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ACIM10-09-11

September 11, 2010 ©NWFFACIM
2010年 9月 11日

原文テキスト
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=29944&mid=143863#M143863
オーディオ&ビデオ
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=29928&mid=143826#M143826

今晩は、ようこそ。

宗教の本来のリアルな意味は愛です。
どのような宗教を信じていたとしても、人が愛の体験をしたなら、彼/彼女は自分に聖なる役割があることを発見します。
その聖なる役割とは、「愛の現れ」に成ることです。

簡単に言えば、これが真の宗教の中心であり周辺なのです。
聖書にも「完璧な愛が怖れを投げ捨てる。」と書かれています。 “Perfect Love casteth out fear.”1

そして皆さんもご存知のとおり、あなた達の世界では怖れが勃発しており、怖れが人々を破壊的な(反社会的な)行動に追いやっています。
問題は、怖れが人々の注意を奪ってしまう事なのです。
それが少しの怖れでも、多くの怖れでも、怖れは常に注意を強引に奪い取ってしまいます。
怖れは常にあなたを捕らえ、あなたを縛り付けてしまいます。
怖れは、あなたの注意を怖れに引き付け、『「自身を恐れから解放する」あなたの能力から』あなたの注意を引き剥がしてしまいます。

事実怖れは、生き残りの道具としてそれ自身をあなたの前に現すのです。
怖れは「あなたの健全の為にそれが(怖れが)必要不可欠だ」と言うのです。
怖れは、怖れが(怖れの使用が)あなたを安全に保つだろうと言うのです。

「もしあなたが全く怖れなかったなら、あなたは危害から自分を守ろうとはしなかったでしょう。」 {怖れがそう言うのです。}

上記の文はとても理屈に適っているように見えますが、これは「あなたの中には基本的な知性が備わっている」という事実を全く無視しているものです。
あなたが何歳であろうと、あなたの経験がどのようなものであろうと、あなた達一人一人には基本的な知性が備わっているのです。
この基本的な知性があなたを安全に保つ方法を(そう必要がある場合)あなたに提供するのです。

人は誠実であるために、怖れの状態に入る必要はありません。
それは全く不必要なことです。 しかし、怖れの体験はあなたをこの事実(「人は誠実になるために怖れを必要としてはおらず、怖れは不必要なものである」)から遠ざけてしまうのです。

今晩のテーマは「神のギフト」です。

聖書の別の場所には「何故なら、神は怖れのスピリット(霊)をわたし達に与えず、力のスピリット(霊)と愛のスピリットと正気のスピリットを与えたのだから。」と書いてあります。
“For God hath not given us the spirit of fear; but of power and, of love and, of a sound mind.”2

では「正気(健全なマインド)」とは何でしょうか?
正気とは統合されているマインド(誠実なマインド)のことです。
より正しくは、合一の状態(ユニティー)にあるマインドが正気なのです。
だから正気には分裂がなく、正気はそのユニティー(合一状態)の安全以外を感じることは出来ないのです。 これが正気(健全なマインド)というものです。
これが「神」がわたし達全員に与えたものなのです。

そして怖れはあなたにこれを忘れさせてしまうのです。 するとあなたはギフトを無視してしまうのです。
怖れは常に罪悪感と共に現れます。 あるいは、怖れは常にあなたに罪悪感を植え付けます。
罪悪感を感じることは(罪の意識と関連付けられている)懲罰への怖れをあなたに与えます。

だから怖れは、破壊的な思考への逃れられない(と見える)吸引力へあなたを縛り付けてしまいます。
怖れは、あなたを混乱させ怖れや不安を与え、(事実には全く根ざしていない)想像の中でのたうち回らせるのです。
これもまたあなたを、もう一つのギフト=「力」から遠ざけてしまいます。

さて「神はあなたに、力と愛と正気のスピリットを与えたのです」。
この力は、プライベートな力ではありません。
これは、「神の現れ」と「神の力」があなたの中に表現されることなのです。
これは「神の現れ」の力をあなたに浸透させるのです。 あなたはこのようにして健全なマインド(正気)のユニティー(合一/一体性)を体験するのです。

これは何かに対抗する力ではありません。 これは{神の意志に反して何かを動かす}力は要らないという認識なのです。
何故ならあなたが自分の「マインド」のユニティー(一体性)の安全内に居る時、つまり「存在(存在すること)」をあなたが意識体験している時、そこには分裂/反対/抵抗がないので、そこには、あなたを脅かすようなもの(防御を必要とさせるもの)は存在していないからです。

私がこの主題について話しているのは、今日が9月11日だからではありません。
今日が{過去に}多くの怖れを引き起こした日だからではありません。
世界のコミュニティーに多くの誤解を生じさせたイベントがあった日だから、私が今日このことを言っている訳ではありません。 本来敵ではない人達が、敵であるとみられ、彼等に対する防御の必要が言いたてられ、それによって不安や怒りや報復が噴出したからではありません。
いいえ、私がこのテーマについて話しているのは、そのような理由からではありません。

あなたが宗教の本当の意味を体験し始めたなら、ア・コース・イン・ミラクルズが教えている本当の意味(内容)を体験し始めたなら、あなたは自分に役割があると理解し始めます。 今まで気付いてこなかった役割が自分にあることをあなたは発見するのです。 
だから私は今夜この話をしているのです。

その目的(役割)とは、あなたが自分の兄弟{姉妹}の救済者(Savior)に成ることです。
怖れと対面した時必要になるのはこれなのです。
怖れの状態は、あなたが自分の役割を思い出すことを求めているのです。
そして、あなたの役割とは「神のギフト(力のスピリット、愛のスピリット、正気のスピリット)」を楽しむことです。 

それは何故でしょうか?
それは「怖れの扇動を感じ続ける必要」をあなたが放棄した時、あなたは平和の「現れ(プレセンス)」(平和を現しているもの)になるからです。
その時あなたは「兄弟姉妹に彼等自身の中にある怖れを放棄するよう」インスピレーションを与える「現われ(プレセンス)」に成るのです。
あなたの役割は「神」を反映すること(「神」照らし出すこと)です。 基本的にはそれだけなのです。

これはあなたが道徳家(社会規範に合致した人)に成ることを意味しているのではありません。
これは、あなたが『「誠実/統合を輝き出させている者」の有効で真摯な現れ』に成ることを意味しています。
リアルな誠実(統合)が輝き、「あなたが注意/意識を与えている全てのもの」をそれが(誠実/統合の輝きが)祝福するのです。

あなたの役割は「神」の代弁者に成ることではなく、「あなたで在るもの」を現すことなのです。 そして「あなたで在るもの」が「神」の確証なのです。
あなたは、このような平和と(健全なマインドの)安定の体験、そしてそれに付随する力の体験をするために、ここに居るのです。
それは何故でしょう?  
何故なら、それ以外にするべき事は何も無いからです。

そして、あなたがそれを抱擁し体現したなら(受け入れ表現したなら)、それによってあなたの兄弟姉妹も祝福されるのだから。

あなたがこの能力(平和と安定に成る度量)を持っているなら、この能力があなたへ与えられている「神からのギフト」なら、『「神」が全ての瞬間において「あなた」に成っていること』が「これらのギフト」をあなたのものにしているなら(そして、それが真実なので)、怖れが言いたてられている限り、あなたの役割は、そして全ての人の役割は、怖れを和らげる「現われ」に成ることなのです。

「私は彼の怖れを軽減したくなんかない。 彼は誰の怖れも軽減させていないではないか。 彼は問題ばかり起こしている。 彼は馬鹿者だ。 彼にはイライラばかりさせられる。」
このように、あなたがこう宣言して(考えて)いる間、あなたはイライラを増強させており、あなたは怖れの火を焚きつけており、その時あなたは平和の使者には成っていないのです。

「誰も平和の使者なんか求めていないよ。 誰だって時には少し競争したくなるものさ。 それでこそ人生だ! それこそ生気みなぎる生き方さ!」
しかし、違うのです。 
あなたの役割は、あなたの源を反映する(照らし返す)ことなのです。
「この瞬間あなたに成っているもの」が示し出されことを許可するのが、あなたの役割なのです。

さて、「これを自分の兄弟姉妹のためにする度量を自分は持ち合わせていない」とあなたは考えているかもしれません。
しかしその場合、あなたは「これを自分のためにする度量も自分は持ち合わせていない」と考えてしまっているのです。

ここで私が言おうとしている事は、
(あなたが上記の様に考え振舞っている場合)あなたは「自分を解放する能力」や「怖れの施行(とそれに対する固執や耽溺)を放棄する能力」をまだ見つけていないのです。 あなたは、まだ恐れから注意/意識をそらせることが出来ておらず、怖れを反芻し続けており、怖れに形を与え続け、恐れをとてもリアルにし続け、それを正当化し続けることがまだ止められていないのです。 {そして、上記の様に考え振舞っている限り、それを止める事が出来ないのです。}

だから私は、「たとえ今怖れを懐いていたとしても、あなたは怖れを脇にどける方法を持っている」と言っているのです。
あなたはこの方法(怖れを解除する能力)を持っており、これを行なうことがあなたの役割なのです。

あなたの使命は、「神とは似ても似つかないイメージ」を神の表現として表すことではありません。
『あなたの居るここに「神が居る様子」』を表現することだけが、あなたの役割なのです。

「神聖なあなた」を意識的に表現し、それに伴う成就(「神聖なあなた」の表現から切り離すことの出来ない全体)を十分に楽しむことがあなたの役割なのです。
{「神聖なあなた」とは「分離していないあなた」です。}

そしてあなたの不死身(不可侵/怖れに影響されない様子)があなたの本質なのです。 「神のギフト」であるこの力/愛/正気を喜び体験する為にあなたはここにいるのです。

これは、『ここに(神の外に)居る卑小なあなた』に「神」が力/愛/正気を手渡す、ということではありません。
『「神」から分離しており、「神のギフト」を受け取ることが出来る』とあなたが考えている存在は、実際には「表現された神」(「既に神である存在」)なのです。

だから、愛/力/正気はあなたの中にあなたとして既に確立されているのです。
この体験を妨げてしまうのが「怖れ」なのです。
この体験を取り戻すことが、そして怖れの暴威から自由になることが、あなたの生得権(持って生まれた権利)なのです。

あなたが罪悪感を感じている時、あなたは怖れを感じています。
そして、あなたが怖れを感じている時、あなたはどこかで(何かに)罪悪感を感じているのです。
だから、あなたが罪悪感か怖れのどちらかを感じていたなら、あなたはそれらが正当化されている(成立している)と考えており、だからそれらに逆らって否定することが出来ないでいるのです。
しかし、あなたは怖れの真っ最中に「神がこれを私に与えたのか?」と聞く必要があるのです。
答えは、もちろんノーです。 何故ならそれは「神のギフト」では全くないのだから。

「神」がそれをあなたに与えなかったのなら、それはリアルなものではありません。
それは間違った信念だったのです。
それはあなたが自身の信頼を与え、衣を与えた(とても馬鹿げた)空想だったのです。

そして、あなた達全員は怖れの真ん中で静か(冷静)になる方法を持っているのです。
もしあなたに子供がいて、その子が夜中に悪夢にうなされて泣き出したなら、その子にとって必要なのは、静かに冷静になることです。
だから、あなたはその子の意識が静まるように努力します。
そして、怖ろしく見えた事に注意を払う必要は全くないとあなたは気付いています。
何故なら、「恐ろしいもの」は全く存在していなかったのだから。

同様に、あなたが怖れに取り付かれてしまったなら、「それは本当は全く怖ろしい事ではない、何故ならそれは神から来たものではなく、したがって、それは空想なのだから」とあなたは自分に思い出させる必要があるのです。
それを思い出したなら、その時点でまだ怖れに捕まっていたとしても、あなたはシンプルなことが出来るようになります。
それは、あなたの体の全細胞が「あなたはこれに対処しなければいけない。あなたはこれを無視する訳にはいかない。この問題は深刻すぎる。」と叫んでいても、静かに座ることです。

怖れの主張はウソなので、それに取り合うべきではありません。
あなたは座って、深くゆっくりと呼吸して、自分の注意を呼吸に与えるのです。 あるいは、ゆっくり息をしながら瞑想しなさい。

これを行なったなら、怖れとその金縛りは溶けて、あなたは平和を体験している自分を発見するでしょう。


そしてこれを初めて体験している時、あなたはとても混乱する事でしょう。
何故なら、とても怖れしい事がまだ解決していないのに、このようにリアルな平和を体験することは理に適っているようには見えないから。

しかしここでの素晴らしい学びは、瞑想や呼吸へ注意を与える事により平和を選び、この平和の体験を自分に許可したなら、あなたは自分が「(クリアに見て問題にどのように対処するべきか解る)マインドの枠組み内」に居ると気付く事です。

何故なら、その時あなたは怖れから行動しているのではなく、あなた本来の知性の平和の中で真理が明確になっており、答えが明確になっているから。

この平和の中で、「神」が毎瞬あなたに成り続ける事によりあなたの中に置いている「力/愛/正気」が、「あなたは二度と圧倒的な怖れに屈服してしまう必要がない」と示すのです。
そして、あなたが「自分の存在を突き動かす力(動機つけ)」としての怖れを手放す気になれたなら、あなたは「自分で作る必要のない動機」が既に存在していることを発見するでしょう。
(「マインド」が誠実であり「マインド」がユニティである故に)「力」である「マインドの現れ」が健全なマインドで、この健全なマインドにより支えられている「愛」の突き動かす力(動機)があなたの中に既にあることが理解出来るでしょう。
これを体験することがあなたの持って生まれた権利なのです。

怖れの真っ最中であなたがあえて静かに成って、この(「力/愛/正気」の)体験をしたなら、あなたは自分が今までとは違う振る舞いをしている事に気付くでしょう。
そうなれば、あなたは「兄弟姉妹が怖れに縛り付けられてそれに支配されている時に、彼等自身の自然な知性(平和の中で)を失っていること」も理解出来るようになります。
平和の中で(平和な落ち着きを持つことが出来たなら)、あなた(そしてあなたの兄弟姉妹)本来の知性が、「怖れに基づいた動機に突き動かされている(ように見えている)事態」に対する答えを提供できるのです。

(しかし現時点では)あなたはこの大きな怖れが、安全を得る自然な資源であり、それ無しでは安全も知性も得られないと考えています。
しかし知性的な体験へ到達するには知性の道筋を通る必要があります。
そして知性的なことを行い、知性に成ることがあなたの役割なのです。

そしてあなたの兄弟姉妹に対してこれを行なうことが、あなたの役割なのです。
「神のギフト」(力/愛/正気のギフト)を発見することによって、あなたの兄弟姉妹を安心させる方法を探すのがあなたの役目なのです。 
だから、これは頭で考えるだけのもの(想像力だけのもの)ではないのです。
これは例えば、物事が上手く働いていない時にあなたがハッピーな思考を作り上げて自分を慰めることとは違うのです。
これはあなたが主張するべきことなのです。 私には、これ以上クリアに言うことが出来ません。

「あなたを飲み込んでしまおうとする怖れ」を手放すためには、あなたはハッキリと主張しあなたの平和を選択しなければいけません。 怖れの奔走を止めるよう選択し、深呼吸するのです。
呼吸し続けることを忘れないで下さい。 とてもシンプルなことです。
そしてあなたの注意を呼吸に与えなさい。

しかし、あなたが既に怖れに飲み込まれている場合、これをするにはある程度強力な意図が必要になるのです。
だから、それを行なってあなたの平和の中に入って行きなさい。 何故なら、自分の平和の中であなたは答えを見るのだから。

あなたが怖れに飲み込まれている場合、そうなってしまった根本的理由は、「(あなたのためには)答えが存在していない」とあなたが信じているからなのです。
しかし事実は全く違うのです。 
でも、あなたが自分の平和を選ぶまで、この答えはあなたには理解出来ないのです。

だから、これを学んでいる時あなたは、兄弟姉妹がこの同じことを学べるよう手助けをする義務があるのです。 {兄弟姉妹の理解/学習を助けることにより、あなたは学ぶのです。}
もし彼等があなたを怖れているなら、あなたは彼等を安心させる方法を発見するのです。
そしてあなたは必要な活動をするのです。 その時必要とされている、活動的な関わり合いか、あるいは静かな優しく粘り強い勇気付けか。 そこで必要とされている適切なことをするのです。

「彼等にそんなことをしてあげる必要は無いでしょう。 どうして私がそれをしなくてはならないのですか?」 
その理由は、それがあなたの役目だからです。 その理由は、それが本当のあなたのだからです。
そして、それを同胞に与えられるように成るためには、あなたはそれを自分に与えられるように成らなければいけません。 これは素晴らしいことです。
これは何と実際的な(有用な)ことでしょうか。
これを(このようなコミットメントを)あなた自身に与えることは、何と知性的なことでしょう。
これはなんと素晴らしいこと、何と赦しに満ちたことでしょう。

もし怖れがリアルでないなら、罪(罪悪感)もリアルではないのです。
覚えておいて下さい、恐れと罪(罪悪感)は一緒にやって来るのです。
何故それらが存在しているように見えるのでしょうか?

それは、あなたが自分の源から自身を引き抜いてしまったからです。
そしてあなたが自分を自分の源から引き抜いた途端、あなたは自分を無防備で傷付き易く感じ始めるのです。
理性的ではない選択、間違った選択、「あなたには成し得ないこと」をあなたが成し得たと信じる選択がされたので、あなたは自分が攻撃に晒されている(攻撃されるかもしれない)と感じるのです。
だからあなたは罪悪感を感じそれから怖ろしく感じるのです。
あるいは、怖れを感じそれから罪悪感を感じるのです。

怖れの真ん中であなたが瞑想して(静かになって)、(リアルに正当化出来るように見えている)怖れが消えて行くことを見たなら、恐れと共にあった罪悪も一緒に消えて行くことをあなたは見るでしょう。 
そうなれば、あなたは健全なマインドを体験していると言えるのです。

健全なマインドは、怖れによって細分化されていないので、引き千切られ歪められていないので、その中にはカオス(混沌)が無いのです。
そして健全なマインドこそが、父があなたに与えたものです。
父は、怖れや罪悪をあなたには与えませんでした。

今、私は優しく話しかけています。 私は大きな声で叫んではいません。
私はこれを無理矢理あなたの喉に押し込んではいません。
私はあなたのモーティベーションを上げようとして興奮させているわけでもありません。

知性(intelligence)とは、その時あなたに自然と(突然と)沸き起こってくることだと、私は言いたいのです。
あなたは「愛に溢れている者」を体現するべきなのです。 それがあなたに「神のギフト」(それはあなたの中に「神」が現れていることです)が現れ出ていることを発見させるから。
これが完全に理性的で完全に正気な振る舞いなのです。

さて、これには活力的意図と粘り強さが必要である、と私は言ってきました。
あなたを奮い立たせるようなことをここで私が言うことも可能でしょう。
しかし、それは長持ちしません。

あなたが意識をシフト出来るように、優しくシンプルにシフトしてそこから後戻りしてしまうことが無いように、私はソフトに優しく勇気付けるように話しているのです。
あなたは、あなたに関する真実を知る必要があります。 あなたに関するその真理は、とてもノーマルで、とても日常的で、それは常にあなたの手の届くところにあるのです。
あなたのオフィスに居る人や、ご近所の外国人や、他国にいる人があなたのことを怖れているなら、あなたには任務(仕事)があるのです。

そのあなたの役割は、彼等と信頼や敬愛や正気や力の現れ(つまり侵されようのない尊厳)を分かち合い、彼等をリラックスさせられる現れ(プレセンス/存在)に成り、「怖れるべき必要は全く無い」と彼等に知らせることです。
そしてもし彼等がとても怖れているなら、彼等にとって怖れを直ぐに手放すことが難しかったなら、(あなたと彼等の)この関係が癒やされるまで諦めず継続する熱意をあなたは持とうとするのです。

世界の中で、家族の中で、コミュニティーの中で、癒しが必要とされています。
そして癒やしは「神のギフト」を尊ぶことから来るのです。 
もし「神」があなたに怖れのスピリット(精神)や罪悪のスピリット(精神)を与えておらず、力と愛と正気のスピリット(精神)を与えているなら、あなたは世界を変容させる尊い要因に成ることが出来るという認識を持つことにより、「神のギフト」が尊重出来るように成るのです。

そして、あなたは完全に利他主義的(自分を犠牲にしている人)に成る必要はないのです。
今すぐ外に駆け出してこれを誰かのためにしなさい、と私が言っている訳ではありません。

怖れを体験することはあなたの持って生まれた権利ではありません。
罪悪を体験することはあなたの持って生まれた権利ではありません。
だからあなたは怖れから自分を引き抜くために必要な時間を掛けて良いのです。
怖れと罪悪のリアリティとして見えているものが溶け出してしまい、クリアなマインドが修復されるまで、(その中で愛が容易になる)正気が修復されるまで、あなたは待って構わないのです。
あなたはそうする権利があります。

あなたがこの体験を自分のために受け入れられるようになるまで、この体験を他者に分け与えることは出来ないでしょう。 あなたがこれを自分で体験するまで、「これを他者と分かち合い、分かち合うことによってそれを自分のものとすること」はまだ出来ないでしょう。


これは重要なことです。
怖れが世界の出来事を支配し続けてしまうのを止めることが重要なのです。
もうそのような支配は溶け去って行くべき時なのです。
しかしそれは、より多くの怖れを与えて、実際には恐れて居る人々を怖れていないかのように振舞わせる力が存在しているからではありません。{無理矢理怖れを閉じ込めてしまう力が存在しているからではありません。}
真摯な「愛」の抱擁がそれをするのです{怖れという誤解を解除するのです}。

これは重要なことです。
来週またお会いしましょう。

1Bible, 1 John:4:18, 22 Timothy 1:7
1聖書ヨハネ1 4:18、 2テモテ2 1:7

「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはその様なものだから。 
貴方と同等の方が既にこのギフトを貴方に差し出したので、これらの資料が貴方に提示されています。 Raj の指示により、これらの資料が売買される事はありません。 この機関「Northwest Foundation for A Course In Miracles」へ募金される場合、下記のWEBサイトを通して行なうか、あるいは下記の住所に郵送して下さい。

この日本語翻訳はNWFFACIMの運営には直接関与していない一個人が行ったものです。

A Course in Miracles Study Group with Raj, September 11th 2010
© by The Northwest Foundation for “A Course in Miracles” a non-profit corporation.
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PO Box 1490 / Kingston, WA 98346-1490 / USA
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
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テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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Author:翻訳 岡上
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