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フォスターペアレント

今日は朝早く目覚めました。
6時前に起きて「今日は何をするべきか」訊ねると、答えは「外に出て写真を撮りなさい」でした。
それはもう何度もしたんだけど...しかたない、今日もそうしますか。
家から出て、朝日の差す街角の写真を撮りながら歩いていきます。
全て見慣れた光景なので、少し退屈です。

暫くすると、旅行者が多く訪れるパイクプレース・マーケットの四つ角に来ました。
信号待ちの人々に話しかけている人がいます。 遠くに見えるフェリーボートの写真を撮るべきかどうか迷っていると、その人が話しかけてきました。
「どうだい兄弟。 支援してくれよ。 フォスターチャイルドの為に募金をして頂戴。」
(またかよ! 朝から。 あれ、でもなんか拒否出来ない。なんで?)
差し出された資料のバインダーを受け取った私の顔は疑いに満ちていた筈です。
(どうやったら本当に募金かどうか分かる? 道端で突然話しかけられて。)
資料をサッと眺めても何も分かりません。

手術を受けた後の子供の写真や(どこから持ってきたか私には分かりようのない)学校の写真に混じって、7年前の日付のフォスター・ペアレント証明書というものが入っていました。
「あなたはフォスターペアレントなの?」「オレの孫がフォスターペアレントだよ。」
「え! あなた幾つ?」 「35歳」 
「あなたはフォスター・グレート・グランド・ペアレントなんだね。 どうやったら、35歳でお祖父さんになれるの?」
「朝起きて、大きくスマイルしたんだな。」 「したのはそれだけじゃないだろう!」
もう一人傍に立っている人も仲間みたいですね。
「あなたが孫なの?」 「いいえ、この人が私のメンターです。」「なるほど。」
「それ良いカメラだな。 オレらを写真に取っていいよ!」
「じゃ遠慮なく。」

二つのステップはすっかり忘れていました。
もししていたとしたなら、渡された資料を見ていた時「どうやって断ろうかな?」と思いながらも少しは譲っていたのでしょうか? (それは言い訳みたいにも感じられるけど。)

そうそう、結局5ドル募金しました。 別に募金がしたくないわけじゃないから。

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

精霊

そこはフランスでした。
白い広い庭の中です。 グラウンドと言うべきなのかもしれません。

青ざめた顔の人がいます。 これが私です。
上質な青い上着と、卵色の絹のパンツ。 とても上品ないでたちです。
血の気が引いて、白い顔が一層白く見えます。
それを私が見ているのです。 少し離れた所から、宙に浮かぶ光の玉になって(これが霊です)。 

私は庶民の出でした。 しかし才覚のある努力家で、官僚として成り上がって行きました。
自分の努力で道を切り開いたのです。 「これでもう誰にも馬鹿にされない。」

しかし思わぬ事が起こります。
初めは馬鹿騒ぎだと思っていた騒動が革命に成ってしまったのです。
私は捕まりました。 茶番のような裁判の後、ここに引き出されてきたのです。
これはまるで悪夢のようです。

私は庶民のためになることをして来た筈です。(彼等の一員でありたいとは思わなかったけれど。)
なのに何故、私が罰せられなければいけないのでしょう?
しかし、霊である私は怖れていません。 

まだ私は迷っています。 
もしここで自分の出生を語り泣いて慈悲を乞うたなら、命は助かるでしょうか?
でも、その様なことが私に出来るでしょうか? 命と引き換えでも到底出来そうにありません。
「惨めな生まれでも私は特別だ。私は頭が良い。私は努力した。」
このプライドのために私は生きてきたのです。
でも、もうそれもすぐ終るのでしょう。

その人のすぐ傍に浮かんで待っている様に見える霊は何を思っているのでしょう?
しかし、私がその霊なのではなかったのでしょうか? 私はその人を見ているのです。
私はその人であり、その人の傍に居る霊であり、その二つを見ている視点でもあるのです。

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

ACIM2010-10-16

October 16th, 2010 ©NWFFACIM 2010年 10月 16日

原文テキスト
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=30067&mid=144363#M144363
オーディオ&ビデオ
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=30059&mid=144341#M144341

A Course In Miracles  参照ページ
第16章 – セクション –  SPECIALNESS AND GUILT (特別性と罪悪)
1 Sparkly Book – p. 391, 3rd Par. / JCIM – p. 164, 6th Par. / CIMS – p. 329, Par. 50
第 16章 – セクション – THE CHOICE FOR COMPLETION (完了の選択)
First Edition – p. 318, Last Par. / Second Edition – p. 342, Par. 8


こんばんは、ようこそ。

我々が「聖なる瞬間」と「二つのステップ」と「特別な関係」に関して必要以上に時間をかけている、と感じている人もいるかも知れませんが、決してそうではありません。
特別な関係(スペシャル・リレーションシップ)がどういうモノなのか、ハッキリと理解することが非常に重要なのです。 何故なら、特別な関係は全く建設的ではないから(にも関わらず、殆どの人々がそれを尊んでいるから)。

さて、特別な関係の目的は何でしょうか?
しかしその前に(明確にしておきたいことがあります)。

特別な関係とは、特に重要で目立つ関係のことだと考えている人が多いことでしょう。
そして大抵の場合、一番特別な関係/一番スペシャルな関係は、夫婦関係あるいはパートナーとの関係です。 信頼と親密さと愛がより広く深く表明されている関係です。
だから(婚姻や恋愛などの)関係を持っている人達は特に、特別な関係にこだわるのです。
「わたし達の関係を最上のものにしましょう。 わたし達の特別な関係を神聖なる関係にまで高めましょう。」というわけです。
何故なら、特別な関係は基本的に信頼と愛に基づいている関係なのだから、それを聖なる関係にまで高めることは容易に違いない、と考えるわけです。

しかし(特別な関係とは)この様な状態だけに限定されているわけではありません。
「特別な関係」とは、「真の自分が何か気付いていない状態」で人が他者との(そして全てのものとの)間に築いている関係のことなのです。
これが特別な関係です。 (それは必ずしも「特別な人との関係」だけとは限らないのです。)

だから特別な関係は、例えば、「あなた」と「あなたが言い争っている相手」との関係でもあるのです。
「あなた」と「あなたの嫌いな人」の関係、あるいは「あなた」と「あなたを嫌っている人」の関係も特別な関係なのです。
あるいは(テニスやフットボールなど)ゲームをして競争をしている時の関係も、特別な関係であり得るのです。
あなたの神聖(全体性)に気付かずに「真のあなた」に無意識な状態で作り上げている全ての関係(関わり合い)は特別な関係(特殊な関係)なのです。

では、特別な関係の目的とは何でしょうか?
特別な関係の価値を誤解していたなら、「関係を向上させること、より良い関係をより巧みに築く能力を磨くことが、特別な関係の目的である」とあなたは考えるかもしれません。
しかし違います。 

特別な関係の目的は一つしかありません。 それは、特別な関係を築いている人をより高いポジションに持ち上げることです。 その人をより頑強な独立的/自治的ポジションに据えることです。
全ての特別な関係の目的は(それは洞穴の中で一人で行なわれることではないにもかかわらず)完全な独立に到達することなのです。
特別な関係の目的とは、「彼/彼女自身が実在している存在なのだ、それ自身で永遠に存在し続けている存在なのだ」と確実に証明する(とても素晴らしくパーフェクトな)独立状態なのです。

それは他者とは全く関係のないこと、関連(つながり)のないことなのです。
それは完全に自己満足だけの、独りよがりなことなのです。
それは自分だけのためになされていることなのです。

自分達の神聖に気付かないまま「自分達の関係を向上させようと勤勉に働いてる人達」との関係の中で取得し強化し使用している能力は、常に自分勝手な(独りよがりな)独立的理由のために使われているのです。 そして完全な独立独尊をその最終的目的としているのです。
だから片方が自分勝手(独立的主張)を示し、もう片方も自分勝手を持ち込み、自分勝手がぶつかり合い、自己主張がお互いを傷つけます。 しかし「お互いのためになる」と相互合意されている(少なくともお互いの間では道徳的に正しいと考えられている)振舞い方でこれが行われているのです。
それは身勝手な理由から行なわれていますが、しかし、そこでは僅かな喜びが得えられているのです。 だから人は、そこで嬉しい喜ばしいことが行なわれていると考えるのです。 これが良い関係だと考えるのです。
そして確かに、この関係の中にいるそれぞれの人達が、お互いの利益になることを上手く出来るようになれば、皆がハッピーに感じるのです。
それ故に「特別な関係」は確かにスペシャル(有意義)で有効で、だから自分勝手な(独りよがりな)ものではない、と考えられているのです。

しかし、
あなた達の一人一人が父から離縁して「父よ、私は(あなたの見方ではなく)自分自身の見方で見てみたいのです。」と言ったとき、あなたは本来不可能な体験をしようと自身を方向付けた(動機付けた)のです。 あなたは自分には出来ないことをしようとしたのです。
そして、この虚無の中から全てが作り上げられてきたのです。
そして全ての人達は、自分達の虚無の中からお互いの利益になることをして、少しだけ喜びを感じているのです。 この虚無を本当に埋めることの出来る唯一のことをしないでいて、しかしこの虚無を乗り越えようとして特別な関係を作っているのです。

この虚無を埋められる唯一のこととは、自分が誰か思い出し「真の自分」に成ることを意識的に選び、仮面劇を放棄することなのです。
(神から)完全に独立しようという動き(動機)から派生している「関係の仕方(在り方)」を放棄するのです。
そのような動き(意思)は、そのような関係は、神聖ではないのです。 それは全体を示している健全なものではないのです。
虚無からは(全体性を欠いたもの、神聖でないものからは)なにも建設的なことは起こりません。
だから特別な関係の目的は常に{全体から分離独立している}「自分自身を向上させること」なのです。
(たとえ幾つの人生を費やしたとしても)自分自身を常に向上させ続け、この独立にたどり着きたい、「自分が誰か知らなくとも自分で居られる」自由に到達したい、というのが特別な関係の目的なのです。


では本を読みましょう。

[The “better” self the ego seeks is always one that is MORE special.]
[エゴが求めている「より良い」自己とはいつでも、より特別な自己です。]


これはどういう意味でしょう? 
「より特別な」とは、「あなたが居るそこに現れている、父(の様相)」よりも異なったもの、という意味です。
(エゴが求めているのは)より違ったもの、「神」以下のもの、全ての価値あるものよりも劣ったもの、全ての意味よりも劣ったものです。
特別な自己を持っているように見えている者は、(人々が)彼から奪い取れるもの(受け取れるもの)故に愛されているのです。

これは難しく聞えることかもしれません。 (だから、より分かり易い比喩を使いましょう。)
エゴはカメレオンのようなものです。

複数のエゴが傍にいた場合、彼等はお互いを観察し感じ合うのです。
それぞれのエゴは、そこに「より良く見えるもの」がないか、そこにより望ましいもの(例えばもう片方のエゴを魅力するセックスアピール/人望/経済力/その他)がないか調べます。

そしてそこに親しみ(ラポート)が見えたなら、モーションを(誘惑を)かける側がそれを(そこに現れている特別性の魅力を)感じそれに合わせて自分の行動を変化させます。  もし「自分に対する他方の知覚(見方)から得られるものがある」と思えば、それに合わせて自分を変えるのです。

「もしこの人が私を好きならば、私は自分であることを止めましょう。
私は、今まで自分が一生懸命成ろうと努力して来た「私」で在り続けることを止めましょう。
私は、今までの「私」をアップグレードして、この人からより多くの感謝/賞賛を受け取れるようにしましょう。
だから私は(この人が私に与えたがっている)このアイデンティティを盗んでしまいましょう(この人が私にかぶせたがっている仮面をかぶってあげましょう)。
このアイデンティティを上手く演じて、これを独り占めにして、これが私のために上手く働くようにしましょう。 
そして私がとても利口に振舞えたなら、この人にとっても、それは嬉しいことになるはずです。 そうすれば、この人は益々私を好きになることでしょう。」
こうしてカメレオンのあなたは、少し前まで現していた色(様子)を簡単に手放すのです。

こうしてあなたは、他者から彼等の良き意図/良き知覚(それが正しいかどうかに係わらず)を受け取るのです。
あなたは、それを他者から奪って(受け取って)上手く自分の中に組み込みます。

その目的な何でしょうか?
良くなり続けることを通して、どうにかリアルな自治状態の境地に到達し、その時その事を他の人(あなたのパートナー)に目撃/認証してもらい、あなたの独立状態の真実を証明することがその目的なのです。

[Where both partners see this special self in each other, the ego sees “a union made in Heaven.” ]
[パートナー達がお互いの中にこの特別な自己を見ている時、エゴはそこに「天国の関係」を見ているのです。]

天国の関係!
おお! 両者に突然沸き起こる真実の愛。 もしそれが育てる必要のある愛だとしても、それは(なにものにも換えがたく)価値があると考えられるのです。

[For neither one will recognize that he has asked for hell, . .]
[何故なら、両者とも自分達が地獄を求めているとは理解出来ず...]

ここで両者はどうやって地獄を求めているのでしょうか? 彼等は「自分達が本当は誰か」知ること無く関係を継続しようとしたこと(することに)よって、地獄を求める(苦しみを得る)のです。
そしてこれは虚無に虚無を重ねること、身勝手に身勝手を与えることなのです。

[For neither one will recognize that he has asked for hell, and so he will not interfere with the ego’s illusion of Heaven, which it offered him to INTERFERE with Heaven.]
[何故なら、両者とも自分達が地獄を求めているとは理解出来ず、したがって彼等は(天国を妨害させる為にエゴが彼等に与えている)「エゴの幻想の天国」には干渉しないからです。 ]

解りますか?
つまり、あなたは特別な関係がとてもリアルな理由により成立していると考えています。 あなたは特別な関係が、感情的理由により、身体的理由により、マインドの理由により、求められ成立していると考えています。

しかし違うのです。
それらは本当の理由のように見えますが、そしてそれらの理由ゆえに努力する必要があるように見えますが、そこには本当は一つの目的しかなく、それは天国を邪魔することなのです。
特別な関係の目的とは、 「あなたが誰か」思い出す事の邪魔をすることです。
あなたは自分の父から離縁する必要はなかった、父と自分の関係を無効にする必要はなかった、と思い出すことを邪魔するために特別な関係があるのです。
特別な関係は、その記憶回復を邪魔するために存在していたのです。
それだけのことなのです。

(たとえそれが難しい困難なものであっても)特別な関係には様々なもっともらしい理由があると皆さんは考えています。
たとえそれが楽しくなかったとしても、その関係はあなたを成長させあなたをより強くする、とか考えるのです。  アホらしい!
そして、これらの様々なことを向上させることに注意を奪われ続けてしまうのですが、しかし(特別な関係が存在している)本当の理由は、自己改善とは全く関係ないことなのです。

ここでの要点は、「特別な関係の目的とは、あなたを真のあなたに対する気付きから遠ざけることなのです」。 もしあなたが「本当のあなた」に気付けば、問題は解決され、あなたは目覚めるのです。



[Yet if all illusions are of fear, and they CAN be of nothing else, the illusion of Heaven is nothing more than an "attractive" form of fear, in which the guilt is buried deep, and rises in the form of "love."]
[しかし全ての幻想は怖れから出来ており、それ以外のなにものでもありません。 天国の幻想とは、魅力的な形をしている怖れにしか過ぎず、その奥深くには罪悪(感)が潜んでおり、それが「愛」の形をまとって出てくるのです。]

何の罪悪でしょう。
あなたが一人で物事をしようと決めた途端に自動的に湧き上がってきた罪悪感です。  「父よ、私は自分一人で見てみます。 もうこれ以上あなたと一緒には見ないことにします。」とあなたが言った途端、罪と怖れが起こったのです。
「『あなた(神)が創造しているもの』を明確に体験している意識的気付きであり続けて、それをあなたの創造物として認識することにより私はあなたと繋がり続けて、あなたと一緒に創造を行い続けてきました。 そして私の役目はあなたの技を認識し認めることでした。 しかし、もうそれを止めます。」
そうあなたが言った時、怖れと罪が発生したのです。
そして、あなたは罪悪を好まないので、それを見えないところに押しやりました。
しかしそれは特別な関係の中の愛という形で出てくるのです。

[地獄の魅力は、]
非常に剣呑な言葉ですね。 「このように極端な見方をしなくても自分は目覚めることが出来る」とあなたは考えているかもしれません。 しかし、これをあえて見てみれば、これが(地獄の魅力が)より一層クリアに理解出来るようになり、これを手放すことが容易に出来るようになるでしょう。

[The appeal of hell lies only in the terrible attraction of guilt, which the ego holds out to those who place their faith in littleness.]
[地獄の魅力は、罪悪の酷い牽引力(エゴはそれを「卑小さに信心を与えている者達」に与えるのです)だけに依存しています。]

「お父さん、私は無限の視点を放棄して、自分の視点にこだわりたいのです。 自分の見方で物事を見ていたいのです。」
罪悪の酷い牽引力(魅力)とは何でしょう?
あなたは「私は罪になんか惹かれていない」と言うかも知れません。
しかし、あなたは罪に魅入られているのです。
それは全ての人を魅了しています。何故なら「自分が誰か」解らなくなってしまったなら、罪悪の体験が自己向上の適切でノーマルな衝動に見えはじめるからです。
{自分が誰か解らなくなってしまったなら、その時沸き起こる罪悪感ゆえに、あなたはより良い自己を求めて試練を自らに与えるのです。}

罪悪(感)はそこに存在しています。
罪の体験は、あなたの正気が「あなたは自分一人で物事を見ようとしています。あなはた自分には出来ないことをしようとしています。 これをし続けようとするのは止めなさい。 自分に出来ないことを試みながら安楽でいることは出来ませんよ。」と言っている状態なのです。
このように不可能なことをし続けようとすることが、不快感/罪悪感として感じられるのです。
しかしエゴは(独立的な視点を持っている者は)これを感じて、「私は何か意味深いことをしているのだ。何故なら、私は自分が重要な存在であることを知っているから。」と考えるのです。
「私が無意味に存在している訳はない。 だから、私はこの不快感を使って、自分の独立した行動によって自分の価値を示そう。 私の世界と私の兄弟姉妹を自分のために巧妙に使って、自分の価値を証明しよう。」
「そして他者から尊敬と支援を勝ち得る最上の方法は、彼等の利益になることをすることだ。 だから彼等が私を助けることは彼等の利益にもなるのだ。 (「自分達が誰か」解っていない)彼等が、(「自分が誰か」解っていない)私を助けるべきなのだ。」

このようにして罪悪感が、自己向上のモーティベーション(原動力)になったのです。
だから、罪悪感が正しく使用されたなら、自己尊敬の地点まで、他者の尊敬に値する地点まで、それがあなたを導くだろうと考えられているのです。
だからあなたは罪悪感に耽溺しており、それに魅力を感じているのです。

だから、「父よ、私は自分の見方で見てみたいです。」とあなたが言ったゆえに起こっている体験、自分が誰だか分かっていない体験の魅力は、
[The appeal of hell lies only in the terrible attraction of guilt which the ego holds out to those who place their faith in littleness. ]
[地獄の魅力は、罪悪の酷い牽引力(エゴはそれを「卑小さに信心を与えている者達」に与えるのです)だけに依存しています。]
なのです。

[The conviction of littleness lies in EVERY special relationship, for only the deprived could VALUE specialness.]
[全ての特別な関係の中には卑小さの確信があります。 何故なら、特別性を尊ぶことが出来るのは貧しい者だけだからです。]

特別性とは何でしょうか?
あなたは何のためにそれを作ったのでしょう?
他の人達とは異なった存在と成るために、特別性を作ったのでしょうか?
違います。

父とは異なった存在と成るために、そうして(自分自身の外から価値や意味などを借りてこずとも)あなたが自分だけの権利をもった者に成れるように、自己認証者/自治的存在に成れるように(あなたは特別性を作ったのです)。

[The demand for specialness, and the perception of the giving of specialness as an act of love, would make love HATEFUL.]
[特別性を要求すること、そして特別性を与えることを愛ある行為として知覚することは(認めることは)、愛を憎しみにすることです。]

なぜ憎しみなのでしょう? 何故ならそれが(愛と考えられている特別性が)破壊的だからです。
何故それは破壊的なのでしょう?
何故なら、それは「あなたの神聖(あなたの全体性/全体としてのあなた)」をあなたに全く見えなくしてしまうからです。

[The demand for specialness, and the perception of the giving of specialness as an act of love, would make love HATEFUL. And the real purpose of the special relationship, in strict accordance with the ego’s goals, . .]
[特別性を要求すること、そして特別性を与えることを愛ある行為として知覚することは(認めることは)、愛を憎しみにすることです。 特別な関係の目的とは、エゴのゴールに厳格に従って、]

エゴのゴールとはなんでしょうか?
良くなり、より良くなり、より良くなり続けて、糸の切れた操り人形、繋がった関係を何一つ持たずとも自分の意志で歌って踊れる独立的存在に成ることです。
これがエゴのゴールなのです。

そしてあなたが「二つのステップ」をしていなかったなら、状況に反応する前に「父よ、ここの真理は何ですか。」と言うことを覚えていなかったなら、あなたは自身を煉獄に押し込めているのです。 その時あなたは自分を無知の中に保っているのです。


[. . . the real purpose of the special relationship, in strict accordance with the ego’s goals, is to destroy reality and substitute illusion.]
[特別な関係の目的とは、エゴのゴールに厳格に従って、リアリティを破壊してその代わりに幻想を据えることです。]

「エー、自分がそんなことをしようとしているなんて気付かなかった。 そんなことが自分に出来るなんて思ったこともなかった。 とても酷いことをしようとしているようですね。 そんなことをしようとすれば厳しい罰を受けそうですね?」 

いいえ、罰はもう下っているのです。
その罰とは、あなたが自分を無視している時、あなたは「自分が誰か」気付けなくなっていることです。
そして、あなたが「あなたであるもの/真のあなた」に対して無自覚でなくなることを選んだなら、罰は現実のものとしては見えなくなるのです。
その時、罰や苦しみもそこにはありません。 何故なら、あなたは真実を見るから、あなたは真実を知るから。 その時あなたは不可能なことをしようとしたり、自分には成れないものに成ろうとはしないから。

[For the ego is ITSELF an illusion, and only illusions CAN be the witnesses to its "reality."]
[何故なら、エゴそのものが幻想で、幻想だけがエゴの証人になれるのだから。]

先週私は、エゴと精霊は同じ「ひとつのもの」に対する、二つの異なった指標である、と言いました。 そしてその「ひとつのもの」があなたです。
エゴとは、自分が誰か(あなたが誰か)気付いていない「あなた」なのです。
そして精霊とは「あなたが誰か/あなたが何か」気付いている「あなた」なのです。 精霊とは、自分と「神」との切り離すことの出来ない関係を認識しており、父と繋がりたいと思っている「あなた」なのです。 そして父/神が、あなたに生命を与えているもの、永遠にパーフェクトなあなたの生命で在り続けるものなのです。

孤児院の中の人達全員は、「自分が誰か」認識出来ておらず孤児院の規則を作り上げてきたあなた達全員は、実際には孤児ではなく「神の子」なのです。
天国の中で「自分達は孤児院の中にいる」と信じている「神の子」なのです。

彼等は(わたし達は)父とそしてお互いと完全にそして限りなく繋がっており、だから彼等が(エゴ/分離感覚を自分だと思っている人達が)演じている幻想(ファンタジー)はリアルな力は全く持っていません。  何故なら、リアルなものに手を加えることはできないから。 真理を無効にすることは出来ないから。
だから{幻想が起こっている間も}真理は無効にはなっていません。 しかしあなた達は真理を無効にした、そして自分達の信念(信じていること)が真理そのものなのだと信じているのです。
でも悪いニュースはこれからです。

[If you perceived the special relationship as a triumph over God, would you WANT it? ]
[もし、特別な関係を「神」に対する勝利として認めたなら、あなたはそれを求めるでしょうか?]

酷すぎますね?
つまり、これは兄弟を打ち負かすことが目的ではなく、兄弟をより良くしてそれにより彼が利益を得ていると説得することが目的でもないのです。
これは各国(や各グループ)が仲良くなることが目的なのではないのです。
特別な関係の目的は、「神」に対する勝利なのです。

[If you perceived the special relationship as a triumph over God, would you WANT it?]
[もし、特別な関係を「神」に対する勝利として認めたなら、あなたはそれを求めるでしょうか?]

確かにあなたは、このようには考えてこなかったことでしょう。
これを(あなたが神を打ち負かそうとしたのだと)信じることは難しいかもしれません。
そしてその場合、孤児のマインド(現在のマインド)からシフトすることが可能だと考えることも難しいかもしれません。
それが(このシフトを行うことが)本当に価値あることだと信じることも難しいかもしれません。 {しかし、そうなのです。}

[If you perceived the special relationship as a triumph over God, would you WANT it? Let us not think of its fearful nature, nor of the guilt it must entail, nor of the sadness and the loneliness.]
[もし、特別な関係を「神」に対する勝利として認めたなら、あなたはそれを求めるでしょうか?  しかし、その怖ろしい様子や、これが内包している罪や悲しみや孤独について考えるのは止めましょう。]

これらの細々したことに関して考えるのは止めましょう。
(あなたが神に打ち勝とうとしている)怖ろしい様子、そこに示唆されている罪/悲しみ/孤独、などを考慮する必要はないのです。
しかし、エゴはこれらの仔細(ディテール)を考えたがるものです。 何故でしょう?
エゴは「罪/悲しみ/孤独を排除して状況を向上させ、それらを体験し続けなくても良いようにし、そうする課程で自分がより良くなった」とデモンストレート(提示)したいのです。
実在していないものを(そこから自分の自由を得ることが出来ると考えて)修正しようとし続けるのはもう止めましょう。 

二つのステップを行い、聖なる瞬間を迎えて、特別な関係を放棄することによって、これを止めましょう。
その際には、細かいディテール[細かいストーリーや説明]に囚われてしまわないことが、重要なのです。

[Let us not think of its fearful nature, nor of the guilt it must entail, nor of the sadness and the loneliness. For these are only attributes of the whole religion of the separation, . .]
[しかし、その怖ろしい様子や、それが内包している罪や悲しみや孤独について考えるのは止めましょう。 何故なら、これらは分離に基づいた全宗教(信念)の属性...でしかないから。]

つまりこれらは、より大きく単純なもの(より根源的な問題)から生じている細かい症状で、これらに取り合う必要は無いのです。

あなたがするべきことは一つだけです。
それは聖なる瞬間を持つことなのです。
あなたの行動(反応)の途中で踏み止まって、「父よ」と言うのです、するとたちまち孤独が破れます。
「父よ、ここの真理は何ですか? あなたの視点(つまり真理)を体験するには私は何を知るべきですか?」と言うのです。


[. . . are only attributes of the whole religion of the separation, and of the total context in which it is . . . . . . thought to occur. ]
これらは分離に基づいた全宗教(信念)の属性、そして起こったと思われているストーリーでしかないから。]

え! 「起こった思われている」?
つまり実際に起こったのではなく、起こったように思われているだけなのです。
[起こったと思われているストーリー(筋書き)でしかないから。]
それら(あなたが神に挑戦したこと、その他)が起こっているように思われただけなのです。
だから、その道を進むのは、そのストーリーを辿っていくのは止めなさい。
そこには沢山の落とし穴と細かい筋書きがあるでしょう。
そこにはエゴが一生懸命修復し続けてしまう細かい問題が現れているでしょう。
そしてそれらの問題に対処している間、あなたに関する真理があなたから隠され続け、あなたの兄弟に関する真理があなたの兄弟から隠され続けてしまうのです。

さて次が最悪の真理です。
[The central theme in its litany to sacrifice is that God must die so YOU can live. ]
[繰りされ続けているこの劇(呪文)の主目的は「あなたが生きるためには神が死ななければならない」です。]

あなたはこれを読んで「なんて馬鹿げたアイディアだ!」と笑うことも出来るでしょう。
「神が実在していると信じている者は、神が死ねないことを知っているではないか。 神の子は死ねるかも知れないが、神が死ぬはずがない。」
だから[繰りされ続けているこの劇(呪文)の主目的は「あなたが生きるためには神が死ななければならない」です。]という部分を読んだ時、あなたは笑ってこれを読み流すでしょう。
「自分はこれには当てはまらない」と考えて。

しかし、そう決め付けてしまう前に次のことを考えてみてください。
このこと(神の死を願ったこと)に対する懲罰は存在していないのです。
ただ、無知が明晰なマインドで置き換わるまで、あなたが無知を被り続けるだけなのです。

あなたが自分のことをモータル(必滅者)だと考えている限り、自分は精子と卵子から出来た卑小な物体(あるいはプロトプラズムの塊)だと考えている限り、そのような前提の元に自分の人生を生きている限り、あなたは「神」が存在しているとは想像してさえいないのです。
そのような状態では、あなたは「神」に注意を与える必要さえなく、自分の力で自分を向上させることにより多くの意識的を与えており、あなたは自分に神が見えなくさせており、あなたのマインドから神を追い出しており、このようにして「神」を殺しているのです。

あなた達は毎週私の話を聞いています。
そして、ポールが全てを私に反応させることに、つまり私と常時繋がり続けることに苦労しているのを見ています。
私はあなた達に、精霊(あなたの正気/正しいマインドでしかないもの)かガイドと繋がりそれに聞き入り、その視点(それがあなたの真の視点なのです)を受け入れることを進め続けて来ました。
これをしなさい、これをしなさい、これをしなさい。 と言って来ました。

しかし、これをしない理由をあなたは持っている(知っている)のです。
常にこれをし続ける事に対する反論/反感をあなたは持っているのです。
それはポールも同様です。
だから次の文章は、あなたが考えるほど奇妙ではなく唐突でもないのです。

[The central theme in its litany to sacrifice is that God must die so YOU can live. ]
[繰りされ続けているこの劇(呪文)の主目的は「あなたが生きるためには神が死ななければならない」です。]

つまり「神」を除外して、常に「神」を聞き続けなくても良いようにしようとしたのです。
この認識が明瞭さをもたらすでしょう。 この理解が物事をシンプルにするでしょう。
あなた自身が(それ自体で存在している)中心人物になることによって「神」を殺そうとしているなら、あなたはそれを行ないながら安楽でいることは出来ません。
それは「神」の罰が下るからではなく、「神」が嫉妬深かったり怒っていたりするからでもなく、「神」がそれ自身で在ることを止める訳にはいかないからです。
そしてあなたも、「真のあなた」で在ることを止める訳にはいかないのです。

だからあなたが真理に抵抗し歯向かっている時でも、あなたに罰を与えるものは存在していません。
しかしあなたは、自分には出来ないことを試みていることから来る疲労とストレスを体験するでしょう。 それだけです。

でも(以前も言ったとおり)このストレスは、この痛みは、この怖れは、あなたが克服しようとしている事(それを克服することは決して出来ないのですが)と同じだけ大きく膨らんで行くのです。
ジブラルタルの石(絶対動かないもの)を押せば押すほど、あなたの手足や筋肉は痛みを訴えることでしょう。
それはジブラルタルの石があなたを罰しているからではなく、あなたが自分には出来得ないことをしようとし続けているからです。
これをあなたは出来る限り精一杯に行なっているのです。
そして(「神」を否定する)この行為にあなたが与えている全決意/全努力が、痛み(不快感)として体験されており、それは「あなたがしようとしている事は不可能だ」と知らせているのです。


[The central theme in its litany to sacrifice is that God must die so YOU can live. And it is this theme which is acted out in the special relationship. ]
[繰りされ続けているこの劇(呪文)の主目的は「あなたが生きるためには神が死ななければならない」です。 そしてこの主目的(主題)が特別な関係の中で繰り返され続けて居るのです。]


全ての特別な関係の中でこれが行なわれているのです。
あなたとあなたの猫の関係、あなたとあなたの友達、あなたとあなたのビーズの関係、あなたとあなたの車の関係、あなたとあなたの周りの全ての関係。
あなたが自分のマインド内に色(偏向/偏見)を導入したなら、あなたの全ての関係はその色によって歪められてしまうのです。

[Through the death of YOUR self, you think you can attack another self, . .]
[自己の死を通して、他の自己を攻撃することが出来るとあなたは考えています。]

あなたはカメレオンのように振舞っているのです。 青と緑の色のカメレオンが死んで、青と赤とオレンジの色のカメレオンが出現するのです。そのためにあなたは青と緑の色のカメレオンを殺したのです。

[Through the death of YOUR self, you think you can attack another self, and snatch it from the other to replace the self which you despise. ]
[自己の死を通して、他者の自己を攻撃することが出来るとあなたは考えています。 このようにして他者から自己を奪い取り、それを「あなたが嫌っている自己」と取り替えるのです。]

あなたは、他者があなたに関して描いている(とあなたが考えている)絵を取るか、あるいは、他者が実際にあなたに関して描いている絵を取って、それを自分勝手な(独りよがりな)目的で使おうとするのです。


[Through the death of YOUR self, you think you can attack another self, and snatch it from the other to replace the self which you despise. And you despise it because you do not think it offers the specialness which you demand.]
[自己の死を通して、他者の自己を攻撃することが出来るとあなたは考えています。  このようにして他者から自己を奪い取り、それを「あなたが嫌っている自己」と取り替えるのです。 あなたがこの(現在の)自己を嫌っているのは「それが自分の要求している特別性を提供していない」とあなたが考えて居るからです。]

もちろん、現在のあなたの自己は、あなたの求めている特別性を提供していません。
だからあなたは、より特別なもの、より特別なこと、より「神」から離れたもの、を求めて働き続けているのです。
もし自分自身に満足していたなら、あなたは自己を向上させようとはしなかったことでしょう。

そして(「神」の法がなされている)聖なる瞬間の中にあなた自身が入ることを許したなら、そして「存在(存在すること)」の完璧なハーモニー(調和)を体験したなら、その時あなたは自分の中に全く衝動が存在していないことを見るでしょう。 自身を向上させる必要をあなたは感じないことでしょう。

何故なら、その時あなたは「父」と共に「創造」の全てを観察する素晴らしいポジションに居るのだから。 これがあなたの持って生まれた権利(生得権)なのです。
この「創造」の中では、何も向上させる必要はなく、その中の全てのものが常に新しく成っているのです。


[And you despise it because you do not think it offers the specialness which you demand. And HATING it, you have made it little and unworthy because you are AFRAID of it. ]
[あなたがこの(現在の)自己を嫌っているのは「それが自分の要求している特別性を提供していない」とあなたが考えて居るからです。 それを嫌っているので、あななたはそれを卑小に無価値にしたのです。 何故なら、あなたはそれ(現在の自己)を怖れているのだから。]

あなたが嫌っているものは「現在あなたが体験している自己」です。
別に二つの自己が実在しているわけではありません。
ここでは、あなたを示す二つのやり方がある、二つの異なった方法で自己を示すことが出来る、と言っているのです。
ひとつの自己の見方(自己認識の方法)は「自分が誰か」知らないもので、
もうひとつは「自分が誰か」(自分が神の子だと)知っているものです。
そして勿論あなたは神の子なのです。

しかし、自分が神の子であると知らなければ、「神の子としての自分」をあなたは認識出来なくなってしまい、その時怖れと罪悪感に襲われてあなたは自己を改善しよう向上させようとあくせくし始めるのです(何故なら自分は十分良くなっていないから、と考えて)。
何が十分良くなっていないのでしょう? 今現在「神の子」であるキリストとしてのあなた、キリスト・メアリー、キリスト・ジョンでは不十分だと考えてしまうのです。

例えばあなたが映画を見に行って、夢中になってスクリーンを見ていたら、酷いシーンが映し出されたとしましょう。 誰かの頭が吹き飛ばされるというような、 あなたが自分のマインドの中に入れておく必要を感じないようなシーンです。 でも夢中になって映画を見ていたので、眼をそらすことが出来ませんでした。 そのイメージはマインド内にとても長く留まってしまうかもしれません。
{私の話を聞いて、あなたはそのように感じているのではないでしょうか?}
わたし達はそれぐらい酷いこと、受け入れるのが難しいことを話しています。

だから、あなたは「こんなことは知りたくもなかった」と言うかもしれません。
「あなたがこれを私に不意打ちに示したのはフェアーじゃない。」

しかしわたし達がいまここで話していることをあなたはマインドの中に入れておくべきなのです。 これをマインドの中に消さずに保つことが必要なのです。
そうすれば、あなたは「新しいこと」を試す勇気と勢いを得るでしょう。 その「新しいこと」とはあなたの在り方を変えること、つまり特別な関係を放棄することです。
何故なら、これによって今あなたは「自分が今まで楽しんで来た状態」のネガティブ(否定的)な側面がどれだけ広域で強力な影響を持っているか知ったのだから。 
この状態は、人生を困難でチャレンジングでエキサイティングにしたでしょう。
しかしあなたはより多くを受け取るべきなのです。
これ(困難で限定された人生)以外を体験するのがあなたの生得権なのです。
だから、あなたは今回の話しを聞いて理解するべきなのです。

これの話を聞いてくれて、ありがとう。
この本を読んだ時、あなたはこれのページは読み飛ばしたかもしれませんね。
そして私はあなた達全員を愛しています。
そして辛抱強く私の話を聞いてくれてありがとう。
これらの理解が、今「神の子」に成るあなたの能力の発見を助けるでしょう。
来週お会いできるのを楽しみにしています。


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A Course in Miracles Study Group with Raj, October 16th 2010
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