/健全を得る事が出来るという}インスピレーションを与えます。

しかし「そこで起こっている事」を彼等が誤解したなら、彼等は貴方に嫉妬するでしょう。

「化学治療法もしないで、苦しいアレコレの事もせずに、癌がもう直ったなんて、貴方は何様の積りなんですか!  何故貴方にはこの様な(奇跡)の体験が得られているのに、私には得られないのですか?」

(その時にはこう言いなさい。)『私は貴方と全く同じです。 そして私は貴方と全く同じなので、私に起こった事を貴方も体験することが貴方の持って生まれた権利なのです。
宜しければ「貴方の持って生まれた権利」を称える為に、私も貴方と共に立ちましょう。
貴方の真理に対する証人として貴方と共に私も立ちましょう。 「(私の優位として貴方に見えているもの故に)自分が不利に成っている」と貴方が感じてしまわない様に。 奇跡の名の下に我々は一緒に立ちましょう。 そうして、癒された貴方と私が「この不治の病と考えられているもの」への信念を軽減出来る様に。』 この様に言いなさい(振舞いなさい)。

誰かが蛸壺{人間的状況}から脱出し始めなければいけないのです。
何故でしょう? 蛸壺に嵌っている他の人達より貴方が有利に成れるようにですか?
いいえ。
そうではなく、一旦蛸壺から出た貴方が「貴方達もそこから出てきなさい。 それまで私もここで待っています。 私は貴方がそこから出る事を励ましましょう。 私がそこから出ている事を貴方は見る事が出来ます。 むかし私もそこにいた事は貴方も知っているでしょう。」と言える様に。


誰かが奇跡を証言しなければいけないのです。
誰かが奇跡的な事を証言しなければならないのは、全ての人が奇跡的な事が本当は絶対的に普通な事で、それを体験する事が皆の生得権であると知るに値するから。
その権利に気付かずに、(自分の持って生まれた権利に対する)無知を受け入れ、それ故に苦しみながら立ち続ける必要は誰にも無いから。

どれ程の良き事が良過ぎる事なのでしょうか?  兄弟姉妹の為に貴方が願う事で、良過ぎる事があるでしょうか?

「神様、周りの注意を引き過ぎない程度に、彼を癒してください。 彼を癒して、とても具合良く成るようにして下さい。 でもまだパーフェクトにはしないで下さい。 彼が十全に成る事で、罪やより一層の苦しみを彼が正当化してしまわない様、彼をある一定限度内で癒してください。」
解りますか。{貴方は、この様な怖れの混じった、願いを与えていないでしょうか?}

それでは駄目です。 
貴方の兄弟と共に立ち、どの様な奇跡も壮大過ぎない/過大ではないと知って、変化をもたらす者に成りなさい。
しかし「その変化がどの様なものに成るか」想像/予測しようとするのは止めなさい。
私が言っている事を自分の中に取り込み、「二つのステップ」を行いなさい。 
父(源)に向かって訊ねなさい。 「ここの真理は何ですか?」と。

“ここで真理を体験を私にわけて下さい。 私が自分の頭(思考)の中から出て、私のハートの中に入れるように。 そこで私は真理が感じられるでしょう。
聖なる瞬間の中に居られるように助けてください。 『「神の動き」に対して私がどの様な「違い」や「余計なもの」も挿入していない場所』に私が居られるように助けてください。
それがどの様なものか体験出来るよう私を助けて下さい。 その体験の中で、私が英知(Knowing)を得られる様に。 それは細切れの情報ではなく、私の兄弟姉妹の真理に対する体験です。
(私が考えられる一番奇跡的な事を遥かに超えている)私の兄弟に関する真理。 そこでは完全性/十全性の「意味」が永遠に私に銘記されています。 それが知覚のシフトを私にもたらし、その中で兄弟姉妹が、十全性の体験とその「意味」により、永遠に抱擁されている事を私は見るでしょう。”

これがどの様なものか、まだ貴方には解らないでしょう。

聖なる瞬間は、もしかしたらコースの中で表明された一番パワフルなアイディアです。
と同時にこれは一番シンプルなアイディアです。 何故なら、貴方達一人一人が、聖なる瞬間の中に入る事が出来るのだから。

貴方達一人一人が、自分自身を黙らせ、自分のマインドを静かにし、聞けるように成れるのです。
その静寂の中で真理が知りたいと、父(貴方の「存在」の源)に求める事が出来るのです。
何故貴方はそれを求めるのでしょうか? 貴方が奇跡(の表出)をアシスト出来る様にです。
貴方が奇跡的な事を自分の中に取り入れられるようにです。 貴方が日々の暮らしの中で奇跡的な事を認識出来るようにです。

さて、必要(needs)とは常に特定のものです。 {奇跡を必要としている事は常に、実際的な特定の明確な必要として現れます。}
それは往々にして、貴方が考える必要とは合致していません。
しかし必要そのものは(貴方の解釈とは関係なく)特定で明確で実際的なものです。

上記の意味は「必要に対する答えは、欠乏を無視する(透視する)真理は、いつでもとても実際的なものだ」という事です。
そしてこれ(必要)は特定で実際的なので、貴方はその答えに対して選り好みする事(答えを選ぶ事)は出来ません。
そして、エゴはこれを好みません。

しかし事実は、貴方の必要が(何らかの意味で)貴方が神とずれている事(あるいは神を否定している事)を証明しています。
だから答えは、「必要を作っている信念を実際に(特定の方法で)否定するもの」/「必要の体験を作っている(神に対する)否定を無視するもの」になるのです。

貴方はよく次の様に言っています。
「私は問題を抱えている。 アレとコレが不足しているせいで問題が起こっている。
父よ、問題が解決出来るように、アレとコレを得られるよう助けて下さい。」
しかし、本当に必要なのはアレやコレなのではありません。
とてもシンプルなものが常に必要なのです。 それは貴方の平和です。 必要なのは貴方の平和です。
貴方が抱え込んで拡大して来た(そして時たま、それがもたらす利益故に貴方が尊重して来た)ストレスを全て手放す安堵の息を吐き出しなさい。

だから答えは複雑なものではありません。
答えは貴方が全くシンプルに成っている事にあるのです。 貴方の必要/欠乏をシンプルに自分の中に響かせなさい。

(殆どの場面で)これが意味するのは、貴方が「まいりました。ギブアップします。」と言う事です。
「私は父に対する抵抗を放棄します。 私は物事/状況にフィットする(順ずる)事への抵抗を放棄します。
協力する事への抵抗を手放して、私の周り全ての事を否定していない状態の中で、完全にオープンな意識そのものに成って、その中で真理を見ましょう、貴方の顔を(それが以前からずっと在り続けた所で)見つめましょう。」

これは丁度、父の腕の中に抱えられている幼子がむずがっている時の様なものです。
幼子はその顔を上げ、自分のお父さんの目を見て思い出すのです。「そう、私は安全だった。 私はバタバタ動いて、ヨソへ行こうとする必要はないのだ。
私はリラックスできる。 私は、本当の自分ではない「独立した者」に成ろうとして独立状態という苦しみを味わう必要はなく、ただ私という子供であれば良いのだ。」

この時(こう貴方が言った時/気付いた時)奇跡的な事が起こり得るのです。
奇跡的な事は、貴方が(首尾よく優れた技術をもって)実践したコントロールの結果起こるのでは在りません。
謙虚さ(これが貴方が「二つのステップ」を行った時に起こる事です)の結果として奇跡的な事が起こるのです。
そして奇跡とは、貴方が神と分け合っている親密な体験の中で、「神の法だけが全てを統治している場所」の中で、貴方が体験する事なのです。
そして、「貴方が貴方の父だけと一つに成っている状態(故に創造の全てと一つに成っている状態)」の喜びと「魂が満たされている様子」と平和の中で、貴方は「創造」への気付きに完全に参加する事が出来るのです。

この「創造」の中で貴方は何を認識しているのでしょうか?
「貴方が見ている全て」の中の奇跡を貴方は認識するのです。 そして、その中に貴方は奇跡を取り入れるのです。
その中で(貴方が見ている全の中で)、貴方が「奇跡的な事」の認識に参加する事により、貴方は「奇跡的な事」を補佐/サポートするのです。

私は出来るだけこれを実際的/実用的に表現しようと務めました。
これはプライベートなスピリチュアルな旅などではありません。
これは貴方が毎日の生活の中で奇跡的な事を認識して、奇跡的な事をアシストして、兄弟姉妹と関わり合う事によって奇跡的な事を呼び入れる事なのです。
「奇跡の不在に対する正当化」をそのままにせず、それに対して異を唱える事が、ここでいう「関わり合い/関与」です。
その関わり合いの中で、貴方はもはや(お喋り/思考する事によって)奇跡を促進するインスピレーション(霊の突入)を隠しては居ないのです。
貴方は、日常の中で、その場で、二つのステップを行った結果現れる「明晰さ」により動かされるのです。 {貴方の思考に動かされるのではなく。}

これは貴方が現状維持を現状維持のままにさせない為にする「関わり合い」なのです。
これは貴方が蛸壺から抜け出て、後ろを振り返り、他の人達が蛸壺を出る事を助ける事なのです。 だから貴方は自分の奇跡に対して罪悪感を感じる必要は無いのです。

そして貴方の奇跡に対して誰かが嫉妬を感じる必要もないのです。 何故なら、貴方の奇跡は彼等の奇跡であり、彼等がそれを知るまで貴方はその事実を言い続けるのだから。
一日中、貴方の兄弟姉妹の証言者に成り続けなさい。 それが「神の神聖なる息子/娘」としての貴方の役割なのです。
これをしなさい。 一日の終わりに「ええ、私は奇跡を証言/目撃しました。」と貴方が言える様に。
「ハイ、私は奇跡が入って来る事を許可しました。 そう、私は奇跡を補佐しました。」

ポールが座って私に話させるたびに、彼は奇跡的な事の実証を差し出しています。
何故私はこう言っているのでしょうか?  何故なら、彼は「奇跡的な事を照らし出すもの/真理を照らし出すもの」が前に出る事を許し、それが「この世界」の中で現実化する事を許可しているからです。
彼は、それを彼と貴方達全員との関係の中で現実化しており、貴方達全員との関係の中に私を表明することを許しています。
解りますか? 彼は奇跡的な事を自分の中に取り入れ、それを(全く適切に)流れさせる事により、奇跡的な事を補佐しています。
これこそが、「世界」が必要としている事です。
完全性/十全を体験していない全ての人達は、彼等の為に積極的に証言者に成ってくれる人を必要としています。 彼等の真理に関して証言してくれる人を必要としています。

貴方にとって良過ぎる事などありません。 貴方の兄弟姉妹にとって良過ぎる事などありません。
(貴方が時間をとって「父」と繋がり真理を体験する事で)兄弟姉妹の為に貴方が願う事で、良過ぎる事などありません。
全く新しい在り方で貴方が兄弟と共に居られる様に、彼に(完全性/全体性/癒しを指し示す完璧な体験が持てる様)インスピレーションを与える全く新しいレベルで貴方が兄弟と共に居られる様に(する事は、良過ぎる事では在り得ません。)。

これをハートの中に受け入れなさい。
神は貴方を自身のハートの中に入れています。 そして彼のハートの中で、完全性が永遠に貴方のものなのです。 これを貴方のハートに入れなさい。
これを貴方の兄弟姉妹と分け合いなさい、(貴方が自身を「神のハート」の中に入れた結果として)貴方が見ている永遠の完全性の中で、彼等が完全性を永遠に持てる様に。

これは美しく、そしてシンプルな事です。
しかしその為には、奇跡的な事を卑小化したり、奇跡的な事の卑小化を正当化したりする事を貴方が止める必要があります。

次回貴方とお会いできる事を楽しみにしています。



「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはその様なものだから。 
貴方と同等の方が既にこのギフトを貴方に差し出したので、これらの資料が貴方に提示されています。 Raj の指示により、これらの資料が売買される事はありません。 


A Course in Miracles Study Group with Raj, June 5th 2010
The Northwest Foundation for “A Course in Miracles”
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
Website: http://www.nwffacim.org
E-Mail: paul@nwffacim.org

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

プロフィール

翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

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