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ACIM10-06-05

June 05, 2010 ©NWFFACIM
2010年 6月 5日


原文テキスト
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=29558&mid=142565#M142565

オーディオ&ビデオ
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=29553&mid=142555#M142555


ページ位置の確認。
A Course In Miracles (reference pages)
Chapter 16 – Section – SPECIALNESS AND GUILT
[今回は新しい箇所は読みませんでした。]



今晩は、ようこそ。  

今夜は本は読みません。 他に言うべき事があるからです。
しかしその前に、一緒に瞑想しましょう。
[瞑想]


OK。

今夜我々は奇跡に関して話します。
我々は[ A Course In Miracles]という本を読んでいます。
コースを読んでいる多くの人達が『[ACIM]では「奇跡が起こる事そのもの」はそれ程重要視されていない』と考えています。
病人を癒したり、死者を蘇らせたり、水の上を歩いたり、瞬間的に場所を移動したりする事とは関係ないと考えられています。
「重要なのは瞬間的な意識のシフト、(身体の変化や人生の変化は必ずしも伴わない)マインドの急激な変化が必要なのだ。自分が平和を見つけるので、今までの問題は問題に成らなくなるのだ。」 と考えている人達も多いようです。

しかし我々は先週次の文を読みました。

“. . . as you step lightly across [the bridge to timelessness], upheld BY timelessness, you are directed straight to the Heart of God. At Its center, and ONLY there, you are safe forever, because you are COMPLETE forever.”

[(時間の無さに支えられて)それ(橋)をこころ軽く渡って行くに従って、貴方は「神のハート」に直接向かっています。 その中心で、そこでのみ、貴方が永遠に完成しているので、貴方は永遠に安全なのです。 ]

この文章が言っている事を注意深く見てみましょう。 
この文章は「そこ(神のハートの中心)に居る時、[貴方は永遠に完璧なのだ/完成しているのだ]」と言っています。

貴方は『「神のハート」のセンターに自分が居た事が無い』と考えていますか?
貴方は自分が『貴方の神聖/貴方の全て/貴方の完全性に対する無知を全く持っていない「神の子供」であった事』は無いと考えていますか?
神が貴方を「(パーフェクトに成る可能性を秘めた)現時点ではまだパーフェクトではないもの」として創造したと思いますか。
もしそれが事実であれば、貴方は決して『時間の無さに抱かれて橋を軽やかに渡って「神のハート」に真っ直ぐに向かって行く事』は出来ないでしょう。

しかし「神のハート」の中心で(そこでだけ)貴方は自分が永遠に「完成している/完璧だ」と発見するのです。
永遠とは本当に永遠です。
永遠とは「今」であり、と同時に「その後」です。 しかしそれらは前/今/後という様に分割されてはいないのです。
それは「永遠」です。 それは永久、つまり「いつでも」なのです。
それは「存在(存在する者が存在する)」という、変えようの無い、不変の事実なのです。

貴方は(今まで)自分が未完成で不完全で部分的で孤独で分離していると考えていたかも知れませんが、 もし貴方が永遠の中にある自分の完全性の意識体験の中に入って行けたなら、その時貴方は「既に現存していた状態/常に存在し続けた状態」に入ったのです。

だから、もし貴方が「自分自身が神のハートの中で完全である事を見つける体験」をしたとしても、それはべつに貴方の新しい「存在」の状態ではありません。
それは(貴方が今までその中にいた)自然な「存在」の状態/状況なのですが、貴方はその状況に対して今まで無意識だったのです。 そしてこの状態を、貴方は今まで意識的に無視して来たのです。
どの様にして貴方はそれを意図的に無視したのでしょうか?  自身の完全性/完了性を意識的に無視する事によって、「奇跡的なもの」を無視する事によって、貴方の完全性の証拠を無視する事によって、貴方はこれをしました。

貴方が自身の完全性の証拠を否定した時、自身の完全性を「貴方の存在の永遠の状態ではない」として否定した時、貴方は自分自身との不調和を作り、その不調和が「貴方の存在の永遠の状態に対する意識的体験」から貴方の意識を逸らしてしまいました。

コースを学んでいる人で、「コースとは貴方の完全性を否定するものだ」と主張する人は誰も居ないでしょう。 コースは「神の愛」を否定してるものではありません。
「コースは貴方と神との関係を否定するものだ」と言う人はいないでしょう。 「コースは貴方の神性を否定するものだ」と言うコース学習者もいないでしょう。

しかし、おかしな事に、コースを学んでいる殆どの人達はこれ(自身の神性の否定)をしているのです。
そして貴方達の多くは、自分が「神の聖なる子供」ではないという主張をしています。
「パーフェクトな視力や肝臓の機能や走る力や(その他の)奇跡の証拠を自分が持つ理由付け(正当化)が出来無い」と多くの人が言っています。
もしコースがこれらの事(貴方の健全に対する疑い)を否定していないなら、完全性に関して学ぶ必要があるでしょうか? 神性に関して学ぶ必要があるでしょうか?
貴方が自分の神性を掴み取らないのなら、それを把握し抱擁しそれを体現しないなら、それを自分の中に取り込み、それに貴方を変えさせないなら、貴方の神性に関して学ぶ必要があるでしょうか?
何故なら「神のハート」の中で永遠に完全/完璧である人は無欠なのだから。 パーフェクトなのだから。
何処にもニキビなどないのです。愛の愛らしさだけが全ての所に現れています。
しかし、貴方は奇跡に対して議論を吹っかけてそれを否定し、奇跡に逆らって行動しています。

基本的に貴方達は全員、奇跡を怖れています。 もしかしたら小さな奇跡に対しては怖れていないかも知れませんが、大きな奇跡に対しては確実に怖れを懐いています。
実際貴方は往々にして、大きな奇跡{に対する恐れ/不信/自分が奇跡に値しないという考え}を使って自分に罪悪(感)を与え自分を惨めにしています。

もし飛行機事故が起こって、貴方がそのごく少ない生存者だった場合、それは(その様な状況は貴方達の社会の中で)奇跡と呼ばれるでしょう。
しかし貴方の生存は罪悪感を生み出してしまいます。 「なぜ私は助かったんだ? なぜ私が助かり、他の人たちは死んだのだ?」
もしハリケーンに遭遇して貴方の家屋だけ災害を逃れたのなら、(自分は他の人達程酷い目に合わなかったと考えて)他の人たちの周りで居心地悪く感じる事でしょう。

どれ位良いと良すぎる事に成るのでしょうか?
貴方を兄弟姉妹から分離させてしまう/孤立させてしまう程「良い事」は良すぎる事なのです{と貴方は解釈します}。
それは(貴方の得た良き事ゆえに)彼等が貴方は嫌うからではなく、貴方が不平等を感じるからです。  それは、{事態が}フェアー(公平)でないと貴方が感じるからです。

奇跡に対する(貴方の)態度/期待が変わる必要があります。
貴方は奇跡を抱擁し(受け入れ)始めなければいけません。 奇跡を地上まで持ってこなければいけません。
貴方は完全性を受け取って愛せるものとして抱擁出来なければいけません。
そして日々の暮らしの中で、貴方の行動を通して、貴方の体を通して、貴方の(人間)関係の中で、それ(貴方の完全性)を貴方が自分で体現(表現)する事を期待しなさい。
貴方は日常の中に完全性(全てがパーフェクトである事)の証拠を見るよう期待し始めなければいけないのです。

もし貴方が自身の完全性を見ていないのなら、それは貴方がそれを見る事を期待していなかったからです。 その理由の一部は、「罪悪感を感じたくない貴方」が奇跡が起こる事を許可していなかったからです。

だから私は貴方に訊ねましょう。 今日の終わりに(あるいは毎日)貴方は自分にこう訊ねて下さい。 「私は今日、奇跡を実証しただろうか? 私は奇跡を証言しただろうか?」 
つまり「私は、不注意に奇跡を見逃してしまっていなかっただろうか?」と自分に訊きなさい。  何故なら、奇跡的な事が毎日貴方の目の前で起こっているのだから。

何故私はこの様に言うのでしょうか?
それは、神が毎日貴方の目の前に現れているからです。
どの瞬間であれ、貴方の目の前に顕在化(出現)しているのは神だけなのです。
貴方は奇跡を目撃(証言)する事により、「奇跡的な事」に対する証拠(証言)を与えていますか?
それとも、貴方は自分の問題や悩みや妬みや怖れ(その他)に忙しくて(奇跡を見逃していたでしょうか)?
だから、貴方は奇跡を証言しましたか? 貴方は日々の中で奇跡的な事が起こるのを助けましたか? 貴方は日常生活の中で奇跡が自身の上に起こる事を許しましたか?

貴方はこの三つの質問全てに「もちろん」と言える様に成らなければいけません。
貴方は毎日何度も「もちろん」と言える様に成らなければいけません。

自分の人生を癒しの実践に捧げている人もいます。 「二つのステップ」を行った結果としてのヒーリングです。 父と繋がり、ヒーラー自身が父と繋がり真理を認識出来るよう(癒しを必要としている人に対する)父の視点を知りたいと望むのです。
「ヒーリングを必要としている人」に対する真理体験の認識の中で父と繋がり、そこに癒しが起こる事を期待するのです。
そして癒しを求めている人も、癒しが起こる事を期待するのです。
それらの期待が{神の視点と?}同じ方向を向いている時、そしてその期待が疑いや争いに邪魔されていない時、そこにあるのは知覚のシフトだけではなく、体験のシフトでもあるのです。 だから盲人の目が見えるようになり、病んでいた肝臓が働く様になり、体が機能するように成るのです。

しかし、癒しを必要としている人が例えば「何故私が癒しに値するのだろう。 多数の人たちが世界中の病院で苦しんでいて、この同じ病気で死亡したり、痛みに晒されているのに。 何故私に癒しが体験出来るだろう。 私は特別な注目には値しないのではないか?」 と言っていたりします。 {奇跡に対してこの様な抵抗/言い訳を持っている人が多いのです。}

しかし幸いな事に、癒しを実践している人にとっては、この様な質問/疑問は意味を持っていません。 
「欠乏に対する信念が覆され(無視され)て、完全性(完璧なありさま)で取って代わられる度、世界の中の欠乏に対する信念の濃度/強度が下がる」という認識の下、この様な(上記の疑いの様な)誤謬は直ちに修正されるのです。

人は癒しに値するのです。 何故なら(癒しが起こる事により)父の完全性に対する証拠/確証が与えられる事になり、それが父を称える事に成るから。 貴方がいるそこで、「人間」がいるその場で、父の栄誉が称えられる事に成るのです。
そしてもし貴方が、自分のいる(人間のいる)その場所で「神の現れ」の証拠を得たなら、「この人間体験の中の奇跡的出来事」が人間の体験を持ち上げ、皆が持っている「奇跡など不可能だという信念」を軽減する事になります。
これが必要とされている事なのです。 これを掴み取り、全く疑う事無く、躊躇する事なく、罪を使う事無く、これを意識的に抱擁する必要があるのです。 

貴方が奇跡を体験する事が、奇跡をリアルに示して見せ、全体性(全一性)の証拠を示します。  これが「自身の全一性(健全)をまだ体験していない人達」に(最低でも){自分も全体性/健全を得る事が出来るという}インスピレーションを与えます。

しかし「そこで起こっている事」を彼等が誤解したなら、彼等は貴方に嫉妬するでしょう。

「化学治療法もしないで、苦しいアレコレの事もせずに、癌がもう直ったなんて、貴方は何様の積りなんですか!  何故貴方にはこの様な(奇跡)の体験が得られているのに、私には得られないのですか?」

(その時にはこう言いなさい。)『私は貴方と全く同じです。 そして私は貴方と全く同じなので、私に起こった事を貴方も体験することが貴方の持って生まれた権利なのです。
宜しければ「貴方の持って生まれた権利」を称える為に、私も貴方と共に立ちましょう。
貴方の真理に対する証人として貴方と共に私も立ちましょう。 「(私の優位として貴方に見えているもの故に)自分が不利に成っている」と貴方が感じてしまわない様に。 奇跡の名の下に我々は一緒に立ちましょう。 そうして、癒された貴方と私が「この不治の病と考えられているもの」への信念を軽減出来る様に。』 この様に言いなさい(振舞いなさい)。

誰かが蛸壺{人間的状況}から脱出し始めなければいけないのです。
何故でしょう? 蛸壺に嵌っている他の人達より貴方が有利に成れるようにですか?
いいえ。
そうではなく、一旦蛸壺から出た貴方が「貴方達もそこから出てきなさい。 それまで私もここで待っています。 私は貴方がそこから出る事を励ましましょう。 私がそこから出ている事を貴方は見る事が出来ます。 むかし私もそこにいた事は貴方も知っているでしょう。」と言える様に。


誰かが奇跡を証言しなければいけないのです。
誰かが奇跡的な事を証言しなければならないのは、全ての人が奇跡的な事が本当は絶対的に普通な事で、それを体験する事が皆の生得権であると知るに値するから。
その権利に気付かずに、(自分の持って生まれた権利に対する)無知を受け入れ、それ故に苦しみながら立ち続ける必要は誰にも無いから。

どれ程の良き事が良過ぎる事なのでしょうか?  兄弟姉妹の為に貴方が願う事で、良過ぎる事があるでしょうか?

「神様、周りの注意を引き過ぎない程度に、彼を癒してください。 彼を癒して、とても具合良く成るようにして下さい。 でもまだパーフェクトにはしないで下さい。 彼が十全に成る事で、罪やより一層の苦しみを彼が正当化してしまわない様、彼をある一定限度内で癒してください。」
解りますか。{貴方は、この様な怖れの混じった、願いを与えていないでしょうか?}

それでは駄目です。 
貴方の兄弟と共に立ち、どの様な奇跡も壮大過ぎない/過大ではないと知って、変化をもたらす者に成りなさい。
しかし「その変化がどの様なものに成るか」想像/予測しようとするのは止めなさい。
私が言っている事を自分の中に取り込み、「二つのステップ」を行いなさい。 
父(源)に向かって訊ねなさい。 「ここの真理は何ですか?」と。

“ここで真理を体験を私にわけて下さい。 私が自分の頭(思考)の中から出て、私のハートの中に入れるように。 そこで私は真理が感じられるでしょう。
聖なる瞬間の中に居られるように助けてください。 『「神の動き」に対して私がどの様な「違い」や「余計なもの」も挿入していない場所』に私が居られるように助けてください。
それがどの様なものか体験出来るよう私を助けて下さい。 その体験の中で、私が英知(Knowing)を得られる様に。 それは細切れの情報ではなく、私の兄弟姉妹の真理に対する体験です。
(私が考えられる一番奇跡的な事を遥かに超えている)私の兄弟に関する真理。 そこでは完全性/十全性の「意味」が永遠に私に銘記されています。 それが知覚のシフトを私にもたらし、その中で兄弟姉妹が、十全性の体験とその「意味」により、永遠に抱擁されている事を私は見るでしょう。”

これがどの様なものか、まだ貴方には解らないでしょう。

聖なる瞬間は、もしかしたらコースの中で表明された一番パワフルなアイディアです。
と同時にこれは一番シンプルなアイディアです。 何故なら、貴方達一人一人が、聖なる瞬間の中に入る事が出来るのだから。

貴方達一人一人が、自分自身を黙らせ、自分のマインドを静かにし、聞けるように成れるのです。
その静寂の中で真理が知りたいと、父(貴方の「存在」の源)に求める事が出来るのです。
何故貴方はそれを求めるのでしょうか? 貴方が奇跡(の表出)をアシスト出来る様にです。
貴方が奇跡的な事を自分の中に取り入れられるようにです。 貴方が日々の暮らしの中で奇跡的な事を認識出来るようにです。

さて、必要(needs)とは常に特定のものです。 {奇跡を必要としている事は常に、実際的な特定の明確な必要として現れます。}
それは往々にして、貴方が考える必要とは合致していません。
しかし必要そのものは(貴方の解釈とは関係なく)特定で明確で実際的なものです。

上記の意味は「必要に対する答えは、欠乏を無視する(透視する)真理は、いつでもとても実際的なものだ」という事です。
そしてこれ(必要)は特定で実際的なので、貴方はその答えに対して選り好みする事(答えを選ぶ事)は出来ません。
そして、エゴはこれを好みません。

しかし事実は、貴方の必要が(何らかの意味で)貴方が神とずれている事(あるいは神を否定している事)を証明しています。
だから答えは、「必要を作っている信念を実際に(特定の方法で)否定するもの」/「必要の体験を作っている(神に対する)否定を無視するもの」になるのです。

貴方はよく次の様に言っています。
「私は問題を抱えている。 アレとコレが不足しているせいで問題が起こっている。
父よ、問題が解決出来るように、アレとコレを得られるよう助けて下さい。」
しかし、本当に必要なのはアレやコレなのではありません。
とてもシンプルなものが常に必要なのです。 それは貴方の平和です。 必要なのは貴方の平和です。
貴方が抱え込んで拡大して来た(そして時たま、それがもたらす利益故に貴方が尊重して来た)ストレスを全て手放す安堵の息を吐き出しなさい。

だから答えは複雑なものではありません。
答えは貴方が全くシンプルに成っている事にあるのです。 貴方の必要/欠乏をシンプルに自分の中に響かせなさい。

(殆どの場面で)これが意味するのは、貴方が「まいりました。ギブアップします。」と言う事です。
「私は父に対する抵抗を放棄します。 私は物事/状況にフィットする(順ずる)事への抵抗を放棄します。
協力する事への抵抗を手放して、私の周り全ての事を否定していない状態の中で、完全にオープンな意識そのものに成って、その中で真理を見ましょう、貴方の顔を(それが以前からずっと在り続けた所で)見つめましょう。」

これは丁度、父の腕の中に抱えられている幼子がむずがっている時の様なものです。
幼子はその顔を上げ、自分のお父さんの目を見て思い出すのです。「そう、私は安全だった。 私はバタバタ動いて、ヨソへ行こうとする必要はないのだ。
私はリラックスできる。 私は、本当の自分ではない「独立した者」に成ろうとして独立状態という苦しみを味わう必要はなく、ただ私という子供であれば良いのだ。」

この時(こう貴方が言った時/気付いた時)奇跡的な事が起こり得るのです。
奇跡的な事は、貴方が(首尾よく優れた技術をもって)実践したコントロールの結果起こるのでは在りません。
謙虚さ(これが貴方が「二つのステップ」を行った時に起こる事です)の結果として奇跡的な事が起こるのです。
そして奇跡とは、貴方が神と分け合っている親密な体験の中で、「神の法だけが全てを統治している場所」の中で、貴方が体験する事なのです。
そして、「貴方が貴方の父だけと一つに成っている状態(故に創造の全てと一つに成っている状態)」の喜びと「魂が満たされている様子」と平和の中で、貴方は「創造」への気付きに完全に参加する事が出来るのです。

この「創造」の中で貴方は何を認識しているのでしょうか?
「貴方が見ている全て」の中の奇跡を貴方は認識するのです。 そして、その中に貴方は奇跡を取り入れるのです。
その中で(貴方が見ている全の中で)、貴方が「奇跡的な事」の認識に参加する事により、貴方は「奇跡的な事」を補佐/サポートするのです。

私は出来るだけこれを実際的/実用的に表現しようと務めました。
これはプライベートなスピリチュアルな旅などではありません。
これは貴方が毎日の生活の中で奇跡的な事を認識して、奇跡的な事をアシストして、兄弟姉妹と関わり合う事によって奇跡的な事を呼び入れる事なのです。
「奇跡の不在に対する正当化」をそのままにせず、それに対して異を唱える事が、ここでいう「関わり合い/関与」です。
その関わり合いの中で、貴方はもはや(お喋り/思考する事によって)奇跡を促進するインスピレーション(霊の突入)を隠しては居ないのです。
貴方は、日常の中で、その場で、二つのステップを行った結果現れる「明晰さ」により動かされるのです。 {貴方の思考に動かされるのではなく。}

これは貴方が現状維持を現状維持のままにさせない為にする「関わり合い」なのです。
これは貴方が蛸壺から抜け出て、後ろを振り返り、他の人達が蛸壺を出る事を助ける事なのです。 だから貴方は自分の奇跡に対して罪悪感を感じる必要は無いのです。

そして貴方の奇跡に対して誰かが嫉妬を感じる必要もないのです。 何故なら、貴方の奇跡は彼等の奇跡であり、彼等がそれを知るまで貴方はその事実を言い続けるのだから。
一日中、貴方の兄弟姉妹の証言者に成り続けなさい。 それが「神の神聖なる息子/娘」としての貴方の役割なのです。
これをしなさい。 一日の終わりに「ええ、私は奇跡を証言/目撃しました。」と貴方が言える様に。
「ハイ、私は奇跡が入って来る事を許可しました。 そう、私は奇跡を補佐しました。」

ポールが座って私に話させるたびに、彼は奇跡的な事の実証を差し出しています。
何故私はこう言っているのでしょうか?  何故なら、彼は「奇跡的な事を照らし出すもの/真理を照らし出すもの」が前に出る事を許し、それが「この世界」の中で現実化する事を許可しているからです。
彼は、それを彼と貴方達全員との関係の中で現実化しており、貴方達全員との関係の中に私を表明することを許しています。
解りますか? 彼は奇跡的な事を自分の中に取り入れ、それを(全く適切に)流れさせる事により、奇跡的な事を補佐しています。
これこそが、「世界」が必要としている事です。
完全性/十全を体験していない全ての人達は、彼等の為に積極的に証言者に成ってくれる人を必要としています。 彼等の真理に関して証言してくれる人を必要としています。

貴方にとって良過ぎる事などありません。 貴方の兄弟姉妹にとって良過ぎる事などありません。
(貴方が時間をとって「父」と繋がり真理を体験する事で)兄弟姉妹の為に貴方が願う事で、良過ぎる事などありません。
全く新しい在り方で貴方が兄弟と共に居られる様に、彼に(完全性/全体性/癒しを指し示す完璧な体験が持てる様)インスピレーションを与える全く新しいレベルで貴方が兄弟と共に居られる様に(する事は、良過ぎる事では在り得ません。)。

これをハートの中に受け入れなさい。
神は貴方を自身のハートの中に入れています。 そして彼のハートの中で、完全性が永遠に貴方のものなのです。 これを貴方のハートに入れなさい。
これを貴方の兄弟姉妹と分け合いなさい、(貴方が自身を「神のハート」の中に入れた結果として)貴方が見ている永遠の完全性の中で、彼等が完全性を永遠に持てる様に。

これは美しく、そしてシンプルな事です。
しかしその為には、奇跡的な事を卑小化したり、奇跡的な事の卑小化を正当化したりする事を貴方が止める必要があります。

次回貴方とお会いできる事を楽しみにしています。



「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはその様なものだから。 
貴方と同等の方が既にこのギフトを貴方に差し出したので、これらの資料が貴方に提示されています。 Raj の指示により、これらの資料が売買される事はありません。 


A Course in Miracles Study Group with Raj, June 5th 2010
The Northwest Foundation for “A Course in Miracles”
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
Website: http://www.nwffacim.org
E-Mail: paul@nwffacim.org

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

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