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あなたとわたしの救済者

<多分、ここには貴方の問いの答えがあります。岡上さん、貴方は思考に捉われていらっしゃいます。問いと答えはひとつです。それは顕れます。それではフリフリしっぽさんは救えません。 

じゃ遠慮なく、

あなたのお母さんがあなたの祝福になる
あなたのお母さんがあなたの救済になる
答えはこれです


God is in pain
痛みを避けよう(無視しよう)とすることは無意味



=====
久しぶりにポールさんに会いに行こうと思ったのですが、聖霊の指示は「アプローチするのは待て」。
それでも今日翻訳をアップしてから「あなたの都合が良い時に会いに行きたい」とメールだけしようとして彼等のWEBを詳しく読んだら、
「ポールは今急激なシフトを体験中なので皆さん待ってください」と書いてありました。
今は暫く待ちましょう。

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テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

2012-11-05

今回本は読みません。
聖なる瞬間に関する話をまだ続けます。
これが一番重要なことだから。

聖なる瞬間が何であるか深く理解したあなたの振舞いが変わるようになり、あなたの在り方が変化し、それがアトーンメント(和解/贖罪)に成り、それが目覚めに成り、それがコースの教えている果実を実らせるのです。
目覚めはプライベートな事柄ではなく、それを独立的に行なうことは出来ませ。
十分学んだから目覚められるというものではないのです。
そのように考えていたのでは絶対必要な要素が無視され続けてしまうのです。
そのように考えていたのではあなたの兄弟姉妹が無視されてしまうのです。そして神がのけ者にされてしまうのです。

聖なる瞬間は「聖なる関係を築き育てるという目的」の為に使われるべきなのです。
だから目覚めはプライベートな行為ではなく、目覚める為には関係(人間関係)が必要なのです。
関わり合い(関与)が必要なのです。
孤児院の中から、独立的境地からの関わり合いではなく、平和と愛の実体と空気の中から起こる関わり合いなのです。
孤児院の環境内では(独立した存在として他と関わり合っている境地では)、関わり合いは常にコントロール(操り/操作)に成るのです。 自分達が存在してる環境内を出来るだけ上手くコントロールし統治することが必要になるのです。

だから全ての人達が統治(政府)に関与していると言っても良いでしょう。
しかしこの統治(政府)は『「独立」と呼ばれている基本的に間違った信念』の上に築かれているものなのです。
すると政府は独立した要素が常にお互いと尊大に競い合う場所に成ります。
「その中で様々な独立した部門(利権団体)がゴールを設定し達成しようとしている、多大で複雑なもの{としての政府}」が存在することになるのです。
その場合関係は常に言い争いであり、力ずくに合意された不合意(不満)の下に関係が作られているのです。 だからそこには常にストレスが掛かっているのです。
何故なら、全ての人達が同時に他者をコントロールしよう(統治しよう)と試みており、そして他者にコントロールされることを避けようとしているのだから。
これがストレス{のもと}なのです。これが二分化(分極化)で、これが存在の基本的在り方として受け入れられてしまっているのです。
そしてこの状態に対する疑問が提示されることは決してないのです。
この状態がただ生きられるだけなのです。

しかし聖なる瞬間はこれとは違うのです。
何故ならあなたは「聖なる関係を作り育てる目的」を持って「聖なる瞬間」に入って行くのだから。
聖なる関係は『自分の思考の静寂内(思考が無い状態)で父に向き合って「父よ、私と関係を持っているこの人の真理は何ですか? 私と関係しているこの物体の真理は何ですか?」と尋ねている人』によって起動/開始されるのです。

わたし達が今まで話して来たことからすると驚く人もいるかも知れませんが、

「(自分の心配をするよりも)あなた以外の人を思いやることによりあなたは目覚めるのです。」 

殆ど全ての宗教にはゴールデン・ルールに類するものがあります。
ゴールデンルールとは:

「人からこうしてもらいたいとあなたが思っているように、人に対して行いなさい。人にしてもらいたいことを、自分から人に行ないなさい。」

“thou shalt do unto others as you would have them do unto you.”

ゴールデン・ルールは振舞いのルールなのです。
あなたが他者に対して行なうべき振舞いのルールです。
ゴールデンルールは「人にはこうしてもらいたいとあなたが思っているように他者が振舞うようにしむけなさい」とは言っていません。
あなたがゴールデンルールのフォーカス(焦点/対象)なのではなく、あなたと関係している人がフォーカスなのです。

「孤児院の中に居る」とは、「私には父がいない、私には母が居ない、私には源が無い」と言っている間違ったポジション(立場)を取った結果として現れている状態のことです。
その結果として現れている状態は真実ではなく。この立場/視点から行なわれている全てのことは自分勝手なのです。 これは独立状態を極限まで推し進めたものなのです。
この方向から(独立的行動/存在/考えから)「独立を試みている人々が避けようとしている問題」が解決されることは無いのです。
「あなたが自自身を気遣う以上に他者を気遣うこと」だけが問題を解決するのです。

これが新しい統治です。 これが今まで行なわれてこなかった統治/政府です。
『私は見たいと求める。私は自分の兄弟に関する神の正直な真理を見たいと願う。
「私が静けさの中で明晰を求めそれが与えられた時鮮明に示されること」以外に基づく行動を私は拒否する。』
あなたはこれを既に理解していることでしょう。
しかしこれを十分明白に理解して、あなたがこれを実践しあなたの振舞いが変わるように成る必要があるのです。
何故なら、あなたの振舞い/行動が変わるまで、孤児院(『「他者の代償/犠牲によって拭い去られるべき不足感」から発生している統治』が行なわれている場所)にあなたが居続けてしまうのだから。
そして孤児院内(独立的状況内)では、他者達が「あなたを代償/犠牲にして凌駕しなくてはならない不足感」から行動し思考しているのです。
だからあなたのマインド内から(あるいは他者達のマインド内から)立ち昇って来ている統治に注意しなくてはならないのです。 全体のクリアな体験以外のものから発生している統治に関わらないようにしなくては成らないのです。
『あなたが自分の独立思考/行為/論理を黙らせて、それら(独立的思考/行為/論理)が存在していない状態で「この場所に関する私が思い出せていない神の真理は何だろう?私が未だ知っていない真理は何だろう? それは何だろう? その真理が聞えるまで、私は聞き続けよう。」と言って得られた体験がクリアに示すあなたの全体』から起動している統治が必要なのです。

今あなたの世界は多大な混乱に直面しているかもしれません。
政府の人達は「自分達は孤児だ」と考えていて「誤解に根ざしたアイディアを通じてコントロールすることが秩序を得る唯一の方法だ」と信じているかもしれないから。
『「あなた達が関係している全てのことに対する誤解に根ざしたアイディア」を使って状況や人々をコントロール(説得)することが必要だと信じている人達』が世界を動かしているから{とあなたは考えているかも知れません}。
そのようなアイディア群は全く神聖ではなく、信頼出来ず、確かに間違っているのです。
そしてそのようなアイディアの間違いは常に「意地悪な思いやりのない操りの行為」として表現され出現するのです。

人々が持っている「動物的性質」故に社会がこのように{操りを通して}働くことは避けようがない{と考えられているのです。}

人々全員がこのような状態/思考から抜け出る必要があるのです。
そこから抜け出る方法が「聖なる関係を作り育む為に聖なる瞬間を実践すること」なのです。
父がそのマインドと愛をあなたと分け合って(共有して)います、あなたがそれ(父のマインドと愛)を体現し新しく成れるように。
聖なる関係は「父のマインドと愛が示している明晰」に従って作られ育まれるのです。

関係が存在している時、当然のこととして、そこには協力が現れているのです。
協力とは「一緒に働く/機能する」ことです。 協力とは、上手く操ることではありません。
「協力」と「操り/コントロール」の違いを理解することが重要なのです。
あなたが図らずしも(協力ではなく)操りに捕らわれて(拘って)しまわないように。

「コントロールの不在(操りを放棄すること)がカオス/混沌をもたらしてしまう」とあなたが考えたなら、あなたは兄弟姉妹の真理を見たり兄弟姉妹と建設的に関わり合うことが出来なくなってしまうので、これを理解することが大切なのです。
聖なる瞬間は「誰も孤児ではないというチャンスにあえて賭けてみるリスク」を取るよう全ての人達に呼び掛けるのです。
そして「あたかも自分の兄弟姉妹が神の子であるかのように」して兄弟姉妹に対して接したなら{兄弟姉妹が神の子であるという前提の下に兄弟姉妹と関わりあったなら}、あなたが裏切られることはなく、代償を払う(被害を受ける)必要もないのです。
何故なら、あなたがこのような信心を自分達の関係の中に持って入るまで、「あなたとあなたの兄弟姉妹/同胞がリラックスして新しい在り方で存在する(新しいパラダイムに基づいて存在する)為に必要な要素」はもたらされないから。

関係の中には協力があるのです。
しかし協力が建設的に成り成就される為には、『「自分が協力しようとしている者達」が何をしようとしているか』あなたは理解する必要があるのです。
彼等(あなたが協力しようとしている者達)は孤児的意識から行動しているのでしょうか? それとも彼等は父の視点との繋がりから行動しているのでしょうか?
彼等は「関係の全要素が操り/闘争/コントロールである場所」から来ている(行動/思考している)のでしょうか?
彼等は「全員がお互いを怖れており、本当の気遣いが不可能な場所(意識)」から来ているのでしょうか?
彼等は「気遣うことが危険で、警戒せずに気遣っていたならあなたが危険に晒されてしまう場所」から来ているのでしょうか?
{このことに}あなたは注意を払う必要があるのです!
何故なら、あなたが協力する場合、あなたは誰と協力するか選択する必要があるのだから。 

そして協力に対するもう一つの見方(今までとは違うこの新しい視点)を導入したなら、下記のゴールデン・ルールが働き出し、ゴールデンルールが意味を持って来るのです。

“Do unto others as you would have them do unto you.”
[あなたが彼等にして欲しいと思うことを、あなたは彼等にしてあげなさい。「自分に対してこうして欲しい」と思ったなら、あなたは彼等にそうしてあげなさい。]

あなたがエゴ的マインドに捕らわれていない時、(他者に対する)気遣いが尊重されるのです。
気遣われること(大切にされること)が重要なのです。 人間性が重要なのです。
人らしい体験(人間的体験)が重要なのです。

これらの礎の上に聖なる瞬間と聖なる関係が育ち栄えるのです。
しかし聖なる関係はシンプルに始るのです。 聖なる関係と聖なる瞬間は「もったいぶった(空虚な)アイディア」から始るものではないのです。
それらは偉大に成ること(偉大に成ろうとすること)からは始らないのです。
それらは『(「全ての人達が受け入れ仕える巨大で優れた同意/定義/意味の構造」を作る為に全ての人達が認めるべき)壮大なアイディア』から始るのではないのです。

本当の統治/政府は何と繋がることから来る(発生する)のでしょうか?
成功と繋がるのではなく、重要/権威と繋がるのではなく、『必要を認め必要と関わり合う「人の度量」と繋がること』から本当の統治がやって来るのです。

救済への道は、必要が感じられ、必要に対して注意が払われ、必要が修正されている道なのです。
そして「目覚めとは、needyな人達(必要を抱えた人達/乞食/他者の助けを必要としている人達)の間から始る動きである」と言うことが出来るでしょう。
Needyな人達とは、自分達の重要性(権威)で膨らんでいない人達のことです。
Needyな人達とは、『自分達自身の大きなアイディア」で膨らんで、「他の人達をそのアイディアの周りに集め、そのアイディアを認証させ、その重要性を確立/共有させよう』とはしていない人達のことです。

しかしそれらのアイディアは「それらのアイディアを生成させなかった(考え付かなかった、推進させなかった)者達」とは完全には共有されていないのです。だから{自分達自身の大きなアイディアと繋がって行動している限り}闘争的な孤児的マインド/行為/イベントが続くのです。
だから必要とされていることはそれ(自分独自のアイディアの生成/表明)ではないのです。
だからもしあなたが目覚めを促進したいなら、もしあなたが真理の道を進みたいなら、あなたはあなた自身の必要(neediness/必要を認めざる得ない境遇)を認め、「自分が特定のことを必要としているということ」を受け入れて、お互いの必要を裁かず、あなた達全員が愛の中で繋がれるように成るべきなのです。 
「(もうこれ以上必要/欠乏が体験されないように)必要が満たされることを見たいという熱望=愛」の中で繋がるべきなのです。

しかしこれは謙虚さの中でだけ起こることなのです。
謙虚な人達によって、関係の中の謙虚な参加者によって、「必要が満たされること」が起こるのです。
今日あなたの世界の中で起こっていること(あなた達を怖れさせていること、現在も継続されていること、その他の全て)を観察したなら、「誰と行動を共にするべきか」あなたは選択する必要があるのです。
あなたは孤児のマインドから来ている者達と行動を共にするべきでしょうか?
『「凌駕されるべきものとして存在している欠乏」に対処しようとしているマインド(そこには常に裁きと独善が関わって来ます)』と共に行動するべきでしょうか?

欠乏のマインド(必要を自分自身のアイディアで制御しようとする意図)には常に「裁きと独善/我々対彼等/高低」などが関わって来ます。
あなたは『いいえ、私はそれはサポートしません。そこには「人らしさ、人への愛」が表れていないから。そこには兄弟姉妹への気遣いが無いのだから。』と言える様に成らなければいけないのです。
これが(あなたがこう言えるように成ることが)重要なのです。
あなたはこれを見る必要があるのです。何故なら状況が修正される為には選択が必要になるのだから。

「コースが言おうとしていること」をあなたが実生活に活用出来るように、私は次のことを明確にしようとしているのです。
「必要が存在していることを認識している者」と一緒に協力しなさい。必要を体験している人達を尊重して、必要の修正への一番真っ直ぐでシンプルな道の中で答えが与えられるように。 何故なら愛の結果はシンプルなのだから。

愛はシンプルです。
気遣い(ケアー)とは切実な催促なのです。 それは必要からの救出(必要が満たされること)を与える「全体性/健全性/一体性」を一生懸命見つけようとすることなのです。

必要の認識がどのような構造/形態で現れているように見えたとしても{必要がどのような形で認識されたとしても}、「人のシンプルな必要がどのように満たされるべきか訊ね聞くこと」があなたの世界状況を修正することになるのです。
「あなたの地球の各状況が修正されること」に関して私は話しているのです。
そこでは「平和の中に休まっていく体験」が数多く起こっています。
自然の秩序の中に委ねて行くことが必要とされており、自然の秩序の中に委ねて行くことが起こり得るのです。
しかしあなた達は「自分自身に対してそして他者に対して統治{愛以外の統治}を適用してしまうこと」を避けなければいけないのです。
あなたは「気遣いにも愛にも基づいていない統治、自己顕示/独善の概念を満たそうとする統治」を避けなくてはいけないのです。

もし「人類愛をサポートしていないもの」に注意と滋養が与えられたなら、救済/修正は起こらず、より多くの痛みと苦悩が現れるでしょう。
「人への愛を尊重している者達」と繋がってください。
何らかの概念の梯子の最底辺に居る「あなたの兄弟」があなたの救済なのです。
{社会の底辺に居る兄弟があなたの救済なのです。}

「必要状態(欠乏状態)にある全ての人達」があなたの救世主なのです。 何故ならば、彼等によって、聖なる関係の相手があなたに与えられるのだから。{何故ならば、「欠乏状態にある人とあなたの関与」が聖なる関係に成り得るのだから。}
孤児達(独立者達)との関係は聖なる関係を持つことの妨げに成ります。
何故なら、孤児達との関係があなたを興奮状態と防御状態に置き、それが全ての人達の間に壁として残ってしまうから。
それは真理ではなく、それはコースの目指している所でもありません。

「必要(満たされるべきこと)を見つめ認めている人、必要(なされるべきこと)をダイレクトに表現しなくてはいけないと解っている人」だけと繋がる意思を持ちなさい。
シンプルに答えを提供する「お互いへの兄弟愛」を表明しなさい。
何故なら、シンプルな答えがそこに在るのだから。
あなたの人類愛(思いやり)を尊重し、嫌わずに居なさい。それ(関わり合い/思いやり)を飛び越えようとするのは止しなさい。
あなた達の必要には注意が払われる(気遣われる)べきなのです。 例え必要(欠乏)がリアルではなく、不明瞭な思考の結果であったとしても、あるいは間違いとして認識されていない間違いがただ繰り返されているだけだとしても。
協力したいとあなたが思っている人達に要求しなさい。 そして自分達と協力してくださいとあなたに言っている人達に要求しなさい。
人類愛(兄弟姉妹愛/人への愛)に対して注意を払って欲しいと要求しなさい。
何故なら、あなたは気遣って(心配して)おり、全ての人々は他者に「証人に成ってもらう必要」があるのだから。{人は他者から「お互いの神聖を目撃し証言してもらう必要」があるのだから。}

これがシンプルな真実です。
人が二つのステップを行なっている時、聖なる瞬間の中で聖なる関係が発生し育成されている時、何が起こると思いますか?
あなたがあなた自身に関しては考えておらず(自分を心配しておらず)、あなたの兄弟に関する真理を知りたいと求めたので、これが起こるのです。
どうしてあなたは自分の兄弟の真理を知りたいと求めないのでしょうか?
「兄弟の真理を知りたいと求めることは、あなたが兄弟の神聖に対する証人に成ることである」とあなたは知っているから、あなたはそれを求めていないのです。

自己生成されている人(自立した人)の日々はもう過去なのです。
そのような在り方は決して実存していなかったのです。
関係の時がここに来ているのです。 何故なら「神の創造の無限性」は「聖なる関係の無限性」なのだから。
全ての人々が「思いやりの果実(効果)/苦しみを修正すること/必要を解決すること」にこだわった時にのみ、人々の中の神が明確に現れるのです。
これが素晴らしくシンプルな真実です。
そして振舞いが変わることが必要なのです。
単にアイディアのレパートリーを変えたり、考えを反芻するのではなく、他者に対する思考と行動が実際に変わらなくてはいけないのです。
誰か他者にあなたの代弁をさせざる得ない時{誰かに信任を与えなくては成らない時}(これは協力の過程で避けることの出来ないプロセスです)、(あなたが信任を与えようとしている)その人がどのような基盤(基本的アイディア)から行動しているか考慮しなさい。
彼はコントロールする人(操る人)でしょうか?
彼は富と成功に対して仕えようとしている人でしょうか?
それとも彼は人に対する愛を尊び「必要を満たすこと」と「世界中の人々への優しさ」をモットーに全てを行い人々と係わっているでしょうか。

自分勝手な人達と繋がるのは止めなさい。
もしそうしたなら、あなたは彼等の{卑小な}ゴールを推進してしまい、それにより苦しむでしょう。

「一番弱く見えてしまうこと、効果的ではないように見えること、とても山などを動かせるようには見えないこと」を世界中の全ての人々がするべき時なのです。
そして必要とされていることはシンプルです。
人への気遣い(人を大切に思うこと)故にあなたのマインドを黙らせ、コントロールしようとする努力を放棄して、その静寂の中で耳を済ませて「私の兄弟に関する真実はなんだろう?」と訊ねるのです。
「私のコミュニティー/町/国内に現れている『人間愛に基づいて修正されるべき事態』に関する真実は何だろう? 」
そう訊ねてあなたはそれ(気遣い/思いやる心)に注意を与えるのです。
「憤慨してしまい憤慨から行動してしまうあなたの性癖」よりもこの気遣いがあなたにとって大切に成るようにしなさい。
あなたのマインドをこの新しい方法で使い始めなさい。
愛のシンプルなやり方でマインドを使い始め、あなたの兄弟姉妹にもそのようにマインドを使い始めて欲しいと伝えなさい。
「あなたにとってこれ(他者を思いやること)が大切だという事実」を他の人々にも知らせてください。
これは全ての人々にとって大切なことなのだから。
だから誰かが立ち上がってこれを言い始めなくてはならず、立ち上がることを怖がっている人達を勇気付ける為にも、これを発信しなくては(これを公言しなくては)いけないのです。

あなたがこれを公言して、意地悪なマインド/けち臭いマインド/競争的マインドから統治を行なおうとしている人達に対して、他者の不利益のもとに行動しようとしている者達に対して、「あなた達が求めている統治」を知らせる必要があるのです。
「このような(愛に基づいた)関係を自分達は求めている」と人々に知らせる必要があるのです。

このようにしてあなたの世界の変容が始るのです。 無力な人など一人として居ないのです。
私が言っているパワー(力)とは「責任/権威を持っているように見えている者達(権力者)が表現しているタイプの力」とは別のものです。
自分のマインドを使うことにおいて無力な人など一人も居ません。
そして「自分が何に注意を与えるか選択する能力」を誰もが持っているのです。
あなたは「何者にも邪魔されることなく二つのステップを行うこと」を選ぶことが出来るのです。
つまり立ち止まり(反応を止めて)、黙り(思考を止めて)、「ここの真理は何だろう?」と尋ねるのです。
これが聖なる関係と呼ばれている関わり合い(関与)なのです。
そしてあなたが聖なる瞬間の中に入っている時、「神の法が全てを統治していること」をあなたは意識しているのです。
人の必要を満たすリアリティの動きが立ち現れるのです。
そして人の必要を解決することが人類愛のデモンストレーションなのです。
全ての人達はそこ(必要を満たすべき場所、必要が満たされるべき場所)に立っているのです。
例外無く必ず上手く働く自己統治の力(自らを律する力)を全ての人々が持っているのです。

「人類愛/人らしさ/必要を満たすこと」を尊ぶことにより、変容/変化する為に必要なサポートをあなたの世界に対して与え始めなさい。
そしてあなたの兄弟の真実を知りたいと熱望し、(あなたを満たした明晰の視点から兄弟の為の証人に成れるように)兄弟の真実を知りたいと熱望した結果としてあなたの中に気遣いが湧き上がり、「変容する為に必要なサポートをあなたの世界に対して与え続けられるようにしなさい。

これが今必要とされている仕事です。


yasu さん、sarah さん、 フリフリしっぽさん、静さん、三浦さんのおかげで、このテキストもアップ出来るようになりました。 ありがとうございます。

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親依存

「いい歳した健康な人間が、経済的に親依存していること自体」は問題ではありません。

人が何らかの理由で親元に帰り、両親に経済的援助をしてもらうことはよくあることです。
そしてこれは古代から現在まで続く大半の人々の状況を言い当ててもいます。
農家はどうでしょう、資産家は、貴族は、商人の息子は、そして多くの職人/商人も家督や遺産を(家族や親方や本店から)引き継いだから仕事が出来たのです。
一見これらは親依存とは違うように見えますが、「親から援助してもらった」という点で同じです。
殆どの人達は家族から何らかの援助を受けて生きて来たし、今もそのようにして生きています。

「いい歳した健康な人間が、経済的に親依存していること自体問題だ、それは恥ずかしい。」
これはわたし達の神聖から輝き出ている言葉ではなく、メディアなどから示唆されているアイディア(概念)です。

私は親に援助してもらうこと(これは親依存というべきものではなく、正しくは親子関係です)は素晴らしいと思います。
私は経済的に親依存したいですね。 そのほうが得だもの。 親の方からダメといわれたなら兎も角。
そして親との関係を親密にするだけでなく、全ての関係を親密にして行くのです。
つまり親だけに依存しないのです(親子関係だけに留まらないのです)。

「親依存」、これはただの言葉に聞えます。
でも自分の言葉(アイディア)が自分を苦しめてしまっている可能性も考慮してみてください。

宮沢賢治のことを話したいです(数冊の本で読んだ程度の知識ですが)。
宮沢賢治は学校卒業後に教師をしたり肥料会社に務めていたと言われていますが、それらは実質数年にしか過ぎず、殆どの日々は親の支援で生活していました。
宗教団体に憧れて家出して、東京で自立に失敗して病気になり、お母さんに「もう私は死ぬかも知れないので、お別れの挨拶」の電話(電報?)を掛けて急いで連れ戻されたり。
その後も家出して東京で一人暮らしを試すが全て失敗。
出来れば株屋になって生計を立てたいとも思っていた。
ラス地人会を設立して(もちろん実家の援助で実現)一人暮らしの時も、お母さんが様子を見に来てはご飯を作ってくれて、「あなたは自分の体をもっと大切にしなくてはいけない」と諭されているのです。そして病気に成るたび実家に連れ戻されていたそうです。
何故、彼はこのようだったのでしょうか?
一説では彼は実家の職業(質屋)を恥じていたそうです。父の家業は農民を搾取していると思い、彼は葛藤を抱いていたとよく言われています。 
実家に住んでいた時には、自分の家の質屋で店番をしたそうです。
私は宮沢賢治が好きです。 彼は、いい歳して経済的に親依存していたけれど、彼にとって大切なものに比べたら、それはどうでも良いことだったのです。{ここまで家族に心配掛けるのはどうかとは思うけど。}

いい歳して健康なのに経済的に親依存していても、あなたは私の尊敬に値します。
経済状況に関係なく、あなたは神の愛に値するのです。
「いい歳した健康な人間が、経済的に親依存していることに敬意を払う」、ここからはじめて下さい。
だから私にも少しは敬意を払わなくっちゃいけないよ、皆さん。{これ重要ね!! }

「彼らは何をしているのか、わかっていないのです」ですか?
彼等は自分達が自分達自身を(従って他の人々をも)蔑んでいることをまだわかっていないのです。
「自分達自身への不正な評価」は必然的に「他者に対する不正な評価」でもあります。

これは不正な評価ではなく不満の声なのでしょうか?
いいえ、不正な評価が不満な状態を作っています。
独立を目的にするべきではありません。
親依存を止める為に働くのではなく、親との関係から逃れる為に仕事を探すのではなく、親との関係が一番です。人との関係がより根源的なものです。 
だからご両親だけに依存しないで下さい。わたし達は全てに依存しているのだから。

ご両親に助けてもらえることは素晴らしいことです。 ドンドン助けて貰ってください。 
ご両親に助けていただけることは真によいことです。
そしてご両親を助けて差し上げてください。

yasuさん、静さん、フリフリしっぽさん、そしてサラさん、メールをありがとうございます。

もう一回
「いい歳した健康な人間が、経済的に親依存していること自体」は問題ではありません。  いい歳した健康な人間が経済的に親依存していること自体が恥ずかしい、だから仕事をしなくてはいけない、だから独立しなくていけないと考えて行動することが問題なのです。
そのように振舞うことの中には感謝の気持ちが無いのです。 
感謝の気持ちは「すまない気持ち/いたたまれない気持ち」ではありません。
感謝の気持ちは嬉しい気持ちです。ご両親に支えてもらって嬉しい気持ちです。
神の動きが愛です。 

既にもう御両親には物凄く感謝していらっしゃる?
では恥じないで下さい。
例え、ご両親があなたのことを少し気遣い過ぎても恥じないでください。

もしお母さんに対する気持ちにわだかまりがあるのなら、感謝する根拠が見つけられないのなら、お父さんに感謝してください。そしてお母さんを好きに成ってください。

経済的に親依存さえ出来ない人達もいるのです。
だから今の状況で当たり前と言いたいのではありません。あなたはより良く生きるべきなのです。
仕事がしたい人は仕事に値します。 
そして親依存が出来るということは、あなたは既に御両親に感謝しており愛しているということです。 それをもっと育ててください。

さらにもう一回
「いい歳した健康な人間が経済的に親依存していること自体が恥ずかしい、だから仕事をしなくてはいけない、だから独立しなくていけない」と考えて行動して、直ぐに仕事が見つからなかったとしましょう。 
その場合「いい歳した健康な人間が経済的に親依存していること自体が恥ずかしい」に立ち戻りますね。
これが硬直状態(なかなか抜けられないループ)を作ってしまいます。

「いい歳した健康な人間が経済的に親依存していること自体が恥ずかしい」―「仕事が見つからない」―「いい歳した健康な人間が経済的に親依存していること自体が恥ずかしい」―「仕事が見つからない」。
だから、「いい歳した健康な人間が経済的に親依存していること自体が恥ずかしい」を手放してください。

「いい歳した健康な人間が経済的に親依存していること自体が恥ずかしい、だから仕事をしなくてはいけない、だから独立しなくていけない」と考えて行動して、直ぐに仕事が見つかったならどうでしょうか?
その場合「会社依存/上司依存/仕事依存」が直ぐに嫌に成ります。だから直ぐに仕事が見つかっても事態は本当は変わっていません。

私は誰よりも沢山沢山親依存してきました。 今でも常に助けてもらっています。
だから私は生きて来れたのです。だから私は仕事も出来たのです。だから私は自分の家も持てているのです。
はじめ私は親に依存したくなかったです、親への依存は恥ずかしいと思いました、でも親に依存せざる得なく成りました。 
そして真理がわかりました。 神への愛は神への依存です。 

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プロフィール

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

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