スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ACIM10-11-20

November 20th, 2010 ©NWFFACIM 2010年 11月 20日

原文テキスト
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=30203&mid=144992#M144992
オーディオ&ビデオ
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=30200&mid=144965#M144965

A Course In Miracles (参照ページ)
Chapter 17 – Section – THE BRIDGE TO THE REAL WORLD
1 Sparkly Book – p. 394, 1st Full Par. / JCIM – p. 165, 2nd Par. In Sect. / CIMS – p. 331, Par. 60
Chapter 16 – Section – THE CHOICE FOR COMPLETION
First Edition – p. 321, 2nd Par. / Second Edition – p. 345, Par. 2


こんばんは、ようこそ。

今夜は話したいことが一つあります。 
今日はサンクスギビング(感謝祭)のレシピについて話します。 これは別に冗談ではありません。
サンクスギビング(感謝すること)のレシピ(処方箋)に関して今夜話しましょう。

今週米国は感謝祭という祝日があり、これは感謝の為に特別にもうけられている日です。
そして多くの人達が感謝を感じることなく、何かに感謝できる気持ちを持てずに、今週を迎えようとしています。
しかしその様に感じることは、どのような人の生得権(当然の権利)でもないのです。
喜びと感謝を持たずにこの休日を迎えるよう定められてる人はいないのです。

だから今夜から感謝祭を祝い始めてください。 あなたがこのテキストを読んでいる時から感謝祭を始めてください。 あなたが感謝を感じられるものに対して、自分の注意を意識的に注げるように。
今これを行い、サンクスギビングの日の用意を整えておいてください。 あなたが喜びや感謝の欠乏を体験してしまわないように。
あらかじめ感謝し喜ぶことにより、感謝する準備を整えてしまいなさい。
不満を懐いたり/起こったり/傷付くことの理由付け(正当性)をあなたが見越せるように。


先週最後に読んだ箇所は、

[. . . God created love as He would have it be, and gave it as it IS.]
[神はその思いのままに愛を創造し、それをそのまま与えたのだから。]

つまりピュア(純粋)なままの愛があなたに与えられているのです。
神の全ての行為の中に表現されている「愛のギフト」が、愛を体現してるのです。
そしてこれは体現されている愛なので、その役割は「愛に成ること」なのです。
神の全ての行為は、愛の行為です。 あなたは神の行為なのです。 この瞬間あなたは神の行為なのです。

あなたは愛であり、あなたの役割は愛なのです。 あなたにこれを変えることは出来ません。 これ以外のことを信じることは可能ですが、これを変えることはできません。
そしてこれ(あなたが愛であり、あなたの役割が愛であること)を変えるのは不可能なので、あなたが「これと反対のこと」を信じていたとしても、あなたは自分の信念を変えることが出来るのです。
あなたには、より優れた信念を持つ以上のことが出来るのです。
あなたは(あなた自身が作り上げた)信念を放棄することが出来るのです。
聖なる瞬間は、その為のものなのです。
二つのステップは「あなたを縛り付けている拘束」を意識的に放棄する為のものなのです。
二つのステップは「(あなたが居る今そこに)神が成っているもの」を体験し喜ぶための実証を隠しているものを放棄する為のものなのです。
{訳: この文は解りにくいので下記に解説を加えます。 
『「あなたが居る今そこに」神が成っているもの』とはあなたのことです。
あなたは実際には神から分離した物体ではなく、(全てを創造し続けている)神から流れ出ているものです。 神があなたに与えたあなたの個人性が、流れ出ている神をあなたとして現しています。 だからあなたは神の現れなのです。 
『「(あなたが居る今そこに)神が成っているもの」を体験し喜ぶための実証を隠しているもの』とは、あなたの相互合意/定義/孤児達の合一のことです。 これらは、神/源との繋がりを認識することなく世界を定義しようとする試みのことです。}


[Love has no meaning except as its Creator defined it by His Will. It is impossible to define it otherwise and UNDERSTAND it.]
[愛は、その創造者が自身の意志を使って定義した以外の意味を持っていません。 それに(愛に)それ以外(創造者の意志が定義した以外)の定義を与えて、それを理解することは不可能です。]

{だから「神が愛に与えた定義」以外の定義を使用したなら、愛を理解することは出来なくなってしまうのです。}
どのようにして、それ以外の(神が行なった以外の)定義が可能だったのでしょう?

例えば
「愛とは、誰かがあなたに良く接してくれている時に起こっているものである。 愛とは、何者もあなた達が保持している相互合意を侵害していない時(に感じるもの)のことである。 愛とは、何者も特別な関係を侵害していない時(の状態)である。  しかし、特別な関係や相互合意が尊ばれなかったなら、それらを侵害した者に災いあれ。」 (などという愛の定義や、それに基づいた振る舞いが行なわれているのです。)

「誰かが、特別な関係を侵害したり、相互合意などを破ってあなたの尊厳を貶めたとき、その者に対する裁きを表明すること」にあなたは耽溺しているのです。
その場合、あなたは(修正の呼びかけではなく)裁きの声(正義を求める声)に自分を縛り付けているのです。
裁きの声は常に、裁きに値すると想定されている者に罪悪を与えようとするのです。
あなたは「(あなたに対する)侮蔑が表現されている所で正義の裁きを行う役目」を自分に負わせることで苦しんでいるのです。
それによってあなたは自分を苦しめているのです。

「確かに、私の子供達は私を尊重していない(私の状況を認めていない)。 私のパートナーは、私を尊重していない。」 「そう、私の子供達やパートナーは私を利用している。 彼等は私を尊重していないだけではなく、私を利用し、私を苦しめている。 これは信じられない、受け入れられないことだ。 腸が煮えくり返る。」
このような感情と共にサンクスギビングの週を迎えようとしている人は何人位居るでしょう?
このような内的感情/思考が起こっている時、そこには感謝と喜びが欠落していることに気付いている人はどれ位居るでしょう。

{自分は惨めだと考え、そう定義している時}あなたは自分が惨めだと知っています。 あなたは自分がハッピーでないことも知っています。
しかし、あなたは自分の生得権(持って生まれた当然の権利)が体験されておらず、その代わりに「あなたの生得権ではないこと(あなたには相応しくないこと)」が体験されている事に気付いてはいないでしょう。 だからあなたは、それに対して(自分がするべき体験をしていないと云うことに対して)疑問を挟んでいないのです。
その場合、あなたは今週を体験しながら、惨めに感じ、内側に痛みを感じ、不義を感じるのです。  場合によっては、動けなくなってベッドで過ごすことになるかもしれません。
そのような状況でサンクスギビングを迎えたとしたなら、「まるで自分達は全く心配などないかの様に振舞っている多くの人達」を見たなら、(自分がこんなに惨めなのに)楽しそうにしている人達をあなたは恨めしく思うことでしょう。
だから私は「これを(もし感謝を胸に懐けずにサンクスギビングを迎えたなら惨めな気持ちに成りますよと)」あらかじめお知らせしているのです。

それはサンクスギビングの日がとても大切な日だからですか?
いいえ。
あなたの中で発生している「修正を求める声」への答えにフォーカスを当てる必要があるからです。 そのために、この例を上げているのです。
何故ならば、たとえ今日が何日であろうとも、必要なく被っている苦しみの幻想から解放されることがあなたの持って生まれた権利だからです。


Love is FREEDOM. To look for it by placing yourself in bondage is to SEPARATE yourself from it.
[愛とは自由です。 あなた自身を縛りつけて愛を見つけようとすることは、あなた自身を愛から分離することです。]
これはどういう意味でしょう?

To look for it by placing yourself in bondage is to SEPARATE yourself from it.
[あなた自身を縛りつけて愛を見つけようとすることは、あなた自身を愛から分離することです。]

あなたが誰かと特別な関係を結んでいる時、誰かが(パートナーや子供その他が)あなたに負債を負っている(彼等には貸しがある)とあなたが考えている時、あなたは偽物の合一を認めているのです。 その時あなたは孤児の合一を持っているのです。 
それは「源を持っていない者達」の合一なのです。
その時あなた達は(喜ばしい体験を持とうとして、何らかの意味でお互いを使っている惨めな分離した魂達として)縛られてしまうのです。 

さて、あなたが父(源)を捨てて兄弟や姉妹と繋がり、その繋がりが主要な関係に成っている時、それが特別な関係なのです。
これは聖なる関係ではありません。 その時貴方は、自身を惨めさに縛り付けており、その惨めさが増幅されているのです。

何故でしょうか?
何故ならこの体験は、コンセント(神)と繋がっていない電灯(あなた)が光り輝こうと試みている状態だからです。
エネルギー源のないまま、光を発して輝こうとすることは非常に困難なのです。
実際にはその時、輝くことは起こっていないのですが、身体はストレスに晒されているのです。
解りますか?

[Love is FREEDOM. To look for it by placing yourself in bondage is to SEPARATE yourself from it.]
[愛とは自由です。 あなた自身を縛りつけて愛を見つけようとすることは、あなた自身を愛から分離することです。]

愛とは何でしょう?

[. . . God created Love as He would have it be, and gave it as it IS.]
[神はその思いのままに愛を創造し、それをそのまま与えた...]

それ(愛)はあなたの実体そのものであり、あなたのエッセンスであり、あなたの役割なのです。 愛とは「あなたが存在している有り様」の実体/エッセンス/役割なのです。

しかし特別な関係に入った時、あなたはそれを忘れてしまうのです。 そして相互合意を侵害しない義務を果たし、相互合意を尊重することになるのです。
何故なら相互合意の目的は、あなた達の孤児としての尊厳を確立することだからです。 
「父/母をもっておらず、神からの遺産をもっておらず、従って根源的な価値を持っていない者として自分達は存在している」という証拠を作るのが、相互合意の目的なのです。
そしてあなた達がお互いにしがみ付き自分達の価値の証拠を得ようとすればするほど、惨めになるのです。

それは何故でしょう?
それは、特別な関係がその目的を達成する様には作られていないからです。
あなたは既に「神の行為」なのです。 「(あなたがいる)いまここの中で神が自身に成っている行為」が「あなた」なのです。 それがあなたの存在であり、あなたの役割なのです。
だからあなたとあなたの価値は、あなたの尊厳は、損なわれていないだけでなく、それは素晴らしいのです。



しかし、あなた達は「父よ、私はそれには注意を払いたくありません。」と言っているのです。
「あなたの視点なしに自分だけで新しく見てみたいのです。そして、私はあそこにいるジョーやここにいるメアリーと一緒に見てみたいのです。 そしてわたし達は自分達の価値をお互いに証明し合う合意/理解/定義を行ないたいのです。」と言っているのです。

このようにしてコンセントから電気コードが抜かれてしまうのです。
すると電気(愛/霊)は流れなくなり、電源から抜かれてしまった者達には、自由や愛や喜びのリアルな体験をもたらす行為は出来なくなってしまうのです。

喜びと感謝を瞬間的に自動的にもたらす基本的要素は何だと思いますか?
それは誰かがしたり、しなかったりすること(行動)ではありません。
自由の体験が、喜びと感謝をもたらすのです。
自由の体験なのです。 つまり縛られていない体験なのです。
「この瞬間にあなた自身に成るという行為」以外には何事にも縛られていない体験が、愛の行為なのです。
何故ならそれが(あなた自身に成ることが)神の動きなのだから。

[For the love of God, . . ]
[神の愛に誓って]
つまり、神の愛を見つけるには、

[For the love of God, no longer seek for union in separation, . .]
[神の愛に誓って、分離の中に合一を求めたり]

他の孤児、源を認めていない他の惨めな人達と合一を求めるのは止めなさい。
彼等と一緒に働いて定義や意味(目的)や相互合意を作り上げ、それぞれの源と繋がることなく、お互いの価値や尊厳を感じられる様にしようとするのは止めなさい。

もう一度読みましょう。
[For the love of God, no longer seek for union in separation, nor for freedom in bondage! As you release, so will you be released. ]
[神の愛に誓って、分離の中に合一を求めたり拘束の中に自由を求めることは止めなさい、あなたが開放するに従い、あなたは解放されるのです。]

下記が重要な点です。
[As you release, so will you be released.]
[あなたが開放する(手放す)に従い、あなたは解放されるのです。]

だから、皆さんは解放された状態でサンクスギビングを迎えてください。
これを今夜から始めてください。  今から開放し始め、あなたも解放されてください。

「開放する 」とはどういう意味でしょう?
あなたと共に(父をのけ者にして)特別な関係を築いている他の孤児達を解放しなさい、という意味です。 彼等をあなたの期待から解放しなさい、という意味です。

「彼等が特別な関係を侵害したり相互合意を破ろうとする意欲を見せた時、それらの事よりも(特別な関係の中の)あなたを尊重させようとすること」から彼等を開放しなさい。
彼等から{孤児としてのあなたに対する}尊重を要求する事は止めなさい。

しかし注意してください。 私は「他者を尊重しなくても構わない」と言っているのではないのです。

他者があなたを尊重していない限り、「各瞬間あなたの居る所に神が存在することにより、父があなたの中に置いているあなたという喜びを感じること」は出来ないと考えるのは止めなさい、と私は言っているのです。
解りますか?
そのようにして尊厳を求めることは、操りなのです。

「あなたには死ぬほど心配させられるわ!」 「あなたのおかげで散々だ。 我々はお互いを良く扱うよう合意しているのだから、あなたは私にストレスを掛けることはやめるべきだ。」
このように言って、あなたは相手をコントロールしようとしてしまいます。

あなたはこれを止める方法(ツール)を持っています。
それは「二つのステップ」と呼ばれています。
これが聖なる瞬間の体験をもたらすのです。 
その中で神との合一が体験されて、他者がどのように振舞っていたとしても「神の法が統治している場所」が得られるのです。
これが自由です。 この自由の中から喜びと愛と感謝がわき起こって来ます。

[As you release, so will you be released. Forget this not, or love will be unable to find you and comfort you.]
[あなたが開放するに従い、あなたは解放されるのです。 これを忘れないようにしなさい。 でなければ、愛があなたを見つけて慰めること(平安を与えること)が出来なくなってしまいます。]

「でも愛に私を見つけて慰めて欲しくなんかないわ。 私はジョーに来て慰めて欲しい。」
「メアリーに私を見つけて欲しい。 そして私を尊重して、くだらないことは止めて欲しい。  子供達に私を見つけて、そして私を尊重して欲しい。」
しかし、彼等はそうしないかもしれません。

彼等に自分を見つけて欲しい、自分を尊重し愛して欲しいと期待し(それ以外は受け入れられないと)考え続けるのは止めるべきです。
他者があなたを尊重していなかったとしても、聖なる瞬間をもつべきなのです。 「父よ、ここの真理は何ですか?」と言って二つのステップを行うべきなのです。
『事実あなたは愛されている息子/娘であり、私(神)は大変満足しています。 私は「私であるもの」をあなたから全く遠ざけていません。 あなたは自由なのです。』

「私はもう少しだけ、分離と合一を探してみたい。」
「パートナー/子供達/両親には私の価値を認め尊重して欲しい。 そうしてくれるまで、聖なる瞬間はお預けにしましょう。」
そう考えて惨めなサンクスギビングを過ごすことも可能でしょう。
しかし覚えておいてください。 そのようにする必要はないのです。

あなたは相互合意を執行するためにここに居るわけではなく、相互合意を破ってもあなたが罰せられるわけではないのです。
あなたは相互合意を満たすために創造されたのではなく、そのために存在しているわけでもないのです。
相互合意は(今あなたが居いるここで神が行っている)神の行為とは別なものなのです。
神の行為は自由を現しています。 しかしあなたがそれを実感出来るように成るためには、サンクスギビングのレシピ(二つのステップ)を使い始めなければいけません。


[There is a way in which the Holy Spirit asks your help, if you would have His.]
[あなたが精霊の助けを受け入れるなら、精霊は特定の方法であなたからの手伝いを要請するでしょう。]


だからここでも問題は「あなたは、精霊の助けと(あなたを困らせている)孤児の助けのどちらを求めているのですか?」です。
あなたは彼等から尊重を引き出そうと考えていますか? (何故なら、それが彼等を育て上げたあなたの当然の権利だから、パートナーの為にあなたは自分の人生を与えたのだから、良く扱われるのは当然のことである、と考えているでしょうか?)
しかしそう考えている時、あなたは間違った場所を見ているのです。
そう考えている時、あなたは間違った(あなたに自由を与えることが出来ない)場所から自由の体験を得ようと試みているのです。
そのようなことを試みている時、「あなたは既に無限の自由を有している(何故ならあなたが何を信じていようとも、それでもあなたは神が自身に成っている行為の結果/確証なのだから)」という事実があなたに見えなくなってしまうのです。 
そしてあなたである愛は、創造者が自身の意志を使ってそれを定義した以外の意味は持っていないのだから。

私は「サンクスギビングを迎えるにあたり感謝の言葉を念じなさい」と言っているのではないのです。
そう感じていないのに「今日生きていて幸せです」と言ったり、そうは考えていないのに「今日は素晴らしい日になるに違いない」と言うことを奨励しているのではないのです。
「感謝すること」により真剣にアプローチしてください。 これが重要であることがあなたにも解るように。

「感謝」とは、自由を体験した時自然とわき起こることなのです。
そして自由とは、他者を操ること無く、そして他者があなたを操ろうとしている時に憤慨することから我が身を引いて、聖なる瞬間を行なっている時の体験なのです。
「父よ、彼等は何をしているのですか?  彼等の悪意にもかからず、彼等の思量の無さにもかかわらず、それら全てのことにもかかわらず、私が体験するべきことはなんですか? あなたと私に関する真理は何ですか? そして(あなたと私の真理から明瞭になる)彼等の真理は何ですか? これに関する真理は何ですか?」 と訊ね聞くのです。

あなたは自分の意識の焦点を切り替えて、自由が存在していない場所から自由を引き出そうとすることは止めるべきなのです。
そして、あなたにそれを与えられそうもない者達を拘束から(あなたの期待から)開放してください。
あなたに自由を与える任務から、彼等を解放して上げてください。
喜びを感じることを、(あなたが彼等から自由を得られるまで)保留しようとしてしまわないで下さい。
(状況にかかわり無く)あなた自身の喜びを感じてください。

他者があなたを尊重してくれたなら、それは喜ばしいことでしょう。
しかし、他者があなたを尊重/尊敬してくれなかったとしても、それを理由に惨めに感じて、そのことを世界中に触れ回る必要は無いのです。
父と繋がっていない状態であなたの尊厳が感じられるよう、あなたに対する今までとは異なった振舞いを世界から引き出そうとする必要はないのです。
これが要点です。

{他者があなたを尊重してくれていない、他者が気に入らない振舞い押していると感じたなら、あなたはそれに対して静かに憤慨しながら我慢するか、でなければ行動によって自分の不満を表明して他者を変えようとしていないでしょうか。 その時あなたは父(あなたの源)とは繋がっていない状態で世界を変えようとしているのです。
しかし本当にあなたがするべきなのは、二つのステップを行ない父と繋がり直して「ここの真理は何ですか」と訊ね聞き父の視点を受け取ることなのです。}


あなたの父と繋がることなくして自由を求めても、自由は得られません。
父と繋がらずに自由を得ようと試みたなら、様々なレベルの拘束が現れることでしょう。
物事はこのようにしか働かないのです。

だから、素晴らしい一週間を過ごしてください。
そしてサンクスギビングのレシピを使用されるようお勧めします。  疲れ切った様子でサンクスギビングを迎えてしまわないように。
何故なら、本来サンクスギビングとは感謝を表すための日だから。

来週お会い出来ることを楽しみにしています。


「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはその様なものだから。 
貴方と同等の方が既にこのギフトを貴方に差し出したので、これらの資料が貴方に提示されています。 Raj の指示により、これらの資料が売買される事はありません。 この機関「Northwest Foundation for A Course In Miracles」へ募金される場合、下記のWEBサイトを通して行なうか、あるいは下記の住所に郵送して下さい。
この日本語翻訳はNWFFACIMの運営には直接関与していない一個人が行ったものです。


A Course in Miracles Study Group with Raj, November 20th 2010
© by The Northwest Foundation for “A Course in Miracles” a non-profit corporation.
All rights reserved
PO Box 1490 / Kingston, WA 98346-1490 / USA
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
Website: http://www.nwffacim.org
E-Mail: paul@nwffacim.org

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

コメントの投稿

非公開コメント

ありがとうございます。

深い御詞をありがとうございます。
総てを見直し、整理しようと革めて
いた時です。日本には感謝祭という慣わしが
公にはなく、意識して過ごすことも気づかなければ
通り過ぎてしまうところです。
今、私は特別な関係に修正が必要な時だ・・と感じていて
書かれている感情の流れ方、移り方は全くその通り・・と感じます。
今、具体的に意識して観ようと実行し始めました。
気づきを頂き感謝です。

setsukoさん こんにちは。

特別な関係に関しては、もう十分言い切れたのだろうと思っていたら、
次のテキストで新しい表現(定義)が出てきています。

「それなら初めからそう言っといてくれよ!」って感じですが。
トホホ

あけましておめでとうございます

岡上さん。いつもありがとうございます。(^◇^)

頭では、理解していたつもりでも、つもり・・・・ばかりで(笑)

どこまで行っても、二つのステップですね。

二つのステップをしているつもりで、自分の期待している言葉を聞こうとしている時期が続き、なかなか静かになれず・・・

ようやく、静かになりつつあるのかなぁ~~(^.^)/~~~
と思うこの頃なのですが。(*^。^*)

今年も楽しみにしています。

みぃさん、あけましておめでとうございます

> どこまで行っても、二つのステップですね。
はい、そうみたいですね。

二つのステップ頑張ってください。 私も頑張ります。

> 今年も楽しみにしています。
ハーイ。

訂正

[あなたが彼(精霊)を受け入れるなら、精霊は特定の方法であなたからの手伝いを要請するでしょう。]

上記の文章を下記の通り書き換えました。

[There is a way in which the Holy Spirit asks your help, if you would have His.]
[あなたが精霊の助けを受け入れるなら、精霊は特定の方法であなたからの手伝いを要請するでしょう。]
プロフィール

翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。