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ACIM10-07-10

July 10, 2010 ©NWFFACIM
2010年 7月 10日

原文テキスト
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=29750&mid=143165#M143165
オーディオ&ビデオ
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=29714&mid=143049#M143049

ページ位置の確認。
1 Mathew:5:48
A Course In Miracles (reference pages)
He reads from Chapter 31 tonight
Section – SELF CONCEPT VERSUS SELF
2Sparkly Book – p. 719, 1st Full Par.
Section – RECOGNIZING THE SPIRIT
JCIM – p.302, Last Par. /
CIMS – p. 610, Par.65
First Edition – p. 615, 2nd Full Par. /
Second Edition – p. 661, Par.5



今晩は、前に読み終わった所から続けて読みましょう。
まず少しだけ瞑想し、その後に言いたい事があります。
では瞑想しましょう。 

[少し瞑想]

今晩は、ようこそ。
(この話を聞いている)殆ど全ての人達が、NWFFACIMの移動に関心をもっています。 だからそれに関して話しましょう。

昨日私はEメールを送り、それをWEB上にもアップロードしました。
新しい家の総額$719,000のかなりの部分が既に集まっており、不足分は$162,443です。
これが昨日の状況でした。

昨日以降、電話が鳴り続け、オンラインの寄付が新たに$32,163集まりました。
つまり、あと(約)$130,000集まれば、家を確保する事が出来ます。
昨日の朝二時頃、ポールの携帯が「リンリン」と鳴り、Eメールが届いた事を知らせました。
彼は携帯を開けて、誰かがクレジットーカードを使って$20,000の寄付をしてくれた事を確認しました。

ポールは昨日ある人に「自分はこの様な事態には馴れていない」と言ったばかりでした。
(彼等がしている行動に対して)この様なサポートを受ける事は彼もスーザンも馴れていません。
これにどう対処して良いか彼等には判りません。
もちろん、彼等が特別な訳ではありません。 これに関して今夜は話したいと思います。

彼等(ポールとスーザン)は貴方と同じです。
だから(貴方と同じく)彼らも「どの様にして神の愛を受け入れるか、それをどの様に受け取ろうとするべきか」学んでおり、学ぶ必要があります。

我々はACIMの本を長い期間読んできました。
我々は聖なる瞬間について読んできました。
聖なる瞬間を実践する事を我々は話してきました。

そして今、ポールとスーザンと貴方達全員は「聖なる瞬間がどの様なものか。 その実践がどの様なもので、それが何をもたらすか。」より良く把握出来るチャンスを得ています。

貴方が「聖なる瞬間」を実践したなら(たとえ貴方の人生の中で何が起こっているにしろ、それが都合の悪い事であっても都合の良い事であっても)貴方はそこで立ち止まって(「貴方の面前の状況に対して反射的に評価して、その評価を基に反応してしまう事」を躊躇して)、静かになり、「父よ、ここの真理は何ですか? 精霊よ、これに関する貴方の視点はどの様なものですか? 何故なら貴方が私の正気でしかないと言われたから。 だから(この事に関する)貴方の視点を私に分けてくれれば、私自身の真の視点が(洞察として)解る様に成り、それが私を変えるでしょう。 それが私の体験を変えるでしょう。」と言っているのです。

貴方が静かに成った時、貴方が人間の意志を静めた時、貴方が自分の能動的な思考を止めて好奇心と共に静寂の中に入った時、「貴方が既に解っていると考えて来たもの/事」に対して訊ねたなら、(それに関する真理が(現在の)貴方の知覚からかけ離れたものであるので)それをもっと違った様に知りたいと願ったなら、貴方は神の法が統治している場所の中に入ったのです。
そこでは神の法が全てを統治しており、物事が(貴方の考えてきたあり方とは)違う風に働いています。

私は次の文章を繰り返し言ってきました。「貴方はパーフェクトなポイントの後ろに居るのではなく、そこに向かって進んでいる訳でもありません。 貴方は既にそのポイントに居り、そこから貴方自身を理解するべきなのです。」

「自分がパーフェクトなポイント(完璧な状態)の後ろにいて、そこに近づきつつある者」として自身の為に思考する事を貴方が止めた時、そして貴方がその視点(自分は未だパーフェクトでないという信念)に基づいた全ての思考と気持ちを静かにした時、貴方は神の法が全てを統治している場所に自分を発見します。

通常貴方が「二つのステップ」を実行するよう決意し、思考を静めて、父か精霊かガイドに「ここの真理は何ですか?」と訊ねるのは、問題に面している時(だけ)です。
楽しい時を過ごしている場合、貴方は滅多にこれ(「二つのステップ」)をしません。
貴方は、精霊か父にそれ(貴方の楽しんでいる事)を、そのより真実に近い姿で叙述させて、完成させようとはせず、自分が見ているままの状態で満足してしまいます。
だから貴方は問題を抱えている時だけこれ(訊ねる事)をします。
貴方は答えを必要としているので、これをするのです。

私が貴方に気付いて欲しいのは、「自分がパーフェクトなポイントの後ろに居る(だから自分は助けを必要としている)」と考えて答えを求める事はもやは貴方には不可能だという事です。
それは答えを得る(正しい)方法ではありません。 貴方が答えを得るのは、貴方が既にパーフェクトなポイントに居るからなのです。

貴方は、問題が存在するから自分が答えを求めていると考えています。 その様にして(問題を想定し、それを解決する答えを求める事によって)自分が答え/解決を得るのだと考えています。
しかし実際には、問題が実在していないので貴方は答えを求めるのです{実際には貴方は「問題が実在していない」という答えを求めるべきなのです}。
そして「神性な/最上の見方からすると問題が存在していない」という事実により、貴方は事実に対する真理を明確に知らされる事に成るのです。
問題が存在していないので、貴方は答えを訊ねるのです。 何故なら、「問題が存在していない」が真実だからです。 {貴方は、どの様にしたら「問題が存在していない事が理解出来るか」知ろうとして、答えを求めているのです。}

なぜ問題は存在していないのでしょうか?
それは、貴方が「パーフェクトなポイントの後ろにいる(そしてパーフェクトなポイントに向かって苦しみながら一生懸命進んでいる。)気分/意識/態度」を取り入れている時だけ問題が存在している様に見えているからです。
これは重要な点です。 

貴方は、「問題がリアルであり、対処するべき問題が存在している。」という基本的前提を基にして、問題に対する答えに到達する事は出来ません。
その様にして、癒しや「誤認識の修正」が起こる事はありません。
その様にして、癒しが起こった事はありません。

修正が起こるのは、その時(孤児としての)貴方がウッカリしていたからです。 その時貴方は「孤児的存在の感覚を保つ事」を一時的に怠っていたのです。 その時貴方は「パーフェクトなポイントの後ろにいてそこに向かって進んでいる」感覚を忘れていたのです。
その時、無垢な(罪を知らない)偏見の無いマインドの枠組みの中で(これは、神の法が統治している場所に居る事と同じです)答えがやって来ました。 癒しが起こりました。 変容や修正が起こりました。
それが起こったのは、何かが「ネガティブなエネルギーやパワーや出来事」に打ち勝ったからではありません。

これ(癒し/奇跡)が起こったのは、人が(貴方が)狂気を実践していなかったからです。 貴方のマインドが狂気で満たされていなかったからです。
その時、真理が貴方のマインドを満たし、貴方はもはや幻惑されてはおらず、幻想を見てはいないのです。

さて、少し前に言ったように、ポールとスーザンはこの様な(ギフト/愛の)表現を受け取る事には馴れていません。
彼等がこの二十数年間ギフトを受け取って生計を立てて来た事は事実です。 人々の自発的な寄付を受けてきましたが、最近届いているギフトの巨大さに彼等は驚いています。
さて、これが貴方とどう関連しているのでしょうか? 貴方と、貴方と、貴方と、貴方と?
以下の文章がそれを示しています。

もし貴方が、「自分はパーフェクトなポイントの後ろには居らず、既にパーフェクトなポイントに居り、そのパーフェクトなポイントから自分自身を理解する必要がある」とあえて(勇気を持って)考えて(受け取って)みて、聖なる瞬間を実践したなら、貴方は神の法が統治している体験を持つ事になります。

では、この素晴らしい言葉、このスピリチュアルな言葉は何を意味しているのでしょうか?
実際的な事としては、貴方が「自分では求めなかった良きもの(欲しいとは思わなかったもの)自分では考えていなかったもの」をギフトとして受け取る事を意味しています。
貴方がどう考えているにしろ、このギフトは貴方に贈られているので、貴方がこれを気に入っていなくても(これもまだ求めていなくとも)これは貴方のものになるのです。
神の法がなされる(成り立つ)のです。 神の愛がなされる(成り立つ)のです。

「愛がインスピレーションを与え、(道が見えるように)光を与え、道を示し、道の先導をする」と言われています。
愛はただ受動的だったりメソメソしたりしているものでは在りません。
それはインスピレーションを与えます。 これは素晴らしい事ではありませんか?
そして愛は照らすのです。 これは素晴らしい事です。

しかし、ウーン、貴方の自由意志に(とって都合の悪い)何かが起こるのです。

愛は道を示します(道を決定します)。
『「二つのステップ」をした結果、貴方は自分の権威を失う事に成る、何故なら、神の愛が貴方にインスピレーションを与えて道を照らし道を示すから、だから貴方には(本当の意味での)選択の余地はない』と誰かが教えたなら、貴方はそれ程積極的にインスピレーションを受け取って第一歩を踏み出さなかったかも知れません。

誰もがインスピレーションを求めています。
しかし「神よ、それに意味を与えないで下さい。 それに私を変えさせないで下さい。 私を引っ張って引き伸ばし、私を別のものに変えないで下さい。 しかし神よ私にインスピレーションを下さい。 インスピレーションを感じる事は素晴らしいです。 私は殆ど飛べるような気持ちになります。」
そうですね。 しかし貴方は飛べていません。 貴方は殆ど飛べるような気持ちにはなれても、飛べてはいません。 私は貴方に飛んで欲しいのです。
私は貴方に、殆ど持ち上げられるようなフィーリングを得るだけではなく、本当に飛んで欲しいのです。
しかし貴方が飛べるように成る為には、貴方の中の何かが変わる必要があります。

だから貴方はその次のステップ -啓蒙(Illumination/照らし出すこと)- が起こるのを許可する必要があります。
それを行う方法が照らし出される必要があります。 これも、それ程悪い事には思えませんね。
道が照らし出されても、貴方が必ずしもその道を通らなければならない訳ではないですよね。
だから、道が照らし出されても貴方は安心しているでしょう。

しかしその次の小癪なステップがあるのです。 それは父の愛、父の英知です。
貴方の「正しいマインド」の「正気の視点」が(何かを)指示するのです。
それが「こちらに来なさい。 そちらではありません。 そこでもありません。 違う違う、こちらです。 あそこです。 この道だけが正しい方向です。」と言うのです。

それだけではなく、もっと酷い事に次のステップでは、貴方が行くべき道を指示されているだけでなく、何か/誰かが貴方の手を取って道を先導するのです。
(すると)貴方はもう自分が何か物事の主権/主導権を持っている様には感じられなく成ります。
貴方の役割は導かれる事だけなのです。

さて皆さん「A Course In Miracles」をエンジョイしていますか?
これはコース・イン・ミラクルズ(奇跡の中のコース)なのです。 ここには(貴方にインスピレーションを与え、物事を貴方に照らし出して見せる)美しい素晴らしい言葉がただ述べられているだけではなく、これが(貴方の行くべき)道を指し示す(指定する)のです。
これが啓示を受け取る為に貴方が行くべき所を指し示します。
そして(コースが貴方に教えている事が、貴方の人生の中で何か違いをもたらし、貴方が目覚められる様に成る為には)貴方はその指示に従わなければいけません。

私がスーザンとポールに、家探し(という、コースとは関係なく見える事)を指示してから、約4ヶ月の間、彼等は余り安楽な時間は持てないでいました。
そう、彼等は訊ね聞きました。 問題があったからです。 彼等が住んでいる道で変容が起こっていました。
その状況が、静かに成り「ここの真理は何ですか?」と訊ねる事を彼らにさせました。 そして、その時示された真理は、彼等を満足させるものではありませんでした。

「もう少し待ちなさい。 この家が特定の良き役割/素晴らしい役割/聖なる役割を果たすものだから我々はこの家を購入したのです。 この家はその役割を果たして来ました。 これからもそうし続けるでしょう。」と私が言ったなら、それは彼等を満足させた事でしょう。
そして、「市役所に行って抗議しなさい。 正式な抗議書を提出しなさい。 ガイド/ラジをシッカリ聞いたなら、その場で言うべき事が解って、それが市の都市計画を変更させるでしょう。」
「自分の権利の為に立ち上がるのです!」 これは典型的なエゴの主張ですね。
「イエス/精霊/父(その他の貴方の為に立ってくれる神聖なるもの)と共に自分の権利の為に立ち上がり、それに声を与えなさい。」

しかし私が言った事は違いました。
「ファウンデーション(NWFFACIM)が移動するべき時が来ています。」(と私は言ったのです。)

「しかし我々はこの家で満足しているのですが?」(とポールは言いました。)
「確かに不都合な事はあります。問題もありますが、それなりに対処できており、かなり平穏に暮らしています。」

これは「もう余り新しくない靴」の様なものです。
貴方はそれを後数年は履き続けられると考えています。
だから、新しい靴を買う時期ではないですか? と言われたら、貴方は「いいえ。それは私には余り良いガイダンスには聞えません。」と言うかも知れません。
「私の知性とエコロジカルな良き判断は、自分の既に持っているものを、それがもう働かなく成るまで使い切りなさい。と言っています。」 

彼等(ポールとスーザン)もその様に考えて、それらの考えを私の前に持って来ました。
彼等は毎日朝起きて「貴方は本当に我々が引っ越す必要があると言っているのですか?」と訊ね続けました。
「貴方は本当に、ここではもう何も上手く働かない、と言っているのですか?」
すると私は「ええ、そうです。」と言い、「そしてこの答えは変わりません。」とも必ず付け加えました。
(最近の彼等の)イエスとの会話はこんな風でした。

もちろん私は、彼等が盲目の内に私の言う事に従ってくれる事を決して欲してはいません。
そして貴方達全員も、自分が受けるガイダンス/指示を盲信(鵜呑みに)するべきではありません。 {腑に落ちない事があれば、貴方はそれに関して精霊/ガイド/父に訊ねるべきです。 訳}

いずれにしろ、彼等は疑い続け、その疑いを表明し続けました。
(もちろん)彼等は「二つのステップ」を行いました。
彼等は「神の法が統治している場所」の中に入り、そして「ウーン。これは神の法がなされている様には見えないんですけど?」と言いたがり続けました。
「私は何かミスしたに違いない。上手く聞けていないに違いない。 今までは一時間瞑想してから質問していたけれど、今日は質問する前に二時間瞑想してみよう。 私はより上手く聞く様にしよう。」 

このようにして彼等は訊ね、自分達が期待していなかった答えを得続けました。
その後、彼等は「ラジ、どうしてこれをしなければいけないのか教えてください。」と訊ねました。 
「もし我々が移動する事がどうして必要なのか教えてくれたら、我々にも理解出来、我々にもヤル気が出て、それ(必要)と共に流れて行ける事でしょう。 そうすれば、我々は引越しに全力を尽くせるように成るでしょう。」
しかし、私はこの質問には答えませんでした。 何故なら、この質問への答えは重要(この質問に答える事は適切)ではなかったからです。
その質問に答える事は、彼等が自分達の意志/意図を持ち込んで「それなら、納得出来る。」と言う事を可能にする要素を提供する事に成ります。
(その場合彼等は)「よし解った! そうしよう。 私の理解/理由を基にこれを行おう!」と言う事になります。
解りますか?

愛は道へのインスピレーションを与え、道を照らし、道を指定し、道を先導しますが、貴方に説明を与えるとは限りません。
それは何故でしょう?

何故なら、貴方が説明を得ている場合、「貴方が先導/誘導される事」は不可能に成ってしまうから。
その様な場合、貴方は先導(ガイド)と肩を並べて進む事に成ります。
(その場合)先導(ガイド)が先頭に立って、貴方もそれに並んで一緒に動いて行く事は出来るでしょう。
しかしそれでは、貴方が先導された事にはなりません。 それでは貴方がガイドと同等(貴方がガイドと同じ役割を果たそうとしている事)に成ってしまいます。
その場合、貴方は自分が何処に行こうとしているのか独自に理解して自分のガイドと共に歩いて行こうと決めた事になります。 その時貴方は、自分の意志/意図を持ち込んでいます。
そして、ここに現れている貴方の意志/意図は、(本当のところ)貴方の自意識/自己主張なのです。
だからこの場合は、貴方と貴方の精霊は個別の存在として共に歩こうとしてしまう事に成ります。
これは霊的交歓(コミュニオン)ではなく、合一(Unity)でもありません。
しかし貴方は神の息子/娘であって、独立している存在ではないのです。
貴方は、源を反映/反射している現われ(Presence)なのです。

これはもしかしたら、コースを学ぶ上で貴方にとって分岐点に成る所かも知れません。
ここで諦めてしまう人(コースから離れていってしまう人)もいるかも知れません。
何故なら、コースが教えている事の実践を進めるには、貴方が(精霊/ガイドの)追従者にならなければいけないからです。
貴方は、(全く自分の意志を主張せず)謙虚に後をついて来る人に成る必要があります。
自分で何かを決める為、あるいは何かを認定する為にエネルギーを保持しておいて、(自己定義の)切り札を隠し持っていては駄目なのです。
解りますか?

しかし次の事を理解してください。
貴方の中にWillfulness(自分の意志を通そうとする事、自分のやり方/見方に固執する事)が全くない状態にして、父の意志を感じてそれを行おうとし、父を聞く事に貴方の全部の意志/意図を与えたなら、父の方が貴方の為に成り立つ様になり始めます。
父の法はずっと成り立ち続けて来ました。 しかし(上記の事をしたなら)それが貴方の為に成り立ち始め、(貴方が起こさなかった、しかし貴方が起こる事を許可した)奇跡が起こり始めます。 貴方が求めなかった奇跡が起こり、それが貴方の啓示(貴方が満たされる事)に成るのです。  「啓示とは自分のやり方を通す事だ」というアイディアに貴方が固執しなくなれば(これが起こります)。

神の法が成り立っています。 「こん畜生!」
貴方は、あの癌を消滅させたり、折れた骨が曲がってくっ付いてしまって姿勢が歪んでしまった事を解消したりして「完璧な事」(世界が完璧であるという事)を証明したいでしょう?
貴方は「本当に神の法が統治していれば良い」と思っているでしょう。

貴方が(これ以上何も出来ない程)疲れ切っている時の方が、「貴方の意志がなされますように」と神に言う事が容易でしょう。
しかし貴方が生気/エネルギーに溢れている時に課題が与えられたなら、貴方は自分一人で課題に取り組みそれを達成し、それを上手く遂行して満足を得ようと忙しく働く事でしょう。

あるいは課題を下手に遂行して、それを上手く行えなかった事(そして他者に悪影響を与えた事)に対して罪悪感とストレスを感じるでしょう。 それは罪悪と苦しみかもしれませんが、それでも、それは体験です。
それは貴方の独立をデモンストレート(誇示)する体験です。 違いますか?

(その様に振舞っている時)貴方は自分の愛する独立を揺るがしておらず、(良きにつけ悪しきにつけ)自分一人で行動する自由を放棄しておらず、願わくば(自分と他の人が自分の事を誇りと尊敬を持って見れる様に成るまで)より良き行動を(独自に)続けられる様にしようとしているのです。
これを放棄する必要があります。 これを放棄できる様にする為に「二つのステップ」があるのです。 これが聖なる瞬間の目的なのです。

ポールとスーザンが、ここ4ヶ月訊ね続けて来たと同じ質問を、多くの人達が疑問に思っている事は私も知っています。 「彼等には何故より大きな家が必要なのだろう? 彼等はもう以前の様にはギャザリング(外部の人を招いてラジの話を聞いたり、ラジに質問したりする事)も行っていないのに。60人が入れる部屋が何故必要なのでしょう?  彼等はもうニュースレターを発行する必要もないのに、何故そんなに広い家が必要なのでしょう。 コピーマシンやファイルボックスや作業テーブルなどは、もう必要ないのに?」

しかし、これらはリダー(先導)に導かれて行く事を忘れてしまった人々が訊ねる類の質問です。 これらの人達は理解を得ようとして質問しています。
そして「私はそれを理解できました。 だからそれをサポートします。 私にはその意味が解ったので、私は自分の同意をこの状況に対して与える事を決めました。 だから私は関与して、それを行いましょう。」と言って自分達の意志を関与させようとするのです。
解りますか?

この様な質問を訊ねている人達は、同等の質問を自分達の状況/問題に対しても尋ねます。
「ええ、解っていますとも。私の服はみんな10年以上前に買ったものです。しかし、私は服を大切に扱ってきたし、これらの服は新品同様です。 これらは最新のスタイルではないかもしれないけれど、 私はファッションの後追いなどしたくありません。その様な考えは人間的なオピニオンに過ぎません。 来年になれば襟の深い洋服がもう一度流行るかも知れないし、そうなれば皆も、私の服がスタイリッシュだと言ってくれるでしょう。 流行さえ戻ってくれば、私の服もまだまだ使えます。」
しかし、これは誤魔化しです。
もし貴方が(精霊やガイドから)新しい服を買うように言われたなら、それ以下のものを正当化しようとするのは止めなさい。 現状維持を正当化しようとするのは止めなさい。

(精霊を通して愛あるガイダンスを行っている)父からのインスピレーションを受け取って、貴方の中に新しい視点(パースペクティブ/見方)を受け入れ、「何かを得たり何かが満たされる(為に貴方がするべき)やり方」を(ガイダンスが)照らし出し指定する事を許可しなさい。 
つまり、この店に入って、後ろの方のあのラックに行って、シャツを探したりするのです。 そこではシャツが貴方を待っているでしょう。
貴方はそれを愛するでしょう。 それは貴方の為にそこにあるのです。 それは父のギフトです。 解りますか?

成就(満たされる事)が必要とされているのです。 そのシャツはたまたまそこのラックに掛かっていた様に見えたり、店のマネージャが意識的にそうした様に見えていたり、その日たまたま配達の人がそのシャツを運んで来た様に(貴方には)見えるかもしれません。
しかしこれら全ての事は、その様な(貴方が考えた様な)理由で起こったのではありません。 何故でしょう?
何故なら、実際に何かが起こっている場所は「神の法が成り立っている場所」でしか在り得ないからです。
それ以外の場所では、何も起こっていません。 「それ以外の所で起こっている」と貴方が考えている物事は、実際には起こっていません。 
例えば「そのシャツが貴方の目を惹くそこに偶然に置かれていた」と貴方は考えたかもしれませんが。 しかしそれは、その様な理由で(貴方の考えた様な出来事の蓄積により)そのシャツがそこに在った事を意味していません。
シャツがそこに在ったのは、神が存在していたからです。 全てのものは、神が存在するから、それが在るべき所にあるのです。

そして貴方は「二つのステップ」を行なう事を学んでいます。 
何が出来る様に成る為に貴方は「二つのステップ」を学んでいるのでしょうか?
神の法が統治している場所に入ってくれば、貴方は(自分で責任/権限を持たずに)神のギフト(神の視点、神の意志の理解)を自分の中で受け取っている体験をする事になります。
貴方が切り札(自分だけの意図)を全く持たなくなったなら、「自分一人でそれが実践出来る様に神の意志を知りたい」と貴方が思っている場所から出てきたなら、貴方は神の意志を把握します。
貴方がそれ(父の意志/視点)を父から奪って、自分一人の目的の為に保とうとしなくなったなら、貴方は自分が(父の意志を)理解している事を発見します。

一つここで明確にしましょう。
貴方が「二つのステップ」を実践したなら、貴方が聖なる瞬間を実践したなら、貴方は自分で求めなかった「よき事」と面する事に成ります。
貴方は自分が要求しなかった利益を体験する事に成ります。
それが貴方を振り向かせます。 それが貴方の注意を今までとは違う所(今まで貴方の注意が与えられる事のなかった所)に持っていきます。(神に祝福あれ。) 

ここで貴方は「頑固な意志」という言葉の意味を発見します。
これは貴方の頑固な意志に関する事なので、これは余り聞き良い話ではないでしょう。
しかし、『貴方がどの部分で頑固な意志を働かせて「父が貴方に与えようとしているよりも少ないもの」に固執しているのか』貴方に見える様に成るまで、貴方は自分のマインドを変えてインスピレーションに貴方のマインドを照らさせ、道を指し示させ、貴方自身を追従者にする事が出来ません。 貴方が追従者(follower)に成れれば、貴方の良きものをフルに障害なく体験する事が可能です。(その様な体験へと自分が連れて行かれる事を貴方は許可出来る様になります。)

だから(ポールやスーザンと同じ様に)貴方がこの事をしている時(今週はこれをして下さい)もう躊躇しないで下さい。 私が今夜話した事を覚えておいて、(聖なる瞬間をもたらす)「二つのステップ」の実践を行ってください。
今夜から、そうして下さい。

貴方がこれをしたなら、理由なき、謂れなき「良きこと/良きもの」が貴方の体験の中に入って来ます。 この「良きこと/良きもの」は、機能(全てが上手く働いている事)と成就(貴方が満たされている事)を貴方に示します。 それは「貴方の必要と関係のないもの」など全く存在していない事を示します。
そしてこれは貴方の周りの人にとってはおかしな事(腑に落ちない事)に見えるかも知れません。 丁度、貴方達の多くにとって、ポールとスーザンとファウンデーションに起こっている事がおかしな事に見えている様に。

この様な場面で貴方は「あ、貴方の手を離さなくちゃ。 私のガイドしてくれている父か精霊かイエスの手を。」と言ってしまうかも知れません。
「貴方と手を繋いでいると(貴方のリードに従っていると)皆からおかしく(不審に)思われてしまう。 だから、私は自分のコントロールを取り戻さなければ。
私がコントロールを実行している限り、人々は私の中に彼等自身を見る事が出来るので、私の事を認めてくれます。
しかし、私が精霊か父かキリストに譲っている時(彼等のリードに従っている時)、他の人々はなかなか自分達を私の中に見る事が出来ません。 何故なら、私が『普通に振舞わなく』成ってしまい、(他の人々を緊張/嫉妬させてしまう)説明の出来ない事が起こり始めるから。」
これらの事が起こっていたとしても、貴方をリードしている者の手を離してはいけません。

全ての人が、従うべき例を必要としています。
貴方は蛸壺(孤児院)から出て、蛸壺の状況内(人間的状況内)で行動する事を止める必要があります。
そうすれば、蛸壺内に留まっている人達もそれを見て「おお! 誰も彼の上に乗っかっていない。 誰も彼を締め上げていない。 何故なら、彼には自分を締め上げている者を見る事が出来ないから。」と言うでしょう。
「おお! 彼は抜け出ている。 彼の周りにはスペースがある。信じられるかい? 見てご覧、彼の周りにはスペースがある。」
ええ。「何故スペースなど必要なのですか? 何故これ以上のスペースが必要なのでしょうか? 何故エレベーターが必要なのでしょう?」 (と貴方は疑問に思うかも知れません。)

そしてポールとスーザンも、この家について、これは$272,000のステアマスター(階段昇降運動機器)だと良くジョークを言っています。
彼等は買い物籠を抱えて階段を上る時、良く上記の事を言います。

しかし、買い物を三階分抱えて登らなければいけない絶対的必要がありますか? それは神の法なのですか?
エレベータを備える事は、正当化でき説明でき理屈に合いリーズナブルでなければいけませんか? それがただ単に「必要を満たすもの」であってはいけないでしょうか? エレベータが愛と気遣いのシンプルな表現であってはいけないのでしょうか?

これは結局どういう事でしょう?
もし全ての人が億万長者なら、彼等は「貴方がエレベータを家に供えていても構わないでしょう。 なんならエレベータが三台あったっていいんじゃないですか?  それから家の南側から北側に動く時の為に平行移動する道もあった方が便利でしょう。」
膨大なお金を所有していたなら、貴方は気にしないでしょう。 貴方自身も自動遊歩道を入れてエレベータも備えて、それで罪悪感を感じる事もないでしょう。 
(上記は、話の視点が途中で転換してしまっている様にも聞えます。 訳)

(偉大さを培うと考えられている)貧乏/偏狭さ/意地悪さが尊ばれています。
全ての人が価値(偉さ)を求めています。 「艱難汝を玉にす」というように。
つまり、自分の欠乏(貧乏)を握りこんで、その欠乏にも関わらず成功すれば自分の価値が示せる、と考えているのです。
それは「おお素晴らしい! これは我々の$272,000のステアマスターだ。」と言うようなものです。
それは「安楽や快適さを体験する事が何の足しになるでしょう。 それらが私の価値を高めてくれないなら。 それらが『他者の尊敬を集める振舞い』を私に強いないなら。」と言っている事なのです。

よりハッキリ言えば「何故(尊敬に値する個人として人々に認識してもらえない)苦労しない方法やあり方を受け入れなければいけないのか?」 (と貴方は考えているのです)
「何故、安楽/快適/恐れのない状態(つまり平和)を受け入れなければいけないのか? 何故、私はパーフェクトな健康を体験しなければいけないのか?  何故、私は不変を体験しなければいけないのでしょう。 それが私に何ももたらさないのなら?」
「父の息子/娘である事を私が自分自身に許したなら。 私は(どの様な尊敬も決して得られない)捕らわれた人に成ってしまいます。 」
この様な狂気の考えが「全ての人が神の法がなされている場所に居る事」を意識的に体験出来なくしています。

(聖書には)“Be ye therefore perfect . . .” (貴方達も完全な者と成りなさい- マタイ)と書かれています。 
パーフェクトです。 (貴方は)パーフェクトなポイントの後ろに居るのではなく、そこに向かって進んでいる訳でもありません。 貴方はパーフェクトなのです。
貴方はパーフェクトなポイントにいるので、そこから貴方自身を理解するべきなのです。


“Be ye therefore perfect even as your Father, Who is in Heaven, is perfect!”1

[貴方達も完全な者と成りなさい、貴方の天の父が完全であられるように。]

「貴方のパーフェクトさ」を貴方の父からお借りしなさい。 彼は喜んでそれを貴方に与えようとしているのだから。
そして「聖なる者」としての貴方に対抗し続けようとするのは止めなさい。 何故でしょう?
父の意志である「良きもの/こと」が貴方のもとに来た時、貴方がそれを求めたつもりがなくても、それを自分が必要とはしていないと思ったとしても、父が貴方にそれを与えようとしているので、貴方がそれを自分の中に入れて受け止められる様に、です。
そして、(世界の中での)貴方の役割は受け取り手になる事だからです。
父の息子/娘としての貴方の役割は、貴方の持って生まれた権利(生得権)を運ぶ(受け取る/伝達する)事です。
それだけなのです。 シンプルでしょう?

そして全ての人達を躓かせているのは、「貴方が自分で権威を持ち、権威を上手く独自に使って、自分の価値を証明するべきだ」と言うキチガイ染みたアイディアなのです。
その様にした場合、貴方は無駄な苦労/罪/病/死/恐れを得る事に成ります。
しかし、それらのものは実存してはいません。 何故なら、貴方は「貴方という神聖な者で在る事」を止めた訳ではないからです。
しかし、貴方がその様な者(神の子供)ではないフリを続けている限り、貴方は独立存在(孤児)の境遇に付随する事柄を見続ける事になります。

今夜は「貴方がどの様に(貴方が要求しなかった)恩恵(慈善)や成就(完成)と対応しているか、そして本当はどの様にそれらに対応すべきなのか」話しました。
貴方は、貴方自身が神聖なものであるが故に、成就や完成を得るのです。 何故なら貴方はそれらを初めから失わなかったから。
そして必要とされている事は、シンプルにマインドを調整して「自分がパーフェクトなポイントの後ろに居て、そこに向かって進んでいる」というアイディアを手放す事です。
貴方はそのアイディアを放棄して、「貴方が既にそのパーフェクトなポイントにおり、その場所から思考し理解し意識し存在している」と言う事実を受け入れるべきなのです。


さて、我々が話し始める直前にポールは(ACIMの)このページを開きました。
だから、彼はそれぞれのバージョンの為のページ番号が解りません。
しかしどのバージョンにしろ、それは第31章です。
The Savior’s Visionと題されたセクションの直前にある第31章です。
これは(我々が話してきた事を)総括的に表現しています。


“You who believe that you can choose to see the Son of God as you would have him be, . .”2

[「神の子供を、自分の好みに合わせて見る事」を選択出来ると考えている貴方は、]

つまり、「自分の兄弟姉妹に対する概念」を持つ事が出来ると考えている貴方は。
彼等に対する定義(つまり貴方の断定)を、それが彼等に対する真の知覚だと考えている貴方は。
例えば「うん、彼は自己チューな人だから。 しかし彼の生い立ちが彼をその様にしたのだ。 私は彼が何故こうなったか理解している。 それにしても、彼は自分勝手だなー。」

しかし、

“You who believe that you can choose to see the Son of God as you would have him be, forget not that no concept of yourself will stand against the truth of what you are.”

[「神の子供を、自分の好みに合わせて見る事」を選択出来ると考えている貴方は『「貴方自身に対する概念」はどれも「貴方で在るもの」の真理には太刀打ち出来ない事』を忘れるべきではありません。]


ここに面白い捩れが存在しています。

「俺は基本的に良いヤツなんだよ。知ってる? もちろん欠点もあるけど、基本的に善良な人間なんだよ。」という様な「貴方自身に対する概念」を貴方が持っていなければ、 その様な概念が「貴方という存在」の真理に対抗して立つ事はありません。
貴方自身に対する自己概念が「貴方という存在」の真理に逆らっていなければ、「貴方の兄弟に対する概念」が「貴方の兄弟」に対抗して立つ事はありません。
だから、貴方の下す評価は絶対なもの、貴方の兄弟の真理を覆すもの、では在り得ません。


“Undoing truth would be impossible. But concepts . . .”

[真理を覆す事は不可能です。 しかし概念を]

たとえ、どれだけ貴方が自身の概念に囚われていたとしても。


“But concepts are not difficult to change. ONE vision, clearly seen, that does not fit the picture as it was perceived before will change the world for eyes that learn to see, because the concept of the SELF has changed.”

[しかし概念を変える事は難しくありません。 貴方が以前に見ていた絵に合致しない「ひとつ」のビジョンがクリアに見れたなら、「見て学んでいる目」に映っている世界が変わります。 何故なら、その時「自己」に対する概念が変えられたからです。]


例えば、

“Are YOU invulnerable? Then the world is harmless in your sight. Do YOU forgive? Then is the world forgiving, for you have forgiven it its trespasses, . .”

[貴方は不死身ですか? もしそうなら、貴方の視界の中で世界は無害なものになっています。 貴方は許してい
ますか? もしそうなら、世界が許しています(寛容な世界が貴方の前に現れています)。 何故なら、貴方がその侵害を許した(恩赦した)からです。 ]

つまり、「それが(世界が)貴方に対して行ったと貴方が考えている侵害」を貴方が許したのです{それが起こらなかったと貴方が気付き、貴方の概念から世界を開放したのです}。
貴方がその概念を世界に対して当て嵌め、その概念を世界に対して強要していたのです。


“Do YOU forgive? Then is the world forgiving, for you have forgiven it its trespasses, and so it looks on you with eyes that see as yours. Are YOU a body? So is all the world perceived as treacherous, and out to kill.”

[貴方は許していますか? もしそうなら世界は慈悲深いのです(寛容な世界が現れています)。 何故なら、貴方がその侵害を許した(恩赦した)からです。  それは「貴方の目として機能している目」(貴方の目)を使って貴方を見ています。 貴方は体として存在していますか?  もしそうなら、世界の全ても裏切に満ち殺害を求めている様に知覚されます。]


解りますか?

貴方はどの様に(世界や自身を)見ているのでしょうか?
貴方はパーフェクトなポイントの後ろから見て、そこに到達しようとしていますか?
例えば、自分の兄弟を踏みつけて上に昇り進んで(出来るだけ早く)自分の完璧(パーフェクトな様子)へと到達しようとしているでしょうか?


“Are you a Spirit, . .”

[貴方はスピリットですか?]


私も今貴方にそう尋ねましょう。 貴方はスピリットですか?


“Are you a Spirit, deathless, and without the promise of corruption and the stain of sin upon you? “

[貴方はスピリット(霊)ですか? 不死身で、堕落や罪の汚れを自分の身の上に見ていないスピリットですか?]

つまり、貴方は自分自身をパーフェクトな場所(パーフェクトな状態)で見て、貴方自身をそこから理解していますか?


“Are you a Spirit, deathless, and without the promise of corruption and the stain of sin upon you? So the world is seen as stable, fully worthy of your trust; a happy place to rest in for a while, where nothing need be feared, but only loved. Who is unwelcome to the kind in heart? And what could hurt the truly innocent?”

[貴方はスピリット(霊)ですか? 不死身で、堕落や罪の汚れを自分の身の上に見ていないスピリットですか? もしそうなら、世界は安定して貴方の信頼に値する様に見えている筈です。 暫く休憩するハッピーな場所。 そこで何かを怖れる必要は全くなく、愛する事だけが必要とされています。 心が優しい者に歓迎しない人が居るでしょうか? そして、真に無垢な(無辜な)者を傷つけられる人がいるでしょうか?]


“Your will be done, you holy Child of God.“

[神の神聖なる子供よ、貴方の意志が行われます。]

いいえ、父なし子の孤児としての卑小な貴方の意志が遂行されるのではありません。


“Your will be done, you holy Child of God.”

[神の神聖なる子供よ、貴方の意志が行われます。]

それはパーフェクトなポイントから(意図されており)、貴方は自身をそこから理解しているので、貴方は自身が「神の聖なる子供」であると知っています。 「貴方が神の聖なる子供である」とは、「神がそこにある全てに成っている所」に貴方が居るという事です。
そして貴方は喜んで「神をそこにあるもの全て」にしているのです。 何故なら、貴方がそうすれば、「貴方であるもの」(真の貴方)が完全に完璧に否定しようなくクリアに貴方に示されるからです。
そして神の法が往き亘り、パーフェクション(完璧な現れ)が貴方のものに成ります。


“Your will be done, you holy Child of God. It does not matter if you think you are in earth or Heaven. What your Father wills for you can never change.”

[神の神聖なる子供よ、貴方の意志が行われます。 貴方が、自分は地球に居ると考えていようと、天国に居ると考えていようと(どちらでも構いません)。 貴方の父が貴方の為に意図した事が変えられる事はありません。]

解りますか? 貴方が「自分はパーフェクトなポイントの後ろに居て、そこに向かって進んでいる」と考えていたとしても(それはリアリティとは)関係ないのです。


“What your Father wills for you can never change. “

[貴方の父が貴方の為に意図した事が変えられる事はありません。]

だから、簡単な答えは「貴方がパーフェクトなポイントの後ろに居て、そこに向かって進んでいる」という馬鹿げたアイディアを捨てて、貴方がそのポイントに既に居ると認める事です。

それから、どうするのでしょう? 
精霊に訊ねなさい。 「二つのステップ」を行いなさい。 「聖なる瞬間」を実践しなさい。

「パーフェクトなポイントにいる者(そして自身をそのポイントから理解している者)としての私には物事がどの様に見えているだろうか? それを私に示して下さい。」と貴方の正気でしかないものに訊ねなさい。

そして口を閉じて(マインドを静かにして)、「情報を手に入れて、それを孤児的な観点から独自に使おうとする権利」を主張せず、貴方の持って生まれた権利の中に譲りなさい。


“The truth in you remains as radiant as a star, . .”

[真理は「貴方が星の様に輝き続けている、]


「何だって彼は自分が星ほども輝いていると考える必要があるんだい? 何故私が星みたいに輝いていると考えなければいけないんだ?  私は自分の謙虚なともしびで満足している。
これは誰の邪魔もしていないし、とてもソフトでスムーズだ。
私の存在が静かで安心をもたらすので、沢山の人たちが私の周りで憩いを得ている。
だから、やめてくれ。 私に輝きなど押し付けようとするのは。」 
(と、こんな感じですか?)

「では、何故私が自分を輝かせなければいけないのか教えなさい!!」
知りたいですか? 
「だって貴方がそうなのだから」という以外に、理由は何もないのです。
私にはこれを(理由を)説明する事は出来ません。 それを正当化できる説明は存在していません。
貴方は既にコスモス(宇宙)の中の輝く光なのです。 これに関して貴方に何か出来る事はなにもありません。
だから、これに抵抗するのは止めなさい。 それだけです。 説明を求めるのは止めなさい。
光である事に抵抗するのは止めなさい。


“The truth in you remains as radiant as a star, as pure as light, . .”

[真理は「貴方が星の様に輝き続けている、光の様にピュアである、]


「うーん。 いいですか、ピュア(純粋)などは過大評価されているだけです。
私はべつにピュアなどではありません。 私は隣の家のジョージよりはピュアかも知れませんが。 でも、我々はそれでも(私の方がよりピュアであっても)仲良くやっています。
しかし私はピュアかどうかなんて事には余り関心を払いません。 
全てが物凄くピュアでなくてもオーケーでしょ!
アイボリー石鹸だって純正99%位でしょう?
私は100%ピュアに成ろうとなんてしていません。 物事は完全にピュアでなくても構わないし、私が完全にピュアでなくとも構わないでしょう。
だから神様も、私をピュアにしようとするのは止めなさい。」


“The truth in you remains as radiant as a star, as pure as light, as innocent as Love Itself. And you ARE worthy that your Will be done!”

[真理は「貴方が星の様に輝き続けている、光の様にピュアである、愛そのものと同様に無垢である」という事です。 そして貴方は「価値あるもの」(神/愛に値するもの)なので、貴方の意志がなされます。]


なんと! 全ての人が「ポールやスーザンの中にある/彼等を通ってくる、父の意志」に値するのです。 
全ての人が「貴方達一人一人(私の声を聞いている全ての人)の中にある、貴方達一人一人を通って出る」父の意志に値するのです。
それを中に入れなさい。入れなさい。 自分の防御を下げなさい。 貴方がまだ「よきもの」として認識していない「よきもの」も自分の中に入れなさい。

花が朝に「えー、太陽なんて本当に必要なの?」と言いますか?
いいえ。 花は日の光を受け入れます。 花は光を浴びるのです。
花は「日の光で在るもの」に譲るのです。 

花は「何故、雨なんか必要なんだろう?」と言うでしょうか?
いいえ。 花はそれを受け入れます。 (貴方もそれと同じであるべきです。)

貴方が神を信じる様になる前に、神に彼自身を説明させようとするのは止めなさい。
貴方が神に譲れる様に成る前に、神に自身を説明させようとするのは止めなさい。

さて、今車が通った音が皆さんに聞えたか解りませんが、「それが(車の騒音が)理由だ。 それが彼等が引っ越さなければ成らない理由なのだ。 騒音がラジの録音やミーティングやコミュニオンに差し障っているんだ。」と言う人もいるでしょう。

それが理由なのでしょうか? しかし、彼等の引越しは何かを解決する為の事ではないかもしれません。
もしかしたら彼等は、成就の動きがその様に見えているので、移動するだけなのかもしれません。
もしかしたら彼等は(貴方達全員と一緒に)「二つのステップ」を行なう事や「聖なる瞬間」の本当の意味を学んでいるので、そしてその祝福を体験するチャンスを得ているので、移動するのかもしれません。 
その祝福とは移動ではなく、人間の意志を放棄する事、彼等の意志を放棄する事、自分達で決めよう/責任を取ろう/コントロールしようとする強い誘惑を放棄する事、他者に対して自分達(の正当性)を証明/立証しようとするのを放棄する事、他者の基準/期待を満たそうとする事を放棄する事です。
その理由は(そしてこれは確実です)彼等が(貴方達と同様に)「貴方の意志がなされますように」と言い、(父がインスピレーションを与え/それを照らし/それを示し/その道を先導出来る様に)黙る事を学ぶ必要があるからです。

I love you all—even you, Chris.  (クリスはポールの息子さんで、録音録画担当)

来週皆さんと再会出来る事を楽しみにしています。



「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはその様なものだから。 
貴方と同等の方が既にこのギフトを貴方に差し出したので、これらの資料が貴方に提示されています。 Raj の指示により、これらの資料が売買される事はありません。 


A Course in Miracles Study Group with Raj, July 10th 2010
The Northwest Foundation for “A Course in Miracles"
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
Website: http://www.nwffacim.org
E-Mail: paul@nwffacim.org



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テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

ACIM10-07-03

July 03, 2010 ©NWFFACIM
2010年 7月 3日

原文テキスト
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=29688&mid=142972#M142972
オーディオ&ビデオ
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=29681&mid=142952#M142952

ページ位置の確認。
A Course In Miracles (reference pages)
このミーティングではACIMの文章は読みませんでした。


今晩は、ようこそ。  

今晩我々はACIMの文章は読みません。
今晩は感謝の日です。
ポールに言いたい事があるので、まずポールに喋ってもらいます。 これはポールにしか言えない事だからです。 そして、これはポールが言う必要のある事です。

Paul: OK. (今から話すのは)ポールです。

皆さんもご存知の通り一ヶ月ぐらい前から、ラジは「ファウンデーション(NWFFACIM)が新しい場所に移動する必要がある」と我々に告げている事を公表しました。
彼はそれをスタディー・グループ(毎週土曜のライブキャスト)でアナウンスし、皆さんのサポートを歓迎しますと言いました。

その時点から今朝までに、$103,000が寄付されています。 とても大きな凄い金額だと思います。
そして、今日ある人が$500,000の{ローン}を家屋の購入の為に申し出てくれました。
30日ちょっとで、総額$603,000が集まりました。

この様な事は(それを受け取った人に)大きな影響を与えます。 それは私を唖然とさせ...私を..ウーン...とても謙虚にさせました。
とても多くの感謝の念...とても多くの愛が...殆ど信じられない程に...差し伸べられた(拡張された){のだと感じました}。

「ポールはラジを20年以上聞き続けていたではないか(この位の事で驚いてしまうのか?)」と貴方は言うかもしれません。
しかし、この一ヶ月程一心不乱に聞き続けた事は、この二十数年間在りませんでした。

これ程の愛が表明された時、(アメリカでよく言う様に)「人々がその信念を財布で表した」時、それは私に「絶対正しく聞けて居なければいけない」と改めて思わせました。 何故なら、人々が与えてくれたギフトを悪用したり不遜に扱う事があってはならないから。
このように、ここ一ヶ月は(私にとっても)ハードワークで勤勉に聞く必要がありました。

But you know what?  (“Well, I will tell you something”と並んで、これはポールさんの口癖のようです。 そしてラジもこれらの慣用句を多用しています。 訳)
この体験を通して、ラジとの関係がよりクリアになり、彼が教えている「聖なる瞬間」の理解がよりクリアになりました。  
我々があの場所に入り/我々のプライバシーを放棄し/助けを求め/父に譲ったなら、それは不思議な/馴れない/尋常ではない行動に思えますが、本当はこれが絶対的にノーマルな行動であり、我々は(聖なる瞬間を通して)その様な在り方に戻っていくべきなのです。

(この過去一ヶ月)この様に熱心に聞き続けた結果、この様に(熱意を持って聞きながら)生きる事で私はよりナチュラルな在り方に帰っていくのだと、より深く把握し始めました。
これは私が慣れ親しんできた事よりも、より意識的な存在の仕方(在り方)です。
私が馴染んで来た事よりも、より意識的に意識している在り方です。

これが私にとってナチュラルに感じられているとは未だ言えません。
しかし皆さんのギフトが私に与えてくれた事(意味)に、私はとても感謝しています。

私はより多く譲る必要があります。
私はより注意深く聞く必要があります。これは難しい仕事のように見えますが。 私はもう、これ以上無意識なやり方で生きて行きたくはありません。
全ての意味で聞く事とは、全ての意味で(全ての方向から)聞くポジションに自分を置く事です。 全ての側面を知る事に成るポジションに自分を置く事です。

私が自分自身の為に考えていた時、私は怠惰で注意を払っていませんでした。
私は自己の思考の楽しみに捕らわれており、リアリティの意味に対して注意を払っていませんでした。

今この時点で私は皆さんが表明し差し伸べてくれた愛に驚いています。
と同時に私は(「貴方が聖なる瞬間に入った時、それを実践した時、神の法が成り立っている場所に貴方は居ます」とラジが言っていた事に対する)実際的気付きが現れ出て来ている事に驚いています。

$603,000 もの金額を(口先だけで)集められる人は誰も居ないでしょう。
寄付の必要に関して(ラジが)言った言葉だけで、(これだけの)金額を{個人的な力で}集められる者は居ないと思います。
だから奇跡的な事が起こったのです。 私が個人的に起こしたのではない事が起こったのです。
そして援助してくれた全ての人達は神の法が成り立っている事を反映しており、理屈に合わない事が出現する事を許して(可能にして)いました。

$500,000、$103,000 が出現する事は、普通なら私をとても興奮させた事でしょう。
もちろん私は驚いています。 しかし私の声の中に喜びは表れていないかもしれません。
少なくとも「笑いが止まらない様な嬉しさ」はありません。
私は謙虚に感謝しました。 愛を差し伸べてくれた人達に、深い愛を差し伸べ返したいのです。
ありがとうございます、と私は言う必要があります。 私は感謝の念を表明する必要があります。
「私の言おうとした事や私が感じている事」をラジが言う事も可能だったでしょう。
しかしこの感謝は私が表明しない訳にはいかなかったのです。
Thank you.

RAJ:  改めて、こんばんは。

さて、新しい家の値段の $719,000 の内 $603,000  が集まりました。
はい、私は数字を理解し喋る事ももちろん出来ます、全くスピリチュアルには見えない事柄に関して話す事も出来るのです。 
しかし貴方が「必要が何か」判っていないなら、「何について訊ね聞けば良いか」貴方には判りません。
『「必要に注意を与える事」こそ貴方が必要に対して取るべき態度である。』と私は長年言ってきました。
貴方は必要を無視するのではなく、それを超越するのでもありません。 必要に対して、それが見えないフリをして考えないようにするべきでもありません。 
貴方は必要に対して注意/意識を払うべきなのです。 何故なら、必要が表れている所が、啓示(満たされる事)が表れようとしている所だからです。
体験している事の殆どを、貴方は天国としては体験していません。 だから、貴方がより多く体験するべき事がそこにはあるのです。

貴方が困難や必要(不足)を体験している場所も(啓示/満たされる事が現れ出ている)天国の一部なのです。 そこで天国(天国がそこの本当の姿です)が見える様に出現しつづけているのです。
だから、「あ、あ、私には必要としている事がある。私は欠乏を体験している。 私は貧乏だ。 それに関して思い悩まなければ。 それに関して心配する必要がある。 必要を抱えている私は愚かに見えるに違いない。」などと考え続けるのは止めなさい。
「私は必要を正面から見つめてみよう。 それを認識しよう。 ここには欠乏が現れている様に見える。」と言いなさい。
そして貴方が天国を見ていない全ての所には欠乏があるのです。
「ここに欠乏がある。」

そしてこれは居心地の悪い事なので、これは貴方の注意/注目に値します。
何故なら、そこで貴方の限界が引き伸ばされて限界点まで来ており、そこでは(貴方の)「囚われ」がなく、だからそこで(貴方が天国に対して課して来た限界を超えて)豊かさが天国として(啓示/満たされる事として)貴方に届くのです。
だから我々は全員「必要」に対して注意を与えて、奇跡を見るべきなのです。

そして奇跡を「探そう/見つけよう」とする事により、我々の果たす役目(するべき事/するべきでない事)が明確に成ります。
何故なら、「必要に対して注意を与え続ける事」とは、貴方が「二つのステップ」をして(必要から一歩下がって、居心地の悪さから一歩退いて)「父よ、ここの真理は何ですか? お父さん、知るべき必要がある事を示して下さい。」と言って、(答えに)耳を澄ませる事なのだから。
もしかしたら、こうして貴方は過去に行ったよりもう少し熱心に答えを聞き続けられる(答えを求め続けられる)かも知れません。 ちょうど、ポールが以前よりも集中してガイダンスに聞き入った様に。
この様に、より勤勉に聞く事を実践している中で、(全てを欠いている、問題を抱えている貧しい孤児ではなく)「自身を神の聖なる子供として意識する」貴方のより広大なより新しい能力/度量に気付く事が出来るのです。

まだ$116,000足りません。 これは多額に思えるかもしれません。 しかし、603,000が集まっている今から見れば、殆ど目標が達成されている様にも見えますね。
これは小額、残り僅かですね。 この様な視点から見れば、圧倒されず、不可能にも思えないでしょう。

では何故貴方はこれ(聞く事)をするのでしょうか? 貴方が沢山のお金を、あたかもそれが大した額ではない様にビジュアライズ出来る様に成る為?
(貴方が考えていた程、これが大き過ぎて抱きとめられない、訳ではないので)貴方がこれを抱き留められる様に?
いいえ、違います。
精霊か貴方のガイドか父(父の視点)とのクリアなコミュニケーションの中に入って行ける様に、貴方は聞くのです。
貴方は何かに打ち勝つ為にこれをするのではなく、全てと完全に調和する為にこれをするのです。  聖なるものである全てが、聖なるものとして貴方に見える様に。 それが貴方に解る様になり、それが豊かさとして、ドルとして、必要が満たされている事として、傷が消えて行く様子として、病が治る様子として見える様に。 
だから私は、必要に対して注意を与えるよう全ての人を招待しています。
個人的責任感からこれをするのではなく、神の視点/視界が現れる事を見たいという希望と共にこれをして、貴方に出来る何か実際的な事があるか見てみて下さい。

私が貴方の中に「ギフトしようとする意図」を植え付けようとしている、と解釈されるかもしれません。 そうではないのです(それが目的なのではないのです。)。

貴方が貴方達全員が、偏見を持たなくなり、物事に影響されない(人やものとの関わりを持たない)観察者と成ろうとする事を止めるようにしなさいと私は言っているのです。
何故なら関わり合いが合一(Unity)なのだから。
それは独立の正反対です。
そして(愛の証拠を見たいと願い、愛の証拠と成りたいと願って)貴方の兄弟と関わる事が、孤独/隔離を破る事に成るのです。 それが貴方を故郷へと導きます。 これが要点なのです。

残りの$116,000 と引越しの費用その他の為に寄付する事を、貴方の隔離を破る為の行為として行う事も悪くないアイディアです。 貴方の孤独/隔離を破って、貴方が自分の全体性/一体性を感じられる様になり、ファミリーとしての感覚を得られるように。

全体(性)とは、ただ貴方の全てが見えるようになると言う事だけではありません。
貴方の全てを収められるだけ(貴方という)ボールが大きくなる事(だけ?)を言っているのではありません。

全体(性)とは、全ての人/全てのものを(意識的関わり合いの中に)収められるだけ貴方が大きくなる事です。 そこでは貴方の兄弟姉妹は一人として貴方の注意/意識から取り残されてはいないのです。 (出来るだけの注意を貴方が全てに与えているので)誰も/何も、貴方の視界から消えてはいないのです。
全体(性)とは、貴方が全ての兄弟姉妹そして創造の全てと完全に関わっている事なのです。
寄付を行った全ての人は愛を表明し、自身の愛をそのギフト行為の中で感じました。
例えそれが、2ドルでも、それが50セントでも、それが2500ドルでも。

我々が何を教えているか解りますか?
どうすれば、お互いに他人同士であり続ける事を止められるか、我々は教えています。
どうすれば、(他の所を見るのではなく)お互いの眼を見て神を思い出す事が出来るか、我々は教えています。 Thank you.

貴方の注意と愛のギフトがどれだけ広大なものか貴方は気付いていません。
兄弟姉妹は、(宇宙全体の)目覚めている者達は、貴方の表現している愛を感じています。
それは貴方がNFFACIMに寄付をしたからではなく、それは貴方がポールを尊重した故に寄付したからではなく、それは(イエスがそう言ったから)貴方が寄付したからではなく、
貴方が防御を緩めて、与えるという行為の中で貴方がより無防備に成ったので、貴方という神聖な者が顕わになったからです。
それがより顕わに成り、それがより大きく感じられたのです。 貴方が何処に居たか、どれだけ与えたか、に関係なく。
合一を指し示す愛が(その程度の差こそあれ)創造を照らし出します。 (貴方が今まで隠して来た)貴方の光によって、創造を再度照らし出します。 そして我々全員が喜ぶのです。

私がポールに指示して、この家(彼が買おうとしている家)の購入を現在の持ち主に再度提案する事になります。
皆さんが与えた/与えようしている愛とギフトを悪用したり不遜に扱う事が無い様、もしかしたら彼は(私をより正確に聞こうとして)一生懸命に成り過ぎるかも知れません。
それでも私は、彼がその様な立場に立った事を嬉しく思っています。 これにより、以前より一層沢山、私が彼と一緒にいる事が出来るから。
そして彼自身もこの楽しさ(我々が一緒に居る事の楽しさ)を感じ始めています。
そして彼がより多くこれを行うほど、彼はより自主的に先に進んで行く事になります。
そして、これが行われるべき事なのです。

I love you all, every one of you. Thank you . . . thank you . . . thank you.





「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはその様なものだから。 
貴方と同等の方が既にこのギフトを貴方に差し出したので、これらの資料が貴方に提示されています。 Raj の指示により、これらの資料が売買される事はありません。 


A Course in Miracles Study Group with Raj, July 3rd 2010
The Northwest Foundation for “A Course in Miracles”
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
Website: http://www.nwffacim.org
E-Mail: paul@nwffacim.org

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ジャンル : 心と身体

わかりませーん!

ここのところ、翻訳は不調です。

私は「ACIMはギフトであるべき」と言うラジの主張に賛同したのであって、別にラジやポールに寄付を沢山集めようとして翻訳を始めたわけでは無いので、何度か翻訳をストップすることも考えました。
私もささやかな寄付は行いましたが、「沢山の寄付が短時間で集まったから奇跡だ」と言われても、私にはあんまり感服できませんでした。
これが「病気の人を治した」というなら、感心すると思うのですが?


ここに操りは無いのか? (ラジの呼びかけている)これは Special Relationship ではないのか?
ラジの主張を受け入れて、思考を使った判断を放棄した場合、万が一ラジが間違っていた場合に、その間違いに気付かない事が在り得るのではないか?
この日本語訳を続けてWEBに発表するのは正しい事なのか?

すべて思考だけでは判断がつきませんでした。 以前の私なら自分の思考力で素早く見切るところなのですが。 
なので私はより意識的に「聞く事」を強いられました。 それ以外に頼るべきものは見つからなかったのです。

以下が私の聞いた事です:
自分の腹が知らせたなら、何時でも翻訳は打ち切って構わない。
ポール/ラジが送っているE-maiは日本語訳しなくてもOK。
オーディオやビデオで聞くのではなく、テキストを読むだけにしてみろ。
土曜にライブでラジを聴かなくても構わない。
翻訳が重荷に成っているなら、(ラジが興奮して喋っている部分は)一部省略しても構わない。
(今のところ、実際にはまだ省略できていません。)
自分の直感を信じてより意訳を加えろ。
今回の寄付に関する翻訳は、金銭に対する貴方の倫理観(それが貴方を苦しめてきた)をもう一度見直す機会になる。
以上。


日本は梅雨明けしたそうですね。
良い夏をお過ごし下さい。

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

プロフィール

翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

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