罪/怖れ/罪悪がどのようなものか理解されていない時だけ、それらの働きを知らない時だけ、それらが不快で怖い主題に思われるのです。
そして罪/怖れ/罪悪がリアルでないと理解することは素晴らしいことです。
人間的状況(皆さんが現在抜け出ようとしている状況)の一番初めに特定のことが起こっているのです。
二人の神の子が一緒に繋がって自分達と父との合一(union/一体性)を放棄したのです。 二人の神の子達が一緒に神からの離縁を得たのです。
父が彼等(神の子達)の中にマインドを据えたので彼等の中にマインドが在ったのですが、彼等はそのことを完全に無視したのです。
そして彼等は自分達のマインドを使って全ての意味を決めることにしたのです。神から完全に独立して、しかしお互いとは繋がって、これ(全てに自分達の定義を与えること)をすることにしたのです。
この選択が決意と共に為された時、二つのものが現れ始めました。
それは怖れと罪悪(感)です。
これらはコインの裏表のように常に一緒に在るのです。
これらは常に一緒に働いているか、でなければお互いと対抗/対立する形で働いているのです。
そして「父を離縁しようという選択は、そして怖れと罪悪の導入は、過去に起こったことではない」ということが重要事項なのです。
これを皆さんに理解してもらいたいのです。
これ(父を離縁しようという選択)は現在あなた達一人一人が常に行なっていることなのです。
今今今今、父からの離縁があなたによって認証されてしまっているのです。
全ての意味を自分で決めようとあなたが選択している全ての瞬間に、あなたは父を離縁しているのです。
だから{目覚めを引き止めてしまう}残留エネルギーを溜め込んできた長い歴史など本当は存在していません。
歴史によって延々と築き上げられて来た無知の壁を一生懸命乗り越える必要はないのです。
何故なら、あなたを目覚めから遠ざけている唯一のものは、あなたが今今今している選択に他ならないのだから。
そしてこの選択{あなたが神からの独立を選んでいる状態}から逃れるために必要なのは、それ以外のことを今今今選択することなのです。
「それ以外のこと」とは、まず第一に「父よ」と言うことなのです。
会話の最初に、関わり合いの最初に、まず初めに「父よ」と言うのです。
それから「ここの真理は何ですか?この意味は何ですか?」など、何でもあなたが言いたいこと(訊ねたいこと)を言えばいいのです。
「父よ、私はここに座ったままで何もしなくてもいいですか? 何かを行なっても良いですか? 私が見てる全てに対するあなたの視界/視線を知らせてください。 何故なら私はこれを物理的な世界として見て理解していますが、しかしこれは天国を曇りガラス越しに(私が導入している誤知覚を通して)見ているのだろうから。」
「だから父よ、私は静かに成ってあなたに対してこう聞きましょう。あなたが私の目の前の全てをどのように見ているか私に知らせてください。 何故なら、幻想の独立体験ではなく、全てのものと共有されているリアリティ体験を私は求めているのだから。」
これだけシンプルなのです。
あなたはこれを今今今今今し続ければ良いのです。
何故ならあなたを無知の中に留めているのは、あなたが今今今今していることだけなのだから。
これ以上複雑に考えてしまっているなら、その時あなたは今真理を見ない選択を今今今今しているのです。 だからあなたが今真理を見ていないのは、あなたが過去に行なった決断のせいではなく、今今今今今今のあなたの選択が今のあなたの体験を決めているからなのです。
さて新しいセクションは、
[THE UNREALITY OF SIN]
[罪がリアルではないこと]です。
わたし達は「罪」に対して通常とはかなり違う意味を与えているので、ここで再度説明しましょう。
罪とは「不可能なことを達成しようと試みること」です。
そしてこれは「非常に特定の不可能なこと」に対する試みなのです。
「神との繋がりを全く持たずにあなた自身の権利によって(自分の力を使って)何かに成ろうとする試み」が罪なのです
これは『どのようなことがあっても「何者かに成ろうする試み」を手放したくない』と物凄く強い決意を持つことなのです。
そしてこのゴールに対して中毒状態が起こっているのです。
「あなたが自分の自治的リアリティを確立することが出来なかったならあなたが死んでしまう」という怖れがこの試みに中毒性を加えているのです。
だからあなたは、死なない為{独立的自分を失わない為}に何でもしようとするのです。
これが中毒的要素を状況の中に持ち込んでいるのです。
これが罪の真意なのです。
これは神の子であるあなたが「自分は神の子ではない、自分は独自の権限/源を持った存在であって、このことを絶対証明してやる!」と一生懸命主張している状態なのです。
新しいセクションを読み始めます。
[The attraction of guilt is found in sin, not error.]
[罪悪の魅力が見つけられるのはエラーの中ではなく罪の中なのです。]
罪悪は、罪の魅力は、それ自身をエラーと結び付けはしません。
何故ならあなたが間違いを冒した時、あなたはその間違いを保ちたいとは思わないから。
しかしそれが罪であった場合{あなたが何かを「自分の独立を強化/保全するもの」として認識した場合}、あなたはそれを手放そうとはしないのです。
何故ならあなたがそれ(罪=神から独立しようと試みること)を手放した場合、あなたは死んでしまうのだから。{と考えられているから、あなたは独立の試みを手放そうとしないのです。}
次のような良く知られた言葉があります。
“The wages of sin is death.”2
「罪の代償は死である」
勿論ここでの罪の定義は、今私が使っている罪の定義とは別のものです。
上記の文章は「この世界の中で(同胞に対して、あるいは同胞と共に)犯すことが出来る罪」に関して述べています。
しかし{罪をそのように捉えていた場合でも}罪の体験は死を約束するのです。
だからあなた達は「自分達が、ピノキオのようなパペット(操り人形)ではなく、リアルな人であることを証明しようとすること」に中毒しているのです。
では罪悪や罪の魅力はどこからやって来るのでしょうか?
罪悪のどこが魅力的なのでしょうか?
あなたのゴール(罪/分離/独立)を達成する為にあなたに罪悪を使用させようとするのは何なのでしょうか?
(ギリシャ神話の)セイレーンが船乗りを誘惑して彼等の船を座礁させてしまうように、罪は魅力を使うのです。
{あなたの注意を}惹きつける為に罪悪が使われているのです。
あなたや他の人々を魅了して独立存在に成ろうと一層強く努力させるように、罪悪が使われているのです。 しかし独立存在に成りおおせることは不可能なのです。
人を中毒へと惹き付けるのは常に「その人が現状では持ってない健全/全体/十全への約束」なのです。
この約束が罪を魅力的にしているのです。これが罪を信じさせているのです。
罪悪を使って何かを達成する為には、何らかの目的の為に罪悪を使う必要があります。
あなたがあなた自身に対して直接罪悪を使うことは決してないのです。
罪悪は常に誰か他の人に対して使われるのです。
誰かに罪悪感を懐かせてその人の振舞いを正そうとすることが頻繁に行なわれているでしょう。
「わたし達は彼の罪悪を彼に対して沢山示して、わたし達が彼に与えている罪悪感から逃れられるよう彼は振舞いを変えました。」
父から離縁していない神の子にとっては罪悪は(罪悪の体験は)存在していないのです。
しかし分離に対して決意が与えられて離縁が決まった途端、あらゆる関係の中で罪悪と怖れが顕在化/実体化し始めたのです。
{幻想/分離の夢の中では}罪悪(罪悪感)を使って誰かをあなたのルールに従うようにさせることが可能です。
そのようにして、あなたを利すること、あなたをよりリアルにし、あなたにより多くの尊敬を集めさせること、が可能です。
そして他の人々も同じ動機からあなたに対して罪悪を使おうとするのです。
あなたが罪悪を直接自分に向かって使うことはないと私は言いましたが、自分に対して間接的に罪悪を使うことはあるのです。
兄弟姉妹を理由にして、あなたは罪悪感を自分に対して正当化するのです。{あなたは兄弟姉妹に対して罪悪感を懐くのです。}
あなたは「私がこれをしたなら、メアリーは私のことをこのようにあのように考えるだろう。何々の理由でジョーには嫌われるだろう。」と言って自分に罪悪感を懐かせるのです。
「彼は私が有罪だと考えるだろう。彼は私が罪悪を犯していると考えており、これは私にとって危険なことだ。これは私にとって不都合なことだ。何故なら彼には私の友達でいてもらう必要があるから。彼には「私が彼に与える罪悪感」に屈してもらう必要がある。皆の為に、社会の為に。」
誰もあなたに罪悪を投射していない時でも、他者に対して罪悪の源を投射して{他者があなたを誹謗しているだろうと考えて}あなた自身へ罪悪(感)を与えることが出来るのです。このようにして自分に対してネガティブな評価を与えるのです。
さて罪悪の何がそんなにオイシイのでしょうか?
サイレンが船乗りを惹き付けるような罪の魅力とは何でしょう?
何が自己破壊(自己損傷)の方向へ人の注意を惹き付ける罪のオイシイ魅力なのでしょうか?
罪悪(感)は麻薬(独立への中毒)を飲み易くする甘味料なのです。それはゴールの達成をより容易に見せる原因なのです。
「罪悪感を感じることは嫌いです」と皆さん良く言いますが、あなた達は一人残らず罪悪を使っているのです。
あなたは(「他者があなたに罪悪を抱かせている」と投射を行なうことにより)罪を自分自身に対して使っています。
あなたは自分を真理に対して無意識/無自覚にする為に罪(罪悪感)を使っているのです。
何者にも邪魔されず「独立した権威(源)を持った自己の探求」を続けられるように(そう自分をしむけるために)あなたは罪を使うのです。
あなたは罪悪を使いながら、「お腹の中にぎゅ-と来るこの感じが嫌なの。この不快感が消えてくれたら。吐きそうなムカムカ感がサイテー!」と言ったりします。
しかしそう感じて罪悪の使用を手放している人達が何人居るでしょう?
理屈を使って{罪の使用に伴う}この違和感/不快感をやり過ごしている人達は何人居るでしょう?
これ(罪の使用)が無意味だと考えて、これを止めようとして努力している人達が何人居るのでしょうか?
なぜこれを止めないのでしょう?
これ(独立/分離を長引かせてしまう罪の使用)を止められるようになることが要点なのです。
しかしあなたは罪悪感を使ってあなた自身を「到達不可能なゴール」に向かって推し進めてしまうのです。
これはネガティブな注意(ネガティブな評価)のようなものです。
もしあなたが孤独であった場合(あなたが余り利益を得ていなかった場合)、ネガティブな評価はポジティブな評価よりも多くの利益をあなたにもたらします{もたらすように見えます}。
さて何故あなたは罪悪を使うのでしょうか?これが次のポイントです。
基本的にあなたは孤独を感じたくないから罪悪を使うのです。
あなたが父を離縁した時、あなたと兄弟姉妹達と全創造の一体性(繋がり)が中断され、小さい断片に切り離されたのです。するとあなたは「{兄弟姉妹や世界と}繋がり直す必要を持った孤独なあなた」を発見したのです。
そして(何も癒やすことなく)あなたが兄弟姉妹や全創造(世界)と繋がり直すことを罪悪が助けるのです。
これは{孤独なあなたがそのような自己を保ったまま全体と繋がり直そうとすることは全体を癒やすことではなく}状況/関係をより複雑にしてしまい、あなたはより多くの努力を持って均衡(平静)を保持しなければならなくなってしまったのです。
そしてあなたは「関係をコントロールする方法」として罪悪を使っているのです。
これは全てキチガイ染みています。
(このセクションの題名が示しているように)罪はリアルではないので、これら全てのことは狂気なのです。
[The attraction of guilt is found in sin, not error.]
[罪悪の魅力が見つけられるのはエラーの中ではなく罪の中なのです。]
例えて言えば、これは次のようなことです。
罪とエラーの二つのアリーナ(劇場)があります。
「狂気への献身のアリーナ(罪のアリーナ)」と「間違いのアリーナ」があります。
{「罪が信じられており罪悪感が使われている意識」と「神から分離/独立しようとする試みを間違いとして認識している意識」があります}
そして「罪のアリーナ」内だけに罪悪の魅力が存在しているのです。
[Sin will be repeated BECAUSE of this attraction.]
[この魅力(惹き付ける力)のせいで罪が繰り返されるのです。]
間違えが繰り返されるのは、間違えを起こすことに魅力があるからではなく、
[Sin will be repeated BECAUSE of this attraction. Fear can become so acute that the sin is denied the acting out, but while the guilt remains attractive the mind will suffer, and not let go of the idea of sin.]
[この魅力(惹き付ける力)のせいで罪が繰り返されるのです。(怖れが非常に強くなった場合には罪が行なわれることが禁じられることもあるのですが)罪悪が魅力的であり続ける限り、マインドは苦しみけながらも罪のアイディアを手放しません。]
あなたが罪悪感を使って誰かの振舞いを正すことは出来ても、そのようにしたとしても罪の信念を消すことは出来ず、罪悪を消すことも出来ません。
しかし「不可能なこと(独立)の放棄」や「実際の癒やし」や「実際の変容」を求めなくても済むように、表面上だけ振舞いを変えること(変えさせること)は可能です。
[. . . while the guilt remains attractive the mind will suffer, and not let go of the idea of sin. For guilt still calls to it, and the mind hears it and yearns for it, . .]
[罪悪が魅力的であり続ける限り、マインドは苦しみ続けながらも罪のアイディアを手放しません。何故ならその時点で罪悪がまだそれ(罪のアイディア)を呼び込んでおり、マインドはその声を聞いてそれを渇望し、]
魅力/甘さ{独立の約束}に誘惑されてマインドは「石(罪がリアルであるというアイディア)」に向かって行くのです。
[. . . making itself a willing captive to its sick appeal.]
[この病的な魅力の自主的な囚人に成っているのだから。]
{特定の人達だけが上記をしているのではなく}私の声を今聞いている全ての人達もこれをしているのです。
しかし(このように振舞っている)あなた達はまだ死んでなどいませんね。
これが謎を解くための鍵なのです。
まだあなた達が死んでいないなら、あなた達はまだ罪を達成していないのではないでしょうか。
そして罪は達成不可能で、罪というようなものは実際には存在しておらずリアルでもないので、もしかしたらあなた達は罪(分離/独立)を達成していないのではないでしょうか。
[Sin is an idea of evil that CANNOT be corrected, and will be forever desirable.]
[罪とは「修正することが出来ない悪」というアイディアで、これを修正することは出来ず{何かが罪として認識されている限りその認識を通して罪を修正することは出来ず}、それ(罪)は永遠に望まれ続けるものなのです。 ]
これはアンフェアなことですか?
何か邪悪な力がこの状況をあなた達に押し付けているのでしょうか?
いいえ。
神の子が今今今の瞬間に神の子に成らないよう試みている時、神の聖なる子や天国はこのように{罪が成立しているかのように}体験されるのです。
これは{分離/独立を試みている神の子の体験は}「神の子に成ることは信じ難い。罪人である私が、どうして私自身に対してそのようなことを信じられるのでしょうか?」と言っている状態なのです。
「全ての人が罪人である」ということは長く信じられてきた法なのです。
それは空想されている掟なのです。何故なら罪を達成出来た人は未だ誰も居ないのだから。
父を持たず、神を持たずに自分の権限(力)で独立存在に成ることに成功した者はまだ誰も居ないのだから。 {神の子の}独立は未だ起こっていないのです。
これ{罪}はとても深刻に聞えますが(何故なら眠っている全ての人達がこれを実践しているのだから)、{想定されている}死や永遠の終わりや滅亡に比べてその効果は軽いのです。
{罪悪を使っているが故に}あそこやここが少し痛むことは死と比べて軽いのです。
だから自分が罪を実践してるかもしれない、自分には達成不可能なことを試みることに対して自分は有罪かもしれない、といって深刻に心配する必要はないのです。
そしてそのような状況から抜け出るために必要なのは「新しい献身を今今今今することだ」と気付けば良いのです。
それだけなのです。
古い献身{今までの自分に対する献身}を今今今今捨てるのです。
だから、
[Sin is an idea of evil that CANNOT be corrected, and will be forever desirable.]
[罪とは「修正することが出来ない悪」というアイディアで、これを修正することは出来ず{何かが罪として認識されている限りその認識を通して罪を修正することは出来ず}、それ(罪)は永遠に望まれ続けるものなのです。 ]
しかし罪はリアルではないので、それは何の違いもたらさないのです
罪は想像の中だけに存在しているものなのです。
つまり罪がもたらしているのは「修正可能な間違い」でしか無いのです。
今その間違いを修正することが可能なのです。何故なら間違いとは修正されるべきものなのだから{間違いとして認識されたものは、当然修正されるのだから}。
下記は罪に関して述べています。
[As an essential part of what the ego thinks you are, you will ALWAYS want it. ]
[「エゴが考えるあなたの主要部分から」あなたは常にそれ(罪)を求めるのです。]
『あなたの現在の自己感覚が「これが自分の根幹/真髄だ」と言っている部分』から罪が求められているのです。 『これがあなたの主要な部分だと教会が言っている部分』からあなたは罪を求めるのです。
[As an essential part of what the ego thinks you are, you will ALWAYS want it. And only an avenger, with a mind unlike your own, could stamp it out through fear.]
[「エゴが考えるあなたの主要部分から」あなたは常にそれ(罪)を求めるのです。そして(あなた自身とは違ったマインドを持っている)報復者だけが怖れを使ってこれ(罪の魅力)を踏み消せるのです。 ]
「あなたが自分だと考えているエゴよりも大きく間違えている者」だけが怖れを使って罪を踏み消せると考えられているのです。
[. . . could stamp it out through fear.]
[...これ(罪の魅力)を踏み消せるのです。]
しかし罪はそのようにして消せるものではないのです。
違った選択{エゴの選択とは異なった選択}を通して罪を消すことが出来るのは愛/聖霊だけなのです。
[The ego does not think it possible that love, not fear, is really called upon by sin, . .]
[罪に対して必要とされているものが(怖れでなく)愛であり(罪を感じている人の求めに)愛が必ず応える」とはエゴには考えられないのです。 ]
しかしもし罪が本当は間違いであるならば、それは修正を必要としているのです。それだけなのです。シンプルでしょう。
[The ego does not think it possible that love, not fear, is really called upon by sin, and always ANSWERS.]
[「罪に対して必要とされているものが(怖れでなく)愛であり(罪を感じている人の求めに)愛が必ず応える」とはエゴには考えられないのです。 ]
愛は常に応えるのです。 しかし勿論エゴはそれが可能だとは考えません。
[For the ego brings sin to FEAR, . .]
[何故ならエゴは罪を怖れの下に持って行き...]
罪の裏側が怖れなのです。
罪と怖れは常に一緒に居るお互いのパートナーなのです。
そして罪と怖れは(あなたの注意を解決に与えようとするのではなく)常にお互いを刺激し合い夢を継続させるダンスを踊っているのです。
しかし「父との離縁を取り消すこと」が本当の解決策なのです。
[For the ego brings sin to FEAR, demanding punishment. Yet punishment is but another form of guilt's protection for what is deserving punishment must have been really DONE. ]
[何故ならエゴは罪を怖れの下に持って行き、懲罰を要求するのだから。しかし懲罰は罪悪が使う防御の一つの形に過ぎないのです。つまり懲罰に値することは、リアルに行なわれたことに違いない(と考えられてしまっているのです)。]
懲罰は狂気の理屈なのです。
「懲罰に値することは、リアルに行なわれたことに違いない。」
{懲罰に値することが行なわれたと主張されたなら、「それが懲罰に値すると認識されていること」が「それがリアルを行なわれた証拠」として信じられるのです}
この論理がどう使われているか理解出来ますか?
まず懲罰が当然であるという主張がなされ、それから人々は次のような結論(論理)を作り上げるのです。
「もしこれが懲罰に値するなら(もし罰が行なわれるべき証拠が見えているなら)、懲罰に値することが実際に行なわれたに違いない。」
だからもし、...エゴが怖れへ罪を与えて懲罰を要求したなら...懲罰に値することが実際に行われたに違いないと考えられてしまうのです。
[Punishment is always the great preserver of sin; . .]
[こうして懲罰は常に罪を保存し続けようとするのです。]
「彼は刑務所に行ったのだから、彼は犯罪を犯したに違いない。」
それから十年後「おお、ごめんなさい。彼は刑務所に拘束され懲罰されていましたが、新しくDNAテストをしたら彼が罪を犯していないことが判明しました。 何ですってー。」 と、こんな感じです。
[. . . punishment is but another form of guilt's protection for what is deserving punishment must have been really DONE. Punishment is always the great preserver of sin; treating it with respect, and honoring its enormity. For what you think is real you WANT, and will not let it go.]
[しかし懲罰は罪悪が使う防御の一つの形に過ぎないのです。つまり懲罰に値することは、リアルに行なわれたことに違いない(と考えられてしまっているのです)。こうして懲罰は常に罪を保存し続けようとするのです。懲罰は罪を尊び、罪の巨大さを尊重するのです。「懲罰するべきものは真実に違いない。 そして真実は永遠なので、それは永遠に繰り返される必要がある。」{と考えられているのです。} 何故ならあなたがリアルだと考えたことをあなたは求め、それを手放そうとはしないのだから。]
{上記の「懲罰するべきものは真実に違いない。そして真実は永遠なので、それは永遠に繰り返される必要がある。」の部分はUrtextに存在していてJCIM/HLC以降のバージョンからは削除されています。訳注}
あなた達は自分達が自治的/自立的な存在だと考えています。
自分達は物理的宇宙の産物だとあなた達は考えています。
「(物理的な存在として独立している自分は)自分の力で何者かに成れる」とあなたは考えており、もしかしたら神がこの宇宙を(永遠に動き続ける)永久機関のように創造したのかもしれないけれど、あなたは自分を自分自身でどうにかしなくては(自分を何者かにしなくては)ならない、それが神があなたに与えた権利なのだと考えられているのです。
その為{自分の力で何者かに成って神から独立する為}にあなたがここに存在していると考えられているのです。
しかしそこには死への怖れがあるのです。
だから時間を有効に使わなくてはいけません。
そしてこれに対する抜け穴もあるのです。
もしあなたが今回の人生を上手く操作出来なくとも、あなたはまた人生をやり直せるのです。{と考えられていたりするのです。}
しかしこのようなメリーゴーラウンド(サークルゲーム)は止めて「私はこのようなゲームはもうしない」と言う必要があるのです。
これがあなたの権利なのです。
そうしなさい(メリーゴーラウンド/輪廻転生から降りなさい)と私はあなた達に言っているのです。
そして「罪人というような定義の下にあなた達が置かれたことは全くない」と理解出来るように、私はあなた達を勇気付けているのです。
あなた達は全くどのような意味でも{罪に}縛られてはいないのです。
必要なのはあなたが自分の決意を今今今変えることなのです。
[For what you think is real you WANT, and will not let it go. An error, on the other hand, is not attractive. What you see clearly as a mistake you WANT corrected.Sometimes a sin can be repeated over and over, with obviously distressing results, but without the loss of its appeal.]
[何故ならあなたがリアルだと考えたことをあなたは求め、それを手放そうとはしないのだから。罪とは正反対に、エラーは魅力的ではないのです。あなたは明確な間違いとして認めたものには魅了されず、それを修正しようとします。時に罪は(明白に好ましくない結果を生みながらも)何度も繰り返されるのですが、それでもその魅力は失われないのです。]
このような体験をしていない人が居るでしょうか?
[Sometimes a sin can be repeated over and over, with obviously distressing results, but without the loss of its appeal. And suddenly, you change its status from a sin to a mistake.]
[時に罪は(明白に好ましくない結果を生みながらも)何度も繰り返されるのですが、それでもその魅力は失われないのです。しかしあなたがそのステータス(地位)を「罪」から「間違い」に変えたとしましょう。]
{「罪だと考えられていたもの」を「罪」ではなく「間違い」として認識した}その時あなたは決意と理解をもって選択したのです。
[Now you will not repeat it; you will merely stop and let it go, unless the guilt REMAINS.]
[するとあなたはもうその罪を繰り返そうとはしなくなります。あなたはそれを止めて手放すのです。しかしこれは罪悪が残っていなければの話です。]
罪悪が残っていた場合の話は後にして、次のことを説明しましょう。
[And suddenly, you change its status from a sin to a mistake. Now you will not repeat it; you will merely stop and let it go, . . ]
[しかしあなたがそのステータス(地位)を「罪」から「間違い」に変えたとしましょう。するとあなたはもうその罪を繰り返そうとはしなくなります。あなたはそれを止めて手放すのです。]
ホラ、この本のここに明確にシンプルに書いてありますね。
これだけなのです。
これが二つのステップのシンプルな定義(説明)、聖なる瞬間のシンプルな定義なのです。
そして「あなた一人で存在しようとする決意」と「離縁」はここで今、ここで今、ここで今、ここで今、起こっているので、だからあなたは今これ(離縁の解除)をすることが出来るのです。
あなたがここで今今今「{神が決めたこととは}違ったことをしようという選択」を選んでいることによってそれ(間違い)が起こっているのです。
だから「これは難しく複雑なことだというアイディア」を持つのは止めなさい。
これは長いプロセスではなくシンプルなのです。
だからわたし達はこのようにして罪や罪からの解放などを学び、これを知ったあなたが喜び、あなたがこれを真実と思えるように成って欲しいのです。
何故ならこれがどれだけ簡単か理解することがより容易に成って来ているのだから。
その結果として「これが本当に簡単で、手放すことが出来る{と信じる}」リスクをあなたが取れるように成って欲しいのです。
[Now you will not repeat it; you will merely stop and let it go, unless the guilt REMAINS.]
[するとあなたはもうその罪を繰り返そうとはしなくなります。あなたはそれを止めて手放すのです。しかしこれは罪悪が残っていなければの話です。]
あなたは振舞いを変え良い子に成ることが出来ますが、しかしそこに罪悪(神から分離しようという意思)が残っていた場合あなたは自由ではないのです。
その場合あなたは父の視界を体験していないのです。
そして父の視界を体験することがあなたの生得権(当然の権利)なのです。
[For then you will but change the FORM of sin, granting that it was an error, but keeping it uncorrectable. This is not really a change in your perception, for it is SIN that calls for punishment, not error.]
[(あなたが罪を間違いと認識し直したとしても)罪悪が残っていた場合、あなたは罪が間違えだったことは認めるのですが、しかしその罪の形を変えてそれを修正出来なくしてしまうのです。これは(罪の形を変えることは)あなたの知覚が変化すること(知覚のシフト)ではありません。 懲罰(が繰り返されること)を求めているのは(エラーではなく)罪なのです。 ]
もしあなたがそれ(罪として認識されていたもの)を間違い(エラー)として見たなら、もうそれを「懲罰が必要なこと」としてあなた自身の中で体験する必要はないのです。
それ(間違い)はただ消えて行くのです。何故なら{それまで罪を思われていたものを間違いとしてあなたが見たその時}それ(修正されるべきエラー)はもうマインドの中に存在していないのだから。
[The Holy Spirit CANNOT punish sin.]
[聖霊は罪を罰せません。]
それはリアルではないのだから、聖霊がそれを罰することもありません。
[Mistakes He recognizes, and would correct them all as God entrusted Him to do. But sin He knows not, nor can He recognize mistakes which cannot be corrected. ]
[聖霊は間違いを見つけてそれら全てを修正することにより、神から与えられた役目を行なうのです。聖霊は罪を知りません。そして聖霊は修正出来ない間違いも認識しません。]
修正出来ない間違いは「修正されていないその間違い」へあなたが縛り付けられてしまう体験を作ってしまい、それは苦しみなのです。
つまりそれは懲罰が行なわれているということなのです。そしてそれは「不可能なこと(独立)」をあなたが達成したということなのですが、しかしあなたは本当はそれ(独立/罪/分離)を行なってはいないのです。
[The Holy Spirit CANNOT punish sin. Mistakes He recognizes, and would correct them all as God entrusted Him to do. But sin He knows not, nor can He recognize mistakes which cannot be corrected. For a mistake which cannot be corrected is meaningless to Him.]
[聖霊は罪を罰せません。聖霊は、間違いを見つけてそれら全てを修正することにより、神から与えられた役目を行なうのです。聖霊は罪を知りません。そして聖霊は修正出来ない間違いも認識しません。何故なら修正出来ない間違いは聖霊にとっては無意味だから。 ]
「修正出来ない問題」など存在しないので「修正出来ない間違い」は無意味なのです。
{「修正出来ない問題」など存在していないので、聖霊は「修正出来ない間違い」には意味を与えないのです。}
聖霊は間違いによっては騙されず、誤解を開発してそれを「信じられる真実、信心を与えることが出来る事実」にしようと働くこともないのです。
誤解を開発して、誤解の上に自分が信じることの出来る「事実」を作ろうとすることは危険なのです{それはあなたを誤解により縛り付けてしまうのです}。
[Mistakes are FOR correction, and they call for nothing else. ]
[間違いは修正されるためにあるのです。間違いは修正以外のものは何も求めていません。]
あなたを正す為に3時間の講義さへも必要ではないのです。
間違いはただ手放せば良いのです。
[Mistakes are FOR correction, and they call for nothing else. What calls for punishment must call for nothing.]
[間違いは修正以外のものは何も求めていません。 そして罰を求める声は何も{どのような修正も}求めていないのです。]
それは何故でしょう?
何故なら「懲罰を求めるもの(懲罰を必要としているもの)」は罪でしか在り得ず、罪は実在していないのだから。
罪はリアルではないのです。
罪とは起こりえないことで、罪が起こったことは一回も無いのです。
だから懲罰を求めているものは、何も求めていないのです。
[Every mistake MUST be a call for love.]
[全ての間違いは愛を求めている声に違いないのです。 ]
これはどういう意味でしょう?
あなたの注意の下に持って来られた全ての間違いは「あなたが父との合一(一体性、繋がり)を手放さないこと」を必要としているのです。
(あなたの正しいマインドにしか過ぎない)聖霊への献身を手放さず、聖霊の視界(それはあなたが罪/怖れ/罪悪感と戯れている間安全に手付かずに保たれている父の視界なのです)を手放さずに、あなたの目の前の間違いを聖霊の視界/視点から眺める必要があるのです。
[What, then, is sin? What could it be but a mistake you would keep hidden; a call for help that you would keep unheard and thus unanswered? In time, the Holy Spirit clearly sees the Son of God can make mistakes. On this you share His vision. Yet you do not share His recognition of the difference between time and eternity.]
[であれば罪とは何なのでしょうか?罪とはあなたが隠そうとしている間違いにしか過ぎません。 それは「助けを求める声」なのですが、あなたがそれを黙らせているので、答え(助け)が得られていないのです。聖霊は時間の中で神の子が間違いを起こしてしまうことを明確に見ます。このことに関しては、あなた達は聖霊とヴィジョン(見解)を共有しています。
しかしあなた達は時間と永遠の違いに関する聖霊の認識を受け取っていません。]
もう一度読みましょう。
[In time, the Holy Spirit clearly sees the Son of God can make mistakes. ]
[聖霊は時間の中で神の子が間違いを起こしてしまうことを明確に見ます。]
これら(神の子が時間の中で犯した間違い)は修正可能なのです。
間違いの修正は簡単なのです。 何故なら間違いを体験し続けようと求める人は居ないのだから。 {しかし眠っている(神から分離している積りの)神の子は、罪(神からの独立)を魅力的に感じて罪を求め続けてしまうのです。}
誰も間違いを体験しようとは求めないのです。
[On this you share His vision. Yet you do not share His recognition of the difference between time and eternity. And when correction is completed, time IS eternity.]
[このことに関してあなた達は聖霊とヴィジョン(見解)を共有しています。しかしあなた達は時間と永遠の違いに関する聖霊の認識を受け取っていません。修正が完了した時、時間は永遠なのです。]
次が重要なのです。
[And when correction is completed, time IS eternity.]
[修正が完了した時、時間は永遠なのです。]
あなたの誤知覚/誤認識に対して修正が起こった時、物理的世界/宇宙が天国なのです。{今まで物理的世界として体感/認識/知覚されてきたものが天国として体験されるのです。}
「時間」が「永遠/永劫」なのです。{「時間として体験されていること」は実際には「永遠」の中で発生しているのです。}
永遠を作っている全て(天国の法則)が「物理的世界の中のあなたの限定的時間体験」の中を満たし、あなたの無知があなたの視界(ヴィジョン)から消え去り全てのリアリティがクリアに成るに従い、永遠/世界/天国に対するあなたの体験が変るのです。
すると「創造の永遠」が時間(時間経過/時間経験)に取って替わるのです。
今今今今のこの選択がそれを可能にするのです。
これが約束されているのです。
これがコースの教えようとしていることなのです。
その為に私は時間を掛けてこのことに関して話しているのです。
これがどれだけシンプルかあなたが理解出来るように。
そして「罪(分離)の中に生まれたあなたという罪人」の反映である罪の酷さが理解出来るように。
解りますか? そのような狂気から目覚めるべき時なのです。
あなたの父からの独立を破棄し、前に進み出て罪の衣装があなたから剥がれ落ち二度と顧みられなくなるべき時なのです。
何故なら「罪(分離/独立)があなたの本質だと言い立てていた人達」は全員間違っているのだから。 だからあなたがそれ(罪/独立)を信じることは間違っているのです。
そして今今今今、全ての瞬間において新しい選択/決断を行い、間違いに対してチャレンジすることが必要なのです。
何故なら{罪/分離/独立があなたの本質だという言い立てに対する}反証が今今今今、今ここに持ち込まれているのだから。
そして間違いの効果/影響は『今今今の瞬間起こっている「天国とあなたの神聖に対する否定」へのあなたの献身/確信の強さ』に比例しているのだから。
解りますか?
罪と虚無に対するこの新しく拡張された理解を楽しんでください。
そしてあなたの神聖が容易に体験出来ることを理解し体験してください。
Chapter 19 – Section: THE UNREALITY OF SIN
Sparkly Book – p.455 / JCIM – p.190 / CIMS – p.383
First Edition – p. 376 / Second Edition – p.404
2Romans 6:23
テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体