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ACIM10-07-17

July 17, 2010 ©NWFFACIM
2010年 7月 17日

原文テキスト
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=29758&mid=143192#M143192
オーディオ&ビデオ
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=29743&mid=143144#M143144

ページ位置の確認。
この会合では本は読みませんでした。


今晩は。 今日は本は読みません。 始める前に少し瞑想しましょう。
[瞑想期間]

今晩は。 ようこそ。
会合(スタディグループ)のある土曜には、ポールはその一日を聖なる日にしようと朝から努力する習慣を持っていました
彼は、真理に自分のマインドを合わせ続けよう(日々の普通の行動によってマインドを逸らせてしまわない様にしよう)という決意と共に朝目覚める事を、土曜の日課にしていました。
言わば、洞窟の中にでも閉じこもる様にして(ミーティング中に現れる)真理の為に静かに瞑想的に成ろうとしたものでした。

しかしここ一年位は、忙しい土曜日が多かったのです。
しなければならない事があり、(彼にとって)一日を神聖に保つ事とは関係ない事、その日の夜のスタディーグループ中に真理を照らす事とは関連のない事柄に時間を取られる事が多くありました。
彼はこの様な忙しい土曜には、かなかな馴れる事が出来ませんでした。
彼はこの状態には満足出来ず、自分のマインドの中でこれに対して抗議していました。 
しかし時間が経つに従って、土曜は益々忙しく成って行きました。 先週の土曜などは特別忙しいものでした。
より多くの「邪魔」が入るように成って行きました。
最終的に、ミーティングの直前に家に帰って来て静かになる時間の猶予さえ無い程でした。

だから彼は、動きながら、行動を続けながら、私と一緒に居る事を強いられました。
これは彼にとって新しい学習事項でした。 そして、これは彼好みの学習ではありませんでした。
彼は周りの皆にも、(丁度彼がその様な心持で一日を過ごそうとしている様に)その日の神聖を尊んで欲しかったのです。 神聖なるマインドで居て欲しかったのです。
しかし、全ては彼の意図に対抗している様でした。

でも、彼に求められていた事は(それは貴方達全員が求められている事でもあります)その日の(そして毎日の)様々な(場合によってはガヤガヤした)事柄の中に神性を見つける事なのです。
『貴方が「二つのステップ」を行った時、貴方は神の法が統治している場所の中に入る』と我々は言ってきました。
皆さんが学ぶべきは、「神の法が統治している場所」は日々の雑事の仔細の中に在る、という事です。

「神の法が成り立っている(行き渡っている)事」は、何かとても具体的な事柄/状態として(貴方の目の前に)現れます。
神の法が成り立っている事が表出/出現するのです。 さて、それは何処に出現するのでしょう?

私が何回も繰り返して来た通り 「貴方の目の前に現れている事/ものは天国だけです」。
貴方はそれを「世界と宇宙」と呼んでいます。 しかしこれは間違い/誤解/誤認識です。
(貴方の目の前に現れている)それが天国なのです。

神の法は何処に行き渡っているのでしょうか? もちろん、それは天国に行き渡っています。
では天国は何処にあるのでしょう? ここです。 貴方の目の前にある事柄だけが天国です。

さてポールとスーザンは- そして、もちろんこれは皆さんにも当てはまる事です –ここ数ヶ月(ファウンデーションと彼等自身の為の新しい家を探して)とても忙しくて過ごしていました。
「ああ! また邪魔が!」
しかし、神の目的の成就はどこに現れるのでしょうか?
神の意志は何処で成り立つのでしょうか?
それは家や道やコミュニティーの中で成り立つ(その中に浸透する)のです。
それはここからあそこへ車をドライブする間に成り立つのです。 あの家を見たり、この家を見たりする間にも、成り立つのです。
(そして、ここでのもう一つの実際的な学び/発見は)貴方が声/精霊/貴方の正気でしかないもの(ガイド)を聞こうとしたなら、そのガイダンス(指示)は「あの道を行きなさい、そしてこれを見なさい」と指示して、目的の成就が現実化/表出する(つまり日々の些末事が起こる)時と場所に貴方を導きます。

そう、我々はこの”A Course In Miracles” という本をここ何年か読んで来て、素晴らしいスピリチュアルなアイディアに関して話してきました。
そして今私は、「これらの素晴らしいスピリチュアルなアイディア」が「何と」関係があると言おうとしているのでしょうか?

(貴方がそのど真ん中にいる)天国とです。 それは、全くスピリチュアルに見えない日常の細かい事柄と関係があるのです。
しかし、そう(それらがスピリチュアルに見えない、取るに足らない事だと)言っているのは、貴方の信念だけです。 貴方はその様に教えられてきたのです。
そして貴方は、『「自分が教えられて来た事」に沿って自分が期待している事』を見ようとします。

だから、貴方は家を見に行ったり、あるいは自分の今住んでいる家を見たり、自分の働いているビルディングを見たりして、「これは鉄とコンクリートとガラスで出来た構造物 (物理的物体 )だ。」と言ったりするのです。
貴方はそれに関しては疑念を持っていません。

しかし、もしかしたら、もしかしたらそれは『「神のマインド」の中にある穢れなきアイディアである目的の成就』を構成している「柔軟な流れ」なのかも知れません。
(『「神のマインド」の中にある穢れなきアイディア』は意識的気付きの瞬間にそのアイディアを見ている「神のマインドの動き」によって常に/永遠に新しく成り続けています。)
もしかしたら、そうかもしれません。 もしかしたら、それ(家やビルディング)はただ証拠として現れているだけなのかもしれません。 今生きている神の今の証拠(現れ)なのかもしれません。
しかしそれは「もしかしたら」ではなく、それが事実なのです。

しかし貴方はそれを見ていません。 何故なら、貴方はそれが本当だとは信じていないから。 そして貴方は自分が信じているものを見るのです。
だから、貴方が「ここは物理的/物質的な世界であり宇宙だ」と信じており、「ここが天国だ」とは信じていないので、貴方は「神の法はここでは成り立たない。 他のどこか、天国という所でそれが成り立っている。」と考えています
最終的に貴方が聖者(聖なる男性、聖なる女性)に成る為には、神性に対して自分を捧げなければならない(と貴方は考えて)、貴方と神との繋がりがこの物質的世界や宇宙と関係しているとは期待しないのです。

しかし、貴方が目覚める為には、『「(神が全てである故に)神の法が成り立っている(全てを統治している)というリアリティ」以外には何も起こっていない』と発見し理解する必要があります。
神の全体性(完全性)に取って代われるものは存在していません。
神の聖なる息子/娘として貴方の神性にアプローチする(目覚めようとする)時、貴方は自分の日々の平凡な行動の中に神性の証拠を見る事を期待し始めなければいけません。
もう一度言いましょう。 貴方は「物事がどの様にして存在しているか知っている」と考えています。 ここが物理的な世界/宇宙だと考え、そう信じています。

スーザンとポールとクリスとジュディーと、そして彼等のしている事(“Northwest Foundation For A Course In Miracles”の行動)と関わっている人達全員は、「新しい場所を探す事」をしているのです。
そして新しい場所が見つかりました。 それを確保する手続きがとられました。
購入の申し込みが行われて、それが受け入れられました。
そして我々は、今から一週間でこの家を購入するトータルの金額が必要に成る時点に来ています。

さてこれら全ては、物事(状況や人々の行動)に依存している様に見えています。
これはポールとスーザンが、私を通して得ている「日常の様々な事」に対するガイダンスに対して、「神の動き」が彼等の行動を導いている事に対して、自分達の注意とエネルギーを与え、それに従い、必要な決断をする事に依存しています。

そして、この動き(この開示)のもう一つの要素は、「ファウンデーション(NWFFACIM)に各個人が寄付を行い、ファウンデーションの行動を実際的に(実行動として)サポートする事」として見えていました。
だからこれも、人間達がこの物質的世界/宇宙の中で(小さな蟻の様に働いて自分達の生活を支えている事などの)性癖になっているプロセスの一環として行われている様に見えます。
しかし、これも「神の動き」に成る事が出来るのです。 神の法が、日々の事柄の中(それは本当は天国の行動です)でなされている事(成立している事)に成り得るのです。
それは(ファウンデーションの移動は)、『各個人が寄付をする事(その後安心して「神が存在して居る事」/「神が全てと関わっている事」を忘れてしまっている)に依存している』と見る事も出来ます。

私はここで、次の小話を貴方達に話したいと思います。
洪水が起こり、浸水が起こって、ある男の人が自分の家の屋根の上に避難しました。
そして彼は自分を救ってくれるよう神に祈りました。 彼は奇跡を欲していたのです。
彼は神の確証を求めていました。
その様にして彼が佇んでいる所に、ボートがやって来ました。
ボートの中から人々が「飛び乗れ!飛び乗れ! 安全な所まで連れて行ってやるから。」と言うと、彼は「いいえ。私は神様が助けてくれるまで待ちます。」と言いました。
少し時間が経ってからまた助けが来ましたが、彼はまた「いいえ。私は神の助けを待っているんです。」と言いました。
そして今まさに水が家の屋根より高くなろうとしている時に、ヘリコプターがやって来て梯子を下ろしてくれました。
しかし彼は「いいえ。私は神を待ちます。 神が私を助けてくれるでしょう!」と言いました。
ヘリコプターは飛び去り、水嵩がより増えていきました。
彼は屋根の上から波にさらわれ、天国に行きました。
そこで彼は「神様、何で私を救ってくれなかったのですか?」と言いました。
「私が貴方を救おうとしなかったって、どういう意味だい?」と神様は答えました。
「私は貴方を救う為にボートやヘリコプターを送ったのに!」 
とこういう具合です。

(この例でも)日々の(その日の)事柄/行動の中を神の法が統治していました(示されていました)。

ここで、ボートやヘリコプターの中に居た人々の事を考えてみてください。
ヘリのパイロットは「水の流れの分かれている所で、人が屋根の上に取り残されている。 彼を救出に行ってください。」と無線で聞きます。
するとヘリのパイロットは「全く! 私は彼を救出しには行きたくない。 彼は「高い所に避難する事」をニュースで呼び掛けていても聞かないほど愚かだったし、ボートからの助けを拒むほど愚かだった。 私がそこまで行って助けようとしても無駄だよ。 だから行かない。」と言うのです。 {とパイロットが言ってしまった可能性だってあったのです。}
私が何を言おうとしているか解りますか?

神の法は、屋根の上で困って助けを求めていた人だけに対して「なされていた/成り立っていた/行き渡っていた」訳ではありません。
神の法が行き渡っている事は、「助けを認識してそれを受け入れる事」の責任を屋根の上の人に課しました。 日々の細々した行動の中で神の法が成り立っているのを見る事とは、つまり、ボートの上の人々を認めたり、ヘリコプターの助けを受け入れたりする事です。
と同時に、ヘリのパイロットも(神の法が現れている所に自らが成る事により)神の法が成り立つ事を支持する必要があったのです。 解りますか?

もし屋根の上の人がヘリパイロットの助けを受け入れたなら、彼は救出された事でしょう。
その時人々は「神様、ヘリコプターとパイロットがそこにいた事に感謝します。 この様にして(物理的世界/宇宙内の)この人間的状況が(良い形で)治まりました。」と言います。
しかし「神はこの事とは全く関係なかった。」と言う人も居るでしょう。
でも「神の法が統治している事」は、何かが起こっている事として見えるのです。
それは助けを与えようとしている人として見え、それは助けを受け入れている人として見えるのです。
また他の状況では「神の法が統治している事」が、「サポートを必要としている素晴らしい目的」とそして「それをサポートしている人々」として見えるのです。

これらの事も、卑小な人間達が卑小な世界でチョコマカ動いて、少しのお金をあそこやここから他の場所へと動かしている様に見えるのです。 物理的行動が起こっている様に見えています。 人生を賭けた生き残りの戦いが出現している様に見えています。
{神の統治している所が}この様に物理的世界/宇宙に見えるのです。
しかしこれが唯一の見方なのでは在りません。
必要とされているのは「全ての中に神が動いている事」を認識出来る様に成る事です。

ポール、スーザン、ジュディー、クリス、そしてファウンデーションと(その資料を全ての人に与える事)の保持に参加している人達全員は(誰かがガイダンスを聞いているので)、「神の法が統治している事」の現われなのです。 彼等全員は「神の法が細々した日々の行動の中に行き渡っている所」に成っているのです。
そして、「差し伸べられているもの」を受け取って感謝している者は、「神の法が行き渡っている事」に参加しているのです。 何故なら、認識され受け取られた「愛のギフト」は、「日々の細々とした行動」の中の「神の動きの全体性/一体性」だから。

これらの行動をサポートしている人達も、卑小な必滅者に成っているのではありません。
巣の真ん中にお金の屑を集めているのではありません。
彼等は、行き渡っている「神の意志」であり、出現している「神の目的の成就」なのです。
全ての人/全ての事が、神の目的の成就の動きの現われなのです。
全てが上手くフィットして、上手くかみ合うのです。

私が「ファミリー」という言葉を使うのは、「神の動き」の表現(それは神の自己表現です)は、神の息子/娘として出現するからです。 それが貴方達全員であり、創造された全てのものなのです。
そしてこれ(神の動きの表現)は縒り合わされた無限の現実化なのです。 これは神の法が行き渡って全てを統治している事の確証なので、これが何かに縛り付けられている訳ではありません。
これは(卑小なマインドから発せられたのではない)目的の成就が実現する無限の表現なのです。
これは(エゴと呼ばれている)卑小な体が動き回って居て、それに頭がついており、その中に頭脳があって、どうにかして生命と知性を表現している事ではないのです。

事実、貴方の目の前に現れている事が天国でしかないなら、天国以外のものを貴方が体験する事は不可能なので(貴方はそれを自分の好きな様に呼び、それをどの様にでも好きな様に想像する事が出来るのですが)、貴方は「日々の様々な行動を(天国の無限の行動を)神性から逸脱しているものとして知覚する事」を止めなければいけないのです。
貴方は日々の出来事を『自分の注意を「父の意志」を聞く事に与えて、貴方のいる所と関係のない「不思議な/非現実的な事」を聞けるよう期待する事』の妨げとして退けてしまわない様に成らなければいけません。
何故なら、「神の意志が統治している/行き渡っている事」を貴方が発見しそれを抱擁しなければ、「愛の法則」が行き渡る事が(貴方が全てを天国として受け入れて)それが貴方の愛に値すると解らなければ、それが「(その全ての要素の中に父を見つけようとする)貴方の好奇心」に値すると思い至らなければ、貴方は誤ったスピリチュアリティを生きる事になり、目覚める事が出来ないからです。
それでは、啓示の体験をする事から貴方は完全に遠ざけられてしまいます。 何故なら、(『啓示は「今自分の居る所」とは関係のない事として現れる』という期待によって)貴方はそれ(啓示)を完全にブロックしてしまうから。

さて、五月の終わりから起こっていた「ファウンデーションの移動と、表明されていた愛と、受け取られた寄付」に関する事は素晴らしいです。 全く素晴らしい事です。
そして今、全ての人は -この移動に関心がある人にとっては- 締め切りが迫って来ている様に見えています。 今日から一週間後に{家の支払いの全額が必要なので}締め切りに迫られている様に見えています。

もし貴方が自分を「卑小な働き蟻の様な存在」、「巣の中に食事など必要なものを運び込まなければいけない働き蟻の様な存在」として考えたなら、貴方は要点を誤解しています。
何故なら、あの屋根の上の人を助けたのはヘリコプターのパイロットやボートの中の人ではないのだから。 「日々の様々な行動の中に神と神の法が行き渡る事」だけが彼を救う事が出来るものなのだから。
だから「卑小な働き蟻の貴方が、成就に対して何か責任を負っている」というアイディアは捨ててください。

その代わりに「二つのステップ」をして「ここの真理は何ですか? 何が起こっているのですか? 貴方の法が行き渡っている事はどの様に見えるのですか? それはどの様に現れるのですか?」と父に訊ねて下さい。
何故なら、貴方が「二つのステップ」をして、自分の志向を静めて、自分のプライバシーを手放して、「父よ、ここの真理は何ですか? 私は何を知る必要があるのでしょう?」と言ったなら、 貴方は「神の法が統治している場所」に移行するだけでなく、神の法が(貴方に相応しい)意識として貴方の前に出現するからです。
そして貴方が「必滅者としての卑小な働き蟻で在り続ける事」に固執しなくなり、「神の聖なる子供として振舞う事」に従順に成れば、貴方は聞き、そして行動するでしょう。
そして貴方が聞いた事、そして貴方がした事が、日々の様々な行動の中で価値あるものとして認識されるでしょう。

「それがどの様なものに成るか」私が今貴方に言う事は出来ません。
それは、「どの様に神が働くか。この特定の動きに対して神がどの様に働いているか。」という気付きで貴方が満たされる事かもしれません。
例えば「神は中途半端に何かをする事はない」と貴方は気付くかも知れません。
つまり、「神の動き」は目的の成就であって、「目的がほとんど満たされる事」ではありません。
ポールが知っている人で自分の留守電に「貴方(の通話)は、ほとんど私に届いています。」という挨拶を吹き込んでいる人がいます。
しかし成就は「ほとんど達成される事」ではありません。
成就とは完成/完全を意味しています。

『(一つの場所からもう一つの場所への)この動きに関する事実は、そしてこれに掛かる費用を捻出する事に関する事実は、「ほとんど達成される事」ではない』(完全に達成されるべき事だと)という(否定しようのない)体験で貴方は満たされるでしょう。
これは完全に実現される事であり。例えば次の土曜には皆がその完成を喜び合えるでしょう。

これから寄付をするようにガイドされる人も現れる事でしょう。
しかし、貴方が「自分はつまらない必滅者(モータル)だ」と考えたなら(時々ポールもそう考えています、例えばこの午後がそうでした)、「あー、状況をコントロールする為に何かしなくてはいけない。 状況に対して違いをもたらす何か実際的な事をしなければいけない。」と感じてしまうでしょう。 (神の法が統治している事の意味を体験出来る様、それと調和して行動出来る様)「二つのステップ」をする事なくして/神の法が統治している場所に行く事なくして、何かを行おうとしてしまうでしょう。

しかし、私が皆さんに教えている事は(そしてここ数週間に亘り教え続けている事は)「ガイダンス(ガイドからの指示)は日々の様々な行動と関係した事を貴方に教えている」と云う事です。

私がヘレン・シャックマンと一緒に働いて、コースを彼女に書き取らせていた時、私は彼女に「お店に行きなさい。 貴方が購入するべきコートがそこで待っているでしょう。」と言いました。 実際彼女はお店に行き、そこにはコートがあり、彼女はそれを購入しました。
しかしこの出来事は矮小化されれしまっており、 「うん。これはヘレンに与えられた特別な計らいで、スピリチュアルなガイダンスや贖罪/和解(Atonement)の本質を反映しているものではない」と言われています。

しかし私は「自分が金銭に関して話す事が出来る事」を貴方と、そして特にポールとスーザンに、実際的にデモンストレートして見せています。
私は金銭的な事を話して、ローンを確保し、家屋購入の申し込みを何時するべきで、何時するべきでないか指示する事が出来ます。
私は日々の些細な事柄に関してガイダンス(指導)を与える事が出来ます。

私はこれをしており、ポールはこれを皆の前でやらされていると感じています。 
「新しいやり方でガイダンスを聞く事」を貴方達が学べる様に、私は貴方達の前でこれをしているのです。 貴方がリアリティと関連の無い、何かふわふわした御伽噺の様な道を進んでしまわない様に。

貴方が精霊やガイド(に指示を)を求めた時、スピリチュアルなガイダンス(指導)はとても実際的なものとして現れる傾向があります。
そして今私は「ここに必要が存在している事」を指摘しています。 
その必要とは、次の土曜までに残りの金額が(ポールの手に)届いている必要です。
実際には金曜までに必要です。 そうすれば、購入しようとしている家が不動産市場にもう一度戻される事はありません。


これが(我々の直面している)必要です。 私は何故これを言っているのでしょうか?
それは、貴方は「自分の注意を何処に置くべきか」知らなければいけないからです。
貴方は、自分が精霊に何を聞くべきかしっかり明確に知っている必要があります。
必要に対して「神の意志が行き渡る事」が実際にどの様に見えるのか、貴方は知っている必要があります。
そして、これは貴方の身体的必要にも、貴方の(人間)関係上の必要にも、どの様な必要にも当て嵌まります。


つまり、これは貴方が日々の様々な行動を新しい方法で出来る様に成る為の練習です。
(それが癒しや必要の解決を(否定しよう無く)もたらすでしょう)
何故なら、そうすれば完成や完全や「これ以上、父と対立し続けない事の喜び」を貴方が体験出来る様に成るからです。
これらがコースの教えている事の実践なのです。
これらが目覚める事の実際です。
これらがスピリチュアリティの実務的側面です。

もしかしたら、貴方はこの様な事が必要とされているとは思わなかったかもしれません。
もしかしたら、貴方はスピリチュアリティに実務的な側面があるとは思っておらず、スピリチュアリティは実務/実際的な事から貴方を引き抜くものだと考えていたかもしれません。

しかし、貴方は実際に役に立つ所(つまり貴方の体験の中)で神の実証を見たいと望んでいます。
でも誰もまだ自分達の経験から逃れる事は出来ていません。
その理由は、それらの事(「物理的世界/宇宙の中の人間的状況」と呼ばれている貴方達の経験)は、実際には天国の真っ只中に居る聖なる生命だからです。
そして、「この事実への気付き」に対する貴方達の抵抗が、それを(目覚めを)体験する事から貴方達を隔てて来たのです。
我々は、「その体験を妨げているもの」をどの様にして手放すか学んでいます。

それは貴方をストレッチする事(自分で作った限界を超えて貴方を成長させる事)に成るかも知れません。 ポールは確実にその引き伸ばしを感じています。 スーザンは確実にその引き伸ばしを感じています。
しかし、これは「するに値する事」なのです。
何故なら、それが「貴方の崇拝している無知(貴方はこれを手放したがっていません)の泥沼」から貴方を引き抜くから。

次の土曜にお会い出来る事を楽しみにしています。

「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはその様なものだから。 
貴方と同等の方が既にこのギフトを貴方に差し出したので、これらの資料が貴方に提示されています。 Raj の指示により、これらの資料が売買される事はありません。 


A Course in Miracles Study Group with Raj, July 17th 2010
The Northwest Foundation for “A Course in Miracles”
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
Website: http://www.nwffacim.org
E-Mail: paul@nwffacim.org


テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

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