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ACIM10-06-19

June 19, 2010 ©NWFFACIM
2010年 6月 19日

原文テキスト
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=29630&mid=142811#M142811
オーディオ&ビデオ
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=29618&mid=142775#M142775

ページ位置の確認。
A Course In Miracles (reference pages)
Chapter 16 – Section – SPECIALNESS AND GUILT
1 Sparkly Book – p390, Last Par. /
JCIM – p164, 3rd Par. /
CIMS – p. 328, Par. 47

Chapter 16 – Section – THE CHOICE FOR COMPLETION
First Edition – p. 318, 1st Full Par. /
Second Edition – p. 341, Par. 5



今晩は、ようこそ。  

今夜は本を読む事から始めましょう。

“To everyone Heaven is completion. There can be no disagreement on this, because both the ego and the Holy Spirit accept it. They are, however, in COMPLETE disagreement on what completion IS, and HOW it is accomplished.”1

[全ての人にとって天国は完成/完了です。エゴと精霊の両方がこれを受け入れているので、これに関して論争が起こる事はありません。 しかし、「完成が何か? それがどの様に達成されるのか?」という事に関してエゴと精霊は全く同意していません。]

その次の文には、二つの重要なポイントがあります。

“The Holy Spirit knows that completion lies first in union, . .”

[精霊は、完成の為にまず合一が必要で、]

これが「二つのステップ」の第一歩です。

“. . . and then in the extension of union.”

[その後に合一を拡張する(差し伸べる)必要があると知っています。]

これが「二つのステップ」の第二歩です。


第二のポイントは、

“To the ego, completion lies in triumph, and in the extension of the "victory" even to the final triumph over God. In this it sees the ultimate freedom of the self, for nothing would remain to interfere with IT. This IS its idea of Heaven.”

[エゴにとっては、完成は勝利に依存しており、そして(神に対する最終勝利を含んだ)「征服」の拡張にかかっています。 エゴはこの中に自己の最上の自由を見ています。 その理由は、{この様な勝利が得られれば}エゴに対して干渉するものがなくなるからです。 これが天国に対するエゴのアイディアです。]

今夜は「聞く事」に関して話します。 それがどれだけ重要で、どの様にすればそれが体験出来、どの様にして「聞く事」と共に生きて行くべきか話しましょう。
これは貴方達に出来る最も意味深い事です。
そして、これが故郷へ帰る方法なのです。
これが貴方が自分の正しい「マインド」へ返って帰って行く方法なのです。

これを私は何度も繰り返し言ってきました。
「またそれですかラジ。 何か新しい事は言えないのですか?」と考えている人もいるでしょう。
新しい事を言うべき時が来たら、私も新しい事を言いましょう。
それまでは、私は言うべき事を繰り返します。 何故なら、我々が新しい事へ至る為にはこれこそが必要だから。
完成へ至る事は、人間の意志を静かにさせて(貴方のプライベートで個人的な意図を静かにさせて)、神や「真理の為の声/神の為の声/精霊/貴方の正気でしかないもの」へ伸び出す事によって達成されます。

そして、貴方が意識を澄ませて(貴方の質問への)答えを聞いた時、貴方は「自分に聞こえて来た答え」には満足できないかも知れません。
そして貴方の周りの人達も、貴方が聞いた答えを好きには成らないかもしれません。
だから貴方は(聞く事はハード過ぎると考えて)聞く事を放棄しようとしてしまうか、そうでなければ、貴方はより一層意志(そうここでは「意志」です)を強くして、より強い自己鍛錬と共に聞く事に成ります。
貴方(や貴方の周りの人達)が感じているストレスにも関わらず、貴方は感情的反応から離れて、貴方の「存在」の静寂の中で、貴方の「マインド」の静寂の中で、より深く聞き続けようとするべきなのです。

私は「聞く事」をした三人の話をしたいと思います。
貴方がどれだけハードに意図的に聞くべきか迷ったなら、次の三者の例を思い出してください。
問題は「どれだけ一生懸命に神{の声を}を聞けば良いのか?」です。 貴方はどれだけ懸命に聞いていますか?

アブラハムについて話しましょう。 神を恐れる人(神を尊重する人)アブラハムです。 彼の一生は神に捧げられていました。
彼は神(の声)を聞き、神は彼の息子を犠牲/生贄に上げるよう彼に言いました。
殆どの人はこの場面で聞く事を放棄するでしょう。
彼等は「これは難しすぎる(酷すぎる)。これは全く理屈に合わない。」と言います。

しかし、もしこの様な(拒否)反応をしなかった場合、この様に神の声を聞いた人はどうするでしょう?
その人は今までより一生懸命に聞く事でしょう。 貴方は自分の息子をもちろん愛しているのだから。
貴方は(例え神の為であっても)自分の息子を犠牲にしようとは考えたくもないでしょう。
しかし貴方が神に忠誠を捧げているなら、貴方はより一層静聴するのです。
そして貴方は、「どの様な基準を基にしてこの世界で生きるか」自分が選択する所まで到達しなければいけません。
それは「精霊の視点」か、でなければ「エゴの視点」になります。
それは「神を聞く事か、貴方自身で貴方自身の為に考える事」のいずれかです。
もし貴方の息子や娘を犠牲にする事になるなら、貴方は死に物狂いで聞く事でしょう。

私は貴方を脅す為にこう言っているのではありません。
私がここで言おうとしているのは、「貴方は受け取ったガイダンス/指示に導かれて、正直に聞ける様に成る必要がある」という事です。
「正直に聞ける様に成る」とは、(自己定義/主張ではなく)「貴方の全ての意志/意識に成る事」に対して貴方が全く抵抗しなくなる事です。 「この瞬間貴方の面前に在る状況」に対して貴方全体が完全に関与する事が出来る様に成る事です。

「それはアブラハムの事で、その様な状況は現代では起こらないでしょう。 私がその様な覚悟を決める様に求められる事はないでしょう。」と貴方は言うでしょうか?

ならば私は貴方にこう訊ねましょう。 貴方は何故それだけの覚悟(Commitment)を決めたくはないのでしょうか?
なぜ貴方は、あの場所/静寂の中で躊躇する事無く(無条件に)全体的に(神と)関わり、神の法が統治している所で父を知ろうと願う貴方の望みの中に、貴方の完成がなされている合一の中に留まってそれを(聞く事を)しようとしないのでしょうか?  それが目覚めを意味しているのなら、それが「貴方の完成/十全/パーフェクトな有り様」を貴方が意識体験している事を貴方に示すのならば。 
その(静寂の)中では、貴方の完成が侵害され得る様にはもはや見えないのです。 何故なら、ここでは神の法が全てを統治しているから。

「 何をどこまでする必要があるか、それをどの様に解釈するか」に関する貴方の考えを変える必要があります。
貴方はこれを「自分には耐え切れない巨大な重責」と解釈する事も可能です。 しかし反対に、貴方はこれを「(貴方に)実行可能な巨大な重責」と考える事も可能なのです。
「疑いによって貴方が自分のマインドの合一/統一を分離させていない場所、したがって全体性を体験する事が容易い場所、全体性が自然でそれを侵害することは出来得ない場所」としてのマインドの枠組み(想念)を持つ事も貴方には可能なのです。
貴方はこれをする事(貴方の全体を体験する事)に価値を見い出せる場所まで到達しなければいけません。 何故なら、その結果が本当に奇跡的な事に成るのだから!

「ええ、私は聞いてみました。ラジを聞き始めてから何度も試してみました。 私は聞いてみて、時には何かと繋がった様な気もしました。 しかし、殆どの場合何も起こりませんでした。 だから、これ以上これに固執し努力し続ける決意をする気には成れないのです。」
{と、このように考えていては、奇跡的を得られるところまで到達する事は出来ません。}

さて、次の人について話しましょう。
しかしその前に、アブラハムにとってこれらの全ての事は、彼のプライベートな個人的なマインド内で起こっていた事を覚えて置いてください。
彼は自分の得たガイダンスを他者には打ち明けませんでした。 彼は自分の得たガイダンス/指示を公の前で実行しようとしたのではありません。

では、ノアの場合はどうだったでしょう?
ノアはガイダンスを聞き取り、それはとてつもない事を言っていました。
このとてつもない指示は秘密にしては置けませんでした。
海に面していない村で箱舟を作り始めたなら、それは人目を惹く事でしょう。 それは色んな意見を引き出してしまうでしょう。
それは嘲笑やからかいや否定を引き出すでしょう。村人だけからではなく、自分の家族からも。
彼の奥さんは、彼のしようとしている事がどれだけ馬鹿げて見えるか、彼に言わなかったと思いますか? これが彼と彼女とそして家族全員にとってどれだけ負担になるか、彼に文句を言わなかったと思いますか?
その様な場合貴方ならどうしますか?
箱舟を作るのを止めて….溺れてしまいますか?
「妻を怒らせるのは止そう。 私は彼女を愛している。 これまで彼女はとても貞淑だった。 彼女を困らせるのは気の毒だ。 そして私は自分のしている事を上手く正当化して説明する事も出来ない。 私は彼女を愛しているのだから。」 と言うかも知れませんね。
「神が本当に、彼女を困らせたり気まずい思いをさせたり中傷されたり蔑まされたりする事を私に求めるだろうか? この様な馬鹿げた事を止めて社会に順応していく方が全く理屈に合っている。」

しかし彼はそうはしませんでした。 彼はより深く聞き続けたのです。
彼は聞き続け、聞えた指示に従いました。 彼は二つのステップを行う事よりも重要な事を世界の中に見つけなかったのです。
静寂の中に入って、父か精霊に何が適切か/何を次にするべきか訊ねました。
そして答えが聞こえたなら、それに関してまた質問をするか、より深く聞き続けました。 そして理解が得られたなら、意を決してガイダンスにより示された事を実行したのです。

彼の状況ゆえに、彼のしなければ成らなかった事ゆえに、彼がどれだけ集中して聞き続け、どれだけの決心が彼に必要だったか想像出来ますか?
この様な決意(何があっても神を聴き続けようとする決意)は貴方には出来ないでしょうか? これは貴方には重すぎる重責でしょうか?

それともこれは、貴方自身の中で変化を起こすチャンスでしょうか?
『この決意を実行/保持する事は、貴方を「自身の真の生得権であるマインド状態/存在状態」に保つ事に成る、そしてこれは貴方の生得権なので、これはとても簡単な事なのだ(たとえ、これが今現在とても難しいと貴方に見えていたとしても)』という可能性に賭けてみる事ではないでしょうか?

この様な決意を持って貴方がこれ(聞く事)を行ったなら、瞬間的知覚のシフトが起こります。 これが奇跡です。 この様にして奇跡が起こり得るのです。
「これが起こるかどうか(実際に聞く事を行って)確かめたい」と思えるように成りなさい。

何故なら、これがコースの要点なのだから。 貴方の愛しているこの本は、貴方が何年も学んで来たこの教えの要点はこれなのだから。
これは目覚める事に関して述べている本です。

貴方が本当に聞いている事、状況から来るストレスに耐えて貴方が正直に勤勉に聞き続けた事。
それが結果/宝なのです。 {これが必要とされている事であり、と同時に}これが{奇跡の}結果/宝なのです。 奇跡とはこの事です。
「リスクを取って、神が実存する事に賭けてみる事」が出来る様になる場所まで貴方は到達しなければいけません。 自分の意図/意識/能力の全てを賭けて彼/神を求め聴くのです。貴方の全ての熱意を使って神を聴くのです。

さて我々が次に見てみるのはモーゼです。 モーゼは神に聞き入りました。
貴方は私が十戒について話すと考えたかもしれません。  
そうではありませんが、彼は確かに(神を)聞き十戒(その時点で必要とされていた神の法)を得ました。 彼はそれを山からもって降りて来ました。
この場面で彼を待っていたのは、家族と知り合いだけでなく、彼の後について来た全ての民でした。

(モーゼが山から戻ってきた時)彼等は不信心な事(神から離れた事)に耽っていました。
不信心な事に耽溺するあまり、彼等は「モーゼが(神を聞き続ける/神と共に行き続ける)決意と共に聞いた事」に聴く耳を持つ事が出来ない状態でした。
それはモーゼを怒らせ、彼は石版を打ち砕き、それから?
彼は全てを一から繰り返しました。 何故なら、貴方が神に信心/決意を与えている時、貴方に出来る事はそれだけだからです。

しかし、私が話そうとしている事はこれではありません。
私が話したいのは、モーゼが(ファラオとその兵士達から逃れた)イスラエルの幾千の民を従えて紅海の淵に立っていた時の体験です。
彼等は日中は光の柱を手がかりに進んで行きました。 これは彼等が父の意志の証拠(現れ)を信じていたからです。

そして今、彼等は紅海の前に立っており、ファラオの軍隊が迫って来ており、逃げる場所はありません。
その時、彼は神に尋ねた/神を求めたでしょうか? もちろんです!
今日この頃は、このように聞く(神を求める)必要が無いと貴方は思いますか?
彼が聞いて(神を求めて)いなかったなら、彼は恐ろしさの余りへたり込んで「(ファラオに)降参します!」と言った事でしょう。
そしてファラオの軍隊が彼等を連れ戻してしまったでしょう。 そこには奇跡がありません。

「神よ、貴方は何をしているのですか? 
貴方は私をここに連れてきました。 貴方は我々全員をこの袋小路に連れてきており、ここから逃げ道はありません。 ここからの逃げ道がない事を私は知っています。
貴方は愛ある神ではないのですか?
私は貴方の真の姿をやっと今発見したのでしょうか? 抜け目無く不正直で意地悪な貴方を。
貴方は我々を善良の可能性で釣って、我々を絶対絶命の境地に落とし入れて喜んでいるのですか?」
これは「聞く事」ではありません。 
これは貴方が頑固な自己主張/自己定義的お喋りを沢山している状態です。

しかし、自分の目の前に現れている事(に対処するの)は不可能だと貴方の全てが言っている時点で、(その状況に圧倒されてしまわず)貴方が聞き続ける事によって、「我々と一緒に居る神」が{その存在/その技を}デモンストレート出来る様に成るのです。
「父の視点/貴方の正気」が真理の声を通して貴方に届く事が可能になるのです。

「何ですって、神様? (紅海の時の様に)私は杖を差し伸ばすのですか?
御冗談でしょう。 そんな事をすれば、人々は私を馬鹿者だと思うでしょう。」

{しかし神は}「モーゼよ、それを持ち上げなさい!」と言って、そこで不可能な事が起こりました。
そしてイスラエルの民は乾いた川底を歩いて行きました。
この様にして「二つのステップ」は働くのです。 この様にして「聖なる瞬間」が起こるのです。

そのプロセスにおいて貴方が少し(あるいは沢山)困難な目に会ったなら、貴方の手には負えないと思える事態に成ったなら、それでもそのプロセスを(聞く事を)あえて続けなさい。 何故ならば、そこに宝があるのだから。 そこに答えがあるのだから。
その答えとは何でしょうか? それは不可能な事を可能にする事です。

“The Holy Spirit knows that completion lies first in union, and then in the extension of union.”

[精霊は、完成の為にまず合一が必要で、その後に合一を拡張する(差し伸べる)必要があると知っています。]

合一を広げる必要があります。 モーゼが杖を掲げた様に。
つまり、父の意志を拡張し(差し伸べ)体現し、ガイダンスを体現し、(自分の内部にある)合一に対して正直になり続けるのです。
この合一が、「必要とされている事」を顕わにして、それを(必要を満たしているものを)貴方が体現/表現出来る様に成るのです。

しかし、

“To the ego, completion lies in triumph, . .”

[エゴにとっては、完成は勝利に依存しており、]

勝利。 その中で孤児は一人で物事を達成しようとします。 合一の中ではなく、「二つのステップ」をする事無く。
孤児は自分一人で物事をしようとし、自分はそうする事に成功していると考えているのです。

“. . . and in the extension of the "victory" even to the final triumph over God.”

[そして(神に対する最終勝利を含んだ)「征服」の拡張にかかっています。] 

つまり、
“To the ego, completion lies in triumph, and in the extension of the "victory" even to the final triumph over God.”

[エゴにとっては、完成は勝利に依存しており、そして(神に対する最終勝利を含んだ)「征服」の拡張にかかっています。] 


「そら見ろ神様、私は何者かに成ったぞ。 やはり、私は貴方を必要とはしていなかったじゃないか。」
モーゼもその様な行動をしてしまいました。
モーゼが、貴方やポールやその他の人が焦れてしまった時と同等に振舞った事もありました。
彼の民が水を必要としていました。 だから彼は独自に(神に聞く事無く)「彼自身の聖なる能力だと自分で考えたもの」を執行しようとしました。
彼は神の命令を聞く事無く、自身の手で岩を打ち、すると水が流れ出しました。
彼は(水を得る事に)成功したのです。 しかし、彼はそれを神なくして行ったのです。

“In this it sees the ultimate freedom of the self, for nothing would remain to interfere with IT.”

[エゴはこの中に自己の最上の自由を見ています。 その理由は、{この様な勝利が得られれば}エゴに対して干渉するものがなくなるからです。]

困難な場面に遭遇して、貴方が「二つのステップ」を行うか、岩を叩いて水を出すか、そのどちらかを選ぶ場合、「二つのステップ」を選び、貴方の権限(「貴方が独自に持っている」と貴方が考えている権限)を放棄して、真理を父に訊ね、(奇跡を可能にする)瞬間的知覚のシフトが起こるようにしなさい。 
貴方が「聞く事」により一層専念しなければ成らなくなる(厳しい)場所を選びなさい。
そうすれば独自に行動しようとする貴方の傾向をより一層手放す事になり、貴方は貴方の中にある父の意思(それが「貴方」です)により一層正直になるのです。

貴方の中の神の意志(これが「貴方」です)に対してより正直に成るに従い、貴方は統一感を感じ、一体性(Unity)を感じ、完成を感じます。 そして奇跡/祝福が起こるのです。
ちょうど、箱舟が全員に安全を与えたように。
紅海が分かれて貴方が安全にそれを渡れる様に。
貴方の神への信仰が(貴方が今まで体験した事のない)内的明晰へ(「神への従順の結果危害が起こる事は無い」という気付きへ)貴方を導くでしょう。
アブラハムはそう気付いて、それまでより一層の決意を(神に)捧げるように成ったのです。



私がこれを話しているのは、学習の上で「信仰/信心への決意(Commitment)」が必要とされる場所に貴方が来ているからです。

ここでそれを学ぶべきなのです。 そしてポールもまた同じ所に来ています。
ポールの居る場所が、(それぞれ独自の在り方で)貴方達全員が居る場所でもあります。

私が今夜話しているのは、曖昧なフワフワした論理ではありません。
これは今日ポールとそして貴方達全員にとって、とても実際的/現実的な真理です(貴方が地球の何処に居るにしろ)。

ガイダンス(精霊やガイドからの指示)を訊ね聞く事で、貴方は真理の意味を学びます。
貴方が真理を引き出さなければ(真理が働く様にしなければ)、貴方は何が信頼に値するか(何が確実か)学ぶ事が出来ません。 何が「貴方の信頼に答えて決して崩れる事の無いもの」なのか知る事が出来ません。
信頼が無ければ、貴方は本当に{神に}譲る事が出来ません。 しかしアブラハムは、ノアは譲ったのです。
モーゼは譲りました。 彼は戯れにこれをしたのではなく、(「聞く事」に対する献身/専念により)彼の到達した内部の奥深い所からこれを行ったのです。

しかし『「聞く事」に対する献身』と聞いて、これを「物凄く大変な事」と決め付けるのは止めなさい。
貴方が聞く事への邪魔/障害を完全に放棄したなら。 聞く事/リスニングは深くなり、豊かになり、最上/最適になります。 それは貴方が「聞く事」を力一杯行っているからではなく、「奇跡を見えなくしてしまう事」をもはやしていないからです。
だから、これを苦行にしてしまうのは止めなさい。 その様な必要はありません。
しかしこれにはある程度の自己鍛錬が必要である事は理解してください。

私がポールとスーザンに指示した事は、貴方達という村人が周りにいる状態で(良きにつけ悪しきにつけ、意見や考察を持ちそれを表明している状態で)「箱舟」を作り始めるよう彼等に要請した事は、(ポールとスーザンにとって)「聞く事」へのより一層の献身を必要としました。
不可能に見えている事が可能だと解る様にする「意味」が深く広く聞ける様に、そして全ての人がその可能性を促進して(助けて)、全ての人が喜べる様に。

ポールは、深く聞く事が彼に「困った状況をもたらさず、神の法が満たされている体験を明確にする」と信じてこれをしなければなりませんでした。
(これは)神の法が成り立っている体験です。 「ここに風が動いています」と私がポールに言ったなら、彼が風と同じぐらい柔軟/軽快に成れる様に。
これはハリケーンではなく、そよ風です。 これには殆ど力など無い様に見えます。 しかし私は「創造の動き」をそよ風に例えました。

ファウンデーションの動き(Northwest Foundation For A Course In Miracels の移動)は不可能に見える事でした、それは論争/不和/不調/良いフィーリング/悪いフィーリングを生んでいる様に見えました。

何がそれら(論争/不和)を解消/解決するか解りますか?
それらに対処するのではなく、より大きな決意と共に聞く事です。 より強靭な意欲を持って聞き続ける事です。
つまり、抵抗するものを探そうとするのではなく、自分一人で(ストレスを解消する)何かを達成しようとするのではなく、(モーゼに様に)叩ける石を探すのではなく、計画性や故意や強情や意図的な考えを捨てて聞く事です。  何故ならストレスを(一人独自に、神から離れて)解除する事は、瞬間的な知覚のシフト/奇跡には成らないから。

(道や藪が取り壊されて、騒音と埃が満喫している)NFFACIMの現立地周辺の動きは、平静を乱していました。
ポールは自分がいつもより反応的/感情的に成っている事を発見しました。
自分がこれほど影響されている事を見つけて彼は驚いていました。
今晩のスタディ・グループが上手く出来るか真剣に悩んでいました。
それでも彼の決意と献身が、それらに打ち克ちました。

その結果彼は学び、違う場所(自分が悩まされて居ない場所)に入ったのです。
そして彼は貴方と貴方と貴方と同等なので、貴方も違う場所に入り、貴方も学びました。

そして一番重要な事は、我々が今晩読んだこの文節がより輝き、この文節と貴方のより明確な関連が示された事です。 これが重要なのです。

貴方がアブラハムやノアやモーゼの様に{聞ける様に}成る事が、貴方の持って生まれた生得権なのです。
彼等がした様に、貴方も「二つのステップ」が出来る様に成るべきなのです。
そして貴方が困難な場面に遭遇したなら、{聞く事を}続けて、(自分一人でそれに対処しようとする誘惑を退けて)父の意志に譲る事を選択し続けなさい。
そして(まるで貴方の息子/娘の命がそれに掛かっている位の決意を持って)父の意志に譲れる様に成りなさい。

貴方は、これが難しすぎる事ではないと(過大過ぎる要求ではないと)発見する必要があるのです。
ここで求められている事は、貴方達全員にとって基本的にナチュラルな事なのです。 これをする事が可能なのです。


次回貴方とお会いできる事を楽しみにしています。


「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはその様なものだから。 
貴方と同等の方が既にこのギフトを貴方に差し出したので、これらの資料が貴方に提示されています。 Raj の指示により、これらの資料が売買される事はありません。 

A Course in Miracles Study Group with Raj, June 19th 2010
The Northwest Foundation for “A Course in Miracles”
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
Website: http://www.nwffacim.org
E-Mail: paul@nwffacim.org

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

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