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ACIM12-05-20

新しい章(第19章)に入ります

[BEYOND THE BODY1]
[体を超えて]

この題名はわたし達がここ二三週間話して来たことについて述べているのです。
これはbody identificationからMind identificationにシフトすることなのです。
{これは「体との自己同一」から「マインドを自分として認識すること」にシフトすることなのです。}

Mind identification(自分をそして全てをマインドとして認識し体験すること)をしている時、あなたは「自分が意識であって、その意識の中で体の体験(そして全創造の体験)が起こっていること」を認識しているのです。
「二つのステップ(精霊に訊ね聞くこと)」は体を越えた所にあなたを導くのです。それはあなたの意識を「体との自己同一を超えた所」に導くのです。

[We said before that, when a situation has been dedicated wholly to truth, peace is inevitable.]
[わたし達が以前に言った通り、状況を真理に対して完全に捧げたなら、平和がもたらされるのは確実なのです。]

[when a situation has been dedicated wholly to truth . . .]
[状況を真理に対して完全に捧げたなら、]

「状況が真理に対して完全に捧げられている」とは、あなたが自分の最上の概念/判断/思考への信頼を放棄していることなのです。
だからあなたが思考を放棄した時、あなたが静寂の中に入った時、あなたが静寂しかない場所(意識しか存在していない状態)の中に入った時、意識がどのようなこと(主題/トピック)を考えてもいない時、そこには常に平和があるのです。
これは瞑想が達成することと同じです。
「あなたの最上の判断/思考を保持しようとすることを(そして思考そのものを)あなたが放棄している場所」にあなたをシフトさせるのです。
だから「何かを真理に完全に捧げること」はそれ程複雑なことではないのです。
それは自分の思考への確信/信心を引き抜くことなのです。そして静寂の中に入るのです。 
簡単でシンプルでしょう?

[Its attainment is the criterion by which the wholeness of the dedication can be safely assumed.]
[それ(平和)を得るられたかどうかで、献身の完璧さ(あなたが状況を完全に聖霊に手渡しているかどうか)が正しく判断出来るのです。]

思考が行われていない場所(状態)にあなたが到達したなら、純粋に意識が発生している場所に到達したなら、あなたは起こっている全てのことを認識しており、それら(起こっている全てのこと)を認識する以外の反応は起こさないのです。
だからあなたがこの状態(平和)を得たなら、それによりあなたの献身が完璧であることが解るのです。

[Yet we also said that peace without faith will NEVER be attained, for what is wholly dedicated to truth as its only goal is brought to truth BY faith.]
[そしてわたし達は「信心なくして平和が得られることは決してない」とも言っています。何故なら、「真理だけをその唯一のゴール(目的)として完全に真理へ捧げられているもの」の真理は信心によって引き出されるのだから。]

あなた達は、全ての人達は、自分自身で考え結論を出す自分の能力に酔い痴れ切っているのです(自分達のそのような能力を信頼し切っているのです)。
そして多くの人達は「全く思考せずに静寂の中に留まり完全に意識/認識を保つことが可能であること」をまだ発見していないので、「思考することこそが意識を持っていることなのだ(思考によって意識が保たれているのだ)」と信じているのです。
何故なら多くの人々は{自分達の}思考と論理を信奉しており、(何時でも自分を守れるよう)常に気を配り続けることを信奉しており、それ故に全く神に対する信心を使っていないのだから。
自分の思考を使って全てを自分で推察し決め付けることにより、あなたは常に信心の必要を否定しているのです。
あなたは「自分で考える能力」によって自分の安全を確保しようとしているので、それ(思考)を放棄出来るようになるには信心が必要なのです。

これが真実なのです。
「あなたが思考を放棄している間も全てが崩壊しない/あなたは狂気に陥らない/酷いことが起こらない」という信心無くしては、あなたは平和の体験に到達出来ないのです。
あなたは自分の自己防御に完全に中毒しているので、あなたが平和に完全な献身を捧げている場所に到達する為には信心が必要なのです。
だから信心が絶対必要なのですが、多大な信心が必要とされている訳ではありません。
それは少しの信心なのです。 静かに成ろうとする僅かな意欲がポジティブな結果で報われるのです。

[Yet we also said that peace without faith will NEVER be attained, for what is wholly dedicated to truth as its only goal is brought to truth BY faith. This faith encompasses everyone involved, for only thus the situation is perceived as meaningful and as [a] whole.]
[そしてわたし達は「信心なくして平和が得られることは決してない」とも言っています。何故なら、「真理だけをその唯一のゴール(目的)として完全に真理へ捧げられているもの」の真理は信心によって引き出されるのだから。この信心が「(この状況に)関わっている人達全て」を包み込んでおり内蔵しているのです。 何故なら、そうすることによってのみ、その状況が{その時あなたが直面している状況が}意味のあるものとして全体的に知覚/認識されるのだから。]

あなたが二つのステップを行なっている時、あなたがマインドのお喋りを停止している時、あなたが静寂の中に留まって「父よ、ここの真理は何ですか?」と訊ねている時、あなたはバイアス(偏見)の無い場所(物事を比較評価することがない場所)に居るのです。
これが全てをワンネス(一体性)の中に引き入れるのです。これが全ての人達を合一(ユニティー)の中に引き込むのです。
全ての人達は常にこの合一の中に居るのですが、あなた達は「正しい思考(これが正しいと自分達で決めた思考)を使って自分達を守ること」しか考えていないので、あなた達はこの合一を知覚出来ていないのです。
これは残念なことです。

[And everyone must be involved in it or else your faith is limited, and your dedication incomplete.]
[そして全ての人達がそれに関わっている必要があるのです。でなければ「あなた」の信心は限られたものであり、あなたの献身は不完全なのです。]

全ての人達が「平和(平和の体験)に譲る意欲」を持つ必要があるのです。
何故でしょう?
何故なら、あなた達はまだ物事を評価判断する(そして静かに成って無防備に成ってしまっている間に虐待/攻撃されないように守る)自分達個人の能力{判断能力/自己決定能力}を高く評価しており、それを手放そうとはしていないのだから。

[Every situation, properly perceived, becomes an opportunity to heal the Son of God.]
[正しく知覚/認識された全ての状況が神の子を癒やす機会に成るのです。]

どのような状況であれ、あなたがその状況を正しく認識したなら、それは二つのステップを行なう絶好の機会なのです。
起こっていること全ては、あなたが体験している全ては、あなたが好奇心を発揮する絶好の機会なのです。
あなたの現在の理解を超える理解を得るために「父よ、ここの真理は何ですか? 父よ、このことに関するあなたの視点は何ですか?」と訊ね聞くべきなのです。
こうすることによってあなたは全ての機会を使ってあなたの正気に返ろうとするのです。
これはシンプルでかつ意味深い(有用な)ことなので、あなたは一日中「ここの真理は何ですか?」と訊ね聞き続け、実際に起こっていることをあなたの正気の観点から観察し、あなたの正気の観点から物事に対応することが出来るのです。
このようにして「調和が取り戻されている(平和が物事を統治している)癒やされた体験」を持つことが出来るのです。

[Every situation, properly perceived, becomes opportunity to heal the Son of God. ]
[正しく知覚/認識された全ての状況が神の子を癒やす機会に成るのです。]

あなたは兄弟を神の子として見るべきなのです(彼が自分をどう考えているかに関わらず、あなたが彼をどう考えているかに関わらず、彼を神の子として見るべきなのです)。
自分の兄弟がどのような人だとあなたが考えたではなく、あなたの兄弟が自分をどのように評価しているかではなく、あなたは兄弟を神の子として見るべきなのです。
つまりあなたが意識している(気付いている)全ての瞬間で贖い/救済が可能なのです。
あなたがこれを活用すれば、癒やしに次ぐ癒やしに次ぐ癒やしが起こるのです。これは何と素晴らしいことでしょう。

[Every situation, properly perceived, becomes an opportunity to heal the Son of God. And he is healed BECAUSE you offered faith to him, giving him to the Holy Spirit and releasing him from every demand your ego would make of him.]
[正しく知覚/認識された全ての状況が神の子を癒やす機会に成るのです。そしてあなたが彼に信心を与えたことにより、あなたは彼を聖霊に与え「あなたのエゴが彼に対して行なっている全ての要求」から彼を解放したので、彼は癒やされたのです。]

あなたはコースを学んでいる人が次のようなことを言っているのを聞いたことがあるかもしれません。
「私の娘が問題を抱えているのですが、私は娘と娘の問題を聖霊に手渡しました。 聖霊よ、私は娘をあなたに任せます。 聖霊よ、私はこの状況をあなたに手渡します。」
このように振舞うことがコースの意図していることだと考えて、それで済ませてしまっている人も居ますが、それは間違いです。
ここにはそれ以上の関与が必要なのです。

神の子であるあなたの兄弟姉妹と下記のように関わる必要があるのです。
[And he is healed BECAUSE you offered faith to him, . .]
[そしてあなたが彼に信心を与えたことにより...彼は癒やされたのです。]

疑いではなく、悲観ではなく、あなたの最悪の予想/判断ではなく、(あなたが定義/前提として受け入れている、しかしあなたの兄弟姉妹と全く関係の無い)条件付けられているあなたの良き判断でもなく、あなたが信心を彼(彼女)に捧げたことにより彼(彼女)は癒やされるのです。

[And He is healed BECAUSE you offered faith to him, giving him to the Holy Spirit and releasing him from every demand your ego would make of him.]
[そしてあなたが彼に信心を与えたことにより、あなたは彼を聖霊に与え「あなたのエゴが彼に対して行なっている全ての要求」から彼を解放したので、彼は癒やされたのです。]

つまり「兄弟姉妹に対するあなたの最上の判断や概念」に基づいて兄弟姉妹と関わるのではなく、あなたの注意を聖霊に与え「父よ、ここの真理は何ですか? 聖霊よ、(現在まだ私にも彼自身にも見えていない)神の聖なる子を私に示してください。」と言って兄弟姉妹を(あなたの考えや彼等自身の考えから)解放するのです。
あなたは兄弟姉妹を聖霊に引き渡して自分では兄弟姉妹のことを忘れてしまっては駄目なのです。 あなたは彼等を聖霊に引き渡して、全てを聖霊だけに任せて、知らん振りを決め込んでいては駄目なのです。

そうではなくあなたは精霊に注意/意識を与えて次のように言うのです。
「父よ、聖霊よ、私は兄弟に関する真理を知りたいです。彼と共に信心を持って立ち変容に参加出来るように。必要な癒しがもたらされるように。あなた(神)の視点から兄弟を祝福する為に、あなた(聖霊)に注意を与えましょう。私も関わりを持ち、あなたに訊ね聞くことによって、(聖霊である)あなたと私が兄弟の為のエージェント(変化を促進する者)に成れるように。」

これが「聖霊に(関係を/兄弟姉妹を)手渡す」という言葉の真意なのです。
これは「もうこれ以上あなたの最上の(あるいは最低の)判断に兄弟を引き渡さない」という意味なのです。
そうする代わりに、あなたの注意を聖霊に与えることによって兄弟姉妹に関する真理を「知る」{聖霊から受け取る}のです。
こうすることによりあなたは(兄弟が自分自身に関して信じていることではなく、あなたが今まで兄弟に対して信じて来たことではなく、兄弟の真実に対するあなたの信心を体現している)真理への気付きを兄弟に差し出せるように成るのです。
これが要点なのです。

あなたが兄弟を聖霊に引き渡して「こうして聖霊が兄弟を自由なものとして見る」のではなく、
[Thus do you see him free, and in this vision does the Holy Spirit share.]
[こうしてあなたは自由に解き放たれた彼(神の子)を見るのです。そしてこのヴィジョン(視界)の中で聖霊が「分かち合う」のです。]

あなたは(あなたの正しいマインドに過ぎない)聖霊と繋がるのです。

[And since He shares it He has given it, and so He heals through YOU. ]
[彼(聖霊)がそれ(神の子のヴィジョン)を「分かち合った」ので、彼(聖霊)はそれを与えたのです。だから彼(聖霊)はあなたを通して癒やしたのです。]

あなたが兄弟姉妹を聖霊に引き渡してしまって、あなただけのことに没頭して彼(彼女)のことを忘れてしまったなら、聖霊があなたを通して癒やせるでしょうか?
聖霊があなたを通して兄弟姉妹を癒やすこと(そのようにしてあなたが兄弟姉妹の共同体と関わること)が「二つのステップ/聖なる瞬間」の目的なのです。

[It is this joining Him in a united purpose which makes this purpose real because you make it Whole.]
[このように統一されている目的のもとに彼(聖霊)と繋がることが、この目的をリアルにするのです。 何故なら、その時「あなた」がそれ{統一された目的}を「健全/全体/十全」にするのだから。]

統一されている目的の内に聖霊と繋がることが、この目的を実体化するのです。
あなたはそこから立ち去って聖霊が問題を解決するよう任せ切りにするのではなく、あなたがそこに参加することにより、あなたがそれ(目的の成就)を十全にするのです。
あなた無しでは、あなたの注意無しでは、あなたの気遣い無しでは、そこにはブラックホールしかないのです。
(あなた無しで)そこに在るのは虚無なのです。(あなたの関与無しでは)全体の中であなたの果たすべき役目が満たされないままなのです。
あなた(達)が全体の中の自分(達)の役目を果たしたなら、創造全体が全くあなた(達)と分離していないことが発見されるのです。
これは非常に重要なことです。

[And this IS healing. The body is healed, because you came without it . . .]
[そしてこれ(彼との繋がりを健全/全体にすること)が癒やしなのです。体が癒やされるのは、あなたがそれ(体)を持たずに来て. . .]

つまり、あなたが自分をもう体と認識せずに来ているからです。

[The body is healed, because you came without it and joined the Mind in which all healing rests.]
[体が癒やされるのは、あなたがそれ(体)を持たずに来て(その中に全ての癒しが保たれている)「マインド」と繋がったからなのです。]

つまりあなたは「体との自己同一」から(全ての癒しがそこに依存している)「マインドとの自己同一」にシフトしたのです。

新しいセクションに入ります。
[HEALING AND THE MIND ]
[「マインド」の癒やし]

[The body cannot heal, because it cannot make itself sick. It NEEDS no healing. Its health or sickness depends entirely on how the mind perceives it, and the purpose which the mind would use it FOR.]
[体には癒やすことは出来ません。 何故なら、体が体自身に病をもたらすことは出来ないのだから。(何故なら、体が体を病気にしたのではないのだから。)体は癒やしを必要とはしていません。体の健康や病気は「マインドが体をどのように知覚認識しているか」そして「マインドが体を使おうとしているその目的」に完全に依存しているのです。]

マインド認識(自分とそして全てをマインドとして認識すること)にシフトすることによりあなたが体を超えて行ったなら、あなたは「聖霊があなたに知らせる目的」の為に体を使用することになり、「精霊があなたに与えた目的」に従って行動することになります。
だから(あなたがマインド認識にシフトしたなら)体は聖霊の目的(変容/再生/贖い)に従うのです。 つまり体が癒やし(創造の動きの中で父が創造しているパーフェクションを呼び出し、そこから決して一瞬も外れなくなること)に従うようになるのです。

[Its health or sickness depends entirely on how the mind perceives it, and the purpose which the mind would use it FOR. And it is obvious that a segment of the mind CAN see itself as separated from the Universal Purpose.]
[体の健康や病気は「マインドが体をどのように知覚認識しているか」そして「マインドが体を使おうとしているその目的」に完全に依存しているのです。マインドの一部(エゴ)はそれ自身を「宇宙的目的から分離しているもの」として考えているのです。]

あなたはまだ目覚めていません。何故ならあなたはまだ不可侵(不死身)を体験していないから。 あなたはまだ不断不変の平和を体験していません。

[And it is obvious that a segment of the mind CAN see itself as separated from the Universal Purpose.]
[マインドの一部(エゴ)はそれ自身を「宇宙的目的から分離しているもの」として考えているのです。]

あなたが現在使用しているマインドはそれ自身を「宇宙的目的から分離しているもの」として考えているのです。]
マインドの一部が「それ自身の目的を持っており、それ固有の存在理由を持っている」と考えることが可能なのです。
そのようなことを「神から与えられた権利」として主張し実践し、それを自分のゴールにして成功を試みることがエゴには可能なのです。

だからこのような分離が見えている時、体はマインドの武器に成っており、...

[When this occurs, the body becomes its weapon, used AGAINST this Purpose . to demonstrate the "fact" that separation has occurred.]
[これが起こっている時には体がその(分離している積りのマインドの)武器になり、分離が起こったという「事実」をデモンストレートする為にこの目的(宇宙的目的)に対抗するものとして体が使われているのです。]

「私を見てみなさい。私は自分一人で独立している。私はリアルで、自分が好きなことを何でも独自に行なうのだ!」
体は上記の言葉を証明する為に使われているのです。
しかしこれは想像上の立場であって、リアルなものではないのです。

[The body thus becomes the instrument of illusion, acting accordingly; seeing what is not there, hearing what truth has never said, and behaving insanely, being imprisoned BY insanity.]
[このようにして体が幻想の道具に成り、体が幻想の道具として働くのです。(その場合、体と自己同一して分離した積りでいるマインドは)そこに存在しないものを見て、真理が決して言わなかったことを聞き、狂気の振舞いを行い、狂気によって幽閉されているのです。]

私と繋がっている人達の中で、上記のこの言葉が強烈すぎると言う人はもうあまり居ないでしょう。
「自分に決定権がある、違いをもたらす力/権威を自分が有している」とあなたが考えている限り、「自分のイメージに従って全てを作る為に自分が存在している」とあなたが考えている限り、「自分の思考/イメージ/定義を全てに反映させることが自分の権利だ」と考えている限り、あなたは狂気の中に居るのです。
何故なら自分が信じていることだけを見ようとすることは、あなた自身に耽溺することだから。 しかし(あなたを含めた)全てはあなたの定義とは違う意味を持っているのです。  父がそこに(全の中に)父自身を無限に限定なく表現/体現している意味があるのです。

あなたが自分の見たいものだけを見ている時、あなたが天国の中を歩き回ってその中に物理的宇宙/世界を見ている時、あなたは一時的な狂気を体験しているのです。 そのような狂気の体験をしないことがあなたの生得権(当然の権利)なのです。
しかしあなたが「自分の最上の判断と(自分は独立的/分離的な存在なのだと信じて)独立的に行動する権利への信心」を放棄するまで、あなたにはするべき仕事があるのです。
そこでは修正が求められているのです。あなたがその求めに答えるまで修正の必要が訴えられ続けるのです。
だから少し自制心を実践して、「自己防御」から「愛を表現し愛を抱擁すること」にシフトしなさい。
そうすること(自己防御を捨てて愛を表現し抱擁すること)によってあなた達のマインドが再生/新生され、それによりあなた達が変容され、あなた達は目覚め、あなた達は聖なる瞬間の目的を満たし、あなた達は十全/完全に成る喜びを得るのです。

[Do not overlook our earlier statement that faithlessness leads straight to illusions.]
[わたし達が以前に「不信心は幻想と直結している」と言ったことを軽く考えないでください。]

不信心とは何でしょうか?
それは「あなたに考えられる最上の判断」へ依存しそれに自らを捧げることです。
一瞬も自分のマインドを静かにすることなく、真理が何か知ろうとしてあなたの中の聖なるものに訊ねることなく、自分の考えに依存することが不信心なのです。
(それと反対に)あなた自身で考える能力に全く依存せず、真理の体験に到達して、目的を満たし成就を体験することが信心の実践なのです。

[Do not overlook our earlier statement that faithlessness leads straight to illusions.]
[わたし達が以前に「不信心は幻想と直結している」と言ったことを軽く考えないでください。]

あなた自身で(聖霊の助けなくあなた一人で)理屈を考えることが、真理/リアリティの意識体験からあなたを遠ざけているのです。

[For faithlessness is the perception of a brother as a body, . .]
[何故なら、不信心とは兄弟を体として知覚認識することであり、. . .]

あなた自身を体として体験することが不信心なのです。

[For faithlessness is the perception of a brother as a body, and the body cannot be used for purposes of union.]
[何故なら、不信心とは兄弟を体として知覚認識することであり、体を合一(union)の目的で使用することは不可能なのだから。]

では何が合一可能なのでしょうか? それはマインドです。  
(その中で愛が動機であり行為である)意識(conscious awareness)がひとつに成るのです。
抱擁することが出来るのは意識(意識的気付き)だけなのです。
体を(自己防御の必要なく)抱擁と安全の目的で使用出来るのは意識だけなのです

[If, then, you see your brother AS a body, you have established a condition in which uniting with him becomes impossible.]
[だから、あなたがもし彼を体として見ていたなら、その時あなたは彼と自分が「一緒になる」ことを不可能にしてしまう条件を確立しているのです。]

だから(あなたが兄弟姉妹を体として見ている限り)あなたは「兄弟姉妹の何が間違っていて、彼等の振舞いがあなたが彼等と繋がることを不可能にしている」と言ってしまうのですが、それは真実ではないのです。

[Your faithlessness to him has separated you from him, and kept you BOTH apart from being healed.]
[彼に対するあなたの不信心が、あなたを彼から分離しており、あなた達両者を癒やしから遠ざけているのです。]

あなたが彼の中に聖霊を見ようとしないことが、彼の中に神聖を見ようとしないあなたが、彼をあなたから分離しており、あなたを彼から分離し続けているのです。

しかし癒しが要点なのです。
(意識として)お互いと繋がって十全(全体)に成ることが要点なのです。
そしてあなた(達)の思考が邪魔していない時だけ繋がることが可能なのです。
あなたの思考が脇に退けられた時にのみ、聖霊があなたに届きあなたの知覚を修正し、兄弟姉妹の真実を見る喜びがあなたに与えられるのです。
その時のあなたの自発的(自動的)振舞いが聖霊の視点を体現しており、それがあなたの兄弟姉妹を癒やすのです。
何故ならこの状態においてはじめて、兄弟姉妹の必要(要求)が防御(攻撃)を伴っておらず、従ってそこにはあなた達を遮るバリヤが無くなっているのだから。
あなたが(自分の最上の思考抜きで)聖霊と共に関わったのだから、あなたは愛に成っていたのです。 
だから愛であるあなたに対して兄弟姉妹は防御や攻撃の必要は感じなかったのです。 だから愛である(体ではなく意識である)あなたは兄弟姉妹の防御に遮られることなく兄弟姉妹と繋がったのです。

[Your faithlessness has thus opposed the Holy Spirit's purpose, and brought illusions, centered on the BODY, to stand between you. And the body WILL seem to be sick, for you have made of it an "enemy" of healing, and the opposite of truth.]
[このようにして(兄弟を体として知覚認識することにより)あなたの不信心が聖霊の目的に逆らっており、体に基づいた幻想を引き出しており、それを(体に基づいた幻想を)あなた達の間に据えているのです。そして体が病気に成ったように見えるのです。 何故なら、{体によって自分達が神や兄弟姉妹から分離していると考えている}あなた達は体を癒やしの「敵」にしており、体を真理の「反対」にしているのだから。]

あなた達はどのようにしてこれ(体を真理の反対にすること)をしているのでしょうか?
自分達を体として認識し、体を自分自分達として認識することによって、あなた達はこうしてるのです。
するとあなた達は助けを必要としている兄弟姉妹を体として認識してしまうのです。
このようにあなた自身と兄弟姉妹を誤知覚/誤認識することにより、合一の中で繋がるべき絆が無くなってしまい、こうしてあなた達は癒やしを否定しているのです。

[It cannot be difficult to realize that faith must be the opposite of faithlessness. Yet the difference in how they operate is less apparent, though it follows directly from the fundamental difference in what they are.]
[信心が不信心の正反対だと気付くことは難しくありません。そして信心と不信心の働きの違いはそれらの根本的違いに根ざしているのですが、しかし信心と不信心の働きの違いはそれ程解り易くありません。]

信心と不信心の違いは下記の通りです。
信心は(兄弟姉妹の真実により迫ったものを見ようと期待して)現在の全知覚を超えて見ようとしているマインド状態なのです。
不信心は現在の感覚(知覚認識)を超えて見よう(知ろう)とすることではなく、だからそれはあなたを盲目にし、「変化が起こりえない場所」にあなたと兄弟を押し留めてしまうのです。

[Faithlessness would always limit and attack; faith would remove all limitations and make whole.]
[不信心は常に「限定し攻撃する」のです。 信心は全ての限定を取り外して健全/全体にしようとします。]

そしてあなたが要(カナメ)なのです。あなたが選択点なのです。
あなたは不信心と信心のどちらを選ぶのでしょうか?
あなたが選ぶのは記憶に基づいたあなた個人の最上の判断でしょうか?
それとも記憶に基づかない、新鮮で、オリジナルで、予測を裏切る、真理の流入でしょうか? 「あなたの兄弟に対する真実への気付き」(これがあなたと兄弟を変容させるのです)をあなたは選んでいるでしょうか?
これはあなた次第です。これはあなたの選択次第です。

聖なる瞬間を実践することは「真理に対する意識(意識的気付き)が不意にあなたの中に流入して来ること」を選択することなのです。 それがあなたを永遠に変え、兄弟姉妹が変化する基盤を築くのです。
これ(聖なる瞬間/二つのステップ)はこのように働くのです。

あなたが精霊に全てを任せてしまわず(兄弟姉妹のもとを)立ち去ってしまわなかったから、あなたが兄弟姉妹と共に立ち「聖霊があなたに示すこと」を聞こうとして関わったから、これ(兄弟姉妹の真理に対する気付きの流入)が起こったのです。 
それ(真理の流入)を許可しその機会(神の現れの出現)を提供することにより、「神の現れが素晴らしくリアル(現実)に成る場所/状態/機会を提供すること」があなたの役目なのです。
これはこれ程シンプルで、これ程愛に溢れ、これ程親切で、これ程意味深いのです。

不信心(自分の賢い思考に夢中に成ること)は

[Faithlessness would interpose illusions between the Son of God and his Creator; faith would remove all obstacles that seem to rise between them.]
[不信心は神の子とその創造者(神)の間に幻想を挿入しようとします。信心は「神の子と創造者の間に立ち昇っているように見えている全ての障害」を取り除きます。]

信心は障害には騙されないのです。
立ち昇って来ているように見えている障害を信じるべきではないのです。
あなたは障害と対峙しそれを否定するのです。
そして愛が(混乱をきたしていた所に明晰が現れる機会を提供する)忍耐と揺るぎのなさを促進するのです。

不信心は、あなたの最上の判断/思考は、
[Faithlessness is wholly dedicated to illusions; faith wholly to truth. ]
[不信心の全ては幻想だけに捧げられており、信心は完全に真理だけに捧げられています。]

何故、不信心は幻想に捧げられているのでしょうか?
何故なら、不信心は思考だけに捧げられており、あなたの思考は(創造者の衝動から出現しており創造の全ての部分が体現している「意味/意図」を無視しながら)意味/意図を想像することに使われているからです。

[Partial dedication is impossible.]
[部分的献身(信心と不信心の両方に自分を捧げること)は不可能です。]
あなたは「自分の一部だけを少し静かにして、自分の他の部分で少しだけ思考すること」は出来ません。

[Truth is the ABSENCE of illusion; illusion the ABSENCE of truth.]
[真理とは幻想の不在で、幻想とは真理の不在なのです。]
(静けさ同様)平和は自己主張/自己挿入の不在で、自己主張の不在(静けさ)の中から平和がやって来るのです。

これはシンプルに聞えるだけではなく、実際にシンプルなのです。
あなた達全員が平和に成り平和を瞑想し平和を体験することが出来るのです。
これは複雑ではなく、何年も勉強しなくてはならないことでもないのです。
必要なのは座ってリラックスして、今に存在して(意識を今に与えて)、呼吸を整えたりマントラを言ったりして、あなたの鼻腔を通り抜ける空気の感覚に注意を与えてたり(マントラの音に注意を与えたり)して、あなたの注意をそれ(呼吸/音/感覚/意識/体験)だけに与えることなのです。

そして自分が思考していることに気付いたなら、それを意識して、瞑想が終ってからその思考を続ける許可を自分に与え、瞑想やマントラを唱えることや鼻腔の空気に注意を与えることに戻るのです。

するとある時点で自分がもうマントラを唱えていない(もう空気の感覚を感じていない)ことにあなたは気付くのです。
その時「あなたの環境(静寂と平和)に対する純粋な意識」以外には何も起こっていないのです。

しかしあなたは「この静寂と平和の体験をある程度エンジョイしてそれから直ぐに日常的な普段の行動(今までの思考)に戻ってしまう」間違い(とここではそう言いましょう)を犯してしまうかもしれません。
でもあなたはこの平和を認識することが出来るのだから(瞑想の時間が終ったからといって)あなたが体験しているこの静寂を手放す必要はないのです。
あなたはこの平和を保ったまま自分の日常生活とその活動の中に戻って行くことが出来るのです。
そして(そこでは怖れのない視点が全てを統治している故に)あなたはより長い時間平和を保って、あなたの全ての行動を平和で祝福することが出来るのです。
だからわたし達が話していることはシンプルで簡単に得られるのです。

しかしそれには常に平和を選び続ける決意が必要なのです。
リアリティの中で愛が常に優しい表現を探し出しています。「あなたを新しくしあなたに新しい振舞いをさせる真理/リアリティは何なのか示す啓示」を体験する為に静寂の中で聖霊と繋がる決意をし続けることが必要なのです。
二つのステップをより頻繫に実践してください。
何故なら全ての瞬間において真実を選び癒やされること以上に正しいことはないのだから。
あなたは(何の約束/可能性も見せていないつまらない世界に見えている)「ここ」でこれをすることが出来るのです。 何故なら「何の約束/可能性も見せていないつまらない世界」は真実ではないのだから。


Chapter 19 – BEYOND THE BODY – Section: HEALING AND THE MIND
1 Sparkly Book – p.449 / JCIM – p.188 / CIMS – p.378
Chapter 19 – THE ATTAINMENT OF PEACE – Section: HEALING AND FAITH
First Edition – p. 371 / Second Edition – p.398

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2821 2nd Ave Suite 704
Seattle WA 98121 USA
(参照ページ)http://rajpur.blog13.fc2.com/blog-entry-220.html

この文章はサンローズが書き取ってくれた英文を元にしています。彼女へギフトされる場合下記がアドレスです。
Francine Mienik (Sun~Rose)
13 Dunes Lane、Port Washington
New York 11050


The Northwest Foundation for A Course in Miracles
PO Box 1490 / Kingston, WA 98346-1490 / USA
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
Website: http://www.nwffacim.org
E-Mail: paul@nwffacim.org
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テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

ACIM12-05-12

わたし達は [THE DREAM AND THE REALITY][夢とリアリティ]という章の最後のセクションに来ています。
{第18章の}これまでのテキストを読み返して復習することを皆さんにお勧めします。この章は聖なる瞬間の構造/働き/目的を説明していることが理解されるでしょう。

先週も説明した通り、
「聖なるあなた(あなた全体)」と「(あなたが現在それを自分と認識している)あなたの一部分」を分離している境界線にあなたが近づいた時、(あなたと「あなた全体」が繋がっていなと認識されており)「あなたが自分を独立自律した存在として認識している境界線」に近づいた時、あなたは居心地悪く感じることでしょう。
何故ならこの境界線にあなたが近づくに従い、バブル(境界線を成り立たせている幻想)が弾けそうになるのだから。

このフニャフニャの囲いが崩壊し、あなたは自分の全権限を失い、「分離して見えるあなたを価値在るものにして来た全てのこと」が失われるのです。
あなたは「あなたが創造したもの全て」を失うのです。 あなたが作った自己が失われるのです。 あなたの優れた仕事から発生しているあなたの尊厳などが失われるのです。{ここで言われている「あなた」は「神から分離しているつもりのあなた」です。訳注}
しかし一番大切なことは、あなたがあなたの周りに築いている境界線に近づいていった時、(あなた達がバブルを保持しようとし続けている限り存在し続ける)罪悪が顕わになるということなのです。

そしてあなたが罪悪を見て罪悪を感じて、罪悪を避けようとしなかったなら、その時不思議なことが起こるのです。
その時バブルの境界線(囲い)がより透明になるのです。そしてあなたはその向こうに光を見るのです。
あなたはバブルを透視してバブルの向こうにある光を見るのです。
そしてこれが起こっている時、「自分には怖れるべきことが何も無い」とあなたに明白に解るようになるのです。

要点は、怖れが立ち昇ってくる所(バブルの境界線)にあなたが到達した時、あなたは自分のガイド(聖霊)の手をシッカリ握る続ける必要があるということです。 
(聖霊/ガイドの指示に従って)あなたが境界線に向かって進んでいる時、あなたは今まで以上に聖霊の手を強く握る必要があるのです。

「あなたの正しいマインドに過ぎないもの」は、バブルの外側にある全て(無限)を満たしているものは、 あなたの小さな部分(バブルによって全体から分離されている小さなあなた)を取り戻そうとしているのです。
聖霊は(バブルの中に収められている、あなたがとても大切にしている)「あなたの一部」をバブルの外に取り出そうとするのです。 そうすることによってあなたとあなた全体を分離しているこの脆弱な囲い(バブル)が破けて、「分離」と呼ばれている知覚の歪みがもう発生しなくなるようにしようとしているのです。 するとあなたを「小さなあなた」と「あなた全体(小さなあなた以外の全て)」の二つに分離して見せているものが何も無くなり、あなたは「あなた全体」を体験するのです。

しかしあなたがガイドに聞き従うことを続ける内に、聖なる瞬間の中で父(や聖霊に)に「ここの真理は何ですか? 何がバブルの外と内を満たしているリアリティなのですか? バブル(囲い)を無能に無意味にしているリアリティは何なのですか?」と訊ね聞いて行くに従い、その結果としてガイド(聖霊)を聞くことが助けにならない(聖霊の言うことを聞くと危険だ、何故なら聖霊の言うことを聞いた結果として「怖ろしい場所/バブルの境界線」に来ているのだから。)という間違った結論を導いてしまうかもしれません。 

するとあなたは聞くことを拒否し始めてしまうかもしれません。
何故なら聖霊を聞かなくなれば、あなたは境界線から再度離れることが出来、あなたはより安全に感じ(境界線の傍に行くことから来る)怖れを軽減することが出来るのだから。
あなたはこの現象を理解しておくべきなのです。
あなたがこの怖れを体験した時「オーケー、聖霊よ、私はあなたのガイダンスにもっと寄り掛かることにします。わが身をあなた(聖霊)により完全に任せます。私を境界線の向こうに連れて行き、私をそこから自由にし、リアリティに対する歪みのないクリアな体験に私を連れ戻すことがあなたの目的だと私は知っているのだから。 私が世界/宇宙を天国というリアリティとして歪み無く体験出来るようにすることがあなた(聖霊)の役目なのだから。」 とあなたが言えるように。

この章は聖なる瞬間のプロセスを説明しており、聖なる瞬間がどのようにしてあなたを境界線に導き、どのようにして境界線の向こうにあなたを導き入れるか説明しているのです。
だからこの章の一番最後のセクションの題名は、[THE PASSING OF THE DREAM][夢の消滅]です

「夢の放棄」あるいは「夢からの解放」というタイトルでも良かったでしょう。
「夢の放棄」の方がより正確なタイトルだったかもしれません。
夢からの解放だと、夢があなたを捕らえ縛ることが出来るような印象を与えてしまいます。 夢そのものがあなた達に対してネガティブな力を持っているような印象を与えてしまいます。
しかしそのようなことはなく、あなたが夢を放棄するのです。
聖なる瞬間の実践は夢を放棄するプロセスなのです。

聖なる瞬間は夢(バブル)から出る為の橋なのです。
聖なる瞬間という橋を通って夢から出る課程で(そのプロセスの動きの中で)バブルが弾け、あなたの全体が修復されるのです。あなたの神聖があなたに修復され、「目覚めの為に聖なる関係の中であなたと繋がっている人」があなたの中に(あなたの為に)修復されるのです。

本を読みましょう。

[THE PASSING OF THE DREAM]
[夢の消滅]

[This course will LEAD to knowledge, but knowledge itself is still beyond the scope of our curriculum. Nor is there any need for us to try to speak of what must forever lie beyond words.]
[このコースは叡智(knowledge)へと導きます。 しかし叡智そのものはわたし達のカリキュラム(学習内容)外です。そして「永遠に言葉の外に在るもの」に関して話そうとする必要もわたし達にはありません。]

私は今まで(卑小な思考と区別する為に)“Knowing”(叡智)という言葉を使ってきました。
コースの中では(「知識」と解釈することも可能な)Knowledgeという言葉が使われていますが、私は{ポールを通しては}Knowingという言葉を使ってきました。

[This Course will lead to [Knowing], but [Knowing] itself is still beyond the scope of our curriculum.] {ヘレン・シャックマンによって実際に書き残されたテキストではKnowingではなくKnowledgeという言葉が使われています。訳注}
[このコースは叡智(knowledge)へと導きます。 しかし叡智そのものはわたし達のカリキュラム(学習内容)外です。]

叡智はバブルの中を超えて存在しているもので、だから叡智はこの学習(カリキュラム)の範囲を超えているものなのです。
この学習の目的は「バブルが弾けるところまであなたを連れて行くこと」なのです。
あなたは父/聖霊と繋がり続けることをあえてして、自分の孤立(独立)を放棄するべきなのです。
これがコースの要点なのです。 そしてコースの学習があなたをこのことに導いて行くべきなのです。 あなたを行動(振舞い)へと導くべきなのです。
ただ知識を集め続けるのではなく{父から訊ね聞いた結果としての振舞い(在り方)が出来るようになるべきなのです}。

だから、
[The Course will lead to knowledge, but [Knowing] itself is still beyond the scope our curriculum.]
[このコースは叡智(knowledge)へと導きます。 しかし叡智そのものはわたし達のカリキュラム(学習内容)外です。] 

コースのカリキュラム(学習)は、「一人になろう(自分だけで自律しよう)としたあなたの選択が行われた場所」にあなたを導きます。
そしてその(あなたが独立している状態の)向こうへあなたを運ぶ「何か{聖霊}」があるのです。
コースに出来ることはそれだけなのです。
そして神の動きのプロセス上で、聖なる瞬間を実践した結果として、あなたは学んでいるように見え、あなたが知識を得ているように見えるのです。
しかしそれら全ての目的は「あなたがそれ(知識をもとにした学習)を超えて行く地点」まであなたを導くことなのです。

だから叡智そのものは、
[. . . knowledge itself is still beyond the scope of our curriculum. Nor is there any need for us to try to speak of what must forever lie beyond words. We need remember only that whoever attains the real world, beyond which learning cannot go, WILL go beyond it, but in a different way.]
[しかし叡智そのものはわたし達のカリキュラム(学習内容)外です。そして「永遠に言葉の外に在るべきもの」に関して話そうとする必要もわたし達にはありません。わたし達が覚えているべきは下記のことだけです。(学習では届き得ない)リアルな世界を得る人は誰でもその先に行くのですが、しかし{今までとは}異なった方法でこれを行なうのです。]

この学習はあなたをバブルの境界線まで{知覚の狭間まで}連れて行きます。 学ぼうとする意欲は、あなた達が作り上げて来た定義群(そしてあなた達がそれによって自分達を定義しており、自分達の自己認識をそれに硬く結び付けている定義群)の境界線まであなた達を連れて行きます。
そしてそこ(境界線の狭間)ではそれ以上の学習は起こらないのです。
あなたを境界線の向こうまで連れて行くのは、それ以上の(より多くの)学習ではないのです。
だからあなたが境界線を越えて行った時もう学習は継続されないのです。

だからあなたは学習の先に行くのですが、
[. . . WILL go beyond it, but in a different way.]
[誰でもその先に行くのですが、しかし{今までとは}異なった方法でこれを行なうのです。]

私がこれから言うことはある意味では比喩的表現で、ある意味ではリアルな説明です。あなた達がどのようにして(今までとは異なる体験/方法によって)境界線を越えて行くか下記に説明します。

例えば「紙やすり」がどのようなものか誰かに説明してもらって、あなたは紙やすりについて学習することが出来るでしょう。
それによりあなたは『紙やすりが紙に砂を塗りつけたもので、それはザラザラしており、紙やすりで擦って何かを削ることが出来る』とヴィジュアライズ(視覚化)することが出来るでしょう。
こうしてあなたは知的な理解を得ることが出来、紙やすりに関する知識を得ることが出来るでしょう。
しかし実際に誰かがあなたに紙やすりを手渡して、あなたがその手触りを感じ、それを使ってみたなら、その時あなたは今まであなたが受け取ってきた説明の意味を体験するのです。
その体験(紙やすりを実際に使う体験)は、「紙やすりの使い方の説明を他者から聞いたり本で読んだ体験」とは全く異なるものなのです。

だから、
[We need remember only that whoever attains the real world, . .]
[(学習では届き得ない)リアルな世界を得る人は誰でもその先に行くのですが、]
上記の文章は「人によってはリアルな世界が得られない」と言っている訳ではありません。

[We need remember only that whoever attains the real world, beyond which learning cannot go, WILL go beyond it, but in a different way.]
[(学習では届き得ない)リアルな世界を得る人は誰でもその先に行くのですが、しかし{今までとは}異なった方法でこれを行なうのです。]

バブルを超えて行く時あなたは(言ってみれば)「ありとあらゆる全てに対する神の視界」を体験するのです。
それ(神の視界/視点)は体験であって説明ではないのです。

この本全部の目的は、そしてわたし達が読んで来たこの章全体の目的は、バブルを通り抜けるこの動きの性質と力学(働き)を明確に説明することなのです。 あなたが知識から体験へと卒業出来るように。
あなたは“A Course in Miracles”に関する知識を得ようとしてこの本を読むべきではないのです。
「あなたのことを話しているもの」としてこの本を読み、(知識ではなく)リアリティ体験へとあなたを導くものとしてこの本を読むべきなのです。
知識は静的なものです。知識はまるで石の上に書いた文章のようです。

しかしリアリティ体験は瞬間内で体験される{あなたの意識の}動きなのです。
リアリティは(前知識なく偏見なく)「ここで何が起こっているのだろう?」という子供のような好奇心を持ってあなたが「この今」に自分の注意/意識を当てた時体験されるものなのです。
「ここの真理は何だろう? 父よ、あなたはこれをどう見ていますか? 何がリアルに起こっているのですか?」そう言ってあなたは「(父自身から飛び出てあなたに成っている)父」と繋がれるようになるのです。

バブル(幻想の境界線)が終わった所から神が始まります。
[Where learning ends there God begins, . .]
[学習が終わった所から神が始まります。]

そしてバブルの周囲から永遠に向かって神が続いているのです。
学習が終わる所からあなたのリアリティが始っているのです。

[Where learning ends there God begins, for learning ends before Him Who is complete where He begins, . .]
[学習が終わった所から神が始まります。何故なら、「始まる所で完全」であり「終わりの無い所」である彼(神)の前で学習は終るのだから。]

もう一度聞きなさい。
[. . . learning ends before Him Who is complete where He begins, . .]
[「始まる所で完全」であり「終わりの無い所」である彼(神)の前で学習は終るのだから。]

あなたがバブルの端(あなたの思考が止まっている所)まで行った時、学習は終るのです。
あなたがバブルの端まで行った時、あなたは神が始る場所に立っているのです。
そしてあなたがバブル(あなたの思考/定義)を超えて行った時、神が十全(全体)である場所にあなたは居るのです。
その時神が完全に成っており、その瞬間にバブルが弾けるのです。
その時「バブルの中」と呼ばれているものは存在していないのです。
そこにあるのは無限の神の全てであり、無限なあなたの残りの部分(あなたが今まで自覚していなかったあなた全体)なのです。

[Where learning ends there God begins, for learning ends before Him Who is complete where He begins, and where there IS no end.]
[学習が終わった所から神が始まります。 何故なら、「始まる所で完全」であり「終わりの無い所」である彼(神)の前で学習は終るのだから。]

あなたがバブルを通り抜けた途端「あなたが人工的に作った囲いの向こう側」にあなたは居るので、あなたは「神が始っているように見えている場所」に居るのです。
あなたがバブルを通り抜けた時、バブルが破れて神が始っている「そこ」は神が決して終らない所でもあるのです。 何故ならその時あなたは永遠の中へとシフトしているのだから。
その時あなたは永遠の中に(神の聖なるマインドの動きによって出来ている「永遠の今」に)シフトしているのです。
この神のマインドの動きが創造として体験されており、あなた達はこれを創造として体験するのです。
{バブル(思考/定義)を通り抜けてあなたが今に(神の動きに)意識を与えている時}創造はもはや「物理的世界/物理的宇宙」とは体験されず、あなたは父と繋がって創造そのものを(それそのままの真の姿で)認識するのです。 これが{神との}共同創造と呼ばれているのです。

[It is not for us to dwell on what CANNOT be attained. There is too much to learn.]
[わたし達は獲得出来ないものに関して思い悩むのは止めるべきです。 学ぶべきことが沢山あるのだから。]

だからわたし達は「あなたがバブルを通り越してあなた全体を体験し始めた時起こる事」に関しては話しません。 現在まだ学ぶべきことがあるのだから。
それはどのような学習でしょう?
それは聖なる瞬間を実践しようとあなたが選択した途端にいつでも始る学習です。
何故なら(あなたが目覚めるまでは)バブルの境界線のより近くにあなたを導く橋として聖なる瞬間があるのだから。 
その(聖なる瞬間を通してバブルの境界線に近づいていく)プロセス中にあなたのガイド(聖霊)の指示によって「あなた」に関する真理が(あなたの兄弟に関する真理が、世界と宇宙に関する真理が)暴き示されるのだから。

そしてあなたが自分のガイドの手をシッカリと握り続けること(あなたが聖霊に注意を与え続けること)により、あなたは平和と怖れを通り抜けてバブルの向こう側(バブルの外側)に導かれ、それによってバブルが弾けるのです。
その為にはガイド/聖霊と一緒に繋がり続けるあなたの決意が必要なのです、例えガイドがあなたを「何か」に近づけたとしても。
あなたのガイドの指示はあなたを「あなたが父から離縁する決意をした時の真実」に近づけるのです。
父を離縁して独立存在に成ろう決めたあなたの決意が、あなたの解除する最後のものなのです。 それ(父から分離しようとしたあなたの決意)がバブルを成り立たせている最後の要素なのです。
それを解除する為に、あなたは「それを(独立の決意を解除)する意欲が持てる所」に到達する必要があるのです。
(正しいマインドに戻って行く方法を設立している)聖霊の愛と父の愛を通してのみ、あなたはこれ(独立決意の解除)が出来るのです。
だからあなたは「あなたの神聖(正気)に十分依存しなければならない場所」に居るのです。
あなたの正しいマインドでしかないものは、聖霊は、あなたの正気なのです。
そしてあなたの正気は、あなたが作った境界線(囲い)を超えて、あなたを連れ出すのです。
聖霊はあなたを安全にバブルの境界線の外に導き出し、これがバブル(幻想)を崩壊させるのです。

[There is too much to learn. The readiness for knowledge still must be attained.]
[学ぶべきことが沢山あるのだから。しかし叡智(knowledge)に対する準備は獲得しなければいけません。]

これ(叡智への準備を整えること)が聖なる関係の目的なのです。
聖なる関係の目的は、(兄弟姉妹をあなたが愛しているが故に)表面上に現れていることの下にある真実を見たいとあなたが願うことにより、あなたの兄弟姉妹の中に神の現われを明確に認識することなのです。
自分が兄弟姉妹に当て嵌めている定義(あるいは彼等が彼等自身に当て嵌めている定義)を超えて見えるように成りたいとあなたが願った時これが起こるのです。
聖なる瞬間は「分離/個人/孤立/プライベートな認識」が起こる場所では決してないのです。

[Love is not learned. Its meaning lies in itself. ]
[愛は学ばれるものではありません。その意味はそれ自身の中にあります。]

愛は体験なのです。 愛は実際には体験なのです。 あなたが目覚めていても、夢見ていても、自分は分離しているとあなたが考えていたとしても、愛は体験なのです。
そしてあなたはその体験(愛の体験)をしているのです。
問題はあなたがこの愛の体験を、高度にスタイル付けられたあなた独自の知覚(あなたが独立的立場/視点を選んでいるが故に立ち昇って来ている怖れと罪悪に基づいた知覚)を通して体験していることなのです。
にもかかわらず(あなたがこれをバブルの中から体験していても、バブルの外から体験していても)あなたは愛を体験しているのです。

[Love is not learned. Its meaning lies in itself. And learning ends when you have recognized all it is NOT.]
[愛は学ばれるものではありません。その意味はそれ自身の中にあります。愛でないもの全てをあなたが認識した時、全ての学習が終るのです。]

もう一度聞きなさい。
[. . . learning ends when you have recognized all it is NOT.]
[愛でないもの全てをあなたが認識した時、全ての学習が終るのです。]

愛でない全てのものを認識出来るように成るには時間が際限なく必要であるようにも聞えますね。
あなたは多くのことが起こっていることを知っています。あなたのマインドの中でさえも愛でない多くのことが起こっているとをあなたは知っています。

あなたは目覚める前にそれら全てを識別し取り出さなければいけないのでしょうか。
いいえ、違います。もう一度下記を聞きなさい。

[. . . learning ends when you have recognized all it is NOT. ]
[愛でないもの全てをあなたが認識した時、全ての学習が終るのです。]

愛でない全てとは「思考」なのです。
思考が愛以外の全てなのです。
だから例え、あなたが何億何千という思考を持っていても構わないのです。
「{神から分離した}思考が自分を狂気に縛り付けている」と一旦気付いたなら、 (どのような主題に関してであれ)思考は無意味であって思考があなたを良きことからブロックしているとあなたが思い至ったなら、あなたは(あなた自身を静めることによって)愛でない全ての思考を止めることが出来るのです。
これがどれだけシンプルであるか解りますか?

[Love is not learned. Its meaning lies in itself. ]
[愛は学ばれるものではありません。その意味はそれ自身の中にあります。]

愛は体験であって、愛の意味もその体験内にあるのです。

[And learning ends when you have recognized all it is NOT. ]
[愛でないもの全てをあなたが認識した時、全ての学習が終るのです。]

だから必要とされている学習とは「あなた達が今までして来た思考を解除すること」なのです。
そして一番大切なのは(あなたの思考の対象を放棄しようとするのではなく、あなたが体験している人やものを放棄しようとするのではなく)「思考そのものを放棄することが必要なのだ」とあなたが理解することなのです。

[That is the interference; . .]
[それ(愛でないもの全て)が妨害なのです。] 
愛でない全てのもの、つまり「思考/考え」が妨害なのです。

[That is the interference; that is what needs to be undone.]
[それ(愛でないもの全て)が妨害なのです。 それを解除する必要があるのです。]

(様々なことをする必要があるのではなく)するべきことは一つだけで、それはあなた自身を黙らせること、あなた自身を静かにさせることなのです。
そしてその静けさの中で「父よ、ここの真理は何ですか?」と訊ねるのです。
とてもシンプルでしょう。

[Love is not learned because there never was a time in which you knew it not. Learning is useless in the Presence of your Creator, . .]
[愛は学ばれるものではありません。 何故なら、あなたがそれ(愛)を知らなかった時は決して存在していなかったのだから。あなたの創造者の前では学習は無意味です。]

(あなた達が様々な定義をでっち上げてそれらに自分達の信任を与えることにより成り立っている)囲い/バブルの傍にあなたが行った時、あなたはあなたの創造者の傍に立っているのです。 
その時あなたと創造者の間には脆弱な膜があるだけなのです。
その時「思考者であるあなた」と「存在者である創造者/神」の間には簡単に破れる膜があるだけなのです。
その時(あなたが考えていることではなく)存在者(神)の在り様があなたの体験なのです。

そして学習は無意味なのです。何故なら創造者の前に居る時あなたは叡智の前に居り、あなたはあなたのマインドと異なっていない「マインド」の前に居り、神から分離したマインドを保とうとしていないのだから。
だからそこでは学習が起こっていないのです。何故ならその時あなたは叡智があなたに成ることを許しているのだから。
あなたがこれをしている時、これは全く抵抗を伴わない自由自在なことなのです。
独立性を主張することをあなたが完全に放棄した時、これが起こるのです。
あなたが本当の謙虚さの中で{自分を神の意志に}譲っている時、これが起こるのです。

[Learning is useless in the Presence of your Creator, Whose acknowledgement of you and yours of Him so far transcend all learning that everything you learned is meaningless, replaced forever by the knowledge of love and its one meaning.]
[あなたの創造者の前では学習は無意味です。創造者のあなたへの認識は、そしてあなたの彼(創造者)への認識は、全ての学習を遥かに超越しており(その前では)あなたが学んだ全ては無意味で、それらは愛の叡智とその「ひとつ」の意味によって永遠に置き換えられるのです。]

聖なる瞬間を実践した時あなたは「あなたが今まで学んできた全てが無意味に成っている」視点の中に入っているのです。
そこではあなた自身にあなたが学ばせて来た全てが無意味に成るのです。
そこでは先生達があなたに教えて来た全てのことが無意味になるのです。
そしてあなたはバブルの中を通り抜け変容を体験し、(あなたをバブルの境界線まで導いて来た)全ての学びが叡智(Knowing)で置き換えられるのです。
学習は「分離したあなたの自己感覚」とそして「あなたの自己感覚が正気に戻ること」だけと関連しているのです。

あなたがその中で聖なる瞬間を実践している聖なる関係は、
{ここは「聖なる関係」ではなく「特別な関係」の方が正しいでしょう。 訳注}
[Your relationship has been uprooted from the world of shadows, and its unholy purpose has been safely brought through the barriers of guilt, washed with forgiveness, and set shining and firmly rooted in the world of light. ]
[あなたの{特別な}関係は影の世界から抜き取られ、その不聖な目的は罪悪のバリアの中を安全に届けられ、それは赦しで洗われ、光の世界の中に確実に設置されており輝いているのです。]

何故なら、あなたがバブルを通り抜ける時あなたは一人では通り抜けないのだから。
あなたと兄弟姉妹が共にバブル(幻想/定義/思考に基づいた限定)を通り抜けるのです。
そしてあなた達の帰還によって永遠と無限の全て(創造の全て)が祝福されるのです。
そしてその祝福はあなた達両者にも与えられるのです。

だからあなた達の関係は赦しで洗われ、
[. . . has been safely brought through the barriers of guilt, washed with forgiveness, and set shining and firmly rooted in the world of light. From there, it calls to you to follow the course it took, lifted high above the darkness, and gently placed before the gates of Heaven. ]
[それは赦しで洗われ、光の世界の中に確実に設置されており輝いているのです。そこからそれ{あなたの関係}はあなたに呼び掛け、それが歩いたコースの後を付いて来るように言うのです。 それは暗闇から高く持ち上げられ、優しく天国の門の前に置かれたのです。]

あなたはこのようにして自分の正しいマインドに帰って行く(正気を取り戻す)のだと知っておくことが重要なのです。
それと同じ位重要なことは「あなたがこれを一人でする訳ではない」ということです。
あなたは誰か他の人と一緒にこれを行なうのです。
そしてその繋がりの中で「ひとつに統合された愛の意味」があなた達の(あなたと相手両方の)体験に成るのです。
あなた一人では(あなた一人で意味を創造し保持しようとしている)あなたの境界線を破ることは出来ないのです。あなたの境界線(バブル)は、あなたが神から独立しようとしている結果であるだけでなく、あなたがあなたの兄弟姉妹から独立していようとしている結果でもあるのだから。
だからこれ(聖なる瞬間)がどう機能するか理解してください。

[The holy instant in which you were united . . .]
[あなた達が一つに成った聖なる瞬間は]

聖なる関係の中に居るあなたとあなたのパートナーは、

[The holy instant in which you were united is but the messenger of love, sent from beyond forgiveness to remind you of all that lies beyond it. ]
[あなた達が一つに成った聖なる瞬間は(赦しの果てから送られており、その果てにある全てをあなたに思い出させる)愛のメッセンジャーなのです。]

だからあなたが黙って(マインドを静かにして)「ここの真理は何ですか?」と言った時あなたは答えを得るのです。

[. . . sent from beyond forgiveness to remind you of all that lies beyond it. Yet it is through forgiveness that it will BE remembered.]
[(赦しの果てから送られており、その果てにある全てをあなたに思い出させる)愛のメッセンジャーなのです。しかしこれは赦しを通して思い出されるのです。]

だからこれは合一(ひとつに成ること)であり、関係を通して行なわれるのです。

[And when the memory of God has come to you in the holy place of forgiveness, you will remember nothing else, and memory will be as useless as learning, . .]
[そして神の記憶があなたのもとに来た時、赦しの聖なる場所の中であなたはそれ(神の記憶)以外は何も思い出さないのです。すると記憶は学習と同じように不要になります。]

あなたが幻想を通り抜けてバブルが弾けた時、その時あなたはもう学習を覚えてさえいないのです。何故ならその時「バブルの中に居たリアルなあなた」が「バブルの外に居たリアルなあなた」と繋がって、実際に起こってはいなかったことを思い出すことはもう出来なくなるのだから。

[And when the memory of God has come to you in the holy place of forgiveness, you will remember nothing else, and memory will be as useless as learning, for your only purpose will be creating.]
[そして神の記憶があなたのもとに来た時、赦しの聖なる場所の中であなたはそれ(神の記憶)以外は何も思い出さないのです。すると記憶は学習と同じように不要になります。 何故なら、あなたの唯一の目的は創造になるのだから。]

あなた(達)が父と繋がっていることが、あなた(達)と父の繋がりの中に父という愛があることが、あなたと父の繋がりの中に父という無限のマインドがあることが、あなたの存在を構成しているのです{あなたに成っているのです}。
あなた達は(あなた達と切り離すことが出来ない)父の動きと関わり父の動きと一体に成り、あなた達は創造と関わり、驚異をもって創造を見るのです。
あなた達は創造を完全に認め抱擁することが出来るのです。何故ならそこには(無防備で従ってそれ自身の境界線を作って創造の他の部分からそれ自身を防御する必要がある)「卑小なあなた」は居ないのだから。

[Yet this you cannot know until every perception has been cleansed and purified, . .]
[しかし全ての知覚が洗われ浄化され、そして最終的には永遠に取り除かれるまで、あなたがこれを知ることは出来ません。]

どのようにして全ての知覚が洗われ浄化されるのでしょうか?
思考を放棄することによってです。
知覚は思考から発生しており、思考から立ち昇っており、思考によって保持され続けているのです。

[. . . this you cannot know until every perception has been cleansed and purified, . .]
[全ての知覚が洗われ浄化され、そして最終的には永遠に取り除かれるまで、あなたがこれを知ることは出来ません。]

しかしあなたが全ての知覚を探し出す必要はないのです。
{分離的な}思考が発生しなくなることにより、知覚が洗われ浄化されるのです。

[. . . and finally removed forever.]
[そして永遠に取り除かれるまで、]

オオ、平和。
父との離縁が解除された時の圧倒的な体験が平和なのです。
あなたの独立が存在しなくなった時、あなたの独立が過去にしか存在しなくなった時、圧倒的な平和が訪れるのです。

[Forgiveness removes only the UNTRUE, . .]
[赦しは真実でないものだけを取り除きます。]

あなたが(あなたの正しいマインドにしか過ぎない)聖霊の手を取らない限り、あなたはこれを見ることが出来ないのです。
そして聖霊の手をシッカリ確実に持ち続ける必要があるのです。
聖霊に連れられてあなたが(父を離縁しようとしてあなたが最初に行なった決意によって設立された)境界線を破り抜ける(そして父との離縁を永遠に解除する)見かけ上は怖ろしい体験をしている間もあなたは聖霊の手を握り続ける必要があるのです。

[Forgiveness removes only the UNTRUE, lifting the shadows from the world, . .of your imagination. . . and carrying it, safe and sure within its gentleness, to the bright world of new and clean perception.]
[赦しは真実でないものだけを取り除きます。(赦しは){あなたの幻想の}世界から影を取り上げ、それを優しく確実安全に動かし、真新しく新鮮に輝く知覚の世界に持って行きます。]

少しドライに聞こえるかも知れませんが、これは新鮮でクリアな知覚なのです。
何故ならその時あなたは(全創造の中で父が体現している)「父の意味」を体験しており、それにあなたの注意を与えることによって、それ(創造)に参加することが今あなたの喜ばしい行動なのだから。
これが美しいことなのです。

[There is your purpose NOW. And it is there that peace awaits you.]
[そこに今あなたの目的があるのです。 そこで平和があなたを待っているのです。]

どこで平和があなたを待っているのでしょう?
聖なる瞬間の向こう側です。
何処でしょう?
バブル(脆弱な境界線)の反対側です。
(あなたはその中に在るもので、その外に在るものはあなたではない」と示唆しているように見える)バブルの(中ではなく)外側で平和があなたを待っているのです。

今あなた達は神の子なのです。
しかし「何かを失うかもしれないと怖れてしまっている」故に「境界線を越える為に必要なこと」があなたには出来ないでいるのです。
それ(あなたがしなくてはならないこと)は、あなたを抱擁している愛をあなたが強く抱きしめること(聖霊と繋がり続けること)なのです。
そして「あなたの幻想(天国に対する間違った解釈、それに伴って現れている罪/病/死などの全て)の最後の基礎」を通り抜けられるよう聖霊にあなたを助けさせるのです。

だから聖なる瞬間が奇跡の手段なのです。
聖なる瞬間はいわば子宮のようなものであって、その中で奇跡と呼ばれている瞬間的知覚のシフト(変容)が起こるのです。 これがこの本の要点なのです。
私が「I love you all」と言っている時、それだどれだけ全体的なものかあなた達は知っていません。それがどれだけ助けをもたらし、癒やし/変容をもたらすものかまだあなた達は知っていません。
しかし私はそれを知っています。 そしてあなたもそれを知るでしょう。
そうなるようにしようと私はしているのです。

これが長いプロセスを必要とする遠い未来に起こることなのだとは考えないでください。
あなた達は今でも神の子なのです。
あなたはパーフェクトなポイントの後ろに居るのではなく、パーフェクトなポイントに向かって進んでいる訳でもありません。
あなたは既にパーフェクトなポイントに居り、あなた自身をそこ(パーフェクトなポイント)から理解するべきなのです。

あなたが聖なる瞬間を実践して父や聖霊に「ここの真理は何ですか?」と訊ねた時、「(私がその後ろにおらずそこに向かって進んでいるのでもない)パーフェクション(パーフェクトな状態)とは何ですか?」と言って答えを要求した時、あなたは自分をパーフェクトなポイントから理解するべきなのです。

これはどういう意味でしょうか?
これはあなたが傲岸に成ることを意味してはいません。
これは「(神/聖霊の)答えに反論するのは止めなさい」という意味なのです。「あなたが(神や聖霊)より優れた答えを知っていると考えるのは止めなさい」という意味なのです。「このように神聖な体験がどうすれば得られるかあなた自身が知っていると考えるのは止めなさい」という意味なのです。


I love you. And I look forward to being with you next week.



Chapter 18 THE PASSING OF THE DREAM
1 Sparkly Book – p.447 / JCIM – p.187 / CIMS – p.377
Chapter 18 THE TWO WORLDS
First Edition – p. 369, 2ND Full Par. / Second Edition – p.396, Par. 11

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2821 2nd Ave Suite 704
Seattle WA 98121 USA
(参照ページ)http://rajpur.blog13.fc2.com/blog-entry-220.html

この文章はサンローズが書き取ってくれた英文を元にしています。彼女へギフトされる場合下記がアドレスです。
Francine Mienik (Sun~Rose)
13 Dunes Lane、Port Washington
New York 11050

原文を提供してくれているNorthwest Foundation for A Course In Miracles
The Northwest Foundation for A Course in Miracles
PO Box 1490 / Kingston, WA 98346-1490 / USA
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
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テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

ACIM12-04-29

わたし達はシンプルなことに戻ってきました。
シンプルな二つのステップ。 
これは(ステップ1)思考を止めて、(ステップ2)父や聖霊に「ここの真理は何ですか?」と訊ねることです。 つまり「私が物事をどのように考えているか/受け取っているかとは関係なく、ここの真理はどのようなものなのですか?」と訊ねて答えに聞き入るのです。

そしてもう一つのシンプルなことは「body identification(体との自己同一)」から「Mind identification(マインドを自分と認識すること)」にシフトすることです。
「あなたが見ている体をあなた自身(あなたの源)として知覚認識すること」から「マインドとしてのあなたを意識すること」へのシフトです。  『「自分の体や世界と宇宙が体験されている意識」を自分として認識すること』にあなたはシフトするべきなのです。

この二つのことが目覚めの主要なプロセスです。
ア・コース・イン・ミラクルズと呼ばれているこの本は哲学や論理を教える為のものではなく、あなたをこの二つのプロセスに導く為のものなのです。
それは何故でしょう。それはあなたが変化に参加出来る様にです。しかし新しいレベルの知識や論理を使ってあなたから変化(結果)を引き出す訳ではありません。

新しいセクションに入ります。(このセクションにもバージョンによって二つの異なる題名が与えられています。)

[THE DELUSIONAL THOUGHT SYSTEM1]
[妄想的思考システム]

あるいは
[THE TWO WORLDS]
[二つの世界]

[You have been told to bring the darkness to the light, and guilt to holiness. And you have also been told that error must be corrected at its source. Therefore, it is the tiny part of yourself, the little thought that seems split off and separate, which the Holy Spirit needs.]
[あなた達は「暗闇を光の下に持って行きなさい、そして罪悪を神聖の下に持って行きなさい」と指示されています。そして「間違いはその源で修正されなければならない」とも言われています。だから聖霊が必要としているのは、分断され分離しているように見えている「あなた自身の小さな部分」なのです。]

それはバブル(人工的囲い)の中に囲まれた小さな部分なのです。 このバブルがあなたと「あなたのその他の部分」を分離しているのです。 この小さな部分を聖霊が必要としているのです。

今まで何度も繰り返し言って来たことですが、明確にするためにもう一度下記を言いましょう。

バブルの外側にあるものと内側にあるものは同等(同一)なのです。
この脆弱なバブルは「一つの全体」を区切っているだけなのです。
そしてこのバブルは硬い(強い)わけではないのです。
バブルの中に居る者を自分として認識している「あなた」は、バブルの外と同じ実体で出来ており同じなのです。何故ならそこにあるのはPresence(神の現れ)だけで、脆弱なバブルがこれを二つに分離することは不可能なのだから。

あなたが父を離縁し続けている限り、あなたが自分をプライベートで小さいものとして認識している限り、「あなたが無視しているそれ以外の(バブルの外の)あなた」に対して何かが行なわれる必要があったのです。
その何かとは、父がそれ(あなたの残りの部分/バブルの外に残されたあなた/現在あなたが自分として抱擁していないもの)を聖霊として認識することだったのです。
だから「バブルの外に居るあなた」が聖霊と呼ばれており、それは「バブルの中にいるあなた」と再会してひとつに成ることを求めているのです。

何故聖霊はあなたを必要としているのでしょうか?
「バブルの中に居る者として自分を認識しているあなた」を聖霊が必要としているのは、「バブルの中のあなた」が聖霊自身の一部だからです。
聖霊の意図はそれ自身が十全(完全)になることです。
これはあなたが聖霊から分離し続けなくなることを意味しています。そしてあなたが間違った知覚を体験し続けなくなり、偽りの知覚故に苦しむことが無くなることを意味しています。

だから、
[. . . it is the tiny part of yourself, the little thought that seems split off and separate, which the Holy Spirit needs. The rest is fully in God’s keeping, and NEEDS no guide. Yet this wild and delusional thought needs help because, in its delusions, it thinks it is the Son of God, whole and omnipotent, sole ruler of the kingdom it set apart to tyrannize by madness into obedience and slavery.]
[だから聖霊が必要としているのは、分断されて分離しているように見えている「あなた自身の小さな部分」なのです。(あなたの)それ以外の部分は神の中に安全に保管されており、ガイド/指示を必要とはしていません。しかしこの野卑で幻惑的な思考は(分離しているように見えているあなたの一部は){バブルの中のあなたは}助けを必要としています。 何故なら、幻覚の中でそれ(分離したあなたの一部/幻惑思考)が「自分こそ十全で全能な神の子だ。」と考えているのだから。 それは「自分こそ天国の唯一の支配者だ」と主張しており、天国の一部を切り分けそれを狂気によって独裁的に支配しており、その中で絶対服従と奴隷制度を強いているのです。]

あなたはACIM文の表現の強烈さ(酷さ)に慣れて来ているので、「天国が分離されて狂気の独裁により服従と奴隷制度に屈している」という表現が下記を意味していると理解出来るでしょう。
あなたは全てに対して定義を与えており天国に対して定義を被せていて、そうすることにより天国(神の創造)があなた自身の王国(あなたの創造)なのだと主張しています。 あなたの創造はアイディアを組み合わせて作った空想で、父がそこに居ることを反映してはおらず、それはあなたが怖れている状態(あなたが怖れと罪悪によって統治されている場所)を反映しているのです。
あなたの怖れ故に、あなたはこの世界を操りこの世界に定義を与え、あなたはこの世界があなたの敵であるかのように振舞っています。
敵(敵対者)を統治する唯一の方法は、それがあなたを破壊しないように(何故ならあなたはそれを怖れているのだから)相互合意を使ってそれを操り/脅し/強面によってそれ(あなたの世界)を奴隷にすることなのです。
これは(このような前提に立って全てをコントロールしようとしたり、全てからコントロールされることは)とても酷いマインド状態なのです。 
このような状態から自由に成ることがあなたの生得権(当然の権利)なのです。そしてわたし達はあなた達をこのようなことから自由にしようとしているのです。

[This is the little part of you you think you stole from Heaven.]
[これが(上記のことをしているのが)自分で天国から盗み出したと考えているあなたの一部なのです。]

あなたは自分がこれを天国から盗んだとは思っていないかもしれません。
しかしあなたが「父よ、私は自分のやり方で物事を見たいです。全てがどのように働くか、それぞれのものが何か、それらの目的や意味は何か、自分で決めたいです。私はあなた(神)からの離縁を求めます。」と言った時、あなたは自分の父/源から独立して上手く機能し成功することが出来ると思っていたのです。 
そう考えてあなたは父とそして父の創造から自分自身を分離したのです。

だから、
[This is the little part of you you think you stole from Heaven. Give it back to Heaven.]
[これが(上記のことをしているのが)自分で天国から盗み出したと考えているあなたの一部なのです。 これを天国に返しなさい。]

これはどういう意味でしょう?
天国をコントロールしようとしているあなたの試みを手放しなさい、天国/世界のコントロールを神に返しなさい、という意味です。

[Give it back to Heaven. Heaven has not lost it, but YOU have lost sight of Heaven.]
[これを天国に返しなさい。天国はそれ(あなたが盗んだと思っているあなたの一部分)を失ってはいません。 しかしあなたは天国を見失っているのです。]

勿論そうなのです。何故ならあなたは「父よ、私は自分の見方で見てみたいです。私は自分独自の視界を持ちたいです。」と言ったのだから。

[Let the Holy Spirit remove it...]
「...聖霊にそれ(あなたの一部)を取り出させなさい。」
これが目覚めのプロセスの必要不可欠な一部なのです。 
聖霊にこれ(あなたのコントロール)を取り除かせるのです。

[Let the Holy Spirit remove it from the withered kingdom in which you set it off, surrounded by darkness, guarded by attack, and reinforced by hate.]
[あなたが設立した衰えつつある王国(それは暗闇に囲まれ、攻撃によって匿われ、憎しみによって強化されています)」から聖霊にそれ(あなたの一部)を取り出させなさい。]

これらの言葉は厳しすぎるとあなたは感じるかもしれませんが、
あなた達が根源的にどのように自己防御的に日々を過ごし、怖れを回避しようとして振舞っているか考えてみなさい。
(あなたの生活の中で)可能性としての怖れがどれだけ優勢なものか気付き、それがあなたの喜びをどれだけ邪魔しているか見てみなさい。 一日の終わりに「喜びに満ちた一日だった」とは言えておらず、その代わりに「今日はそれ程(怖れが)酷くなかった。神に感謝しましょう。」と言っていることに気付きなさい。
そう言っている時その感謝の気持ちは喜びの代わり(代用物)なのですが、それは何かリアルなものに対する感謝ではないのです。
「それ程酷い惨めさ(怖れ)が起こらなかったこと」は何も「リアルなこと」ではないのです。
リアルとは、あなたの中が喜びで満たされることなのです。あなたの一日がウキウキと調和的に変容的に展開して行くことがリアルなことなのです。
これを憶えておきなさい。 「酷い一日を過ごさずに済んだことへの感謝」などの喜びの代用品(まがいもの)で満足してしまわないように。

[Within its barricades is still a tiny segment of the Son of God, complete and holy, serene and unaware of what you think surrounds it.]
[このバリケード(あなたが設立した衰えた天国){バブル}の中にはまだ神の子の小さな部分が残っています。 それは完全で神聖で静寂であって、「それが何に囲まれているとあなたが考えているか」それは認識していません。]

この神の子の小さな部分もあなたなのです。{そしてこの小さな部分以外の全ても(あなたがまだ認識していない)あなたなのです。訳注}
そして(あなたがどれだけあなたの定義をこねくり回して、あなたの神聖をあなたに解らなくしていたとしても)あなたはひとつしかないのだから、あなたはひとつなのです。
そして「バリケード(バブル)の中に在るもの」は「バリケードの外に在るもの」の切り離し得ない一部であると同時に、「バリケード(バブル)の中に在るもの」は「バリケードの外に在るもの」と同一なのです。

しかし、
[Within the barricades . . .]
[このバリケード(あなたが設立した衰えた天国)の中には...]
バブル(バリケード)の中であなたは自分を平和に体験しては居ないのです。
その中であなたは怖れの中の自分を体験しており、自己防御の人生を送っています。
これが幻想なのです。
あなたは自分を騙して「自分は神の子ではない」と信じ込ませているのです。
あなたは現在「私は神がいまここで自身を表現しているものではない」と主張して居るのです。
そしてあなたは自分のことを「(罪/病/死が必然的である)物理的世界の中に居る必滅者なのだ」と信じているのです。

もう一度聞きなさい。
[Within its barricades is still a tiny segment of the Son of God, complete and holy, serene and unaware of what you think surrounds it.]
[このバリケード(あなたが設立した衰えた天国)の中には{バブルの囲いの中には}まだ神の子の小さな部分{あなた}が残っています。 それは完全で神聖で静寂であって、「それが何に囲まれているとあなたが考えているか」それは認識していません。]

あなたが今居るそこに「神が自身を表現しているもの」が全く変えられることなく残っているのです。
あなたは進化している成長している改善され続けている魂ではないのです。
あなたの限定的体験の真っ只中でもあなたは神の子なのです。
あなたの静寂の中であなたの全体は神の聖なる子供なのです。
あなたはあなたの全体(あなたの神聖)へと成長して行くのではないのです。
あなたはあなたの全体を(否定するのではなく、それに対して反対/対立するのではなく)現在の事実として受け入れ抱擁しなくてはいけないのです。 これが重要なニュースなのです。

[Be you not separate, . .]
[あなたは分離し続けるのは止めなさい。 ]
これ以上分離しているのは止めなさい。この茶番を続けるのは止めなさい。

[Be you not separate. For the One Who DOES surround it, . .]
[あなたは分離し続けるのは止めなさい。 何故なら「それ(神の子の小さな部分)を取り囲んでいる者」は...]
それ(神のこの小さな部分であるあなたを取り囲んでいる者)は何でしょう?
それは聖霊です。あなたがこの人工的な囲いの中で惨めな「神の子の欠片」として存在することに固執している間預けられている「あなたの神聖」です。

[Be you not separate. For the One Who DOES surround it, . .]
[あなたは分離し続けるのは止めなさい。 何故なら「それ(神の子の小さな部分)を取り囲んでいる者」は...]
それは無限なあなた、あなたの残りの部分(あなたがまだ意識出来ずにいる部分)、あなたの正気です。

[. . . has brought union to you, returning your little offering of darkness to the eternal Light. How is this done? it is extremely simple, being based on what this little kingdom really is . . .]
[...あなたに対して合一(Union)を与えており、あなたの小さな暗い捧げ物を永遠の光に戻しているのだから。これ(合一)はどの様にしてなされているのでしょうか? これはこの卑小な王国の本当の姿に基づいており、非常にシンプルに行なわれるのです。]

あなたが天国に適用しているルールや定義の下には(この卑小な王国の下には)天国が在るのです。

[It is extremely simple, being based on what this little kingdom really is. The barren sands, the darkness and the lifelessness . . .]
[これはこの卑小な天国の本当の姿に基づいており、非常にシンプルに行なわれるのです。不毛な砂や闇や生気の無さは...]

あなたを惨めに陰鬱に感じさせているものは、あなたの喜びの全部を日々感じられなくしているものは、
[. . . are seen only through the body’s eyes.]
[体の目だけから見られているもの(体の目が知覚している状態)なのです。]

それら(不毛な砂や闇や生気の無さ、あなたの惨めさ)は体の目を通してだけ見えているものなのです。 あなたが定義した体を通して見た時だけ、あなたが決めた体と目のの働きを通して見た時だけ{不毛な砂や闇や生気の無さやあなたの惨めさが見えているのです}。

少し前にわたし達は「あなた達が常にメッセンジャーを世界の中に送り出し続けていること」を話しました。
それらのメッセンジャー達は「あなたが彼等に見つけてくるように指示したもの」を見つけ出しそれ(あなたが見つけようとしている状況)を証明しようとするのです。
だからあなたが憎しみや怖れや嫉みを感じている時、あなたは世界の中にメッセンジャーを送って、そのメッセンジャーはあなたの指示通りのもの(嫉み/怖れ/憎しみ)を探し出すのです。
そしてメッセンジャーがあなたの元に戻って来て「あなたが見つけようとしたものが確かにそこに在る」とあなたに証言するのです。
「あなたがそれを通して世界を見ている道具、あなたの世界を決める為にあなたが使っている定義」を探す為にあなたはメッセンジャーを送り出しているのです。

あなたのメッセンジャーは(各瞬間に創造行為を通してもたらされている神の意味/意図ではなく)あなたの定義を証明するものを捜し求めるよう送り出されているので、当然あなたの元に返ってくるメッセージはあなたの致死性を証言するものになるのです。
それらのメッセージは「あなたの怒り/ストレス/怖れが正当であること」を証言するのです。
そしてあなたはそれらのメッセージを信じ、それに従ってあなた自身を統治し、あなたの体が怖れ/不安などのフィーリングを感じるようにするのです。
しかしそれらはどれもリアルではないのです。

[The barren sands, the darkness and the lifelessness are seen only through the body's eyes.]
[不毛な砂や闇や生気の無さは体の目だけから見られているもの(体の目が知覚している状態)なのです。]

つまりあなたが想像(空想)している体には、あなたによって特定の役割(機能)が与えられているのです。
それは基本的に自己防御/自己保存をその目的としているのです。
何故なら「あなたが傷付き易く、あなたが安全ではなく、あなたはダメージを受けることが可能で、そうなってしまうことは時間の問題だ」と考えるようあなたのマインドは方向付けられているのだから。

あなたが想像している体のヴィジョンは歪められており、
[Its vision IS distorted, and the messages it transmits to you who made it to LIMIT your awareness ARE little and limited, and so fragmented they are meaningless.]
[この視界は歪められており、この視界が(自分の意識を限定する為にこれを作っている)あなたに発しているメッセージは、卑小で限定されており非常に細分化されている故に無意味なのです。]

しかしメッセンジャーがあなたの元に戻ってきた時、それらのメッセージは無意味には見えないのです。
それらのメッセージは「大切な意味、脅威、怒りと自己防衛の正当性、疑い」で満ちているようにあなたには見えるのです。

[From the world of bodies, . .]
[...体の世界からは、]
神の子達が自分達の定義として作り上げている体の世界からは、

[From the world of bodies, made by insanity, insane messages seem to be returned to the mind which made it. And these messages bear witness to this world, . .]
[狂気によって作られている体の世界からは、狂気のメッセージが(この体の世界を作った)マインドに返されているように見えています。そしてこれらのメッセージはこの世界(体の世界)へ...]

あなた達がでっち上げている世界へ、「そこに実際に在るリアリティ(天国)を不明瞭に見せている定義群」によって作り上げられている世界へ、
[And these messages bear witness to this world, pronouncing it as true. For YOU sent forth these messengers to bring this back to you.]
[そしてこれらのメッセージはこの世界(体の世界)へ証言を与えており、これを真実として宣言しているのです。 何故なら「あなた」がこれらのメッセージを送っており、このメッセージをあなたに返しているのだから。]

あなたが父と共に世界を見ていなったなら(父と繋がらずあなたの注意を父に与えていなかったなら、自分が見ていることが何か父から学ばなかったなら)その時あなたは「あなたがそれ(世界)に与えた意味」をそこに見ているのです。
そしてその確証(あなたが世界に与えている意味の有効性)は「あなたが(その確証を見つけようとする)メッセンジャーを送ったこと」により達成されているのです。
だから疑いは「疑いに値するもの」(それが真でも偽りでも)を探し出すのです。

だからこれはとてもシンプルなのです。
あなたが何かを見ている時(それが何か父があなたに告げていることが聞えるように)父と意識的に繋がった状態でそれを見ていなかったなら、その時あなたが体験している意味/意義はあなた自身が提供したものなのです。
そして「あなたの送り出したメッセンジャーがあなたの元に戻って来た結果」がそれらの意味をあなたに証言しているのです(それらのストーリが有効だとあなたに思わせているのです)。
あなたが考え求めた狂気的結論(結果)を、あなたの送り出したメッセンジャーが送り返してきているのです。

だからこの事に関しては、全く混乱は起こりえないのです。
あなたが父と繋がっておらず(ここで何が起こっているか、ここの意味は何か、あなたに示している)父を聞いていなかったなら、父が一日中あなたと一緒に居なかったなら、その時あなた自身がコントロールしているのです。
父がコントロールしていない時、あなたは(真理ではなく)自分の定義を体験しているのです。

だから「うーん。良く解らないけど。もしかしたらコレか、それで無ければアレかな?」 とあなたが考えている状態は、あなたが父と繋がっている状態ではないのです。
父が話した時あなたは知るのです。 あなたはインスピレーションを受け理解するのです。 それは確実で誤解し得ないのです。
だからあなたが常に疑いの無い体験をしていなかったなら、あなたは続ける(父に訊ね聞く)必要があるのです。 あなたは「あなたにとってノーマルなこと」をし続ける必要があるのです。
そして私とコースは「ノーマル」に対する新しい定義を導入しています。
ノーマルとは「混乱していないこと」です。
ノーマルとは「知らずにいて常にアレコレ思い悩むこと」ではないのです。

[Everything these messages relay to you is quite external. There are no messages which speak of what lies underneath, . .]
[これらのメッセ-ジがあなたに伝えている全てのことは、とても外的なものなのです。これらのメッセージは、その下に在るもの(より根源的なもの)に関しては何も話していません。 ]

ここで『メッセージがあなたに「外側」のことを知らせる』と言っているのは、「あなたの体の外の様子(見た目)を知らせる」と同時に「表面的な意味を知らせる」という意味です。
そしてあなたのメッセンジャーによって表面的に伝えられていることとは「エゴとしてのあなたの意図(あなたがどのように世界を定義したか)」なのです。

[There are no messages which speak of what lies underneath, for it is not the body that COULD speak of this.]
[これらのメッセージは、その下に在るもの(より根源的なもの)に関しては何も話していません。 何故なら体にはそのようなことは話せないから。]

だから二つのステップが必要不可欠なのです。 二つのステップ(聖なる瞬間)によってあなたは下に在るもの(より根源的なこと)を知るのです。
「私が何をどう考えているかとは関係なく、私が全てをどのように定義しているかとは無関係に、父よ、ここの真理は何ですか? 天国に対して私が覆いかけた定義の下にある真理は何ですか? 天国を私に暴き示してください。」(これが二つのステップです。)

体はその下に何が在るかあなたに知らせることは出来ないのです。何故なら体はあなたが体の口に与えた言葉だけを伝えるのだから。
そしてあなたは疑いのメッセンジャーを放っており、何が真かメッセンジャーが決める際には知性が使われていない故に、メッセンジャーは「確かに何か疑うべきことがある」というメッセージを持ち帰っているのです。

しかし「父よ、私がどう考えているかに関わり無く、状況が何を示唆していたとしても、ここの真理は何ですか?」とあなたが言った時、あなたは「私は真理を知りたいと求める。私は(私の定義によって覆い隠されている)天国の真理を知りたいと求める。」と言っているメッセンジャーを送り出しているのです。
あなたが二つのステップを実践している時、あなたは見かけ(様相)に隠されている真実を知りたいと求めているのです。

[Its eyes perceive it not; its senses remain quite unaware of it; its tongue cannot relay its messages. Yet God can bring you there, if you are willing to follow the Holy Spirit through seeming terror, trusting Him not to abandon you and leave you there. For it is not His purpose to frighten you, but only YOURS.]
[体の目はそれ(より根源的なもの)を知覚しておらず、体の感覚はそれに全く無自覚で、体の舌はそのメッセージ(より根源的メッセージ)を伝えることが出来ないのです。もし聖霊の後について行き(聖霊があなたを見捨てず、あなたをそこに置き去りにしないと信頼して)恐怖の様相を抜けて行こうとあなたが思えるなら、神はあなたをそこ(より根源的状態)に持っていくことが出来ます。何故なら聖霊の目的はあなたを怖れさせることではなく、あなたの目的だけがあなたを怖れさせているのだから。]

あなた達が既に知っているように、あなた達は自分達自身を脅し怖がらせることによって「自分達が感じている罪悪」から自分達の目を逸らさせようとするのです。 
しかしあなたがあえて自分の罪悪感を感じて(見つめて)みたなら、「あなたが何か不自然なこと(成功不可能なこと)を自分に対して試みていること」が顕わになるのです。
それが二つのステップの(そして聖なる瞬間の、そして父と繋がることへの)方向にあなたを向けるのです。

[You are severely tempted to abandon Him at the outside ring of fear, but He would lead you safely through and far beyond.]
[あなたは怖れの境界線(怖れが設定されている円弧周辺)で聖霊を放棄するよう激しく誘惑されているのです。しかし聖霊はあなたをそこから安全に連れ出し、遥か彼方へ導いて行くのです。]

「怖れの外縁輪(怖れが設定されている円弧周辺)」とは実際的には何を意味しているのでしょうか?
それは聖なる瞬間の中に入ることをあなたが選択した時に、「あなたがあなた自身の為にまだ見定めて(定義して)いないもの」の中に入り込むことをあなたが決めた時に、あなたが自己防御を放棄しなくては成らない「場所」のことです。
それは「自己コントロール(自制)」を、そして「他の全てをコントロールしようとすること」を、あなたが放棄しようとしている場所です。
あなたが「父よ、私の最上の判断とは関係なく、ここの真理は何ですか?」と言えるように成っている時、その時点で自分がまだ気付いていない何かを知ろうとあなたは訊ね求めており、あなたは自分以外の何かに譲る必要があるのです。 そしてそれはあなたを怖れさせることなのです{それはあなたにとっては怖ろしく感じられることなのです}。
あなたがバブル(あなたの定義を表しているもの)の近くまで行ってバブルを弾けさせることをしようとした時に、あなたはこれ(あなたを不安に思わせること)に遭遇するのです。
この体験をした時に驚かないようにしてください。
あなたがこのような体験をしている時、あなたは聖霊/父を放棄するよう激しく誘惑されているのです。これを理解してください。

[. . . but He would lead you safely through and far beyond . . .]
[しかし聖霊はあなたをそこから安全に連れ出し、遥か彼方へ導いて行くのです。]

これが重要な箇所です。
あなたは怖れを超えて行かなくてはいけないのです。 怖れを回避するのではなく、怖れを完全に避ける方法を探すのではなく。
「あなたが有罪であり懲罰があなたを待っているという噓」が発見されてしまわないようあなたが自分を遠ざけておくために設置したガーゴイル(張子のこけおどし)をあなたは通り抜けなくてはいけないのです。

[The circle of fear lies just below the level the body sees, . .]
[体が見ているレベルの少し下に怖れの境界線(円弧)が描かれており、]

あなたが定義している体は、体に対してあなたが与えている目的は、体が命の神聖を(あなたの兄弟の神聖を、あなた自身の神聖を)見ることは許しません。 
しかしそれ(神聖)はそこに在るのです。 あなたが見ている全ての中にそれは在るのです。いまここにあなたが見ている全ての中に創造の神聖が在るのです。
宇宙は「浄化の火」をくぐり抜ける必要はなく、宇宙がよりスピリチュアルに成っており最上の神性に近づいている訳でもないのです。 宇宙は天国なのです。
あなた達がそれを宇宙と呼んでいるのは、あなた達が天国を見ないように決めているからです。何故なら、あなたが天国を見たならその時あなたは父と繋がっており、その場合あなたはもう「父よ、{あなたの宇宙/天国を受け入れるのではなく}私は全てを私自身で定義したいです。」とは言えなくなるのだから。その場合「私は自分のやり方でしたいです。私は独立していたいです。私は全てを自分一人でしたいです。」とあなたが言っている状態はもう保てなくなるのだから。

[The circle of fear lies just below the level the body sees, and seems to be the whole foundation on which the world is based. ]
[体が見ているレベルの少し下に怖れの境界線(円弧)が描かれており、これがこの世界を築いている全基盤(礎)に見えているのです。]

この世界とはどの世界でしょう?
怖れ怯えている思考と共にあなたが定義した世界です。

[Here are all the illusions, all the twisted thoughts, all the insane attacks, the fury, vengeance and betrayal that were made to keep the guilt in place, so that the world . . .]
[ここに全ての幻想、全ての歪んだ思考、全てのキチガイ染みた攻撃/怒り/復讐/裏切りがあるのです。これら(幻想/歪んだ思考/攻撃/怒り/復讐/裏切り)は罪悪を保つ為に作られており、それ(罪悪)から世界が立ち昇って来て、]
世界に対するあなたの{怖れに満ちた}定義が立ち昇って来て、

[. . . could rise from it and keep it hidden. ]
[「それ」を隠して置けるようになっているのです。]
罪悪(感)を隠しておけるようになっているのです。
そこにある罪悪(感)からあなたの目を眩ませて、父の居ない(源を持っていない)成功した独立存在に成ろうとすることを続けさせようとするのです。

罪悪の影が
[Its shadow rises to the surface, enough to hold its most external manifestations in darkness, and to bring despair and loneliness to it and keep it joyless. ]
[その「影」が表面に立ち現れて、その一番外側の現実化(manifestation)を闇の中に保ち、それに絶望と孤独を与え、それを苦しくしているのです。]

これを恐れるのは止めなさい。
これを見ることを嫌がるのは止めなさい。 何故ならこれを見ることにより、そこにはあなたが欲しいと思うようなことが何もないことが解るのだから。
あなたがこれを持ち続けており(そして自分がこれを持ち続けて来たことを今まであなたが気付いていなくて)、(自分がそれを保ち続けて来たのだとあなたが気付いた)今あなたはそれを手放すことが出来るのです。

罪悪の激しさ(強さ)は、
[Yet its intensity is veiled by its heavy coverings, and kept apart from what was made to keep it hidden.]
[しかしその(境界線周囲の怖れの)「激しさ」は、厚いカバーで覆われていて、それ(この偽りの世界を築いている基盤)を隠しておくために作られているものから「隔てられている」のです。]

偽りの世界の基礎に気付くことからあなたの注意を逸らしてるのは、「それ自身を何者かにしよう、神から離れた孤児として成功しよう、金持ちになろう、賢者に成ろう、特別に成ろう、神の子に成ることなく神の子と同等に成ろう」としているエゴの決意なのです。

[The body cannot see this, for the body arose from this for its protection, . .]
[体にはこれ(この幻想/このカラクリ)は見えないのです。何故なら体はこれ(幻想)を守るためにこれ(幻想)から立ち昇って来ているもので、]
あなた達が作った体は怖れ/罪悪感を覆い隠す必要(罪悪を防御する必要)から立ち昇って来ているのです。

[. . . which must always depend on keeping it NOT seen. The body's eyes . . .]
[これはこれ自身を常に見えないようにしておく必要があるのだから。体の目は...]
あなたが(その意味と働きを)物質/物体として定義している目は、

[The body's eyes will never look on it. Yet they will see what it dictates. The body will remain guilt's messenger, and will act as it directs as long as you believe that guilt is real.]
[体の目は決してこれを見ようとはしません。 体の目はこれ(幻想)が決めたことを見るのです。 体は罪悪のメッセンジャーであり続け、(罪悪がリアルだとあなたが信じ続けている限り、あなたは)それ(罪悪)が決めた通りに行動します。]

それは何故でしょう?
それは罪悪がリアルだと信じている限りあなたは「罪悪を見つけようとするメッセンジャー」を送り続け、あなたの下に帰ってきたメッセンジャーは「あなた自身を防御する必要があること」を証言し、それによってあなたは罪悪感を逃れることが出来るからです。

[For the reality of guilt is the illusion which seems to make it heavy and opaque, impenetrable, and a real foundation for the ego's thought system. Its thinness and transparency are not apparent until you see the light BEHIND it. ]
[何故なら罪悪の「リアリティ」は、それ(罪悪)を重く不透明で通り抜けられなく見せている、そしてそれをエゴの思考システムのリアルな基盤に見せている、幻想なのだから。あなたがその後ろの光を見るまで、その薄さと透明度は明確には成りません。]

バブルはただのシャボン玉なのです。
それはあなたとリアリティを隔てている薄い膜で、それがリアリティを歪んで見せているのです。
そしてあなたがそのような状態に留まる必要は無く、リアリティをあなたに体験出来なくしているものは何も実在していないのです。

聞きなさい、
[ And then you see it as a fragile veil before the light. This heavy-seeming barrier, this artificial floor which looks like rock, is like a bank of low dark clouds that seems to be a solid wall before the sun. Its impenetrable appearance is wholly an illusion. It gives way softly to the mountain tops which rise above it, and has no power at all to hold back anyone willing to climb above it and see the sun. It is not strong enough to stop a button's fall, nor hold a feather. Try but to touch it and it disappears; attempt to grasp it and your hands hold nothing.]
[罪悪の後ろの光を見たなら、あなたはそれ(罪悪)を光の前に掛けられた脆弱なヴェールとして見るようになるのです。この重く見えるバリアは、この岩のように{硬いように、実在しているように}見える人工の床は、(太陽を遮っている堅剛な壁のように見える)低く垂れ込めた暗い一連の雲のようなものです。 その見かけの堅剛さは全く幻想なのです。それは雲の上に聳えている山の頂に簡単に譲っており、太陽を見ようとして山の上に登ろうとしている人を妨げる力は全く無いのです。それは落ちたボタンを押さえる力も、その上に乗せられた羽を支える力も持ってはいないのです。その上に何かを置くことさえ出来ないのです。何故ならこれは基盤(礎)の幻想でしかないから。これを触ろうとしたならこれは消え去り、これを掴もうとしたあなたの手は空虚を掴むのです。]

あなたがそれ(罪悪)に触れることを怖れてしまったなら(何故ならそれが罪悪を見えなくしているのだから、だからそれに触ったなら罪悪が顕わに成ってしまうと怖れて)、その結果「自分が何らかの理由で酷く懲罰されるという強迫観念的怖れ」が手付かずで残ってしまったなら、あなたはそれに触れようとしません。 その場合あなたはそれを通りぬけようとしません。

だからあなたには助けが必要なのです。
だからあなたは「バブル内に在るあなたの小さな部分」を聖霊に返す必要があるのです。
あなたの自己認識をバブルの内から外へ移す必要があるのです。あなたの全体と統合が(つまりあなたの正気が)明確に成り(結束し)、あなたのマインド状態の定義として狂気がもう現れなくなるように。

[Yet in this cloud bank it is easy to see a whole world rising. A solid mountain range, a lake, a city, all rise in your imagination, and from the clouds the messengers of your perception return to you, assuring you that it is all there. ]
[それでもこの雲の連なり(幻想)の中に世界全体が立ち昇ることを見るのは容易なのです。堅固な山脈が湖が町が全てあなたの想像の中から立ち昇って来ます。そして雲の中からあなたの知覚のメッセンジャーがあなたのもとに戻って来て、それら全てがそこに在ると言ってあなたを説得するのです。]

例えばあなたが芝生に寝転がって空の雲を眺めて、雲の形の中に犬や馬や鳥やその他様々なものを見ている時のように、
[Figures stand out and move about, actions seem real, and forms appear and shift from loveliness to the grotesque. And back and forth they go, as long as you would play the game of children's make believe. Yet however long you play it, . . ]
[そこでは人影が立って動き回り、その行動はリアルに見え、形が現れ愛らしさからグロテスクさにシフトします。あなた達が子供のようにこの「ごっこ」遊びをしている限り、それらの形はグロテスクさと愛らしさの間を行き来し続けるのです。しかしどれだけ長くそれを続けても、]
しかし子供の遊びをどれだけ長く続けたとしても、

[Yet however long you play it, and regardless of how much imagination you bring to it, you do not confuse it with the world below, . . ]
[しかしどれだけ長くそれを続けても、どれだけの想像力をそこに与えても、あなたはそれを下の世界(より根源的世界)とは見間違えず、]

あなたが芝生に寝転がって空や雲を見ている時
[. . . you [did] not confuse it with the world below, nor seek to make it real.]
[あなたはそれを下の世界(より根源的世界)とは見間違えず、それをリアルにしようともしないのです。]

しかし独立存在に成ろうと決意しているあなたは、それ(幻想)をリアルにしようとしているのです。
何故ならあなたが見ているものは、あなたが作ったイメージは、あなた自身の権威の下にリアルに成ろう(成功しよう)とする試みにとって必要不可欠なものだから。
だからあなたはこれらのイメージを深刻に受け止めているのです。
そしてこれはキチガイ染みているのです。
その意味で(あなたが現在まだこれをリアルだと真剣に受け取っているという点において)これはあなたが子供の頃行なっていた空想とは違うのです。

[So should it be with the dark clouds of guilt, no more impenetrable and no more substantial. You will not bruise yourself against them in traveling through. Let your Guide TEACH you their unsubstantial nature . . .]
[それと同様に、罪悪の暗い雲もまた実体の無い簡単に突き破れるものなので(それをリアルにしようとすることも止めるべきなのです)。そこを通り抜けようとする時、あなたがそれらに(罪悪の暗い雲に)ぶつかり怪我することはないのです。あなたのガイドに従ってそれらの脇を通り抜けながら、それらの実体の無さをあなたのガイドから教わりなさい。]

あなたはこれをする必要があるのです。
あなたのガイドと繋がって、罪悪と復讐の怖れの中を通り抜けて、バリアーの向こうに光が見えるポイントまで到達するべきなのです。
向こう側の光を見て、そこに見えているバリアーがフニャフニャ柔らかく実体の無いもので、それがあなたを足止めさせてその先に進むことを拒めるものではないと理解する必要があるのです。

[Let your Guide TEACH you their unsubstantial nature as He leads you past them, for beneath them is a world of light . . .]
[あなたのガイドに従ってそれらの脇を通り抜けながら、それらの実体の無さをあなたのガイドから教わりなさい。何故ならそれらの遥か「下」に光の世界があり、...]

あなた達が創造の上に覆い掛けた定義の塵(それ故にそこは現在荒涼とした死に行くものに見えているのです)の下には、そこには今確実に神聖なるものが在り、あなたはそこに天国を体験することが出来るのです。

[Let your Guide TEACH you their unsubstantial nature as He leads you past them, . .]
[あなたのガイドに従ってそれらの脇を通り抜けながら、それらの実体の無さをあなたのガイドから教わりなさい。]

あなたのガイドに教わるだけでなく、あなたのガイドがあなたを教えるように要求しなさい。あなたのガイドはあなたの全ての質問に喜んで答えてくれます。
例えあなたの怖れがあなたを完全に取り囲んでいたとしても、あなたのガイドはあなたの怖れを追い払うことが出来るのです。 何故ならあなたのガイドは(聖霊は)あなたを愛しており、あなたを抱擁しており、あなたが幻想に苦しむことを止めようとしている「あなたの全体(あなたの健全)」なのだから。
あなたのガイドは、その正気(あなた全体の正気)をあなたに体験して欲しいのです。何故なら聖霊の正気は既にあなたのものなのだから。

[Let your Guide TEACH you their unsubstantial nature as He leads you past them, for beneath them is a world of light whereon they cast no shadows. Their shadows lie upon the world beyond them, still further from the light. Yet from them TO the light their shadows cannot fall.]
[あなたのガイドに従ってそれらの脇を通り抜けながら、それらの実体の無さをあなたのガイドから教わりなさい。何故ならそれらの遥か「下」に光の世界があり、そこではそれら(罪悪の暗い雲)が影を落すことはないのです。それらの影は(より光から離れている)「それらから遠く離れた世界」の上に掛かっています。しかしそれら(罪悪)の影が光の上に落ちることは不可能です。]

(その上に影が掛かり得る)それを超えた世界とはあなたの定義と意味の世界です。
しかし影が光の上に掛かることは不可能です。
あなたが二つのステップを行なっている時、あなたが自分のガイドに自分を教えさせている時、ガイドが自分を教え導くことをあなたが要求している時、あなたを「あなたの存在のワンネス(全体と一つであり一つの全体であるあなた)」に戻すコミュニケーションをブロック出来るものは何も無いのです。
これが事実です。
そしてこれが事実であることを学ぶことで、これが真実であることを学ぶステップを行い続ける勇気がもたらされ、あなたの正しいマインドに帰って行くことが可能に成るのです。

[This world of light, . . ]
[この光の世界...が]
あなたが作らなかった世界が、

[This world of light, this circle of brightness, is the real world where guilt meets with where guilt meets with forgiveness. ]
[この光の世界(この輝きの円)がリアルな世界で、そこでは罪悪が赦しで迎えられているのです。]
そこで懲罰が下されるのではなく、そこでは罪悪が赦しで迎えられているのです。

あなたはこれを理解する必要があります。
勇気を持ってこれを理解しこれを抱擁したなら(これを受け入れたなら)、怖れのレベルを通り抜ける勇気があなたにもたらされます。 「怖れの外円」を通り抜けて「幻想とその懲罰が一緒に解除される所」に到達しようとする勇気が持てるようになるのです。

[Here, the world outside is seen anew, without the shadow of guilt upon it. Here are you forgiven, for here you have forgiven everyone. Here is the new perception, where everything is bright and shining with innocence, washed in the waters of forgiveness, and cleansed of every evil thought you had laid upon it.]
[ここで「外」の世界が(罪悪の影なしで)新しく見られるのです。ここであなたは赦されるのです。 何故ならあなたはここで全ての人々を赦したのだから。ここに新しい知覚があり、そこではあなたが過去に懐いた全ての邪悪な考えは赦しの水で洗い流されており 、{あなたを含む}そこにある全てがその純真さで眩しく輝いています。]

「(怖れと罪悪を抱えていたあなたが自分を守ることが必要だと考えていたが故に)あなたが過去に懐いた全ての邪悪な考え」は、「あなたの意地悪な定義」は、ここで洗い流されるのです。

[Here there is no attack upon the Son of God, . .]
[ここには神の子に対する攻撃は存在しておらず、]

「あなたの全体」は私が今話し掛けている「あなた」(自分の不死身と永遠から自分が分離しており自分は小さなバブルの中に入っていると考えている「あなた」)を求めているのです。

[Here there is no attack upon the Son of God, and you are welcome.]
[ここには神の子{であるあなた}に対する攻撃は存在しておらず、「あなた」が歓迎されています。]

ウェルカム(歓迎)の素晴らしい意味を憶えていますか?
ウェルカム(歓迎)とは、あなたが少しの防御も持たずに誰かを抱擁していることなのです。
そして歓迎の状態は「あなたが歓迎している人」からも歓迎の現われを呼び出すのです。そしてその人と一緒に居る新しい方法(在り方)が現れるのです。 
何故ならその時あなた達の防御が神聖の体験を破壊していないのだから。

[Here is your innocence, waiting to clothe you and protect you, and make you ready for the final step in the journey inward. Here are the dark and heavy garments of guilt laid by, and gently replaced by purity and love . . .]
[ここにあなたの無垢があり、それはあなたに服を着せあなたを守り、内的旅の最後のステップの為にあなたの準備を整えるのです。ここで罪悪の暗く重い衣服が脱ぎ去られ、純潔と喜びで優しく取り替えられるのです。]

それはあなたに服を着せるのです。あなたの性質/本質を現している服をあなたに着せて、新しい自己意識(とそれに続く新しい自己認識)をあなたに示すのです。 そして躊躇の無い(こだわりの無い)感謝/認識が現れるのです。

[Yet even forgiveness is not the end. Forgiveness DOES make lovely, but it does not create. It is the source of healing, but it is the messenger of love, and not its Source. Here you are led that God Himself can take the final step unhindered, for here does nothing interfere with love, . .]
[しかし赦しさえも終わり(最終的目的地)ではないのです。赦しは愛をもたらしますが、それは創造は行いません。赦しは癒やしの源です。しかしそれは愛のメッセンジャーであって、愛の源ではありません。 あなたはここに導かれたのです。神自身が(邪魔されることなく)最後のステップを取れるように。何故なら、ここでは「愛がそれ自身に成ること」を邪魔をするものは何もないから。]

あなたはここには防御を持ち込んでいないのです。 あなたを安全に守るための(体と呼ばれている)「囲い」をあなたはここに持ち込んでいないのです。

[Here you are led that God Himself can take the final step unhindered, for here does nothing interfere with love, letting it be itself. A step beyond this holy place, a step still further inward but the one YOU cannot take, transports you to something completely different. Here is the Source of light; nothing perceived, forgiven nor transformed. But merely KNOWN.]
[あなたはここに導かれたのです。神自身が(邪魔されることなく)最後のステップを取れるように。何故ならここでは「愛がそれ自身に成ること」を邪魔をするものは何もないから。赦しのこの神聖なる場所から一歩先に進むのです。より内側に一歩進み(これはあなたには不可能です)、「まったく異なった何か」にあなたをトランスポート(転送)します。{あなたがトランスポートされた先である}ここに光の源があります。(ここでは)何も知覚されず、何も赦されず、何も変容されないのです。そうではなく{ここでは}ただ「知られる」のみなのです。]

“First you see the mountain, then you don’t, then you see the mountain . . .”2
「あなたは初めに山を見て、それから山が見えなくなって、それからまた山が見えて...」という歌詞がありますね。

(そこでは何も知覚されていない、何も赦される必要がない、変容の必要ももはや無い、ただ天国が知られている)光の源の体験にあなた(達)が到達した時、あなたはまず天国を見てしかし(自分達が)それを宇宙/世界と呼んで来たことをあなたは発見するのです。
そして変容の中であなたにはそれ(世界/宇宙)が見えなくなるのです。
それからあなたはそれを天国として見るのです。 
それ(宇宙/世界と呼ばれて来たもの)は消滅しないのです。

創造は消え去りません。しかしそれ(世界)はあなたに「あなたの孤立(そしてあなたが孤立に成功する可能性)を証言するメッセンジャー」を返さなくなるのです。何故なら、あなたはもうそのようなものを探し出そうとするメッセンジャーは送り出さなくなるのだから。
バブルが弾けて、あなたはバブルの外に吸い出されるのです。
あなたは「あなた全体」の中に自分を吸い出させるのです。
そして全てが「驚き」なのです。 
しかしそれ(あなたの全体)が示された時、それはあなたの故郷なので、あなたはそれを認識するのです(それを思い出すのです)。
それは常にあなたの故郷/住処で在り続けて来たのです。
(分離が起こるまで)あなたはこれをそれそのものとして(それそのままに)体験していたのです。

今(その時)あなたは誤知覚/誤認識から離れ出たのです。
これを真剣に取り扱いなさい。
(余りに都合が良すぎる幻想としてではなく)リアルなこととしてこれと対面しなさい。
そして意図的に掘り下げなさい。
聖霊にあなたを教えさせ、(より多くをあなたに教えるよう)聖霊に要求し続けなさい。より多くを知りたいと聖霊に言いなさい。
これが実際的なことで、そしてこの実際的なことはシンプルなのです。


Chapter 18 – Section: THE DELUSIONAL THOUGHT SYSTEM
1 Sparkly Book – p.445 / JCIM – p.186 / CIMS – p.374
Chapter 18 – Section: THE TWO WORLDS
First Edition – p. 367 / Second Edition – p.393
2 Song: There is a Mountain,  Donovon

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(参照ページ)http://rajpur.blog13.fc2.com/blog-entry-220.html

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Author:翻訳 岡上
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