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ACIM11-03-26

March 26, 2011 ©NWFFACIM   2011年3月26日

原文テキスト
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=31232&mid=149969#M149969
オーディオ&ビデオ
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=31218&mid=149930#M149930

参照ページ:  今回はACIM文は読みませんでした。


こんばんは、ようこそ。 少し瞑想しましょう。
[瞑想]

「あなたが興味深い時に生きられますように。“May You live in interesting times.”」という古い言い回しがありますね。

確かにあなたは興味深い時の中にいます。 しかし「あなたが興味深い時だと考えていること」から「私が興味深い時だと考えていること」に注意をシフトしてみましょう。
「興味深い時」とは、「世界の中で起こっていること/ダイナミックで革命的で変化に富んだポジティブとネガティブの要素に分かれた体験のこと」だとあなたは考えているかもしれません。

しかしそのようなことよりも重要で興味深い事柄があるのです。
(多くの人々に知られていなかったとしても)皆さんは(ACIMの学習目的である)知覚のシフトを行うトバ口に立っているのです。 わたし達はこのことに関してかなり長い間話して来ました。

あなたが居る「興味深い時」とは、(あなたの目の前に展開されているように見えている状況の中で)あなたが自分の独自性/独尊性/自治性/傲慢/優位性(そしてあなたが自分で確立したと考えているポジション/地位)を放棄する時点のことです。
あなたはそれらのものを放棄して、あなたの生得権(当然の権利)であるポジションを体験出来るようにするべきなのです。
あなたには自分が居るべきポジション(所定位置)があるのです。 あなたは神の息子/娘なのです。
これはとても意味深い(重要な)ポジションなのです。

このポジションの中であなたにはするべきことがあります。 聖なる父を持っていない/聖なる生得権を持っていない/物質から生まれ物質で育ち物質として死んで行く(もしかしたらその課程で素晴らしいことをする)「自己認証的な独立した生物体」としてあなたがして来たこと、とは全く異となったことをあなたはこのポジションでするのです。
現在のあなたの独立的状態の中では、あなたは対極化(polarity/善悪に分離している状況)の領域に存在していることを先週話しました。 これは避けられない事実なのです。

しかしあなたの聖なる生得権(あなたが父から受け取っていること)の中には対極性が存在していません。
そこにあるのは無限のユニティ(合一)、無限の意味、無限のバラエティ(多様性)なのです。
無限の意味とは、(限りなく多様な体験/ものに満ちた)存在体験(在ること)なのです。
この無限性の中には対極性がなく、コミュニオン(霊的交歓)だけが存在しています。
そこにあるのはカオス(混沌)ではなくコミュニオンなのです。
そこでは全てが収まりよくフィット(適合)しあっています。
そこでは全てが調和して働いているのです。
全てがその意味/意図/目的を他の全てに対して同時にコミュニケート(伝達)しており、それは無限な意識的体験なのです。 そこには怖れはなく、それは愛に満ちているのです。

(その中であなたが神の息子/娘である)あなたの生得権の領域内(そこに合一/ユニティがあるのです)では、全てが愛の実体(実感)と文脈(ストーリー)を持って動いており、全ては愛の実体と文脈の中で存在しているのです。

愛の中には対極化はありません。
そしてあなたは次のことを理解する必要があります。
「愛は対極化(善悪)を解消/解決する目的で存在しているのではありません。」

あなたは時々これを忘れてしまっています。
(あなた達は往々にして)コースを学んで、愛へのブロック(障害)を取り除く方法を学び、愛が(独立的自治的)夢/孤児院の中の対極性を解消出来るようにしよう、としてしまっているのです。
しかし、これは正しいことではありません。

これを理解することが重要なのです。 これが理解出来ていなければ、あなたは「人間的状況」に対して愛を使用してそれを向上させようとしてしまうから。


愛があなたを「人間的状況」と呼ばれている想像上の状態から連れ出すのです。
愛があなたに「あなたの神聖の領域が神の法が全てを統治している場所で、神の法が解決を必要としている紛争の場所からあなたを取り外すこと」を思い出させるのです。
愛が、全てに対する誤認識(そこで紛争の解決が必要に見えています)からあなたを引き抜くのです。 そして(あなたが今すでに見ている)全てに対する新しい知覚を知らせるのです。

「合一(Unity)の領域(レベル)から全てを見て、全てを知覚すること」を愛があなたに教えるのです。 合一の領域には対極性がなく、解決するべき問題もなく、そこではピュアな調和(ハーモーニー)が統治しており、それが永遠に体験されるのです。
だからあなたが人間的状況と呼んできたものが、あなたが物質的世界/宇宙と呼んできたものが、あなたにとって変容されるのです。
これが「あなたの目から鱗が落ちること」なのです。 あなたのビジョン(視界)から無知が取り払われて(今まであなたの目の前に在り続けて来た)天国が見えるようになるのです。

さて現在地球にいる全ての人達は二つの教師の内のどちらかに引き付けられています。
現在の時点で全ての人に呼びかけている教師は「怖れの声」です。
これが(あなたが独立/自治/力のポジションを主張している)人間的状況の中に浸透している声です(人間的状況の中で全てを統治している声です)。

この声の働きをあなたは知っていますか?
この声の役割/目的は、あなたのお尻に火を点けて、何らかの対極性(分離性)を解消させようとすることです。  そうして「ポジティブな極性(良いところ)に自分を持っていこう」とあなたにさせようとします。
何処かに行って何かをして、対極性のネガティブな側面があまり目立たないように、それによってあなたがあまり脅かされないように、あなたに努力させようとします。

怖れは何時でも自己防御を呼び込むものです。
もしあなたが怖れを体験しているなら、それはあなたが脅かされたと感じており、自身を守る必要をあなたが感じているからです。

怖れの声(怖れの呼びかけ)は真理の声ではないので、それがあなたの注意を父や聖なる瞬間のもとに集めさせることはありません。
しかし聖なる瞬間の中で神の法が全てを統治しており、そこでは対極性が現れておらず、その中では(対極性が存在していないので)「対極(善悪)として見えているもの」がそれ自身を主張することは消えているのです。
このようにして癒やしが起こるのです。

今地球上の全ての人達が圧倒されつつあります。
あなた達の中には何が起こっているか理解していない人達もいます。
しかし何かダイナミックな出来事が起こっていることには皆気付いているでしょう。


そしてメディアもこの出来事に注意を払っており、かなりの力を込めてこれを報道しています。
何故なら、そうすることで注目が彼等のテレビステーションや新聞などに集まり、彼等の収入になり、「真理を知らせることであなたの利益をはかる」わけです。
しかし往々にしてニュースはメディア自身の思惑の下に動いており、必ずしもあなたの為になることを知らせているとは限らないでしょう。


メディアはあなたの注意と時間を引きつけ、本質的な違いはもたらさない予想を言い立てます。 それはあなたの思考を刺激するかもしれません。 非常にエキサイトした報道がなされ、あなたもエキサイト(興奮)してしまい、居ても立っても居られなくなり、平和を無くしてしまうでしょう。 あなたはこれらのニュースに接して興奮しそれを受け入れ、自覚しない内にただ興奮するだけでなく、動揺し始めてしまうのです。

この動揺もまた実際には怖れなのです。
あなたはこれに気付けるようになる必要があります。 でなければ、この動揺(怖れ)に飲み込まれてしまうから。

あなたは、この怖れを「人生に必要不可欠なダイナミックス(試練)」として受け入れてしまわないようにする必要があります。   生気を掻きたてる、あなたを生き生きさせる出来事としてこれを(この動揺を)受け入れてしまってはいけません。
何故なら、そのようにしてこれを受け入れてしまった場合、あなたはこれにチャレンジしなくなってしまうから(あなたはこの怖れを否定出来なくなってしまうから)。
そのように(怖れ/動揺を)受け入れ受け取っている限りあなたは「オオ、今私は落ち着いていない(平静ではない)」と認識出来ないのです。「このニュースはエキサイティングで興味深いけれど、私は落ち着いていない。私は平安ではない。」(と気付くことが困難なのです)。 
もしあなた自身が平安ではないことに気付けていないなら、その体験を放棄することが可能であることにあなたは気付けないのです。

だから私は今夜ここに居て、あなた達に話しかけているのです。
あなたはそれら(怖れ/動揺、それらを掻きたてる報道)を放棄することが出来るのです(と私は言いたいのです)。

そしてあなたが気付かなければいけないのは、(怖れの声を)放棄するプロセスはとても重要な行為であって、「人間的状況」を改善させるだけのことではなく、あなたを「人間的状況」内から取り外すことなのです。

こうしてあなたは自分を苦しめている無知から出て、あなたの生得権の記憶の中に入っていくのです。 その(あなたの生得権の記憶)中には対極性がありません。 その中では(それを体験することがあなたの権利である)「存在/有り様」の合一(Unity)があり、あなたはその中で「とてもエキサイティングで重要に見えている闘争/葛藤」からの開放を体験するのです。

そしてあなたの存在の中(あなたの居るところ)であなたはそれ(葛藤)から開放されるのです。 このようにしてあなたが開放されたなら、その葛藤にまだ捕らえられている人達も、真理を明確に見る(あなたの)度量によって祝福されるのです。

あなたが無知と幻想を尊ばなくなることにより、それらにまだ捉えられている人々もそれらを手放し易くなるのです。

このことが幻想をより軽く、幻想の信憑性を減らすのです。
これがあなたの仕事です。 あなたは自分の注意をここに据えるべきなのです。

何世紀もの間、問題(葛藤)が起こりそれらが解決されて来ました。
しかしあなたは今、問題(葛藤)が解決されるだけではなく、「問題/闘争の領域」から「存在への意識的気付き」へとシフトできるポイントに来ているのです。
神の子としてのあなたは、この「存在」(神の子として存在すること)を体験する権利があるのです。 何故ならこれがあなたの生得権なのだから。
だからこれ以外にあなたが体験するべきリアルなものは存在していないのです。

さてあなたは良きクリスチャンとして、良き宗教家として、コースの良き学習者として振舞って、悪条件の中で最善を尽くし、闘争の中で最良のことをして、何とか無事で過ごすことも出来るでしょう。 そして救世軍が終った後も、それまで人々が居たところにそのまま留まり、そのまま眠り続け、夢見続け、人間的状況をそのまま体験し続けることも可能です。

しかしあなたは(あなたがア・コース・イン・ミラクルズなどを通して学んだ真理故に)この機会をとらえてシフトすることも可能なのです。

それはどのようなシフトでしょうか?
これは壊滅的な世界状況から素晴らしい世界状況へのシフトではなく、怖れの声から真理の声にあなたの忠誠心/信頼/確信を移すシフトなのです。
これはあなたを瞬間的に目覚めさせるシフト、幻想/幻覚を終らせるシフト、闘争/葛藤を永遠に終らせるシフトです。


「全ての人がアルマゲドン(世界の破滅)を期待している、あるいは、全ての人がラプチャー(人類が引き上げられること)を期待している。」

そのような対極的な状態を(お互いと話し合える、それについて考えることが出来る)興味深いアイディアとして保つことは今すぐ止めましょう(そのようなことをし続けるのではなく)。 
今ここで真理の声を選び始めなさい。

(愛を現している、愛の性質を持っている)真理の声を選択して、ここであなたはトランスフォメーション(変革)の使いに成りなさい。 世界に(現在と過去の負傷/破損に対する)癒やしをもたらすエージェント(使徒/仲裁者)に成りなさい。

そうすれば(あなたが怖れの声ではなく真理の声を選び、それに信心/信任を与えたなら)、あなた達一人一人全員が(そして全てのものが)破損なく障害なく示されるのです(暴かれるのです)。 あなたの全ての部分が、そして全てものの全ての部分が完全に修復されて(完全に修復された状態で)示されるのです。


いいですか? 怖れとは人工的な(不自然な)感覚なのです。
「失楽園」が起こった時、あなたが父から離縁した時、二つのものが発生しました。
それは怖れと罪悪です。

そして怖れは人工的(作為的)な感覚(フィーリング)なのです。
そして罪悪も人工的な感覚なのです。

だから怖れと罪悪を、それらがまるで本当のものであるかのように扱うのはもう止めなさい。
それらに尊厳を与え続けることは止めなさい。 それらは人工的な不自然なセンセーション(刺激)でしかないのだから。

怖れと罪悪は「神」と「神が全てであること」の前では無意味/無力なのです。
怖れと罪悪は全くどのような意味も持っていないのです。
そして神が全てなので、怖れと罪悪が過去に何らかの意味を持ったこともないのです。

だから怖れと罪悪は、克服したり対処したりするべきリアルなもの(リアルな状態)ではないのです。
(怖れという)贋物のセンセーション/刺激に対して何か意味あることを行なうことは不可能です。

しかしあなたは自分の注意/意識を(罪や怖れから)愛にシフトすることが出来るのです。

あなたは自分の注意をプライバシーや自己認証からあなたの父に動かし移して、父と繋がり直すことが出来るのです。

こうして繋がり直すことの中で、あなたは「あなたが誰か」思い出すのです。

そしてこの体験の中で、愛とはあなたが全てのもの/ことを体験している時に自動的瞬間的に感じるフィーリングであることを発見します。


全てが愛であり全てが愛をもってあなたを祝福していることをあなたが発見したなら、つまり全てが無限の交換(愛のやり取り)であることをあなたが発見したなら、そこには闘争/葛藤が無く混沌(カオス)が無いことをあなたが発見したなら、現在の(あるいは過去に起こった)放射能の破壊がそこには無く身体の怪我や病がそこに無いことをあなたが発見したなら、
(そこ/ここが天国ではないというあなたの主張から)天国があがなわれたなら(天国が修復されたなら)、ここはビッグバンなどで始まった物理的世界/宇宙でしかない(開始された時点ですでに対極化/分離されている物理的動きの延長でしなかい)というあなたの見方が手放せたなら{その時天国が見えるのです}。

確かにアコースインミラクルズは意味を持っています。
しかしそれはミラクル(奇跡)を起こすという意味ではありません。
そのように定義されている奇跡は、(スピリチュアルな、あるいはその他の)何らかの力が(現存しているとあなたが考えている)物質的世界/宇宙に届き世界/宇宙を力で変えることを示唆しています。 (そのような奇跡を期待している時あなたは)そうして世界が破壊的でなくなり、善良で安全な世界が現れることを期待しているのです。

しかしそれは不可能です。

ア・コース・イン・ミラクルズの真意は、あなたが自分の注意/意識を怖れの声から外して真理の声(精霊/あなたの正気良心でしかないもの)に意識を与えることなのです。
このシフトの中であなた自身が対極性(分離化)を解除し葛藤をなくすのです。

(あなた自身が自分の為に作った)この葛藤/紛争のストレスが抜け落ちた時、「本当のあなた/本当の全創造/その統一された善良な光景」があなたに届き認識されるのです。 その時欠乏/病/死/ダメージなどが解除されるので、それが奇跡が起こっていることとして見えるのです。

その時、全ての真の性質(ネーチャー)があなたに再度届き理解されるのです。
その素晴らしさがあなたにもう一度(素晴らしいものとして)響くのです。

これが奇跡として(奇跡のように)見えるのです。 
しかし全ての神聖を暴き示すことは、すべてのこと/ものの神性(それが全てを永遠に形付けているのです)を顕わにすることは、「奇跡」ではないのです{それは悪しき事態に神の力を加えて、そこから良きことを引き出しているのではないのです}。

何故なら、そこで行なわれていたことは、「何か」に力が掛けられて、それが今までとは違うものに変えられたことではないのだから。


あなたは愛を使って日本を祝福することは出来ません。
あなたは愛を使ってチェノーブルの周辺地を祝福することは出来ません。
あなたは愛を使って墓場を祝福し使者を蘇らせることは出来ません。
あなたは愛を使って幻想を解除することは出来ないのです。

愛は(あなたが全てに与えている間違った定義と、それらがあなたに与えている闘争/葛藤/問題に影響されることなく)「神がすでに成っているもの/成り続けて来たもの」に対してあなたが自分の目を開くことを助けるのです。

私が同じことを何度も繰り返し言い続けていることは重々承知しています。しかし私はこれ以上に重要なことは言えないのです。
何故なら、これはシンプルで、これが現在のあなたの体験を真っ向から否定するものだからです。

さて、世界の状況はストレスに満ちています。

ポジティブなことを表明しているように見える事柄も闘争/葛藤の場所から起こっているように見えています。
素晴らしさを持っていることさえも大変で難しく抵抗を受けています(努力を必要としています)。


その大変さは(物事が通り抜けなければいけない時間上のプロセスと見ているもの)は...(それが人々がマインドを変えることでも、数千年掛かると思われている放射能の緩和でも)そのことに対する瞬間的な癒しが体験出来るように、時間がプロセスの中から(絵の中から)取り除かれる必要があるのです。

「オオ、瞬間的癒しですか?  放射能を発しているものは物質/物理的物体なので、それは困難でしょう。 それはヤッパリ物質の法則(物理的法則)に従って行なわれる必要があるのではないですか?」

ノー!ノー!ノー!ノー!ノー!ノー!
何故そうではないのでしょうか?
何故なら、それは(瞬間的癒やしは)(創造そのものと合致していない)定義への耽溺/中毒をあなたが手放すことなのだから。

あなたがそれらの定義を放棄した時「創造そのもの」があなたに体験されるのです。
それは瞬間的に起こるのです。
創造に逆らっていない意志/意欲故に、創造に逆らった定義への信頼が放棄された故に、瞬間的な癒しが起こるのです。
「不可能」として見られていることを抱擁する(受け入れる)意欲/勇気があった故に、瞬間的癒やしが起こるのです。

今日これが必要とされているのです。 
あなた達全員は、これが起こること(瞬間的癒やしが起こること)に参加する為に必要な基礎をすでに有しています。

そして私はあなたをプッシュして促しています。 私はあなたを招待しています。
私はあなたを押し出し引き込んでいます。 私は出来る限りのことをして、「不可能と思われていること」を「可能だと」あなたが考慮してみれるようにインスピレーションを与えようとしています。 アセンションが目覚めが可能になるように。


今がその時なのです。
(怖れや罪などの)これら全ての人工的な体験/センセーション/知覚が明晰さ(を現しているもの)で取って代わられて、あなたのマインドが変れるようになるべき時なのです。

それはあなたが「コレからアレに変ろう」と決意することではなく、あなたは無防備の中で自分が今までとは違うものを見ていること(違う風に見ていること)を発見するのです。

すると突然あなたの知覚が変っているのです。
すると突然怖れが消えているのです!
突然愛が現れていることをあなたは見つけるのです。
あなたは突然、絶対的に全てが安全であることを発見するのです。
これにはある程度の自己鍛錬/努力が必要です。

私はとても沢山の言葉を使ってきました。 私は異なるアイディアをあれこれ言って来ました。
しかし基本的にわたし達は「怖れの声(怖れからの呼びかけ)から真理の声(真理からの呼びかけ)へシフトする」という一つのことに関して話し続けているのです。
これにはある程度の自己鍛錬が必要です。

情報を集めようとしている時、あなたはどの教師の下に行こうとしているでしょうか?
もしあなたが怖れの声の下に行ったなら、それがあなたの中で葛藤/紛争を増強しあなたを内側から疲れさせていることを発見するでしょう。
するとあなたは自分自身の中にネガティブなものを発動させて、(あなたがこのようにネガティブな体験をしている理由を探して)あなたの何が間違っているか調べようとし始めていることを発見するでしょう。 

「もしかしたら、あなたはただ年を取っただけなのかもしれません。もしかしたら、アルツハイマーが出始めているのかも。もしかしたら狂気があなたに迫っているのかも。 嗚呼無念、でもしかたない。」 {これらが怖れの声でなくて何なのでしょう?}

このような枠組み(見方)にあなたが浸っている時、あなたは怖れの声を聞いているのです。
あなたが怖れの声を聞いている時には、あなたに苦しみをもたらし、あなたを死に追いやるもの全てが正当化されているのです(それが当然のこととして受け取られてしまっているのです)。

(今まで)そのような言い立て(主張)に対してあなたは中々意義を申し立てられないで来たのです。
(その時)あなたはとても陰鬱に成っており、それ以外のことを望むことは出来なく見えたので、あなたはそれを(怖れの声を)抱擁し受け入れてしまったのです。 違いますか?
しかし、あなたは真理の声を選ぶことも出来るのです。

怖れは人工的な贋物の感覚なので、あなたが怖れと向き合っている時あなたは「なんでもないもの/どうでもいいもの」と向き合っているのです。
するとあなたは人工的なもの(状態)に自分の信心/信頼を与えてしまうのです。
しかしその(人工的な怖れの状態の)中には実体(Substance)やそれを支えている支柱が全く無いのです。

だからあなたは「うん、私が体験しているこの怖れは全く人工的な贋物だ、だから私はそれを手放そう。」と言って、それ(怖れの感覚)から離れて、自分の注意を真理の声に与えれば良いだけなのです。

それは何故でしょうか?
何故なら、本当に真理の声というものが実在するからです。 そして真理というものが本当に在るのです。
だからあなたが真理を招き入れたなら、真理がそれ自身をあなたに示すのです(顕わにするのです)。
そしてそれ自身をあなたに示す課程で、真理があなたをあなたに示すのです。そして父をあなたに示すのです。 そしてあなたの聖なる関係/あなたの聖なるアイデンティティ/存在しているもの全てとあなたの不可分性(存在しているもの全てとあなたが分離していないこと)をあなたに示すのです。

今日困難な状態(怖れの動き)の中にある(ように見えている)人達は、困難(怖れの動き)の中にいるので、彼等にとっては真理の声(自分達の平静)を見つけることが難しいのです。
しかしあなたはその困難の真っ只中には現在居ないでしょう。 
だからあなたは彼等の為の証言者/証人に成ることが出来るのです。 彼等の為に真理の声を選ぶことが出来るのです。

そうすることを決意したなら、テレビを眺めて(そこに表されている怖れを無自覚に受け入れてしまって)真理の声を放棄したり、アイフォーンの最新アップデートを見て平静を手放していてはいけないのです。

怖れの声の下に行くのは止めなさい。 そうすることは一つの効果しかもたらしません。
それは真理を知ることをあなたから奪うだけなのです。 怖れの声はあなたの平和をあなたから奪ってしまいます。
怖れの声があなたの平和を奪ってしまえば、あなたは兄弟の為に変革のエージェント(変革の仲介者)に成ることは出来なくなってしまいます。
怖れの声は「瞬間的に幻想が修正される体験」から完全にあなたを隔ててしまいます。
そうなると怖れの声が「瞬間的に幻想が修正される体験」から「他の全ての人」をも隔ててしまうのです。

「ええ! 私は他の人達全員を変えることなんか出来ません。」
ええ、確かに出来ません。 力によって他の人を変えることは出来ません。
しかしあなたは愛によってこれをすることが可能なのです。

誰か他の人を変えようとするのは止めなさい。
あなたの神聖をあなた自身に示す(顕わにする)ことを、そして他の全ての人達の神聖をあなたに体験させることをしなさい。
これを真摯に真剣に行ないなさい。

これには一つの非常に実際的な効果があります。
これを行なえば憂鬱があなたの下を去るのです。
怖れがあなたの下から消えて無くなります。 平和があなたを包むでしょう。
そして平和が全ての人と全てのものを祝福します。
これをすることがあなたの役割なのです。これがあなたの目的で、あなたの成就なのです。これがあなたの仕事です。 
だからこれをし続けなさい。 これを諦めず執拗に続けなさい


これをしようとしている時にあなたを挫けさせてしまおうとするものは全て怖れの声でしかないのです。
あなたが怖れを体験しているように見えるのは、あなたが怖れの声の出し物(催し物)に意識を合わせてしまっているからです。
しかし、あなたが体験している怖れは人工的なセンセーション(刺激)なのです。
それは捨てて置きなさい。 それを手放しなさい。

(次のように言ってみましょう)
あなたは、全人類を人間的体験から引き上げて目覚めた状態(人々の、そしてあなたの生得権である体験)の中に引き入れる為にあえて人間的体験の中に入って来た人に成りなさい。

あなたは精霊の助けを得ています。 そして私の助けも得ています。
自分が誰か思い出そうとしているあなたを全創造がサポートしています。
(喜びの素晴らしい体験の中で)全ての人と全てのものの神聖をあなたに示す啓示(Revelation)を得て全人類とすべてのものを祝福しようとしてるあなたを、全創造がサポートしています。

今日がこれをするべき日です。 今日がこれが可能な日です。 今日あなたはこれをするに相応しいのです。
今日あなたがこれを体験することを妨げているものは全く何も存在していません。
I Love You. I Love You. I Love You. You. You. You. You. Every One.

この機会を捉えてください。 この機会を見捨ててしまわないようにしなさい。

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テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

Attainment of the Real World  サン~ローズ・ガイダンス

[Attainment of the Real World]
[リアルな世界を得ること]に対するガイダンス

[Sit quietly]
[静かに座りなさい。]

口を閉じるだけでなく、マインドも静かにしなさい。

真っ暗闇の中で絶壁の上を一歩一歩私にガイドされて歩いている時のように静かなマインドを持ちなさい。

そのような静けさと注意深さが必要なのです。 あたかもあなたの生命がそれに掛かっているかのように。 そしてあなたの命は確かにこの静けさに依存しているのです。

何故なら、あなたが今体験していることは「命」そのものからは程遠いものだから。 それは(あなたが現在体験している状態/人生は)「なにか無限なこと」に対する遠く狭い知覚なのです。

わたし達の繋がり全体を使って(あたかも崖の周りを歩いている時の様に)注意深くしていなさい。 私が見て感じるられることを知り、それを信じなさい。 するとあなたもまた「見て感じる」ことが出来るように成ります。 

[and look upon the world you see, and tell yourself, "The real world is not like this.  It has no buildings, and there are no streets where people walk alone and separate. ]

そしてわたし達は[あなたが見ている世界を(一緒に)見て「リアルな世界はこのようなものではない」とあなた自身に告げるのです。そこにはビルディングはなく、人々が孤独に離れて歩いている道もありません。]

(私が以前にも言ったように)ワンネス(一体性)が宇宙の法則なのです。

取り残されるものは何もありません(のけ者は存在していません)。
そのようなアイディアは天国の中には存在していません。 
わたし達全員にとって、全ての人と全てのものが大切なのです。

何故なら分離は存在していないのだから。
だからあなたが知っているような状態で存在しているビルディングはないのです。
そしてあなたが知っているような形の道や庭は存在していません。

だからと言って、天国がもぬけの殻だというわけではありません。
ビルディングの背後にあるアイディアが(天国の中に)存在しています。

ストリートはどうでしょう?
それらは「道」なのです。動きの神聖なのです。無限の方法/道なのです。

そして庭(ガーデン)は花の体験なのです。
歌のハーモニー(調和)にあわせて限りなく踊っている樹木の生命なのです。
それは天国のように完璧に美しく喜びに満ちている体験なのです。


[There are no stores where people buy an endless list of things they do not need. ]

[人々が不要なものを沢山購入しているような店は存在していません。]

欠乏/必要はないのでストア(貯蔵)もありません。


しかしアイディア群に基づいたデザイン達があるのです。
それらは歌でありダンスなのです。 動きであり音楽なのです。そして数学なのです。
無限の(限定されていない)体験の中に入って来ている美しさなのです。
それは喜んでいる生命の万華鏡です。

リアリティとしては、あなたは何時でも自分が必要としているものを得ています。

より上手く表現するなら、あなたは何時でも丁度その時正しいもの得ています。 それはあなたへ与えられている神のギフトなのです。

これが聖なる瞬間なのです。 それは神があなたに、あなたに、あなたに「成っている」ワンネス(一体性)の逐次的瞬間(瞬間の繋がり)なのです。

あなたがまだ殆ど味わっていない「喜びと平和」から流れてくる「聖なる瞬間」の(継ぎ目無く繋がっている)この「生命」を言い表す言葉は存在していません。

しかし「私の愛があなたに成ること」をあなたが許可したなら、あなたはすぐそれを味わうでしょう。 そして光としてのあなたの体験が始まります。
聖書に出てくる新エルサレムとは、「愛のみの場所」なのです。

[It is not lit with artificial light, and night comes not upon it. There is no day that brightens and grows dim. There is no loss. Nothing is there but shines, and shines forever." ]

[そこは人工的な光で照らされてはおらず、そこに夜が来ることもありません。 (明るくなってそれから暗くなる)一日も存在していません。 そこでは失われることがなく。 そこにあるのは永遠に光り輝いているものだけなのです。]


全てが光輝いているのは、全てが光で出来ているからだけではなく、あなたが光そのものだからです。 
そしてあなたはなんと美しいのでしょう。


[The world YOU see must be DENIED, ]
[あなたが見ている世界は「否定」される必要があります。]

上記の文は「あなたのいる場所がない」と言っているのではないのです。
全く違います!

あらゆる意味で限定されている世界ではなく、宇宙があなたのものなのです。
宇宙の中に現されている神の無限の(限りない)アイディアをあなたは見ることが出来るのです。 それを嗅ぐことが、聞くことが、味わい感じることが出来るのです。

この宇宙の中の全ては愛であって、この宇宙があなたを愛しているので、これは喜びの宇宙なのです。

だからあなたは、(現時点で)あなたの目の前に展開されているように見えていることを否定する必要があるのです。


[for sight of it is costing you a different kind of vision. ]

[何故なら、あなたがそれ(現在あなたが見ている世界)を見続けている限り、それと異なるビジョンは見えないのだから。]


私の見ているものを私と一緒に見ることは自分をハッピーにしないとあなたは思っているのでしょうか? 

(リアリティ/天国の全ての視点と共に)私の平和と喜びを分け合うことが、あなたをハッピーにしないのでしょうか? (勿論するのです。)

あなたが兄弟姉妹の共同体(Brotherhood)ともう一度繋がることをわたし達は渇望しています。 何故なら、あなた無しでは寂しいから。

これは(兄弟姉妹の共同体(Brotherhood)ともう一度繋がることは)難しいことではありません。

(あなたが見ているとあなたが考えている世界の代わりに)私の真のビジョンを求める少しの意欲だけを、私はあなたから求めているのです。


[YOU CANNOT SEE BOTH WORLDS, for each of them involves a different kind of seeing and depends on what you cherish. ]

[あなたは両方の世界を見ることは出来ません。 何故なら、この二つの世界はそれぞれに異なる見方を必要としており、「あなたが大切にしているもの」があなたがどの世界を見るか決めるからです。]

あなたは何を大切にしているのでしょうか?

あなたが作った痛みや損失に満ちた世界をあなたは大切にしているのでしょうか。
それとも、わたし達が繋がっている時(あなたへの私の愛がどのように感じられるか、それがどれだけ安全か)感じている少しの記憶をあなたは(目の前に見えているものよりも)大切に出来るでしょうか。

[The sight of one is possible BECAUSE you have denied the other. ]
[あなたは片方(の世界)を否定することにより、もう片方(の世界)を見ることが出来るのです。]

あなたが奇妙で限定された視点(それを我々は世界と呼んでいます)を選んでいる時、(あなたの知っていた)天国があなたの視界の中から静かに滑り出てしまい、天国は(限定された視点を見るようになってから知った)あなたの人生/生命の困難に隠されてしまうのです。

しかしあなたの限定されている視点/視界(あなたの現在見ている世界)が言い募っているリアリティや真実は間違っています。 何故ならリアルな世界はひとつだけなのだから。

[Both are not true, yet either one will seem as real to you as the amount to which you hold it dear. ]

[両方(の世界)が真実なのではありません。 しかしあなたがどちらか(の世界)を大切に抱くにしたがって、それが(その世界が)リアルに見えるのです。]  

しかし天国だけがリアルなのです。
世界は{どの世界を見るか/どの世界をリアルに感じるかは}あなたの今の選択次第でした。 しかしあなたに見えている世界があなたをきつく縛っているように見えています。 そして、死と生の間をめまぐるしく行き交い、人生に次ぐ人生をあなたは「生きて」来ました。 これは永遠の命のなんと馬鹿げた浪費でしょう。


[And yet their power is NOT the same because their real attraction to you is unequal. ]
[しかしそれらの力(「リアルな世界」と「現在のあなたが見ている世界」の力)は同じではありません。 何故ならあなたに対するそれらの吸引力は同等ではないのだから。]


これはどういう意味でしょう?

「あなたの見ている世界」は天国という喜びの上に投げ掛けられているあなた自身の発明なのです。 それは(あなたが見ている世界は)あなたに対して、あなたがそれに与えた力以外には、何の力も持っていません。それは実存していないので無効なものなのです。
しかしあなたはそれが(あなたの見ている世界が)あたかも「リアリティそのもの」であるかのように生きています (その限定的世界観の中で自分が生きているつもりに成っています)。


[You do not really want the world you see, for it has disappointed you since time began. ]

[あなたは自分が見ている世界を本当に欲してはいません。何故なら、それは(時が始まって以来)今まで何度も繰り返しあなたを失望させて来たのだから。]

時間はどのようにして「始まった」のでしょう?

時間はリアルなものではありません。 「時間」とは(「マインドが全てであること」に対する)無知の初期状態で、あなたが虚無(価値のないもの)を投射している状態なのです。
あなたの見ている世界(時間)は、それ自身こそがリアルだと叫び続けています。が、しかし上記が事実なのです。

[The homes you built have never sheltered you. ]
[あなたの作った家が今まであなたを安全に防御したことはありません。]

しかしリアリティの中で防御が必要でしょうか?
あなたとして知られている神のスピリット(霊)を傷つけられるものが在り得るでしょうか?  そのようなことが可能だと想像出来るというなら、そうして御覧なさい。 何故なら、それ(神のスピリット)が本当のあなたなのだから。


[The roads you made have led you nowhere, and no city that you built has withstood the crumbling assault of time. ]

[あなたが作った道は、あなたを何処にも導きませんでした。] 
何故なら「いまここ」だけが(無限のバリエーションを持っている)あなたが常に居るところなのだから。


[あなたの作った街は、時間の攻撃の前に崩れ去りました。]
何故なら、「あなたの創造は常にスピリットだけなのだ」ということをあなたは忘れてしまっているのだから。


[Nothing you made but has the mark of death upon it. ]
[あなたの作ったもの全てには、その上に死の印が付けられています。]

しかし全てのリアルなものは永遠の命だけを教えているのです。


[Hold it not dear, for it is old and tired, and ready to return to dust even as you made it. ]

[それを大切にいだくことは止めなさい。それは古く草臥れているのだから。あなたがそれを作った途端にそれが塵に帰っていくことを見ても驚かないでいなさい。]

それは(あなたの見ている様相は)大切なものではないのです。
{しかし、あなたの目の前には常にリアリティが在るのです。}
この世界と天国の大きな違いは、(あなたが見ている)世界の中ではものが構築されており、天国の中では物事は(神から完全な形を与えられて)ただ存在しているのです。

[This aching world has not the power to touch the living world at all.]
[この痛みに満ちた世界は、生きている世界に触れる力を持ってはいません。]

「生きている世界」はあなたの帰還を辛抱強く楽しみに待っています。
開かれたドアの横にあなたの衣服と指輪とサンダルが待っています。


[You could not give it that, and so although you turn in sadness from it, you cannot find in IT the road that leads away from it into another world.]

[あなたがそれに(あなたの見ている世界に)そのような力を与えることは出来ませんでした。 あなたはそこから悲しげに顔を逸らせたけれども、そこからもうひとつの世界へ続く道を探すことは出来ません。]

「あなたが自分で作ったと思っている世界」の中で、そこからリアルな世界へ続く道を見つけることは出来ません。

しかしこれは(あなたの見ている世界は)全く新しいものではなく、それは永遠の中に充満している美しくパーフェクトな「ところ」に対する限定された歪みでしかないのです。 それに対する英知をあなたは忘れ去ったのではなく、それを埋もれさせてしまっているだけなのです。

だからこの記憶は深くうめられてしまっているけれども、

[Yet the real world has the power to touch you even here BECAUSE YOU LOVE IT. ]

[しかしリアルな世界は、ここの中(限定された世界観の中)でさえもあなたに触れる力を持っているのです。 何故なら、あなたはそれを(リアルな世界を)愛しているのだから。]

そうなのです!!

あなたはこの言葉の中の力と真理を感じました。
あなたは真の愛があなたのもとに来ていることを忘れてはいません。

[And what you call with love WILL come to You]
[あなたが愛をもって呼んだものがあなたのもとにやって来ます。]

何故なら、それはすでにここに来ているのだから。

あなたが忘れた(捨てた)と思っていたものは、あなたの傍を離れてはいないのです。
それを無視しているのはあなたなのです。それが(愛が、リアルな世界が)あなたを無視しているのではないのです。
これが良き知らせなのです。

[Love always answers, being unable to deny a call for help, or not to hear the cries of pain that rise to it from every part of this strange world you made but do not want]

[(あなたが作った、しかしあなたが求めていないこの不思議な世界の各部分から湧き上がってくる)痛みの叫びや助けの声を無視することはなく、愛は必ず応えます。]

何故なら愛はあなたとして存在しているのだから。だから愛が「助けを求める声」を無視することは不可能なのです。
あなたが必要とする全ての助けを与えるために、愛はいつでも準備して待っています。


[The only effort you need make to give this world away in glad exchange for what you did not make is willingness to learn THE ONE YOU MADE IS FALSE. ]

[「(あなたが見ている)この世界」を「あなたの作らなかった(真の)世界」と取り替えるためにあなたがするべき努力は、あなたの作った世界の方が偽りなのだと学ぶ意欲を持つことだけです。]

「あなたが自分で作ったと思っている世界」がどれだけ痛みを作っているか理解出来たなら、それを放棄することは容易いことです。

何故なら、あなたは決してリアリティを変えることは出来ないのだから。
リアリティは神と同様に永遠で不変で良きものなのだから。 何故なら、リアリティが神で、神が全ての創造に成っていることがリアリティなのだから。


[You HAVE been wrong about the world because you have misjudged YOURSELF. ]

[あなたはあなた自身を誤って判断しているので、世界に対しても間違っているのです。]

あなたが(神とは)違う風に見ることを選んだ途端、あなたの世界はとても(神から)異なったものに成ったのです(成っているように見え出したのです)。
何故ならあなたの世界は、あなたが見ている(とあなたが思っている)だけのものだから。

「あなたが考えていること」があなたの世界として見え出したのです。
そしてあなたが一旦「自分は今までとは違う見方で見ている」と考え出したとき

[From such a twisted reference point what COULD you see?]
[このような捩れた視点から何が見えるというのでしょうか?]

神の創造がもやは神の創造としては認識出来ないぐらい捩れて見えるようになったのです。

[All vision starts WITH THE PERCEIVER, who judges what is true and what is false. ]

[全てのビジョンは(何が真理で何が間違いか判断している)知覚者(認識者)から始まっています。]


裁き(ジャッジメント/判断)とはあなた一人だけで考える行為のことです。
これは(あなたのオリジナルな意識である)英知(ノーイング)の正反対なのです。

{思考/ジャッジメントを使って}あなたは自分のビジョン(視界)を縮め、天国とは似ても似つかない場所を「発明」したのです。 

そしてあなたはそれを抱擁したのです。故郷の記憶と喜びが完全に無くなるまで。 
だからもう「自分はハッピーであるべきだ」という感覚だけしたあなたには残されていないのです。 


[And what he judges false HE DOES NOT SEE. ]
[そして、間違っていると彼が判断したものを、彼は見なくなるのです。]

あなたに残されているのは「思考」という奇妙な行為だけです。 英知(ノーイング)が縮まって「思考」に成ったのです。

あなたは思考を使って、全ての機会に自分自身を正当化しようと試みているのです。

[You who would judge reality CANNOT see it, for whenever judgment enters reality has slipped away. ]

[リアリティを裁こう(判断しよう)としているあなたには、リアリティは見えていません。] 

{判断しようとした途端}リアリティはあなたの誤認識によって隠されてしまうのです。

[何故なら、{あなたのマインドの中に}裁き/判断が入ってきた途端にリアリティは出て行ってしまうから。]

それは何故でしょう?
何故なら、リアリティは愛で、愛は完璧性の(全ての物事が素晴らしく在る)ビジョンを通して全てを見ているのだから。

はい。 このように愛されることの意味をあなたは少し感じたことがあります。
そして、「この愛があなたであることを初めて体験した時のこと」をあなたは思い出しています。

「世界(あなたが見ている定義と歪んだ知覚の世界)を成り立たせている愛」と「天国の愛」の間の大きなギャップをあなたは見たことがあります。

エゴの容赦ない裁き(判断/思考)とその暗い感覚がリアリティを視界から遮ってしまいます。

そしてあなたは自分が何を失ったか思い出せなくなっていて、「誰か」や「何か」を一生懸命探しています。 あるいは「多くの人々」や「多くのもの」を使って空虚な心を満たそうとして失敗しています。

しかし満たされて平安に感じるためには、私の手を取ってあなたのマインドを私に向かってオープンに開き、愛をその中に取り入れるだけで良いのです。

[The out of mind is out of sight]
[マインドの外にあるものは視界の外に出てしまっています。] 

あなたはあなた自身という輝けるものが見えていません。

[because what is denied is there, but is not RECOGNIZED. Christ is still there although you know Him not. His Being does not depend upon your recognition. ]

[否定されているものは依然としてそのにあるのですが、それは認められていないのです。 キリストは依然としてそこに{あなたのもとに}います。あなたは彼を知っていません(彼に気付いていません)。しかし彼の存在はあなたの認識には依存していないのです。]

そして彼(キリスト)は、あなたが助けを求めるのを愛の静けさの中で待っているのです。

[He lives within you in the quiet present ]
[彼は静かな今としてあなたの中に生きています。]


彼(キリスト)はあなたの中にあなたとして生きています。
「今ここ」が常に彼があなたの中にいる静かな今なのです。

あなたが自分の注意を全て過去と未来に与えてしまって今を無視しているので、それは静か(彼は無言)なのです。

「今」があなたは常にいる「ところ」なのです。あなたが際限なく過去を再現していたり、未来の夢を夢見続けている時でも。


だらからラブリーな「静かな今」がそこに居て

[and waits for you to leave the past behind and enter into the world He holds out to you in love.]

[そして、あなたが過去を離れ「彼が愛と共にあなたの為に広げている世界」の中に入って行くことを待っています。]


あなたが(思考に基づいた)未来の予測を永遠に手放し、(決して実際には起こらなかった)過去を捨て、永遠の現在の世界の中に入っていくことを彼(キリスト)は待っています。
彼は愛とそしてあなたという永遠のギフトを携えてあなたを待っています。
あなたはそれ(彼があなたの為に広げている世界/ギフト)をいま手に取って、彼の愛があなたに成ることを許してください。

あなたの故郷への帰還は確実で安全です。 それは彼の愛で満たされており、あなたは彼とあなたの喜びの両方で満たされています。


-----------------
ローマ人への手紙 8.19 J.B. Phillips の意訳

[The whole world is on tiptoe to see the wonderful sight of the Sons of God coming into Their Own]

[神の子達が彼等自身の中に入っていく光景。この素晴らしい光景を見ようとして世界全体が固ずを飲んで見守っています。]


上記はACIMの “Attainment of the Real World”  に対してサン~ローズが得たガイダンスです。
sunrose101@aol.com


JCIM: Chapter 12 “Attainment of the Real World” p125
2nd Edition: Chapter 13 The Guiltless World Vii -Attainment of the Real World p254


テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

ACIM11-03-20

March 20, 2011 ©NWFFACIM 2011年3月20日


原文テキスト
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=31173&mid=149656#M149656
オーディオ&ビデオ

参照ページ:  今回はACIM文は読みませんでした。



こんばんは、ようこそ。
先週の主題について話し続けましょう。

この時点で世界の中に現れている(世界の人々が面している)問題は、今の瞬間の中で起こり続けている「根源的間違い」から発生し続けていることを私は説きました。

(ゴンゴンと机を叩きながら)実体(モノ)が(物理的)物質だという信念が、この根源的間違いなのです。 しかし本当はあなた達が体験している全ての物体の実体(構成要素)は物質(Matter)ではなくスピリット(霊)なのです。

スピリット(霊)とは神のもう一つの呼び名なのです。スピリットとは創造の実体なのです。神はスピリットを使って創造したのです。と同時に神はスピリットを創造したのです。

そして創造とは、スピリットという実体が神のマインドンの中にあるアイディアのイメージに沿ってパターン付け(形付け)られていることなのです。

あなたは毎日(神のアイディア群によって)パターン付けされたイメージに直面しているのです。あなたは常に全く神聖な体験のなかに居続けているのです。

しかしあなたはそう信じてはいません。あなたはそう言ってはいません。あなたはその神聖な体験に対して自分自身を与えてはいません。

あなたは実体に対して物質(Matter)という定義を与えており、その定義に信心を捧げているのです。

それは危険なことです。何故なら「それ(スピリット/実体)が本当は何か」否定することにより、あなたは「その本当の体験」を失っているからです。

「それが何か」(というあなたの定義)に対してあなたが与えている信心によって、あなたは何に縛りつけられているのでしょうか?
(あなたは自分の信念に信心を与えてしまっているので)ポジティブ/ネガティブ、平和/怖れ、生/死などといった二元性/対極性(物事を両極端に分離することにより与えられた限定的な意味)にあなたは縛られてしまっているのです。

「ひとつのもの」が対極に分離されてしまっているのは、あなたが「父よ、私は自分の見方で見てみたいです。 父よ、私はこれを自分で定義したいです。」と言ったせいなのです。

「私が自分で定義を作ってみたいです。そして自分の定義に従って世界を創造してみたいです。わたしは私の定義群に従った世界を作りましょう。 私に従う(私に奉仕する)世界です。 「何がリアリティなのか」私が決めたことを反映している世界です。 何故なら私は自分自身でしてみたいのだから。」

すると直ちに二つのものが現れ出てきました。 それは怖れと罪悪です。
対極性(二元性)なくしては罪悪が存在しているように見せることは不可能です。その場合怖れの原因も存在し得ません。

対極性は、神に逆らって行動しようとする決意の中に必然的に現れてしまうものなのです。
これはそれ程驚くべきことでしょうか? 
神に逆らって行動しようとする意思決定が対極性(二元性)を引き出したのです。
すると、(あなたの)それ以降の行為の全てが二元的に(善悪に分かれて)知覚されるようになったのです。

その結果として、あなたは天国の中を歩き回っていて、それに気付いていないのです。
私は(あなたがこれに気付くまで)これを何度も繰り返す必要があります。
(死んだ後ではなく、天の彼方ではなく)「この世界」とあなたがいま呼んでいる所に、いまここに、天国があるのです。 あなたは天国の只中に居るのです。

全てのものの実体はスピリット(霊)であって、物質ではありません。

そして目覚めるために必要なのは「二つのステップ」なのです。

「二つのステップ」とは、「聖なる瞬間」に入って「あなたが信じている全てのこと」に対してあなたが与えている決意を放棄することなのです。 あれこれが物質で出来ており、それは物理的なもの(あるいは生物学的なもの)で{物理法則に従っているのだ}という考えを放棄するのです。

「生まれて、育って、年とって、死ぬ。 何故なら肉体とはそういうものだから(肉体とはそのように定義されているものだから)。」
あなたはそう考えているでしょう(そういう考えを受け入れてしまっているでしょう)。
違いますか?

「それは私の信念などではない。 全ての生物を見てみてみなさい。(みんな等しく死んでいっているではないですか!!)」 と、あなたはそう主張するわけです。
「全てのものは死ぬのです。 わたし達はそれを生命のサイクルと呼ぶことに決めました。」
これは殆ど詩的ですらあるわけです。 (あなたはそんな風に感動したりしていませんか?)


そのように考えて「間違え」に対して、それがとても理屈に合っているように思い、その間違えを受け入れているのです(そうするのが「人間」の宿命/責任なのだとお互いの合意を取り付け合いながら)。

私が言っていることを聞いて、自分の自信を放棄し譲る意志を使って、あなたの常識的な知覚を脇に退けて、今まで体験して来なかったような事が在り得ると思えるように成りなさい。 あなたがたった今天国の中にいると思えるように成りなさい。 あなたは常に、これがより容易に出来るようになるチャンスに直面し続けています。


あなたが直面している全ての「もの/こと」はスピリット(神のもの)で出来ているのです。
(それは本当は物質ではないので)「それは物質でしかない」という確信をあなたが放棄した時、今までとは異なる体験が得られるのです。

私はポールの顔を叩いたり、誰かの鼻を殴って、それらが物質であることをデモンストレート(表現)することが出来るでしょう。
物質は(物質というアイディアは)対極化されているので、それを使って傷つけることが出来るわけです。 (それが絶対可能でそれが唯一の可能性だとあなたは信じていることでしょう。)

しかし(スピリットという実体で出来ているものとしての)これらの手はお互いの間を通り抜けることが可能なのです。
ポールの現在の定義群は、このシンプルな真理がデモンストレートされることを許可していません(もしそれが出来たなら彼はきっととても喜ぶでしょうが)。

あなたが触れる感じられる叩ける全てのものは物質ではなくスピリット(霊)なのです。
だから(死んで天国に行ってからではなく)今日あなたの触れているものがスピリットなのです。 あなたはこれを深く認識し実感出来るようにならなければいけません。この理解を自分の奥深くまで届けなさい。 

あなたの目の前にはとても興味深い仕事が来ています。
これは楽しく興味深いだけでなく、これは全く理に適ったものなのです。
幻想ではなく真理を体験することは全く理に適ったことです。何故ならば幻想は怖れ/対極化/対立をもたらすから。 しかしあなたはそのようなものは求めていません。
そしてもしあなたの見ているもの/感じているもの全てがスピリット(神のもの)で出来ているなら、(あなたが見ている感じている)「それそのもの」の体験の中に入って行くことよりも良い行動が在り得るでしょうか。 何故なら、そうした時あなたは神の法が全てを統治している場所に居るのだから。
その時あなたは対極化が存在していない場所に居るのです。 その時あなたは再生やあがない(救出)が可能な場所にいるのです。物体の変容や癒やしが可能な場所にあなたはその時居るのです。 

私はパターンという言葉を使いました。
神がアイディアを持っている時それはパターンだからです。
それは(そのパターンを形作ったマインドにとって)体験可能な認識可能な見える触れるパターンなのです。
そこには全く対極化が無いのです。

この特定のパターン(例えば「手」)とあの特定のパターン(例えば「シャツ」)の間に分極化(違い)は無いのです。
あるいは、この特定のパターン(携帯電話)とあの特定のパターン(ガンマ線)とその特定のパターン(腎臓)とあそこの特定のパターン(テーブル)には違い(紛争)が無いのです。

そして各パターンは理解可能なアイディアなのです。
神のマインドの中に理解可能なアイディアが沸き起こるのです。

その時点でそのアイディアはすでにパターン(ひな形/形態)なのです。
そしてパターンは、それを作ったマインドにより理解され認識されるのです。

そしてマインドが作った「全て」も(つまり創造の全ても)その各パターンを理解認識することが出来るのです。
何故なら、神のそれぞれの創造は「神である意識」を体現しているので、新しいパターンを理解認識し体験することが出来るのだから。
だからこの新しいパターンは合一(Unity)の共有されている体験なのです。

しかし「父よ、私は自分のやり方でやりたいです。」とあなたが言っている時、「父よ、私自身で定義したいです」とあなたが言っている時、理解可能で体験可能なパターンとしてこのアイディアを自分の中に沸き起こらせることがあなたには出来なくなってしまっているのです。


あなたは「自分自身で創造を一から開始する能力」は有していないのです。

だから、あなたが物事に対して自分の定義を与えている時、あなたは神がすでに与えたパターンを改名しているだけなのです。 「神がすでに成っているもの」に対して異なった名前を与えているのです。 あなたがこれをしている時(特定の物事を改名している時)、あなたとそのもの/ことの関係は対極化されてしまうのです。 何故なら、神がそこで成っているアイディア/パターンとは異なった定義を、あなたはそれ(物事)に対して当て嵌めようとしているのだから。

その結果、あなたがテーブルと呼んでいるものは(沢山のアイディアを抱えている)あなたの体が通り抜けられるアイディアではなくなってしまうのです。 
だから(このようにして)、あなたが不注意にテーブルにぶつかって足を挫いたり、つまずいて頭を打って死んでしまったり出来るようになっているのです。 このようにして、対極化されている体験が、死を作っている体験が、持てるようになっているのです。

それ(死/病/罪)が可能なのは、あなたがそう考えたからではなく。 あなたが「それ」(体/もの/こと)と不正直に関係しようと固執しているからです。 あなたは「それそのもの」とは関係/対峙しないようにしようとしているのです。

するとその時、本来対極化(二分化)の不可能なものが、他の全てのものに対して純粋で調和的な関係を体現することしか出来ないものが、「破壊的なもの」に成ってしまうのです。

これは原子にも当てはまります。
これはガンマ線にも当てはまります。
「太陽はガンマ線を放射している。太陽は紫外線を発光している。 太陽は人に対して有害なものを発している。 人が太陽に長くあたり過ぎると...(健康を害する)。 強力なソーラー・フレアが発生したなら...(色々と障害が生じるだろう)。 だから破壊的なものが存在しても、それは自然で当然なのだ。 これも神の創造の一部なのだ。」

失礼ですが、全く違います! それ(破壊的なもの)は神の創造ではないのです。

それ(破壊)は、(全てのものに定義を与える権威を自分は持っていると主張している時)あなたがそれ(もの/こと)を体験する一つの方法なのです。

実体同士の対極性(二元性)があなた達を統治してしまっていることを止めるべき時なのです。
そして実体の中にある(実体の中に想定されている)対極性があなた達を統治してしまっていることを止めるべき時なのです。
今あなたは新しいビジョンを(勇気を持って)見るべき時なのです。
今あなたは聖なる瞬間をあえて意識的に実践するべきなのです。

何故でしょう? あなたが父の視点に譲れるようになるためにです。

何故なら、あなたが父の視点に譲ることは、あなたが自分自身をあなたの原初の視点に戻すことだから。

するとあなたは、万が一原子発電所から放射能の漏洩があった時でも、あなたも牛も草木もどのようなネガティブな影響も受けない場所(マインド状態)にあなた自身を戻しているのです。

それは何故でしょう。 葉っぱの原子は、草木の原子は、牛の原子は、ミルクの原子は、それらは何なのでしょうか? それらはスピリット(霊)という実体なのです。

それは(対極化されていない)ひとつの実体(Substance)なのです。

それはひとつの実体で、沢山の形を示していますが、それらの形はお互いと完全に調和しているのです。 何故なら、それら(葉/牛/原子炉など様々な形)は「ひとつ」の意志を体現(表現)しているのだから。

神の共同創造者としてのあなたの役割は、それら全てを見てそれらを「それらそのもの以外のもの」と呼び続けるのを止めることです。

そして「それら(あなたの見ているもの)に対するあなたの定義」に決意/信任を与えて、「それらそのもののリアリティ」に逆らい続けながら、それを(あなた自身の意図と目的を遂げる為に、あなたがそれらに与えてる定義を)得ようとし続けることを止めるのです。
今これを止める時なのです。
止める時が今なのです。

そしてACIMの生徒達は、これが(定義を放棄しスピリットを解放することが)目覚めのプロセスの一部ではないと考え続けることを止めるべき時なのです。これが聖なる瞬間の中で起こることなのだと認識出来るようになるべきなのです。

「私の意志ではなく、父よ、あなたの意志がなされますように。」と言った時、再生とあがない(救済)を得ることがあなたに本来備わっている性質であると解るようになるべきなのです。
これだけシンプルなのです。

「放射能の空気が少し漏れて、もしかしたらその県の牛の細胞がダメージを受けて、もしかしたらそのミルクは悪化しており、もしかしたら彼等はミルクを供給することは出来なくて。 もしかしたらその小さな地域の草木はダメージを受けていて、もしかしたらその地域の動物は奇妙な形に成ってしまうかもしれない。」

何故でしょう。 それはパターンが干渉されたから(悪影響を受けたから)です。 (そうあなた達は考えているのではないですか?)

「これはとても残念なことでした。 しかし神様、これが日本全体でなくてよかった。これが日本の北側の小さい地域で局部的に起こったことだからまだ助かった。」

これは病的な考えです!
そのような姿勢は(あなたのマインドの中から)撲滅するべきです。 このような思考が自分の中で起こっている時、あなたはそれに(それが神を反映している思考ではないと)直ぐ気付くべきなのです。

「もしかしたらより多くの放射能の空気と粒子を放出しなければならなくなるかもしれない。その可能性もある。 科学者はアメリカの西海岸の放射能レベルが微量上がっていることを発見している。ホンの少しだけ、それ程の量ではないけれど。 誰かに悪影響を与える程ではないけれど。」

しかしこう聞けば、アメリカの西海岸側に住んでいる人達は、少し離れた視点を放棄せざる得なくなることでしょう。

「ウーン。 これがそちらで起こっているのですか? 大変ですね。 この程度でなんとか収まったことを神に感謝しなくては。」 (という考えを放棄せざる得ないでしょう。)

「神様、これは私が考えていたより悪くなってます。 私の住んでいる所の放射能レベルが、私の靴の放射能レベルが...(あがってる)!」 (というようなシナリオを密かに怖れている人もいるかもしれません。)


しかし良いですか?
そのような終末論的シナリオはもしかしたらここでは起こらないでしょう。 
しかし(そう聞いて安心して「今まで通り」を受け入れ続けるのではなく)明晰さが必要なのです。
聖なる瞬間を実践する必要があるのです。あなたの健康/身体/エージングプロセス/その他に対して凡庸(世間一般の常識)を受け入れて満足してしまわない必要があるのです。
これら(災害/加齢/病/罪/あなたの退屈な日常)は全て目覚めへの呼びかけ(目覚めを促している声)なのです。

あなたの対峙している今がチャンスなのです。 今まで以上に真理に入って行って、ラジカルなもの/ことに対してオープンに成ること、そしてあえて「ここにある全ての実体はもしかしたら物質ではないかもしれない。」と言えるように成るべきなのです。 
そして何か異変が発生しているように見える時には、以前よりこれ(聖なる瞬間)が行ない易くなっているはずです。「これをあえてしてみよう、聖なる瞬間を実践するべきだ」と考えられる理由が見つかるはずです。

「ここにある全ての実体はもしかしたら物質ではないかもしれない。もしかしたらそれは創造そのもの(神の動き)なのかもしれない。 もしかしたらそうなのかも。

自分の注意を『創造の(今まで私が教えられて来たものより)よりクリアな体験』に忠実に与え続けることが私に相応しいのかもしれない。

もしかしたら再生とあがない(救済)を見るれるよう期待するべき時なのかも知れない。」

あがない(redemption)とは何でしょうか?
それは原初(の状態)に戻ることです。

スピリチュアルなオリジナル(源の霊)に戻ること(と言いましょう)。
父が作ったオリジナルなパターンに戻るのです。
今の中で永遠に不変なアイディアを父が抱いたのです。 そしてそのアイディアは永遠に新しくあるのです。 それは一瞬一瞬の中で新しく成り続けているのです(常にオリジナルなパターンが霊として注入され続けているのです)。

それ(父の作ったオリジナルはパターン)は死/病/罪を行なうことは不可能なのです。
だから「私の肝臓がそのパターンを失ってしまった(肝臓の構成要素がダメージを受けた)。」などと言い続ける必要はなくなるのです。

「新しいパターンが常に発生し続けています。 その新しいパターンは、古いパターンの機能とは相容れないのです。だから私はこのパターンの変化によって死んでしまうでしょう。」 (とあなたは考えているのでしょうか?)

それは正しくありません。 
それはあなたが神の共同創造者に成っていることではありません。
それはあなた自身が創造者に成ろうと試みている状態なのです。

「この肝臓はスピリットで出来ているのではないとしましょう。そのオリジナルのパターンを侵害しているこのもうひとつのパターンを私は癌と呼びましょう。 そしてこの二つのパターンは両立出来ないものと私は決めました。 だからそれらは最終的に破壊に至るのです。 私はそう言いましょう。私はそれを信じましょう。私はそれを怖れましょう。私は死ぬまでこの信念の中に住んでいましょう。何故なら、それ以外の所に住む理由を私は持っていないから。」 (このようにしてあなたは自分自身が創造者/神に成ろうとしているのです。)

そう考えそう振舞うことが、コースの生徒の、真理を求める生徒の、態度だとあなたは思いますか? 上記のような思考/状態が(あなたが読んできた本の中に書いてある)聖なる瞬間の結果だと思いますか?

あなた達はそのようなことを話してきたのでしょうか?  あなたはそのような体験を欲しているのでしょうか?
いいえ、違います。

コースの目的は、コースが述べていることをあなたに体験出来るようにすることなのです。

「神がどのように物事を創造しているか」あなたに体験出来るようにすること、その体験があなたの持って生まれた権利なのです。 何故なら、あなたは物理的な生物/臓器の塊ではないのだから。

あなたは物質/物体の中に閉じ込められているものではないのです。
(あなただけでなく)人々は怠惰過ぎ怠慢過ぎるのです。少しは生気を使い始めるべきなのです。目の前の機会を使って目覚め始めるべきなのです。


豚インフルエンザと放射能と夏風邪と冬風邪の間にどのような根源的違いがあるというのでしょうか。

「おお! それは世界中でいま流行っている。 それは人々に感染し。それが影響を与えてしまう。 人がそれによって死んでしまうことさえある。」(そういう意味でも、それらははつまるところ全く同じなのです。)

あなた達の多くは、風邪や豚インフルエンザは祈りで癒やすことができると確信しています。
二つのステップの実践(聖なる瞬間)を通して癒やすことが出来ると信じています。
しかし、癌や放射線の被曝などに対してはそれが出来るとあなた達はまだ言っていません。


「この有毒な効果を変化/無効化することは出来ない。」(とあなた達は言っており、そう信じてしまっています。)

あるいは正反対に、「自分の免疫システムが十分強靭だから悪影響を跳ね除けることが出来る。」と言っているわけです。  しかしこれもまた対極化なのです。

これは「ひとつのものがネガティブな力を持っており、他のものがポジティブな力を持っており、ネガティブな力を跳ね飛ばすことが出来る」(という信念でしかないのです)。

その場合まだあなたは対極化(二元論)の中にいるのです。
その場合まだあなたは戦争/闘争の中にいるのです。

その場合まだあなたは「父よ、(あなたの定義/パターンを受け入れるのではなく)私は自分自身でそれを定義したいです。」と言って独立宣言を続けているのです。

(その場合)あなたはそこから踏み出して、「父よ、ここの真理/真実は何ですか?」とあなたが言っている場所にはまだ移行していないのです。


しかしあなたが上記のことを言ったなら、スピリットという実体の無害性(善良性)がそこであなたに示されるのです。

そこであなたは、対極性が存在しておらず、ものの間に(対立している)極性がなく、(拘束ではなく)愛の繋がりがあることを感じ体験することが出来るのです。

それは抱擁する愛の繋がりなのです。
全てが全てに対して、全ての周りで、全てを通してコミュニケートしているのです。
偉大なるひとつの愛の共同体(Union)の中で、全てがひとつのイベント(出来事)として表現されており、(そこでは)愛が与えられており、愛が受け取られているのです。

あなたが「父よ、私はもはや自分の定義で遊んでいたくはありません。ここの真理は何ですか?」と言って、父があなたに愛の状態(Union)を示したとき、あなたはその体験とそのフィーリングを自分の中に受け入れるのです。 それが(あなたの中に)入って来たとき、あなたは再び「神の法が全てを統治している場所」に居るのです。

その時あなたは、放射性を帯びた雲や豚インフルエンザの病原菌やその他の感染性のある有害な物質が全く悪影響を持つことの出来ない場所、そのような可能性が全く存在していない場所に居るのです。

チェノーブルの土地がダメージを受けている(ダメージを受けたと示し続ける)必要はないのです。 そこの土が何万年もの間(癒やしを必要とし続ける)不毛で人を寄せ付けない場所に成っている必要はないのです。

日本で起こったダメージ(被害)が癒やされるために長い時間が必要なわけではないのです。
その地の人達が、これからの人生(それは短いものではなく永遠なのです)において自分達の健康に不安を懐きながら過ごす必要は無いのです。
今回の事故があったからといって、それらの人々が癌の発生を恐れながらこれら生きていく必要などないのです。
しかしこれは日本だけに限定されていることではありません。

あなたが放射能のせいではない癌にかかっていたとしても、(お医者さんからは)タバコが原因で(あるいはその他の原因で何となく自然と)癌に成ってしまっていると言われたとしても、
そのような怖れ(脅威)の下で、あと一日であろうとも過ごす必要は無いのです。 一日たりとも、そのような怖れを懐いて過ごす必要は無いのです。

何故でしょう?
何故なら、他の実体と衝突してしまい悪化をもたらすような実体は存在していなからです。
存在しているのは、たった一つの実体(Substance)だけなのです。

それはスピリットという実体なのです。それは神のもの(実体)なのです。

だから、これ以上対極的(善悪の)誤解や闘争/葛藤を続ける正当な理由はないのです。
これが真理なのです。これをあなたが受け入れ、これの中に休まり浸ったなら、この真理があなたの体験の中に流れ込んでくるのです。 そしてあなたは瞬間的癒やしを見るでしょう。
しかし、もしあなたがこの真理の全容を直ぐに受け入れられなかったなら、ゆっくりと現れる癒やしが見られるかもしれません。

いずれにしろ、あなたは毎日変容/再生/あがないを絶対期待しているべきなのです。 たとえその時重大な非常事態が起こっていようと。

あるいはあなたの指の先にイボが出来ているだけだったとしても、「こんなものは何でもないから」と言って、その異変/異常を容認するのは止めなさい。 
私はイボが大変なことだと言っているのではありません。

「ヘイ! あなたは神の娘/息子ではなかったのか!!」 と私は言っているのです。

(あなたの指を含めた)あらゆる所を見て、創造が完璧に現れている愛らしさを発見することがあなたの生得権(持って生まれた当然の権利)なのです。

そのような体験をし始めるまで、あなたは諦めてはいけないのです。

もしあなたが今まで「自分の人生は退屈で目的意識が持てない」と思ってきたなら、本当はあなたは実はとても恵まれていることが今わかったのです。 何故なら今までは退屈だと思っていた時間が実は大変重要なことのために使えるのだ、と今わかったのだから。

さて最近の中東情勢に対して少しコメントします。 何故ならあなたはそれに対する真理を知っているべきだから。

癒やしが起こっています。知性がやって来て無知に取って代わることを興味をもって観察しなさい。

しかし知性を現していないものは気安くハッピーに去るつもりはないでしょう。
あなた達にとっても、古い性癖を手放すことはイージーではありません。
国の古い性癖もまたイージーには去っていかないかもしれません。

(神の子達全員が体験しているべき知性/慈愛/尊厳を表現していない)性癖を解除する変化をもたらすための努力が必要なのです。

知性/慈愛/尊厳を体験していない神の息子/娘はそれら(知性/慈愛/尊厳)の体験を勤勉に掴み取る必要があるのです。 ちょうどいま中東の人達がそれを勤勉にしているように。


コースが教えていることを話すだけでは十分ではありません。
それを体現(表現)しなさい。 そして必要なワーク(仕事)を行ないなさい。
古きを手放して、新しいものを抱擁し、新しいものへ信任(コミットメント)を与えなさい。
何故なら天国は「あなたが現時点で体験していること」よりもとても優れており素晴らしいのだから。

しかしあなたはすでに今天国を体験しているのです。あなたは今天国の只中に居るのだから。
しかしあなたは天国を見てはいないのです。 何故なら、あなたはまだ天国を見たいと思えてはいないから。あなたは(まだ)あなた自身の定義群を見たいと欲しているのです。

死の向こうにあるのが天国だと信じてしまわないことがとても重要なのです。
どこか遠くに在る所や状態が天国だと信じてしまわないことがとても重要なのです。

何故ならそう信じたならあなたは天国のど真ん中にいて、それを見ることが出来ず今まで通り寝続けてしまうから。

それ(夢)に対してチャレンジせず、それ(神を反映してない体験)に異を唱えず、それ(天国以外の体験)を受け入れて、それ(夢)以外の体験が出来るということに全く気付かずにいて苦しんでしまう必要はないのです。

このことに対して癒やしを得ることは何と素晴らしいことでしょう。

あなたは常に何かを体験しており、その体験に関して癒やしを得ることは素晴らしいことです。
それはとても重要なことです。

神が存在していないとは誰も考えられなく成るような癒しが起こるのです。
それが変容をもたらします。
問題が現れている場所(部分)だけではなく、人類全てに対して変容が起こるのです。

そしてこの地球上の全員は、今体験されているより遥かに大きな喜びを体験する必要があり、その体験にあたいするのです。

だから喜びへの変容に対するあなたの役割を果たしなさい。

あなたがそれ(喜びの変容に対して自分の役目を果たすこと)を目的としてア・コース・イン・ミラクルズ(ACIM)に(真理に、神に)興味を持ってきたのでなかったのなら、あなたは取り違えています。


I Love You.

あなたが聖なる瞬間を実践出来るように私はあなた方一人一人と繋がりましょう。
来週お会いすることを楽しみにしています。

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

プロフィール

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

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