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ACIM10-11-27

November 27th, 2010 ©NWFFACIM 2010年 11月 27日

原文テキスト
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=30238&mid=145135#M145135
オーディオ&ビデオ
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=30233&mid=145121#M145121


A Course In Miracles (参照ページ)
Chapter 16 – Section – THE BRIDGE TO THE REAL WORLD
1 Sparkly Book–p.394, 1st Full Par.7th Sen./ JCIM– p.165,7th Par.7th Sen./CIMS – p. 331, Par. 60, 7th Sen.
First Edition – p. 321, Par. 3, 2nd Sen. / Second Edition – p. 345, Par. 3, 2nd Sen.



こんばんは、ようこそ。

先週ACIMからは5行しか読みませんでした。 それに関してもどかしく感じている人もいるでしょう。
『こんなペースでは、いつ本を読み終わるのだろう。』
でも本を最後まで読み切ることで目覚められるように成るわけではないのです。

理解すること(気付くこと)により、いつでも目覚められるのです。
私は時間をかけています。 この主題を尊んで、より深い意味を引き出す手伝いをしています。
それは何故でしょう? あなたが今夜気付けるようにです。 
そして先週もあなたが気付けるように私は試みていたのです。

とても楽しいエキサイティングな本を短時間で一気に読んでしまった経験があなたにもあるでしょう。
しかし一ヵ月後にはそのストーリーを殆ど忘れてしまい、印象に残った数場面しか覚えていなかったりしませんか。
それでは学習にはなりません。 内容があなたのものになっていなければ、それには価値がないのです。
だから本を読み終わることにはこだわらないでください。 
そうではなく「存在すること」にこだわって欲しいのです。

だから今夜は私と共に居てください。 私と共に存在してください。
あなたと共に居る私と共に居てください。
まずそのことに満足して欲しいのです。 わたし達が一緒にいるその親密さの中に、あなたはそれを発見出来るかもしれないのだから。 (それに比べれば、本を最後まで読むことは、それ程重要ではないのです。)

さて、先週わたし達は自由に関して話していました。 
このまま先に進む前に一つ質問をさせてください。
特別な関係(スペシャル・リレーションシップ)とは何でしょうか?
わたし達はこれに関して長く話して来ました。 私はこれを色々なやり方で説明して来ました。

そして今夜私はあなたに尋ねています。「特別な関係とは何でしょうか?」
「関係とはあなたと他者の間にある何かだ」とあなたは考えているでしょう。
あはたは「自分は他の人と関係を築いている」と考えているでしょう。
そして私が言って来たことに注意を払っていたなら、 「その関係の中のどこかに神が居なかったなら、それは特別な関係である」とあなたは理解したことでしょう。
あなたが関係を持っている時、神の子としてのあなたのアイデンティティ(神の子としてのあなたを証明すること)を体験していなかったなら、その時あなたは特別な関係の中にいます。 

だから、あなたは自分が他者と関係を築いておりそこから神を締め出す事に成功している、と考えることも可能でしょう。
「特別な関係とは、二人かそれ以上の人達が、父と繋がることなく、お互いとやり取りしている状態である」と考えることも可能でしょう。 
しかしこれは(上記の二つの文章は?)正しくはありません。

特別な関係とは何でしょうか?
注意深く聞いてください。
特別な関係は相互合意の枠組み(structure of mutual agreements)で出来ているのです。
それらは社会規範や国家法律のようなアイディアの集まりなのです。
それらは複数の人達がその意味を与えた知的概念群であり、「合意の上与えられっている意味/価値」を表しているのです。
これはアイディアの組み合わせから出来ている枠組み(構造体)なのです。
この道徳の枠組みこそが、この論理の枠組みこそが、この概念の枠組みこそが「特別な関係」なのです。
本来、人が「特別な関係」を持つことは不可能なのです。
人々の間で行われていることは、「特別な関係」という言葉が表しているものではないのです。

{しかしあなたは次のように反論するかもしれません。}
「私が特別な関係の中にいる時、特別であろうとする欲求から、自分への認識を求める欲求から私は行動しているのです。 何故なら、私は自分の源とは繋がっていないので自分の統合性(誠実)を感じることが出来ず、私の父との関係を認識することが出来ていないのだから。
そして私が良きことをしているにしろ、悪しきことをしているにしろ、それは私ともう一人の人の間で起こっていることなのです。
そして人が特定のやり方で私に触れたならそれは素晴らしく感じられ、他のやり方で触れたならそれは酷いこととして体験されるのです。 この人が「この様に」私を見たなら、他の人が私を見て肩をすぼめたなら....。」
これらは全て「人々の間で関係がどのように表現されているか」言い表していますね。
しかし、私はここであなたに真摯に見て欲しいのです。

「人があなたに触れる、その触れ方そのもの」は「特別な関係の行動」ではないのです。
何故なら「その人があなたにその様に触れている事」に対する全ての意味を与えているのは、(当事者である)あなた達なのだから。

あなたが触れられている事とそれをあなたがどのように体験しているかは、(あなたの文化やあなたとその人の間の関係/合意など)何らかの相互合意によって決められているのです。
あなた達は相互合意を築いており、それにより「眼差し」に特定の意味が与えられているのです。

そして「彼は私のことを冷淡な眼つきで見据えた。 彼は意地悪な目で見ていた。 彼は私を居心地悪くさせようとしていたに違いない。」などとあなたは考えるのです。
その時、ひとりの人が他の人に影響を与えているように見えていることでしょう。
しかし違うのです。

それらの眼差しにあなた達が与えている意味が「相互合意されている定義」を作り上げているのです。
そして、それらの定義が特定の知覚体験(特定の感覚)をあなたにもたらしているのです。
眼差しや肩の様子や声の調子そのものは全く意味を持っていないし、意味を持つことは出来ないのです。 しかし、それら(眼差し/身振り/声)は相互合意によって{本来は持っていない}特定の意味を与えられているのです {これらの振舞いに特定の意味が与えられているという合意が成立しているのです}。 

(人々の振舞いそのものではなく)相互合意の施行が「特別な関係」を作り上げているのです。
では、どうすれば特別な関係が解消出来るのでしょうか?
答えは簡単です。 私は昨日(ポールの奥さんの)スーザンにこれを言いました。
『相互合意が行なわれている状況の中でその相互合意を否定することにより、特別な関係が解消され目覚めがもたらされるのです。』

あなた達は「否定」という言葉をネガティブなものとして考えている場合が多いです。 
しかし「否定すること」によって、あなたは合意を解消するのです。
解りますか?

だから目覚めることはあなたが考えていたよりも濃密な関与を必要としているのです。
何故なら、あなたは「二つのステップ」を行なわなければいけないのだから。
あなたは聖なる瞬間を実践して「父よ(あるいは精霊よ)、ここの真理は何ですか?」と言い、その答えを聴き、そこで得られた明晰さを表す必要があるのです。

あなたが自分の源と繋がった状態にある時、あなたは特別な関係の中には居ないのです。
何故なら、その時あなたの行動は相互合意からは発せられてはおらず(相互合意を破る、従って特別な関係を破る効果を発揮する)否定をあなたは行なっているのだから。
これを理解することが大切です。 

「特別な関係」は相互合意群の枠組みで構成されているのです。
これを書き出してください。
「Special relationships are constituted of structures of mutual agreements.」 
(「特別な関係」は、組み合わさった相互合意から出来ている。)

目覚めることとは、相互合意を否定すること、相互合意を破ることなのです。
これは相互合意を破棄して新しい相互合意で取り替えることではありません。
人がその源と繋がり、そこで得られた光明(明晰さ)を表現することにより、彼/彼女自身の神聖を思い出すことにより、そしてそこに意識を据えてそこから発言し行動することによって、{人間の感覚/思考領域の中で}実践されている相互合意を否定するべきなのです。


さて本を読みましょう。 先週は下記の文を最後に読みました。

[There is a way in which the Holy Spirit asks your help, if you would have His.1]
[あなたが精霊の助けを受け入れるなら、精霊は特定の方法であなたからの手伝いを要請するでしょう。]

ここでは人が自由になる(拘束を破る)方法に関して話しています。 
そしてあなたが精霊の助けを求めたなら、精霊があなたの助けを求めるでしょう。

[There is a way in which the Holy Spirit asks your help, if you would have His. The holy instant is His most helpful tool in protecting you from the attraction of guilt, the real lure in the special relationship.]
[あなたが精霊の助けを受け入れるなら、精霊は特定の方法であなたからの手伝いを要請するでしょう。 精霊があなたを罪悪の魅力(特別な関係はこれを使ってあなたを誘惑しているのです)から守るために使う一番有効な道具が「聖なる瞬間」です。]

あなたの神聖(あなたと父のつながり)を意識することなく、あなたの関係が発生している時(それが心地良い体験でも、居心地悪い体験でも)それは特別な関係であり、それは拘束なのです。
だからその拘束からの自由が必要なのです。 あなたはその拘束から解放される必要があるのです。
(そして先週も話したように)もしあなたが開放を求めているなら、あなた自身が拘束している人達を解放しなければいけないのです。
そして精霊があなたを助けるにあたり、あなたは精霊を援助する必要があるのです。
つまりあなたは聖なる瞬間を持つために「二つのステップ」を行なう必要があるのです。

[The holy instant is His most helpful tool in protecting you from the attraction of guilt, the real lure in the special relationship. You do not recognize that this IS its real appeal, for the ego has taught you that FREEDOM lies in it.]
[精霊があなたを罪悪の魅力/牽引力(特別な関係はこれを使ってあなたを誘惑しているのです)から守るために使う一番有効な道具が「聖なる瞬間」です。 あなたは罪悪の魅力が特別な関係の本当の魅力だとは気付いていません。 何故なら「自由は特別な関係の中に存在している」とエゴがあなたに教えたからです。]

ご覧の通り、ここの主題はあなたが自由を体験することなのです。
しかし自由とは何でしょうか? 
自由とは愛です。 そして愛とは「特別な関係が起こっていないこと」です。
愛とは「排他性がないこと」です。 愛とは抱擁であり、全体性です。
解りますか?

そして、「あなたがハッピーな日(心地良い日、心地良い時間)を過ごしていたとしても、いなかったとしても(特別な関係の中では)罪悪が起こっているのです」と上記のACIM文は言っています。
我々が罪悪に関して話している時、それはあなたをハッピーに感じさせたり、居心地良く感じさせたりはしません。
この本が罪悪に関して述べている部分は素早く読み飛ばして、もっとインスピレーションに満ちた部分を読みたい、と感じたりしていませんか?
しかし罪悪を見ることを怖れる必要はないのです。

罪悪がどのように起こるか見て調べることはとても重要です。
皆さんは罪悪の脅しと(相互合意を侵害した場合に起こり得る)罪悪の結果/懲罰を使用して(示唆して)相互合意を強化し保持しているのです。
{皆さんは「相互合意を犯したならそれは罪悪であり、相互合意を犯した人は罰せられるのだ」と脅し合うことによって、相互合意を成り立たせているのです。}
罪悪とは、特別な関係から得られるだろうと仮定されている「良きこと」を強化する方法なのです。

あなたが正直に自分を顧みたなら、他者からしてもらいたい事をさせるために罪悪(感)を使用している時があることに気付くでしょう。
そしてあなたは、他者が罪悪(感)を使用してあなたをコントロールしようとしていることにも気付いているでしょう。

しかしわたし達は自由に関して話しているのです。
あなたがコンセントを抜いた時(自分を神から分離させた時)、あなたという電灯の電源が引き抜かれてしまい、あなたは光を失うのです。
するとあなたは相互合意を使って自分自身や他者に安心感や価値観をもたらそうとし始めるのです。
あなたは罪悪を使って自分の安楽/安心を得よう、自分の価値を認識しようとし始めるのです。
すると罪悪が常に使われ続けることになります。 あなたが他者に対して罪悪を使い、他者もあなたに対して罪悪を使います。 殆どの場合罪悪は相手に対して直接使われるのです。 あなたは罪悪を他者に対して使って効果を得ようとするのです。

あなたが父との繋がりを失った時、あなたは全体性の感覚を失ったのです。 あなたは「することが出来る」という感覚を失ったのです。
だから、あなたは罪悪と特別な関係を使ってこの喪失感を埋め合わせようとするのです。

あなたが物事に圧倒され自分を無力に感じている時、あなたは罪悪を使用しながら、自分は罪悪を使っていないと考えます。
あなたがとても怖れており上手く対処することが出来ないと感じている時、あなたは力を失ったポジションにいると感じ、するべきこと(良きこと、価値のあること、問題を解決すること)が自分には出来ないと考えます。 その時あなたは状況に圧倒されており、自分の無力を感じています。
そして、あなたが必死で求めている自由が無くなっている所で、あなたと関係を持っている人が何か言った時、あなたは彼/彼女の言葉を捻じ曲げるのです。 
たとえその人がガイダンスを聞いていたとしても、その人が父や精霊と繋がっていたとしても、あなたは「その人が言っていることがあなたの罪を言い募っている(あなたを断罪している)」と聞き取るのです。
するとあなたはその人に対して憤慨し、(「あなたに罪悪感を抱かせる行為」をその人に投射して、その人が自身を防御しなければならなくさせ)その人が言っていたかもしれない真理をやり過ごそうとするのです。

実は、これはそれほど複雑なことではないのです。
あなたは自分がするべきことを出来ていないので、自分の正しさを感じることが出来ないので、圧倒されていると感じ、無力と罪悪を感じるのです。
その時誰かがあなたを助けようとして、「その(あなたが無気力を感じている)場所から出るためにするべき事をあなたはしていない」と指摘したなら、「あなたは精霊と繋がる必要があるのだ」と指摘したなら、 つまり(あなたと関係を持っている)その人が(わたし達が今夜話している)このことを見るようあなたに指摘したなら、罪悪の意味を見るように指摘したなら、あなたはその人に対して怒り、自分がするべきことをやり過ごしてしまおうとするでしょう。  ガイダンスがあなたに与えている方向指示を無視してしまうでしょう。

この本を早く読み終わりたいと急いている人達も、これと同じことをしているのです。
このようにしてパートナーと関係をもっているあなたは、自分が見るべきことを見ないで済まそうとしているのです。
その時あなたは、その人が意地悪であなたに罪悪感を与えて気分悪くさせようとしていると言うでしょう。 

何故あなたはそう考えるのでしょうか?
(エゴが考える)自由の体験が得られるように、あなたはそう考えるのです。
見るべきことを見ないで済ませ、修正するべきことを修正しないで済ませ、その人が(あなたを助けようとしている人が)愛のある行動をしておらずあなたに罪悪を与えていると証明する自由を得ようとするのです。

これを理解するのはそれほど難しいことではないですね。
自由を得ようとして罪悪を使うことは、直接的にも間接的にもすることが可能です。
あなたが(怖れなどにより)圧倒されている時には、他者を誹謗するチャンスを捕まえて「その人があなたに罪悪(感)を与えている」と考えてしまわないよう注意することが重要です。
何故なら、あなたはこれをして彼等と言い争い、あなたに光明をもたらすもの(あなたのマインドを明晰にしてあなたを解放するもの)を見ることを妨害しようとしてしまうからです。

あなたは常に罪悪を使って(自分が持っているに違いないと確信している)罪悪から自由に成ろうとしているのです。
何故なら、あなたは自分を無力に感じており、「あなたが神の子であると知っていること(それを完全に意識し体験していること)」に相当する体験を持てるようには成れないと感じているからです。
あなた達全員はこれを(神の子としてのあなたを知ることを)求めているのです。  あなたは、神の子としてのあなたの原初の体験を求めているのです。 しかし、あなたは父と繋がることなくこれをしようと試みているのです。
そして、「苦しみから自由に成る一番簡単な方法は罪悪を使用することである」と常に感じているのです。 あなたが自分に与えている罪悪(感)から自由になるには、あなたの注意をそれから逸らして、あなたと関係を持っている人と争う必要がある、とあなたは感じているのです。
それを止めなさい。 このことに気づきなさい。

[You do not recognize that this IS its real appeal for the ego has taught you that FREEDOM lies in it. ]
[あなたは罪悪(の魅力)が特別な関係の本当の魅力だとは気付いていません。 何故なら「自由は特別な関係の中に存在している」とエゴがあなたに教えたからです。]

どんな自由でしょう? あなたが見なければいけないものを見ないで済ます自由です。
「あなたが何処でつまずいているか認識しないで済ます自由」が特別な関係の中に存在しているとエゴは言っているのです。
(特別な関係の中で得られるとエゴが示唆しているのは)この(無力/怖れ/罪悪の体験の瞬間に本当に有効なことをしないで済ましてしまう)自由です。
「本当に有効なこと」とは、あなたの父を思い出して「父よ、ここの真理は何ですか?」と言うことです。
「父よ、私はあなたの声を聞きたいです。 父よ、私はあなたの視点を持ちたいです。私を縛っている特別な関係を解消する唯一のことを私はしたいです。」

特別な関係を解消する唯一のこととは、あなたが関係の中で同胞(パートナー)と繋がる前にまず父と繋がることなのです。
何故なら、これをした時あなたは相互合意の枠組みなしに同胞と繋がるのだから。
あなた達は相互合意の枠組み(構造)をお互いに対して使用し続けており、これは愛の不在であって、従ってこれは自由の不在なのです。


[You do not recognize that this IS its real appeal, for the ego has taught you that FREEDOM lies in it. Yet the closer you look at the special relationship, the more apparent it becomes that it MUST foster guilt and therefore MUST imprison.]
[あなたは罪悪の魅力が特別な関係の本当の魅力だとは気付いていません。 何故なら「自由は特別な関係の中に存在している」とエゴがあなたに教えたからです。 しかし、あなたが特別な関係をより詳しく調べたなら、それが罪悪を温存しているに違いなく、だからそれは刑務所(あなたを拘束している所)に違いないと解るのです。]

これが真理である可能性を考えてみて欲しいのです。
これが事実であると私はあなたに告げています。 
あなたが心地良い体験をしていたとしても、とてもフレンドリーで親切でサポートに満ちたことをしていると考えている時でも、もしあなたがそれを神と共にしていなかったなら、あなたが関係しているすべてのものに対する真理を父の視点が照らし出している状態でなかったのなら、あなたは特別な関係の中にいて、そこでは罪悪がその主な動機になっているのです。
そこでは、あなたが良く(良きことを)感じていない時にあたかも良く感じているかの様に信じさせる効果を計算した上で親切が行なわれているのです。
そしてあなた達は、自分達を(神の木偶の坊ではなく、神に糸をひかれた操り人形ではなく)あたかもリアルな(独立した)子供達であるかのように見せようとしているのです。 
父と繋がることなく、あなた達は独立した存在のフリを続けているのです。

読み続けましょう。

[The special relationship is totally without meaning without a body. ]
[体がなければ、特別な関係は全く意味を持ちません。]

「特別な関係は人と人の間に起こっている事柄だと信じられている」と私は少し前に言いましたね。
これはどういう意味でしょう? 
この人(二つの腕を持ち、二つの足を持ち、頭を持ているこの人)とあの人(二つの腕を持ち、二つの足を持ち、頭を持ている、体としてのあの人)の関係{が成り立っていると考えられているのです}。
解りますか?
特別な関係とは体と体の間で起こっている(と思われている)ことなのです。
だから、

[The special relationship is totally without meaning without a body. And if you value it, you must ALSO value the body. And what you value you WILL keep. ]
[体がなければ、特別な関係は全く意味を持ちません。 あなたが特別な関係に価値を見いだしているなら、あなたは体に価値を見いだしています。 そしてあなたは価値があると思っているものを保とうとするのです。]

それを(特別な関係を)あなたは手放そうとしません。 あなたはそれを解放しないのです。 あなたは、それから(特別な関係から)他者達を解き放とうとはしていません。 そして貴方自身をそれから解放しようともしていません。 何故なら、あなたはそれを(特別な関係を)尊んでいるから。

[The special relationship is a device for limiting Your self to a body, and for limiting your perception of others to THEIRS.]
[特別な関係は、あなたの自己を体に限定するための、そして他者達に対するあなたの知覚を彼等の体に限定するための装置です。]

「そこでその形を取っているあなたは、ここでこの形を取っている私に対して責任があります。 わたし達はお互いに対してこのように振舞うべきです。 でなければ、私は罪悪を適切に使用してコントロールを行い、そこでその形を取っているあなたを正すでしょう。」

しかし特別な関係が形達の間に築かれているわけではないのです。
特別な関係とは、相互合意されている定義群の枠組み(構造)で、それを使用してあなた達の全ての行動や事柄に意味が与えられているのです。


[The special relationship is a device for limiting Your self to a body, and for limiting your perception of others to THEIRS. The great rays would establish the total LACK of value of the special relationship, if they were seen. For in seeing them, the body would disappear because its VALUE would be lost.]
[特別な関係は、あなたの自己を体に限定するための、そして他者達に対するあなたの知覚を彼等の体に限定するための装置です。 偉大な光線を見ることが出来たなら、特別な関係は無価値であることをそれが証明するでしょう。 何故なら、偉大な光線を見たなら、体の価値が失われて体は消え去るから。]

ここで理解するべき重要なことがあります。
偉大な光線が「存在(存在しているもの)」の根源的意味(意図)なのです。
それを「存在」の根源的エネルギー群と呼んでも良いでしょう。

このエネルギー群は、生命/真理/愛/プリンシプル(原則)/ソール(魂)/マインド/スピリット(霊)として見分けることが可能です。
これらは全て意味(意図)なのです。 これらは創造の全側面に体現されている意味(意図)なのです。 

光明が見えている瞬間に(完全に目覚めていなくとも、あなた達の多くがそれを得ています)あなたの体験が変容し、物体を見ていてその時(生きていないはずの)その物体が「生きている愛」に成った、という体験をした人もいることでしょう。
それは、その物体が神聖な意図で照らし出されたような感じです。
あなたが体験しているものが父であり、その実体が愛であり、それがあなたを愛していると明確にわかるのです。
(それはあなたから分かれて見えており、少なくとも「あなたがあなたであり、それがそれである」とハッキリ区別出来ており、そのことに関して混乱はありません)しかし、その物体があなたの一部であるとわかるのです。
それがそれであり、あなたがあなたであり、(あなたとその物体を含む)全てが一つであり愛である、と明確にわかるのです

この意図(偉大な光線)を体験している時、あなたが今まで体験していた物体は消え去ります。
あなたがその物体をどのように定義していたかは、その時あなたを満たしている神の動きと現れの体験の前では全く無意味になるのです。
それは(あなたが物体として見てきた物は)あなたの最上のあるいは最低の定義(相互合意されている定義群)とは全く関係のない意味(意図)を持っているのです。

それそのものは消えません。しかしそれに与えられていた限定的意味は消えるのです。
その時、物体が 石や花瓶として現れる代わりに、神の現れがあなたを照らしている体験が起こるのです。
それは神であって「石という神」ではありません。
神そのものが現れているのです。
「あなたが石として定義し神以外の定義を与えた現れ」が今一度「神そのもの」として現れているのです。

偉大な光線(複数形)。 創造(あなたはそれを物質として定義したのです)の中でそれらの意味/意図があなたに明確になったなら、物質的宇宙(あなたが作った定義構造)は消えて行くでしょう。 リアリティの素晴らしく圧倒される体験の中にそれは消えて行くでしょう(消えて行くように見えるでしょう)。

だから「あなたの体が消滅する」と言うことも可能です。
愛の体験の前では、ミネラルや鉱物の固まりとしての石(という定義)は全く無意味になり、
そのような定義が愛の体験で置き換えられるのです。
無限の表現と共にワンネス(一体性)として認識されているものが...{あなたの定義に取って代わるのです}。
確かに石は消えるのです。 そして神が現れるのです。 そこにリアリティが出現するのです。
解りますか? これが重要なのです。

下記が重要なことです。
特別な関係を放棄するあなたの意志により、あなたは体との自己同一(形や定義を使った世界認識)を放棄出来るようになるのです。
これが拘束の解除に繋がるのです。
何故なら(これが解るようになれば)あなたは「おお! 私と誰々の間にあるのは特別な関係ではない。」と言えるようになるのだから。

特別な関係とは、わたし達がお互いに対して使おうと決めた(複雑に組み合わされた)定義群なのです。
この定義群はリアリティではなく想像上のものなのです。
これを理解した時、あなたが使っていた人達(あなたが虐げてきた人達)の全感情から定義が解除されるのです。
特別な関係を持っている(ここではそう書きます)人達の間に癒しがもたらされるのです。

「あなたとあなたが関係を持っている人達」のそれぞれの形が、「愛」としてあなたに理解されるのです。 「愛」としてあなたに届くのです。 
それらは体現された「愛」、輝き現れている「愛」で、あなたを包んでおり、同じことが反対側でも起こっているとあなたに知らせているのです。
そして、人々の様々なディテイル(細部)が「神(無限のワンネス)に対する気付き」の中に消え去っているのです。リアルな愛に対する認識の中で{形/あなたの定義が}消滅しているのです。 
その時(リアルな関係を持っている)あなた達両方に目覚めるチャンスが与えられているのです。
解りますか?

だから、
[The special relationship is a device for limiting Your self to a body, and for limiting your perception of others to THEIRS. The great rays would establish the total LACK of value of the special relationship, if they were seen.]
[特別な関係は、あなたの自己を体に限定するための、そして他者達に対するあなたの知覚を彼等の体に限定するための装置です。 偉大な光線を見ることが出来たなら、特別な関係は無価値であることをそれが証明するでしょう。]

あなたが偉大な光線(複数)のどれかを垣間見たなら、特別な関係には全く価値がないことがわかるでしょう。 自分達の源に無意識なまま(したがって神の子に対する意識に気付かないまま)一緒に居るという形を選択したことには全く価値が無かったと理解出来るようになるでしょう。


[The great rays would establish the total LACK of value of the special relationship, if they were seen. For in seeing them, the body would disappear because its VALUE would be lost.]
[偉大な光線を見ることが出来たなら、特別な関係は無価値であることをそれが証明するでしょう。 何故なら、偉大な光線を見たなら、体の価値が失われて体は消え去るから。]

体に対するあなたの誤解が消えるのです。 何故なら相互(合意されている)定義の枠組みに対してあなたが与えた価値(それがあなたの誤解を生んでおり、それがあなたの誤解なのです)が消えるから。
(統合されている愛そして統合する愛として感じられる)神の現れの体験の前では、それら(相互合意されている定義群)は無意味でしかなのです。

[And so your whole investment in seeing it . . . with misunderstanding . . .would be withdrawn from it. You see the world you VALUE.]
[そうなれば、それ(体)を..誤解して...見ることへの全投資は、そこから引き抜かれるでしょう。 あなたは、あなたが価値を認めている世界を見ているのです。]
(上記では「誤解して- with misunderstanding」という言葉をラジがつけたしています。訳)

「特別な関係は、人と人の間に起こっている事ではない」と覚えておくことが大切です。

特別な関係とは(既に無限の意味(意図)を持っている)全てに対して{孤児達が独自に作った}意味を与えようとして使っている「相互合意されている枠組み構造」のことなのです。
しかし、全ては既に天国で、全ては既に神がそれ(創造)に成っている創造なのです。
{だから、相互合意の枠組みから来ている定義(意味づけ)など無意味なのです。}
故に相互合意を捨てること、想像上のものを放棄することが必要なのです。

これはとてもシンプルで、と同時にとても重要なことなのです。
「これは理解するには複雑過ぎる」とあなたのエゴに言わせるのは止めなさい。
何故なら、あなた達は(大なり小なり)これを(相互合意されている定義群の枠組み構造を)毎日使っているのだから。
だから、ここで正直に誠実に真摯になることが必要とされるのです。

注意してください。 「ラジ、あなたは私に罪悪感を懐かせようとしています。」とあなたは言ってしまうかもしれないから。
「あなた(ラジ)は私の全ての関係が特別な関係だと言おうとしています。 あなたは私が間違ったことをしていると言っています。 あなたは私を誹謗しています」
「あなたは私を憂鬱にさせています。 あなたは、全く益に成り得ないものを私に見させようとしています。」
わかりますか? {あなたがこのような反応に入ってしまうことも可能でしょう。}

あなたは、私が言っているシンプルなこと、あなたを解放するシンプルなことから逸れて行ってしまおうとするかもしれません。 何故なら、あなたの間違いを見なくても済む方向に動くことが自由と感じられてしまっているから。

私は、あなたを聖なる瞬間の方向に向けようとしているのです。
聖なる瞬間が(特別な関係の中の本当の餌である)罪悪の魅力からあなたを守る精霊の一番有効なツール(道具)なのです。
私は、あなたを聖なる瞬間(二つのステップ)の方向に向けさせようとしているのです。
「(私の間違いを指摘する事により)ラジが罪悪を使った」とあなたが私を断罪しなくても済むように。
だから、私はあなたの欠点を指摘したのではないのです。 
わかりますか?

特別な関係は人々の間に存在しいるものではないのです。 それは想像上のでっち上げなのです。

私は、兄弟姉妹としてあなたに話しかけています。
あなたが私やその他の人々を有罪にして(罪悪を与えて)しまうことにより、横道にそれてしまわないように。
そうする代わりに(反応することを)躊躇して、(反発することを)躊躇して、(分離的)思考を閉じて、静寂の中に(自分が十分有能でないことに対する)あなたの罪悪感や圧倒された感情へのこだわりを捨てて、「父よ、ここの真理は何ですか?」と訊ねるのです。
「精霊よ、私の正しいマインドでしかないものよ、ここの真理は何ですか? 私は「真理を知っているもの」と繋がりたいのです。」と訊ねるのです。

だから今週は、あなたが「特別な関係を実践している」全ての場所を探し当てようとするのではなく、創造を間違って表現している部分を探そうとするのではなく、聖なる瞬間の実践に時間を当ててください。
あなたは精霊に助けを求めることによって、それをするのです。
あなたは(あなたの注意/意識を精霊に与えて)精霊を助けることによって、精霊に助けられるのです。
あなたは(あなたの注意/意識をあなたの正しいマインドに与えることによって)「あなたの正しいマインドでしかないもの」を助けるのです。
そして(あなたと他の人々が実践することに同意してしまっている)あなたのプライベートなマインドにこだわるのは(実際にはそのようなことは不可能なのだから)止めるべきなのです。

今週は偉大な一週間をお過ごしてください。

「上手く働いていないこと」を見るのを厭うのは止めなさい。 それを見つめて、それが上手く働いていないと認識出来るようになりなさい。 「上手く働いていないこと」にあなたがこだわらなくなるように。
そして「今までとは違うこと」をあなたがし始められるように。
「(あなたを解放する)何か今までとは違うこと」を指摘している人をあなたが有罪にしなくても済むように。

来週お会い出来ることを楽しみにしています。



「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはその様なものだから。 
貴方と同等の方が既にこのギフトを貴方に差し出したので、これらの資料が貴方に提示されています。 Raj の指示により、これらの資料が売買される事はありません。 この機関「Northwest Foundation for A Course In Miracles」へ募金される場合、下記のWEBサイトを通して行なうか、あるいは下記の住所に郵送して下さい。
この日本語翻訳はNWFFACIMの運営には直接関与していない一個人が行ったものです。


A Course in Miracles Study Group with Raj, November 27th 2010
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テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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この人(二つの腕を持ち、二つの足を持ち、頭を持ているこの人)とあの人(二つの腕を持ち、二つの足を持ち、頭を持ている、体としてのあの人)の関係{が成り立っていると考えられているのです}。
解りますか?

特別な関係とは体と体の間で起こっている(と思われている)ことなのです。
{カッコの部分を付け足しました}
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翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

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