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ACIM11-01-08

January 8th, 2011 ©NWFFACIM 2011年 1月 8日

原文テキスト
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=30537&mid=146693#M146693
オーディオ&ビデオ
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=30527&mid=146642#M146642

参照ページ
1John 8:32  ヨハネの福音書
A Course In Miracles (reference pages)
Chapter 16 – Section – THE BRIDGE TO THE REAL WORLD
2 Sparkly Book–p.395, Last Par. / JCIM– p.166, ,3rd Full Par.5th line / CIMS – p. 333, Par.66
First Edition – p. 322, 4th par. / Second Edition – p. 346, Par. 9.



こんばんは、ようこそ。

わたし達は今コースの中のとても興味深いところを読んでいます。
ここでは前進の中に後退が含まれているように見えます。
祝福の中に呪いが含まれているように見えます。

「あなたは真理を知るでしょう。 そして真理があなたを解放するでしょう。」1 というフレーズをご存知でしょう。
しかしこの真理が「あなたが手放したがっていないもの」からあなたを解放してしまうものだった場合は如何でしょうか?
これは諸刃の刀のようなもので、これは良く感じられると同時に悪く感じられるものでもあるのです。 これは祝福のようにも呪いのようにも感じられるのです。

わたし達は特別な関係に関して話して来ました。
あなたは何と一番強く特別な関係を持っているのでしょうか?
それはあなたの思考です。 あなたはあなたの思考と特別な関係を築いているのです。
それはあなたに権限を与え、あなたを素晴らしい信頼の置ける価値ある人にしている思考です。
あなただけが持っている思考、他の人は誰も持っていない思考、もしかしたら世界を変える思考です。
しかし、あなたがそれらの思考を自分一人だけで考えていたなら、あなたが自己防御的に成っているアリーナ(劇場)内でそれらの考えを懐いていたなら(それらの思考はあなたに特別な関係をもたらしていたのです)。

何故なら、あなたが自分自身をあなたの源から分離した途端、あなたは怖れと罪悪を感じ出したのだから。
するとリアリティ(天国)の中にいるあなたはすぐに、あたかもそこ(リアリティ/天国)が自分を守らなければいけない場所であるかのように感じ始めたのです。
あなたは、あなたかも自分が孤児であるかのように生き始めたのです。 
自分が生得権をもっていない(父から受け取っているものを持っていない)者であるかのように振舞い始めたのです。

こうしてあなたは、あなたの欠乏に対する防御として、あなたの無能に対する防御として、全てを行なうようになったのです。
するとあなたの思考は真理やリアリティと繋がっている場所からは来なくなったのです。
そして(現在の)あなたの思考は、愛の表現ではなく、自己防御を無理矢理成り立たせようとしている試みなのです。

そのようなことをしても(自分が誰か知らず自分が何処に居るのか知らない状態では)意味のあるアイディアを持つことは不可能です。
だからあなたは間違った前提の上に自分の人生を生きているのです。

だから一日の中で何が起ころうとも、あなたの一番最初の反応は「私にはこの意味がわからないから、すぐに聞いてみよう!」であるべきなのです。
自分の最上の判断に聞くのではなく、自分の最高のクリエーティブなアイディアを聞くのではなく、精霊が「ここで何が行なわれているのか、これやあれの意味が何なのか」シンプルに示す聖なる真理を聞いてみよう(とするべきなのです)。
あなた自身が答えを知っていると思っているなら、既にあなたの頭の中に答えが存在していると考えているなら、あなたは自分の思考と特別な関係と築いているのです。
その時あなたは聖なる瞬間を持ってはいません。 だからその時あなたは神の法が全てを統治している場所には居ないのです。

だから、あなたの反応や思考やアイディアがどれだけ素晴らしかったとしても、それは基本的に自己防御の行動でしかないのです。 
それは愛ではありません。 それは気遣い(思いやり)ではありません。 それはあなたと同胞とのコミュニオン(霊的交歓)ではありません。 それは他者との外部的対抗的関わり合いなのです。

もし自分は既に答えを知っているとあなたが考えているなら、あなたは答えを知ってはいないのです(あなたは精霊から答えを得てはいないのです)。 これを理解することが重要です。
しかし、もしあなたが二つのステップを行なったなら、もしあなたが静寂の中に入っていったなら、答えがどうあるべきか想定することをあなたがやめたなら、(自分の幻想的体験に基づいた)自分の最上の判断を尊ぶことをあなたが止めたなら、あなたは自分が穏やかな場所に移動していることを見るでしょう。 
思考で満たされては居ない静寂の中には、あなたのものではないと感じられる安定(しかしそれはあなたのものなのです)に満ちているのです。

この場所であなたは「あなたが既に知るべきことを知っている」と発見するのです。 そしてあなたはそれを(あなたがそこで発見した英知を)この場所から表現するのです。
その時あなたは、それをエゴ的スリル的刺激的自己表現としては行なわないのです。
あなたは自分の思考との特別な関係(あなたの思考を含んでいる特別な関係)を放棄するのです。 
あなたは「知らない場所」(自分の中の尊ぶべき場所)の中に自分を持って行くのです

それはとても静かな場所、あなたの真ん中にある聖壇なのです。
そこでリアルな意識体験が、真理が、父の意志が、あなたにもたらされるのです。
殆どの場合そこであなたが体験することは、あなたが自分のために考えていたとき頭の中にひらめいていたこととは関係がないのです。 自分が知るべきだとあなたが考えていたこととは関係がないのです。

これはとても重要な点です。 何故なら(これに気付かずにいて)実りのない横道にそれてしまう必要はないのだから。
あなたの思考への耽溺により、必要のない成果を求めて奔走してしまうことは不必要だから。
そのようなことをしてもあなたは目覚められないのだから。 そのようなことをしていたらあなたは目覚めを遅らせてしまうのだから。

ポールは今日とても難しい時を自分に与えていました。
今日はしなくてはならない事が沢山ありました。 今夜のミーティングが始まる寸前まで沢山しなければならない事が在ったのです。
自分のマインドを正しい所に置く準備をする時間がなかったのです。 邪魔が入らないよう物事をコントロールすることがポールには出来ませんでした。
もし彼のしたいように出来たなら、彼はこの一日をコントロールし「こう在らねばならない」と彼が知っている(しかしそれは間違った知り方なのです)ようにもっていこうとしたことでしょう。

今晩私を聞くために必要なマインド状態に自分を置く為に必要な状況を整えようと彼は格闘していたのです。
もし彼にコントロール出来たなら、邪魔だと考えていた物事を彼は変更したことでしょう。
彼は確かにそうしようとしたのです。

ポールは午後の殆どを使って「どのようにして予定変更するべきか」私に訊ねていました。
ある程度の平和と平静を得るために(そしてそれを夜まで持ち越せるよう)、どうしたら他者の期待/要求を変えることが出来るか、ポールは私に訊ね続けていました。

しかし私は彼に答えることは出来ませんでした。
彼が本当に黙って思考を止めたなら、彼は私が「あなたは今夜の準備をしようとしています。 しかし本当に今夜の準備をする為には、全く準備しようとしないことが必要なのです。」と言うのを聞いたことでしょう。
「あなたが今晩の準備をする唯一の方法は、あなた自身に対して全く期待(予定)していない場所に入ることなのです。」
他者がどのような期待をあなたにしていたとしても、それはあなたには関係ないことです。
あなたに知る必要があるのは、「あなたの存在の平和の中で、あなたは全く適切に存在している。」ということだけです。
あなたの存在の平和の中で、あなたはどのような期待に答えようともしておらず、だからこそ意味深いことが湧き出てくるのです。
しかしポールはこの午後はそのような体験をしていませんでした。 彼はそのようには振舞っていなかったのです。

もし彼が自分のやり方で、そのような体験を持つことが出来たとしたならば、人に責任を取ることが出来得ないことに対して、彼は責任(功績)を取ったことになったでしょう。
(もしそのようなことが可能なら)彼は真理を現していない体験に対する責任を取ったこと(業績を上げたこと)になるのです。  
{もしそのようなことが可能であった場合、彼は真理を現していない体験を実現したことになるのです。 勿論それは不可能なのですが。}

これを理解するのはあなた達にとって難しいことでしょう。
二つのステップを行い、聖なる瞬間の中に入ることは、「より上手くコントロールすること」とは全く関係がないのです。
物事をコントロールする必要があるとあなた達が考え出した唯一の理由は、カオス(混沌)がリアルで、自分達の思考に基づいてカオスを正すことが出来るとあなた達が考えているからです。 そしてあなたは状況をより良くしようと勇気と力を発揮し始めるのです。
しかしあなたが体験しているカオス(知覚の歪み)を修正するには、静寂の中に入ってリラックスし、コントロールしようとすることを放棄することが本当は必要なのです。
そして自分では責任を全く取りようのないこと(自分の功績として認められないこと)をするべきなのです。

真理を聞きなさい。 真理を自分の中に取り入れ、真理があなたの中を満たすようにしなさい。
その真理があなたに方向を示すでしょう。 その真理が、するべき表現/行動をあなたに与えるでしょう。 意味深い行動、知性に満ちた行動、調和に溢れた行動、平和を作る行動にあなたを導くでしょう。
しかし人々はそれを求めていないのです。 何故ならあなた達はあまりにも権威とコントロールを求めているから。 そしてあなた達が権威とコントロールを尊んでいるのは、それらがあなたの尊厳(自己評価)と別ち難く結び付けられているからです。

「汝は真理を知り、真理が汝を解放するであろう。」  
しかしあなたはそれらのもの(あなたを縛りつけているもの)を手放そうとはしていないのです。
あなたはこのことを知って、あなたのとても素敵な思考との特別な関係を尊び続けることから抜け出られるように成るべきなのです。


本を読みましょう。
[Nothing you seek to strengthen in the special relationship is REALLY part of you.2]
[特別な関係の中であなたが強化しようとしているものは、本当はどれもあなたの一部ではありません。]

あなたのアイディアを強化しようとしている時、あなたの思考を行動に移してあなたの世界の中で良きことを起こして、あなたの思考を強化しようとしている時、あなたはあなたの一部ではないものを強化しようとしています。
存在の性質に対する誤解から始まっている思考が、あなたの思考を誤ったものにしており、その思考から来る行動を破壊的にしているのです。


[Nothing you seek to strengthen in the special relationship is REALLY part of you. And you cannot keep part of the thought system which taught you it was real, and understand the Thought that REALLY knows what you are.]
[特別な関係の中であなたが強化しようとしているものは、本当はどれもあなたの一部ではありません。 それがリアルであるとあなたに教えた思考システムの一部を自分の中に残したまま、「あなたが何か」本当に知っている思考を理解することは出来ません。]

つまり、あなたは(「素晴らしいあなた」に関して多くのことを言っている)あなたの最上の概念の数々を保ち続けることは出来ないのです。 
それらの概念を保ち続けたまま[「あなたが何か」本当に知っている思考を]体験することは不可能なのです。
あなたは本当は神の聖なる子供なのです。 神の視点を聞きそれに手を伸ばすことによって神の証人に成るためにあなたはここにいるのです。
何故なら神の息子/娘である、神の子孫である我々の中には神の視点が体現されており、このようにして(神の視点を聞き、神の視点を手に取ることにより)我々は自分達の中に体現されているものを発見するのだから。
あなたはそれを(あなたの中に体現されているものを)あなたの父から求めることにより、その源から求める事により、それを得るのです。


[You HAVE allowed the Thought of your reality to enter your minds, and because you invited it, it WILL abide with you.]
[あなたは、あなたのリアリティの思考があなたのマインドの中に入ってくることを許可しました。 あなたがそれを(あなたのリアリティの思考を)招き入れたので、それはあなたと一緒に留まります。]

[あなたは、あなたのリアリティの思考があなたのマインドの中に入ってくることを許可しました。]
聖なる瞬間に対してあなたが好奇心を発揮して、それを実践しあなたが神と繋がるように(私が)あなたを引っ掛けたのだと言うことも可能です。
何故なら、「これが自分だとあなたが考えているもの」を放棄しなければいけないとあなたに前もって知らせたなら、「あなた自身として描いている絵」を犠牲にしなければいけない、その(あなた自身に関する)間違った絵に基づいたあなたの振る舞いを放棄しなければいけないと前もって知らせたなら、それらを放棄することによって「本当のあなたが誰か」学べるようになるのだから、本当のあなたはあなたの考えて来た自分とは全く違うものなのだから、と言ったなら、
あなたは「いいえ、結構です。そのような聖なる瞬間には関わり合いたくないです。」と言ってしまったことでしょう。

これは(余り良いイメージではありませんが)タバコや薬に中毒することと似ています。
この体験(聖なる瞬間の体験)をしたなら、あなたはそれを手放そうとはしなくなるのです。
あなたが聖なる瞬間を体験した途端、父を直接体験した途端、父の視点があなたの中に流れ込んで来ます。 あなたはそれを決して忘れないでしょう。 するとあなたがそれを完全に忘れてしまうことは(手放してしまうことは)二度とないでしょう。
あなたはそれを無視しようとするかもしれません。しかしそれを手放すことは不可能です。 それはあなたと共に在り続け、あなたの中で育ち続けるのです。

そしてあなたがそれ(聖なる瞬間/精霊)に注意を払い続けなかったとしても、遅かれ早かれそれはあなたが「人間的状況」では満足できないようにします。
あなたが怖れと罪悪の中から作り見ている「人間的状況」では満足出来なくなるのです。
それはあなたが「父よ、私は(自分の見方ではなく)あなたの見方で見たいです。 父よ、私は(私の定義ではなく)物事の真実を言いたいです。」と言った時に始まっていたのです。

このようにして、これがあなたを(後戻り出来ない)目覚めへの道に導いたのです。
これはあなたを後戻り不可能な目覚めの道に据えるのです。
ますますあなたは「人間的状況」(物事が現在見えている様子、誕生で始まり罪や病を体験し最後は死で終わる状態)ではもう満足出来なくなるのです。
今まであなたが行なってきた他者との関わり合い方では満足出来なくなるのです。

そしてもしあなたが聖なる瞬間(二つのステップ)の実践をしていなかったなら、 あなたにはわからない理由で全てが苦い体験に成っていくので、世界があなたに反対しているように見えることでしょう。 
その理由はあなたが真理を味わったからなのです。 あなたが父の視点を垣間見たからなのです。
そして何らかの形で啓示が起こったのです。 インスピレーション(霊の流入)が起こったのです。 それはもうあなたを一人にはしないのです。

さてこの午後ポールは傲慢になってしまい、次の様に言っていました。
「もし誰も私の言うことを聞いてくれなくて、自分が居る必要のある場所(ラジを聞くために行く必要のある場所)に行くために必要な条件を(人々が)与えてくれないなら、私は憂鬱になってしまう。 私はハッピーではなくなってしまう。」
こうして彼は段々眠たくなってしまい、今晩のミーティングをキャンセルしたく感じ始めました。 今週にしなければならなかった物事が大変だったので疲れてしまいミーティングは出来ないのではないかとポールは感じ始めました。

このことに関して私はあらかじめポールにはまだ話していません。
彼の気持ちを盛り上げようとして(そして彼がその高揚をあなた達にも分け与えられるように)これらの話をしている訳でもないのです。 
彼は今直接学んでいるのです。 しかしこれはどういうことなのでしょうか?

つまり今日の午後のどこかの時点で彼はこのストレスに耐えられなくなったのです。
{人々が彼を尊重してくれていないことに憤慨しながらそれに耐え続けることが出来なくなったのです。}
だから彼はやっと座って瞑想したのです。
彼は座って全ての思考を捨てたのです。
彼がとても愛していた思考、この午後中に彼をとても正しく感じさせていた思考を捨てたのです。
(それらを最終的に捨てるまで)彼がそれらの思考をしていた故に、彼はますますより限定されていったのです、より不能に成っていったのです。 愛の現れになることをしたくないと感じるように成っていったのです。 (しかし、最終的にはそれには耐えられなく成り、それらの思考をポールは捨てたのです。)

そして(彼の好き嫌いに係わらず、そうする事が答えをもたらすと彼は必ずしも考えて居なかったけれど)彼はあえて静かになったのです。
その時彼は「二つのステップ」の第一ステップを行なったのです。
(しかし第一ステップを行なう前に彼は)「これはフェアー(公平)ではない。 こんなことをしなければ成らないなんて。 今晩ア・コース・イン・ミラクルのスタディー・グループをするために私が必要としているものを皆が尊重してくれるべきなのだ。」と言っていましたが、これは全て噓なのです。 
何故なら、彼が私を聞くために必要としていたのは、彼自身の偉大な悲観的な思考との「特別な関係」を放棄することだけだったのだから。 「何か問題があり、そのために人々が変わる必要がある」と決めていた彼の偉大な(尊大な)思考が「特別な関係」を作っていたのです。
そしてあなた達全員が、自分の思考を尊んでしまっており、それらに身を捧げてしまっています。 しかしあなたが自身を捧げている思考群があなたのスピリット(霊)を弱くしているのです。 あなたの思考が、あなたの希望を小さくしており、あなたの疑いに合意しており、あなたの怖れをより酷くし、何かが怖ろしく間違っておりあなたはそれをコントロールする必要があると明確に知らせようとしているのです。

あなた達は常に何らかの意味で(自分のスピリット)を放棄してしまっており、あなた自身が確信している悪い知らせのプロセスを愛してしまっています。 しかしその確信は(あなたがその身を捧げている)思考に対する確信でしかないのです。
これがコースの中の興味深い所なのです。 私は本の中の特定の箇所について言っているのではなく、コースがあなたを動かしている場所、コースがあなたを育てている場所、コースがあなたを癒やして新しい人にしている場所のことを言っているのです。

もう一度読みましょう。

[You HAVE allowed the Thought of your reality to enter your minds, and because you invited it, it WILL abide with you.]
[あなたは、あなたのリアリティの思考があなたのマインドの中に入ってくることを許可しました。 あなたがそれを(あなたのリアリティの思考を)招き入れたので、それはあなたと一緒に留まります。]

それは本当にあなたと共に留まるのです。 それは二度とあなたを一人にはしないのです。
その現れがあなたの意志に浸透したのです。(だから)自分のアイディアがまるで真実であるかのように考えて(自分のアイディアを愛しそれに身を捧げて)日々を生きることにあなたが固執したなら、あなたの日常は居心地悪いものになるでしょう。
つまりあなたが自分のアイディアとの間に築いている「特別な関係」を強めようとしたなら、(あなたの中に浸透したリアリティの思考が、あなたの日常を居心地悪いものにするでしょう)。

[Your love for it . . .You Have Allowed the Thought of your reality . . . will not allow you to betray yourself, and you could not enter into a relationship where it could not go with you, for you would not BE apart from it.]
[それ(あなたが許可した、あなたのリアリティの思考)に対するあなたの愛は、あなたが自分を裏切ることを許しません。 そして「それがあなたと一緒に入って行くことの出来ない関係」の中にあなたが入る事も出来ません。 何故なら、あなたはそれ(あなたのリアリティの思考)とは離れないのだから。] (...で囲まれている文はラジが挿入したものです。)

あなたは自分を騙して「それ(あなたのリアリティの思考)から再度分離したい、それをもう少し無視したい、それを引き離したい」と考えることが出来るでしょう。

しかし次の言葉を聞きなさい。
[それに対するあなたの愛は、あなたが自分を裏切ることを許しません。] 
それを完全に放棄してあなたが自分を裏切ることを許しません。
[そして「それがあなたと一緒に入って行くことの出来ない関係」の中にあなたが入る事も出来ません。 何故なら、あなたはそれ(あなたのリアリティの思考)とは離れないのだから。] 

あなたはすでに一番最初のタバコを一服しているのです。 
{あなたは既に(リアリティに対する思考ではなく)リアリティの思考を許可しているのです。}

このタバコの比喩を好む人は誰も居ないでしょうが、私がこの比喩をあえて使うのは(ここで言われていることを)より体感的に解り易くするためです。
あなたはこの比喩を理解することが出来ます。 あなた達は全員何かに中毒する体験をしたことがあるはずです。

そして真理の体験を自分の中に入れた時、あなたは(中毒性のあることを初めてした時と)似たように感じるでしょう。 それはあなたのもとから立ち去りません。 それはあなたをそこに置き去りにはせず、あなたを先に進ませるのです。
そして結果的にそれは「あなたが保ち続けようと欲していたもの」を放棄させるのです。
つまり真理は、...あなたは真理を知り(その体験を得て)真理があなたを自由にするでしょう(あなたが自由に成りたいと考えていなかったとしても)、ということなのです。


だから、
[Be glad you have escaped the mockery of salvation which the ego offered you, . .]
[エゴがあなたに与えた救済の茶番から逃れたことに感謝しなさい。]

つまり、あなたの全ての特別な関係、あなた自身の大いなるアイディアから逃れたことに感謝しなさい。


[. . . and look not back with longing on the travesty it made of your relationships. Now no one need suffer, for you have come too far to yield to the illusion of the beauty and holiness of guilt.]
[それ(エゴ)があなたの関係に対して行なっている嘲りを愛おしむのは止めなさい。 苦しむ必要のある人は誰も居ないのです。 罪悪の神聖や美の幻想に譲ってしまうには、あなたはすでに進み過ぎています。]

全ての人が罪悪を使って、自己を前よりもより良くして、自分が作ったより良い自己を敬うようにして来ました。
しかしあなたはもうそれを上手く続けることは出来ないのです。 そうしようと試みたなら、あなたは事態がより難しく成ってしまうことを見るでしょう。
これが癒やしの驚異なのです。 それが癒やすのです。
真理の啓示が、真理の体験が癒やすのです!  それがあなたを変えるのです!

そしてもしあなたが自分の特別な関係{自分の思考}に耽溺していなかったなら、あなたはそれを(真理の啓示を)心から躊躇なく抱擁するのです。
あなたの中の真理が育って、「もうあなたの役に立たないもの」を手放せる場所にあなたは動かされて行ったのです。 これはこのように働くのです。


[Only the wholly insane could look on death and suffering, sickness and despair, and see it thus. ]
[完全な狂気だけが死、苦しみ、病、絶望をそのように見るのです。]
完全な狂気だけが、死/苦しみ/病/絶望を美や神聖として見るのです。


[What guilt has wrought is ugly, fearful and very dangerous. See no illusion of truth and beauty there. And be you thankful that there IS a place where truth and beauty wait for you. ]
[罪悪が作り上げたものは醜く、怖ろしく、とても危険です。 そこに真理と美の幻想を見ることは止めなさい。 そして真理と美があなたを待っている場所があることに感謝しなさい。]

さて今日ポールは自身の思考との特別な関係を使って、状況/状態をより良くしようとしていました。
しかし良いですか。 それは余り上手くいかなかったのです。 それは事態を悪化させただけでした。

真理があなたの中で育って行くに従い、不健康な志向を持とうとするあなたの能力は(今まではそれが心地良いことに思えていたのですが)より縮小されて行き、不健康な志向を持つことは心地悪く感じられるようになり、あなたは不健康な志向を持とうとしなくなるのです。
そしてあなたは今までしがみ付いて来たものを手放し始めるのです。
これが起こるのです。

「初めから本当は上手く働いてこなかったことが、今そうハッキリと示されたので、自分は憂鬱/絶望を体験しているのだ」とあなたは理解するべきなのです。
これを理解することによりあなたは、上手く働いていないものを容易に手放せるようになるのです。 わかりますか? これは癒やしの一部分なのです。

そしてあなたは先週私が言ったことをする必要があるのです。
あなたは聖なる瞬間を実践して、あなたの失敗として見えている状況に直面してシッカリと立ち続け、その偽り(あなたの失敗)が消え去るまで継続し続けるべきなのです(精霊/父/イエスに真理を訊ね続けるべきなのです)。

今日ポールがしたことをあなたもする必要があるのです。 瞑想やその他の何らかの方法によって「思考しないこと」をあえて継続し続けるのです。  あなたの混乱/動転の元である思考が起こっていない所で、あなたの内側の神聖が、あなたの中にある英知が、あなたに届くのです。


[See no illusion of truth and beauty there .]
[そこに真理と美の幻想を見ることは止めなさい。]
罪悪の中に真理と美の幻想を見続けることは止めなさい。


[And be you thankful that there IS a place where truth and beauty wait for you. ]
[そして真理と美があなたを待っている場所があることに感謝しなさい。]

あなたが全てに対する自分の悲観的な予測を信じ込んでしまっている時、あなたは[真理と美があなたを待っている場所があること]を否定している場所におり、それを認識しようとはしないのです。
だからあなたは憂鬱になっているのです。 だからあなたは自分の意志の力を状況に押し付けようとしてしまうのです。 何故なら、真理と美があなたを待っていないと考えてしまい、それらを自分で作らなければならないとあなたは考えてしまっているのだから。

しかし、
[. . . be you thankful that there IS a place where truth and beauty wait for you.]
[真理と美があなたを待っている場所があることに感謝しなさい。]

何故でしょう。
何故ならその感謝が、(例えそれが上手く働いていないように見えても)思考を止めて二つのステップを行い聖なる瞬間を持ち続ける覚悟と決意をあなたにもたらすのだから。
これをともかくし続けるべきなのです。
(何故なら)確かにあなたは(二つのステップを続けた場合に)何が起こるか(まだ)知らないのですが、 もし思考との特別な関係への耽溺をあなたが続けなたら、あなたが憂鬱になり続けてしまうことは確実だから。
そして憂鬱/不満/怖れ/怒り/嫉妬が増大し続け、それはあなたが最終的に耐えられなくなって「あー、これより良いやり方があるはずだ!」と言うまで続くのです。


[. . . be you thankful that there IS a place where truth and beauty wait for you. Go on to meet them gladly, and learn how much awaits you for the simple willingness to give up nothing BECAUSE it is nothing.]
[真理と美があなたを待っている場所があることに感謝しなさい。 喜んでそれらに会いに行き、なんでもないものを(それがどうでもいいものである故に)放棄するシンプルな意思を持った時どれ程のものがあなたを待ったいるか学びなさい。]

というわけなのです。
あなたは真理を知り、真理があなたを「どうでもいいもの/なんでもないもの/nothing」から解放するでしょう。 あなたはそれが全てだと信じていたのですが、それはなんでもないものだったのです。
「汝は真実を知り、真実が汝を自由にするでしょう。」


[The new perspective you will gain from crossing over will be the understanding of where Heaven IS. ]
[(架け橋を)渡ることによりあなたが得る新しい視点が、「天国が何処か」という理解になるのです。]

聞きなさい。
[The new perspective you will gain from crossing over will be the understanding of where Heaven IS. ]
[(架け橋を)渡ることによりあなたが得る新しい視点が、「天国が何処か」という理解になるのです。]

どこが天国なのでしょう? それはあなたの思考の中には在りません。
どこが天国なのでしょうか?
それはあなたの中の静寂の中にあるのです。 あなたの思考がない所で(あなたが父の子供である故にあなたの中にあなたとして父が体現している)父の視点があなたに届くことが出来るのです。 それがあなたにわかるのです。
天国はそこに在るのです。


[From here, it seems to be outside and across the bridge.]
[ここからは、それは外に在るように、それは橋の向こうに在るように見えています。]

ここからは? 今日の午後ポールが考えていた所からは、それは橋の向こうに在るように見えていたのです。
それは(天国/救済/安全は)、他の人々を変えること、状況を変えることの向こうに在るように見えているのです。 {しかし、そう見えているだけなのです。}


[From here, it seems to be outside and across the bridge. Yet as you cross to join it, it will join with YOU and become one with you.]
[ここからは、それは外に在るように、それは橋の向こうに在るように見えています。]

あなたの存在は、あなたのありさまは、すでに全創造と完全に調和しており、なにもコントロールする必要はないのです。 
あなたが必要なことをしたなら、創造の全てがあなたに届き、あなたに理解されるのです。
あなた達全員は(程度の差こそあれ)すでにこれを時々はしているのです。
だから私が言っていることは、あなたにとって全く不案内なことではありません。

そして私がこれに関して話している時あなたは、自分がどのようにして「明晰」から「特別な関係への耽溺」へと後戻りしてしまっているか理解出来るはずです。
あなたは自分の明晰から滑り落ちて、自分の特別な思考を含んだ自分の特別な関係に滑り戻ってしまい自分自身を不安にし、それから二つのステップを行って自分の平和を取り戻し光明(明晰)を取り戻し、全く適切で全てを祝福するあり方に戻る度量を見つけるのです。 (あなたはこれを繰り返しているのです。)
これはあなたにとって、とても慣れ親しんで来たことです。

しかし次のことを指摘しましょう。
あなたが(自分の思考と共にある)自分の特別な関係にこだわった時、(二つのステップに関する)あなたの記憶は消えてしまっているのです。 何故なら(その時)あなたは自分の特別な関係に信心を与えているので、前回あなたが「より良いやり方があるはずだ」と言って「より良いやり方」を実践したとき物事がどれだけ容易だったか忘れてしまうのです。


[Yet as you cross to join it, it will join with YOU and become one with you. And you will think, in glad astonishment, that for all this you gave up NOTHING! ]
[あなたが(架け橋を)渡ってそれ(天国)と繋がろうとしたなら、それがあなたと繋がってあなたと一つになります。 そしてあなたは、自分は「なんでもないもの」を手放しただけなのだと気付いて驚き喜ぶのです。]

汝は真理を知るでしょう、あなたは真理を知り、真理があなたを「なんでもないもの」から開放するでしょう。
あなたは(あなたの考えは)何とも繋がっていない状態でいるにも係わらず「自分は何かと繋がっている」という信念を持っています。 真理はあなたをその信念から解放するのです。
そうして正気が戻るのです。 あなたがこの体験をした時、大いなる感謝の念が起こるのです。


[The joy of Heaven, which has no limit, is increased with each light that returns to take its rightful place within it. ]
[天国の喜びには限りがなく、天国の中の所定の場所にそれぞれの光が戻っていく度に天国の喜びが増えるのです。]

それぞれの光とは、あなた達ひとりひとりのことです。


[Wait no longer, for the love of God and YOU.]
[神とあなたの愛に対して躊躇するのはもう止めなさい。]

あなたの源に対するあなたの愛を目覚めさせなさい。 独立的自治権を主張しなくなるあなたの意志を目覚めさせなさい。 あなたには父が居るのだから、あなた自身に父を与えなさい。
あなたではない源をあなた自身に持たせなさい。 何故ならあなたは、あなたではない源を持って居るのだから。
神に対するあなたの愛を取り戻しなさい。


[Wait no longer, for the love of God and YOU. ]
[神とあなたの愛に対して躊躇するのはもう止めなさい。]

わかりますか? あなたは自分が限りなく「愛らしい」ことを発見するのです。
何故あなたは自分のアイディアに固執するのでしょうか?
その根源的理由は、あなたが自分を孤児として知覚認識している限り、あなたは自分自身を愛されていないものとして知覚し、自分自身を愛らしくないものとして知覚するからです。
そうすることによって、あなたの行なう全てのことは、あなたの愛らしさ(あなたが愛に値するということ)を証明し、あなたの愛らしさを認証させるための行為になっているのです。 
{そうする事により、あなたは(神に逆らって)自分を証明しようとしているのです。}

だからあなたはあなた自身を愛していないのです。
あなたは自分が誰か知らないので、あなたの愛らしさであるものを認識していないのです。
それが(あなたが自分のアイディアに固執し続けている)唯一の理由です。


[Wait no longer, for the love of God and YOU. And may the holy instant speed you on the way, as it will surely do if you but let it come to you.]
[神とあなたの愛に対して躊躇するのはもう止めなさい。 聖なる瞬間があなたを先に進ませることを許しなさい。 あなたが聖なる瞬間を自分のもとに来させたなら、それは(聖なる瞬間は)確実にそうする(あなたを先に進ませる)のだから。]

精霊(あなたの正気でしかないもの)をあなたの元に来させるためには、あなたは「自分はこれであると考えている者」を黙らせる必要があるのです。  これが自分だとあなたが「考えている者」を黙らせなさい。
わかりますね?
「これが自分だと考えることにより、あなたが(自分として)保持している者」を黙らせるのです。
これがシンプルなことなのです。 これに関してわたし達は話しているのです。


[The Holy Spirit asks only this little help of you. ]
[精霊はこの小さな助けだけをあなたに求めています。]

あなたの正しいマインドでしかないものは、次のことだけをあなたに求めています。
精霊があなたから求めている小さな助けとは何でしょうか?
それは、あなたが精霊を自分のもとに来させることです。


[And may the holy instant speed you on the way, as it will surely do if you but let it come to you. The Holy Spirit asks only this little help of you.]
[聖なる瞬間があなたを先に進ませることを許しなさい。 あなたが聖なる瞬間を自分のもとに来させたなら、それ(精霊)は確実にそうする(あなたを先に進ませる)のだから。  精霊はこの小さな助けだけをあなたに求めています。]

小さな助けとは、父から/精霊から/あなたのガイドから「ここの真実は何なのか」知らされることを静かにシンプルに平静に求めることなのです。
それだけなのです。


[Whenever your thoughts wander to a special relationship which still attracts you,]
[あなたの思考が(あなたを惹き付けている)特別な関係に向かってただよい出す度に、]

この特別な関係には、あなたが{自分の概念によって}他の人と間に築いているものや、他の物体との間に築いているものや、(あなたが一番愛している)あなた自身の思考との関係が全て含まれています。


[Whenever your thoughts wander to a special relationship . . .]
[あなたの思考が特別な関係に向かってただよい出す度に、]

(あなたの)全ての思考は今日の特別な関係に向かって流れ出していくものです。 それ(思考意識)は人の特別な思考に向かって流れていくのです。


[Whenever your thoughts wander to a special relationship which still attracts you, enter with Him . . .the Holy Spirit. . . into a holy instant, and there let Him release you. ]
[あなたの思考が(あなたを惹き付けている)特別な関係に向かってただよい出す度に、彼(精霊)と共に聖なる瞬間の中に入りなさい。 そしてそこで彼(精霊)にあなたを解放させなさい。]

このプロセスの中であなたのエゴが何かを掴むことが全く不可能なのは、何と素晴らしいことではないでしょうか。


聞きなさい。
[Whenever your thoughts wander to a special relationship which still attracts you, enter with Him into a holy instant, and there let Him release you. ]
[あなたの思考が(あなたを惹き付けている)特別な関係に向かってただよい出す度に、彼(精霊)と共に聖なる瞬間の中に入りなさい。 そしてそこで彼(精霊)にあなたを解放させなさい。]

「ええ! 私はただそれをしてもらうだけなのですか? 私はそれを自分の手柄として考えることは出来ないのですか?」
「すると、それは私に関して何を言うことになるのでしょうか?{私の立場はどうなるのでしょう?}」
「それでは私のとりえ(手柄)は何も示されないではないですか。  それでは私が精霊に捕らわれている人のようではないですか。 私は精霊の操り人形みたいではないですか。 私は精霊の命令をただ受け入れるだけになってしまうではないですか。」

というわけです。 その通りなのです。
ここからエゴ(分離感覚)を満足させることは全く何も得られないのです。
あなたが持つ思考としての(そしてあなたが定義した)エゴは、「あなたが本当は何か」に対してあなたを完全にメクラにしてしまっているマインド活用なのです。
{あなたの使っている思考が、あなたが本当は誰か解らなくしているのです。}
だから本当のあなたを体験するには、あなたが今まで手放してこなかったものを手放し、あなたが今まで取り入れてこなかったものを取り入れるのがその唯一の方法なのです。

これは意志を通す行為(act of will)ではなく、意志を譲る行為(act of willingness)なのです。 違いが解りますか?
もう一度読みましょう。 これはとても重要なことだから。


[Whenever your thoughts wander to a special relationship which still attracts you, enter with Him into a holy instant, and there let Him release you. He needs only your willingness to SHARE His perspective to give it to you completely. ]
[あなたの思考が(あなたを惹き付けている)特別な関係に向かってただよい出す度に、彼(精霊)と共に聖なる瞬間の中に入りなさい。 そしてそこで彼(精霊)にあなたを解放させなさい。 彼(精霊)がその視点をあなたに完全に与えるために必要としているのは、彼の視点を分け合う(受け取ろうとする)あなたの意志だけなのです。]

あなたは精霊の視点/視界の全部を取り入れる必要はないのです。
あなたは精霊の視点を、精霊と一緒に分け合うだけでよいのです。
それは例えば「あなたと一緒にこのケーキを食べて良いですか? あなたの一口をあなたと一緒に分け合っても良いですか?」 というようなものです。
あなたは、本当のあなたを(あなたと一緒にいる)精霊に分け与えれば良いだけなのです。
そしてあなたがあなた自身を少し味わった途端、あなたは全てを受け入れるでしょう。


[He needs only your willingness to SHARE His perspective to give it to you completely. And your willingness need not be complete because HIS is perfect. It is His task to atone for your unwillingness by His perfect faith, and it is His faith you share with Him there. ]
[彼(精霊)がその視点をあなたに完全に与えるために必要としているのは、彼の視点を分け合う(受け取ろうとする)あなたの意志だけなのです。 そしてあなたの(譲る)意志は完璧でなくとも良いのです。 何故なら彼(精霊)の意志は完璧だから。 彼(精霊)の完璧な信心によって、あなたの譲りたくない気持ちを償う(補う)ことが彼の役割なのです。 そしてあなたは彼の信心をそこで彼と分け合うのです。]

ここでは二つの個別の実体について述べているように聞えますね。
[. . . it is His faith you share with Him . . . ]
[...あなたは彼の信心を彼と分け合うのです。]

しかし、この彼は精霊であり、あなたの正しいマインドでしかないのです。
あなたの正しいマインドがあなたに対して(そして父が作った「あなたが正気に返る方法」に対して)持っている信心とは、あなたがあなたの正しいマインドとして自身を(現在間違ったマインドの中にいる)あなたに示すことなのです。
あなたの正しいマインドが物事の真の姿を完璧な信心と共に示して、あなたに関する真理の意味の全てをあなたに伝えるのです。
だからあなたは、何か鍛え上げられた能力を持っている必要はないのです。
これは(聖なる瞬間は)あなたに任されていること(あなたにどうこう出来ること)ではないので、これはあなたから何かを要求したりはしないのです。 
これはあなたの正しいマインドでしかないものが行なうことなのです。
それはあなたの正気であって、それは動いている神の現れなので、あなたがそれを受け入れられるようになったなら、それは自分の役割をパーフェクトに果たすのです。


[ Out of your recognition of your unwillingness for your release, . .]
[あなたを解放することをあなたが嫌がっているという認識の中から、]

(今晩私が話している)自分の思考との特別な関係に対するあなたの耽溺(それがあなたを目覚めから遠ざけているのです)を理解することが出来次第、


[Out of your recognition of your unwillingness for your release, . ]
[あなたを解放することをあなたが嫌がっているという認識の中から、]

「オオ! もしかしたら私はそうしているのかも知れない。 もしかしたら違う在り方があるのかもしれない。」と認める意志が持てたなら、


[Out of your recognition of your unwillingness for your release, His PERFECT willingness is given you. ]
[あなたを解放することをあなたが嫌がっているという認識の中から、彼の完璧な意欲/意志があなたに与えられるのです。]

つまり(あなたの最上のアイディアや論理が築いている)特別な関係に対して絶大な信心を与えている限り、あなたは自分の解放を得ることが出来ないのです。
何故なら、あなたが自分の特別な関係(思考)に対して自信を持っている限り、あなたは自分の正しいマインドをあなたのマインド内に受け入れようとはしていないのだから。


[Call upon Him,]
[彼に呼びかけなさい。]
二つのステップを行ないなさい、聖なる瞬間の中に入りなさい。


[Call upon Him, for Heaven is at His call. And LET Him call on Heaven FOR you.]
[彼(精霊)に呼びかけなさい。 何故なら天国は彼の呼びかけに答えるのだから。 そして、あなたのために彼が天国を呼び出すことを許しなさい。]

だから、あなた自身が天国を呼べなくても構わないのです。
目覚めへの道はすでに確立されているのです。
目覚めはすでに起こり始めており、あなたは(真理を知るために必要な)その各要素を認識し始めているので、あなたは真理を知りたいと願い、真理が「今まであなたが手放したくないと考えてきたもの」からあなた自身を解放することを許可しようと思えるようになっているのです。
何故なら、これが「自分に相応しいとあなたが信じていることを得る唯一の方法である」とあなたの中の何かがすでに認識しているから。

これは(天国は)あなたの生得権(持って生まれた権利)なので、あなたは自分の価値をデモンストレート(証明)してこれに値する存在に成ろうとする必要はないのです。
あなたの内側にある正気の中で、この生得権が得られるのです。 この生得権は決して失われたわけではなく、(あなたのが自分の特別な思考を使って築いている)あなたの特別な関係によって見えなくなっていただけなのです。

素晴らしいではないですか。
これを常に抱擁し続けたいと思えるように成りなさい。
個人的コントロールを放棄して、聖なる瞬間に譲ることを通して、これを常に抱擁し続けられるよう努力し続けなさい。

I love you, I love you, I love you, I love you, I love you, I love you all.


「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはその様なものだから。 
貴方と同等の方が既にこのギフトを貴方に差し出したので、これらの資料が貴方に提示されています。 Raj の指示により、これらの資料が売買される事はありません。 この機関「Northwest Foundation for A Course In Miracles」へ募金される場合、下記のWEBサイトを通して行なうか、あるいは下記の住所に郵送して下さい。
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A Course in Miracles Study Group with Raj, January 8th 2011
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テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

ACIM11-01-01

January 1st, 2011 ©NWFFACIM 2011年 1月 1日

原文テキスト
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=30462&mid=146224#M146224
オーディオ&ビデオ
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=30337&mid=145527#M145527


A Course In Miracles (参照ページ)
Chapter 16 – Section – THE BRIDGE TO THE REAL WORLD
1 Sparkly Book–p.395, 2nd Full Par.9th line / JCIM– p.166, 2nd Full Par.5th line / CIMS – p. 332, Par.65, 8th line
First Edition – p. 322, 3rd Par. 9th Sen. / Second Edition – p. 346, Par. 8, 7th Sen.


こんばんは、ようこそ。
そしてハッピー・ニュー・イヤー。
いい響きですね。 今日は. . . Happy New Year . . . Happy New Year . . . Happy New Year.

どなたにとっても新しい出発(門出)は嬉しいものです。
新しい世紀、新しい十年、新しい年。

そして殆どの場合(新しい区切り/門出に対して)あなた達はそれぞれ新しい期待を持つものです。

そして境界を越えることを期待し、拘束を破ることを期待し、あなたを縛ってきたものから開放されることを期待しているはずです。
こうして(新しい区切りを通ることにより)あなた達は、「信じがたい方法(常識から外れた形で)でそれらの拘束が破られるかもしれない」と考えられるようになるのです。
しかし残念なことには新年(あなた達にとっての変更線)などでない限り、あなた達はそのようなことを期待しないのです。
あなた達はまだそのような期待を全ての意識的瞬間に活性化しようとしてはいないのです。

多くの人達が新年の誓いを立てていることでしょう。 
その場合、あなたは「何か新しいことをしよう。あれやこれをしてみよう。」と決意するわけです。  それは良いことです。
あなたは「何か新しいことが起こるまでただ待っていよう。」といってただ座り込んでしまうわけではなく、何かをしようとします。 これは良いことです。
しかし今までに何人の人達が、新年の誓いとして「不可能と思われていることが私の上に起こることを許可しよう」言ったでしょうか?
「『今まで絶対起こり得ないと考えてきたこと』が私の身の上に起こることを許そう」と言った人はいたでしょうか?
「不可能だと思ってきたこと(例えば、目覚めること、全く理不尽な癒やし、加齢が消え去ること、若返りなど)の発生に対して抵抗しないようにしよう。」と誓った人はいたでしょうか。
長く対立し続けてきた敵を手放す決意をした人はいたでしょうか? 怒りを通して満足を得続けることへ執着して自分の成長を妨げることを放棄しよう、と決意した人は何人ぐらいいたでしょうか?

今は素晴らしい時です。 これらの誓いをこの瞬間に受け入れることは素晴らしいことです。
これらのことを常に心に留めて置くことは素晴らしいことです。
ではあなたはどのようにして、それらの新しい体験を決心するのでしょうか?
あなたはどのようにして自分を新しくすることを決断するのでしょう?

今まであなたが使ってきた考え方から抜け出ることによって、あなたはそれを行なうのです。
あなたが他の人々と共に行なってきた相互合意から抜け出ることによって、あなたはそれを行なうのです。

例えば(常に嬉しい気持ちを表している)「ハッピー・ニュー・イヤー」さえも相互合意なのです。 これもまた相互定義/相互合意なのです。
これは習慣であり相互合意なのです。 長く続けられてきた相互定義なのです。

「ハッピー・ニュー・いま、ハッピー・ニュー・ナウ」ならどうでしょうか?
いま、いま、いま、なのです。
あなたが観察する(意識する/生きる)行為の一部として常に新しい有様(様相)を期待しては如何でしょう?
「父よ、ここの真理(本当)は何ですか? 私の(幻想を見ているマインドではなく)正しいマインドでしかないものよ、ここの真理(つまり私の正しいマインドが真理として知っていること)はなんですか?」と言って自分に新しいビジョンが与えられるようにしようと決意しては如何でしょう?

さてここで、あなたが新年に対して抱いている信念を利用してみましょう。
この新年の習慣を利用して、(あなたが持つべき)意図を示してみましょう。
「チクショウ! 何故私は目覚めるまでにもう少し待たなければいけないんだ? 何故私がたった今天国を受け入れてはいけないんだ?」という意図をあなたは体現するべきなのです。

あなたは何年 A Course In Miracles (奇跡のコース)を勉強して来たのでしょうか?
これは生まれてから死ぬまでの間にあなたが行なった少しは役立つ気休めなのでしょうか?
この本の中には、あなたを目覚めさせて幻想や夢から開放するためのことは書かれていないのでしょうか?
無知から理解への変容、混乱から明晰への変容に関して書いてあるのではないのでしょうか?
(ACIMが示していることは)リアリティに対する歪められた体験から(自分が神の子だという認識をあなたが自分に許した時に起こる)天国の直接体験への変容ではないのでしょうか? 
(確かにそうなのです、だから)あなたは絶対的に神聖であって、決して卑小な貧しい孤児ではなく、決して物理的なプロセスから発生しているものではないのです。
そしてあなた達が物理的現象と呼んでいるものは「リアリティを不明瞭に知覚している(あなたの)状態」に過ぎないのです。
あなたの周りの全ては、あなたが体験している全ては最上のものであり、それは天国なのですが、あなたはそれを曇ったガラス(知覚の歪み)を通して見ているのです。 あなたは混乱を通して、{知覚の歪みを}手放して物事をクリアに見ることに対する躊躇を通して、リアリティ/天国を見ているのです。
「現在のあなたの(歪んだ知覚の)体験」と「誓いを守ったときのあなたの体験(聖なる瞬間を持ちあなたが新しいことを許可しあなたが新しくなる体験)」の間にギャップ(隙間/遅延)を入れることによりあなたは安全弁(回避装置)を作っているのです。

しかしあなたは変化を求めているのです。 あなたは目覚めを求めているのです。
「2011年に目覚められたら素晴らしい! 2011年のクリスマスの前に目覚められたら素晴らしい!! しかしそれは起こらないかも知れない。」(とあなたは考えていませんか?)
だから、目覚めるためにするべきことに関しては(あなたはあまり)考えていないのです。
何故なら(それが本当に可能だったか解るまでには)あと最低12ヶ月あるから。 その誓いが実行され達成されたか解るまでには後一年あるから。
だからあなたは自分にはまだ余裕があると考えているのです。 そして、もし今年中に目覚めなくとも別に困らない。  (そう考えては居ませんか?)

私は次の質問をあなたにしましょう。
「何故あなたはまだ最上(リアリティ)を体験していないのですか? 何故あなたは目覚めていないのですか? 何が物事をその真の姿で見ることからあなたを遠ざけているのでしょう?
自分を神の子としてだけ見ることから、何があなたを遠ざけているのでしょう。 何があなたを『解き放たれた/限定されていない(無限の)良きこと』から遠ざけているのでしょう?」
(あなたにリアリティが見えていないのは)、それ(リアリティ)を見ないで済ませる権利をあなたが主張しており、あなたはそのために(リアリティを見ないで済ませるために)戦っているからです。
あなたは「自分の良きこと」を得ないように戦っているのではなく、あなたは「自分の悪きこと」を得る権利を求めて戦っているのです。 あなたは自分の限界を保つ権利を主張して、そのために戦っているのです。

あなたは「私は不可能なことを期待する。」と言う代わりに「それは不可能だ!」と言ってしまっているのです。
「不可能に見えることが起こるのを見てみたい。 私の理解を超えることを見てみたい。 それがわかるように成りたい。」と言う代わりに「私にはこれは無理だ、あれも無理だ! だれそれの振る舞いが私をそれから遠ざけている。」と言ってしまっているのです。
「だれそれの振る舞いが酷すぎて、それは私をとっても傷付けている。 そして私は自分の傷(憤慨)を手放すことが出来ない。 そんなことをすれば私は自分を尊敬(尊重)することが出来なくなってしまう。」 {このように考えてあなたは良きこと(不可能に見えること)を取り逃がしているのです。}

人々が自分達の限界にしがみ付き続けることにより(自分達の限界/限定にこだわることが可能にする)正義を得ようとして持ち出してくる主張は、全く(リアリティとは)関係がないのです。
「不可能なこと」を起こさないようにしようとして人々が持ち出してくる数々のキチガイ染みた主張は全く(リアリティとは)関係がないのです。
何故なら、そのような主張に取って代わる成就はとても意味深く(有効で)、孤児の卑小なマインドの枠組み範囲を大きく超えているのだから。

だから今年私は実際の変化のために、あなたをそそのかし続けるのです。
ACIMに出てくる美しい言葉や素晴らしいフレーズだけであなたが満足してしまわないよう、私はあなたを押し続けるでしょう。
私はあなたに働きかけて、今年が終る前にあなたがコースの意図/意味を理解し、それによって変容を体験し、その意味の全て(とそれ以上)を体現して、もう二度とコースの本を読む必要を感じさせないようにしようとしているのです。
変化がなくても何とかハッピーに過ごすことであなたが満足してしまわないように、私はあなたに介入し続けます。
あなたが(ACIMの)理解を取り逃がし続けないよう私はお節介を続けます。

もし目覚めが起こり得ないと思うなら、あなたはこの本は捨てて、出来る限りハッピーな人生を過ごせば良いでしょう。
しかし、もし変化(変革)が起こるべきなら、変容が約束されているなら、その変容を要求しなさい。 その証拠を要求し続け、それが得られるまで要求し続けなさい。
これはあなたが権限をもって物事を起こしている証拠ではなく、あなたが指一本動かす前に体験するべきパーフェクション(完璧な有り様)なのです。 あなたが思考を持つ前に体験するべき完璧性なのです。 それがあなたの体験するべき生得権なのです。

「この体験(パーフェクトな体験)に値することを自分では何もしていないにも係わらず、何らかの孤児的行動によってこの体験を獲得しようとすることなく、この体験を要求すること」をあなたは学ばなければいけません。
もしあなたがこの体験をまだしていないなら、これを感じようとし続けなさい。
このことに注意を払い続けなさい。 「見よ、私は全てを新しくする。」という父の言葉の証拠を見ようと期待し続けなさい。
「ハッピー・ニュー・イヤー! 見よ私は全てを新しくする。 ハッピーなこの瞬間! ハッピー・ニュー・今。 今、今、今。」

もし今あなたが最上の良きことを体験していなかったのなら、それは何らかの意味であなたが良きことに対して抵抗しているからです。
そしてあなたは抵抗に成功しているのです。 だから解決法はいたってシンプルです。
抵抗を放棄しなさい。
(良きことへの)抵抗を強化し続けることを止めなさい。 言葉を使って抵抗のリハーサル(前練習)を続けるのは止めなさい。 周りの人にあなたの問題を言い募るのは止めなさい。

問題の解決に全く好奇心を発揮しないまま、問題がどのように(そしてどれだけ簡単に素早く)解決出来るかという好奇心を発揮しないでいて、「状況が不可能だ(逆境が酷すぎる)」という会話を始めてしまうのは止めなさい。 何故ならその問題はあるいは幻想でしかないのだから。(幻想でしかないのです。)
あなたの考え方(見方)にバイアス(偏向/偏見)が掛けられており、それ故にあなたの知覚が問題を作り出しているのかも知れないのだから。 (そして確かにあなたの歪んだ知覚が問題を作っているのです。)

コースの中に書かれている真理を書いたり言ったり考えたりすることは、新しい知覚を刺激するので楽しいですね。
しかし読んで来た内容をあなたの人生の中で真理として体験するべき場面になって、それが(奇跡が)起こらなかった場合あなたはガッカリしてしまい、真理を求め続けることを諦めてしまうのです。
その時あなたは、それ(真理/奇跡)が起こらなくてもしょうがない、と言い出してしまうのです。
「私にはその能力/度量がない。 これが真理だと私には解ってます。 この本を初めて読んだ時にこれが真理だとすぐ解りました。 しかしどうしたわけか私にはこれが実現出来ないのです。」

わかりますか? こうしてあなたは「ハッピー・ニュー・ナウ/ハッピーな新しい瞬間/自分の良きことを二度と待つ必要がないハッピーで新しい状態」に抵抗してしまっているのです。 
何故なら、信心をもって読んだこと(ACIM)を信じて(あなたの今までの考えを捨てて)聖なる瞬間の中に入って、あなたのプライバシーをあえて捨てて、「父よ、神よ、精霊よ、ここでは本当は何が起こっているのですか? (それ以外のものは何も私に与えられていないので、それだけを私のものとして体験するべき)あなたの神聖なる視点はどのようなものですか? 」と言った時、
あなたが二つのステップを行なっていて答えが聞えておらず問題が解消されていないばかりか問題がより悪く成っているように見えている時、
あなたは(二つのステップを)投げ出して降参してしまい、「父の答えを聞くことは無駄である。神聖なあなたが体験するべきこと(あなたの生得権)を期待するのは無駄である。」という考え(落胆)に同意してしまうのです。
そうするとあなたはその現れ(父の答えを聞くことに対する反証/あなたを気落ちさせている現象)を(父の答えより)尊んでしまうのです。 {その考え(自分の落胆)のほうがリアルだとあなたは信じてしまい、それを見続けてしまうのです。}

あなたは自分の落胆/反証をより大きくし続け、それがあなたを圧倒するまで増やし続けるのです。 すると『この状態では「ハッピーで新しい瞬間」を期待することは無理で理不尽だ』と感じてしまうのです。
わかりますか? 「ハッピー・ニュー・ナウ、ナウ、ナウ」(あなたは、自分の落胆/反証ではなく「ハッピーで新しい今」を期待し見続けるべきなのです。)

だから、ここであなたは断固として継続しなければいけないのです。
ここであなたは『「(孤児院の中にいる孤児として)あなたと他の人々がお互いに合意している意味(筋書き/定義)」が出口のない状況を作っている、そしてあなたの悲しみと不満と怒りは絶対的に正しいものでそれを増幅するべきである』という見方/考え/状態と対峙し、それを否定しなければいけないのです。
わかりますか? それは(あなた達の今の状態は)ただ馬鹿げた相互合意でしかないのです。

しかし、良いですか。
もしあなたが父の意志の証拠を見たいと思っているなら、もし(あなたが見ている物理的世界の証拠ではなく)全てが天国である証拠をあなたが求めているなら、あなたは失敗する体験の中に飛び込んでいかなければいけないのです。
「私は聖なる瞬間を実践している。 私は全てラジの言うとおりにしている。 そしてなにも上手く行っていない。 全くなにも上手く行ったことがない。 そして考えてみれば、ラジを聞いたりコースを学んだりして奇跡を得ることが出来た人の話は聞いたことがない。 ラジが言っているような体験をしている人がそれ程いるとは思えない。」
このようにしてあなた達は、聖なる瞬間に反する証言を重ね続けてしまっているのです。
「(あなたが自分の定義群や意味/意図や主権をもはや主張していない)無の中に自分自身を入れること」に対して抵抗(反証)を重ね続けてしまうのです。 
あなたは神の主権を呼び入れて、神の法だけが全てを統治している場所にあなた自身を見つけ、あなたが必要としている光明の体験(光を得る体験)をするべきなのです。 (しかし今のところ、あなた達はそれに対して抵抗/反証/反論し続けているのです。)

「ハイ、ハイ、わかりました! もしかしたらラジが言っていることを少し体験している人も居るのかもしれません。 でも誰もまだ目覚めてはいないでしょう。 ポールを見てみなさい。 彼はまだ目覚めていないじゃないですか!」 (とあなた達は反証/反論を重ね続けてしまっているのです。)

ハッピー・ニュー・イヤー、Happy New Year! これを空虚な言葉にしてしまわないでください。
ニュー・イヤー(新年)よりももう少し大きな門出もあるのです。
それは(キリストの)再臨(最後の審判)と呼ばれています。
おお! 多くの人々がこれを待ち受けていますね。
ある意味では、 A Course In Miracles もその一部です。
これはキリストの明晰/英知が人間の視界の中に再び入って来るための本なのです。
これは生まれてから死ぬまでにあなたが心地良く過ごすための慰めの言葉ではないのです。
これは(誕生から始まり死によって終るように見えている)偽りの体験を変えることなく保つためのものではないのです。
これは(誰も被る必要はない)混乱した時間を変えることなく継続させるためのものではないのです。 そして皆さんはこの体験からもう目覚め出るべきなのです。

もしかしたらあなたは既にこの本を25年間勉強して来たかもしれません。
それならあなたに尋ねましょう。 もし私が再度出現した場合、キリストの再臨が起こって私が地球に現れるとした場合、それはあなた達全員がこれから二千年の間私の言う事/やる事を吸収してそれについて考えそれを賞賛し続けるために私(イエス)が現れる、とあなたは思っているのですか?
いいえ。 それ(キリストの再臨の目的)は夢を終らせること、死そしてあなたの神聖に対する幻想を終らせることなのです。 
それは何時起こるのでしょうか?
それはとても長い期間に渡って起こるのでしょうか?
いいえ。 それは瞬間的に起こるのです。

これ(ACIM)は冗談ではないのです。 これは人間的状況を容認するものではないのです。 神がこれらのインスピレーション(霊感)に満ちた教えを我々に下さったことは素晴らしいことではないですか?
だから我々は元旦の今ここに全ての人のマインドが変わること、新しいこと、新しくなること、出来る限り(あなたが許す限り)新しくなること、に関して話しています。 あなた達の殆どはまだホンの少しづつの変化しか許可していないのですが。

経済に左右されない大いなる豊かさはどうでしょう? 
無理ですか? オーケー!
しかしあなたは噓をついています。 そしてその噓を信じているのです。
あなた達は(たとえば「経済状況に左右されない豊かさなどありえない」という)相互合意されている定義群を信じているのです。
「グレー・メン(gray men)が解明されるまであなたの聖なる権利は体験出来ない。 影で全ての実権を牛耳っている大財閥が倒れるまで、神の偉大な力が彼等を倒すまで、あなたの聖なる権利は体験できるはずがない。」
(そのように言っている時)我々は噓をついています。 それら(あなたが考えている理由)は真理ではないのです。
神聖は状況に左右されるものではありません。 全体性(全一性/全てがひとつの健全なものであること)は状況によって支えられているものではありません。
この元旦の日にこれを習得しなさい。

あなたの全体性/健全は状況/状態には左右されないのです。
あなたの健全は状況や「他の人が何かしたりしかなかったりすること」には左右されていないのです。
しかしあなたの健全/全体を体験するには、あなたは自分の孤児的行動を放棄して聖なる瞬間の中で繋がって「父よ、ここの真実は何ですか? 何が真の視界なのですか? 全てがどのように存在しどのように働くのか私は自分で知っていると考えてきました。 しかしそれを放棄して、あなたの視点/視界を受け入れましょう。 あなたの視点が真理であるに違いないから。 何故なら(あなたがその源である)創造に関する視点/知覚が真理なのだから。 そして私は、生命に対するその他の情報源(神から直接私にもたらされているもの以外)を参照することは止めます。」
このようにしてあなたは「真理に気付くことに対する反証(真理に反する言い立て)」を止めるのです。

つまり、あなたはより多く何かをする必要があるのではなく、自分が今していることを止める必要があるのです。 これだけシンプルなことなのです。
だからこのシンプルなことをするよう、私はあなたに指摘し続けるのです。
そして私は「あなたはその確証を見ていますか?」と言い続けるのです。
もしそれに対するあなたの答えが「ノー」でまだ確証が見えていないなら、もし私がこう尋ねていることがあなたに「自分には無理だ」と感じさせあなたを気落ちさせてしまっているなら、それはエゴの仕業だと気付きなさい。 それは(そのように感じるべきと)相互合意されている反応なのです。 わかりますね?

(その時のあなたのマインドを)もし真摯にシンプルに見てみたなら、それが(相互合意から来る状況が)騙し(罠)だとあなたにもわかるでしょう。
この罠が、「本当に違いをもたらす振舞い」からあなたの注意をそらせてしまっているのです。
この罠(噓)があなたを動けなくしており、「(奇跡への)確証を(ハッピー・ニュー・ナウを)探したくない」とあなたに考えさせているのです。

こうしてあなたは自分を新しい夜明けではなく(たとえば)1950年代(過去、あるいは変革期の隙間)に置いてしまうのです。
「不可能なことは起こりえない」とあなたが言っていないので、従ってあなたが変化を体験することが出来る時、本当の変化が起こる時(に自分は存在していないとあなたは考えてしまっているのです。)
「でも、1950年代は硬直した無知な時代で、あまり新しいアイディアも出てこなかったし...グダグダグダ」と{くだらない言い訳をあなた達は言って、奇跡に抵抗しているのです。}
あなたの一日を(奇跡への)抵抗に使うのは止めなさい。
ただ動けない状態に留まって、なにも興味を示さず、馬鹿なふりを続けることに時間を使うのは止めなさい。


さて我々は、特別な関係(スペシャル・リレーションシップ)から抜け出ることについて話しています。
覚えていますか?  「自分が本当は誰かわかっていない時」にあなたは他の人や物と「特別な関係」を築いているのです。
つまり、自分は孤児だとあなたが考えてしまっている時、(あなたの居る)今そこで起こっていること全てが偶然でしかないと(生まれ、生存のために戦い、死ぬしかないと)決め付けてしまっている時、そこでは特別な関係が表れているのです。
そして特別な関係から抜け出るためには、それを(そこで起こっていると考えられている関係を)向上させるのではなく、「神聖なるあなた」をあなたのマインドに気付かせる唯一のことをするべきなのです。  「神聖なるあなた」をあなたのマインド内でもう一度照らし出すことをするべきなのです。

本を読みましょう。 少し後戻りします。

[Fear not that you will be abruptly lifted up and hurled into reality.1 ]
[自分が乱暴に引き上げられてリアリティの中に叩き込まれてしまうかもしれない、と心配するのは止めなさい。] 

あなたはこの日を「ハッピー・ニュー・イヤー」といって迎えるわけですが、あなたは
[. . . be abruptly lifted up and hurled into reality.]
(自分が)[乱暴に引き上げられてリアリティの中に叩き込まれてしまう]
ことはないと信じて安心してしまっているのです。
あなたは自分が決心したものの中に突然引き込まれてしまうことはないと信じているのです。 だからあなたはそれを怖れてはいません。 あなたはそのようなことが起こり得るとは信じていないのです。 だからあなたは安心しているのです。 
それでもあなたには目覚める意志があるはずです。 違いますか?

[Fear not that you will be abruptly lifted up and hurled into reality. Time is kind, . . ]
[自分が乱暴に引き上げられてリアリティの中に叩き込まれてしまうかもしれない、と心配するのは止めなさい。 時間は優しいものです。] 

[Time is kind and if you use if FOR reality, it will keep gentle pace with you in your transition.]
[時間は優しいものです。  時間をリアリティのために使ったなら、あなたが変化して行くにあたり時間は優しいペースを与えることでしょう。] 

しかし今私は「優しい(ゆっくりした)ペースだけしか受け入れられないと考えるのは止めなさい」と言っているのです。
「突然リアリティの中に叩き込まれてしまう可能性を許可してみなさい」と言っているのです。
何故ならその時起こることは、あなたが自分の正気に返ることでしかないのだから。 あなたが(あなたの良心にしか過ぎない)精霊の声に耳を貸すことでしかないのだから。 それは「あなたの聖なるマインド/あなたと父との切り離しえない繋がり」でしかないのだから。

だから、
[Fear not that you will be abruptly lifted up and hurled into reality.]
[自分が乱暴に引き上げられてリアリティの中に叩き込まれてしまうかもしれない、と心配するのは止めなさい。] 

しかしあなたがそれ(リアリティの進入)を許可したなら、それはその瞬間に起こるのです。
何故それを遅らせる必要があるのでしょうか? 私はそう言いたかったのです。
これが私があなた達に示したかったことなのです。

[The urgency is only in dislodging your minds from their fixed position here.]
[急を要するのは、あなた達のマインドをここでの固定されたポジションから外すことだけなのです。]

この意味は、あなたの定義群の中の「ここ」、自分に対して無知なあなたが無知な自分として行なった定義群(世界観)の中の「ここ」です。

[This will not leave you homeless, and without a frame of reference.]
[これをしてもホームレス(家なし子)になるわけではありません。 視点/意識の枠組みが全くなくなるわけではありません。]

目覚めることによって、様々な意地悪で心の狭いルールから解き放たれても、あなたがホームレスになるわけではありません。
いいですか? 目覚めたからといってあなたが狂気に落ち入るわけではありません。
目覚めは正気へ帰ることなのです。
あなた達が少しでもこの正気を自分の中に取り入れたなら、あなたはとてつもなく実際的で有用なことを体験するのです。
しかしその有用性は無限なもの、なにか巨大なものなのです。
それは、あなたがあなた自身をより大きく体験すること、より無限な(縛られていない)体験であって、その時あなたはフワフワ浮いているように感じるのではなく、とてつもなくしっかりとグラウンディングしており、不死身で力強く立っているのです。

だから、
[The period of disorientation, which precedes the actual transition, is far shorter than the time it took to fix your minds so firmly on illusions. ]
[本格的な移行の前に起こる混乱期は、あなた達が自分達のマインドを幻想に結び付けた時に掛かった時間よりも短いでしょう。 ]
いいですね? ハッピー・ニュー・ナウ! ハッピー・ニュー・今! わかりますね?

[The period of disorientation, which precedes the actual transition, is far shorter . . .]
[本格的な移行の前に起こる混乱期は、...に掛かった時間よりも短いでしょう。 

これはあなたのどの体験よりも短く済ませることが出来るのです。 これを急速に終わらせることがあなたには可能なのです。 あなたは今ハッピーに成ることが可能なのです。


[Delay will hurt you now more than before, only because you realize it IS delay, . .]
[この時点でグズグズすること(移行を延期すること)は、以前以上の痛みをもたらすでしょう。 その唯一の理由は、現在のあなたにはそれが延期でしかないと明確に理解出来ており、そして痛みからの解放が本当に可能だと理解出来ているからです。 ]

これは『今年私が「混乱期の前や中で躊躇することが無益な延期でしかない」と示し続けることが、あなたにより多くの痛みをもたらしてしまう』ということでしょうか?
そのように受け取ることも可能でしょうが、そう考えるのは止めてください。
(自分が完全に無能に感じる場所に居たくはないと考えて)あなたは上記の文を「するべきことを放棄する言い訳」として使ってしまうことも出来るでしょう。
しかしあなたは、そこ(自分が完全に無能に感じる場所)に行きそこに立ち、それ(自分の無能)に対峙し、それを否定し、そこを通り抜ける必要があるのです。 (あなたが無能であるという)その言い立てがその噓をギブアップして消えて行くまで、あなたはそれと対面し続ける必要があるのです。

だからあなたは今年、私があなたをあえて居心地悪い場所に立たせ、余りやりたくないことをさせようとしていると感じるかも知れません。
しかし、これはこのように働くのです。 このようにしてあなたは目覚めるのです。
このようにしてコースの目的が達成されるのです。
このようにして精霊の役目が達成され、あなたがあなたの正しいマインドに連れ戻されるのです。


[Find hope and comfort, rather than despair, in this: You could no longer find even the ILLUSION of love in any special relationship here. For you are no longer wholly insane, and you would recognize the guilt of self-betrayal for what it IS.]
[このことに失望するのではなく、希望を持ち安心しなさい。 ここで特別な関係の中に愛の幻想を見ることさえも、あなたにはもはや出来ません。 何故なら、あなたはもう完全な狂気の中には居ないのだから。 そしてあなたは自己欺瞞の罪悪をそれそのものとして認識することが出来るようになっているのだから。]

わかりますか?
しかし「オーケー! でも私はラジの言うとおりにしているのに、なにも上手く行っていない。 私は何も変化を体験しておらず、なにも起こってはおらず、全ては今まで通りです。 だからこれらの言葉は、別な時/別な時間/別なマインドの私に当てはまるのでしょう。」 とあなたは言ってしまうかもしれません。


[You could no longer find even the ILLUSION of love in any special relationship here.]
[ここでは特別な関係の中に愛の幻想を見ることさえも、あなたにはもはや出来ません。]

「でも私には見えているよ! そしてそれを変えることは出来ないみたい。 だからあなたが言っていることは、目覚めた後の私に関することで、今の私には関係ないみたいです。」
いいえ。 この文はあなたの今に関して話しているのです。  この文は自分の無能を感じる場所に立っているあなた、「自分が聖なる瞬間のためにしている全てのことが全く何の効果も上げていない」と感じるところに立っているあなたに関して話しているのです。
あなたは勇気付けられない(効果が現れていない)状況に対峙し続け、その噓が消えて行くまで立ち続けなければいけないのです。
だからこれは楽しいことだけではないのです。 しかしあなたはもうこのプロセスに対して無知ではないのです。 そして私はあなたの後ろに立ち前に立ち「前に進みなさい、続けなさい、こちらに進みなさい。」と言い続けるでしょう。


[Find hope and comfort, rather than despair, in this: You could no longer find even the ILLUSION of love in any special relationship here.]
[このことに失望するのではなく、希望を持ち安心しなさい。 ここで、特別な関係の中に愛の幻想を見ることさえも、あなたにはもはや出来ません。]
「神聖なるあなたが誰か」知らずにいる全ての関係がこれに当てはまります。

[For you are no longer wholly insane, and you would recognize the guilt of self-betrayal for what it IS.]
[何故なら、あなたはもう完全な狂気の中には居ないのだから。 そしてあなたは自己欺瞞の罪悪をそれそのものとして認識することが出来るようになっているのだから。]

これはあなたが生まれて初めて新年の誓いの目的を理解したようなものです。
それは二つのステップを実践すること、聖なる瞬間を持って、酷く見えている全てのことに対峙し、それが消え去るまでそれと対峙し続けることなのです。 何故なら、あなたは既にもう完全な狂気の中には居ないのだから。

私はあなたに真理を分け与えました。
Happy New Year! Happy New Now! Happy instant!
次にお会い出来ることを楽しみにしています。



「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはその様なものだから。 
貴方と同等の方が既にこのギフトを貴方に差し出したので、これらの資料が貴方に提示されています。 Raj の指示により、これらの資料が売買される事はありません。 この機関「Northwest Foundation for A Course In Miracles」へ募金される場合、下記のWEBサイトを通して行なうか、あるいは下記の住所に郵送して下さい。
この日本語翻訳はNWFFACIMの運営には直接関与していない一個人が行ったものです。

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ジャンル : 心と身体

ACIM10-12-18

December 18th, 2010 ©NWFFACIM 2010年 12月 18日

原文テキスト
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=30346&mid=145554#M145554
オーディオ&ビデオ
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=30337&mid=145527#M145527



こんばんは、ようこそ。

今日は本は読みません。
今回はいつもより短い話になるでしょう。
皆さんにお伝えしたいことがあります。

今日私は「救世主がクリスマスの最初のギフト(贈り物)であった。 “The first gift of Christmas was a Savior.” 」という広告を見ました。
確かにそうなのです。 その通りなのです。
私はギフトであったのです。 そして今でも私はギフトなのです。
しかしそれだけではないのです。

次のことを知ってください。
あなたが、あなたが、あなたが、あなたが、あなた達全員がギフトなのです。
何が私をギフト(贈り物)にしていたのでしょうか?
それは私が「二つのステップ」を行なっていたからです。
それは私が「聖なる瞬間」を実践していたからです。

私は常に「父よ、ここの真理は何ですか?」と言い続け、そこに示された真理を私は表現し続けたのです。 故に私は贈り物だったのです。
私がこれを(二つのステップを)した時、神の法が全てを統治したのです。
死者が蘇り、病者が癒やされ、足の不自由な人が歩き、やせ細った者が健全になったのです。

しかしそれだけではありませんでした。 
私は人々の無知(「自分達が誰か」気付いていないこと)とは繋がらなかったのです。
「自分達は、生物でしかない/卵子と精子が結合した物理的結果でしかない/自然の中で偶然生まれたものだ」という人々の信念の中で私が彼等と繋がることはありませんでした。 
私はそのような理解/信念の中で人々と繋がることはありませんでした。
私は人々の定義には合意しなかったのです。
そして、私は「人々の信念とは異なる視点」に声を与えていたのです。

それはただ単に違う視点、ただ単に異を唱える声ではなかったのです。
何故なら、私が口を開いた時、私は父の視点を明らかにしていたのだから。
私は、私と他の人々に対する(その場所その時点での)父の意図を表明していたのです。
その結果として神の法が成り立ち(神の法が全てを統治して)変容が起こったのです。

私というギフトが与えられた結果として(私が与えたギフトの結果として)起こった一番大切な学び(教え)は、そのとき人類の大半が「自分達は孤児ではない」と深く認識したことだったのです。

人々は父の子供であって、偶然の子供ではなく、状況や進化により成り立っている存在ではなく、全てを司っている神聖なる神(全てを創造しているもの)の子供(結果)なのです。
そして神の子(神の息子/娘)としての人々の生得権(持って生まれた当然の権利)は私の生得権と全く同じものであり、それは人々が自身に対して許していた「貧しい(限定された)信念」よりもとても偉大なものなのです。
人々の自分達に対する貧しい概念(考え)が、人々自身を欠乏/限定/罪/病/死に縛り付けていたのです。


さて、今クリスマスと呼ばれているここで、あなた達はギフトに成る機会を得ています。
あなたは聖なる瞬間を実行する機会を持っています。
あなたは二つのステップを行なう機会に直面しています。

そしてクリスマスの一番最初のギフトは救世主だったかもしれませんが、(現代では)クリスマスのその他のギフト(最初のギフトの後から出てきた派生的ギフト)は「憂鬱」のようですね。
実際のところ、クリスマスというイベント(行事)は知的には常に憂鬱を伴ったものに成ってしまっているようです。

するとどうなるでしょう?
クリスマスというイベントに関する会話の中にこれ(憂鬱)が取り込まれてしまっているので、そのような教え(クリスマスとは憂鬱なものだという示唆)が起こっているのです。
それを聞いた人達は「オオ! それは気がつかなかった。 私は子供のころからクリスマスは楽しいものだと思ってきたけれど、もしかしたら、そちらの考えの方が正しいのかも知れない。」 {と考えたりするわけです。}
このような言い立て(示唆)や信念が表明されることにより、相互合意が確立されてしまうのです。

すると人々は軽率にも「そう、確かにそうかもしれない。 良く考えて辺りを見回してみれば、ハッピーな人ばかりではないようです。 皆がクリスマスのストレスについて話しているし、クリスマス直前のセールを漁る買物客でごった返するブラック・フライデーとか。 人のことを思いやろうとする行為、何かを与えようとする行為の最中にも憂鬱が入り込んでいるみたいです。」 (と考えてしまうのです。)
こうして少しづつクリスマスに関して憂鬱に感じ始めてしまうのです。 何故なら、無知な教え(自覚のない示唆)から立ち昇ってくる偽りの教育が相互合意を形成してしまうから。
{「クリスマスは憂鬱でストレスの多い時期である」という言い立てがなされ、人々がそれと同意してしまうことでそれを期待するパターンが形成され、それが「相互合意されている定義」として影響を持ち始めるのです。}

だから、このクリスマスは(そのような相互合意)に同意してしまうのは止めて、(相互合意を)否定しなさい。
「クリスマスは憂鬱でストレスの多い時期である」というような考えは拒否しなさい。 
ともすれば憂鬱に浸ってしまうあなた達の意図を否定しなさい。

『「良きことを行なうストレス」があなたを憂鬱にしてしまい、面白くない休日を過ごすことになるだろう』というアイディアを許可することは止めなさい。
(そのような考えを)否定しなさい。 拒否しなさい。 (そのような考えを)抱擁してしまうのは止めて、直ちに二つのステップを行ないなさい。

知っていますか?
憂鬱は、決してあなたの中から起こってくること(あなたが起こしていること)ではないのです。
憂鬱はいつでも、何かに対して同意を求められている時に、あなたがそれと同意してしまうことから発生しているのです。

あなたが同意を求められたその「何か」とは何でしょうか?
他者が自分の惨めさを訴え掛けている時に、それに同意してしまうことで、あなたは自分を憂鬱にしてしまっているのです。
{他者が自分の問題をあなたに理解するように訴えている時、(そのような問題が実存していると)あなたが同意してしまうことにより、あなたは同じ問題を体験しようとしてしまうのです。}

「問題を理解して欲しい」と他者から要求されるた時、その問題を理解しようとしてしまうのは避けるべきなのです。  問題を理解しようとすることにより、その問題を修正することは決して出来ません。

このクリスマスシーズン中は、このハヌカ(12月にあるユダヤ教のお祭り)中は、「自分の問題を理解して欲しいと他者に訴え掛けないこと」をあなたにお勧めします。
これにチャレンジしてください。

何らかの問題について他者と関わり合う場合、(問題を理解しようとするのではなく)問題の修正/解決を望むことだけを目的としてそれを行ないなさい。 問題の答えを得ることだけに専念しなさい。

もし問題に関して話す必要がある場合は、「問題が問題では無くなる明晰さ」をあなたの中に引き入れる意図だけをもってそれを行ないなさい。
あなたの父(源)と繋がることを可能にする「二つのステップ」(「あなたが誰か?あなたの生得権が何か?」を表現する行動)だけを行ないなさい。
その結果あなたに明晰さ(明晰な理解)がもたらされ、「神の法則が統治している場所」にあなたは移動するのです。 その場所で修正/変容/癒やしが起こるのです。

他者にあなたの問題を理解させようとして時間を無駄にするのは今すぐ止めなさい。
「“misery loves company” 惨めさは同類を求める 」ということわざがありますね。
これは「相互合意が(人間の)人生の常套手段である」ということと同じ意味です。

あなたは「問題に関して他の人達と相互合意すること」に関わるべきではありません。
あなたは「その問題がどのようにリアルなのか」、「何故あなた達はみじめに感じるべきなのか」ということに関する相互合意を他者と取り交わすべきではありません。
あなたは「問題の酷さがあなたを無力にしてしまうので、あなたには状況を変える手立てがない」という言い立てがなされている時、それに合意するべきではないのです。
わかりますか?


憂鬱を感じ始めた時、それをすんなり受け入れてしまうのは止めなさい。
「ああ、私は気落ちし始めている。 このシーズンのストレスがたまり出したから。」などと言ってしまってはいけないのです。
もし自分が憂鬱に成り始めていることに気付いたなら、そこでは誰かが示唆を行なっていると直ちに理解しなさい。 

その時あなたは、問題を理解するように求められていたのです。
その時あなたは、その問題に関してその人に同情し、その人と同意することを求められていたのです。 (しかし、そうハッキリと口に出して言われる訳ではないのですが。)
「これは(憂鬱な状態が実存しているという)言い立て(示唆/招待)であって、事実ではない」と理解出来たなら、あなたがそこに落ち込むことはないでしょう。
すると憂鬱の初期状態は消えてなくなります。  
「自分はストレスを受けているから憂鬱に成っているに違いない」と考えてしまうことにあなたが引っ掛からなかったなら、憂鬱は消えて行ってしまうのです。

あなたは、ストレスを受けた結果として憂鬱になるのではないのです。
あなたは、参加したくない行動に誰かから誘われたから{それを上手く断れなかったから}憂鬱になったのです。
「何らかの状態が実際に憂鬱をもたらす原因であって、その状態が去るまであなたは憂鬱であり続けるしかない」という相互合意にあなたは参加するべきではないのです。

だから、私はあなた達に注意を促しているのです。
何故なら、憂鬱を感じながらこの休日を過ごす必要はないのだから。
「そこで実際に起こっていることは、あなたには受け入れられない招待(同意できない訴えかけ)がなされているだけに過ぎない。 そしてあなたはその招待を辞退すること(訴えかけに同意しないこと)が出来る。」とあなたが理解するだけで良いのです。
「苦しみがリアルであり得る」という相互合意の中で他者と繋がることは、「二つのステップ」ではありません。 それは「聖なる瞬間」の実践ではありません。

『「苦しみがリアルであり得る」という相互合意の中で他者と繋がること』は、「私(イエス)の中で起こったことがあなたの中で起こること」を可能にはしません。

私(イエス)の中で起こったこととは、「相互合意されている定義群に同意せずに、それを否定すること。 そして私が私の父と繋がって、あなたがあなたの父と繋がって、真理を共有すること」なのです。
わかりますか?

これは自分の選り好みに固執して他者を否定し続けることとは違うのです。
あなたは(リアルではないものを)否定して、「あなたが否定したもの」を明晰な真理で置き換えるのです。
(あなたがそうすることによって)他者にも聖なる瞬間が実践出来るようになるのです。
(あなたがこれを行なうことによって)他者にも二つのステップが行なえるようになるのです。

(二つのステップを行なわずに)他の人達と同意してしまうことは止めなさい。
(聖なる瞬間が提示している適切な)否定を行い、彼等を正しい道に導きなさい。 癒やしをもたらすことを可能にしなさい(他の人達がそれをやり遂げるにしろ、やり遂げないしないにしろ、それには関係なく、あなたはやり遂げなさい)。 

今がギフトを与える時なのです。  
父が与え続けているギフトがあなたなのです。
だからあなたは今、父のギフトを与え続ける者になりなさい。
これがあなたの役目なのです。 そしてこれが目覚める方法なのです。
これがクリスマスのシンプルなメッセージなのです。

そして、「自分達が誰か」気付かずに過ごしてしまうことは、このクリスマスで終わりにしなさい。

私はあなた達全員を(あなたの全てを)愛しています。
次にお会いする時を楽しみにしています。

「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはその様なものだから。 
貴方と同等の方が既にこのギフトを貴方に差し出したので、これらの資料が貴方に提示されています。 Raj の指示により、これらの資料が売買される事はありません。 この機関「Northwest Foundation for A Course In Miracles」へ募金される場合、下記のWEBサイトを通して行なうか、あるいは下記の住所に郵送して下さい。
この日本語翻訳はNWFFACIMの運営には直接関与していない一個人が行ったものです。


A Course in Miracles Study Group with Raj, December 18th 2010
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Author:翻訳 岡上
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