スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ACIM11-01-01

January 1st, 2011 ©NWFFACIM 2011年 1月 1日

原文テキスト
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=30462&mid=146224#M146224
オーディオ&ビデオ
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=30337&mid=145527#M145527


A Course In Miracles (参照ページ)
Chapter 16 – Section – THE BRIDGE TO THE REAL WORLD
1 Sparkly Book–p.395, 2nd Full Par.9th line / JCIM– p.166, 2nd Full Par.5th line / CIMS – p. 332, Par.65, 8th line
First Edition – p. 322, 3rd Par. 9th Sen. / Second Edition – p. 346, Par. 8, 7th Sen.


こんばんは、ようこそ。
そしてハッピー・ニュー・イヤー。
いい響きですね。 今日は. . . Happy New Year . . . Happy New Year . . . Happy New Year.

どなたにとっても新しい出発(門出)は嬉しいものです。
新しい世紀、新しい十年、新しい年。

そして殆どの場合(新しい区切り/門出に対して)あなた達はそれぞれ新しい期待を持つものです。

そして境界を越えることを期待し、拘束を破ることを期待し、あなたを縛ってきたものから開放されることを期待しているはずです。
こうして(新しい区切りを通ることにより)あなた達は、「信じがたい方法(常識から外れた形で)でそれらの拘束が破られるかもしれない」と考えられるようになるのです。
しかし残念なことには新年(あなた達にとっての変更線)などでない限り、あなた達はそのようなことを期待しないのです。
あなた達はまだそのような期待を全ての意識的瞬間に活性化しようとしてはいないのです。

多くの人達が新年の誓いを立てていることでしょう。 
その場合、あなたは「何か新しいことをしよう。あれやこれをしてみよう。」と決意するわけです。  それは良いことです。
あなたは「何か新しいことが起こるまでただ待っていよう。」といってただ座り込んでしまうわけではなく、何かをしようとします。 これは良いことです。
しかし今までに何人の人達が、新年の誓いとして「不可能と思われていることが私の上に起こることを許可しよう」言ったでしょうか?
「『今まで絶対起こり得ないと考えてきたこと』が私の身の上に起こることを許そう」と言った人はいたでしょうか?
「不可能だと思ってきたこと(例えば、目覚めること、全く理不尽な癒やし、加齢が消え去ること、若返りなど)の発生に対して抵抗しないようにしよう。」と誓った人はいたでしょうか。
長く対立し続けてきた敵を手放す決意をした人はいたでしょうか? 怒りを通して満足を得続けることへ執着して自分の成長を妨げることを放棄しよう、と決意した人は何人ぐらいいたでしょうか?

今は素晴らしい時です。 これらの誓いをこの瞬間に受け入れることは素晴らしいことです。
これらのことを常に心に留めて置くことは素晴らしいことです。
ではあなたはどのようにして、それらの新しい体験を決心するのでしょうか?
あなたはどのようにして自分を新しくすることを決断するのでしょう?

今まであなたが使ってきた考え方から抜け出ることによって、あなたはそれを行なうのです。
あなたが他の人々と共に行なってきた相互合意から抜け出ることによって、あなたはそれを行なうのです。

例えば(常に嬉しい気持ちを表している)「ハッピー・ニュー・イヤー」さえも相互合意なのです。 これもまた相互定義/相互合意なのです。
これは習慣であり相互合意なのです。 長く続けられてきた相互定義なのです。

「ハッピー・ニュー・いま、ハッピー・ニュー・ナウ」ならどうでしょうか?
いま、いま、いま、なのです。
あなたが観察する(意識する/生きる)行為の一部として常に新しい有様(様相)を期待しては如何でしょう?
「父よ、ここの真理(本当)は何ですか? 私の(幻想を見ているマインドではなく)正しいマインドでしかないものよ、ここの真理(つまり私の正しいマインドが真理として知っていること)はなんですか?」と言って自分に新しいビジョンが与えられるようにしようと決意しては如何でしょう?

さてここで、あなたが新年に対して抱いている信念を利用してみましょう。
この新年の習慣を利用して、(あなたが持つべき)意図を示してみましょう。
「チクショウ! 何故私は目覚めるまでにもう少し待たなければいけないんだ? 何故私がたった今天国を受け入れてはいけないんだ?」という意図をあなたは体現するべきなのです。

あなたは何年 A Course In Miracles (奇跡のコース)を勉強して来たのでしょうか?
これは生まれてから死ぬまでの間にあなたが行なった少しは役立つ気休めなのでしょうか?
この本の中には、あなたを目覚めさせて幻想や夢から開放するためのことは書かれていないのでしょうか?
無知から理解への変容、混乱から明晰への変容に関して書いてあるのではないのでしょうか?
(ACIMが示していることは)リアリティに対する歪められた体験から(自分が神の子だという認識をあなたが自分に許した時に起こる)天国の直接体験への変容ではないのでしょうか? 
(確かにそうなのです、だから)あなたは絶対的に神聖であって、決して卑小な貧しい孤児ではなく、決して物理的なプロセスから発生しているものではないのです。
そしてあなた達が物理的現象と呼んでいるものは「リアリティを不明瞭に知覚している(あなたの)状態」に過ぎないのです。
あなたの周りの全ては、あなたが体験している全ては最上のものであり、それは天国なのですが、あなたはそれを曇ったガラス(知覚の歪み)を通して見ているのです。 あなたは混乱を通して、{知覚の歪みを}手放して物事をクリアに見ることに対する躊躇を通して、リアリティ/天国を見ているのです。
「現在のあなたの(歪んだ知覚の)体験」と「誓いを守ったときのあなたの体験(聖なる瞬間を持ちあなたが新しいことを許可しあなたが新しくなる体験)」の間にギャップ(隙間/遅延)を入れることによりあなたは安全弁(回避装置)を作っているのです。

しかしあなたは変化を求めているのです。 あなたは目覚めを求めているのです。
「2011年に目覚められたら素晴らしい! 2011年のクリスマスの前に目覚められたら素晴らしい!! しかしそれは起こらないかも知れない。」(とあなたは考えていませんか?)
だから、目覚めるためにするべきことに関しては(あなたはあまり)考えていないのです。
何故なら(それが本当に可能だったか解るまでには)あと最低12ヶ月あるから。 その誓いが実行され達成されたか解るまでには後一年あるから。
だからあなたは自分にはまだ余裕があると考えているのです。 そして、もし今年中に目覚めなくとも別に困らない。  (そう考えては居ませんか?)

私は次の質問をあなたにしましょう。
「何故あなたはまだ最上(リアリティ)を体験していないのですか? 何故あなたは目覚めていないのですか? 何が物事をその真の姿で見ることからあなたを遠ざけているのでしょう?
自分を神の子としてだけ見ることから、何があなたを遠ざけているのでしょう。 何があなたを『解き放たれた/限定されていない(無限の)良きこと』から遠ざけているのでしょう?」
(あなたにリアリティが見えていないのは)、それ(リアリティ)を見ないで済ませる権利をあなたが主張しており、あなたはそのために(リアリティを見ないで済ませるために)戦っているからです。
あなたは「自分の良きこと」を得ないように戦っているのではなく、あなたは「自分の悪きこと」を得る権利を求めて戦っているのです。 あなたは自分の限界を保つ権利を主張して、そのために戦っているのです。

あなたは「私は不可能なことを期待する。」と言う代わりに「それは不可能だ!」と言ってしまっているのです。
「不可能に見えることが起こるのを見てみたい。 私の理解を超えることを見てみたい。 それがわかるように成りたい。」と言う代わりに「私にはこれは無理だ、あれも無理だ! だれそれの振る舞いが私をそれから遠ざけている。」と言ってしまっているのです。
「だれそれの振る舞いが酷すぎて、それは私をとっても傷付けている。 そして私は自分の傷(憤慨)を手放すことが出来ない。 そんなことをすれば私は自分を尊敬(尊重)することが出来なくなってしまう。」 {このように考えてあなたは良きこと(不可能に見えること)を取り逃がしているのです。}

人々が自分達の限界にしがみ付き続けることにより(自分達の限界/限定にこだわることが可能にする)正義を得ようとして持ち出してくる主張は、全く(リアリティとは)関係がないのです。
「不可能なこと」を起こさないようにしようとして人々が持ち出してくる数々のキチガイ染みた主張は全く(リアリティとは)関係がないのです。
何故なら、そのような主張に取って代わる成就はとても意味深く(有効で)、孤児の卑小なマインドの枠組み範囲を大きく超えているのだから。

だから今年私は実際の変化のために、あなたをそそのかし続けるのです。
ACIMに出てくる美しい言葉や素晴らしいフレーズだけであなたが満足してしまわないよう、私はあなたを押し続けるでしょう。
私はあなたに働きかけて、今年が終る前にあなたがコースの意図/意味を理解し、それによって変容を体験し、その意味の全て(とそれ以上)を体現して、もう二度とコースの本を読む必要を感じさせないようにしようとしているのです。
変化がなくても何とかハッピーに過ごすことであなたが満足してしまわないように、私はあなたに介入し続けます。
あなたが(ACIMの)理解を取り逃がし続けないよう私はお節介を続けます。

もし目覚めが起こり得ないと思うなら、あなたはこの本は捨てて、出来る限りハッピーな人生を過ごせば良いでしょう。
しかし、もし変化(変革)が起こるべきなら、変容が約束されているなら、その変容を要求しなさい。 その証拠を要求し続け、それが得られるまで要求し続けなさい。
これはあなたが権限をもって物事を起こしている証拠ではなく、あなたが指一本動かす前に体験するべきパーフェクション(完璧な有り様)なのです。 あなたが思考を持つ前に体験するべき完璧性なのです。 それがあなたの体験するべき生得権なのです。

「この体験(パーフェクトな体験)に値することを自分では何もしていないにも係わらず、何らかの孤児的行動によってこの体験を獲得しようとすることなく、この体験を要求すること」をあなたは学ばなければいけません。
もしあなたがこの体験をまだしていないなら、これを感じようとし続けなさい。
このことに注意を払い続けなさい。 「見よ、私は全てを新しくする。」という父の言葉の証拠を見ようと期待し続けなさい。
「ハッピー・ニュー・イヤー! 見よ私は全てを新しくする。 ハッピーなこの瞬間! ハッピー・ニュー・今。 今、今、今。」

もし今あなたが最上の良きことを体験していなかったのなら、それは何らかの意味であなたが良きことに対して抵抗しているからです。
そしてあなたは抵抗に成功しているのです。 だから解決法はいたってシンプルです。
抵抗を放棄しなさい。
(良きことへの)抵抗を強化し続けることを止めなさい。 言葉を使って抵抗のリハーサル(前練習)を続けるのは止めなさい。 周りの人にあなたの問題を言い募るのは止めなさい。

問題の解決に全く好奇心を発揮しないまま、問題がどのように(そしてどれだけ簡単に素早く)解決出来るかという好奇心を発揮しないでいて、「状況が不可能だ(逆境が酷すぎる)」という会話を始めてしまうのは止めなさい。 何故ならその問題はあるいは幻想でしかないのだから。(幻想でしかないのです。)
あなたの考え方(見方)にバイアス(偏向/偏見)が掛けられており、それ故にあなたの知覚が問題を作り出しているのかも知れないのだから。 (そして確かにあなたの歪んだ知覚が問題を作っているのです。)

コースの中に書かれている真理を書いたり言ったり考えたりすることは、新しい知覚を刺激するので楽しいですね。
しかし読んで来た内容をあなたの人生の中で真理として体験するべき場面になって、それが(奇跡が)起こらなかった場合あなたはガッカリしてしまい、真理を求め続けることを諦めてしまうのです。
その時あなたは、それ(真理/奇跡)が起こらなくてもしょうがない、と言い出してしまうのです。
「私にはその能力/度量がない。 これが真理だと私には解ってます。 この本を初めて読んだ時にこれが真理だとすぐ解りました。 しかしどうしたわけか私にはこれが実現出来ないのです。」

わかりますか? こうしてあなたは「ハッピー・ニュー・ナウ/ハッピーな新しい瞬間/自分の良きことを二度と待つ必要がないハッピーで新しい状態」に抵抗してしまっているのです。 
何故なら、信心をもって読んだこと(ACIM)を信じて(あなたの今までの考えを捨てて)聖なる瞬間の中に入って、あなたのプライバシーをあえて捨てて、「父よ、神よ、精霊よ、ここでは本当は何が起こっているのですか? (それ以外のものは何も私に与えられていないので、それだけを私のものとして体験するべき)あなたの神聖なる視点はどのようなものですか? 」と言った時、
あなたが二つのステップを行なっていて答えが聞えておらず問題が解消されていないばかりか問題がより悪く成っているように見えている時、
あなたは(二つのステップを)投げ出して降参してしまい、「父の答えを聞くことは無駄である。神聖なあなたが体験するべきこと(あなたの生得権)を期待するのは無駄である。」という考え(落胆)に同意してしまうのです。
そうするとあなたはその現れ(父の答えを聞くことに対する反証/あなたを気落ちさせている現象)を(父の答えより)尊んでしまうのです。 {その考え(自分の落胆)のほうがリアルだとあなたは信じてしまい、それを見続けてしまうのです。}

あなたは自分の落胆/反証をより大きくし続け、それがあなたを圧倒するまで増やし続けるのです。 すると『この状態では「ハッピーで新しい瞬間」を期待することは無理で理不尽だ』と感じてしまうのです。
わかりますか? 「ハッピー・ニュー・ナウ、ナウ、ナウ」(あなたは、自分の落胆/反証ではなく「ハッピーで新しい今」を期待し見続けるべきなのです。)

だから、ここであなたは断固として継続しなければいけないのです。
ここであなたは『「(孤児院の中にいる孤児として)あなたと他の人々がお互いに合意している意味(筋書き/定義)」が出口のない状況を作っている、そしてあなたの悲しみと不満と怒りは絶対的に正しいものでそれを増幅するべきである』という見方/考え/状態と対峙し、それを否定しなければいけないのです。
わかりますか? それは(あなた達の今の状態は)ただ馬鹿げた相互合意でしかないのです。

しかし、良いですか。
もしあなたが父の意志の証拠を見たいと思っているなら、もし(あなたが見ている物理的世界の証拠ではなく)全てが天国である証拠をあなたが求めているなら、あなたは失敗する体験の中に飛び込んでいかなければいけないのです。
「私は聖なる瞬間を実践している。 私は全てラジの言うとおりにしている。 そしてなにも上手く行っていない。 全くなにも上手く行ったことがない。 そして考えてみれば、ラジを聞いたりコースを学んだりして奇跡を得ることが出来た人の話は聞いたことがない。 ラジが言っているような体験をしている人がそれ程いるとは思えない。」
このようにしてあなた達は、聖なる瞬間に反する証言を重ね続けてしまっているのです。
「(あなたが自分の定義群や意味/意図や主権をもはや主張していない)無の中に自分自身を入れること」に対して抵抗(反証)を重ね続けてしまうのです。 
あなたは神の主権を呼び入れて、神の法だけが全てを統治している場所にあなた自身を見つけ、あなたが必要としている光明の体験(光を得る体験)をするべきなのです。 (しかし今のところ、あなた達はそれに対して抵抗/反証/反論し続けているのです。)

「ハイ、ハイ、わかりました! もしかしたらラジが言っていることを少し体験している人も居るのかもしれません。 でも誰もまだ目覚めてはいないでしょう。 ポールを見てみなさい。 彼はまだ目覚めていないじゃないですか!」 (とあなた達は反証/反論を重ね続けてしまっているのです。)

ハッピー・ニュー・イヤー、Happy New Year! これを空虚な言葉にしてしまわないでください。
ニュー・イヤー(新年)よりももう少し大きな門出もあるのです。
それは(キリストの)再臨(最後の審判)と呼ばれています。
おお! 多くの人々がこれを待ち受けていますね。
ある意味では、 A Course In Miracles もその一部です。
これはキリストの明晰/英知が人間の視界の中に再び入って来るための本なのです。
これは生まれてから死ぬまでにあなたが心地良く過ごすための慰めの言葉ではないのです。
これは(誕生から始まり死によって終るように見えている)偽りの体験を変えることなく保つためのものではないのです。
これは(誰も被る必要はない)混乱した時間を変えることなく継続させるためのものではないのです。 そして皆さんはこの体験からもう目覚め出るべきなのです。

もしかしたらあなたは既にこの本を25年間勉強して来たかもしれません。
それならあなたに尋ねましょう。 もし私が再度出現した場合、キリストの再臨が起こって私が地球に現れるとした場合、それはあなた達全員がこれから二千年の間私の言う事/やる事を吸収してそれについて考えそれを賞賛し続けるために私(イエス)が現れる、とあなたは思っているのですか?
いいえ。 それ(キリストの再臨の目的)は夢を終らせること、死そしてあなたの神聖に対する幻想を終らせることなのです。 
それは何時起こるのでしょうか?
それはとても長い期間に渡って起こるのでしょうか?
いいえ。 それは瞬間的に起こるのです。

これ(ACIM)は冗談ではないのです。 これは人間的状況を容認するものではないのです。 神がこれらのインスピレーション(霊感)に満ちた教えを我々に下さったことは素晴らしいことではないですか?
だから我々は元旦の今ここに全ての人のマインドが変わること、新しいこと、新しくなること、出来る限り(あなたが許す限り)新しくなること、に関して話しています。 あなた達の殆どはまだホンの少しづつの変化しか許可していないのですが。

経済に左右されない大いなる豊かさはどうでしょう? 
無理ですか? オーケー!
しかしあなたは噓をついています。 そしてその噓を信じているのです。
あなた達は(たとえば「経済状況に左右されない豊かさなどありえない」という)相互合意されている定義群を信じているのです。
「グレー・メン(gray men)が解明されるまであなたの聖なる権利は体験出来ない。 影で全ての実権を牛耳っている大財閥が倒れるまで、神の偉大な力が彼等を倒すまで、あなたの聖なる権利は体験できるはずがない。」
(そのように言っている時)我々は噓をついています。 それら(あなたが考えている理由)は真理ではないのです。
神聖は状況に左右されるものではありません。 全体性(全一性/全てがひとつの健全なものであること)は状況によって支えられているものではありません。
この元旦の日にこれを習得しなさい。

あなたの全体性/健全は状況/状態には左右されないのです。
あなたの健全は状況や「他の人が何かしたりしかなかったりすること」には左右されていないのです。
しかしあなたの健全/全体を体験するには、あなたは自分の孤児的行動を放棄して聖なる瞬間の中で繋がって「父よ、ここの真実は何ですか? 何が真の視界なのですか? 全てがどのように存在しどのように働くのか私は自分で知っていると考えてきました。 しかしそれを放棄して、あなたの視点/視界を受け入れましょう。 あなたの視点が真理であるに違いないから。 何故なら(あなたがその源である)創造に関する視点/知覚が真理なのだから。 そして私は、生命に対するその他の情報源(神から直接私にもたらされているもの以外)を参照することは止めます。」
このようにしてあなたは「真理に気付くことに対する反証(真理に反する言い立て)」を止めるのです。

つまり、あなたはより多く何かをする必要があるのではなく、自分が今していることを止める必要があるのです。 これだけシンプルなことなのです。
だからこのシンプルなことをするよう、私はあなたに指摘し続けるのです。
そして私は「あなたはその確証を見ていますか?」と言い続けるのです。
もしそれに対するあなたの答えが「ノー」でまだ確証が見えていないなら、もし私がこう尋ねていることがあなたに「自分には無理だ」と感じさせあなたを気落ちさせてしまっているなら、それはエゴの仕業だと気付きなさい。 それは(そのように感じるべきと)相互合意されている反応なのです。 わかりますね?

(その時のあなたのマインドを)もし真摯にシンプルに見てみたなら、それが(相互合意から来る状況が)騙し(罠)だとあなたにもわかるでしょう。
この罠が、「本当に違いをもたらす振舞い」からあなたの注意をそらせてしまっているのです。
この罠(噓)があなたを動けなくしており、「(奇跡への)確証を(ハッピー・ニュー・ナウを)探したくない」とあなたに考えさせているのです。

こうしてあなたは自分を新しい夜明けではなく(たとえば)1950年代(過去、あるいは変革期の隙間)に置いてしまうのです。
「不可能なことは起こりえない」とあなたが言っていないので、従ってあなたが変化を体験することが出来る時、本当の変化が起こる時(に自分は存在していないとあなたは考えてしまっているのです。)
「でも、1950年代は硬直した無知な時代で、あまり新しいアイディアも出てこなかったし...グダグダグダ」と{くだらない言い訳をあなた達は言って、奇跡に抵抗しているのです。}
あなたの一日を(奇跡への)抵抗に使うのは止めなさい。
ただ動けない状態に留まって、なにも興味を示さず、馬鹿なふりを続けることに時間を使うのは止めなさい。


さて我々は、特別な関係(スペシャル・リレーションシップ)から抜け出ることについて話しています。
覚えていますか?  「自分が本当は誰かわかっていない時」にあなたは他の人や物と「特別な関係」を築いているのです。
つまり、自分は孤児だとあなたが考えてしまっている時、(あなたの居る)今そこで起こっていること全てが偶然でしかないと(生まれ、生存のために戦い、死ぬしかないと)決め付けてしまっている時、そこでは特別な関係が表れているのです。
そして特別な関係から抜け出るためには、それを(そこで起こっていると考えられている関係を)向上させるのではなく、「神聖なるあなた」をあなたのマインドに気付かせる唯一のことをするべきなのです。  「神聖なるあなた」をあなたのマインド内でもう一度照らし出すことをするべきなのです。

本を読みましょう。 少し後戻りします。

[Fear not that you will be abruptly lifted up and hurled into reality.1 ]
[自分が乱暴に引き上げられてリアリティの中に叩き込まれてしまうかもしれない、と心配するのは止めなさい。] 

あなたはこの日を「ハッピー・ニュー・イヤー」といって迎えるわけですが、あなたは
[. . . be abruptly lifted up and hurled into reality.]
(自分が)[乱暴に引き上げられてリアリティの中に叩き込まれてしまう]
ことはないと信じて安心してしまっているのです。
あなたは自分が決心したものの中に突然引き込まれてしまうことはないと信じているのです。 だからあなたはそれを怖れてはいません。 あなたはそのようなことが起こり得るとは信じていないのです。 だからあなたは安心しているのです。 
それでもあなたには目覚める意志があるはずです。 違いますか?

[Fear not that you will be abruptly lifted up and hurled into reality. Time is kind, . . ]
[自分が乱暴に引き上げられてリアリティの中に叩き込まれてしまうかもしれない、と心配するのは止めなさい。 時間は優しいものです。] 

[Time is kind and if you use if FOR reality, it will keep gentle pace with you in your transition.]
[時間は優しいものです。  時間をリアリティのために使ったなら、あなたが変化して行くにあたり時間は優しいペースを与えることでしょう。] 

しかし今私は「優しい(ゆっくりした)ペースだけしか受け入れられないと考えるのは止めなさい」と言っているのです。
「突然リアリティの中に叩き込まれてしまう可能性を許可してみなさい」と言っているのです。
何故ならその時起こることは、あなたが自分の正気に返ることでしかないのだから。 あなたが(あなたの良心にしか過ぎない)精霊の声に耳を貸すことでしかないのだから。 それは「あなたの聖なるマインド/あなたと父との切り離しえない繋がり」でしかないのだから。

だから、
[Fear not that you will be abruptly lifted up and hurled into reality.]
[自分が乱暴に引き上げられてリアリティの中に叩き込まれてしまうかもしれない、と心配するのは止めなさい。] 

しかしあなたがそれ(リアリティの進入)を許可したなら、それはその瞬間に起こるのです。
何故それを遅らせる必要があるのでしょうか? 私はそう言いたかったのです。
これが私があなた達に示したかったことなのです。

[The urgency is only in dislodging your minds from their fixed position here.]
[急を要するのは、あなた達のマインドをここでの固定されたポジションから外すことだけなのです。]

この意味は、あなたの定義群の中の「ここ」、自分に対して無知なあなたが無知な自分として行なった定義群(世界観)の中の「ここ」です。

[This will not leave you homeless, and without a frame of reference.]
[これをしてもホームレス(家なし子)になるわけではありません。 視点/意識の枠組みが全くなくなるわけではありません。]

目覚めることによって、様々な意地悪で心の狭いルールから解き放たれても、あなたがホームレスになるわけではありません。
いいですか? 目覚めたからといってあなたが狂気に落ち入るわけではありません。
目覚めは正気へ帰ることなのです。
あなた達が少しでもこの正気を自分の中に取り入れたなら、あなたはとてつもなく実際的で有用なことを体験するのです。
しかしその有用性は無限なもの、なにか巨大なものなのです。
それは、あなたがあなた自身をより大きく体験すること、より無限な(縛られていない)体験であって、その時あなたはフワフワ浮いているように感じるのではなく、とてつもなくしっかりとグラウンディングしており、不死身で力強く立っているのです。

だから、
[The period of disorientation, which precedes the actual transition, is far shorter than the time it took to fix your minds so firmly on illusions. ]
[本格的な移行の前に起こる混乱期は、あなた達が自分達のマインドを幻想に結び付けた時に掛かった時間よりも短いでしょう。 ]
いいですね? ハッピー・ニュー・ナウ! ハッピー・ニュー・今! わかりますね?

[The period of disorientation, which precedes the actual transition, is far shorter . . .]
[本格的な移行の前に起こる混乱期は、...に掛かった時間よりも短いでしょう。 

これはあなたのどの体験よりも短く済ませることが出来るのです。 これを急速に終わらせることがあなたには可能なのです。 あなたは今ハッピーに成ることが可能なのです。


[Delay will hurt you now more than before, only because you realize it IS delay, . .]
[この時点でグズグズすること(移行を延期すること)は、以前以上の痛みをもたらすでしょう。 その唯一の理由は、現在のあなたにはそれが延期でしかないと明確に理解出来ており、そして痛みからの解放が本当に可能だと理解出来ているからです。 ]

これは『今年私が「混乱期の前や中で躊躇することが無益な延期でしかない」と示し続けることが、あなたにより多くの痛みをもたらしてしまう』ということでしょうか?
そのように受け取ることも可能でしょうが、そう考えるのは止めてください。
(自分が完全に無能に感じる場所に居たくはないと考えて)あなたは上記の文を「するべきことを放棄する言い訳」として使ってしまうことも出来るでしょう。
しかしあなたは、そこ(自分が完全に無能に感じる場所)に行きそこに立ち、それ(自分の無能)に対峙し、それを否定し、そこを通り抜ける必要があるのです。 (あなたが無能であるという)その言い立てがその噓をギブアップして消えて行くまで、あなたはそれと対面し続ける必要があるのです。

だからあなたは今年、私があなたをあえて居心地悪い場所に立たせ、余りやりたくないことをさせようとしていると感じるかも知れません。
しかし、これはこのように働くのです。 このようにしてあなたは目覚めるのです。
このようにしてコースの目的が達成されるのです。
このようにして精霊の役目が達成され、あなたがあなたの正しいマインドに連れ戻されるのです。


[Find hope and comfort, rather than despair, in this: You could no longer find even the ILLUSION of love in any special relationship here. For you are no longer wholly insane, and you would recognize the guilt of self-betrayal for what it IS.]
[このことに失望するのではなく、希望を持ち安心しなさい。 ここで特別な関係の中に愛の幻想を見ることさえも、あなたにはもはや出来ません。 何故なら、あなたはもう完全な狂気の中には居ないのだから。 そしてあなたは自己欺瞞の罪悪をそれそのものとして認識することが出来るようになっているのだから。]

わかりますか?
しかし「オーケー! でも私はラジの言うとおりにしているのに、なにも上手く行っていない。 私は何も変化を体験しておらず、なにも起こってはおらず、全ては今まで通りです。 だからこれらの言葉は、別な時/別な時間/別なマインドの私に当てはまるのでしょう。」 とあなたは言ってしまうかもしれません。


[You could no longer find even the ILLUSION of love in any special relationship here.]
[ここでは特別な関係の中に愛の幻想を見ることさえも、あなたにはもはや出来ません。]

「でも私には見えているよ! そしてそれを変えることは出来ないみたい。 だからあなたが言っていることは、目覚めた後の私に関することで、今の私には関係ないみたいです。」
いいえ。 この文はあなたの今に関して話しているのです。  この文は自分の無能を感じる場所に立っているあなた、「自分が聖なる瞬間のためにしている全てのことが全く何の効果も上げていない」と感じるところに立っているあなたに関して話しているのです。
あなたは勇気付けられない(効果が現れていない)状況に対峙し続け、その噓が消えて行くまで立ち続けなければいけないのです。
だからこれは楽しいことだけではないのです。 しかしあなたはもうこのプロセスに対して無知ではないのです。 そして私はあなたの後ろに立ち前に立ち「前に進みなさい、続けなさい、こちらに進みなさい。」と言い続けるでしょう。


[Find hope and comfort, rather than despair, in this: You could no longer find even the ILLUSION of love in any special relationship here.]
[このことに失望するのではなく、希望を持ち安心しなさい。 ここで、特別な関係の中に愛の幻想を見ることさえも、あなたにはもはや出来ません。]
「神聖なるあなたが誰か」知らずにいる全ての関係がこれに当てはまります。

[For you are no longer wholly insane, and you would recognize the guilt of self-betrayal for what it IS.]
[何故なら、あなたはもう完全な狂気の中には居ないのだから。 そしてあなたは自己欺瞞の罪悪をそれそのものとして認識することが出来るようになっているのだから。]

これはあなたが生まれて初めて新年の誓いの目的を理解したようなものです。
それは二つのステップを実践すること、聖なる瞬間を持って、酷く見えている全てのことに対峙し、それが消え去るまでそれと対峙し続けることなのです。 何故なら、あなたは既にもう完全な狂気の中には居ないのだから。

私はあなたに真理を分け与えました。
Happy New Year! Happy New Now! Happy instant!
次にお会い出来ることを楽しみにしています。



「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはその様なものだから。 
貴方と同等の方が既にこのギフトを貴方に差し出したので、これらの資料が貴方に提示されています。 Raj の指示により、これらの資料が売買される事はありません。 この機関「Northwest Foundation for A Course In Miracles」へ募金される場合、下記のWEBサイトを通して行なうか、あるいは下記の住所に郵送して下さい。
この日本語翻訳はNWFFACIMの運営には直接関与していない一個人が行ったものです。

A Course in Miracles Study Group with Raj, January 1st 2011
© by The Northwest Foundation for “A Course in Miracles” a non-profit corporation.
All rights reserved
PO Box 1490 / Kingston, WA 98346-1490 / USA
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
Website: http://www.nwffacim.org
E-Mail: paul@nwffacim.org


テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

コメントの投稿

非公開コメント

No title

私の独り言が全部ラジに聞かれているような内容で驚きました。

翻訳有り難うございました。

こんにちは

フリフリしっぽさん、Wannaさん、setsukoさん、
こんにちは。

私は昨夜は宮崎に行ってました。 夢の中で。

宮崎には一回仕事で行ったことがあります。
宮崎ゴルフコースでゴルフもしました。
その結果は、タンタカタァ~ん!!  
ロストボール八個でダントツビリでした。

今回睡眠中に宮崎に行ったのはゴルフをする為ではなく、
何人かの人達と話をするためでした。
でもその内容はスッキリ全部忘れました。 
プロフィール

翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。