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ACIM12-08-27

20012年8月27日

罪(独立の試み)について、そして罪に対してどう対処するべきかに関して、学ぶべきことが沢山あるので今回テキストは読みません。

まず少し瞑想しましょう。
[瞑想]


今晩は、ようこそ。

罪と罪と関連した全てのものは本質的にとても抜け目無く、不正直で、あなたを間違った方向に導こうとするのです。 何故なら、罪はそのようにして常にあなた達の注意を引き続ける必要があるのだから。
「神と繋がることなく自分の力(権威)に基づいて何者かに成ろうと試みることが罪である」と私は先週言いました。 これはとても直接的なもので、あなたの日常生活の中でこの試みを認識することが可能なのです。
あなたが優れた者に成ろうとしている時、正当性のギフトを求めている時、あなたは「中毒があなたに投げ与えているエサ」に釣られてしまっており、あなたを成功の道(神聖への道)から逸らせることを行なっているのです。

あなたがこの理不尽な決意(独立した自分で居ようとする行動)を示している時、あなたが達成しようと目論んでいることに対する邪魔が起こっていてあなたが憤っている時、その時あなたが達成しようとしていることは、あなたの中の平和から起こっておらず、あなたの中の虚無が「自分には生まれ付きの価値が備わっていない。自分は何にも値しない。」と言い立ていることから起こっていると解るのです。

多くの教会は「あなた達は罪人で、あなた達は罪の中に生まれている」と教えています。
しかしもしかしたらあなたは宗教的な人ではなく、そのような言い立ては聞き入れてこなかったかもしれません。
しかし{あなたが宗教的な人で無かったとしても、}これと同じことを違う表現で聞いている筈です。

これ(罪)は、「あなたは生物である」とか「あなた達は進化し続けて他の種よりも優れたものに成った種なのである」と言い表されてもいるのです。
だから、あなた自身を向上させることが、あなた達自身を今まで以上に進化させることが、あなたの役割だと考えられています。

このようにしてあなた自身に対して不満を抱くように成っているのです。
このようにして「自分は不完全で、だから自分の意志を働かせてこの空虚/虚無を満たそうとしなくてはならない」という風に突き動かされてしまうのです。

あなたは「あなたが父からの離縁を求めたこと」を忘れており「あなたが(自分の権威の上で独立的に振舞おうとしている)神の聖なる子供で在ること」を忘れているので、「あなたの神聖/全体/十全に戻る為には、あなた自身を向上させようと試みることを放棄しなくてはならないこと」をあなたは忘れているのです。
物理的な自然進化の結果として自分が獲得したとあなたが考えている技(スキル)を放棄しなくてはいけないのです。
だから自分の意図をシフトして(自分の権威の下に成功しようとすることの反対である)新しい行為を行なうことがあなたに出来る訳ではないのです。


「あなたがこのこと(独立)に成功しなければ、あなたは失敗したことになり、価値ある存在には成れなかった」という結論が{あなたによって}下されてしまうのです。
だから「独立的に成功しようと試みる衝動/必要」があなたのマインドの中に刻み込まれてしまっているのです。

人は成功することによって自分達の中の虚無を埋めようとしているので、成功{成就}は確約されているものではないと信じられているのです。
これはメリーゴーラウンドの周りにある真鍮のリングのようなもので、あなたがメリーゴーラウンドを回る度にそれらを触ることが出来るのです。

そこには沢山のリングがあります。 銀のリングとか金のリングもあるのです。
そして誰かがあなたより先に金のリングを取ってしまうかもしれないのです。
そして次には自分でリングを取れるように自分の番が回ってくるまで待たなくてはいけないのであなたは焦れてしまうのです。
こうしてあなたは常に不満足なのです。
するとどうなるでしょう?
するとあなたはメリーゴーラウンドの馬に座って一生懸命より早く馬を走らせようとするのです。 他の人より早くリングが手に出来るようあなたは試みるのですが、勿論それは{メリーゴーラウンドの馬をより早く走らせることは}不可能です。

それでもあなたは自分の中を意欲で(力で)満たして、不可能なことを起こそうとするのです。
この状態は地獄です。これはあなたの生得権(あなたにそなわっている当然の権利)ではありません。
あなたはこのように{独立的に}存在するように作られてはいないのです。

さて答え(解決方法)は何でしょうか?
馬から降りてメリーゴーラウンドから立ち去ることが答えです。
リングを求めることは、あなたの自然な在り方でない成功(独立)を求めることは、人工的なゴール(目標)で、本来あなたからは求められていない生き方をしようとすることなのです。 あなたの存在はそのような試みを求めてはいないのです。

例えばあなたは人生の中で5千回メリーゴーラウンドを回ることが出来たとしましょう。しかし5千回廻ってもリングは取れないのです。 そして万が一リングが取れたとしてもそれで成功(独立)へのあなたの試みが終るわけではないのです。
成功の約束が古ぼけて(初めの内は感じられていた)インスピレーションをもたらさなくなったなら、それはもう輝いていないことでしょう。
そして{成功しようとすることに飽き飽きしたなら}あなたはもうメリーゴーラウンドに乗ってリングに手を伸ばそうとはしなくなるでしょう。

しかしこの人生の中で5千回メリーゴーラウンドに乗って廻ってリングが取れなかったとしても、あなたはそれを失敗とは呼ばないのです。
失敗を避ける為に、あなたはメリーゴーラウンドに乗っており、リングを取ろうとしているのです。
「あなたがそれを考えらることが出来るなら、あなたはそれをすることが出来る。あなたは自分に考えたことを何でもすることが出来る。あなたは偉大なことをする為にここに居るのだ」というような宗教的ではない言葉をあなたは教えられて来たかもしれません。
そう試みるようあなた達は言われてきました。
あなたが考えたことを試みること、あなたが考えついたアイディアを表現しそれを実体化しようとすること。{それが人生の目的であり充実だ。}そのようにあなた達は教えられて来ました。

あなたは罪を避けるように教えられてきました。{罪の内実を見ることを避けるように教えられて来ました。}
しかしそれ(あなたが避けるように教えられて来た罪)は単にあなたが抱えている虚無で、(あなたの本来のものではない)あなたが自分のものに出来る成功でそれを満たし、そうすれば「それがあなたの実在性に関する永遠の宣言に成る」と考えられているのですが。そうは成らないのです。
あなたが感じている空虚は空のままなのです。
あなたはそのような成功を求めていますか? あなたはそのようなものを成功と呼ぶのですか?


例えばあなたが{メリーゴーラウンドに乗っていて}4千回{リングを取る事に}失敗しているとしましょう。
あなたは自分に出来る全てのことをしており、それでもこの人生の中では何も上手く行っていなかったとしましょう。
あなたは失敗しており。あなたが失敗しているということをあなたが完全に受け入れていたとします。
{その場合下記のような考えが沸き起こるかもしれません。}
『あなたは無価値で、あなたは必要な何かを全く持っていないのです。やり通すこと(フォロースル)があなたには出来ないのです。「あなたは成功を怖れており、だからあなたは成功を体験していないのです。」』
これらの意地悪な考え/破壊的思考/示唆は真実ではなく、あなたが受け入れなくてはならないことではないのです。{ラジはこれを『』内の文章に対して言っています。訳注}

過去に私は失敗に関してそれをポジティブなものとして話して来ました。
それに関してもう一度話す必要があります。
あなたが(自分の力/度量/知性によって意味ある事を達成し、世界の中に自分の印を残す)独立存在に成り通すことは全く不可能です。
あなたがそれを試みて実際に失敗し、それにより苦しんだ時、あなたはこれを理解します。
あなた達の多くはこのような失敗(救い難い失敗と無様な落胆)をする地点まで来たことがあります。
完全な失敗の地点まで到達したことがあるでしょう。
その時あなたはギブアップ(放棄)しているのです。{ギブアップしているべきなのです。}

しかし、もしあなたがこの地点まで到達してもギブアップしなかったなら、もしあなたが失敗の中に留まって、怒り狂って、怒りを手放さなかったなら、それはあなたが信念を手放していないことを意味しています。
「もし自分に度量/能力/力が在りさえすれば、それ(独立/成功)が可能な筈だ。だから人生はアンフェアーで、世界があなたと対立している。」という信念をあなたは手放していないのです。 
{独立の試みを手放していない}あなたはそう考えているのですが、やり遂げようという意図はまだあなたの中に残っているのです。
だからその場合あなたはまだギブアップしていないのです。
そしてあなたがギブアップしていないなら、あなたは苦しんでいます。
そして(自分の手で何者かに成ろうとすることにより)あなたが逃れようとしていた虚無(無力感)を被り続けるのです。

こうしてあなたは要点を見逃してしまうのです。
こうして{ギブアップしないことによって}あなたは失敗の中にあるギフトを取り逃がしてしまうのです。
しかしあなたが失敗し{独立的成功を}ギブアップしたなら、あなたは成功する望みを手放し、ゴールを達成出来るという信念を成り立てて来た全ての概念を放棄し、あなたは虚無の中にあなた自身を据えたのです。
怒り無く、焦れること無く、「成就の体験をブロックしていしまうその他全てのもの」を持ち込むこと無く、あなたは虚無の中に自分を置いたのです。
すると「神が動く」のです。 「神が私の生命の中で動く」のです。
あるいは「宇宙は自分の味方だった」とあなたは言うのです。
「存在/生きている様子/生命に関して何か根源的に美しいことを私は発見した。生命に関して今まで気付かなかったことが何かあるのだ。これは自己充足するのだ。生命は自らを満たすのだ。何故なら私が失敗しギブアップした時、私の状況は替わったのだから。私は成功し始めたけれど、それは今まで私が行っていた方法から来る成功ではない。私が失敗した時に私が祝福されていたので、私は成功するようになったのだ。」とあなたは言うのです

祝福は「恩寵」と呼ばれています。
独立存在に成ることに失敗した時、独立的成功に失敗しあなたがギブアップした時、あなたは怒ること(言い争うこと)なく自分を失敗にさせたのです。 あなたの平和の中の空白内にあなた自身が置かれ、恩寵があなたに届き響いたのです。
あなた達が父から離縁を得た時の出来事は「The fall from Grace (失楽園、恩寵からの落下)」と呼ばれています。
何が恩寵からの落下をもたらしたのでしょうか?
{神の}恩寵があなたに与えられなくなったのではなく、あなたは恩寵の源を離縁して「私は恩寵から独立して存在し行動したいです。何故なら恩寵に私を祝福させてしまったなら、私はその祝福に対する権利/業績を誇ることが出来ないから。その場合私がリアルな存在だと証明することが不可能だから。私個人の権限を持ったリアルな存在が私なのだと証明することが不可能だから。 だから私は恩寵の体験は全く求めないのです。」 {とあなた達が言ったが故に神の恩寵からの落下が起こったのです。}

ではあなたは何をするべきなのでしょうか?
もしあなたが成功を体験したいのなら、ギブアップすることによりあなたは成功にアクセスするのです。
ここでは成功を「成就/満たされること」と定義しましょう。自己挿入をしていない時あなたの中であなたとして存在している神聖/十全/全体の体験が成功です。
そしてギブアップする為にあなたの人生の終わりまで待つ必要は無いのです。
危機が起こってあなたの無能を認めなくては成らなくなるまでギブアップすることを待つ必要もないのです。 あなたはこのアイディアを理解しサッサと失敗して{独立的成功の試み}をギブアップすることが出来るのです。  
あなたは何時でもこれをすることが出来るのです。
確かに危機が起こっていない時にギブアップすることはより多くの自己鍛錬(自制心)を必要とするので「より難しい」のです。
危機があなたを制していない時にギブアップするには、より多くの自制心があなたに必要とされるのです。

しかし二つのステップを行なうために、危機や失敗によって{独立の試みを}制圧されることを待つ必要はないのです。
今失敗してしまいなさい。{今ギブアップしてしまいなさい。}
「成功する為にする必要があること(ギブアップ)」からあなたの注意を引き剥がしてしまう出来事が起こっておりあなたが焦れていたなら、その時あなたがストレスを感じていたなら、あなたは自分が{ギブアップのプロセスではなく}失敗のプロセスを行なっていると解るのです。
何故でしょう?
何故ならその時あなたはまだ「独立的に成功しようとする試み、自分の才能/ギフト/存在理由(だとあなたが考えていること)を完成させようとする試み」を手放していないのだから。

「あなたがしたいと思っていること」や「あなたがする必要のあること」を邪魔する事態が起こっているのなら、その時あなたは自分がwillfulness(神から離れた自分個人の意志を通そうとすること)を行なっていると解るのです。
その時あなたは成就の体験をブロックしているのです。
成就の体験は成功として現れるのですが、それは個人的成功ではないのです。
それは(あなたが一人で成就を作り出したのではなく)「成就(満たすこと)の動き」とあなたが合致したが故に、あなたとあなたの周りの全員を祝福する成功なのです。
これが成就とwillfulness(独立的自己主張) の違いなのです。
失敗は(そしてギブアップすることは)、あなたの良きことが得られないという意味ではありません。
失敗の価値と意味は、あなたが自分のプライベートで個人的な意図を放棄することにあるのです。  あなたの個人的でプライベートな意図/意志が『「上手く働くこと」を照らし示すインスピレーション』をブロックしてしまうのです。

これはシンプルで実用的なことなのです。
しかしあなた達は自分の手で優れた者に成ろう(優れたことをしよう)としてしまうのです。 「自分には優れたこと(優れた状態)を考えることが出来るので、自分には優れたことを行う能力がある」とあなたは考えてしまうのです。

ディズニーランドで遊んでいる子供達でさえも想像力(Imagineering)のアイディアで満たされているのです。
Imagineering!(エンジニアリングとイマジネーションの造語。)
意識的に創造的に成って、優れたもの(優れた状態)を示そうとするのです。

しかしあなたが真摯に物事を見つめてみたなら次のことが解るでしょう。
世界の中で本当に状況を変える貢献をした(全ての人類に本当の利益をもたらした)人達は「自分がそれをした」とは言わないのです。
彼等は自分達でそれを考え付いたのでは無いのです。それらの優れたアイディアは彼等の上に降りて来たのです。

もしあなたが「成功」したいのなら、{インスピレーションが}降りて来られるマインド状態に自分を置く必要があります。
もしあなたがそのようにしていなかったなら、あなたは無駄なことをし続け、遅かれ早かれあなたは(『「このような者に自分は成るべきだ」とあなたが考えている者』に成ろうとすることに、『「このようなことを自分はするべきだ」とあなたが考えていること』を行なうことに)失敗しギブアップせざる得なくなるのです。
そして{完全にギブアップしたなら}あなたは空/空虚の中に{自分のプライベートな意図を持たずに}注意だけを持って入るのです。
するとあなたの存在が意味によって満たされ、そして世界/宇宙/天国の成就があなたの上に降りて来て、あなたはそれと共に流れ始め、あなたはそれ(成就)に表現を与えるのです。
すると(操りの糸も損失の可能性も無く)あなたは得ることが出来るのです。
「今まであなたが自分で独立的に得ようと求めていて得られていなかったもの」が得られる{降って来る}のです。
これを理解することが重要なのです。

しかしまだ付け加えるべきことがあります。
先週も言ったように「罪の報酬は死」なのです。
神と関係無く自分の力/権限で何かを達成して何者かに成ろうと試みたなら、それが死/病/罪をあなたの体験内に引き入れるのです。
あなたの父からの分離は(父を離縁することは)怖れと罪悪を発生させるだけではなく、罪/病/死を状況内に引き入れるのです。

「罪は実在しておらず、罪に対する懲罰によって罪が実在しているように見せられており、罪に対して罰が与えられていることが罪がリアルに存在しているようにあなたに信じさせている」とコースは(私は)言っており、
それを聞いたエゴは「罪が実在しておらず、懲罰が罪を確実にすることは出来ず、罪は存在していないので懲罰は必要ない」と聖なる本や聖なる教師が言ったから{修正も必要ないのだ、とあなたに示唆するかもしれません。}。
ここで注意が必要なのです。
何故なら、罪はリアルに実在してはいませんが、しかしあなたが認証している信念の中では罪が存在しているように見えているのだから。勿論それ(罪に見えているもの)は間違いなのです。
罪がリアルではなく、懲罰を必要としているものは何も無いのだけれど、間違いが修正される必要が無い訳ではないのです。 間違いは修正される必要があるのです。
間違いは修正される為に存在しているのです。
罪を修正することは出来ませんが、罪は間違いであって、間違いは修正出来るのです。
だから人は間違いを修正することに専念するべきなのです。

罪はリアルではありませんが、「父の視界を共有することなく全てが何か自分達だけで決めようとしているあなた達の試み」が天国を「ビッグバンから始っている物理的世界/宇宙」に見せてしまっています。そしてこのように見えている世界/宇宙は罪と病と死が起こっている世界/宇宙でもあるのです。

最近お葬式に行った人達は楽しい時間は過ごさなかったことでしょう。
行くべきお葬式があったということは、何かが修正されていなかったことを意味しています。
何故なら生命/真理/愛は天国の基本的性質で、それを罪/病/死/痛み/苦しみなどとして体験することに満足するべきではないのだから。

「罪はリアルではなくて、懲罰も存在していなくて、罪は懲罰されないのかもしれない。」と言っているだけでは無意味なのです。
あなたが体験していることに対する誤解から苦しみが起こっているのだから。
あなた達は天国を体験しており、あなた達は天国を体験している神の子達なのです。
だから、それ以外のことをあなた達が見ていたり信じているのなら、それは間違いなのです。 それは誤知覚/誤認識で、それを修正する必要があるのです。

あなたが二つのステップを実践して誤認識が修正されたなら、何が真理か知ろうとして父に向き直り、何が真理か決めることを父に委ねたなら、物理的世界/宇宙が目の前で変容されることをあなたは見るのです。
あなたの眼の中から鱗が落ちて、あなたの視界の中から誤知覚が抜け落ちるのです。そしてあなたは天国を見るのです。
するとあなたが先週行ったお葬式はなくなるのです。
将来行くべきお葬式も二度と起こらないのです。


You must be careful, because the ego would have you “learn” that sin is unreal and therefore, there can be no real punishment for it, that sin and punishment work together to apparently establish the reality of something that doesn’t exist. And you need escape from it.

エゴは『罪がリアルではなく、だから罪に対するリアルな懲罰も存在していない。罪と懲罰は一緒に働いて「実在していないもののリアリティ」が確立されているように見せているだけだ。{だから修正も必要ではない。}そしてあなたはリアルではないものから逃れる必要がある。』とあなたに学ばせようとしてしまうから注意が必要なのです。
{上記の文章は解釈がかなり複雑になっているので、原文も上に表記して置きます。訳注}


だからあなたは勤勉である必要があるのです。
あなたの日常において何かがあなたの邪魔をしていると感じた時、何かが「自分の信任/権威を設立する為にあなたがしようとしている大切なこと」の邪魔に成っていると感じた時、「オオ!」と言って即座に気付き、「今意識的にこれ(自分の権威/独立を設立しようとすること)に失敗しよう。何故なら私を通して現れる『優れたこと/優れたもの』は、私が静かに成って好奇心を発揮しインスピレーションが降りて来る所に注意を払った時にだけ私を通ってやって来るのだから。」と言うべきなのです。
あなたは一日中これをし続けることが出来るのです。

何らかの危機がやって来てあなたに規範(自己鍛錬の必要)を与えるまで(否応無く自己放棄をしなくては成らなくなるまで)待つのではなく、あなたはこれを率先して自分から行なうことが出来るのです。 危機のストレスを受けなくてもこれは出来ることなのです。
しかしその為には「ノー! {神を除外して}私だけで何かを達成しようとする方向に踏み出すことは止めよう。それは中毒を強化してしまうから。そうしていたのでは、私が得るべき成就体験の為に必要なインスピレーションが得られないから。だから私はインスピレーションをブロックしてしまうことは止めよう。 今まではこうすること(自分の力で考え物事を決めること)が成就をもたらすと私は信じてきたのだけれど。」と言える為の自己鍛錬/自己規範を発揮する必要があるのです。
これが非常に重要なのです。

さて(既に何回か説明していることではありますが)今から出来る限りシンプルに説明します。
「あなたのマインドを使って独立的創造者に成ろうとするあなたの能力」に価値を見ることをあなた達は教えられて来ました。 あなた達の多くは自分達がこのスキルを有していると考えています。
「これすることにより自分は成功しそして自分の十全/健全が確約されるのだとあなた達が教えられて来た全てのこと」を放棄して、それらのことが真実ではなかった(これらのことがあなたを成功/独立させることは在り得ない)という事実を受け入れた時、あなたの中の光りがあなたにインスピレーションを与えあなたは手放すのです。
このインスピレーションによってあなたは、話すよりも聞くようになり、主張/挿入しようとするよりも受け取るように成るのです。

今現在ポールは{私の言葉を}受け取っている状態にあり、と同時に行動を行なっています。
そして良く見えていないかも知れませんが彼の手は体は、そして唇も動いています。
しかしここで起こっていることはポールの個人的能力を示して人々を関心させようとしているのではないのです。
人が{成就の}動きの中に在る時、その人の存在が意味深く成っているのです。しかしそれはエゴ的自己賞賛{的行動}には成れないのです。
意味深い成就を求めるなら、成就を自ら作ろうとするのではなく、成就{の動き}に対して自分を譲りなさい。
「自分で特定の成就を造ろうとあなたが今まで悪戦苦闘して来たアリーナ(場所)」の中で、成就の動きに対して譲れるように成りなさい。
そして「ここの真理は何ですか?」と訊ねるのです。
「私が見続けて来た状態ではなく(私の見解とは関係なく)、ここの真理は何ですか? これは必要なものですか? それとも必要無いのですか? これは適切なものですか、それともこれは不適切ですか?」

そして重要な疑問は「これが全体に対してどういう意味を持っているのですか?」です。
「これはどのようにして天国の中にフィット(順応)しているのですか? これはどのようにして『天国の中で全てが祝福されていること』と調和しているのですか?」{と訊ね聞くべきなのです。}
何故なら『天国の中の全てのもの』は『天国の中のその全てのもの』を祝福しているのだから。
解りますか?

だから今夜私は失敗することを怖れないように薦めているのです。
失敗を歓迎しなさい。(インスピレーションが現れるべき場所にあなたが雑音を持ち込まなくなることによって)インスピレーションが降りて来れる場所にあなたが居られるように、失敗と取り組みなさい。

と同時に、「罪の非実在性」と「だから懲罰が無意味であること」に関して実際的であってください。
「罪が実在してないから」と考えて、あなたの人生の中に誕生//罪/病/死として現れている事に対する修正の必要を回避しようとするのは止めなさい。
修正が起こるようにしましょう。
どのようにしたら修正が得られるのでしょうか?
あなたは二つのステップをする必要があるのです。
あなたは自分の意志を静まらせ、自分の激昂(感情)を静かにして、あなた個人の思考から到達した意図を静まらせて、あなたの中の何を放棄したらよいか訊ね聞くことが出来るように成るべきなのです。
「{私が手放すべき}信念は何ですか? 私を統治してしまっている思考の後ろにある意図は何ですか?」と訊ね聞くのです。
これをしてください。

これをすることが罪/病/死から出る道なのです。
これが目覚めの方法なのです。


これを続けるには勤勉である必要があります。
危機があなたに必要な(あなたが待ち望んでいた)自己鍛錬の機会を与えたにしろ、平和時に「あなた自身だけで全てをしようとする試み」を放棄する意欲を持とうとしているにしろ、これは努力を必要とすることです。

しかしこれをすることで、あなたが体験していた無力状態(不毛状態)が取り除かれるのです。

これをすることが「失敗を続けながら{独立的試みを}ギブアップしないこと(故に成就を得られないこと)から来る不毛」を取り除くのです。

これもシンプルなことです。

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

プロフィール

翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

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