ACIM11-10-23
新しいセクション
[THE CONDITIONS OF FORGIVENESS1]
[赦しの条件]
わたし達が話しているのは「あなたが他者に差し伸べる赦し」に関することなのだと理解すれば正しい答えがより容易に得られるようになります。
これはあなたの下にやって来る赦し(あなたに与えられる赦し)ではないのです。わたし達は、どうすればあなたが社会的に容認されるように正しく振舞えて、だからあなたが赦しに相応しく成れて、それ故にあなたに赦しがもたらされるか、話し合っているのではないのです。
いいえ。そのようなことは(一時的な)満足をもたらすかもしれません。(教えを学び始めた)初期の段階では人々はそのようなことをしようと務めるのです。
しかしこの目覚めのプロセス(あなたが自分の正しいマインドに帰っていくプロセス)は常にギフト(与えること)なのです。
赦しは常に「誰か他の人」に与えられるのです。 何故ならば、あなたが何かを誰かに与えようと思えるように成るまで、愛はあなた達の関係の中に入って来れないのだから。
そして愛が絶対必要な要素なのです。愛があなたの性質なのです。
愛があなたの存在の実体なのです。
あなたの全ての要素/側面は愛の表現なのです。何故なら、あなたの全ての要素は「神が自身を現していること」だから。
だから罪/病/死/苦しみの夢を止めたいと思ったなら、あなたは他の人(あなた以外の人)を気遣って(気に掛けて)いる必要があるのです。
これが絶対条件なのです。 これはこのように働くのです。しかしあなた達はこれには馴れていません。
これは「利己的でないこと/自分本位でないこと/無私」と呼ばれています。
聖人は利己的でなく無私なものです。
例えばアルバート・シュワイツアーなどは無私な人だったと考えられています。
あなたはどうでしょう?
違いますね。 あなたは継続して無私に成り続けることは出来ていません。
何故なら、あなたは「あなた自身のために欲しているもの/こと」があり、それが時間と空間を占めているから。 それがあなたの兄弟から時間を奪っているから。 しかしあなたは、あなたの兄弟の目を見て神を思い出す必要があるのです。
あなたが自分の欲求や必要に注意を払い続け、それらを満たすことに夢中で、あなたの兄弟姉妹のためにスペース(余裕)を空けていなかったなら、あなたは目覚めることから自分を排除しているのです。
しかし、あなたにとって「他の全てのものの神聖」があなた自身{他の全てから分離しているあなた}よりも重要である故に、あなたの神聖が「他の全てのものの神聖」を抱擁している神聖なマインド状態が、あなたの本来の自然なマインド状態なのです。
その状態に帰って行くことがまだ出来ていないのです。
しかし聖なる瞬間の中であなたが兄弟に与えるギフトが彼の目覚めに貢献するのです。
(あなたが兄弟に与える)このギフトこそが、『あなたの存在の[統合性/誠実/Integrity]が(人間的状況とか物質的世界と呼ばれている)いまここにグラウンディングして(父と繋がって)働くこと』の最重要部分なのです。
このギフトは「いまここ/人間的状況内/物理的世界として受け取られている状況内」で働くので、(いままであなたが天国に対する定義を見ていた所に、物資的世界と考えられている所に)天国を見せるヴィジョンの変容をあなたにもたらすのです。
これだけシンプルなのです。
[THE CONDITIONS OF FORGIVENESS.]
[赦しの条件]
これは「あなたが赦される条件」ではなく、「あなたが自分の兄弟を赦す条件」なのです。
[The holy instant is nothing more than a special case, or an extreme example, of what every situation is MEANT to be.]
[聖なる瞬間は、全ての状況の本来在るべき姿でしかないのです。]
聖なる瞬間とは、あなたが自分の独立を放棄して自分の最上の思考や論理を離れて、精霊か父と繋がり「何が真理か知りたい」と願うことなのです。
これは自己主張的(攻撃的)思考者としてのあなたがその状態を手放して、リラックスすることによりそのような状態から抜け出て、静かになり、自己主張的でなくなり、{分離的に}思考しなくなり、好奇心を持って「真理を知りたいと」真摯に願えるようになることなのです。
[The holy instant is nothing more than a special case, or an extreme example, of what every situation is MEANT to be.]
[聖なる瞬間とは、全ての状況の本来在るべき姿を端的に示している一例でしかないのです。]
これは兄弟/庭/川/土地/家/ビル/環境など全ての状況に当て嵌まります。
[. . . every situation is MEANT to be . . .]
[全ての状況の本来在るべき姿]
(聖なる関係とは)あなたが居るそこに在るリアリティのホントの姿の体験なのです。
[The meaning which the Holy Spirit's purpose has given it is also given to every situation.]
[精霊の目的がそれ(特定の聖なる瞬間)に与えた意味(見方)が全ての状況にも与えられているのです。]
聖なる瞬間が与えている意味が、全ての状況にも与えられているのです。
聖なる瞬間に与えられた目的は、ただそこにボーと存在するだけでなく、それは常に何かと繋がるのです。
それ(聖なる瞬間の意味/目的)は、常に何かに関することなのです。
だから(あなたが)聖なる瞬間を許可してそれを抱擁したなら、聖なる瞬間が(リアルな人/リアルなペット/リアルな物との)リアルな関係を抱擁(内包)するのです。
[It calls forth just the same suspension of faithlessness, withheld and left unused, . .]
[それは...不信心を保留すること(不信心を遠ざけ使わないこと)を呼び掛けているのです。]
さて不信心を使う(不信心の実践)とはどういう意味だったでしょうか?
不信心の実践とは、あなた自身の権威と知性と理性を使って、状況や人々を自分の為に操作するあなたの能力を使って、自分で物事の責任を取ろう、自分で物事を起こそうとすることです。
これには神に静かな注意を与えることが含まれて居らず、リアリティに対する神の定義に静かな注意を与えることが含まれて居ないので、これは不信心の実践なのです。
不信心とは、世界に対するあなた独自の定義に夢中に成ってしまうことなのです。
だから精霊の目的は、
[. . . calls forth just the same suspension of faithlessness, withheld and left unused, that faith might answer to the call of truth.]
[...真理の呼び掛けに答えられるように成るまで、不信心(疑い)を保留すること(不信心を遠ざけ使わないこと)を呼び掛けているのです。]
もう一度聞きなさい。
[It calls forth just the same suspension of faithlessness, withheld and left unused, . .]
[それは...不信心(疑い)を保留すること(不信心を遠ざけ使わないこと)を呼び掛けているのです。]
このように不信心を保留することが出来るのです。
不信心を止めて使わない必要があるのです。
不信心を止めて、しかし様子を見て、後日自分の都合に合わせて(状況に対する)コントロール(操り)を取り戻してしまっては駄目なのです。 これを取引の道具にしてしまっては駄目なのです。
[It calls forth just the same suspension of faithlessness withheld and left unused, . .]
[それは…不信心(疑い)を保留すること(不信心を遠ざけ使わないこと)を呼び掛けているのです。]
不信心を二度と使わなくなる必要があるのです。
しかし不信心を保留していても、後日使う為にそれを保ってしまったなら(不信心を完全に手放していなかったなら)、それは「不信心を遠ざけて使わないこと」にはならないのです。これは重要な点です。
精霊の目的は、
[. . . calls forth just the same suspension of faithlessness, withheld and left unused, that faith might answer to the call of truth.]
[それは…不信心を保留すること(不信心を遠ざけ使わないこと)を呼び掛けているのです。]
これが繋がることです。 これがピュアに真摯に求めるマインド状態に自分を保つことを可能にする静寂です。
[. . . might answer to the call of truth. The holy instant is the shining example, . .]
[真理の呼び掛けに答えられるように...。聖なる瞬間は輝けるサンプル(一例)なのです。]
これが輝ける一例なのは、これが唯本当に一働くシンプルなことだからです。
ここには何も難しいことは言われていません。 これが愛なのです。
(この状態から離れて)リアリティ体験に反することをあなたがしている時それを修正することが、これほど簡単なのは驚異的ではありませんか。
[The holy instant is the shining example, the clear and unequivocal demonstration of the meaning of every relationship and every situation, seen as a WHOLE.]
[聖なる瞬間は輝けるサンプルなのです。それは全ての関係の意味(意図)をクリアに疑いよう無くデモンストレートし、全ての状況の全体を見ているのです。]
あなたが独立的存在として行動している時、あなたはあなた自身を全体から切り離しているのです。あなたは自分をそれ(全体)から分離して見ており、自分以外の全てを自分から切り離して見ているのです。
だから殆どの場合「彼等対わたし達、私対彼等」という風に状況が見られているのです。
しかしあなたが聖なる瞬間の中に入って、あなたの独立的権威を放棄し二度と使わなくなれば、全ての分離が消えて、私対彼等(の対立)が消え去って、全てが「わたし達」に成るのです。
これが全体性の体験に成るのです。
そしてこの全体の中でだけ、神の法が全てを統治しているのです。
そしてこの全体内だけで、無敵(不可侵/絶対的安全)が永遠の体験として見えはじめるのです。 何故なら、これ(安全/不死身)が創造自身の変化不可能な特質なのだから。
あなたが独立的な目を通して見た時にだけ、これが(リアリティ全体の不死身が)違うように(成立していないように)見えるのです。
するとあなたは「健全なもの/全体」をあなたかもそうでないように見始めるのです。
するとあなたは「健全なもの/全体」がまるで「健全/全体」ではなくなってしまったかのように振舞い始めるのです。
リアリティの中に居て、(リアリティそのものではなく)あなたがリアリティに対して与えた定義がリアリティなのだとして振舞い始めた時、あなたはリアリティと衝突し、リアリティが非情で不親切であるかのようにあなたは感じ始めるのです。
そしてあなた達は「人生とはそういうものだ!」と言ってしまうのですが、(実際には)そうではないのです。
しかしあなたが目隠しをしたままでリアリティの中を歩き回ること(全てをありのままの姿には見ないこと)に固執し続けるなら、確かに「人生/生命がそういうもの」に成っているのです。
そう振舞っている時、あなたはリアリティと衝突してしまうのです。
しかしリアリティはあなたが期待しているようなもの(痛み/怪我/ダメージ/その他あなたの知覚の中で自信が失われて行くこと)ではありません。
[Faith has accepted every aspect of the situation, . . ]
[信心は状況の全ての側面(要素)を受け入れました。]
静かに父と繋がることで、状況の全ての側面(要素)が受け入れられたのです。
何故なら、それ(信心/父と繋がること)は無限の一体性(唯一性)の体験なのだから。
[Faith has accepted every aspect of the situation, and faithlessness has not forced any exclusion on it.]
[信心は状況の全ての側面(要素)を受け入れました。そして(あなた達の)不信心はそれ(状況)にどのような排除(限定)も加える事は出来ていません。]
そしてあなたがリアリティに対してどのような排除も強制していなかったなら、あなたは否定状態にはおらず、従ってリアリティとは衝突しないのです。
もしあなたが全体を受け入れており、そのどの部分も排除していなかったなら、その場合あなたは無敵/不死身/安全/平和の状態にあるのです。
リアリティのどの部分をも排除しなくなり、リアリティのどの部分をも自分から異なったものとは呼ばなくなった時、それは無限の安堵の息を付くようなものです。
これだけでも聖なる瞬間を持つに足る理由なのです。
[It is a situation of perfect peace simply because you have let it be what it IS. This simple courtesy is all the Holy Spirit asks of you.]
[これはパーフェクトに平和な状況です。 それはあなたがその状況をそれそのままにしたからです。 (それは、状況がその真の姿のままで在り続けることをあなたが許可したからです。)精霊があなたから求めているのは、このシンプルな挨拶(認識)だけなのです。]
だから赦しの条件の中にはこのシンプルな挨拶(気配り)が含まれるのです。このシンプルな礼儀(気配り)とは何でしょうか?
それは、
[Faith has accepted every aspect of the situation, and faithlessness has not forced any exclusion on it.]
[信心は状況の全ての側面(要素)を受け入れました。そして(あなた達の)不信心はそれにどのような排除(限定)も加えていません。]
です。
これが挨拶(認識)の美しい定義です。
[Do not intrude upon it, do not attack it, do not interrupt its coming.]
[真理を変えようとしたり、攻撃したり、(現われ出ようとしている真理を)中断しようとしたりするのは止めなさい。]
[Let truth be what it is. ]
[真理がそれそのものとして現れる(存在する)ことを許可しなさい。]
それ(真理)をあなたの中に届けなさい。
それがあなたの中で響くことがあなたにとって一番大切なことなのです。
何故ならそれが一番知性的なことだから。「真理が何か知りたい」と求めることが知的なことなのです。
そして「真理でないこと/ウソ/誤知覚」によって混乱することを求めるのは知性に欠けることです。
だから、
[Let truth be what it is. Do not intrude upon it, do not attack it, do not interrupt its coming. Let it encompass every situation, and bring you peace. Not even faith is asked of you, for truth asks nothing.]
[真理がそれそのものとして現れる(存在する)ことを許可しなさい。真理を変えようとしたり、攻撃したり、(現われ出ようとしている真理を)中断しようとしたりするのは止めなさい。真理が全ての状況を包み、あなたに平和をもたらすことを許しなさい。(その時点においては)あなたから信心さえも求められていないのです。 何故なら真理は何も求めないから。]
信心とは自信のようなものです。 あなたは真理に対して自信を持つ必要はありません。
[Not even faith is asked of you, for truth asks nothing.]
[(その時点においては)あなたから信心さえも求められていないのです。 何故なら真理は何も求めないから。]
[Let it enter, and it will call forth and SECURE for you the faith you need for peace.]
[真理が入って来ることを許せば、平和の為にあなたが必要としている信心を(真理が)呼び出し、それをあなたの為に確立します。]
だから真理は反論しようのない戒めや理知的主張ではないのです。 真理は能動的な現れ(Presence)なのです。
[Let it enter, and it will call forth and SECURE for you the faith you need for peace.]
[真理が入って来ることを許せば、平和の為にあなたが必要としている信心を(真理が)呼び出し、それをあなたの為に確立します。]
『汝は真理を知り、その真理が汝を自由にするでしょう。』“Ye shall know the truth, and the truth shall make you free.” 2
汝は真理を中に受け入れ、それがあなたに届く(響く)ようにして、それがあなたを自由にするのです。
それが愛の行為として「何が真理か」明確にし、あなたが混乱しなくなり正気が取り戻されるのです。
それには信心が必要なのです。 つまりあなたは二つのステップ(聖なる瞬間)を実践する必要があるのです。
この信心とは、あなたの意志を静まらせて父と繋がりリアリティの情報を父から受け取ることなのです。 これにより、あなたの誤解/誤知覚が(リアリティに対するあなたの誤認識が)真の視界で取り替えられるのです。
真理は、「真理/真実でないもの」を明確に示しそれを無価値にすることによってそれ(真理でないもの)に対するあなたの興味を無くさせることにより、あなたを変えます。
あなたが信心を実践している時、真理がこれをするのです。
あなたの人間的意志を黙らせ「何が真理なのか」父に訊ねることにより、これが起こるのです。
あなたはこれをする必要があるのです。この信心の実践をあなたは行なうべきなのです。
そして父か精霊が(あなたに)応答した時、それがあなたを理解で満たします。(疑いようのないクリアな満足を与え平和をもたらす)叡智であなたは満たされるのです。
[. . . enter, and it will call forth and SECURE for you the faith you need for peace. But rise you not against it, for against your opposition it CANNOT come.]
[真理が入って来ることを許せば、平和の為にあなたが必要としている信心を(真理が)呼び出し、それをあなたの為に確立します。しかし真理に逆らって立ち向かうことは止めなさい。 何故なら真理はあなたの抵抗に反して入ってはこれないから。]
あなたは真理を変えることは出来ず、変更することは出来ず、真理を消すことも出来ません。
あなたは自分の注意を真理から完全に取り外すことが出来るのですが、そうしても真理があなたを統治していることを止めることは出来ません。
しかし(あなたの注意を真理から外した場合)真理の統治が不愉快に居心地悪く感じられるのです。 何故なら、あなたが少しの間狂気に陥るスリル/幻想を楽しもうとしている時に、真理は正気の方向にあなたを動かすのだから。
[Would you not WANT to make a holy instant of every situation? For such is the gift of faith, freely given wherever faithlessness is laid aside, unused.]
[あなたは全ての状況を聖なる瞬間にしたいと思いませんか?信心のギフトとはこのようなもので、不信心が使われずに脇に退けられた時、自由に与えられるものなのです。]
不信心が使われず脇に退けられる度に、信心のギフトが自在にあなたに与えられるのです。
(真理に対する)代用プランを持たず、(精霊/神から離れた)自分だけの切り札を隠し持たず。(不信心を)放棄することが必要なのです。
[And then the power of the Holy Spirit's purpose is free to use instead.]
[その時(疑いの目的の力ではなく)精霊の目的の力が自由に使えるようになるのです。]
精霊(あなたの正しいマインドにしか過ぎないもの)が「真理が何か」あなたに示した時、あなたはその真理に従おうとせざる得なくなるのです。あなたは真理と共に立ちたいと思うようになり、あなたは真理をシッカリと握らないわけには行かなくなるのです(何故なら、真理が示された今それ以外のことは無意味なのだから)。
[This power INSTANTLY transforms all situations into one sure and continuous means for establishing His purpose, and demonstrating its reality.]
[この力が瞬間的に全ての状態を「彼/精霊の目的を確立してそのリアリティをデモンストレートする一つの継続的で確実な方法」へと変換するのです。]
ええ、この全てがあなたの為に行なわれるのです。真理がやって来て、それ自身を示し、あなたを変えるのです。
精霊の目的が全ての状況内に入って来て、全ての状況を「精霊の目的を確立しそのリアティをデモンストレートする一つの確実で繋がった方法」に変換するのです。
あなた達がこれを行なっていない(体験していない)理由は一つしかありません。
それはあなた達が自分達自身の思考を行うことで障害を乗り越えて行く方が(聖なる瞬間/真理)より価値がある、と考えているからです。
あなた達がこれらの障害と出会っているのは、あなた達にリアリティが見えておらず、あなた達がリアリティに協力しておらず、それと共に流れておらず、それと調和した自然な関係を持っておらず、従ってあなた達がリアリティと衝突しているからなのです。
[What has been demonstrated has called for faith, and has been GIVEN it.]
[すでにデモンストレートされている状態が信心を求めており、求められている信心が与えられたのです。]
もしあなたが二つのステップをしていたなら、もしあなたが真摯に訊ね聞いていたなら、
[Now it becomes a fact, from which faith can no longer BE withheld.]
[そして今これが事実に成り、そこから信心を遠ざけて置くことは最早出来ないのです。]
解りますか? 洞察/理解/啓示がやって来るのです。
それはとてもクリアで、あなたはもうそれ(真理)に対する信心(信頼/理解)を遠ざけて置くことは出来ないのです。
真理を抱擁する(喜んで受け入れる)ことを躊躇することはもはや出来なくなるのです。
[The strain of refusing faith to truth is enormous, and far greater than you realize. But to answer truth with faith entails no strain at all.]
[真理に対して信心を与えることを拒否し続けるストレスは巨大で、あなたが理解しているよりも大きいのです。しかし真理(真実)に対して信心で答えれば、ストレスは全く生まれません。]
(真理に対して信心で答えれば)ストレスは生まれなく成ります。 しかしこのストレスが(現在のあなた達には)刺激的なのです。あなた達はそれに慣れ切っているのです。
あなたはそれ(真理に抵抗することから来るストレス)を愛しており、「自分達はそのようなチャレンジを受けて立つ為にここにいるのだ」と考えています。
その様にあなた達が考えていた場合「全くストレス無くここに居る(存在する)こと」とはどういう意味に成るでしょうか。それは死と同等ということに成るのです。
人生に目的が無くなり、ピンクの雲の上に永遠に乗っているだけなら、それは永遠にお墓の中で眠るのと余り大差ないですね? これらは違う環境で同じような無味さを感じることなのです。
しかしここで言われているのは、そのようなことではないのです。
[To you who have acknowledged the call of your Redeemer, the strain of not responding to His call seems to be greater than before. ]
[自分の救済者(贖い主)の呼び掛けを認識したあなたにとって、彼(精霊)の呼び掛けに呼応しないことは、以前よりも大きなストレスとして見えています。]
これはとても重要なポイントです。誰があなたの[Redeemer](贖い主/救済者)なのでしょうか?
あなたはこれがイエス・キリストのことを指していると考えたかも知れません。
“I know that my Redeemer liveth.”3 [贖い主が生きていることを私は知っています。]
しかしACIMのこの文章の中の「贖い主」は別な人を差しているのです。
誰が贖い主なのでしょうか? あなたの隣に座っている、あなたの真向かいに座っているあなたの兄弟です。 あなたが喧嘩しているあなたの兄弟姉妹です。 あなたが愛を交わしている兄弟姉妹です。
[To you who have acknowledged the call of your Redeemer, . .]
[自分の救済者(贖い主)の呼び掛けを認識したあなたにとって]
あなたがその人の目を覗き込んで(真の気遣いを持ってあなたが覗き込んだ故に)あなたがそこに父を認識するその人があなたの救済者です。
そして父を認識した結果として、あなた自身が目覚めるのです。
あなたが兄弟を(わだかまり/偏見の目ではなく)無垢/純真な目で見ようと考えられるだけ兄弟を愛したが故に、あなたの兄弟はあなたの救済者/贖い主なのです。
そしてあなたの無垢なヴィジョンの中で、兄弟姉妹(あなたの贖い主)の中に父が輝いていることが見えるのです。
[To you who have acknowledged the call of your Redeemer, the strain of not responding to His call seems to be greater than before. ]
[自分の救済者(贖い主)の呼び掛けを認識したあなたにとって、彼(精霊)の呼び掛けに呼応しないことは、以前よりも大きなストレスとして見えています。]
何故でしょう? それは以前まであなたは兄弟が自分の贖い主だとは気付いていなかったからです。 今まで兄弟姉妹は、日々を過ごす上でなんとか関わり合っていかなくてはいけなかった嫌な奴らでしかなかったから。
しかし彼等があなたの贖い主なのだと知った今、もう彼等に対して意地悪で独立的な投射を行なって罪悪感を感じずにいたり、自分の役割を果たしていないこと、をあなたは見逃せなくなるから(以前よりも大きなストレスが感じられるのです)。
だから今兄弟姉妹を憎む事が以前より難しくなっており、兄弟姉妹に最悪の性質を与えたり、彼等に対する間違った結論を(その結論に対する正当化と共に)下したりすることがより難しくなっているのです。
[To you who have acknowledged the call of your Redeemer, . .]
[自分の救済者(贖い主)の呼び掛けを認識したあなたにとって、]
兄弟姉妹の価値を見たあなたにとって、
[. . . the strain of not responding to His call seems to be greater than before. This is not so. Before, the strain was there but you attributed it to something else, believing that the "something else" produced it.]
[彼(精霊)の呼び掛けに呼応しないことは、以前よりも大きなストレスとして見えています。しかし実際にはそうではないのです。以前からストレスはそこにあったのです。 しかしあなたはその原因を何か他のことに求めていたのです。 そして「何か他のこと」がこのストレスを作っているのだ、と考えていたのですが、これは決して真実ではなかったのです。]
これを一番シンプルに言い表せば下記のようになります。
あなたが兄弟を見ている時、「彼はこのような者だ」とあなたが考えた様子に合わせてあなたは彼を見ていたのです。 そしてあなたは彼に対する自分の信念を信じて、あなたの問題に関して(あなた自身の不信心にその原因を求めたのではなく)、彼にその原因を求めたのです。
ここには二つの意味/解釈が示されています。
(一つ目の解釈/解説は)あなたが彼に対して信心を欠いており、あなたは彼から最低のものを期待していた、ということです。
(もう一つの解説は)あなたが「あたかも自分自身で自分の安全や健全に対して責任を負っており、その為に自分の兄弟を敵からの人質として捕らえて拘束し、あなたが自分のマインドを変えるまで、彼には何も出来なくさせておく必要がある」という思考をあなたが実践しているということです。
これら二つの不信心が行なわれていたのです。
[Before, the strain was there but you attributed it to something else, believing that the "something else" produced it. This was NEVER true. For what the "something else" produced was sorrow and depression, sickness and pain, . .]
[以前からストレスはそこにあったのです。 しかしあなたはその原因を何か他のことに求めていたのです。 そして「何か他のこと」がこのストレスを作っているのだ、と考えていたのですが、これは決して真実ではなかったのです。しかし「何か他のこと」が作ったのは悲しみと憂鬱と病と痛みと恐怖の薄暗いイメージと寒い怖れの幻想と灼熱の地獄の夢だったのです。]
何がこれら(幻想)を作っていたのでしょうか?
独立的思考です。独立そのものがこれらの幻想を作っていたのです。
何故なら、父からの独立を主張した途端、あなたは罪悪と怖れを(自分の)状況内に避けよう無く引き入れてしまったのです。 そしてあなたがこの装置{独立思考}を手放すまで、罪悪と恐れはそこに留まり続けるのです。
[For what the "something else" produced was sorrow and depression, sickness and pain, darkness and dim imaginings of terror, cold fantasies of fear and fiery dreams of hell. And it was nothing but the intolerable strain of refusing to give faith to truth, and see its evident reality.]
[しかし「何か他のこと」が作ったのは悲しみと憂鬱と病と痛みと恐怖の薄暗いイメージと寒い怖れの幻想と灼熱の地獄の夢だったのです。しかし実際にはそれらのイメージは、あなたが真実に対して信心を与えることを、そして真実の明確なリアリティを見ることを拒否していたことから来る耐え難いストレスだったのです。]
「真理に対して信心を与えずにいること」が「不信心を実践していること」で、その場合あなたには真理の明確なリアリティが見えなくなってしまっているのです。
[Such was the crucifixion of the Son of God.]
[神の子の磔とはこのようなことだったのです。]
(「神の子」とは)イエス・キリストのことを言っているように聞えるかも知れませんが、そうではありません。
これはあなたの兄弟姉妹のことなのです。
[Such was the crucifixion of the Son of God. His faithlessness did this to him.]
[神の子の磔とはこのようなことだったのです。彼(神の子)の不信心がこれを彼自身に対して行なったのです。]
兄弟の不信心が彼自身を惨めな存在/苦しみのポジションに据えたのです。兄弟のあなたに対する振舞いは、この(不信心の)マインド状態/体験から立ち昇っていたのです。
[Such was the crucifixion of the Son of God. His faithlessness did this to him. Think carefully before you let yourself use faithlessness against him. ]
[神の子の磔とはこのようなことだったのです。彼(神の子)の不信心がこれを彼自身に対して行なったのです。彼に対して不信心を使う前に注意深く考えなさい。]
(あなたが彼に対して不信心を使ったなら)それは盲人が盲人を導いて両者が溝に嵌っている状態なのです。しかしこの状態は回避することが出来るのです。
この状態(兄弟が自身を磔にしており、あなたが兄弟を裁いていること)からは何も良きことは起こらないのです。これは全く時間の無駄で、全く建設的/効果的でない状態なのです。
[Think carefully before you let yourself use faithlessness against . . .]
[...対して不信心を使う前に注意深く考えなさい。]
あなたの兄弟姉妹の不信心が彼等を惨めな状態に陥らせており、彼等の不信心が愛を必要とする振る舞い(愛の呼びかけ=愛を求める行為)を彼等にさせているのです。 彼等(あなたの兄弟姉妹)に対して不信心を使うのは止めなさい。
[Think carefully before you let yourself use faithlessness against him. For he is risen, and you have accepted the cause of his awakening as yours. ]
[彼に対して不信心を使う前に注意深く考えなさい。何故なら彼は蘇り(立ち上がり)、あなたは彼の目覚めの原因をあなた自身のものとして受け入れたのだから。]
あなたがここで(自分の兄弟に対して)不信心を実践せず、信心を実践し父と繋がって精霊から提供されるヴィジョン(真理をあばき示す啓示)を得たなら、あなたの兄弟は健全/十全に見られるのです。 あなたの兄弟が「キリストとして蘇った者」として見られるのです。
彼の神聖があなたに対してとても明白に示されて、それによって彼の神聖と同時にあなたの神聖があなたに指し示されるのです。
[For he is risen, and you have accepted the cause of his awakening as yours.]
[何故なら彼は蘇り(立ち上がり)、あなたは彼の目覚めの原因をあなた自身のものとして受け入れたのだから。]
あなたは自分が与えたものを、自分で保つことが出来るのです。
そしてあなたに保つことが出来るのは認識(アクティブに兄弟の無垢を見つけた結果として「兄弟に対するあなたの体験」内に神を見ること=啓示)なのです。
[You have assumed your part in his redemption, and you are now fully responsible to him.]
[あなたは彼の救出(贖い)に対する自分の役割を受け入れました、そして今あなたは彼に対して完全に責任を負っています。]
こうしてまた「関わり合い」が出て来ました。
何故あなたは彼に対して完全な責任を取ろうとしないのでしょう? 何故あなたは兄弟に対する全部の責任を負おうとしないのでしょう?
あなたのマインド内から彼のどの部分をも排除するべきではなく、どのような意味でも彼をあなたから排除するべきではないのです。
何故あなたは(全く不調和や不協を導入しない、そして兄弟や全ての状況に充足と高揚を与える)愛の現れに成り続ける責任を取ろうとしないのでしょうか?
[Fail him not now, for it has been given you to realize what your lack of faith in him must mean to YOU.]
[今彼を見捨てるのは止めなさい(彼を救済しなくてはいけません)。何故なら、彼に対するあなたの信心の不足があなたにとってどの様な意味があるか認識させるためにこの状況が与えられているのだから。]
今彼/彼女を見捨てるのは得策ではありません。
「彼を愛さない悪影響を避ける為に兄弟を愛するのなら、私は兄弟を愛しているのではなく、自分が苦しみたくないから自分の為にこれをしているだけではないか。」とあなたは考えてしまうかもしれません。
しかしこのように理屈をつけて、これを遅らせるのは良いアイディアではありません。
あなたにとって自分の兄弟(姉妹)が十分重要に成り、彼の目を見て、「その中に在るとはあなたが思っていなかったもの」(父/神)をそこに見つけるまで、あなたは目覚められないのです。
これをしない限り、あなたはその影響(神を見ていない悪影響)を受けてしまうのです。
そして彼(兄弟)を愛することがあなたの性質なのです。
兄弟のその本当の姿を見ることが、あなたの性質/本質なのです。
だからあなたが父の視点を訊ねている時、あなたはあなた自身の性質(本来のあなたの自然な視点/あなたの正気)に戻されることを求めているのです。
これはこのように働くのです。
[His salvation IS your only purpose. See only this in every situation, and it will be a means for BRINGING only this.]
[彼の救済だけがあなたの唯一の目的なのです。全ての状況においてこれだけ(彼を救済することだけ)を見るようにしなさい。そうすれば全ての状況は、これだけを行なう方法に成るのです。]
これを赦しのもう一つの条件と呼ぶことも可能でしょう。
[See only this in every situation, and it will be a means for BRINGING only this.When you accepted truth as the goal for your relationship, you became givers of peace . . .]
[全ての状況においてこれだけ(彼を救済することだけ)を見るようにしなさい。そうすれば全ての状況は、これだけを行なう方法に成るのです。真理をあなたの関係のゴールとして受け入れた時、(あなたの父があなたに平和を与えていると同じ位確実に)あなたは平和を与える人に成ります。]
真理をあなたの関係のゴールとして受け入れた時、あなたがその体験をした時、あなたが平和を与える人に成るのです。
[When you accepted truth as the goal for your relationship, you became givers of peace as surely as your Father gave peace to you. For the goal of peace cannot be accepted apart from its conditions, . .]
[真理をあなたの関係のゴールとして受け入れた時、(あなたの父があなたに平和を与えていると同じ位確実に)あなたは平和を与える人に成ります。何故なら、平和の条件を抜きにして平和のゴールを受け入れることは出来ないのだから。]
条件の一つはあなたが状況の全側面を受け入れる信心を実践しており、不信心によるどのような排除もそこでは行われていないことです。
これが平和の条件の一つです。 これが好奇心なのです。
兄弟姉妹があなたの贖い主であることを(あなたが)認識していることが、赦しのもう一つの条件です。
あなたがこれを理解していなければ、兄弟の目を見て「そこに在るとあなたが信じているもの」以外のものを見てみようとする好奇心は発揮出来ないのです。
その場合(あなたが兄弟を扱ったやり方故に、あなたが兄弟と接した方法故に)あなたは「自分自身を新しい方法で認識する機会」を自分から奪っていまいます。
だからこれ(兄弟姉妹があなたの贖い主であると認識していること)が赦しの条件の一つなのです。
[For the goal of peace cannot be accepted apart from its conditions, and you HAD faith in it, you HAD faith in it, for no-one accepts what he does not believe is real.]
[何故なら、平和の条件を抜きにして平和のゴールを受け入れることは出来ないからです。そしてあなたは平和のゴールに対して信心をすでに持っているのです。何故なら自分でリアルだと信じていないことを受け入れられる人はいないから。]
わたし達が話して来たことをあなたが行ない啓示と洞察を得たなら、あなたは平和のゴールに対して信心をすでに持っているのです。
『「それはリアルではない」と自分で信じていること』をあえて探そうとする人は誰も居ません。
そして残念なことにあなた達は罪/病/死を探しているのです。
あなた達はある程度の期間生命を探して、それから死んでいます。 これが受け入れられているのです。
あなた達はそれを信じています。 あなた達はそれに自分達の信心を与えているのです。
あなたがキリストであることを受け入れるのはハードです。あなたが神の息子/娘であることを受け入れるのはハードです。
瞬間的な癒しが可能だと信じることはあなたには難しいことです。失われた手足や臓器が出現出来ると信じることは、あなたには難しいのです。
この闘争に満ちた世界の中で平和を感じるために出来ることが(ポジティブ思考以外に)あると信じるのは難しいことです。
これが難しいハードなことなので、あなたはこれをしてみよう(信じてみよう)とさえしていません。
あなた達は「これが真実だと自分達が信じていること、これがリアルだと自分達で信じていること」だけに注意を払い続けているのです。
そして私がしていること全ては「リアルな、しかし現在のあなた達の定義とは違うこと」を信じるようあなた達を励まし、あなた達自身が作り上げた(そしてあなた達を縛り付けている)現在の定義群からあなた達が自分達自身を解放出来るようにすることなのです。
それらの定義は真理を表してはおらず、あなた達は神の聖なる子供であって、あなた達の生得権(持って生まれた権利)を取り上げることは不可能なので、これらの定義に縛られ続ける必要はないのです。
[Your purpose has not changed, and will not change, for you accepted what can NEVER change. ]
[あなたの目的は変化しておらず、これから変化することもありません。何故ならあなたが受け入れたものは決して変化し得ないものだったのだから]
あなたが聖なる瞬間を実践している時、(真理が真理であるが故に)真理がそれ自身の意思によりあなたのマインドの中に入って来て、あなたがそれ(真理)に抵抗しなければ、あなたのマインドが真理によって変えられるのです。
ここでの要点は、あなたがそれ(真理)に抵抗/反対しないこと、です。
[Your purpose has not changed, and will not change, for you accepted what can NEVER change. And nothing that it needs to be forever changeless can you now withhold from it.]
[あなたの目的は変化しておらず、これから変化することもありません。何故なら「あなたが受け入れたもの」は「決して変化し得ないもの」だったのだから。そして「それ(あなたが受け入れたもの)が永遠に不変であるために必要とされているもの」を「あなたの目的」から遠ざけておくことはもはや出来ないのです。]
これがあなたが期待出来ることなのです。
真理がクリア/明確に成った時、あなたはもうそれ(真理)を二度と手放せないのです。
幻想の中であなたと繋がってくれる他の兄弟を見つけることは出来るでしょう。しかし、あなたが体験したこと故に、あなたはもうそのようなこと(特別な関係)は求めないのです。これが確約されているのです。
[And nothing that it needs to be forever changeless can you now withhold from it. Your release is certain. Give as you have received. And demonstrate that you have risen far beyond ANY situation that could hold you back, and keep you separate from Him Whose call you answered. ]
[そして永遠に不変であるためにそれが必要としているものを、今あなたがあなたの目的から遠ざけておくことは出来ません。あなたの解放は確実です。あなたが受け取ったように、あなたは与えなさい。そして「あなたを押し留めてしまおうとする、あなたを彼から遠ざけて置こうとする(しかしあなたは彼の呼び掛けに答えたのです)」どの様な状況をもあなたは遥かに超えていることをデモンストレート(表明)しなさい。]
あなたの兄弟は常にあなたを呼んで(あなたを求めて)いるのです。
あなた同様に、あなたの兄弟は苦しんでおり、日々のストレスから自由ではありません。あなた達の日々は心配からは解放されていません。あなた達の日々は修正されるべき誤解から自由ではなく、誤解がもたらしているストレスから自由でもないのです。あなた達の日々は、平和な世界の体験で満たされてはいないのです。
であれば、これ(わたし達が今回言ったこと)を真理と認識して、赦しの条件を整え、あなた達の目覚めを早めなさい。
そして先週も言った通り、これはあなたが(アイディアや論理ではなく)兄弟姉妹と関わり合うことを意味しているのです。
そして兄弟姉妹との人間的関わり合いの中に父を持ち込むのです。
それは一体どのようになされるのでしょうか?
あなたが兄弟姉妹と関わっているやり方を変えることによって、です。
何故なら、あなたの兄弟姉妹の目を見て父がそこに現れていることを発見することによって、あなたは父を状況内に持ち込むのだから。
それがマインドの完全な変換にあなたを巻き込むのです。それが兄弟姉妹に対するあなたの知覚と感情を変革するのです。
そしてあなたはそこで自分の中の傲岸が蒸発してしまっていることを見つけるのです。
何故なら、あなたの傲岸さへ消え去れば、どのような排除も無くワンネス(一体性/全体性)が起こるのだから。 その時に赦しの条件の一つが満たされるのだから。
A Course In Miracles (reference pages)
Chapter 17 – Section: THE CONDITIONS OF FORGIVENESS
1 Sparkly Book – p.420 / JCIM – p.176 / CIMS – p. 354
Chapter 17 – Section: THE CONDITIONS OF PEACE
First Edition – p. 345 / Second Edition – p.370
2John 8:32
3Job19:25
「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはその様なものだから。 あなたと同等の方が既にこのギフトをあなたに差し出したので、これらの資料があなたに提示されています。 Raj の指示により、これらの資料が売買される事はありません。 この機関「Northwest Foundation for A Course In Miracles」へ募金される場合、下記のWEBサイトを通して行なうか、あるいは下記の住所に郵送して下さい。
A Course in Miracles Study Group with Raj, October 23rd 2011
© by The Northwest Foundation for “A Course in Miracles” a non-profit corporation.
All rights reserved
PO Box 1490 / Kingston, WA 98346-1490 / USA
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
Website: http://www.nwffacim.org
E-Mail: paul@nwffacim.org
[THE CONDITIONS OF FORGIVENESS1]
[赦しの条件]
わたし達が話しているのは「あなたが他者に差し伸べる赦し」に関することなのだと理解すれば正しい答えがより容易に得られるようになります。
これはあなたの下にやって来る赦し(あなたに与えられる赦し)ではないのです。わたし達は、どうすればあなたが社会的に容認されるように正しく振舞えて、だからあなたが赦しに相応しく成れて、それ故にあなたに赦しがもたらされるか、話し合っているのではないのです。
いいえ。そのようなことは(一時的な)満足をもたらすかもしれません。(教えを学び始めた)初期の段階では人々はそのようなことをしようと務めるのです。
しかしこの目覚めのプロセス(あなたが自分の正しいマインドに帰っていくプロセス)は常にギフト(与えること)なのです。
赦しは常に「誰か他の人」に与えられるのです。 何故ならば、あなたが何かを誰かに与えようと思えるように成るまで、愛はあなた達の関係の中に入って来れないのだから。
そして愛が絶対必要な要素なのです。愛があなたの性質なのです。
愛があなたの存在の実体なのです。
あなたの全ての要素/側面は愛の表現なのです。何故なら、あなたの全ての要素は「神が自身を現していること」だから。
だから罪/病/死/苦しみの夢を止めたいと思ったなら、あなたは他の人(あなた以外の人)を気遣って(気に掛けて)いる必要があるのです。
これが絶対条件なのです。 これはこのように働くのです。しかしあなた達はこれには馴れていません。
これは「利己的でないこと/自分本位でないこと/無私」と呼ばれています。
聖人は利己的でなく無私なものです。
例えばアルバート・シュワイツアーなどは無私な人だったと考えられています。
あなたはどうでしょう?
違いますね。 あなたは継続して無私に成り続けることは出来ていません。
何故なら、あなたは「あなた自身のために欲しているもの/こと」があり、それが時間と空間を占めているから。 それがあなたの兄弟から時間を奪っているから。 しかしあなたは、あなたの兄弟の目を見て神を思い出す必要があるのです。
あなたが自分の欲求や必要に注意を払い続け、それらを満たすことに夢中で、あなたの兄弟姉妹のためにスペース(余裕)を空けていなかったなら、あなたは目覚めることから自分を排除しているのです。
しかし、あなたにとって「他の全てのものの神聖」があなた自身{他の全てから分離しているあなた}よりも重要である故に、あなたの神聖が「他の全てのものの神聖」を抱擁している神聖なマインド状態が、あなたの本来の自然なマインド状態なのです。
その状態に帰って行くことがまだ出来ていないのです。
しかし聖なる瞬間の中であなたが兄弟に与えるギフトが彼の目覚めに貢献するのです。
(あなたが兄弟に与える)このギフトこそが、『あなたの存在の[統合性/誠実/Integrity]が(人間的状況とか物質的世界と呼ばれている)いまここにグラウンディングして(父と繋がって)働くこと』の最重要部分なのです。
このギフトは「いまここ/人間的状況内/物理的世界として受け取られている状況内」で働くので、(いままであなたが天国に対する定義を見ていた所に、物資的世界と考えられている所に)天国を見せるヴィジョンの変容をあなたにもたらすのです。
これだけシンプルなのです。
[THE CONDITIONS OF FORGIVENESS.]
[赦しの条件]
これは「あなたが赦される条件」ではなく、「あなたが自分の兄弟を赦す条件」なのです。
[The holy instant is nothing more than a special case, or an extreme example, of what every situation is MEANT to be.]
[聖なる瞬間は、全ての状況の本来在るべき姿でしかないのです。]
聖なる瞬間とは、あなたが自分の独立を放棄して自分の最上の思考や論理を離れて、精霊か父と繋がり「何が真理か知りたい」と願うことなのです。
これは自己主張的(攻撃的)思考者としてのあなたがその状態を手放して、リラックスすることによりそのような状態から抜け出て、静かになり、自己主張的でなくなり、{分離的に}思考しなくなり、好奇心を持って「真理を知りたいと」真摯に願えるようになることなのです。
[The holy instant is nothing more than a special case, or an extreme example, of what every situation is MEANT to be.]
[聖なる瞬間とは、全ての状況の本来在るべき姿を端的に示している一例でしかないのです。]
これは兄弟/庭/川/土地/家/ビル/環境など全ての状況に当て嵌まります。
[. . . every situation is MEANT to be . . .]
[全ての状況の本来在るべき姿]
(聖なる関係とは)あなたが居るそこに在るリアリティのホントの姿の体験なのです。
[The meaning which the Holy Spirit's purpose has given it is also given to every situation.]
[精霊の目的がそれ(特定の聖なる瞬間)に与えた意味(見方)が全ての状況にも与えられているのです。]
聖なる瞬間が与えている意味が、全ての状況にも与えられているのです。
聖なる瞬間に与えられた目的は、ただそこにボーと存在するだけでなく、それは常に何かと繋がるのです。
それ(聖なる瞬間の意味/目的)は、常に何かに関することなのです。
だから(あなたが)聖なる瞬間を許可してそれを抱擁したなら、聖なる瞬間が(リアルな人/リアルなペット/リアルな物との)リアルな関係を抱擁(内包)するのです。
[It calls forth just the same suspension of faithlessness, withheld and left unused, . .]
[それは...不信心を保留すること(不信心を遠ざけ使わないこと)を呼び掛けているのです。]
さて不信心を使う(不信心の実践)とはどういう意味だったでしょうか?
不信心の実践とは、あなた自身の権威と知性と理性を使って、状況や人々を自分の為に操作するあなたの能力を使って、自分で物事の責任を取ろう、自分で物事を起こそうとすることです。
これには神に静かな注意を与えることが含まれて居らず、リアリティに対する神の定義に静かな注意を与えることが含まれて居ないので、これは不信心の実践なのです。
不信心とは、世界に対するあなた独自の定義に夢中に成ってしまうことなのです。
だから精霊の目的は、
[. . . calls forth just the same suspension of faithlessness, withheld and left unused, that faith might answer to the call of truth.]
[...真理の呼び掛けに答えられるように成るまで、不信心(疑い)を保留すること(不信心を遠ざけ使わないこと)を呼び掛けているのです。]
もう一度聞きなさい。
[It calls forth just the same suspension of faithlessness, withheld and left unused, . .]
[それは...不信心(疑い)を保留すること(不信心を遠ざけ使わないこと)を呼び掛けているのです。]
このように不信心を保留することが出来るのです。
不信心を止めて使わない必要があるのです。
不信心を止めて、しかし様子を見て、後日自分の都合に合わせて(状況に対する)コントロール(操り)を取り戻してしまっては駄目なのです。 これを取引の道具にしてしまっては駄目なのです。
[It calls forth just the same suspension of faithlessness withheld and left unused, . .]
[それは…不信心(疑い)を保留すること(不信心を遠ざけ使わないこと)を呼び掛けているのです。]
不信心を二度と使わなくなる必要があるのです。
しかし不信心を保留していても、後日使う為にそれを保ってしまったなら(不信心を完全に手放していなかったなら)、それは「不信心を遠ざけて使わないこと」にはならないのです。これは重要な点です。
精霊の目的は、
[. . . calls forth just the same suspension of faithlessness, withheld and left unused, that faith might answer to the call of truth.]
[それは…不信心を保留すること(不信心を遠ざけ使わないこと)を呼び掛けているのです。]
これが繋がることです。 これがピュアに真摯に求めるマインド状態に自分を保つことを可能にする静寂です。
[. . . might answer to the call of truth. The holy instant is the shining example, . .]
[真理の呼び掛けに答えられるように...。聖なる瞬間は輝けるサンプル(一例)なのです。]
これが輝ける一例なのは、これが唯本当に一働くシンプルなことだからです。
ここには何も難しいことは言われていません。 これが愛なのです。
(この状態から離れて)リアリティ体験に反することをあなたがしている時それを修正することが、これほど簡単なのは驚異的ではありませんか。
[The holy instant is the shining example, the clear and unequivocal demonstration of the meaning of every relationship and every situation, seen as a WHOLE.]
[聖なる瞬間は輝けるサンプルなのです。それは全ての関係の意味(意図)をクリアに疑いよう無くデモンストレートし、全ての状況の全体を見ているのです。]
あなたが独立的存在として行動している時、あなたはあなた自身を全体から切り離しているのです。あなたは自分をそれ(全体)から分離して見ており、自分以外の全てを自分から切り離して見ているのです。
だから殆どの場合「彼等対わたし達、私対彼等」という風に状況が見られているのです。
しかしあなたが聖なる瞬間の中に入って、あなたの独立的権威を放棄し二度と使わなくなれば、全ての分離が消えて、私対彼等(の対立)が消え去って、全てが「わたし達」に成るのです。
これが全体性の体験に成るのです。
そしてこの全体の中でだけ、神の法が全てを統治しているのです。
そしてこの全体内だけで、無敵(不可侵/絶対的安全)が永遠の体験として見えはじめるのです。 何故なら、これ(安全/不死身)が創造自身の変化不可能な特質なのだから。
あなたが独立的な目を通して見た時にだけ、これが(リアリティ全体の不死身が)違うように(成立していないように)見えるのです。
するとあなたは「健全なもの/全体」をあなたかもそうでないように見始めるのです。
するとあなたは「健全なもの/全体」がまるで「健全/全体」ではなくなってしまったかのように振舞い始めるのです。
リアリティの中に居て、(リアリティそのものではなく)あなたがリアリティに対して与えた定義がリアリティなのだとして振舞い始めた時、あなたはリアリティと衝突し、リアリティが非情で不親切であるかのようにあなたは感じ始めるのです。
そしてあなた達は「人生とはそういうものだ!」と言ってしまうのですが、(実際には)そうではないのです。
しかしあなたが目隠しをしたままでリアリティの中を歩き回ること(全てをありのままの姿には見ないこと)に固執し続けるなら、確かに「人生/生命がそういうもの」に成っているのです。
そう振舞っている時、あなたはリアリティと衝突してしまうのです。
しかしリアリティはあなたが期待しているようなもの(痛み/怪我/ダメージ/その他あなたの知覚の中で自信が失われて行くこと)ではありません。
[Faith has accepted every aspect of the situation, . . ]
[信心は状況の全ての側面(要素)を受け入れました。]
静かに父と繋がることで、状況の全ての側面(要素)が受け入れられたのです。
何故なら、それ(信心/父と繋がること)は無限の一体性(唯一性)の体験なのだから。
[Faith has accepted every aspect of the situation, and faithlessness has not forced any exclusion on it.]
[信心は状況の全ての側面(要素)を受け入れました。そして(あなた達の)不信心はそれ(状況)にどのような排除(限定)も加える事は出来ていません。]
そしてあなたがリアリティに対してどのような排除も強制していなかったなら、あなたは否定状態にはおらず、従ってリアリティとは衝突しないのです。
もしあなたが全体を受け入れており、そのどの部分も排除していなかったなら、その場合あなたは無敵/不死身/安全/平和の状態にあるのです。
リアリティのどの部分をも排除しなくなり、リアリティのどの部分をも自分から異なったものとは呼ばなくなった時、それは無限の安堵の息を付くようなものです。
これだけでも聖なる瞬間を持つに足る理由なのです。
[It is a situation of perfect peace simply because you have let it be what it IS. This simple courtesy is all the Holy Spirit asks of you.]
[これはパーフェクトに平和な状況です。 それはあなたがその状況をそれそのままにしたからです。 (それは、状況がその真の姿のままで在り続けることをあなたが許可したからです。)精霊があなたから求めているのは、このシンプルな挨拶(認識)だけなのです。]
だから赦しの条件の中にはこのシンプルな挨拶(気配り)が含まれるのです。このシンプルな礼儀(気配り)とは何でしょうか?
それは、
[Faith has accepted every aspect of the situation, and faithlessness has not forced any exclusion on it.]
[信心は状況の全ての側面(要素)を受け入れました。そして(あなた達の)不信心はそれにどのような排除(限定)も加えていません。]
です。
これが挨拶(認識)の美しい定義です。
[Do not intrude upon it, do not attack it, do not interrupt its coming.]
[真理を変えようとしたり、攻撃したり、(現われ出ようとしている真理を)中断しようとしたりするのは止めなさい。]
[Let truth be what it is. ]
[真理がそれそのものとして現れる(存在する)ことを許可しなさい。]
それ(真理)をあなたの中に届けなさい。
それがあなたの中で響くことがあなたにとって一番大切なことなのです。
何故ならそれが一番知性的なことだから。「真理が何か知りたい」と求めることが知的なことなのです。
そして「真理でないこと/ウソ/誤知覚」によって混乱することを求めるのは知性に欠けることです。
だから、
[Let truth be what it is. Do not intrude upon it, do not attack it, do not interrupt its coming. Let it encompass every situation, and bring you peace. Not even faith is asked of you, for truth asks nothing.]
[真理がそれそのものとして現れる(存在する)ことを許可しなさい。真理を変えようとしたり、攻撃したり、(現われ出ようとしている真理を)中断しようとしたりするのは止めなさい。真理が全ての状況を包み、あなたに平和をもたらすことを許しなさい。(その時点においては)あなたから信心さえも求められていないのです。 何故なら真理は何も求めないから。]
信心とは自信のようなものです。 あなたは真理に対して自信を持つ必要はありません。
[Not even faith is asked of you, for truth asks nothing.]
[(その時点においては)あなたから信心さえも求められていないのです。 何故なら真理は何も求めないから。]
[Let it enter, and it will call forth and SECURE for you the faith you need for peace.]
[真理が入って来ることを許せば、平和の為にあなたが必要としている信心を(真理が)呼び出し、それをあなたの為に確立します。]
だから真理は反論しようのない戒めや理知的主張ではないのです。 真理は能動的な現れ(Presence)なのです。
[Let it enter, and it will call forth and SECURE for you the faith you need for peace.]
[真理が入って来ることを許せば、平和の為にあなたが必要としている信心を(真理が)呼び出し、それをあなたの為に確立します。]
『汝は真理を知り、その真理が汝を自由にするでしょう。』“Ye shall know the truth, and the truth shall make you free.” 2
汝は真理を中に受け入れ、それがあなたに届く(響く)ようにして、それがあなたを自由にするのです。
それが愛の行為として「何が真理か」明確にし、あなたが混乱しなくなり正気が取り戻されるのです。
それには信心が必要なのです。 つまりあなたは二つのステップ(聖なる瞬間)を実践する必要があるのです。
この信心とは、あなたの意志を静まらせて父と繋がりリアリティの情報を父から受け取ることなのです。 これにより、あなたの誤解/誤知覚が(リアリティに対するあなたの誤認識が)真の視界で取り替えられるのです。
真理は、「真理/真実でないもの」を明確に示しそれを無価値にすることによってそれ(真理でないもの)に対するあなたの興味を無くさせることにより、あなたを変えます。
あなたが信心を実践している時、真理がこれをするのです。
あなたの人間的意志を黙らせ「何が真理なのか」父に訊ねることにより、これが起こるのです。
あなたはこれをする必要があるのです。この信心の実践をあなたは行なうべきなのです。
そして父か精霊が(あなたに)応答した時、それがあなたを理解で満たします。(疑いようのないクリアな満足を与え平和をもたらす)叡智であなたは満たされるのです。
[. . . enter, and it will call forth and SECURE for you the faith you need for peace. But rise you not against it, for against your opposition it CANNOT come.]
[真理が入って来ることを許せば、平和の為にあなたが必要としている信心を(真理が)呼び出し、それをあなたの為に確立します。しかし真理に逆らって立ち向かうことは止めなさい。 何故なら真理はあなたの抵抗に反して入ってはこれないから。]
あなたは真理を変えることは出来ず、変更することは出来ず、真理を消すことも出来ません。
あなたは自分の注意を真理から完全に取り外すことが出来るのですが、そうしても真理があなたを統治していることを止めることは出来ません。
しかし(あなたの注意を真理から外した場合)真理の統治が不愉快に居心地悪く感じられるのです。 何故なら、あなたが少しの間狂気に陥るスリル/幻想を楽しもうとしている時に、真理は正気の方向にあなたを動かすのだから。
[Would you not WANT to make a holy instant of every situation? For such is the gift of faith, freely given wherever faithlessness is laid aside, unused.]
[あなたは全ての状況を聖なる瞬間にしたいと思いませんか?信心のギフトとはこのようなもので、不信心が使われずに脇に退けられた時、自由に与えられるものなのです。]
不信心が使われず脇に退けられる度に、信心のギフトが自在にあなたに与えられるのです。
(真理に対する)代用プランを持たず、(精霊/神から離れた)自分だけの切り札を隠し持たず。(不信心を)放棄することが必要なのです。
[And then the power of the Holy Spirit's purpose is free to use instead.]
[その時(疑いの目的の力ではなく)精霊の目的の力が自由に使えるようになるのです。]
精霊(あなたの正しいマインドにしか過ぎないもの)が「真理が何か」あなたに示した時、あなたはその真理に従おうとせざる得なくなるのです。あなたは真理と共に立ちたいと思うようになり、あなたは真理をシッカリと握らないわけには行かなくなるのです(何故なら、真理が示された今それ以外のことは無意味なのだから)。
[This power INSTANTLY transforms all situations into one sure and continuous means for establishing His purpose, and demonstrating its reality.]
[この力が瞬間的に全ての状態を「彼/精霊の目的を確立してそのリアリティをデモンストレートする一つの継続的で確実な方法」へと変換するのです。]
ええ、この全てがあなたの為に行なわれるのです。真理がやって来て、それ自身を示し、あなたを変えるのです。
精霊の目的が全ての状況内に入って来て、全ての状況を「精霊の目的を確立しそのリアティをデモンストレートする一つの確実で繋がった方法」に変換するのです。
あなた達がこれを行なっていない(体験していない)理由は一つしかありません。
それはあなた達が自分達自身の思考を行うことで障害を乗り越えて行く方が(聖なる瞬間/真理)より価値がある、と考えているからです。
あなた達がこれらの障害と出会っているのは、あなた達にリアリティが見えておらず、あなた達がリアリティに協力しておらず、それと共に流れておらず、それと調和した自然な関係を持っておらず、従ってあなた達がリアリティと衝突しているからなのです。
[What has been demonstrated has called for faith, and has been GIVEN it.]
[すでにデモンストレートされている状態が信心を求めており、求められている信心が与えられたのです。]
もしあなたが二つのステップをしていたなら、もしあなたが真摯に訊ね聞いていたなら、
[Now it becomes a fact, from which faith can no longer BE withheld.]
[そして今これが事実に成り、そこから信心を遠ざけて置くことは最早出来ないのです。]
解りますか? 洞察/理解/啓示がやって来るのです。
それはとてもクリアで、あなたはもうそれ(真理)に対する信心(信頼/理解)を遠ざけて置くことは出来ないのです。
真理を抱擁する(喜んで受け入れる)ことを躊躇することはもはや出来なくなるのです。
[The strain of refusing faith to truth is enormous, and far greater than you realize. But to answer truth with faith entails no strain at all.]
[真理に対して信心を与えることを拒否し続けるストレスは巨大で、あなたが理解しているよりも大きいのです。しかし真理(真実)に対して信心で答えれば、ストレスは全く生まれません。]
(真理に対して信心で答えれば)ストレスは生まれなく成ります。 しかしこのストレスが(現在のあなた達には)刺激的なのです。あなた達はそれに慣れ切っているのです。
あなたはそれ(真理に抵抗することから来るストレス)を愛しており、「自分達はそのようなチャレンジを受けて立つ為にここにいるのだ」と考えています。
その様にあなた達が考えていた場合「全くストレス無くここに居る(存在する)こと」とはどういう意味に成るでしょうか。それは死と同等ということに成るのです。
人生に目的が無くなり、ピンクの雲の上に永遠に乗っているだけなら、それは永遠にお墓の中で眠るのと余り大差ないですね? これらは違う環境で同じような無味さを感じることなのです。
しかしここで言われているのは、そのようなことではないのです。
[To you who have acknowledged the call of your Redeemer, the strain of not responding to His call seems to be greater than before. ]
[自分の救済者(贖い主)の呼び掛けを認識したあなたにとって、彼(精霊)の呼び掛けに呼応しないことは、以前よりも大きなストレスとして見えています。]
これはとても重要なポイントです。誰があなたの[Redeemer](贖い主/救済者)なのでしょうか?
あなたはこれがイエス・キリストのことを指していると考えたかも知れません。
“I know that my Redeemer liveth.”3 [贖い主が生きていることを私は知っています。]
しかしACIMのこの文章の中の「贖い主」は別な人を差しているのです。
誰が贖い主なのでしょうか? あなたの隣に座っている、あなたの真向かいに座っているあなたの兄弟です。 あなたが喧嘩しているあなたの兄弟姉妹です。 あなたが愛を交わしている兄弟姉妹です。
[To you who have acknowledged the call of your Redeemer, . .]
[自分の救済者(贖い主)の呼び掛けを認識したあなたにとって]
あなたがその人の目を覗き込んで(真の気遣いを持ってあなたが覗き込んだ故に)あなたがそこに父を認識するその人があなたの救済者です。
そして父を認識した結果として、あなた自身が目覚めるのです。
あなたが兄弟を(わだかまり/偏見の目ではなく)無垢/純真な目で見ようと考えられるだけ兄弟を愛したが故に、あなたの兄弟はあなたの救済者/贖い主なのです。
そしてあなたの無垢なヴィジョンの中で、兄弟姉妹(あなたの贖い主)の中に父が輝いていることが見えるのです。
[To you who have acknowledged the call of your Redeemer, the strain of not responding to His call seems to be greater than before. ]
[自分の救済者(贖い主)の呼び掛けを認識したあなたにとって、彼(精霊)の呼び掛けに呼応しないことは、以前よりも大きなストレスとして見えています。]
何故でしょう? それは以前まであなたは兄弟が自分の贖い主だとは気付いていなかったからです。 今まで兄弟姉妹は、日々を過ごす上でなんとか関わり合っていかなくてはいけなかった嫌な奴らでしかなかったから。
しかし彼等があなたの贖い主なのだと知った今、もう彼等に対して意地悪で独立的な投射を行なって罪悪感を感じずにいたり、自分の役割を果たしていないこと、をあなたは見逃せなくなるから(以前よりも大きなストレスが感じられるのです)。
だから今兄弟姉妹を憎む事が以前より難しくなっており、兄弟姉妹に最悪の性質を与えたり、彼等に対する間違った結論を(その結論に対する正当化と共に)下したりすることがより難しくなっているのです。
[To you who have acknowledged the call of your Redeemer, . .]
[自分の救済者(贖い主)の呼び掛けを認識したあなたにとって、]
兄弟姉妹の価値を見たあなたにとって、
[. . . the strain of not responding to His call seems to be greater than before. This is not so. Before, the strain was there but you attributed it to something else, believing that the "something else" produced it.]
[彼(精霊)の呼び掛けに呼応しないことは、以前よりも大きなストレスとして見えています。しかし実際にはそうではないのです。以前からストレスはそこにあったのです。 しかしあなたはその原因を何か他のことに求めていたのです。 そして「何か他のこと」がこのストレスを作っているのだ、と考えていたのですが、これは決して真実ではなかったのです。]
これを一番シンプルに言い表せば下記のようになります。
あなたが兄弟を見ている時、「彼はこのような者だ」とあなたが考えた様子に合わせてあなたは彼を見ていたのです。 そしてあなたは彼に対する自分の信念を信じて、あなたの問題に関して(あなた自身の不信心にその原因を求めたのではなく)、彼にその原因を求めたのです。
ここには二つの意味/解釈が示されています。
(一つ目の解釈/解説は)あなたが彼に対して信心を欠いており、あなたは彼から最低のものを期待していた、ということです。
(もう一つの解説は)あなたが「あたかも自分自身で自分の安全や健全に対して責任を負っており、その為に自分の兄弟を敵からの人質として捕らえて拘束し、あなたが自分のマインドを変えるまで、彼には何も出来なくさせておく必要がある」という思考をあなたが実践しているということです。
これら二つの不信心が行なわれていたのです。
[Before, the strain was there but you attributed it to something else, believing that the "something else" produced it. This was NEVER true. For what the "something else" produced was sorrow and depression, sickness and pain, . .]
[以前からストレスはそこにあったのです。 しかしあなたはその原因を何か他のことに求めていたのです。 そして「何か他のこと」がこのストレスを作っているのだ、と考えていたのですが、これは決して真実ではなかったのです。しかし「何か他のこと」が作ったのは悲しみと憂鬱と病と痛みと恐怖の薄暗いイメージと寒い怖れの幻想と灼熱の地獄の夢だったのです。]
何がこれら(幻想)を作っていたのでしょうか?
独立的思考です。独立そのものがこれらの幻想を作っていたのです。
何故なら、父からの独立を主張した途端、あなたは罪悪と怖れを(自分の)状況内に避けよう無く引き入れてしまったのです。 そしてあなたがこの装置{独立思考}を手放すまで、罪悪と恐れはそこに留まり続けるのです。
[For what the "something else" produced was sorrow and depression, sickness and pain, darkness and dim imaginings of terror, cold fantasies of fear and fiery dreams of hell. And it was nothing but the intolerable strain of refusing to give faith to truth, and see its evident reality.]
[しかし「何か他のこと」が作ったのは悲しみと憂鬱と病と痛みと恐怖の薄暗いイメージと寒い怖れの幻想と灼熱の地獄の夢だったのです。しかし実際にはそれらのイメージは、あなたが真実に対して信心を与えることを、そして真実の明確なリアリティを見ることを拒否していたことから来る耐え難いストレスだったのです。]
「真理に対して信心を与えずにいること」が「不信心を実践していること」で、その場合あなたには真理の明確なリアリティが見えなくなってしまっているのです。
[Such was the crucifixion of the Son of God.]
[神の子の磔とはこのようなことだったのです。]
(「神の子」とは)イエス・キリストのことを言っているように聞えるかも知れませんが、そうではありません。
これはあなたの兄弟姉妹のことなのです。
[Such was the crucifixion of the Son of God. His faithlessness did this to him.]
[神の子の磔とはこのようなことだったのです。彼(神の子)の不信心がこれを彼自身に対して行なったのです。]
兄弟の不信心が彼自身を惨めな存在/苦しみのポジションに据えたのです。兄弟のあなたに対する振舞いは、この(不信心の)マインド状態/体験から立ち昇っていたのです。
[Such was the crucifixion of the Son of God. His faithlessness did this to him. Think carefully before you let yourself use faithlessness against him. ]
[神の子の磔とはこのようなことだったのです。彼(神の子)の不信心がこれを彼自身に対して行なったのです。彼に対して不信心を使う前に注意深く考えなさい。]
(あなたが彼に対して不信心を使ったなら)それは盲人が盲人を導いて両者が溝に嵌っている状態なのです。しかしこの状態は回避することが出来るのです。
この状態(兄弟が自身を磔にしており、あなたが兄弟を裁いていること)からは何も良きことは起こらないのです。これは全く時間の無駄で、全く建設的/効果的でない状態なのです。
[Think carefully before you let yourself use faithlessness against . . .]
[...対して不信心を使う前に注意深く考えなさい。]
あなたの兄弟姉妹の不信心が彼等を惨めな状態に陥らせており、彼等の不信心が愛を必要とする振る舞い(愛の呼びかけ=愛を求める行為)を彼等にさせているのです。 彼等(あなたの兄弟姉妹)に対して不信心を使うのは止めなさい。
[Think carefully before you let yourself use faithlessness against him. For he is risen, and you have accepted the cause of his awakening as yours. ]
[彼に対して不信心を使う前に注意深く考えなさい。何故なら彼は蘇り(立ち上がり)、あなたは彼の目覚めの原因をあなた自身のものとして受け入れたのだから。]
あなたがここで(自分の兄弟に対して)不信心を実践せず、信心を実践し父と繋がって精霊から提供されるヴィジョン(真理をあばき示す啓示)を得たなら、あなたの兄弟は健全/十全に見られるのです。 あなたの兄弟が「キリストとして蘇った者」として見られるのです。
彼の神聖があなたに対してとても明白に示されて、それによって彼の神聖と同時にあなたの神聖があなたに指し示されるのです。
[For he is risen, and you have accepted the cause of his awakening as yours.]
[何故なら彼は蘇り(立ち上がり)、あなたは彼の目覚めの原因をあなた自身のものとして受け入れたのだから。]
あなたは自分が与えたものを、自分で保つことが出来るのです。
そしてあなたに保つことが出来るのは認識(アクティブに兄弟の無垢を見つけた結果として「兄弟に対するあなたの体験」内に神を見ること=啓示)なのです。
[You have assumed your part in his redemption, and you are now fully responsible to him.]
[あなたは彼の救出(贖い)に対する自分の役割を受け入れました、そして今あなたは彼に対して完全に責任を負っています。]
こうしてまた「関わり合い」が出て来ました。
何故あなたは彼に対して完全な責任を取ろうとしないのでしょう? 何故あなたは兄弟に対する全部の責任を負おうとしないのでしょう?
あなたのマインド内から彼のどの部分をも排除するべきではなく、どのような意味でも彼をあなたから排除するべきではないのです。
何故あなたは(全く不調和や不協を導入しない、そして兄弟や全ての状況に充足と高揚を与える)愛の現れに成り続ける責任を取ろうとしないのでしょうか?
[Fail him not now, for it has been given you to realize what your lack of faith in him must mean to YOU.]
[今彼を見捨てるのは止めなさい(彼を救済しなくてはいけません)。何故なら、彼に対するあなたの信心の不足があなたにとってどの様な意味があるか認識させるためにこの状況が与えられているのだから。]
今彼/彼女を見捨てるのは得策ではありません。
「彼を愛さない悪影響を避ける為に兄弟を愛するのなら、私は兄弟を愛しているのではなく、自分が苦しみたくないから自分の為にこれをしているだけではないか。」とあなたは考えてしまうかもしれません。
しかしこのように理屈をつけて、これを遅らせるのは良いアイディアではありません。
あなたにとって自分の兄弟(姉妹)が十分重要に成り、彼の目を見て、「その中に在るとはあなたが思っていなかったもの」(父/神)をそこに見つけるまで、あなたは目覚められないのです。
これをしない限り、あなたはその影響(神を見ていない悪影響)を受けてしまうのです。
そして彼(兄弟)を愛することがあなたの性質なのです。
兄弟のその本当の姿を見ることが、あなたの性質/本質なのです。
だからあなたが父の視点を訊ねている時、あなたはあなた自身の性質(本来のあなたの自然な視点/あなたの正気)に戻されることを求めているのです。
これはこのように働くのです。
[His salvation IS your only purpose. See only this in every situation, and it will be a means for BRINGING only this.]
[彼の救済だけがあなたの唯一の目的なのです。全ての状況においてこれだけ(彼を救済することだけ)を見るようにしなさい。そうすれば全ての状況は、これだけを行なう方法に成るのです。]
これを赦しのもう一つの条件と呼ぶことも可能でしょう。
[See only this in every situation, and it will be a means for BRINGING only this.When you accepted truth as the goal for your relationship, you became givers of peace . . .]
[全ての状況においてこれだけ(彼を救済することだけ)を見るようにしなさい。そうすれば全ての状況は、これだけを行なう方法に成るのです。真理をあなたの関係のゴールとして受け入れた時、(あなたの父があなたに平和を与えていると同じ位確実に)あなたは平和を与える人に成ります。]
真理をあなたの関係のゴールとして受け入れた時、あなたがその体験をした時、あなたが平和を与える人に成るのです。
[When you accepted truth as the goal for your relationship, you became givers of peace as surely as your Father gave peace to you. For the goal of peace cannot be accepted apart from its conditions, . .]
[真理をあなたの関係のゴールとして受け入れた時、(あなたの父があなたに平和を与えていると同じ位確実に)あなたは平和を与える人に成ります。何故なら、平和の条件を抜きにして平和のゴールを受け入れることは出来ないのだから。]
条件の一つはあなたが状況の全側面を受け入れる信心を実践しており、不信心によるどのような排除もそこでは行われていないことです。
これが平和の条件の一つです。 これが好奇心なのです。
兄弟姉妹があなたの贖い主であることを(あなたが)認識していることが、赦しのもう一つの条件です。
あなたがこれを理解していなければ、兄弟の目を見て「そこに在るとあなたが信じているもの」以外のものを見てみようとする好奇心は発揮出来ないのです。
その場合(あなたが兄弟を扱ったやり方故に、あなたが兄弟と接した方法故に)あなたは「自分自身を新しい方法で認識する機会」を自分から奪っていまいます。
だからこれ(兄弟姉妹があなたの贖い主であると認識していること)が赦しの条件の一つなのです。
[For the goal of peace cannot be accepted apart from its conditions, and you HAD faith in it, you HAD faith in it, for no-one accepts what he does not believe is real.]
[何故なら、平和の条件を抜きにして平和のゴールを受け入れることは出来ないからです。そしてあなたは平和のゴールに対して信心をすでに持っているのです。何故なら自分でリアルだと信じていないことを受け入れられる人はいないから。]
わたし達が話して来たことをあなたが行ない啓示と洞察を得たなら、あなたは平和のゴールに対して信心をすでに持っているのです。
『「それはリアルではない」と自分で信じていること』をあえて探そうとする人は誰も居ません。
そして残念なことにあなた達は罪/病/死を探しているのです。
あなた達はある程度の期間生命を探して、それから死んでいます。 これが受け入れられているのです。
あなた達はそれを信じています。 あなた達はそれに自分達の信心を与えているのです。
あなたがキリストであることを受け入れるのはハードです。あなたが神の息子/娘であることを受け入れるのはハードです。
瞬間的な癒しが可能だと信じることはあなたには難しいことです。失われた手足や臓器が出現出来ると信じることは、あなたには難しいのです。
この闘争に満ちた世界の中で平和を感じるために出来ることが(ポジティブ思考以外に)あると信じるのは難しいことです。
これが難しいハードなことなので、あなたはこれをしてみよう(信じてみよう)とさえしていません。
あなた達は「これが真実だと自分達が信じていること、これがリアルだと自分達で信じていること」だけに注意を払い続けているのです。
そして私がしていること全ては「リアルな、しかし現在のあなた達の定義とは違うこと」を信じるようあなた達を励まし、あなた達自身が作り上げた(そしてあなた達を縛り付けている)現在の定義群からあなた達が自分達自身を解放出来るようにすることなのです。
それらの定義は真理を表してはおらず、あなた達は神の聖なる子供であって、あなた達の生得権(持って生まれた権利)を取り上げることは不可能なので、これらの定義に縛られ続ける必要はないのです。
[Your purpose has not changed, and will not change, for you accepted what can NEVER change. ]
[あなたの目的は変化しておらず、これから変化することもありません。何故ならあなたが受け入れたものは決して変化し得ないものだったのだから]
あなたが聖なる瞬間を実践している時、(真理が真理であるが故に)真理がそれ自身の意思によりあなたのマインドの中に入って来て、あなたがそれ(真理)に抵抗しなければ、あなたのマインドが真理によって変えられるのです。
ここでの要点は、あなたがそれ(真理)に抵抗/反対しないこと、です。
[Your purpose has not changed, and will not change, for you accepted what can NEVER change. And nothing that it needs to be forever changeless can you now withhold from it.]
[あなたの目的は変化しておらず、これから変化することもありません。何故なら「あなたが受け入れたもの」は「決して変化し得ないもの」だったのだから。そして「それ(あなたが受け入れたもの)が永遠に不変であるために必要とされているもの」を「あなたの目的」から遠ざけておくことはもはや出来ないのです。]
これがあなたが期待出来ることなのです。
真理がクリア/明確に成った時、あなたはもうそれ(真理)を二度と手放せないのです。
幻想の中であなたと繋がってくれる他の兄弟を見つけることは出来るでしょう。しかし、あなたが体験したこと故に、あなたはもうそのようなこと(特別な関係)は求めないのです。これが確約されているのです。
[And nothing that it needs to be forever changeless can you now withhold from it. Your release is certain. Give as you have received. And demonstrate that you have risen far beyond ANY situation that could hold you back, and keep you separate from Him Whose call you answered. ]
[そして永遠に不変であるためにそれが必要としているものを、今あなたがあなたの目的から遠ざけておくことは出来ません。あなたの解放は確実です。あなたが受け取ったように、あなたは与えなさい。そして「あなたを押し留めてしまおうとする、あなたを彼から遠ざけて置こうとする(しかしあなたは彼の呼び掛けに答えたのです)」どの様な状況をもあなたは遥かに超えていることをデモンストレート(表明)しなさい。]
あなたの兄弟は常にあなたを呼んで(あなたを求めて)いるのです。
あなた同様に、あなたの兄弟は苦しんでおり、日々のストレスから自由ではありません。あなた達の日々は心配からは解放されていません。あなた達の日々は修正されるべき誤解から自由ではなく、誤解がもたらしているストレスから自由でもないのです。あなた達の日々は、平和な世界の体験で満たされてはいないのです。
であれば、これ(わたし達が今回言ったこと)を真理と認識して、赦しの条件を整え、あなた達の目覚めを早めなさい。
そして先週も言った通り、これはあなたが(アイディアや論理ではなく)兄弟姉妹と関わり合うことを意味しているのです。
そして兄弟姉妹との人間的関わり合いの中に父を持ち込むのです。
それは一体どのようになされるのでしょうか?
あなたが兄弟姉妹と関わっているやり方を変えることによって、です。
何故なら、あなたの兄弟姉妹の目を見て父がそこに現れていることを発見することによって、あなたは父を状況内に持ち込むのだから。
それがマインドの完全な変換にあなたを巻き込むのです。それが兄弟姉妹に対するあなたの知覚と感情を変革するのです。
そしてあなたはそこで自分の中の傲岸が蒸発してしまっていることを見つけるのです。
何故なら、あなたの傲岸さへ消え去れば、どのような排除も無くワンネス(一体性/全体性)が起こるのだから。 その時に赦しの条件の一つが満たされるのだから。
A Course In Miracles (reference pages)
Chapter 17 – Section: THE CONDITIONS OF FORGIVENESS
1 Sparkly Book – p.420 / JCIM – p.176 / CIMS – p. 354
Chapter 17 – Section: THE CONDITIONS OF PEACE
First Edition – p. 345 / Second Edition – p.370
2John 8:32
3Job19:25
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A Course in Miracles Study Group with Raj, October 23rd 2011
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