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ACIM12-09-16

先週の調子はどうでしたか? あなたは関係(関わり合い)の中に入って行けましたか?
関係の中で「時間の掛かる面倒臭いこと」と対峙することが出来ましたか?
抵抗なく、嫌気を起こすことなく、それを(関係を)発生させることが出来たでしょうか?

自分自身の中に条件付けられた抵抗{関係を成り立たせることへの抵抗}がどれだけあるか発見して驚いた人達も居たでしょう。
その抵抗があなたのゴールの達成を困難にしているだけでなく、(あなたの中に作られている)そのような抵抗が常に存在しているので(そしてあなたがそのような抵抗の存在に気付いていなかったので)実りある十全な関与が出来ていなかった、と理解出来た人も居たでしょう。
過去数年に亘り(あるいはもっと長く)、あなたが実際には意味深い関わりを拒否していて、そのことに気づいていなかったことが照らし出されたでしょう。
{これは第一にポールさんがイエスさんからこう叱られているんですね。それを私が又聞きして「ウーン、オレもそうかもしれない」と思いながら日本語に書き出している訳です。 全ての人達にも何らかの形で当て嵌まることなのだろうけど。訳注}

自分の関係を(自分が考えた通りの関係を)確立したり認知しようと試みていなかった故に、これが(関係に対するあなたの抵抗が)顕わに成ったのです。
これを見つめて認識するのは楽なことではないかもしれません。

あなたは(あなた自身の条件付け故に)自分で考えていたような素晴らしい親切な人ではなかったのです。{これを認めることは楽しくはないでしょう。}

あなたは積極的に不親切ではなかったかもしれないけれど、実際に関わりを持とうとする程に親切に成ってはいなかったのです。
あなたは「自分の子供やパートナーや友達が何を体験しているのか」知ろうとして時間を掛けて親切に成っていた訳ではなかったのです。

関係の中で独立的に存在しようとすることにより、あなたは意味を{成就を}遮って(拘束して/否定して)しまうのです。
あなたが人間関係の中にあって{人との関係の中で}、しかし主にあなた自身だけに(そして自分が達成するべきだとあなたが考えていることだけへ)あなたの注意が注がれていて、あたかも自分は兄弟姉妹とは無関係であるように振舞っていたなら{自分が人と別に存在しているように考えていたなら}、そしてあなたの注意が兄弟姉妹に注がれておらず、兄弟姉妹が「自分の行動に取り組んでいるあなたの意識の中」に内包されていなかったなら、あなたの取り組みは独立的(分離的)なものに成ってしまうのです。
しかしそうあるべき(分離的であるべき)ではないのです。
そこでは独立が執行されていた故に、人類愛/博愛が無かったので{無視されていたので}、 つまり親切が無かったのです。

さてあなたが困難に面しているなら、あなたには変化が必要なのです。 あなたは変わる必要があるのです。
そう考えると、聖なる瞬間と呼ばれているこの素晴らしいことは、もうあまり素晴らしくは思われないでしょうか?
何故ならこれにはコミットメントと労力が必要だから。{相手の必要に対して}センシティブ(敏感)に成る必要があるから。

あなたと関係している人と「共に居ること」が必要なのですが、あなたはまだそうすることに成れては居ないのです。(これはまだあなたが慣れ親しんでいるやり方ではないのです。)
気遣うこと(ケアー)、無限に気遣うこと、あなたはこれにはまだ馴れていないのです。
あなたが気遣いを示していなくとも、あなたは不親切ではなく、{積極的に}有害なことはしていなかったので、あなたはそれを気に掛けては来なかったのです。
あなたとあなたのパートナー(相手)を観察した人は「(あなたはパートナーと真剣に関係していないのに)このパートナーがあなたと付き合い続けられているのは奇跡ですよ!」とあなたに言ったりするのです。

確かにあなたの身体はそこに居たかもしれません。でもあなたのマインドはそこには居なかったのです。
あなたは誰かを(相手を)それ程気遣っていなかったのです。
気遣うという言葉の意味は、誰か他の人を自分より優先するということです。
気遣い(ケアー)とは優しさを表現すること、(誰かが露骨にそれを求めていなかったとしても)思量深さ/愛/注意を誰かに与えることです。 あなたが愛/注意/思いやりを尊んだ故に、それがあなたから溢れ出て提供されるのです。
あなたがこれをしている時、あなたの相手は、あなたと関係を持っている人は、あなたがそこに居る(自分と共に居てくれる)と感じ、孤独を感じなくなるのです。
これが必要とされていることなのです。
このような行動の変化が必要とされているのです。

これが目覚めの為に必要不可欠なのです。
現在まだ目覚めていない全ての人達にはこれが求められているのです。
そしてこれは行動(対応)を必要とすることなのです。
「愛情/愛/注意/そこに存在すること」を表現する(行動に移す)ことが求められているのです。
あなたのマインド内で起こっている幾千の考えに気を取られてしまうのではなく、(あなたの目の前の人と、あなたが関係している人と)対峙してその人に注意を与えるのです。
あなたが兄弟姉妹と共に在る(一緒に存在している)と感じられている時、あなたがプレゼンス(存在すること、注意を与え対峙すること)を認識しており尊んでいることが解るのです。

これが全体(健全)の体験なのです。
これが本当の体験なのです。そしてこれは故郷(あなたの住家)を示唆しているものなのです。これは目覚めのヒントなのです。
これはあなたが正しいマインドに立ち返るプロセスを示唆しているのです。
だからこれは、あなたにとって存在が向上する体験(あなたの体験が向上すること)になるのです。
これは目覚めの動きが前進していると知らせる信号なのです。
この動きに対する障害/抵抗が無い時、これは進行して行くのです。
これは創造の動きで、これが創造の動きなので、これは動いて行くのです。


あなたの今までの性癖を変えた時、あなたの性癖(今までの在り方)と心配を放棄した時、素晴らしいことが起こるのです。 あなたの目の中から鱗が落ちるのです。

{あなたの性癖/傾向を変えることのより}あなたを盲目にしていた相互合意があなたの認識の中から外れ落ちるのです。

あなたがそれらの相互合意を手放した時、自身の重みによってそれらはあなた達の上から外れ落ちて行くのです。

そうして物理的世界/宇宙が天国に譲られていくのです。


「何か」が消え去って「全く異なる何か他のもの」で置き換えられるのではなく、唯一存在しているものである天国に対する誤知覚が外れ落ちて消えて行くのです。

すると、あなたが今まで見てきたものが歪み無く(誤解なく)見られるように成るのです。

二つのステップ/聖なる瞬間の実践が必要不可欠なのです。
{自分一人だけの真実を自分だけで知ろうとするのではなく}あなた以外の人に関する真理を知りたいと求めることが必要なのです。
「どのようにすれば兄弟姉妹があなたの目覚めの一番重要なカナメに成るのか」知ろうと求めることが必要なのです。
それが真理を(何がリアルか)理解/認識する為に一番重要なことなのです。
それが罪の拘束から自由になる為に一番必要なことなのです。
これは「あなたには決して達成することが出来ないことを達成しようと固執し続け、その試みを決して放棄したくないという決意から来る拘束」から自由になる事なのです。

それ(達成不可能なこと/独立/分離へのこだわり)から自由に成ることがあなたの生得権(当然の権利)なのです。
あなた達が遭遇している惨めさ/罪/病/死の全てが消滅して二度と現れない様にするには、それ(分離/独立への固執)から自由になることが必要なのです。
{今回この部分の翻訳は物凄く時間が掛かりました。それはここで何が言われているか私に良く解らなかったからです。 何度も聞き直して解ったのは、これは第一にポールに対するイエスの叱咤なのだということです。そしてこれは私に対する叱咤であるとも言えるのですが、ここで言い表されている表現は何よりもポールに解るように、彼の体験に即して述べられているのです。訳注}

さて本を読みましょう。
スパークリー・ブックの中の二三の文節を飛ばして読みますが。それは意図的なものです。{スパークリー・ブックのテキストはJCIMのテキストとほぼ同一です。 ページ割などは違います。}
これは{私が無視するこの部分は}私がヘレンに対してコースを言い伝えている時に使ったイメージ(比喩)で、これは彼女に対してだけ意味が在ったのです。

[What, then, is sin? What could it be but a mistake you would keep hidden; . .]
[罪とはあなたが隠そうとしている間違いに過ぎません。]

「あなたが父を離縁しようとしていること」が間違っており、それが間違いの原因なのです。
あなたがこの間違いを隠しておこうとしているのは、自分が父を離縁したことをあなたが忘れたいと思っているからです。 それは、自分を「自分自身で自分を成り立てている孤児」にして、自分を父を持たないリアルな者にしようとすることがあなたの最優先事項だからです。
だからあなたがこれを隠しておかなければ、噓がばれてしまうのです。
あなたは不可能なことを試みており、実際にはあなたには父がおり、だからあなたは聖なる生得権(持って生まれた当然の選択権、全体/健全の生得権)を持っているので、あなた達が争う必要/原因は無いのです。 父の全てはあなたの中に(と同時に創造の全ての中に)表現されているのだから。
だからあなた一人で何者か(独立存在)に成ろうとする必要はないのです。

だから、
[What could it be but a mistake you would keep hidden; a call for help that you would keep unheard and thus unanswered? In time, the Holy Spirit clearly sees the Son of God can make mistakes. ]
[罪とはあなたが隠そうとしている間違いに過ぎません。それは「助けを求める声」なのですが、あなたがそれを黙らせているので、答え(助け)が得られていないのです。聖霊は時間の中で神の子が間違いを起こしてしまうことを明確に見ます。]

[On this you share His vision. Yet you do not share His recognition of the difference between time and eternity. And when correction is completed, time IS eternity.]
[このことに関しては、あなた達は聖霊とヴィジョン(見解)を共有しています。しかしあなた達は時間と永遠の違いに関する聖霊の認識を受け取っていません。修正が完了した時、時間は永遠なのです。]

修正が完了した時に物理的世界(としてあなた達が現在体験していること)から物理的世界の特質の全てが取り払われ、それ(世界)が天国に成るように、{修正が完了した時、時間は永遠なのです}。


前回はこれを読んで終りました。 ここから数行のテキストを飛ばして読みます。
{ここでは時間という幻想の成り立ちに関する説明が試みられていたので、それを完全に飛ばしてしまうのは残念ですね。 下記が読み飛ばされている部分です。 訳注}

[Time is like a downward spiral that seems to travel down from a long, unbroken line, along another plane, but which in no way BREAKS the line, or interferes with its smooth continuousness. Along the spiral, it SEEMS as if the line MUST have been broken, but, at the LINE, its wholeness is apparent. Everything seen from the spiral is misperceived. But, as you approach the line, you realize that IT was not affected by the drop into another plane at all. But, FROM this plane, the LINE seems discontinuous. And this is but an error in perception, which can be easily corrected IN THE MIND, although the body's eyes will see no change. The eyes see many things the mind corrects, and YOU respond, NOT to the eyes' illusions, BUT TO THE MIND'S CORRECTIONS. You SEE the line as broken, and as you shift to different aspects of the spiral, the line looks different. Yet in your mind is One Who KNOWS it is unbroken, and forever changeless. ]
[時間は、下降している螺旋(運動)のようなもので、それは長い一つの分断されていない線から(その線を分断していない/その線と交わっていない他の平面に沿って)下に向かって動いているのです。これは他のプレーン(平面)に沿って下に動いており、ですがこの線を螺旋が横切って切断することは決して無いのです。
螺旋に沿って見た場合、線は切断されているように見えるのですが、線から見ればその線は(分断されておらず)ひとつのままであることが明白なのです。螺旋から見ている全ては誤って知覚されているのです。
しかしあなたが線に近づいていけば、次の平面(次の旋回?)の中に落ちて行ったことによってもその線には何も影響が無かったことが理解されるのです。
でも平面から見れば、この線は切断されているように見えるのです。
しかしこれは知覚の誤りで、「マインドの中で」これは簡単に修正出来るのですが、体の目はその違い(修正)を見ないのです。
目は多くのものを見て、マインドは(目が見たものを)修正し、「あなた」は(目の幻想ではなく)マインドの修正に反応するのです
あなたは線を分断されているものとして見ており、あなたが螺旋の別の分部に注意をシフトしたならその線は違って見えるのです。
しかしあなたのマインドの中に「その線が分断されておらず永遠に不変であることを知っている者」がいるのです。]
{以上が省略されたテキストとその翻訳文です。訳注}

[This One can teach you how to look on time differently and see BEYOND it, but not while you believe in sin.]
[どのようにすれば時間を違うように見れるか、どのうようにすれば時間を越えて見ることが出来るか、「この者{聖霊}」があなたに教えます。しかしあなたが罪を信じている限りそれは不可能です。]

何故でしょう?
何故なら、あなたが聖霊を聞いていないことが罪なのだから。
あなたが聖霊と関係を持っていないことが罪なのだから。
あなたが父と関係を持っていないことが罪なのだから。
だからその結果として、あなた達を無知から解放する真理のコミュニケーションが(あなた達自身に関する真理のインスピレーションが)起こっていないのです。{だからあなたが罪を信じている限り、聖霊とのコミュニケーションが起こっておらず、どのようにすれば時間を越えて見る事が出来るか聖霊から学ぶことも不可能なのです。}

[This One can teach you how to look on time differently and see BEYOND it, but not while you believe in sin. In error, yes, for this can be corrected by the mind. But sin is the belief that your perception is unchangeable.]
[どのようにすれば時間を違うように見れるか、どのうようにすれば時間を越えて見ることが出来るか、「この者{聖霊}」があなたに教えます。しかしあなたが罪を信じている限りそれは不可能です。でもあなたがエラーを信じたなら(罪ではなく間違いが起こっているとあなたが信じたなら)、エラーはマインドによって修正可能なので、上記が(どのようにして時間を越えて見るか学ぶことが)可能になります。しかし罪とは『あなたの知覚が変更不可能で、...]

『あなたの素晴らしく想像的な知覚は変更不可能である』と考えることが罪なのです。
何故でしょう?
それはあなた達がそれ(想像的知覚)を変更不可能なものにさせているからです。
あなた達はそれ(知覚)を何か硬い確実なものにして、邁進し{分離的自己を}達成したかったのです。
勿論それは不可能なのですが、そうすること(父から分離した自分を確立しようとすること)に意味を与える為にあなたはそれ(分離的知覚)を固く確実にせざる得なかったのです。
そうしてあなた達は、それ(知覚)に対する決意(コミットメント)を開発し続け、「{分離に必然的に伴う}無知と怖れと罪悪を常に感じながら自分の体験を見て、自分のゴールを偏執的に達成しようとしなくてはならない」と知ってしまう(思ってしまう)訳です。

どのようにしてあなたはそれ(独立的知覚へのコミットメントをより強くすること)をするのでしょうか?
先週も言ったように「そうしなければ自分が死んでしまう」と信じることによりあなたはそうするのです。
そのように信じることで、あなたは自分を脅し自分をゴール(分離的自己を成り立たせようと試みること)に中毒させるのです。
勿論これらは全てファンタジー(幻想)です。 これらは全てナンセンスな噓です。

だから私はこのことを繰り返し述べているのです。
あなたが{分離/独立を手放すことが出来るという}このアイディアを奇妙なものと考えなくなるように、そして決意を持ってあなたがこのアイディアを抱擁しこの可能性を探求出来るように、私は色々な形でこれを提示しているのです。

あなた自身の真理へ決意を与えることは中毒には成り得ません。
これ(真理へ決意を与えること)はとてもシンプルで、これが正気なのです。これはより確実に抱擁され体現されていく安定(グラウンディング)なのです。
そしてこれにより正気が取り戻されるのです。達成不可能な中毒の中で正気が失われ続けることが止まるのです。

[But sin is the belief that your perception is unchangeable, and that the mind must accept as true what it is told through it. And if it does not obey, the mind is judged insane.]
[しかし罪とは『あなたの知覚が変更不可能で、「マインド」はあなたの知覚が言ったことを真理として受け入れなければならない』という信念なのです。そしてもしマインドがこれに従わなかったなら、それは狂気と判断されるのです。]

「あなたの知覚は変更不能だ」とあなた自身が命令しているのです。 あなたは「あなたの知覚を通して受け取られたもの」を真理としてマインドに受け入れさせているのです。
しかし「不可能なことを達成しようとすることへの中毒」こそが狂気なのです。

[The only power which could change perception is thus kept impotent, held to the body by the FEAR of changed perception which its Teacher, Who is one with it, would bring. When you are tempted to believe that sin is real, . .]
[「知覚を変えることの出来る唯一の力」がこのようにして不能とされ、 「(「知覚変化と一体の者」である教師{聖霊}が提供しようとする)知覚の変化」への怖れによって体に押し付けられている{体に限定されている}のです。罪がリアルだと信じるようにあなたが誘惑されている場合、...]

チョッと待って!
何故あなたは罪がリアルだと信じるように誘惑されるのでしょうか?
何故なら、自己確立/独立とそれに伴うリアリティという素晴らしいご褒美(賞金)をそれ(罪)があなたにもたらすという約束が信じられているから。
だからあなたは罪がリアルであると誘惑されてしまうのです。
そしてあなたは自分でその為の規則/基準/条件を作っているのです。

[When you are tempted to believe that sin is real, remember this: If sin is real, both God and you are not.]
[罪がリアルだと信じるようにあなたが誘惑されている場合、下記を思い出してください。もし罪がリアルなら神もあなたもリアルでないことになります。 ]

あなたは毎日「罪がリアルだ」と信じるよう誘惑されているのです。
兄弟姉妹との全ての関わり合いの中で「罪がリアルだ」と信じるようにあなたは誘惑されているのです。
つまりあなたは父からの離縁を得る為に「父よ私は、私の思考の全てに自分の注意の全てを与え、私が自分だけで全てのものに与えた意味と発見へ自分の注意の全てを与え、私はあなたを無視するのです」と言ったのです。
すると何が起こったでしょうか?
リアリティとしての神があなたの体験内から消え去ったのです。
神の子としてのあなたがあなたの体験内から消え去ったのです。
そして想像上の自己をリアルにしようとしてあなたが自分に残されている全エネルギーを消費している状態が起こっているのです。
想像上の自己(あなたが作った自己)に決意を捧げている限り、あなたという神の子があなたにとってリアルに成ることはないのです。
上記の文章はこれを言い表そうとしているのです。

[If creation is extension, the Creator must have extended Himself, and it is impossible that what is part of Him is totally unlike the rest.]
[でももし創造が拡張(EXTENSION、自分を広げること)であるなら創造者が自身を拡張したに違いなく、神の一部が神のその他の部分から全く異なっていることは不可能です。]

神は統合されており、分離不可能で、結合性があるのです。

[If sin is real, God must be at war with Himself. He must be split, and torn between good and evil; partly sane and partially insane. For He must have created what wills to destroy Him, and has the POWER to do so.]
[だから罪がリアルだと仮定したなら、神がそれ自身の中で(自分と)戦っていることになります。神が分離し善悪に引き裂かれて、その一部が正気で他の部分が狂気(に成ったことになります)。 何故なら(罪がリアルであるならば)神は神を破壊しようと意図している者(そしてそのような力を持っている者)を創造したことになるのだから。]

これは幻想的な想像ではないでしょうか?

[Is it not easier to believe that YOU have been mistaken than to believe in this?]
[これを信じるよりも、あなたが間違っていたと信じる方が容易ではないですか?]

あなたがここまでコースを読んで来たならば、そう信じられるように成って来ている筈です。
自分が神の聖なる子供であることを抱擁出来るように成るまで、あなたにはするべき仕事があるのです。あなたには破るべき性癖があるのです。
新しい振舞いが出来るよう努力するべきなのです。
あなたは「あなたにしか起こせない変化を起こす必要」と直面し続けるのです{自分が神の聖なる子供であることをあなたが抱擁出来るように成るまで}。

さて人間的状況に関して{話しましょう}。
あなた自身の手で作った世界の中で生きようとすることが人間的状況なのです。
あなた自身の選択によって、あなたは真理に対して無知であること(狂気であること)を選んだのです。
{あなた以外の}他の誰にもその選択へアクセスすること(介入すること)は出来ないので、あなたが自分の手で行なったこと(あなたの選択)を解除してくれる人は誰も現れないのです。
あなたは自分の手で(自分の選択を通して、自分の決意を通して)故郷に立ち返る必要があるのです。
「自分は誰か」神/聖霊に訊ね聞く事により、あなたの全て(これが自分だとあなたが今まで思って来たこと)を捨て去る必要があるのです。

[While you believe that your reality or your brother's is bounded by a body, you will believe in sin.]
[「あなたのリアリティやあなたの兄弟のリアリティが体によって縛られている」とあなたが信じている限り、あなたは罪を信じてしまうのです。]

次のように言い換えることも可能です。
あなたが罪を信じている限り、「あなたのリアリティとあなたの兄弟のリアリティが体によって縛られていると」あなたは信じるのです。

[While you believe that bodies can unite, you will find guilt attractive, and believe that sin is precious. ]
[体が一緒になれる(体が連帯出来る)と信じている限り、あなたは罪悪を魅力的なものとして見て、罪が大切なものだと信じるのです。]

何故なら、罪悪によってあなたは大いなるコントロールを得るのだから。

[For the belief that bodies limit mind leads to a perception of the world in which the proof of separation seems to be everywhere.]
[何故なら「体がマインドを限定している」という信念が「分離の証拠が全ての所に現れているように見えている世界」への知覚を引き出しているのだから。]

これを複雑に考えるのは止めましょう。
「父よ、私は自分のやり方で行ないたいです。私は離縁を求めます」とあなたが言い出す前までは、天国が無限に体験されていたのです{あなた達は天国の全てを体験していたのです}。
(あなたがまだ父以外のものを何も導入していない故に)父が見ている全て、父が知っている全て、父が成っていることが{あなたという}存在の全てだったのです。
そのマインド状態では全ての物体(実質)は、物質ではなく、スピリット(霊)なのです。
全てのものはスピリットのエネルギーで出来ているのです。全てのものは愛で出来ているものなのです。
何故なら、父が自身を表現する為の道具こそが生命/真理/愛なのだから。
だから{神からの分離が起こる前の}そこには無限の体験が在って、分離体験は無いのです。
そこには無限の表現が在ったのです。神が無限に個人化され、無限に表現されていたのです。

そしてこの表現の無限性は、全く分離(違い)を示唆してはいなかったのです。
何故なら『「(神があなたの中に置いた)神のマインド」の体験から分離した自己』をあなたは保っていなかったのだから。 「無限表現が実際に存在しているワンネス(一体性)」としてあなたは自分のマインドを体験していたのだから。
だから{神の}その無限の表現は、どのような自己防御も必要としない、お互いと闘争/対立しない在り方であり、「お互いの中に根源的違いを見たり、お互いを分離する方法」を含んでは居なかったのです。

「父よ、私は自分のやり方でやりたいです。私は離縁したいです。私はあなたを完全に無視して、私自身を私個人のマインドだけに捧げます。」とあなたが言った時、怖れと罪悪が体験の中に導入され、(それまでは分離していなかった)天国に対する無限の視界の上に防御の必要が被されたように見え始めたのです。
そしてあなたは初めて差異(違い)を見たのです。
天国を作っているスピリットが「あなた達が物質と呼んでいるもの」に成ったのです。 腐敗出来る、死ねる、怪我出来る、自分を守るべき(避けるべき)あらゆることが起こり得るものに成ったのです。
天国そのものの性質が実際に変化したのではなく、天国に対する誤知覚があなたのマインド内に生まれたのです。
そしてあなたの体が「あなたを兄弟姉妹から明確に分け隔てている(対立させている)もの」に成ったのです。
こうして体の実体(体の構成物)はもう神聖では無くなり、スピリットでは無くなったのです。 怪我/腐敗/死が可能な物質に成ったのです。
その結果として「体同士が連合出来るというアイディア」が信じられるように成ったのです。
「体は本来分離しており、しかしそれでも連帯/連合することも可能である」と信じられるように成ったのです。
「体は祝福する為に連合することも可能で、痛めつけたり殺したりすることの為に連合することも可能だ」と信じられるように成ったのです。
(父から分離することによって)誤知覚され始めた体は(今の時点でまだ誤知覚されている体は)、邪悪な思考がもたらしている体験を被り苦しんでいるのです。
「父よ、もうこれ以上あなたの視点で物事を見たくはありません。父よ、あなたが私の中に据え置いた創造的能力を自分が好きなように使って、何でも自分が好きなようにしたいです。」{これが邪悪な思考です。}
そう言ってあなたは地獄を作ったのです。そう言ってあなたは地獄を体験しているのです。

これ(「父よ、あなたから離れて自分だけで物事を決めたいです」)があなたのマインドの枠組み(見方/考え方)である限り、
[. . . you will find guilt attractive, and believe that sin is precious.]
[...あなたは罪悪を魅力的なものとして見て、罪が大切なものだと信じるのです。]


体がマインドを限定しているという信念、物質がマインドを限定していると言う信念
、あなたの頭の中の肉片の間に起こるシナプシス(電流)がマインドであるという信念。
それらはSFのように非常に創造的な考えです。

[. . . the belief that bodies limit mind leads to a perception of the world in which the proof of separation seems to be everywhere.]
[...「体がマインドを限定している」という信念が「分離の証拠が全ての所に現れているように見えている世界」への知覚を引き出しているのだから。]

あなたが父を離縁する前までは、宇宙が分離の証拠を示したり暗示したりすることは全く無かったのです。

[And God and His creations seem to be split apart and overthrown. For sin would PROVE what God created holy could not prevail against it, nor remain itself before the power of sin.]
[そして神とその創造が引き裂かれ屈服させられているように見えているのです。何故なら「神が神聖に創造したもの」は罪に打ち勝てず、罪の力の前では(神が創造したものが)それ自身で在り続けることも出来ないと罪は証明しようとするのだから。]

しかしそれ(罪)は不可能なのです。
だから罪(分離)は起こらなかったのです。しかし{分離/離縁を選んだ}全ての人達は罪が起こったと信じており、自分達が神の子では在り得ないと信じており、自分達の神聖なるステータス(神聖な状態)の体験を取り戻せるとは信じていないのです。
何故なら罪がそれ(自分達が神聖でないこと、神の子でないこと)を証明しているのだから。

[. . . what God created holy could not prevail against it, nor remain itself before the power of sin. Sin is perceived as MIGHTIER than God, . .]
[罪の力の前では(神が創造したものが)それ自身で在り続けることも出来ないと罪は証明しようとするのだから。こうして罪は神よりも強いものとして知覚され、]

しかし「あなたが好んでいる{真実以上にあなたが好ましいと信じている}中毒の最終防御線」をあなたが破ろうとしている時に「罪が神より強いもの」として見えているだけなのです。
それは{中毒とは}「私は何者か(神から分離した独立存在)で、私はそれを証明し、どのような理由があろうとも私はそれを証明する試みを手放したくない」ということなのです。

[Sin is perceived as MIGHTIER than God, before which God Himself must bow, and offer His creation to its conqueror. Is this humility or madness?]
[こうして罪は神よりも強いものとして知覚され、神自身がその前に跪き、その創造をこの征服者に捧げなければいけない(ことになるのです)。これは謙虚でしょうか、それとも狂気でしょうか?]

この質問の意味が理解されるということだけでも素晴らしいことです。
『あなたはあなたが信じているような者ではない』と誰かがあなたに指摘することにより、あなたに理解出来るやり方で誰かがそれを示すことにより、「何が真理で何が真理では無いか」という事に対するあなたの確信が覆されるのです。
これが素晴らしいことなのです。
「これは謙虚でしょうか、それとも狂気でしょうか?」と言えることは素晴らしいことです。
そして「それは狂気だと私は思う」と言えるようになること、 これは素晴らしい前進ステップです。

[If sin were real, it would forever be beyond the hope of healing. For there would be a power beyond God's, capable of making another will which could attack His Will and OVERCOME It; and give His Son a will apart from His, and STRONGER.]
[もし罪がリアルならば癒やしの希望はそこには永遠に届きません。何故なら(罪がリアルであった場合)神を超えた力が存在し、神以外の意志を作ることが可能で、それが神の意志を攻撃して制圧しており、神の子に「神から隔たったより強い意志」を与えたことになるのだから。]

罪(分離、神以外の意志)を神の意志よりも強く見せているのは、中毒から来る狂気エネルギーで、それがとてもリアルな体験をあなたにもたらしており、それが中毒(神以外の意識、独立の試み)の放棄を難しくしているのです。

[And each part of God's fragmented creation would have a different will, . .]
[そして分離/分断された神の創造の各部分は、神に反する異なった意志をそれぞれ持っていて、]

確かにそのように見えているでしょう。
あなたがまず第一に父と繋がって父の視点から兄弟姉妹を見るのではなく、父と繋がらないで兄弟姉妹(同胞)を眺めたなら、確かに人類は博愛を失った自意識の競争に溺れているように見えることでしょう。
何故ならその場合、人類は世界の中でお互いと関わり合い、人の必要(お互いの必要)を満たす為に全てのことをしようと意図することへの意欲を失っているのだから。

[And each part of God's fragmented creation would have a different will, opposed to His, and in eternal opposition to Him and to each other.]
[そして分離/分断された神の創造の各部分は、神に反する異なった意志をそれぞれ持っていて、永遠に神に逆らい続けお互いと争い続けることになります。]

しかし「もうそのようなことに縛られ続ける必要はない」とあなたは知っているのです。
「それは自分の神聖な意識体験に対する不当な拘束であった」とあなたは知っているのです。

[Your holy relationship has, as its purpose now, the goal of proving this is impossible.]
[あなたの聖なる関係の現在の目的(ゴール)は、上記が不可能だと証明することなのです。]

だから世界的目覚めのプロセスを促進する為には、二つのステップ/聖なる瞬間を実践する上で、聖なる関係だけが必要だと認識し、聖なる関係だけを求められるように成る必要があるのです。

[Your holy relationship has, as its purpose now, the goal of proving this is impossible. Heaven has smiled upon it, and the belief in sin has been uprooted in its smile of love. You see it still because you do not realize that its FOUNDATION has gone.]
[あなたの聖なる関係の現在の目的(ゴール)は、上記が不可能だと証明することなのです。そして天国がそれ(あなたの関係)に微笑みました。 その愛のスマイルの中で罪に対する信念の根っ子が引き抜かれました。あなたはまだそれ(罪)を見ています。 何故ならあなたはまだその礎(基礎)が無くなっていることに気付いていないから。]

なぜこの{罪の}基礎が消えてしまったのでしょうか?
何故なら、あなたはその時中毒(独立)を手放して、中毒(独立の選択)の影響から自由な状態で真理を体験したいと求めたのだから。
あなたは何に中毒しているのでしょうか?
それは源を持つこと無くあなた自身だけで何者かに成ろうと試みることから来る興奮です。

[You see it still because you do not realize that its FOUNDATION has gone.]
[あなたはまだそれ(罪)を見ています。 何故ならあなたはまだその礎(基礎)が無くなっていることに気付いていないから。]

しかし{中毒に対する}あなたのコミットメントはもう100%では無くなったのです。
{だから罪の基礎が無くなっているのです。}

[Its source has been removed, and so it can be cherished but a little while before it vanishes.]
[その源は取り除かれており、だからそれ(罪)が愛でられるのは、それが消え去るまでのあと少しだけです。]

これが確約されているのです。
「{創造の}動き」がこれをするのです。
{父から離れて存在し考えようとする}性癖から(無意識的に)人と関わることを拒否し始めて、その代わりに「父よ、私の関係のここに現れている真理は何ですか。父よ、(聖なる関係とは関係無い)幻想に基づく私のマインドのマスターベーションによって邪魔されることなく、私が他者の必要に敏感に成れるよう助けて下さい。他者の為に存在出来るように助けて下さい。私の同胞/パートナーとどのようにして一緒に居るべきか教えて下さい。私の同胞/パートナーに対するあなたの体験を私に分け与えてください。」と言ったなら、その時あなたは「{創造の}動き」と関わっているのです。

[Its source has been removed, and so it can be cherished but a little while before it vanishes. Only the habit of LOOKING for it still remains.]
[その源は取り除かれており、だからそれ(罪)が愛でられるのは、それが消え去るまでのあと少しだけです。それ(罪)を見つけようとする癖だけが未だ残っているのです。]

あなたは罪を見つけようと捜し求めるのです。
しかしもうそこには「罪を作ったり引き起こそうとしたりする決意(コミットメント)」は見当たらないのです。
そしてこれはあたかも自分が目的を失ってしまったような倦怠感をあなたに与えるかもしれません。
しかしあなたがそのように感じるのは、あなたの今までの性癖があなたを攻撃しているからなのです。

[And yet you look with Heaven's smile upon your lips, and Heaven's blessing on your sight. You will not see it long.]
[しかしあなたは天国のスマイルと共に{それ}を見ており、天国の祝福をあなたの視界の中に入れてそれを見ています。あなたはそれ(あなたの視界/罪)を長くは見ません。]

あなたが見つけようとしているもの{罪}は、もう長くは見続けられないでしょう。

[For in the new perception, the mind corrects it when it seems to be seen, and it becomes invisible. And errors are quickly recognized and quickly given to correction, to be healed, not hidden.]
[何故なら新しい知覚の中では、それ(罪)が見えているように思われている時、マインドがそれを{エラーとして}修正し、それ(罪)は見えなくなるのだから。そしてエラーは直ぐに認識され(隠す為ではなく、癒やす為に)直ぐに修正に渡されます。]

解りますか? あなた達全員はこの動きに対して関わって行くべきなのです。
そしてこれが目覚めを促進する動きなのです。
この動きが「物理的世界/宇宙から天国へと知覚がシフトされて行くこと」を推進するのです。 あなた達が見続けて来たものは実際には初めから天国で、あなた達はそれを誤解釈して来たのです。

[You will be healed of sin and all its ravages the instant that you give it no power over each other. And you will help each other overcome mistakes by joyously releasing one another from the belief in sin.]
[あなた達がお互いを縛り付けている罪へ力を与えるのを止めた途端(お互いに対して罪の力を与え合うことを止めた途端)「あなた」は罪とその全ての破壊から癒やされます。そしてお互いを罪の信念から喜んで解放することにより間違いを克服するよう、あなた達はお互いを助けるのです。]

私はこれと関わり合って、あなた達を罪の信念から解き放とうとしているのです。

さて、あなたはこの数週間難しい体験をしていたかも知れません。
好きではないことにあなたは自分の注意を与えなくてはならなかったかもしれません。
これ程の注意/意識を{関係に、他者に}与えることは好きではなかったかもしれません。
でもやり続けて下さい。
何故ならこれが「コース」が照らし出し引き出そうとしている{変化の}狭間なのだから。
あなたの選択によって(本来あなたの中に存在する唯一のマインドである)父のマインドがあなたの中に入って来て、あなたのマインドが変容されることにより、光明が起こるのです。

真理とは素晴らしいものです。
真理が体現される場所に成ってください。真理が表現される場所に成ってください。
そして「あなたの兄弟姉妹が(頭の中に詰まっている肉によって意識を起こしている)体である」という概念を手放しなさい。
人々を見て「彼等の肉体が表現しているものだけが彼等の全てなのだ」と考えるのは止めなさい。
彼等の生い立ち故に、彼等がその性癖を破ることは出来ないと決め付けるのは止めなさい。
兄弟姉妹に対するそのような定義(限定的見方)はリアルに見えることでしょう、「あなたと兄弟姉妹が神の子であり、神の目を通して兄弟姉妹の真実を見つけるべきであること」をあなたが忘れていた場合。
しかしあなたの兄弟姉妹は、父の意志の見える様子触れる様子であり、その実体はスピリット(霊)であり、だから彼等が肉の中に蓄えられた条件反射であることは不可能なのです。

あなたは{罪に}縛られていない神の子の全てなのです。


Chapter 19 – Section: THE UNREALITY OF SIN
Sparkly Book – p.456, 2nd Full Par. / JCIM – p.191, 1st Full Par., Line 2 / CIMS – p.384, Par. 30, Line 3
First Edition – p. 377, 2nd Full Par. Line 4 / Second Edition – p.405, Par. 5, Line 5



寺本さんから寄付を頂きました。 大変ありがとうございます。 (岡上)


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ACIM12-09-08

今回もACIMのテキストは読みません。

わたし達は二つのステップに関して命令形で話して来ました。
「二つのステップを実践する必要があります、二つのステップをしなくてはいけません」と言って来ました。
「決意と努力をもってこれ(二つのステップ/聖なる瞬間)を実践していかなくては目覚めは起こらない」と言って来ました。 そしてこれは基本的にシンプルなことであると解説して来ました。

しかし聖なる瞬間を成功させる為にはもう一つ必要なことがあります。
それは人と関わり合うこと(関係を持つこと)です。
聖なる関係を持つことが聖なる瞬間を可能にするのです。
これが全てをクリアにするシンプルなことです。
聖なる関係とは「聖霊と繋がりながらあなたが兄弟姉妹と係わっている関係」なのです。

あなたは、兄弟姉妹から(兄弟姉妹の言動や行動から)関係の内実(情報)を集めるのではなく、聖霊と繋がって聖霊から「兄弟姉妹との関係の真理」を受け取り理解するべきなのです。
そして聖霊との関わり合いを元に兄弟姉妹と関係するべきなのです。(そうすることが聖なる関係なのです。)
この実践により、聖霊の視点が「あなたと兄弟姉妹の関係の全ての側面」に対してバランスと安定と誠実(統合)の要素を持ち込むように成り、兄弟姉妹とあなたの関係が常に祝福され常に満たされるように成るのです。
これはどういう意味でしょうか? 上記は実際的には何を意味しているのでしょうか?

例え話で説明します。
四歳児が両親からパズルを与えられました。 パズルの前後にはそれぞれ絵が描かれていて、そのパズルを解いたなら、前部にはシンプルな人の絵が、後部には世界の絵が現れるのです。
パズルを与えられた男の子は喜び勇んでこれに取り組み、両親は「これで一安心暫く静かにしているだろう」と考えて他のことをしていました。
しかし一分以内にこの子は駆け戻って来て、「見て、見て、出来たよ!」と叫びました。 
そのパズルは確かにパーフェクトに完成していました。
「どうやってこれを完成させたの?」と両親が尋ねると、彼は「簡単だよ。私の人が正しい時、私の世界が正しいんだ!」と言いました。 {人を正しく完成させたなら、それに伴って世界も完成するのだ。}

これはとても根本的なポイントです。
そしてこれは次のように言い換えることも出来ます。
『あなたの関係が正しい時、あなたの世界が正しく成っているのです。』
現時点ではあなた達の世界は色んな意味で混乱しています。あなた達の世界は滅茶苦茶で、インスピレーションと同時に問題/混乱も起こっています。
そして現状では{あなた達が受け取っている}インスピレーションが問題に上手く対応していないのです。
『「問題/不調和を上手く解決すること」をインスピレーションがもたらし、問題が解決で置き換えられること』が十分に起こってはいないのです。

そして、あなた達の多くは今年の12月21日にマヤの暦が終ることを知っています。
これは何らかの終わりと始まり(敷居)を示しています。
しかしこの敷居はハルマゲドンや破壊や全ての終焉には成りません。
あなたは世界を見て「どうして目覚めが起こり得るだろう? どうしたら目覚めが可能なのだろう。世界がこれ程短期間に変容するようなことが、一体全体どのようにして可能なのだろうか?」と考えてはいないでしょうか?
あなたがそのように不思議がるのは「あなた自身がどのような役割を担っているか」まだ気付いていないからです。

あなたはイベント(出来事)があなたの上に起こること(あなたの為に起こること)を待っているのでしょうか?
あなたは全ての人々が変化に飲み込まれることを待っているのでしょうか?
それともあなたは自分自身が変化に成らなくては(変革の使者に成らなくては)いけないことに気付いているでしょうか?
聖なる関係内で聖なる瞬間を実践することは変化をもたらす方法であって、それはあなた自身が変化に成る方法であることを、あなたは気付いているでしょうか?

関係とは面倒な厄介なものです。関係はグチャグチャに見え、それは注意と関与を必要とするものです。
もし世界が(人が)金融プロセスやビジネスオペレーションや投資などの外的操作によって問題を解決しようとしたなら、その結果はとて居心地悪い(不快な)ことになるでしょう。
だからあなた自身の中で{聖霊/神との}関係を明確に築くことなく外部要素を操作しようとするべきではないのです。
あなた自身の中で{聖霊/神との}関係を明確に築くことなくビジネスや社会改革をしようとするべきでないのです。
何故なら{聖なる}関係の上に全てが行なわれていなかったなら、全ては博愛を欠いた行為になってしまうからです。
世界の中で有意義な変化が起こることを見ようと欲するなら、時間の掛かる面倒な関係に対してあなたの注意を与える必要があるのです。
解決を知りたいと求めて、成就に成ることを知りたいと願って、何が人のファミリーを祝福することになるか知りたいと願いながら、あなたの注意を関係に与える必要があるのです。

だからあなた達はファミリーから始めるべきなのです。{だからあなた達は自分達の家族の必要と対峙することから始めるべきなのです。}
「でも、もし私の関係(私の家族)を祝福することに時間を使ってしまったなら、私の家族を成功(お金/経済力)で祝福することが出来なく成ってしまう」 とあなたは考えていますか?
それは罠のような考えです。
それは真実ではなく、このようにして(家族を祝福することを後回しにして)あなたの求めている成功に到達することは出来ないのです。 その場合あなたは成就を得られず、あなたは祝福を得られないのです。

関係の中であなたがあなた自身だけで成功することは出来ないのです。
世界を変化で祝福する成功をあなたが求めているなら、あなたは「あなたの関係」の為に成功を求める必要があるのです。 あなたは「あなたと関係を持っている人達」の為に成功を求める必要があるのです。
{その場合}「あなたと関係を持っている人達」をあなたは愛しているので、あなたが彼等に与える全てのものは博愛(慈愛)になるのです。
「あなたと関係している人」に対するあなたの愛故に「博愛(人への愛)が人生を意味深くするのだ」とあなたは知るのです。
だから目覚める為に、あなたは聖なる関係の中で人と繋がる必要があるのです。

「目覚めることは自分の世界が変わることを意味していない」とあなたが考えているなら、あなたは変革を理解しておらず、変革に対してあなたがどのような役目を担っているか理解しておらず、自分の役割を理解していないのです。
あなたは変化を求めています。
そしてあなたが変化を求めているなら、あなた自身が変化に成らなくてはいけないのです。
あなたが変化に成るためには、あなたは新しい在り方(やり方)に成る必要があるのです。

すると人々は{あなたの周りの人々も、世界中の人々も}自分達の成功(自分勝手な成功)を捜し求めてその成功で自分のパートナーを祝福しようとはしなくなるのです。

先ず初めにあなたは{聖霊/神と向き合いながら}パートナーと関わり合いコミュニケーションを持ち兄弟愛を持ち、「自分が行なう全てのことがファミリーの利益と成らなくてはならない」という意識的気付きに対してあなたが調和する様に成るのです。

すると「博愛(人類愛)を反映していないことが政府によってなされること」も無くなるのです。
何故ならその時あなたはもう{分離した}世界の中での成功を捜し求めておらず、従って「全ての人達が自分達の関係を放棄して{分離した}成功を捜し求めている状況」を世界が反映しなくなるのだから。
{成功への}決意/関与がされている時「関係にとって本当に意味のあること」が(失われてしまわずに)マインド内に意識的に保たれているように成ったなら、それが博愛への決意として体現(表現/体験)させることに成るのです。

あなたは自分の関係を無視するべきではないのです。
そして自分のパートナーや同胞と繋がれるように、宇宙的知性と繋がることが出来るように、聖霊から神の視点が受け取れるように、二つのステップと聖なる関係を(無視することなく)実践するべきなのです。

さて関係の中に博愛が広がることを確実にする要素は何でしょうか?
それは必要(あなたの体験内で、そしてあなたの兄弟の体験内で、必要とされているもの)です。
あなたの兄弟は何を必要としているのでしょうか?
あなたが表面的な関係しか持っていなかったなら、あなたと関係を持っている人に時間と気遣いを与え「何がそこに必要か?」聖霊に対して訊ね聞いて、何を分け与え拡張し(差し出し)体現するべきか知っていなかったなら、あなたには兄弟の必要は認識出来ません{兄弟が何を本当に必要としているかあなたには解らないでしょう}。

これがどれだけ重要なことか解りますか?
聖なる瞬間を実践して廻って、二つのステップをして歩いて、宇宙の中の様々なことに対する真理を知って納得しているだけでは駄目なのです。
そのようなことをしているだけでは駄目なのです。そのようなことが要点ではないのです。

確かに「あなたの見ている全てのことの中に神が存在していること(あなたの見ていることの中に神がどのように成立しているか)」をより多く(より明晰に)認識出来るように成るべきです。
しかし「独立を放棄しようという動機」がそこには最低限必要なのです。
{分離的}自己探求の放棄が必要なのです。 「あなたの兄弟の良きことの犠牲の上に成功を求めること」を放棄する必要があるのです。
あなたのパートナーや家族や関係者を犠牲にして豊かさを求めることを放棄する必要があるのです。{あなたがそれらのことを完全に放棄したなら、あなたの世界もそれらのことを放棄するのです。訳注}

これはとてもハッキリとしたことです。
そして解決もハッキリしており、シンプルに理解出来るものなのです。
だからそれ(聖なる関係/聖なる瞬間/二つのステップ)はあなたを成功の方向に向けるのですが、それはあなたを関わり合いの方向に向けるのです。もしかしたら自分勝手なあなたがまだ望んではいない関わり合い(関係)の方向にあなたを向けるのです。
もしかしたらあなたはまだ「成功に対するあなたの祖先のアイディア/概念」を保っているかもしれません。「世界の中でどのように成功を達成するべきか」あなたの両親が示した考えをあなたはまだ持っているかもしれません。
しかしそれら(分離的成功のアイディア)はあなたの関係(あなたの聖なる関係)が全てを統治することを許可しません。 
しかし「あなたの関係の必要(あなたが関係している人達が本当に必要としていること)」が「あなたが成功を求める方法」を統治するように成るべきなのです。

あなた達は自分達の祖先の概念や信念を保ち続けるべきでは無いのです。
あなたは常に二つのステップ(聖なる瞬間)を実践し続けて「何が真理か?」神に訊ね続けるべきなのです。
それは何故でしょう?
何故なら、あなたは富の蓄積や世界の中の成功よりも愛の方が重要に成るようにさせたのだから{そう成るべきなのだから}。 

+++++++
ここで翻訳を一旦止めて私に話をさせなさい。
私はイエスに話しかけていたものです。
私はイエスと一体に成っていたものです。
私はポールに話しかけているものです。
しかし厳密には私はポールではありません。
私は厳密にはイエスではありません。

しかし私はキリストで、私はあなたなのです。
あなたが(ポールが言っていることと行なっていることの)矛盾故に苦しんできたことを私は知っています。 私はあなたを全て知っているのだから。
「ポールが私を理解していない、私を使ってしまっている」というあなたの意見がアメリカの人に「それは愛のない意見にしか思えない!」と言われてしまい、あなたはやる気を失ってしまいました。 私に訊ね聞いた答えを彼女に伝えた筈なのに、プライバシーの放棄という私の解決を手渡したはずなのに、翻訳も行い、過去には寄付をし、寄付を他者にも呼びかけ、しかしお金に関するNWFFACIMの言い分が(ACIMとも私の話とも)矛盾している故に苦しんだ、
なのに「何故自分が、愛のないものと言われなくてはいけないのか?」というあなたの気持ちを私は無視してはいません。

でもあなたは他者を助けることにより真実に届くのです。
だからこの文章を翻訳することは悪いことではありません。
そしてあなたの翻訳した文章が「発言元の行動と食い違っている」と感じたなら、これらの文章が上辺だけの空虚な約束と感じたなら、私に訊ねなさい。私に行動させなさい。そしてその行動の結果誰かに嫌われたとしてもあなたは困りません。
あなたと彼は補完関係にあるのです。 
「他者との関わり合いの中であなたは私をより多くを発見することが出来る。」これがまだ十分あなたが体験していないことです。 だからあなたはまだこれを翻訳しているのです。

お金に関してはあなたは以前よりも自由です。それはあなたがあまりお金にこだわらなくなったからです。
あなたに対する他の人の評価にもこだわらなく成ってください。
私の伝えた真実を言うためにあなたは長いこと待っていた、
だからあなたは要点を簡潔に言ってすぐに理解してもらいたいのですが、他の人にはあなたの言葉の背景(文脈)が理解出来無いのです。
自分がどのように神と対峙しており神と対話しているか(全ての人達が既に神と対話しており神と対峙しています)まだ理解出来ていない人も多いのです。

あなたはポールの了見の狭さにかなり失望したでしょう。しかしそれはあなたがポールの中に私を見ることの障害には成らなかった。
そして「彼の了見が狭い(明確な理由を上げずに自分の経済状況の心配ばかり他者にさせている、基本的必要を超えた要求を行なっている)」と英語で書いてNWFFACIMのWEBに書いたなら、また反発されるかもしれませんね。 「あなたの言う意味が解らない。あなたの本当の真意は何なのか? あなたは彼を誹謗/批判したいだけなのか?あなたこそ操りを行なっているのではないか? 」
何故ならあなたは細部を言いたがらないから。「彼はイエスを使っている」という気付きだけを言ってそれ以上は言いたがらない。
イエスと呼ばれていた者の話をしましょう。 彼は非常に短気だった。あなたよりも遥かに短気な男だった。 
そして間違っていることに対して彼は容赦しなかった。
あなたも間違っていることに対して容赦してはいけないのです。
まだ英語で書くことが出来ないなら必要な時間を掛けなさい。
+++++++++++++++

そうして世界の中でのあなたの行動に博愛(人類愛)が注入されるのです。愛がそれをするのです。

今世界は狭間(敷居)の前に立っています。 世界は変化の真っ只中に居ます。
そして『外部要素をより上手くコントロールする必要があるから、シンプルな必要に対して注意を与え続けて「人々の必要をシンプルに満たそうとする意図」を持って世界に安定をもたらすステップを行なうことは出来ない、そのような時間的余裕は無い』と言ってしまう誘惑が示されているのです。
しかし世界の中で行なわれたことは、人類の為に(全人類の上に)行なわれており、それは全ての人達が参加している関係の為に(全ての関係の上に)行なわれているのです。

もし世界の各国がこれ(人々の必要を満たそうとすること)を国内でそして国外に対して体現していなかったなら、「人として生きることの基本的価値」に世界中の人々が注意を与えていなかったなら、人の必要を満たすことに注意を払っていなかったなら、人の必要を満たすことを最優先して人の必要を満たすために全てを行なおうとしなかったなら、その場合あなた達は以前よりも一層大きな要求に直面することに成るでしょう。
{その場合あなた達は、より一層激しく必要を満たすよう訴え掛けてくる要求に直面することです。}

あなたはそれ{必要の要求、必要を満たすこと}から抜け出られる訳ではないのです。
{必要は満たされるべきなのです。}

言ってみれば、今より大きく育つべき時なのです。
「人の生活上の必要を満たすことよりも偉大なことを成し遂げようとばかりすること」の幼稚さから抜け出て大人になるべき時なのです
シンプルな人の人生/生活は(そこには多くの間違った信念があるのですが、それでもそれは)神の子が父の意志を表現し体現していることなのだから。
そして{人の人生/生活の}これら全てが天国と呼ばれているのです。 そしてこれは個人レベルでは神の子と呼ばれているのです。

人の必要が明確に現れている場所をあなたが見ていなかったなら、そして人の必要に直面した時「人々の必要を祝福し満たすことだけをしようという決意」をあなたが自分の中から引き出していなかったなら、
その場合あなたは要点を取り逃がしているのです。その時あなたは取り逃がすべきではない要点を取り逃がしているのです。

しかし愛故に、あなたの毎日の生活の中の全てのやり取り(関わり合い)において、あなたの全ての人間関係において、それらを{聖なる瞬間の}チャンスと捉えて、「人の生活を向上させる以外のこと」には参加しなくなったなら、
その時あなたは「あなたの隣人をあなた自身として愛すること以上に重要なことがあるという一般的な間違い」を続けることを拒否しているので、そうすることによってあなたは変革の使徒に成れるのです。

「あなた自身に信任/権威と富を集める為に世界の中を操作しようとすること」から来るエゴ的興奮を求めるよりも、時間を掛けてあなたの兄弟姉妹を愛することの方がより重要だと選択することによって{あなたは変化に成れるのです}。
あなた自身に信頼や富を{あなたの権威の下に独自に}集めることは、人々が必要としている物や事を与えることとは無関係で、富や権威を作ることは人の必要から発生していることではなく、「人が必要としているものを満たす価値{人が必要としているもの}」を現してもいないのだから。

政府というものがあり...確かに政府は往々にして「人々が何を必要としているか理解していない者達(人のファミリーが抱えている人間的必要への理解を欠いている者達)」によって動かされています。
しかし自分のマインドをどのように使うか意識的に選択している人達の方が、「あなた達を不適切に統治しようとしている人達」よりも多いのです。
これを忘れないでください。

あなたが毎日聖なる瞬間を実践して同胞との面倒臭い関係にもあえて関わることにより、「基本的に間違った知覚認識への関わり合いと信心」へのあなたの投資/関与が引き抜かれ、それによって相互合意が弱まるのです。


「父よ、ここの真理は何ですか?」とあなたがあえて言ったことにより新しいインプット(新しい発動)が起こるのです。
「父よ、あそこの、ここの、そちらの真理は何ですか?」と単に訊ねて回るのではなく、「私が毎日関わっている人達と私とのここにある関係の真理は何ですか?」と訊ねるのです。
『「愛が沸き起こり人々の必要を満たすこと」を世界の中で体現し行動し続けること』によりあなたは変化に成るのです。
このようにしてあなた達は「あなたの人を正しくすることにより、あなたの世界を正しくする」のです。

「兄弟姉妹と関わり合うこと」や「あなたの関係とその成就(関係が成功へと導かれること)が一番大事なのだという信念/アイディア」を{成功への}邪魔と考えてしまうのは止めなさい。
そのように(兄弟姉妹との関係を一番大事なものとして)振舞うことで「世界の中であなたが成功するチャンス」が破壊されてしまうと信じるのは止めなさい。
「そのような行動(兄弟愛に満ちた行動)はあなたが偉大に成るチャンスをダメにしてしまう、だからそれは避けるべきだ」と考えるのは止めなさい。

兄弟姉妹共同体の中では、人のファミリー(全人類)が偉大であるべきなのです。何故なら人のファミリーに関する全てが真理を体現しているのだから。
私は行動を呼び掛けているのです。人への愛が、兄弟姉妹への愛が、本当に一番最初に来て(一番大切なものに成って)、それが「あなたが全てを行なう基本的動機」と成るように。

今まであなたの注意/意識が間違った場所に与えられていた故にあなたが誤知覚/誤認識していた天国の目覚めは、あなたが今現在既にその中に居る天国の目覚めは、聖なる関係の中での聖なる瞬間の実践を通して顕されるのです。

もう一度シンプルに言いましょう。

世界のあらゆる問題に対する解決は、世界中に現れている様々な問題への答えは、「富の蓄積/創造」から「愛の体現{愛を行動すること}」へと意図/意識をシフトすることなのです。 そして人の行為を通して、全てをより調和した聖なる顕在化(明示化)へとシフトさせるのです。 {そして人の行為を通して、より調和した現実を顕わにさせるのです。}

今さまざまな関係をリブートする{一から始め直す}べき時なのです。
自分達は人間でしかないと考えている神の子供達が相互合意に基づいて開発して来たオペレーティング・システム(行動理念)。 これをオフにするべき時なのです。
「愛が自然ではなく、競争が自然なことで、他者の犠牲(失敗)の上に自分の成功が築かれている」と考えている神の子達が作り上げて来た相互合意というオペレーティング・システムは捨て去るべきなのです。

これが良き知らせなのです。
あなたはマインドのお喋りを閉じて、現在{あなたのマインド内で}働いている(そして間違った基盤/前提の上に築かれており、もう壊れかけている)オペレーティング・システムをオフにして、「父よ、ここの真理は何ですか?」と言うのです。
あなたの同胞に対してそう言って(あなたの同胞の分離的見方を受け入れて)新しい相互合意を作り上げるのではなく、父に対してそう言うのです{父に真理を訊ねてそれを受け取るのです}。
{ここの真理は何ですか?}そう言ってあなたは新しいオペレーティング・システムで自分を立ち上げ直すのです。
しかしこれは原初の(より根源的な、あなた本来の)オペレーティング・システムなのです。
これが答えです。

あなたの必要に注意を与えなさい、あなたのパートナーの必要に注意を与えなさい。あなたの家族の必要に注意を与えなさい。
「天国」とそして「あなた達という神の子」が顕れる準備を整えなさい。そうしたなら物事は本当に違うように成ります。
私がチャレンジ(問題)を提示していて、それをあなた達が解決しなくてはならないものとするのではなく、この機会に「違いをもたらす一つのこと」が出来るように成ってください。 時間をとらない一つのことを行なってください。
神と共にある人が多数派なのです。{神と共にある人が有効なのです。}
+++++++++++++

この文章内の「人の基本的必要、Basic Human Needs」とは、安心して生きるために本当に必要なこと、食べたり休んだり病を治したりすることなど、そして愛/神に基づいて兄弟姉妹と平和な関係を築くことです。


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Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

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