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ACIM2010-08-28

August 28th, 2010 ©NWFFACIM
2010年 8月 28日

原文テキスト
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=29881&mid=143666#M143666
オーディオ&ビデオ
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=29877&mid=143655#M143655

今回は本は読みませんでした。


こんばんは、ようこそ。 少し瞑想しましょう。
[しばらく瞑想]

『「マインド」はそれ自身の偉大な原因であり結果である』と良く言われていますが、そのとおりです。
しかし、このフレーズには少し問題があると思います。
それは「結果(Effect)」という言葉に与えられている意味のせいです。

普通『「結果」は「原因」から分離してそれ自体で成りたっているもの』と考えられています。 
しかし、その考えは合一(ユニティー)を表してはいません。

今夜は合一(Unity)に関して話します。
何故ならユニティー(合一)はシンプルだから。 
そして ユニティーに成っている「存在」もシンプルなのです。
しかし「二重性(Duplicity)」はシンプルではありません。


だから私は『「マインド」は、それ自身の偉大な原因であり、と同時に、そのイベント(出来事/現れ)でもある。』というフレーズの方が好きです。

つまり、「マインド」が原因であり、「マインド」が「創造」を行っている事が、イベント(出来事)を発生させているのです。 と同時に「マインド」がイベントそのものなのです。
「マインド」と「マインドの動き」は、同じ一つのものなのです。
「創造」は「神のマインド」から分離してはいません。 「創造」は「神」から離れてはいないのです。

「マインド」がそれ自身の偉大な原因でありイベント(現れ)なのです。

あなたとあなたの父は「ひとつ」であり、その「ひとつ」があなたの父なのです。

もう一度聞きなさい。
あなたとあなたの父は「ひとつ」で、その「ひとつ」があなたの父なのです。
「あなたの意思と父の意志はひとつで、そのひとつの意思が父である。」と、わたし達は言うことが出来ます。
これがスピリチュアリティなのです。 これがシンプリシティ(物事のシンプルな有様)なのです。

しかし、あなたは「あなた(自分)と父はひとつで、そのひとつがあなた(自分)である。」とは言えないのです。
上記のアイディアこそが孤児(父なし子/独立者/自分一人で権威者として振舞っている自己認証者)の考えなのです。

しかし現実には「あなたとあなたの父はひとつで、その(唯一無二である)『ひとつ』として存在しているのが父なのです」。

私は、ここで言葉と戯れている訳ではありません。
わたし達は「聖なる瞬間」に関して話してきました。 そして「聖なる瞬間」は何をした結果として起こるのでしょうか?
それは、「二つのステップ」を行なった結果として起こります。
では、「二つのステップ」とは何でしょうか?
「二つのステップ」とは、あなたが(人間的反応を)躊躇すること、あなたが自分の独立を放棄すること、あなたが自己創造的思考(自己生成的思考)を放棄すること、です。

そのとき成立する静寂の中で、あなたの思考が止まっている所で、あなたは伸び上がり「父よ、ここの意味はなんですか?」と言うのです。 「父よ、ここの真理は何ですか?」と訊ねるのです。
あなたは、「これが自分だとあなたが考えていた創造的(自己生成的)人物」を捨て、あなたの源(それがあなたの全てなのです)と繋がるのです。
あなたがこれを行なった時、あなたが「自分以外の何か」に譲った時、あなたは『「これが自分だとあなたが思ってきた者(貴方の自己定義)」以外の何か』に対して譲っているのです。

ゲセマネ(ゲツセマネ)の庭園で私が悲しみながら「父よ、もし叶うなら、この杯を私から遠ざけて下さい。 しかしそれにもかかわらず、私の思いではなく、あなたの御心がなされますように。」と言った、と言われています。 
“Father, if it be possible, let this cup pass from me. But nevertheless, not my will, but Thine be done.”
これは「二つのステップ」の良い実例です。

だから、今この例をあげました。 これらの言葉が私の口から出たことは決して無かったのですが。

父と向き合うとき、あなた達は{間違った}祈りを使っています。  自分にとって必要だと思われる、これが自分にとって必要だと確信している、あれこれをあなた達は要求しています。
そうする代わりに「二つのステップ」を行なったなら、あなたが自分の要求(求め)を放棄して「私の望みにもかかわらず、父よ、私の意志ではなく、御心が行なわれますように。」と言うべきなのです。
「父よ、ここの真理は何ですか? 父よ、私は何を知るべきなのですか?」

これがとても重要なのは、原因は結果の領域(結果が表れている領域)には存在していないからです。 物事の原因は、「あなたが実現と呼んでいる領域」には存在していません。

これについて実例を上げましょう。 この例は、夢を説明するものではなく、上記の意味を説明するためのものです。

朝早く一人の子供が必要を感じ、あなたのドアをノックします。
あなたはベッドの中で夢見ており、その夢の中であなたは仕事をしています。
仕事中にあなたは、ドアからノックの音を聞きます。
そして仕事場の夢はそのまま続いていきます。


私が言いたいのは、
「夢の中であなたが聞いたノックの本当の原因は、その夢の中には実在していなかった。 夢の中でノックが実際に起こっていたのではなく、そことは異なるレベルの意識内でそれは起こっていた」と言うことなのです。


それはあなたが寝ていた部屋で起こっていたのです。
解りますか?  原因は、結果のレベル(結果が現象として表れているレベル)には存在していないのです。
これは重要なことです。


もう一つ例を上げましょう。
今までも言って来たように、独立した存在として振舞っているあなたは、孤児に成っているのです。 あなたは、あたかも自分が父なし子、母なし子で、完全に自分だけで独立して存在していると考えています。


「マインド」はそれ自体の偉大な原因でありイベントでもあるので、あなたが孤児として体験していることは、実際に孤児院内で発生している体験ではないのです。


私は本当に、「私の父の家には、沢山の豪邸があるのです。」と言ったのです。
もしこれが事実でないならば、私はそれを(より正確な事実を)あなたに知らせたことでしょう。
この各豪邸それぞれを、無限の視点として考えることも可能です。
この視点から創造の全てがあなたによって(あなた達それぞれによって)体験されているのです。

しかし(父なし子、母なし子、自分一人で物事を達成するという素晴らしくエキサイティングで恐ろしい体験をしている)独立した存在にとっては、これらの豪邸は孤児院の寄宿舎として体験されているのです。
しかし「マインド」はそれ自身の偉大な原因にしてイベントなので、そしてそれから分離しているものは何も存在していないので、孤児院として見られている場所も(孤児院として体験されているものも)本当は天国であり父の豪邸の一つなのです。 そして父の豪邸は無数/無限に存在しています。

あなたが体験している全てのことは、例えそれが真の体験ではない場合でも、それらも{リアリティ/天国から}分離した体験ではないのです。
それらは、リアリティから分離している体験ではないのです。 
それらは、リアリティに対する偏見(歪み)に満ちた体験なのです。


さて、あなたがベッドで寝ている時、あなたの息子が必要に迫られてドアをノックしていたとしましょう。  しかし、あなたが夢見続けてしまい、仕事場のドアがノックされていると考えて仕事場のドアへ出向いた場合、あなたは適切な行動をしていません。
どこかの時点で、リアリティに対するあなたの誤認識(誤解)から意識をシフトさせる必要があるのです。 あなたが目覚め、ベッドから起き、ドアを開けて息子さんを助けられるように。

あなた達全員は、少なくとも二つの意識を体験しています{とあなたは考えています}。
{ここでは話をシンプルにする為に、「あなたが朝目覚めた時、あなたはリアリティ内に居る」と仮定しています。}
一つは、あなたが目覚めた意識(普通の意識)と呼んでいるものです。
あなたは、毎日目覚め、あれこれの仕事をして、人生を生き、自分の責任を果たしています。
もう一つの意識は、あなたが夜寝ている時に体験するもので、その時あなたは自分が責任を負っている(物事を起こしている)とは意識していません。
その時あなたが夢の中で体験している事には、リアリティとの直接のつながりがありません。
「あなたのベッドルーム内のリアリティで物事が起こっていた」(とあなたは解釈します)。
しかし、それらの事(例えばノック)はあなたの夢の中で解釈されたのであって、だからそれらは(ノックは)実際には夢のレベルでは起こっていなかったのです。
だから、それに対してあなたの夢のレベルから適切に対応することは不可能なのです。

さて、あなたが「二つのステップ」を行なっている時、あなたは(「自分は覚めている」とあなたが考えている時に活発に使用している)あなたの意識的思考を閉じているのです。
その時あなたは、神の居ない世界の中で「独立した存在としてあなたが持っている(とあなたが信じている)権利」を放棄しているのです。
そしてあなたは、あなたの源に手を伸ばすのです、あなたは「真理を知っている者」に自分を届かせるのです、あなたは「それ自身の偉大な原因でありイベントである『マインド』(それはあなたの『マインド』から分離していません)」に伸び出すのです。

あなたとあなたの父は「ひとつ」で、その「ひとつ」が父なのです。
あなたのマインドと父の「マインド」は「ひとつ」で、その「ひとつ」が父の「マインド」なのです。

「二つのステップ」を行なっている時、あなたは(自分は起きて目覚めているという)夢(それはリアリティに対する歪んだ知覚です)からシフトして、源(「創造の動き」=それ自身の原因とイベントであるもの)とあなたが繋がれるようにするのです。 そうして、「『神』がそれに(全てに)成っている場所」から、あなたが全ての事を体験し反応出来るようになるのです。   
真理を正しく体験することがあなたの権利であり、あなたの役目なのです。

さて、私の言っていることは取り立てて新しくはありません。
我々は依然として「二つのステップ」に関して話しています。  我々は「聖なる瞬間」に関して話しています。  我々は、それに関する説明を加え、より広く深い意味を示しています。


『あなたが「二つのステップ」を行なって「聖なる瞬間」を持った時、あなたは「神の法が成り立っている所」にいる』とわたし達は言ってきました。

これはどういう意味でしょうか?

これは「神の意志(御心)が行なわれている場所」にあなたが入った、という意味です。

これはあなたには特別な事には思えないかもしれません。
しかし、もしあなたが「二つのステップ」を行い「聖なる瞬間」の中に入り、『「神の意志」が行なわれている所』にあなたが入ったなら、その時あなたは(自分のことを孤児だと考えているあなたの意思ではなく)「神の意志」を完全に反映している体験を持つのです。

そしてあなたは新しい体験を持ち始めます。 それは変容の体験です。 
その時あなたは「自分自身の原因に成る権利」を放棄しているので、あなたはその体験の責任を負ってはいないのです。

だから、「神の法が成り立っている(つまり神の意志がなされている)この場所」にあなたが入ったなら、あなたは孤児院の寄宿舎内で(あなたが今見ている夢の中で)変容を体験し始めるのです。
そしてあなたは、その真の体験をし始めるのです。
あなたは、それを豪邸として体験し始めるのです。 「多くの豪邸」として。

あなたは、今まであなたが誤認識してきた全てのことを、あなたが自分の想像力でその役割を決め付けてきたことを、「神がそれに成っていること」(確かにあまり良い文法ではありませんね)として体験し始めるのです。
あなたは、(それ自身の原因とイベントである)「創造の動き」として、「神」が与えた役割として、全てを体験し始めるのです。

それは、「あなた以外の者」が乗り移ったかのように感じられるでしょう。
その「あなた以外の者」が「神」なのです。
そしてこれは、あなたの日常の実際の中で変容(変化)を体験することなのです。

ポールとスーザンはこの4-5ヶ月間、新しい住居に関して、この体験をしていました。
物事が彼等の手から取り上げられ、彼等自身が求めてはいなかった、彼等がそれに譲らねばならなかった(何故なら彼等はそれ以外のもの、「創造の動き」以外のものを求めていたから)動きが始まりました。
彼等は、シンプルで心地良く今まで慣れ親しんできた状態に留まることを求めていました。
しかし「神の目的が満たされること」は、それとは違うことだったのです。

だから驚くべきことが起こりました。 それは彼等が自分達の手で起こしたことではありませんでした。 理不尽に思えること、人間の感覚からは正当化出来ないことが起こっており、その聖なるイベント(出来事)が何なのか彼等にはまだ明確に理解出来ていません。
そして「二つのステップ」を行い「聖なる瞬間」を持った人は全員このような体験をし始めるのです。

私がこの話をしているのは、このスーザンとポールの体験が『あなたが自身の思考を放棄して、自分の現在の定義を超えて「何が真理か?」知りたいと願う真摯な好奇心と共に「父」に譲った時、あなたに与えられる満たされる体験』を確約(実証)しているからです。

(あなたの理屈を超えて行く)この動きが起こり始めたなら(たとえ、これがとても素晴らしく聞えたとしても)、あなたは居心地悪く感じ始めることでしょう。
何故なら、あなたはこれらの動きを自分では起こしてはおらず、その責任を取ることも出来ないのだから。 しかしあなたは物事に対して責任を取るように条件付けられて(躾けられて)おり、それ故に「このような状態のあなたは怠慢で、何か間違いを犯す可能性がある」という考えがあなたの中に沸き起こってくるのです。 するとどうなるでしょうか?
これが、(目覚めを求めている)あなたの中で、(「私は二つのステップをしましょう」と言った)あなたの体験の中で起こっている「神の動き」を阻止しようとしてしまうのです。

しかし、そうではなく、
「私は聖なる瞬間を実践したい。」 「私は神の法が成り立っている場所の中に居たい。」
「私は神の意志がなされている場所に居たい。 神の意志が未来になされるだろう場所ではなく、神の意志が過去になされていた場所ではなく、 神の意志が今...今...今なされ続けている場所に居たい。」
と言い続けるべきなのです。

解りますか。 神の意志が行なわれている各瞬間、それぞれの瞬間(場所)にあなたは行くべきなのです。

しかし、上記の居心地悪さを感じ始め、罪悪感に襲われ始めると、あなたは今まで慣れ親しんできた思考に戻ってしまうのです。 すると、あなたは(あなたが考える限りにおいて、あなたの信念の限りにおいて)バランス(均衡)のとれた状態に戻ろうとするのです。
そして思考し出した途端に、あなたはリアリティとの繋がりを放棄してしまうのです。
あなたは、あなたが寝ている(あなたの息子がそのドアを叩いている)ベッドルームから注意をそらせてしまうのです。
そうしてあなたは、夢の中の仕事場に戻って、そこでドアを開けて正しい振る舞いをしようとしてしまうのです。

しかし、そうしてる間あなたはリアルなことには全く対処していないのです。 そこで(あなたの夢の中で)起こっていることは、何らかの必要を訴えて朝の四時にドアをノックしているあなたの息子の助けになることではないのです。
あなたは(そこでは実際には何も起こっていない)想像の世界に対してではなく、リアリティに反応するべきなのです。

このように夢を引き合いに出している時は注意が必要ですね。
何故なら、あなたが毎日朝起きて体験している事こそ(最低限でも)夢的な体験なのだから。
それは(あなたが心から信じている、そしてそれに従ってあなたが自分を律している)誤認識に満ちています。
これは、夢の中であなたの仕事場のドアを開けてみることに等しいのです。 しかし、そこでは何も起こっていないのです。

しかし、あなたが実際に直面しているのは(夢の中の仕事場ではなく、孤児院の宿舎でもなく)天国なのです。
あなたが直面しているのは常に、無数にある父の豪邸のひとつなのです。
それが「神」のレベルで起こっていることなのです。
それが(それ自身の原因であり、そのイベント/現象である)「マインド」のレベルで起こっていることなのです。

「マインド」とは、 「父の意志があなたの意志として認識されている場所」へとあなたが自分の意識をシフトしていること、そして『(あなたが抱いている)この意志こそが父の意志だ、この意志の幅と深さと範囲が「神」の全能の力を現しているのだ』とあなたに疑いなく解っていることなのです。 {この状態が、『それ自身の原因であり、と同時に、そのイベント/現象でもある「マインド」』に成っている、と言うことなのです。}

そしてあなたは、この意識体験の中でリラックスすることが出来ており、この意識体験をあなた自身のものとして受け入れることが出来ているのです。 何故なら、あなたはこれを体験しており、(これ以外のどのような独立的行動をもしようとは考えずに)これに決意/信心を与えているから。


そして次が私の言いたいシンプルな事なのです。

実際に起こっている事は一つだけで、それは天国なのです。
その天国をあなたは、クリアに見ているか、でなければ、曇りグラスを通して歪めて見ているのです。
曇りガラスを通して天国を見ていた場合、あなたは真実でないことを信じており、あなたは真実に対する自分の無知故に苦しんでいるのです。
しかし、「あなたが誤認識しているもの」は真理(リアリティ、創造、神の現れ)なのです。
だから、もしあなたがそれらを体験したければ、あなたの混乱や苦しみから抜け出たければ、あなたは自分の注意を「あなたの息子がノックしている場所」(ここでは、この言い方をしてみましょう)に与えなければいけないのです。 
あなたは、自分の注意を「神が全てに成っている場所」/「神の法がなりたっている場所」/「神の意志がなされている場所」に与えなければいけないのです。
何故なら、そこで光が灯るのだから。 そこで(各イベントのリアリティをあなたに教えている)明晰があなたにもたらされるのだから。  そこで「創造」のリアリティが明かされ、あなたが十全な感謝と、畏怖(聖なる驚き)の念を持って、それを迎えることが出来るようになるのだから。

あなたの「マインド」を変容させることによって、新しくなりなさい。
これは「二つのステップ」と(それがもたらす)「聖なる瞬間」によって達成されるのです。
これは、聖なる瞬間の中に留まって「神の知覚」を呼び入れた結果として起こることなのです。
『あなたのマインドと「神のマインド」がひとつに成る体験(そして、そのひとつのものが「神のマインド」なのです)』を呼び入れた結果として、これが起こるのです。

いまが変容の時なのです。 「あなたが体験している全てのこと」を変容させる体験を、いま持つべきなのです。 そして、あなたは「自分がここにいるとあなたが考えている所(夢の中)」からそれに対処しようとすることを止めなければいけません。
あなたは、自分の最上の定義から物事に対処しようとすることを止めなければいけません。

あなたが体験している全てのことは、あなたの解釈とは全く違った在り方で存在しているのです。
その結果あなたは、リアリティと衝突してしまい、それに対して無駄な抵抗をしてしまい、それに合わない行動を起こしてしまいます。 何故なら、あなたは「リアリティに対するあなたの定義」を元に反応しているのだから。

あなたは、日々の全てのことにおいて、満たされる体験を実感出来るように成るべきです。
それがあなたの生得権(当然の権利)で、それが我々の話している全てなのだから。



そして、「マインド」がそれ自身の原因であると同時にそのイベント(出来事)なのです。
あなたとあなたの父はひとつで、その「ひとつのもの」が父なのです。
あなたの意志とあなたの父の意志はひとつで、その「ひとつのもの」が父の意志なのです。

リアリティはリアリティの中で起こっており、リアリティに対するあなたの誤解の中で起こっている訳ではありません。
しかしあなたは、リアリティに対する自分の誤解をリアリティの中に持ち込もうとし続けています。
そして、リアリティの一要素に対して誤解することは、リアリティ全てを誤解することなのです。
この単一性がいつでも成り立つのです。

そしてあなたが求めるべきは、単一性を単一性として体験すること(「ひとつのもの」を「ひとつのもの」として体験すること)なのです。 それが(否定し得ない)満たされる体験をするということなのです。
毎日の生活の中で、「神が成っている」全てを、そしてあなたの直面している全ての意味を、体験出来るよう願いなさい。
そして、それを(この体験を)あなたのその時の(日常/通常の)知覚の中に求めることは止めなさい。

これは(単一性を単一性として体験することは)例えば、「自分はここに居るのだとあなたが考えている場所/状況」から潜望鏡を出して(実際にあなたのいる)天国に突っ込み、誰か光明を得ている者が、あなたの居るこの場所/状況に対する真理をあなたに示して見せることにより、あなたの「マインド」が変容して、全てが成就(満たされること)として見えるようになることなのです。 そして確かに全てが成就なのです。

そしてあなたがこの満たされる体験をし始めたなら、あなたの友達や知り合いが「あなたに何が起こっているの?」と訊ね始めることでしょう。
そして彼等もそれに気付くべきなのです。彼等自身が自分達の好奇心を自分達の体験に対して発揮し始められるように。 

さて、ポールとスーザンとファウンデーションの移動に関する「動き」は継続し続けています。
そして(「二つのステップ」を)実践している人達の動きも、していない人達の動きも、継続し続けているのです。
そして、これらの動きに対する祝福も継続し続けています。

人々が自身の最上の定義を「動きの意味(動きの内実)」に当て嵌めようとする事を止めて、「動きの意味」と共に居られるようになれば、「動きの意味(内実)」がそれ自身を全ての人達に明確に示し始めるのです。

だから、あなたが自分で分析/解析して理解しようとするのは止めなさい。
理解しようとするのは止めて、「父よ、ここの意味は何ですか?」と訊ねなさい。
そして、口を(思考を)閉じて耳を澄まし、「成就の動き(満たそうとする動き)」があなたに解るようにするのです。 すると、あなたのする全てのことが成就を示すようになり、それが(ドミノ倒しのような)連鎖反応を起こし、あなたの周りの人々にも影響を与えるのです。

もう一回言いましょう。
あなたが父に「ここの真理は何ですか?」と訊ね、それから真摯に静かになり、注意深く聞いたなら、あなたに答えが与えられます。

そして私が言いたいのは、「これは知性的(論理的)な答えとしてだけ示されわけではない」ということです。 この答えは、あなたの人生を変革する「動き」の波としてくるのです。
その動き(変化)は、『「良きこと」を作るあなたの一人の能力』を遥かに超えた「良きこと」を示すものなのです。
このぐらいシンプルなことなのです。

今夜は、上記のアイディアを言って終わりにしましょう。
あなたには、このアイディアと共に居て欲しいのです。 このアイディアがあなたと共に居ること許可しなさい。
このアイディアがあなたの注意/意識にインスピレーションを与えるでしょう。

覚えておいて下さい。 あなたは自分達が物理的な世界/宇宙に住んでいると考えています。
しかし、ここは本当は天国なのです。
物理的世界の中で起こっている現象は、物理的世界の中にその機縁(はじまり)を持っている訳ではないのです。
それは(「物理的世界として見えているもの」の中で起こっている現象は)天国から起こっており、天国として起こっているのです。 例え、あなたがそれをどのように誤解したとしても。

そしてあなたがするべきことは、「その誤解(誤った解釈)」と「その誤解に対するあなたの信心」を捨てることなのです。
これが、あなたのマインドを変容させるのです。
これが、全体性/ワンネス(一体性、ひとつであること)/単一性なのです。

あなたが目の前の全てを「神」にして行くに従い、全てが全体性/ワンネス(一体性、ひとつであること)/単一性として現れだすのです。

I love you all.
来週もまたお会いしましょう。


「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはその様なものだから。 
貴方と同等の方が既にこのギフトを貴方に差し出したので、これらの資料が貴方に提示されています。 Raj の指示により、これらの資料が売買される事はありません。 この機関「Northwest Foundation for A Course In Miracles」へ募金される場合、下記のWEBサイトを通して行なうか、あるいは下記の住所に郵送して下さい。
(この日本語翻訳はNWFFACIMの運営には直接関与していない一個人が行ったものです。)


A Course in Miracles Study Group with Raj, August 28th 2010
© by The Northwest Foundation for “A Course in Miracles” a non-profit corporation.
All rights reserved
PO Box 1490 / Kingston, WA 98346-1490 / USA
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
Website: http://www.nwffacim.org
E-Mail: paul@nwffacim.org



テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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No title

またACIMの訳をしてくださって嬉しいです^^
わーい☆

星さん

わーい。

読んでくださって、嬉しいです。

No title

ここにもそれを祝福してる者がおりますゾ。

もりGさん

もりGさん、ありがとう!

プロフィール

翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

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