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ACIM10-06-12

June 12, 2010 ©NWFFACIM
2010年 6月 12日

原文テキスト
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=29631&mid=142812#M142812
オーディオ&ビデオ
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=29590&mid=142686#M142686


ページ位置の確認。
A Course In Miracles (reference pages)
Chapter 16 – Section – SPECIALNESS AND GUILT
1 Sparkly Book – p389,
JCIM – p163,
CIMS – p. 327


今晩は、ようこそ。  
少し後戻りして読み進めましょう。

“On this side of the bridge to timelessness you understand nothing. But as you step lightly across it, upheld BY timelessness, you are directed straight to the Heart of God. At Its center, and ONLY there, you are safe forever, because you are COMPLETE forever. There is no veil the Love of God in us together cannot lift. The way to truth is open. Follow it with me.”1

[(時間の存在していない所への)架け橋のこちら側で貴方は何も理解していません。 しかし(時間の無い様子に支えられて)それ(橋)をこころ軽く渡って行くに従って、貴方は「神のハート」に直接向かっています。 その中心で、そこでのみ、貴方は永遠に完成しているのだから、貴方は永遠に安全なのです。 我々の中の「神の愛」が一緒に働いて持ち上げられないヴェールは存在していません。 真理への道は開かれています。 私と共にその道を歩いていきなさい。]

我々はこの様に「聖なる瞬間」に関する事を読みました。 これは「二つのステップ」に関する事なのです。
貴方が橋を軽快に渡って時間のない所へ向かうに従い、貴方は「神のハート」の方向へ直接向いています。

つまり、貴方が静かに成ったなら、「思考し理由付けし素晴らしい結論を導く」自分の能力を重要視する事を貴方が放棄して静寂の中に留まったなら、(貴方のマインドの中で)「神の現れ」が貴方の「マインド」として貴方に認識される様になります。
下記の言葉は、この事を言い表しています。

“. . . you are directed straight to the Heart of God.”

[貴方は「神のハート」に直接向かっています。]

そこにある静寂の中で、貴方に体験出来る事は「神のハート」だけです。
そこで体験出来るのは、貴方の正しい「マインド」だけです。
そこで貴方に体験出来る事は、「父の視点」だけです。

貴方は「神よ、ここの真理は何ですか? 父よ、何がここでの真理なのですか?」と訊ねて静かになり聞くだけでなく、「母よ、ここでの貴方の視点は何ですか? 父神/母神よ!」とも言ってください。 何故なら貴方には偏見があるから。

「父よ、何がここの真理ですか? 私の同胞の真理は何ですか? ここで必要とされている事に対する真理は何ですか?」と訊ねた時、貴方は答えに対して特定の期待を持っています。 それは「母よ(母なる神よ)、貴方の視点は何ですか? ここでの真理は何ですか? 私は自分の同胞に関して何を知る必要があるでしょうか?」と訊ねた時とは違う期待になります。
この様に(母よ、母神よ、と)言ってみるのは良い事です。 何故なら神は神であって、母でも父でもありません。 しかし神はそれら全てを内包しており、全てを抱擁し、「父」そして「母」と言う言葉が表している事すべてを体現/表現しているのだから。

「貴方の父」は優しいのです。 「貴方の母」は厳しいのです。
真理を示す事に関して「貴方の母」は揺るぎありません。
「貴方の父」は原則に沿っており、「貴方の父」は率直なのです。 「貴方の母」は優しいのです。 「貴方の父」は優しいのです。

だから「ここの真理は何ですか?」と貴方が神に訊ねる時、神の全て(父としての神/母としての神)を受け取る様にしなさい。 貴方が得る答えを男性性や女性性などの特質に縛り付けるのではなく、父としての神と母としての神を受け入れて、貴方への答えをより豊かなものにしなさい。
これが貴方得る神の体験をより広くして、それが貴方の「貴方であるもの」の体験をより広くします。

“At Its center, . .the Heart of God . . . and ONLY there, you are safe forever, because you are COMPLETE forever.”

[その中心(つまり神のハート)で、そこでのみ、貴方は永遠に完成しているのだから、貴方は永遠に安全なのです。]

先週我々は、癒しや全体性(wholeness)と完全性(completeness)がどの様に関係しているか話しました。
全体性(つまり全体的な機能、全体的にパーフェクトな様子)を体現する/現すことが貴方の持って生まれた権利だと(私は貴方に)知らせました。
そしてこれを体験していないのは、貴方が「貴方に関する真理」を掴み取っておらず、欠乏などに異を唱えていないからで、云わば、これは貴方の怠慢ゆえなのです。
完全性が事実なのに、貴方まだ完全性を見いだしておらず、それを見る体験もしていません。
何が完全性の体験を妨げているのでしょうか? これを次のセクションで取り上げます。

貴方が完全性を選ぶ時、貴方は何を放棄するのでしょうか?
貴方は特別な関係を放棄し、それをそれ以上選ばなく成るのです。

では、何が「特別な関係」なのでしょうか?
特別な関係とは:
「貴方の持っている体験」に対する視点の何処にも神が居ない状態で、貴方が持っている全ての関係の事です。
殆どの人達は、特別な関係とは「兄弟姉妹との関係の事だ」と考えていますが、それだけではありません。

もう一度言います。
特別な関係とは、父の視点が「関係に対する貴方の意識」に全く届いていない状態で貴方が(何者かと、あるいは何かと)持っている全ての関係/関わり合いの事です。 それにはテーブルや花や爪や椅子などとの関係も含まれています。

もし貴方が「父の視点」を持ってそれを見ていないなら、貴方は自分で開発したプライベートな視点を使ってそれを見ているのです。 それは貴方が自分で独自に開発した視点か、あるいは他者が開発し育てて貴方に教えた視点です。
そして、それは父の目を通して(貴方の正気でしかない精霊を通して)貴方が何かを体験しているのではなく、貴方が持っている定義(意見/偏見)に対して貴方が(プライベートに)築いている関係なのです。
「貴方の正しいマインドでしかないもの」が精霊で、精霊を通して貴方が体験しているものが「父の視点」なのです。 貴方が独立を弄んでいる間、預けられている貴方の生得権がこれなのです。

だから特別な関係とは、貴方が独自に自分一人で「何者か/何か」に対して持っている関係(関わり合い)全ての事を言っているのです。
そしてこれは歪められた体験/リアルではない体験なのです。 何故なら、貴方はそれを自分の正気を通して見ているのでは無く、貴方の「父のマインド(貴方は父の子供なので、それが貴方の「マインド」なのです)の現れ」を通して見ているのではないから。

(ラジは読みませんでしたが、この章の題名は「Specialness and Guilt-特別性と罪悪」です。)

“In looking at the special relationship, it is necessary first to realize that it involves a great amount of pain.”
[特別な関係を見るにあたって、「それ(特別な関係を見る事)には大きな痛みが伴うと」一番最初に理解する事が必要です。]

貴方はそれをしたいとは思いません。
(特別な関係を見据えるよりも)貴方はアレコレ理由を付けて説明し、(貴方が神と関係なく、「神の視点」を受け入れる事なく持っている)全ての関係を使って最善の状況を作ろうとします。
確かに貴方はなかなか良い関係を保つ事が出来るでしょう。 それなりの社会的/社交的関係も持てることでしょう。

何故、大きな痛みを伴う事実を見ようとするのでしょうか?  その事実が余り幸福なものでは無いにしろ。
しかし、特別な関係を見る事により、貴方は次の事を選択する必要に迫られます。

“. . . it is necessary first to realize that it involves a great amount of pain. Anxiety, despair, guilt and attack all enter into it, broken into by periods in which they SEEM to be gone.”

[「それ(特別な関係を見る事)には大きな痛みが伴うと」一番最初に理解する事が必要です。 不安/落胆/罪悪/攻撃などの全ては、「それらが無くなっている様に見える時期」に分断されて現れたり消えたりします。]

“ Anxiety, despair, guilt and attack . . .”
[不安/落胆/罪悪/攻撃]

貴方が「私独自の見方で見てみたいです。」と云って父から離縁した時、貴方の無限の視点/視界が消えてしまい、貴方は小さな存在に成ったのです。 その時、貴方は「自分の無限なもの」を否定した事になり、もう無限の存在ではなくなったのです。
「私の、私の、私の、私のやり方でやりたいです!」 そして貴方のやり方は卑小なのです。 それは無限の「限りないもの」ではないのです。

貴方がこの選択をして、それを体現/実現しようとした時、直ちに二つの事が起こりました。 怖れの体験と罪悪の体験です。これら二つを分ける事は出来ません。 
「父の視点」(それが自分達の視点でもあるのですが)を退けて自分達だけのやり方で物事を見ようとする人達には、この二つが一緒にやって来るのです。 

何故なら、独立していようとする(孤児で居ようとする)彼等の試みにも関わらず、彼等は孤児には成れないからです。
そう試みている間も彼等は、神の十全な直接表現であり続けるのです。

しかし、

“Anxiety, despair, guilt and attack [all] enter into it, broken into by periods in which they SEEM to be gone.”

[不安/落胆/罪悪/攻撃などの全ては、「それらが無くなっている様に見える時期」に分断されて現れたり消えたりします。]

貴方は少しの間、平和を得る事が出来るでしょう。 それには理由があります。 その理由に関しては後ほど話しましょう。

“All these must be understood for what they are.”

[これら全てを、それそのものとして(それが本当は何なのか)理解する必要があります。]

不安/絶望/罪悪/攻撃。 これらは何でしょうか?
これらは、貴方が自分を独立した存在だと主張し、自分の全注意を「自分が選んだもの」だけに与えて思考し/論理付け/結論を導く事に固執している時に自動的に現れる避けようのない効果なのです。 これらは、貴方が{神に対して}全く自分勝手な振る舞いをしている時に現れている効果/現象なのです。

“Whatever form they take, they are always an attack on the self to make the OTHER guilty.”

[それらがどの様な形をとるにしろ、それらは常に「他者に罪悪(感)を与えようと自己を攻撃する事」なのです。]

不安は、絶望は、罪悪は苦痛な事です。攻撃に晒されるのも苦痛な事です。
そして攻撃する事もまた苦痛な事です。 それは貴方にとって苦痛な事です。
貴方に苦痛をもたらしているものは攻撃だと正確に簡単に知る事が出来ます。
だから、

“Whatever form they take, they are always an attack on . . .”

[それらがどの様な形をとるにしろ、それらは常に. . . 「…….攻撃する事」なのです。]

誰に対する攻撃なのでしょう? それは苦痛を体験している人への攻撃です。
貴方が苦痛を体験しているのです。 何故貴方は苦痛を体験しているのでしょう?
それは貴方が「父よ、私は父が居ない方が良いです。」と言ったからです。
「お父さん、『貴方が存在せず私だけがそこに居る、分離した歪められた意識』だけに私の『マインド』を与えたいです。」

この苦痛は貴方の求めた独立の結果なのですが、自分の責任を認めたくないので、貴方はこれ(自分の苦痛)を使って他者を有罪にするのです。
「私は闘争に満ちた世界に住んでいる。 私は安全ではない世界に住んでいる。」貴方はそう主張しているのです。
「私は全てが二極化されて善悪(ポジティブ-ネガティブ)として表現されている世界に住んでいる。 このポジティブとネガティブの闘争/葛藤が私を惨めにしている。」
「悪魔が私をそう仕向けたのだ!」 「兄弟が私を虐待したので、私は苦痛を味わっている。」 「私は状況の不当な被害者で、苦しんでいる。」

この様にして貴方は、(自分は孤児では無いのに)自分が孤児であるかの様に振舞う内的選択をした事によって人が体験することに成った絶望/罪悪/攻撃/不安の原因を他者に押し付け、絶望/罪悪/攻撃/不安が「自身の苦痛の責任を他者に与える言い訳」として使われるように成ったのです。
これは知的ではなく、これは狂気の沙汰なのです。

“We have spoken of this before, but there are some aspects of what is really being attempted that we have not touched upon. Very simply, the attempt to make guilty is ALWAYS directed against . . .”

[我々はこれに関して既に話していますが。 ここで本当に行われている事の特定の側面にはまだ触れて来ませんでした。 簡単に言えば、罪悪を着せようとする試みは常に...対して行われるのです。]

それは何に対して行われるのでしょうか? 貴方の兄弟? 状況? (善悪に)二極化されている世界でしょうか? 独立した存在のフリをしている貴方に対して罪が着せられようとするのでしょうか? いいえ。

“. . . God. For the ego would have you see Him, and Him ALONE, as guilty, leaving the Sonship open to attack, and unprotected from it.”

罪悪を着せようとする試みは常に「神に対して行われるのです。 何故なら、エゴは貴方に彼を(彼だけを)有罪に見せようとし、「神の子供」を攻撃に対して無防備にしようとするから。]

こうして、不安/絶望/罪悪/攻撃が神のせいに成りました。 
神が貴方を護っていないので貴方がこれらの事を体験している(と貴方は考えています)。
神は貴方を愛していない事/神が愛に成っていない事/神が信頼出来る存在でない事/神が「貴方が自信を持って依存し自分を譲れる様な存在ではない事」に関して神は有罪なのだ(と貴方は考えています)。

“ The special love relationship is the ego’s chief weapon for keeping you from Heaven.”

[特別な愛の関係は、貴方を天国から遠ざける為にエゴが使用する主要な武器です。]

特別な愛の関係が孤児の主要な武器です、と言っても良いでしょう。

“It does not APPEAR to be a weapon, . .”. . . the special love relationship . . .. . . but if you consider HOW you value it and WHY, you will realize what it must be.”

[それ(特別な愛の関係)は武器には見えません。しかし貴方がどの様にそれを尊んでおり、なぜ貴方がそれを重要視しているか考慮してみれば、そうに違いないと貴方にも解るでしょう。]

我々は今これを説明しました。
特別な関係は、貴方と父との関係に取って代わる代用品の「リアルではない関係」であり、これが貴方を(貴方の真理を反映していない)孤児の状況に縛り付けてしまい、それ故に貴方は神を信用出来なく成っています。
特別な関係内に居る時、貴方は神を父としては認識出来なく成っており、神の事をただ単に「最上の存在」、全ての上に立つ(優しいかもしれないし/優しくないかもしれない、貴方を助けてくれるかもしれないし/助けてくれないかもしれない)上位の存在としてしか認識出来なくなっています。
この状態にいる限り、貴方は自身を父に預ける事が出来ないのです。

“The special love relationship is the ego’s chief weapon for keeping you from Heaven . . “

[特別な愛の関係は、貴方を天国から遠ざける為にエゴが使用する主要な武器です。]

貴方を貴方の父から遠ざける為に、(貴方が今そこで防御を解いて、自分の完全性を受け入れ、それを自分に感銘させる、それを全ての人/全てのものと分かち合い、それにより「特別な関係」を「聖なる関係」に変容させる)「貴方の神性に全く抵抗していない意識」から貴方を遠ざける為に(この武器が使用されています)。

“The special love relationship is the ego’s most boasted gift, and one which has the most appeal to those unwilling to relinquish guilt.”

[特別な愛の関係は、エゴの最も誇るギフトであり、と同時に、罪悪を手放す事を拒否している者にとって最も魅力的なものです。]

貴方は罪悪を手放す準備が出来ています。 他者が貴方に与えようとしている罪悪(感)を手放す準備が出来ています。 しかし、他者に罪悪(感)を与える事はまだ手放せないでいます。
貴方は罪悪を尊んでいます。 何故なら、それはコントロールする為の有益な道具だから。
ですから、誰もが(程度の差こそあれ)罪悪(感)を有効的に使って(たとえそれが他者の不利益になっても)「自身に利益をもたらす何か」を達成する事を学んでいます。

“The "dynamics" of the ego are clearest here, for counting on the attraction of this offering, the fantasies which center around it are often quite open.”

[ここでエゴの「働き」が一番クリアに表れています。 何故なら、この捧げ物の魅力に依存している故に、それを中心として築かれているファンタジー/幻想が(ここで)顕わに成っているから。]

つまり、それらの試みは見え透いており、それらが「愛ではない事」は明確なのです。 しかし、

“Here they are usually judged to be acceptable, and even natural.”

[ここで、それらは普通「受け入れられるもの」そして場合によっては「自然なもの」と判断されています。]

だから、孤児達が集まったなら、彼等は罪を使ってお互いをコントロールしようとします。 そしてそうする事が、全く自然に感じられるのです。
それは陽気なからかいの中に隠されているかもしれず、あるいは、明確な諍いとして現れるかもしれません。

しかし貴方は「それは皆がしている、自然な事さ。」と言うのです。
「女は皆その様にするものです。」などと言って、これを自然なものとして考えます。
これに対して疑問が提示される事はありません。 だから完成を選ぶ事が行われていないのです。

“No one considers it bizarre to love and hate together, and even those who believe that hate is sin merely feel guilty, and do not correct it.”

[愛と憎しみを一緒に行う事を誰も不思議だと考えていません。 そして憎しみが罪だと信じている者達さえ、それに対して罪悪感を感じるだけで、それを修正しようとはしません。]

罪悪は、「知的でないキチガイ染みた事」を止める事無く、選択し直す事無く行い続けさせるとても有効な方法です。
つまり、愛と憎しみは両方とも「特別な愛の関係」の一側面なのです(一側面として受け止められています)。
だから「特別な愛の関係」は「特別な憎しみの関係」と呼ぶ事も出来るのです。
しかしエゴが「特別な憎しみの関係」を誇る事はありません。 それは「特別な愛の関係」を誇示するのです。

そして「特別な愛の関係」の中には、契約書の中に小さく隠されている特別項目の様に、「特別な憎しみの関係」が隠されているのです。 この両方を使う事により、罪悪だけを使うよりも大きな力と効果がもたらされます。
罪悪(感)を上手く使えば、誰にでも殆どどの様な事でもさせる事が出来るのです。

人が兄弟やその他のものを「創造に対する父の視点」を通して楽しみ感じている時、それがリアルな愛です。 しかし愛が「(他者を喜ばせる)特定の効果を計画的に狙った行動パターン」でしかなくなっている時、それが罪悪と絡めて使われている時、それらはコントロールする為の二股の道具でしかありません。それは真の愛ではない愛です。

「お互いの利益に成る事を一緒にしよう。 でも、もし私の利益を侵害したら酷い目に遭わせてやるぞ。」
貴方は、これほど正直には言わないでしょう。
しかし貴方は「愛があるかのように」振舞って、(兄弟姉妹が楽しめるように)全ての正しい事をしています。
そして貴方の兄弟姉妹は、こうして貴方が与えている注意/注目(貴方はそれを愛情と呼んでいるかもしれません)を楽しんでいるでしょう。 そうして安全を感じ、貴方を信頼するかもしれません。
しかし彼等が貴方の気に入らない事をすれば、貴方は彼等を攻撃するでしょう。
貴方は彼らに罪悪感を与える事により、彼等を攻撃しようとするでしょう。

貴方が彼らに罪悪感を抱かせている時、彼等は貴方の愛(それが彼らにとって大切なものです)を全く得られていません。
彼等は「自分達に得られる注目はどの様なものでも重要だ」と感じています。
彼等は自分達の事を孤児だと考えており、彼等の父/母の愛を体験していないので、得られる注意/注目はどの様なものでも意味深く重要であると感じていますが、この世界の中で安全を感じさせてくれる注目/注意は特に大切だと感じるのです。 
父の視点を使う事無く、この世界と関わろうと決めたので、彼等はこの世界を二元的に(善悪に分けて)知覚しています。
この様にして、愛と憎しみが「特別な愛の関係」の二つの部分になっているのです。

もう一度言うと、「特別な愛の関係」とは『「父の視点」を使う事無く貴方が(誰かと/何かと)持っている』全ての関係の事です。

“No one considers it bizarre to love and hate together, and even those who believe that hate is sin merely feel guilty, and do not correct it.”

[愛と憎しみを一緒に行う事を誰も不思議だと考えていません。 そして憎しみが罪だと信じている者達さえ、それに対して罪悪感を感じるだけで、それを修正しようとはしません。]

“This IS the "natural" condition of the separation, . .”

[これは分離にとっては「自然」の状態なのです。] 

人間的状況にとっては、父と繋がっていない存在状況では、これは「自然」な状態です。
父と繋がっていない存在状況内では、「自分は精子と卵子と呼ばれている物質の融合から生まれたものでしかない、自分は偶然の産物で、神は存在しない、秩序は存在しない、いわゆる知的デザイン(“Intelligent design”)は存在しない。」と考える事が可能です。

“This IS the "natural" condition of the separation, and those who learn that it is not natural at all seem to be the UNNATURAL ones.”

[これは分離にとっては「自然」の状態なのです。 そして「これが自然ではないと学んだ者達」が、不自然な者に見えているのです。]

貴方達は全員、「自分のものの見方(視点)故に自分が不自然だ(おかしい)と思われている」と感じた事がある筈です。

“For this world IS the opposite of Heaven, being MADE to be its opposite, and everything here takes a direction exactly opposite of what is true.”

[何故なら、この世界は「天国」に反するものとして作られている「天国」の反対だから。 ここにある全てのものは真実と正反対の方向を向いているのです。]

注意しなさい。 この文章は「この世界は天国の正反対である」“For this world IS the opposite of Heaven.” と言いたいのではないのです。

この世界は(云わば)「神のマインド」を見える様/触れる様として示しているものです。
しかし、

“. . . this world IS the opposite of Heaven, being MADE to be its opposite, . .”

[この世界は「天国」に反するものとして作られている「天国」の反対だから。]

これはどういう意味でしょうか?
これは貴方が貴方の父との関係を放棄した時、貴方が「父よ、私は自分のやり方で物事を見たいです。」と言った時、貴方は父の視点から外れたやり方で世界を見るように成った、という事です。 貴方は世界を何か別のものにしたのです。
それ(貴方のものの見方)は天国では在り得なかったのです。 何故ならそれが天国と同じものであったなら、貴方はそれを天国として体験してしまい、貴方は父からの離縁を成し得なかった事に成るから。 それは貴方が独立した存在には成れなかった事を意味するから。
だから、今までとは違うように感じられるように、自分が独立的な存在に成ったと感じられるように、貴方は世界の意味を天国から違ったものに変える必要があったのです。

“. . . this world IS the opposite of Heaven, being MADE to be its opposite, and everything here takes a direction exactly opposite of what is true.”

[何故なら、この世界は「天国」に反するものとして作られている「天国」の反対だから。 ここにある全てのものは真実と正反対の方向を向いているのです。]

貴方は世界の中に居て、「それが天国である事」と一致しないやり方で振舞っています。
そして貴方は、天国としてのそれ(状態)とは全く反対の目的で世界を使おうとしています。
だから不安/絶望/罪悪/攻撃が貴方の傍にあるのです。

それ故に貴方が「完成/十全/父のマインドのパーフェクトな実現/父のマインドの中の全ての絶妙なアイディア(その中には貴方という絶妙なアイデアも含まれています)の様相(見える様子/触れる様子)」を選んでいる時、貴方は{複数の選択肢の中から}何か特定のものだけを選んでいる様に見えるのです。

[天国の中では]
つまり、貴方が居る今ここ、貴方がいま居るここ、そしてここにある全ては

“In Heaven, where the meaning of love is known, love is the same as UNION. “

[愛の意味が知られている「天国」の中では、愛は合一(一つに成る事)と同じです。]

そして特別な関係は合一の正反対です。
特別な関係とは、分離されている存在の間に築かれている関係です。 
特別な関係とは、お互いから分離されており、(独立した存在/孤児の枠組みを凌駕している)源から分離されている存在達の間の関係の事です。
だから(その様な存在にとっては)合一(Union)は不可能です。
合一の見せかけ(ハグ、性交、キス、愛撫)はあたかも合一がそこにあるかの様に人に感じさせます。 しかしそれは合一の模造(シミュレーション)でしかありません。
それは、例えば子供達が指を切って血を出し、その指同士をくっ付けて、それでお互いが義兄弟に成ったと考えている様なものです。
それは本当の兄弟ではなく、義兄弟に成ったと考えただけなのです。

同様に、エゴもファミリーに成ろうとします。 しかしこれを完成/実現する事は出来ません。
しかし、全ては既にファミリーなのです。
全ての人は既にファミリーなのです。 何故なら孤児など存在せず、父から分離している、父から異なっている「神の創造/神の聖なる子供」など居ないから。

“Here, where the illusion of love is accepted in love’s place, love is perceived as separation and EXCLUSION.”

[愛の幻想が愛の代わりに受け入れられている、ここでは、愛は分離そして排除として知覚されています。]

「ここでは」とは「天国の反対であるここでは」という意味です。

“It is in the special relationship, born of the hidden wish for special love from God, that the ego’s hatred triumphs. For the special relationship is the RENUNCIATION of the love of God, and the attempt to secure for the self the specialness which He . . .. . . God . . .. . . denied. “

[それ(愛の幻想)は特別な関係の中にあり、(エゴの憎しみが勝利すると云う)「神」から特別な愛を求める秘密の願いから生まれています。 何故なら、特別な関係は、神の愛に対する拒否であり、彼/神が否定した特別性を自分の為に得ようとする試みだから。] 

つまり「お父さん、私は自分のやり方で物事を見たいです。貴方のものの見方はもう受け入れたくありません。」と神の聖なる子供が言ったのです。
その途端、彼は自分が恐れと罪悪を感じている事に気付きました。
それ以外には何がそこにあったでしょう?
不安/絶望/罪悪/攻撃/惨めさです。
そして、「この体験が神の聖なる子供が行なった選択の結果である事」を完全に無視して、神の子供は自分を孤児として体験し出し、「神様はボクの事を嫌っているんだ!」と言うのです。

さて、現時点でそれ程困っていない限り「神が自分を嫌っている」と{意識的に}考えている人は居ないでしょう。
「いいえ、神が自分を嫌っているなんて私は思ってませんよ。」

では次の事を貴方に訊ねましょう:
貴方はたった今、{医学的な}裏付けも無く(病の末期症状や酷い負傷などから)完全な癒しをあえて期待する事が自分に出来ると思いますか? 
「それ(癒し)が貴方の持って生まれた権利である」というだけの理由で、貴方の生得権故に貴方が怪我や病をこれ以上体験する理由が全くない(病や怪我をこれ以上体験する事を正当化出来得ない)と信じる事が出来ますか?
「それ(病や怪我からの癒し)を体験する事が貴方の正当な権利だ」と今考えていないなら、貴方は神の愛を捨てたのです。
貴方は父の愛を否定しているのです。

“For the special relationship is the RENUNCIATION of the love of God, and the attempt to secure for the self the specialness which He . . .. . . God . . .. . . denied”.

[何故なら、特別な関係は、神の愛に対する拒否であり、彼/神が否定した特別性を自分の為に得ようとする試みだから。] 

貴方は「彼/神が貴方から良きものを取り上げた」とは言わないでしょう。
しかし貴方は『「神が貴方の源なので、神が貴方の原初であり最上なので、神が中心であると同時に周辺でもあるので、この瞬間自分は癒しを得る事が出来る」と無条件に期待する事は出来ない』と言っているのです。

“ It is essential to the preservation of the ego that you believe this specialness is not hell, but Heaven.”

[エゴの存続の為には、この特別性が地獄ではなく天国だと貴方が信じる必要があります。]

貴方が父の視点を体験せずに(つまり貴方が正気に返る事なく)、自分は兄弟姉妹と上手に共同して大いなる調和をもたらしたと考えたなら、その時貴方が体験しているものは地獄です。 それは狂気です。
 
ここでロジック/論理的思考が貴方を助けてくれるでしょう。
何故なら「瞬間的に癒される事を期待出来なく(期待しなく)成る事は、それ故に瞬間的に癒されなく成る事は、自分の狂気の結果なのだ。 そして自分の狂気は『自分が(自分だけの視点と視界を持った)独立した存在に成る事が出来る』という自分の信念から来ているのだ。」と気付いた途端、 「私はこの視点とはもう関わりたくない。これは狂気だから、捨てましょう。」と言う事が出来る様になります。
「私はある事を行ってこれ(独立)を放棄します。 私は二つのステップを行い聖なる瞬間を実施しましょう。 私は静かに成って自分の独立を放棄し『お父さん/お母さん、ここの真理は何ですか?』といいます。 そして私はこの探求/質問を手放しません。 私は答えを聞くまでそれを手放しません。 何故なら答えが聞こえた時私は自分の正気を体験するのだから。」
そして貴方が貴方の正気を体験した時、貴方は貴方の癒しも体験するのです。

もう一度読みます。

“It is essential to the preservation of the ego that you believe this specialness is not hell, but Heaven. For the ego would never have you see that separation can ONLY be loss, being the one condition in which Heaven CANNOT be.”

[エゴの存続の為には、この特別性が地獄ではなく天国だと貴方が信じる必要があります。 何故なら、「分離が損失にしか成り得ない事」(それは天国には受け入れられない状態/天国が成り立たない状態です)をエゴが貴方に見せる事は決してないから。]
Heaven cannot be in the condition of loss.
天国は損失状態ではありえません。
だから我々は、完成を選ぶ事に関して話しています。
だから我々は、先週と先々週も「完成を選ぶ事」に関して話してきたのです。
だから我々は特別性と罪悪に関して話しているのです。
何故なら{貴方は}意識的に選択する必要があるから。 貴方が正気の結論に至る選択を意識的に選ぶ必要があるから。 
「神の視点/視界を受け入れていない意識状態は、(実存していない、しかし貴方がマインド/意識を変えない限り貴方を苦しめ続ける)自虐的狂気だ」という結論に至る選択を貴方が意識的に行う必要があるのです。

その時貴方は初めて「自分のマインドを変えられる状態」に到達するのです。 その時貴方は初めて『選択し、「父よ、ここの真理は何ですか?」と言って父を常に貴方の体験の中に迎え入れる事』が出来る様になるのです。

「私が30年間に亘って毎日見続けて来た前にあるものの真理は、私がその意味を自分で解っていると思っていたものの真理は何ですか?」
「これの本当のリアルな意味は何ですか? これは(現在の)私にとっては天国を現していません。 しかし、これが天国だと私は聞きそれを私は信じました。 だから私はそれを真に体験したいです。 その為に私を助けて下さい。」
「私はその体験を求めています。 貴方の視点を体験したいのです。
私は貴方を自分の中に入れましょう。 私は貴方を招き入れます。
そして、私がこの体験を持てるまで、貴方を招待し続け、自分の玄関を貴方に対して開き続けます。」

貴方は常に自分の価値観を持っています。
だから、貴方が父の視点を訊ねていないなら、それは「何か他のものがより重要だ」と貴方が考えているからです。
この「何か他のもの」とは貴方自身の視点/視界(ものの見方)の事です。

真理(父の真理/父の視点)を知りたいと願う貴方の熱意を尊重し、実行し、拡大し始めなさい。
私が「何も実践的な事を言わなかった。何も使えるような事を言わなかった。」と貴方は思っているかも知れません。
しかし私は、貴方達一人一人の知覚の中にある幾つかのアイドル(偶像)を確実に倒しました。
そして貴方は、私が言った言葉によって変化したのです。
こうして起こった変化は、(貴方が新しい事を起こそうとするのではなく)貴方が全てを新しい方法で知覚/認識出来る様にします。
だから今週は変化した知覚を体験しエンジョイしてください。

I love you all.
次回貴方とお会いできる事を楽しみにしています。


「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはその様なものだから。 
貴方と同等の方が既にこのギフトを貴方に差し出したので、これらの資料が貴方に提示されています。 Raj の指示により、これらの資料が売買される事はありません。 


A Course in Miracles Study Group with Raj, June 12th 2010
The Northwest Foundation for “A Course in Miracles”
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
Website: http://www.nwffacim.org
E-Mail: paul@nwffacim.org

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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Author:翻訳 岡上
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