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ACIM10-12-18

December 18th, 2010 ©NWFFACIM 2010年 12月 18日

原文テキスト
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=30346&mid=145554#M145554
オーディオ&ビデオ
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=30337&mid=145527#M145527



こんばんは、ようこそ。

今日は本は読みません。
今回はいつもより短い話になるでしょう。
皆さんにお伝えしたいことがあります。

今日私は「救世主がクリスマスの最初のギフト(贈り物)であった。 “The first gift of Christmas was a Savior.” 」という広告を見ました。
確かにそうなのです。 その通りなのです。
私はギフトであったのです。 そして今でも私はギフトなのです。
しかしそれだけではないのです。

次のことを知ってください。
あなたが、あなたが、あなたが、あなたが、あなた達全員がギフトなのです。
何が私をギフト(贈り物)にしていたのでしょうか?
それは私が「二つのステップ」を行なっていたからです。
それは私が「聖なる瞬間」を実践していたからです。

私は常に「父よ、ここの真理は何ですか?」と言い続け、そこに示された真理を私は表現し続けたのです。 故に私は贈り物だったのです。
私がこれを(二つのステップを)した時、神の法が全てを統治したのです。
死者が蘇り、病者が癒やされ、足の不自由な人が歩き、やせ細った者が健全になったのです。

しかしそれだけではありませんでした。 
私は人々の無知(「自分達が誰か」気付いていないこと)とは繋がらなかったのです。
「自分達は、生物でしかない/卵子と精子が結合した物理的結果でしかない/自然の中で偶然生まれたものだ」という人々の信念の中で私が彼等と繋がることはありませんでした。 
私はそのような理解/信念の中で人々と繋がることはありませんでした。
私は人々の定義には合意しなかったのです。
そして、私は「人々の信念とは異なる視点」に声を与えていたのです。

それはただ単に違う視点、ただ単に異を唱える声ではなかったのです。
何故なら、私が口を開いた時、私は父の視点を明らかにしていたのだから。
私は、私と他の人々に対する(その場所その時点での)父の意図を表明していたのです。
その結果として神の法が成り立ち(神の法が全てを統治して)変容が起こったのです。

私というギフトが与えられた結果として(私が与えたギフトの結果として)起こった一番大切な学び(教え)は、そのとき人類の大半が「自分達は孤児ではない」と深く認識したことだったのです。

人々は父の子供であって、偶然の子供ではなく、状況や進化により成り立っている存在ではなく、全てを司っている神聖なる神(全てを創造しているもの)の子供(結果)なのです。
そして神の子(神の息子/娘)としての人々の生得権(持って生まれた当然の権利)は私の生得権と全く同じものであり、それは人々が自身に対して許していた「貧しい(限定された)信念」よりもとても偉大なものなのです。
人々の自分達に対する貧しい概念(考え)が、人々自身を欠乏/限定/罪/病/死に縛り付けていたのです。


さて、今クリスマスと呼ばれているここで、あなた達はギフトに成る機会を得ています。
あなたは聖なる瞬間を実行する機会を持っています。
あなたは二つのステップを行なう機会に直面しています。

そしてクリスマスの一番最初のギフトは救世主だったかもしれませんが、(現代では)クリスマスのその他のギフト(最初のギフトの後から出てきた派生的ギフト)は「憂鬱」のようですね。
実際のところ、クリスマスというイベント(行事)は知的には常に憂鬱を伴ったものに成ってしまっているようです。

するとどうなるでしょう?
クリスマスというイベントに関する会話の中にこれ(憂鬱)が取り込まれてしまっているので、そのような教え(クリスマスとは憂鬱なものだという示唆)が起こっているのです。
それを聞いた人達は「オオ! それは気がつかなかった。 私は子供のころからクリスマスは楽しいものだと思ってきたけれど、もしかしたら、そちらの考えの方が正しいのかも知れない。」 {と考えたりするわけです。}
このような言い立て(示唆)や信念が表明されることにより、相互合意が確立されてしまうのです。

すると人々は軽率にも「そう、確かにそうかもしれない。 良く考えて辺りを見回してみれば、ハッピーな人ばかりではないようです。 皆がクリスマスのストレスについて話しているし、クリスマス直前のセールを漁る買物客でごった返するブラック・フライデーとか。 人のことを思いやろうとする行為、何かを与えようとする行為の最中にも憂鬱が入り込んでいるみたいです。」 (と考えてしまうのです。)
こうして少しづつクリスマスに関して憂鬱に感じ始めてしまうのです。 何故なら、無知な教え(自覚のない示唆)から立ち昇ってくる偽りの教育が相互合意を形成してしまうから。
{「クリスマスは憂鬱でストレスの多い時期である」という言い立てがなされ、人々がそれと同意してしまうことでそれを期待するパターンが形成され、それが「相互合意されている定義」として影響を持ち始めるのです。}

だから、このクリスマスは(そのような相互合意)に同意してしまうのは止めて、(相互合意を)否定しなさい。
「クリスマスは憂鬱でストレスの多い時期である」というような考えは拒否しなさい。 
ともすれば憂鬱に浸ってしまうあなた達の意図を否定しなさい。

『「良きことを行なうストレス」があなたを憂鬱にしてしまい、面白くない休日を過ごすことになるだろう』というアイディアを許可することは止めなさい。
(そのような考えを)否定しなさい。 拒否しなさい。 (そのような考えを)抱擁してしまうのは止めて、直ちに二つのステップを行ないなさい。

知っていますか?
憂鬱は、決してあなたの中から起こってくること(あなたが起こしていること)ではないのです。
憂鬱はいつでも、何かに対して同意を求められている時に、あなたがそれと同意してしまうことから発生しているのです。

あなたが同意を求められたその「何か」とは何でしょうか?
他者が自分の惨めさを訴え掛けている時に、それに同意してしまうことで、あなたは自分を憂鬱にしてしまっているのです。
{他者が自分の問題をあなたに理解するように訴えている時、(そのような問題が実存していると)あなたが同意してしまうことにより、あなたは同じ問題を体験しようとしてしまうのです。}

「問題を理解して欲しい」と他者から要求されるた時、その問題を理解しようとしてしまうのは避けるべきなのです。  問題を理解しようとすることにより、その問題を修正することは決して出来ません。

このクリスマスシーズン中は、このハヌカ(12月にあるユダヤ教のお祭り)中は、「自分の問題を理解して欲しいと他者に訴え掛けないこと」をあなたにお勧めします。
これにチャレンジしてください。

何らかの問題について他者と関わり合う場合、(問題を理解しようとするのではなく)問題の修正/解決を望むことだけを目的としてそれを行ないなさい。 問題の答えを得ることだけに専念しなさい。

もし問題に関して話す必要がある場合は、「問題が問題では無くなる明晰さ」をあなたの中に引き入れる意図だけをもってそれを行ないなさい。
あなたの父(源)と繋がることを可能にする「二つのステップ」(「あなたが誰か?あなたの生得権が何か?」を表現する行動)だけを行ないなさい。
その結果あなたに明晰さ(明晰な理解)がもたらされ、「神の法則が統治している場所」にあなたは移動するのです。 その場所で修正/変容/癒やしが起こるのです。

他者にあなたの問題を理解させようとして時間を無駄にするのは今すぐ止めなさい。
「“misery loves company” 惨めさは同類を求める 」ということわざがありますね。
これは「相互合意が(人間の)人生の常套手段である」ということと同じ意味です。

あなたは「問題に関して他の人達と相互合意すること」に関わるべきではありません。
あなたは「その問題がどのようにリアルなのか」、「何故あなた達はみじめに感じるべきなのか」ということに関する相互合意を他者と取り交わすべきではありません。
あなたは「問題の酷さがあなたを無力にしてしまうので、あなたには状況を変える手立てがない」という言い立てがなされている時、それに合意するべきではないのです。
わかりますか?


憂鬱を感じ始めた時、それをすんなり受け入れてしまうのは止めなさい。
「ああ、私は気落ちし始めている。 このシーズンのストレスがたまり出したから。」などと言ってしまってはいけないのです。
もし自分が憂鬱に成り始めていることに気付いたなら、そこでは誰かが示唆を行なっていると直ちに理解しなさい。 

その時あなたは、問題を理解するように求められていたのです。
その時あなたは、その問題に関してその人に同情し、その人と同意することを求められていたのです。 (しかし、そうハッキリと口に出して言われる訳ではないのですが。)
「これは(憂鬱な状態が実存しているという)言い立て(示唆/招待)であって、事実ではない」と理解出来たなら、あなたがそこに落ち込むことはないでしょう。
すると憂鬱の初期状態は消えてなくなります。  
「自分はストレスを受けているから憂鬱に成っているに違いない」と考えてしまうことにあなたが引っ掛からなかったなら、憂鬱は消えて行ってしまうのです。

あなたは、ストレスを受けた結果として憂鬱になるのではないのです。
あなたは、参加したくない行動に誰かから誘われたから{それを上手く断れなかったから}憂鬱になったのです。
「何らかの状態が実際に憂鬱をもたらす原因であって、その状態が去るまであなたは憂鬱であり続けるしかない」という相互合意にあなたは参加するべきではないのです。

だから、私はあなた達に注意を促しているのです。
何故なら、憂鬱を感じながらこの休日を過ごす必要はないのだから。
「そこで実際に起こっていることは、あなたには受け入れられない招待(同意できない訴えかけ)がなされているだけに過ぎない。 そしてあなたはその招待を辞退すること(訴えかけに同意しないこと)が出来る。」とあなたが理解するだけで良いのです。
「苦しみがリアルであり得る」という相互合意の中で他者と繋がることは、「二つのステップ」ではありません。 それは「聖なる瞬間」の実践ではありません。

『「苦しみがリアルであり得る」という相互合意の中で他者と繋がること』は、「私(イエス)の中で起こったことがあなたの中で起こること」を可能にはしません。

私(イエス)の中で起こったこととは、「相互合意されている定義群に同意せずに、それを否定すること。 そして私が私の父と繋がって、あなたがあなたの父と繋がって、真理を共有すること」なのです。
わかりますか?

これは自分の選り好みに固執して他者を否定し続けることとは違うのです。
あなたは(リアルではないものを)否定して、「あなたが否定したもの」を明晰な真理で置き換えるのです。
(あなたがそうすることによって)他者にも聖なる瞬間が実践出来るようになるのです。
(あなたがこれを行なうことによって)他者にも二つのステップが行なえるようになるのです。

(二つのステップを行なわずに)他の人達と同意してしまうことは止めなさい。
(聖なる瞬間が提示している適切な)否定を行い、彼等を正しい道に導きなさい。 癒やしをもたらすことを可能にしなさい(他の人達がそれをやり遂げるにしろ、やり遂げないしないにしろ、それには関係なく、あなたはやり遂げなさい)。 

今がギフトを与える時なのです。  
父が与え続けているギフトがあなたなのです。
だからあなたは今、父のギフトを与え続ける者になりなさい。
これがあなたの役目なのです。 そしてこれが目覚める方法なのです。
これがクリスマスのシンプルなメッセージなのです。

そして、「自分達が誰か」気付かずに過ごしてしまうことは、このクリスマスで終わりにしなさい。

私はあなた達全員を(あなたの全てを)愛しています。
次にお会いする時を楽しみにしています。

「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはその様なものだから。 
貴方と同等の方が既にこのギフトを貴方に差し出したので、これらの資料が貴方に提示されています。 Raj の指示により、これらの資料が売買される事はありません。 この機関「Northwest Foundation for A Course In Miracles」へ募金される場合、下記のWEBサイトを通して行なうか、あるいは下記の住所に郵送して下さい。
この日本語翻訳はNWFFACIMの運営には直接関与していない一個人が行ったものです。


A Course in Miracles Study Group with Raj, December 18th 2010
© by The Northwest Foundation for “A Course in Miracles” a non-profit corporation.
All rights reserved
PO Box 1490 / Kingston, WA 98346-1490 / USA
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
Website: http://www.nwffacim.org
E-Mail: paul@nwffacim.org


テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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ありがとうございます。

今回を詠ませていただき、いつだったか、「一番初めのギフト・・・」を
耳にしていたことを思い出し、その時の感動を思い出しました。
「そうだぁ・・神さまからのクリスマスプレゼントはすでに手にしている・・」
と感じたことを思い出しました。
しかし、それは自我を抑えるため、自分を戒めるため・・と置き換えて
使っていたと今、思います。
すでにその捉え方では、通念(社会)的に”前向き”(自分が感じているものを発揮する)な捉え方ではなく「他の何か」「憂鬱を帯びている他の何か」に同意した今までの自分であったのか。・・と今思います。
むしろ、精神世界を極めていくことはそういう幾多の苦難を通して得られる(真理が)ものだ・・。と感じていたとも思います。
真理(2つのステップ)には例外も、特別な場合もなく、すべてはここから、総てはここへ・・ですね。 
文字にするのは難しいですが
深く、触れさせていただき感謝です。

ありがとうございます。
プロフィール

翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

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