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ACIM11-06-26

2011年6月26日

原文
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=32301&mid=154637#M154637


わたし達は二種類の額縁と絵について話して来ました。主に額縁に関して話して来ました。
しかしより重要なのは、それぞれの絵を見ることなのです。
何故なら、(特に重厚に装飾されている方の)額縁が「シッカリと見るべきも(額縁の中の絵)」からあなた達の注意を逸らしてしまっているのだから。
その絵をハッキリと見つめたなら、その時あなたは自分の正気が取り戻せるポジションに居るのです。
絵を見て「その絵が本当は何か」見通すことが出来たなら、その絵には価値が無く、その絵が無意味であることがあなたに解るのです。
するとあなたは「待てよ、私は時間を浪費していただけなのだ。 私は騙されていたのだ。」と言うのです。
そして必要なところに自分の注意と意識を与えられるようになるのです。
だから、わたし達はこのことに関して多くの時間を費やしているのです。

さて、それぞれの絵の中には何が入っているのでしょうか?
コースには「絵を見なさい。絵を見なさい。額縁は無視しなさい。絵を見なさい。」と書いてありますね。

両方の絵の中にはそれぞれ「関係(a relationship単数形)」が入っているのです。
片方の絵の中には惨めな関係が入っています。
もう片方の絵の中に入ってる関係は、とても意味深く至福に満ちた体験なのです。

華麗な額縁の中の小さな絵の中の「関係」は、二人の神の子達が神からの離縁を選んでおり、自分達の想像力を通して全てを眺めている状態なのです。
この離縁行動の中で神の子達は「自分達が誰か」に対する記憶を失ったのです。
彼等が独立する権利を主張して、その主張の下に行動し出して、お互いに対する感情のこもった決意で自分達の独立を確定した時、彼等は「自分達が誰か」忘れたのです。
そして、それから後に起こったことは幻想的体験だったのです。 それは狂気の体験、大げさで惨めな幻想の体験だったのです。
今日この日に目覚めていない人達全員はこの絵を生きているのです。

しかし次のことが救済の恩寵なのです。
(「自分が誰か」に対するあなたの考えにも関わらず)あなたは実は神の子なのです、と誰かがあなたに告げているのです。
あなたはリアリティに対する歪められた体験(間違った体験)を得ようとしている神の子なのだ、と何かが知らせているのです。
リアリティはどこにも行っておらず、リアルなあなたは全く変質していないのです。

しかしあなた達二人が行なった決意の結果として、あなた達には自分達の神性が全く見えておらず、それを意識的に認めることが出来ていません。
この事態をもたらしてしまうから、特別な関係は邪悪なのです。これ故に特別な関係は破壊的なのです。
だからあなたは自分の注意と意志(あなたの神聖な意志)を使って特別な関係に力を与え続けることを止め、特別な関係を放棄しなければいけないのです。
何故なら、特別な関係を認めている限り、あなた達は「自分を狂気の状態にしてしまっているもの」を有効にし続けているのだから。

あなた達はこれが見えるように成らなければいけないのです。
そう成るまで「今まであなたにとってとても大きな意味を持っていたもの」を放棄して、マインドを静まらせ、二つのステップを行なって聖なる瞬間を行なうことは出来ないから。
これがこの惨めな絵(邪悪な絵)からの解放の道で、これをすることによりあなた達は自分達の正しいマインド(もう一つの絵が示している状態)に帰っていくのです。

そして、もう一つの絵(軽い額縁の中の絵)も関係の絵なのです。
この絵は、あなたとあなたの父の関係の絵なのです。
まだあなた達はこれにそれ程多くの注意は与えていません。
しかしこの絵は、永遠にあなたと共にあなたの中に在る絵で、あなたはこれを思い出し、もう一度この絵に自分の注意を与えたいと考えるようプログラムされているのです。

これを行なうためのプログラムが精霊なのです。
それは「あなたの正しいマインドでしかないもの(あなたの正気/良心)」と呼ばれており、あなたがどれだけキチガイ染みた振舞いをしていたとしても、それは少しも変化していないのです。
だからあなた達はキチガイ染みた行動をしていますが、あなたの正気はずっとあなたと共に居続けており、それが完全にあなた達を統治し続けているのです。

精霊はそこに在り、(あなたが精霊を聞いてそれに注意を与えていようがいまいが)あなたの為にそれ自身を主張(挿入)することにより、あなたに対するその信心をあなたの体験の中に挿入ことにより、その目的を遂行しているのです。
それは多くの場合、あなたからの要請によって働いているのではなく、あなたの狂気の中に弱点があるので、精霊は(神から分離した積りでいる)あなたの弱点を突いて(神の子である)「あなたのためになること」をするのです。 {多くの場合、精霊は(神から分離したままでいようとする)あなたの意志に反して、(神の子である)あなたの為に働いているのです。}

しかしあなたが「二つのステップ」をしたなら、聖なる瞬間を行なったなら、静かになり「父よ(精霊よ)、ここの真理は何ですか?」と訊ねたなら、その時あなたは「自分の中にすでにプログラムされているもの」に対して扉を開いたのです。その時あなたは(精霊を遠ざけている)抵抗を自分の中から取り除いたのです。

このもう一つの(軽い額縁の中の)絵は、あなたと神の関係なのです。
両方の絵の中に示されているそれぞれの関係が「創造の全てがどの様に体験されるか」を決定しているのです。

あなたが父との関係を抱擁して(神の子、聖なる者としての)自分の生得権(持って生まれた権利)を認識したなら、その時あなたは父の視点から見た創造を体験しており、それを意識的に抱擁しており、それをもう邪魔してはいないのです。 
その時あなたは、父がそれぞれのものを創造しその行為によってそれらに父が与えている意味を、それらの(創造の)中に見ているのです。

華麗な重い額縁の小さな絵の中で、あなたは父を(そして、父の創造を、父が創造に与えた意味を)否定する為に兄弟姉妹と繋がっており、そこでのあなたの全体験はこのこと(神からの分離/相互合意)により色付けされていて、だからあなたは何も正しく見ることが出来ていないのです。

あなたはそれ(リアリティ)を天国として見ていないなのです。
あなたはそれを父の創造として見ていないのです。
あなたはそれを(知的デザインを持たずランダムに発生している)物理的宇宙の中で起こっている物理的出来事として見ているのです。

では本を読み続けましょう。
前回わたし達は、華麗に装飾された額縁とその中の小さな絵について読み、そして額縁ではなく絵を見る必要があることを読みました。

[The other picture is lightly framed, for time cannot contain eternity.]
[もう一つの絵は軽く縁取られています。 何故なら、時が永遠を閉じ込めることは出来ないから。]

華麗な額縁に入れられていない方の(軽い簡素な額縁の中の)絵です。
この絵の中に示されているものがリアリティなのです。
何故なら、この絵はあなたが父と持っている関係で、そこではあなたと父の関係は全く否定されていないのだから。 
だから、そこにあるのは永遠なのです。そこにはリアリティが在るのです。そこにはパーフェクトな創造の全てが在るのです。

これは時間の中に縁取られているように見えているだけなのです。何故なら、あなたは(その中では全てが時間の中に在るように見えている)他方の絵を見つめて来ており、あなたの判断基準(考えの枠組み)は時間なのだから。
だから、このもう一つの(軽い額縁の)絵を時間の中から眺めた時、あなたはこれが時間の中に嵌め込まれている(実際には違うのですが)と考えるのです。
しかし「父よ、私はここの真理を知りたいです。あなたの視点を体験したいです。」と言った途端、あなたは時間を越えているのです。 あなたは時間を踏み外しているのです。
その時(自分の特別な関係の中で使ってきた)時間の基準を保つことをあなたは止めているのです。
この絵を見ることを選んでいる時、あなたは孤児院を放棄することを選んでいるのです。
その時あなたは「自分と他者が交わした(自分達の神性に対してあなた達を盲目にしてしまう)相互合意」の放棄を選んでいるのです。

だから、
[The other picture is lightly framed, for time cannot contain eternity. There IS no distraction here. The picture of Heaven and eternity grows MORE convincing as you look at it.]
[もう一つの絵は軽く縁取られています。 何故なら、時が永遠を閉じ込めることは出来ないから。ここには(絵から額縁へと)注意をそらせてしまうものはありません。 それ(絵)をあなたが見つめれば見つめる程、天と永遠の絵はよりリアルに育っていきます。]

だからあなたがこれをよりリアル(確実)にしたければ、この絵を常により頻繁に見るようにしなければいけません。
これはどういう意味でしょうか?
つまり、あなたは常に自分の全関係を父と共に見る必要があるのです。

「起こっている全てのことは父の意志なのだ。 ここで起こっていること全てには聖なる意図があるのだ。 それが何か私には解らないけれど。」とあなたが言っていたなら、その時あなたは「自分には物事/リアリティが解っている、ここでどのようなことが起こっているか自分には解っている」と実際には主張しているのです。
しかしそうではなく「私の考えに関係なく、これら全てに関して私が信じていることと関係なく、これら全てがあなた/神の仕業だと考えている私の信念に関係なく、ここの真理は何ですか? 父よ!」と言うべきなのです。 
解りますか?

「物事(リアリティ)がどのように働いているか自分には解っている」という自分の自信に疑問を持たなくてはいけないのです。 
修正を求める呼び声(修正されるべき事態)が起こっていたなら、あなたはそれにチャレンジしてその修正を可能にする為に、静かに成り父に訊ね聞かなくてはいけないのです。

修正の呼び声(修正されるべき事態)に対して「精霊が、父が、これを私のアドバンテージに変えてくれるだろう。 父がこの一見酷く見える状態を私のために上手く使ってくれている(だから修正が起こらなくても、見えなくても構わない)。」と考えてそれ以上の関与を止めてしまってはいけません。
「父は全知全能だから良きように計らってくれるはずです。私は我慢して、起こることをそのまま受け入れよう。あるがままを享受しよう。」{あなたは、このように考えてはいませんか?}
しかし、違うのです。
わたし達がしようとしているのは、受身になって起こり続ける事態をそのまま受け入れたり、全く決意/覚悟をせずに「私はこのような見方を受け入れることも出来る。そのように物事を見てみたなら、それはより良く働いているように見えるだろう。」と言ったりすることではないのです。
そのようにしていた場合、あなたは重要なことを忘れているのです。

その時あなたは「父よ、(これらのことがあなた/神によって良きことの為に行われているという)私の最上の論理とは関係のなく、私の最上の判断は別にして、過去の経験から導かれた結論は抜きにして、ここの真理は何ですか?」と言うことを忘れているのです。
「ここの真理は何ですか? 修正の呼び声が求めている修正(修正されるべきことが修正されること)を私は見たいのです。」と、あなたは言うべきなのです。

だから、
[The picture of Heaven and eternity grows MORE convincing as you look at it.]
[それをあなたが見つめれば見つめる程、天と永遠の絵はよりリアルに育って行きます。]

あなたが常に(軽い額縁の中の)絵を見続けるようになれば、あなたが父の中により深く入って行けば、あなたは「父よ、より多く教えて下さい。父よ、今私が得ている体験よりも多くの体験を与えて下さい。 私はあなたが今ここに存在している「より多く」を体験したいのです。私の体験の中から罪/病/死がまだ消えていません。 だから私は自分の体験していることのより多くの意味を体験したいのです。父よ、私はただ座って人生/生命の動きをなすすべ無くただ受け取って、それがあなた(神)だと考える訳にはいかないのです。」と言うようになるのです。
「あなたがそこに明確に現れている確証を私は求めます。(神がそこに現れている様子が)「老化プロセスが無くなること」として現れる確証を見たいのです。病が癒やされることや、私の毛髪が増えることや、私の乳房や尻や腹の弛みが無くなることとして現れる確証(そこに神が存在している様子がよりクリアに現れること)が見たいのです。」

(父とあなたの関係を示している絵を見続ければ)存在の均衡/バランス/均整が実際に発生して、それが絵の中で認識されるのです。

だから、
[The picture of Heaven and eternity grows MORE convincing as you look at it. And now, by REAL comparison, a transformation of both pictures can at last occur. And each is given its rightful place, when both are seen in relation to each other.]
[それをあなたが見つめれば見つめる程、天と永遠の絵はよりリアルに育って行きます。そして今、本当の比較により、両方の絵の変容がやっと始まるのです。両方の絵を見比べたなら、それらの絵がそれぞれに相応しい場所に置かれるのです。]

重厚で華麗な額縁の中の惨めな絵が(幻想を信じて、それ故に罪/病/死/その他の人生の苦難を被っている)二人の悪戯な神の子供達の関係の絵なのだと気付き、そしてあなたが聖なる瞬間を実践してもう一つの絵を体験しており、父との関係の中で自分自身を体験していたなら(それがあなたに天国の住民の資格を与えます、何故ならその時あなたは自分が神の子で在り続けて来たことを発見したのだから)、(二つの絵を並べて見比べて)明晰な気付きが起こったなら、あなたは幻滅するのです。
あなたはとても幻滅する(幻想を失う)のです。
幻滅するとは、幻想/幻覚から自由になること、あなたが正気を取り戻すことです。 これが要点なのです。

[The dark picture, brought to light, is not perceived as fearful, . .]
[光の中に引き出された暗い絵は怖ろしくは見えません。]

この絵を見てあなたがその額縁(相互合意)を信じていて、額縁の仔細から物事を体験し続けていた場合、その体験は怖れに満ちたものなのです。
あなたが父を離縁する決断をした途端に怖れと罪悪が同時に現れたのです。
しかしあなたが額縁を無視して二つの絵を見て、片方の絵の惨めさとリアリティの無さと、もう片方の絵の美しさとそのリアリティと「そこにあるあなたに対する新しい定義」を見比べたなら、その時もう暗い絵(華麗な額縁の中の小さな絵)は怖ろしく見えないのです。 何故なら、(二つの絵を良く見比べた)あなたはもう騙されていないのだから。
そして暗い絵が全く無意味だとあなたに解るのです。このことがシンプルに解るのです。

[The dark picture, brought to light, is not perceived as fearful, but the fact that it is just a PICTURE is brought home at last.]
[光の中に引き出された暗い絵は怖ろしくは見えません。それが絵にしか過ぎないことがやっと理解されるのです。]

勿論それは初めからただの絵だったのです。 
「おお神よ! これは津波の絵だ。これが私を呑み込んでしまう。いやいや、これは唯の絵だ。 ハー、やれやれ。」 解りますか?
これが絵にしか過ぎないと理解した時、これがリアルだと考えていた時に現れていた誤解が直ちに消えて、あなたは安堵するのです。
これはこのように働くのです。 この体験をする為にわたし達はこの本を読んでいるのです。

[And what you see there you will recognize as what it is; a picture of what you THOUGHT was real, and nothing more. ]
[そしてあなたは「そこに見ていたもの」を「それそのもの」として認識するようになるのです。 あなたがそこに見ていたものは「あなたがリアルだと考えていたもの」の絵であり、それ以上のものではなかったのです。]

より厳密には「それは、あなた達二人がリアルだと考えることにした、それがリアルだと合意した、それがあなた達の行為と感情を統治していることにした、それに基づいて話し合うことにした、『絵』なのです」。
つまりこれは「あなた達二人がリアルだと考えたこと/リアルだと想像したもの」を表している絵であって、それ以上のものではないのです。

[For beyond this picture, you will see nothing.]
[何故なら、あなたはこの絵の後ろに何かを見ることは出来ないから。]

あなた達は創造の光景を見て、そこから目を逸らして、それから創造に対する定義を作り(自分達に)与えているのです。
あなたはもう一人の人とパートナーシップを作って彼/彼女と一緒にこれを行なっており、あなた達はこの定義に基づいて行動しているのです。 その時あなた達はリアリティから離れているのです。
これはあなた達が、小さな箱を自分達の想像したもので一杯にして、その中に自分達自身をも入れているような状態なのです。しかし、その小さな箱には実体/実質が無いのです。
あなた達は実質/実体を全く伴っていない「惨めな卑小なプライバシー状態」の中にいるのです。

もう一つの絵に関しては...
(二つの絵の違いを)下記のように説明してみましょう。
あなたが小さな部屋の中に入っていて、そこに壁があると考えてみてください。
壁の上には二つの絵が掛かっています。 
そしてこれは暗い部屋なのです。
あなたの目の前の壁には重厚な額縁の中に入った小さな絵があります。
しかし部屋が暗いので、あなたはまだ絵がそこにあることに気付いていません。
その絵の隣には同じサイズの額縁があります。 しかし本当は、壁に穴が開けてあり、その壁の上にガラスが嵌めてあります(その周りを額縁が囲んでいるのです)。(これは小さな部屋から外に向かって開けられている窓で、本当は絵ではないのです。)
しかしガラスの上には閉じられたシャッターがあり、その先を見通すことは出来ない状態です。

あなたはこれらの額縁の前に座っています。すると急に部屋の中が灯り、外を見渡す窓(簡素な額縁)の前のシャッターが一瞬だけ開きます。
しかし直ぐにまた灯りが落ちて暗くなってしまい、シャッターも直ぐ閉まってしまいます。
するとあなたは「私は今二つの絵を見ていました。」と言うのです。

華麗な額縁を持った左の絵の後ろには(絵の中に示唆されているものの実体は)何もありません。
これはただの紙で、その上には想像から描かれた絵が描いてあるだけなのです。
この絵の後ろ/裏には何も存在しておらず、ここには実体が無いのです。

もう一つの額縁を見たとき、そこにも額縁があるので、これもまた絵なのだろうとあなたは考えてしまうのです。
あなたはそれを十分長く見続けられなかったので、それが壁の上に掛かっている絵ではなく額縁を通して部屋の外を見ていたのだということが解らなかったのです。  部屋の中に明かりが灯ってシャッタ-が一時的に開いていた時、部屋の壁の向こうの風景が見えていたことが(現時点では)まだ理解されていないのです。

だから、
[. . . what you see there you will recognize as what it is; a picture of what you THOUGHT was real, and nothing more. ]
[そしてあなたは「そこに見ていたもの」を「それそのもの」として認識するようになるのです。 あなたがそこに見ていたものは、「あなたがリアルだと考えていたもの」の絵であり、それ以上のものではなかったのです。]
これが左側の絵(華麗な額縁の中の絵)です。

[For beyond this picture, you will see nothing.]
[何故なら、あなたはこの絵の後ろに何かを見ることは出来ないから。]
これがこの絵(左側の華麗な額縁の中の絵)の意味(本質)なのです。

しかし聖なる瞬間の中であなたは(右側の絵を、自分と神の関係を)見て、父(あるいは精霊)とコミュニオン(交歓)している瞬間(リアリティのよりクリアな感覚であなたが満たされている時)に絵(ビジョン)を見て、あなたはその時まだ自分が絵を見ていると考えるのです。
しかしそれは絵ではないのです。
それは絵(ビジョン)以上のものなのです。
そこには(そのビジョンの向こうには)何か実体があるのです。
その絵の左に右に、その上にも下にも、その奥にも何かが存在しているのです。
そこにあるものは神の子の戯画ではなく、そこに神の子達自身が生きて住んでいるのです。

[The picture of light, in clearcut and unmistakable contrast, is transformed INTO what lies beyond the picture. ]
[光の中の絵は対照的に、絵の後ろに実在しているものへと明確に変容して行きます。]

「光に中の絵」とは右の簡素な額縁の絵(あなたと神の関係)です。

だからあなたが「お! ちょっと待てよ、これは3Dだ、これは絵ではない。」と理解した途端、あなたの注意は額縁を超えてその先へと引き付けられるのです。
そして、「より偉大なリアリティが存在しており、あなたは自身をその中に入れるべきなのだ」という真実に対する理解によって、今まであなたが絵だと誤解していたものが、あなたのマインドの中で変容するのです。
するとあなたは「そこに絵があるという感覚」を自然に手放します。
そして、(初めは絵だと考えていた)リアリティのより広い体験の中にあなたは入って行くのです。

[As you look on this, you realize that it is NOT a picture, but a REALITY. This is no figured representation of a thought system, but the Thought Itself. ]
[これを見続けたなら、これは絵ではなくリアリティなのだとあなたは理解します。 これは思考システムを示している絵ではなく、「思考」そのものなのです。]

これは戯画ではなく、無から作り上げられている定義ではなく、これはリアリティそのものなのです。 これは神の「アイディア」そのものなのです。

[What it represents is THERE.]
[それが表しているもの(絵が示唆しているもの)がそこに存在しているのです。]

解りますか。普通、絵とはそこに実際には存在していないものを表しています。
{牛の絵の中には、牛は実存していません。}

しかしあなたが初めのうち絵だと考えていたもの(軽い額縁の中のもの)は、そこに本当に在るものを表しており、それは全く絵ではなかったのです。
これがあなたが自分の正しいマインドに戻って行くことなのです。
これがあなたが明晰を取り戻すことなのです。
これが、全てのもののリアルな意味に対する十全な感覚の中にあなたが入って行くことなのです。 
するとあなたはもう怖れや罪悪を感じられなく成るのです。何故なら、その時あなたは全てを「リアリティそのもの」として体験しているのだから。

[The frame fades gently, and God rises to your remembrance, . .]
[額縁は優しくゆっくりと消えて行き、あなたの記憶の中に神が現れ出ます、]

これが「聖なる瞬間/二つのステップ」の目的なのです。
これは「その時初めて神があなたの前に現れる」と言っているのではないのです。
初めに(分離を行なう前に)あなた達は真理を知っていたのです。
想像の領域で戯れ遊ぶことをあなた達が決める前まで、あなた達は真理を知っていたのです。
そしてあなた達が想像の領域で遊んでいる間も、あなた達は真理を知っているのですが、それが思い出せないのです。
そして今あなた達は思い出し始めています。
これが要点なのです。

[The frame fades gently, and God rises to your remembrance, offering you the whole of creation in exchange for your little picture, wholly without value and entirely deprived of meaning.]
[額縁は優しくゆっくりと消えて行き、あなたの記憶の中に神が現れ出ます。そしてあなたの卑小な絵の替わりに(小さな絵と取り替えるべきものとして)創造の全てを神があなたに捧げています。 あなたの卑小な絵には全く価値が無く、全く意味がないのです。]

あなた達がこのシフトを行い、聖なる瞬間をより頻繁により熱心に選び続けたなら、リアリティと永遠がより興味深いもの、あなた達の注意を与えるべきより好ましいものに成って行くでしょう。
そして華麗な額縁の中の小さな絵の中で意味を持っていた全てが、あなた達にとって全く無意味に成って行くのです。
それが全く無意味になって、あなた達の注意を引かなくなり、それに注目しなくなり、それに対する好奇心を失うのです。
あなた達はそれ(小さな絵)から自由に成るのです。

[Raj did not read: As God ascends into His rightful place and you to yours, you will experience again the MEANING of relationship, and know it to be true.]
[神が神の正しい場所に昇って行って、あなたがあなたの居るべき場所に移動したなら、あなた達は関係の「意味」を再び体験して、それを真理と知るでしょう。]

[Let us ascend in peace together to the Father, . .]
[...わたし達は平和の内に一緒に、父に向かって昇って行きましょう。]
ここにキーワードが示されており、もしかしたら、あなた達はこれを今でも取り逃がしてしまっているかもしれません。 
それは「関係」の意味である「わたし達」なのです。
キーワードはアセンド(昇り上がる)でも平和でもなく、
「わたし達は一緒に」なのです。
「わたし達」とは神の視点/視界を選んでいる「私とあなた」なのです。

[Let us ascend in peace together to the Father, by giving Him ascendance in our minds. ]
[わたし達のマインドの中で彼(神)に上昇(優位/支配力)を与えることにより、わたし達は平和の内に一緒に父に向かって昇って行きましょう。]

フー!  そうですね。
これはあなた達が聖者かあるいは不思議ちゃんにでも成ることを意味しているように聞えますね。
神の気付きをマインド内に懐いて一日中過ごしている人、神を目の前に発見することに毎日勤しんでいる人、あなた達はそのような人に成りたいとは(まだ)思っていません。
しかし「そのような人は社会とは折り合いが悪いに違いない。」という考えは、条件付けられた思考で、特別な関係がこのような条件付けをしているのです。
(だからあなた達はそのように考えてしまっているのです。)

しかしあなたは不思議な奇妙な人に成るわけではありません。
あなたは周りで起こっている全てとより上手く調和し、全てにより直接タッチしている人に成るのです。
あなたは問題が起こる前に変化の必要を感じ取るように成るでしょう。あなたの兄弟姉妹が必要を口に出す前に、あなたはそれを認識出来るように成るでしょう。
だからあなたは、とても適切でとても有用に成るのです。
別に奇矯は人に成るわけではありません。

[Let us ascend in peace together to the Father, by giving Him ascendance in our minds. We will gain EVERYTHING by giving Him the power and the glory, and keeping no illusions of where they are. ]
[わたし達のマインドの中で彼(神)に上昇(優位/支配力)を与えることにより、わたし達は平和の内に一緒に父に向かって昇って行きましょう。 わたし達は、彼(神)に力と栄光の全てを与えて、それらが何処に属しているか幻想を抱かないことにより、全てを得るのです。]

力と栄光は何処にあるのでしょう? それらは父と共にあるのです。
それらは創造者(あなたという存在を創造し続けているもの)と共にあるのです。

[They are in US, through HIS ascendance. ]
[それらは、彼の上昇(支配)を通して、わたし達の中にあるのです。]

この文章は神が自身を持ち上げていると言っているのでしょうか?
違います。 
わたし達のマインド内で神が持ち上がれば(わたし達のマインド内を神が支配するようになれば)、父にあなたの注意を与える意欲が上がれば、あなた達の中に、わたし達の中に、栄光と力が出現するのです。

[They are in US, through HIS ascendance. ]
[それらは、彼の上昇(支配)を通して、わたし達の中にあるのです。]

わたし達が特別な関係を選んでいる時、それら(神の栄光と力)はわたし達の中には余りなく、わたし達は罪と怖れに圧倒されてしまうのです。

[What He has given is HIS.]
[彼(神)が与えたものは彼のものなのです。]

これに関する幻想が全く無い時、あなたは彼(神)があなたに与えているもので自分を満たすのです。 何故なら、その時あなたは自分だけで行なう権利を主張していないのだから。

[What He has given is HIS. It shines in every part of Him, as in the whole. The whole reality of your relationship with Him lies in OUR relationship to one another. ]
[彼(神)が与えたものは彼のものなのです。それが彼(神)の全ての部分で(そして全体的にも)輝いています。あなたと彼(神)の関係の全リアリティは、わたし達のお互いとの関係に依存しているのです。]

こう聞くとあなたは「成る程もしかしたら、私が常に神のことを考え続けて、兄弟姉妹やすべてのものの中に神を見ようとし続けそれにより祝福を体験し続けたとしても、私はおかしな人には成らなくて良いのかもしれない。」と思うでしょう。

しかし私(キリスト)は「神とわたし達の関係のリアリティ全体は、わたし達がお互いとの間に築いている関係に依存している」と言っているのです。
こうしてわたし達は気遣い(caring)の問題に戻って来ました。兄弟姉妹がわたし達の気遣いと注意と時間に値すると発見することに戻って来ました。 
兄弟姉妹に気遣いと注意を与え、父との繋がりによって、兄弟姉妹が何を必要としているか知り、わたし達の関係の中で何をすることが(神の)目的を満たすのか知りたいと願うことに戻って来ました。

するとあなたは次のように考えるでしょうか。
「誰の邪魔もしない、少なくとも間接的に人々を祝福しているプライベートな個人であってはダメだとあなた言うのですか? 新しい「評判」を作ってしまうようなことをしなければいけないのですか?」

しかし、(あなたが実際にこれを行い始めれば)人々はあなたのことを次のように考えるでしょう。
「今までは存じ上げなかったけれど、最近彼女は他の人達とアクティブに関わっているようです。 彼女に何が起こったのかは解らないけれど、彼女の言うことはとても的を得ています。 彼女は自身の関係(関わり合い)に適切なものを与え続けています。」 (だからあなたが心配する必要はないのです。)

[The whole reality of your relationship with Him lies in OUR relationship to one another. ]
[あなたと彼(神)の関係の全リアリティは、わたし達のお互いとの関係に依存しているのです。]

「あなたと彼の関係」とは「あなたと父の関係」のことです。

コース(ACIM)は「あなたの兄弟の目を見て、神を思い出すこと」を説いています。
これはあなた達が一番したくなかったことです。
他の人々に不快感を与えない存在であることによって、静かに天国の中に入り込むことが出来れば良いとあなた達は望んで来ました。

しかし私はより多くのことを知らせています。
お互いと実際に関わり合うという、(あなた達にとっては)この不快なことが、ここで必要とされているのです。

何故なら、あなた達はお互いと関わり合って、そこに神の現れを見たいと望んで、あなたの兄弟姉妹の中に神が自身を現すことを求めて、そうしてあなたは「彼等の体験の中に変容をもたらす者」に成るのだから。
(言い方がオレ様過ぎますか? では言い直しましょう。)
あるいは、あなたが関与することによって、そこに喜びと愛と平和と楽しみが現れることが必要とされているのかもしれません。 何故なら、その時神が思い出され、その時あなた達が自分達の正しいマインドに帰って行くのだから。

しかしあなたが自分の正しいマインド(正気)に帰って行くのは、あなたの正気があなたにとって重要だったからではなく、あなたの兄弟姉妹の正気があなたにとって重要だったからなのです。
だからあなたは自分の兄弟姉妹の正気(正しいマインド/良心)を照らし出す方法を探すことに自分を捧げるのです。
これは父があなたの帰郷方法として設置したシンプルで美しいアレンジメント(はからい)なのです。

[The holy instant shines alike on all relationships, for in it they ARE one. For here is only healing, ALREADY complete and perfect. For here is God, and where He is only the perfect and complete CAN be. ]
[聖なる瞬間は全ての関係を等しく照らしています。 何故なら、その中で彼等はひとつなのだから。 ここには、すでに完了してパーフェクトな癒やししかないのだから。 ここに神が居て、神がいる所にはパーフェクトで完璧なものしかないのだから。]

ここ(神が居る場所、全ての関係が一つである場所、全てが癒やされている場所)が、神の法が全てを統治している場所なのです。
ここが、調和と平和と喜びと愛が確実な場所なのです。

私が今まで聖なる瞬間に関して話している時、あなた達はそれを愛していました。
そしてこの時点で、聖なる瞬間の意味、それが意味しているもの、その機能/役割、それが何からあなたを解放するのか、がより明確に解って来ました。

何故なら、わたし達は華麗な額縁の中の小さい絵を見つめられるように成って来ているから。 額縁の装飾に惑わされて絵の醜さを見過ごしてしまうことなく、この絵を見つめられるように成って来ているのです。
この絵に対する冷徹な正確な理解が、(概念的にはあなた達がすでに愛している)聖なる瞬間を実践することへの決意を促進する一番重要なことなのです。

いままであなた達は十分な「けしかけ/促進」を得ていなかったのです。
しかし今あなたはそれを得ています。
今あなた達はより意欲的に自発的に聖なる瞬間を実践出来るように成っており、それがあなた達を大いに祝福するのです。



A Course In Miracles (reference pages)
Chapter 17 – Section: PERCEPTION AND THE TWO WORLDS
1 Sparkly Book – p.411 1st Full Par. / JCIM – p.172, 5th Par. / CIMS – p. 346, Par.40
Section: THE TWO PICTURES
First Edition – p. 336, 2nd Full Par. / Second Edition – p.361, Par.14

All of the activities of the Northwest Foundation for "A Course In Miracles" are provided without charge or obligation. This is possible because of thoughtfulness, love extended without conditions. Such is the nature of Gift. As a result these materials are available to you, because someone like you has already gifted you with them.

And, at Raj's instruction, these materials will never be sold.

If you would like to add your thoughtfulness and love, to gift others with the availability of these materials, you're invited to make a tax-deductible contribution
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both of which are shown below.


A Course in Miracles Study Group with Raj, June 18th 2011
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テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

ACIM11-06-18

2011年6月18日

特別な関係は邪悪なものなのです。 特別な関係の働きを一言で言い表せばそれは邪悪(Evil)です。
しかしあなた達は特別な関係を比較的穏やかに体験しています。 だからこれが邪悪なものだと考えることはあなた達には難しいのです。
華麗に飾り立てられた額縁を見ることは、この特別な関係の邪悪な働きを見ることを含んでいるのです。
特別な関係とは、あなたが何か(それは何でも可能なのです。物体とか兄弟とか姉妹とか)と関係を持っている時のことなのです。
しかし今回は兄弟姉妹との関係(人間関係)に焦点を絞りましょう。

物との関係は、人との関係ほど邪悪には成り得ないのです。
何故なら、あなたは自分の誤認識の中で物と繋がることは出来ないのです。
しかしあなたは自分の誤認識(誤解)の中で人と繋がることは出来るのです。
これがあなたと他者の関係をとても邪悪にしているのです。

特別な関係の中では神の子供達が自分達の意志によって「物事が何か/自分達がどのような者か」作り上げているのです。 こうして作り上げられているものが相互合意なのです。
あなた達はこの相互合意の中に自分達の意図を持ち込み、それに感情を入れ込んで相互合意をより頑強にしているのです。
(あなたが特別な関係を物との間に築いている時、意図と感情を使ってお互いと結び付き合うことは出来ません。)


相互合意に感情を入れ込んで「神が与えている意味とは無関係な意味」を何かに与えて、それを感情的決意で強化することが、神に対して無意識(無自覚)なマインド状態(マインドの枠組み)を作っているのです。
あなた達は自分達だけで全てのもの/ことに意味(定義)を与えて、「自分達だけで意味を与えたもの」の聖なる意味に対して無意識に成ることを感情を込めて決意したのです。
特別な対人関係が何にも増して邪悪なのは、特別な対人関係が(それに参加している人々に対して)自分達の源が何か思い出すことを全く出来なくさせてしまうからなのです。
特別な関係(特別な対人関係)は、人々を幻想体験の中に閉じ込めてしまおうとするのです。 
そして、あなたを「あなたの源」に対して無意識にしてしまおうとするものこそが「悪」なのです。
これが特別な関係の中で行なわれていることなのです。

このように言うことがあなたの助けに成るのでしょうか?
確かに助けになるのです。
何故なら、これを理解することは容易だから。少なくとも論理的にこれを理解することが可能だから。
そしてこの論理が正しいと証明されたなら、特別な関係に参加しなくなることがあなたに相応しいのです。

「自分達は唯の物理的身体的人間ではない」と認識出来るようになることを私はあなた達に勧めて来ました。
しかし物理的人間として知覚されているものは神の子なのです。
あなた達は全員スピリット(霊)で出来ており、物質から出来ているのではないのです。 だからあなた達は、神の法則に従っており、物理的法則によって統治されている訳ではないのです。
「現在のあなた達のマインドが許可していること(それがあなた達の探求を禁じているのです)を超えているものが認識出来るように成りなさい」と私は促して来ました。
しかし何人の人達が一日中父と繋がって、神の子としてのあなた自身を体験すること(それがあなた達の生得権なのです)を体験しているでしょうか?
{殆どの人達はまだそれが出来ていません。}
特別な関係がそれを不可能にしているのです。 それ程に特別な関係は破壊的なのです。
このことが、あなたが自分のマインドの中でどれだけ縛られているか、特別な関係から自分を解放することがどれだけ難しくなっているか、示しているのです。
このことを見て、特別な関係がどれだけ「あなたの求めているスピリチュアルな成長」を滞らせているか見てみなさい。
これを理解して、それを特別な関係を放棄する理由としなさい。
(神との繋がりをこのように滞らせてきた)あなたの孤児的マインドを放棄することが重要だと気づきなさい。
そう出来たなら、あなたはガイダンスを聞き始め感じ始め、聖なる瞬間の祝福を体験し始めるでしょう。

(あなた達が楽しんできた、少なくともまだ迅速に手放せてはいない)特別な関係や孤児的マインドを擁護する意味は全くありません。
神の聖なる息子よ娘よ、あなた達は私の兄弟姉妹であり、あなた達が現在体験しているよりも(あなたが自分に体験を許しているよりも)とても多くの「あなた」があるのです。

特別な関係の思考システムは「自分達の高尚な善良な努力と忍耐により、自分は自律した存在に成れる」という信念の周りに構成されているのです。
あなた達はこの信念を信じており、この不可能な信念を達成しようとする試みに自分達の感情と決意を与えているのです。

確かにあなた達は「これは不可能ではない」と教えられて来ました。
しかしあなた達がすでに最上に価値あるものであったなら、それ以上の価値を得ることが出来るでしょうか? そのようなことをする必要があるでしょうか?

(あなたが自分の指を上げる前に、あなたが自分の想像力を使う前に)あなたがもしすでに神性/知性(神の全ての性質)の最上の現われであったなら、より正しいより独立した存在としてより良くなることは不可能です。


あなたがすでに神の子であったなら、あなたは自分で考えているような惨めな必滅者(モータル)ではないので、どうにかして(自分自身を自分で抱え上げて)あなた自身を向上させることは不可能です。

(独立した自己を作り続ける)悲惨さ、惨めさ、そして(独立した存在として)何かを達成する方法、それらは絵(絵に描いた餅)なのだと私はあなた達に言っているのです。
こう言えば、私があなた達から何か重要なものを取り上げようとしているように見えるかもしれません。何か酷いことを教えられているように感じられるかもしれません。
これに参加したなら自分が終ってしまう、とあなたは思うかもしれません。
しかし下記の文章を読んでください。

[Be not deceived by the most superficial aspects of this thought system, for these aspects enclose the whole, complete in EVERY aspect. Death lies in this glittering gift.1 ]
[この思考システムの一番表面的要素に騙されるのは止めなさい。 何故なら、これらの要素はその中に各要素全体を完全に含んでいるのだから。死はこの輝くギフトの中に潜んでいます。 ]

酷い言葉ですね。

[Death lies in this glittering gift. Let not your gaze dwell on the hypnotic gleaming of the frame.]
[死はこの輝くギフトの中に潜んでいます。 この額縁の催眠的光に見入ってしまうのは止めなさい。]

この額縁はあなた達全員が一緒に想像し発達させて来たものなのです。
この額縁は「自分達が陥っている酷い状況を克服することが出来る」と言っている信念/思考/アイディアなのです。

そうして「リアルに成るために自分達に出来ること」としてあなた達が想像したものを達成する仕事に夢中に成ってしまうのです。 しかし額縁が作られる前からあなた達はすでにリアルだったのです。
そしてこの額縁の中の絵はあなたとは何の関係もないのです。この絵はあなたが克服しなくてはならないものではないのです。
あなたが手放さなくてはならないもの(絵)は本当は初めか実在していなかったのです。

[Look at the PICTURE, . .]
[絵を見据えなさい。]

あなた達が考え付いた壮大なアイディアではなく、あなた達の先輩達が考えあげたものではなく、(酷い状況として見えている)絵を見据えなさい。

[Look at the PICTURE, and realize that DEATH is offered you.]
[絵を見据えなさい。そして死があなたに提供されていることを理解しなさい。]

これより良い助言はありません。
勿論神の子が本当に死ぬことは出来ません。
だからあなたがどれだけこの(死の)アイディアを受け入れていたとしても、この不可能なアイディアが可能だと考えていたとしても、そうして自分自身を死に向かわせていたとしても、死は起こり得ないのです。

(目覚めない限り)あなたは多くの罪/病/死(そしてそれらに付随した全ての苦しみ)の体験をし続けます。 何故なら、神の聖なる娘よ息子よ、あなた達は気を失っているフリを続けることは出来ないからです。神の聖なる子供達がそのマインドを失い続けることは不可能なのです。
それを試すことは出来ても、それを達成することは出来ません。
そして痛み無くして、これ(気を失っているフリ)を試すことは出来ないのです。
これを試している限り、あなたの内なる正気が「あなたにはこれは出来ません。これは不可能です。あなたは何も達成していません。あなたは何もしていないにも関わらず、自分が何かをしていると考えています。」と言い続けるのです。

「自分には物事を達成する能力がある」とあなたは知っている(信じ切っている)のですが、あなたの正気は「{神と繋がっていない限り}あなたにはなにも達成することが出来ない」というクレージーなアイディアを示し続けるのです。
狂気のマインド内では、あなたの正気がクレージーに聞えるのです。
それは特別な関係に信心/決意を与えている限り、感情でもってその意図と決意を固めている限り、真理が聞えないからです。
何故なら、あなたが(額縁に織り込まれている)特別な関係だけに専念しており、額縁の中の酷い絵を無視するほど額縁の全てを尊んでいるからです。

だからこの絵に関するシンプルで意味深い真理を受け入れ、額縁を手放せるように成り、絵を見て「確かに、罪/病/死が私の人生の日々で行なわれている。死が私の頭の周りを回っており。それは年齢とは必ずしも関係ない。それは事故かもしれないし、怪我かもしれない。それは身体が不全になってしまうことかもしれない。」と(いう人生を受け入れてきた)ことが見られるように。
このようなもの(絵/考え)と生きるなんて!
{からかう調子で}しかしあなたは強い人なのです。あなたにはそれを耐え抜くことが出来るのです。それだけでなく、あなたにはイエスの言葉がついており、あなたの生命を守ってくれるのです。 
だから、あなたはイエスの言葉を使って困難を克服し、身体体験が物理的法則に従わないようにしようとします。
それは、物事全てがそのようであるべきだからではなく、あなたが神の力でもって(神の栄光のために)ネガティブな体験を自分に有利なものに変えることが出来るからです。
しかし(あなたがこれを試みている時)本当に起こっているのは、あなたが奇跡を体験していて「私は物理的物質的宇宙に住んでいる。私は物理的身体である。わたしは生き物なのだ。私は神とは全く関係がない。 私は神の完璧を体現している体験の中には居ない。 私は物理的体験をしている神聖なる存在なのだ」と言い続けていることなのです。
だからあなたはすでに奇跡を得ていて、しかしまだあなたの物理的身体的体験の中に閉じ込められているのです。
あなたはまだ(絵の悲惨さにも関わらず希望を与えているこの華麗な)額縁の中に織り込まれている定義や意味に捕われてしまっているのです。

この狂気が理解できますか?
もしこのような奇跡が生命に対する誤解からあなたを引き上げたとしても、自分はただの物理的生物にしか過ぎない(自分は身体的体験の中の神聖な存在なのだ)という信念からあなたが引き出されていなかったなら、あなたは未だにグルグル回り続けているだけなのです。 その時あなたはまだ罪/病/死のメリーゴーラウンドに乗り続けているのです。

そしてこれ(コース)はメリーゴーラウンドから降りるためのものなのです。
特別な関係(人間的体験/孤児院内の生活)を磨き上げるだけなら、聖なる関係をもつ必要などありません。
神はここであなた達をハッピーな孤児達にしようとしているのではないのです。
「これが私の愛する息子だ。これが私の愛する娘だ。 そして今ここにいるあなたに私はとても満足している。」と言うために神はいるのです。
あなたはこれを物質的世界/宇宙と呼んでいるけれども、あなたは私の聖なる子供で、あなたが物理的宇宙と呼んでいるものは(あなた達によって誤解/誤認識されている)天国なのです。
あなた達は天国に対する誤解(あなたは他の神の子と相互合意を交わしてこの誤解を作りそれを保持し続けています)に耽溺しているので、天国の99%はあなた達の注意/意識から外れているのです。
そして私はあなた達両者に「これを放棄しなさい。これを止めなさい。」と言いに来ているのです。
「私と繋がり、あなたの生得権を思い出しなさい。私と繋がり、あなたが誰か再発見しなさい。私と繋がり罪/病/死が失われた記憶になっていくのを見ていなさい。」

[The holy instant is a miniature of Heaven, sent you FROM Heaven.]
[聖なる瞬間は、天から送られてきた天国のミニチュア(縮図)です]

ミニチュア=小さな絵です。
聖なる瞬間を体験したいと決めて二つのステップを行なった時、あなたは思考を止めて静かになって思考の無い状態で、あなた達の惨めな限定された人生体験の周りを縁取っている偉大な額縁を挿入することなく、「父よ、精霊よ、ここの真理は何ですか? ここに現れている神の真理はなんですか?」と言うのです。
その時まず始めにあなたは静けさを体験します。
すると突然「惨めでネガティブな絵」を受け入れているあなたの意識から「豪華絢爛で金ぴかで複雑に入り組んだ額縁」が消えるのです。

その時あなたはそれら(絵や額縁)を捨てて、無(に見えるところ)から父と繋がろうとしているのです(意識的に孤立を放棄しているのです)。
この華麗な大きな額縁が(そして額縁が与えている意味や、全てを正しく保つ為にあなたが覚えていなくてはならないアレコレの全てが)無くなった「空虚に見える状態」の中に静けさがあるのです。 これを私は「妊娠している静けさ/発見の子宮/悟りの子宮」などと呼んできました。

その時あなたは自分の源と繋がろうと身を伸ばして(手を伸ばして)おり、(この額縁を作った時にあなた達が全てのものに与えた全定義を捨てて)真理がなにか知ろうと願っており、あなたは全てをより正しく見ることの邪魔をしておらず、ビジュアルな雑音や妨害電波は出していないのです。 そして、あなたが物質的世界と呼んできた全てのもの(テーブル/葉っぱ/手/兄弟姉妹)が正しく見えるようになるのです。 
大きな額縁とあなた達全員が合意している意味/定義が無くなれば、直接体験を邪魔するものはなくなるのです。 全てのものの神聖が直接体験出来るようになり、目覚めへの道があなたの前に与えられます。

[The holy instant is a miniature of Heaven, . .]
[聖なる瞬間は、...天国のミニチュアです]

これをあなたは初めのうち空虚として体験します。
静けさ、愛が現れ出てくる平和、そこから何の理由もなく喜びが沸き起こり出す無。
これらが、あなたの見ている(あなたが物質と呼んできた、あなた達全員がその意味を決めてきた)もの全てに対するあなたの知覚を照らし始めます。

[The holy instant is a miniature of Heaven, sent you FROM Heaven.]
[聖なる瞬間は、天国からあなたに贈られて来た天国のミニチュア(小型版)です。]

[It is a picture, too, set in a frame.]
[これもまた額縁に入った絵なのです。]

この絵とは聖なる瞬間のことです。
この絵はどのような額縁の中に入っているのでしょうか?
この絵は、あなたの物事に対する現在の知覚/認識の枠の中に据えられているのです。
あなたが華麗な額縁と「それに対する全ての相互合意」から(新しい絵/聖なる瞬間へ)注意をシフトしている時、あなたはまだあたかも時間の中にいる存在が自分の注意を一つのものから他のものに移しているかのようにそれを行っているのです。
特別な関係の重い枠組みに見入っている時、あなたは確かに時間に縛られている生き物なのです。
しかし時間が放棄されている聖なる瞬間の中にあなたがシフトした時、それはまだ時間の枠組みの中でなされるのです。 何故なら、あなたはこの枠組み(時間)の中でこのシフトを行なうのだから。
あなたが孤立から繋がることへのシフトを行っている時も、あなたは自身を時間の中にいるものとして知覚し続けています。

だから、
[It is a picture, too, set in a frame.]
[これもまた額縁に入った絵なのです。]

聖なる瞬間は額縁(枠組み)の中に嵌め込まれていますが、そこに長くは留まりません。 しかしあなたは枠組みの中から見て探しているので、これは枠組みの中に入っているのです(少なくとも初めの内は)。 あなたは枠組みの中から枠組みを手放し始めるのです。

だから、
[It is a picture, too, set in a frame. Yet if you accept THIS gift, you will not see the frame at all, because the gift can only be accepted through your willingness to focus ALL your attention on the PICTURE. ]
[これもまた額縁に入った絵なのです。しかしあなたがこのギフトを受け入れる場合、あなたは全く額縁は見ません。何故なら、このギフトは、自分の注意を全て絵だけに当てるあなたの意欲によって初めて受け入れられるものだから。]

このギフトとは、聖なる瞬間の中に抱擁されている絵のことです。
この絵はどのようなものなのでしょう?
この絵は空なのです。
この空っぽの絵の中に向かってあなたは「父よ、ここの真理は何ですか?」と訊ねるのです。
この空っぽの絵は、全てで、無限で、「全てが本当は何か」全く隠していない無限と永遠の無物質性なのです。
だからあなたはこの空っぽの絵を見て、それ自体がそれ自身を(あなたの意図ではなく)それ自身の意図で現れ出して来る真実を{自分の意志として}受け入れるのです。

これは全く新しい意志/意図の表現なのです。
これはゲットするための意志ではなく、自分のために何かを作る意志ではなく、父があなたにリアルなものを(何がリアルか)示させる意志なのです。
リアリティを、創造の全てのその無限の意味を、あなたに伝えさせる意図なのです。

[Yet if you accept THIS gift, you will not see the frame at all, . .]
[しかしあなたがこのギフトを受け取る場合、あなたは全く額縁は見ません。]

時間はあなたの前から消えるのです。
あなたの注意は時間には引き付けられなくなり、時間があなたを定義するものでは無くなるのです。
何故なら、あなたは「リアル」な新しい体験(リアルなものの真の体験)の中に取り入れられるのだから。
そして、あなたが以前は時間感覚の中からこれら全てを眺めていたことは忘れられてしまいます。 何故なら真理の体験の方がより意味深いのだから。

[The holy instant is a miniature of eternity. It is a picture of timelessness, set in a frame of time. ]
[聖なる瞬間は永遠のミニチュアなのです。 これは時間の枠組みの中に据えられた無時間性の絵なのです。]

これは、現在あなたが全てを(あたかも時間に縛られている生き物であるかのように)体験する方法の中に据えられた、しかし時間にとらわれていない絵を表しているのです。

[If you focus on the picture, you will realize that it was only the frame that made you think it WAS a picture. Without the frame, the picture is seen as what it REPRESENTS. ]
[あなたが絵に意識を集中したなら、額縁だけが「これを絵だとあなたに考えさせていたこと」がわかります。額縁なしなら、絵は「それが表明しているものそのもの」として見られるのです。]

つまり、「父よ、ここの真理は何ですか?」とあなたが言った故にこれが真理を表している絵だとあなたが考えたなら、そして真理があなたの上に描かれた時あなたの上に描かれたものが真理の絵だと考えたなら、それは実際には真理そのものであって「真理を表明(表現)しているもの」ではないとすぐわかるでしょう。
神/創造の意味深さが、それ全てに関与しているあなたの役割が、あなたの上に全て本当に描かれるのです。 それはリアリティのアイディア(象徴)としてあなたの上に描かれるのではなく、リアリティそのものがあなたの上に描かれるのです。

[If you focus on the picture, you will realize that it was only the frame that made you think it WAS a picture. Without the frame, the picture is seen as what it REPRESENTS. ]
[あなたが絵に意識を集中したなら、額縁だけが「これを絵だとあなたに考えさせていたこと」がわかります。額縁なしなら、絵は「それが表明しているものそのもの」として見られるのです。]

あなたが精霊(啓示体験に)に集中したなら、
「絵が表しているもの」つまり「真理そのもの」が見えるようになるのです。

[For] as the whole thought system of the ego lies in its gifts, so the whole of Heaven lies in this instant, borrowed from eternity, and set in time for you.]
[何故なら、エゴの思考システム全体はそのギフトに依存しており、天国全ては(永遠から借り受けられ、あなたの為に時間の中に設定されている)この瞬間に掛かっているのだから。]

エゴの思考システムとは、素晴らしい額縁に縁取られた特別な関係の絵のことです。
そのギフトとは(特別な関係が与えている)額縁の中の絵のことです。
つまり、あなたが身を伸ばして真理を知りたいと訊ねた時、真理が来てあなたを迎えるのです。
それは父が放蕩息子を迎えるようなもので、あなたは家の中で迎えられるのではなく、外で荒野で真理/父を求めているあなたがいるその場所であなたは歓迎されるのです。

[For] as the whole thought system of the ego lies in its gifts, so the whole of Heaven lies in this instant, . .]
[何故なら、エゴの思考システム全体はそのギフトに依存しており、天国全ては...この瞬間に掛かっているのだから。]

天国のミニチュアである聖なる瞬間に掛かっているのだから。
これが良き知らせなのです。
しかし特別な関係の一部があなたにとって大切である限り、あなたはそれを完全には手放さず、あなたは真理を受け入れないのです。 あなたは「あなたを完全に自由にするもの」を抱擁しないのです。
「あなたの人生にその全ての意味を与えている額縁」の中の絵に関して考え続けてその意味を汲み取ろうとするのは止めなければいけないのです。 何故なら、枠組みは絵の中の糞(惨めな状況)がウソで(一過性のもので)、あなたは自分の努力でそれを向上させることが出来ると言っているのだから。
これ(あなたは自分の努力で状況を向上させることが出来る)がウソなのです。

この絵はあなたに関するウソなのです。
華麗な額縁の真ん中に掲げられている絵は、あなたに関するウソなのです。
あなたは「父よ、私はウソを捨てられます。父よ、私はあなたの名前をもう一度呼びたいのです。」と言うべきなのです。
「父よ、私はあなたを私の体験の中に取り戻したいのです。 何故なら、神の子としての私の意味をあなたが私に与えていることを私は知っており、それ以外の何者もその意味を私に与えては居ないことを私は知っているのだから。
私と一緒に孤児院の中で眠っている神の子達の全てを合わせても、わたし達を神の子にすることは出来ないのです(わたし達はすでに神の子なのだから)。
決意と感情を使ってわたし達が自分達を持ち上げよう作り上げようとしている努力の全てが、わたし達を孤児院に閉じ込めているのです。 誰かが(精霊が)何とかして孤児院の中に入って来て、わたし達の注意を引けるようになるまで(わたし達はここに閉じこまれ続けてしまうのです)。」
そういう訳なのです。 これはあなたを喜びで満たしませんか?

[Two gifts are offered you. ]
[二つのギフトがあなたに与えられています。]

二つの見方があることに関してわたし達は以前話しました。
正しい見方と間違った見方です。 無限の見方と限定的な見方です。
生得権(父から受け継いでいるもの)を持った神の聖なる子供として存在するか、
あるいは源を持っていない孤児が闘争(争い)の中に自分が存在していることを発見して、自分にはバイタリティーとエネルギーとマインドがあるのでそのような闘争に対応する能力があると考えるか(何故なら、目的もなく存在するなんてそんな過激に馬鹿なことが起こるわけはないから)。
このようなアイディアから得られる自由がどのようなものか理解し、それを笑えるようになるべきなのです。
こうしてあなたはこのアイディア(自由意志)を放棄する方法を得るのです。

[Two gifts are offered you. Each is complete, and cannot be partially accepted. Each is a picture of all that you can have, is a picture of all that you can have, seen VERY differently. ]
[二つのギフトがあなたに与えられています。両方とも完成した一つのものなので、部分的にそれらを受け取ることは不可能です。 両方とも「あなたの得られる全て」の絵なのですが、それらは全く違う風に見えているのです。]

それぞれの絵は全く異なっているのです。 一つの絵の中ではあなた達は孤児で孤児の所持品の全てをあなた達は持っています。 しかし孤児は王家の生得権(王位継承権)は持てないのです。
孤児には、永遠の全知遍在の愛の生命の源を受け継ぐ生得権は持てないのです。
孤児は孤児が持つべきもの全てを得られるのです。しかし実存してはいても孤児には持てないものもあるのです。 これは全ての孤児のために存在しているものなのですが(何故なら本当の孤児など一人も存在してはいないのだから)、孤児である限りそれは得られないのです。

[Each is a picture of all that you can have, seen VERY differently. You cannot compare their value by comparing a picture to a frame. ]
[両方とも「あなたの得られる全て」の絵なのですが、それらは全く違う風に見えているのです。 絵と額縁を比較することによって、それらの価値を比較することは出来ないのです。]

神聖の絵と(孤児が得られる全ての知性と認証と成功の可能性を表現している)華麗な額縁を比較することは出来ないのです。
わかりますか? 
額縁から絵を取り外して、入れ替えることは出来ないのです。

[It must be the pictures only that you compare, or the comparison is wholly without meaning. ]
[あなたは絵と絵を比較しなくてはいけません。そうでなければ比較には全く意味がないのです。]

だからあなたがするべきは惨めな絵と「本当は全く絵ではないもの」を比較することなのです。 「本当は全く絵ではないもの」とは(あなたが自分の神聖/神/生得権を体験しないよう使っている防御を手放してリアリティを自分の中に受け入れた時起こる)リアリティの実体験なのです。

[Remember that it is the picture that is the gift.]
[絵がギフトであることを覚えておきなさい。]

人がその兄弟と繋がって「お父さんがなんと言おうと、わたし達は自分達の思考の方を大切にしたいです。」といっている時与えられているギフトが惨めな絵なのです。

[Remember that it is the picture that is the gift. And only on this basis are you REALLY free to choose. Look at the pictures. ]
[絵がギフトであることを覚えておきなさい。この観点からだけ、あなたは本当に自由に選ぶことが出来るのです。 絵を見なさい。]

額縁を見るのではないのです。

[Look at the pictures. BOTH of them.]
[絵を見なさい。両方の絵を見比べなさい。]

正直になって、(物事を考え続けてあなたを目覚めさせることを無視してしまう)「ポジティブシンキング」の性癖を手放すことを私は勧めているのです。
(惨めさから抜け出るための「これまでとは違った方法」が示されている今)あなた達が行なって来たことは上手く働いて来なかったという明確な評価を見る必要があるのです。

[One is a tiny picture, hard to see at all beneath the heavy shadows of its enormous and disproportionate enclosure. ]
[一つは小さな絵で、不似合いに大きな額縁の暗い影によって見え難くなっています。]


[一つは小さな絵で、]
この絵の中に示されているのはそれ程多くの惨めさではなく、非常に多くの酷さでもないのです。
これは巨大な額縁の中の小さな絵で、その額縁にはあなた達のプライド/傲岸が示されており。 額縁の中であなた達は繋がって自分達の無知を尊んでおり、それをより複雑なものにし続けているのです。

私はあなたを裁いているのでは無く、あなは自分を裁くべきでもありません。
しかしあなた達が無知故に無知を使用しており、それが上手く働いてはいないことを見ることは非常に役に立つのです。
「それは上手く働いていないよ!」と誰かが言っていることに関して神に感謝を捧げるべきなのです。 それを聞いてあなたが「成る程、私の人生の中で(そして全ての人々の人生の中で)罪/病/死が繰り返され続けている。何かが上手く行っていない。どうしたら上手く行くのか私は知りたい。私はまだしたことがないことをしてみよう。」言えるように。
これが(わたし達が話してきた)正直に真摯に見ることの大いなる利益なのです。

[One is a tiny picture, hard to see at all beneath the heavy shadows of its enormous and disproportionate enclosure. The other is lightly framed and hung in light, lovely to look upon for what it IS.]
[一つは小さな絵で、不似合いに大きな額縁の暗い影によって見え難くなっています。もう一つの絵は、軽い額縁に入れられており、光の中に掲げられています。それそのものを見たなら、それは愛らしいものです。]

重い額縁の中の絵は、それそのものを見た場合愛らしくはないのです。それを目立たなくするために、大きな額縁の中にこの絵が入っているのです。
しかし軽い額縁の中の絵は愛らしいのです。

[You who have tried so hard, and are STILL trying, to fit the better picture into the wrong frame . . .]
[あなた達は非常に努力してより良い絵を間違った額縁に取り付けようとして来ており、そうしようとし続けているのです。]

わかりますか?
「(あなたを重要にリアルに有効にするために必要な全てを持っている)額縁の中に永遠の絵が据えられている。」
これが間違いなのです。
自分を重要に感じさせようとしている者は、自分自身が重要ではないと知っているのです。

だからこの額縁を作るために多くの努力が払われているのです。
しかし孤児としてのあなたは重要ではなく、重要に成ることは出来ないのです。
しかし自分のことを孤児だと考えているあなたは実際には孤児ではないのです。
そしてあなたの生得権(持って生まれた当然の権利/父のものを受け継ぐ権利)があなたを待っているのです。

しかしあなたは、他者へのコミットメントを、あなた達自身で作り上げてきた意味をお互いに信じ続ける義務を、放棄しなくてはいけないのです。
あなたが特別な関係を尊ぶことを止めて、感情を使って特別な関係へのコミットメント(信心/決意)を硬くしていない状態になれば、あなたをメクラにし続けるものは全て無くなるのです。 あなたの父が誰か見えなくしているものは、あなたとそして全ての真理が何か見えなくしているものは、消えて無くなるのです。

[You who have tried so hard, and are STILL trying, to fit the better picture into the wrong frame and so combine what cannot BE combined, accept this and be glad: These pictures are each framed perfectly for what they represent. One is framed to be out of focus, and not seen. The other is framed for perfect clarity. The picture of darkness and of death grows less convincing as you search it out amid its wrappings. ]
[あなたは、良い方の絵を間違った額縁の中に入れようとして、一緒に出来ないものを一緒にしようとして、とても頑張って来ました。そして今でも頑張っているのです。このこと(これが理解できたこと)を受け入れて喜びなさい。それぞれの絵は、「その絵が表しているもの」にパーフェクトに相応しい額縁の中に入れられています。 一つの絵はピンボケになるように、見えないように額縁の中に入れられており、もう一つの絵はクリアに見えるように額縁に入れられています。 暗闇と死の絵は、あなたが額縁の中のそれに手を伸ばした時、その輝きを失います。]

華麗な額縁の装飾の中にあるその絵にあなたが手を伸ばしたとき、

[As each senseless stone which seems to shine in darkness from the frame is exposed to light, it becomes dull and lifeless, and ceases to distract you from the picture. ]
[額縁の影の中で輝いているそれぞれの無駄な石が光に晒されれば、それは鈍く生気を無くして見え出し、あなたの注意を絵から逸らさなくなります。]

私の意図は、あなたが額縁に惑わされずに絵を見れるようにすることです。

[And finally, you look upon the picture itself, seeing at last that, unprotected by the frame, it HAS no meaning.]
[そして最後にあなたは絵そのものを見ます。額縁に守られていないそれが無意味であると、やっとわかるのです。]

あなたが弱っている時、何かを見てそれが良いものに見えなかったなら、あなたは憂鬱に成ってしまうことが多々あるでしょう。 何故だかわかりますか?
何故なら、その時あなたが見ていたものの中に意味が表されていなかったからあなたは憂鬱に成ってしまったのです。
あなたが体験している何かに意味が無いことは、それは惨めな体験なのです。

しかしそのような場合、あなた達はすぐ働き馬のポジティブシンキングを使い出し、働き馬を鞭打ってそれを動かそうとするのです。
しかしそれは駄馬なので、必ずしもあなたの思うとおりには動かず、あなたはもう暫く惨めなままなのです。
あるいはこの馬は直ぐに鞭に反応して動き出し、あなたは「おお、やはり神はいるのだ! 人生捨てたものではないな。私はコントロール出来るのだ。」と言うのです。
そうしてあなたは長年使ってきたこの働き馬(ポジティブシンキング)を今まで通り使い続け、これが時々は働くけれど、殆どの場合これが動かないことを無視してしまうのです。
「これはまた動いた。これが動くと私は信じていたんだ! これがまた動くまで鞭で叩き続けるぞ。この働き馬(思考)から降りる訳にはいかない。私はこうして生きて来たのだから。人はこのように生きるべきなのだ。」というわけです。

これがどれだけ馬鹿か気付いて、私と一緒に笑いなさい。
これは余りに馬鹿げているので、あなたはこれ(思考)を放棄して、それでもあなたの周りの世界が崩壊しないことを期待出来るのです。
あなたは、あなたが今まで惨めな絵を見ていた場所にリアリティが現れることを期待出来るのです。これが期待出来るのです。
リスクを取ってこれを発見するよう、私はあなた達を勇気付けているのです。

あなたがチャンスを生かしてこのリスクを犯したなら、万一あなたが間違ってしまったとしても、ただ罪/病/死が今まで通り繰り返され続けるだけではないですか?
あなたはそのような状態を良く見知っており、それに対処してきました。
だから少しはリスクを取って、少し楽しんでみなさい。

この先は来週のお楽しみにしましょう。
わたし達は(軽い額縁の中の)もう一つの絵に関する楽しい話に移ります。
あなたは今憂鬱ではなく落ち着いているから。厳粛だから。
来週まであなたの落ち着きの中に留まってください。わたし達が今晩話したこと(天国/地獄)を考慮しながら。

しかし来週まで待つ必要は無いかも知れません。
10分後には(パチン)あなたは目覚めている(かも)。
それを体験しているのがあなたの生得権である明晰をあなたは持っています。
何故なら、あなたは特別な関係の酷さ/シリアスさを明確に見て、そして(特別な関係の内実を知ることを)少しは楽しんだのだから。

I love every single one of you. And I look forward to be with the new you next week.

A Course In Miracles (reference pages)
Chapter 17 – Section: PERCEPTION AND THE TWO WORLDS
1 Sparkly Book – p.410 1st Par. / JCIM – p.172, 2nd Par. / CIMS – p. 345, Par.37
Section: THE TWO PICTURES
First Edition – p. 335, Last Full Par. / Second Edition – p.360, Par.11

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テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

ACIM11-06-12

2011年6月12日


ポールは各スタディーグループの前に祈りをあげています。
下記の言葉が、その最後の部分です。

“ . . . and may Thy Word enrich the affections of all mankind and govern them.”
「そしてあなたの言葉が全人類の愛情を豊かにし彼らを統治しますように。」

さて私が先週「ポジティブシンキングなどを使わずにあなた達が自分達の生活を正直に見てみたなら、それはあまりハッピーなものではない筈です。」と言っていたので、あなたは私が上記の祈りに相応しいことを言っていないと思われたかもしれません。
私は、何世代にも亘って人々が私の言葉を聖書を学んで来たのにまだ罪/病/死があることを正直に見てみるように言いました。
どれだけポジティブシンキングを使っても、どれだけ沢山の言葉を自分達の生活の中で使っても、時たま起こる奇跡を除外すれば、まだ罪/病/死が起こっているように見えます。
それらがまだ存在を統治している法則に見えます。 全ての人達がこの法則によって縛られているように見えます。 罪/病気/病を逃れられている人はいないようです。


このようなことにあなた達の真摯な注意を与えることが何故重要なのでしょうか?

これがどうして「あなた達の愛情が私の神の精霊の言葉によって豊かになること」なのでしょうか?

“and may Thy Word enrich the affections of all mankind and govern them.”
「そしてあなたの言葉が全人類の愛情を豊かにし彼らを統治しますように。」

しかし私はたった今「罪/病/死が基本的に人を統治している法に見える」と言いましたね?
これら罪/病/死は確かに愛情を豊かにしてはいませんね?

いいですか、罪/病/死は一定のコンテキスト(文脈、ストーリー)の中で発生しているのです。
それらは特定のエリア(場所)で起こっているのです。
それらは特定のマインドセット(マインド状態、マインドの枠組み)で起こっているのです。

それらは独立のコンテキスト(ストーリ)上に発生しているのです。
それらは(あなた達に達成出来ると間違って約束されている)独立の為の、独立の働きの、独立の希望の、コンテキスト(ストーリー)に現れているのです。
あなたがピノキオのようにリアルな子供に成ることを約束している独立的立場、実際に独立した存在に成ることに成功している状態を約束している独立的立場、を受け入れている時に罪/病/死が現れてあなた達を統治しているように見えるのです。
わたし達は多くの時間を使って文章を読んだり、特別な関係に関して話して来ましたが、どれだけの人が「特別な関係とは防御である」とハッキリ認識出来ているでしょうか。

何人の人が「特別な関係とは何ですか?」と聞かれた時「それは防御です」と即答出来るでしょうか?

特別な関係は何に対して防御しようとしているのでしょうか?
それは神に対する意識的気付きへの防御なのです。
そしてそれは、あなたの生得権(本来の性質)に対する防御であり、神の直接表現としてのあなたの存在に対する防御なのです。
それはあなたがクリアな正直なリアルな自己知覚/自己認識/自己評価を得ることに対する防御なのです。

特別な関係はこれ(自己認識)に対する防御なので、それはあなたに忘却をもたらし、自分が誰か思い出せなくしてしまい、自分が誰か知らなくしてしまい、無から自己感覚を作らなくてはならないポジジョンにあなたを据えてしまうのです。

無から自己のアイデンティティ感覚を作り上げるというこの行為は、あなた達がある時点で行なったある意識的行為の結果なのです。
その意識的行為とは、(一番初めにあなた達が行った)神(あなた達の源)からの分離です。 その時あなた達は自分達の源との意識的繋がりを失ったのです。

あなた達はどのようにしてこれを行なったのでしょう? 
あなた達はどのようにして父から離縁を得たのでしょう? どのようにして神から分離したのでしょう?

ただ「父よ、私は自分のやり方で見たいです。 父よ、私のやり方でしたいです。 父よ、自分であれが何かこれが何か決めたいです」とだけ言って分離が行なわれたのではないのです。
あなたは単にこう言っただけではないのです。
確かにあなたはこう言ったのです。 
ただしあなたは他の人達と一緒にこれを(分離を宣言)したのです。

あなたは他の神の子の手を取って一緒に「相互合意を確立することにより物事を自分のやり方で見る」誓いを立てたのです。
これを覚えておきなさい。本の中の下記の文を読んだとき、

[You have but little difficulty now in realizing that the thought system which the special relationship protects is but a system of delusions. You recognize, at least in general terms, that the ego is insane.]
[あなたは特別な関係が防御している思考システムは幻想のシステムだと理解出来るように成って来ています。あなたは少なくとも「エゴが狂気だ」と大まかに理解出来るように成って来ています。]

この防御が「偽者の自己アイデンティティを守ろうとすること」だと理解出来るように。

わたし達はこれを繰り返し言ってきました。
そしてあなた達は少なくとも頭では「エゴが狂気だ」と理解出来ています。

どのようにすればこれ(エゴの狂気)から解放されるか話して来たので、あなたは勇気を持ってこれを見ることが出来るのように成って来ています。 これを見てもあなたは自分のことを有罪とは感じなくなっており、体験したくないものをよりクリアに見て、それを放棄するために(それから解放されるために)必要なことが出来るように成ってきています。


[You recognize, at least in general terms, that the ego is insane. Yet the special relationship still seems to you somehow to be “different.”]
[あなたは、少なくとも「エゴが狂気だ」と大まかに理解出来るように成って来ています。 しかしあなたにとって特別な関係はまだ何か「違うもの」に見えているのです。]

つまりまだ特別な関係が狂気でないものに見えているのです。

[. . . the special relationship still seems to you somehow to be “different.” Yet we have looked at it far closer . .]
[特別な関係はまだ何か「違うもの」に見えているのです。しかしわたし達はそれをより明細に見てみました。]


[. . . we have looked at it far closer than at many other aspects the ego’s thought system which you have been more willing to let go. While this one remains, you will NOT let the others go. For this one is NOT different. Retain this one, and you HAVE retained the whole.]
[わたし達はそれ(特別な関係)を、より容易に手放すことの出来る(その他の)エゴの思考システムよりもより明細に説明して来ました。
これ(特別な関係)が残っている限り、あなたは他のもの{他の幻想}を手放そうとはしません。何故なら、これも他のものと違わないのだから。 だから、これ(特別な関係)を保ち続けたなら、あなたは全て(の幻想)を持ち続けているのです。]

あなた達全員は、特別であるためには特別な関係を必要としているのです。
それは何故でしょう。
あなたは他の神の子の手を取って、自分達で決めたように全てを見る誓い、自分達で決めたように物事を定義する誓い、自分達が物事に定義/意味/相互合意を与える認証者に成る誓いを立てたのです。 
その相互合意は、どのように地球が廻っているか、どのように世界が動いているか、どのように社会が機能しているか定義しているのです。

それは全てを内包している定義なのです。
そのようにして手を取り合って、あなたの父を無視する(創造の行為が引き起こしている意味を無視する)誓いを一緒に立てて、全ての面で独立することを意図したのです。
これが違い(特別)をもたらしているのです。
あなたは、物と、アートと、木と、土地と、ペットと、あらゆるものと、特別な関係を持つことが出来るようになっているのです。

もう一度訊ねましょう。 特別な関係とは何ですか?
特別な関係とは、神がいない所であなた達が持っている関係のことです。
特定の人/物が持っている神聖を全く認識することなく、その人/物と関係を築くことが特別な関係なのです。

その人/物を神聖にしているのは、その人/物の源なのです。
この源が(あなたが関係を持っている)この人/物を神聖にし完璧にしそれを愛で満たしているのです。
そして(あなたが関係を持っている)この人/物の役割の一部は、あなたを(そして全て)をその愛で抱擁する(包む)ことなのです。

ここでの要点は、人(物)との特別な関係は、あなたがその人(その物)の神聖/愛を全く体験せずに、その人(その物)に対してあなたが与えている定義以外のものに対しては全く好奇心を持たずに、相互合意だけに基づいているものだということです。

さてあなたが人と築いている特別な関係は、あなたが物と築いている特別な関係とは少し異なっています。
何故なら、物はあなたと合意はしないから。 物は(その物に対するあなたの誤解/誤認識に関する)相互合意の中であなたと繋がることはないから。
だから物があなたの想像上のあなた自身を強化することはありません。


しかし他者との特別な関係の中で、あなた達はお互いの幻想を育てることが出来るのです。
これが「人との特別な関係」をより特別にしているのです。
そして幻想を育てることを怠った場合お互いを罰するのです。
このようにしてあなたは自分には物事が良くコントロール出来ているように感じるのです。
自分のことを影響力のある有力者/責任者だと感じるのです。

しかしそれ以上に特別な関係を特別にしているのは、特別な関係があなたを神に対して無意識にしていることなのです。
特別な関係は、自身の神性に対してあなたを全く無意識にして、それに気付けなくしてしまうのです。 特別な関係は、あなたに自分の全能を体験出来なくしてしまうのです。
あなたの全能とは、あなたは不死身で、「あなたは神があなたとして創ったものから変りようがない」だから永遠に安全で、だから不安や怖れや心配を体験することが決してない、という感覚なのです。
つまり、あなたはパーフェクトな平和の状態におり、そこから自動的に無限の喜びが沸き起こっているのです。(これがあなたの全能、あなたの神性なのです。)

しかし特別な関係そのものが、あなたの全能/神性を不聖にしており、それを不健康にしているのです。
だから、あなたにとってとても特別で大切に思えているものが、あなたをとても悪意に満ちた方法で欺いているのです。
だからあなたがそれ(特別な関係)を寛容や親しみを持って見ていたなら、あなたはそれに縛られてしまい、あなたが誰かわからなく成ってしまい、つまり狂気を体験するのです。

さて、物事がより良くなってはいない(世界が進歩していない)ことに関して、私は先週厳しく指摘しました。

しかしあなた達は、「状況はより良くなっています。だって、そこここに現れている進歩を見て御覧なさい。 世界はより良く成ってきているのです。」と言っています。
ええ、そうですね。 それが約束されているもので、それがウソなのです。 それを見てみましょう。

特別な関係という防御は「あなたが誰か」あなたが知ることに対する防御(妨害)なのです。
しかし、それは「あなたが誰か知ること」に対する防御であるだけではなく、「あなたが何か」に対する異なった(間違った)定義を与えているものなのです。
これは危険なもので、これに幻惑されないことが大切なのです。これから自由になることが大切なのです。

[. . . the special relationship still seems to you somehow to be “different.”]
[特別な関係はまだ何か「違うもの」に見えているのです。]

しかしそうではないのです。
物事は(将来は/事態は)より良くなるという約束が、物凄く長い期間物事が良く成ってこなかった事実をあなたから覆い隠しているのです。
それら(特別な関係)は「事実に注意を払うのは止しなさい。明白なものに注意を払うのは止しなさい。あなたには能力があることに注意を払いなさい。 あなたの中には新しい状況を考え作る能力があるのです。」と言っているのです。
これらの約束が、あなた達の間のこれらの合意が、あなた達を約束に縛りつけ、あなた達には出来ないことをやらせ続けようとしてしまうのです。
そうすることにより、特別な関係のもたらす効果にあなたが注意を払わないようにさせるのです。 この長く続いて来ている効果とは罪/病/死が繰り返し繰り返し相変わらず繰り返され続けて行くことなのです。 わかりますか?

何故なら、あなた達は事実を見ていないから。
(自分達の)ポジティブ思考が何をしているのかあなた達はウソ見抜いていないから。
あなた達は自分達の持っている創造性を見ていたいのです。を見ていたいのです。
自分一人の努力と他者の合意やサポートにより自分だけのリアルな存在に成れるというのがウソなのです。 これがウソなのです。
このウソの防御は、あなたがそれウソを正面から見据えないようにしており、だからあなた達は「これは望ましくないことだ。だからわたし達は創造的思考と論理を使って自分達の解決策を作ろう」と言ってしまっているのです。
このようにしてウソがウソの上に重ねられるのです。これが特別な関係の性質です。

[. . . the special relationship still seems to you somehow to be "different." Yet we have looked at it far closer than at many other aspects of the ego's thought system which you have been more willing to let go. While this one remains, you will NOT let the others go. For this one is NOT different. Retain this one, and you HAVE retained the whole.]
[特別な関係はまだ何か「違うもの」に見えているのです。わたし達はそれ(特別な関係)を、あなたがより容易に手放すことの出来る(その他の)エゴの思考システムよりもより明細に説明して来ました。これ(特別な関係)が残っている限り、あなたは他のもの{他の幻想}を手放そうとはしません。何故なら、これも{他のものと}違わないのだから。 だから、これ(特別な関係)を保ち続けたなら、あなたは全て(の幻想)を持ち続けているのです。]

あなたが(「あなたが誰か」に対する、そしてあなたの源に対する、無意識を作ってしまっている)特別な関係を保てば、あなたの他の防御もそのまま残ってしまいます。
特別な関係を持ち続ければ、あなたは自分の父と繋がらず、だからあなたの正気とも繋がらないのです。
つまり自分で手放したと思っていたものに対して、あなたはまだ無知で、あなたはまだ無意識なのです。
その場合、本当は何もまだ手放されていないのです。
これは白黒ハッキリしたシンプルなことです。
これを見据えることを怖れないで下さい。


[It is essential to realize that all defenses DO what they would DEFEND.]
[全ての防御は「それらが防御しようとしていること」を行なっていると理解する必要があるのです。]

特別な関係はウソを使ってウソを守っているのです。
「ええ、あなたは自分を何かリアルなものにすることが出来るのです。自分自身を広げていくことが生命の性質です。 自分自身を開発していくことが生命の本質なのです。」 (というようなウソです。)
「何故って、わたし達は単細胞動物から始まっているのだから。 それからより複雑な生物に成り、そしてサルに、そして人に。 御覧なさい、生命とは進歩して進化して、それ自身を向上させ続けていくものなのです。 生命とはそのようなものなのです。」
もしかしたらあなたは、それを後一億年信じ続けられるかもしれません。
しかしそれでは目覚められません、それでは自分の正気の中に戻っていけません。
そのようになっているのです。(そう信じ続けていては、目覚められないようになっているのです。)
そのような(自己向上を信じ続けてしまう)思考/信念システムの中にあなた達を閉じ込めてしまっているものを、わたし達は解除しようとしているのです。

[It is essential to realize that all defenses DO what they would DEFEND. The underlying basis for their effectiveness is that they OFFER what they defend.]
[全ての防御は「それらが防御しようとしていること」を行なっていると理解する必要があるのです。 それら(防御)の有効性の隠れた基盤は、それら(特別な関係=防御)が「それらが守っているもの」を提供していることから来ているのです。]

だから それらはウソを守っており、ウソを提供する/分け与えることにより(ウソの上にウソを重ねて)ウソを守っているのです。 あなた達はこれに関して良くわかっています。
「ウソを真実として理解し、ウソを使ってウソを防御することは」あなた達にとっては自然ではないのです。 これを理解してください。
私はあなた達にもっと自然な体験をして欲しいのです。
あなたの神聖の基盤から「あなたであるもの」の自然な体験をして欲しいのです。
何故なら、あなたと私は、あなたと目覚めている兄弟姉妹の全員は、あなたが決心して努力するまで、自制心を働かせるまで、今までと違う振舞いを行なうまで、実際に二つのステップをするまで、わたし達兄弟姉妹の共同体をエンジョイすることは出来ないのだから。


[The underlying basis for their effectiveness is that they OFFER what they defend. What they defend is placed IN them for safe-keeping, and as they operate, they BRING it to you. Every defense operates by giving gifts, and the gift is ALWAYS a miniature of the thought system the defense protects, set in a golden frame.]
[それら(防御)の有効性の隠れた基盤は、それら(特別な関係)が「それらが守っているもの」を提供していることから来ているのです。 それら(防御=ウソ)が防御ししているものは、それらの中で安泰に守られています。 それら(防御)が働く度に、それ(ウソ)をあなたに与えます。 全ての防御はギフトを与えることにより働くのです。 そのギフトは常に、その防御が守っている(黄金の額縁に据えられている)思考システムのミニチュア(小型バージョン)なのです。]

今回わたし達は、特別な関係が防御であることから話し始めました。
特別な関係をそれそのものとして見てみたなら、それは悲惨なものなのです。
それの実際を真摯に見つめたなら、それが楽しくない体験であることにあなたは気付くでしょう。
それが楽しくない体験なのは、それがあなたの真理ではないからです。
それはあなたの人工的な間違ったバージョン(絵)なのです。 あなたがそれを信じたなら、それはあなたを不幸にするでしょう。 それはあなたを自分の中で落ち着かなくするでしょう。

すると、あなたのすることは全て「自分自身に対する違和感」と「自分の違和感を解消しようとして物事をコントロールする欲求」から発生するように成るのです。

しかし物事を操りコントロールすることから自分の平静を得ることは決して出来ません。
自分が誰か忘れる意志/あなたが誰か無視する意図/あなたの父を無視する意図/あなたと全ての存在の絶対的パーフェクションと神聖を無視する意図を捨てた時、あなたは自分の平静を得るのです。
それだけが、あなたが自分自身に対して、自分の存在に対して、自分の現れに対して、平和を取り戻す唯一の方法なのです。

この特別な関係の中にあなたが他者達とそして全てと一緒に入っており、それが額縁内に掲げられているのです。
この絵そのものは居心地の悪い(楽しくない)ものなのです。
しかしこの額縁は、偽りの約束や誤った希望や(あなた達が惨めさの中でお互いを支え合いお互いを持ち上げ、自分達の惨めさを忘れ、何らかのポジティブ志向/フィーリング/エネルギーを示し毎日を生きようという)相互合意で出来ているのです。
このようにして、この惨めな絵は噓で固められています。

しかしそこには関わり合いがあるので、あなたは自分が孤独ではないような気がするのです。 本当はそれでもあなたは孤独なのだけれど。 あなたはそれでも自分が孤独であることを知っているのだけれど。
その中であなたは他者との関わり合いを持っています。
関わり合いは心地良いのです。 それは心地良く感じられ、それがあなたを育みあなたを満足させるので、あなたはそれを求め続けます。
この惨めな絵の周りの額縁が希望で一杯に成って、「成功」ストーリーで一杯に成って、だからもはや絵を見る必要が無く成り、この絵に対する正直な評価をあなたが与える必要が無くなるまで、これらの関係はより複雑に成って行きます。

これ(特別な関係)はこのように働くのです。

あなた達は「相互合意が可能にしている素晴らしいもの」や「この惨めな絵を囲っている構造」に夢中になるあまりに、これを基に自分の生命や幸福を決定するようになるのです。
するとあなた達は迷子になってしまいます。
だから、この絵がそれそのものとして見えていない場合、あなたが本当は惨めなであることを忘れていた場合、自分が惨めで狂気の中にいることを忘れていたなら、あなたは物事の本当の姿を見てはいないのです。
だから修正が呼びかけられており(修正が必要とされており)、修正が与えられているのです。

「修正が与えられている」とこのようにして私が言わなければ「絵を見て額のことは忘れてしまいなさい。絵そのものをみて、それが惨めさでしかないことを理解しなさい。」と言っても何の解決にもなりません。
絵をクリアに見て、そこに現れている惨めさを乗り越えるあらゆる方法に囚われるのではなく「ちょっと待ってこれ以外の見方が在る筈だ」と言うのです。
これ以外の見方とは「絵を無視して(とても複雑な)額に意識を集中してしまうこと」を止めることなのです。
これ以外の見方とは「あなたがこの絵から惨めさを体験している唯一の理由は、本当は起こらなかった分裂故なのです。」と誰かが言っている時にこの絵を見て分裂の惨めさを感じることなのです。
しかしあなたは実際には決して、あなたの源から、あなたの父から、分断はしていないのです。
だからあなたは、この瞬間に父の子孫であり、全く神聖で、(それをこの瞬間フルに体験していることがあなたの生得権である)完全なパーフェクションを体現しているのです。
だから額縁(ウソの約束)を無視して惨めさを見据えあなたが精霊/キリスト意識/神と繋がる選択をした時、惨めさを放棄することが出来ると理解しなさい。
そしてわたし達(精霊/キリスト/神)をあなたの中に受け入れ、(あなたがわたし達に決めさせる)共通の目的のためにわたし達と繋がりなさい。 何故なら、わたし達は何が惨めな絵に修正を与えるか知っているのだから。
これがシンプルなことです。

さてコースを読んでいる多くの人達は、絵と額縁に関して話しているこの部分を良く理解していないことでしょう。
では私が今これを読んで説明しましょう。 

[Every defense operates by giving gifts, and the gift is ALWAYS a miniature of the thought system the defense protects, set in a golden frame. The frame is very elaborate, all set with jewels, and deeply carved and polished.]
全ての防御はギフトを与えることにより働くのです。 そのギフトは常に、その防御が守っている(黄金の額縁に据えられている)思考システムのミニチュア(小型バージョン)なのです。額縁は宝石や流麗なカーブでとても良く装飾されています。]

この額縁はチンケな安物ではないのです。
ベニヤ製ではなく、大量生産ではなく、手作りなのです。

[Its purpose is to be of value IN ITSELF, and to divert your attention from what it encloses. But the frame WITHOUT the picture, you cannot have.]
[その(額縁の)目的は、それ自身が価値そのものに成って、これが縁取っているもの(絵)からあなたの注意を逸らせることなのです。 しかし絵を受け入れずに額縁だけ得ることはあなたには出来ないのです。]

自分一人のリアルな個人に成るという(隠されている)最終的ゴールは、神の聖なる子供の悲惨な状態を見せている絵を抜きにして、額縁そのものが絵に成ろうとしていることなのです。 

[But the frame WITHOUT the picture, you cannot have. ]
[しかし絵を受け入れずに額縁だけ得ることはあなたには出来ないのです。]

あなた達は決して絵を(額縁から)取り外すことは出来ないのです。
何故なら、絵の中に修正されるべきウソが入っているのだから。
ウソは額縁の中には無いのです。相互合意そのものの中にはウソ(矛盾)は存在していません。
だからより良い相互合意を作る必要はないのです。より良い社会保障制度を作る必要は{必ずしも}必要ではないのです。

[But the frame WITHOUT the picture, you cannot have. ]
[しかし絵を受け入れずに額縁だけ得ることはあなたには出来ないのです。]

そして次の文を読みなさい。

[Defenses operate to make you think you CAN.]
[それが出来るとあなたに考えさせることにより防御が機能しているのです。]

ここにウソの約束がされているのです。 これがあなたの目の前に吊るされている人参なのです。

[Defenses operate to make you think you CAN.]
[それが出来るとあなたに考えさせることにより防御が機能しているのです。]

防御は「あなたに出来ないこと」があなたに出来ると言い、そうさせようとするのです。

[The special relationship has the most imposing and deceptive frame of all the defenses the ego uses. Its thought system is offered here, surrounded by a frame so heavy and so elaborate that the picture is almost obliterated by its imposing structure. Into the frame are woven all sorts of fanciful and fragmented illusions of love, set with dreams of sacrifice and self-aggrandizement, ]

[特別な関係は、エゴが使う防御の中で一番巧妙で押し出しの良い額縁(枠組み)を持っています。 その思考システムがここに提供されており、それはとても重いとても美しい額縁で縁取られており、その威厳のある構造が絵を殆ど壊しているのです。その額縁の中には、(犠牲の夢や自己顕示が設定されている)あらゆる素晴らしい分断された愛の幻想が織り込まれており]
その相互合意の中には、その想像の中には、痛みや悲しみや苦しみの幻想があるのではなく、あらゆる素晴らしい分断された愛の幻想が織り込まれています。
(操りをスムーズに行なうことを可能にする)希望やチャリティーや親切やその他色々な良いことがそこには示唆されています。

[Into the frame are woven all sorts of fanciful and fragmented illusions of love, set with dreams of sacrifice and self-aggrandizement, and interlaced with gilded threads of self-destruction. The glitter of blood shines like rubies, . .]
[その額縁の中には、(犠牲の夢や自己顕示が設定されている)あらゆる素晴らしい分断された愛の幻想が織り込まれており、自己破壊の金の糸が縫いつけられています。 血の輝きはルビーのようで、]

わかりますか? わからないフリをするのは止めなさい。何人の人達が自由のために血を流してきたのでしょう? あなた達はルビーのように輝く血(名誉ある犠牲)に偉大な意味を与えそれを敬ってはいないでしょうか?

[The glitter of blood shines like rubies, and the tears are faceted like diamonds and gleam in the dim light in which the offering is made.]
[血の輝きはルビーのようで、涙はダイヤモンドの光を放ち、それら捧げ物が光の中に供えられて輝いています。]

真摯な改心に見える涙、間違ったことが行なわれていることを認識しているように見える涙、偽りの仮面を捨てて謙虚を体験しているように見せている涙。
それらはカットされたダイアモンドのように輝き評価されています。

[. . . and gleam in the dim light in which the offering is made.]
[それら捧げ物が供えられている光の中で輝いています。]

何故これらを尊んでは、尊敬しては、いけないのでしょう。
その理由は、「自由のために血を流すこと」が「リアルな自由に目覚めること」をもたらさないからです。
そして「血を流すこと」が、必要とされている変革をまだもたらしていないように見えるからこそ、人は血を流すことに自身を捧げることが出来るのです。

自由のために血を流すことに己を捧げ続けた(父、子供、孫、ひ孫の)家族の名誉故に、父/子供/孫/ひ孫が軍事の伝統に従っています。
私がここでしようとしていることは、全ての人々のマインドを新しい方向に向かわせることなのです。
父と子と祖父と孫達が血の輝きを尊重するパターンに従い続けるのではなく、子供や孫達が「ちょっと待って、これを異なる見方で見ることが出来る筈だ」と言えるようになる環境を私は整えたいのです。
「罪/病/死のサイクルを破る方法が在るに違いない。このパターンを破る方法があるに違いない。 それを私はしよう。」と言えるように成ってほしいのです。
「父や祖父や大祖父のように戦争に参加するのではなく、私はパターンを破ることを行なおう。母達嫁達そして家族全体が愛国主義的任務と神と国への献身を感じていて、私がこのステップを取ることが彼等のストレスになったとしても、私はあえてこれをしよう。」

誰かを侮辱するつもりはありませんが、私が言っていることを受け入れるのは簡単ではないかもしれません。
(額縁の中の絵が本当に言っていることを誤認識して)それに栄光や尊厳を与える見方から自由に成るべきなのです。
この絵が本当に言っていることとは「罪/病/死は避けられない」です。
「罪/病/死は避けられない」、この絵はそう言っているのです。
「この瞬間にも罪/病/死が働いている。罪/病/死は避けようがない。
惨めさ、惨めさ、酷さ。」
私の言おうとしていることがわかりますか?

これがACIMのこの箇所の真意なのです。
二つの絵と額縁の話の真意はこれなのです。
私はより具体的な話をして、話をよりわかりやすくしているのです。

次の箇所がキーなのです。

[Look at the PICTURE. Do not let the frame distract you. This gift is given you for your damnation, . .]
[絵を見据えなさい。 額縁に惑わされるのは止めなさい。 このギフトは、あなたを地獄に落すためにあなたに贈られているのです。]

絵が(あなたを地獄に落としてしまう)ギフトなのです。
この絵はあなたをハッピーにする目的で与えられているのではないのです。
私は意地悪でこう言っている訳ではありません。
これがあなたの愛情を豊かにする唯一の方法なのです。

「二つのステップをせずに額縁に騙されて絵を持ち続ける」のを止めることだけが、あなたの愛情を豊かにする唯一の方法なのです。
絵を保持することを止めて「父よ、ここの真理は何ですか? 父よ、私はあなたの視点を体験したいです。本当に神というものが居るのかさえも私にはわからないので私が訊ねたとしてもあなたがそれに答えるかどうかさえ私には自信が持てませんが、それでも私は自分の先祖が続けていたこととは違うことしてみます。 何故なら彼等の続けて来たことが罪/病/死を消さなかったことはハッキリしているのだから。」と言うことだけが、あなたの愛情を豊かにする唯一の方法なのです。

[Look at the PICTURE. ]
[絵を見据えなさい。] 

これが鍵です。 呪われた絵、惨めな絵を見る必要があるのです。
ええ、そんなことをするよりも、あなた達は座って瞑想し、美しいことを考えたり、ポジティブなことを考えるほうが好きでしょう。
しかし、あなた達がかようなポジティブシンキングを自分達だけで行っている間、大きな額縁の真ん中に依然としてこの呪われた惨めな絵が掲げられているのです。
何故なら、神がその絵の中には入っていないからです。 神が入る余地がそこにないのです。
そこでは「父よ、ここの真理は何ですか?」という言葉が全く言われていないのです。

「父よ、私はあなたからの隔離を破ることにします。 私は(自分の生得権だと考えて来た)この権威と独立を放棄して、あなたと繋がり、あなたとあなたの言うことに服従します。これが本当に違いをもたらすかどうか確かめるために、自分の先祖が信奉してきたことを放棄して、私はこのクレージーなことをあえてしてみます。」

[Look at the PICTURE. Do not let the frame distract you. This gift is given you for your damnation, and if you take it you will believe that you ARE damned. ]
[絵を見据えなさい。額縁に惑わされるのは止めなさい。 このギフトは、あなたを地獄に落すためにあなたに贈られているのです。もしこれを受け取ったなら、あなたは自分が地獄に落ちている(呪われている)と信じてしまうでしょう。]

この絵を見て認識することはオーケー(大丈夫)なのです。何故でしょう?
何故なら、この絵を見ることは、世界の終わり(破滅)ではなく、「この絵と額縁を共に捨てて新しい体験をする」あなたの能力(度量)の始まりだから。

[You CANNOT have the frame without the picture. What you value is the FRAME, for there you see no conflict. ]
[あなたは絵を抜きにして額縁だけを得ることは出来ないのです。 あなたが価値を見い出しているのは額縁なのです。何故なら、あなたはそこに争い(矛盾)を見ていないから。]

その理由は、この手彫りの額縁のために作られている相互合意や知的構造の全てがあなたに{ウソの}希望を与えて、(幻想の)人生に価値があるように見せているから。
それらの相互合意や知的構造(額縁)がどのようにすれば成功出来るか示しているのですが、そのような成功を収めた人は本当は一人もいないのです。

するとあなたはこう言うでしょう。
「例えば、人々は人が飛ぶことは不可能だと言い続けてきました。しかしライト兄弟がそれを実際に達成したのです。 それは本当に起こったのです。だからやろうと思えば何でも出来るのです。 それは今日は出来ないかもしれません、しかし努力すれば必ず出来るのです。」
これが額縁なのです。 これが額縁を重要に思わせているのです。


[What you value is the FRAME, for there you see no conflict. ]
[あなたが価値を見いだしているのは額縁なのです。何故なら、あなたはそこに争い(矛盾)を見ていないから。]

争い(板挟み)から逃れる方法をあなたはそこ(額縁の中に)に見るのです。
額縁の細部にそれが示唆されているのです。 そして額縁は、絵と同様に、ウソをついているのです。

[Yet the frame is only the wrapping for the gift of conflict. ]
[しかし額縁は争い(矛盾)のギフトの包装紙に過ぎないのです。]

わたし達が交わしているこの話はとても惨めなものでしょうか?
そうでもないのです。
これは惨めさに関する話ですが、惨めさを放棄出来るようになることに関する話なのです。 混乱に騙されなく成りそれが(あなたが見ている混乱が)真実であるというウソを受け入れなく成るよう、あなたが真摯に(自分の状況を)観察出来るようになることなのです。

[Yet the frame is only the wrapping for the gift of conflict. The frame is NOT the gift. ]
[しかし額縁は争い(矛盾)のギフトの包装紙に過ぎないのです。額縁はギフトではないのです。]

[The frame is NOT the gift. Be not deceived by the most superficial aspects of this thought system, for these aspects enclose the whole, complete in EVERY aspect. ]
[額縁はギフト(受け取れるもの)ではないのです。この思考システムの一番表面的要素に騙されるのは止めなさい。 何故なら、これらの要素はその中に各要素全体を完全に含んでいるのだから。]

だから額縁の中に現れている全てのポジティブな希望的要素がウソであり、それはあなたを絵の惨めさと酷さに縛りつけるのです。 それ程良いものには見えない、だけれども何か正等な希望を与えているように見える要素にも、これは当てはまります。

[Death lies in this glittering gift. Let not your gaze dwell on the hypnotic gleaming of the frame. ]
[死はこの輝くギフトの中に潜んでいます。 この額縁の催眠的光に見入ってしまうのは止めなさい。]
この文は何を意味しているのでしょうか?
[Let not your gaze dwell on the hypnotic gleaming of . . .]
[催眠的光に見入ってしまうのは止めなさい。]

あなた達が交わしている全ての相互合意を、あるいは他者があなたに学習の一部として与えた全ての相互合意を信じてそれに騙されてしまうのは止めなさい。
あなたを他の者達より高いポジションに据えて上手く統治することを可能にするための学習(エデュケーション)があなたに手渡した相互合意に騙されてしまうのは止めなさい。

[Let not your gaze dwell on the hypnotic gleaming of the frame. Look at the PICTURE, . .]
[この額縁の催眠的光に見入ってしまうのは止めなさい。絵を見据えなさい。]

絵そのもの(の酷さ)を見れば、あなたは偽りの希望ではなく現状を認識するでしょう。

[Look at the PICTURE, . . ]
[絵を見据えなさい。]

わたし達が先週話したことをあえて行いなさい。
世界を見据えて、罪/病/死がいまだに働いており、それらがいまだに全てを統治しているように見えていることを見なさい。

それら(罪/病/死)を止める必要があるのです。
それらを止める方法は、あなたの注意/意識を額縁から引き抜いて、絵を見据えて「待てよ、物事は良くなってはいない」と言うことなのです。


「わたし達のして来たことは何も改善してはいない。 今までとは何か違うことが必要なのだ。 もし答えがすでに与えられていなかったなら(その答えが私を正しい方向に向かわせていなかったなら)、絵だけを見て額縁を無視しようなどと考えてもいなかっただろう。だから私は、新しい見方をもたらすものに自分の注意を与えよう。 自分の注意を与える新しい方法を試してみよう。」(と言えるようになる必要があるのです。)

[and realize that DEATH is offered you.]
[そして死があなたに提供されていることを理解しなさい。]

[That is why the holy instant is so important in the defense of truth. The truth itself NEEDS no defense, but you DO need defense against your own acceptance of the gift of death. When you who are truth accept an idea so dangerous TO truth, you threaten truth with destruction.]
[だから真理を守るためには聖なる瞬間がとても重要なのです。真理そのものは防御を必要とはしていないのですが、あなたは自分が死のギフトを受け取ってしまうことに対する防御を必要としているのです。真理であるあなたが、真理に対してかように危険なアイディアを受け入れてしまうと、あなたは真理を破壊で脅かしてしまうのです。]

勿論真理が破壊されることはないのですが、それでもそのような脅しが言われているのです。

[And your defense must now be undertaken, . .]
[あなたの防御を開始しなければけません。]

概念への防御ではなく、不聖な関係(特別な関係)という幻想への防御ではなく、あなたの防御です。 神の聖なる子供がその神性を守る防御です。

[And your defense must now be undertaken, to keep truth WHOLE. The power of Heaven, the Love of God, the tears of Christ and the joy of His eternal Spirit are marshalled to defend you from your own attack. For you attack Them, being PART of Them, and They must save you, for They love Themselves.]
[そして今、真理を完全に保つために、あなたの防御を開始しなければけません。天国の力が、神の愛が、キリストの涙が、キリストの永遠のスピリットの喜びが、あなた自身の攻撃からあなたを守るために入って来ます。 何故なら、彼等の一部であるあなたが彼等を攻撃してしまうから。 しかし彼等はあなたを救う必要があるのです。 何故なら彼等は彼等自身を愛しているのだから。]

あなたは何を攻撃するのでしょうか?
「天国の力、神の愛、キリストの涙、キリストの永遠のスピリットの喜び」をあなたは攻撃しているのです。

下記の部分をもう一度読みなさい。

[For you attack Them, being PART of Them, and They must save you, for They love Themselves.]
[何故なら、彼等の一部であるあなたが彼等を攻撃してしまうから。 しかし彼等はあなたを救う必要があるのです。 何故なら彼等は彼等自身を愛しているのだから。]

わかりますか? 彼等は、あなたが彼等を攻撃したことを認めないのです。
彼等は(あなたが彼等以外のものを尊ぶ結果を引き出している)彼等に対するあなたの誤解とは合意しないのです。
(あなたの神聖をあなたに気付けなくしている「何か」に惹き付けられて)あなたがあなた自身を侮辱している時、彼等はあなたと繋がらないのです。
聖なる瞬間の中で働き出すのが彼等なのです。
そして今日(そして先週)わたし達が話してきたことが、聖なる瞬間を照らし出してあなたに示しめすのです。今日(そして先週)わたし達が話してきたことが、あなたの注意を聖なる瞬間に与えるために必要なことなのです。

あなた達はこの部分からサッサと移動して、より美しいことを考慮したいと思っているかもしれません。
しかし、絵を見据え続けることを私はお勧めします。

今週は好きなだけ聖なる瞬間を実践して下さい。
しかし(酷い、惨めな)絵を見据えることは忘れずに。
神のより多くの愛が多くの人類によってまだ見られていないということをあなたに示す絵を見続けてください。
そのような絵が在ることをあなたはご存知です。何故なら、辺りにはまだ惨めさの(不正の)証拠が多くあるから。
そして、自分達の知性をあまり良く表せていない人達に対して、あなた達はまだ不寛容で、それ程忍耐(理解)は示せていません。
この不寛容が、愛を持ってあなたの兄弟姉妹や母や父や娘や息子と共に立ち、慈愛と寛容をもって彼等と共に彼等の学習を歩いて、と同時にあなたに対する虐待(悪用)を拒否することを難しくしています。

I love you all.

わたし達が今回話したのは重要なことです。
あなたが越えたいと願っている敷居を越えるために、これは必要なのです。
あなたがこの敷居を越えることを私は願っています。
これが必要な事だとはあなたはもしかしたら思っていなかったかもしれません。
しかしそうなのです。
この事項を見て、これらを考慮して、そのプロセスで自分に対して寛容であることによって、あなたが迷ってしまうことはありません。


A Course In Miracles (reference pages)
Chapter 17 -Section: PERCEPTION AND THE TWO WORLDS
1 Sparkly Book - p.409 First Line / JCIM- p.171, 6th Par. / CIMS - p. 344, Par.32
Section: THE TWO PICTURES
First Edition - p. 334, 3rd Full Par. / Second Edition - p.359, Par.6

All of the activities of the Northwest Foundation for "A Course In Miracles" are provided without charge or obligation. This is possible because of thoughtfulness, love extended without conditions. Such is the nature of Gift. As a result these materials are available to you, because someone like you has already gifted you with them.

And, at Raj's instruction, these materials will never be sold.

If you would like to add your thoughtfulness and love, to gift others with the availability of these materials, you're invited to make a tax-deductible contribution
at our website, or send it to our address,
both of which are shown below.


A Course in Miracles Study Group with Raj, June 12th 2011
© by The Northwest Foundation for “A Course in Miracles” a non-profit corporation.
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テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

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