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ACIM12-02-18

この新しいセクションには(それぞれのACIMバージョンによって)異なるタイトルが与えられています。

[DREAMS AND THE BODY] or [BEYOND THE BODY1]
[夢と体] あるいは [体を越えて]

「体を越えて」というとあなたが体を越えて体を残して移動して行き、体が存在しなくなり、体が無に成って、体が無意味になるように聞えますね。
あなた達は死んで体の束縛を逃れることになると広く考えられているので、体を越えて行くことがよりスピリチュアルな考えだと思われているかもしれませんが、そうではないのです。

体とはあなた達が「形(フォーム)」と呼んでいるものです。
体とは私が「神のマインド内にあるアイディアの見える様子触れる様子」と呼んでいるものです。 体とは私が「創造を発生させている神の動きの可視性と可触性」と呼んでいるのです。

創造とは{神の}アイディアの触れる様子/見れる様子なのです。
天国とは創造の動きの(神のマインドの動きの)見れる触れる様子なのです。
創造の動きはあなたのマインドの上に書かれていきます。それは空間や時間の上に書かれているのではありません。それはあなたのマインドの中に書かれているのです。それはあなたの意識の中に照らされているのです。

「父よ、私は自分自身でしたいです。父よ、私自身で定義したいです。」とあなたが言う前までは、あなたは天国を体験していました。 あなたは父が創造したものなので、無限存在の意識体験として創造を体験していたのです。 そして父は父自身を全てあなたに与えているのです。 父は自身の全てのどの部分もあなたから遠ざけてはいないのです。
だからあなたの意識は神の無限のマインドと同じく無限なのです。
そしてあなたが父から離縁するまで、あなたの体験は意識的体験だったのです。あなたは全てを意識していたのです。
あなたは全てを「(スピリット/霊で構成されている)創造の見えて触れる様子」として体験していたのです。 あなたはそれを物質として体験しては居なかったのです。

「父よ、私はあなたの仕事を奪い取ることにしました。私自身が全てを定義する者に成ります。」と言ってあなた達が状況を逆転させて自分達自身で神に成ろうとするまではそうだったのです。

しかしあなた達がそう言って父から離縁した時、アイディアの実体としてのスピリットの体験が物質に成ったのです。 スピリットが(神の法に統治されていない、あなた達が独自に作り始めた物理法則に統治されている)物理的宇宙に成ったのです。 

この状態を止めることが我々のしようとしていることなのです。
その中で全ての形がスピリットであり全てが創造の結果であった「天国」の上にこのような解釈{物理的宇宙の定義}が被せられたのです。
既にパーフェクトであった天国の上に物理的宇宙という解釈が被せられたのです。
{天国の中では}全てのものは「父のマインドの現われ」だったのです。
そして神のマインドの無限の現れの直接表現である「あなた」は(狂気ではない)無限のマインドを持っていたのです。
そしてあなたは{真理を}把握し理解し感じ、あなたの中には真理(全てに対する真理)の意識が深く埋め込まれていたのです。
そして創造が起こっている場所が自分であることをあなたは理解していました。何故なら全てのアイディアが体験されているマインドがあなたなのだから。
そこには混乱がなかったのです。あなた達はそこに戻ろうとしているのです。

本を読みましょう。

[There is nothing outside you. That is what you must ultimately learn, for it is the realization that the Kingdom of Heaven is restored to you. For God created only this, and He did not depart from it, nor leave it separate from Himself.]
[あなたの外には何も在りません。これがあなたが最終的に学ばなければならないことです。 何故ならこの認識の上に天国{リアリティ}があなたの為に修復されるのだから。何故なら、神はこれ(全てを自分の中に内包しているあなた達=天国)だけを創造し、神はこれから離れず、神がこれを神自身から分離したことも無いのだから。]

神のマインドは動いて、神が動きを体験します。
そして神が動きを見てそれを「良きもの」と呼び、それを自分自身として認識します。
これが自己認識、全体、完全なのです。
この全体の中にあなた達は居たのです。 神の子の全てがそこに居たのです。

神はこれだけを創造し、神はこの創造から離れませんでした。
神はこれを変えませんでした。 神はこれにどのようなアレンジも加えず、これを自分自身から分離した異なったものにはしませんでした。 神はこれ(創造)を操ることが出来る「自分から分離したもの」として扱いませんでした。
彼(神)は自分が作ったものを見て。 見よ!それは真に真に良いものだったのです。それは彼自身だったのです。
彼(神)はその真理を体験したのです。しかし真理を操作はしませんでした。そのような必要は無かったのです。

真理は触れられ体験され、そして無限に永遠にエンジョイされるべきものなのです。
そして神はマインドの動きなので、創造は永遠に開き続けているのです。
そして創造の真理は神とあなたによって体験されているのです。何故なら神とあなたが(創造の全てと共に)「神の動き」なのだから。
そして創造の真理がそこで体験されるのです。
それを体験することがあなたの生得権(持って生まれた当然の権利)であり、あなたの責任であり義務なのです。

「これがあなたの任務/責任なのです」と私が言っていても、あなた達が(全てのことに対してあなた達が与えている、神の法とは異なった)定義を放棄し自分達の正しいマインドに帰って行くプロセスを行なっていない限り、これには意味がありません。
例え聖なる自分をあなたが無視していたとしても、それでもあなたは神聖なる存在なので、自分の正しいマインド(正気)を取り戻し「あなたの真理」と「全てに関する真理(何故ならあなたの外には何も無いのだから)」を体験することへの衝動と動機と責任をあなたは自分の中に持っているのです。 

動きの中の創造とは、
[The Kingdom of Heaven is the dwelling-place of the Son of God, who left not his Father, . .]
[天国とは(自分の父から離れなかった、父と離れて住んではいない)神の子の住家なのです。] 

人は父から離れているフリをしており、自分は父から離れているのだと自分に思いこませており、「天国/神が抱いているアイディア/スピリットで出来ているもの」を(生命と愛の永遠の性質を持っていない「物理/物体の性質」{罪/病/死}によって統治されている)物質的宇宙として見る権利の為に戦う積りでいるのです。 

[The Kingdom of Heaven is the dwelling-place of the Son of God, who left not his Father, and dwells not apart from Him.]
[天国とは(自分の父から離れなかった、父と離れて住んではいない)神の子の住処なのです。] 
人は自分の想像の中でだけ父から離れているのです。

[Heaven is not a place nor a condition.]
[天国とは場所ではなく、条件/状況でもないのです。]

天国は時間でも空間でもないのです。
(しかしより重要なことは)天国は場所ではないのですが、それはあなたが何処かの場所に居て何かを体験している時にそこが天国ではないという意味ではないのです。
それ(あなたが天国以外の場所に居て天国以外を体験している積りでいること)はある種の幻想なのです。
いや...、それは(天国を独立的に見て、自分達で天国に対する定義を作り上げることに固執することによって)天国に対してあなた達が与えているバイアス(歪み)が幻想なのです。
これが天国を天国とは異なって見せており、天国とは反対のことが起こっているように見せているのです。

[It is merely an awareness of perfect Oneness, and the knowledge that there is nothing else; nothing outside this Oneness, and nothing else within.]
[天国とは単にパーフェクトなワンネスの意識(一体性に対する気付き)であり、それ以外には何もないと知っていることなのです。 このワンネスの外には何も無く、その中にも{天国以外のものは/ワンネス以外のものは}何もないのです。]

天国の中にあるものは、神のマインドが「存在」の無限の意識体験として動いていることだけなのです。
これが創造の動きで、これが天国なのです。
それ以外は何も天国の中には在り得ないのです。
しかしあなた達が物事を想像して様々な定義を作っている時、あなた達は天国の中にそれら(定義された状況)を持ち込んでいるように見えています 。 しかし本当はそのようなことはされていないのです。 何故なら、神が存在していること以外は天国の中には何も無いのだから。「神の無限のマインドがそこに存在している無限の動き」以外は何も無いのです。

天国の中ではそれ以外は在り得ないのです。
そして天国の外には何も存在していません。しかしあなた達は自分達で何かを作り上げていると考えており、父に確認するまでもなく、啓示/洞察/癒やしを得る必要なくそれ(天国/リアリティ)が何か自分達で解っていると考えているのです。
そしてあなた達はキチガイなのです。
あなた達は全てを間違って体験しているのです。

[What could God give but knowledge of Himself?]
[神自身に関する知識以外に、神が(あなた達に)与えられるものがあるでしょうか?]  

あなたを創造する過程で神の現れ以外の何が行われたのでしょうか?
神が現れ出ること以外何も起こらなかったのです。
神が与えられるものは、神自身に関する知識、神自身の顕在化、神自身の証拠、神自身の見える触れる様子だけなのです。
そして神はスピリット(霊)でありマインド(意識/心)なのです。
神は愛で真理でプリンシプル(尊い原則)で魂で、そして神はスピリット(霊/精神)なのです。

[What could God give but knowledge of Himself?]
[それ以外に(神があなた達に)与えるべきものが在り得るでしょうか?]  

神は創造の中に自分自身を投入したと言うことも可能でしょう。
これは神が陶芸家のように特定の陶器を作り上げたことを意味しているのでしょうか? 神は「自分とは異なるもの/展示して売りさばけるもの」を作ったのでしょうか?

{いいえ、}神は自分の知識/叡智を与えたのです。
神が神自身を表現したのです。 そして神はその表現なのです。
その表現の中で体現されているものが神なのです。
神とは体現の後ろにあるものなのです。
神とは体現を下から支えているものなのです。
神とは体現を超えているものなのです。

しかし超えていると言ったなら、それはやはり分離しているように聞えますね。
あなたは体現の前に何が在ったのか知りたいと思っています。
これ(体現の前に存在したもの)が主体です {これがあなたの意識が求めているものです}。
その場合、体現は主体ではないですね。
だからといって「体現(体現されているもの/顕在化されているもの)がリアルではない」ということではないのです。
これが要点なのです。これが重要なのです。

[The belief that you could give and GET something else, something OUTSIDE yourself, has cost you the awareness of Heaven, . .]
[それ(神への認識)以外のもの(あなた自身の外に在るもの)を与えたり得たりすることが出来るという信念が、天国に対するあなたの認識を損なっており、あなたのアイデンティティの知識を喪失させているのです。]
天国以外のところに自分が居るとあなたが想像し始めるまでは、天国以外のものに成ってそれを存在させようリアルにしようとあなたが想像し始めるまでは、あなたは天国に対する気付き/意識を持っていたのです。
あなたは全てを得ていたのです。 (あなたが父を離縁しようとした直前まで)父が成っている全てが存在に対するあなたの意識体験だったのです。
(父からの離縁を実行するまで)あなたは正気で目覚めていました。 そしてあなたは「創造の真理を認識するという、創造の真理を感じ取るという、創造の真実を知るという」自分の役割を満たしており、それに反対しようと考えることは無かったのです。

しかし、

[The belief that you could give and GET something else, something OUTSIDE yourself, has cost you the awareness of Heaven, . .]
[それ(神への認識)以外のもの(あなた自身の外に在るもの)を与えたり得たりすることが出来るという信念が、天国に対するあなたの認識を損なっており、]

この信念があなたの正気に対する認識をそこなっているのです。すると急にあなたは罪/病/死/老化/腐敗が起こる物資的な宇宙(それはエントロピーと呼ばれているそうですね)の中に居るように成ったのです。
罪/死/病/悪化が必然的で当然な生命を生きているように見えているのです。
しかしそれは違うのです。

[. . . has cost you the awareness of Heaven, and the loss of your identity.]
[天国に対するあなたの認識を損なっており、あなたのアイデンティティの知識を喪失させているのです。]

何故でしょう? 
それはあなたが「私には父が居ない、私は孤児だ。私は(正気を抜きにして私自身を体験するにあたり)私以外の源を認めないことに決めた。」と言ったからです。
こうしてあなたは自分のアイデンティティを放棄して、父なし子に成り、{あなたは自分のことを}神の子として認証しなくなったのです。
こうしてあなたの遺産(あなたが神から継承しているもの)が無くなったのです。あなたには生得権が無くなったのです。 あなたには源が無く、あなたは電源に繋がれていない電灯のように無意味に成ったのです。
だからこれ(神以外のものを認識したり与えたりすることが出来るという信念)が天国に対するあなたの気付きとあなたのアイデンティティ(自己認識)を失わせたのです。

[And you have done a stranger thing than you yet realize. You have displaced your guilt to your bodies from your minds.]
[そしてあなた達はこれ以上に奇妙なこともしているのですが、自分達自身ではまだそれを認識していません。あなた達は自分達の罪悪(感)を自分達のマインドから自分達の体に移したのです。]

考えてみてください。
創造/天国が本当はどのようなものだと私が言ったか考えてみてください。そして創造/天国に対するあなたの役割がどのようなものだと私が言ったか考えてみてください。
天国への(天国そのものへの)意識的気付きに成ることがあなたを源と同調させ、すると(父が成っている)真理以外はあなたの意識体験の中に入ってこなくなり、あなたは神を認識し賞賛する自分の役割を満たすことになるのです。
このことの中であなたは神の共同創造者に成っているのです。そして神の共同創造者としてのあなたが独立的存在になることは不可能なのです。

[Yet a body CANNOT be guilty, for it can do nothing of itself.]
[しかし体は有罪には成り得ません。 何故なら体そのものだけでは何も出来ないから。]

それは体がリアルでは無いからではなく。体の目的は有罪(guilty、罪深くなること)ではないからです。 
{私が知る限りACIMのどのバージョンにも「体がリアルなものである」とは書いてありません。 しかし「人は何らかの形で常に自らの体(自分を示すもの)を認識し続ける」というのがラジの一貫した主張です。 訳注}
神の全てのアイディアは(例えそれがあなたの体でも手でも、例えそれが樹でも、創造のその他の全ての側面でも)リアルなのですが、それらのものが(創造の一部が)それ自体で何かをしたり、罪を犯したりすることは出来ないのです。

創造の各部分に出来ることは、いまそこに神が現している(顕在化している)ものとして存在し、神をその時そこで表現することだけなのです。これがコミュニケーション(意味の伝達)を構成している表現なのです。
何故なら(兄弟姉妹の共同体内の全ての人達とその他創造の全てによって構成されている)「全てを知っているマインド」{に成ること}、無限のコミュニケーションそして叡智(Knowledge)を受け取ること、つまりそれぞれお互いの真理を知る体験をすることがあなたの役割なのだから。
これがあなたが体験していることをリアルにするのです。

あなたが離縁を得た時、あなたが「私は自分でルールを作りたいです。私自身が全てを定義したいです。」と言った時、あなたはこの(天国の)体験の中に怖れと罪悪を持ち込んだのです。
そして怖れと罪悪は耐え難いものでした。
だからあなたはそれらの怖れと罪悪を「創造」に投げ付け、するとそれはもうあなたには創造には見えなくなったのです。
すると創造が急に(エントロピーが成り立っていて罪/病/死が避けれない)物理の法則に司られている「物質」に成ったのです{少なくともあなたはそのような体験をし始めました}。 

酷いことです。 しかしあなたは自分がこれをしたとは思っていません。
何故あなたは怖れの中に住んでいるのでしょうか?
何故事故が起こった時あなたはそれも致し方ないと思うのでしょうか?
樹が枯れた時何故あなたは驚かないのでしょうか?
ハリケーンが破壊を起こしているように見えている時何故あなたは驚かない(疑問を抱かない)のでしょうか?
それは「自分は非情/無慈悲な世界に生きている」とあなたが考えているからです。
闘争/対立にも関わらず生命が何とか可能な世界に自分は生きているとあなたは考えています。

だから{あなたが体験している世界の中には}何か「怖れるべきこと」や「心配するべきもの」の可能性が常にあるのです。
だからあなたはストレスの中に生きていて胃潰瘍や高血圧に悩んでいるのです。
何故あなたはこれに驚かないのでしょうか?
何故なら、あなたは「あなたの以外の全てもの」をあなたの罪悪の対象(object)にしているからです。 
あなたは{自分の罪悪を}「{自分以外の}何か」のせいにしているのです。
「それ」が問題なのです。{あなた以外の何かに罪悪の原因があるとあなたは考えているのです。}

[Yet a body CANNOT be guilty, for it can do nothing of itself.]
[しかし体は有罪には成り得ません。 何故なら体そのものだけでは何も出来ないから。]

「本当に? ではマグマに圧力が掛かって火山が噴火してポンペイやその他の町を埋め尽くし破壊し人を殺したことはどうなのでしょう?」
そうです{そう疑問に思った}あなたは正しいのです。そのようなことは何かが間違っています。
そして間違っていることを正す時なのです。
意識がシフト出来るように成るべきなのです。あなたが体の中のマインドとして存在し体の外側に世界を見ている状態から、「あなたの外には何もないこと」をあなたが認識出来ている状態にシフトするべきなのです。
しかしこれは「あなたの体の外には何も存在していない」という意味には成りません。
「あなた」の定義が変えられるべきなのです。
あなたという『「存在」の意識体験』の外には何も無いのですが、しかしあなたは「あなたのマインド」を誤解しており誤って定義しているのです。
マインドとは脳という物体の中の神経細胞やシナプシス(ニューロン間の接合部)や電子の動きだとあなたは考えています。 それらのこと故に自分が考えられ意識を持てているとあなたは考えています。
頭の中の物質があなたの全ての体験を作っているとあなたは考えています。
例えそうだったとしても「外側」にリアリティなどないのです。
{このように考えた場合でも、それでも}それ(あなたの外側)は肉体の中を動き回っている電子が起こしている物理的幻想でしかないのです。

[Yet a body CANNOT be guilty, for it can do nothing of itself. You who think you hate your bodies . . .]
[しかし体は有罪には成り得ません。 何故なら体そのものだけでは何も出来ないから。自分は自分の体を嫌っていると考えているあなた達は、]

チョッと待って。誰かさんが「私は自分の体を憎んでなどいません。」と言っているのが聞えます。
{例えあなたが自分の体を嫌っていると考えていなくても}あなたは例えば伝染性の高い病原菌に満ちた病院に行くことは怖れているでしょう。あなたは例えば車に満ちたハイウエーの真ん中に立とうと思ったりしますか?そうしたいとは思わないでしょう。
何故なら、そのようなことをした場合あなたの体に酷いことが起こり得ることをあなたは怖れているのだから。 そのような状態ではこの物理的なものは機能しなく成ってしまうとあなたは怖れているのだから。

このようなこと(このような世界)があなたをハッピーにしていると思いますか?
「死に対する恐れはあなたの体に対する憎しみの現われではない」とあなたは考えていますか? 体に対するあなたの不信は憎しみに満ちているのです。それ(体に対するあなたの不信)は愛ではないのです。それは調和ではないのです。
(身体的な見方をした場合でも)それはあなたの血圧を下げず、血圧を上げてしまうでしょう。 それは不健康なのです。
もしあなたが自分の体を怖れているなら、もしあなたが自分が年取った時の体の状態を怖れているなら、あなたは自分の体に関してハッピーでは無い訳です。 あなたはこのことに関するストレスを忘れたフリをしているだけなのです。
しかし事実あなたは自分の体を憎んでおり、「体を自分だと思うこと(body identification、world identification)」から「マインドを自分だと思うこと「Mind identification」にシフト出来るように成るまであなたは体を憎み続けるのです。 
例えば「私の手の動きは頭(マインド)の働きを反映しており」... しかし「マインド」という言葉をこのように使うのは適切ではありません。 それは真理を表していません。
意識的気づき(意識体験)は、無限が感じられている({あなたによって}定義されていない)限りない体験なのです。

[You who think you hate your bodies deceive yourselves. You hate your MINDS, for guilt has entered into them, and they would remain separate, which they cannot do.]
[自分は自分の体を嫌っていると考えているあなた達は、自分達自身を欺いているのです。(本当は自分達の体を嫌って居るのではなく)あなた達は自分達のマインドを嫌っているのです。 何故なら、罪悪があなた達それぞれのマインドの中に入って行っており、それらのマインドは分離している積りでいるのですが、そのようなことは不可能なのだから。]

{エゴに囚われている}あなたのマインドは、あなたのパートナーのマインドから分離しつづけようとしているのです。
あなたのマインドは私のマインドから分離していたいと考えているのです。
あなたのマインドは神のマインドから分かれていたいと思っているのです。
これが{エゴの}基本ルールなのです。
これが開始地点であり終了地点なのです。
そしてだからこれは狂気なのです。 神のマインドが混乱し得る(狂気に成り得る)というこのアイディアは馬鹿げているのです。
そしてこれは不可能なのです。 わたし達は(マインドが分離し得るという)この信念を解除しようとしているのです。

[Minds ARE joined; . . ]
[各マインドは繋がっていますが、]
プライベートな思考は存在していないと私は既に言いました。

[Minds ARE joined; bodies are not. Only by assigning to the mind the properties of the body does separation seem to be possible. ]
[各マインドは繋がっていますが、それぞれの体は繋がっていません。(分離している/分離して見える)体の特質をマインドに割り当てることによってはじめて、分離が可能に見え始めたのです。]

「私のマインドは私の頭脳の中で働いているもので、あなたのマインドはあなたの頭脳の中で働いているもので。 あなたがあなたの頭脳をニューヨークに持って行って、私が私の頭脳をサンフランシスコに持って行ったなら、それらは同じ場所には存在していないでしょう。」
このようにして体の特性がマインドの特性としても定義されており、これが人々のマインドを分離したものに見せています。

しかし多くの人達が「静けさの中で(物理的なコミュニケーションが起こっていないように見えているにも関わらず)遠くにいる他の人の必要を知る体験」をしています。
そして命を救ったり、その他意味深いことを他の人の為にしてあげられたことがある筈です。
多くの人達がマインドが限定されていない(区切られていない)ことを体験しています。
あなたの兄弟姉妹のマインドとあなたのマインドが隔たれていないことを体験したことがある筈です。
(あなたは定義を信じ切っていますが)マインドに当て嵌められている定義は間違っているということが事実なのです。 (あなたの)現在の体の定義に基づいている「マインドの限定」は間違っています。
あえてこれを見てみなさい。幻想に縛られるのではなく、幻想に確信を与えるのではなく。

[Minds ARE joined; bodies are not. Only by assigning to the mind the properties of the body does separation seem to be possible. And it is MIND that seems to be fragmented and private and alone.]
[各マインドは繋がっていますが、それぞれの体は繋がっていません。(分離している/分離して見える)体の特質をマインドに割り当てることによってはじめて、分離が可能に見え始めたのです。そうすることで(繋がっていないという体の特質をマインドに割り当てることで)「マインド」(本来ひとつである神の子のマインド)がバラバラでプライベートで孤独であるように見えているのです。]

時々あなたが祈って答えを得ている時以外は{対立しているマインドがバラバラに成立しているように見えているのです。}。

[And it is MIND that seems to be fragmented and private and alone. Its guilt, . .]
[そうすることで(繋がっていないという体の特質をマインドに割り当てることで「マインド」(本来ひとつである神の子のマインド)がバラバラでプライベートで孤独であるように見えているのです。罪悪(感)が...]
{父から}離縁を得て独立的に存在することをあなたが選んでいる時、罪悪が発生しているのです。

[Its guilt, which KEEPS it separate, is projected to the body, which suffers and dies because it is attacked to hold the separation in the mind, and let it NOT KNOW its identity. Mind cannot attack, but it CAN make fantasies and direct the body to act them out. ]
[罪悪(感)がマインドを分離しており、それが体に投射されているのです。マインドの分離を保持する為に、そしてマインドの合一(一体性)を知らせずにおく為に、体が攻撃されており、故に体が苦しみ死んで行くように見えるのです。{本来}マインドには攻撃は出来ないのですが、{攻撃の}幻想を作ることは出来ます。そしてこの幻想を行なうよう体に指示することが分離したマインド(分離しているつもりのマインド)には出来るのです。]

これ(分離したマインド)がファンタジー/幻想を作り、時として(体が実際には何もしていない時でも)体がこのファンタジーを行動しているように{分離したマインドは}解釈するのです。
例えば強い病原菌にさらされ、その被害をこうむり、直ぐに死んでしまうというように。

[Yet it is never what the body does that seems to satisfy. Unless the mind believes the body is actually acting out its fantasies, it will attack the body by increasing the projection of its guilt upon it.]
[しかし(分離したマインドに)満足をもたらしているように見えているのは「体がしていること」では決してありません。 体が本当にその幻想(攻撃)を行動に移しているとマインドが信じない限り、マインドは体への罪悪(感)の投射を増やすことにより体を攻撃し続けます。]

あなたが自分の世界を見てそれが無垢であり(神の在り様の性質を反映している)天国であると考えてみることが出来たなら、その時あなたはあなたの裁きを取り消しているのです。 その時あなたは世界に対してあなたが行なった{罪の}投射を取り下げているのです。
するとどうなるのでしょうか? 世界が変るのでしょうか?
いいえ。 その時(創造を見えるよう触れるように描いている)神の全てのアイディアのコミュニケーションがあなたに話しかけるのです。
何故ならそれら(神のそれぞれのアイディア)の目的はその意味(存在意義)を知らせることなのだから。
何故なら天国の中で「創造の他の部分」から分離され分け隔てられているものは何も無いのだから。
これが{世界に対する罪の投射をあなたが止めた時に}起こることなのです。 そしてこれによって夢が解除されることに成りますね?

しかし自分が独立して存在していると信じ続けることをあなたは未だ求めているのです。
「自分は創造を行える/物事をコントロール出来る独立した存在である」と信じることがあなたにとってはまだとても大切に感じられているのです。
だからもしあなたが本当に世界を見てそれが「あなたの想像や断定的自信」から無垢/無罪であることを発見したなら、あなたのエゴはとても怖がってエゴがあなたの世界に与えている罪悪の定義をより一層強めるのです。
するとあなたは世界に関するより強い怖れを体験するのです。そして以前よりも世界が不意安定に怖ろしく感じられるのです。そしてあなたは自分の独立(独自性)の為により忙しく戦わなければならなくなるのです。

だから、
[Unless the mind believes the body is actually acting out its fantasies, it will attack the body by increasing the projection of its guilt upon it.]
[体が本当にその幻想(攻撃)を行動に移しているとマインドが信じない限り、マインドは体への罪悪(感)の投射を増やすことにより体を攻撃し続けます。]

あなたが聖なる瞬間を実践している時、あなたは目覚めのプロセスを行なっており、あなたは世界/宇宙を無垢なものとして認識し始めるのです。 世界を「エントロピーが絶対的である物理法則」に縛られていないものとして認識し始めるのです。
すると{目覚め始めようとしている}あなたはチャレンジ(抵抗)に面するのです。
目覚め始めようとするとあなたのエゴがあなたを脅し(あなたが今まで使って来た)偽りの性質を投射し続けようとするのです。

要点は:
聖なる瞬間を実践し始めた時、あなたの中の「世界の怖れ/恐怖」が強まったとしても驚かないでください。
何故ならあなたは、このような恐怖を自分に与えることにより自分の権威を手放さなくて済むようにしようとしているのだから。
独自の権利を有している「あなた」の統合性と権威から来ている誠意/誠実を放棄しなくても済むように{このような怖れが現れるのです}。
世界をより怖ろしく見せて「世界を無垢なものとして見ようとするあなたの意欲」を捨てさせようとするのです。
世界を天国として見ようとする試みを捨てさせようとするのです。
世界が物質で出来ているのではなくスピリット(霊)で出来ていて、物理法則に従っているのではなく、世界は神の法則だけが行き渡っている場所であること(何故なら神だけが「あなたを含む全創造の動き」の中に存在しているのだから)を見つけることを捨てさせようとするのです。

もう一度読みましょう。
[Unless the mind believes the body is actually acting out its fantasies, it will attack the body by increasing the projection of its guilt upon it.]
[体が本当にその幻想(攻撃)を行動に移しているとマインドが信じない限り、マインドは体への罪悪(感)の投射を増やすことにより体を攻撃し続けます。]

{エゴ的}マインドは、あなたをより怖れさせることにより、罪悪を体や世界に対して投射しているのです。
世界や体をあなたにとって一層脅威的にして(全創造に対して聖なる意味をコミュニケートすることしかしていない)天国に対してあなたをより防御的にさせてしまうのです。  しかし天国(リアリティ)はその聖なる意味をあなたに受け取ってもらおうとしているだけなのです。

[In this, the mind is clearly delusional. It cannot attack, but it maintains it CAN, . .]
[これに関してマインドは確実に幻覚を見ています。マインドが攻撃することは不可能です。 しかし(エゴの)マインドは自分に攻撃が可能だと信じ込んでおり、]

世界への罪悪の投射を強めることに関してマインドは幻想を見ています。
攻撃が可能だと信じているのはどのマインドなのでしょうか?
それは孤児のマインド、自らの源を否定している独立したマインド、「神との合一(一体性)」と「神との共同創造」への認識を失っているマインドです。

[In this, the mind is clearly delusional. It cannot attack, but it maintains it CAN, and uses what it does to hurt the body to PROVE it can.]
[これに関してマインドは確実に幻覚を見ています。マインドが攻撃することは不可能です。 しかし(エゴの)マインドは自分に攻撃が可能だと信じ込んでおり、それを証明する為に、自身に出来ることを使って体を痛めようとします。]

体(腕や足や動体や頭などと呼ばれているもの)を痛めるとはどういう意味でしょうか?
これは「エゴのマインドはその力(エゴに出来ること=幻想/誤知覚)を使って創造の全てを痛める」という意味です。
(あなたの体と呼ばれている)創造を間違って解釈/定義して、その間違った解釈/定義に従ってそれを裁くことによって、それ(体)を痛めるのです。
そうすることでその意味が否定され、それ(創造)が幻想に引き渡され、それ(創造)が憎まれるのです。  
それそのものとして抱擁/体験されるべき創造が否定され幻想によって上書きされ憎まれるのです。
{ラジはここで「あなたが自分の体と呼んでいるものも本来は創造の一部なのである」という主張を元に話をしており、これはACIMテキスト内には書かれていないアイディア(新しい主張)だと私は思います。 訳注}

[The mind cannot attack, but it CAN deceive itself . . . ]
[マインドには攻撃は出来ませんが、それ自身を欺くことは出来るのです。]
{分離的マインド=エゴは}想像力を駆使して自らを欺くのです。

[And this is all it does when it believes it has attacked the body.]
[だからマインドが体を攻撃していると信じている時、マインドはこれだけ(自分は体を攻撃していると自身を欺くことだけ)をするのです。]
間違った定義を「あなたが体と呼んでいるもの」に与えて、自分を世界と対敵するものとして定義することによって{体を攻撃していると信じ込むのです}。

[It can project its guilt, but it will not LOSE it through projection. And though it clearly can misperceive the function of the body, . .]
[マインドには自分の罪悪を投射することは出来ますが、投射しても罪悪を失うことにはなりません。そしてマインドは体の役割を誤認識(誤解)することは出来ますが、...]
{マインドは}創造のどの部分でも、創造の見て触れるどの側面をも{誤認識することが出来るのですが、}

[. . . it clearly can misperceive the function of the body, it cannot change its function from what the Holy Spirit establishes it to be. ]
[そしてマインドは体の役割を誤認識(誤解)することは出来ますが、聖霊が設定した体の役割を変えることは出来ないのです。]

想像力の使用は何も変化させないのです。 それは「あなたの正しいマインド」があなたと繋がり「全てをその真の姿であなたが認識している意識」を照らし出す能力を消すことはないのです。

[The body was not made by love. ]
[体は愛によって作られたものではありません。]
これはどの体について言っているのでしょうか?
父を離縁している者によって見られている体です。
父を離縁している者(孤児)によって見られている体は、怖れと罪悪のレンズを通して作られているのです。
だから(体の)定義には何らかのネガティブな要素が入っており、そのネガティブな要素に対する自己防御が必要になるのです{必要に見えるのです}。
{体に}与えられている定義は愛によって作られてはおらず、それは父と繋がってリアリティを見ることによって作られてはいないのです。
{あなた達が自分達の定義を通して物事を体験している限り、}ここに物質的宇宙が成立して働いているとあなたが主張しているその場所にあるリアリティをあなたは父と一緒に見ていないのです。

[The body was not made by love. Yet love does not condemn it, and can use it lovingly, respecting what the Son of God has made, and using it to save him from illusions.]
[体は愛によって作られたものではありません。しかし愛は体を裁かず、愛をもって体を使うことが出来るのです。神の子が作ったものを尊重し、彼(神の子)を幻想から救うことが出来るのです。]

何故{愛は}体をこのように使用出来るのでしょうか?
何故なら体は本来は神の見えて触れる様子なのだから。だからあなたが体に対する間違った定義を信じている間も、愛は体をこのように使用してあなたのマインドの変容が可能なようにあなたの注意を引き付けることが出来るのです。
その結果として(あなたは初めから天国に直面していたので)天国が物質の法則に従っている物質的宇宙ではなくなり始め、天国がスピリットとして振舞い始めるのです。

大切なのは、あなたのマインドの中の変容が起こる場所にあなたが注意を払うことなのです。{変容が起ころうとしている}あなたのマインドを天国の中に保つことなのです。
それを超えて見越そうとすることは 不適切です。それを超越しようとすることは不適切です。
{あなたの体として現れているその}「リアリティが何か」見ようとすることで「聖霊の動きがあなたの注意を引き付けられるようになること」が重要なのです。 致死的で怖ろしく危険であるとあなたが決めたもの{あなたの体}がシフトして、スピリットで出来ているものへの意識体験に成るように。
スピリットの性質は愛で、その役割はその神聖をあなたに伝達しそれによってあなたが目覚めることなのです。

[Would you not have the instruments of separation re-interpreted as means for salvation, and used for purposes of love? Would you not welcome and support the shift from fantasies of vengeance to release from them? Your perception of the body can clearly be sick, but project not this upon the body. ]
[あなたは分離の道具を救済の方法として解釈し直して、それを愛の目的で使いたいとは思いませんか?あなたは「復讐の幻想」から「幻想からの解放」へのシフトを歓迎しサポートしたいと思いませんか?体に対するあなたの知覚は明確に病んでいます。 これを体に投射し続けることは止めなさい。]

「体に対するあなたの知覚は」つまりあなたが体に与えている定義は病むことが可能なのです。
これ(あなたの病んだ定義/知覚)を「神のアイディアの見える様子触れる様子(天国)」に投射するのは止めなさい。

[For your wish to make destructive what cannot destroy can have no real effect at all. And what God created is only what He would have it be, being His Will. You CANNOT make His Will destructive. You can make fantasies in which your will conflicts with His, but that is all.]
[何故なら「破壊出来ないもの」を破壊しようとしたあなたの願いがリアルな効果は示すことは全く無いのだから。そして神が創造したのは、神の意図であって、「このように在れ」と神が意図したものだけなのだから。あなたが彼(神)の意志を破壊的にすることは不可能です。あなたは幻想を作り、彼(神)の意識に逆らうことが出来ます。しかしそれだけです。]

しかしそれだけなのです。
これはとても意味深い言葉です。 これがキーワードなのです。
一番初めの言葉は、 [あなたの外には何も在りません。] でした。

これが要点なのです。
体との自己同一(body identification)からマインドとの自己同一(Mind identification)へとシフトする必要があるのです。「マインドとしてのあなた(神の現れ)」が スピリットを解釈することを止めて、全創造をあなたから分離している(従ってあなたと対立しており、あなたにとって危険な)物質として解釈することを止めることなのです。

今週は毎日これを行なってください。 何かを見て「これは物質ではない。これはスピリットで出来ているものだ。 ああ、これはアイディアなんだ。私がこれを触った時硬く感じられるけれども、これはアイディアを体験しているのだ。これを体験しているのはマインドであって、体が体験している訳ではない。 これはマインドがアイディアを感じている体験で、指がテーブルを(私の外にある物体を)感じている訳ではない。」
これを今週楽しんでください。 出来るだけ沢山これを行なってください。
これが馬鹿げて見えたとしても、これを楽しんでください。このようにしてシフトが始るのだから。
あなたが何かを見ている時に「それが今まであなたの考え続けて来たものでしかない」と自動的に思ってしまわないように。 あなたはそのような状態を超える必要があるのです。

I love you.
この練習を楽しんでください。 これが全て難しいネガティブなことである必要などないのです。
(天に)持ち上げられることにより、インスピレーションを受け取ることにより、誤認識/間違った信念/無知への忠誠心を放棄することがより易しくなるのです。


Chapter 18 – Section: DREAMS AND THE BODY
1 Sparkly Book – p.436 / JCIM – p.182 / CIMS – p.367
Chapter 18 – Section: BEYOND THE BODY
First Edition – p. 358 / Second Edition – p.384

上記は下記のウェブサイトを翻訳したものです。


The Northwest Foundation for “A Course in Miracles”
PO Box 1490 / Kingston, WA 98346-1490 / USA
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
Website: http://www.nwffacim.org
E-Mail: paul@nwffacim.org

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テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

ACIM12-02-12

より頻繁に聖なる瞬間を実践して父と繋がることを選びそして父からの離縁/分離を保たなくなったなら(自分の独立を保持しなくなったなら)、あなたは「聖なる瞬間の中で神の法が全てを統治していること(聖なるマインド状態の中で神の法則が成り立っていること)を自分が体験している」と気付き始めるのです。

神の法は「神と似ていないもの全て」を排除/拒否します。
そして「神と似ていないものを排除/拒否すること」は神の手で行われます。
それは(あなたが個人的に所有している力が働くのではなく)神の手が行なうのです。

より確実に聖なる瞬間を実践し始めたなら、その時あなたは「神の法則が統治している場所」に自分を置いたので、あなたは問題が修正される体験をするのです。
そしてこれが聖なる瞬間を続ける(父と繋がることを続ける)理由をあなたに与えるのです。

するとあなたは自分自身の思考(自分だけの思考)も求めなくなるのです。
自分の日常を生きている時あなたはもう自分の想像力は使いたくなくなるのです。
その結果としてあなたは罪/病/死が起こっているアリーナ(領域)を放棄するのです。
と同時にあなたは「あなたが認証者として存在しているアリーナ(劇場)/ あなた自身がコントロールの源として存在しているアリーナ(領域)」を放棄するのです。

聖なる瞬間の内と外を両方体験し比較した結果として「あなた個人の思考だけで孤独に存在することはそれ程の満足はもたらさない」とあなたは気付くのです。
そしてあなたは自分個人だけの思考にはもう浸りたくなくなるのです。

だからと言ってあなたが修道院士に成ったり、世捨て人に成ったり、 奇妙な人に成るわけではありません。
私が言おうとしているのは、他の人々と異なった突飛な奇矯な人にあなたが成るわけではない、ということです。
しかしあなたはより頻繁により長くより確実に繋がって「父よ、聖霊よ、ここの真理は何ですか?」と言い続けるように成るのです。
聖なる瞬間の状態に留まることとは祈り続けることなのです。
「父よ、ここの真理は何ですか?」と言って聞き入り、{そこで明かされた}「意味」を掴み取りあなたは「ハイ(Yes)」というのです。
そして私が今まで何回も言っているように、祈りとは神に「ハイ、そうです」と言うことなのです。

だから「世界を否定すること」をあなたが実践する訳ではないのです。
あなたは「世界の中」で何かを捨てようとしたり、(今まで通り世界を)コントロールしようとするのではないのです。
あなたは父と向き合い繋がり続けるのです。
目覚めることは「祈りの状態に留まり続けること」なのです。

そして祈りにはもう一つの側面もあります。
祈りの中であなたは権威/認証力を自分自身から離している(譲っている)のです。
祈りとは謙虚な状態なのです。そこには傲岸が無く、したがって怖れが無く、罪悪も無いのです。このことを覚えていてください。
祈りとは自分が運転者(決定者)であることから抜け出ている在り方(状態)なのです。 これはとても素晴らしいことではないですか?

新しいセクションを読みましょう。

[THE HAPPY DREAM]1
[ハッピードリーム(幸福な夢)]

[Prepare you NOW for the undoing of what never was. If you already understood the difference between truth and illusion, the Atonement would have no meaning. The holy instant, your holy relationship, the Holy Spirit’s teaching, and all the means by which salvation is accomplished, would have no purpose. ]
[今、決して起こらなかった事(初めから起こってなどいなかった事)が解除されます。もしすでにあなたが真理と幻想の違いを理解していたなら、アトーンメント(和解/贖罪)は無意味で不必要だったことでしょう。(もしあなたがすでに真理と幻想の違いを理解していたなら)聖なる瞬間も、あなたの聖なる関係も、聖霊の教えも、そして救済が達成される全ての方法も、必要なかったはずです。]

[再読][もしすでにあなたが真理と幻想の違いを理解していたなら、...]{聖なる瞬間は必要なかったことでしょう。}

[For they are all but aspects of the plan to change your dreams of fear to happy dreams, from which you waken easily to knowledge.]
[何故ならそれらは全て、あなたの怖れの夢を幸福な夢に変えるプランの一部でしかないのだから。 そして幸福な夢の中に移行した後、あなたはそこから容易に叡智へと目覚められるのです。]

どのようにしたらハッピー・ドリームにシフト出来るのでしょうか?
聖なる瞬間を実践して「何が真理か/何が必要か」神に訊ね、そして{静かに成って}聞くことであなたの独立を手放すことによりハッピー・ドリームにシフトするのです。 
あなたに聞えるまで聞き続けるのです。あなたがどうにかコントロールを手放せるように成るまで聞き続けるのです。
これ(聞えること/コントロールを手放すこと)は偶然のように、あるいはアクシデントのように起こるでしょう。
何故なら、あなたがコントロールを手放すには{あなたの外からの}助けが必要だから。
そしてあなたが助けを得た時それはあなた自身の手では行なわれず、あなたはそれを「アクシデント(偶然)」と呼ぶでしょう。
これも重要な理解です。

[Put yourself not in charge of this, for you cannot distinguish between advance and retreat.]
[あなたは前進と後退を見分けることが出来ていないのだから、あなた自身にこの責任(怖れの夢から幸福な夢へ移行する責任)を与えるのは止めなさい。]

これがあなたには悪い知らせに聞えるのです。
あなたは真理と幻想の違いを知らないのです。そしてあなたは前進と後退を見分けることが出来ていないのです。
しかしあなたがこのことを真理として受け入れた時、あなたは「(自分で持っているとあなたが考えて来た能力を超えている)何か」に実際に手を伸ばすのです。

[Some of your greatest advances you have judged as failures, and some of your deepest retreats you have evaluated as success. ]
[あなたは自分の最大の進歩を失敗と判断しており、最大の後退を成功と評価してしまっているのです。]

あなたには失敗と成功の区別が出来ていないのです。
しかし自分でこの区別が付けられると考えている限り、あなたは自分の最上の独立した資質(思量/判断)を事態に持ち込み続けてしまい、静かに黙ることをしないのです。

しかし自分の平和を選んでいる時、あなたが聖なる瞬間を選んで「父よ、ここの真理は何ですか? 父よ、私を助けてください。聖霊よ、私を助けてください。」と言っている時、あなたは自然と自分の中の静かな祭壇に行くのです。
そうすることに対するあなたの躊躇/抵抗は「あなたが自分のプライベートな個人的独立的能力に自信を持ていること」を示しているのです。
「あなたというこの独立した存在」に(見せ掛けの)尊厳と誠意と整った構造を与えようとして、あなたは自分のパーソナルな能力を育て上げ開発して来たのです。
物事があなたにとってどれだけ好ましく行っているように見えたとしても、もしあなたが依然として罪/病/死を体験してたなら、あなたは{聖なる瞬間を持つことに}成功してはいないのです。
{その場合}あなたは「神が全ての中の全てであるという事実」を否定しているので、あなたは真理を体験していないのです。 
神が全ての中の全てであって、だから起こっていることは神の手によって起こされているのです。 何故なら、それは(あなたが聖なる瞬間の中でそれに参加することを決めた)創造の動きで、聖なる瞬間を通してそれ(創造の動き)に参加することによりあなたはそれ(創造の動き)にアクセス出来るのだから。


神が創造行為として行っている「動き(永遠の創造の動き)」を観察し、その神の動きに気付くことが、あなたの生得権(あなたの本質、あなたの当然の権利)なのです。あなたが{神/聖霊に}注意を与え続けている状態に戻るに従い、その結果がハッピー・ドリームに成るのです。

{すると}真理の理解があなたを満たしあなたに平和を与え、あなたは「神の意志が動きの中に持ち込んでいるもの」と調和出来るように成ります。

今まであなた達はそれ(神の意志が動きの中に持ち込んでいるもの)をビッグバンから始った世界/宇宙と呼んで来ました。

それ(物質的世界)はあなた自身が作った定義群に基づいているのです。 それはあなたがマインドのお喋りを静まらせて「私が教えられて来たことにも関わらず、私にとって知的に見えていることとは関係なく、父よ、ここの真理は何ですか?」と尋ねることなく「他者から教わった定義群」を信じてしまった結果に基づいているのです。

「私はこれを物質的世界/宇宙だと考えています。しかしあなたはこれが天国だと仰ったので私はそれ(物理的世界の真理が暴き示されること)を見て体験したいのです。私は自分の定義群(や私が受け入れてきた教え)から『あなた(父)が創造している(そして私には全くコントロール不可能に思える)オリジナルな体験』にどのようにしたらシフトするべきか知りません。 どのようにしてこのシフトを行うべきか私は知らないので助けて下さい。」 (とあなたは言うべきなのです。)

[Never approach the holy instant after YOU have tried to remove all fear and hatred from your mind.]
[自分のマインドから怖れと憎しみを全て取り去ろうとした後で聖なる瞬間に手を伸ばそうとするのは止しなさい。]

それらのことをあなたがしようとする必要は全く無いのです。
あなたはそれらのこと(自分のマインドから怖れと憎しみを全て取り去ろうとすること)を自分でしようとしてはいけないのです。

[Never approach the holy instant after YOU have tried to remove all fear and hatred from your mind. That is ITS function.]
[自分のマインドから怖れと憎しみを全て取り去ろうとした後で聖なる瞬間に手を伸ばそうとするのは止しなさい。それをすることが(怖れと憎しみを取り去ることが)聖なる瞬間の役割なのだから。]
怖れ/憎しみ/その他をあなたのマインドから取り除くことが聖なる瞬間の働きなのです。

[Never attempt to overlook your guilt BEFORE you ask the Holy Spirit’s help. That is HIS function. Your part is only to offer Him a little willingness to LET Him remove all fear and hatred, and to BE forgiven.]
[聖霊の助けを求める前にあなたの罪悪を見過ごそうとすることは止めなさい。 聖霊の役目がそれ(あなたの罪悪を見過ごすこと)なのだから。あなたの役割は、少しの意欲(譲る意欲)を聖霊に与えることにより、全ての怖れと憎しみを聖霊に取り除かせて、そしてあなた自身が赦されることなのだから。]

これは(「統合性/誠実」と「自分は完全に無防備ではないという自信」を持とうとして自分自身に命令している)マインドにとっては非常に混乱することなのです。
何故ならこれ(聖霊)は「あなたにはそれ(罪悪を見過ごすこと)は出来ない」と言いながらそれをさせようとするのだから。 これ(聖霊)は(自分自身で物事をすることに馴れ切っている)あなたがしたいとは思わないこと(自分のコントロールを手放すこと)をさせようとするのです。
だからこれは「あなた以外の何かに注意を与えてそれに任せなさい」と言うのです。
そしてこれはあなたをとても混乱させてしまうのです。

しかしあなたがあえて静かになって勇気を持って聖な瞬間を実践したなら、あなたは自分がコントロールしていない状況に引き込まれます。
それ(聖なる瞬間)は「あなたが父に喋らせるまで秩序が現れない場所」にあなたを置くのです。
あなたが静かに成ってコントロールを手放したなら「聖霊があなたに話し掛けインスピレーション(霊の流入/洞察)を与え真理をあなたに照らし出すこと」をあなたが許可するまで{秩序が見えない状況にあなたは置かれるのです}。
そして聖霊があなたの行動を導き「ついさっきまで物質的世界であった所」であなたは新しい行動を取れるようになるのです。 
最終的にあなたは天国の中で常にこの新しい振舞い(在り方)をし続けることになるのです。
そしてあなたが得たガイダンス(指示)に従っていくことにより、神の意志に譲ることがより完璧に成り、あなたのマインドが変容されて天国があなたに照らし出されるのです。

これがギフトです。これがあなたの体験の中であなたにはコントンロール出来ないギフトなのです。しかしこれはあなたの体験の中にあなたが呼び入れることの出来るギフトなのです。
このギフトを自分達の体験の中に入れることが人々を困惑させているのです。何故なら人々は「自分ですること」に大いなる自信を持っているのだから。

しかしインスピレーションが真理を照らし出すまで「すること」を控えたなら、その時初めてあなたの行為がリアリティとパーフェクトに調和するのです。 その時初めてあなたの振る舞いが天国(あなたは現在まだ天国を間違って解釈しているのです)と調和するのです。
そしてあなたが天国と調和した状態で存在し行動した結果として、あなたの全てのフィードバック(あなたが受け取る全ての反応)があなたの神聖を認証し、天国を認証し、あなたが孤児院(あなたが独立的に存在している場所)からの脱出に成功したことが明確になるのです。

[...あなたの少しの信心の上に、...]
あなたが二つのステップ/聖なる瞬間を実践している時に、

[On your little faith, joined with his understanding, He will build your part in the Atonement, and make sure you will fulfill it easily.]
[聖霊の理解と繋がったあなたの少しの信心の上に、聖霊はアトーンメント(和解/贖罪)に対するあなたの役割を作り、あなたがその役割を簡単に果たせるようにします。]

あなたが自分の判断を全て聖霊に任せて「聖霊があなたに示した判断」に従って行動したなら、あなたは自分がリアリティに対してより調和的に成っていることを発見するでしょう。 これ(聖なる瞬間)はこのように働くのです。
そして自分の判断を聖霊に一任した結果として(そして聖霊はあなたの正しいマインドにしか過ぎないので)あなたは「自分の存在の統一性/知性/聖なる秩序が照らし出されていること」を発見するのです。 これ(聖なるあなたの存在)が再びあなたの中で光り出し、もうあなたの注意がこれから逸らされなくなり、そしてあなたが変容されるのです。
これら全てはあなたが聖なる関係を持つことを選び、その関係を尊重した故に起こるのです。

さて聖なる関係とは何でしょうか?
聖なる関係とはあなたが「人/もの/こと」と関係を築いている時に神がそのプロセス内で無視されていない状態です。

より明確にする為にもう一度説明しましょう。
聖なる関係とは、あなたが人と関係している時に(先ず初めにその人を見てその人に関する情報/事実を集めるのではなく)一番最初にあなたが二つのステップを行なってマインドのお喋りを黙らせ静寂の中で「父よ、この人の真理は何ですか?」と訊ねることなのです。
こうしてあなたが父と繋がった結果として「そこで示された彼等(兄弟姉妹)に関すること」が「彼等に対するあなたの新しい知覚/認識」に成り、すると自動的にあなたの振舞いが彼等の神聖を反映するようになるのです。
(彼等に対するあなたの信念ではなく、彼等自身があなたに事実として示していることではなく、)「聖霊/神があなたに示した真理」をあなたの振舞いが反映するようになるのです。

[On your little faith, joined with His understanding, HE will build your part in the Atonement, and make sure that you fulfill it easily. And with Him, YOU will build a ladder planted in the solid rock of faith, and rising even to Heaven. Nor will you use it to ascend to Heaven alone.]
[聖霊の理解と繋がったあなたの少しの信心の上に、聖霊はアトーンメント(和解/贖罪)に対するあなたの役割を作り、あなたがその役割を簡単に果たせるようにします。聖霊と共にあなたは信心という揺るがぬ岩に支えられた橋を作り、天国へさえも昇って行くのです。しかしあなたはそれを使って一人で天国に昇天することは出来ないのです。]

(聖霊と共に)あなたのパトナーとあなたは信心という揺るがぬ岩に支えられた橋を作り天国へさえも昇って行くのです。
何故あなたがこれを自分で解ったり計画したり操作したりしてはいけないか下記の文章が説明しています。 それらのことはせずに、「何が起こるべきか、何が起こるか」自分で解っているとは考えずに、父に向き合って「私を導いてください」とあなたが言うべき理由が下記に説明されています。

[Through your holy relationship, reborn and blessed in every holy instant which you do not arrange, blessed in every holy instant which you do not arrange, thousands will rise to Heaven with you. Can YOU plan for this?]
[あなた達の関係は(あなたが自分ではアレンジ/準備しなかった)それぞれの聖なる瞬間の中で生まれ変わっており祝福されており、その関係を通してあなたと共に何千もの人達が天国に昇って行きます。あなたにこのようなプランが作れたと思いますか?]

このようなことが起こるとあなたに解っていない時{どうすればこのようなことが起きるかあなたに解っていない時}あなたにこれが計画出来ますか?
これに対して注意を払うべきだとあなたは考えてみることが出来ますか?
あなたが聖なる瞬間を実践した結果としてこれが起こるとあなたは知っていましたか?
あなたはこれが自分の正しいマインドに帰って行くプライベートで個人的な旅になると考えていたかもしれません。
「父の意志が何か?」訊ね求める理由としてパートナーとの聖なる関係を使う事には成るけれど、これは自分の比較的個人的なマインドへの回帰になるのだろうと{あなたは考えていませんでしたか?}

[. . . reborn and blessed in every holy instant which you do not arrange, thousands will rise to Heaven with you?]
[...生まれ変わっており祝福されており、その関係を通してあなたと共に何千もの人達が天国に昇って行きます。 ]
あなたはそう考えていましたか?

[Can YOU Plan for this? Or could you prepare YOURSELVES for such a function? Yet it is possible, because God wills it. ]
[あなたにこのようなプランが作れたと思いますか?あなたはこのような役割の準備を自分自身に整えさせられたでしょうか? それでもこれは可能なのです。何故なら神がそれを意図したのだから。]

だからあなたは神の意志が何なのか知りたいと求めるのです。だからあなたは「このように物事が働いているとあなたが考えていること」や「このように物事が働くべきだとあなたが考えていること」を手放せるようになるべきなのです。
何故ならあなた達は小さく考えてしまう傾向があるから。
あなた達は防御する為に考えており、その考えの中に留まり続けた場合、あなたの体験があなたを圧倒したり奇跡的になることは不可能なのです。

[. . . it is possible, because God wills it. Nor will He change His Mind about it.]
[何故なら神がそれを意図したのだから。そして神はこの事に関して自身の意図を変えることは無いのだから。]

神に感謝を!
何故なら、これはあなたの家路がシッカリと確立されていることを意味しているのだから。
そして最終的にあなたは自分が初めから家に居続けてきたことを発見するのです。
だから「これに対する意識的気付きを取り戻す道程」は不変で確実で信頼出来るものなのです。


[The means and purpose BOTH belong to Him. ]
[この方法と目的の両方は彼(神)のものです。] 
神に感謝すべき事には{奇跡の}方法と目的はあなたに所属しているものではないのです。 

[The means and purpose BOTH belong to Him. You have accepted one; . .]
[この方法と目的の両方は彼(神)のものです。 あなたは(彼から)その中の一つを受け取りました。]
何がこの目的なのでしょうか?
目的(ゴール)はあなたの神聖にアクセスすることなのです。
神聖がゴールなのです。

だから、
[You have accepted one; . .the purpose . . . the other will be provided.]{...the purpose...はラジが付け加えた部分です}
[ あなたは(彼から)その中の一つ{目的}を受け取りました。 もう一つは(これからあなたに)提供されるのです。]  

あなたは「その中の一つ」、つまり目的を受け取りました。
もう一つ{方法}はまだあなたの手の中にはないのです。
しかしあなたの手はそれ{方法}を受け取るためにそこに居るのです。

[A purpose such as this, without the means, is inconceivable. He will provide the means to ANYONE who shares His purpose.]
[方法無くして、このような目的は考えられません(これを達成する方法がなかったならこの目的も在り得ませんでした)。神は、自身の目的を分け合っている全ての者に対して(適切な)方法を提供するのです。]

「このような目的」とは神聖のゴールのことです。
そして神聖がこのゴール/目的なので、あなた達は父/聖霊/そして兄弟姉妹と目的を共有しているのです。

[He will provide the means . . .]
[神は...方法を提供するのです。]
これは絶対なのです。
これに関して父がマインドを変えることはないのです。
しかし「父よ、私の意志ではなく、あなたの意志がなされますように」とあなたが言っている時、あなたは本当にそう意図しなくてはならないのです。あなたは腹の底から本当にそう願っている必要があるのです。
だからあなたは神の声に耳を澄ませて、自分のコントロールを手放して(自分の切り札を捨てて)神の意味に聞き入らなくてはいけないのです。
そうして神の答えがどのようなものであっても、あなた自身をその中に手放して、躊躇無く(保留無く)神の中に入っていかなければいけないのです。

そしてそれ(あなたに示された神の意志)をするのです。
一日中これをし続けるのです。神の理解に寄り掛かるのです。
あなたが車を運転している時、ネコにご飯をあげている時、お家を掃除している時、あなたがオフィスで働いている時、全てのものに関する神聖を知りたいと求めなさい。
これはあなたがコントロールする考え抜かれたプロセスである必要がないのです。

「私は座って20分間瞑想しよう。一日二回瞑想することにしょう。 いいや私は三回は瞑想することにしよう。」 {素晴らしいコントロールですね。}
いいえ。{予定を組むのではなく}その時のインスピレーションによって{瞑想その他を}行なうのです。
何時でも何処でも{訊ね聞くことを}行なうのです。
例えあなたの周りで何が行われていたにしろ「私はこのことの神聖が体験したい。この瞬間の神聖が体験したいです。」とあなたは言うべきなのです。
解りますか?
これが献身になるのです。何故なら、あなたは(苦しみの体験を求めているのではなく)全ての神聖を知りたいと願うのだから。 {その時あなたが神聖を体験していなかったのなら、その体験は苦しいものに違いないのだから。}

[Happy dreams come true, NOT because they are dreams, but only because they are HAPPY. And so they must be loving. ]
[(それぞれの人達にとって)ハッピードリーム(幸福な夢)は真に成るのです。 それはハッピードリームが夢だからではなく、ハッピードリームが幸福なものだからです。だから各ハッピードリームは「愛を与えるもの(loving)」であるに違いないのです。]

ハッピー・ドリームが本当になるのです。
喜び(ジョイ)は愛から切り離すことが出来ないものです。
幸福(ハッピネス)は愛の体験なのです。 
幸福は愛の一つの形なのです。

[Their message is, "Thy Will be done," and not, "I want it otherwise." ]
[ハッピードリームのメッセージは「私はこれを違うようにして欲しい」ではなく「あなた(神)の意志がなされますように」なのです。]

もう一度読みましょう:
[Their message is, "Thy Will be done," and not, "I want it otherwise."]
[ハッピードリームのメッセージは「私はこれを違うようにして欲しい」ではなく「あなた(神)の意志がなされますように」なのです。]

あなたが父から離縁して独立的に働き始めた時点から「私は違うようにしたい」という言葉があなたの全ての基準(礎)になったのです。 そうでなければあなたは父と一緒に居続け「あなたの意志がなされますように」と言い続けて来たことでしょう。

だからあなたはハッピー・ドリームの為に代価を払う必要があるのです。
「私は違うようにしたいと言う権利」をあなたはハッピー・ドリームの代価として放棄する必要があるのです。
そして「私は違うようにしたい」が「あなたの意志がなされますように」で置き換えられるのです。
これが父との離縁を取り消す方法なのです。

「あなた(神)の意志がなされますように」という志向(意欲)が(独立状態を破り)「繋がること」を可能にするのです。
これが「あなたの人生の中で神の意志があなたの為になされること」をあなたが許可し尊重することの表現なのです。

[The alignment of means and purpose is an undertaking impossible for you to understand. ]
[方法と目的の向きを一致させること(一致させるやり方)を、あなたが理解することは不可能なのです。]

それで良いのです。このやり方があなたに理解出来なくても何も問題は無いのです。何故ならこれはあなたの為に行なわれるのだから。だからあなたはこれを理解出来なくて構わないのです。

[You do not even realize you HAVE accepted the Holy Spirit’s purpose as your own, and you would merely bring unholy means to its accomplishment.]
[あなたは自分が聖霊の目的を自分のものとして受け入れていることさえ理解していません。 だから{自身で方法を決めようとした場合}あなたは不聖な方法を達成しようとしてしまうだけなのです。]

上記の文章はどういう意味でしょうか?
あなたは自分が聖霊の目的を自分のものとして受け入れていることを理解していません? (これはどういう意味でしょう?)
自分のことを独立した存在として想像し続けようとあなたが固執しているにも関わらず、あなたは神の子であり続けて来たのです。 あなたは決して父に逆らっては来なかったのです。 そのようなことは不可能なのだから。
だから「あなたの神聖をあなたに思い出させ、あなたの神聖にアクセス出来るようにさせよう」とする聖霊の目的は既にあなたのものなのです。(あなたの為の聖霊の目的は、初めからあなたのものだったのです。) 
あなたは自分個人の独立した存在に成ろうと執拗に試みているだけなのです。

だから、
[You do not even realize you HAVE accepted the Holy Spirit’s purpose . . .for holiness. . . as your own, and you would merely bring unholy means to its accomplishment. ]
[あなたは自分が聖霊の目的{であるあなたの神聖}を自分のものとして受け入れていることさえ理解していません。 だから{自身で方法を決めようとした場合}あなたは不聖な方法を達成しようとしてしまうだけなのです。]

これ(不聖な方法を達成しようとしてしまうこと)が人間的状況と呼ばれているもので、あなたはこれを現在体験しているのです。

[The little faith it needed to change the purpose . . .]
[...目的を変える為の少しの信心だけが必要とされているのです。]
「独立/{自分個人の}創造性/権威の目的」から「神聖のゴール」に変えることだけが必要とされているのです。

[The little faith it needed to change the purpose is all that is required to receive the means and USE them.]
[方法を受け取りそれを使う為には、(あなたの)目的を変える為の少しの信心{聖霊を信頼し譲る心}だけが必要とされているのです。]

だから「神を抜きにして誰かと関わるのは止そう、誰と関わっている時でも必ずその状況に対する神の視点を訊ね聞こう」をあなたが決意した時、父/聖霊/ガイド/イエスと直接コミュニケーションする方法をあなたは受け取るのです。
これはドミノ倒し(将棋倒し)の最初の駒を押し倒すようなものです。
この最初のステップが出来たなら、それ以降のことはあなたの努力/関与無しに起こるのです。
あなたの少しの意欲(譲る意欲)によってドミノ(幻想)が倒れて行くのです。

[It is no dream to love your brother as yourself. Nor is your holy relationship a dream. All that remains of dreams within it is that it is still a SPECIAL relationship. ]
[あなたの兄弟をあなた自身として愛することは夢ではありません。 そしてあなたの聖なる関係も夢ではありません。聖なる関係の中にある程度夢が残っているのは、それ(あなたの聖なる関係)がまだ特別な関係のままであるからです。]

もう一度読みましょう、
[All that remains of dreams within it is that it is still a SPECIAL relationship. ]
[聖なる関係の中にある程度夢が残っているのは、それ(あなたの聖なる関係)がまだ特別な関係のままであるからなのです。]
もしかしたらあなたはまだ(父からの離縁が取り消されることを求め交渉しようとしている)孤児であるかのように見えています。
しかし聖霊は「あなたが現在まだ持っている特別な関係」をとても上手く利用出来るのです。

[Yet it is very useful to the Holy Spirit, Who HAS a special function here. It will become the happy dream through which He can spread joy to thousands on thousands who believe that love is fear, not happiness. Let Him fulfill the function that He gave to your relationship . . .]
[しかしあなたの特別な関係は「(ここで特別な役目を持っている)聖霊」にとってとても有用なものなのです。あなたの特別な関係がハッピードリームに成るのです。聖霊はあなたの特別な関係を通して(愛が幸福ではなく怖れだと信じている)幾千もの人達に喜びを与えるのです。聖霊があなたの為に(あなたの代わりに)役割を受け入れることによって「聖霊があなたの関係に与えた役割」を聖霊が満たすことを許可しなさい。]

聖霊は全てを総括する総合的な働きを持っています。

[Let Him fulfill the function that He gave to your relationship by accepting it FOR you, and nothing will be wanting that would make of it what He would have it be.]
[聖霊があなたの為に(あなたの代わりに役割を)受け入れることによって「聖霊があなたの関係に与えた役割」を聖霊が満たすことを許可しなさい。そして聖霊が何かをこうしよう/こうさせようとした時、その為に不足しているものは何もないのです。]

これを精霊にさせるのです。
聖なる瞬間の実践が一番初めのドミノを倒すことに相当するものなのです(全ての奇跡の引き鉄なのです)。
そしてこれが(あなたには想像出来ない程多くの)驚異的結果をもたらし、眠っている兄弟姉妹全員を目覚めさせる効果を持っているのです。
何故なら(共同幻想を成り立てている)相互合意の中からあなたの投資(あなたの願望)を引き抜く度に、幻想を保ち続けようとしている人々の能力が弱められるのだから。
そして自分のコントロールを今まさに手放そうとしている人達は、コントロールが利かない状態に押し出され、コントロールを失い、コントロールへの執着を手放し、そして変容が瞬間的に起こっていることを発見するのです。
そしてあなたには夢に見ることさえ不可能なより多くの(素晴らしいこと)が起こるのです。しかしあなたに意欲を与えるには、あなたがより勤勉に聖なる瞬間を実践出来るようにするには、これで十分なのです{何が起こるかあなたが全て理解していなくてもいいのです}。
何故なら、これは神の法が全てを統治しているアリーナ(劇場/領域)にあなたを連れて行くだけでなく、あなたを悩ませている幻想を修正/変容するだけでなく、これは「あなたと聖なる関係を持っている人」も祝福するのだから。 これはあなたのパートナーを無限に祝福するのだから。

[When you feel the holiness of your relationship is threatened by anything, . .]
[何かによってあなたの関係の神聖が脅かされていると感じている時、]

「あなた」と「あなたが聖なる関係を持っている人(あなたのパートナー)」の間の困難は、あなた達がその関係の中に父を呼び込んでいないから起こっているのです。

[When you feel the holiness of your relationship is threatened by anything, stop instantly and offer the Holy Spirit your willingness, IN SPITE of fear, to let Him exchange this instant for the holy one which you would rather have. ]
[何かによってあなたの関係の神聖が脅かされていると感じている時、あなたは直ぐに(怖れを感じ続けることを)止めて聖霊に自分の意欲(譲る意欲)を捧げなさい。 そうすれば聖霊がその瞬間(怖れの瞬間)をあなたにとってより好ましい聖なる瞬間と取り替えてくれます。]

あなたがより頻繁に聖なる瞬間を実践し始めるにつれ、あなたが自分の判断を聖霊により委ねて行くにつれ、あなたの愛しているもの(あなたが尊んでいること)がシフトして行くことが可能だと考えてみてください。
それは自分自身で行なおうとする強迫観念が薄れて行くことを意味しています。
何故なら「聖なる瞬間を持ち罪/病/死を解除すること、そしてあなたの永遠の命の約束を(遠い未来にではなく、とても間近に与える祝福を得ること」の方が(自分でコントロールしようとするよりも)あなたにとって重要になるのだから。
それ(祝福/永遠の命の約束)はすぐ間近(まぢか)なので、あなたは自分の権威をより一層放棄して『「あなたの意志がなされますように」と父に言い聖なる瞬間を実践すること』とより調和して、それをより熱望するようになるでしょう。

[He will never fail in this. But forget not that your relationship is one, and so it must be that whatever threatens the peace of one is an equal threat to the other. The power of joining and its blessing lie in the fact that it is now impossible for either of you to experience fear alone, or to attempt to deal with it alone.]
[聖霊がこれに失敗することは決してありません。しかしあなた達の関係が「ひとつのもの」であって、一人の平和を脅かしているものはもうひとりの人(相手)にとっても同じ脅威であることを忘れてはいけません。繋がることの力と祝福は「繋がった後のあなた達両者は、もう一人で怖れを体験することが不可能に成っており、怖れに対して一人で対処しようとすることも不可能に成っていること」から来ているのです。]

あなたは自分がこのようなパートナーシップ(共有関係)を持っていることを理解しなくてはいけません。
そしてこのような関係の中で人生は分かち合われており、意味/意義が共有されており、無知(怖れ)もまた共有されているのです。

[Never believe that this is necessary, or even possible. ]
[そのようなこと(怖れを一人で体験したり、怖れに一人で対処すること)をする必要があるとか、そのようなことが可能だと信じるのは止めなさい。]

もう一度読みましょう。
[The power of joining and its blessing lie in the fact that it is now impossible for either of you to experience fear alone, or to attempt to deal with it alone. Never believe that this is necessary, or even possible. ]
[繋がることの力と祝福は「繋がった後のあなた達両者は、もう一人で怖れを体験することが不可能に成っており、怖れに対して一人で対処しようとすることも不可能に成っていること」から来ているのです。そのようなこと(怖れを一人で体験したり、怖れに一人で対処すること)をする必要があるとか、そのようなことが可能だと信じるのは止めなさい。]

聖なる関係の中で繋がったあなた達には、もうそのようなこと(怖れを一人で体験したり、怖れに一人で対処すること)は不可能なのです。

[Yet just as this is impossible, so is it equally impossible that the holy instant come to either of you WITHOUT the other. ]
[そしてそれ(怖れを一人で体験すること)が不可能であるように、(特別な関係を持っている)あなた達の内の片方だけのもとに聖霊が来ることも不可能なのです。 (相手のもとに行くことなく聖霊があなたのもとだけに来ることは在り得ず、その逆も在り得ません。)]

[And it will come to BOTH at the request of either.]
[聖霊は(あなたか相手か)どちらか片方の求めに応じて、両者の為にやってくるのです。]

これはとても重要なことなので、今週はこれを読み返してください。
「聖なる関係の中の合一(一体性)がどれだけ完全なものか」あなたはまだ理解していません。
しかし聖なる関係の中の合一(ユニオン)は完全なので(聖なる関係の中の)あなた達両者は先に進むことをお互いに助けあうことが出来るのです。

[Whichever is saner at the time when the threat is perceived should remember how deep is his indebtedness to the other, and how much gratitude is due him, and be glad that he can pay his debt by bringing happiness to both. ]
[脅威が認識された場合、より正気だった人が「相手に対する自分の負債がどれだけ深いか、そして自分は相手にどれだけ感謝するべきか」思い出すべきなのです。そしてあなた達両者に幸福をもたらすことによって相手が彼自身の負債を支払うことが出来ることを喜びなさい。]

聖なる関係への決意/献身故により大きな安定を得ていて「エゴの目的で(裁きやコントロールの目的で)マインドを使わないこと」を思い出せている人が脅威や怖れの瞬間に正しい選択をして「父よ、ここの真理は何ですか?」と言うのです。
エゴのマインドを使っていない人は脅威/怖れ/異変に揺るがされて慌てたりはしないのです。
「父よ、この真理は何ですか?」あなたがこう言ったなら、あなたとあなたのパートナーが祝福されるのです。

何故あなた達は祝福されたのでしょうか?
それはあなた達のどちらにも自分で状況を変えることは出来ず、自分達で状況を変えることが出来ないという事実が認識されていて、そしてあなた達の内の一人が「父よ、ここの真理は何ですか?」と言って聖なる瞬間と繋がったからなのです。(だからその時あなた達は祝福されたのです。)
これがあなた達両者を引き上げるのです。

それは何故でしょう?
何故なら、あなた達の求めに聖霊が答えて「あなた達自身には出来ないこと」をあなた達のために行なうのだから。
だから(例えどのようなものでも)脅威が見られている時、不調和が現れている時、あなたが事態に対して感情的に成ってしまいそうな時、そうならないよう自分を抑えて聖なる瞬間を持ちなさい。
あなたを怖れさせている力をただ放棄して、「ヘルプ! 父よ、聖霊よ、ここの真理は何ですか? 私はどうしたら良いか解りません。そして自分で個人的に何かをすることは適切ではなく(私の役目ではなく)わたし達の為にあなた(神)にしてもらうことが必要なのだと私は理解しました。 私はこれを求めます。」と言うのです。

もう一度読みましょう:

[Which ever is saner at the time when the threat is perceived should remember how deep is his indebtedness to the other, and how much gratitude is due him, and be glad that he can pay his debt by bringing happiness to both. Let him remember this, and say: ]
[脅威が認識された場合、{あなた達の内の}より正気だった人が「相手に対する自分の負債がどれだけ深いか、そして自分は相手にどれだけ感謝するべきか」思い出すべきなのです。そしてあなた達両者に幸福をもたらすことによって相手が彼自身の負債を支払うことが出来ることを喜びなさい。 下記のことを思い出して言いなさい:]

"I desire this holy instant for myself
That I may share it with my brother, whom I
love.
It is not possible that I can have it without him, or he
without me.
Yet it is wholly possible for us to share it NOW.
And so I choose this instant as the one to offer to the
Holy Spirit,
That His blessing may descend on us, and keep us BOTH in peace."

[私はこの聖なる瞬間を私自身の為に求めます、これを私の愛する兄弟と分かち合えるように。
彼無くして私がこの聖なる瞬間を得ることは不可能であり、私無くして彼がこれを得ることもまた不可能です。
しかしわたし達はこれを今分け合うことが可能なのです。
だから私はこの瞬間を聖霊に捧げるものとして選びます。
聖霊の祝福がわたし達の上に降りて来て、わたし達両者を平和の中に保つように。]


これこそが祈りなのです。
これが祈りの条件を満たすこと(神にイエスと言うこと)なのです。
この週を祈りに満ちたものにしてください。
そして注意深くしていなさい。祈りの反対がどのように感じられるかあなたに理解出来るように、あなたが自分のマインドをその真の目的で使っていなかった時それが解るように(そして直ぐに祈りの状態に戻れるように)。
祈りと喜びに満ちた変容をもたらす一週間を過ごしてください。
I love you.


上記の日本語は下記の「Northwest Foundation for A Course In Miracles」のウェブサイトを翻訳したものです。



Chapter 18 – Section: THE HAPPY DREAM
1 Sparkly Book – p.434 / JCIM – p.181 / CIMS – p.365
First Edition – p. 357 / Second Edition – p.382


A Course in Miracles Study Group with Raj, February 12th 2012
© by The Northwest Foundation for “A Course in Miracles” a non-profit corporation.
All rights reserved
PO Box 1490 / Kingston, WA 98346-1490 / USA
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
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E-Mail: paul@nwffacim.org


テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

ACIM12-02-05

先週読み終わった箇所から少し戻して読み続けましょう。

[The miracle of the holy instant lies in your willingness to let it be what it is. And in your willingness for this lies also your acceptance of yourself as YOU were meant to be.]
[聖なる瞬間の奇跡は(聖なる瞬間をそれそのままに存在させる)あなたの意欲に掛かっています。そして本来のあなた自身をあなたが受け入れることも、このこと(聖なる瞬間をそのまま保つこと)に対するあなたの意欲に掛かっているのです。]

シンプルなアイディアですが、人々はこれを複雑にしてしまっています。

[The miracle of the holy instant lies in your willingness to let it be what it is.]
[聖なる瞬間の奇跡は(聖なる瞬間をそれそのままに存在させる)あなたの意欲に掛かっています。]

下記の分部を強調しましょう。
[It(The miracle of the holy instant) lies in your willingness to let it be what it is.]
[それは奇跡/聖なる瞬間をそのままにさせるあなたの意欲に掛かっています。]

あなたはそれが何だかまだ知らないのです。だからあなたはまだ夢見ているのです。
だからまだあなたは天国の中の命を人間的状況/人生として体験しているのです。
「それが何だか自分では知らない」と認め「だからそれについて訊ねよう」とするあなたの決意こそが、聖霊の働きに任せるあなたの意欲なのです。
(特定のもの/ことに関して)それが何か訊ねている時あなたが全く推察/前提を持たず、「それがそれ自身に成ること」をあなたが許可し、そのプロセスの中で「それが何か?」あなたに示され、あなたは今まで自分が知らなかったことを学ぶのです。
だから聖なる瞬間の中に身を浸している時、あなたが自分の予断/予測を使って身構えてしまっては(自分で奇跡の準備を整えようとしてしまっては)駄目なのです。あなたはただ譲るのです。

[And in your willingness for this lies also your acceptance of yourself as YOU were meant to be.]
[そして本来のあなた自身をあなたが受け入れることも、このこと(聖なる瞬間をその真の姿のままにし続けること)に対するあなたの意欲に掛かっているのです。]

聖なるあなたは、「かく在れ」と神によって意図されている(運命付けられている)あなたは、「{神に、神聖に}注意を与える存在」なのです。
あなたは問題解決マシンではなく、知的な修正警官でもないのです。
あなたの役目/目的は、創造がそれ自身を「存在に対する意識体験/気付き」としてあなたに開き示すことを受け入れることなのです。 これは神の視点をあなたの中に満ちさせることなのです。 何故ならば神の視点こそがあなたの本当の視点なのだから。

良く考えてみれば、これは本来とてもシンプルなことなのです。
あなたが忙しく考えていたなら、あなたが一生懸命問題解決をしていたなら、自分自身のやり方を通そうとあなたが獅子奮迅していたなら、その時あなたは聞いてはいませんね?
その時あなたのマインドは静かになっておらず、あなたは注意を払っていない状態なのです。
注意を払っている状態と自己主張している状態の違いが、目覚めている状態と眠っている状態の違いに該当するのです。
これだけシンプルなことなのです。とても根源的なことなのです。


[. . . in your willingness for this lies also your acceptance of yourself as YOU were meant to be.]
[...「本来{意図されていた}あなた自身」をあなたが受け入れることも、このこと(聖なる瞬間をその真の姿のままにし続けること)に対するあなたの意欲に掛かっているのです。]

聖なる瞬間と口論するのではなく、コントロールの主権を取ろうとして戦うのではなく{あなた自身を}それそのままにさせるのです。
すると「あなたの人生の中から全ての意味が出て行ってしまったポジション(境地)」にあなたは連れて行かれます。
その時あなたは主張者/発起人の役割を手放したので「あなたがあなた自身に与えてきた全ての意味」が消えて無くなったのです。
これはエゴにとっては屈辱的なことです。
しかし抵抗せずにこれを抱擁したなら{受け入れたなら}、これが謙虚となるのです。そして下記に言われているように、これは無意味なことではないのです。

[Humility will never ask that you remain content with littleness.]
[謙虚とは、あなたが卑小さで満足してしまうことではありません。]
これ(謙虚)は無意味さや価値の無さはもたらさないのです。

[Humility will never ask that you remain content with [them]. But it DOES require that you be NOT content with less than greatness . . .]
[謙虚とは、あなたが卑小さで満足してしまうことではありません。謙虚とは、あなたが「...偉大さに満たないもの」では満足しないことなのです。]

もしこの文章だけで終っていたなら。これはあなたをとても満足させたことでしょう。そしてあなたは目覚めるチャンスをまた取り逃がしてしまったことでしょう。
しかし、下記が文章の全体なのです。

[Humility . . . DOES require that you be NOT content with less than greatness which comes not of you.]
[謙虚とは、あなたが「自身に由来している偉大さに満たないもの{己から来ている卑小なもの}」では満足しないことなのです。]

あなたは自分では開始しなかった/開発しなかった/創造しなかった(だから自分の業績として誇ることは出来ない)偉大さで満足出来るように成るべきなのです。 もう一度読みましょう。


[Humility will never ask that you remain content with littleness. But it DOES require that you be NOT content with less than greatness which comes not of you.]
[謙虚とは、あなたが卑小さで満足してしまうことではありません。謙虚とは、あなたが「自身に由来している偉大さに満たないもの」では満足しないことなのです。]

謙虚とは、(あなたが成就/満足がやって来る)あなたの生得権(持って生まれた当然の権利)とは、あなたが「自身に由来している偉大さに満たないもの」では満足しないことなのです。

「聖なる瞬間/二つのステップ/自分に目覚めをもたらすこと」に対するあなたの困難は「自分はそれには相応しくない」というあなたの固い確信から来ているのです。
(自分はそれに値しない)これがエゴの言うことなのです。
エゴはこのように言って「あなたにとってとても大切な何か」を放棄させようとするのです。
それはあなたにとって余りに重要なので、あなたは自分にウソをついて「自分は自分の成就(満たされる体験)には値しない、だから自分はそれを得られない。」と言うのです。これはとても病的なのです。

[Your difficulty with the holy instant arises from your fixed conviction that you are not worthy of it.]
[そしてこれは(自分が聖なる瞬間に値していないという思い込みは)「思い通りの自分に成りたい」というあなたの決心から来ているのです。]

聖なる瞬間は、実践的/実際的なもので、実践する価値のあることなのです。
自分はそれに(聖なる瞬間に)値しないというあなたの確信が、あなたの甲冑(防御)なのです。
それは「自分にとって大切だとあなたが考えている権威」を手放さずに済ませる方便なのです。それだけなのです。これはあなたが自分に言っているウソなのです。このウソがあなたを夢の中に保つのです。
そしてこれは「自分が思う通りの自分に成り続けようとする決意」以外の何ものでもないのです。
あなたは思考を使って、静かに成らないことによって、二つのステップを行なわないことによって、「二つのステップから発生することに相応しくない者」にあなた自身を作っているのです。
そして「二つのステップから発生すること」とは、真理へ目覚めること、あなたが誰か再発見すること、あなたの生得権を再発見し、ウソや反論を使ってあなたの生得権(あなたの本来の性質)に抵抗しなくなることによりそれ(あなたの生得権)を体現することなのです。

[God did not create His dwelling-place, to be unworthy of Him. And if you believe He cannot enter where He wills to be, you must be INTERFERING with His Will.]
[しかし神は自分に相応しくない住家を自分の為には創造しませんでした。{この神の住家があなたなのです。 訳注} 神が行こうとしている所に神が入れないとあなたが信じていた場合、その時あなたは神の意志を妨害しているに違いないのです。]

神の住家=あなたです。
神があなたの{意識の}中に入って来れないのは、あなたがそれに相応しくないからではなく、あなたが父の意志の邪魔をしているからなのです。 
あなたを正気に戻そうとしている/あなたが狂気に苛まれないようにしようとしている/あなた自身を神の子として明確に体験出来るようにしようとしている「父」の邪魔をあなたはしているのです。
「神の全てがパーフェクトに体現されている神の直接表現としてのあなた=神の子」を知らしめよう(現そう)とする父の意志が、あなたを「神が住まうに相応しい場所」にするのです。
そして神の住家はあなただけなのです。 神の住家は一つだけなのです。
神が自身を表現している場所があって、それは「あなた、あなた、あなた、あなた」と呼ばれているのです。 そして全ての人々が神の住家なのです。

[You do not need the strength of willingness to come from YOU, but only from HIS Will.]
[{聖霊に譲る}意欲(willingness)の力はあなたから来る必要はなく、神の意志だけから来る必要があるのです。]

ここが困難な箇所なのです。 何故ならば、あなたは自分でも参加したい(自分でコントロールしたい)と思ってしまうから。
あなたは自分もここで役目を果たさなくては成らないと考えてしまうのです。
独立存在としてのあなたの存在はあなたの知性/理論/能力/定義の周りに築かれており、だからあなたのような存在にとってはそれら(知性/理論/能力/定義)がノーマルで自然な行動であると感じられるのです。
だからあなたは目覚めのプロセス上でも、特定のステップを行なうことにより自身が目覚めの認証者/権威者に成り続けようとしてしまうのです。
つまりあなたは目覚めようとする意図を働かせようとしてしまう訳です。
このプロセスの中であなたは「自分の譲る意志の意義」や「自分の譲る意志がもたらすものに対する定義」を作り上げてしまうのです。
こうしてあなたは「自分で信じることが出来る何か良い定義」を{自分の意志に}与え、それを引き起こそうと努力するわけです。 こうして努力し続ける許可を自分に与えるのです。

しかしそうしている時あなたは自分のプランを遂行しているだけなのです。
二つのステップや神聖意識に関するあなた自身のアイディアを使っているだけなのです。
だからあなたは袋小路に留まってしまうのです。
その時あなたは訊ね聞いている(精霊に注意を与えている)状態に居ないので、あなたは自分の生得権が体験出来ない場所に留まってしまうのです。

[The holy instant does not come from your little willingness alone. It is always the result of your small willingness combined with the unlimited power of God’s Will. You have been wrong in thinking that it is needful to PREPARE yourself for Him. It is impossible to make arrogant preparations for holiness, and NOT believe that it is up to you to establish the conditions for peace. GOD has established them. They do not wait upon your willingness for what they are.]
[聖なる瞬間は、あなたの少しの意欲(聖霊に譲る意欲)だけから来ているものではありません。それは常にあなたの少しの意欲と神の意志の無限の力が融合したものなのです。(あなた自身を神の為に準備する必要があると考えていた)あなたは間違えていたのです。神聖の為の準備を傲慢に行ってしまったなら、あなた自身で平和の条件を設立する必要があると信じてしまわない訳にはいかなくなります。しかし神が平和の条件を設立したのです。 平和の条件は(それを自分で決めたいという)あなたの意欲によって左右されるものではありません。]

おお、何と侮辱的なことでしょう!
わたし達が前に進めば進む程あなたがするべきことは減って行き、あなたが自分の意志を通そうとしている時に、あなたが何かをなそうとしている時に、あなたが静かに成っていない時に、注意を与えるだけの者にあなたが成っていない時に、侮蔑的な表現が現れ始めるのです。
これは屈辱的なことで、あなたはそれを解っています。
そしてあなたが本当に真摯に父に意識を届けることを決めた時、父の意志と繋がることに対してあなたはそれ程居心地良く感じていないことが顕わに成るのです。
「私の意志ではなく、あなたの意志がなされますように。」と言うことは、自分の意志の執行を通して自分がリアルに成れると考えていた者にとっては屈辱的なのです。
その試みを放棄することは、あなたがリアルでは無くなってしまうことを意味しています。
これが怖いこと、侮辱的なことなのです。

[It is impossible to make arrogant preparations for holiness, and NOT believe that it is up to you to establish the conditions for peace. GOD has established them. They do not wait upon your willingness for what they are. Your willingness is needed only to make it possible to TEACH you what they are.]
[神聖の為の準備を傲慢に行ってしまったなら、あなた自身で平和の条件を設立する必要があると信じてしまわない訳にはいかなくなります。しかし神が平和の条件を設立したのです。 平和の条件は(それを自分で決めたいという)あなたの意欲によって左右されるものではありません。平和の条件を(聖霊が)あなたに教えることが出来るようにする為に、あなたの{譲る}意欲が必要なのです。]

これはとてもシンプルなのです。
あなたは思考する能力があるように見えています。あなたは論理的に考えて結論を引き出す能力があるように見えています。あなたはロジック/論理を使う能力を持っています。
論理そのものが無意味な訳ではありませんが、あなたは論理を使って無意味なことを成立させようとしているのです。
あなたの論理/思考/理由付けは全て「現在のあなたのものの見方(正義感/リアリティ/現実感覚)を越えている真理」を誰かがあなたに知らせている時に{その真理を無視するために}使われているのです。

あなたは聖書を読んでスピリチュアルなアイディアを抱きしめます。しかしそれらのアイディアはあなたの妥当性(常識)の中に取り込まれてしまうのです。
彼等(聖霊、あなたに真理を告げている人達)の目的は(関係の中であなたが学んだ理性が「神は愛である」とあなたに告げることにより)コントロールを自ら進んで放棄出来る時点にあなたを到達させることなのです。
それ(聖霊/真理)は「神があなたの源なのだ」とあなたに告げるのです。
それ(聖霊/真理)は「あなたが神と繋がった時、あなたは平和の内に居て(あなただけではなく全創造と全兄弟姉妹との関わり合いの中で)完全な成就(満たされること)が体験出来る場所に居るのです」とあなたに告げるのです。
これらのことが「父よ(そう言ってあなたは独立を手放します)、何がここの真理なのですか? 父よ、これに関するあなたの視点は何ですか?」と言えるようになる地点にあなたを導くのです。
『父よ、この人間的状況をその真の姿で見ているあなたは、これをどのように見ていますか? この人間的状況が本当は天国であり、私が本当に神の子であることをあなた(父)はどう見ていますか? 父よ、私は「コントロール/権威を必要とすること/権威を実行することから来るエゴの満足」を放棄し黙りましょう。 安堵の息をつきストレスを手放して、私の注意を(私の献身と共に)「あなた」に捧げましょう。そして(あなたの応え/答えが)聞こえるまで私は聞き続けましょう。私が「あなた」と繋がることを願うこの瞬間をあなたが待っていたことを私は知っているのだから。』
これが論理と思考と理性の正しい使い方なのです。

「父よ、あなたはこれをどのように見ていますか? 私の当然の権利(私の本来の性質)から来る体験を示してください。私の神聖を見せてください。」と言ってあなたが父と繋がった結果として「自分の正しいマインド/正気」に帰って行くことは「傷付くこと/脆弱になること」とは関係ないと考えられるようになる為に「論理/思考/理性」が存在しているのです。

[If you maintain you are unworthy of learning this, you are interfering with the lesson by believing that you can make the LEARNER different.]
[自分はこの学びには値しないと考えた場合、「自分が学習者を変えなければいけない」と信じることにより、あなたはこのレッスンの邪魔をしてしまうのです。]
あなたが学習者なのです。

[You did not make the learner, nor CAN you make him different.]
[しかしあなたは学習者を作ってはおらず、学習者を変えることも出来ないのです。]

学習者とは、「自分が誰か」あなたが本当には理解していない時に「自分はこれだ」とあなたが思っている人のことです。
学習者とは、自分が神の聖なる子供であることをあなたが知らない時に「自分としてあなたが理解している者」のことです。

[You did not make the learner, nor CAN you make him different. Would you first make a miracle yourself, and then expect one to be made FOR you?]
[しかしあなたは学習者を作ってはおらず、学習者を変えることも出来ないのです。あなたはまず最初にあなた自身から奇跡を作り出しておいて{何が奇跡か自分だけで定義して}、それからあなたの為に奇跡が作られることが期待出来ると考えていたのです。]

下記がシンプルなことです。
[YOU merely ask the question. The answer is GIVEN.]
[しかしあなたがただ「質問」を訊ねれば答えが与えられるのです。]
これがギフトなのです。

[Seek not to answer it, but merely RECEIVE the answer as it is given.]
[質問に{自ら}答えようとするのではなく、与えられた答えをそのまま受け取りなさい。]

しかしあなたは回答を自分自身で出そうとしてしまっているのです。
そして自分で正解を出そうとしていない場合でも、あなたは答えを訊ねた後で「どうして自分には答えが得られないか、どうして答えが欲しくないか、どうして答えを受け取りたくないか」言い募って自分を混乱させてしまうのです。
「ああ、そんなことに成ったら自分の人生は余りにも変わってしまう。まだやりたいことが沢山あるのに、今目覚めてしまえば、それらをやり残してしまう。 それをすること(訊ね聞く/譲ること)は自分を尊重することにならないので、そんなことは出来ない。 自尊心を失わなくてはこれをすることは出来ないから。緊急事態が発生しているから私はパーソナルな注意/評価を払う必要があるのです。座って静かに成って答えが何か訊ね聞けるようになる前に私はアレコレのことを処理しなくてはならないのです。」
しかし(聖霊からあなたに与えられる)答えはあなたの個人的努力の結果よりも格段に優れておりより迅速なのです。

[Seek not to answer it, but merely RECEIVE the answer as it is given.]
{あなたは自分で質問に答えようとしてしまう可能性が非常に高いのですが}[質問に答えようとするのではなく、与えられた答えをそのまま受け取りなさい。]

あなたは答えを知っていないことを憶えておいてください。
そして{父/聖霊から}あなたに与えられる答えは、今まで行ったことのない方向にあなたを導くのです。何故ならば、あなたがすでにその方向に行っているのであれば、あなたはすでに目覚めている筈なのだから。
だから目覚めのプロセスの中では「私の意志ではなく、あなた(神)の意志がなされますように」と言えるようになること以外に、あなたには何も有用なことは出来ないのです。
「父よ、私はあなたに寄り掛かり、あなたの腕/サポート/視界/洞察の中に休まること以外は何も導入しないことにします。」 

[In preparing for the holy instant, do not attempt to make yourself holy to be ready to receive it.]
[聖なる瞬間を準備するに当たっては、聖なる瞬間を受け取る為にあなた自身を神聖にしようと試みるのは止めなさい。]
これ(あなた自身を神聖にしようと試みること)がどれだけ馬鹿げたことか解りますか?

[In preparing for the holy instant, do not attempt to make yourself holy to be ready to receive it. That is but to confuse your role with God’s. Atonement cannot come to those who think that THEY must first atone, but only to those who offer it nothing more than simple willingness to make way for it.]
[聖なる瞬間を準備するに当たっては、聖なる瞬間を受け取る為にあなた自身を神聖にしようと試みるのは止めなさい。そのようなことをすれば、あなたの役割と聖霊の役割を取り違えることに成ってしまいます。アトーンメント(和解/贖罪)は「自分がまず初めに償わなければいけないと考えている人達」にはもたらされず、「アトーンメントの邪魔をしないようにシンプルに譲る意欲だけを捧げている人達」だけにもたらされるのです。]

アトーンメントがそれ自身を現してあなたを変えること(学習が起こること)に譲るのです。 何故なら、その時あなたは論理や概念や理由付けや否定を導入して学習の邪魔はしなかったのだから{だからその時学習が起こったのです}。
これ(アトーンメント/贖罪/和解)に関しては、これを呼び入れる以外にはあなたは何もする必要がないのです。 だからこれはシンプルなのです。
これ(聖なる瞬間/訊ね聞くこと)をしないで済ます為に一番よく使われている言い訳は「私には時間が無い。時間が足りないから私には静かにしている暇がありません。聞き続ける時間がありません」です。
そう言って自分で物事を解決しようとすることを探求しそれに失敗した後でやっとあなたは「座って静かに成らなくては、私には助けが必要だから」と言える境地になれるのです。
「あなた一人では出来ない。」つまり「この問題の解決に関しては私が自分で何かを行うことは出来ない。」ということなのです。
『父の関与が必要なのです。 「父の現れ」と「父を受け取る私の意欲」の中で解決するべき問題など存在していないことを私は見つけるでしょう。問題は消えてなくなってしまったのです。修正が起こったのです。』

浄化(清めること)とはあなたのマインドから思考/信念/概念/定義を掃除することだと考えたことがありますか?
「シンプルに注意を与えている状態とは相容れないこれらのこと(思考/概念/定義)」を取り去ることが{アトーンメントの前に必要な}浄化なのだと考えたことがありますか?

[Purification is of God alone, and therefore for you. Rather than seek to prepare yourself for Him, try to think thus:
"I who am host to God AM worthy of Him. He Who established His dwelling-place in me created it as He would have it be. It is not needful that I make it ready for Him, . .”]
[浄化は神だけがあなたの為にすることです。神の為にあなた自身を整えようとするのではなく次のように考えなさい。
“神のホストである(神を宿している)私はそれに相応しいのです。自身の住家を私の中に確立した神自身がそれ(神の住家=私のマインド)を自身の意志に従って創造しています。私がそれを神の為に整えることは必要ではありません。]

[“It is not needful that I make it ready for Him, But only that I do not interfere with His plan to restore to me my own awareness of my readiness, which is eternal. I need add nothing to His plan. But to receive it, I must be willing not to substitute my own in place of it."]

[”...私がそれを神の為に整えることは必要ではありません。{神の意志に譲ろうとする}私の意欲に対する私自身の気付き/意識(それは永遠なのです)を修復しようとしている神のプランの邪魔をしないことだけが私に求めれていることなのです。私は神のプランに何も付け加える必要はありません。神のプランをただ受け取って、神のプランを私自身のプランで取り替えよう(代用しよう)とはしなくなる必要があるのです。”]

これは美しくシンプルで、シンプルに美しいのです。
{あなたが父からの分離(原罪)を始めるにあたって}「父よ、{神であるあなたの見方ではなく}私は自分の見方で見てみたいです。父よ、{あなたのやり方ではなく}私のやり方でやってみたいです。」と言ったことを考慮すれば、上記の意味が解るでしょう。
目覚める為にはあなたはこれ(分離の宣言)を解除する必要があるのです。

[“I need add nothing to His plan. But to receive it, I must be willing not to substitute my own in place of it."]
[“...私は神のプランに何も付け加える必要はありません。神のプランをただ受け取って、神のプランを私自身のプランで取り替えよう(代用しよう)とはしなくなる必要があるのです。”]

問題は、人間的状況は、罪/病/死/苦しみは、あなたが父の意志を自分の意志で取り替えた(代用した)結果として起こっているのです。
これはとてもシンプルなのです。 だからその修正もシンプルなのです。
あなたが私の話を聞いたりACIMを学んだり他のスピリチュアルなものを学んだりして、そこで真理が示され、あなたは理性や思考や論理を使って「神の意志を自分の意志で取り替え続けようとしなくなるポイント」に到達出来るように成るのです。
そういう境地に立てた時あなたは故郷への道を歩んでいるのです。
その時あなたは幻想(実際には決して起こらなかった事の中にあなたが捕らわれていること)から出始めているのです。
天国が人間的状況に変換されたことは一度も無いのです。物理的宇宙/物質世界は一度も発生してはいないのです。
しかしあなた達はそれらの定義群を自分達で作り上げているので(それらがどれだけ間違っていても)、それらの定義を硬く信じており、自分達の存在(あり方)をそれらの定義に基づいて体験しているのです。 だからあなた達は道に迷っているのです。
だからあなた達には天国が見えておらず、あなた達は天国を間違って解釈しているのです。
しかしあなた達は{幻想、天国に対する誤解から}脱出しつつあります。
あなた達は自分の正気に帰りつつあります。

[“I need add nothing to His plan. But to receive it, I must be willing not to substitute my own in place of it."
And that is all.]
[”...私は神のプランに何も付け加える必要はありません。神のプランをただ受け取って、神のプランを私自身のプランで取り替えよう(代用しよう)とはしなくなる必要があるのです。”これで全てなのです。]
それで全てなのです。

[And that is all. Add more, and you will merely TAKE AWAY the little that is asked.]
[これで全てなのです。これ以外のものをあなたが付け加えようとしたなら、ここで求められている少しのもの{あなたの譲る意欲}が取り去られてしまうのです。]

何故なら、その時あなたは認証者/権威者に成ろうとするあり方に戻ってしまっており、自分一人で存在しようとする方向に戻ってしまっているから。
その時あなたは(本当は天国は決して変えられてはいないのですが)天国を人間的状況そして物質的世界として見せているマインドに戻ってしまっているのです。

[Remember you made guilt, and that your plan for the escape from guilt has been to bring Atonement TO it, and make salvation fearful.]
[思い出して下さい、あなたは罪悪を作ったのです。そして罪悪から逃れようとしているあなたのプランは、アトーンメント(和解/贖罪)を罪悪の下に持って行き救済を怖ろしいものにしてしまうのです。]

「あなた達が罪悪として作ったもの」に関してまだ言い争いたい(主張したい)人達がいることは私も知っています。
「父よ、私自身のやり方で見たいです。父よ、私はあなたから離縁したいです。お父さん、私はあなたから顔をそむけて、私自身だけに注意を与えることにしました。」とあなたが言った途端に二つのものが見え始めたのです。 この二つのものとは怖れと罪悪です。
父を放棄しよう(父から注意を離そう)というあなたの決断が、自分一人独立した存在に成ろうというあなたの決意が、怖れと罪悪を作ったのです。
これが(この決断をあなたがしたことが)実際に起こったこと(実際に起こっていること)なのです。

[Remember you made guilt, and that your plan for the escape from guilt has been to bring Atonement TO it, and make salvation fearful.]
[思い出して下さい、あなたは罪悪を作ったのです。そして罪悪から逃れようとしているあなたのプランは、アトーンメント(和解/贖罪)を罪悪の下に持って行き救済を怖ろしいものにしてしまうのです。]

それは何故でしょう?
あなたの幻想にアトーンメント(贖罪/解除)をもたらした場合、それはあなたの幻想を無効化させることになるからです。
それはあなたを無効化することになり、あなたはあなたが今直面していることを直視しなくてはならなくなるのです。 それはつまり「あなたが無意味になってしまう、あなたが二度と意味を持てなくなってしまう」という怖れなのです。
これがアトーンメントを怖ろしく見せているのです。しかしアトーンメントは本来怖ろしいことではないのです。

[And it is only fear that you will add, if you prepare YOURSELF for love.]
[そしてあなたが自分であなた自身を愛の為に整えようとした場合、あなたは怖れだけを付け加えてしまうのです。]

あなたが自分を整えよう(自分を準備しよう)としている時にあなたは「自分を聖なる瞬間の為に整えなければならない。自分を神聖の為に整えなければいけない。」と考えているのです。
しかし「あなた自身を愛の為に整えようとした場合、あなたは怖れだけを付け加えてしまうのです。」


「愛はインスピレーションを与え、照らし出し、道を示し導くのです。」
“Love inspires, illumines, designates and leads the way.”2
という美しい文章があります。

どうやったらあなたは自分を愛の為に整えられる(準備出来る)のでしょうか?
インスピレーションがあなたの中に入って来れるよう、愛が持って来るインスピレーションによってあなたが持ち上げられるよう、あなたは十分従順になり静かになる必要があるのです。
あなたは自分の為に(あなたを持ち上げる)インスピレーションを準備することは出来ないのです。あなたは愛の為に準備することは出来ないのです。
あなたに出来ることは静かになって招き入れることだけなのです。
愛はあなたに招待されることを待っています。
あなたが愛を受け入れた時、あなたはインスピレーションを感じるのです。
あなた達は全員「何らかの困難な状況/状態からあなたを引き上げる、そしてあなたを導き困難な状況からの脱出をサポートする(愛からもたらされた)インスピレーション」を体験したことがあるはずです。 (あなた一人だけで持ち得なかった)平和をもたらした愛のインスピレーションを受け取ったことがあるはずです。
愛の為に自分を整えよう(準備しよう)とした場合あなたは怖れだけを付け加えてしまうのです。だから{自分で自分を整えようとするのではなく}愛がインスピレーションを通してそれを(何が癒やしをもたらすかを)あなたに示すことを許可するべきなのです。

[The preparation for the holy instant belongs to Him Who gives it.]
[聖なる瞬間の準備は(聖なる瞬間をあなたに与える)彼/聖霊の役割なのです。]

聖霊=彼が、あなたから聖なる瞬間の準備を受け取るのではないのです。
だからあなたが聖なる瞬間を選択したなら、あなたに必要なのは「父は、聖なる瞬間の為にどのように私を整えるのだろう?」と楽しく好奇心を働かせることだけなのです。
自分を整えて聖なる瞬間の為の準備をしなくてはならないと考えることは、あなた自身を忙しくしてしまい「父があなたを整えること(あなたが静かになった時これが起こるのです)」を遅らせることにしかなりません。

[Release yourselves to Him Whose function is release.]
[(解放する役目を負っている)彼/聖霊に対してあなた達自身を解き放ちなさい。]

これもまた繰り返し言われていることですね。 自分でしようとするのは止めなさい、とここでも言われています。
あなたは自分で答えを作ることは出来ないのです。あなたは{自分の力で}答えを引き出すことは出来ないのです。今までとは全く違った在り方をあなたが自分で思いつく訳ではないのです。

しかしそれら全てを得る方法があるのです。
「ヘルプ!」あるいは「父よ、助けて下さい!」あるいは「父よ、道を示してください。父よ/聖霊よ/イエスよ、私に真理を示してください。」と言うことによってこれが可能になるのです。

[Release yourselves to Him Whose function is release. Do not assume His function for Him. Give Him but what He asks, that you may learn how little is your part, and how great is His.]
[(解放する役目を負っている)彼/聖霊に対してあなた達自身を解き放ちなさい。彼/聖霊の代わりに彼の役目を行なおうとするのは止めなさい。彼/聖霊が求めているものを彼(聖霊)に与え、あなたの役割がどれだけ小さなものか、そして彼(聖霊)の役割がどれだけ偉大なものか学びなさい。]

[It is this that makes the holy instant so easy and so natural. You make it difficult, because you insist [that] there must be more that you need do. And it is very hard for you to realize that it is not personally insulting that your contribution and the Holy Spirit’s are so extremely disproportionate. You are still convinced YOUR understanding is a powerful contribution to the truth, and makes it what it is. [And] Yet we have emphasized that you need understand nothing.]
[このことが聖なる瞬間をとても簡単でナチュラルにしているのです。「もっと自分でやることがあるに違いない」と固執することによりあなたがこれを難しくしているのです。とても沢山のものを受け取るために、とても少しのもの(譲る意志)を与える必要があるというアイディアを受け入れることはあなたには難しいのです。そしてあなたの貢献と聖霊の貢献にこれ程の差があることが、あなた個人に対する侮辱ではないと理解することはあなたにはとても難しいのです。あなたは今でも「自分の理解が真理へのパワフルな貢献で、自分の理解が真理を真理にしているのだ」と信じ切っているのです。わたし達はあなたは何も理解する必要がないことを強調し続けてきました。]

[Salvation is easy just BECAUSE it asks nothing that you cannot give RIGHT NOW.]
[救済は簡単なのです。 何故ならそれは今あなたに与えられること以外は何も求めていないのだから。]

しかし「現在あなたが手放したくないと思っていること」を手放すことが要求されるのです。それは{あなたにとっては}あなたを犠牲にすることであり、あなたの誠実を犠牲にすることなのです。

これは映画俳優のあなたが配役係のところに行って「どんな端役でもいいから私にください。」と言うのようなものです。 「群集の役でもいいから、少ししか映らない役でもいいですから。 私の存在が出来事に何かを付け加えられるようにしてくれませんか?」
しかし神に感謝すべきことには、それは(そのようなあなたの配役は)必要ないのです。あなたは映画の中に居る必要はないのです。
あなたは既に天国の中に居るので、あなたが天国の中で自分の居場所を求める必要はないのです。

だからあなたが人間的意志を黙らせて「父よ、ここの真実は何ですか?」と訊ねた時、真理が(あなたの準備によってではなく、あなたの想像によってではなく)父によってあなたに示されるのです。

天国の中の(不変で永遠なリアリティ内の)あなたの場所が啓示された(暴き示された)時、『あなたの「存在」の全ての意味深さ(意味深い体験)』は常にあなたのものであり続けており、二つのステップを真摯に行いあなたの意志/意図を放棄出来ないでいる間も、あなたがそれ(アリティ)以外のことを想像している間も、それ(あなたの意味/真理)はあなたのものであり続けているのです。

これは全く美しく、とてもシンプルで、しかしこれが不可能に見えているのです。

「でもね~、イエスさん、あなたの教えは二千十一年も存在して来たけれど、それはまだ起こっては居ないじゃないですか?」とあなたは言ってしまっているのです。

「あなた(イエスキリスト)の前にも偉大な教師達が居たけれども、それ(奇跡/救済)はまだ起こっていません。だから、このアイディアを私が受け入れることは全く理に適っておらず、私には不可能です。 他の人にとってもこれが可能だとは私には思えません。 今までにこれが一度も起こっていないなら、これが起こり得ると信じるどんな理由があるというのでしょうか?」

例えばもし(飛行機を発明した)ライト兄弟が「人が鳥のように空を飛んだことは過去一度もない。鳥は飛ぶように出来ているが人はそうではない。人が空を飛ぶことは不可能だ。」と言ったならどうだったでしょう。
彼等がそのような主張/論理を使ったとしたなら、「歴史が始って以来、人が存在し始めて以来、地上から飛び立った人は誰もいない。だからそれが今起こることも在り得ない。」{ライト兄弟がそう考えてしまったなら、彼等には飛行機は発明出来なかったでしょう。}

それ{過去一度も起こっていないように見えていること}が起こり得ると私は言っているのです。それが起こるべき時なのです。
あなたが自分のキチガイ染みた(ネガティブな)思考 にどれだけ確信と信心を与えているか見てみなさい。 「何が可能で何が不可能か」ということに対するあなたの思考を見てみなさい。
「何が可能であって何が可能ではないと(特定のことは可能で特定のことは不可能だと)」あなたに見せているのは、あなた達が信念/アイディア/誤解/そして真理の欠片を繋げている{その結果としてリアリティを想定している}そのやり方故なのです。
「あなた達がこれ程大きな確信/決意を与えているもの」への確信を放棄することによりあなたは解放されるのです。

「新しいテクノロージーに基づいた何か新しい機器が持てない理由など全くない」と多くの人々が考えており、そう主張しています。
「わたし達を地面から浮き上がらせる機械が存在出来ない理由はない。新しい発明を探求しない理由など存在していない。」
そして{そのように考えた人達は}大いなる意欲を持って新しい発明に取り組んでいるのです。
だからあなたも(ライト兄弟のように)今までまだ一度も起こっていないことを求めてください。 あなたの神聖を求めなさい。あなたの正気の体験を探求しなさい。
(あなたがすでにその中に居る)天国の体験を求めなさい。
あなたは既に天国の中に居て、しかしあなたはまだ天国を体験していないのです。
何故なら「物質や宇宙が働く法則に対するあなた達の定義群故に私が言っていることは真実では在り得ない」とあなた達は確信し切っているから{だからあなた達は天国をそれそのままに体験出来ていないのです}。
理屈/理由を言い募って自分達を敗北させてしまうのは止めなさい。勇気を持って探索/探求し、少しは過激に成ってみなさい。

[Forget not that it has been your decision to make everything that IS natural and easy for you impossible.]
[「自然で簡単なこと全てを自分にとって不可能にしようとしたこと」があなたの決断だったことを忘れないで下さい。]

これに気付くことが正気なのです。これがあなたを瞬間的に解放する真理なのです。これがとても役立つことなのです。

[Forget not that it has been your decision to make everything that IS natural and easy for you impossible. What you believe to be impossible will BE, if God so wills it, . .]
[「自然で簡単なこと全てを自分にとって不可能にしようとしたこと」があなたの決断だったことを忘れないで下さい。不可能だとあなたが信じたことは不可能に成るのです。神が「このようにあれ」と意図したことでも...]

何が正しくて何が正しくないかあなたが決めて、それを真実にすることは出来ないのですがしかし、
[What you believe to be impossible will BE, if God so wills it, but you will remain quite unaware of it. If you believe the holy instant is difficult for you, it is because you have become the arbiter of what is possible, and remain unwilling to give place to One Who KNOWS.]
[不可能だとあなたが信じたことは不可能に成るのです。神が「このようにあれ」と意図したことでも(それは不可能だとあなたが信じたなら)あなたはそれに対して全く無意識なままで、それには気付けないのです。もし「聖なる瞬間は自分にとっては難しい」とあなたが信じているなら、それはあなた自身が「何が可能か」判断する裁定者に成ってしまっており、「知っている者」に場所(認識)を与えないようにしようとしているからです。]

だから譲るのです。ギブアップして権威を放棄して注意が与えられるようになり、そして「何か他のもの」にあなたの注意/意識を満たさせるのです。 「あなた以外の何か」があなたの注意/意識を満たすのです。

[The whole belief in orders of difficulty in miracles is centered on this.]
[奇跡の難しさに違い(奇跡の難易度に違い)があるという信念の全ては、このこと(あなたが「知っている者」をその居るべき場所から排除し続けていること)から来ているのです。]

奇跡の難しさに違いがあるという信念は何処から来ているのでしょうか?
少し前に遡って読み返してみましょう。

[If you believe the holy instant is difficult for you, it is because you have become the arbiter of what is possible, and remain unwilling remain unwilling to give place to One Who KNOWS.]
[もし「聖なる瞬間は自分にとっては難しい」とあなたが信じているなら、それはあなた自身が「何が可能か」判断する裁定者に成ってしまっており、「知っている者」に場所(認識)を与えないようにしようとしているからです。]

あなたの父、あなたの正しいマインドにしか過ぎない聖霊、(私=イエスを含む)あなたのガイドが「知っている者」です。{この「知っている者(父/聖霊/ガイド)」をあなたは無視しているのです。}

[The whole belief in orders of difficulty in miracles is centered on this.]
[奇跡の難しさに違い(奇跡の難易度に違い)があるという信念の全ては、このこと(あなたが「知っている者」をその居るべき場所から排除し続けていること)から来ているのです。]

[. . . unwilling to give place to One Who KNOWS.]
[(あなたが「知っている者」をその居るべき場所から排除し続けていること)から来ているのです。]

「知っている者」をあなたが{自分の意識の中から}排除し続けようとしていることから来ているのです。
これが様々に異なった奇跡の難しさが見えている原因なのです。

[Everything God wills is not only possible, but has already HAPPENED. And that is why the past has gone. It NEVER happened in reality. ]
[神が意図していること全ては可能であるだけでなく、それらはすでに起こっているのです。だから過去は消え去っているのです。リアリティ内では過去は全く起こらなかった(起こっていない)のです。]

全ての幻想はリアリティ内では発生していません。 
「私には聖なる瞬間を実践する余裕がありません」とあなたに言わせている全ての問題は初めから起こってなどいないのです。 

[It NEVER happened in reality. Only in your minds, which thought it did, is its undoing needful.]
[リアリティ内では過去は全く起こらなかった(起こっていない)のです。あなた達のマインドの中だけから過去を解除することが求められているのです。(あなた達のマインドの中でだけ)あなた達のマインドは過去を行なったつもりでいるのです。]

つまり実際に起こったのは少しの誤解(取り違え)だったのです。
あなたは問題を見て「あの問題を解決するよう働きかけなくては」と言います。
しかし問題をリアルに見せている唯一の原因はあなたのマインド内の取り違えなのです。
だから問題を解決したり問題に対処したいと思ったなら、あなたはそれ(問題に対するコントロール)を手放して、(問題をリアルに見せている)取り違えと対処する必要があるのです。
それ(取り違え)が「自分のマインド内で起こっている取り違え(誤認識)と対処するよりも重要な問題」があるとあなたに思わせているのです。
しかし取り違え(誤認識)に対処することは聖なる瞬間によって達成されるのです。
これがシンプルで美しいことなのです。
そしてそれ故に(原因があなたの中の取り違えにあるということ故に)、これ(奇跡)は不可能に思われており、これに関するあなたの疑いが手放せないように思われているのです。
しかしあなたはあえて継続する必要があるのです。


Chapter 18 – Section: THE LITTLE WILLINGNESS
1 Sparkly Book – p.432, 2nd Full Par. / JCIM – p.180, 7th Full Par. / CIMS – p.364, Par. 34
First Edition – p. 355, 2nd Full Par. / Second Edition – p.381, Par. 3
2 Mary Baker Eddy


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A Course in Miracles Study Group with Raj, February 5th 2012
© by The Northwest Foundation for “A Course in Miracles” a non-profit corporation.
All rights reserved
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Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
Website: http://www.nwffacim.org
E-Mail: paul@nwffacim.org

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

プロフィール

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

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