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ACIM2010-10-02

October 2nd, 2010 ©NWFFACIM 2010年 10月 2日

原文テキスト
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=30015&mid=144117#M144117
オーディオ&ビデオ
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=30007&mid=144081#M144081

A Course In Miracles (参照ページ)
第16章 – セクション – SPECIALNESS AND GUILT(特別性と罪悪)
Sparkly Book – p390, Last Par.
JCIM – p164, 3rd Par.
CIMS – p. 328, Par. 47
第 16章 – セクション – THE CHOICE FOR COMPLETION(完了の選択)
First Edition – p. 318, 1st Full Par.
Second Edition – p. 342, Par. 5


今晩は、ようこそ。  

あなたの喜びを失う一番早い方法は何でしょうか? あなたの喜びを失う唯一の方法は何でしょう? 答えはとてもシンプルです。 
それは「特別な関係(スペシャル・リレーションシップ)」に入ることです。

わたし達は特別な関係について長いこと話して来ました。
これに対して定義を与えるとすれば、
「特別な関係」とは、お互いに「自分達が誰か」理解していない状態で築いている関係のことです。
それは「自分達が神の息子/娘であること」を忘れてしまっている時にあなた達が築いている関係です。
それは自分達の「在り方」、そして自分達に関する全てが神聖であること(全てを包括していること)を忘れてしまった人達が築いている関係です。

(特別な関係内に居る)人々は、「自分達は今まで教えられて来た通りの存在なのだ」と考えているのです。
自分達は、今現れている体そのものなのだ、この惑星の現状の上に現れた生物なのだ、偶然出来た子孫なのだ。 そして生命と呼ばれている偶発的状態を耐え忍ばなければいけないのだ。 そこでは何も確かなものはなく、全てのものが(少なくとも可能性としては)脅威/危険に成り得るのだ。(と考えられています。)

本を読みましょう。

[To everyone Heaven is completion. There can be no disagreement on this, because both the ego and the Holy Spirit accept it.]
[全ての人にとって天国は完成/完了です。エゴと精霊の両方がこれを受け入れているので、これに関して論争が起こる事はありません。] 

精霊があなたの神聖です。 あなたがエゴと戯れている間、あなたのために保管されているあなたのリアルなセルフ(自己)が精霊なのです。

だからここで、「エゴと精霊の両方がこれを受け入れているので」と言っている時それは、 現在あなたが「これこそ自分なのだと考えている存在」と「本当のあなた」の両方が天国が完了/完成なのだと受け入れていると言うことです。
あなたが(これが自分なのだと)主張している「エゴ」(つまりあなたがとても自信をもって主張している存在)と(真のあなたである、しかしあなたがそれを自分だとは認めていない)「精霊」は両方とも天国が完成/完了だと同意しています。

だから、あなたがこの言葉を読んでいる時「エゴと精霊は、お互いと全く関係のない分離したものなのだ」と考えるべきではないのです。
それらはあなたを示す二つの異なったものなのです。
それらは、物事を体験しているあなたを二つの異なった視点から示しているのです。 (それらは、二つの異なった視点からあなたにアイデンティティ/自己認識を与えているのです)。
上記のことが、ここで言われている言葉をシンプルにするでしょう。
これを見失わないで下さい。

[They are, however, in COMPLETE disagreement on what completion IS, and HOW it is accomplished. ]
[しかし、「完成が何か? それがどの様に達成されるのか?」という事に関してエゴと精霊は全く同意していません。]

そして精霊とはあなたの正気(正しいマインド)でしかありません。

[The Holy Spirit knows that completion lies first in union, and then in the extension of union.]
[精霊は、完成の為にまず合一(ユニオン、一つになること)が必要で、その後に合一を拡張する(差し伸べる)必要があると知っています。]

これが「二つのステップ」なのです。
(二つのステップを行なうため)あなは自分一人で行動し始めてしまう前に躊躇して、息を一旦止めてそれを整え、自分の思考/行動を中断するのです。 
そして「じぶんは物事を良く知っている、何が本当に起こっているか解っている」と考えるのではなく、「父よ、ここの真理は何ですか?」あるいは「精霊よ、ここの真理は何ですか?」とあなたは尋ねるべきなのです。

つまり、あなたが(これが自分だとあなたが考えているエゴが)その行動の途中でそれを中断し、エゴの物語のなかで「リアルなあなた」がその設定の中から手を伸ばし、エゴの物語の限定を打ち破って、あなたの父と繋がり「ここの真理は何ですか?」、あるいは聖なる存在としてのあなたと繋がり「ここの真理はなんですか?」と言って、あなたが抱いて来た小さな視点の中により大きな視点を呼び込むのです。 そうすることにより、より大きな視点が広がっていくことを可能にするのです。

[The Holy Spirit knows that completion lies first in union, and then in the extension of union.]
[精霊は、完成の為にまず合一が必要で、その後に合一を拡張する(差し伸べる)必要があると知っています。]

「二つのステップ」の第一ステップは、合一(ユニオン、ひとつになること)を呼び入れることです。
ここの真理を知りたいと願うのです。 私の同胞に関する真理を、この状況に対する真理が何か知りたいと願うのです。
そして聞くのです。 聞いて、あなた自身がインスピレーションで満たされることを許すのです。 自身がスピリット/霊で満たされることを許可するのです。 

それが起こったなら、あなたが満たされたなら、インスピレーションが起こったなら、あなたは様々な事や人や状況を新しい視点と共に抱擁し(受け入れて)、合一を拡張するのです(ユニオンを差し伸べるのです)。
解りますか?

それに対して
[To the ego, completion lies in triumph, and in the extension of the "victory" even to the final triumph over God.]
[エゴにとっては、完成は勝利に依存しており、そして(神に対する最終勝利を含んだ)「征服」の拡張にかかっています。]

非常にドラマチックな表現ですね。

[エゴにとっては、完成は勝利に依存しており、]
これを壮大に複雑に考えすぎないで下さい。
ここで言わんとしていることはとてもシンプルなのです。

[エゴにとっては、完成は勝利に依存しており]
勝利とは何でしょう?
同胞に対する勝利でしょうか?
状況に対する勝利でしょうか? 逆境に対する勝利でしょうか?
いいえ。 ここでの勝利とは、人が「父よ、私は自分自身の見方で見てみたいのです。 父よ、私は自分の方法で物事を定義したいです。 父よ、私はあなたから、あなたの視点から離縁したいです。」と言った後に立ち昇ってくる(誤った)独立感覚のことなのです。

どのような意図を持ったとしても、この行為だけが、「神の全創造」の中で抱擁出来る、唯一達成可能な{分離的}勝利なのです。
そして、それさえも本当の達成は不可能なのです。

しかし、神の子の一人が「私はあえてそうしてみたい。」と言ったのです。
「私は物事を起こす権威者/責任者に成ってみたい。 責任者として自己を表現してみたい。
何故なら、私は神の子で、故に私はそうする能力を持っているのだから。」
これに関しては前にも話しました。 

だから、
[エゴにとっては、完成は勝利に依存しており、]

つまり、神からの離縁を求めていた「神の子」が、そのような離縁が起こったと自分を納得させ、今その様な存在として自分一人で独立して存在していると考えている状態、 それがここでいう「勝利」なのです。

(そして前にも言ったように)分離(独立)すると同時に怖れと罪悪が現れました。
つまり、人の存在が(人の聖なる在り方が)「あなたは不可能なことをしようとしている...あなたは不可能なことをしようとしている...あなたは不可能なことをしようとしている...あなたは不可能なことをしようとしている...今すぐ故郷に帰りなさい...今すぐ故郷に帰りなさい...不可能なことをしようと努力するのは止めなさい...不可能なことをしようと努力するのは止めなさい...」と言っているのです。

このように繰り返される(正気の)メッセージが不快感やイライラを起こし、それが罪悪感と怖れを呼び込んだのです。
しかし、その結果はどうなったでしょうか?
こうして起こった罪悪感と怖れが、独立した存在に成ろうとしていた神の子をより一層勤勉に働いて独立することに駆り立てたのです。
(分離を意図した)神の子は、一層の努力により怖れと罪悪を消し去り、平和を体験し、実際の独立独尊を確立しようとしているのです。


[To the ego, completion lies in triumph, and in the extension of the "victory" even to the final triumph over God.]
[エゴにとっては、完成は勝利に依存しており、そして(神に対する最終勝利を含んだ)「征服」の拡張にかかっています。]

つまり、父から完全に離縁してその上で平和を築き、独立した神の子がパーフェクトに成るように、パーフェクトに独立してハッピーに成れるように(エゴは頑張っているのです)。

「あなたが今やろうとしている事は止めなさい、あなたに出来ないことをしようとしながら安らかでいることは出来ませんよ。 故郷に帰りなさい。(既にあなたのものである)あなたの平和に戻りなさい。」というメッセージが誤用/誤解され、それらは怖れと罪悪として認識されてしまい、この神の子は故郷から一層遠ざかろうとして、狂気をより深めてしまったのです。
しかしこのメッセージは「本当のあなたに成りなさい(戻りなさい)。 そしてお互いとリアルな関係がもう一度築けるように成りなさい。」と言っていたのです。

もう一度読みましょう。
[To the ego, completion lies in triumph, and in the extension of the "victory" even to the final triumph over God. In this it sees the ultimate freedom of the self, for nothing would remain to interfere with IT.]
[エゴにとっては、完成は勝利に依存しており、そして(神に対する最終勝利を含んだ)「征服」の拡張にかかっています。 エゴはこの中に自己の最上の自由を見ています。 その理由は、{この様な勝利が得られれば}エゴに対して干渉するものがなくなるからです。 これが天国に対するエゴのアイディアです。]

立ち止まってこれについて考えてみなさい。
あなた自身のことを見返してみなさい。

自己の自由を(あなたの完全な自由を)獲得するために、あなたがどれだけの時間を費やしているか調べてみなさい。

『二つのステップを行い、あなたの独立自治を放棄し、あなたの父と繋がり直し、「あなたが誰か」思い出せるように成りなさい、あなたが自分の正しいマインドへ戻っていけるように、あなたの神聖をお預けにし続けることなく、それを精霊として認識出来るように』
と私が(初めて)言った時、あなたはそれを意欲的に受け入れられたでしょうか?

あなたはそうはしませんでした。

なぜなら、それは空虚なつまらない事に思えたから。
それは(あなたの持って生まれた権利である)存在の生気(自己の自由)に欠けているようにおもえたから。


[In this it sees the ultimate freedom of the self, for nothing would remain to interfere with IT. This IS its idea of Heaven.]
[エゴはこの中に自己の最上の自由を見ています。 その理由は、{この様な勝利が得られれば}エゴに対して干渉するものがなくなるからです。 これが天国に対するエゴのアイディアです。]

これがエゴの懐いている天国のアイディアです。 完全な独立の中で平和を築き罪や怖れから自由になること。 これがエゴの考える天国です。 

以前から言っているように、神の子が「私は自分のやり方で物事を見たいのです。私は離縁を求めます。」と言ったとき、彼/彼女は父なし子/母なし子に成ったのです。
彼/彼女は孤児に成ったのです。そして彼自身/彼女自身をそのように表現し出しました。


だから、わたしの父が数多くの屋敷(豪邸)を持っている神の大国(天国)の中の一屋敷が孤児院の寄宿舎のように見え出したのです。

私がこの例を挙げているのは、天国とはあなたが今居るここでしか在り得ないのだと皆さんに理解してもらいたいからです。
天国のど真ん中に孤児院(の幻想)があるのです。

『あなたは天国の中の輝く芝生の真ん中にいて、眼を細めながら、「パーフェクション(パーフェクトなもの)が見えない!」と言っている』と私は以前頻繁に言っていました。

「自分は全ての神聖なものから分離し完全に独立した存在に成れている」と信じるに至った人達は、しかし依然として天国の中にいて、その中でその様な体験をしており、その様なこと(自分が天国から分離できた)と信じているのです、と私は言いたかったのです。 
だから彼等は(あなた達は)、自分達の真の姿に対して無自覚な神の子供達なのです。

孤児院の中の者達が「自分達は天国的な体験を作るのだ、自分達の独立をより効果的に主張して調和と平和と罪無き清らかな体験を作るのだ」と言っているのです。
しかし、それもまた孤児院に対する一解釈にしか過ぎません。
それは天国を直接体験することでは無いのです。

だからエゴは、それ独自の天国のアイディア(概念)を作り出しているのです。
「神」からそれ自身を分離させたことにより、エゴは罪悪と怖れを常に体験しており。 だからエゴは罪悪と怖れを征服しようとして、そうすることを人生の目標にしているのです。

故に、
[神に対する最終勝利]の中にエゴは [自己の最上の自由を見ています。] 
[その理由は、{この様な勝利が得られれば}エゴに対して干渉するものがなくなるからです。 これが天国に対するエゴのアイディアです。]
これを孤児院の中で確立しようとしているのです。

[From this it follows that union, which is a condition in which the ego CANNOT interfere, MUST be hell.]
[このことから、合一が(それはエゴには邪魔することの出来ない状態なので)地獄に違いないと想定されるのです。]

合一(ユニオン)とは、人がその父と和解して、人の持って生まれた権利に対する明確な意識がその人のもとに戻ってくることなのです。
解りますか。 これが正反対に受け取られてしまっているのです。

だから皆さんがこぞって「二つのステップ」にいそしみ、自身の独立を放棄して「父の意志」に譲り、「父の意志」とそれを受け入れる無垢を体験しようとすることは今までなかったのです。
それは、あなた達の現在の見方(視点)の枠組み(条件付け)からは天国は望ましい状態には思えず、それが地獄に見えたからなのです。

皆さん「雲の上に座って永遠にハープを弾いて過ごそうなんて、だれが望むんだい。」という英語表現を聞いたことがあるでしょう。
誰もそんなことは望みませんね?
しかし、ここで天国に対して与えられているアイディア(色づけ)に注意してみて下さい。 {ここでは、天国は退屈に違いないと決め付けられていますね。}

いずれにしろ、特別な関係が有用でないだけでなく、それはあなたを動けなくし、正しいマインドに帰って行く(そして「愛」の本当の意味を体験出来るようにする)あなたの能力/機能を弱めてしまうことを理解する必要があります。

(「愛」の本当の意味が体験出来たなら)あなたは「愛」の証拠を見たいと願うだけでなく、あなた自身が「愛」の証拠になりたいと願い、その現実化(現象化)があなたの中で起こる事を全く妨げなくなるのです。


[The special relationship is a strange and unnatural ego device for joining hell and Heaven, . .]
[特別な関係は、天国と地獄を繋げて...エゴの不自然で奇妙な道具なのです。]


そして、(エゴの道具である)この特別な関係は、{実際には天国である}この孤児院の中でつくられているのです。
エゴと特別な関係は、(全ての真の姿である)天国を(父から離縁して人が得た偽りの独立状態に付随している「罪悪と怖れ」からくる)地獄の体験と一緒にして混ぜ合わせています。
そしてその天国と地獄を混ぜ合わせたものを、(エゴは)生命/人生と呼んでいるのです。  それなりにストレスの掛かる人生、決して平和にはならない生命、最終的には死で終る人生/生命。 そして、これが次々に継続されていくのです。
解りますか?

[The special relationship is a strange and unnatural ego device for joining hell and Heaven, and making them indistinguishable.]
[特別な関係は、天国と地獄を繋げてそれらを見分けられなくしようとする、エゴの不自然で奇妙な道具なのです。]

これが問題なのです! だから「故郷」に帰りたいという強い欲求がなかなか起こらないのです。  
特別な関係を使ってエゴが天国と地獄を混ぜて繋げてしまっているので、実際に天国を実体験したいという欲求が高まらないのです。
天国と地獄が見分けられなくなってしまっているのです。
その結果、「天国」と「天国に対する誤解/誤認識」を直ぐに見分ける方法が存在していないのです。
だから私はあなたに話しかけているのです。 だからア・コース・イン・ミラクルズが存在しているのです。


[The special relationship is a strange and unnatural ego device for joining hell and Heaven, and making them indistinguishable. And the attempt to find the imagined "best" of both worlds has merely led to fantasies of both, and to the inability to perceive either one as it is.]
[特別な関係は、天国と地獄を繋げてそれらを見分けられなくしようとする、エゴの不自然で奇妙な道具なのです。 そしてそれら両方を混ぜて作った「最良のもの」を見つけようとする試みなのです。 しかしこの「最良のもの」は架空のものでしかなく、それは天国と地獄に対する幻想しかもたらさず、これ故に天国と地獄をそれそのものとして知覚することが出来なくなってしまったのです。]

天国とは、あなたのマインドが父の「マインド」からの独立を主張していない時に、あなたが全てを意識的に体験している状態なのです。 シンプルでしょう?
地獄とは、あなたがそれを主張しておりそれを信じている時の体験なのです。 それでもその体験は、全てが天国であるという事実を変えるものではありません。

しかし、天国と地獄の違いが解るようになることが絶対必要なのです。 
ではどうやってそれらを見分けるのでしょうか?

あなた一人では出来ません。
あなたがこれをする唯一の方法は「二つのステップ」を行なうことです。
自分の権威者的思考プロセスを停止して、自分自身に対して「私が見て信じている以外の事が起こっているのかも知れないので、私は自分の理性的思考プロセスの外に伸び出て、自分の思考を超えたものに『ここの真理は何なのか?』と訊ねてみよう。 もしかしたら本当に『私の思考を超えたもの』が居るのかもしれないから。」と言うべきなのです。
「現在の私の能力/技能を超えたものに訊ねるのだから、私は祈ろう。そして真摯に聞こう。答えが本当に私に聞えるように時と意識を整えよう。」
これを本当に行なってみなさい。 そう私は言っているのです。

私は天国と地獄の区別をつける方法をあなたに教えているのです。
何故なら、私はその方法を知っており、その区別を体験したことがあるのだから。
だからあなたの兄として、私はそれをあなたに教え、あなたにこの区別が付けられるようになって欲しいのです。
これ以上天国を地獄として体験し続けないよう、断固とした決断をあなたが下せるように。 天国と地獄が混ざってどうにか生きていけるような状況にあなたが甘んぜず、その欺瞞を暴き、そのウソを見抜き、それを超えたものに手が(身が)伸ばせるように。 

[The special relationship is the triumph of this confusion.]
[特別な関係とは、この混乱が勝利している状態なのです。]

特別な関係とは、孤児院内で成立している全ての関係のことです。
特別な関係とは、天国の只中で神の子供達が(とても部分的に限定された高度にスタイル付けされた)天国に対する定義を信じており、そのスタイル(状況)の定義だけが実存していると信じることなのです。 しかしその信念は間違っているのです。  {スタイル付け=「こうあるべきだ」という意見/強制}

[The special relationship is the triumph of this confusion. It is a kind of union from which union is EXCLUDED, and the basis for the ATTEMPT at union rests on exclusion.]
[特別な関係とは、この混乱が勝利している状態です。 これは合一が排除されている合一(繋がり/関係)で、ここでは排除を前提にして合一が試みられているのです。]

これは少し分かり辛いですね。

[これは合一が排除されている合一(繋がり/関係)で、]
「これ」とはもちろん、特別な関係のことです。

私が自身の在り方に対する誤解に基づいてキャラクター(状況設定に基づいた人間像=仮面)を「私」としてあなたの前に示したなら、と同時に(本当のあなたの姿に気付かないまま)あなた自身に対して作り上げてきた定義や意味を使ってあなたが私に対面したなら、
その時わたし達両者は「リアルでは無いもの、事実ではないもの」をお互いに対して示し合っています。

(その時わたし達は)わたし達に関するリアリティを隠してしまっており、わたし達はお互いとコミュニーケーションをとることが出来なくなっています。
つまりお互いに仮面を使って繋がり合うことは本当は不可能なのです。
みせかけ(にせもの)の繋がりを確立することは出来ないのです。
私の言おうとしていることが分かりますか?

だから、(特別な関係の中で)我々は偽りのものを持ち寄ってそれらを示し合うことで一緒になろう(仲良くなろう)としています。 そうしている時、合一は排除されているのです。

[これは合一が排除されている合一(繋がり/関係)で、ここでは排除を前提にして合一が試みられているのです。]
上記の文の意味は、(特別な関係は)孤児の境遇の信念の上に築かれているということです。
つまりこれは、父から離縁してあなた達自身を排他的存在(唯一の存在)にしようとした、あなたの存在(在り方)の源と現れを排除(否定)しようとした、あなた達一人一人の決意に依存しているのです。
だから、自分の源を排除しようとし続けているあなたの生き方に基づいて、あなたは合一(繋がること)が不可能な関係(なぜなら、そこには何もリアルなものが持ち込まれていないから)を築こうとしているのです。 

[What better example could there be of the ego’s maxim, "Seek but do not find?"
Most curious of all is the concept of the self which the ego fosters in the special relationship. This "self" seeks the relationship to make itself complete. ]
[これは、エゴの格言である「探しなさい、でも見つけてはいけません。」の最上の実例です。 
一番奇妙なのは、特別な関係の中でエゴが育んでいる自己の概念です。 この「自己」はそれ自身を完成させるために関係を求めます。]

それ自身の神聖を理解していないので、それ自身の生得権を理解していないので、それは(エゴ/分離感覚は)欠乏状態/空虚な状態の中にいるのです。
だからそれは(エゴ/分離感覚は)、それ自身を満たす(充足させる)ために関係を求めます。 
「私は自分のソールメートを捜しているのです。」
「私を満たしてくれる人を探しているのです。」
これはとても一般的な考えで、別におかしくは聞えないでしょう。
皆がこれを求めています。

しかし、人が自身の孤児的境遇の継続を止めて「父よ、私に関する真理はなんですか? 父よ、わたし達の真実を教えて下さい。 我々が誰/何なのか教えて下さい。」と言った途端、この欲求(飢餓感)は止むでしょう。

でも、
[Most curious of all is the concept of the self which the ego fosters in the special relationship. This "self" seeks the relationship to make itself complete. Yet when it FINDS the special relationship in which it thinks it can accomplish this, it gives itself AWAY, and tries to "trade" itself for the self of another. ]
[これは、エゴの格言である「探しなさい、でも見つけないように。」の最上の実例です。 一番奇妙なのは、特別な関係の中でエゴが育んでいる自己の概念です。 この「自己」はそれ自身を完成させるために関係を求めます。 しかしこれを達成出来る特別な関係をエゴが見つけた時、エゴは自己を与えて、他の自己で自分を取り替えようとするのです。]

これはどういう意味でしょう?
自分のことを素晴らしい人として見てくれる他者を発見した時、人は往々にしてそれを利用しようとします。

例えば、私自身の自己感覚よりも優れたものとして「私」を見てくれる人が居たなら、私はそれにひっつきましょう。 その見方は私を(私が自分に関して考えている以上に)良くするので(私はその見方に従って自分をより良い者に出来る可能性があるので)、私はその見方を受け入れましょう。
だから私は、彼/彼女が私として見てくれているキャラクター(仮面)を借りましょう。 そして、そのキャラクターを体現しましょう。
そうして私は、今までの私のキャラクターは手放しましょう。 
私が今まで注意深く築いてきた仮面(キャラクター)は捨てましょう。 何故なら、この人が私に与えてくれる仮面(キャラクター)の方がより偉大な可能性を秘めているから。 

これは例えば、伴侶との関係や就職先での関係などでも頻繁に使われているものです。

しかし、(他者があなたに与えてくれているキャラクタよりも劣っている)あなたの自己感覚は、もとからあなたという神聖な者を反映してはいなかったのです。
そして、この他者のあなたに対する見方も、それが「神」の眼を通したものでなかったのなら、それは孤児的マインドに根ざしたものなので(それは仮面にしか過ぎないので)、それはあなたの概念(あなたが自分のために作った仮面)よりも優れたものでもなかったのです。


[This is not union, for there is no increase and no extension. ]
[これは合一(ユニオン)ではありません。 何故なら、そこには増加がなく拡張もないのだから。]  
{何故なら、そこには「愛」の増加がなく、「愛」の拡張もないのだから。 訳}

これはただ単に、エゴ(分離感覚)がお互いの知覚を使って何かを得ようとしているだけなのです。
そうしてお互いから感謝と尊敬を受け取って、自分の虚像を作り上げ、それから利益を得て、その上に関係を築いていても、そこには誠実がないのです、何故ならそこではまだ誰も踏み止まって「ここの真理は何だろう?」と訊ねていないからです。
「父よ、私に関する真理は何ですか? 父よ、私の同胞に関する真理は何ですか? この人に関する神聖なる事実は何ですか? 私の神聖なるリアリティは何ですか?」
これらの質問が真摯に尋ねられるまで、これらに対する答えが抵抗なく受け取られるまで、誰もまだこの関係の中にリアルなものを引き入れてはいないのです。


[This is not union, for there is no increase and no extension. Each partner tries to sacrifice the self he does not want for one he thinks he would prefer. ]
[これは合一(ユニオン)ではありません。 何故なら、そこには増加がなく拡張もないのだから。 それぞれのパートナーは「自身が望んでいない自己(セルフ)」を犠牲にして「自身にとってより望ましい自己」を得ようとするのです。]  

これはカメレオンに成っているようなもので、(このように振舞っている場合)あなたは会う人毎に違う仮面を被り、関わり合い(関係)の中で自分の有利を求め続けるのです。

[Each partner tries to sacrifice the self he does not want for one he thinks he would prefer. And he feels guilty for the "sin" of taking, and of giving nothing of value in return. For how much value CAN he place upon a self that he would give away to get a better one? ]
[それぞれのパートナーは「自身が望んでいない自己(セルフ)」を犠牲にして「自身が望んでいると思う自己」を得ようとするのです。 そして、(無価値なものを与える替わりとして)得たことに対する罪悪感(うしろめたさ)を感じるのです。 何故なら「より良き自己を得る代償として{他者に}与えた自己」に対しては大した価値は認められないから。]  

これに関する実例を上げましょう。
まだ良く知らない人の隣にあなたが座ったとします。
そして会話の中であなたは自分をプレゼンテーション(提示)します。
「自分はこういう者です」というプレゼンテーションをあなたは行なうのです。
こうしてあなたは、この人にプレゼンテーションをぶつけて、自分に有利なことやこの人にとって有益なことを起こそうとするのです。
そうしている間あなたはダンスを踊っています。 あなたは、あらかじめ決められている振り付けのダンスを踊っているのです。 その時その全ての動きは真摯なものではないのです。
そしてあなたがやり過ぎてしまったなら、少し意気込み過ぎてしまったなら、自分を上手く見せようとしているあなたはドジを踏む事でしょう。 
そうなった時あなたは、(やり過ぎる前の事を含めて)全てが正直ではなかったことを暴露しているのです。 それらがプレゼンテーション(見せかけ)であって、それが本当のあなたではなかったことを示しているのです。

さて、あなたが「父」か「精霊」と繋がっていない限り、あなたと他の人との関わり合いは全て、正直ではない目覚めていない関わり合い、つまり「特別な関係」なのです。

しかしだからといって、落胆しないで下さい。
これは悪い知らせではないのです。
これを知ることによって、他の選択が可能だと解るのです。
これを知ることによって、他の選択が出来るようになるのです。

このセクションには、まだかなり文章が残っています。
そして今夜はこれ以上は読みません。 次の週に続きを読みましょう。

ACIMはそして「二つのステップ」は、あなたがリアルになる方法を示しており、本当にリアルなあなたが実在しており、これを体験することがあなたの当然の権利だと理解し始めて欲しいのです。

そしてこれを体験する一番確実な方法は、あなたが(今まで通り自信を持って振舞い続けてしまうことを)躊躇して、「この関係や状況の中でどのように在るべきか? どのように振舞うべきか?」訊ね聞くことなのです。

それをノーイング(英知/知っている状態)のレベルから聞き取りたいと願うべきなのです。

「あなたやあなたの兄弟/状況に関する神聖なる真理を知る(確実で深い内的)体験」をしたいと願うべきなのです。

そしてもし、あなたが自分の兄弟姉妹に関する真理を知りたいと熱望したなら、(その時あなたが得る)彼/彼女に関する答えは、あなたに関する真理をも示しているのです。 その時、あなたはそれを否定することは出来ないでしょう。 あなたは、そこで示された真理を統合し体現すること(理解し実現すること)が出来るでしょう。

あなたは、特別な関係に参加するためにここに居るのではないのです。
つまりあなたは(そしてあなたの兄弟姉妹は)、「あなた達の本当の姿」に気付けないまま、兄弟姉妹と関係を持ち続けるためにここに居るのではないのです。
そこで(特別な関係の中で)展開される地獄(苦しみ)を体験することは、あなたの持って生まれた権利ではありません。
何故なら、これも(特別な関係も)全て天国のなかで起こっているのだから。
そしてこれも(特別な関係も)神の子供達の間で起こっていることなのです。
だからあなたは、勇気をもってリアリティに注意/意識を与え続けることにより、リアリティの体験を得るべきなのです。
あなたは隣に座っている女性や男性を「神の子」として体験したいと熱望するべきなのです。
もしこれが起こることを許したなら、その時あなた自身の神聖も顕わになっているのです。 これがわたし達の目的なのです。
この知覚のシフトが起こらないなら、ア・コース・イン・ミラクルズには全く価値はありません。

今から来週までの間に、各自がこのセクションの終わりまで読み進むことをお勧めします。
このセクションに関して熟考してください。 今夜わたし達が話したことをふまえて、このセクションに関して熟考してください。

アイラブユー。 私はあなたと共に居ます。
今日お話したことに関して熟考されるようお勧めします。
真理を受け入れられるぐらい、無垢に無防備になることをお勧めします。
真理に対するアイディア(概念)ではなく、あれこれ話すことが出来る言葉ではなく、あなたを本当に変えあなたの兄弟姉妹に癒やしをもたらす実際の体験を受け入れられるようになることを強くお勧めします。

来週もまたお会いしましょう。


「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはその様なものだから。 
貴方と同等の方が既にこのギフトを貴方に差し出したので、これらの資料が貴方に提示されています。 Raj の指示により、これらの資料が売買される事はありません。 この機関「Northwest Foundation for A Course In Miracles」へ募金される場合、下記のWEBサイトを通して行なうか、あるいは下記の住所に郵送して下さい。
(この日本語翻訳はNWFFACIMの運営には直接関与していない一個人が行ったものです。)

A Course in Miracles Study Group with Raj, October 2nd 2010
© by The Northwest Foundation for “A Course in Miracles” a non-profit corporation.
All rights reserved
PO Box 1490 / Kingston, WA 98346-1490 / USA
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
Website: http://www.nwffacim.org
E-Mail: paul@nwffacim.org

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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改訂

[Most curious of all is the concept of the self which the ego fosters in the special relationship. This "self" seeks the relationship to make itself complete. Yet when it FINDS the special relationship in which it thinks it can accomplish this, it gives itself AWAY, and tries to "trade" itself for the self of another. ]

[これは、エゴの格言である「探しなさい、でも見つけないように。」の最上の実例です。 一番奇妙なのは、特別な関係の中でエゴが育んでいる自己の概念です。 この「自己」はそれ自身を完成させるために関係を求めます。しかしこれを達成出来る特別な関係をエゴが見つけた時、エゴは自己を与えて、他の自己で自分を取り替えようとするのです。]

上記のとおり翻訳文を改訂しました。
プロフィール

翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

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