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ACIM10-11-13

November 13th, 2010 ©NWFFACIM 2010年 11月 13日

原文テキスト
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=30171&mid=144790#M144790
オーディオ&ビデオ
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=30166&mid=144778#M144778

参照ページ  A Course In Miracles
第 16章 – セクション – THE BRIDGE TO THE REAL WORLD(リアルな世界への架け橋)
1Sparkly Book – p.393 / JCIM – p.165, / CIMS – p.331
第 16章 – セクション – THE BRIDGE TO THE REAL WORLD(リアルな世界への架け橋)
First Edition - p.321 / Second Edition - p.345



今晩は、ようこそ。

本を読み始める前に、まだあまりよく理解されていないことに関して話したいと思います。
それは「修正」(correction)という言葉の意味に関してです。
この言葉はコース(ACIM)の中に何回も出てきます。 修正がACIMのゴールである、と言っても良いぐらいです。 修正とは誤認識(間違った知覚)を正すことなのです。
そして実際に発生している唯一の誤認識とは、「あなた達一人一人が(精子と卵子から生まれた、自然の中から偶然生まれ落ちた)独立/自立した存在で、それが独自の力を有している。」というアイディアなのです。
そして「存在を根源的に突き動かしているのは適者生存のルールなのだ。」というアイディア/信念が尊ばれ信じられています。
これが誤認識なのです。 この誤認識を正す必要があるのです。 これに関して我々は話しているのです。

わたし達は多くの時間をコースを読むこと/話すこと/考慮することに費やして来ました。
そしてわたし達は今「二つのステップ」に関して話しています。
「二つのステップ」とは、あなたが(反応や思考や行動を)躊躇して、自分のマインドを静かにさせ、今自分が信じていることに対する自信を放棄し、自分のマインドの枠組みの外に手を(身を)差し伸ばしている場所なのです。
あなたは、自分で作ったマインド(神から分離した存在としての自分を作っているマインド)を捨てて、「神」/「精霊」/「実際に力を持っているもの」/「全てを発生させているもの」に「ここの真理は何ですか」と訊ねるべきなのです。
そして静かに聞くのです。
その時そこに現れている静寂が、そのスペースが聖なる瞬間なのです。
そして聖なる瞬間とは神の法が統治している場所です。

これを私はここ数ヶ月何度も繰り返し言ってきました。 皆さんを勇気付け安心させ促す為にこれを言っているのです。
つまり聖なる瞬間を実践したなら、二つのステップを行って真摯な好奇心と共に静寂の中に入り「真理に対する現在の自分の感覚を超えたもの」を知りたいと願ったなら、「神の法が全てを統治しておりそれ以外の何事も起こっていない場所」にあなたが入る事を(私は)約束しているのです。 これを聞けばあなたは心安らかになるはずです。
しかし、殆どの人達が見過ごしていることがあるのです。

もし神の法が成り立っている場所があるなら、それが全てを絶対的に統治しているのなら、そこには法が存在しているわけです。
そこには法則があるのです。 つまりあなたがそれに準じている(従っている)に違いない構造(成り立ち)が存在しているのです。
これは、「こうすればより上手く行きますよ。こうするとより好ましいですよ。」というようなガイドライン(手引き)ではないのです。

絶対的な法が存在しているのです。
「汝は罪、病、死を持つことは出来ない。」
「あなたは孤児に成って成功することは出来ない。 あなたは真理を無視して安楽でいることは出来ない。」
「あなたは自分の定義を作り上げて、それをリアリティの代わりに据え、安定/安心していることは出来ない。」
{これらは絶対的な法則なのです。}

これらの法則を、よりポジティブに言い表してみましょう。
神の法(法則)は、「真理に従うこと(真理を愛すること)が癒やしや変容をもたらし、それにより神の法があなたに(知識としてだけではなく、体験として)見えるようになる」といっているのです。」
そして天国を今ここで体験したいと思ったなら、あなたは「実際に物事が働いている有り様(在り方)」に従わなければいけないのです。

多くの人達はコースの中の「あなたは何もする必要がありません」“You need do nothing,” というフレーズを気に入っているようですが、この文の意味するところは「あなたは上手く働かないやり方をやめる必要があるのです。」ということなのです。
あなたは「何にもならない事」を止める必要があるのです。(そう私は言いたかったのです。)
あなたは幻想/幻覚を起こしている行動(そして苦しみの体験にあなたを縛りつけている行動)を止める必要があります。
これが「神の法が述べていること」なのです。 神の法がそう言っているのです。
だから、神の法はあなたから何かを要求しているのです。 {神の法が解るように成るためには、あなたが「何かをする」必要があるのです。}

「コースは奇跡をデモンストレートする為のものではない!」と多くの人が言っているようですね。 そのように言うことも可能でしょう。
しかしコース(ACIM)は修正(癒やし)に関して述べているのです。 違いますか?
これを否定する人はいないでしょう。

(一つの例をあげましょう。)
あなたが種を撒いてアマリリスが生えて来ました。 それが大きくなって、葉っぱが生えて、色づき、茎が伸びて成長しました。
全てがより大きく成って行ったのですが、茎の成長が突然止まってしまったのです。
葉っぱは大きくなり続けたのですが、花を付けた茎は左に曲がっており本来あるべき高さまで成長しなかったのです。 茎の長さが短くなってしまった事でアマリリスの美しさは少し損なわれてしまいました。 (と、この様に言ってみましょう。)
さて皆さんはここで「それでもこれは神の愛らしさが現れているものだ。 これは最上の形ではないかもしれないけれども、それでも私はこれの全てを受け入れよう。」とスピリチュアルに仰るでしょうか?
「この花はそれ程大きくは成れず、本来あるべき姿から隔たってしまったけれど、それでも私はこれをそのままの形で愛で、これに感謝しよう。」 とあなたは言うでしょうか?

上記の考えを奇跡的な思考と主張することも可能でしょう。
そう考えることが「全てのこと/ものの中に神を認める(神の栄光を全ての中に認める)あなたの役割を果たす事」だと思うことも可能でしょう。 そう考えて、アマリリスがその本来あるべき姿でないことを悲しんだり思い悩まないようにする事も出来るでしょう。

もしあなたがそう考えているなら、私はあなたに尋ねましょう。 
この(この様に考えることの)どこに修正があるのですか?
修正とは何でしょう? なぜそれは奇跡なのでしょうか? 
それは(修正/奇跡は)瞬間的な知覚のシフトなのです。
 
「知覚の瞬間的シフトが起こっている」とあなたが考えていたとしても、そこに修正(癒やし)が認められていない(認識されていない)なら、それは奇跡的ではなく、だからそれは奇跡ではないのです。

このような成長の歪みが子供に起こっていた場合はどうでしょうか?
あなたの子供、あるいはあなたの孫や甥/姪が障害をかかえていた場合(あなたはどのように考え対処しているでしょう)。
あなたは、彼等(子/孫/姪/甥)がその状況内で得られる最上の生活を送れるように助けるでしょうか?
あなたは二つのステップを行ない「父よ、ここの真理は何ですか?」と訊ねるでしょうか?
そして明瞭な理解が流れ込んで来た時、あなたの中に真理の理解が流入してくることを体験した時、(見かけ上は全く何も変化が無くても)あなたはもはや見かけに騙されなくなって、あなたはその事に感謝し、この気付きが奇跡だと考え、これが「知覚の瞬間的シフト」の全てなのだと考えるでしょうか?
「そうではない!」と私はあなたに言っているのです。

フォロースルー(振り抜くこと/やり通すこと)が必要なのです(これがあなた達には欠けています)。
このことに関して今夜話しましょう。 なぜなら殆どの人が、ACIMの奇跡を理解していないから。
リアルな世界への架け橋となるステップを踏むことがどういったものか、あなたに理解出来ていますか?
神の法がなされている(神の法が成り立っている)証拠が見えないのなら、聖なる瞬間を実践することにどのような意味があると言うのでしょうか?

樹木がその対称性を取り戻したり、(成長が滞っていた人の)手足が伸びたりすることを見ていないなら、あなたはまだア・コース・イン・ミラクルズの力に気付いていません。
その場合、あなたは(他の人の体験しているものよりは)少しだけ肯定的な高揚/自信/希望を何となく感じているだけに過ぎません。 
そして、それが(ACIMから得られることの出来る)全てだ考えてしまうのです。 あなたは、それが自分に得られる全てだと考えてしまうのです。 「それ以外のものは得られない」とあなたは考えてしまうのです。
何故なら、ACIMとは(あなたの世界が変容することではなく)知覚のシフト(考えが変容すること)にしか過ぎないのだから。 (とあなたは考えてしまってはいないでしょうか?)

あなたの誤認識(誤った知覚)は常に、天国に対する誤認識(誤解)なのです。
あなたの誤認識は常に、リアリティに対する誤認識(誤解)なのです。
それは(あなたの面前に実際に存在しているのは)神のリアリティなのです。 神の現れがそれ自体を照らしているのです。 神の現れが、それ自体をそれそのものとして無限に光り輝き、分離することなく対立することなくパーフェクトに表現(実現)しているのです。

もしあなたがそれを見ていないのなら、そこには修正が必要なのです。
必要とされている修正を行いそれを達成することとは、つまりあなたが天国を見ること(今ここに、あなたの面前に神の創造を見る事)なのです。
それは、あなたの腕の先に手を見ること、あなたの孫の短くなってしまっている手足が成長するのを見ることなのです。 あなたはそれらが修正されること(その本来の姿として現れること)を見るのです。

何故でしょう。
何故なら、あなたはリアリティを見るのだから。 神がそこに存在している様子、神がそこにパーフェクトに永遠に不動に美しく居る様子をあなたは見るのです。
もしリアルな世界が存在していなかったのなら、リアルな世界への架け橋も必要ではないでしょう。 解りますか?

だから下記が要点です:
「修正を必要としているもの」をあなたが見ている時、それに対して辞令的祝福しか与えていなかったなら、あるいはより意図的なより強靭な祝福(注意)を与えていたとしても(奇跡を引き起こす)「知覚のシフト」をあなた自身が体験するまでそれをし続けなかったなら、あなたは修正を見ることがなく、(その時)あなたはまだ眠り続けているのです。 それでは、あなたは目覚められないのです。

「私はコースを勉強し続けて来ました。 それでも問題はあれこれ発生しており。 今も問題は起こっていますが、それでもコースが示していることを出来るだけ忠実に行なっているつもりです。 しかしどうしたら良いか分からないのです。」 (そう感じて居る人が多いはずです。)
だから我々は今夜「どうしたら良いか」説明しているのです。

あなたが「二つのステップ」を行なっていても修正が現れていなかったなら、そこには修正が必要であり続けている訳です。 
何に対する修正が必要なのでしょうか?
あなたの知覚に対する修正が必要なのです。
その場合、修正を途中で諦めるべきではないのです。 それを(二つのステップを)止めてはいけないのです。
「(あまり嬉しくはない)この状況が起こっており、これもまた神の創造の一部で、私は出来る限りこれを祝福したのだけれど、しかし色々な影響のせいで上手く行っていないのです。 そして私はこれらのことをコントロールすることは出来ません。」などと言っていては駄目なのです。
「もしかしたらこの草は、癒やされたくないのかもしれない。 短い手足を持つことが、この子のカルマなのかもしれない。 この子の人生のレッスンにはこれが必要なのかもしれない。」
これらはクソッタレな考えです。 これらは真理ではありません。
このような怠惰な無責任なだらけた振舞い(思考)を繰り返しながら、自分はACIMを実践していると考えたり、その理解を得ていると考えるべきではありません。

『ラジさん、「唯一正しい意志の使い方は、それを使わないことです。」とあなたは言ったではないですか? 「唯一正しい意志の使い方は、自己意志を使わないようにすることです。 自己主張(自分の見方への固執)を放棄することです。」とあなたは言ったではないですか?』
もちろん、私はそう言いました。
しかし私は、「意志を全くもたない、ブニョブニョしたものに成りなさい」と言ったのではないのです。

「唯一正しい意志(人間的意志)の使い方は、それを(人間的意志/分離的意志を)使わないよう選ぶことです。」
人間的な意志を使わないよう選択したなら、あなたは自分が(これ以外に適切な表現がないので)意志的に成っていることを発見するでしょう。 
 「サムシングエルス(他の何か=神)」を差し置いて自分を主張するのではなく、「サムシングエルス」と協調出来るように成っていることをあなたは発見するでしょう。

そして、あなたが普段から行なっている強烈な自己主張が放棄されている所で、何かが突然自動的に起こるのです。 ハーモニー(調和)が体験され、その時あなたはもはや全てのものと対立してはいないのです。
その時あなたは「全てのもの」や「全てのこと」の意味を感じ、自分がそれらとどのように共存しているか知るのです。
そしてあなたの(自己主張的)意志/意図がないところで、「あなたがどのように在るべきか」が明白になるのです。

あなたはどのように在るべきなのでしょう? 
あなたはパーフェクトに在るべきなのです。 パーフェクトに適切で在るべきなのです。
だから、その時あなたは何かをするのです。
その時(どのように在るべきか明白に成ったなら)あなたは何かをするのです。
あなたは、適切な動きになるのです。 だからあなたは行動するでしょう。
しかし、この行動は自己意識から発せられたものではありません。
これは孤児的マインドから発せられている行動ではないのです。
『「何か」の一部に成ること、「何か」と混ざること、「何か」と協調すること』をあなたが 自分に許可した時、この行動があなたの中から沸き起こってくるのです。
この「何か(サムシング)」とは、今まで認識されてこなかった「あなた」、つまり「あなたのその他の部分」なのです。 それは神の全てなのです。
だから、その時「神が成っているもの」があなたの行動に反映されるのです。
そうして(神の)意志が表明されるのです。 {神の意志があなたの意志として現されるのです。}
あなたはこれを理解する必要があるのです。

だから、あなたは何もしなくなる訳ではありません。
全ての瞬間に、あなたは神の表現を完全に適切に表す者に成るのです。
だから、あなたのする全てのことは、とても意味があるようになり、とても価値があるようになり、神聖に(完全に)リアルになるのです。

聖なる瞬間を実践して静寂の中に入り、あなた自身をあなたの源から分離しなくなったなら、あなたは「あなた自身の存在の全て(あなたが存在している全ての有り様)」の中に入って行くでしょう。
その時あなたの行動が、その全ての側面において修正を行ない、その修正があなたに見えるようになるでしょう。
何故なら、幻想の全ての細部が消えるまで、修正されるべき全てのものが修正されるまで、あなたは自分の注意/意識の全てを父の視点に与えようとはしないだろうから。

『全ては愛か、でなければ「愛を求めている声」である。』と言われています。
「愛を求めている声(call for Love)」とは何でしょうか。
それは修正を求めている声です。 そして修正は「表現された愛」であるに違いないのです。
だから、修正が完了するまであなたは愛を止めるべきではないのです。

つまりあなたは、(二つのステップ/聖なる瞬間を)継続し続けるべきなのです。
あなたは何を続けるのでしょうか? あなたはコントロールし続けるのでしょうか?
違います。 あなたは真なる知覚/認識を求めて自分のマインドを整え続けるべきなのです。

神の法が成り立っている場所(神の完璧性の体験があなたに与えられている場所、父の意志があなたの中に表現されており、あなたが完全にパーフェクトに適切に振舞える場所)にあなたが自分の注意を与え続けることにより、他者に癒しの体験がもたらされるのです。

これは非常に大切なことです。
リアルな世界への架け橋が、あなたが次に自分の注意を与えるべき場所(聖なる瞬間)なのです。

何故これを行なう必要があるのでしょうか?  幻想の中であなたがハッピーになれるようにですか? あなたが天国の中で天国以外のものを見続けられるようにですか?
いいえ、違います。
いまここにあるリアリティを、あなたがそのまま見えるように(これを行なう必要があるのです)。 これがわたし達の行おうとしていることなのです。


さて、新しいセクション-”The Bridge To The Real World” (リアルな世界への架け橋)- を読み始めましょう。

[The search for the special relationship is the sign that you equate yourself with the ego, and not with God.1 ]
[特別な関係を捜し求めるのは、あなたが自分をエゴと同一視しており、自分と神を同等(同質)とは考えていない証拠です。]

これは何故でしょう?
何故なら、エゴとは(自分は「父から離縁を得て独立した権威者に成っている」と考えている)孤児だからです。
孤児達は特別な関係を求めそれを尊んでいるのです。 その理由は、父から独立した孤児としてのエゴの存在は(特別な関係の中で)その誤認識に対して相互合意が得られている時だけ体験出来るものだから。
これがエゴが、父からの独立を体験できる唯一の方法なのです。
だからエゴにとっては、特別な関係が必然なのです。

[For the special relationship has value ONLY to the ego.]
[何故なら、特別な関係はエゴにとってだけ価値があるから。]
特別な関係は、孤児のマインドにとってだけ価値があるから。

[To the ego UNLESS a relationship has special value it has NO meaning, and it perceives ALL love as special.]
[エゴは、「特別な価値」を持ていない関係には、価値を認めることが出来ません。 そしてエゴは全ての愛を特別なものとして知覚/認識しているのです。]

 [エゴは、「特別な価値」を持ていない関係には、価値を認めることが出来ません。] その理由は、エゴが自分で提供した特別な価値がこの関係内に保たれている時だけ、エゴはその関係に価値を認めるからです。
エゴは、「神(彼/彼女の父/母)から分離した独立的存在としての自分」を強化し実証する特別な価値だけを求めているのです。


[Yet this CANNOT be natural, for it is unlike the relationship of God and His Son, and all relationships that are unlike this One MUST be unnatural.]
[しかしこれは自然なものでは在り得ません。 何故なら、この関係(特別な関係)は「神と神の子の関係」とは違ったもので、「神と神の子の関係」から離れた関係は不自然に成らざる得ないからです。]

「自然なものでは在り得ません」/「不自然」とは、どういう意味でしょう?  これは神の法に従っていない、という意味です。 だからそこには修正が必要なのです。
だからそこには鍛錬された揺ぎ無い粘り強さ(持続性/諦めないこと)が必要なのです。
真理を知りたい/見たい/感じたいという熱望、(現在あなたの条件付けがブロックしている)リアリティを体験したいという熱望が必要なのです。


[For God created love as He would have it be, and gave it as it IS.]
[何故なら、神はその思いのままに愛を創造し、それをそのまま与えたのだから。]

これはシンプルでピュアなのです。 これは、この愛は、その源(オリジナル)から広がって行くにつれて少しづつ変わっていくようなものではないのです。


[. . . God created love as He would have it be, and gave it as it IS. Love has no meaning except as its Creator defined it by His Will. It is impossible to define it otherwise and UNDERSTAND it.]
[神はその思いのままに愛を創造し、それをそのまま与えたのだから。 愛は、その創造者が自身の意志を使って定義した以外の意味を持っていません。 それに(愛に)それ以外(創造者の意志が定義した以外)の定義を与えて、それを理解することは不可能です。]

誰かが持ち込んでくる相互合意(共有されている定義)を使って、これを(この愛を)別のものに変えることは出来ません。
{特別な関係の中で}愛を定義し直して「愛に対するその誤解を信じよう」と合意したなら、あなたは「愛が何か」分からなくなってしまいます。
それは修正される必要があります。
あなたは、「愛を求めている声(怖れの言い立て)」に(粘り強く)応え続ける意志を持つ必要があるのです。
変容の体験を得るまで(愛を求めている声=幻想の言い立て、が修正されるまで)修正の必要に応え続ける意志が必要なのです。

変容の体験は写真に撮ることが出来るもの、みんなが認識出来るものなのです。
リアリティは写真に撮ることが出来るのです。 天の大国(天国)は体験可能なのです。
天国とは、あなたが体験している全てを歪み無く体験すること、それに誤用を与えず、どのような害の可能性も与えずに(あなたが体験している全てを)意識的に体験することなのです。
解りますか? これが成就を完全に示すのです。

「ウーン。 私は自分が本当のヒーリングを期待しなければいけないなんて思っていなかったよ。 75%の成就で、美しくともまだパーフェクトではない成就で満足していてはいけない、なんて知らなかった。 それで満足していてはいけないとは私は知らなかった。」
これは「修正の必要が、本当に修正を必要としているなんて思わなかった」と言うようなものです。
私は誰かを嘲笑したくて、こう言っているのではありません。

私が言いたいのは「あなたが修正の必要に応えたなら、それは、今ここで、この人生の中で天国を見て触れるように意識的に体験することになるのだ」ということです。
これが私の言おうとしているこです。 神の法が原則が実存しており、あなたにはとるべき振舞いがあるのです。

確かに、十戒や山上の垂訓はとても助けになるものです。
しかし、あなたは神の法を何処から得るべきなのでしょうか?
あなたは、神の法を聖なる瞬間の中から得るべきなのです。
(神の法は聖なる瞬間の中で知るべきものなのです。)

あなたの存在の(あなたがいる)静けさの中に入って行きなさい。
そこであなたは自己主張を放棄しているのです、自分達だけで全ての意味を決める事を放棄しているのです。 「他の人達があなたに示して見せてきた意味/定義」をあなたはそこで放棄しているのです。 あなたは、一度も疑うこと無く、それらの意味(他者があなたに示した定義)を受け入れてしまったのです。 神の法の内的直接体験を一度も持つことなく、あなたはそれらの定義を受け入れてしまったのです。
しかし、神が愛であって、神の法が愛の法則を無限に満たしているのです。

本に書かれている(規則の)リストを持ち出すのは止めなさい。
自分の内側と向き合い「ここでは二つのステップが必要とされている」と言いなさい。
このようにして二つのステップが行なわれるのです。 そして何故あなたが二つのステップを行なうべきなのか、その時明確に示されるでしょう。
それは、ここで神の法が全てを統治していることをあなたが体験するだけでなく、あなたという存在の聖壇内で(あなたのマインド内で)神の法が成り立っているから、だから、あなたは天国の確証をみるのです。 天国の確証があなたに見えるようになり、それは世界が変容しているものとして見えるのです。
それは、つまるところ、知覚/認識のシフトなのです。
このシフトの中で、あなたの誤認識(誤解)が、全ての物事のオリジナルな在り様に譲るのです。 そして(あなた達が自分達の定義を全ての上に被せたにもかかわらず)全ての物事は今でもその原初の性質を保っているのです。
しかし、あなた達が自分勝手な定義を世界の全てに被せたせいで、あなた達には存在の完璧性が見えなくなってしまっています。
だから、奇跡と呼ばれている「知覚の瞬間的シフト」が、それを(物事の原初の在り様を)あなたの体験としてあなたに示すのです。

わたし達は、まだ二つのステップについて話しています。
わたし達は、まだ聖なる瞬間について話しています。
わたし達は、まだ特別な関係を放棄することについて話しています。
そしてわたし達は、まだ「体との自己同一」から「マインドとの自己同一」へのシフトについて話しています。

これがどのように働くか、より明確にあなたに話すことが今夜出来たと私は信じています。
あなたの混乱が減り、「自己主張(willfulness)」ではなく「(神に)譲ること(willingness)」がより確実に続けられるよう指示出来たと信じています。
そして、これを行なうことにより修正が起こるでしょう。  修正とは、あなたの頭の中に新しいアイディア(概念)が入って来て一時的な安楽をもたらす以上のものなのです。
全く歪められていない、全く歪められることことがない真の体験が、永遠の満足をもたらす体験であり。 あなたはそれを得るべきなのです。

今夜は、いつもほど長く話さなかったかもしれませんが、いつもよりも3倍ぐらい凝縮された話をしました。
今週はあなたにとって偉大な一週間になることと思います。
次にお会いできることを楽しみにしています。

「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはその様なものだから。 
貴方と同等の方が既にこのギフトを貴方に差し出したので、これらの資料が貴方に提示されています。 Raj の指示により、これらの資料が売買される事はありません。 この機関「Northwest Foundation for A Course In Miracles」へ募金される場合、下記のWEBサイトを通して行なうか、あるいは下記の住所に郵送して下さい。
この日本語翻訳はNWFFACIMの運営には直接関与していない一個人が行ったものです。


A Course in Miracles Study Group with Raj, November 13th 2010
© by The Northwest Foundation for “A Course in Miracles” a non-profit corporation.
All rights reserved
PO Box 1490 / Kingston, WA 98346-1490 / USA
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
Website: http://www.nwffacim.org
E-Mail: paul@nwffacim.org

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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修正

岡上さま
いつもありがとうございます。

今日は、ものすごい気付きをいただきました。

私は、神の愛を制限していました。まさに 修正が必要です。

日常の中で、体験したいと思います。

今年一年ほんとうに ありがとうございました。
真心からのシェアに心からの 敬意と感謝を!

そして、来年も どうぞ よろしく お願いします。

蓮さん

今年もありがとうございました。

来年は、何してるんでしょうね、私は?

翻訳有難うございます。
岡上さんのおっしゃる通り、私には良いタイミングでの内容でした。

「もしかしたらこの草は…」こういう考えは真理ではない、と明言している所はとても励みになります。

完璧以外は神ではないと知っていると、体験出来ていない事がかえってストレスになりますし、(肉体に老化の様子を見るだけでも凹みます。)まさしくラジの言ったような事も考えてしまうので。

ただ、答えが得られない時は、得られるまで訊き続けるしかないんですね…。

今、フト思ったのですが、私の場合、不本意な状況についてより〈答えが得られないという状況〉の真理は何かを訊く方が良いような気が、しないでもないような…?

今年一年、色々と質問にお答え頂き有り難うございました。
良い年をお迎え下さいませ。
プロフィール

翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

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