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ACIM12-09-23

2012-09-23


聖なる瞬間/二つのステップに関して「難しいこと、困難なことをしなさい」と私が言っているように聞えたかもしれませんが、違います
あなたが父か聖霊(ガイド)に注意/意識を与えて訊ねたなら、瞬時に必ず反応が得られるのです。
自分一人だけでこの行為(聖なる瞬間)をしようとしていると考えないで下さい。
不可能なことを自分が試みているのだとは決して思わないで下さい。
そのような考えは真実ではないのだから。
聖霊とガイドと父は常にあなたに注意を注いでいるのだから。聖霊/ガイド/父は常にその注意の中にあなたを抱いているのだから。

全ての人々は天国の中に居て、しかし天国を見ていないのです。 
何故なら人々はその目(知覚)を閉じていて、「パーフェクション(完璧な状態)が自分達には見えない」と嘆いているのだから。
これはあなた達が芝生の上に寝ているような状態(どのような夢を見ているにしろ実際には安楽な状態)なのです。

そして「わたし達」はそれを(芝生に寝ているあなた達を)見ているのです。
わたし達は兆しを待ち続けているのです。
あなた達が自分の意識/注意を夢の縁まで持って来ることを。
そしてあなた達が少しでも夢に夢中になることを止めて、わたし達に注意を与え始めた途端、より一層の目覚めの為にわたし達が応答する(あなた達に答える)のです。
あなたは常に「自分が注目を受けているフィーリング」を持っているべきなのです。
「(あなたの意識が変容することをサポートしようとしている)永遠の愛」の中で抱擁されている気持ちを持っているべきなのです。

あなたは愛されているのです。
そしてあなたが自分のジレンマ(葛藤)に夢中に成り続けることを手放し、物事に対する現在の自分の知覚/認識を手放した途端に{父/聖霊/ガイドから}あなたへの対応/返答が得られるのです。
だからあなたが「聖なる瞬間/二つのステップ」を実践しているその時、あなたのガイド/聖霊/父もあなたに答えようとして「(聖なるコミュニケーションをブロックしている)幻想とリアリティの狭間」の反対側からあなたに手を伸ばしているのです。 
(これが知識的な理解でしかなかったとしても、それでもこれを知っていることは有益なのです。)

{聖なる瞬間への}あなたの試みは決して単独の行為ではないのです。
このことを知り、これを事実として抱擁してください。 
そしてあなたが{父/ガイド/聖霊に対して}意識を差し伸ばした時、(あなたに捧げられている、あなたの目覚めに捧げられている)永遠の愛を持った「誰か」があなたに意識を差し伸ばしていること(あなたに注意を注いでいること)が解るように成ってください。
あなたがこれを知っていることが重要なのです。
私が上記を述べているのは、これから読むテキストをより解り易くする為です。

[In the holy instant, you will see the smile of Heaven shining on BOTH of you . . . ]

[聖なる瞬間の中であなたは天国のスマイルがあなた達両者の上に輝いていることを見るのです。]

「あなた達両者の上に」とは『「あなた」とそして「あなたと関係を持っている人」の上に』という意味です。
それはあなたが彼/彼女の為に{兄弟姉妹へのあなたの愛故に}「あなたの彼/彼女に対する定義」を手放そうとしている「関係」です。
と同時にその時あなたは「彼自身に対する彼の定義」も手放しているのです。
(あなたの卑小なマインドではなく)源から「あなた自身とあなたの同胞に対する情報」を得ようとする意図を持って「(これが自分だとあなたが考えている)空想上のあなた自身」を超えて伸び出すのです{あなたの意識をその外まで伸ばし出すのです}。
あなたがこれ(二つのステップ)を行なっていてインスピレーションの流入を体験している時、兄弟姉妹に対する真理をあなたが体験している時(兄弟姉妹に対する真理をあなたが見ている時)、あなたは天国のスマイルを感じるのです。
これ以外には表現しようがありません。

私と一番最初に会話を行なう少し前にポールは光(光明)を体験しています。
その時彼は裕福な友達の豪奢な家に居ました。
そのリビングルームには美しい植毛紙(ファンシーで高価な壁紙)が貼ってありました。
そして全ての調度品も同じ位美しいものでした。
すると突然「それまで彼が受け入れてきた定義群」が溶け去ったのです。
その部屋の中が変化したのではなく、部屋に対する彼の知覚が変化したのです。

壁と壁紙そして部屋の中のその他全てが生きていることに彼は突然気づきました。
それは言わば定位置の流動状態に在ったのです。
それは生きていて、アクティブに壁紙だったり家具だったり(ポールと壁や家具の間の)空間だったりして、それは全て生きており、その実体(Substance/構成要素)は愛だったのです。
壁紙や植毛やデザインや、それら全ての実体は愛だったのです。
そして全てが彼を愛していたのです。
彼は(物体としてではなく)スピリットとして実体(substance)を体験していたので。

私がこの話をしている理由は、
『「父よ、(あるいは聖霊よ、)ここの真実は何ですか?」と言った時自分は(真実の体験ではなく)知的な説明を得るだろう』とあなたが考えてしまっているからです{そうではないと示す為に私は上記の話を説明しているのです}。
「ここの真実は何ですか?」と訊ね聞いている時、それに対する答えが説明として現れるのではなく、「意味」の体験として現れることが期待出来るように{私は上記の話を述べていたのです}。

上記の体験をする前にポールが「父よ、この壁紙の真理は何ですか?」と言っていたなら、ポールは「壁紙のデザインや素材や製造過程に関する答え」を期待してしまったかもしれません。

しかし「この壁紙に対する真実は何ですか?」に対する答えは「それはあなたを愛している生きた愛です」なのです。
この体験をしている時、ポールは自分を愛していて、そして壁紙をそして全てのものを愛していたのです。
だからこれは言わば、相互に愛を与え合い受け取り合うこと(愛の共有)だったのです。

だから{あなたが神に真理を訊ね聞いている時}、物体に対する真理の説明を探そうとするのは止めなさい。
「私のパートナーに関する真理は何ですか? この子の真理は何ですか? しおれかけているこの植物の真理は何ですか?」とあなたが訊ねている時、その説明が受け取れるのだろうと考えるのは止めなさい。
{あなたが受け取る}真理は「意味/意図」なのです。

{質問を訊ねている}その時もしあなたが説明を求めてしまったなら、あなたは真理の答えを見過ごしてしまうかもしれません。
「真理がどのような形で現れるか自分は既に知っている」と考えてしまうのは止めなさい。
しかしそこには(あなたが受け取る答えには)常に意味(意図)を体験することが含まれているのです。

『壁紙やその部屋の全てのものの「意味」が愛であるだけでなく、それらは全てポールを愛している「愛」であって、全てがポールを意識していたことを、全ては「固まった物質的物体」ではなく生きている愛のアクティブな交換(コミュニケーション)であること』をポールはそれまで知っていませんでした。
どのように彼が考えたなら、これ(愛)が体験出来たというのでしょうか?
「ここの真理は何ですか?」と人が尋ねた時、このような答えが得られると誰が考えられたでしょう?
解りますか? {つまり説明を期待していたなら、このような体験(意味の体験)は得られない可能性が高いのです。}

父は自身を無限の意味(意図)として表現します。
そしてあなたは、何かに対する意味(定義)を理解するのではなく、「意味/意図」の直接体験を求めるべきなのです。 
必要ならその体験の説明を後で言葉にすることも可能でしょう。{しかし説明は体験そのものではありません。}

あなたは「意味/意図」を体験したので、あなたは真理を体験したのです。
そして真理の体験をすることにより、壁紙とあなたの両方があなた自身を理解していることをあなたは理解するのです。
あなたと壁紙は「愛の動き」で、それらが互いに愛を受け取り与えている(愛を表明し、愛を認識している)のです(体験の中でこれが理解されるのです)。
これが本当の全体/健全であって、これは天国のスマイルとも呼べるものなのです。
下記を読み進むにあたって、上記を考慮してください。

[In the holy instant, you will see the smile the smile of Heaven shining on BOTH of you. And you will shine upon each other, in glad acknowledgment of the grace that has been given you.]

[聖なる瞬間の中であなたは天国のスマイルがあなた達両者の上に輝いていることを見るのです。そしてあなたはあなた達に与えられた恩寵を嬉しく認めて、お互いに対して輝き笑うのです。]

天国のスマイルを体験することによって、あなたは天国の意味を感じるのです。
聖なる瞬間を通してあなたが手を伸ばしている時(人間的状況を超えて意識を神に届けている時)、あなたはあなた自身だけで手を伸ばしているのではありません。
あなたが手を伸ばしている時、(あなたの繋がりを完成させる為に)聖霊/ガイドがあなたに向かってその手を伸ばしているのです。
これはお互いが相互に(あなたと聖霊が同時に)働きかけることなのです。

[For sin will not prevail against a union Heaven has smiled upon.]

[何故なら、罪は「天国が微笑みかけた連合(繋がり)」には打ち勝てないのだから。]

天国の微笑みを体験している時、全ての実体が愛に成っている体験をしている時、「あなたが神の直接表現に成っている体験内」に罪が入り込む余地はありません。
何故なら「あなただけで物事のリアリティを想像し、それ(あなたが想像したリアリティ)を作り上げ、それを真理にさせようとする願望」は{あなたが天国の反応を体験している}そこにはもう存在していないのだから。
天国のスマイルの体験内では、全ての実体が体験に成っている体験内では、全てが神の直接表現に成っている体験内では、そこには罪が生まれる余裕は全く無いのです。
「あなた自身だけで物事が何か(何がリアルか)想像しようとして、それを作り上げそれを真実にしようとする願望」はそこには存在していないのです。

罪は天国には打ち勝てないのです。
あなたが意味を体験している時、架空の自分を{作り上げて}成り立たせ続けようとする必要は終っているのです。
その時あなたが{体験そのものではなく}解説/説明を捜し求めてしまったなら、あなたは意味(意味深い体験)を取り逃がしてしまうから、だから私はこの説明をしているのです。
もしあなたが「意味」を取り逃がさなかったなら、その時あなたは説明を必要としてはおらず、その体験を他者に説明する為の説明は後日必要になるだけなのです{体験中は説明は不必要なのです}。

{リアリティを体験する上で}説明が重要でないことが理解出来たでしょうか?
あなたは新しい説明を必要とする体験を求めているのです、あるいは、あなたは全く説明を必要としていない体験を求めているのです。
何故なら、{あなたが聖なる関係を体験している時}「あなたという存在そのもの」が「あなたと関係している人」に対して「意味」をコミュニケート(伝達)しているのだから。

[For] sin will not prevail against a union Heaven has smiled upon. Your perception was healed in the holy instant Heaven gave you.]

[何故なら罪は天国が微笑みかけた連合(繋がり)には打ち勝てないのだから。あなた達の知覚は天国があなたに与えた聖なる瞬間の中で癒やされたのです。]

天がポールに与えた聖なる瞬間の中で「ポールの壁紙に対する知覚」が癒やされたのです。
そしてポールがこの体験をしている間、これ以外の理解も起こっていました。
その理解とは「もしこの美しい家の壁に油紙が貼ってあったとしても、依然としてこの家は美しかっただろう」ということです。
その実体は彼を愛している愛なので、{例えこの家が油紙で覆われていたとしても}同じインパクトを持っていたでしょう(ポールは同等の体験をしたでしょう)。
聖なる愛が彼を愛しており、彼以外の全てのものも彼を愛していたのです。

だからどのようなマテリアル(材料)でも、どのようなデザインでも良かったのです。
何故なら、全ての実体(構成物)は聖なる愛なのだから。
だから{この体験を通してポールの}美の定義が変化したのです。
愛の目を通して壁紙を眺めている時、そしてその壁紙の実体が愛であると認識されている時、簡素な壁紙もまた非常に美しいのです。

だから{ファンシーな}植毛紙の方が油紙よりも好ましい訳ではないのです。
どちらもあらゆる目的で使用可能だし、どちらを使ったとしても神のギフトの豊かさは存在しているのです。 何故ならその時あなたはもはや定義を見てはいないのだから。
{聖なる瞬間の中に居る}その時あなたは愛が表現されている衝動の(神の現れの)意味を見ているのです。

あなたがこの体験をしている時、

[Forget what you have seen, and raise your eyes in faith to what you NOW can see.]

[あなた達が今までに見て来たことは忘れなさい。そして信心の中で瞼を上げて今あなた達に見えるものを見なさい。]

この体験が起こっている瞬間には、この体験をすること以外にはあなたは他のどのような興味も(体験を説明したりする興味も)持たないのです。
しかし時間が経つに従い(例えば体験の24時間後には)昔の反応/考えを通してこのヴィジョンを振り返る必要があるように感じられてしまい、それ故に、このヴィジョンは色褪せてしまうかもしれません。

しかし、

[Forget what you have seen, and raise your eyes in faith to what you NOW can see. The barriers to Heaven will disappear before your holy sight, for you who were sightless have been given vision, and you can see.]

[あなた達が今までに見て来たことは忘れなさい。 そして信心の中で瞼を上げて今あなた達に見えるものを見なさい。あなたの聖なる視界の前で、天国へのバリアーは消え去ります。何故なら目が見えていなかったあなたにヴィジョン(視界)が与えられ、あなたは見えるようになったのだから。]

[何故なら目が見えていなかったあなたに、]
ただ壁紙でしかないものを見ていたあなたに、
[ヴィジョン(視界)が与えられ、あなたは見えるようになったのだから。]

これが重要なのです。 何故なら、これが聖なる瞬間そのものであり、その結果そのものなのだから。


[Look not for what has been removed, but for the glory that has been restored for you to see.]

[取り除かれたものを見つけようとするのではなく、あなたに見えるように修復された栄光を見つけなさい。]

あなたのヴィジョンが修復されることにより、今までそこに存在し続けて来た(しかし今まであなたには見えていなかった)栄光が修復されあなたに見えるようになるのです。
あなたが自分で作った定義群を取り下げたので、あなたのヴィジョンが修復されたのです。 
そしてあなたが定義群を取り下げられるようになったのは、「自分が作った定義群によって自分をリアルにしようとするゴール」をあなたが放棄したからです。
これはシンプルで美しいことです。

あなたを抱擁している「終わりの無い(常に存在し続けている)愛」を感じる方法は、リラックスすることです。静かに成ることです。
あなたのとても強い意識的独立的意志を放棄して、あなたの「存在」の平和の中に留まり、神の動きに譲り、あなたが動きを操作するのではなく、あなたが動かされるように成るべきなのです。
そしてこの動きは、地位や名誉や富やその他をあなた自身の手で獲得する為の関わり合いではないのです。

[Look upon your Redeemer, . .]

[あなたの救い主(救世主)を見つめて、

真理があなたの救い主です。
そこに暴き示される真理を見なさい。
そしてあなたの救い主である聖霊を見なさい。
あなたの正気であり、あなたの正しいマインドにしか過ぎない聖霊を見なさい。

[Look upon your Redeemer, and behold what He would show you in each other, . . ]

[あなたの救い主(救世主)を見つめて、彼があなた達の中に見せるものを発見しなさい。]

あなたのパートナーを見なさい。壁紙を見なさい。家具を見なさい。 そこで起こっている聖なる瞬間の中に見えるものを見ようとしなさい。
聖なる瞬間とは、あなたの注意の中で聖霊とあなたが行なう行動なのです。
それが「あなたが予測していなかったもの」をあなたにギフトとして与えるのです。
だからあなたがこのギフトを作り上げる必要はないのです。
「このギフトが何か?」あなたが計算して導き出す必要は無いのです。

それは何故でしょう?
何故なら、あなたを愛して正気に戻そうとする意図は、常に存在しており、あなたと共に働いており、あなたのマインドを新生させ変容させる目的を持ってあなたを愛しているのだから。
これはあなたがあなた一人だけでしようとしていることではありません。これはあなた一人で試みるべきことではありませ。
勿論あなたはこれに参加するべきなのです。
しかしあなたがこれを自分だけでしようとする必要は全く無いのです。

[Look upon your Redeemer, and behold what He would show you in each other, and let not sin arise again to blind your eyes.]

[あなたの救い主(救世主)を見つめて、彼があなた達の中に見せるものを発見しなさい。そして罪を再度立ち昇らせず、それ(罪)があなた達の目を眩ませないようにしなさい。]

「罪を再度立ち上がらせるのは止めなさい」とはどういう意味でしょうか?
あなた自身を独立的存在(真理ではなく想像力を使って結論を導いている孤児)として見ようとする意志を再度{あなたの意識の中に}立ち上がらせることは止めなさい、という意味です。

[. . . let that not blind your eyes [again]. For sin would keep you separate, but your Redeemer would have you look upon each other as yourself.]

[それがあなた達の目を眩ませないようにしなさい。何故なら罪があなた達を隔てており、あなたの救い主はあなた達がお互いのことを自分自身として見るようにさせようとしているのだから。]

罪(独立の試み)があなた達を分離させているのです。
植毛紙でさえも愛の体験を提供出来るなら、あなたのパートナーを見つめながら彼/彼女に対する神の意図を受け取ったならどのような体験が出来るでしょうか?
あなたが「意味(神の意図)」を感じて{その結果として}あなたの行動が変わり、あなたの存在(在り方)がそのような愛(そのような無垢、パートナーのマインド内から全てのバリアーを取り除く「あなたの自己防御の不在」)を伝えた時、あなたのパートナーは何を感じるでしょうか?
あなたの新しいヴィジョンの中で彼/彼女があなたと関わっている時、あなたの自己防御の不在が、彼/彼女のマインド内から全ての防御を取り除かせるのです。

[Your relationship is now a temple of healing; a place where all the weary ones can come and find rest. Here is the rest that waits for all, after the journey. And it is brought nearer to all by your relationship.]

[今あなた達の関係は癒やしの寺院であって。全ての疲れた人々がそこに来て安息を得るのです。ここが(旅の後で)全ての人々のために用意されている安息所なのです。そしてあなた達の関係によって、これ(安息所)が全ての人達のより近くに持って来られたのです。]

あなた達の新しい関係によって、安息が全ての人のもとに持ってこられたのです。
あなたの新しい関係の中で、パートナーや植毛紙や油紙やその他全てが愛の聖なる現われであって、その同じ愛がパートナーや植毛紙や油紙やその他全てと共有されていることがあなたの中で示されるのです。

[As this peace extends from deep inside yourselves to embrace all the Sonship and give it rest, it will encounter many obstacles. ]

[あなた達自身の奥深くからこの平和が広がって、神の子(の共同体)の全てを抱擁しそれに休息を与えている時、多くの障害が現れます。]

だから{この時点では}まだワークは終っていないのです。
しかしこれを聞いて落胆してしまわないで下さい。
体験を探求してみる必要があるんです。
「これは難しい過ぎるワークで、自分にとってナチュラルなことではない。」{とあなたは考えてしまうかもしれません。}
しかしこれはあなたにとって宇宙の中で一番ナチュラルなことなのです。神のマインド内であなたにとって一番ナチュラルなことなのです。

[As this peace extends from deep inside yourselves to embrace all the Sonship and give it rest, it will encounter many obstacles. Some of them you will try to impose.]

[あなた達自身の奥深くからこの平和が広がって、神の子(の共同体)の全てを抱擁しそれに休息を与えている時、多くの障害が現れます。その中の幾つかはあなたが(自分達に)与えようとするものです。]

時には簡単に昔の習癖の定義群や古い反応に戻って行ってしまうことでしょう。しかし{一回でも意味が体験出来たなら}壁紙の(家具の床の)リアルな意味を忘れることはもう不可能です。

[Others will seem to arise from elsewhere; from your brothers, and from various aspects of the world outside. Yet peace will gently cover them, extending past completely unhindered.]

[他の障害は、あなたの兄弟や「外」の世界の様々な要素や、その他の所から現れて見えます。しかし平和がそれらを優しく包んで、全く問題なくそれらを超えて広がります。]

(壁紙に関する)新しいヴィジョンが、あなたと「壁紙以外のあらゆるもの」との関係{聖なる関係}を可能にするのです。
あなたが予測/期待していた障害をも越えて、ヴィジョンは全て(壁紙)を越えて差し伸ばされて行くのです。
この体験は、確実に安堵/安心をもたらし、「何が真理か」訊ね続けるインスピレーションをあなたに与えます。 そこに真理が在り、その聖なる意味/意図の体験が開かれているのです。

[The extension of the Holy Spirit's purpose from your relationship to others, to bring them gently in, will quietly extend to every aspect of your lives, surrounding both of you with glowing happiness and the calm awareness of complete protection.]

[聖霊の目的を「あなた」の関係から他の関係へと拡張すること(それらを優しく引き寄せること)はすでに始まっています。これが方法とゴールを一致させる彼(聖霊)の方法なのです。あなた達両者の奥深くに彼(聖霊)が置いた平和が、あなた達の生活の全ての部分に静かに広がり、あなた達両者を「輝ける幸福」と「完全な安全への落ち着いた認識」で包みます。]

これ(輝ける幸福/安全への落ち着いた認識)がギフトの一部なのです。これが天国の微笑みの一部なのです。
これは避けようがないのです。これはそこにシンプルに在るのです。
これは与えられており、これが聖なる瞬間の果実(結果)なのです。

[And you will carry its message of love and safety and freedom to everyone who draws nigh unto your temple, where healing waits for him.]

[そしてあなた達は愛と自由のこのメッセージを「あなた達の寺院に夜を引き入れてくる全ての人」に伝えます。 彼等はそこ(あなた達の寺院)で癒やされるのです。]

あなたの寺院とは、愛に対するあなたの生きた認識、分離していない認識です。
その愛を認め、あなたの関与を通して愛を返すのです。
するとあなたは(あなた達は自分達のことを分離した切り離されて独立している者と考えていますが)あなたの存在が常にこれ(愛を反映し合うこと)をし続けて居たことを発見するのです。
あなたの真理は決して止められては居なかったのですが、あなたはそれを取り逃がして(見逃して)いるのです。
そして天国の確証としての全ての真理は決して止まっては(変っては)いないのです。
そして創造の全てを抱擁している無限の(揺るがぬ)愛は決して止まっていないのです。たとえあなたがそれを見逃していたとしても。

[You will not wait to give him this, . .]

[...あなたが待つ必要はありません。(あなたは彼にこれを与えたくて待ち切れません。)]

{あなたは}この癒やしを彼に与えたいのです。
あなたの新しい目的故に(あなたは新しい興味を持つので)、「彼(兄弟姉妹)の中に意味を認識すること」をあなたは待とう(遠ざけよう)とはしなくなるのです。
{彼の中に意味/真理を見ることを遠ざけ続けるよりも}真理を学ぶ事の方にあなたの興味が移るのです。
あなたは今までは『自分の権限の下に自分だけで(ビッグバンや進化と呼ばれている)物理的現象以外の源は全く持っていない「何者か」に成ろうと試みる観点』から全てを体験して来たのですが、{そうではなく}あなたは全ての意味を体験したいと思うようになるのです。

だから、

[You will not wait to give him this, for you will call to him and he will answer you, recognizing in your call the Call of God.]

[彼にこれ{癒やし}を与える為にあなたが待つ必要はありません。何故なら、あなたは彼に呼び掛け、あなたの呼び掛けの中に神の呼び掛けを認めた彼がそれに答えるのだから。]

さてこれは必ずしも「神に関する話をあなたがすること」に成るとは限りません。
これは、あなたが宗教を他者に教えるように成ったり、アイディア/定義/言葉を教える司祭に成ったりすることは意味していません。
そうではなく、あなたの存在が(あなたの在り方が)愛の否定しようのないコミュニケーションに成り、(他の人達が不毛な独立の試みへの中毒に固執し続けない限り)他の人達もそれを認識し、それを魅力的に(好ましく)感じるのです。
そしてたとえ人々が独立への中毒に拘り続けたとしても、「彼等は唯の油紙ではない、彼等は彼等自身が考えているような存在ではない」とあなたには認識出来るように成るのです。
油紙が神の生きている愛であるように、彼等もまた愛であり、彼等は(彼等を構成しているように見える物理的物質のお陰で美しいのではなく)愛の性質故に美しいのです。

[And you will draw him in and give him rest, as it was given you.]

[そしてあなたは彼を招き入れ彼に休息を与えます。丁度それが「あなた」に与えられたように。 あなたはこの全てをするのです。 ]

私があなたを引き付けたように、あなたも彼を引き付け、私があなたに安息/安心を与えたように、あなたも彼に安息を与えるのです。
そしてあなたがその安息をそのまま受け入れたり受け入れなかったりしている様に、彼もあなたが与えた安息をそのまま受け入れたり受け入れなかったりするのです。
しかしそれでもあなたは落胆しないでしょう。何故なら彼が唯の油紙ではないことをあなたは知っているのだから。彼女が唯の植毛紙ではないことをあなたは知っているのだから。
それら{あなたの兄弟姉妹や壁紙}は共に神の現れ(神の臨在)であり、神聖なる意味に溢れており、天の微笑みに溢れているのです。

今私があなたに対してこのように話しかけているように、

[All this will you do. Yet the peace which already lies deeply within must first expand, and flow across the obstacles you placed before it.]

[あなたはこの全てをするのです。しかしまず、すでに奥深くにある平和が広がり(「あなた」が平和の前に置いた)障害物を越えてそれ(平和)が流れる必要があります。 ]

「価値があるとあなたが考えて来たもの」を手放すことにより反感を取り外すことが、「これが真実だとあなたが考えていたこと」は真実ではなかったと知って怒りを引き抜くことが、変容を許可することなのです。
そしてあなたは自分が騙されたと言うでしょう。
あなたが{独立の試みを}ギブアップして、(あなたが抱擁されている)愛の塗油をあなたが感じて、「あなたが{兄弟姉妹に}与え返している愛」があなたであること(何故なら、全てのリアルな意味の光りの中ではそれ以外に分ち合うべきものは何も無いのだから)が照らし出されるまで、これは{自分がこのようなことをしなくてはいけないのは}フェアーなことでは無いとあなたは言うでしょう。

[This will you do, for nothing undertaken with the Holy Spirit remains unfinished.]

[あなたがこれをするのです。 聖霊と共に行なわれたことで未完成のままになるものは何も無いのだから。]

これが聖なる瞬間の体験なのです。
あなたの注意が揺るいでしまうので、天国の微笑みも揺らぐかもしれません。
しかし聖霊のギフトがあなたを永遠に変えるのです。そして「それまであなたが確立していた無知のレベル」にあなたが戻ることは許さないのです。
そしてあなたのもとに引き寄せられた真理が、あなたが体験した創造が、{あなたが進んで行く}道の幅を大きく広げるので、あなたがこれに(この目覚めのプロセスに)抵抗することは不可能に成るのです。
何故なら、あなたはこれ全体を体験したくなるのだから。

[You can indeed be sure of nothing you see outside you, but of this you CAN be sure: The Holy Spirit asks that you offer Him a resting-place where you will rest in Him.]

[『あなたの「外」にあなたが見ていること』の中には信じられるものは何も無いのですが、しかしあなたは次の文章を信じることが出来るのです。「聖霊は、あなたが彼(聖霊)に安息所(そこであなたは聖霊の中に入って休むのです)を与えることを求めています。」]

これはつまり、壁紙が愛になることを許可することにより、あなたは「あなたという愛」に成ることが出来る、ということなのです。

[He answered you, and entered your relationship.]

[彼(聖霊)があなたに答え、あなた達の関係の中に入って来ました。]

兄弟姉妹の真理を知りたいと求めてあなたが「二つのステップ(父に訊ね聞くこと)」を行なっている時、「あなた達の卑小な想像力に基づいて作り上げられた定義群」を導入すること無く、あなたは聖霊と一緒に居るべきなのです。

[Would you not now return His graciousness, and enter into a relationship with Him?]

[あなたは彼(聖霊)の気持ちに答えて、関係の中に彼(聖霊)と一緒に入りませんか?]

「あなたの正しいマインドにしか過ぎない聖霊、あなた自身の正気としてまだあなたが認識していないマインド」と一緒に関係の中に入りませんか?

[Would you not now return His graciousness, and enter into a relationship with Him?]

[あなたは彼(聖霊)の気持ちに答えて、関係の中に彼(聖霊)と一緒に入りませんか?]

「オオ、聖霊。 父と子と聖霊、そして私。」{と唯言うだけでは} それは聖霊と関係を持つことではありません。
聖霊と共に関係の中に入るとは、聖霊があなたを満たして「自己意志の全てをあなたの中から追い払うことなのです。
聖霊が「神の行為から立ち昇って来ていない全ての意志」や「神が自分自身に成っている動きから発生していない全ての意志」などを全てあなたの中から追い払うことが、聖霊と共に関係の中に入るということ(聖なる関係を持つということ)なのです。

[Would you not now return His graciousness, and enter into a relationship with Him? For it is He Who offered your relationship the gift of holiness, . .]

[あなたは彼(聖霊)の気持ちに答えて、関係の中に彼(聖霊)と一緒に入りませんか? 何故なら、彼(聖霊)があなたの関係に神聖のギフトを与えたのだから。]

何故なら、「あなたがパートナー/兄弟姉妹と築いている関係」に対して聖霊が聖なるギフトを与えたのだから。

[For it is He Who offered your relationship the gift of holiness, without which it would have been forever impossible to appreciate each other.]

[何故なら、彼(聖霊)があなたの関係に神聖のギフトを与えたのだから。そしてこのギフトが無かったなら{あなた達が}お互いに近づくことは永遠に不可能だったのだから。]

壁紙に関するこの体験が無かったなら、油紙が植毛紙と同じ位美しい体験を提供出来るものだとはポールには解らなかったことでしょう。
何故なら(その意味がどのような形を取ったにしろ)ポールが見ていた壁の上には意味が貼り付けられていたのだから。{だからそこに貼られているものがファンシーな植毛紙でも油紙でも、どちらでも美しい体験/意味深い体験が在り得たのです。}

[The gratitude you owe to Him He asks but that YOU receive for Him.]

[「あなたが彼(聖霊)に負っている感謝の念」をあなたが彼(聖霊)の為に受け取ることを彼(聖霊)は求めているのです。]

つまり「あなたと聖霊の一体性/ワンネスの意味」の体験と把握を妨げるバリアーを手放しなさい、差異の定義を放棄しなさい、ということです。

[And when you look with gentle graciousness upon each other, you ARE beholding Him. For you are looking where He IS, and not apart from Him.]

[そしてあなた達が優しさと共にお互いを眺めた時、あなた達は彼(聖霊)を見ているのです。何故なら、(その時)あなた達は彼(聖霊)が居る所を見ており、あなた達と離れたところに彼(聖霊)を見てはいないのだから。]

そしてあなた達は聖霊と共にお互いを見ているのです。
これはあなた達が目の前に(あたかも聖霊がメガネであるかのように)聖霊をかけて、全てを聖霊を通して見ているような感じなのです。

[For you are looking where He IS, and not apart from Him. You cannot see the Holy Spirit, but you CAN see your brothers truly . . ]

[何故なら、(その時)あなた達は彼(聖霊)が居る所を見ており、あなた達と離れたところに彼(聖霊)を見てはいないのだから。あなたは聖霊を見ることは出来ません。しかしあなたはあなたの兄弟を正しく見ることが出来ます。]

「あなた達が無知の中でお互いに対して作り上げたプライベートな定義群」を通してではなく、あなたはあなたの兄弟を正しく見ることが出来るのです。

[You cannot see the Holy Spirit, but you CAN see your brothers truly. And the light in them will show you all that you need to see.]

[あなたは聖霊を見ることは出来ません。しかしあなたはあなたの兄弟を正しく見ることが出来ます。そして彼等(あなたの兄弟)の中の光が「見る必要のある全てのもの」をあなたに示すのです。]

植毛紙が、あるいは油紙の中の愛が、あなたが見るべき全てをあなたに示します。
あなた達のお互いの中の意味が、壁紙の中の意味が、見るべき全てをあなたに示します。

[When the peace in you has been extended to encompass everyone, the Holy Spirit's function here will be accomplished. ]

[あなた達の中の平和が全ての人達を包むように広がったなら、聖霊の役割が達成されたのです。]
あなたが意味の体験の中に居続ける度に、これがより容易に成るのです。


達成されるべき聖霊の役割とは何でしょうか?

あなたをあなたの正しいマインドに戻すことが聖霊の役割なのです。


[What need is there for seeing, then? ]

[その時見る必要が何か残っているでしょうか?]

定義群を見る必要が、言葉の羅列や説明を思い付く必要が、概念や信念を考え出す必要が、{聖霊の役割が達成された}その時そこにあるでしょうか?

[When God has taken the last step Himself, the Holy Spirit will gather all your thanks and gratitude which you have offered Him, and lay them gently before His Creator in the name of His most holy Son . . .]

[神が自身で最後のステップを取った時、聖霊はあなた達が彼(聖霊)に捧げた全ての感謝を集めて(神の一番神聖なる息子の名において)...]

「神の一番神聖なる息子」は勿論あなたです。
あなたと「そこに発生している聖霊」の間の合一が父の前に供えられるのです。
あなたの正気の中で聖霊が父に対してあなたを与えるのです。

[And the Father will accept them in His Name.]

[そして父が(彼/神の名において)それらを受け取ります。]

父があなたを迎え入れ、「おかえり、息子よ! 良く帰って来てくれた。あなたは私が誰か知っているので、あなたは自分が誰か知っている。」と言うのです。
こうしてあなたの生得権(持って生まれた当然の権利)があなたの為に修復されるのです。あなたの意識的正気が完全に修復されるのです。

[What need is there of seeing, in the presence of His gratitude?]

[彼/神の感謝の現れ(表明)の前で、見る必要などがあるでしょうか?]

「生きている愛としての油紙の意味(あなたを愛している意図)であなたが満たされている」と理解されている時、油紙に対する概念など必要でしょうか?
たとえば油紙で飾り付けられた小屋(粗末なもの)の中の体験であっても、それは非常に意味深い体験、非常に意味のある神聖な体験、豊かな体験で在り得るのだから。

この事に関して考えてみてください、とは言いますまい。
今週はこの理解と共に居てください。「あなたが求めているのは意味(全ての神聖なる意味)なのだ」という理解と共に「ここの真理が何か知りたい」というあなたの全ての要求/探求を行なってください。 {あなたは意味が感じられる体験(神の意図があなたに示される体験)を求めるべきなのです。 }

そして「意味」は体験に成るのです。 それは言葉ではなく、定義ではなく、意味/意図の全てを躊躇無く満たす体験なのです。
言葉を持っていないことは、定義を持っていないことは、概念を持っていないことは、「あなたが訊ね聞いていること」の聖なる意味を少しも損なわないのです。

言葉を捜してあまり時間を無駄にしないようにしてください。
何故なら、{言葉を捜し求めるよりも}あなたは「意味」を体験し、意味の体験を基に兄弟姉妹や世界と関わり合い、意味の体験があなたを導くままに任せるべきなのだから。


Chapter 19 – Section: THE UNREALITY OF SIN
Sparkly Book – p.458, 1st Full Par.
JCIM – p.191, 6st Full Par.
CIMS – p.385, Par. 35
First Edition – p. 378, 3rd Full Par. Line 4
Second Edition – p.406, Par. 10
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テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

ACIM02-07-31

July 31, 2002 ACIM Study
Chapter 31-8

[Choose Once Again]
[もう一度選び直しなさい]

[誘惑が教えようとするレッスンは(たとえそれがどこでどのような形で起こっていようとも)一つだけです。]

ラジ:何が一番初めの誘惑だったのでしょうか?
質問者:相互合意です。
ラジ:そのとおり。
一人の神の子がもう一人の神の子に向かって「木の意味はアレコレだと仮定してみたらどうだろう。神が全てに与えている意味(リアリティそれそのまま)以外の意味/定義を使って全てを見てみたらどんなだろう?」と言ったのです。
するともう一人の神の子が「それは面白い。そのゲームに参加しよう。 それが木に関する真実であるフリを一緒にしよう。 その積りになって振舞おう。」と言って、そうして分離の体験が始まったのです。
こうして彼等は幻想(白昼夢)の中に入って行ったのです。 この白昼夢が彼等をリアリティから隔て出したのです。

質問者:神の子達が自由意志に気付いた時から、わたし達は他者と相互合意を交わし合うようになったのですか?
ラジ:次のように言ってみましょう。
「自由意志」と呼ばれているものは、父の視点とは異なった視点を持とうと二人の神の子が決めるまで発生しませんでした。 その時父の意志とは異なった意志が(父から分離して自分達だけの幻想を想像する自由が)在り得るという幻想が生まれたのです。

[このレッスンは神の聖なる子供に「彼は(神の子は)体で、死すべき体の中に生れ落ちてきたもので、その脆弱さから逃れることは出来ず、体が感じるよう命令しているものに彼は縛られている」と教えようとします。
「誘惑のレッスン」は神の子の能力に対して限定を与え、その限定された力だけが彼(神の子)の持っている力で、彼(神の子)はその卑小な限定された範囲の中でしか力を発揮出来ないと教えます。
キリストがその全ての栄光と共にあなたの前に現れて「世界を救う者達の仲間に成るか、地獄に留まり自分と兄弟姉妹を一緒にそこに押し留めようとするか、今一度選び直しなさい。」と言っていた場合、あなたはこのような存在(誘惑のレッスンが教えている限定された力だけを持っている存在)で在り得るでしょうか。
彼(キリスト)は来ており、彼(キリスト)がこの質問を訊ねているのです。]

ラジ:「世界を救う者達の仲間に成るか、地獄に留まり自分と兄弟姉妹を一緒にそこに押し留めようとするか、今一度選び直しなさい。」 (ともう一回読む)
つまり相互合意に浸る選択がすでにされてしまっているのです。
だから、その選択の影響を取り消すために、新しい選択をする必要があるのです。
あなた達はこれをするように求められているのです。
これをすることにより、あなた自身の正気を取り戻し、それを受け入れ、白昼夢から目覚めて「興奮」を、神との同期を外し続けるスリルを、手放せ得るようになりなさい。

あなた達全員初めは目覚めていたのです。
無意識から進化して(無機質から単細胞動物にそしてより複雑な生物に進化して)スピリチュアルな自己に至った訳ではないのです。

あなたが今リアリティ(天国)そのものを体験していないなら、初めは完全に目覚めていた(完全にキリストであった)あなたがどこかの時点で他のキリストと一緒に繋がって幻想/白昼無/リアリティに対する幻影体験を選択して、リアリティの正気な体験を失ったのです。

これが起こった瞬間に「聖霊」と呼ばれているものが定義されたのです(と、ここではそう言ってみましょう)。
聖霊とはあなたが白昼無で遊んでいる間(エゴとして存在する偽体験をしている間)預けられている、あなたの神性なのです。

そして(神があなたとして表現し続けている)聖霊はあなたに呼び掛け続けているのです。 
それがあなたに呼びかけているのです。そして私もあなたに呼びかけています。
私はコースを通してあなたに呼びかけています。そして様々なメディア(媒体)を通して呼びかけており、(ポールが私を聞いている位クリアにあなたが私を聞けるよう)あなたの内側からも呼びかけているのです。

私とあなたのガイド達は、目覚めるようあなた達に呼びかけています。
白昼無に夢中に成り続けることは止めて、故郷に帰って来るよう、あなた達は呼びかけられており、そのためにもう一度選択し直すことを求められているのです。

質問者: 二人が合意を交わして、するとそれまで「世界」と呼ばれているものが設立され...

ラジ:「設立」しようとしたのです。しかし本当に世界を作ることは出来なかったのです。
分離を目論んだ神の子達は天国を「世界」として設立しようとしたのです。

質問者:そしてその後その二人の仲間に加わった人達も出てきたのですね?
必ずしも二人のペアーだけでなく、つまりすでに幻想を設立しているグループに後から加わった人達もいたのですね?

ラジ: そのように言っても良いでしょう。
これは興味深い体験なのです。これが(現在の)あなた達に与えられている体験なのです。例えば、熱いストーブを触ることも興味深い体験です。
しかしそれを続ける必要があるでしょうか?

[あなたはどのようにしてこの選択を行なっているのでしょうか?
これはとても簡単に説明出来ることです。
あなたは常に「自分の弱さ(脆弱性)」と「あなたの中のキリストの強さ」のどちらかを選んでいるのです。
そしてあなたが選んだ方がリアルだとあなたは考えるのです。
{あなたが自分の弱さを選んだなら、あなたは自分の弱さをリアルに体験します。 あなたが「あなたの中のキリストの強さ」を選んだなら、(日常の一瞬一瞬の中で)あなたはそれを体験するのです。}]

ラジ: 上記の文章をひっくり返してみましょう。
「あなたがリアルだと考えているものは、あなたが選んだものなのです。」
だから現状では、あなた達が神の子供達だと、あなた達がキリストだと、神があなた達を創造したままの状態であなたが存在していると、神が今あなたに成っているままの状態なのだと、信じるのは難しいのです。
これを信じず、自分は(精子と卵子の結合から生まれた)ただの物理的身体にしか過ぎないと考えたなら、あなたはその信念に沿って生きてしまうのです。
あなたは自分が信じることを自分で選択しているのです。
だから目覚めるためにあなたは自分が信じていることを変える必要があるのです。
目覚めるとは、「あなたは(まだ自分では信じられないような)驚異的な存在である」という可能性を考慮してみられるように成ることなのです。 (少なくともあなたが今見ている夢よりも遥かに素晴らしい)この可能性を抱擁出来るようになり、それを熱心に探索することなのです。

[弱さに自分の行為を任せなくなれば、あなたは自分の弱さに力(リアリティ)を与えなくなるのです。
{自分の考えている自分の弱点を基に行動していない時、あなたは弱さを体験しません。}]

ラジ: これを別の言葉で言えば「エゴに防御出来ない唯一のことは無視です。」ということです。
(あなたが「あなたに対する定義」としてあなたと他者が相互合意している)自己定義から思考しなく(振舞わなく)なったなら、その定義があなたの自己体験と(世界とあなた達が呼んでいる)天国体験を統治しなくなります。
そうなれば相互合意が強化/保持されなくなり「世界」は瞬間的に変わり出すのです。

[そして、あなたの中にあるキリストの光に全ての決定権が与えられるのです。
何故なら、その時あなたは彼(キリスト)の所にあなたの弱さを持って行っており、その代わりに彼(キリスト)が彼の力をあなたに与えているのだから。]

ラジ:「その時あなたは自分の弱さを聖霊の下に持って来たのです。その時あなたはあなたの弱さを神の下に持って来たのです。その時あなたは自分の弱さを自分のガイドに手渡したのです。」などと言っても良かったでしょう。 
要点は、その時あなたはその時点での自己定義を超えて伸び出していた、ということなのです。 その時あなたは現在の自己定義との連立を放棄して(神/聖霊/イエスに)手を差し伸ばすことによって自分の孤立を破ったのです。

[試練とは繰り返され続けている同一のレッスンをあなたが学べないでいる状態なのです。 以前あなたは間違えた選択をしており、今度は(以前と同等の選択肢の中から)正しい選択を行ない、(以前の選択があなたにもたらした)痛みから自由に成ることなのです。]


ラジ: 試練/困難/ストレス/不安などはあなたが学ぶことを失敗しているレッスンに過ぎないのです。
しかし(どのような試練が起こっているにしろ)実際に学ぶべきレッスンは一つしかありません。
あなたが夢の中に居る時、あなたは何らかの試練を体験しています。そしてその夢の中で試練に対処しようとしている時、あなたは全くなにもしていないのです。
物事を上手く処理して試練を完了することが出来たとしても、それでもあなたはまだなにもしていません。
何故なら(例えどのような試練に面していたとしても)あなたが学ぶべき唯一のことは「(あなた達が自分の信心/確信を与えている)相互合意の結果として試練が起こっており、その時あなたはまだ天国に注意を払っていない」ということだからです。

つまりこれは窓の外ばかり見て学校が終ったら何をしようかと考えてばかりいる生徒のようなものです。
この生徒は放課後何がしたいか考えます。「しかし母さんがきっとダメだというに違いない。彼女はいつもダメっていう。僕はあまり母さんは好きじゃないんだ。その他あれこれ。」 このようにしてこの生徒は白昼無とストレスを作り続けています。
しかしいくら考え続けて母親に関する葛藤をどうにかしようとし続けても、それは彼が教室の中の授業に注意を払うことには繋がりません。
{あなた達もこれと同様に、本当に注意を払うべきことに意識を与えられていない状態が延々と続いているのです。}

だから白昼無の中のストレスから(それがどのようなストレスで、どのような意味を持っていたにしろ)学べることは、本当に有用なことは、「私は神に注意/意識を与えていない」なのです。
「私は本当に起こっているリアリティにまだ注意を払っていない。ここで天国を見ようとする好奇心を私は今持っていない。」
こう言ってあなたの注意をシフトすれば学習が始まるのです。

[あなたが直面している全ての「試練/ストレス/困難/謎」の中でキリストがあなたを呼んでおり「兄弟よ、もう一度選びなさい(選び直しなさい)。」と優しく言っているのです。
彼(キリスト)は全ての痛みを癒やし、真理の上に覆いかけられているイメージを全て剥がすのです。
あなた(神が喜びの祭壇をあなたの中に創造しました)の全ての惨めさを彼は取り除きます。
彼(キリスト)は地獄の夢の中のあなたを一人にはせず、あなたが苦しまないようにします、そして彼(キリスト)の顔をあなたから隠している全てのものをあなたのマインドから取り除きます。

彼(キリスト)の神性はあなたのものなのです。 何故なら、彼(キリスト)だけがあなたの中の唯一リアルな力なのだから。
彼の力はあなたのものなのです。 何故なら、彼(キリスト)は神の一人子として神が創造した自己(Self)なのだから。]

ラジ:はい。私は私に関する幻想(神を含まない定義)を持たずにあなたに私自身を示します。
(あなたが私と同等であることを知っている)私はあなたに私自身を示すのです。
私は、わたし達がファミリーであることを知っています。 家族メンバーがお互いを家族の一員として認められるように、わたし達はお互いの中に自分達を認識することが出来るのです。
そして私は、(あなた達を苦しめている)「相互合意されている定義」を強化せず保持せずにあなたにアプローチするので、現在ポールを通して話しかけているように他者の口を借りて話しかけるか、そうでなければあなたの内側から話しかけるのです。
私はいわば相互合意されている定義を強化しない、そして体験的レベルで「本当のあなた」をあなたに照らし示す「力」なのです。 あなたがそれを期待しているかいないかに関わらず、私はこれをするのです。

こうすることにより相互合意とは違う方向にあなた達が好奇心を発揮出来るようになるのです。 そしてこれがあなたの好奇心を広げて、インスピレーション(霊の流入)と洞察力がより容易に起こるようにするのです。

質問者:「わたし達が本当は何か」に対する体感レベルでの気付きですか?
ラジ:そのとおりです。
質問者: 少しこれに関して詳しい説明をして下さい。これと類似した体験を私はしています。
ラジ: (他からの、外からの)認証を求めること無くその体験そのものを信頼しなさい。
目覚めに必要な学習の一部は、自分の内側で起こっている洞察と光明そのものを信じてそれに従って行くことなのです。
その時あなたは(今まであなた達を統治して来た)すでに共有されている定義群以外のものに信頼/確信を与えるべき場所に繋がっているのです。これはとても重要なことなのです。
(あなた以外の者から)これらの体験に関する認証を求めることは、「イエスがああこう言ったから、私はこれそのもの(実際に起こった驚異的なこと)を信頼することなく(それが起こったという概念を)信じることが出来る。」と考えることに成ってしまうのです。
質問者:この体験に関する概念を排除するべきなのですね? 私がしている体験に概念を覆いかぶせるなと?
ラジ:その通りです。
質問者: それそのものを体験すれば良いわけです。 なるほど。
ラジ:あなたの概念には、あなた達の良く見知っているあらゆる定義群が入っています。

[あなたが作っているイメージが「神自身があなたとして成り立たせているもの」に打ち勝つことは出来ません。
誘惑を怖れる必要はありません。 誘惑をその真の姿で見て、選び直す(正しい選択をし直す)チャンスと捉えなさい。 そして全ての状況の中に、あなたが自分のイメージを今まで掲げてきた全ての場所に、キリストの力を行き渡らせ、それに全てを統治させなさい。]

ラジ: キリストの力に任せなさい。
これはキリストの意志に任せなさいという意味です。
想像上のあなたの自由意志を放棄してキリストに譲るのです。
「神がそこにキリストとして存在しているもの」以外のなにものも挿入しようとはしていないキリストに任せなさい。
それは「キリストとして神がそこに成っているもの」に合致していないものを全く含んでおらず、だから(そこに居る神以外のものを含まない)あなた自身の体験が出来るようインスピレーションを与えるのです。
だから信頼が必要なのです。何故なら、あなたはまだ自分の意志を働かせていない限り何を信頼したらよいか知らないから。
そしてあなたが自分の意志を使っていない場合、あなたは「現在の自己感覚を超えた何者か」に自分を委ねているのです。 これが出来るように成るには信頼が必要なのです。
目覚めるためには、これが不可欠なのです。
他の人と繋がって(神が成っているものに逆らう)新しい定義を作るのではなく、あなたは本当のリアリティ(神の本当の視界)と調和する必要があるのです。

[何故ならキリストの顔を隠しているように見えているものは、彼(キリスト)の尊厳の前では無力で、彼(キリスト)の聖なる視力の前で溶けて無くなってしまうのだから。
(キリストとして見える)世界の救世主とは、(キリストから離れた時に見えている)自分達の弱さではなく、キリストの力を選んでいる者達のことなのです。
彼等が世界を贖う(救済する)のです。 何故なら、彼等は神の意志の全ての力と繋がっているのだから。 そして彼/キリストの意志だけを彼等は望んでいるのだから。]

ラジ:自分の自由意志を表現する権利(神がくださった権利とあなた達が呼んでいるもの)を放棄しなければ、どうして「神が意志しているもの」だけを表明する意図に到達することが出来るでしょう。

これが(現在あなた達が自分達を統治している)「相互合意に基づいた定義」の狡猾なところです。
あなた達は「我々の自由意志を使う権利は神から来ている」と言っています。
「自分は、神と調和してしかし独立的に振舞うことで、神と共に創造するために存在しているのだ」と考えているわけです。
神と繋がることなく、神に譲ることなく、神と語り合うことなく(独立した存在のまま神と調和出来ると考えているのです)。

だから目覚めることを意識的に選ぶことは、リスクを伴った体験になるのです。
あなたは自分の自由意志と「自由意志を使うことによって自分のキャラクタが完全に現される、神が創造した独立的存在としてのあなたが完成する」という考えをとても大切にしているので、このように(神に譲ったなら自分を失うリスクがあると)感じられるのです。
この自由意志を使わなければ、コントロールすることが出来ないので、それは非常な損失/大いなるリスクとして体験されるのです。
しかしこのリスク感は、お化け屋敷を通り抜ける時と同じような自信をもって取り除かれなければいけないのです。
これは怖いことですが、これを安全に通り抜ける自信/信頼を持ちなさい。
相互合意されている定義は「あなたを正気から遠ざけているもの」を尊ぶようにしむけているので(彼等の正気であなたの正気を照らしあなたを癒そうとする者達と繋がることを阻止してしまうので)、その意味ではこれは簡単ではないのです。

質問者:父/キリストの意志だけが本当にある唯一の意思であることは私にはとてもクリアに感じられます。
私は頻繁にガイダンスを聞いており、時には私が訊ねる前に答えが返ってきます。
私のマインド内で質問が発せられる前に、答えが急に現れるのです。
これが誰の意志であるかは、それがもたらす感覚によってわかるのです。
しかし私が何かを怖れてパニックしていたり感情的に成っている時、私には「父よ、あなたの意志は何ですか?」としか言えなくなってしまいます。
そういう時私は思い出して「私はパニックしているのだ。答えが自動的に与えられていることは知っている。 父よ、あなたはこれをどう見ていますか?」と言うのです。
そして待つのですが、その時私はただ待ち続けるだけなのですか?
ただじっと待って、何かがクリアになるまで微塵も動かないのでしょうか?
そのようにするべきなのでしょうか?
このようになっている時には24時間位この状態が続き、そして答えが与えられます。 答えが瞬間的に返ってこないのです。 遅れが発生するのです。

ラジ: 遅れは(答えが聞えるまでに間隔が空いたのは)あなたがパニックしていたことが原因です。
あなたがパニックを起こしたのは、状況があなたの条件付けられている思考から「自分が危険に晒されている」という反応を引き出したからです。 あるいは「なにかを失ってしまう」という反応が起こり、それ(条件付けられている思考)がコントロールを取り戻そうともがいたのです。
あなたがパニックを起こしている時、あなたはコントロールを欲しているのです。
その時、あなたは「自分でコントロールする必要がある」という主張(呼び声)を正当化しているのです。
この自己主張があなたの聞く能力をブロックしていたのです。
その場合、真理の声を聞くことに集中することだけが答えです。 それに3分掛かろうとも24時間掛かろうとも、聞くことを続けなさい。
聞き取れない限り、何をしようとも夢の中で動き回ることしか起こり得ません。

質問者: そう確かに私は「こうしたらどうだろう? もしああしたらどうなるだろう?」と思い巡らしていました。
確かにそのようなレベルから問題を解決することは出来ないのです。
ラジ: そのとおりです。

質問者:あるいはチャレンジを受けて立つことは出来ないのです。 本当の問題は存在していないのだから。
これはいわばテストなのです。 私はそのように認識しました。
そして今までのところ、(決定を)遅らせたからといって何かを失ったことはありません。
「時は金なり」などの格言がありますが、そのようなことは私は体験していません。 直ぐに決断をしなければ死んでしまうような状況に遭遇したことは私はありません。
私自身の概念をクリアに消すだけの時間はいつでもあるのです。

ラジ: 何時でも必要なだけ時間はあるのです。 時間が不足していると示唆されているだけなのです。だからあなたはパニックしてしまうのです。
質問者: ハイ、確かに。 しかし不思議なのです。
騙されたというフィーリングによって時間が蒸発してしまったように感じることが多いのです。
すると反射的に「私には慌てる(怒る)正当な理由があるんだ」と感じる始めるのです。
もし私がその時パニックを起こしたまま(その時の概念に従って)行動したなら、酷い結果に成ったに違いないのです。
ラジ: それは夢を強化することになったことでしょう。
質問者:その通りです。しかし夢の中でさえも酷い結果になったに違いないのです。

ラジ:  あなたがリアリティを蹴ったなら、リアリティはビクともしないので、それを強く蹴るほどあなたの足は痛くなるのです。
神/リアリティを否定するゲームの中でより強い意図を発揮したなら、その体験はより居心地悪いものになるのです。
それはあなたが発揮している自己主張(自由意志)が原因で、あなたの置かれている(あなたが逆らっている)境遇故ではないのです。(あなたは、自分の境遇故に自分が苦しんでいるとそう考えるよう条件付けられているのですが。)

[だから(自分自身を弱く惨めな者として知覚/認識する)全ての誘惑に対して下記の言葉で応えるハッピーな習慣を学びなさい。
"I am as God created me. His Son can suffer nothing. And I AM His Son."
[私は神が私を創造した通りに存在しています。神の子が何かを苦しむことは不可能です。 そして私は神の子なのです。]
このようにしてキリストの力が呼び込まれ、それが行き渡り全てを統治し、あなたの弱さを(決して挫かれることのない)神から来ている力で置き換えるのです。

神聖を選ぶ前まで怖れと苦しみが自然に見えていましたが、このようにして奇跡が自然に見えるようになるのです。
何故なら、この選択をすることにより、間違った分け隔てが無くなり、幻想の選択肢(より好ましいと思われている代わりのもの)が手放され、真理を遮るものが無くなるのだから。]

ラジ:「この選択」とは神聖(全体)を選択することです。
分離/卑小さを最早サポートしない/育成しない/認定しない/認めないことを選択するのです。
あなたがパニックを起こしている時(その時あなたはコントロールすることに夢中なのですが)答え(解決)はコントロールすることではないのです(より良くコントロールすることでもないのです)。 そうではなく私(イエス)/神/聖霊に意識を与えて、その時わたし達からあなたが学んだ「あなた」を認めるのです。

つまり、あなたは神があなたを創造したあなたのままであり、神の子が何かに苦しめられることは不可能で、あなたは神の子なのです。これを自分自身に認めて、この事実をあなたの中に実体験レベルでサポートするものを呼び込むのです。
このようにして孤立を破って「選択」をするべきなのです。

質問者:私は病気の人達、ひどい痛みを被っている人達のケアーをしています。
これを彼等に知らせたらどうでしょうか? 
「彼等が神の子であり、彼等は何かを苦しむことは出来ない」と彼等に言ったらどうでしょう?
ラジ: それは素晴らしい体験になるでしょう。
しかしあなた達には、口を閉じて、信じられないことは表現したがらない傾向があります。
するとあなた達は自分達の信念の中に捕われ続けてしまいます。 何故なら、勇気を持って違う見方(真の視点)を示してくれた人が誰も居なくて、それ故に変容をもたらす真理の重みが伝わらなかったから。

質問者:私はよく穏やかなヒントを与えることをしています。
例えば「私はこの痛みを感じていてこの症状を持っていて、そして私の母親も父親もこの病気に罹っていて、私の兄弟もそうで、だから私もこの病気を持っているのです」と誰かが言った場合、私は「私はこの症状を前にも見たことがあります。これは治すことが出来ます。」と言うのです。「これが治った例を私は見てきました。 私は人々がこの症状から回復することを助けたことがあります。 彼等は治ったのです。これを治すことが出来るのです。」
コース(ACIM)を学び始めた頃私は「あなたは神の子であり、あなたを本当に苦しめるものなどないのです」と言って、それを聞いた人々が直ぐ立ち去ってしまっていたのです。
これらの体験の後、私はやんわりしたヒントを人々に示唆する様になりました。
人々が自分達の概念に疑問を持てるように助ける言葉を言うようになりました。
人々に受け入れられない表現を使って彼等を面食らわせてしまうことは避けるようにしています(人を見て表現を選ぶようにしています)。
ラジ: 私もそうしています。

[あなたは神があなたを創造したとおりの存在なのです。そしてあなたが見ている全てのものも(あなたがそのものに与えているイメージにも関わらず)それは同じです。]

ラジ:あなた達が「それそのもの」ではなく、それに対する「相互合意されている定義群」を見ることを選択している故に見えているイメージにも関わらず(それは神がそれを創造したとおりのものなのです。)。

[あなたが病/痛み/苦しみ/喪失として見ているものは、あなた自身を地獄に居る無防備な存在として知覚する誘惑に過ぎないのです。
これに(この誘惑に身を)委ねるのは止めなさい。 そうすればあなたは全ての場所に全ての形で表れている全ての痛みが太陽の前の霧のように消え去ることを見るでしょう。
神の子を癒やすため、そして彼の弱さの夢のドアを閉じ、彼の救済と解放のドアを開けるために奇跡が来ています。
あなたの全ての選択が(あなたの見ている、あなたの信じている)あなた自身のアイデンティティを確立していることを思い出しながら、(あなたの目の前の)彼/彼女をどのような存在にさせたいか、それをもう一度選び直しなさい。]

ラジ:これ以降の文章は自分自身に当て嵌めるべき言葉として受け取りながら読んでください。
何故なら、このセクションは救世主としてのあなた達を説明しているのだから。
あなた達にとって私のことを救世主と考えることは余り難しくないかもしれません。
しかしここで必要とされているのは、私があなたに接しているように、あなた達がお互いと接するように成ることなのです。
これらの言葉を私に当て嵌めることは簡単かも知れません。 しかしこのセクションのこれ以降の言葉をあなた達はお互いに対して言い合わなければいけないのです。
彼(あなたの兄弟姉妹)をどのような存在にしたいかもう一度選び直しなさい。
何故なら、今まではあなたは彼を「お互いに対してどのように対処するかあなた達二人が相互合意したとおり」にさせていたのだから。

[あなたの一つ一つの選択があなた自身のアイデンティティを確定していることを思い出しながら、あなたは彼をどのような存在にしたいかもう一度選び直しなさい。(あなたはこのようにして確定したアイデンティティを(自分として)見て、このアイデンティティを(自分だと)信じるのです) 
{アイデンティティ=これが自分だとあなたが思っているもの}]

ラジ:わかりますか?
私は「あなたが誰か、あなたが本当に誰か」あなたに教えています。
何故なら、私は「私であるもの」の私の体験を解り難くしたり暗くしたり変えたりするものを{私であるものの体験に}混ぜ入れたくないから。
だから私は、神があなたに成っている通りにあなたをあなた自身に照らし返しているのです。 何故なら、こうすることが私を目覚めたままに保つのだから。
そしてあなた達がお互いに対してこれを行なったなら、これがあなたの目覚めを確約するのです。

[私があなたから求めている少しのギフトを拒否しないで下さい。 (あなたが私に与えるギフトのお返しに)私はあなたの足元に神の平和を与えており、この平和を「不安で孤独で怖れを抱きながら世界中を彷徨っている人達全員」に与える力をあなたに授けるのだから。]

ラジ: これを「私が言っていること」と考えれば受け入れられますか?
しかしあなた自身がこれを言わなければいけないのです。
この意図をあなたが持たなくてはいけないのです。あなたが他の人々と関わり合っている時(その人々に与える)明晰と愛の場所からあなたが話し行動出来るように。
人々を優しく促すにしろ、神からの霊感に撃たれて大胆な台詞を言うにしろ(あなたは愛の場所/精神からそれを言うのです)。

[これは(わたしがあなたから求めている少しのギフトは)、あなたが彼と繋がり、あなたの中のキリストを通して彼の目の上に掛かっているヴェールを取り除き、彼自身の中のキリストを彼に見させる為に、あなたに与えられているのです。]

ラジ:わかりますか。 確かに私はこれをあなた達に言って、あなた達自身に対するあなた達の貧しい思考モデルを改善させようとしています。
しかしそれだけでなく、あなた自身も自分の兄弟を(例えそれがジョージ・ブッシュであっても)十分に愛して、上記の招待を彼に差し伸べ、「彼であるもの」に対するこの確信を持っていなくてはならないのです。

彼(ブッシュ)だって例外として外す訳にはいかないのです。 あなたが非常に嫌っている全ての人々を上記の文章の対象にしなければいけないのです。

あなたが誰かに対してネガティブな意見や見方や定義を考え表明している限り、その力(力学/傾向)があなた自身の体験の中に取り入れられてしまうのです。
それ故に、「誰か他者がその人自身をクリアに体験すること」をあなたの愛が許可しているよりも多く「あなたがあなた自身をクリアに体験すること」は出来ないようにブロックしてしまうのです。
これは、あなたと相性が悪い人が居た時それを認識しないということではありません。 「知性を表していない者」や「存在の愛を体現していないもの」を、そのように認識しなくなる訳ではありません。

あなたは各状況に関する「真理が何か」知るために神の下に行き訊ねるのです。
あるいは正しくない行動をしている個人がいたなら、その人に対するあなたの新しい酷い定義を作り出すのではなく(彼に関するこのあなたの定義が結局あなた自身をも定義してしまうのです)、あなたは彼に関する「真理」を知るために神の下に行き神に訊ねるのです。

わかりますね。
あなたは、あなたが信じていることを行い、あなたが信じているものを持つのです。
だからジョージ・ブッシュ(その他あなたが嫌っている人達)に関してどのような事をあなたは信じているのか、それにも注意しなさい。
あなたは「相互合意されている定義群」の縛りを打ち破る為に、時には自分でも信じられないことを抱擁出来るように成らなければいけません。

質問者:だからわたし達は、特定の人を安易に裁いてしまっているのです。
わたし達は、そのような人達をマインドの外に置いて、彼等のことを考えないようにするべきなのでしょうか?

ラジ: それが愛ですか?
そこに居ない、あなたのマインド内に居ない人を愛することが出来ますか?
見ないよう考えないようにしている人と関わり合いを持つことが出来ますか?

質問者: ではとことんやるか、そうでなければ私は全く何もしていないのですね?

ラジ:いいえ、そうでなければあなたは夢を(現実として)認めそれを強化しているのです。
その場合あなたは分離/孤立を再認証しているのです。
そこでは何かがとてもアクティブに行われています。
これは(好きでない人のことは無視して彼等のことを考えないようにしようとすることは)無垢な状態ではありません。
これは積極的排除なのです。
これは、「その人を(何らかの形で)リアルに愛すること」から積極的に{自分を}除外する行為なのです。
だからキーは...

質問者: わたし達が一番裁いている人や状況は最高の機会なのですね?
これがわたしのマインドを変えるための最高の機会なのですね?
ラジ: それが最高の機会かどうかはさておき、
人々に対するあなたの定義が、目覚めることから(救世主に成ることから)あなたをブロックしているのです。

「これは(わたしがあなたから求めている少しのギフトは)、あなたが彼と繋がり、...為に、あなたに与えられているのです。」これをわたし達は今読んだばかりです。
これはあなた達に与えられているのです。
この能力/度量(あなたが彼と繋がり、あなたの中のキリストを通して彼の目の上に掛かっているヴェールを取り除き、彼自身の中のキリストを彼に見させる能力)はあなたのものなのです。
あなた達のこの能力を認めてそれを高らかに宣言しあなた達に言って聞かせることによって、私はこれをあなた達に与えているのです。

この能力/度量はあなたに与えられているのです。 これはあなたのものなのです。
この能力を使わないとあなたが決めたなら、彼の中にキリストを見ることに対するあなたの無能を確立しそれをより強化することになるのです。
その時あなたは「彼が自身の中にキリストを見ることを彼に許可する」存在に成ることを怠っているのです。

質問者: では、私がこの事やあの人を特別な問題として見ていた場合...
ラジ: それは特別な問題ではなく、馬鹿な問題です。

教室の中に座って、放課後に何が起こるか、(人々がどのように振舞うか/反応するかあなたはすでに知っているので)どのような問題が起こるか思案を廻らせるのは馬鹿な問題です。 
何故なら、あなたがこのように思案している時本当に起こっていることは「教室の中で教えられていることにあなたが注意を払っていない状態」だけだからです。
教室の中では、教師が素晴らしい情報を差し出しているかもしれないのです。あるいは他の生徒とやり取りすることで素晴らしい気付きが起こりえるのです。
しかし「なんでもないこと/どうでもよいこと/違いをもたらさないこと」にこだわり続けることによって、これらすべてが失われてしまっているのです。

質問者:そう私は言おうとしたのです。 こだわりを捨てて、闘争を作らないようにするべきだと。
ラジ: しかし、あなたは兄弟を無視することを言っていました。
質問者: 兄弟に対する私の概念を無視するべきかもしれませんね。
ラジ: そう思いますか?
質問者: しかし、座り込んで特定の人のことをキリストとして見ようと努力するのではないのでしょう?

ラジ: そうではないかもしれません。 しかしあなたはいずれにしろ何かを考えていることでしょう。
あなたは虚無だけを常に抱き続けることは出来ません。
だから、あなたが概念を脇に退けたとしても、それを愛の能動的意識的表現で(その人の真理に対する意識的認識で)取り替えなかったのならば、その時あなたはその人を鉛の箱に閉じ込めようとしているスパーマンのように振舞っているのです。
その時あなたはその人を囚人として閉じ込めているのです。
そこでは、その人に対するアクティブな無知が働いており、それは憎しみなのです。

質問者: オーケー。 成る程、私が実際に何をしているかより明確に示す問題/状況が起こった時(そしてそのような状況内でどのように考えるべきか知るために)私には助けが必要なのでしょう。

ラジ:もしあなたに決意があるのならば助けが得られるでしょう。
クリアにわかっていない状況にも関わらず(聖霊/神に訊ね聞くことを)続ける意志があるのなら、自分の日常的慣習的思考方法に陥ってしまうわないよう努力を続けられるなら、そして「ここの真理は何ですか?ここの真理は何ですか」と神にたずねられるなら。
そしてこれを続けるのです。 何故なら、あなたが真理をそこに見るまで、あなたは(あなたが裁いている人と一緒に)夢の中に囚われつづけてしまうとあなたは知っているのだから。

質問者:だから私は質問したかったのです。 私は自分で望んでいるにも関わらず、毎回必ずこのシフトを行えていないのです。
ラジ: 実践し続けるのみです。
あなたが天国のど真ん中に居てそれを「世界」と呼んでいるのなら、あなたが直面している全ては「全てが本当は何か」知りたいと願うことを実践するチャンスなのです。

[救済の中にいる私の兄弟(姉妹)よ、私の声を聞き私の言葉を理解してください。
私が求めているのは、あなた自身の解放だけなのです。
愛らしさがいまだ強烈で包括的な(全てを内包している)世界の中には、地獄の余地はなく、そこから天国までたった一歩なのです。]

ラジ: これらの言葉をあなたが言うべきなのです。
兄弟姉妹と関わり合っている時、あなたはこの言葉が意味していることを感じていなければいけないのです。 たとえこれが傲慢に聞えたとしても。
「救済の中にいる私の兄弟(姉妹)よ」これはあなたの台詞なのです。

では、ここで言われていることの要点は何なのでしょうか?
この文章はあなたが兄弟姉妹に対して要求を突き付けるように成ると言っているのではなく、キリストと繋がったあなたという存在が意味深く変容をもたらし重要であると言っているのです。 あなたは重要な人なのです。
あなたは脆弱な弱虫ではないのです。あなたは橋にも棒にも引っ掛からない毒にもクスリにもならない人ではないのです。
「変容をもたらすもの」を自分の中に迎え入れた時、あなたは変容をもたらす存在(現われ)なのです。 
あなたは自分の兄弟姉妹の重要なパートナーに成るべくここに存在しているのです。 あなたはチャレンジをもたらなさい愛想の良いだけの人として存在しているのではないのです。
あなたが兄弟のことを良く考えている場合でも悪く考えている場合でも、いずれの場合でもあなたは(彼等に/状況に)影響を与えているのです。
あなた達はそれぞれ孤立して存在している訳ではないのです。
あなたは、自分だけで(他者に影響を与えることなく)何かを考えることは出来ないのです。
たった今あなたは良きにつけ悪きにつけ重要な影響を与えているのです。
あなたは(今現在に対して)影響力を持っていると理解しなさい。

「わたしは誰かを変えたり、誰かを特定の様子に振舞わせたりしようとはしていない。成るに任せるが私のモットーだ、だから私に腹を立てる人は居ない筈です。」(とあなたは言うでしょうか?)
しかしあなたは、(世界に対して人々に対して)影響を与えていない存在などには成れないのです。

あなたはインパクト(影響力)を持っているのです。
そしてあなたは、夢を成立させ続けることに貢献しているか、でなければ(天国を「世界」として見せている)「相互合意されている定義群」を壊すことを助けているか(そしてリアリティを否定している「相互合意されている定義群」によって苦しんでいる人達全員の目覚めに貢献しているか)、そのいずれかなのです。

しかしこの最後の文節を読みながら、これらの言葉が「あなたは他者に対して権威や自分の意志を押し付ける力を持っている」と言っていると受け取らないで下さい。
あなたはすでに力を持っているのですが、殆どの場合まだ間違った使い方をしているのです。

あなたが力を持っている(従ってあなたは兄弟姉妹に影響を与えることなく存在することは出来ない)ということを認識したなら、リアリティの為そしてあなたの兄弟姉妹を目覚めさせる(従ってあなたを目覚めさせる)ものの為に「あなた」の現れの力(「あなた」を現す力)を表現するよう意識的に選択しなさい。

[あなたの疲れた目に、私は今までとは違う世界のビジョンを与えます。 それはとても新しく清潔新鮮で、あなたは今までの痛みや悲しみは忘れてしまいます。
そしてあなたはこのビジョンをあなたが見ている人々全員に分け与えなければいけないのです。 そうしなければ、あなたはこのビジョンを見られないから。]

ラジ:ここもキーポイントです。
「自分の兄弟姉妹と分け合いたくない(共有したくない)もの」は、あなたには見ることが出来ません。
そして、あなたは「あなたが見ているもの」を兄弟姉妹と分かち合わずには居られません。 あなた達は常に「自分達が見ているもの/こと」を分け合っているのです。

質問者: つまり、最終的に私がハッピー・ドリーム(幸福な夢)に目覚めた時、私は「リアルな彼等」が見えるようになるのですね。
ラジ:そうです。
しかし「目覚めの啓示」は、あなたに耐えられないほど大きなパッケージで(一度に)やって来る訳ではありません。
目覚めの全容は常に毎瞬あなたに与えられており、それがあなたの根源的体験ではあるのですが、その未知を信頼するあなたの意欲と決意が、「父の意志(見方)が何か?」聞きそれを信じ抜く決意が、あなたの受け取るパッケージ(気付き)の大きさを決めているのです。

あなたが真理を垣間見る度に、あなたは人々に分け与えるもの(共有状態)を得るのです。
「私が完全に目覚めたなら、人々とシェアー出来るものが得られるだろう。」(とだけ考えないで下さい。) 何故なら、あなた達はほぼ毎日分かち合うべきことを体験しているのだから。

[このギフトを与えることにより、あなたはこれを自分のものにするのです。
そして「それはあなたのものである」と慈愛の中で神が任命しました。 わたし達が世界を歩いて、彼(神)のギフトがわたし達のものであることを様々な機会に再確認出来ることを喜びましょう。
このようにして地獄の様々な遺物や秘密の罪や隠れた憎しみが消え去り、それらが隠していた愛らしさが、(キリストが現れる前までわたし達が歩んできた茨の道からわたし達を引き上げる)天国の芝生のように、わたし達の視界の中に現れ出るのです。

私の兄弟よ私を聞きなさい。 私を聞いて私と繋がりなさい。
私の呼び掛けが虚しくなることはないと神が決めたのです。
彼(神)の確信の中で、私は満足して休むのです。
何故なら、あなたは聞き、あなたはもう一度選び直すのだから。
そしてこの選択の中で全ての人が安全に成るのです。

(訳注: これ以降のACIM文は神に対する呼び掛けで、あなた=神、私=読者です。 )
父よ、あなたの子供達であり私の兄弟達であるこれら聖なる者達を遣わしてくれたあなたに感謝します。 彼等に対する私の信心はあなたのものです。
彼等が私の元に来て永遠にそこに居続けることを(彼等をあなたが知っていると同じ位確かに)私は確信しています。
彼等は私が与えるギフトを受け入れるのです。何故なら、あなたが彼等のためのそのギフトを私にくれたのだから。
そして私はあなたの聖なる意志だけを行い、彼等がそれを(あなたから私に与えられた意図を)選ぶのです。
そして私は彼等に関して感謝を捧げます。
彼等が(彼等に与えるようにと神であるあなたが私に与えてくれたギフトを)選択する毎に救済の歌が世界に鳴り響きます。
何故なら、わたし達はひとつの目的を共有しており、地獄の終わりが近づいているから。]

ラジ:このような確信を持てるなら素晴らしいとあなた達は考えているかもしれません。
そのように考えているなら、あなたは自分がそのような確信(人々があなたの与えるギフトを受け入れるという確信)を持っているとはまだ信じていないのです。

わたし達は第一に「神/聖霊/私(イエス)/あなたのガイド」を招き入れ、あなた自身の中で真理を示させ「真理が何か」深く感じ取ることに関して話しているのです。
あなたがこれを行ないその真理を見て感じた時、あなたは自信を持って兄弟姉妹の前に進み出て話しかけることが出来るのです。
これは、その人の個人的救済者に成る自信ではなく、「あなたの体験しているシンプルに統一された真理がとても正しく、この真理がその人に関する真理でもある」という自信なのです。
その時あなたのマインド内には疑念がないのです。
その時あなたは、その人がそれを受け取り受け入れそれを認識することを疑っていないのです。 何故なら、あなたもそれを受け取り受け入れそれを真実として認識したのだから。
そしてその人にもこの真理を受け入れそれを体験することが出来ると疑わないのです。 何故ならあなたもそうしたのだから。
そしてこれをする前まであなたは、その人が今立っている所に立っていたのだから。
だから、あなたがそれ(その真理)を受け入れそれを体験出来たなら、その人にも同じことが出来るとあなたには解るのです。

[私の手は過去の誘惑を退けている(そして完璧に落ちつき輝き透っている光を弛まず見定めている)全ての兄弟と繋がるために伸ばされており、彼等を歓迎しています。]

ラジ:「過去の誘惑を退けている全ての兄弟」つまり「決意と確信をもってやり続けている全ての兄弟」ということです。

[私自身のもの(私の兄弟姉妹)を私に与えてください。彼等はあなたのものなのだから。
あなたの意志でしかないものの中であなたが失敗することが在り得るでしょうか?
私の兄弟の真実に関して、そして私と繋がることを決めてくれた各人の真実に関して、私はあなたに感謝します。 ]

ラジ:「私の兄弟の真実に関して...私はあなたに感謝します。」 
兄弟姉妹のプレゼンテーション(振舞い)に対してではなく、彼等に対する私の思考に対してではなく、兄弟姉妹の真実に対して私はあなた(神)に感謝します(ということです)。
あなたが嫌っている兄弟を赦して、彼に対する反感を横に置いて、彼に対する決め付けを止め、彼に関して神と話し「彼に関する真理が何か」本当に知りたいと願うのです。
その人が表している(象徴している)ように見える全てをあなたが嫌っていることが、彼/彼女を嫌う(軽蔑する)体験をあなたがエンジョイしていることが、あなたが自分の注意/意識を何に与えようと選択しているか示しています。
そして、これが(この選択が)「彼等の真理が何か?」神に訊ねられるだけあなたが真摯に興味を示すことを完全に阻止してしまっているのです。
何故なら、神が彼等に関する真理をあなたに告げたなら、彼等を嫌うことから得ている大きな満足をあなたは手放さなくてはならないから。
だから、あなたは父の視点のギフトを受け取っておらず、父の視点でもって兄弟姉妹を抱擁してその抱擁の中で自分自身を解放することが出来ていないのです。

[地上から天国への感謝の歌が聞こえて来ます。小さなバラバラのメロディーが「地獄から贖われた世界」より聞えてくるコーラスに育って行き、あなたに感謝を捧げるのです。]

ラジ:小さいバラバラの旋律。
教会で賛美歌を歌ったことがある人は、数人しか居ない時に賛美歌を歌うことが難しいことをご存知でしょう。
しかし沢山の人達と一緒なら、自分の声を出すことはとても簡単なのです。
だから、これがバラバラのメロディー(主張)に見えている時には、あなたの声が場違いな歓迎されていないものに感じられるかもしれませんが、気を落さないで下さい。
何故なら、これを愛と共に行なう人が増えれば増える程、これが行なわれている純粋さ故に、これは人々に届き「信徒」を増やし変容をもたらすプレセンス(現れ/表現)なのだから。

このようにして、これは「全てを内包した一つのコーラス」に成るのです。
しかし(とても実際的な方法で神を賞賛している)幾千の声のサポートがまだない時点でも、あなたは続ける意欲を持たなくてはいけないのです。
このような持続力と決意が必要なのです。

[そして今わたし達は「アーメン」と言いましょう。
何故なら、時が始まる前の永遠の静けさの中であなたが彼(キリスト)のために設定した住処にキリストが住み付いたのだから。
旅は終わりに近づいており、それはこの旅が始まった場所で終るのです。]

ラジ:このようにして、旅はそれが始まった地点(故郷)に戻りそこで終るのです。
この故郷からの逃避行を行なう前、あなた達は全員目覚めていたのです。
白昼無に浸ることを選択するまでは、あなたは神の永遠の直接表現であり、完全に目覚めたキリストだったのです。
だからあなたの故郷への帰還は、あなたが元居た場所に帰って行くことなのです。
これを知っておくことが大切なのは、あなたが近づいていると考えているものは、何かあなたが達成しなくては成らないようなことではないからなのです。
それはあなた自身をその中に入れ直すべきものなのです。
それは「あなたの存在」のナチュラルで永遠の状態なのです。
『「あなた」のこの自然な状態に、あなた自身を入れ直すこと』をわたし達はしているのです。
これは教室の中で夢見ている生徒が、(決して自分がそこから離れなかった)教室内に自分の意識を戻すようなことなのです。

だからこれは不可能なことではないのです。
あなたが今まで使ってきた(自分が神から分離しているという)自己主張を全て放棄してそれを完全に崩壊させたなら、そしてこの自己主張を二度としないことにしたなら、あなたはその時あなたの正しいマインドの中に直ちに戻るのです。

これは何かを達成することではないのです。
これは決して変らない根源的事実で、あなたが分離した独立的存在として自分自身を作り続けることを止めた時、自分がこの状態に戻っていることをあなたは発見するのです。

[それは(旅の厳しさは)跡形もなく消えるでしょう。
一つの幻想さえも信心には値しないのです。キリストの顔を隠す一つの闇さえも最早残っていません。]

ラジ: あなたの注意や信心に値する「相互合意されている定義」は一つもないのです。 そして「相互合意されている定義群」の結果として現れている暗闇は一つも残っておらず、キリストの顔を誰かから隠してはいないのです。

[あなたの意志がなされました、完全にパーフェクトに。]

ラジ:それは初めからそうであって、それが止まったことは無いのです。
神の意志が完全にパーフェクトに行なわれています。

[そして創造されている全てのものが、それ自身の唯一の源としてあなたを認めており、あなたを知っているのです。
あなたのイメージに従って、あなたの中に住んで動いている全てのものが光を放っています。
何故なら、わたし達はわたし達が「ひとつ」である所に到達しており、あなたがわたし達を据えた故郷にわたし達は居るのだから。]

ラジ:私はこれを知っています。 そしてあなたも「あなたの為に、そしてあなたの兄弟姉妹の為に」という言葉の意味を知るようになって来ているのです。
私はこのことを知っており、あなたを助けており、あなたと一緒に居るのです。
私はこのことを完全にクリアに知っているので、これを完全にクリアにあなたに伝え、「神が実存している」と信じてそれに従って行動する勇気をあなたが持てるように助けているのです。

もしあなたがコントロールすることを手放したなら、自分達の相互合意されている定義群を放棄したなら、全ては破滅せず全てが天国として照らし出されると発見出来ることに賭けて、そうする勇気があなたに持てるように私は助けているのです。
私と繋がるリクエストの中で、私はあなたをこれで(あえて上記のことをしてみようと思える勇気で)抱擁しているのです。
信じ難いことが信じられるように、これをあなた自身の為に受け入れて、私のあなたへの信頼を自分の為に受け入れて欲しいのです。
そうして私があなたの為にしていることを、あなたが兄弟姉妹の為に出来るように成って欲しいのです。
たとえそれが難しく思えても、関わり合いを持てるように。関与することが出来るように。
あなたが兄弟姉妹の為の神の証人に成る機会を彼等(兄弟姉妹)が提供している時、それを嫌なこととして避けてしまわないように。

さて私は(ACIM)の一番最後の章(の一部)を読みました。 
こうすることで、これより第一章から読み続けるために必要な文脈(大筋)が解ったでしょう。
(訳注: ラジはChapter31のセクション1/2/8への解説を行なったのですが。セクション1の解説は録音に失敗しておりテキストも残っていません。)

質問者: もし全ての人々がジョージ・ブッシュを愛したなら何が起こるのでしょうか?

ラジ: 奇跡。
しかし彼だけに限定しないで下さい。サダム・フセインを含めても良いでしょう。
あなたにとって抱擁し祝福することが難しい全ての人を(あなたの抱擁の中に)含めてください。
愛の力のクリアな表現があなたの生活の中に時折現れている時、それはどのような効果を示しているでしょうか?
それはどのようなことをあなたにもたらしているでしょうか?
その時の様子を思い出して、(自由意志の使用を控えて、憎しみを慎んだ時)あなたが(他者に)与えることの出来る愛のギフトの力を認識しなさい。
その時何が起こるか予測しようとして時間を浪費するのは止しなさい。
それを行い、行なうことによって何が起こるか発見しなさい。
それを行なって驚きなさい。
何故なら、あなたの解放した人があなたを解放するのだから。
これがあなたが故郷に帰る唯一の道なのです。

(夢見ている神の子達によって)一番初めになされた選択は、「父が成っているもの/父が存在している様子」から異なった「相互合意されている定義」を(二人の神の子が)使って故郷を離れることでした。 
だからあなたが選び直している時、あなたはもう一人の人と一緒にそれを選ぶのです。
これは、神の創造に対して愛の無い/愛らしくない(神の創造したものに反する、従って神に反する)性質や意味を与え続けるのを止めて、愛を表現する目的でもう一人の人と繋がることなのです。

終わり

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

ACIM02-06-12

Chapter 31-2 ACIM 2002-06-12


{JCIM版のセクション名は“Walking with Christ” [キリストと共に歩む]}

[The Illusion of an Enemy]
[敵の幻想]


[An ancient lesson is not overcome by the opposing of the new and old. It is not VANQUISHED that the truth be known, or fought against to LOSE to truth's appeal.
There is no battle which must be prepared, no time to be expended, and no plans that need be laid for bringing in the new. There IS an ancient battle being waged AGAINST the truth, but truth does not respond. Who COULD be hurt in such a war, unless he hurts himself? He HAS no enemy in truth. And CAN he be assailed by dreams?
Let us review again what seems to stand BETWEEN you and the truth of what you are. For there are steps in its relinquishment. The first is a decision which YOU make. But afterwards, the truth is GIVEN you. You would ESTABLISH truth. And by your wish, you set two choices to be made each time you think you must decide on anything. NEITHER is true.]

[古代のレッスン{分離のレッスン}は、新旧の対立によって克服されるものではありません。
真理を教えるために何かを打ち負かしたり、真理をアピールする為に何か(誰か)と戦って負ける必要はありません。
戦闘に備える必要はなく、引き伸ばすべき時間はなく、新しいもの(新しい状態)を引き出すためにプランを練る必要もないのです。
古代の戦いが真理に対して布告されてはいますが、真理はそれには反応しません。
自分で自分を傷つけない限り、誰がかような戦いで傷つけられ得るでしょうか?
彼は(人は)真理の中に敵を持ってはいません。 彼が夢によって攻撃されることが在り得るでしょうか?
「あなたとあなたの真理の間に立ちはだかっているように見えているもの」をもう一度調べてみましょう。
何故なら、これを放棄するためには二つのステップを踏む必要があるのだから。
初めのステップであなたは選択する必要があります。 そしてその後、真理があなたに与えられるでしょう。
あなた達は{自分達で勝手に}真理を設立しようとしたのです。 {自分達で真理を決めたいという}あなた達の願いによって、何かを決める必要があると考える度に、二つの内から一つを選択するようになっています。 しかしそのどちらの選択肢も真実ではないのです。]


ラジ:つまり、何かを決めなくてはならないとあなたが考えた時、あなたは二つの選択肢を自分の前に設定するのですが。 それらはどちらも正しくはないのです。

[Nor ARE they different.]
[そしてそれらの選択肢はどちらも基本的に同じなのです。] 

ラジ: あなたが何かを決める度、「何が真理/真実か」あなたが決める度、何かを決めるためにあなたが考える度、その決断の目的は自分を守ることなのです。 あなたの選択は「自分を安全にする為の防御の視点」から行なわれるのです。 それらの選択肢がどちらも同じなのは、それらが防御という全く同じ目的を持っているからです。

[Yet must we see them both, before you can look PAST them, to the ONE Alternative that IS a different choice. But not in dreams you made, that this might be OBSCURED to you. What YOU would choose between is NOT a choice, and gives but the ILLUSION it is free, for it will have ONE outcome either way.
Thus is it really not a choice at all.
The leader and the follower emerge as SEPARATE roles, each seeming to possess advantages you would not want to lose. So in their fusion there appears to be the hope of satisfaction and of peace. You see yourself divided into both these roles, forever split between the two. And every friend or enemy becomes a means to help you save yourself from this.
Perhaps you call it love. Perhaps you think that it is murder justified at last.
You hate the one you gave the leader's role when YOU would have it, and you hate as well his NOT assuming it, at times you want to let the follower in you arise, and give away the role of leadership. And this is what you made your brother FOR, and learned to think that this his purpose IS. Unless he serves it, he has not fulfilled the function that was given him by you. And thus he merits death, because he has no purpose and no usefulness to you. And what of him? What does he want of YOU? What COULD he want, but what you want of him? Herein is life as easily as death, for what you choose you choose as well for him. Two calls you make to him, as he to you.
Between these two IS choice, because from them there IS a different outcome. If he be the leader or the follower to you, it matters not, for you have chosen death. But if he calls for death or calls for life, for hate or for forgiveness and for help, is NOT the same in outcome. ]

[しかし、あなたがそれらを超えて見られるようになり、本当に異なる選択肢を選べるようになる前に、わたし達はその両方の選択肢を見据える必要があります。 
しかし(この点が不明瞭に成っているかもしれませんが)あなた達が作った夢の中であなたがこれを(本当に異なる選択を)するわけではありません。
{エゴとしての}あなたが行なおうとしているのは選択ではなく、自由の幻想を与えることだけなのです。
何故なら、(あなたがどちらを選択したように見えても)これは一つの結果しかもたらさないのだから。
だからこれは本当は全く選択ではないのです。
リーダー(先導)と追従者は別々の役割として現れ出るものです。 そしてそれらの役割は「あなたが手放したくないと思っている優位性」をそれぞれ持っているように見えます。
だからこれらの役割を混ぜ合わせたなら、そこに満足と平和が得られるような気がするのです。

あなたは、自分がこれら二つの役割に分離しているように見ており、この二つの間で自分が永遠に分けられていると思っています。
そしてあなたの全ての友と敵が「あなたをこのことから助ける方法」になっているのです。
もしかしたら、あなたはこれを愛と呼んでおり。もしかしたら、あなたはこれをやっと行なえた正当な殺人(正当防衛)と考えています。
あなたは特定の人に(本当は自分でしたかった)リーダーの役割を与えており、その人を憎んでいるのです。 そしてもし彼がリーダーの役を受け取らなかったらやはり彼を憎むのです。 時にはあなたは自分の中の追従者を表現し、リーダーの役を他に譲りたいと思うのです。
あなたはこの為に自分の兄弟を作ったのです。 そしてこれが彼の(あなたの兄弟姉妹の)役割だと考えるように学んだのです。
彼がこの役割を担わなかったなら、彼はあなたが彼に与えた機能を全うしていないのです。 すると彼には役割が無くなり、あなたにとって役立たずになるので、彼は死に値することになります。

さて彼の側(あなたの相手の方)ではどうなのでしょう?
彼はあなたから何を求めているのでしょうか? あなたが彼から求めているものを、彼もあなたから求めているのです。{彼も独立独尊した自分に都合の良いリーダーや追従者をあなたから求めているのです}
ここにおいて生命が死と同じぐらい容易になっているのです。
何故なら、あなたが選んでいるものを、あなたは彼の為にも選んでいるのだから。
あなたは彼に二つの呼び掛けを行い、彼もあなたに二つの呼びかけを行なうのです。 この二つの間に選択が存在しています。 何故なら、彼等(リーダーと追従者)にとっては選択するものによって異なる結果が得られるから{異なる結果が得られるように見えているのだから}。
{だから本当は}彼があなたにとってリーダーでも追従者でも、それは違いをもたらしません。何故なら{エゴとしてリーダーや追従者を求めている}あなたは{彼のために}死を選んでいるのだから。{だからあなたは自分のためにも死を選んでいるのです。}
しかし彼が死/生のどちらを呼ぶか(選ぶか)、憎しみと赦しのどちらを呼ぶか(選ぶか)、によってそれらは{あなたにとっては}異なる結果をもたらします。]

{上記の文はより正確には「しかしあなたが他者の二つの呼び掛けの中から憎しみを選ぶか、それとも赦しを選ぶか、その選択によって異なる結果が得られるのです。」と言おうとしていた様です。 }
{もし万一上記の文を書かれている通りに(青文字通りに)解釈した場合、この選択も「違いをもたらさない選択」となり、この直ぐ下の文章に現れる「救済をもたらす選択」とは別のものになります。 あるいは下記の救済もまた幻想の救済で、下記の二分も幻想の中の状態を言い表していることに成ります。しかし前後の文脈から「しかしあなたが他者の二つの呼び掛けの中から憎しみを選ぶか、それとも赦しを選ぶか、その選択によって異なる結果が得られるのです。」が正しい解釈と思われます。}


[Hear the one, and you are separate from him, and are lost. But hear the other, and you join with him, and in your answer is salvation found. ]

[あなたがその選択(呼び掛け)の中の一つ(憎しみ)を聞いたなら、あなたは彼から分離しており、失われているのです。 しかしあなたが他方の選択(赦し)を{彼の呼びかけの中から}聞いたなら、あなたは彼と繋がり、あなたの答えの中に救済が見つかるのです。]


{訳注: Chapter31の上記の部分はそのままでは私には理解出来ませんでした。だからラジの話を参考にし、私自身のインスピレーションも使って、意味が通じるよう積極的に文章を作り直しています。 この部分が混乱している一因は二組の異なった「選択」が使い分けられており、しかしそれらが十分明確に言い分けられていないからです。 
「繋がって聖霊から真理を得て愛に成るか/エゴとして分離したまま憎しみを抱くか」これが「本当に違いをもたらす選択」で「呼び掛け」と同等でです。 
真理を自分で決めたいという願いによって何かを決める必要があると考える度に現れる(どちらも真実ではない)二択選一、これが違いをもたらさない選択です。}

[The voice you hear in him is but your own. What does he ask you for? And listen well. For he is asking what will come to you, because you see an image of yourself, and hear your voice requesting what you want.
Before you answer, pause to think of this:
The answer that I give my brother is what I am asking for.
And what I learn of him is what I learn about myself.
Then let us wait an instant and be still, forgetting everything we thought we heard; remembering how much we do not know.
This brother neither leads nor follows us, but walks beside us on the selfsame road. He is like us, as near or far away from what we want as we will let him be.
We make no gains he does not make with us, and we fall back if he does not advance. Take not his hand in anger but in love, for in his progress do you count your own. And we go separately along the way unless you keep him safely by your side.]


[彼の中にあなたが聞く声は、しかしあなた自身のものなのです。
彼はあなたに何を尋ねて(求めて)いるのでしょうか? よく聞きなさい。
何故なら彼は「あなたのもとに来るもの」を求めているのだから。
あなたはあなた自身のイメージを{彼の中に}見ており。 そしてあなたの声があなたの求めているものを要求していることを{彼の中で}聞くのです。

この質問に答える前に、立ち止まって次のことを考えて見なさい:

[The answer that I give my brother is what I am asking for.  And what I learn of him is what I learn about myself. ]

[私が自分の兄弟に与えている「答え」が「私が求めているもの」なのです。 そして彼について私が学んだことが、私が私自身について学んだことなのです。]

わたし達は少し待って静かに成りましょう。 わたし達が知っていると考えて来たことを全て忘れて、わたし達がどれ位知らないか思い出しましょう。
わたし達は、彼がわたし達と共に得なかったものは得られていません。 彼が進めなかったなら、わたし達は後退してしまうのです。 彼の手を怒りではなく愛をもって取りなさい。何故なら彼の進歩の中であなたは自分の進歩を計るのだから。 そしてあなたが彼を自分の傍に安全に保たなければ、わたし達はバラバラに進んでしまうのだから。]

ラジ: ここで「一人きりになるのは不可能である」ともう一度言っておきましょう。 独立状態は自分だけで存在している自治独尊状態は不可能であることをもう一度言っておきましょう。
それは不可能なのです。だからわたし達がこの部分を読んでいる時「自分には兄弟姉妹(同胞)が必要なのだ」という意識をもって読んで下さい。
あなたは姉妹兄弟を必要としており、コンパニオン達を必要としているのです。
「自分は自分一人だけでもハッピーで十全で居られる」という不自然な意識を受け入れてしまっているので、あなた達にはコンパニオンが必要なのです。
勿論一人独立した存在として健全に居られるというアイディアは噓なのです。
あなたはそのようなことは出来ないのです。
しかしあなたがその必要を感じない限り、受け入れの意志や抱擁の意図を持つことは出来ず、それらは無意味なのです。

{体を使って}フレンドリーに振舞うのはとても簡単なことです。
社交的な集まりに参加して、そこに順応し親しみ易く鷹揚に振舞いながら、誰にも全く触れず/誰からも触れられないことは全く簡単に出来るでしょう。

その場所に向かっている時に孤独で、その場所に居る間も孤独で、その場所を去った後も孤独で(しかしフレンドリーな人として振舞うことは)可能でしょう。
誰もリアリティに対する間違った体験を打ち破ろうとはしないのです、人が自分の必要を認め感じられるように成るまで。 自分が同胞を必要としていると認められるように成るまで。
あなたがその必要を感じるまで、あなたの同胞を受け入れるドアをどこで開いたらよいのか解らないのです。
必要を感じていない限り、どこにドアがあるか解らないのです。
これを念頭において読み進んで下さい。

質問者: ラジ、これは二つの選択肢やわたし達がするべき決断とどのように関係しているのですか?
二つの選択肢があって、どちらも正しくは無いわけですね?
わたし達は自分達の兄弟を二つの見方で見る事が出来るのです。 その人を、攻撃者として見るか、あるいは赦しに値する者としてみるか。 
その赦しが、実際にはわたし達自身を赦して居るのです。
しかし私はここで言い表されていることの初めの部分が理解出来ません。


ラジ: 両方とも間違っている二つの見方(選択肢)とは、あなたが同胞をポジティブなあるいはネガティブな理由で使おうとしている時のことです。

その人の「本当の姿」と全く繋がらずに、その人から何かを得ようとしてフレンドリーに振舞ったり、その人があなたの良き人(愛らしい人)の概念に合致しているのでその人と親しくなったりすることです。
その時起こっているのは、あなたの概念が設定している「価値ある人/知るに値する人」という判定基準にあなたが反応していることだけなのです。
そしてその人がもしあなたの判定基準に満たなかったなら、例えば(あなたがブロンドの女性だけが好きだったとして)彼女がブロンドでなかったなら、あなたは自動的に彼女を知るに値しない人とカテゴリー分けするのです。
あなたが他者を使って自分の目的(それがポジティブでもネガティブでも)を満たそうとしている時、あなたは同じ選択をしているのです。 それはその人と全く繋がらないという選択です。  誰があなたの愛や注意に値するか判断する為にあなたの計り(判断基準)に掛けて、あなたは遠くでそれを眺めているのです。

[BECAUSE he is your equal in God's Love will YOU be saved from all appearances, and answer to the Christ Who calls to you. ]

[神の愛の中では彼はあなたと同等の者なので、あなたは全ての「見かけ/見せかけ」から救われており、あなたに呼びかけているキリストに答えることが出来るのです。]


ラジ: あなたは自分の判断基準が示している「見せかけ」から救われるのです。
質問者: わたし達はいつ救われるのでしょうか?
ラジ: 彼があなたと同等の者であるとあなたが理解した時です。 何故なら、神の愛の中で彼はあなたと同等なのだから。
質問者:つまり、彼は私(あなた)と平等であって、それ以上でも以下でもないのですね。
ラジ: その通りです。
質問者:なるほど、望ましいとか望ましくないという判断は存在しないわけですね。 

[Be still and listen. Think not ancient thoughts. Forget the dismal lessons that you learned about this Son of God who calls to you. Christ calls to all with EQUAL tenderness, seeing no leaders and no followers, and hearing but ONE Answer to them all. Because He hears one Voice, he cannot hear a DIFFERENT answer from the one He gave when God appointed Him His only Son. ]

[静まって聴きなさい。古代の思考を考えるのは止めなさい。
あなたに呼びかけているこの神の子に関してあなたが学んだ陰鬱なレッスンは忘れてしまいなさい。
キリストは全て(全員)に対して同じ優しさで呼びかけています。リーダーを見ることなく、追従者を見ることなく、彼等全員に対する一つの答えだけを聞いているのです。
彼(キリスト)は「ひとつ」の声を聞いているので、神が彼(キリスト)を神の唯一の息子として任命している限り、彼(神)が与えたひとつの答えから異なった答えを聞くことは彼(キリスト)には出来ません。]

ラジ: だからあなたと同等であるこの兄弟は、あなたと平等であるだけでなく、(あなたと同様に)故郷に帰ろうとしているのです。
彼は、同様な人間の同胞としてあなたと平等であるだけでなく、彼はキリストとして(あなたと)同等なのです。
これが「あなたが今ここでキリストであること」を示しています。
これが「あなたは父が設定した動き(それがあなたとして見えています)であり、最初からあなたがそうであったこと」を示しています。
想像(幻想)の世界以外では、これは決して変えようがないのです。 
だからコース(A Course in Miracles)が「あなたの兄弟を見て、そこにキリストを認識しなさい」といっている時それは「この人はあなたより進んでいるのです。 この人はあなたより良き人なのです。」といっている訳ではありません。

しかしコースは、あなたが兄弟の中に見ていること(兄弟の中で発見出来ること)が「あなたに関する真理」であることを認識し、あなた自身をより正確に理解出来るように成りなさい、そしてあなたの卑小な思考が可能にするよりも高い(尊厳に満ちた)関係が持てるように成りなさい、といっているのです。

[Be very still an instant. Come without all thought of what you ever learned before, and put aside all images you made. The old will fall away before the new, without your opposition or intent. ]

[少しだけ(一瞬だけ)とても静かに成りなさい。以前にあなた達が学んだ思考の全てを捨てて来なさい、そしてあなた達が作ったイメージを手放しなさい。あなたの抵抗や意図がなくなれば、新しいもの(新しいイメージ)の前で古いもの(古いイメージ)は抜け落ちます。]

ラジ: ネガティブなものでもポジティブなものでも、あなた達の意図的(自己主張的)表現が無くなれば、古いものは抜け落ちます。

[There will be no attack upon the things you thought were precious, and in need of care. There will be no assault upon your wish to hear a call that never has been made. ]

[「あなたが大切で守る必要があると思ったもの」への攻撃はなされません。「決して発せられなかった呼びかけ」を聞こうとしていたあなたの願いへの攻撃は起こりません。]

ラジ:あなたが聞こうと思った呼びかけ、決して起こらなかった呼びかけ、とは何のことでしょうか?
参加者: 基本的に私が見ているものを(独立存在からの視点で)見ることが私の(エゴの)願いです。 だから、私がもし決してなされなかった呼びかけを聞いたとしたなら、それは私に防御か攻撃の言い訳(正当化)を与える何かなのでしょう?

ラジ: その通りです。 「決して行なわれなかった呼びかけ」とは例えば、誰かがあなたのことを誹謗/非難/軽蔑しているように見えている時のことです。あるいは誰かが正当な理由であなたに怒っている時のことです。これらのことが彼等に対するあなたのその後の知覚/認識に色付けを行い(歪みを与え)彼等が何も誹謗的なことを言っていない時でも、あなたはそれを誹謗/軽蔑として聞いてしまう傾向を持つのです。 何故なら、あなたは彼等からそのようなことを聞くよう期待しているのだから。

だから「あなたがそれを聞こうと願っている、何故ならあなたは彼等がそのような人達だと確信しているから。」と言うことも出来ますね。
しかし関係が癒やされていけば、決して言われなかった呼びかけ(攻撃の正当性)を聞こうとするあなたの願い{あなたの期待}が攻撃を引き出さなくなります。
それ(聖霊/癒やし)はあなたと言い争いません。それはあなたを説得しようとはしません。それはあなたを溶かすのです。それはあなたの抵抗を溶かすのです。
それはあなたが今まで物事を見てきたやり方へのこだわりを溶かすのです。
しかしそれはあなたと言い争わないのです。 それは「あなたが今まで物事を見ていた方法がどれだけ間違っていたか」と言ってあなたと論争したりはしないのです。
(あなたの同胞の本当の存在が神の現れ(キリスト)だと感じ始めて)お互いの中にキリストを見ようとする意欲が出始めた時、「彼等を(その真の姿から)違った形で見たいというあなたの願い」が解消されるのです。
時には自分が持っていないものを他者が持っているように見えて、あなたは嫉妬してしまい、他者を歪めて見ようとして来たのです。自分の欠乏故に彼等に対して怒り、彼等を自分のビジョン(見解)に当て嵌めようとしてしまうのです。
それは「彼等が持っているものを得ることは自分には出来ない」という考えであり、「彼等を酷い人たちとして見たい」というあなたの希望なのです。
そして実際の問題は「彼等が持っているもの」ではなく、「自分はキリストではない/自分には彼等ほどの価値がない、だから神が自分に恵みを与えてくれていない」というあなたの概念なのです。
しかしあなたは神に対して怒るのではなく、彼等に対して怒り、彼等はその怒りに値するのだ、と考えるのです。
これは特定の人のことを言っているのではなく、あなたの生活の中の真実を言っているのでもありません。

ここで重要なのは、自分の同胞の中にキリストを認識しようとする意志が生まれれば、(外部的な力/説得を必要とせずに)あなたと彼等を隔てていたものが一瞬で自動的に解け出す、ということなのです。
これは常に「愛されていること」として感じられるのです。
強制されること無く(侮辱されることなく)あなたの思考が変容されたなら、それが理由無く起こったなら、あなたが(彼等とあなたを祝福する)新しい視点に到達したなら、その時あなたは常に愛されていると感じるのです。
その時常にあなたは、そのプロセスによって尊重されたと感じるのです。
それが神の性質に関してあなたに教えているのです。
それが目覚めの本質をあなたに教えているのです。
その全ての課程で、それはあなたの尊厳を認めており、あなたの価値を認めており、あなたはそれを意識し続けることでしょう。

[Nothing will hurt you in this holy place to which you come to listen silently, and learn the truth of what you really want. No more than this will you be asked to learn. But as you hear it, you will understand you need but come away WITHOUT the thoughts you did not want, and that were NEVER true. Forgive your brother ALL appearances, which are but ancient lessons that you taught yourself about the sinfulness in you. Hear but his call for mercy and release from all the fearful images he holds of what HE is, and of what YOU must be. He is afraid to walk with you, and thinks perhaps a bit behind, a bit ahead, would be a safer place for him to be. Can YOU make progress if you think the same, advancing only when he would step back, and falling back when he would go ahead? For so do you forget the journey's goal which is but to decide to walk WITH him, so neither leads nor follows. Thus it is a way you go together, NOT alone. And in THIS choice is learning's outcome changed, for Christ has been reborn to BOTH of you. ]

[(あなたが静かに聞く為に、そして本当に望んでいるものの真実を学ぶ為に訪れている)この聖なる場所であなたを傷つけるものは何もありません。
あなたが学習するべきはこのこと(上記のこと)だけなのです。
しかしあなたがこれを聞いている時、あなたは自分が求めていなかった(そして決して真実には成らなかった)思考を手放してここに来る必要があることを理解するでしょう。
あなたの兄弟の見かけ(様相)を全て赦しなさい。 それらは、あなたが自分に教えた「自分の中の罪深さ」の古代のレッスンにしかすぎません。
彼の慈悲への呼びかけを聞いて、彼が「彼であるもの」に押し付けている怖ろしいイメージから(彼を)解放しなさい。 {そして、そのイメージが「あなたは(自分は)こうであるに違いない」という定義もおこなているので、彼がそのイメージから解放されれば、あなたも怖ろしいイメージから解放されるのです。}
彼はあなたと共に歩むことを怖れており、(あなたより)少し後か前に居た方が自分を安全に保てると考えています。
あなた達が(あなたと彼が)同じ考えをもっていたなら(彼が後退した時だけ自分が進み、彼が進んだ場合自分が後退してしまうとあなた達両者が考えていた場合)、あなた達は前に進めるでしょうか?
何故なら、その場合あなた達はこの旅のゴール(目的)を忘れてしまうから。
この旅のゴールとは、(どちらかがリーダーに成ったり追従者に成ったりすることなく)彼と共に歩く決断をすることなのです。
だからこれはあなた達が(一人きりではなく)一緒に歩く道なのです。
この選択をしたなら学習の結果が変わるのです。 何故ならその時、あなた達両者のもとにキリストが生まれて来ているのだから(キリストが再来しているのだから)。]

ラジ: さてどのようにしてキリストがあなた達両者のために再生されるのでしょう。
あなた達が一緒に歩むことを選択した時に、それは再度生まれてくるのです。
これはとても大切なことです。あなた達が僅かな分離(距離)でも残している限り、キリストは生まれて来れない(キリストは生まれ変われない)のです。
あなた達が自己防御を使っている限り、それは生まれて来れません。
自分自身の意識体験としてキリストの再来を自分の中で見たいなら、あなたは自分の兄弟姉妹と共に無垢になる方法を探さなくてはいけません。
これは「彼等の振舞いをコントロールして無垢にさせなさい」と言っているのではないのです。
あなたは彼等の無垢と一緒に居られるようにならなければいけないのです。
偏見無く、太古の憎しみを持たずに、彼等と一緒に居なさい。
あなた自身と彼等の間に過去を挟むことなく、彼等と一緒になりなさい。

あなた達両者がお互いを必要としていることを感じられるようになるまで、そして一緒に進んで、お互いを赦していかなければ(お互いに対する決め付けを止めなければ)キリストがあなた達の中に生まれることは出来ません。
あなた達がどれだけ完全にキリストであるかよりクリアに発見して行くプロセスで現れる諸々のことを行なう忍耐力が必要なのです。
あなたが一人で独立的にキリストに成ることは不可能なのです。
一人立ち上がって「私はキリストだ」と言うことは出来ないのです。

質問者: 私だけがキリストだ、とは言えないのですね?

ラジ: その通りです。
キリストがあなたの存在の意識体験に成れる唯一の方法は、あなたが「自分の兄弟がキリストである可能性」を許可して、自分の兄弟に関する真理を認めている時だけなのです。
あなたの敵にしか見えていない者に対して無防備になること(無防備に敵と繋がること)をあえてするまで、あなたがそれ(キリスト)を感じることは出来ないのです。あるいは、余り良く知らない人、知りたいとも思わない人でも同じことです。

どの様なものであれ{他者との}距離を保つ為に使われている理由が「キリストで在ることの意識体験があなたの中で生まれること」をブロックしているのです。
何故なら、キリストに成るということは、それ程特別なことではないからです。
それは栄光(人間の栄誉)ではないのです。 それはより基本的な根源的なレベルで体験されるものなのです。
それは自分の兄弟に対して怖れを懐かない度量として、自分の兄弟の為に真摯に彼と一緒に居ることとして、体験されるのです。
キリストに成ることはハイではなく(興奮をもたらすことではなく)、想像出来ない愛がそこから現れ出て表現される深い静寂として現れるのです(たとえ一瞬前まで何が起こっていたにしろ、たとえこのキリストの拡張が行なわれている瞬間にどの様なことが起こっていたにしろ)。

あなたがある人の中にキリストを感じている時、その人はもしかしたらまだそれ(キリスト)を感じてはいないかもしれません。 あなたから流れ出ている(そしてそれらがその人の根源的真理でもあることをあなたが疑ってはいない)愛と誠意と静けさと平和と調和している振る舞いはまだ出来ていないかもしれません。

しかしあなたの中のキリストが目覚めているので、その人の振舞いは(まだキリストがあなたの中で生まれている場所からあなたの意識が来ていなかった時に生まれていた)反発をもはや引き起こさないのです。
だから、その人が自分のキリストを感じることを許可出来ると自動的に感じられなくとも、あなたの無害な(しかし意味深い)存在がいわば地を耕して、その人がまだ居心地悪く感じている場所をより良く整えて「その人が自分のキリストを発見すること」を可能にするのです。

[An instant spent without your old ideas of who your great Companion is and what he SHOULD be asking for, will be enough to let this happen. ]
[「誰があなたの偉大なコンパニオンなのか、彼は(あなたの偉大なコンパニオンは)何を求めているべきなのか」に対するあなたの古いアイディア無しに一瞬でも過ごしたなら、これが(キリストの再生/再来が)可能になるのです。]

ラジ: これはとてもシンプルで瞬間的なのです。 これには一時間掛かるのではなく、一ヶ月掛かるのではなく、一瞬でそうなるのです。
(一瞬の間で良いので)あなたの古いアイディア/概念が無い状態が必要なのです。
「あなたの偉大なコンパニオンが誰か、その人が何を求めているべきなのか」ということに対するあなたの信念を一瞬手放したなら、これが起こるのです。}

[And you will perceive his purpose is the same as yours. He asks for what YOU want, and needs the SAME as you. It takes, perhaps, a different FORM in him, but it is NOT the form you answer to. He asks and YOU receive, for you have come with but ONE purpose; that you both may learn you love each other with a brother's love. And AS a brother, must his Father be the same as yours, as he is like yourself. Together is your joint inheritance remembered and accepted by you both. Alone it is denied to both of you. Is it not clear that while you still insist on leading or on following, you think you walk alone, with no-one by your side? This is the road to nowhere, for the light cannot be given while you walk alone, and so you cannot SEE which way you go. And so there IS confusion, and a sense of endless doubting, as you stagger back and forward in the darkness and alone. Yet are these but appearances of what the journey is, and how it must be made. For next to you is One Who holds the light before you, so that every step is made in certainty and sureness of the road. A blindfold can indeed obscure your sight, but cannot make the way itself grow dark. And He Who travels with you HAS the light.]

[そしてあなたは彼の目的があなたのものと同じであると知覚/認識するのです。
「あなたが求めているもの」を彼も求めており、あなたと同じ必要を持っているのです。
それは(必要や欲求は)彼の中では(あなたとは)違う形で表れているかもしれません。 しかし、いずれにしろあなたは形に応える訳ではありません。
彼が求め(訊ね)あなたが受け取ります。 何故なら、あなたはひとつの目的だけを抱いて来ているのだから。 その目的とは、あなた達両者が兄弟の愛でお互いを愛していると学ぶことです。
そしてあなた達は兄弟なので、彼の父があなたの父でもあるに違いないのです。 そして彼はあなた自身に似ているに違いないのです。
あなた達の共有されている相続権は、あなた達両者によって一緒に思い出され受け取られるのです。
お互いに対して孤立している限り、それはあなた達の両方に対して与えられないのです。

あなたがリーダーに成ったり追従者に成ったりすることに拘っている間、あなたは誰も連れずに自分が一人で歩いていると考えているのですが、あなた達にはこれがまだ明確に理解されていないのです。
それは袋小路です。 何故なら、あなたが一人で歩いている限り光は与えられず、自分が何処に向かっているかあなたには見えないのだから。
だからあなたが暗闇の中一人で行き来している時、そこには混乱があり、終わりのない疑念があるのです。
しかしそこに見ているのは、旅の様に見えているもの、旅が作られている様子だけなのです。
何故ならあなたの隣には、あなたのために光を燈している者がおり、各ステップを確実に安全にすることが出来るのだから。
目隠しは確かにあなたの視界を隠すことが出来ますが、それが道そのものを暗くすることは出来ません。
そしてあなたと一緒に旅している彼が光を持っているのです。]

ラジ: これを書き出して冷蔵庫に張って置くと良いでしょう。
あなた達はそうは信じていないのです。 あなた達はこのように考えるよう条件付けられてはいないのです。
{あなたの条件付けは}自分が光を持っていること{自分のために光を持てくれているコンパニオンが居ること}に対して無知である結果として人々が間違った行動をしていることを教えていはいないのです。
だからこのことを毎日自分に思い出させるのは有益なことです。
あるいはこれをトイレの見える所に張って、最低一日一回見るようにしても良いでしょう。

あなたの同胞の中では彼の条件付けや(あなたや他の人に対する不十分な情報に基づいた)彼の信念以外のことも起こっているのだ(もしかしらた彼自身にもそれは理解さていないかも知れないけれど)とあなたが思い出せるように。
同胞がどのように自身を表明していたとしても、それはもしかしたら同胞の真理から来ているものではなく、だから同胞の表現/表明を(例え同胞がそれを固く信じていたとしても)それが真実であるかのように受け止め対応することは馬鹿げていると思い出せるように。

何故なら誰かが現状維持以外のビジョン(視界)をあえて持ってみるまで、よりクリアな光明が信念や条件付けを貫き示す方法が無いのだから。 そうしない限りあなたは他者の生活を変えるエージェント(代理人)には成れないのです。
だからあなたは、あなたの兄弟姉妹がキリストであるというだけでなく、彼等が光(光明)を持っているというラジカルな立場(見方)を取る必要があるのです。
光とは何でしょう? あなたの兄弟姉妹はどのような光を持っているのでしょうか?
キリストの光です。
それはどのような違いをあなたにもたらすのでしょう?

質問者:もしあなたが実存する唯一のキリストなら、それ以外に見るべきキリストが居なかったなら、それはとても退屈なことでしょう。 それはきっととても空虚なことでしょう。

「私は知っている者である、他者は自分を聞くべきである」と主張しているグル達もあまり楽しい体験はしていないかもしれません。
何故なら、{もしグル達が他者の中にキリストを見られていないのなら}彼等も自身に跳ね返ってくる全ての(愛の)反射を楽しめないのだから。 私はこのようなことをよく考えています。

ラジ: そう、あなたの兄弟が持っている光があなたを照らし出す光であるのです。
彼等が持っている光があなたを祝福し、あなたが自分のキリスト性を認識することを助けるのです。 彼等の光があなたの道を照らす光なのです。

質問者: 兄弟がそれ(彼等自身のキリスト性、あるいは私のキリスト性)を認識していなくてもそうなのですね(それでも彼等は私の道を照らす光なのですね)。

ラジ: 全くその通りです。

質問者: 何故なら、もし「誰かがそれを持っていて誰かがそれを持っていない」などという状態が本当に在り得たなら、欠乏が本当に在り得ることになってしまうから。
ラジ: そうです。

質問者: 現在このような無知が広く共有されているにしろ、この真理(自身の真理?)を知らない誰か(何か)が存在し得るという(アイディアがもたらしている)アンバランスな状態に関してわたし達は話して来たわけです。

ラジ: そうです。

質問者: 無知を通して見ようとすることが、ヴェールを通してい見ることなのですね?

ラジ: その通りです。

質問者: わたし達は「無知のヴェールと通してわたし達が現在見ていること(様子)」を信じなくなる必要があるわけです。 それが難しいことなのです。 わたし達が無知を信じ切っていたなら、それが物凄く興味深く見えていたなら、それがわたし達を押し留めており、わたし達がそれで戯れていて(この無知の状態を手放すことがまだ出来ていない訳ですね?)。

ラジ: そうです。
あなた達が自分達をどのように知覚/認識していたにしろ、あなた達自身に対する(分離の)覚悟がどれだけ醜くなっていたにしろ、あなた達がキリストであることを止めることは出来ないのです。
神があなたとして設置したものをあなたが変えることは出来ないのです。 あなたはそれを神の意図から逸らせることは出来ないのです。
だから出来事に関わっている人々の想像力にも関わらず、あなた達全員はお互いの為の光であり続けているのです。
だからあなた達の無知な状態の中でも、あなた達は直ぐに光を放てる状態に成れるのです、その為の行為をあなた達は(ACIMなどを通して)しているのです。

誰かがとても憂鬱な/批判的な/意地悪な気持ちでいて自分の気持ちを醜く表現している時、あなたは「その人の言っていること」を確たる真実と受け取って、あたかもその人がその(醜い)振舞いそのものであるかのように反応することも可能なのです。
しかし、そのように反応してしまった場合、あなた自身も光ることはなく、あなたもその人と同じ場所(状態)に留まり続けてしまうのです。

しかし(今まで自分で可能だと思っていたよりも多くの愛と慈悲を醜い状況に対して表現するあなたの可能性/能力に)その人が光を燈そうとしているとあなたが理解することも可能なのです。
あなたは自分の性癖や慣習から反応してしまわないチョイスを持っているのです。
醜く行動しているように見えているその人と共に立ち、しかしその人の(架空の)醜さを認めない「能力」を示す機会があなたには与えられているのです。
その人に対して(その人の酷さ/醜さ)を認めないことにより、その人の見方以外の見方があることを実演してみせるのです。 そしてその人がそれをその時点で受け入れるかどうかは(あなたにとっては)問題ではないのです。

全ての闘争/論争/喧嘩は二人のキリストがお互いに対してキリストに成っており、しかし両者が歪んだ暗いガラスを通して自分達自身とそして起こっていることを眺めている状態なのです。
しかし彼等はキリストなのであり、彼等は(お互いを燈す)光を持っているのです。
そしてその光は(いわば反対方向から)彼等両人を照らしているので、「あなたというキリストに成る」ことを可能にする革新的知覚/認識{のシフト}を得るチャンスが与えられているのです。
だからあなた達は常に「必要」という観点から自分達の関係にアプローチする必要があるのです。あなたは自分の兄弟姉妹を必要としているのです。
何故なら、もしあなたが兄弟姉妹を必要としているなら、兄弟姉妹もあなたを必要としているのだから。
そしてあなたがあなたの兄弟姉妹を必要としていると同様にあなたの兄弟姉妹があなたを必要としていて、兄弟姉妹の間違った振舞いは、現時点ではまだ体験されていないこと(真理)を体現する必要を呼びかけているのだから。

そしてもし兄弟姉妹があなたを必要としていると同じ位あなたが兄弟姉妹を必要としていると知っていたなら、その時点であなたに求められているのは彼/彼女と一緒にいて(何かを共有して)不完全な情報を基に裁かない意欲なのです。 「(あなたと同様に)彼/彼女がキリストである、その瞬間において彼等が神の直接的表現である」ということに根ざしていない情報を基に裁かないことが必要なのです。

この必要を体験するまで「助けたい」という意欲は生まれません。 それまでは(たとえ人々があなたと言い争っていても)彼等のためにそこに居て、彼等と一緒に立っていよう、彼等の証人に成ろうという意欲は生まれて来ません。

これが大変重要なのは、一緒になる(一緒に居る)選択をすることにより、キリストがあなた達二人の間に再生し、それによって学習の結果が変わるからです。

真理を自分のマインド内で認識しただけでは天国に行けないと理解することが大切なのです。
あなた達は一人では故郷に帰れないのです。
あなたは自分の兄弟姉妹と繋がって神を思い出すだけでなく、「あなた達がキリストであること」を思い出さない限り故郷に帰れないのです。

質問者: あなたが言ったことを聞いて私は、何故わたし達の多くがまだ待ち続けているのか、何故まだ目覚めていないのか解ったような気がします。 それは、これが高揚感(ハイ)をもたらさないからです。
自分の兄弟を受け入れ、自分の兄弟を受け入れている深い静けさを取り入れることはハイ(興奮)はもたらさないのでしょう。
それから今私が受け取っているインスピレーションによれば、わたし達は高揚感や噓やそのゆり戻しの陰鬱を求め続けしまい、深い静寂をもたらさないものに慣れ切っているので、上記の体験からすり落ちてしまっているのです。
ハイ(興奮)を求め続けることでわたし達は自分達が何かを達成していると感じてしまっているのです。

ラジ: あるいはより高い真理やより高尚なグルやより優れた教師を求めるわけです。}
{質問者: だから「この関係にはそれ程までのことをする価値がない」と簡単に言ってしまえるのです。 しかしそれは「私にはそれ程までの価値がない」と自分で自分のことを言っていることになるわけです。
このようなことがわたし達の認識に隠れて行われているのです。 このようなことが行なわれていることに対してわたし達は盲目なのです。
そして...

質問者: そして、(不満の)原因はいつも他者にあるように見えるのです。

ラジ: そして、「あなたがそれに値しない」というメッセージがあなたに届いたなら、あなたはそれを顕わにしたことに関して彼等に腹を立てるのです。

質問者:そうです。 何故なら、それはとても屈辱的だから。だから、それが(自分には価値がないと考えていることが)顕わに成らないように皆一所懸命隠すのです。

ラジ: そうしている限り、違う見方(愛と共に見る選択)が発見されないままになってしまうのです。
しかし、この人はあなたが彼/彼女に与えているよりも多くの可能性を秘めていると考慮する選択が出来るのです(あなたが自分やその人の知覚/認識/見解に囚われ続けなくなれば)。

そしてこの彼等のより多くのもの(可能性)は神から来ているのです。それは彼等の以前の体験や、彼等の育ちや、世界の条件付けや、彼等の人間性から来ているものではないのです。
だから、人の(そしてあなたの)「何かより多くのもの/こと」は神が原動力なのです。

あなたは自分を扱っていると同じように他者を扱うことしか出来ないのです。
自分に許さなかったことを他者に対して許すのは不可能なのです。
そして他者に許さなかったことは、自分自身にたいしても許さない(赦せない)のです。
翻って、あなたが自分自身に関して固く確信していることに関しては、それが他者に関しても同じである(真実である)とあなたは絶対に信じて、それを証明しようと戦うのです。

質問者: だからそれはほとんどの場合無意味なのですね?

ラジ: 何が無意味なのですか?

質問者: わたし達が自分自身に対して証明しようとしていることです。 

ラジ: それは無価値です。 と同時に、あなた達は自分自身に関して認めた真理を、他者にも当て嵌めようとするのです。 何故なら、あなたは彼等に「彼等の真実だとあなたが知っていること」より少ないものを信じて欲しいとは思わないから{あなたは彼等に「自分が彼等に対して低い評価を与えている」と思って欲しくはないのです}。
何故なら、あなたは自分が他者に対して意地悪で自分に対して親切だとは信じたくないのです。

あなたは他者を虐げたようには、自分自身を虐げたいとは決して(意識的には)考えません。これはハッキリしているでしょう。
しかしあなたが兄弟を虐げている時、あなたは自分自身をそのように虐げているのです。
そしてあなたが彼等を赦せないのは、あなたが(同じような状況下に居た時の)自分自身を赦せていないからなのです。
もしあなたに責任があるとしたら(そうあなたが考えている限り)、あなたは彼等を赦さないのです。
ではさて、あなたはどのようにして、自分自身に対するあなたの最上の(あるいは最低の)概念に他者を縛り付けることから逃れるのでしょうか。
あなたの貧しい思考体系が許すよりも、より多くのことがあなたや彼等によって行なわれていると考えてみることによってです。 そしてあなた達のこのより多くの可能性は神が行なっていることであり、あなた達が使ってきた判断基準とは全く異なったルールで働いている、と考慮してみることによってです。

このより好ましい可能性が顧みられるようになれば、少しでも好奇心を発揮して「あなたはわたし達をどのように見ているのですか?」と神に訊ねることが出来るようになります。
私が使っていたものとは全く異なった基準によって為されている「あなた」はどのようなものなのですか?
これが祈りです。 そしてあなた自身と同胞を愛して、そこで起こるインスピレーションに聞き入り(神の使っている基準に従った)新しい意識の流れを得るのです。

質問者: つまり他者との繋がりへの欲求を確立するのは「必要」なのですね。
そして他者との繋がりを望むことは、他者とのコミュニオン(霊的交歓)を望むことは、「わたし達が本当は何か」理解するために働いている力学(必然的に起こる状況)なのですね。
そして必要がもし無かったなら繋がりを求めることは実行されず、必要がなければわたし達は古い判断基準をそのまま保ってしまうのですね。}

ラジ: そうです。 しかしあなたは初めの部分を省略しています。
あなた達は自分達の兄弟(兄弟姉妹共同体)から本当は分離しておらず、それでも分離出来るという考えを受け入れそう信じるに至っているので、必然的に欠乏を感じるように成ってしまっているのです。
何故なら、ユニティー(一体性)を感じることがあなた達の生得権(本質)なのに、あなた達はそれを否定しており、その否定を信じているのだから。
あなた達は分離しようがない(切り離しようがない)ので、もしあなたが自治的存在感を受け入れているなら、お互いを必要としていることを感じるのは、必要を感じるのは、必然なのです。
そして必要を感じることで、繋がる可能性のドアが開かれ、あなた達両者は「自分達が誰か」思い出すチャンスを得るのです。
必要を感じることが必然なのは、あなた達の不可分性(わたし達が繋がり続けていること)が決して壊れていないからです。
だからあなた達が(その中でユニティー/一体感が常に体験されている)正気に返るためには、独立自治的存在(エゴ)にとっては耐えられないと感じることを経験しなくてはならないのです。
「エゴには耐えられないこと」とは、他者の必要を感じることなのです。 何故なら「他者の必要を感じること」(他者が必要としているものを感じること/他者が自分に必要だと感じること)はあなたが独立自治的存在として失敗していることを意味するのだから。

あなた達はお互いからは切り離され得ないので、自分が独立した自治的存在であると(自分を騙して)信じることに成功している者は、キリストの再生/再来を得るために、リアルな愛をもう一度得るために(必要を、場合によっては欠乏を)「感じる」必要があるのです。
愛、それは人が自身を他の何ものに対しても隔てていない(自分を保留していない)無防備で、装っておらず、コントロールされていない一体感なのです。

質問者: つまりわたし達が話しているこの「必要」とは「わたし達全員がひとつである」という事実から起こっているのですね。

ラジ: その通りです。

質問者: しかし人が独立独尊という自分の幻想に捕われ、それをコミュニオンへの渇望と誤解していたなら、それは誤認識なのですか、それとも...


{ラジの解説テープ/テキストはここで中断しています。Urtext Chapter 31-2のテキストは上記で全部です。}

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

プロフィール

翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

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