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chiwawa 犬か?

サラさんからメール:

<パブリックにしたい。
<例えば私にサラというガールフレンドが居ることは既にパブリックですね。
<勿論サラの細かい事情はパブリックでなくて良いです。
<わたし達のやり取りをパブリックにしたいのです。

<つまりサラからパブリックなコメントなどが欲しい。
<それが私には必要。


///////
ヒロにはなぜ それが“必要”なのでしょうか?

あなたに必要なのですか?
全体に必要なのですか?

それは
では

“なぜ”必要なのですか?

その必要は何を満たすのですか?

ちがうイジケタ質問も
サラはしてみます。

ヒロは サラを利用したいのですか?
他の誰かでも いいけど

ガールフレンドだし

うまくツカエルぞ、
みたいな。


起爆材や
素晴らしい非常識の
典型として
サラを必要なら

わたしは もう それ呼ばわりには

断じて NO!です。

________________
そのやり方はシンプルです。 「口を閉じなさい」 (ラジ)
//////////

一人で話している自分がムナシクみえてきました。

ヒロはメールが好きではないと出会った最初の頃から聞かされてはいたけど。


☆“Webにあげて二人の対話をpublicに―”

これは ヒロが言ったのですか?
ジーザスが指示したようでもありましたが…。


いずれにせよ

おもてに(public)に出す前のごく普通のあなたとわたしの会話がこのようであれば

「あなたの沈黙」―。
あなたからのこだまがほとんどかえってこないことが通常(普通)であるなら…。

わたしは
☆これを 理解するに困惑してしまいます。

まるで楽屋では 黙り込んでいる役者二人が、カメラがまわると同時に
うってかわってにぎやかに 対話しだす
そんなフレンドリードラマを見ているようです。

あなたがいつも何かに集中しているのはこんなサラでも理解しています。


口を開きたくないのはわかっています。
これまでも理解してきました。


だからそれでよいのです。

それにわたしのメールじたい返答するに及ばないものでも当然 あるのだから。



++++++++++++++++++++++++


岡上の返事:

<ヒロは サラを利用したいのですか?

あなたが本当にそう思っているなら、わかれましょう。
サラさん、別れさせてください。
私はあなたを利用したくありません。


私があなたを利用しようとしているとあなたが考えているのなら、
私はあなたのボーイフレンドでいたくありません。


++++++++++++++++
ただ サラは 声を出して笑ってしまいました!

犬も喰わないとは

「犬も喰わないケンカ」というときの あの“犬も喰わない”ですか?

++++++++++++++++++

そうです。

オレは笑ってないね!

+++++++++++
ヒロはあのアップしてくれた中にある
イジケタ質問にだけ反応しています。


なぜ そこにだけ あなたは答えてくれたのですか?

わたしは
あなたと 何かを始めるなら
ええ、ではやりましょう!
さて その前に 話してほしいことがあります、
そうお願いしたのです。

なぜ わたしの意志を無視して
そこにだけ
あなたは 喰ってかかって 怒りを投げつけているのですか?

+++++++++++++++++++

ラジの翻訳を始めた時「この人はお金の為に(お金が目的で)これをしているのでしょう」と人から言われかもしれないと私は思ったし、実際に家族からはそう言われました。

これが人々を操ってコントロールしてお金を得る手段でしかないのなら、これは無価値です。
だから私はこれを基本的に無料で翻訳したのです。

だからもしあなたがそう思っているなら、ここに操りの可能性があると思っているのなら、
私はあなたとはもうお会いしたくないです。

+++++++++++++++++++


ガールフレンド、 ボーイフレンドの問題ではありません。


わたしは
あなたがジーザスの手足になる決意を
真剣にたずねているのです。



かつて
わたしは ある方から
Webであからさまに誹謗され
コテンパにされた経験がありました。


あの裁判と似たような完全な被告人にされました。

わたしは
ある意味、良くも悪くもenergyがスゴいので
つまり
トンデテ 突き抜けているので
無防備でいると
いつのまにか

立てないくらいペシャンコにされます(なります)。


慣れてはいますが。

今度だけは
わたしは

これがサラが人間でいる間の最後の、ジーザスとの関わりのギフトだと思って
覚悟して
あなたにたずねていたのです。


なぜ
わたしとのpublicなやり取りが必要なのかと。


わたしの真意が伝わらないなら
仕方ありません。


わたしが わざとイジケタ質問をしている
それも
あなたには
自分への侮辱とだけ
解釈しておられます。

ちがうのです。

顔が見えないとは
なんと つまらないことでしょうか。


顔文字 絵文字を全く使わず
対話するには

信頼が試されます。


いずれにせよ
あのイジケタ質問は

ただイジケタ質問です。

あなたはほどの観察力がある方が
どうしたのでしょう。


わたしが
あなたを侮辱したことは
一度たりともありません。

犬も喰わない、というタイトルも
とても
残念なタイトルでした。

わたしは これで退散してもいいでしょうか…。

それほどに
わたしは とても残念でした。


わたしは本気で
ジーザスとヒロとサラの対話をする覚悟でいたのです。


あなたのお好きになさってください。


「あやつり」


サラのなかには その言葉はありません。

あなたが その 「あやつり」とやら いう
言葉に 金縛りにあっているなら

どうぞ
サラを 吹き飛ばしてください。

++++++++++++

わたしのなかには
あやつり
という

それは 寝耳に水です。


そんな言葉は ありません。
ヒロの中にも見つけることは
一度たりともできませんでした。


これ以上
あなたが わたしを愛ではないと定義するなら

わたしはあなたに
何もギフトできなくなってしまいました。

もう勘弁してください。

さようなら。

ありがとう神よ。


++++++++++++++++++++++++++++
わたしは とても残念で泣けてきました。


お金の話しなのですか? これは。

もうわたしは あなたに太刀打ちできません。


あなたの怒りはお金に対する怒りはどこから来ていたのでしょう…。

“お金めあて”
“あやつり”

あなたのお使いになられる世界は
わたしには とても入っていけません。


そして何より ビックリしたのは
なんの前ぶれもなしにいきなりあなたが
Webにこれをあげていたことでした。

ひとこと
じゃ

始めようかと言ってほしかった。

そしていきなり「犬も喰わない」!?

あなたのやり方がわたしにはわかりません。

もちろん なんでもさらけ出して結構と言いました。

そしてケンカ(?)ですか?

まいりました。

サラのほうから退散します。
+++++++++++++++++++
<わたしはパソコンを通してのpublicなやり取りは できないので
<メールを使っていただき
<それからあなたが ご自由にアレンジなされてブログにアップしてください。

サラは全て出すことに既に同意しているのだと思っていました。
これ(下記)も出して良いですか?

サラは今までの文章全部をWEBから削除して欲しいのですか?
もしそうであれば、その旨お知らせ下さい。

+++++++++++++++++++++++++
削除しても削除なさらなくとも
わたしには何もかまいません。

わたしはユーモアがあなたに通じないことがたくさんあった

とつい この前も 言いました。

あのイジケタ質問の行為者は誰でしょうか?
誰もいません。


わたしはあなたと分かち合いたくてこれにyesと言いました。
わたしのあれがキツいものだったことは確かです。

そんなんじゃないよね?

イジケタ 言い回しです。

もうわたしはダメです。
あなたがお好きになさってください。

このメールを打つ指まで
いま麻痺してしまいました。

++++++++++++++++++++

これでいいの? ラジのアドバイスとは随分違うけど。
オレが弱い者苛めしているみたい。しているのかもしれない。


あなたはただ感情を押し殺すのか、自分の考えを(これは考えに過ぎないから)と見てみぬフリをするのか。
そうしている限り、自分を偽っている限り、あなたに奇跡は体験出来ない。
「正直に成れ。 独善的と言われていい。 出来るだけパブリックにしろ。」これが私のアドバイス。

「感情と思考に捕らわれるな。しかしそれらを押し留めようとするな。」


+++++++++++++++++++++++++++++++++++

わたしは去らせてください。

たくさん救っていただきました。


さようなら。
さようなら ジーザス。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++

<なぜわたしとのpublicなやり取りが必要なのかと。

オープンなコミュニケーションの為です。
あなたとHiroの今までのコミュニケーションはオープンでしたか?
それは全ての人達に向かって開かれていましたか?


あなたは怒った。 だから思量を捨てて「パブリックにしなさい」という私のアドバイスにただ従った。
それまであなたは私を行動にうつさなかった。 誰かがあなたを非難するかもしれないと思ったから。
あなたは私が何をしようとしているかまだ理解していないので、それを上手く言葉にすることは出来ていない。

今まであなたは怒らない限り、自分を手放さなかった。
怒らない限りあなたは私に行動を譲ってこなかった。

あなたはまだ私に怒っている。

あなたはまだ私を赦していない。

もしサラのメールがあなたを激怒させなかったなら、
あなたは私を行動に移さなかった。

怒りを飲み込んでもそれは消えない。
怒りを行動に移すな。しかしそれを押し殺そうとするな。
怒りをパブリックに言葉で示すことは悪いことではない。 それが開かれてパブリックである限り。


「対話をパブリックにしろ」
私のこの指示があなたを尻込みさせた。あなたの友人も尻込みした。

「対話の内容」以上に重要なのは、それ(対話)がパブリック(オープン)であること。
オープンな対話がオープンな状態/存在を促進する。
プライベートな対話がプライベートな状態を促進している。 この説明をあなたは面倒臭がった。

あなたがプライベートである時、あなたが私の言葉を表明することは困難。
だからあなたはまた言えなく(書けなく)なってしまった。

時としてあなたは私の言葉を自分の自己弁護として受け取ってしまう。
だからあなたは説明を投げ出してしまう。
あなたのプライバシーがあなたを苦しめた。



サラさんありがとう。

ここまで書けました。

あなたを悲しませたこと、ごめんなさい。

岡上

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

ACIM12-10-21

2021年10月21日

前回わたし達は下記を聞きました。

{Love, too, would set a feast before you, . .1 ]
[愛もまたあなたの前にご馳走/祝宴を広げます。 ]

この体験は、この瞬間あなた達全員がしている存在体験は、愛があなたの前に祝宴(ご馳走)の体験を広げていることなのです。
しかしあなた達はそれを体験していないのです。 何故なら、あなた達は自分達の定義群を通して全てを見ることに夢中なのだから。
それでも「創造の動きとは愛そのものがあなたの前に祝宴(ご馳走)をおいていることなのだ」と言えるのです。
これだけがあなた達の目の前に常に存在していることなのです。
「(創造の全てを作っている)父の愛の動きによってあなたの前に祝宴(ご馳走)が設定されること」だけが常にあなた達の目の前に在るのです。


前回わたし達は下記の文章も読みました。

[ And in a holy instant grace is said by everyone together, as they join in gentleness before the table of communion.]

[そして聖なる瞬間の中で全員が一緒にグレース(食前の感謝の祈り)を言って、コミュニオン(霊的交歓)のテーブルの前で優しく繋がるのです。]

聖なる瞬間の中で、あなたが立ち止まり二つのステップを行ない聖なる瞬間の中に入った時、その時何が起こっているのでしょうか?
その時あなたはあなた自身を挿入して(あなた自身を押し入れて)いないのです。
その時あなたは平和に統治させているのです。
あなたがあなたの思考を止めたので、あなたは平和が存在することを許しているのです。
そして思考なくして意識することをあなたは体験しているのです。
そして瞑想の実践を通して、二つのステップ(聖なる瞬間)の実践を通して、あなたは(少しの間だけではなく)より長い時間静けさの中に留まることを学ぶのです。
あなたが許可したこの平和が恩寵の状態なのです。
これが恩寵の状態なのです。何故なら、静けさの中であなたはジャッジメント(裁き/判断)を実践しておらず、独立を実践しておらず、父からの離縁をあなたは認証(確認)し続けていないのだから。 言ってみれば、その時あなたは子宮の中にいるのです。
その時あなたは孤児院と創造(創造そのものの体験)の間の連絡口に居るのです。
その時あなたはシフト(奇跡と呼ばれている瞬間的知覚のシフト)が起こり得る場所にいるのです。


[. . . And in a holy instant grace is said by everyone together as they join in gentleness before the table of communion.]

[そして聖なる瞬間の中で全員が一緒にグレース(食前の感謝の祈り)を言って、コミュニオン(霊的交歓)のテーブルの前で優しく繋がるのです。]

聖なる瞬間がコミュニオンなのです。
聖なる瞬間とは、あなたが父の臨在(父の現れ)を直接体験していることなのです。
その時あなたは(あなたの正しいマインドに過ぎない、そしてクリアな意識の全てである)聖霊の現れを体験しているのです。 
このコミュニオンの中であなたは真に見ることを学ぶのです。
何故ならコミュニオンが起こっている時、聖霊と私(イエス)と父はひとつの意図しか持っておらず、それはわたし達と共に(わたし達の視点から)あなたに全てを見せることなのです。 あなたが今まで見ていた全てのことを、わたし達の視点/視界からあなたに見させて、それを自分の視点/視界としてあなたが喜べるように。

そしてこの体験の中で「わたし達のこの視点があなたの視点であったこと」があなたに思い出されるのです。
この発見の中で、この意識の中で、あなたは「神の子としてのあなたの生得権」に喜んで譲ることが出来るように成るのです。
{その時あなたは}全てを見て、それら全てを「それそのもの」として(その真の姿で)認識するのです。 何故なら、あなたはそれらを父が見ているように見ており、父が見ているように見ることにより、あなたは創造を認めており、父の意志を認証しているのだから。


では本を読み続けましょう。

[I am made welcome in the state of grace, . .]

[私は恩寵の状態の中で迎え入れられ歓迎されるのです。 ]

(あなたの意図の欠如によって祝福されている)静けさの中で、そしてそのガッカリするような結果として、私は迎え入れられ歓迎されるのです。


[I am made welcome in the state of grace, which means you have at last forgiven me.]

[私は恩寵の状態の中で迎え入れられ歓迎されるのです。 恩寵(グレース)とは「あなたがやっと私を赦してくれた」という意味です。]

これは不思議に聞えるかもしれません。
「自分がイエスを嫌っていてイエスを赦す必要がある」とは考えたことはない人達もいるでしょう。
しかしあなたが創造を見ていて、神が成っている全てをあなたが見ていて、「私はそれを私自身で定義したい」とあなたが言っている時、あなたは創造を否定しているのです。
その時あなたは自分のマインド内で「価値のないもの」として創造を断罪(判断)したのです。
何故なら、あなたのマインドの中で価値在るものに成っているのは「(あなた自身の権威の上で神に成ろうとする)あなたの目的の為に創造を再定義するあなたの能力」なのだから。  
「あなた自身の源(神)を持たずに物事の定義者に成ろうとするあなたの意図」が(あなたが定義している)そこに見えているのだから。


だから、

[I am made welcome in the state of grace, which means you have at last forgiven me.]

[私は恩寵の状態の中で迎え入れられ歓迎されるのです。 恩寵(グレース)とは「あなたがやっと私を赦してくれた」という意味です。]

あなたは静寂の中に入って来て静寂を許可したのです。(静寂を自分で満たすのではなく)静寂の子宮の中に在るものをあなたは尊んだのです。
だからあなたはジャッジメント(断罪)無く来たのです。
全く断罪せずに来たのです。これが赦しです。


[For I became the symbol of your sin, and so I had to die instead of you.]

[何故なら私はあなたの罪のシンボル(象徴)に成っており、だから私はあなたの「代わり」に死ぬ必要があったのです。]


もちろん、これは本当ではありません。
しかしこれ(この見方)が相互合意されており、あなた達の多くがこの定義を受け入れ保っているのです。


[To the ego sin MEANS death, and so Atonement is achieved through murder.]

[エゴにとって罪は死を意味しており、だから{エゴにとっては}アトーンメント(贖罪/和解)は殺人によって達成されるのです。]

独立的立脚点/独立的視点からは罪は死を意味しています。
つまりエゴの宗教の真髄は殺人であり、殺人がアトーンメント(贖罪)なのです。
しかし実際にはアトーンメントは生命であって、生命がそれそのものとして修復されることなのです。 何故なら、あなたは静かに成って、生命が(聖霊の条件の中で、父の表現の中で)あなたに届き響いたのだから。


[Salvation is looked upon as a way by which the Son of God was killed instead of YOU.]

[救済は、神の子が「あなた」の代わりに殺されたこととして見られています。]

しかしこれは真実ではありません。
しかし救済はそのように見られているのです。
これが相互合意されており、救済をそのように見続けることが聖なる瞬間を否定するのです。 {神の子が「あなた」の代わりに殺されたことが救済なのだと信じることにより}「あなたがあなたの正気と繋がり直すこと」が否定されているのです。
神の聖なる子として意識的にもう一度統合されることが、{神の子が「あなた」の代わりに殺されたという}この考えにより否定されているのです。
これが真実です。


[Yet would I offer you my body, you whom I love, KNOWING its littleness?]

[しかし私があなたに私の「体」を捧げるでしょうか? 愛しているあなたに私が自分の「体」を与えるでしょうか? それ(体)が卑小なものだと知っていながら。]

死んだ私の体を私があなたに捧げるでしょうか。 いいえ。 そのようなことを私は決して行わないのです。


[Or would I teach that bodies can [not] keep us apart?]

[それとも私は「体がわたし達を隔てておくことは出来ない」と教えるでしょうか?]

<いいえ、私はそのようなこともしませんでした。{この言葉はラジが原文を「それとも私は「体がわたし達を隔てておくことが出来る」と教えるでしょうか?」と読み間違えたことから発生している間違いです。}
私は「体がわたし達を隔てておくことは出来ない」と教えるのです。


[Mine was no greater value than yours; no better means for communication of salvation, but NOT its Source.]

[私の体はあなたの体より価値のあるものではなかったのです。私の体は{あなた達の体同様に}救済のコミュニケーション手法(伝達方法)でしかなかったのです。しかし体はその{救済の}源ではなかったのです。]

つまり私の体と、そしてあなた達の体は、救済のより良き伝達方法以上のものではなかったのです。


[. . . for communication of salvation, but it is NOT [its] Source. ]

[救済のコミュニケーション手法(伝達方法)でしかなかったのです。しかし体はその源{救済の源}ではなかったのです。]

救済の源は体ではないのです。

[No-one can die for anyone, and death does not atone for sin. Yet you can LIVE to show it is not real.]

[他の人の代わりに死ねる人は誰も居ません。そして死は罪をアトーンしません(死は罪を償いません)。しかしあなたは「生きて」死が「リアル」でないと示すことが出来るのです。]

あなたは生きて、罪がリアルではないと示すことが出来るのです。

[The body DOES appear to be the symbol of sin, while you believe that it can get you what you want.]

[「あなたの望んでいるものを体があなたに与えることが出来る」とあなたが信じている限り、体は罪のシンボル(象徴)に見えます。]

孤児に成ろうとしているあなた達は、惨めな孤児であるあなた達は、実在する個人/存在に成ろうとしているのです。 あなたのプライベートな努力によって永遠に神聖でリアルな個別存在に成ろうとしているのです。
あなた達はどうやってこれをしようとしているのでしょうか?
あなた達は自分達の体を使ってこれをしようとしているのです。
あなたの体は「(あなたとあなたの兄弟を犠牲にした上で)あなたのリアリティをあなたの体験としてコントロールする方法」なのです。  と同時に{あなたの体は}「あなたに対する兄弟の誤用と誤解の上にあなたの体験を作る方法」なのです。


[While you believe that it can give you pleasure, you will also believe that it can bring you pain.]

[「体があなたに快楽(楽しみ)を与えられる」とあなたが信じている限り、「体はあなたに痛みを与えることが出来る」とあなたは信じ続けます。]

あなたが父から離縁を得た時、あなたは想像上の独立状態内でリアリティを否定してるのです。その時「あなたに関する神のリアリティ」をあなたは否定しており、あなたはあなた自身をリアルにしようと試みており、そのプロセス上であなたは喜んだり痛みを感じたりするのです。


[To think you could be satisfied and happy with so little is to hurt yourself, and to limit the happiness that you would have, calls upon pain to fill your meager store and make your lives complete.]

[「あなたがこんなに僅かなもので満足しハッピーになれる」と信じることは、あなた自身を傷付けることなのです。それはあなたの幸福を限定し、あなたの貧しい貯蔵庫(蓄え)を痛みで満たして、あなたの生活を完成させる為に痛みを呼び込むことなのです。]

あなたの健全/全体が欠如している所で、あなたの平和が欠如している所で、あなたの存在の調和と安全と不死身が欠如している所で、あなたがそれらを否定している所で、あなたは、[あなたの貧しい貯蔵庫(蓄え)を痛みで満たして、あなたの生活を完成させる為に痛みを]呼び込んでいるのです。
痛みと罪悪の体験は、あらゆる痛い体験は、「あなた独自の救済プラン(あなた自身であなたの健全/全体性を確保しようとすること)への決意」をより一層強くする為に使われているのです。
そしてこれ(あなた自身で健全/全体性を勝ち取ろうとすること)は達成不可能なので、これをしようとしているあなたは不可能と直面することになり、あなたはこれを「脅威/逆境/道を遮られること」として体験し、「リアルに成る」という目的を勝ち取る為にこの「逆境/脅威」を乗り越えることがあなたの役割であると思われているのです。


[This IS completion, as the ego sees it. For guilt creeps in where happiness has been removed, and substitutes for it. ]

[これがエゴが見る完成なのです。何故なら幸福が取り除かれた所に罪悪が入り込み、罪悪が幸福に取って代わっているのだから。]

そして{幸福が取り除かれた所に}怖れも入り込んでくるのです。
父からの離縁に対して決意を与えた瞬間にあなたは罪悪と怖れのペアに直面したのです。

しかし、
[Communion is another kind of completion, which goes beyond guilt, because it goes beyond the body.]

[コミュニオンはもう一つの(エゴが目指す完成とは別の)完成なのです。これは体を越えて行くものなので、これは罪悪を越えて行くものなのです。]


コミュニオンとは私/聖霊/父と繋がることです。
コミュニオンの中で父と繋がること。 これは「赤ん坊が柔らかな毛布に包まれてその柔らかさや暖かさとコミュニオンを持っているようなこと」だけではなく、「コミュニケーション/対話/双方向のやり取り」の体験が起こるのです。 これが聖なる瞬間の働きなのです。

あなたが聖なる瞬間を持って、自分がコミュニケーションを持っていることを発見した時、自分が「答え/理解/今までの体験を超えた体験で満たされていること」をあなたが発見した時、あなたがガイドや聖霊と共に居て、ガイドや聖霊と共にあなたが「あなたを悩ませていたこと」を振り返った時、そのようにして聖なる瞬間を実践した時、あなたと「あなたの兄弟/私/聖霊の視点」が共に赦された世界を見るのです。
{その時}あなたは天国を見るのです。 その時もうそれ(天国)は「あなた達が抱いている(あなた達が自信を持っている)定義群」によって不明瞭にはされていないのです。

ポールは今こうして聖なる瞬間の中で私と一緒に居て、あなた達やこの部屋のすべての物と関わり合うことが出来るのです。
彼の体は存在しており、しかし彼は体と自己同一(アイデンティファイ)はしていないのです。
コースの中に書かれているように、彼は体をわきに置いたのです。
これは彼が体を死なせて腐敗させ全幻想の虚無の中に消滅させたということではありません。
そうではなく、あなたがコミュニオンの方向を向いている時、それは体を越えてあなたを運ぶのです。 それはあなたを「自己防御(体は頻繫にこの目的で使われています)」を超えた所に連れて行くのです。 あるいはあなたが求めるものを得ようと体を使って強制/強要することが止まるのです。

つまり体が、あなたの意志に従うのではなく、聖なる瞬間の中で開いて行く(展開される)「存在の意味の目的」に従うのです。
「体をわきに退けなさい。」“setting the body aside, laying the body aside.”という言葉に読んでも悩まないでください。
あなたが聖なる瞬間を実践している時、あなたは今まであなたが使ってきた体の使用をわきに退けているのです。
あなたが自分の最上の判断/思考/概念を手放して、それらが存在していない静けさの中であなたは伸び出し「父よ、聖霊よ、ここの真理は何ですか?」と訊ねるのです。
「私が体験するべき生得権(父から来ているもの)は何ですか? 私は健全/全体で、私は神の聖なる子供なので、私は神に向き直り、全てのリアリティに対する私の理解を神から得たいのです。」

あなたの体は消滅しませんが、それはもうエゴが使おうとしていた目的では使われなくなるのです。 そしてエゴの目的とは、愛無くして全ての人と物をコントロールし、「体と自己同一している者」の自分勝手な目的に仕えることなのです。
その結果が戦争なのです。
その結果が殺人/死/病で、ひとつのものが他のものと闘争(攻撃)しており、他のものを屈服させるか破滅させている状態なのです。
これを放棄することは犠牲ではありません。

{上記を話したことにより}聖なる瞬間がどれだけ重要かよりクリアに成りました。聖なる瞬間の意義と働きがより一層クリアに成りました。
そしてあなたが何を体験することを期待出来るかよりクリアに成りました。あるいはあなたの体験するべきことの性質がよりクリアに成りました。

あなたが今まで知ってきた全てに反することをするように私は言っているのです。
そのやり方はシンプルです。「口を閉じなさい」。
これはシンプルです。静かに成りなさい。
静けさを尊びなさい。
何故なら、反発されていない静けさの中であなたは恩寵の状態を体験しており、その中でアトーンメント(贖罪/和解)が発生可能に成っており、その中であなたの正しいマインドの中に帰って行くことが可能なのだから。

そしてあなたは自分が安定を体験していることを発見するのです。
風に揺るがされないジブラルタルの岩のような不動を、オピニオンの変化や「過去にあなたに怖れをもたらして来たあらゆるもの」によって揺るがされない体験を、あなたは体験するのです。
これが「神の法が全てを統治しており、あなた自身の意識の中であなたの神聖があなたに対する否定不可能な事実である場所/状態」にあなたを置くのです。
この恩寵のギフトをあなたの兄弟姉妹(同胞)に持って行きなさい。
これが世界を変容させ、あなたの意識の中で世界をそのオリジナルでパーフェクトな状態に修復するのです。 そして世界はパーフェクトで在り続けて来たのです。

今週中は私が今夜話したことと共に優しく居てください。
そして、これが難しく思えても、これが役立たずに見えても、{聖なる瞬間を実践している時に}あなたが何も達成してはいないように見えても、これを止めないでください。
あなたはあなた達の自信に反することをしようとしているのです。
だからこのあなた達の自信を破るには辛抱強く続ける必要があるのです。
より軽い心で続けられるように成る為には、辛抱強く努力する必要があるのです。
聖なる瞬間の中ではコミュニオンが必然的に起こるのです。
私は聖なる瞬間の中に居ます。
愛があなたの前に祝宴(ご馳走)を広げています。私はあなたの前に祝祭を置いています。聖霊があなたの前に祝祭を置いています。
あなたがここに招待されているのです。 あなたはここに招待され続けて来たのです。
そしてあなたは罪人ではないので、あなたは常にここに歓迎されているのです。
あなたは神の子供なのです。あなたはそれをクリアに体験しているか、そうでなければ、ガラス(知覚/認識の歪み)を通して暗くそれ(神の子)を体験しているのです。
いずれにしろ、あなたはそれを見ているのです。
いずれにしろ、あなたは全く変わることなく神の神聖なる子であり続けているのです。


Chapter 19 – Section: THE ATTRACTION OF GUILT
Sparkly Book – p.463, 4th Full Par. / JCIM – p.194, 1st Par. / CIMS – p.390, Par. 56
First Edition – p. 383, Last Par. / Second Edition – p.411, Par. 17

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

ACIM12-10-14

2012年10月14日

まだポールが私と話し始めたばかりの頃の話です。
ある時点で『「人間的状況の中にいる人間としての彼」に向かってヴェールを通して私が話しかけている、とポールが考えていること』が私に明確に理解出来ました。
しかし「彼が考えているようなことが起こっているのでは無く、{比喩を使って表現すれば}潜水艦の中に居る彼が潜望鏡を水面(ヴェール/敷居)の上に伸ばしており、私が居る場所(光明状態/悟りの状態/目覚めている状態)で彼が私を認識しており私とコミュニケーションしているのだということ」を私は彼に教えました。
全創造の中から彼が認識出来てコミュニケート出来たのは私だけだったのです。

あなたが二つのステップをしていて「父よ(あるいは聖霊よ)、ここの真理は何ですか?」と言って、あなたが答えを聞いて、あなたが「癒やしをもたらす真理の意識体験」で満たされている時、それ(答え/真理の意識体験)は孤児状況内に居る孤児としてのあなたに提供されているのではないのです。 
それ(答え)は「人間的状況内に居る人間としてのあなた」に提供されているのではないのです。

あなたが自分の孤立を放棄した時、あなたは境界線を越えて「父/聖霊/イエス/ガイドが聞える場所」まで届いているのです。
これは『あなたは「多数の中の一人」ではなく「多数/全体であるひとつ」である』と言う真理を説明する為の前情報です。 
あなたが二つのステップをしている時、あなたは自分の孤立を手放し「あなた自身の権限の上に独立者として存在する硬い意図」を放棄しているのです。
そしてアトーンメント体験(目覚める体験)の中にあなたの注意を移し、だからあなたの注意はもう人間的状況(人間的存在)の中には居ないのです。
このポイントに居る時あなたは神の聖なる子として働いているのです。 そしてあなた達は本当は常に神の聖なる子で在り続けているのです。
あなたがこの繋がりを作った時{神の子としての神との繋がりを再発見した時}、あなたは私/イエスか聖霊か父かあなたのガイド(それらは全て同じ意図を持っています)と繋がり、わたし達と繋がるのです。
そしてあなたは振り返って「あなたに助けを求めさせた状況/状態」を眺めて、それをわたし達の視点から見るのです。 何故なら、その時あなたはその地点(わたし達の視点)から状況を見ているのだから。
聖なる瞬間の実践はあなたを聖霊とのコミュニオン状態(スピリットをやり取りしている状態)に置きます。 
聖なる瞬間の実践によってあなたは「あなたの正しいマインドに過ぎない聖霊」と「聖霊と同じ働きを提供している私」と「あなたの上に常に(全てに対する真理である)父自身の視点を与えている父」とのコミュニオン状態に入るのです。
この場所からわたし達と一緒にあなたは振り返り「あなたに助けを求めさせる原因となった視点」を放棄して、わたし達と一緒に真理を見るのです。

では今一度下記の言葉を繰り返し言いましょう。
あなたは多くの人達の中の一人(多の中のひとつ)ではありません。{人間的状況ではそのように見えていますが。}
あなたが「多を成り立てているひとつ」なのです。
あなたが「多くの人々そのものである一人」なのです。
あなたが聖なる瞬間を行なっている今、あなたは「多であるひとつ、全ての人々である一人」なのです。
あなたが助けを求め、あなたに助けが与えられ、あなたが助けを体験している時、その助けの体験の中であなたは神の視点と共に「あなたが問題と呼んできたもの」を振り返っているのです。

さて「多であるひとつ」とは神のことではないですか?
「全ての創造を永遠に作り(設立し)続けているもの」は神ではないですか?
「創造の動きに成ることにより創造を永遠に新しくし続けているもの」は神ではないですか?
それは神なのです。

だから神の体験がこの体験なのです。
そしてこれと同じ体験をすることがあなたの生得権なのです。
何故なら、あなたは父からこれ以外の能力(キャパシティー)は与えられていないのだから。
あなたの役割は「父が成っているもの、父が成っていること」を体験することなのです。
あなたの役割は意味/意義を体験することなのです。 
「創造の動きの中で父が体現している意味/意図だけを体験すること」があなたの役割なのです。

アトーンメントの体験は、孤児的視点からシフトすることなのです。
目覚めの体験は、独立的思考者の立場からシフトすることなのです。
これは「真理を独立的に受け取っている者の立場」からシフトすることなのです。
そしてあなたは動くのです。
わたし達の隣に来て、そして振り返り「わたし達が見ているもの」を見るのです。

それ(わたし達が見ているもの)は、ついさっきまであなたが居た場所であり、そこであなたはストレスを受け苦しんでいたのです。 
しかしわたし達はそれ(あなたが居た場所/境遇)を父の視点で見るのです。
だから国家の癒やし(国家状況の修正)は、人々の癒やしは、あなた達が自らを父の視点と意欲的協力的に並べた(同じにした)結果なのです。
父の視点/視界を体験し、そこから全てを見ることがあなたの生得権なのです。
そこ(父の視点)からあなたは正義の制裁の必要は見つけないのです。その時あなたは、嫉みや裁きや復讐の正当性は見つけないのです。


あなたが求めるべきは、分裂したマインドではなく、健全なマインドに成ることなのです。
そして健全なマインドとは、あなたが居るそこで「(あなたの全てとして神が成っている)永遠の聖なる知性の体験」なのです。
だからこれは決して人間的状況内から「人間的状況の真理はなんなのでしょう?」と訊ねて、人間的状況内から人間的状況を修正しようとすることでないのです。

このことに関して静かに思いを馳せてみなさい。
その時あなたはどうなるのでしょうか?
あなたにはわかりません。
そしてあなたが(そこで何が起こるか知らずに)聖なる瞬間の中に入った時、あなたは『聖なるヴィジョン(聖なる認識)を体験して、必要とされている新しい視点を得ることが出来るポジション』に居るのです。
あなたが私の傍に来て後ろを振り返り、私と一緒にあなたが今来た場所を見て、それを父の視点である私の視点/視力で見るのです。 父の視点をあなたの視点として体験することがあなたの生得権なのです。
この光景をあなたのマインド内に置いてください。
あなたはこのようにして、あなた自身が「多であるひとつ」に成っている体験をしていることを見つけるのです。
何故なら、父が体験していることをあなたが体験しており、そのことの中であなたは父の共同創造者に成っているのだから。

その時(あなたが父と同じ体験をしている時)全てが瞬く間に変わるのです。
そして今全てが変わり得るのです。 12月21日に変わることも勿論可能ですが。
今がその時なのです。 そしてこれはあなたが考えている程複雑なことではないのです。

私を聞いている(このテキストを読んでいる)殆どの人達は啓示の体験(聖なる洞察/源とのコミュニオン)によって変えられたことが既にある筈です。
この体験をあなたがしていた時、「ビッグバンから始った(聖なる源とは全く関係のない)物理的宇宙の一部である惑星上の人間的状況からこの体験をしてはいなかったこと」をあなたは理解していなかったかもしれません。
しかしあなたは父の視点(立脚点/立場)から眺める体験をしていたのです。
「上手く機能している独立存在に成ろうとしているあなたの意図」によってあなたの神聖がブロックされてしまわず、あなたの神聖が直接体験された光明の瞬間(照らし出される瞬間)をあなたは体験していた筈です。
これがそうなのです。
その時あなたはあなたの神聖を体験していたのです。
その時あなたは「多であるひとつ(多を設立しているひとつ)」に成っていたのです。何故なら、その時あなたは「多としてのひとつ」の目を通して見ようとしており、「全てに対する様々に異なったあなた自身の解釈を持とう」としてはいなかったのだから。

本を読みましょう。

[The fierce attraction which guilt holds for fear is wholly absent from love's gentle perception.]
[怖れに対して罪悪が持っている強い魅力は、愛の優しい知覚からは全く欠落しています。]

これが孤児院の視点(あなたが多数の中の一人でしかない状態)と父/聖霊の視点の違いなのです。
父/聖霊の視点(視界)の中であなたは「多であるひとり、全体から切り離されていない多を構成している(成り立てている)ひとつ」なのです。

[What love would look upon is meaningless to fear, and quite invisible.]
[「愛が見ているもの」は怖れにとっては無意味で、怖れには「愛が見ているもの」は全く見えないのです。]

これに関して考えてみなさい。
あなたが聖なる瞬間の中で助けを求めている時、{今まであなたは}「無味なこと/無意味なもの」を見て「それ(無意味なもの)をどうかする為の助け」を求めていたのです。
しかしそのように助けを求めることは答えではないのです。
何故なら、それではあなたの視点が変わることには成らないから。
それではパワーによる修正(力の使用)を求めずに「答えを知っている場所」からあなたが見ることに成らないから。
それではあなたのハートが溶けて愛が流れ出し愛が受け取られることが無いから。
それでは{そのようにして助けをもとめていたのでは}「(あなたが反応/反発状態にあってそれ故に居心地悪く不愉快に成り助けを求めざる得なかった時には存在していなかった)あなたのスピリットの優しさ」が現れることがないなら。


[Relationships in this world are the result of how the world is seen.]

[この世界の中の関係は「(あなた達が)どのようにこの世界を見ているか」というその結果なのです。]
この世界の中の関係は「あなたが世界を眺めている場所/状態」の結果なのです。


[And this depends on which emotion was called on to send its messengers to look upon it, and return with word of what they saw. Fear's messengers are trained through terror, and they tremble when their master calls upon them to serve him.]

[そしてこれは「どの感情を使ってメッセンジャーを送り、それに世界を見させたか。その結果としてメッセンジャーがどのような世界を持って戻ってきたか。」に掛かっているのです。怖れのメッセンジャーはエラー(間違い)によって躾けられており、マスターがこれを呼びつけて自分に仕えさせようとするとこのメッセンジャーは震えるのです。 何故なら恐れはその友に対してさえへも非情なのだから。]

これはあなた達に対するとても酷い断罪に聞えるでしょう。
特にあなたがストレス(危機)の真っ只中に居て、怖れのメッセンジャーを送り出して、「怖れるに足ることが実際に起こっている」と証明しようとしていたなら。 「怖れが正当化されており、それを修正する為に状況に対して正しく力を用いるべきだ」とあなたが証明しようとしている時{上記の文章はあなたに対する不当な酷評に聞えるでしょう}。

しかし実際にあなたが切羽詰ったなら、そしてあなたの世界があなた自身を防御することを要求しているように(攻撃的に)見えたなら、あなたは怖れに屈して怖れのメッセンジャー達を送り出し、そのようにしてあなたは「自分が怖れのメッセンジャーのマスター(主)としてどれ位有能か」発見するのです。  
あなたは恐怖を通してこのメッセンジャー達を訓練して来ており、自分に仕えるようこのあなたがこれらのメッセンジャー達を呼びつけた時、彼等(メッセンジャー達)は震え慄くのです。
あなた達が追いつめられている時、あなた達はかなり醜くなることが可能なのです。
しかしあなた達は「私はホラー映画の登場人物からは程遠いから。私は悪を作っているものとは関係ないから。」と言うのです{そう言って自分達が怖れのメッセンジャー達のマスターであることを否定するのです}。


しかしあなたの怖れのメッセンジャー達は、

[Fear’s messengers are trained through terror, and they tremble when their master calls upon them to serve him. For fear is merciless even to its friends. Its messengers . . .]
[怖れのメッセンジャー達はエラー(間違い)によって躾けられており、マスターがこれを呼びつけて自分に仕えさせようとするとこのメッセンジャー達は震えるのです。 何故なら恐れはその友に対してさえへも非情なのだから。このメッセンジャー達は...]

攻撃が正当化されていることを確認する為にあなたが送り出しているメッセンジャー達は、
[Its messengers steal guiltily away in hungry search of guilt, for they are kept cold and starving, and made very vicious by their master, who allows them to feast only upon what they return to him.]
[このメッセンジャー達は空腹で罪悪を探し、それを後ろめたく盗むのです。 何故なら彼等は凍えて空腹で、自分達のマスターによって凶暴にさせられているのだから。このメッセンジャー達は自分達がマスターに持って帰って来たものだけを食べることが許されているのです。]

これは「まだ孤児院内に居て独立存在としての自分を基盤に思考している人達全員」のことを延べているのです。
そしてラッキーなことに、これに対する修正はシンプルです。
そしてラッキーなことに、あなたが「実際のあなたでないもの」に成ることは達成出来ていないのです。
だからあなたに下される懲罰は無いのです。
あなたの独立を捨てて、ヴェールを抜けて、謙虚にそして決意を持ってあなたのガイドか聖霊か父と繋がったなら、あなたから苦しみが取り除かれるのです。

[No little shred of guilt escapes their hungry eyes.]
[だから僅かの罪悪でさえも彼等の空腹な目を逃れることは無いのです。]
あなたが送り出したメッセンジャーの目を逃れるものは無いのです。


[And in their savage search for sin, they pounce on any living thing they see, and carry it screaming to their master to be devoured.]

[そしてこのメッセンジャー達が凶暴に罪を探している時、彼等は生きているもの全てに襲い掛かって、叫びながらそれをマスターのもとに持って行き、それを貪り食べます。]

罪悪であってもなくても、怖れのメッセンジャーは全てに対して(天国の全ての部分に対して)無差別に襲い掛かるのです。
そしてこの「マスター」とはあなたのことなのです。
だから聖なる瞬間を実践することが重要なのです。
(意図的にあるいは無意識の内に)酷いことを見つけ出そうとするメッセンジャー達を送り出して、自分の同胞や自分自身を告発したり懲罰してしまわないように。
それらのメッセンジャー達があなたに送り返して来る知らせ(酷さの確証)を信じてしまい、(憎しみの証拠や怖れ懲罰の現われではなく、愛の軟膏の癒しを必要としている)兄弟姉妹や人種や状況をあなたが断罪してしまわないように。

[Send not these savage messengers into the world, to feast upon it, and to prey upon reality.]
[これらの獰猛なメッセンジャー達を世界の中に送って世界を食い荒らさせリアリティをその餌食にするのは止めなさい。]

怖れのメッセンジャーはリアリティを餌食にするのです。
怖れのメッセンジャーは天国である全てを貪り食うのです。
怖れのメッセンジャーは(顕在化した神のリアルな現れである)神の子供達を餌食にするのです。
あなたの目の前にあるのはひとつのもの(天国)だけなのです。
あなたは天国を、在りのままに見ているか、そうでなければガラス(知覚の歪み)を通して暗く見ているのです。
あなたが見ているひとつのものはリアリティなのです。
このひとつのものが神の創造なのです。
このひとつのものが今今今今、今起こっている創造の動きなのです。
もしあなたがそれ以外のものを見ているなら、それ(あなたが見ている天国以外のもの)を信じるのは止めなさい。
あなたが見ているものを基準に何かをすることを止めて、「父よ、ここの真理は何ですか?」と言って父か聖霊か私が聞えるだけ十分静かに成りなさい。
するとあなたは「わたし達」と意識を共有し、「わたし達」が立っている所からあなたは振り返って全てを見るのです。 
わたし達が存在している所から(わたし達と一緒に)あなたは振り返り、「多であるひとつに成る体験」をあなたはするのです。
兄弟姉妹や全ての創造のパーフェクション(豊かさ)から切り離されていない「ひとつ」に成るのです。


[Send not these savage messengers into the world, to feast upon it, and to prey upon reality. For they will bring you word of bones and skin and flesh.]

[これらの獰猛なメッセンジャー達を世界の中に送って世界を食い荒らさせリアリティをその餌食にするのは止めなさい。何故なら彼等(怖れのメッセンジャー達)は骨と皮と肉の言葉をあなたのもとに持って来るのだから。]

上記の意味をシンプルに言えば:
あなたが「多の中のひとつ」として自分を認識している時、あなたが一生懸命自分の独立的存在を有効にしようと独立的に頑張っている時、「これらの行為をしている体が自分である」とあなたは認識するのです。

[. . . bones and skin and flesh.]
[骨と皮と肉の. . .]

それだけではなく、怪我することの出来る、死ぬことの出来る骨/皮/肉。つまり必滅者(モータル)を怖れのメッセンジャー達があなたの下に持ってくるのです。
これは神の創造に対するとても破壊的で馬鹿げた知覚/認識です。
神の創造は、罪/病/死が不可能な、神の動きの実現(実体化)なのです。
全創造の可視性/可触性(見える様子/触れる様子)同様に、それら(骨/肉/皮としてとらえられているもの)も永遠なのです。
しかしあなたが怖れのメッセンジャー達を送り出したなら、それらは怖れのメッセージをあなたの下に持って来るのです。

[. . . they will bring you word of bones and skin and flesh.]

[彼等(怖れのメッセンジャー達)は骨と皮と肉の言葉をあなたのもとに持って来るのだから。]


そして勿論それら(怖れのメッセンジャー達)は、あなたの兄弟姉妹に関してあなたに話し知らせるのです。
そして{怖れのメッセンジャー達があなたに知らせるメッセージが}「兄弟姉妹に関する真理があなたにとっても真理であること」をあなたに証明するのです。その為にあなたはこれらのメッセンジャー達を送り出したのだから。 {ここでいう「真理」とは、より正確には「あなたが真理だと思っているもの」です。訳注}


[They have been taught to seek for the corruptible, and to return with gorges filled with things decayed and rotted.]

[彼等は腐敗するものを探すように教えられており、戻って来て爛れ腐ったものを吐き出すだけなのだから。]


つまり怖れのメッセンジャー達があなたに教え伝えることは、神の創造に対するひどい誤知覚/誤認識で、それはリアリティから程遠く歪められており、それらは全く神に似ていないものを表しており、神聖でパーフェクトで愛らしいものを何も表明していないのです。


[To them such things are beautiful because they seem to allay their savage pangs of hunger. ]

[彼等にとってはそのようなものが美しいのです。その理由は、そのようなものが空腹の痛みを和らげるように彼等には感じられるからです。]


彼等(怖れのメッセンジャー達)は腐敗するものを自分達のマスターの下に持って来て、腐敗するものを食らうのです。
だから彼等(怖れのメッセンジャー達)はそれを喜びます。
何故なら、彼等(怖れのメッセンジャー達)は少しの間満腹し満足し「正義が行なわれた、目的が達成された、修正が行われた」と思うから。
しかしそこには少しの癒やしもないのです。


[For they are frantic with the pain of fear, and would avert the punishment of him who sends them forth by offering him what they hold dear.]

[何故なら彼等(怖れのメッセンジャー達)は怖れの苦痛でパニックしており、自分達が大切にしているものを彼(マスター)に捧げることにより、自分達を送り出した彼の罰を避けようとしているからです。]


例えどれだけ上手く隠されていても、神が見られていない物理的な宇宙/世界の中での孤児の働きはこれなのです。


「あなたが謙虚に成って聖なる瞬間を実践した結果」としてあなたが体験する聖霊は、

[The Holy Spirit has given you love's messengers to send instead of those you trained through fear. They are as eager to return to you what they hold dear as are the others . . . ]

[聖霊は「あなたが怖れで躾けた者達」の代わりに送り出すよう、愛のメッセンジャーをあなたに与えています。(怖れのメッセンジャー同様に)彼等は彼等自身が大切にしているものを持ってあなたのもとに帰ってきます。]


[If you send them forth, they will see only the blameless and the beautiful, the gentle and the kind. They will be as careful to let no little act of charity, no tiny expression of forgiveness, no little breathe of love escape their notice. And they will return with all the happy things they found, to share them lovingly with you. Be not afraid of THEM. They offer you salvation. Theirs are the messages of safety, for they see the world as kind.]

[あなたが彼等{愛のメッセンジャー達}を送り出せば、彼等は無垢(無罪)と美と優しさと親切心だけを見ます。彼等は非常に注意深く見ており、どれだけ小さな親切も、どれだけ僅かな赦しでも、どれだけ小さな愛であっても、彼等の注意から漏れるものはありません。そして彼等は自分達が見つけた全てのハッピーなものを持って来て、それらを愛情深くあなたと分け合うのです。彼等(愛のメッセンジャー)を恐れるのは止めなさい。彼等はあなたに救済を捧げ差し出しています。 彼等は安全のメッセンジャーなのです。何故なら彼等は世界を親切なものとして見ているから。]

この文章はかなりポリアナ(良い子ちゃん)に聞えますね?
これはポジティブ・シンキングを実践しているように聞えますね?
見るべきものを見ぬ振りしているだけのように聞えます。
問題を起こしているものが{実際にはそこに在るのに}そこに存在していないフリをしているだけに聞えますね?

孤児はそのように考え振舞うのです。 独立存在はそのように(実際には問題が存在していると)考えるのです。
何故なら「全ての悪を乗り越え退治した結果として自分はリアルに成れる」と独立存在は信じているから。
「危険がそこにあり、危険に対して自分を防御しなくてはならいこと」を怖れのメッセンジャー達が沢山持ち帰っており、それを認めて、それに対処することにより自分の独立がリアルに出来ると独立存在(神から離れようとしている孤児)は信じているのです。

[If you send forth only the messengers the Holy Spirit gives you, . .]
[「聖霊から与えられたメッセンジャー達」だけをあなたが送り出して、]

これをすることはあなたの性癖(今まであなたが慣れ親しんで来た振舞い)ではないので、その為には信心が必要なのです。 

[If you send forth only the messengers the Holy Spirit gives you, WANTING no messages but theirs, you will see fear no more. ]

[「聖霊から与えられたメッセンジャー達」だけをあなたが送り出して、このメッセンジャー達からのメッセージだけを求めたなら、あなたはもう恐れは見ません。]

するとエゴは「噓だ、そんなことがある筈は無い」と言うのです
「{そのようなことをすれば}あなたは今まで以上に無防備に(傷付き易く)成ってしまうのだ。 何故なら、{その様に振舞おうとしている}あなたは事実を無視しているのだから。 ここが対立/闘争の世界である、ここがポジティブとネガティブが常に拮抗している分離された世界である、世界の中では常に人々が競い合いストレスと醜さが表れているのだ、というリアリティを無視しようとしているのだから。」
だから聖霊に手(意識)を伸ばし聖霊の教えの明晰から利を得る為に、あなたはこの示唆(この世界が闘争の世界であるという示唆)と対峙し、この示唆に反して振舞うのです。
すると何がリアルで何が真理か(そして何がリアルでないか、あなたがもう何をしなくても良いのか)聖霊の明晰があなたに示すのです。


[The world will be transformed before your sight, cleansed of all guilt and softly brushed with beauty. ]
[世界はあなたの目の前で変換/変容され、全ての罪悪が洗い流され、美によって丁寧に磨かれるのです。]

そして次が要点です。
[The world contains no fear which you laid not upon it. ]
[その時世界は「あなたが世界の上に置かなかった怖れ」を持ってはいないのです。]


孤児としてのあなたは、「あなたの外に」世界が成立しており、この世界の中には「怖ろしいもの」が存在しており、「怖ろしいもの」はそれ自体でそれ自体の権限の上に存在しており、あなたはその無垢な被害者(影響力を持っていない被害者)だと確信してしまっているのです。
しかしこれは真実ではありません。
しかしあなたが聖なる瞬間に固執し続け、それを実践し続けて、「愛のメッセンジャーがあなたに送り返して来るもの」だけをあなたが求めるようになるまで、あなたには真実が発見出来ないのです。

[The world contains no fear which you laid not upon it. And none you cannot ask love's messengers to remove from it, and see it still.]

[その時世界は「あなたが世界の上に置かなかった怖れ」を持ってはいないのです。あなたが愛のメッセンジャーに「世界から取り除いて欲しい」と頼んだなら、愛のメッセンジャーに取り除くことが出来ない怖れは存在してないのです。]


あなたが愛のメッセンジャーに頼んでこれ(怖れ)を取り除いてもらったなら、もうあなたがこれを見ることは出来ません。
これはダチョウが首を地面の中に突っ込んでしまうようなことなのでしょうか?
違います。
これは「あなたが潜望鏡を父の視点の中に伸ばして、そこに全く怖れが存在しておらず、怖れの結果も存在していないという真理」を見ることなのです。


[The Holy Spirit has given you His messengers to send to each other, . . ]

[聖霊は「自分自身」のメッセンジャー達をあなたに与えました。 あなた達がそれらをお互いに対して送り、...]
あなたの兄弟姉妹と創造の全ての部分に対して聖霊のメッセンジャー達を送り出すのです。


[. . . and return to each with what love sees. They have been given to replace the hungry dogs of fear you sent instead. And they go forth to signify the END of fear.]

「愛が発見したもの」と共にそれらのメッセンジャー達があなた達のもとに戻ってくるように。あなたが送り出していた空腹な怖れの犬達の替わりに、これら愛のメッセンジャー達があなたに与えられたのです。そして愛のメッセンジャー達は{世界の中に}出て行って、怖れの終わりを示し知らせるのです。]

これはとても非現実的に聞えるかもしれません。
何故なら、あなたが世界を見渡したなら、あらゆるメディア(媒体)には人類の平和への脅威と謀略と計画的な憎しみが満ちており、それらは非常にリアルに見え、それらのことに関してどうにかして対処しなくてはならないと思えるから。

このことに関してわかり易いように説明しましょう。
あなた達は病を感染させるバクテリアや細菌に満ちた世界を見ています。
体がおかしくなり急に破壊されてしまう傾向がある世界を見ています。
するとあなた達はあのヴァイルス(ビールス)やこの細菌の予防の為に薬を摂取します。
何故なら、メディア媒体ではなく、空気が危険に満ちているように見えているから。


しかしこの世界/地球の中には継続的に意識的にヒーリングを行なっている人達が居ます。

そして彼等は「この体は致死的に病んでいます。この臓器はあれやこれによって腐食されています。」と戻って来て言うメッセンジャー達には注意を与えていないのです。
癒やしを実践しているこれらの人々は、自分達の下に戻って来て「ここに修正不可能な病があると(修正不可能なダメージがあると)主張するメッセンジャー達」に従って自分達を律する(統治する)ことはしないのです。
これが重要なのです。

{癒やしを毎日実践している}彼等は彼等のやり方で二つのステップを実行し「父よ、ここの真理は何ですか?」と訊ね聞くのです。
「父よ、私にはここに表れているものが{真実ではないと}わかっています。私の下に帰って来ているメッセンジャー達は神の正直な真理は述べていません。これらの者は噓を付いています。 
何が起こったとレントゲン写真が言っていたとしても、どれだけ物理的な証拠があろうとも、私はこれらがあなたの意図では無いことを知っています。
だから私はこれらのメッセンジャー達は信じません。
私は(多数の中の一人である)独立者としてこれと対処しようとはしません。
そうではなく、私は父であるあなたと繋がることを選び、あなたの声に耳を澄まし、あなたが私に真理を暴き示し、その真理が噓を噓と証明するでしょう。これらのメッセンジャーが正当ではなく信頼の置けるものではないことを真理が証明するでしょう。
そして私はこの確証が見えるように成るまで、あなたとの繋がりと共に留まります。」

こうして致命的と思われている病が消えることや、指に刺さって化膿を起こしている銀が指先から突然出てくることなど、あらゆる癒やしが毎日起こっているのです。

多であるひとつに成るとは、骨と皮の肉の言葉を喋るメッセンジャー達がそこに居ないということです。

[. . . words of bones and skin and flesh . . .]
[骨と皮と肉の言葉...]

何故なら、聖なる瞬間の中で父の法が(創造の法が)行き渡り全てを統治しているのだから。
だから地球上で癒やし(ヒーリング)を毎日実践し体験している人達は、(自分達自身が送り出した結果として自分達の下に戻って来て事態を揺るがしている)怖れのメッセンジャーを信じる必要は無いことをデモンストレート(体現)しているのです。
そして闘争や問題と係わるのではなく、父(あるいは聖霊あるいはイエス)と繋がって振り返り、わたし達(父/聖霊/イエス)と一緒に事態を眺めて、彼等(癒やしを行なっている人達)は(闘争や問題があったと思われていた)そこに何もないことを発見するのです。 その時、瞬間的癒やしと呼べるものを彼等は見つけたのです、

あなたがニュースを聞いている時、あなたは{わたし達と}繋がらずにニュースを聞いており、「ウーン。これらの無法者を取り押さえなくてはいけない。これらの人でなし達を痛めつけて、人でなし達がしていることを止めさせなくてはいけない。」と言ってしまっているのです。
そうしている時あなたは怖れのメッセンジャーがあなたの下に持って来たものに注意を与えているのです。
それ(怖れのメッセンジャーが示しているもの)はネガティブな解釈で、人々の行為として見えているものも(ちょうど臓器が癌に侵されてみえているように)世界/状況の中から力で排除するべきものに見えているのです。
それを止めなさい。{怖れのメッセンジャーがあなたに示している解釈を受け入れ続けることは止めなさい。}
{怖れのメッセンジャー達を信じることを止めなさい}このようなことを聞いた時、あなた達はこれを信じて、それを{自分の視点から}行なおうとしてしまうのです。 興奮してこれを{自分だけで}実行しようとしてしまうのです。
するとあなたは(事態がどれだけ危険か示す確証を見つけようとする)より多くの怖れのメッセンジャーを送り出し、物事を変える為により多くの力を投入しようとしてしまうのです。
しかしあなたが聖なる瞬間を実践したなら、それ(危険な状態の示唆)は(どれだけそれがリアルに見えていたとしても)幻想であることがわかるのです。

もう一度言いましょう。
毎日病が癒やされています。体に力を加える事によってではなく、物理的プロセスが変わるように押し付けることによってではなく。
そうではなく孤児院からの視点を放棄して聖霊/父/イエス/ガイドが居る所でわたし達(聖霊/父/イエス/ガイド)と繋がって、そして振り返りあなたを悩ましていたことをわたし達の視点(立脚点)から見るのです。
すると癒やしが起こり、それは奇跡的なのです。何故なら、力が全く使われなかったのだから。


[If you send forth only the messengers the Holy Spirit gives you, WANTING no messages but theirs, you will see fear no more. ]

[「聖霊から与えられたメッセンジャー達」だけをあなたが送り出して、このメッセンジャー達からのメッセージだけを求めたなら、あなたはもう恐れは見ません。 ]

あなたは癌が臓器を蝕むことを見ないのです。
そしてレントゲン写真もそこにパーフェクション(完璧)があることを示すのです。
何故なら、そこに神が居り、そこに創造が在り、(分離/分極/闘争を否定している父の唯一性同様に)創造はパーフェクトなのだから。
これが真実です。
そしてこれは「わたし達」が居る所にあなたが来て「わたし達」と一緒にあなたがいま来た場所を振り返り、「わたし達の視点/視界(あなたの本当の視界)」でそれを(幻想なしに)見ることから来るのです。

すると、
[Love, too, would set a feast before you, on a table covered with a spotless cloth, set in a quiet garden where no sound but singing and a softly joyous whispering is ever heard.]

[愛もまたあなたの前にご馳走を広げます。 清潔なシーツに覆われたテーブルが静かな庭園の中にあり、そこには歌と静かな喜びの囁きだけが聞え続けているのです。]


「それは話がうますぎる。このような考えは幻想だ。」
しかしこれを真理として抱擁してください。
でなければ、あなたはこれを否定してしまっており、この体験からあなた自身を隔ててしまっているのだから。


[This is a feast which honors your holy relationship, and at which everyone is welcomed as an honored guest.]

[これはあなたの聖なる関係を称える祝宴なのです。 そこでは全ての人々が大切なゲストとして迎えられています。]

あなた達よりも以前に聖なる瞬間を実践した人達さえもが、あなたの苦しみの正当な理由に見えてしまっています。
「嫌な奴/悪い奴」の上に力を下さなければ解放が受け取れないように見えてしまっています。


[And in a holy instant grace is said by everyone together, as they join in gentleness before the table of communion. And I will join you there, as long ago I promised and promise still. For in your new relationship am I made welcome. And where I am made welcome, there I AM.]

[そして聖なる瞬間の中で全員が一緒にグレース(食前の感謝の祈り/恩寵)を言って、コミュニオン(霊的交歓)のテーブルの前で優しく繋がるのです。そして私が約束している限り、そこで私もあなた達と繋がります。そして私はこれからも約束します。何故ならあなた達の新しい関係の中で私が歓迎されており、「私が歓迎され迎え入れられている所」に私は居るのだから。]


私が歓迎されている所に聖霊が居るのです。
私が歓迎されている所に父が居るのです。
私が歓迎されている所に「あなた(達)」が居るのです。
そして私とあなたが居る所には「上手く対処しなくてはならない嫌な奴」は居ないのです。

多くの癌は致命的だという信念が与えられています。そしてその他の多くの病も致命的なものだと信じられています。
しかしそれらの病が何らかのシフトを通して癒やされる(修正される)ことが毎日起こっています。 

「多であるひとつ」があなたのマインドに成ることをあなたが許して「多数の中のひとつ」から「多であるひとつ」へシフトすることにより、癒しがもたらされるのです。
「多に成っているひとつ」のマインド(つまり神のマインド)の視点/立脚点から全てを見る意欲をあなたは発揮するのです。
この行為を通してあなたは「より大きな自己(セルフ)」を意識的に体験するのです。
これが必要とされていることなのです。


Chapter 19 – Section: THE ATTRACTION OF GUILT
Sparkly Book – p.462,2nd Full Par. / JCIM – p.193, 5th Full Par. / CIMS – p.389, Par. 51
First Edition – p. 382, 2nd Full Par. Line 8 / Second Edition – p.410, Par. 11, Line 6

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

プロフィール

翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

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