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ACIM10-12-04

December 4th, 2010 ©NWFFACIM 2010年 12月 4日

原文テキスト
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=30269&mid=145298#M145298
オーディオ&ビデオ
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=30260&mid=145259#M145259


A Course In Miracles (参照ページ)
Chapter 16 – Section – THE BRIDGE TO THE REAL WORLD
1 Sparkly Book–p.394, Last Par. / JCIM– p.165, 8th Full Par. / CIMS – p. 332, Par. 62
First Edition – p. 321, Last Par., 2nd Sen. / Second Edition – p. 345, Par. 5, 2nd Sen.


こんばんは、ようこそ。


我々は「ア・コース・イン・ミラクルズの中に出てくる特別な関係は人々の間にあるものではない」という事実を把握し始める重要な時点に来ています。
特別な関係は、幾層もの複雑に組み合わさった定義群によって築かれているのです。
そして、それらの定義群を作っているのは自分達が本当は何か知らない者達、自らの源と繋がっていない者達、従って無知の中で行動することから来るカオスによって統治されている者達なのです。

何故この理解が重要なのでしょう?
あなたが特別な関係を解除しようとしている時、「お互いを向上させよう」という無駄なことをしないために、この理解が必要なのです。
「我々の特別な関係を改善しましょう。 聖なる関係を築き上げましょう。 我々の関係の悪い所を指摘し合いましょう。 我々が特別な関係に至ってしまわないように。」
そうあなたが言っている時、そこには対話があり関わり合いがあるので、何か意味深いことをしているように感じられるかもしれません。

しかしそのようなことをしている時、あなた達はまだ特別な関係の中にはまり込んでおり、あなた達に自由をもたらすことは何も起こっていないのです。
その理由は、あなたが間違った所に働きかけているからです。 わかりますか?

多くの人達が自分達の特別な関係を修正/改善してそれを聖なる関係に変換しようと幾年もの月日を費やしていますが、それをしている間彼等はお互いに対して特別な関係を使い続けているだけなのです。
彼等は「聖なる瞬間」に対する自分達の現在の最上の概念を元に、お互いを操り説得しようとしているのです。
しかしそれでも(その時彼等が使おうとしている)「聖なる瞬間に対する最上の最新の概念」は、「自分達の源と繋がっておらず自分達が何か誰か気付いていない者達によって作り出されているもの」なのです。 わかりますか?

見当外れなものを放棄しようと試み続けて時間を無駄にするのは止めるべきです。
特別な関係を放棄するには、それを上手くやれる方法で行なう必要があります。
だから特別な関係を解除したいなら、あなたのパートナーを(あなたと関係を持っている人々を)あなたの意識の中心(注意の焦点)に据えるのは止しなさい。
「特別な関係を発生させているもの」を放棄することによって、あなたは特別な関係の影響から抜け出るのです。

「特別な関係」を発生させているのは、定義と意味付けなのです。
「特別な関係」を発生させているのは、あなたが全ての上に覆い被せている定義と意味付けなのです。
これは(あなたの)内部で起こっていることなのです。 何故なら、特別な関係は想像上のものだから。
お互いとのリアルな繋がりを元に振舞っているのではなく、無知の上に振舞うことにより、あなた達は自分達の関係にネガティブな影響を与え続けています(与え続けているように見えるのです)。
だから、あなたが(あるいは相手が)問題を起こしているように見えるのです。
だから「欠点を指摘したりして、お互いに対して働きかけなければいけない」とあなた達は考えてしまうのです。 これが誤解の元なのです。
だから特別な関係(心地良くない関係、上手く行かない関係、満たされない関係、将来上手く行かなくなるかもしれない関係)を放棄するために、あなたはパートナー(相手)との関係から一歩退いて、自分の内に入っていく必要があります。

と言っても、自分の中に入って問題を発見し分析する必要はありません。 そのようなことをしても、それはまだプライベートな(精霊から離れた)プロセスでしかありません。 それはユニオン(合一/再統合)が起こるプロセスではありません。
それは(分離の観点から問題を調べることは)あなたが自分の孤独を破り「父よ、ここの真理は何ですか?」と言っている「二つのステップ」の結果ではありません。 
それは(問題を調べることは)あなたが「わたしの正気でしかないものよ、ここの真理は何ですか?」と言っている結果として現れているものではありません。

あなたは「父よ、ここの真理は何ですか?」といって自分の孤立を破るのです。 あなたはこれを行なって(全ての定義が作られておりそれらを尊ぶ合意が行なわれている)アリーナ(劇場)を放棄するのです。
このようにして、あなたがプライバシーを放棄したなら、分離を放棄したなら(兄弟姉妹からの分離ではなく、あなたの源(父)からの分離を放棄したなら)、その放棄の中であなたは聖なる瞬間を体験するのです。
その時あなたは父の視点(それがあなたの真の視点です)の流入が体験出来るポジションにいるのです。
この繋がった/統合された視点から、あなたは兄弟姉妹と関わり合い始めるのです(特別な関係ではない関係を築くのです)。
こうしてあなたは、聖なる関係を元に兄弟姉妹と関わり合うのです。

しかしこれは(そこで起こっていることは)、あなたの定義や概念に基づいた「聖なる関係」ではないのです。
聖なる関係とは、兄弟姉妹と(そしてあなたが関係を持っている全ての「創造」と)関わっている真っ最中にあなたが真理を知ることの結果なのです。

だから、あなたの目覚めを阻んでいるものは全く何も無いのです。
あなたは、自分の兄弟姉妹が何かすることを待つ必要は無いのです。 
彼等がたとえ変化しなくても、あなたは目覚められるのです。
あなたは「父よ、私に話しかけてください。 精霊よ、私に話しかけてください。 目覚めている兄弟姉妹よ、私に話しかけてください。」と言って(父/精霊/目覚めている兄弟姉妹と)繋がることが出来るのです。
あなたは、合一(ユニオン)という生き生きとした意識的体験を得ることが出来るのです。

そのために兄弟姉妹を変えようとする必要はありません。 彼等が変化しなくとも、あなたは合一の体験が持てるのです。
あなたは自分の中に入って自身の孤立を捨てるだけでよいのです。
それが「神の法が行なわれている意識体験」をあなたにもたらします。 そこでは神の視界が絶え間なくあなたの意識体験に成っているのです。

これはドミノ倒しの、一番最初のドミノを押すようなことです。 しかし、あなたはその最初のドミノを押す必要はないのです。 ただ「ドミノを支えること(分離した意識を持ち続けようとすること)」をやめれば良いだけなのです。
つまり、あなたは自分の最上の判断を放棄すれば良いのです。 あなたの悩みの種を放棄するのです。 あなたの慣習的な一番の怖れを放棄するのです。 プライベートな人として「惨めな自分」のフリをすること(何故なら全ての孤児は「惨めな自分」のフリをするものだから)を放棄するのです。
もしまだ目覚めていないなら、(何らかの意味で)あなたはまだ「惨めな自分」を演じているのです。

「惨めな自分(孤児)」を演じていなかったなら、あなたは直ぐに目覚め(二度と怖れることなく)自分が力に満ち溢れていることを発見するでしょう。
その時、惨めな自分を演じて他者を操る必要はもう無いのです。



だから特別な関係を放棄する方法とは(我々が長く話し続けている)聖なる瞬間のことなのです。 これがコースの教えようとしている主題/トピック/科目/実践なのです。

本を読み始めましょう。 少し後戻りして読み返しましょう。

[You see the world you VALUE.1]
[あなたは、あなたが価値を認めている世界を見ているのです。]

あなたは「惨めな自分」を演じることに価値を認めています。 あなたは「惨めな自分」の目を通して世界を見ているのです。
そしてあらゆる「惨めな孤児達のゲーム」で遊んでいるのです。 あなたは自分の信念の全てをかけてこれらのゲームに興じています。 そして、他者にもこのゲームを真剣にプレーさせようとしています。
そして、あなたと共に特別な合意を築いている全ての人達にこの合意を守らせ、彼等がこの合意を侵害することがないようにさせようとしています。
だから常にあなたは彼等を操っており、彼等を怖れるており、そうすることに忙しいのです。
これが孤児(惨めな自分)の貧しい存在状態なのです。
これが自分が誰か忘れてしまった者/自分がファミリーの一員であることを忘れてしまった者の存在状態なのです。

あなたは、自分が「絶対的統一性を持っている(全ての部分が他の全ての部分と調和している)聖なるファミリー」の一員であることを忘れてしまっているのです。
全ての細部が、創造の素晴らしい全側面が、ファミリーを構成しているのです。 あなた達全員はこのファミリーの切り離せない(常に繋がり続けている)メンバーなのです。

[You see the world you VALUE.]
[あなたは、あなたが価値を認めている世界を見ているのです。]

さて、あなたは真理を尊んでいるでしょうか?
(先週も言いましたが)あなたは真理のために(真理が自分にとって一番価値のあるものだと認めて)その他全てを{真理以外の全ての見方を}放棄することが出来ているでしょうか? 
まだ出来ていません。
しかしこのシフトが起きるべき時なのです。  このシフトを許可するコミットメント(信心)を与えるべき時が来ています。
「真理が何か?」訊ね、「そこから得られる答えに自分の注意を全て与えることの方が(分離した見方にこだわり続けるより)意味深い」と決断するべき時です。 何故なら、あなたはそれを求めており、父は自分の創造に対して自身の全てを与えているのだから。

あなたは(他のことを全て止めて)このこと(二つのステップ)だけをしようと思えるように成らなければいけません。 
あなたのするべきことは、これだけシンプル(純粋)なのです。

しかしあなたはまだ怖ろしい考えに中毒しています。 あなたは「不安をもたらすもの」にまだ中毒しています。
あなたは「無意識の内に感情的な高揚感をもたらすもの」に中毒しています。
わかりますか?

[On this side of the bridge, you see the world of separate bodies, seeking to join each other in separate unions,]
[架け橋のこちら側では、あなたは分離した複数の体の世界を見ています。 その世界の中では、分離した体達が分離した合一の中でお互いと繋がろうとしており、]

つまり「貧しく卑小で分離した私」が「貧しく卑小で分離したあなた」と繋がろうとしているのです。 そして貧しく卑小で分離した存在である我々二人が、一つに繋がろうとしているのです。 
このように言えば余りよく聞えませんね? しかしあなた達はこれを良いこととして知覚認識し、これを良き方法で行なおうとし、そこには良き結果が約束されていると想像し、これを価値のあることとして考えようとするのです。
しかし、


[On this side of the bridge, you see the world of separate bodies, seeking to join each other in separate unions, and to become one by losing .]
[架け橋のこちら側では、あなたは分離した複数の体の世界を見ています。 その世界の中では、分離した体達が分離した合一の中でお互いと繋がろうとしており、失うことによって一つに成ろうとしているんです。]

どのようにして失うのでしょうか?
「自分達が誰か」思い出せないままでいることにより失うのです。 自分達の源と繋がらないことによって失うのです。 しかしあなた達の源は(「愚かな卑小な二人の孤児達」の行いを必要とはしていない、既に実存している)あなた達の全体性と神聖を示しているのです。


[When TWO individuals seek to become one, they are trying to DECREASE their magnitude.]
[(分離した体の世界で)二人の個人が一つに成ろうとしている時、彼等は自分達の巨大さを減らそうとしているのです。]

どのようにして自分達の巨大さ(偉大さ)を減らすのでしょうか?
自分達の卑小さを増加させることによって、あなた達は自分達の巨大さを軽減するのです。
「愚かな卑小な私が愚かな卑小なあなたと繋がって、二つの惨めな卑小な者達がこの卑小さの中から何か意味深いものを作り上げましょう。」
「偉大な希望と信念と信頼と意図を使って『達成出来るはずがないこと』をあえて達成させてしまいましょう。」
このようにして不完全なもの同士をつなげて、不完全なものをより完全にしようとするのは、狂気の沙汰であり実益のないものです。

[When TWO individuals seek to become one, they are trying to DECREASE their magnitude. Each would deny his power, . .]
[(分離した体の世界で)二人の個人が一つに成ろうとしている時、彼等は自分達の巨大さを減らそうとしているのです。...それぞれの人が自分の力を否定するのです。]

{このようにしてあなた達は} (自分達を成り立たせている)神の現れの力を否定しようとしているのです。

[Each would deny his power, for the SEPARATE union excludes the universe.]
[分離した合一は宇宙を排除するものなので、それぞれの人が自分の力を否定するのです。]

「広大な宇宙があそこに在って、卑小な私がここに居て。 ここにいる卑小な私が、そこにいる卑小なあなたと繋がりましょう。」 (と、こう考え振舞っているのです。)
「そして必要なら、わたし達は全世界に対して立ち向かいましょう!」
わかりますか? ここには合一がありません。 この考えは{自分達の中から}宇宙を排除しようとしているのです。


[Far more is left outside than would be taken in. For God is left without, . .]
[(その合一の)中に取り入れられるよりも多くのものが外に排除されるのです。 何故なら、神が取り除かれており]

そう(そこでは)神が取り除かれているのです。 
「父よ、私は自分のやり方で行ないたいです。 父よ、私自身で物事を決めたいです。」


[For God is left without, and NOTHING taken in.]
[何故なら、(その合一の中では)神が取り除かれており、そして何もその中に取り入れられていないのだから。]

少なくとも現時点では、まだ何もその中には取り入れられていません。
卑小さ(惨めさ)が他の卑小さと繋がろうとしており、卑小さ(卑小なもの)をより良い体験にしようと試みているのです。
そこには、卑小さ(惨めさ)を放棄しようという意志は無く、卑小さを放棄しようとする試みは行なわれていないのです。

[If ONE such union were made in perfect faith, the universe WOULD enter into it. Yet the special relationship which the ego seeks does not include even one whole individual.]
[もし完璧な信心をもってその様な合一が行なわれたなら、宇宙がその(合一の)中に入って来ることでしょう。 しかし、エゴが求めている特別な関係は、その中に一個人全体さへも入れようとはしていないのです。]

だから、あなた達がお互いを向上させようとしても無駄なのです。
そして、「特別な関係」は個人と個人の間に築かれているようなものではないのです。

しかしあなたが(感情的反応や思考判断を)躊躇して「二つのステップ」を行い「聖なる瞬間」の中に入ったなら、そこで真理を知りたいを願ったなら、真理があなたに示されます。
その時あなたの全体があなたに示されるでしょう。 神の現れがあなたの中であなたとして体験されるでしょう。 その時あなたは全く混乱してはいないのです。

「卑小な私は神なのだ!」とあなたが考えるようになる訳ではありません。
そうではなく「私の全ては神なのだ...神の素晴らしさと全体性(統一性)が私の全てなのだ。」
「今まで『私は、卑小な貧しい私で、その卑小な私が卑小なあなたと繋がっている(関わり合っている)』と言って考えていたけれども、『神がここにある全てに成っていて、ここにある全ては神が成っているものだ』という意識(気付き)に喜んで譲ることにしよう。」
{とあなたは言えるようになるのです。}


[Yet the special relationship which the ego seeks does not include even one whole individual. For the ego wants but PART of him, and sees ONLY this part and nothing else.]
[しかし、エゴが求めている特別な関係は、その中に一個人全体さへも入れようとはしていないのです。 何故なら、エゴは彼の(一個人全体の)一部だけを求めており、その部分だけを見て、それ以外は全く見ていないのだから。]

エゴが見ようとしている彼の一部とは何でしょうか?
それは神と全く関係を持っていない部分です。 それは(自分の権限で何者かに成ろうとしている)「独立した存在」として見えている部分です。
これがエゴが見ようとしている部分なのです。

「私が神と繋がっているなんて聞きたくない。 あなたが神と繋がっているなんて言ってはいけません。 そのような戯言は言いなさるな。」
「そのようなことは意味を成していない。 そのようなことは実際的ではない。 そのようなことは私が世界の中で成功を修めることには全く役立たない。」
{とエゴは言っているわけです。}


[. . . God is left without and NOTHING taken in, . . .]
[(その合一の中では)神が取り除かれており、そして何もその中に取り入れられていないのだから。]
[For the ego wants but PART of him, and sees ONLY this part and nothing else.]
[何故なら、エゴは彼の(一個人全体の)一部だけを求めており、その部分だけを見て、それ以外は全く見ていないのだから。]

さて、わたし達は架け橋のこちら側がどのようなものか話してきました。
この橋は、「父から離縁しようというあなたの決意、あるいは、自分達の権限を使って自分達だけで存在しようというあなた達の試み」を象徴しているのだと言うことも出来ます。
この決意(試み)がここで(この橋を渡ることにより)放棄されるのです。


[Across the bridge, it is so different! For a time the body is still seen, but not exclusively, as it is seen here. ]
[橋の向こう側の様子は全く異なっています。 暫くの間、体は見え続けることでしょう。 しかし、ここで(橋のこちら側で)見えていたように排他的には見えなくなるのです。]

あなたがまだ合一(ユニティー)を体験していない時点で見えていた様子、あなたがまだ神と継続的に合一していない時点で見えていた様子とは違うのです。
しかし、あなたは少なくとも一時的な(合一)体験を持ち、それまでのように完全に孤立したようには感じなくなっているかもしれません。
その体験をしたなら、あなたの神聖に無意識なままでいることは(神の愛があなたを無条件に抱擁しているという事実を無視することは)もはや出来なくなるでしょう。

[For a time the body is still seen, but not exclusively, as it is seen here. ]
[暫くの間、体は見え続けることでしょう。 しかし、ここで(橋のこちら側で)見えていたように排他的には見えなくなるのです。]

排他的(exclusively)とは、他の全てのものから完全に分離した様子で、それ自身だけで孤立して存在している、という意味です。


[For a time the body is still seen, but not exclusively, as it is seen here. ]
[暫くの間、体は見え続けることでしょう。 しかし、ここで(橋のこちら側で)見えていたように排他的には見えなくなるのです。]

あなたがこの体験をしたなら、その体験から(あなたが居る、あるいはその他の物体が在る「そこ」に示されている)神の存在の啓示が得られたなら、神が現れるのです。
その時、あなたの目の前に在るものが(神を完全に表現し体言している全ての意図/意味としての)神である、とあなたに明確に分かるのです。
その時、「あなたがそれ(目の前に在るもの)に対して考えていたこと」があなたのマインドから消えるのです。
それまであなたがそれに与えていた定義はとても限定されており、恐ろしさに満ちていたのです。 その恐ろしさは、あなたがそれを見ている時に使っていた怖れと同等なのです。
しかし、その時あなたはそれに(目の前のものに)対する新しい体験を持っているので、怖れと定義はあなたがそれを見ている最中に消え去るのです。

しかし、それそのものが消えて無くなるわけではないのです。 それを体験している時にあなたが使っていた「小さく限定された見方」が消えるのです。  それが(それそのものが)どれだけ小さなものに見えたとしても、それは神の全体性(全一性)と豊かさの全てを無限に現しており、内包しているのです。
それは全体であり、あなたから分離してはいないのです。 それはあなたの一部であり、あなたはそれの一部なのです。 何故なら、創造の表現は無限であっても、創造は「ひとつ」だから。


だから、
[For a time the body is still seen, . .]
[暫くの間、体は見え続けることでしょう。] 

もう暫くの間、あなたは物事を自分達が定義したものとして見続けることが出来るでしょう。
もう暫くの間、(あなた達が物事/リアリティの上に掛けた定義の)残像を見続けることが出来るでしょう。
あなた達が物事の上に掛けてきた定義やそれらに付随した感覚は、微かになりながら消えて行くでしょう。
あなたが新しい体験と共に見ているものは、あなたが今まで見てきたものと同一なのですが、それはもはや暗いガラス越しに見えているのではないのです。 何故なら、鱗があなたの目から落ちたのだから。


[For a time the body is still seen, but not exclusively, as it is seen here. ]
[暫くの間、体は見え続けることでしょう。 しかし、ここで(橋のこちら側で)見えていたように排他的には見えなくなるのです。]

[For the little spark which holds the great rays within it is ALSO visible, and this spark cannot be limited long to littleness. ]
[何故なら(内に偉大な光線を抱いている)小さなスパーク(閃光)も見えているのだから。 そしてこのスパークを卑小さの中に長く限定しておくことは出来ないから。]

そこに神を体験し続けながら、あなたが今までそこに与えて使ってきた定義を完全に否定しないでいることは不可能なのです。

[Once you have crossed the bridge, the value of the body is so diminished in your sight, that you will see no need at all to magnify it. ]
[一旦あなたが架け橋を渡ったなら、あなたの中で体の価値はとても軽減されるので、それを拡大する必要はすぐになくなります。]


[Once you have crossed the bridge, ]
[一旦あなたが架け橋を渡ったなら、]
一旦あなたが聖なる瞬間を持ったなら。 
一旦あなたが「父よ、ここの真理は何ですか?」と言ったなら。

[. . . the value of the body . . .]
[体の価値は]
体にあなたが与えた定義と意味は

[. . . is so diminished in your sight, that you will see no need at all to magnify it. ]
[はとても軽減されるので、それを拡大する必要はすぐになくなります。]

体(ボディー/形)をどうにかしたり、より良くしたり、大きくしたり、偉大にしたり、より効果的にしたり、強くしたり、コントロールして、より効果的な存在にしようとする必要はないのです。
あなたはそれを拡大する必要を感じないのです。 体は、それらのこと(コントロールや操作)をするために存在しているのではないのです。 あなたは体をそられらのために使ってきたのだけれど。

[For you will realize that the only value which the body has . . .]
[何故なら体の唯一の価値は]

分離したものとしての、孤立したもの達に囲まれた孤立したもの(しかし体は本当は孤立/分離したものでは決してなかったのですが)としての体の価値は


[For you will realize that the only value which the body has is to enable you to bring your brothers to the bridge WITH you, and to be released TOGETHER there.]
[何故なら、体の唯一の価値は「あなたが自分の兄弟を自分と共に架け橋に連れて行き、そこで一緒に開放されること」を可能にすることだけだとあなたは理解するのだから。]

さて、これはどういう意味でしょうか?
上記の文章は「体に対する定義の価値は、あなたやその他の人達が作り上げた身体への定義の価値は、あなたが聖なる瞬間を体験している時に他者と繋がるためのポイント(目印)を提供することだけなのです。 あなたが真理を瞬間的に体験している時、それを他者へコミュニケート(伝達)出来るように、私(ラジ)が今していること全てがあなたにも出来るように。」という意味のなのです。
そして「特別な関係を持っている人達などは実存していない」と解るようになるのです。

そして前にも言ったように、「特別な関係」とは「(あなた達が作り上げてそれに従うよう合意している)定義や意味を複雑に組み合わせたものでしかない」と理解することが出来るようになるのです。
だから特別な関係は、定義や意味の枠組みは、シャボン玉のように弾け飛んでしまうのです。
その時あなた達二人には「本当に違いをもたらすこと/上手く働くこと」の結果が得られるのです。 「自分達がでっちあげた定義と意味を信じてそれらに従って働く内的意図」を放棄して、父との合一の生きた瞬間の中に入ることを選ぶのです。
その瞬間にあなたは父の現在の視点を体験するのです。 全創造の現在の神聖に対する現在の気付きを得るのです。
あなたは直線的プロセス(直線的思考)から外れて、存在の動きの自律性/自発性に自身を任せなければいけないのです。 
創造の動き(その中で起こる全てが驚きなのです)に参加出来るようになる為に、あなたはコントロールを放棄しなければいけないのです。


次が重要な点です。
[The bridge itself is nothing more than a transition in your perspective of reality. ]
[架け橋そのものは、リアリティに対するあなたの視点の変容にしか過ぎないのです。]

あなた達はもう既に神の子なのです。

あなたはもう既に神の素晴らしい現れなのです。 あなたは既に神聖なのです。
あなたが罪/病/死を使うことは初めから不可能なのです。 
罪/病/死に付随した諸々のことも不可能なのです。

そして(時間が発生しているように見えている限り)それぞれの瞬間に「神聖なあなたであるもの」が現れ続けているのです。 
それぞれの瞬間に瞬間的癒やしとして知覚されるべきものが、あなたが関係している全てのもの(例えば、あなたの体/テーブル/ガラス/鼻/樹木)に対する瞬間的変容が、現れ続けているのです。
そして突然に神が現れ、あなたは樹木が何か理解するのです。 
そして突然に神が現れ、あなたは自分の兄弟が何か理解するのです。 
『「神のいない状態」としてあなたが貧しく定義したもの』に対する神の真の意味を、そこに(あなたが自分の貧しい定義をついさっきまで見ていたそこに)感じるのです。


[The bridge itself is nothing more than a transition in your perspective of reality. On this side, everything you see is grossly distorted and completely out of perspective. ]
[架け橋そのものは、リアリティに対するあなたの視点の変容にしか過ぎないのです。 こちら側では、あなたが見る全てのものは非常に歪められており、全く均衡(バランス)を欠いているのです。]

あなたは自分が見ているものが非常に歪められているとは考えておらず、そう感じてもいないのです。
何故なら、あなたは自分が生まれて/育って/問題を抱えて/病を体験し/出来れば病を克服し/最終的には年老いて死ぬことがノーマル(普通)だと考えているから。
あなたはそれが普通だと考えており、それがおかしなことだとは感じていないのです。
しかし、私はそれがノーマル(普通)ではないと言っているのです。
それは物事の本来あるべき姿ではないのです。

より良きことがあるのです。
(あなた達全員が被っている「均衡を欠いた視界」を全く含んでいない)絶対真理が存在しているのです。
あなたは、自分の現在の見方を盲目のままに無知のままに受け入れ続けることを止めなければいけません。 そのために聖なる瞬間が必要なのです。
聖なる瞬間を持つことにより、あなたは無知から抜け出るのです。 本当の変化/変容を本当に体験し始めるのです。
それが必要な全てなのです。


架け橋のこちら側では...
[What is little and insignificant is magnified, and what is strong and powerful cut down to littleness. ]
[卑小で無意味なものが増強されており、強くパワフルなものが小さく減少されているのです。]

あなたが「父よ、私は離縁したいです。 私は孤児になりたいです」と言って、あなたの存在の無限(限り無さ)を放棄した時、これ以外の何が期待出来るでしょうか。


[In the transition there is a period of confusion, in which a sense of actual disorientation seems to occur. ]
[移行中には混乱する期間があるでしょう。 そして本当に混乱が起こっているように感じられるでしょう。]

あなたが二つのステップを行なって繋がったなら、あなたが合一(ユニオン)を体験しあなたの視界が変化しあなたの価値観が変わっていくに従い、混乱する期間があることでしょう。
上記を理解しておくことが重要です。 
そうでなければ、混乱を感じたあなたは何かが間違っていると考えてしまい、「父よ、ここの真理は何ですか?」と訊ね続けることを止めてしまうから。


[But fear it not, for it means nothing more than that you have been willing to let go your hold on the distorted frame of reference which seemed to hold your world together.]
[しかし怖れるのは止めなさい。 何故ならこれは、あなたが歪んだ枠組みを手放しつつあるということなのだから。 そして、この歪んだ枠組み(構造)を使ってあなたは自分の世界を保持して来たのです。]

あなたが、自分達の相互合意されている定義にしがみ付いている理由の一つは、それがあなたを変化から守るために開発されているからです。 あなたは「相互合意されている定義」を使って「望ましくない変化の犠牲者」に自分が成らないようにしようとして来たのです。

しかし、あなたは「父よ、私がコントロールしていることではなく、私がしていることではなく、私が信じていることではなく、ここの真理は何ですか?」と言って、「あなたにコントロールをもたらして来たこと(相互合意された定義群の使用)」を止めるのべきなのです。

(その時にもたらされる)「ここの真理」はただ知識的なものではなく、体験なのです。
だから、あなたは自分のコントロール(関与)を意識的に放棄して、「何か他のもの」を受け入れるべきなのです。 
その時あなたは確かに、ある種の眩暈/混乱と不安を感じることでしょう。

その時にはこう言いなさい。 
「私は真理を尊んでいるだろうか? 私は「今まで体験して来たこと」以上にリアリティに価値を与えようとしているだろうか? もしそうなら私はこれを続けよう。」


[This frame of reference is built around the special relationship. WITHOUT this illusion, there can BE no meaning you would still seek here.]
[この視点の枠組みは特別な関係の周りに作られているのです。 この幻想が無くなれば、あなたがここで探し続けようとする意味は存在し得なくなります。]

この視点の枠組みが、あなたの世界が成り立っているように見せているのです。

[Fear not that you will be abruptly lifted up and hurled into reality. Time is kind, and if you use if FOR reality, it will keep gentle pace with you in your transition. The urgency is only in dislodging your minds from their fixed position here. This will not leave you homeless, and without a frame of reference. ]
[自分が乱暴に引き上げられてリアリティの中に叩き込まれてしまうかもしれない、と心配するのは止めなさい。 時間は優しいものです。  時間をリアリティのために使ったなら、あなたが変化して行くにあたり時間は優しいペースを与えることでしょう。 急を要するのは、あなた達のマインドをここでの固定されたポジションから外すことなのです。 これをしてもホームレス(家なし子)になるわけではありません。 視点の枠組みが全くなくなるわけではありません。]

家なし子にはならないのです。


[The period of disorientation, which precedes the actual transition, is far shorter than the time it took to fix your minds so firmly on illusions. Delay will hurt you now more than before, only because you realize it IS delay, and that escape from pain is really possible. ]
[本格的な移行の前に起こる混乱期は、あなた達が自分達のマインドを幻想に結び付けた時に掛かった時間よりも短いでしょう。 この時点でグズグズすること(移行を延期すること)は、以前以上の痛みをもたらすでしょう。 その唯一の理由は、現在のあなたにはそれが延期でしかないと明確に理解出来ており、そして痛みからの解放が本当に可能だと理解出来ているからです。 ]

この移行(シフト)が起こったなら、あなたは自分の行動/思考の報いを自分が直ぐ受け取っていると感じ始めるでしょう。 あなたが「上手く働かないこと」を行なおうとした場合、「それが上手く働かなかった結果」を得るまでの時間は以前よりもとても短くなっているでしょう。
あなたが「上手く行かないこと」を長く続けることはもはや出来ないでしょう。
これは不当なことと感じられてしまうかもしれません。
他者は依然として愚かなことをし続けることが出来ているのに、あなたにはその余裕は既にないのだから。

しかし、これは何らかのレベルであなたに真理が与えられており、あなたがそれを体験しており、あなたは以前ほどには真理に抵抗していないので、真理がより多くあなたに与えられており、つまり真理があなたの中に注がれているからなのです。
あなたが真に求めていたことが実際に起こっているのです。

そこでは辛いと思っても我慢して辛抱してください。
これは、このように働くのだから。
目覚めはこのように感じられるのです。

今週は、我々が今夜話したことを読み返してください。
これは気落ちするようなことではないのです。 あなたはそのことを思い出し続けなければいけません。
あなたは混乱を感じてしまい、シンプルには感じないかもしれません。
「自分にバランス(均衡)をもたらして来たとあなたが考えているもの」を手放して、「あなたのバランスであるもの」に身を任せたなら、その時ある程度の怖れが起こるでしょう。 少しバランスが崩れたような気持ちになるでしょう。
それはナチュラルな自然なことです。 それは良きことです。
あなたが「(あなたが誰か故に、あなたが何か故に)あなたのバランスであるもの」を頼りにし始めて「あなたに本当のバランスはもたらして来なかったもの」への信心を失くすことは良いことです。

これらのこと(これらの文章が)読んでも嬉しくなかったり、インスピレーションをもたらさないと思われたり、難しすぎるワークだと思われても、顔をそむけてしまうのはよしなさい。
何故なら、あなたは「あなたを満たしてこなかったこと」から開放されるべきなのだから。

私はあなたを愛しています。 
そして来週お会い出来るのを楽しみにしています。
我々は教えの中で大きく前進出来る地点まで来ています。 偽りの拘束からの偉大な開放が可能になる地点まで来ています。
だからそれを期待してください。 希望を持ってください。
そして喜ぶ気持ちを持とうとしてください。


「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはその様なものだから。 
貴方と同等の方が既にこのギフトを貴方に差し出したので、これらの資料が貴方に提示されています。 Raj の指示により、これらの資料が売買される事はありません。 この機関「Northwest Foundation for A Course In Miracles」へ募金される場合、下記のWEBサイトを通して行なうか、あるいは下記の住所に郵送して下さい。
この日本語翻訳はNWFFACIMの運営には直接関与していない一個人が行ったものです。

A Course in Miracles Study Group with Raj, December 4th 2010
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テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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ありがとうございます。

短い時間では詠み切れず、つい纏めて詠む時間を
待っているととても時間が必要です(気づいて居ない者には難解ですから・・)。
しかし、それは自分に必要な時(最も気づきに効果的な時)に目にふれるようになっている・・
と今、感じられます。

それにしても毎回上手く順序よく載せていただけるものだ!と驚きです。
神業です。(笑) (勿論、岡上さんが、2つのステップによって
進めていらっしゃるのだから当然ですね・・。)

何か問題にぶつかって解消しても、何度か(問題が違っても)同じパターンを繰り返すと
「これは解決しているんじゃない。その場しのぎだ」と感じるもので、
やはり、苦難を通して、いや、苦難をキッカケとして気づきはやってくるのだと感じます。
(苦難はなんとかしようと見つめますからね。)
しかし、ここでは、その「自らである」とするパターンの出所を気づく必要を問われている・・
と感じました。
私達はずいぶんと神から遠いところへきてしまっているのだなぁ・・と思います。
「神の子である。」こともぼやけさせてしまっているのですから。
何度も詠ませていただき、気づきを深めたいと思います。
ありがとうございます。

setsuko さん

励ましのコメントありがとうございます。

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翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
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