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帰国

この4月上旬に日本(東京)へ一時帰国することにしました。 

先週土曜のラジの放送が中止されたので、代わりに今晩放送される予定です。
なのでNWFFACIMのWEBへ行って待っていると、前回のビデオが流れ始めました。
予習のつもりで聞き流していると、「ウンウン、良く解る(翻訳してるから、あたりまえだけど)」、殆どの話が私の現在の状況を言い当ててますね。

と言うか、ラジを丹念に聞き続けるとそうなるように出来ているみたいです。
だから、ある意味では「ここには操りが在る」とも言えます。(こういう言い方が嫌いな人もおられると思いますが、私の実感ではそうなのです。)
目覚められるようにわざと操られるわけです。 

そんなことを思っていると少し離れた街に住んでいる父から電話が掛かってきました。
「お祖父さんの三十三回忌があるけど、お前も日本へ行くか?」
「行きましょう!」
死を認めていない私が、お祖父さんの三十三回忌へ日本へ行きましょう!

日本に行ったらこのBlogを読んでいる人達に会いたいです。


追伸
少し前にラジの最新の放送がありました。 英文がウェブに上がり次第それを和訳します。

もう一つ追伸
昨日の出来事で一番驚いたのは、”Fuck! Who’s screwing with me!!” 『糞! 誰がオレをコケにしているんだ。』という大変流暢な英語が本当に聞えたのです。 それは私の口や頭から出たものではなく、小さな見えない悪魔(幻想)の声が顎の横を通り抜けて行きました。

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

予期せぬ声

ここ数日翻訳もACIMもお休みでした。
聖書を少し読んで、神に祈って、ガイダンスを書き取って過ごしました。
一昨日は夜通し聞き訊ねていました。 少し答えが聞えたので喜んで朝を迎えましたが、昼には気分が落ち込んでしまいました。
昨日の夜は一段と寝苦しくて、神に訊ねながら過ごしていました。

すると突然エゴ(分離・悪魔)の声がとても小さく聞えました。 「チクショウ、誰がオレを苦しめているんだ!」
すこし笑ってしまいました。

すると神を賞賛する声が聞こえてきました。 Praise the Lord.  Praise our Lord.
一体誰が言っているのでしょう?
不思議なことに、それは私が言っているのです。
神に賞賛あれ。 神に栄光あれ。 神が全てを治めている。
全てが楽になりました。
自分で決めることは出来ないのです。 神が行くところに私もついていきましょう。

神様に自身を証明してもらおうとしても無駄でした。
神様に私を証明してもらいおうとしても無駄でした。

神は私ととても似ています。 誉めて貰うのは大好きです。

神様はどこにいるのでしょうか?
私の父のいる所に神様がいます。 私の母がいる所に神様がいます。私の妹がいる所に神様がいます。私の妹の旦那がいる所に神様がいます。 私の妹の子供たちがいる所に神様がいます。私の恋人がいる所に神様がいます。 そして私の部屋の中にも、空にも、海にも、山にもいます。
そこからわたし達を見ています。

どうしたら神様の声が聞こえるでしょうか?
それはとても優しい声なのです。
それは私の鼓膜を動かしません。

私の神は断罪しません。
あなたの神は断罪しません。
神はあなたを待っています。

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

ホリーネス

ホーリネス(神聖/神性)に関するガイダンス   (サン~ローズ)


あなたを含めた全ての人達が自分達自身の神聖を抱擁し受け入れるべき時なのです。

分離が発生した時、限定的なアイディアが起こり、それが表現されました。
すると直ぐに神の子は細分の恐怖を味わったのです。 自分自身を全体性から離れた限定的存在として感じたのです。 (実際には、全体性は今でも常に成立し続けているのですが。)

そのとき神の子の一部はその状態を受け入れることを拒否し、バランスと平和を取り戻しました。 しかしそうしなかった人達もいたのです。
これは、クスリを試して直ぐに止める人と、それに中毒してしまう人がいるようなものです。

これは完全に選択の問題で、だから「もう一度選び直しなさい」という私の言葉が重要なのです。
そして本当にこれは選択し直すという「こんなにシンプルなこと」なのです。

「あなたは一度間違った選択を行なっており、今あなたはより良い選択をすることができるのです。」

以前にも伝えた言い回しをもう一度示しましょう。
「あなたは常に『あなたの弱さ』と『キリストとしてのあなたの強さ』のどちらかを選んでいるのです。」
このことは幾ら強調しても強調し足りません。

あなた達は文字通り冒涜を選んだのです。
冒涜とは神聖の正反対なのです。
そしてこの選択がどれだけ悲しいものだったか示すために、神聖とはなにか説明しましょう。

神聖とはなによりもワンネス(一体性)の体験です。
そして神聖(Holiness)の姉妹は全体性/健全性(Wholeness)です。

だからあなたが自分の神聖に手を伸ばしている時、あなたはそれを一人でしているのではないのです。

エリザベス・バレット(Elizabeth Barrett)が「理想的恩寵と存在の果てを求めて、眼に見えないところへ手を伸ばす」“feeling out of sight for the ends of Be-ing and ideal Grace.” と言った時、彼女はこのことに気付き始めていたのです。

神聖を(ワンネスを)忘れてしまったあなた達一人一人がこれをしなければいけないのです。
手(身)を差し伸ばして、私を(あなたのガイドを)感じなさい。
するとあなたは自分が本当は孤独ではないことを理解し、(あなたが感じていた孤独にも係わらず)自分が決して一人になったことはないと理解するのです。

余りに長い間(宗教や無神論の下で)「相互合意されている定義」が「あなたは人間でしかないので、あなたの中から余り良きことは期待出来無い。あなたは死を定められている者だ」という冒涜を教えてきました。

あなたが見ている世界{あなたが世界に与えた定義/限定}の全てが、これをあなたに教えています。

「あなたがいつか死ぬ」という信念が、その証明{として使われています}。
この「事実」(と呼ばれているもの)をあなたは硬く信じており、それに固執しているのです。
「死」とは、この世界{あなたの定義群}の無力な神なのです。
そして現在あなた達は喜んで死を崇めています。 何故なら、死が存在しているとあなたが考えていることが、あなたが夢見続けることを可能にしているから。

そして夢見ることは分離し続けることなのです。
(たとえ幾人の人達にあなたがアイラブユーと言ったとしても)夢見ることは孤独なのです。
夢見ることは健全/全体ではありません。 夢見ることは神聖ではないのです。

神聖とは、あなたの源に戻る体験なのです。 それはあなたが源に戻った状態なのです。
{精霊/ガイド/神/イエスに向かって}「助けて!」と言うことの中には、あなたに想像出来る以上の神聖が存在しています。
孤独を捨てる喜び、愛のリアリティに対する抵抗を手放す喜び。 アア、その安堵。

あなたは決して冒涜(非神聖)には成れませんでした。
そのようなことは不可能です。

あなたは自分の意志(主張)を使って自分の神聖を塞いでいるだけなのです。
だから、それを取り除くことはとても容易です。

たしかにそれ(自身の神聖をブロックすること)はあなたの性癖になっています。
しかし性癖は容易に取り除くことが可能です。
ゴール(目標)がこのようにとても愛らしく、そしてあなたにはこんなに沢山の助けが与えられているのだから。

二千年に亘って私はあなた達を助けようとして来ました。
そしてあなた達全員がわたし達のワンネス(一体性)に目覚めるまで、あなたの神聖に目覚めるまで、私は何処にも行きません。

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

プロフィール

翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

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