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ACIM11-04-23

April 23th, 2011 ©NWFFACIM   2011年4月23日




今晩は、ようこそ。

わたし達は “Forgiveness and Healing” 「赦しと癒やし」と題されている章を読んでいます。

そしてここ数週間は、(あなた達にとっては)ラジカルな癒やしについて話しています。 とても危険に見えている元素(要素)が、無害な(それでいて有用/有効な)ものに変ることについて話して来ました。
ダメージ(それが負傷だろうが細菌や放射性物質の影響だろうが)が修復されること、ピュア(純粋)ではなくなった水が変容すること(再びピュアに成ること)。
幻想の修正を期待することに関してわたし達は話して来ました。
これを夢物語として想像するのではなく、これが実際に測量可能な現実になることに関して話してきました。

今週はイースター(復活祭)なので、これはとても相応しい主題ですね。
(例えば)あなたの細胞がダメージ(負傷)を受けてそれが癒やされたのなら、それを復活と呼ぶことも出来ますね。
以前は不完全な状態であった何かが、その本来の自然なパーフェクトな状態に戻ったなら、それは復活ではないでしょうか?  確かにそうなのです。

赦しと癒やし、これらを切り離すことは不可能です。 わかりますか?
そこに癒しがあるのなら、何か間違った状態が正常な状態に戻されたなら、そこでは復活が起こっているのです。

そして癒やしは常に赦しというシンプルな行為の結果としておこるのです。
では、どうすれば赦しの行為が達成されるのでしょうか?

(わたし達が今まで話してきた)「二つのステップ」を行なうことによって赦しが達成されるのです。
そこでどのようなことが起こっていた(行なわれていた)にしろ、どのような状態に直面していたにしろ、あなたはそこで止まって、自分の思考的マインドを静かにするのです。
その静けさの中で、あなたは自分の思考的マインドを超えて父に(精霊に)身を差し伸ばすのです。 自分のマインドを彼に届けて「ここの真理は何ですか?」と聞くのです。

「あなたの目の前に見えていること」にも関わらず(あなたの面前の現象に惑わされずに)そこの真理を知りたいと望む意欲が赦しなのです。
あなたは「自分が信じるように条件付けられていること」を出来事に対して投射しています。 その投射が見せている様子に惑わされずに、あなたは「真理を知っている源」から真理を知らされたいと求めるのです。
それが赦しなのです。

状況や人々をあなたの概念に当て嵌め続けることを止めたとき、あなたはそれらの状況や人々を赦しているのです。
その時あなたは、汚染されてしまった水を赦しているのです。
その時あなたは、意図的に(あるいは無意識の内に)汚染を起こしていた人々を赦しているのです。

水や状況(や状況を起こした人/原因)に関する真理を知りたいという願っている時、あなたは物事(リアリティ)に対する自分の確信(自分の見方)を放棄しているのです。
それ(自分達の考え)を放棄して、あなたの知覚を超えた真理を知りたいと求めることが赦しなのです。

真摯に実践された赦しは常に修正をもたらすのです。
それは常に癒やしを、復活(再生)をもたらすのです。

これが法(法則)です。 これは絶対なのです。
それが揺るぐこと(失敗すること)はなく、あなたはこれに頼ることが出来るのです。
しかし、初めの内は(あなたにとって)唯の考えでしかないことを受け入れなかったのなら、あなたはそれに頼ろうとはしないでしょう。

あなたは「復活なんて不可能だ。 このダメージは確実な動かし難いものだから」と言ってしまうことでしょう。
そこには赦しがないのです。 
何故なら、そこには「(あなたが全てのものに対して当て嵌めている)定義」を超えて見てみようとする好奇心が無いのだから。

するとあなたは実際には天国であるものを(あなた達が天国に対して当て嵌めている)限定された知覚/認識に縛りつけてしまうのです。 
この限定されている知覚/認識が天国を物質的な宇宙/世界と見せているのです。 それだけなのです。

あなたはどのようにして物質的な世界/宇宙を克服するのでしょうか?
それ(物質的な世界/宇宙)を赦すことによってです。

あなたが天国に対して確信をもって当て嵌めている意味/定義を引き抜くことによって、あなたはそれを赦すのです(あなたは自分の知覚の歪みを修正するのです)。 
あなたが天国に当てはめている定義によって、あなたは曇りガラス(自分の定義)を通して天国見ており、それを暗く(悲惨に)見ているのです。

つまりあなたが全てのもの/人/ことを毎瞬体験していることがイースター・モーニング(復活祭の朝)なのです。 あなたは常に復活の瞬間に、再生の起こっている場所に、直面しているのです。

しかしその為には、あなたは復活を自分の中に呼び入れ(受け入れ)なければいけないのです。
復活をあなたの日々の中に取り入れ、それをあなたが毎日直面しているものにしなければいけないのです。

現在あなた達の世界の中ではとても沢山の間違ったこと/ネガティブなことが起こっており、事態が怖ろしく悲観的に見えていることは私も気付いています。
再生(復活)が起こることを確信するのは不可能に見えていることは、私も理解しています。
ゆっくりした再生(復活/救済)さえも不可能に見えています。
世界の中で知覚のシフトが瞬間的に起こり「あなたのいるそこに天国を見ること」は不可能に思えるかもしれません。
しかし今がその時なのです。 先週も言ったように、このことをあなたはコースの一部として抱擁するべきなのです。

さて次のセクションは下記のように題されています。

[THE FORGIVEN WORLD1 ]
[赦された世界]

これは赦された葉っぱ、赦された配偶者、(あなたを噛んだ)赦された蟻というだけではなく、赦された世界なのです。

[Can you imagine how beautiful those you forgive will look to you? ]
[あなたが赦した者達(もの達)が、あなたにとってどれだけ美しく見えるか想像することが出来ますか?]

何故それらが美しく成るのでしょうか? 
何故なら、復活(再生/救済)が起こって、あなたはそのパーフェクション(完璧性)を見ているからです。

[Can you imagine how beautiful those you forgive will look to you? In no fantasy have you ever seen anything so lovely. Nothing you see here, . .. . . meaning in your ignorance . . .. . . sleeping or waking, comes near to such loveliness. ]
[あなたが赦した者達(もの達)が、あなたにとってどれだけ美しく見えるか想像することが出来ますか? どのような幻想の中であっても、あなたがこれだけ愛らしいものを見たことはありません。 (寝ている時でも、起きている時でも)あなたがここで(あなたの無知/幻想の中で)見ているものはどれも、このような愛らしさには及びもつかないのです。]

あなたは無知/幻想の中にある種の愛らしさを見ているのですが、それはあなたが赦したもの達(者達)の愛らしさとは比べようもないのです。

[In no fantasy have you ever seen anything so lovely. Nothing you see here sleeping or waking, comes near to such loveliness. And nothing will you value like unto this, nor hold so dear. Nothing [that] you remember that made your heart seem to sing with joy has ever brought you even a little part of the happiness this sight will bring you. ]
[どのような幻想の中であっても、あなたがこれだけ愛らしいものを見たことはありません。 (寝ている時でも、起きているときでも)あなたがここで見ているものはどれも、このような愛らしさには及びもつかないのです。
そしてあなたがこれ以上に尊び大切にするものはないのです。 この光景があなたにもたらす幸福のほんの僅かの部分でさえ、記憶の中であなたを喜ばせたものを遥かに凌駕しているのです。]

これは素晴らしい約束に聞えますね。 これはリアルな約束なのでしょうか?
これはあなたが今日や明日に体験することを期待出来るものなのでしょうか?
そうであるべきなのです。 あなたはそのための鍵をすでに握っています。
今日そして明日、あなたはこれが起こる可能性を抱擁する気持ちに成れているでしょうか?
そしてあなたはこれを、正気に戻って今..今..今..の中で物事をそれそのものとして見ることを、根源的な自分の義務として受け入れる気持ちに成れているでしょうか? それを遅らせることなく、躊躇してそれを回避してしまうことなく。

[Nothing that you remember that made your heart seem to sing with joy has ever brought you even a little part of the happiness this sight will bring you. For you will see the Son of God. You will behold the beauty which the Holy Spirit loves to look upon, and which He thanks the Father for . . . ]
[この光景があなたにもたらす幸福のほんの僅かの部分でさえ、記憶の中であなたを喜ばせたものを遥かに凌駕しているのです。 何故なら、あなたは神の子を見るのだから。あなたは精霊が愛を持って見ている(そしてこのために父に感謝を捧げている)美しさを見るのです。]

あなた達は自分達の知覚に夢中に成っており、「自分達だけでこの知覚を向上させるプロセス」に夢中に成っているのです。
そうしてあなたの父(あなたの源/あなたの本当の「存在」)と繋がることなく、より有効な独立的存在に成ろうとしているのです。
こうしている間、あなた達は父に感謝を捧げることを無視しており、美しさを見れないでいるのです。

精霊は
[. . . He was created to see this for YOU, until you learn to see it for yourself. And all His teaching leads to seeing it and giving thanks with Him.]
[彼はあなたの為にこれを見るように創造されたのです。 あなたがこれを自分で見られるように成るまで、彼はあなたの為に(あなたの代わりに)これを見ているのです。 そして彼の全ての教えは、(あなたが)これを見て彼と共に感謝を捧げられるように成ることへと導いているのです。]

あなたが赦そうという気持ちに成り、歪み無く物事を見ようと思えるように成ったなら、そこに喜びがあり、そこに感謝があり、そこに安堵があるのです。 その時あなたはそれら(美しさと喜びと感謝)を完全に感じ取っているので、それらがあなたから滲み出てくるのです。

これはあなたが聖なる瞬間を本当に実践しているときに起こることなのです。
その時ダイナミックなリアルな変化が現れるのです。
復活が起こるのです。罪/病/死が生/真理/愛で置き換わるのです。
不完全性が、侵害されようのない素晴らしい驚くべきパーフェクションで取り替えられるのです。 そしてあなたはこの体験を歪めるバイアス(偏見)を二度と持ち込もうとはしなくなるのです。

「聖なる瞬間」とはダイナミックな行動なのです。 
それは神の法則が全てを統治しているダイナミックな状況なのです。
そしてあなたは神の法が解除されることは決してない(決してなかった)ことを見るのです。
全てのもの/ことの完璧性が無くなる(損なわれる)ようなことは決してなかったことをあなたは理解するのです。
それが(神の創造のパーフェクションが)揺るぐことはなく、それが揺るいだことも決してなかったのです。
コースを勉強しているあなたは、毎週起こる大いなる変化を期待するべきなのです。 あなたが聖なる瞬間を実践した結果として起こる大いなる変化を期待するべきなのです。

だからわたし達が話しているこの愛らしさは...

[This loveliness is NOT a fantasy. It is the real world, bright and clean and new, with everything sparkling under the open sun.]
[この愛らしさは幻想ではありません。 これは輝き清楚で新しいものなのです。これは太陽の下で全てが輝いているリアルな世界なのです。]

『「そこに神が成っているもの、(あなたが今まで体験してきたよりも)より多くのもの」を体験したいと願いなさい』と言っている時、私はこのことを言っていたのです。
何故なら、あなたが常に直面しているもの/ことは天国(リアリティ)でしかないのだから。

上記のことを頻繁に聞き続けなければ、あなた達は直ぐに好奇心をもって見ることを忘れてしまいます。 より偉大なことを期待することを直ぐに忘れてしまっています。 怪我やダメージや腐敗や悪化よりも偉大なものを期待することを忘れてしまっています。

好奇心をもって見ることをあなたが忘れてしまったなら、あなたは自身に対して復活の体験を否定してしまうのです。
あなたの誤認識(間違った知覚)が(より正しく)復活すること。 あなた達の間違っている信念とそれらがもたらしているように見えている結果が(より正しく)修復されること。 そして新しい天国と新しい地球が見えるようになること{が必要なのです}。
そうなれば、今現在が木曜日の夜であろうとも、火曜日の朝4時であろうとも、復活祭の日曜であろうとも、あなたはイースター(復活)を体験しているのです。

イースター・エッグは、あなたが見ている場所に注意を与えて「神が成っているより多くのもの」をそこに見ようとすることの格好の機会であり、それをとてもよく象徴しているものです。
イースター・エッグは復活祭とは何も関係がないように思えますが。 それを通してあなたは復活祭の意味を体験し、その体験があなたを永遠に変えることが出来るのです。
だから今年はイースター・エッグ狩りを子供達だけのためにするのではなく、あなた自身もそれを行なってみてください。

そうして、太陽の下で輝いているリアルな世界では...
[Nothing is hidden here, for everything has been forgiven, and there are no fantasies to hide the truth. ]
[ここでは何も隠されてはいません。 何故なら、全ては赦されており、幻想が真理を隠してはいないから。]

その時あなたはもやは自分の意識的無知を実行しておらず、それにしがみついても居ないのです。 あなたの意識的無知とは、あなたが全てを自分で定義してしまって、「父が自身の存在の動きの中に体現している(定義している)意味」を無視することなのです。  
「父の存在の動きが体現し定義している意味」こそが「あなたが見ている全て」なのです。
あなたはそれに対して間違った定義を与えており、間違った定義を使用しているのです。


[The bridge between that world and this is so little and so easy to cross that you could not believe it is the meeting place of worlds so different. ]
[あの世界とこの世界の間の架け橋はとても短く、それを渡ることはとても簡単なので、あなたはには「この橋がこれ程異なった世界の間を繋いでいる場所なのだ]と信じることは難しいでしょう。]

リアルでない世界とリアルな世界の間を繋いでいるこの短い架け橋とは何でしょうか?
それは「赦し」です。 赦しという行為が幻想とリアリティの間にある架け橋なのです。 

「問題はとても深刻で複雑なので、これを解決することは(これを赦すことは)不可能だ!!」 
いいえ。
何故なら、問題に対する答えは(あなたに求められていることは)赦しという簡単な誰にでも出来ることなのだから。

その為には、赦せない様に見えていることを見て、破滅的に見えている動きを見て、あなたの定義(あなたが自分の知覚に与えている確信)を取り外し、「そこで神が成っているより多くのもの」を見たいと願えるように成らなくてはいけないのです。
目の前のものをあなたがどのように知覚/認識していたにしろ、人々がそれをどのように知覚/認識していたにしろ、テレビがどのようにそれを報道し定義していたにしろ、あなたは上記のことを行なわなければいけないのです。

[The bridge between that world and this is so little and so easy to cross that you could not believe it is the meeting place of worlds so different. Yet this little bridge is the strongest thing that touches on this world at all. ]
[あの世界とこの世界の間の架け橋はとても短く、それを渡ることはとても簡単なので、あなたはには「この橋がこれ程異なった世界の間を繋いでいる場所なのだ]と信じることは難しいでしょう。しかし、この短い橋はこの世界に触れている一番確実なものなのです。]

赦しが体現している力に比べれば、あなた達全員の幻想はとても脆弱なものです。
あなた達全員はこれは(赦し)を理解しており、これを実行することが出来るのです。
あなたが意欲的にしなくては成らないのは、あなた自身の赦しを押し留めるために(あなたが)使っている力を引き抜くことなのです。
何故なら、罪を...罪を...罪を...主張してそれを全てに与えることはあなたにとってとても正しく感じられているから。  全ての者/物/ことを断罪することがあなたにはとても当然に思えているから。

「ここは物質的な世界でしかないのだから、何が期待出来るというのだ! 失敗するのは当たり前だ、何か(誰か)が死ぬのは理の当然だ。」 (とあなた達はこう言ってしまっているのです。)
あなたのマインドを変えなさい。 赦そうと思えるように成って、あなたのマインドを変えなさい。

[This little step, so small it has escaped your notice, is a stride through time into eternity, and beyond all ugliness into beauty that will enchant you, and will never cease to cause you wonderment at its perfection.]
[この僅かなステップはとても小さくてあなたは気付いていませんが、このステップが時間を踏み越えて永遠へと続いているのです。 そして全ての醜さを超えて美しさへと入って行きます。この美しさがあなたをとらえ、あなたはこのパーフェクションを永遠に賞賛し続けることでしょう。]

これが約束されているのです。 これゆえに聖なる瞬間が必要なのです。

[This step, the smallest ever taken by anything, is still the greatest accomplishment of all in God’s plan of Atonement. All else is learned, but this is GIVEN, complete and wholly perfect. ]
[史上最小のこの小さなステップが、神のアトーンメント(和解/償い)のプランの中の一番偉大なものなのです。 これ以外のすべてのものは学習されたものですが、これは完全なパーフェクトな形で与えられているのです。]

あなたが何かを学んだ時、あなたは知識を得たのです。 あなたは何かをゲットゲットゲットしているのです。
しかし赦し「forgiveness」という言葉の中には、与える「give」という言葉が入っていますね。
あなたは、あなたの怒りのために(あなたの怒りがもたらしている現象を修復するために)真理を見たいと望む意欲を{自分に/状況に/他者に}与えるのです。
あなたは、あなたの不満のために(あなたの不満がもたらしている知覚を修正するために)真理を見たいと望む意欲を{自分に/状況に/他者に}与えるのです。

[All else is learned, but this . . .. . . this littlest step . . . . . . is GIVEN, complete and wholly perfect. No-one but Him Who planned salvation . . .. . . the Father . . . . . could complete it thus. ]
[これ以外のすべてのものは学習されたものですが、これは(この小さなステップは)完全なパーフェクトな形で与えられているのです。 救済を計画した者(父)だけがこれを完了出来るのです。]

わかりますか?
赦しとは、裁き(判断)としてあなた達が行なっている自己認定行為を放棄することなのです。
物事や人に対して裁きをする(自分だけで判断する)ことにより、あなた達は自分達自身から力を発して、自分達をより確定的な存在にしようとしているのです。

そして赦しとは、それ(裁き)を放棄することなのです。
赦しは真理への招待で、(赦すことにより)あなたは真理を受け取りそれを感じ取ることが出来るように成るのです。
するとどうなるのでしょうか?
すると復活(再生/救済)が可能に成るのです。

[The real world, in its loveliness, you LEARN to reach. Fantasies are all undone, and no-one and nothing remains still bound by them, and by your OWN forgiveness you are free to see. ]
[リアルな世界のその愛らしさの中で、あなたはそこへ手を伸ばせるように学びます。その時幻想は全て解除され、全ての人や物はそれらの幻想に縛られなくなるのです。そしてあなた自身の赦しによって、あなたは自由に見れるようになるのです。]

あなたは認識出来るように成るのです。あなたは真理を見てそれを認識(理解)出来るようになるのです。
これは驚くべきことではないですか? このようにシンプルなことが、あなたが自分の正しいマインドへ帰る方法で、自分の正気を取り戻す方法で、そして自分の復活と他の全ての復活を体験する方法だなんて。

[Yet what you see is only what you have made, with the blessing of your forgiveness on it. ]
[それでも「あなたが見ているもの」は「あなたが作ったもの」でしかないのです。 あなたはそれを赦して祝福したのです。]

あなたが物理的世界/宇宙と呼んでいるこの世界/宇宙が、あなたが作ったものなのです。
これは全てあなたの定義で(定義群から)出来ています。
天国の上に被せられている間違った定義群がこれなのです{その中にあなた達は住んでいるのです}。
しかしあなたが変容した世界を見ている時そこに現れているものは、あなた達によってもはや否定されてはいない天国なのです。
赦しの中から「あなた(達)が作っている間違い」を見たなら、リアリティの上に被さっているものが取り払われるのです。 何故ならその時(赦している時)あなたはもはや「リアリティの上に被さっている歪み」を作り続けてはいないのだから。

その時あなたは開かれた太陽の下で輝いている世界(美しい音楽をかなでいている世界)を見るのです。 これがイースター(復活祭)なのです。
今が、あなたの体験の中に(あなたとそして全てのものの)復活を取り入れるべき時なのです。
今日この日をあなたは大いなる期待と共に迎えるべきなのです。 何故なら、リアリティ(を体験すること)があなたの義務なのだから。
あなた達は神の聖なる子供達であり、それ故にあなた達は、自分達の生得権(当然の権利)を体験する義務があるのです。
これで十分ポジティブな表現に成っていますか?
これを体験したいとあなたは思えていますか?

[And with this final blessing of God’s Son upon HIMSELF, the real perception, born of the new perspective he has learned, has served its purpose.]
[神の子の自分自身に対するこの最後の祝福によって、彼(神の子)が学んだ新しい視点から生まれた「リアルな知覚」がその目的を果たしたのです。]

その時リアルな世界を顕わにする「赦しの実践」がその目的を果たしたのです。
さあ、次を聞きなさい。


[The stars will disappear in light, and the sun which opened up the world to beauty will vanish. Perception will be meaningless when it has been perfected, for everything that has been used for learning will have no function.]
[星達は光の中に消えてゆき、世界を美に対して開いた太陽は消えます。 知覚が完璧になった時、知覚は無意味になるのです。 何故ならその時、学ぶために今まで使われていた全てのものは、その役目を終えるのだから。]

この文はこの世界の全てが消滅することを述べているように聞えますね?
しかしそうではないのです。
この文が言おうとしていることを下記に説明しましょう。

あなたが何かに(グラスや水やその他諸々のものに)間違った定義(間違った知覚)を与えた途端、それが学習教材(あなたを教える道具)になるのです。
何故なら、あなたがそれに間違った定義を与え続けている限り、それ(あなたが間違った定義を与えたもの)は、あなたがその真の姿を発見するまで、そこに(間違った定義を与えられたまま)存在し続けるのだから。
だから(グラスとして見えている)この天国の一部は、(あなたが自分の誤認識/定義をそれに与えている限り)天国の一部ではなく物質的物体に成っているのです。
しかしそれは本当は「神聖なもの」なので、それ(グラス)があなたに(そのリアリティを)教える役割(機能)を持つように成るのです。
それは(物質的なグラスとしてあなたが断定している天国/リアリティは)あなたの目も前に在って、その神聖をあなたに示し続けており、その神聖をあなたが発見出来るようにしているのです。

そして{その神聖をあなたが発見出来たなら}その様相とその目的は消えてなくなります。 何故なら、その時その目的はすでに達成されているのだから。
{あなたがそれを(グラスを放射能を)赦してその神聖を見れるようになった時、その目的(物理的なグラスと定義されたものに与えられている目的)が達成されたのです。}
それでも、それそのものは(グラスそのものは、放射能を発しているように見えているものは)全てを構成しているスピリットである神/愛の現れとしてそこに在り続けているのです。 


[Perception will be meaningless when it has been perfected, . .]
[知覚がパーフェクトになった時(完璧に正された時)、その知覚は無意味になるのです。]

あなたが聖なる瞬間を実践して、正しい知覚を受け入れたなら、あなたはそれ(あなたが直面しているそれそのもの)に対する真の意識体験を得て、{あなたの定義に基づいた}知覚は消えるのです。 知覚が消滅するのです。

例えば、ある日あなたが美しい絵画を見てその美しさに心動かされたとしましょう。
しかし次の日あなたは意気沈静しており、同じ絵画を見てもあなたの知覚は鈍く無感覚なのです。 そして「誰が(このように無感動な)絵を描いたのだろう?」とあなたはいぶかしむのです。

知覚はうつろい行き続けるものです。 しかし「あなたが知覚しているもの」はリアルなのです{リアルで不変なのです}。


そして精霊が与えた学習を通して、そこに(今まであなたが見続けてきたものではなく)神の存在を見ることが出来たなら、あなたにとって知覚は全く不必要になるのです。
つまり、あなたは物事を知覚し続けることを止めて、物事そのものを直接体験するようになるのです。 
だから物事は(リアルな世界は)消滅しません。

もう一度読みましょう。
[Perception will be meaningless when it has been perfected, for everything that has been used for learning will have no function. ]
[知覚が完璧になった時、知覚は無意味になるのです。 何故ならその時、学ぶために今まで使われていた全てのものは、その役目を終えるのだから。]

その全ての役割が終るのです。

[Nothing will ever change; no shifts nor shadings, no differences, no variations which made perception possible will occur. ]
[何も変るものはなく、シフトも変化もなく、違いもなく、バリエーションもなく。 それら知覚を可能にして来たものはもはや起こらなくなるのです。]

ここで理解して欲しいのは「知覚が神の動き/創造の動きを可能にしている訳ではない」ということです。
知覚が起こらなくなっても、創造の動きは無限に(永遠に)存在し続けるのです。
あなたが神の創造を見てそれに対して知覚を使わなくなっても、そのことによって神の存在が止められるわけではありません。 あなたは神の創造を見続けて、それをそれそのものとして証言し続けるのです。
これを行なうことにより、あなたは神と共に創造するのです。

[Nothing will ever change; . .]
[何も変るものはなく...]

全てはパーフェクトで在り続けています。
全ての瞬間が永遠にパーフェクトなのです。
動いている全てのものが永遠にパーフェクトで在り続けるのです。
動いている全てのものに対する意識体験が変ることなく在り続けるのです。
それは永遠にパーフェクトなのです。
わかりますか?

創造は、その動きとその体験は、揺るぎません。
それが罪を犯し、苦しみ、悪化し、死んでから回復し、復活することは不可能なのです。

しかし創造の動きが消滅するわけではないのです。


[The perception of the real world will be so short that you will barely have time to thank God for it. For God will take the last step swiftly when you have reached the real world, and have been made ready for Him.]
[リアルな世界に対する知覚はとても素早く起こるので、あなたには神に感謝を捧げる暇さえないでしょう。 何故なら、あなたが(彼/精霊によって整えられている)リアルな世界に届いた時、神が最後のステップを迅速にとるのだから。]

このようにあなたは瞬間的に復活の体験を得るのです。真の知覚の体験を一時的に得るのです。
何故なら、この体験をしている時あなたは生涯最大の気付きの瞬間に居るのだから。
(だから)その瞬間にあなたは「見えた!わかった!」といって故郷に戻るのです。 その瞬間にあなたは自分の正しいマインドに戻り、アセンションが起こるのです。

つまり、全ての瞬間においてあなたが体験している全てのことは復活のチャンスを提供し続けているのです。 今...今...今...そして明日も、瞬間的で自動的なアセンションへの機会を提供し続けているのです。
だから、復活が起こることを見てみようとする積極的好奇心を持たずにこの一日を過ごしてしまうことはもう止めなさい。それは何故でしょう?

何故なら、あなたは自分達の定義を捨てて「父よ、ここの真理は何ですか?」と言うべきなのだから。
何故なら、あなたは真理を見る義務を持っているのだから。 真理を体験することがあなたの当然の権利であり、それがあなた本来の性質(在り方)なのだから。
これこそがあなたの役割なのです。そして、これを奪い取ることは不可能で、これが奪い取られたことは決してなかったのだから。
わかりますか?

[The real world is attained simply by the complete forgiveness of the old, the world you see WITHOUT forgiveness. ]
[「あなたが赦しを使わずに見ている古い世界」を完全に赦すことにより、リアルな世界が得られるのです。]

あなたが赦し(救済)のない世界を見ている理由は、世界の全てに対してあなたが自分の(上手に考え抜かれた)定義群を当て嵌めているからです。
そして、あなたがそれ(人/もの)に与えている定義(故に現れていること)を、あなたはそれのせいにしているのです。
{あなた達はリアリティに対して自分達の定義を押し付けており、それ故に間違った知覚が起こっているのです。 そしてあなた達は、その知覚の原因をリアリティに求めています。 しかし、歪んだ知覚(自分勝手な定義)故に問題が現れており、その原因は「世界(リアリティ)に対するあなた達の自分勝手な定義群」で、それらがあなた達に歪んだ知覚をもたらしているのです。}

それらの定義を赦す(解除する)唯一の方法は、それらを放棄することなのです。
物事(世界)に対してあなた達が当て嵌めている意味(定義)を放棄し、「私が信じていることは、私が知っていることは、物事に対する私の定義は完全に正しく、間違いがなく、それを疑うことは出来ない」と言っているあなたの傲岸を手放すべきなのです。

この傲岸と慢心を手放すことは、全然痛手(損傷)ではないのです。
この小さなステップは(永遠へと繋がっている二つのステップは)、何時でもあなたと共に在り続けており、直ぐに実行することが出来るのです。


[The Great Transformer of perception will undertake with you the careful searching of the mind that made this world, . .]
[知覚の偉大な変容は、この世界を作ったマインドをあなたと共に注意深く調査します。]

あなたが作った定義群を注意深く調査します。

[. . . and uncover to you the seeming reasons for your making it. In the light of the REAL reason which He brings, as you follow Him, He will show you that there is no reason here at all. ]
[そしてあなたがそれを(その知覚/定義を)作った理由をあなたに明かします。あなたが彼の後をついて行くに従い、彼は{あなたが独自な定義群を作った}真の理由に光を当てるでしょう。 ここには全くその理由が無いことを彼があなたに示すのです。]

全てのもの/ことに対してあなたが与えている意味(定義)は無意味なのです。 何故なら、それらの定義群や意味は真の存在から立ち昇って来ているものではないのだから。 それらはただ幻想だけから成り立っているのです。

[Each spot HIS reason touches . . .]
[彼の論理が触れた...]
この彼とはもちろん精霊のことです。

[Each spot HIS reason touches grows alive with beauty, and what seemed ugly in the darkness of your lack of reason is suddenly released to loveliness. ]
[彼の論理が触れた全ての箇所が美しく生き生きと光りだし、(あなたの理由/論理ゆえに)暗闇の中で醜く見えていたものが突然愛らしさの中に開放されるのです。]

これが、今日、いま、ここで、この世界の中で起こっている復活なのです。

[Not even what the Son of God made in insanity could be without a hidden spark of beauty which gentleness could release.]
[神の子が狂気の内に作ったものでさえも、優しさが開放出来る美しさの鱗方を隠しているのです。]

あなたの中に住んでいる愛の愛らしさが、あなたの実体である愛が、あなたを突き動かしているのです。 常にその愛が全ての中に体現されているのです。
そして「あなたが無知の中で葛藤をもって作っているもの」もその例外ではないのです。

あなたが自分の定義を手放した途端、赦しが起こった途端、そこに体現(表現)されているあなたの愛らしさが(あなたの為に)照らし出され、「ここは天国だ!」とあなたは言うのです。 そしてこれが真実であることをあなたはその時知っているのです。

[All this beauty will rise to bless your sight as you look upon the world with forgiving eyes. ]
[あなたが赦しの目を持って世界を見ている時、これらの美しさの全てが立ち上がって、あなたの視界を祝福するのです。]

これがイースター(復活祭)の意味していることなのです。

[All this beauty will rise to bless your sight as you look upon the world with forgiving eyes. ]
[あなたが赦しの目を持って世界を見ている時、これらの美しさの全てが立ち上がって、あなたの視界を祝福するのです。]

そこで修正/復活/癒やしが起こっているのです。

[For forgiveness literally transforms vision, and lets you see the real world reaching quietly and gently across chaos, and removing all illusions which had twisted your perception, and fixed it on the past. ]
[赦しは実際にビジョン(視界)を変容させ、あなたにリアルな世界が見えるようにするのです。 赦しはカオスの中を優しく静かに渡って(貴方の下に)やって来て、あなたの知覚を歪めてしまっている全ての幻想を取り除き、それ(幻想)を過去の中で修正するのです。]

『神である「マインド」が全てのアイデンティティを保っている』と私は先週言いました。  草の葉から星まで、全てのものは神のマインドの中でそれ固有のものとして永遠に保たれるのです。



[The smallest leaf becomes a thing of wonder, and a blade of grass a sign of God’s perfection. ]
[最も小さな葉っぱでさえも、神のパーフェクション(完璧な様子)の印であって、驚くべきものなのです。]

だから世界を否定するのは止めなさい。それを消滅するべきものだと決め付けるのは止めなさい。消え去るものは誤認識(間違った知覚)なのだから。
知覚や誤認識を作り上げることに意味を与えてきたエゴ的動機が消え去るのです。
それだけなのです。

[From the forgiven world, the Son of God is lifted easily into his home. ]
[神の子は赦された世界から容易に引き上げられ、彼の故郷に戻されるのです。]

上記の文は何を意味しているのでしょうか?
これは「神の子が復活の状態から容易に引き上げられて故郷に帰ることが出来る」と言っているのです。
つまり、シフトが起こりあなたが「嗚呼、わかった!」と言っている時のアセンションの状況がここに述べられているのです。
そしてこれ(「嗚呼、わかった!」)は理知的な理解ではないのです。

この体験は次のように説明可能です。

これは「体との自己同一」(body identification)からのシフトなのです。
『無限の宇宙の中の小さなもので、その頭の部分に思考する事が出来る頭脳という細胞を持ち、これがマインドを体験している』ということから『「マインド」に成っている体験』へのシフトなのです。
その「マインド」の中に、世界や宇宙や体や葉っぱや星が「アイディア」として存在しているのです。 
そして、それぞれのアイディアは永遠に個別で全く完璧なのです。それらを体験することは驚異的なのです。

[From the forgiven world, the Son of God is lifted easily into his home.]
[神の子は赦された世界から容易に引き上げられ、彼の故郷に戻されるのです。]

赦された世界とは、あなたが(物理的な世界/宇宙ではなく)天国を体験をしていて、しかしまだ自分のことを体だと考えている状態のことです。

(まだ体からの視点を通して見ている)この体験の中であなたは「わかった」と言うのです。
あなたはクリアに理解し、自主的に「体との自己同一」を放棄するのです。
そして自分自身が(その中に無限と永遠があり、その中で創造が繰り広げられている)「マインド」に成ることを許可するのです。


[From the forgiven world, the Son of God is lifted easily into his home. And there he knows that he has ALWAYS rested there in peace. ]
[神の子は赦された世界から容易に引き上げられ、彼の故郷に戻されるのです。 そこで、彼は自分が常にそこに居続けて来たことを知るのです。]

もう一つの世界は(あなたの誤認識が作り上げてきた世界は)、過渡的なもので、本当は何の違いをもたらさなかった誤認識でしかなかったのです。

[Even salvation will become a dream, and vanish from his mind. For salvation IS the end of dreams, and with the closing of the dream will have no meaning.]
[救済さえもが夢になり、彼のマインドから消え去ります。 何故なら、救済こそが夢の終焉で、夢が終ったならそれ(救済)も意味を失うのだから。]

一旦夢が終ったなら救済も無意味になるのです。 何故なら、あなたは理解し、その時あなたが何かから解放される必要もなくなるのだから。
つまり(その時)救済が完了したわけです。

[Who, awake in Heaven, could dream that there could ever be NEED of salvation?]
[天国で目覚めている人にとって「救済が必要だ!」と夢見ることが可能でしょうか?]

さて、私の言うことを聞いている人の中には、私が急ぎ出し、辛抱を無くして急かしているように感じている人も居ることでしょう。
それは正しくありません。

あなた達全員には、物事をそれそのものの真の姿で体験する義務があるのです。 何故なら、それがあなたの持って生まれた権利で、それがあなたの役割なのだから。
あなたの「存在」そのものから立ち昇って来ている、(今まであなたが回避して来た)正気から沸き起こって来ている、押し出し(プッシュ)が現れているだけなのです。

[How much do you WANT salvation?]
[あなたは、どれだけ救済を望んでいるのでしょうか?]

それを望みなさい!と私は言っているのです。
それを(将来に先延ばししてしまうのではなく)今...今...今...そして明日も望み続けなさい。

[It will give you the real world, trembling with readiness to BE given you. ]
[それがあなたに(あなたに与えられることを身震いして待っている)リアルな世界を与えるのです。]

あなたが見ている全てのものは神の意識的アイディアであって、それらはあなたによって体験されることを欲していると、私が確約しましょう。 
それら(あなたが見ているすべてのもの)は、あなたにその(アイディアの)意味を受け取ってもらいたがっているのです。

何故なら、あなたがそれらの意味を取り逃がしていな時コミュニオン(霊的交歓)が起こっており、それらとあなたとのワンネス(一体化)が起こっており、そこでは何も取り逃がされているものが無いのです。
無限はひとつなのです。 つまり、ひとつの中に含まれている全ては「無限の一体性(ワンネス)を体験したい/しよう」という意識的意図を持っているのです。

「あなたが自分のガイドと繋がりたいと決意した時、あなたのガイドは非常に喜ぶでしょう」と私は以前言いました。 これはあなたのガイドがあなたに認められることを長い間待っていたからなのです。

だからあなたが自分のガイドに手を伸ばしたなら、その時同時に、あなたのガイドもあなたに対して手を伸ばしており、これは双方からのアプローチで全く難しいことではないのです。
と同時に創造の全てが今あなたに手を差し伸べており、(誤認識無く)それを(その創造それ自体を)体験して欲しいと願っているのです。
だから、あなたが創造の直接体験を受け入れている時、あなたは無限の愛によって愛されていると感じるのです。

[How much do you WANT salvation? It will give you the real world, trembling with readiness to BE given you. The eagerness of the Holy Spirit to give you this is so intense He would not wait, although He waits in patience. ]
[あなたは、どれだけ救済を望んでいるのでしょうか?それがあなたに(あなたに与えられることを身震いして待っている)リアルな世界を与えるのです。 これをあなたに与えようとしている精霊の熱意はとても強く、彼(精霊)は待ち切れないのですが。 それでも彼は辛抱強く待っているのです。]

わかりますか。私は急かしているのでしょうか? 私は性急にあなたを急かせているでしょうか?
私は、あなたがしたくないと思っていることをあなたにさせようとしているのでしょうか?  私は、あなたがするべきではないことをあなたにさせようとしているのでしょうか?
いいえ、全く違います。

創造の全ては、「存在」の無限なワンネスの全ては、あなたにこの体験をして欲しいのです。 それらをあなたが受け入れられるよう、愛をもって催促しているのです。 不寛容ではなく愛をもって、不満ではなく愛をもって、あなたの背中を押しているのです。


[Meet His patience with your impatience . . .]
[彼の辛抱に応えてあなたは急ぎなさい。]

こうしてコースは今あなたをプッシュしています。
しかし実のところこれは(まだ持てていない)意欲が持てるようあなたを勇気付けようとしているのです。 この意欲を感じ、これが実践出来るように成って欲しいのです。

[Meet His . . .the Holy Spirits . . . patience with your impatience at delay in meeting Him. Go out in gladness to meet with your Redeemer, and walk with him in trust out of this world, and into the real world of beauty and forgiveness.]
[彼の(精霊の)辛抱に応えてあなたは急ぎなさい。喜んであなたの償い人(救済者)と出会い、彼を信じて彼と共に(あなた達が作り上げた)この世界から歩き出て行きなさい。そして、美と赦しのリアルな世界へと歩いて行きなさい。]

オオ、あなたは「赦し」という観点からイースターを考えたことはなかったかもしれません。 
しかし赦しが復活を可能にするのです。

そして復活がアセンション(昇天)を可能にするのです。
復活があなたとそして「あなたが体験している全てのもの」のアセンションを可能にするのです。

Happy Easter.


原文テキスト
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=31497&mid=151440#M151440
オーディオ&ビデオ


原文を提供している 「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で(読者に義務を課すことなく)提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはそのようなものだから。 
あなたと同等の方が既にこのギフトをあなたに差し出したので、これらの資料があなたに提示されています。 Rajの指示によりこれらの資料が売買されることはありません。 この機関「Northwest Foundation for A Course In Miracles」への募金は下記のWEBサイトを通して行なうか、あるいは下記の住所に郵送して下さい。

A Course In Miracles (参照ページ)
Chapter 17 – Section: THE FORGIVEN WORLD
1 Sparkly Book – p.402 / JCIM – p.168 / CIMS – p. 338
Chapter 17 – Section: THE FORGIVEN WORLD
First Edition – p. 328 / Second Edition – p.352



A Course in Miracles Study Group with Raj, April 23rd 2011
© by The Northwest Foundation for “A Course in Miracles” a non-profit corporation.
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テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

ACIM11-04-16

April 16th, 2011 ©NWFFACIM   2011年4月16日

A Course In Miracles (参照ページ)
Chapter 17 – FORGIVENESS AND HEALING
Section: FANTASY AND DISTORTED PERCEPTION
1 Sparkly Book – p.400 / JCIM – p.168 / CIMS – p. 337
Chapter 17 – FORGIVENESS AND THE HOLY RELATIONSHIP
First Edition – p. 327, Par.3 / Second Edition – p.351, Par.3

こんばんは、ようこそ。

ここ数週間私の言って来たことが、長い間コースを勉強している人達を困惑させているようです。

あなたの目の前には天国/リアリティしかないことを私は強調してきました。
それ以外のことは全く何も実在しておらず、それ以外のことを体験するべきではないのです。

そして次のことをハッキリさせる必要があるのです。
あなたはリアリティをクリアに体験しているか、そうでなければリアリティを不明瞭に体験しているか(暗いガラスを通して見ているか)、そのどちらかなのです。
あなたは、神の創造を直接体験しているか、そうでなければ創造に対して誤認識(誤った知覚を)しているのです。
あなたは決して、二つのリアリティ(天国ではないもう一つのリアリティ)を見ている訳ではありません。

神以外の存在は有り得ないので、リアリティでないものが発生する余地は全くないのです(リアリティ以外のものが引き出され得る場所は存在していないのです)。
もしACIMを使って「自分が見ているもの全ては幻想でしかない」というアイディアを受け入れてしまったなら、神/真実の面前に居てそれを否定することに成ってしまいます。 存在を否定することに成ってしまいます。

あなたが見ている「神が成っているもの」のより多くに対して好奇心を持ちなさい、と私は言ってきました。
神は「あなたが見ているもの/こと」より多くのものに成っているので、それが見えるように好奇心をもって全てを見なさい、と私は言ってきました。

現時点では、あなたは自分の目の前のことに注意を与えること以外には何も出来ないのです。
だから、もしあなたが好奇心をもって自分の直面していることに注意/意識を与えなかったなら、あなたは自分の現在の知覚/認識の中に自分を閉じ込めてしまいます。 あなたは神の体験を否定してしまいます。 あなたは自分の体験の中から(意識の中から) リアリティそのものをブロックしてしまいます。
しかしそうすることはあなたの生得権(当然の権利)ではありません。

だから私は「全てのことに対して好奇心を持って見てみなさい」と永遠に言い続けるのです。
「神は(現時点であなたに見えているよりも)より多くのこと/ものに成っているので、それが見えるよう好奇心を発揮しなさい」と私は言っているのです。

これは絶対必要なことなのです。
あなたが夢をそのまま見続けるつもりなら、なぜACIMなど読む必要があるのでしょう。

この章は「Forgiveness and Healing」(赦しと癒し)と題されています。
我々はスピリチュアリティに酔っ払って、リアリティから浮遊してしまって、癒し(ヒーリング)を(皆さんが既に知っている)その本来の意味から離れたものとして理解し始めるのでしょうか?(いいえ)
全ての人は実際的に何らかの癒しを必要としているのです。

癒しとは、あなたの体や世界と全く無関係にあなたのマインド/理解がクリアに成る事なのでしょうか? いいえ。 足を地に付けておきなさい。

ACIMは、そこで使われている言葉の意味を今までのものとは全く違ったものにしてしまって、あなたの日常と無関係な(アイディア)を作ることを意図しているのではありません。
ACIMはあなたの日常をより良くするためのものなのです。

どのようにしたらあなたの日常がより良く成るのでしょうか?
(問題を修正することなく)夢見るようなフワフワしたアイディアを使うことによってでしょうか?
もしそうならACIMのテキストから修正(Correction)という文字を取り去ってしまわなければいけませんね。

しかしそうではなく、修正がヒーリングが必要なのです。
ヒーリング(癒し)とは、怪我や病が起こっているときに(そのままの状態で)平和を体験するというようなキチガイ染みたものではないのです。 そのようなものはスピリチュアルではなく狂気です。
もしあなたに狂気と正気の区別がついていないなら、誰かがそれをあなたに知らせなくてはなりません。 だから私がその区別をあなたに知らせているのです。

コースの中には書いてありませんが、真実である二つの言葉があります。

ひとつは “All is Mind” 「全てはマインドである」
世界の動きから玄妙なエーテルの動きから芋畑まで(大きなものから小さなものまで)すべてはマインドなのです。


もうひとつは ”Mind maintains all identities.” 「(神である)マインドはすべてのアイデンティティ(自己認識)を保持している。」

草も星も、それぞれ永遠に固有の存在なのです。
これが真実です。

だから、あなたは世界の中で見ている全てのものを認めそれを喜ぶべきなのです。
これはあなたが世界の全てのものに対して今まではしてこなかった認識(感謝)なのです。
このようにものごとを認識する(ものごとを認め称える)ことにより、あなたは自分の意識をリアリティに与えそれを認識し発見出来るようになるのです。

愛らしくないもの(良いものとして見えていないもの)を(より良いものとして)見てみようとするあなたの意欲が赦しなのです。

そしてあなたは、愛らしくないもの(愛らしく見えていないもの)でも(あえてそれを)特定の意図と共に見てみようとするべきなのです。
その意図とは、(あなたが今までそこに見てきた神の不在ではなく)そこに神が成っているものをより明確により大きく見てみようとすることなのです。
その結果として起こることが癒し(ヒーリング)なのです。
これだけシンプルなことなのです。これだけ実践的なことなのです。

これ以外の信念の下に努力しても不毛です。
ただ座って(ACIMという名の下に)耐え難きを耐えることは不毛なことです。


このセクションは「Fantasy and distorted perception」(幻想と歪んだ知覚)と題されています。

[When you maintain that there must be order of difficulty in miracles, all you mean is that there are some things you would withhold from truth. You believe that truth cannot deal with them only because you would KEEP them from truth.]
[奇跡に難用度の違いがある(難しい奇跡と容易な奇跡がある)とあなたが言っているとき、あなたには「何か真理から遠ざけておきたいもの」があるのです。あなたは真理がそれに(その何かに)上手く対処するこは出来ないと考えているのです。しかし、あなたがそう思っているのは、あなたがそれ(その何か=難しい奇跡)を真理から遠ざけておきたいと考えたからなのです。]

ではこれを実際的なものに当て嵌めてみましょう。

ここ数週間私は日本の状況に関して話してきました。私達は放射能(放射性物質)に関して話してきました。
そしてあなた達がもっている能力に関して話してきました。

その能力とは「エネルギーのとてもネガティブな側面が全く善良な現われに変容されること」を見る能力なのです。

しかしこれは「とても難しい」のです(と思われているのです)。
あなた達は基本的に放射能は自分達の安全/生命にとって危険なものだと考えています。

あなたが「放射能は本当に危険な難しいものだから癒しは難しいのだ、放射能を沢山浴びたなら私は死んでしまう」(だからこの考えを真理の元に持っていく事は出来ない/この考えを真理で置き換えることは出来ない)と言っているとき、あなたは「奇跡に難用度の違いがある(難しい奇跡と容易な奇跡がある)」と言い続けているのです。
もしあなたがそう言っていたなら、原発事故から30キロ離れた場所に居る人に関して、あなたは何と言っていることになるのでしょうか(その時あなたは彼らに対して何を考えているのでしょうか)。
そのように言っているとき、あなたは自分自身を断罪しており(自分の物質性を宣言しており)、彼らを断罪しているのです。

その時あなたは聖なる瞬間を実践してはいないのです。
聖なる瞬間を行うために、あなたはマインド(思考)を閉じて静かになり、その静寂の中で「父よここの真理は何ですか?」と言うのです。
その時それを(問題を放射能を)真理から遠ざけない決心がなされているのです。

もう一度言いましょう。
「奇跡に難用度の違いがある(難しい奇跡と容易な奇跡がある)」とあなたが言っているとき、
あなたは「自分には何か真理から遠ざけておきたいものがある」と言っているのです。

「私はこれを真理の元にあらわにすること(真理の下に持っていくこと)は出来ない。何故なら、これは修正不可能だから。」
「これは本当に危険なのです。 これはとても長いこと危険であり続けるので、かの地に人々が住めるようになるまでには何十年という月日が掛かることでしょう。」
このように言ってあなたはこれを真理から遠ざけ続けることに専念しているのです。
何故なら、あなたは「物質とは何か」ということに関してとても自信があるので、ここで奇跡が起こるかもしれないと考えてみられないでいるのです。


しかしコースは、このようなあなたの意見とは違うことを言っているのです。

[You believe the truth cannot deal with them only because you would KEEP them from truth. Very simply, your lack of faith in the power that heals all pain .]

[あなたは、真理はそれらのもの(問題)に対処することが出来ないと考えています。] (放射性物質とあなたの身体の関係などを、真理から遠ざけておきたいとあなたは欲しているのです。) [それは(すべての苦しみを修正する)癒しの力に対するあなたの不信心(信心の無さ)が原因なのです。]

「すべての痛みを癒す」とはどういう意味でしょう?
それは(傷ついた身体やニキビなどとは関係のない)心理的痛みでしょうか?それは(奇跡は癒しは)身体的痛みとは何も関係がないのでしょうか?
勿論関係があるのです。
もしそうでなければ、この本は捨ててしまいなさい。
(もしそうでなければ)モータル(必滅者)として生きていきなさい。
(もしそうでなければ)人間的状況よりも偉大状態に関するビジョンを得ているフリをするのは止めなさい。


[Very simply, your lack of faith in the power that heals all pain arises from your wish to retain some aspects of reality for fantasy.]

[全ての痛みを癒す力に対するあなたの不信心(疑い)は、リアリティの特定の部分を幻想として保ちたいというあなたの望みから来ているのです。]

つまりあなたは放射性物質と呼ばれている天国のこの部分を(リアリティから遠ざけて)それを幻想に投資しよう(自分達のファンタジーに与えよう)としているのです。
「(実際には分極化出来ない)天国のこの部分を幻想のために取っておこう(取り分けておこう)。 そしてその幻想は放射能(放射性)で、それは人間的状況にとってとても危険な分極化されているエネルギーでなのだ。 この定義を私は保持しよう。」(とあなたは考えているのです。)
あなたはリアリティの特定の部分を幻想の為に取り分けて(保留して)おこうとしているのです。

さて次が面白い部分です。
このセクションは「Fantasy and distorted perception」(幻想と歪んだ知覚)と題されています。
これらは二つのものとして言い表されています。 確かにそうなのです。

幻想とはあなた一人だけでも楽しむことが出来るものです。 あなたは思う存分一人で幻想(ファンタジー)を堪能することが出来ます。

しかし歪んだ知覚をあなた一人で持つことは出来ません。
歪んだ知覚は、あなたが自分の幻想をもう一人の兄弟姉妹に示して、その幻想を共有出来た時にだけ可能なのです。

あなた達二人がこの幻想に決意を与え、自分達の源としての父を否定して、創造の全てが彼(神)のものであることを否定して、それ(創造)を自分の目的の為に横取りしたなら、あなた達は共有された(共通の)狂気に縛られてしまうのです。 そしてその狂気は歪んだ知覚(認識)から出来ているのです。 その狂気の中で(体現された愛である、全創造の実体である)スピリットという実体の善良さは、それとは(愛とは)全く反するものとして認識されるように成るのです。

(あなたには信じられないかもしれませんが)これが実際に起こったことなのです。
これがあなたを(神の聖なる子供が体験していることから隔たった)人間的存在に縛り付けているのです。
そしてあなたは「自分が誰か」忘れてしまっているのです。
そしてあなたは幻想に信心を与えているのです。
あなたは、創造を(創造の一部を)この幻想に縛り付けてしまっているのです。

がん細胞でも放射性物質でも、あまり根源的違いはありません。
それらは、あなた達を殺害するという似通った特質を持っているように見えています。
それらは(あなた達を殺害するという)同じ意図を持っています。
ならば、そのどちらかが他方よりも酷いもの(難しいもの)でしょうか?  本当のところ、あまり違いはないですね。

実体に対する(今までとは)違う体験をするべき時なのです。
この宇宙の全てのものの実体に関して(今までとは)違う体験をし始めるべき時なのです。
勇気を持ってあなたの幻想を真理の下に持って行く(そして幻想を真理で取り替える)べき時なのです。真理を幻想の下に持っていくこと(幻想に真理/現実感を与えること)を止めて。
これがわたし達のしようとしていることなのです。
「全ての痛みを癒す力」に対するあなたの不信心(疑い)は、リアリティの特定の側面を幻想の為に保持しておこうとするあなたの望みが原因なのです。

このことが、あなたが全体を認めることに対してどのような影響を与えているか気付いたなら...
リアリティの特定の側面を幻想の為に保持しておこうとすることが、あなたが全体を認識することを不可能を不可能にしていると気付くことでしょう。

もう一度読みましょう。
[Very simply, your lack of faith in the power that heals all pain arises from your wish to retain some aspects of reality for fantasy. If you but realized what this must do to your appreciation of the whole!]
[全ての痛みを癒す力に対するあなたの不信心は、リアリティの特定の側面を幻想のためにとって置こうとしているあなたの願いから発生しているのです。 このことが「全体に対するあなたの認識」に与えている効果を理解出来たなら。]

(リアリティの特定の側面を幻想のためにとって置こうとしているあなたの願いから発生している)癒す力に対するあなたの不信心が、全体に対する認識を抹殺しているのです。
(この幻想故に)全体を認めることが不可能になってしまうのです。 何故なら、あなた達は放射性物質を持っておりガン細胞を持っており、(あなたの平和を脅かしている)その他の殺傷物を色々持っているのだから。(あなた達はそう考えているのだから。)
そしてもしあなたが自分の平和を失くしてしまったなら、その時あなたは怖れの中に居るのです。

あなたが怖れの中に居る時、それは「あなたを怖れさせているもの」を見てそれを真理の下へ持って行くことが殆ど出来ない状態なのです。
その時あなたは、「あなたを怖れさせているもの/こと」を全く抱擁出来ない状態にあるのです。 「分極化されてしまっているように見えているもの」が「あなたを怖れさせているネガティブなもの」として現れており、それを(怖れを)超越するためにあなたはそれを抱擁しようとしてはいるのですが(そのような努力は実を結んでいないでしょう)。

何故あなたは「汝の敵を愛」さなければいけないのでしょうか?
何故なら、あなたの敵は神の子(あるいは創造の一側面)であって、あなたは「彼/彼女/それ」を誤認識(誤知覚)しており、あなたの誤認識故にあなたは「彼/彼女/それ」に対して防御的(攻撃的)に成っているからです。

あなたが(敵/問題の表現によって惑わされることなく)自分の意識/注意を敵/問題の上に注ぐことを嫌っていたなら、あなたは「神が成っているより多くのもの」を発見することは出来ません。
敵(相手/対象物)の表現に惑わされることなく、その表現を通り越して、あなたは自分の意識を敵(相手/対象物)の上に注ぎ、神の現われを見たいと期待するべきなのです。

神が神自身をあなたの意識的体験として現せるように、そしてあなたが瞬間的/自動的に神の子を認識することの喜びを感じ表現出来るように(あなたは上記のことをするべきなのです)。
神の子はあなたの愛に値しており、「彼/彼女/それ」の神聖をあなたが認識していることが、あなたが神聖であることを露にし、あなたをあなたに示して、あなた達は驚きの中で繋がるのです。

[What you reserve unto yourself, you TAKE AWAY from Him Who would release you. ]
[あなたがあなた自身の為に取分けているもの(自分のために保持しようとしているもの)を、あなたは(あなたを解放しようとしている)彼から遠ざけているのです。]

「あなたを解放しようとしている彼」とは誰のことでしょう?
これは精霊のことです。 あなたの正しいマインドでしかないものです。

[What you reserve unto yourself, . .]
[あなたが自分自身のために取分けて(保留して)いるものを、]

「天国のこの部分を私は放射性物質と呼びましょう。 これは分極的性質を持っていて、周りに危険をもたらすものだと決めましょう。」

このように自分で決める権利をあなたは保留しており、それを執行しているのです。

[. . . AWAY from Him Who would release you. ]
[(あなたを開放しようとしている)彼(精霊)から遠ざけているのです。]

あなたはそれをあなた(のエゴ/無知)から(真の)あなたを解放する「あなたの正しいマインド」から遠ざけているのです。

[Unless you give it back, it is inevitable that your perspective on reality be warped and uncorrected.]
[あなたがそれ(自分のために取分けているもの)を返すまで、リアリティに対するあなたの視点は歪み補正されないままであることは明白なのです。]
もう一度読みます。

[Unless you give it back, it is inevitable that your perspective on reality be warped and uncorrected.]
[あなたがそれ(自分のために取分けているもの)を返すまで、リアリティに対するあなたの視点は歪み補正されないままであることは明白なのです。]

何故このようなことが言われているのでしょうか?
それは修正が必要だからです。これが「良き知らせ」なのです。

しかしあなたが「ここは物理的世界で、これは幻想であり、これは消滅するのだ。」と言っている限り、あなたには修正が見られないのです。
それは呪いなのです。そこには赦しがないのです。

赦しがないなら、「待てよ! ここで何かが起こっており、神の力以外のものが実在していなかったなら、私に知覚出来るものは(あるいは私に誤認識出来るもの)は神以外にはないに違いない。だからそこにあるものは基本的にリアルで善良で分離されていなく、分極化されておらず、罪/病/死/崩壊は不可能に違いない。 だから、そこに現れているものは(本当は)私にふさわしいものなのだ。 だから私は好奇心と共に、そこにある神聖を見てみよう。 この体験が出来るまでこれを続けてみよう。」と言えていないなら、

ACIMが、このようなことを言っていないのなら、この本など捨ててしまいなさい。
この本を読むことは止めてしまいなさい。
もしコースがこのようなことを言っていないとあなたが考えていたなら、もう一度新しい見方でこの本を読んで御覧なさい。

[As long as you would have it so, so long will the illusion of order of difficulty in miracles remain with you. For you have ESTABLISHED this order in reality by giving some of it to one teacher, and some to another. And so you learn to deal with part of truth in one way, and in another way the other part. ]  
[あなたがこれをしようとしている限り、奇跡の難しさに違いがある(奇跡に難易度がある)という幻想があなたにもたらされ続けます。 何故ならあなたは、あるものを一人の教師に与え、他のものを他の教師に与えて、この違いを(この難易度を)設立したのだから。 こうしてあなたは、真理の一部にある特定のやり方で対処し、真理の他の部分には違うやり方で対処しているのです。]

つまりあなたは、ある種の幻想に対しては真理を使ってそれを癒しており、真理の他の部分は幻想の下に持ち込んで幻想に真理(として受け取られる様子)を決めさせているのです。

これらのことをしている時、それでもあなたは真理/真実と関わっており、実体と関わっているのです。 あなたはリアリティと関わり続けており、(実在する全てである)真実と実体というスピリットと関わっているのです。
しかしあなたは真理/真実を誤用しており、あなたはスピリット(霊)のことを(リアリティやその源である神の特質を全く持っていない)物質と呼んでいるのです。

[To fragment truth is to destroy it by rendering it meaningless. ]
[真理/真実をバラバラに分離することは、それを無意味にして破壊することなのです。]

あなたは、幻想を真理の下に持って行きそれを修正することも出来るし、真理を幻想の下に持って行きそこで何が真理か幻想に決めさせることも出来るのです。

[To fragment truth is to destroy it by rendering it meaningless. Orders of reality is a perspective without understanding, a frame of reference for reality to which it cannot really BE compared at all.]
[真理/真実をバラバラに分離することは、それを無意味にして破壊することなのです。 リアリテを階級化しようとすること(リアリティの難易度に上下関係を付けること)は、理解を伴わない視点をもたらします。 それはリアリティに対する(比較という本来存在しない)見方をもたらすのです。]

「存在」の単一性(唯一性)、対極化されていない「存在」のありさま. ..
あなたのマインドのすべての側面をこの真理の下に持ってこなければいけないのです。
そうすることによりあなたのマインドが真理によって計量され、否応なく拡大されるのです。 あなたのマインドが否応なく無限に成るのです。 あなたのマインドが否応なく修正され正気に戻るのです。

[Think you that you can bring truth to fantasy, and learn what truth means from the perspective of illusions?]
[あなたは真理を幻想の下に持って行き、幻想の視点から真理の意味を学ぶことが出来ると考えていますか?]

勿論そのようなことは不可能なのです。
だから(現在の無知なあなたのマインドにとって)災難に見えることや、とても恐ろしいことが発生しているとき、あなたは現在のマインド(現在の見方/枠組み)を「確立されている事実」として受け取ってしまっているのです。 それ(現在の見方)をリアリティに対する最上の理解として受け取ってしまっているのです。
だから何か出来事が起こっている時、それはあなたの現在のマインド(の枠組み)によって変更されて(歪められて)いるのです。
そしてあなたはそれを死ぬ程怖れているのです。
しかし、それは適切な反応ではないのです。
しかし、コースが教えているのはこれとは別なことなのです。


何故なら、あなた達は神の聖なる子供達で、それ以外の何者にも成ったことはないのだから。

そしてあなたが怖れていることは、本当は決してあなたを傷つけることのない「天国」に対する誤認識(間違った知覚)なのです。


そして、これは現在あなたが狂気を体験していることを意味しているのです。

そして狂気は知性的な認識によって修正されるものなのです。 狂気は知性を認識することによって修正されるものなのです。
そして私は知性(英知)を表現しているのです。
私は知性を表明して、あなたがそれを認めて、あなたの無知への執着を放棄出来るようにしているのです。 そしてあなたが蟹樽(あなたの囚われているマインドの枠組み)から出て来れるようにしているのです。

そしてあなたが真理(理解)から隔てているアイディアの一つは「蟹樽の外が存在している」というものです。
例えばあなたが誰かに「僕は蟹樽から出ようとしているのです。」と言ったとしましょう。
すると相手は「馬鹿だな! 蟹樽の外なんか有るわけがないじゃないか。 そもそも蟹樽なんていうものも無いんだよ。 これはただ人生というものなのだから。」と言うのです。
「だから君も、この人生を耐えるしかないのだよ。 最後の日までこの状態を耐え忍ぶしか我々に出来ることは無いんだ。 だから馬鹿げた事を考えるのはよしたまえ。」
と、あなたはこう言われてしまうわけです。

このようにしてリアリティが幻想の下に持って来られており、幻想がリアリティを(何がリアリティとして受け取られるか)決定しているのです。
その結果として、あなたは奇跡を体験する可能性を自分に対して否定してしまっているのです。
何故なら、あなたは常識を疑ってみようとはしていないのだから。 あなたはあなたは自分のマインドを常識(蟹樽)の外に出そうとはしていないのだから。

[Think you that you can bring truth to fantasy, and learn what truth means from the perspective of illusions? Truth HAS no meaning in illusion. The frame of reference for its meaning must be ITSELF.]
[あなたは真理を幻想の下に持って行き、幻想の視点から真理の意味を学ぶことが出来ると考えていますか? 幻想の中では真理は全く意味を持っていません。 その意味の枠組みはそれ自体なのです。]

つまり、真理の意味の枠組みは真実それ自体なのです。
そして真理は蟹樽(あなたの限定的視点)の外にあるのです。
真理は蟹樽の中には存在していないのです。
真理は幻想の中には存在していないのです。
それは孤児院の中には存在しておらず。 その外にあるのです。
そして幸運な事にあなたは真理を知っています。
あなたは何が真理か知っていないかも知れませんが、真理が存在していることをあなたは知っています。
あなたの奥深くには、真理というものがあるという気付きがしっかりと根付いているのです。

だから、
[When you try to bring truth to illusions, you are trying to make illusions REAL, and keep them by JUSTIFYING your belief in them. ]
[あなたが真理を幻想の下に持って行こうとしている時、あなたは幻想をリアルにしようとしており、幻想に対するあなたの信念によってそれを正当化して幻想を保とうとしているのです。]

あなたは幻想を確定するために、真理を使おう(真理を歪めよう)、そうやって幻想を保とうとしているのです。
あなたは、神から独立した存在(源を持っていない存在)に成るという冒険に即した真理を当て嵌めよう(作り出そう)としているのです。 あなたは、そのような自尊心と誇りに満ちた独立的存在体験を作ろうとしているのです。

[But to give illusions to truth is to enable truth to teach that the ILLUSIONS are unreal, and thus enable you to escape from them . . . ]
[しかし真理の下に幻想を持って行くことで、「幻想はリアルではない」と真理があなたに教えられるようになるのです。こうしてあなたは幻想から逃れられるようになるのです。] (つまり今までの逆を行うのです。)

こうして蟹樽(あなたを捕らえている幻想)から出て行くのです。
次を聞きなさい:

[Reserve not one idea aside from truth, . .]
[真理から離れたアイディアは一つも持ってはいけません。]

(神から離れたあなた達だけの)プライベートなアイディアを保持してはいけません。

「放射性物質は無害なのかもしれない。 私の周りの人たちが放射能の有害性にこれ程とらわれていなければ、私も放射能に直面して無事で居られるかもしれない。 でも、それを私に試させるようなことは、お願いだからしないで欲しい。」 (現在あなた達はこう言っているのです。)

[Reserve not one idea aside from truth, or you establish orders of reality which must imprison you. There IS no order in reality because EVERYTHING there is true.]
[真理から離れたアイディアは一つも持ってはいけません。 そうでなければ、あなたはリアリティのオーダー(順位/形式)を確立してしまい、それがあなたを拘束してしまうでしょう。 リアリティにはオーダー(順位/形式)は無いのです。何故ならリアリティ内に存在しているものはすべて真理なのだから。]

そこに在る全ては真理/真実なのです。
「そこ」とは何処でしょう?
それは「ここ」です。

真理がここに無いのならば、この本には何の意味も無かったことでしょう。
真理がここに無いのならば、これらの言葉も(あなたが死んで天国に召されるまで)無意味でしょう。 
あなたが死んで天国に行くまで真理が現れないのなら、この本は脇に置いてご自分の僅かな人生を楽しまれたら良いでしょう。
考えられる限り罪悪(神からの分離)を堪能したらよろしいでしょう。
出来るだけエキサイティングで充実した人生を送れば良いでしょう。
死ぬまで答えが得られないのなら、(生きている間においては)人生を死ぬまで楽しむ以上のことが可能でしょうか?

[There IS no order in reality because EVERYTHING there is true.]
[リアリティにはオーダー(順位/形式)は無いのです。何故ならリアリティ内に存在しているものはすべて真理なのだから。]

そして「ここ」がリアリティなのです。
だからあなたの使命は全てを新鮮な目で見ることなのです。 あなたの喜びは全てを新鮮な目で見ることなのです。
無垢な(無邪気な)目で全てを見なさい。「あなたに見るように条件付けられているもの」を超えて見る度量を持ちなさい。 既にあなたは、その度量を持っているのだから。
あなたは神の子供であり続けているのだから(どれだけあなた達がそのことを隠し続けていたとしても)。

[Be willing, then, to give all you have held outside the truth to Him Who KNOWS the truth, . .]
[だから、真理の外にあなたが保管していたもの全てを「真理を知っている彼」に与えなさい。]

つまり精霊(あなたの正しいマインドでしかないもの)に与えなさい。

[. . . and in Whom all is brought to truth. Be not concerned with anything except your WILLINGNESS to have this be accomplished. ]
[だから、真理の外にあなたが保管していたもの全てを「真理を知っている彼」に与えなさい。彼の中で全てが真理に戻されるのです。 これが達成されることを求めるあなたの意欲以外のもので満足してしまうのは止めなさい。]

これが答えです。
[Be not concerned with anything . . .]
[これ以外のもので満足してしまうのは止めなさい。]

恐ろしい放射性物質やガンやその他のもの(が現れている状態、を認めている状態)で満足してしまうのは止めなさい。

[Be not concerned with anything except your WILLINGNESS to have this be accomplished.]
[これを達成しようと求める意欲以外のことを思い煩うのは止めなさい。]

しかし次が(エゴにとって)侮辱的/屈辱的な部分です。

[HE will accomplish it; NOT you. ]
[あなたではなく、彼がこれを達成するのです。]

これが美しいのです。これが愛なのです。
この中にあなたの根源的不可侵性(不死身)が存在しているのです。


私は下記の二つの言葉を示して来ました。
[Wish to see the evidence of Love, no matter what’s presenting itself. ]
[(どのようなことが示されていようとも)愛の確証が見られるように望むこと。]
そして
[Wish to be the presence of Love. ]
[愛の確証に成ろうと望むこと。]

もう一度言いましょう、
[Wish to see the evidence of Love and wish to be the evidence of Love. ]
[愛の確証が見たいと望むこと、と、愛の確証に成りたいと望むこと] です。

さてこの二つの内どちらが先に来るのでしょうか?
これには順番があるのです。(これも重要なことです。)

これは「愛の確証を見たいと望むこと」から始まるのです。
はじめに献身(自己放棄)があるのです。
あなた自身にギフト(認識)を与えるのではなく、(まず最初に)あなたの兄弟姉妹にギフト(認識)を贈るのです。

あなたが兄弟姉妹(あるいはあなたが眺めている何らかのもの)の内に愛の確証を見たいと願ったとき、あなたは神聖な明晰さ(ビジョン)の流入に自分を明け渡しているのです。

この明晰なビジョンがあなたの中に流れ込んで来たなら、それがあなたを満たし、あなたにインスピレーションをもたらし、あなたは否応無く愛の確証に成ってしまうのです。

つまりその時のあなたの行動は、(あなたの思考に基づいた)特定の効果/効用を目的としたものではなくなっているのです。 あなたの行動はあなたの意思を離れたもの(神のもの)に成っているのです。

あなたから自動的に湧き上がってくる喜びが愛の確証なのです。
そしてあなたの喜びが、それに触れた全てのものを祝福するのです。
特に、「愛を求めている人」に対して、「あなたが(初めの内は)愛の確証ではないと断定していた人」に対して、より多くの祝福がもたらされるのです。

「ええ、私は自分の兄弟のために愛の確証に成りましょう! 彼はそれをとても必要としていて、私はそれを持っているので、彼に与えることが出来ます。 私はコースを何年も学んできたので、それをとてもよく知っています。 だから、私は愛の確証になりましょう。」
こう考えているなら、あなたは要点を取り違えているのです。

あなたはこのようにして愛の確証に成ることは出来ません。
あなたは自分の過去から始めたり、自分自身(の視点)からこれを始めることは出来ないのです。

あなたは自分が居る無垢な瞬間の中のからこれを始める必要があるのです。
この無垢な瞬間の中で、あなたは父の視点(父の意思)に対して無防備に成っているのです。  あなたの父の意思があなたの本当の意思なのです。

しかし父の意思があなたの上にもたらされた時、あなたは今までとは全く異なったやり方で振る舞い始めるのです。 何故なら、その時あなたはもはや自分の行動をつかさどってはいないのだから。

そして、これはあなた達が繋がり、全ての人たちがそれに繋がっている素晴らしい出来事なのです。
これは、このように働くのです。

だから、
[Be willing, then, to give all you have held outside the truth to Him Who KNOWS the truth, and in Whom all is brought to truth. Be not concerned with anything except your WILLINGNESS to have this be accomplished. HE will accomplish it; NOT you. But forget not this: When you become disturbed and lose your peace of mind because ANOTHER is attempting to solve his problems through fantasy, you are refusing to forgive YOURSELF for just this same attempt. ]
[だから、真理の外にあなたが保管していたもの全てを「真理を知っている彼」に与えなさい。彼の中で全てが真理に戻されるのです。 これを達成しようと求める意欲以外のことを思い煩うのは止めなさい。あなたではなく、彼がこれを達成するのです。しかし次のことを覚えて置きなさい。 他者が幻想を使って彼の問題を解決しようと試みていることに対して、あなたが不安(動揺)を抱きはじめている時、あなたは(彼と全く同じことを試みている)あなた自身を赦すことを拒否しているのです。]

上記の文章は何を意味しているのでしょうか?

誰か他の人がその人自身の幻想(夢想)を使って問題を解決しようとしている時、それに対してあなたが動揺してしまっているなら、その時あなたは「この表明(その人が表明している問題)を真理の下に持って行かず、それを真理に修正させないこと」を選択しているのです。
その時あなたは、この表明(問題)を自分で受け取って、自分の目的の為に使おうとしているのです。

自分(あなた)の目的とは、(他者が行なった)この表明に対して自分で怒って(あるいは怖れて)、あなた(のエゴ)が得られる最大の効果をここから引き出すことなのです。 何故なら、その方があなたにとっては(この時点ではまだ、これを精霊に差し出すよりも)より重要なのだから。

このように振舞うことは自己主張なのです。 自己を押し出し自分で物事を決めることなのです。 
違いますか?
このようにして、あなたは自分がリアルに存在していること証明しようとしているのです。
怒り(怖れ)の表現は常にこれを目的としているのです。

しかしそれだけではありません。
怒る(怖れる)ことで、あなたは自分のマインドの中で自分を主人公(責任者/当事者)にするのです。
何故なら、怒ること(怖れること)であなたは自己を自分のマインド内の一番重要な登場人物にしているのだから。

そうすることであなたはより力強く感じ(分離している自己をよりリアルに感じ)、より実在感を増すのです。
しかし実際には、(怒っている間、怖れている間)あなたはリアリティから完全に飛び出しており、リアルなものとはなにも繋がらず、愛の確証にも成れずに、狂気の狭い範囲内でクルクル廻っているだけなのです。

それは何故でしょう?
それはあなたが「私は愛の確証には成りたくない。」と言ったからなのです。
{「私は、神を反映している愛の確証ではなく、神から離れた独立独尊する存在に成りたい」とあはたは言ったのです。}
これが真実です。


読み続けましょう。

[When you become disturbed and lose your peace of mind because ANOTHER is attempting to solve his problems through fantasy, you are refusing to forgive YOURSELF for just this same attempt. And you are holding BOTH of you away from truth and from salvation. ]
[他者が幻想を使って彼の問題を解決しようと試みていることに対して、あなたが不安(動揺)を抱きはじめている時、あなたは(彼と全く同じことを試みている)あなた自身を赦すことを拒否しているのです。 その時あなたは、あなた達両方を真理や救済から遠ざけているのです。]

そうして、あなたは卑小な狂気の中でクルクル廻り続けてしまっているのです。

[. . . you are holding BOTH of you away from truth and from salvation. As you forgive him, you restore to truth what was denied by BOTH of you. And you will see forgiveness where you have GIVEN it.]
[あなたは、あなた達両方を真理や救済から遠ざけているのです。 あなたが彼を赦したなら、あなた達両方が否定していた真理が修復されるのです。その時あなたは、あなたがそれ(赦し)を与えた場所で赦しを見るのです。]

では「あなたの兄弟を見て彼を赦し、あなた達両人に対して真理を修復すること」と「放射能や放射性物質に満ちている日本の特定の危険な場所を見て、それを赦し、修正が起こることを見ること、真理が修復されることを見ること」には違いがあるでしょうか? 
何が違うのでしょう?

あなた達が物質と呼んでいるものを見て、それを真理の下に持って行き、それが本当は実体(Substance)であることを真理があなたに示すこと。 「この実体がリアリティの中ではスピリット(霊)=神の実体である」と真理があなたに対して示すことを許可すること、と
何が違うのでしょう?

そして、「私が言っていること(好奇心を持って物質を眺めて、それがスピリットとして振舞っていることを発見し始めなさい)」がどの様にして「コースが言っていること」を否定しているのでしょうか?
そこに違いはないのです。

ここに違いがあるとあなたが考えたなら、コースの中に示されている修正の原則はあなたのためには働けません。何故なら、その時あなたは次のことを表明している根源的原則(プリンシプル)を否定しているのだから。

神が全て、全て、全て、全てです。 
神が放射性物質の全てです。 神があなたの爪の間に挟まった木屑の全てです。 神が私の指の全てです。
神という[マインド]が(草の葉から星まで)全てのアイディアを(永遠にそれぞれのものとして)保っているのです。

「コースはこのことを教えている」とあなた達に理解出来た時、あなた達全員が変容を見るでしょう。 あなた達全員はこの変容体験に値するのです。 そしてその時コースがその使命を達成したことに成るのです。

あなた達は怖ろしい世界に住んでいるわけではないのです。
しかし現在、あなた達の多くは世界を怖ろしい見方で見ています、孤立独立したやり方で世界を見ています、父から離れた見方で世界を見ています。 父から独立して、相互合意の中で(誤認識の中で)兄弟姉妹と繋がっているのです。

この良き知らせがあなた達に理解出来るまで、そしてあなた達がコースを全く新しいやり方で抱擁し(理解し)始めるまで、つまりあなた達が世界を全く新しいやり方で理解し始めるまで、この良き知らせをあなた達に繰り返し知らせ続けるのが私の喜びなのです。  

I love you all,
来週お会いすることを楽しみにしています。

原文テキスト
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=31436&mid=151088#M151088
オーディオ&ビデオ

原文を提供している 「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で(読者に義務を課すことなく)提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはそのようなものだから。 
あなたと同等の方が既にこのギフトをあなたに差し出したので、これらの資料があなたに提示されています。 Rajの指示によりこれらの資料が売買されることはありません。 この機関「Northwest Foundation for A Course In Miracles」への募金は下記のWEBサイトを通して行なうか、あるいは下記の住所に郵送して下さい。

A Course in Miracles Study Group with Raj, Apri16th 2011
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All rights reserved
PO Box 1490 / Kingston, WA 98346-1490 / USA
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
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E-Mail: paul@nwffacim.org

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

ACIM11-04-09

ACIM11-04-09
ラジ/ポールのところではお金が必要だそうです。
サポートして頂ける方々からの募金をお願いしたいとのことです。

今回は翻訳をせず、私の見解や立場について書きます。
「ACIMはビジネスにするべきではなく、募金/ギフトを元に活動するべき」というラジの主張には私は別に異論はありません。
と同時、ACIMに関して出版やセミナーなどを行っている方達を否定する必要も別に感じていません。

ラジにお金が必要であれば、幾らでもポールさんはそう仰ればよろしいと思います。
しかし、「お金を送ってください」と言っている時のラジの説明(ラジの使っている論理)には私は納得出来ていません。
お金に関するラジの話を聞く度に、「私にはラジの話が理解出来ていないらしい」と思うのです。

募金の仕方に関してはこちらをご覧ください。
http://rajpur.blog13.fc2.com/blog-entry-84.html

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

プロフィール

翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

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