ACIM11-02-19
Febrary 19th, 2011 ©NWFFACIM 2011年 2月 19日
原文テキスト
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オーディオ&ビデオ
参照ページ
1H. G. Bohn, Hand-Book of Proverbs, 1855
2Quotations Book by John Flavel
Chapter 17 – FORGIVENESS AND HEALING
3 Sparkly Book – p.400 / JCIM – p.168 / CIMS – p. 337
Chapter 17 – FORGIVENESS AND THE HOLY RELATIONSHIP
First Edition – p. 327 / Second Edition – p.351
4Bible: Luke 22:42
こんばんは、ようこそ。
わたし達は目覚めへの鍵がとても明確に示されている箇所に到達しました。
聖なる瞬間の実施が、二つのステップの実行が、目覚めへの手段なのです。
それ以上なにも複雑なことはないのです。 そしてこれ以上に意味深いレッスンも存在していません。
コースのこれ以降の部分は、どのようにして人々が聖なる瞬間を避けているか説明しているのです。
皆さんには、わたし達がコースの教えの一番大切な部分に到達したことを知って欲しいのです。
そしてこれをあなたが忘れないように私は念を押したいのです。
これ(二つのステップ/聖なる瞬間の実践)を止めてはいけません。 わたし達は、この本を読み続け、愛の意識(愛の気付き)へのブロック(障害)を取り除きながらも、これ(二つのステップ/聖なる瞬間)を忘れてはいけないのです。
さてこれ以降読み進んで行くに従い、わたし達が使っている様々な(気付きへの)ブロックがこの本の中に説明されており、その中にはあなたにとって物凄く腑に落ちるものもあることでしょう。
しかし、あなたは「自分が聖なる瞬間をブロックしている全ての方法」を調べ上げる必要は全く無いのです。
あなたに必要なのはそれ(二つのステップ、聖なる瞬間)を今...今...今実践し続けることです。
愛の意識(目覚め)へのブロックに関して読みながらも、これを実践し続けなさい。
これから先の部分を読みながら「おお、人間のマインドは何と不思議に働くのだろう。」などと考え、それに関してお喋りを続け、思考し続けてしまってはいけません。
あなたは「どのように人間のマインドが働くか」考えることも放棄するべきなのです。
何故なら、あなたが考えている限り、あなたは聖なる瞬間を実践していないのだから。
思考し続けている限りあなたは、聖なる瞬間を妨げている唯一の事をし続けているのです。
先週あなたはラジカルになろうとし、(思考/反応)を躊躇して今...今...今に父の視点は訊ねたなら光明が得られたかもしれません。 その時あなたには父の素晴らしい視点の一例が示され、それは今までのあなたのものの見方からはラジカルに異なったものだったかもしれません。
あるいは、先週あなたの体験はより悪い方向に進んでいるように見えたかもしれません。
その理由はシンプルです。 エゴはそう簡単にはあなたの注意を手放そうとはしないのです。
あなたがエゴ(分離感覚)から離れそうになる度、それは一生懸命あなたの気持ちを逸らそうとするでしょう。
エゴはどのようにしてあなたの注意を逸らそうとするのでしょうか?
エゴは目覚めに対抗する言葉(フレーズ)をあなたに与えるのではなく、状況をより良くするとても興味深いプロジェクト(チャレンジ)を示唆することにより、あなたの気持ちを逸らそうとするのです。
あなたが取り組むべき(あなたが発達させるべき)新しいラジカルなプロジェクトを示唆することにより、エゴはあなたが静寂に留まることを阻止しようとします。
あるいは、他者の行動に忙しく注意を払わせることにより、あなたの注意を逸らそうとします。
そうしてあなた一人で(自分を神の意志に譲ることなく)慈悲深い助けを与えたり状況を正したりさせようとするのです。
しかし目覚めへの鍵は、聖なる瞬間の実践は、全くシンプルなことなのです。
それはあまりにシンプルなので、あなたの注意から取りこぼされてしまっているのです。
あなたが思考を止めた時、あなたが自分の静寂の中に入ってそこから父に訊ねた時に、あなたは思考を止めているのです。
目覚めへの鍵は静寂(静かになること)なのです。
(あなたの静寂の中で)父や精霊に訊ねることが絶対必要なのです。
訊ね聞いて、そこに示されていること(あなたの静寂の中に表明されていること)を受け入れることが必要なのです。
ほとんどの人達は「目覚めることとはより意識的に(明瞭に)考えられるように成ることだ!」と思っています。
眠っていない時あなたは目覚めていて、だから必然的に、起きている時には自分は考えている(とあなたは考えています)!
しかし瞑想を学んだ人なら「思考することなく意識的であること(目覚めていること)が可能である」と知っているのです。
静寂の中に存在するあり方があるのです。 だから思考と存在は同じものではありません。{「存在すること」と「思考すること」は同等ではありません。}
「存在すること」が必然的に思考を内包しているわけではないのです。
思考はあなたの存在にとって必然的(根源的)なものではないのです。
「あなたが考えているという事」があなたを「あなたとして存在させている」わけではないのです。
あなたはただ「あなた」なのです。 マインドの静けさの中であなたはそれを体験するのです。
そして思考(考えること)があなたの存在と全く関係ないという事実を体験したなら、あなたは自由に聞けるようになるのです。
そうなって初めてあなたは「私が体験している『静寂の中の終わりなき私』の真理は何だろう?」と自由に訊ね聞けるようになるのです。
「この静寂の中に居る私の真理は何だろう? 私のマインドが体験するべき真理は何だろう?」と訊ね聞けるようになるのです。
しかし、まだあなたは思考しないではいられないように条件付けられています。
“An idle mind is the devil’s workshop”「怠惰な(考えていない)マインドは悪魔の巣窟である」というフレーズをご存知でしょうか(アメリカでは昔頻繁に言われていた言い回しです)。
「子供達のマインドを怠惰にしていてはいけません。(怠惰なマインドのまま大きくなったなら)問題を起こすようになってしまうから。 問題を解決するためにあなたにはマインドが与えられているのです。 あなたの役目は問題を{自分で考えて}解決することです。」 (あなたはこのように躾けられて来ませんでしたか?)
しかし目覚めへの鍵は「思考からもたらされる全てを放棄すること」なのです。
思考の結果もたらされるのは想像上の構造(枠組み)で、それがあなたの注意を引き付け続けてしまいます。 それが「静けさの中で神の小さな静かな声(真理)を聞くこと」を不可能にしてしまいます。
問題はこれだけなのです。
コースがこれほど冗長なのは、「どれだけ多岐に亘る方法で思考し続けるようあなた達が則され続けているか」示すことが重要だったからです。
静けさが起こらないよう、どれだけ多くの方法(言い訳)が使われて来たか示す必要があったのです。
怠惰な(静かな)マインドを持たないよう(あなたが幻想から開放され得る環境が起こらないよう)、どれだけ多くのマインドのトリックが存在し、どれだけ多くの細かいマインドの性癖があり、エゴの特性が実践されているか(示すためにACIMはかくも長大なのです)。
あなたが幻想から開放される環境とは、静けさに注意が与えられており、それに対して好奇心が与えられ「父よ、ここの真理はなんですか?」と訊ねられる環境のことです。 つまり父に譲ることが出来るようになるべきなのです。
しかし「それを行なったなら自分は無くなってしまう」とあなたは考えています。
しかし、あなたの聖なる全体性の中にいる「あなたであるもの」が、創造を(あなたが定義したものとしてではなく)それそのものとして体験するあなたの能力が、あなたの生得権(持って生まれた権利)であり、それがあなたなのです。 {「創造をそれそのものとして体験している者」こそが、本当のあなたなのです。}
創造が認識されている場所があなたなのです。
創造の認識の中に、創造を認識することにより創造に参加することによって(創造に相応しくないものを何も取り込まないことにより共同創造者に成ることによって)、創造の全てをそれそのものとして体験することがあなたの存在の喜び(あたの存在理由)になるのです。 何故なら、それこそがあなたの役割なのだから。
だから、あなたが先週難しい体験をしていてもいなくても、二つのステップ/聖なる瞬間の実践が実を結んだように見えていたにしろいないにしろ、目覚める方法は一つだけです。
そしてそれを継続し続けるだけなのです。
「私には信心が足りません。 継続するだけの力が自分には無いのです。 これは私が考えていたことよりもだいぶ難しそうです。」とあなたは言うかも知れません。
しかしそれは真実ではないのです。
あなた達の殆ど全員は人生の中で少なくとも一度は次のような体験をしているはずです。
その時あなたはあまりに疲れて困憊しており、(孤児の)フリが出来なかったのです。 その時あなた自身でいないことは出来なかったのです。
その時あなたは、自分には成り得ない者に成れているフリを続けるには疲れすぎていました。
あなたは全てをギブアップしたい気持ちになっていました。
そしてあなたがギブアップしたとき啓示が起こったのです。
“Man’s extremity is God’s opportunity.” 2 「人の困難は神のチャンス」ということわざがあります。
それは本当にあなたが希望を失っていて、故に真のあなたとして存在する以上のエネルギーを全く持っていない時、その瞬間光が灯るのです。 光明が起こるのです。
あなた達は何らかの形でこのような体験をしています。
もしあなたがこれをまだ体験していないなら、近くそれを体験することでしょう。
何故なら目覚める時が来ているのだから。 それは確約しましょう。
つまり目覚めに値する存在に成ろうとする必要はないのです。
必要なのは(何者かに成ろうとする)努力を手放して、あなたが自発的に(あるいはやむおえず)降参(ギブアップ)する地点に到達することなのです。 「自分の意志を通そう」とすることを止めて「あなた(神)の意志がなされますように」と言ってそう意図出来るようになることなのです。
それが必要なことの全てです。 これはあなたが自分の最後の切り札を手放して、完全にコントロールを放棄することなのです。
これは(これが自分の当然の権利だとあなたが考えている)あなたの人生を考えて生きる権利を手放すことなのです。 あなたの問題に関して考えてそれを解決しようとすることを放棄することなのです。
自分の想像の中で作り上げたものよりも遥かに優れた視点を与えてくれる助言者があなたの隣にいたなら、その助言者が(あなたが今まで無視して来た)あなたの真の視点をあなたに与えたなら、それは価値や有効性を失うプロセスではなく、(あなたには想像することさへも出来なかった)より完全な価値と有効性を明確に示すことなのです。
これがわたし達のしようとしていることです。 あなたはこれを覚えておく必要があります。
そしてあなたは毎日これを実践する必要があるのです。
今まであなたは日々の事柄を「思考を使って自分の成功をデモンストレートする機会」として捉えてきました。
これからは日々の事柄(日々の暮らし)の中であなたは「父よ、ここの真理は何ですか? 父よ、ここの真理は何ですか? 私の意志ではなくあなたの意志がなされますように。」と言い続けるべきなのです。
「あなたの意図は何ですか? 私が自分一人でしようとしていることは私を暗闇に留めてしまいます。 自分一人の判断で行動する事はとても馴れ切った行動だけれど、それは私を無知なままにしてしまいます。」
目覚めの「プロセス」で、あなたは自分に今まで意味を与えて来たはずのこと(独立的思考/行動)を放棄しなければいけないのです。
それ故にあなたはこのプロセスに信心を与えたがらないのです。 この目覚めのプロセスに依存して(今までの在り方)を手放すことを嫌がっているのです。
これがシンプルな事実です。
だから目覚めはあなたの条件付けに逆らうことなのです。 これは本当にそうなのです。
もしそうでなければ、あなた達はもうすでに目覚めていることでしょう。 何故って目覚めること自体はとてもシンプルなのだから。
これを理解しておいてください。 目覚めのプロセスがとても不自然に思えた時「これが神聖なる行為のわけがない。 神がこのようなことを設定するわけがない。 私が目覚めるべきならこれはもっと簡単で良い筈だ。」と考え始めてしまわないように。
あなたはこのように考えて「怠惰な(静かな)マインドは悪魔の巣窟」だと自分に信じ込ませようとしてしまっているのです。 怠惰なマインドは、静かなマインドは忌むべきものだと考えられてしまっています。「それが本当かどうか実際に試してみるなんて止めるべきだ。」 というわけです。
しかし目覚めの引き鉄を引く行動は、(神の意志に逆らうことを)何もしない行為なのです。
それは行為のない行為です。 それは今までのあなたには信じられないほど、なにもしない行為なのです。
本を読みましょう。 この章の題名は。
[FORGIVENESS AND HEALING]3 [FORGIVENESS AND THE HOLY RELATIONSHIP]
17章 [赦しと癒やし] あるいは[赦しと聖なる関係]
[The betrayal of the Son of God lies only in illusions, and all his "sins" are but his own imagining.]
[(神に対する)神の子の裏切りは幻想の中にだけ存在しているのです。]
裏切りとは誰かを敵に引き渡すことです。 誰かの不利になることをわざとするのが裏切りです。
あなた達はお互いに対して常にこれを行なっています。
あなた達はお互いを見て「彼女は神の子ではない。彼は神の子ではない。」と言い続けています。
「彼は嫌なヤツだ。 彼女は嫌な女だ。 彼が昨日した事を知っているかい...クダ、クダ。」
あなたは自分の兄弟姉妹を毎日裏切っています。 それは何故でしょう?
何故なら、あなたの行動には彼/彼女の中に神を認めることが含まれていなかったからです。
あなたは、それ以外のもの、神とは似ていないものを彼/彼女の中に認識する行為をしていたのです。
神と似ていないものとは、神に反するもの、神に抵抗しているもの、良きことの反対物です。
そうしてあなたは彼/彼女をあなたのマインドの中で(そしてあなたの行動の中で)有罪にして地獄に送るのです。 神聖でないポジションに彼/彼女を据えるのです。
そしてあなたは彼/彼女の不神聖(穢れ/不道徳)を皆に知らせて、自分自身をより良く見せようと(自分の地位をより確かにしようと)するのです。
しかし「父よ、私は自分のやり方で物事を見てみたいです。 父よ、私自身で定義したいです。 私は離縁を求めます。」と言ったとき、あなたはあなた自身をまず裏切ったのです。
何故なら、その時あなたは「自分の源から分離した残りもの」に自分を引き渡したのだから。
あなたが自分の源から分離した時、源とは似ていないもの(全く違うもの)だけがあなたに残されていたのです。 だからあなたは自分を裏切って(あなたが自分のものだと考えている)エゴに自分自身を引き渡したのです。
だから、
[The betrayal of the Son of God lies only in illusions, and all his "sins" are but his own imagining. ]
[(神に対する)神の子の裏切りは幻想の中にだけ存在しているのです。]
次を聞いてください。
[His reality is forever sinless. He need not be forgiven but AWAKENED. ]
[彼のリアリティは永遠に無罪無垢なのです。彼に必要なのは赦されることではなく、目覚めることなのです。]
わたし達は赦しに関して話してきましたが、しかし
[He need not be forgiven but AWAKENED. ]
[彼に必要なのは赦されることではなく、目覚めることなのです。]
そのために二つのステップがあるのです。 それはあなたを無限に向上させて行くのではなく、瞬間的にパーフェクトにするのです。 それは瞬間的にあなたの神聖が体験出来るようにするのです。
これが目覚めです。 これは赦しではありません。
[In his dreams he HAS betrayed himself, his brothers and his God. Yet . . .]
[彼の夢の中では、彼は彼自身と彼の兄弟と彼の神を裏切りました。]
そして次がキーです
[. . . what is done in dreams has not been REALLY done. ]
[しかし夢の中で行なわれたことは、実際には(リアリティの中では)行われていないのです。]
だからあなたが自分の周りの全てを見て「これは物理的世界にしか過ぎない、これは偶然に出来た惑星/世界で、純粋に物理的な進化の結果で、神の聖なる法則とは全く関係がない」と言ったなら、あなたは天国を誤認識しており誤解しているのです。
何故なら天国だけがあなたの目の前にある体験なのだから。 それをあなたはクリアに直接体験しているか、そうでなければ曇りガラス(色眼鏡)を通して歪めて体験しているのです。
あなたが暗い色眼鏡を通して天国を見ていたとしても、その行為を通してあなたが天国を変化させたわけではありません。 あなたは自分の知覚を変化させただけなのです。
だからあなたが天国(リアリティ)を見ていて、そこに怪我/病/罪などが現れているなら、それはあなたが使っているレンズ(色眼鏡の歪み)のせいなのです。
そこにあるのは実際のダメージや怪我などではなく、それに操作を加えてより良い形に作り直す必要はないのです。
(操作を加えるのではなく)あなたは自分が使っている(それを通してリアリティを眺めている)色眼鏡を取る必要があるのです。
そうすれば罪/病/死の幻想が止まるのです。 何故ならそれらのことは本当に起こってはいなかったのだから。
それは神の創造の現在の現れ(今この瞬間の天国)に対する現在の(あなたの)誤認識なのです。
あなたがこれを理解したなら、あなたが私の言っていることを把握したなら、あなたはラジカルな急激な知覚の変容を受け入れられるようになるでしょう。
何故ならその時あなたは物理的プロセスが起こって物質が変化することを待つ必要はないと理解するのだから。
スピリット(霊)の実体をあなたに物質と呼ばせているレンズ(色眼鏡)をあなたが外したなら、(変りにくいという)物質の様相は変り、そこに現れるのはリアリティ(天国)の歪みない知覚になるのです。
それは単なる知覚だけではなく、フィーリングでもあるのです。 何故なら、ソファーでもカーペットでも花でも意志でも、それらは完全に神聖なのだから(完全に神々しいのだから)。
そしてそれらはあなたの神聖から離れた神聖ではないのです。 これは生きている愛なのです。
これは(創造のこの一部は)創造の他の全ての部分に対して愛を表現しているのです。 だから創造の全てが創造の全てを常に祝福しているのです。
このフィーリングは、あなたが今体験しているものとはラジカルに(全く)異なっているのです。
何度も言っているように、この体験(生きている愛の体験)に到達するために長い時間が必要とされているわけではありません。
必要なのはある種の無防備なのです。
必要なのは激しく働くことではなく、一生懸命働いて自己防御しようとすることを止めることなのです。 強く防御するのではなく、無防備に在ることが必要なのです。
[Yet what is done in dreams has not been REALLY done. It is impossible to convince the dreamer that this is so, for dreams are what they are BECAUSE of their illusion of reality. ]
[しかし夢の中で行なわれたことは、実際には(リアリティの中では)行われていないのです。夢見ている人に対してこれを証明することは不可能です。 何故なら夢見ている人達は、リアリティに対する彼等の幻想故に、夢見ている人に成っているのだから。]
あなたが夜夢見ている時、そこ(夢の中)で起こっていることがリアルでないと示すものはそこ(夢の中)にはないかもしれません。 しかし、
[It is impossible to convince the dreamer that this is so, for dreams are what they are BECAUSE of their illusion of reality. Only in waking is the full release from them, for only then does it become perfectly apparent that they had no effect on reality at all, and [it] did not change it. ]
[夢見ている人に対してこれを証明することは不可能です。 何故なら夢見ている人達は、リアリティに対する彼等の幻想故に、夢見ている人に成っているのだから。 目覚めることだけが彼等を完全に解放するのです。 何故なら目覚めることによって初めて、彼等は自分達がリアリティに対して全く影響を与えておらず、自分達がリアリティを変えたわけではないとハッキリ明確になるのだから。]
あなたの夢がリアリティを変化させたわけではないのです。
つまりこの瞬間も、今そこに神が成っているもの(花瓶に成っている神/カーペットに成っている神/花に成っている神)は、(それそのものとして存在し続けており)全く変更されていないのです。
あなたが居るそこに(あるいは何かが在るそこに)神が成っているものの真実が今あなたに与えられているのです。 しかし歪められている知覚が「この真理があなたに届くこと」を阻止してします。 しかしあなたの知覚の歪みがリアリティそのものを変えてしまったわけではないのです。
これを忘れないようにしなさい。 何故なら、これはあなたの従来の考え方からは不条理に思えることだから。
あなたは正しい思考をすることを通して自分を助けなければいけません(これも余り良い表現ではないですが)。
しかし私の言っていることを考慮してみたなら、あなたがどのような事態に面していたとしても(たとえそれがどれだけ神聖でなく見えていたとしても)、そこにある聖なる真理は、神がそこにあらわしている真実は、今そこに(あなたの目の前に)現れていることがわかるでしょう。
その真実は(あなたが対面している事態の真の姿は)、今すでにあなたに与えられているのです。
それを見るために必要なのは、「それがなんだか知っている、自分には判っている」というあなたの自信を手放すことだけなのです。 必要なのは、物事を自分の好きなように見るあなたの権利を放棄することなのです。 つまり“Not my will but Thine be done.”4「私の意志ではなく、あなたの意志がなされますように。」というわけです。
[Fantasies CHANGE reality. That is their PURPOSE. They cannot do so in reality, but they CAN do so in the mind that would have reality different.]
[幻想(ファンタジー)はリアリティを変えようとするものです。 それが幻想の目的なのです。 しかし幻想が実際にリアリティを変えることは不可能です。 しかしリアリティを変えたいと思っているマインドの中では、リアリティを変えているように見せることが可能なのです。]
「父よ、私は自分のやり方で見たいです。」といっているマインドの中ではこれが可能なのです。
「父よ、私はあなたと繋がらずに全てを体験してみたいです。 あなたの視点を体験せず、あなたが体現している意味(あなたの神聖な自己/そこに現れているあなたの神聖な存在)を体験しないことを私はやってみたいです。」
あなたに必要なのはそれ(父の視点を拒否すること)を求めないで「私にはカーペットの意味は全くわかりません。 このカーペットと呼ばれているものの中に体現されている神の神聖なる動きが何なのか私には全くわかりません。」と言うことなのです。
こうして全てに対して好奇心を発揮するべきなのです。全ての生きている様子をあなたは父に訊ねるべきなのです。
[It is, then, only your wish to change reality that is fearful, . .]
[だから「リアリティを変えたい」というあなたの望みだけが「怖ろしい」のです。]
あなたは物事を(リアリティとは、神の視点とは)違う風に見ようとしたことにより、怖れを導入したのです。
しかし「ウーム、あそこに今まで見たことがない虫がいる。それを神の視点以外の見方で見てみよう。」とあなたが実際に言うわけではありません。
あなたは自動的/瞬間的/慣例的にそれを見て、自分の最上の回答(見解)を出しているのです。 (神から来る)啓示体験を呼び入れることなく、あなた独自の調査を放棄することなく、あなたは自分に出来る最高の論理を即座に使用しているのです。
だから、
[It is, then, only your wish to change reality that is fearful, . .]
[だから「リアリティを変えたい」というあなたの望みだけが「怖ろしい」のです。]
そしてあなたは、リアリティがどのようなものか自分一人で決めることにより、リアリティを変えたいと思っているのです。
[. . . because by your wish you think you have ACCOMPLISHED what you wish. ]
[何故なら、「自分がそう望むことによって、自分は望み通りのことを達成した」とあなたは考えているのだから。]
これが夢なのです(これが夢を成り立たせているのです)。
夢はリアルではないのですが、夢はとてもリアルに見えるのです。
物事に定義を与え、その定義に基づいて、物事がどのように働くか理解することにより、あなたは自分の目的(リアリティを変えること)を達成したと考えています。
しかし問題は、物事の意味を理解しようとしている時にあなたが使っている論理と理由付けは根源的無知(基本的に間違っているマインド)から導かれている、ということなのです。
何故ならあなたは、自分の無限のマインドの中から小さな部分を取り出して{その小さな部分だけが自分なのだと定義し}、それを周りから切り離し、他の全てから分離したのだから。 そして(あなたが自分自身を切り離した)その他の部分が精霊(あなたが卑小な部分で遊んでいる間安全に預けられているあなたの正しいマインド)になったのです。
そしてあなたは自分の業績(あなたが達成した偉業)の「とりこ」に成ってしまっているのです。
あなたは、このようにして「自分が本当に何かを達成したと感じた時の興奮」に中毒しているのです。 しかし実際には、あなたは自分の源(自分のマインド全体)から分離したフリをしているので、(そのフリをしている限り)あなたが正しい結論(見解)を得ることは不可能なのです。
[This strange position, in a sense, acknowledges your power. ]
[この不思議なポジション(状況)が、ある意味では、あなたの力を認めているのです。]
あなたは力(パワー)を持っています。
しかしあなたの力は神の動きを知覚し認めるためのものなのです。
神の動きを意識し、それをそれそのもの(創造の動き全体を完成させている状態)として認め、それそのものとして体験することがあなたの力なのです。
[. . . you think you have ACCOMPLISHED what you wish. [And] This strange position, in a sense, acknowledges your power. Yet by distorting it, and devoting it to "evil," it also makes it unreal. ]
[「自分は自分の望みどおりのことを達成した」とあなたは考えているのだから。
[この不思議なポジション(状況)が、ある意味では、あなたの力を認めているのです。
しかしそれを(あなたの力を)歪め、それを「悪」に捧げることにより、それは(あなたの力は)リアルではなくなっています。]
『「悪」に捧げる』とはどういう意味でしょう。
あなたは自分の力を「神ではないもの」に捧げている(神ではないもののために使っている)という意味です。
何故なら、あなたは自分の源と繋がっておらず、父と繋がっていないので、あなたは神ではない想像上の存在と繋がっているのだから。
そして神でないものは「良きもの/良いもの」ではないのです。
神でないものは悪なのです。 悪は力ではなく、存在でもありません。
悪とは、神を(あなたの生得権を)否定している状態に留まっている限り、あなたがしている体験のことなのです。
あなたはこの体験に中毒しており、父に逆らって働いており、自分の目覚めを妨げるように働き続けているのです。
これが破壊的なのです。 そして破壊的なことに対しては「悪」という言葉が適切なのです。
[Yet by distorting it, and devoting it to "evil," it also makes it unreal.]
[しかしそれを(あなたの力を)歪め、それを「悪」に捧げることにより、それ(あなたの力)はリアルではなくなっています。]
何故でしょう?
何故なら、(現在のあなたの力は)分離/細分された孤児的なマインドの領域に全てを持って行っているからです。
しかしそこでは実際には何も起こっていません。 その理由は、分離された孤児的マインドというようなものは実際には存在していないからです。 分離された孤児的マインドは、夢見続けることに固執している「夢を見ている人」の中以外には存在していないのです。
[You cannot be faithful to two masters who ask of you conflicting things. ]
[あなたは、「相反すること」をあなたから求めている二人の主人に対して忠実に仕えることは出来ません。 ]
[What you use in fantasy you DENY to truth.]
[あなたが幻想の中で使ったものを、あなたは真理に対して否定しているのです。]
あなたのプライベートな孤児的マインドの中で、あなたは一生懸命父を否定しているのです。
あなたは父からの離縁を得て、満足げに独立的に振舞っているのです。
あなたは独立と(自分の力/権利で、自分一人で)リアルに成れるかもしれない可能性の快感に酔い痴れています。
この行為が「あなたであるもの」を否定しているのです。 この行為があなたに源が在ることを否定しており、従って父を否定しているのです。
これは混乱したマインド、狂気のマインドなのです。 しかしこの狂気は幻想なのです。
だから、これがあなたを変えたわけではありません。 これが(この狂気が)あなたが誤認識しているもの(リアリティ)を(リアルな狂気に)変えてしまったわけではありません。
[What you use in fantasy you DENY to truth. Yet what you GIVE to truth to use for you is safe from fantasy.]
[あなたが幻想の中で使ったものを、あなたは真理に対して否定しているのです。 あなたが真理に与えたものを、真理があなたのために使います。 そしてあなたが真理に与えたものが幻想によって使われることはなく、(あなたは)安全なのです(あなたが真理に与えたものを、幻想があなたに対して誤用することは不可能なのです)。]
ここでのキーワードは「あなたのために使います」です。
これがエゴにとってはとても侮辱的なのです。 何故なら、あなたは「あなたを統治している何か」に対して完全に譲らなければ(降参しなければ)いけないのだから。
[What you use in fantasy you DENY to truth. ]
[あなたが幻想の中で使ったものを、あなたは真理に対して否定しているのです。]
あなたの独立状況はあなたの生得権の否定なのです。それはあなたが神の子であるという認識の否定なのです。
{あなた達は自分達の幻想の中で自分達の思考(独立的自治的存在として振舞う権利)を使用しており、それは真理を否定している行為なのです。 だから、神から離れたあなた達の思考は、あなた達を真理から遠ざけてしまっているのです。}
[Yet what you GIVE to truth to use for you is safe from fantasy.]
[あなたが真理に与えたものを、真理があなたのために使います。 そしてあなたが真理に与えたものが幻想によって使われることはなく、(あなたは)安全なのです。]
あなたが真理に与えたものが、「何が真理か」あなたに示します。
するとあなたは、もはや「そこに示されている真理に反抗しそれに対抗する視点を持とう」とは望まなくなるでしょう。
これは受け入れるのが難しいかもしれません。
あなたはこのアイディアを理解することが出来るでしょう。 しかし(日常生活の中では)これを取り逃がし続けるかもしれません。
あなたはこの鱗片を垣間見て真理を感じて、しかしこれは(あなたに示されている真理は)直ぐにあなたのもとを去ってしまうことでしょう。
わたし達が話していることを考慮することにより、この 鱗片を(真理を垣間見ることを)自分に与え続けなさい。 これをより多く自分に与え続けることで、あなたの信心が育つように。
思考を止めて聞くことがあなたに出来るようになるように。
そして真の知覚があなたに与えられ、真のあなたの体験が示されて、神の共同創造者としての役割をあなたが受け入れらるようになって、夢を捨てられるように。 罪/病/死の継続をあなたが止められるように。
瞬間的な解放こそが、あなたに体験出来る唯一の解放なのです。
だから聖なる瞬間を実践し続けなさい。
(今までの見方とは本当に違う視点を得たいという)ラジカルな期待を持って二つのステップを行ないなさい。 「見飽きていること」に対する(今までとは)全く異なった視点が、「見飽きていること」が実はとても驚異的なもの(素晴らしい天国)であることを示すでしょう。
そこで(あなたのマインドの中にそのような能力があったとは今まで気付いていなかった)能力/度量が示されるでしょう。 それを取り戻すことがあなたの生得権なのです。
それを(今まで発揮されて来なかったあなたの能力/度量を)あなたに統合させよう(受け取らせよう)と精霊(あなたの良心でしかないもの)は努力しているのです。
これを深刻過ぎるマナーで行なおうとするのは止めなさい。
正確にこれを行なおうとして考えすぎるのは止めなさい。
今週はこれを軽やかに行なってください。 これら全てを軽やかに受け取ってください。
これらのことをあなたのマインドの中に置いて、あなたを浮き上がらせなさい。
より多くを手放せるよう自信を持ってください。
次にお会い出来ることを楽しみにしています。
原文を提供している 「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で(読者に義務を課すことなく)提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはそのようなものだから。
あなたと同等の方が既にこのギフトをあなたに差し出したので、これらの資料があなたに提示されています。 Rajの指示によりこれらの資料が売買されることはありません。 この機関「Northwest Foundation for A Course In Miracles」への募金は下記のWEBサイトを通して行なうか、あるいは下記の住所に郵送して下さい。
A Course in Miracles Study Group with Raj, February 19th 2011
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Chapter 17 – FORGIVENESS AND HEALING
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Chapter 17 – FORGIVENESS AND THE HOLY RELATIONSHIP
First Edition – p. 327 / Second Edition – p.351
4Bible: Luke 22:42
こんばんは、ようこそ。
わたし達は目覚めへの鍵がとても明確に示されている箇所に到達しました。
聖なる瞬間の実施が、二つのステップの実行が、目覚めへの手段なのです。
それ以上なにも複雑なことはないのです。 そしてこれ以上に意味深いレッスンも存在していません。
コースのこれ以降の部分は、どのようにして人々が聖なる瞬間を避けているか説明しているのです。
皆さんには、わたし達がコースの教えの一番大切な部分に到達したことを知って欲しいのです。
そしてこれをあなたが忘れないように私は念を押したいのです。
これ(二つのステップ/聖なる瞬間の実践)を止めてはいけません。 わたし達は、この本を読み続け、愛の意識(愛の気付き)へのブロック(障害)を取り除きながらも、これ(二つのステップ/聖なる瞬間)を忘れてはいけないのです。
さてこれ以降読み進んで行くに従い、わたし達が使っている様々な(気付きへの)ブロックがこの本の中に説明されており、その中にはあなたにとって物凄く腑に落ちるものもあることでしょう。
しかし、あなたは「自分が聖なる瞬間をブロックしている全ての方法」を調べ上げる必要は全く無いのです。
あなたに必要なのはそれ(二つのステップ、聖なる瞬間)を今...今...今実践し続けることです。
愛の意識(目覚め)へのブロックに関して読みながらも、これを実践し続けなさい。
これから先の部分を読みながら「おお、人間のマインドは何と不思議に働くのだろう。」などと考え、それに関してお喋りを続け、思考し続けてしまってはいけません。
あなたは「どのように人間のマインドが働くか」考えることも放棄するべきなのです。
何故なら、あなたが考えている限り、あなたは聖なる瞬間を実践していないのだから。
思考し続けている限りあなたは、聖なる瞬間を妨げている唯一の事をし続けているのです。
先週あなたはラジカルになろうとし、(思考/反応)を躊躇して今...今...今に父の視点は訊ねたなら光明が得られたかもしれません。 その時あなたには父の素晴らしい視点の一例が示され、それは今までのあなたのものの見方からはラジカルに異なったものだったかもしれません。
あるいは、先週あなたの体験はより悪い方向に進んでいるように見えたかもしれません。
その理由はシンプルです。 エゴはそう簡単にはあなたの注意を手放そうとはしないのです。
あなたがエゴ(分離感覚)から離れそうになる度、それは一生懸命あなたの気持ちを逸らそうとするでしょう。
エゴはどのようにしてあなたの注意を逸らそうとするのでしょうか?
エゴは目覚めに対抗する言葉(フレーズ)をあなたに与えるのではなく、状況をより良くするとても興味深いプロジェクト(チャレンジ)を示唆することにより、あなたの気持ちを逸らそうとするのです。
あなたが取り組むべき(あなたが発達させるべき)新しいラジカルなプロジェクトを示唆することにより、エゴはあなたが静寂に留まることを阻止しようとします。
あるいは、他者の行動に忙しく注意を払わせることにより、あなたの注意を逸らそうとします。
そうしてあなた一人で(自分を神の意志に譲ることなく)慈悲深い助けを与えたり状況を正したりさせようとするのです。
しかし目覚めへの鍵は、聖なる瞬間の実践は、全くシンプルなことなのです。
それはあまりにシンプルなので、あなたの注意から取りこぼされてしまっているのです。
あなたが思考を止めた時、あなたが自分の静寂の中に入ってそこから父に訊ねた時に、あなたは思考を止めているのです。
目覚めへの鍵は静寂(静かになること)なのです。
(あなたの静寂の中で)父や精霊に訊ねることが絶対必要なのです。
訊ね聞いて、そこに示されていること(あなたの静寂の中に表明されていること)を受け入れることが必要なのです。
ほとんどの人達は「目覚めることとはより意識的に(明瞭に)考えられるように成ることだ!」と思っています。
眠っていない時あなたは目覚めていて、だから必然的に、起きている時には自分は考えている(とあなたは考えています)!
しかし瞑想を学んだ人なら「思考することなく意識的であること(目覚めていること)が可能である」と知っているのです。
静寂の中に存在するあり方があるのです。 だから思考と存在は同じものではありません。{「存在すること」と「思考すること」は同等ではありません。}
「存在すること」が必然的に思考を内包しているわけではないのです。
思考はあなたの存在にとって必然的(根源的)なものではないのです。
「あなたが考えているという事」があなたを「あなたとして存在させている」わけではないのです。
あなたはただ「あなた」なのです。 マインドの静けさの中であなたはそれを体験するのです。
そして思考(考えること)があなたの存在と全く関係ないという事実を体験したなら、あなたは自由に聞けるようになるのです。
そうなって初めてあなたは「私が体験している『静寂の中の終わりなき私』の真理は何だろう?」と自由に訊ね聞けるようになるのです。
「この静寂の中に居る私の真理は何だろう? 私のマインドが体験するべき真理は何だろう?」と訊ね聞けるようになるのです。
しかし、まだあなたは思考しないではいられないように条件付けられています。
“An idle mind is the devil’s workshop”「怠惰な(考えていない)マインドは悪魔の巣窟である」というフレーズをご存知でしょうか(アメリカでは昔頻繁に言われていた言い回しです)。
「子供達のマインドを怠惰にしていてはいけません。(怠惰なマインドのまま大きくなったなら)問題を起こすようになってしまうから。 問題を解決するためにあなたにはマインドが与えられているのです。 あなたの役目は問題を{自分で考えて}解決することです。」 (あなたはこのように躾けられて来ませんでしたか?)
しかし目覚めへの鍵は「思考からもたらされる全てを放棄すること」なのです。
思考の結果もたらされるのは想像上の構造(枠組み)で、それがあなたの注意を引き付け続けてしまいます。 それが「静けさの中で神の小さな静かな声(真理)を聞くこと」を不可能にしてしまいます。
問題はこれだけなのです。
コースがこれほど冗長なのは、「どれだけ多岐に亘る方法で思考し続けるようあなた達が則され続けているか」示すことが重要だったからです。
静けさが起こらないよう、どれだけ多くの方法(言い訳)が使われて来たか示す必要があったのです。
怠惰な(静かな)マインドを持たないよう(あなたが幻想から開放され得る環境が起こらないよう)、どれだけ多くのマインドのトリックが存在し、どれだけ多くの細かいマインドの性癖があり、エゴの特性が実践されているか(示すためにACIMはかくも長大なのです)。
あなたが幻想から開放される環境とは、静けさに注意が与えられており、それに対して好奇心が与えられ「父よ、ここの真理はなんですか?」と訊ねられる環境のことです。 つまり父に譲ることが出来るようになるべきなのです。
しかし「それを行なったなら自分は無くなってしまう」とあなたは考えています。
しかし、あなたの聖なる全体性の中にいる「あなたであるもの」が、創造を(あなたが定義したものとしてではなく)それそのものとして体験するあなたの能力が、あなたの生得権(持って生まれた権利)であり、それがあなたなのです。 {「創造をそれそのものとして体験している者」こそが、本当のあなたなのです。}
創造が認識されている場所があなたなのです。
創造の認識の中に、創造を認識することにより創造に参加することによって(創造に相応しくないものを何も取り込まないことにより共同創造者に成ることによって)、創造の全てをそれそのものとして体験することがあなたの存在の喜び(あたの存在理由)になるのです。 何故なら、それこそがあなたの役割なのだから。
だから、あなたが先週難しい体験をしていてもいなくても、二つのステップ/聖なる瞬間の実践が実を結んだように見えていたにしろいないにしろ、目覚める方法は一つだけです。
そしてそれを継続し続けるだけなのです。
「私には信心が足りません。 継続するだけの力が自分には無いのです。 これは私が考えていたことよりもだいぶ難しそうです。」とあなたは言うかも知れません。
しかしそれは真実ではないのです。
あなた達の殆ど全員は人生の中で少なくとも一度は次のような体験をしているはずです。
その時あなたはあまりに疲れて困憊しており、(孤児の)フリが出来なかったのです。 その時あなた自身でいないことは出来なかったのです。
その時あなたは、自分には成り得ない者に成れているフリを続けるには疲れすぎていました。
あなたは全てをギブアップしたい気持ちになっていました。
そしてあなたがギブアップしたとき啓示が起こったのです。
“Man’s extremity is God’s opportunity.” 2 「人の困難は神のチャンス」ということわざがあります。
それは本当にあなたが希望を失っていて、故に真のあなたとして存在する以上のエネルギーを全く持っていない時、その瞬間光が灯るのです。 光明が起こるのです。
あなた達は何らかの形でこのような体験をしています。
もしあなたがこれをまだ体験していないなら、近くそれを体験することでしょう。
何故なら目覚める時が来ているのだから。 それは確約しましょう。
つまり目覚めに値する存在に成ろうとする必要はないのです。
必要なのは(何者かに成ろうとする)努力を手放して、あなたが自発的に(あるいはやむおえず)降参(ギブアップ)する地点に到達することなのです。 「自分の意志を通そう」とすることを止めて「あなた(神)の意志がなされますように」と言ってそう意図出来るようになることなのです。
それが必要なことの全てです。 これはあなたが自分の最後の切り札を手放して、完全にコントロールを放棄することなのです。
これは(これが自分の当然の権利だとあなたが考えている)あなたの人生を考えて生きる権利を手放すことなのです。 あなたの問題に関して考えてそれを解決しようとすることを放棄することなのです。
自分の想像の中で作り上げたものよりも遥かに優れた視点を与えてくれる助言者があなたの隣にいたなら、その助言者が(あなたが今まで無視して来た)あなたの真の視点をあなたに与えたなら、それは価値や有効性を失うプロセスではなく、(あなたには想像することさへも出来なかった)より完全な価値と有効性を明確に示すことなのです。
これがわたし達のしようとしていることです。 あなたはこれを覚えておく必要があります。
そしてあなたは毎日これを実践する必要があるのです。
今まであなたは日々の事柄を「思考を使って自分の成功をデモンストレートする機会」として捉えてきました。
これからは日々の事柄(日々の暮らし)の中であなたは「父よ、ここの真理は何ですか? 父よ、ここの真理は何ですか? 私の意志ではなくあなたの意志がなされますように。」と言い続けるべきなのです。
「あなたの意図は何ですか? 私が自分一人でしようとしていることは私を暗闇に留めてしまいます。 自分一人の判断で行動する事はとても馴れ切った行動だけれど、それは私を無知なままにしてしまいます。」
目覚めの「プロセス」で、あなたは自分に今まで意味を与えて来たはずのこと(独立的思考/行動)を放棄しなければいけないのです。
それ故にあなたはこのプロセスに信心を与えたがらないのです。 この目覚めのプロセスに依存して(今までの在り方)を手放すことを嫌がっているのです。
これがシンプルな事実です。
だから目覚めはあなたの条件付けに逆らうことなのです。 これは本当にそうなのです。
もしそうでなければ、あなた達はもうすでに目覚めていることでしょう。 何故って目覚めること自体はとてもシンプルなのだから。
これを理解しておいてください。 目覚めのプロセスがとても不自然に思えた時「これが神聖なる行為のわけがない。 神がこのようなことを設定するわけがない。 私が目覚めるべきならこれはもっと簡単で良い筈だ。」と考え始めてしまわないように。
あなたはこのように考えて「怠惰な(静かな)マインドは悪魔の巣窟」だと自分に信じ込ませようとしてしまっているのです。 怠惰なマインドは、静かなマインドは忌むべきものだと考えられてしまっています。「それが本当かどうか実際に試してみるなんて止めるべきだ。」 というわけです。
しかし目覚めの引き鉄を引く行動は、(神の意志に逆らうことを)何もしない行為なのです。
それは行為のない行為です。 それは今までのあなたには信じられないほど、なにもしない行為なのです。
本を読みましょう。 この章の題名は。
[FORGIVENESS AND HEALING]3 [FORGIVENESS AND THE HOLY RELATIONSHIP]
17章 [赦しと癒やし] あるいは[赦しと聖なる関係]
[The betrayal of the Son of God lies only in illusions, and all his "sins" are but his own imagining.]
[(神に対する)神の子の裏切りは幻想の中にだけ存在しているのです。]
裏切りとは誰かを敵に引き渡すことです。 誰かの不利になることをわざとするのが裏切りです。
あなた達はお互いに対して常にこれを行なっています。
あなた達はお互いを見て「彼女は神の子ではない。彼は神の子ではない。」と言い続けています。
「彼は嫌なヤツだ。 彼女は嫌な女だ。 彼が昨日した事を知っているかい...クダ、クダ。」
あなたは自分の兄弟姉妹を毎日裏切っています。 それは何故でしょう?
何故なら、あなたの行動には彼/彼女の中に神を認めることが含まれていなかったからです。
あなたは、それ以外のもの、神とは似ていないものを彼/彼女の中に認識する行為をしていたのです。
神と似ていないものとは、神に反するもの、神に抵抗しているもの、良きことの反対物です。
そうしてあなたは彼/彼女をあなたのマインドの中で(そしてあなたの行動の中で)有罪にして地獄に送るのです。 神聖でないポジションに彼/彼女を据えるのです。
そしてあなたは彼/彼女の不神聖(穢れ/不道徳)を皆に知らせて、自分自身をより良く見せようと(自分の地位をより確かにしようと)するのです。
しかし「父よ、私は自分のやり方で物事を見てみたいです。 父よ、私自身で定義したいです。 私は離縁を求めます。」と言ったとき、あなたはあなた自身をまず裏切ったのです。
何故なら、その時あなたは「自分の源から分離した残りもの」に自分を引き渡したのだから。
あなたが自分の源から分離した時、源とは似ていないもの(全く違うもの)だけがあなたに残されていたのです。 だからあなたは自分を裏切って(あなたが自分のものだと考えている)エゴに自分自身を引き渡したのです。
だから、
[The betrayal of the Son of God lies only in illusions, and all his "sins" are but his own imagining. ]
[(神に対する)神の子の裏切りは幻想の中にだけ存在しているのです。]
次を聞いてください。
[His reality is forever sinless. He need not be forgiven but AWAKENED. ]
[彼のリアリティは永遠に無罪無垢なのです。彼に必要なのは赦されることではなく、目覚めることなのです。]
わたし達は赦しに関して話してきましたが、しかし
[He need not be forgiven but AWAKENED. ]
[彼に必要なのは赦されることではなく、目覚めることなのです。]
そのために二つのステップがあるのです。 それはあなたを無限に向上させて行くのではなく、瞬間的にパーフェクトにするのです。 それは瞬間的にあなたの神聖が体験出来るようにするのです。
これが目覚めです。 これは赦しではありません。
[In his dreams he HAS betrayed himself, his brothers and his God. Yet . . .]
[彼の夢の中では、彼は彼自身と彼の兄弟と彼の神を裏切りました。]
そして次がキーです
[. . . what is done in dreams has not been REALLY done. ]
[しかし夢の中で行なわれたことは、実際には(リアリティの中では)行われていないのです。]
だからあなたが自分の周りの全てを見て「これは物理的世界にしか過ぎない、これは偶然に出来た惑星/世界で、純粋に物理的な進化の結果で、神の聖なる法則とは全く関係がない」と言ったなら、あなたは天国を誤認識しており誤解しているのです。
何故なら天国だけがあなたの目の前にある体験なのだから。 それをあなたはクリアに直接体験しているか、そうでなければ曇りガラス(色眼鏡)を通して歪めて体験しているのです。
あなたが暗い色眼鏡を通して天国を見ていたとしても、その行為を通してあなたが天国を変化させたわけではありません。 あなたは自分の知覚を変化させただけなのです。
だからあなたが天国(リアリティ)を見ていて、そこに怪我/病/罪などが現れているなら、それはあなたが使っているレンズ(色眼鏡の歪み)のせいなのです。
そこにあるのは実際のダメージや怪我などではなく、それに操作を加えてより良い形に作り直す必要はないのです。
(操作を加えるのではなく)あなたは自分が使っている(それを通してリアリティを眺めている)色眼鏡を取る必要があるのです。
そうすれば罪/病/死の幻想が止まるのです。 何故ならそれらのことは本当に起こってはいなかったのだから。
それは神の創造の現在の現れ(今この瞬間の天国)に対する現在の(あなたの)誤認識なのです。
あなたがこれを理解したなら、あなたが私の言っていることを把握したなら、あなたはラジカルな急激な知覚の変容を受け入れられるようになるでしょう。
何故ならその時あなたは物理的プロセスが起こって物質が変化することを待つ必要はないと理解するのだから。
スピリット(霊)の実体をあなたに物質と呼ばせているレンズ(色眼鏡)をあなたが外したなら、(変りにくいという)物質の様相は変り、そこに現れるのはリアリティ(天国)の歪みない知覚になるのです。
それは単なる知覚だけではなく、フィーリングでもあるのです。 何故なら、ソファーでもカーペットでも花でも意志でも、それらは完全に神聖なのだから(完全に神々しいのだから)。
そしてそれらはあなたの神聖から離れた神聖ではないのです。 これは生きている愛なのです。
これは(創造のこの一部は)創造の他の全ての部分に対して愛を表現しているのです。 だから創造の全てが創造の全てを常に祝福しているのです。
このフィーリングは、あなたが今体験しているものとはラジカルに(全く)異なっているのです。
何度も言っているように、この体験(生きている愛の体験)に到達するために長い時間が必要とされているわけではありません。
必要なのはある種の無防備なのです。
必要なのは激しく働くことではなく、一生懸命働いて自己防御しようとすることを止めることなのです。 強く防御するのではなく、無防備に在ることが必要なのです。
[Yet what is done in dreams has not been REALLY done. It is impossible to convince the dreamer that this is so, for dreams are what they are BECAUSE of their illusion of reality. ]
[しかし夢の中で行なわれたことは、実際には(リアリティの中では)行われていないのです。夢見ている人に対してこれを証明することは不可能です。 何故なら夢見ている人達は、リアリティに対する彼等の幻想故に、夢見ている人に成っているのだから。]
あなたが夜夢見ている時、そこ(夢の中)で起こっていることがリアルでないと示すものはそこ(夢の中)にはないかもしれません。 しかし、
[It is impossible to convince the dreamer that this is so, for dreams are what they are BECAUSE of their illusion of reality. Only in waking is the full release from them, for only then does it become perfectly apparent that they had no effect on reality at all, and [it] did not change it. ]
[夢見ている人に対してこれを証明することは不可能です。 何故なら夢見ている人達は、リアリティに対する彼等の幻想故に、夢見ている人に成っているのだから。 目覚めることだけが彼等を完全に解放するのです。 何故なら目覚めることによって初めて、彼等は自分達がリアリティに対して全く影響を与えておらず、自分達がリアリティを変えたわけではないとハッキリ明確になるのだから。]
あなたの夢がリアリティを変化させたわけではないのです。
つまりこの瞬間も、今そこに神が成っているもの(花瓶に成っている神/カーペットに成っている神/花に成っている神)は、(それそのものとして存在し続けており)全く変更されていないのです。
あなたが居るそこに(あるいは何かが在るそこに)神が成っているものの真実が今あなたに与えられているのです。 しかし歪められている知覚が「この真理があなたに届くこと」を阻止してします。 しかしあなたの知覚の歪みがリアリティそのものを変えてしまったわけではないのです。
これを忘れないようにしなさい。 何故なら、これはあなたの従来の考え方からは不条理に思えることだから。
あなたは正しい思考をすることを通して自分を助けなければいけません(これも余り良い表現ではないですが)。
しかし私の言っていることを考慮してみたなら、あなたがどのような事態に面していたとしても(たとえそれがどれだけ神聖でなく見えていたとしても)、そこにある聖なる真理は、神がそこにあらわしている真実は、今そこに(あなたの目の前に)現れていることがわかるでしょう。
その真実は(あなたが対面している事態の真の姿は)、今すでにあなたに与えられているのです。
それを見るために必要なのは、「それがなんだか知っている、自分には判っている」というあなたの自信を手放すことだけなのです。 必要なのは、物事を自分の好きなように見るあなたの権利を放棄することなのです。 つまり“Not my will but Thine be done.”4「私の意志ではなく、あなたの意志がなされますように。」というわけです。
[Fantasies CHANGE reality. That is their PURPOSE. They cannot do so in reality, but they CAN do so in the mind that would have reality different.]
[幻想(ファンタジー)はリアリティを変えようとするものです。 それが幻想の目的なのです。 しかし幻想が実際にリアリティを変えることは不可能です。 しかしリアリティを変えたいと思っているマインドの中では、リアリティを変えているように見せることが可能なのです。]
「父よ、私は自分のやり方で見たいです。」といっているマインドの中ではこれが可能なのです。
「父よ、私はあなたと繋がらずに全てを体験してみたいです。 あなたの視点を体験せず、あなたが体現している意味(あなたの神聖な自己/そこに現れているあなたの神聖な存在)を体験しないことを私はやってみたいです。」
あなたに必要なのはそれ(父の視点を拒否すること)を求めないで「私にはカーペットの意味は全くわかりません。 このカーペットと呼ばれているものの中に体現されている神の神聖なる動きが何なのか私には全くわかりません。」と言うことなのです。
こうして全てに対して好奇心を発揮するべきなのです。全ての生きている様子をあなたは父に訊ねるべきなのです。
[It is, then, only your wish to change reality that is fearful, . .]
[だから「リアリティを変えたい」というあなたの望みだけが「怖ろしい」のです。]
あなたは物事を(リアリティとは、神の視点とは)違う風に見ようとしたことにより、怖れを導入したのです。
しかし「ウーム、あそこに今まで見たことがない虫がいる。それを神の視点以外の見方で見てみよう。」とあなたが実際に言うわけではありません。
あなたは自動的/瞬間的/慣例的にそれを見て、自分の最上の回答(見解)を出しているのです。 (神から来る)啓示体験を呼び入れることなく、あなた独自の調査を放棄することなく、あなたは自分に出来る最高の論理を即座に使用しているのです。
だから、
[It is, then, only your wish to change reality that is fearful, . .]
[だから「リアリティを変えたい」というあなたの望みだけが「怖ろしい」のです。]
そしてあなたは、リアリティがどのようなものか自分一人で決めることにより、リアリティを変えたいと思っているのです。
[. . . because by your wish you think you have ACCOMPLISHED what you wish. ]
[何故なら、「自分がそう望むことによって、自分は望み通りのことを達成した」とあなたは考えているのだから。]
これが夢なのです(これが夢を成り立たせているのです)。
夢はリアルではないのですが、夢はとてもリアルに見えるのです。
物事に定義を与え、その定義に基づいて、物事がどのように働くか理解することにより、あなたは自分の目的(リアリティを変えること)を達成したと考えています。
しかし問題は、物事の意味を理解しようとしている時にあなたが使っている論理と理由付けは根源的無知(基本的に間違っているマインド)から導かれている、ということなのです。
何故ならあなたは、自分の無限のマインドの中から小さな部分を取り出して{その小さな部分だけが自分なのだと定義し}、それを周りから切り離し、他の全てから分離したのだから。 そして(あなたが自分自身を切り離した)その他の部分が精霊(あなたが卑小な部分で遊んでいる間安全に預けられているあなたの正しいマインド)になったのです。
そしてあなたは自分の業績(あなたが達成した偉業)の「とりこ」に成ってしまっているのです。
あなたは、このようにして「自分が本当に何かを達成したと感じた時の興奮」に中毒しているのです。 しかし実際には、あなたは自分の源(自分のマインド全体)から分離したフリをしているので、(そのフリをしている限り)あなたが正しい結論(見解)を得ることは不可能なのです。
[This strange position, in a sense, acknowledges your power. ]
[この不思議なポジション(状況)が、ある意味では、あなたの力を認めているのです。]
あなたは力(パワー)を持っています。
しかしあなたの力は神の動きを知覚し認めるためのものなのです。
神の動きを意識し、それをそれそのもの(創造の動き全体を完成させている状態)として認め、それそのものとして体験することがあなたの力なのです。
[. . . you think you have ACCOMPLISHED what you wish. [And] This strange position, in a sense, acknowledges your power. Yet by distorting it, and devoting it to "evil," it also makes it unreal. ]
[「自分は自分の望みどおりのことを達成した」とあなたは考えているのだから。
[この不思議なポジション(状況)が、ある意味では、あなたの力を認めているのです。
しかしそれを(あなたの力を)歪め、それを「悪」に捧げることにより、それは(あなたの力は)リアルではなくなっています。]
『「悪」に捧げる』とはどういう意味でしょう。
あなたは自分の力を「神ではないもの」に捧げている(神ではないもののために使っている)という意味です。
何故なら、あなたは自分の源と繋がっておらず、父と繋がっていないので、あなたは神ではない想像上の存在と繋がっているのだから。
そして神でないものは「良きもの/良いもの」ではないのです。
神でないものは悪なのです。 悪は力ではなく、存在でもありません。
悪とは、神を(あなたの生得権を)否定している状態に留まっている限り、あなたがしている体験のことなのです。
あなたはこの体験に中毒しており、父に逆らって働いており、自分の目覚めを妨げるように働き続けているのです。
これが破壊的なのです。 そして破壊的なことに対しては「悪」という言葉が適切なのです。
[Yet by distorting it, and devoting it to "evil," it also makes it unreal.]
[しかしそれを(あなたの力を)歪め、それを「悪」に捧げることにより、それ(あなたの力)はリアルではなくなっています。]
何故でしょう?
何故なら、(現在のあなたの力は)分離/細分された孤児的なマインドの領域に全てを持って行っているからです。
しかしそこでは実際には何も起こっていません。 その理由は、分離された孤児的マインドというようなものは実際には存在していないからです。 分離された孤児的マインドは、夢見続けることに固執している「夢を見ている人」の中以外には存在していないのです。
[You cannot be faithful to two masters who ask of you conflicting things. ]
[あなたは、「相反すること」をあなたから求めている二人の主人に対して忠実に仕えることは出来ません。 ]
[What you use in fantasy you DENY to truth.]
[あなたが幻想の中で使ったものを、あなたは真理に対して否定しているのです。]
あなたのプライベートな孤児的マインドの中で、あなたは一生懸命父を否定しているのです。
あなたは父からの離縁を得て、満足げに独立的に振舞っているのです。
あなたは独立と(自分の力/権利で、自分一人で)リアルに成れるかもしれない可能性の快感に酔い痴れています。
この行為が「あなたであるもの」を否定しているのです。 この行為があなたに源が在ることを否定しており、従って父を否定しているのです。
これは混乱したマインド、狂気のマインドなのです。 しかしこの狂気は幻想なのです。
だから、これがあなたを変えたわけではありません。 これが(この狂気が)あなたが誤認識しているもの(リアリティ)を(リアルな狂気に)変えてしまったわけではありません。
[What you use in fantasy you DENY to truth. Yet what you GIVE to truth to use for you is safe from fantasy.]
[あなたが幻想の中で使ったものを、あなたは真理に対して否定しているのです。 あなたが真理に与えたものを、真理があなたのために使います。 そしてあなたが真理に与えたものが幻想によって使われることはなく、(あなたは)安全なのです(あなたが真理に与えたものを、幻想があなたに対して誤用することは不可能なのです)。]
ここでのキーワードは「あなたのために使います」です。
これがエゴにとってはとても侮辱的なのです。 何故なら、あなたは「あなたを統治している何か」に対して完全に譲らなければ(降参しなければ)いけないのだから。
[What you use in fantasy you DENY to truth. ]
[あなたが幻想の中で使ったものを、あなたは真理に対して否定しているのです。]
あなたの独立状況はあなたの生得権の否定なのです。それはあなたが神の子であるという認識の否定なのです。
{あなた達は自分達の幻想の中で自分達の思考(独立的自治的存在として振舞う権利)を使用しており、それは真理を否定している行為なのです。 だから、神から離れたあなた達の思考は、あなた達を真理から遠ざけてしまっているのです。}
[Yet what you GIVE to truth to use for you is safe from fantasy.]
[あなたが真理に与えたものを、真理があなたのために使います。 そしてあなたが真理に与えたものが幻想によって使われることはなく、(あなたは)安全なのです。]
あなたが真理に与えたものが、「何が真理か」あなたに示します。
するとあなたは、もはや「そこに示されている真理に反抗しそれに対抗する視点を持とう」とは望まなくなるでしょう。
これは受け入れるのが難しいかもしれません。
あなたはこのアイディアを理解することが出来るでしょう。 しかし(日常生活の中では)これを取り逃がし続けるかもしれません。
あなたはこの鱗片を垣間見て真理を感じて、しかしこれは(あなたに示されている真理は)直ぐにあなたのもとを去ってしまうことでしょう。
わたし達が話していることを考慮することにより、この 鱗片を(真理を垣間見ることを)自分に与え続けなさい。 これをより多く自分に与え続けることで、あなたの信心が育つように。
思考を止めて聞くことがあなたに出来るようになるように。
そして真の知覚があなたに与えられ、真のあなたの体験が示されて、神の共同創造者としての役割をあなたが受け入れらるようになって、夢を捨てられるように。 罪/病/死の継続をあなたが止められるように。
瞬間的な解放こそが、あなたに体験出来る唯一の解放なのです。
だから聖なる瞬間を実践し続けなさい。
(今までの見方とは本当に違う視点を得たいという)ラジカルな期待を持って二つのステップを行ないなさい。 「見飽きていること」に対する(今までとは)全く異なった視点が、「見飽きていること」が実はとても驚異的なもの(素晴らしい天国)であることを示すでしょう。
そこで(あなたのマインドの中にそのような能力があったとは今まで気付いていなかった)能力/度量が示されるでしょう。 それを取り戻すことがあなたの生得権なのです。
それを(今まで発揮されて来なかったあなたの能力/度量を)あなたに統合させよう(受け取らせよう)と精霊(あなたの良心でしかないもの)は努力しているのです。
これを深刻過ぎるマナーで行なおうとするのは止めなさい。
正確にこれを行なおうとして考えすぎるのは止めなさい。
今週はこれを軽やかに行なってください。 これら全てを軽やかに受け取ってください。
これらのことをあなたのマインドの中に置いて、あなたを浮き上がらせなさい。
より多くを手放せるよう自信を持ってください。
次にお会い出来ることを楽しみにしています。
原文を提供している 「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で(読者に義務を課すことなく)提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはそのようなものだから。
あなたと同等の方が既にこのギフトをあなたに差し出したので、これらの資料があなたに提示されています。 Rajの指示によりこれらの資料が売買されることはありません。 この機関「Northwest Foundation for A Course In Miracles」への募金は下記のWEBサイトを通して行なうか、あるいは下記の住所に郵送して下さい。
A Course in Miracles Study Group with Raj, February 19th 2011
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