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ACIM11-04-16

April 16th, 2011 ©NWFFACIM   2011年4月16日

A Course In Miracles (参照ページ)
Chapter 17 – FORGIVENESS AND HEALING
Section: FANTASY AND DISTORTED PERCEPTION
1 Sparkly Book – p.400 / JCIM – p.168 / CIMS – p. 337
Chapter 17 – FORGIVENESS AND THE HOLY RELATIONSHIP
First Edition – p. 327, Par.3 / Second Edition – p.351, Par.3

こんばんは、ようこそ。

ここ数週間私の言って来たことが、長い間コースを勉強している人達を困惑させているようです。

あなたの目の前には天国/リアリティしかないことを私は強調してきました。
それ以外のことは全く何も実在しておらず、それ以外のことを体験するべきではないのです。

そして次のことをハッキリさせる必要があるのです。
あなたはリアリティをクリアに体験しているか、そうでなければリアリティを不明瞭に体験しているか(暗いガラスを通して見ているか)、そのどちらかなのです。
あなたは、神の創造を直接体験しているか、そうでなければ創造に対して誤認識(誤った知覚を)しているのです。
あなたは決して、二つのリアリティ(天国ではないもう一つのリアリティ)を見ている訳ではありません。

神以外の存在は有り得ないので、リアリティでないものが発生する余地は全くないのです(リアリティ以外のものが引き出され得る場所は存在していないのです)。
もしACIMを使って「自分が見ているもの全ては幻想でしかない」というアイディアを受け入れてしまったなら、神/真実の面前に居てそれを否定することに成ってしまいます。 存在を否定することに成ってしまいます。

あなたが見ている「神が成っているもの」のより多くに対して好奇心を持ちなさい、と私は言ってきました。
神は「あなたが見ているもの/こと」より多くのものに成っているので、それが見えるように好奇心をもって全てを見なさい、と私は言ってきました。

現時点では、あなたは自分の目の前のことに注意を与えること以外には何も出来ないのです。
だから、もしあなたが好奇心をもって自分の直面していることに注意/意識を与えなかったなら、あなたは自分の現在の知覚/認識の中に自分を閉じ込めてしまいます。 あなたは神の体験を否定してしまいます。 あなたは自分の体験の中から(意識の中から) リアリティそのものをブロックしてしまいます。
しかしそうすることはあなたの生得権(当然の権利)ではありません。

だから私は「全てのことに対して好奇心を持って見てみなさい」と永遠に言い続けるのです。
「神は(現時点であなたに見えているよりも)より多くのこと/ものに成っているので、それが見えるよう好奇心を発揮しなさい」と私は言っているのです。

これは絶対必要なことなのです。
あなたが夢をそのまま見続けるつもりなら、なぜACIMなど読む必要があるのでしょう。

この章は「Forgiveness and Healing」(赦しと癒し)と題されています。
我々はスピリチュアリティに酔っ払って、リアリティから浮遊してしまって、癒し(ヒーリング)を(皆さんが既に知っている)その本来の意味から離れたものとして理解し始めるのでしょうか?(いいえ)
全ての人は実際的に何らかの癒しを必要としているのです。

癒しとは、あなたの体や世界と全く無関係にあなたのマインド/理解がクリアに成る事なのでしょうか? いいえ。 足を地に付けておきなさい。

ACIMは、そこで使われている言葉の意味を今までのものとは全く違ったものにしてしまって、あなたの日常と無関係な(アイディア)を作ることを意図しているのではありません。
ACIMはあなたの日常をより良くするためのものなのです。

どのようにしたらあなたの日常がより良く成るのでしょうか?
(問題を修正することなく)夢見るようなフワフワしたアイディアを使うことによってでしょうか?
もしそうならACIMのテキストから修正(Correction)という文字を取り去ってしまわなければいけませんね。

しかしそうではなく、修正がヒーリングが必要なのです。
ヒーリング(癒し)とは、怪我や病が起こっているときに(そのままの状態で)平和を体験するというようなキチガイ染みたものではないのです。 そのようなものはスピリチュアルではなく狂気です。
もしあなたに狂気と正気の区別がついていないなら、誰かがそれをあなたに知らせなくてはなりません。 だから私がその区別をあなたに知らせているのです。

コースの中には書いてありませんが、真実である二つの言葉があります。

ひとつは “All is Mind” 「全てはマインドである」
世界の動きから玄妙なエーテルの動きから芋畑まで(大きなものから小さなものまで)すべてはマインドなのです。


もうひとつは ”Mind maintains all identities.” 「(神である)マインドはすべてのアイデンティティ(自己認識)を保持している。」

草も星も、それぞれ永遠に固有の存在なのです。
これが真実です。

だから、あなたは世界の中で見ている全てのものを認めそれを喜ぶべきなのです。
これはあなたが世界の全てのものに対して今まではしてこなかった認識(感謝)なのです。
このようにものごとを認識する(ものごとを認め称える)ことにより、あなたは自分の意識をリアリティに与えそれを認識し発見出来るようになるのです。

愛らしくないもの(良いものとして見えていないもの)を(より良いものとして)見てみようとするあなたの意欲が赦しなのです。

そしてあなたは、愛らしくないもの(愛らしく見えていないもの)でも(あえてそれを)特定の意図と共に見てみようとするべきなのです。
その意図とは、(あなたが今までそこに見てきた神の不在ではなく)そこに神が成っているものをより明確により大きく見てみようとすることなのです。
その結果として起こることが癒し(ヒーリング)なのです。
これだけシンプルなことなのです。これだけ実践的なことなのです。

これ以外の信念の下に努力しても不毛です。
ただ座って(ACIMという名の下に)耐え難きを耐えることは不毛なことです。


このセクションは「Fantasy and distorted perception」(幻想と歪んだ知覚)と題されています。

[When you maintain that there must be order of difficulty in miracles, all you mean is that there are some things you would withhold from truth. You believe that truth cannot deal with them only because you would KEEP them from truth.]
[奇跡に難用度の違いがある(難しい奇跡と容易な奇跡がある)とあなたが言っているとき、あなたには「何か真理から遠ざけておきたいもの」があるのです。あなたは真理がそれに(その何かに)上手く対処するこは出来ないと考えているのです。しかし、あなたがそう思っているのは、あなたがそれ(その何か=難しい奇跡)を真理から遠ざけておきたいと考えたからなのです。]

ではこれを実際的なものに当て嵌めてみましょう。

ここ数週間私は日本の状況に関して話してきました。私達は放射能(放射性物質)に関して話してきました。
そしてあなた達がもっている能力に関して話してきました。

その能力とは「エネルギーのとてもネガティブな側面が全く善良な現われに変容されること」を見る能力なのです。

しかしこれは「とても難しい」のです(と思われているのです)。
あなた達は基本的に放射能は自分達の安全/生命にとって危険なものだと考えています。

あなたが「放射能は本当に危険な難しいものだから癒しは難しいのだ、放射能を沢山浴びたなら私は死んでしまう」(だからこの考えを真理の元に持っていく事は出来ない/この考えを真理で置き換えることは出来ない)と言っているとき、あなたは「奇跡に難用度の違いがある(難しい奇跡と容易な奇跡がある)」と言い続けているのです。
もしあなたがそう言っていたなら、原発事故から30キロ離れた場所に居る人に関して、あなたは何と言っていることになるのでしょうか(その時あなたは彼らに対して何を考えているのでしょうか)。
そのように言っているとき、あなたは自分自身を断罪しており(自分の物質性を宣言しており)、彼らを断罪しているのです。

その時あなたは聖なる瞬間を実践してはいないのです。
聖なる瞬間を行うために、あなたはマインド(思考)を閉じて静かになり、その静寂の中で「父よここの真理は何ですか?」と言うのです。
その時それを(問題を放射能を)真理から遠ざけない決心がなされているのです。

もう一度言いましょう。
「奇跡に難用度の違いがある(難しい奇跡と容易な奇跡がある)」とあなたが言っているとき、
あなたは「自分には何か真理から遠ざけておきたいものがある」と言っているのです。

「私はこれを真理の元にあらわにすること(真理の下に持っていくこと)は出来ない。何故なら、これは修正不可能だから。」
「これは本当に危険なのです。 これはとても長いこと危険であり続けるので、かの地に人々が住めるようになるまでには何十年という月日が掛かることでしょう。」
このように言ってあなたはこれを真理から遠ざけ続けることに専念しているのです。
何故なら、あなたは「物質とは何か」ということに関してとても自信があるので、ここで奇跡が起こるかもしれないと考えてみられないでいるのです。


しかしコースは、このようなあなたの意見とは違うことを言っているのです。

[You believe the truth cannot deal with them only because you would KEEP them from truth. Very simply, your lack of faith in the power that heals all pain .]

[あなたは、真理はそれらのもの(問題)に対処することが出来ないと考えています。] (放射性物質とあなたの身体の関係などを、真理から遠ざけておきたいとあなたは欲しているのです。) [それは(すべての苦しみを修正する)癒しの力に対するあなたの不信心(信心の無さ)が原因なのです。]

「すべての痛みを癒す」とはどういう意味でしょう?
それは(傷ついた身体やニキビなどとは関係のない)心理的痛みでしょうか?それは(奇跡は癒しは)身体的痛みとは何も関係がないのでしょうか?
勿論関係があるのです。
もしそうでなければ、この本は捨ててしまいなさい。
(もしそうでなければ)モータル(必滅者)として生きていきなさい。
(もしそうでなければ)人間的状況よりも偉大状態に関するビジョンを得ているフリをするのは止めなさい。


[Very simply, your lack of faith in the power that heals all pain arises from your wish to retain some aspects of reality for fantasy.]

[全ての痛みを癒す力に対するあなたの不信心(疑い)は、リアリティの特定の部分を幻想として保ちたいというあなたの望みから来ているのです。]

つまりあなたは放射性物質と呼ばれている天国のこの部分を(リアリティから遠ざけて)それを幻想に投資しよう(自分達のファンタジーに与えよう)としているのです。
「(実際には分極化出来ない)天国のこの部分を幻想のために取っておこう(取り分けておこう)。 そしてその幻想は放射能(放射性)で、それは人間的状況にとってとても危険な分極化されているエネルギーでなのだ。 この定義を私は保持しよう。」(とあなたは考えているのです。)
あなたはリアリティの特定の部分を幻想の為に取り分けて(保留して)おこうとしているのです。

さて次が面白い部分です。
このセクションは「Fantasy and distorted perception」(幻想と歪んだ知覚)と題されています。
これらは二つのものとして言い表されています。 確かにそうなのです。

幻想とはあなた一人だけでも楽しむことが出来るものです。 あなたは思う存分一人で幻想(ファンタジー)を堪能することが出来ます。

しかし歪んだ知覚をあなた一人で持つことは出来ません。
歪んだ知覚は、あなたが自分の幻想をもう一人の兄弟姉妹に示して、その幻想を共有出来た時にだけ可能なのです。

あなた達二人がこの幻想に決意を与え、自分達の源としての父を否定して、創造の全てが彼(神)のものであることを否定して、それ(創造)を自分の目的の為に横取りしたなら、あなた達は共有された(共通の)狂気に縛られてしまうのです。 そしてその狂気は歪んだ知覚(認識)から出来ているのです。 その狂気の中で(体現された愛である、全創造の実体である)スピリットという実体の善良さは、それとは(愛とは)全く反するものとして認識されるように成るのです。

(あなたには信じられないかもしれませんが)これが実際に起こったことなのです。
これがあなたを(神の聖なる子供が体験していることから隔たった)人間的存在に縛り付けているのです。
そしてあなたは「自分が誰か」忘れてしまっているのです。
そしてあなたは幻想に信心を与えているのです。
あなたは、創造を(創造の一部を)この幻想に縛り付けてしまっているのです。

がん細胞でも放射性物質でも、あまり根源的違いはありません。
それらは、あなた達を殺害するという似通った特質を持っているように見えています。
それらは(あなた達を殺害するという)同じ意図を持っています。
ならば、そのどちらかが他方よりも酷いもの(難しいもの)でしょうか?  本当のところ、あまり違いはないですね。

実体に対する(今までとは)違う体験をするべき時なのです。
この宇宙の全てのものの実体に関して(今までとは)違う体験をし始めるべき時なのです。
勇気を持ってあなたの幻想を真理の下に持って行く(そして幻想を真理で取り替える)べき時なのです。真理を幻想の下に持っていくこと(幻想に真理/現実感を与えること)を止めて。
これがわたし達のしようとしていることなのです。
「全ての痛みを癒す力」に対するあなたの不信心(疑い)は、リアリティの特定の側面を幻想の為に保持しておこうとするあなたの望みが原因なのです。

このことが、あなたが全体を認めることに対してどのような影響を与えているか気付いたなら...
リアリティの特定の側面を幻想の為に保持しておこうとすることが、あなたが全体を認識することを不可能を不可能にしていると気付くことでしょう。

もう一度読みましょう。
[Very simply, your lack of faith in the power that heals all pain arises from your wish to retain some aspects of reality for fantasy. If you but realized what this must do to your appreciation of the whole!]
[全ての痛みを癒す力に対するあなたの不信心は、リアリティの特定の側面を幻想のためにとって置こうとしているあなたの願いから発生しているのです。 このことが「全体に対するあなたの認識」に与えている効果を理解出来たなら。]

(リアリティの特定の側面を幻想のためにとって置こうとしているあなたの願いから発生している)癒す力に対するあなたの不信心が、全体に対する認識を抹殺しているのです。
(この幻想故に)全体を認めることが不可能になってしまうのです。 何故なら、あなた達は放射性物質を持っておりガン細胞を持っており、(あなたの平和を脅かしている)その他の殺傷物を色々持っているのだから。(あなた達はそう考えているのだから。)
そしてもしあなたが自分の平和を失くしてしまったなら、その時あなたは怖れの中に居るのです。

あなたが怖れの中に居る時、それは「あなたを怖れさせているもの」を見てそれを真理の下へ持って行くことが殆ど出来ない状態なのです。
その時あなたは、「あなたを怖れさせているもの/こと」を全く抱擁出来ない状態にあるのです。 「分極化されてしまっているように見えているもの」が「あなたを怖れさせているネガティブなもの」として現れており、それを(怖れを)超越するためにあなたはそれを抱擁しようとしてはいるのですが(そのような努力は実を結んでいないでしょう)。

何故あなたは「汝の敵を愛」さなければいけないのでしょうか?
何故なら、あなたの敵は神の子(あるいは創造の一側面)であって、あなたは「彼/彼女/それ」を誤認識(誤知覚)しており、あなたの誤認識故にあなたは「彼/彼女/それ」に対して防御的(攻撃的)に成っているからです。

あなたが(敵/問題の表現によって惑わされることなく)自分の意識/注意を敵/問題の上に注ぐことを嫌っていたなら、あなたは「神が成っているより多くのもの」を発見することは出来ません。
敵(相手/対象物)の表現に惑わされることなく、その表現を通り越して、あなたは自分の意識を敵(相手/対象物)の上に注ぎ、神の現われを見たいと期待するべきなのです。

神が神自身をあなたの意識的体験として現せるように、そしてあなたが瞬間的/自動的に神の子を認識することの喜びを感じ表現出来るように(あなたは上記のことをするべきなのです)。
神の子はあなたの愛に値しており、「彼/彼女/それ」の神聖をあなたが認識していることが、あなたが神聖であることを露にし、あなたをあなたに示して、あなた達は驚きの中で繋がるのです。

[What you reserve unto yourself, you TAKE AWAY from Him Who would release you. ]
[あなたがあなた自身の為に取分けているもの(自分のために保持しようとしているもの)を、あなたは(あなたを解放しようとしている)彼から遠ざけているのです。]

「あなたを解放しようとしている彼」とは誰のことでしょう?
これは精霊のことです。 あなたの正しいマインドでしかないものです。

[What you reserve unto yourself, . .]
[あなたが自分自身のために取分けて(保留して)いるものを、]

「天国のこの部分を私は放射性物質と呼びましょう。 これは分極的性質を持っていて、周りに危険をもたらすものだと決めましょう。」

このように自分で決める権利をあなたは保留しており、それを執行しているのです。

[. . . AWAY from Him Who would release you. ]
[(あなたを開放しようとしている)彼(精霊)から遠ざけているのです。]

あなたはそれをあなた(のエゴ/無知)から(真の)あなたを解放する「あなたの正しいマインド」から遠ざけているのです。

[Unless you give it back, it is inevitable that your perspective on reality be warped and uncorrected.]
[あなたがそれ(自分のために取分けているもの)を返すまで、リアリティに対するあなたの視点は歪み補正されないままであることは明白なのです。]
もう一度読みます。

[Unless you give it back, it is inevitable that your perspective on reality be warped and uncorrected.]
[あなたがそれ(自分のために取分けているもの)を返すまで、リアリティに対するあなたの視点は歪み補正されないままであることは明白なのです。]

何故このようなことが言われているのでしょうか?
それは修正が必要だからです。これが「良き知らせ」なのです。

しかしあなたが「ここは物理的世界で、これは幻想であり、これは消滅するのだ。」と言っている限り、あなたには修正が見られないのです。
それは呪いなのです。そこには赦しがないのです。

赦しがないなら、「待てよ! ここで何かが起こっており、神の力以外のものが実在していなかったなら、私に知覚出来るものは(あるいは私に誤認識出来るもの)は神以外にはないに違いない。だからそこにあるものは基本的にリアルで善良で分離されていなく、分極化されておらず、罪/病/死/崩壊は不可能に違いない。 だから、そこに現れているものは(本当は)私にふさわしいものなのだ。 だから私は好奇心と共に、そこにある神聖を見てみよう。 この体験が出来るまでこれを続けてみよう。」と言えていないなら、

ACIMが、このようなことを言っていないのなら、この本など捨ててしまいなさい。
この本を読むことは止めてしまいなさい。
もしコースがこのようなことを言っていないとあなたが考えていたなら、もう一度新しい見方でこの本を読んで御覧なさい。

[As long as you would have it so, so long will the illusion of order of difficulty in miracles remain with you. For you have ESTABLISHED this order in reality by giving some of it to one teacher, and some to another. And so you learn to deal with part of truth in one way, and in another way the other part. ]  
[あなたがこれをしようとしている限り、奇跡の難しさに違いがある(奇跡に難易度がある)という幻想があなたにもたらされ続けます。 何故ならあなたは、あるものを一人の教師に与え、他のものを他の教師に与えて、この違いを(この難易度を)設立したのだから。 こうしてあなたは、真理の一部にある特定のやり方で対処し、真理の他の部分には違うやり方で対処しているのです。]

つまりあなたは、ある種の幻想に対しては真理を使ってそれを癒しており、真理の他の部分は幻想の下に持ち込んで幻想に真理(として受け取られる様子)を決めさせているのです。

これらのことをしている時、それでもあなたは真理/真実と関わっており、実体と関わっているのです。 あなたはリアリティと関わり続けており、(実在する全てである)真実と実体というスピリットと関わっているのです。
しかしあなたは真理/真実を誤用しており、あなたはスピリット(霊)のことを(リアリティやその源である神の特質を全く持っていない)物質と呼んでいるのです。

[To fragment truth is to destroy it by rendering it meaningless. ]
[真理/真実をバラバラに分離することは、それを無意味にして破壊することなのです。]

あなたは、幻想を真理の下に持って行きそれを修正することも出来るし、真理を幻想の下に持って行きそこで何が真理か幻想に決めさせることも出来るのです。

[To fragment truth is to destroy it by rendering it meaningless. Orders of reality is a perspective without understanding, a frame of reference for reality to which it cannot really BE compared at all.]
[真理/真実をバラバラに分離することは、それを無意味にして破壊することなのです。 リアリテを階級化しようとすること(リアリティの難易度に上下関係を付けること)は、理解を伴わない視点をもたらします。 それはリアリティに対する(比較という本来存在しない)見方をもたらすのです。]

「存在」の単一性(唯一性)、対極化されていない「存在」のありさま. ..
あなたのマインドのすべての側面をこの真理の下に持ってこなければいけないのです。
そうすることによりあなたのマインドが真理によって計量され、否応なく拡大されるのです。 あなたのマインドが否応なく無限に成るのです。 あなたのマインドが否応なく修正され正気に戻るのです。

[Think you that you can bring truth to fantasy, and learn what truth means from the perspective of illusions?]
[あなたは真理を幻想の下に持って行き、幻想の視点から真理の意味を学ぶことが出来ると考えていますか?]

勿論そのようなことは不可能なのです。
だから(現在の無知なあなたのマインドにとって)災難に見えることや、とても恐ろしいことが発生しているとき、あなたは現在のマインド(現在の見方/枠組み)を「確立されている事実」として受け取ってしまっているのです。 それ(現在の見方)をリアリティに対する最上の理解として受け取ってしまっているのです。
だから何か出来事が起こっている時、それはあなたの現在のマインド(の枠組み)によって変更されて(歪められて)いるのです。
そしてあなたはそれを死ぬ程怖れているのです。
しかし、それは適切な反応ではないのです。
しかし、コースが教えているのはこれとは別なことなのです。


何故なら、あなた達は神の聖なる子供達で、それ以外の何者にも成ったことはないのだから。

そしてあなたが怖れていることは、本当は決してあなたを傷つけることのない「天国」に対する誤認識(間違った知覚)なのです。


そして、これは現在あなたが狂気を体験していることを意味しているのです。

そして狂気は知性的な認識によって修正されるものなのです。 狂気は知性を認識することによって修正されるものなのです。
そして私は知性(英知)を表現しているのです。
私は知性を表明して、あなたがそれを認めて、あなたの無知への執着を放棄出来るようにしているのです。 そしてあなたが蟹樽(あなたの囚われているマインドの枠組み)から出て来れるようにしているのです。

そしてあなたが真理(理解)から隔てているアイディアの一つは「蟹樽の外が存在している」というものです。
例えばあなたが誰かに「僕は蟹樽から出ようとしているのです。」と言ったとしましょう。
すると相手は「馬鹿だな! 蟹樽の外なんか有るわけがないじゃないか。 そもそも蟹樽なんていうものも無いんだよ。 これはただ人生というものなのだから。」と言うのです。
「だから君も、この人生を耐えるしかないのだよ。 最後の日までこの状態を耐え忍ぶしか我々に出来ることは無いんだ。 だから馬鹿げた事を考えるのはよしたまえ。」
と、あなたはこう言われてしまうわけです。

このようにしてリアリティが幻想の下に持って来られており、幻想がリアリティを(何がリアリティとして受け取られるか)決定しているのです。
その結果として、あなたは奇跡を体験する可能性を自分に対して否定してしまっているのです。
何故なら、あなたは常識を疑ってみようとはしていないのだから。 あなたはあなたは自分のマインドを常識(蟹樽)の外に出そうとはしていないのだから。

[Think you that you can bring truth to fantasy, and learn what truth means from the perspective of illusions? Truth HAS no meaning in illusion. The frame of reference for its meaning must be ITSELF.]
[あなたは真理を幻想の下に持って行き、幻想の視点から真理の意味を学ぶことが出来ると考えていますか? 幻想の中では真理は全く意味を持っていません。 その意味の枠組みはそれ自体なのです。]

つまり、真理の意味の枠組みは真実それ自体なのです。
そして真理は蟹樽(あなたの限定的視点)の外にあるのです。
真理は蟹樽の中には存在していないのです。
真理は幻想の中には存在していないのです。
それは孤児院の中には存在しておらず。 その外にあるのです。
そして幸運な事にあなたは真理を知っています。
あなたは何が真理か知っていないかも知れませんが、真理が存在していることをあなたは知っています。
あなたの奥深くには、真理というものがあるという気付きがしっかりと根付いているのです。

だから、
[When you try to bring truth to illusions, you are trying to make illusions REAL, and keep them by JUSTIFYING your belief in them. ]
[あなたが真理を幻想の下に持って行こうとしている時、あなたは幻想をリアルにしようとしており、幻想に対するあなたの信念によってそれを正当化して幻想を保とうとしているのです。]

あなたは幻想を確定するために、真理を使おう(真理を歪めよう)、そうやって幻想を保とうとしているのです。
あなたは、神から独立した存在(源を持っていない存在)に成るという冒険に即した真理を当て嵌めよう(作り出そう)としているのです。 あなたは、そのような自尊心と誇りに満ちた独立的存在体験を作ろうとしているのです。

[But to give illusions to truth is to enable truth to teach that the ILLUSIONS are unreal, and thus enable you to escape from them . . . ]
[しかし真理の下に幻想を持って行くことで、「幻想はリアルではない」と真理があなたに教えられるようになるのです。こうしてあなたは幻想から逃れられるようになるのです。] (つまり今までの逆を行うのです。)

こうして蟹樽(あなたを捕らえている幻想)から出て行くのです。
次を聞きなさい:

[Reserve not one idea aside from truth, . .]
[真理から離れたアイディアは一つも持ってはいけません。]

(神から離れたあなた達だけの)プライベートなアイディアを保持してはいけません。

「放射性物質は無害なのかもしれない。 私の周りの人たちが放射能の有害性にこれ程とらわれていなければ、私も放射能に直面して無事で居られるかもしれない。 でも、それを私に試させるようなことは、お願いだからしないで欲しい。」 (現在あなた達はこう言っているのです。)

[Reserve not one idea aside from truth, or you establish orders of reality which must imprison you. There IS no order in reality because EVERYTHING there is true.]
[真理から離れたアイディアは一つも持ってはいけません。 そうでなければ、あなたはリアリティのオーダー(順位/形式)を確立してしまい、それがあなたを拘束してしまうでしょう。 リアリティにはオーダー(順位/形式)は無いのです。何故ならリアリティ内に存在しているものはすべて真理なのだから。]

そこに在る全ては真理/真実なのです。
「そこ」とは何処でしょう?
それは「ここ」です。

真理がここに無いのならば、この本には何の意味も無かったことでしょう。
真理がここに無いのならば、これらの言葉も(あなたが死んで天国に召されるまで)無意味でしょう。 
あなたが死んで天国に行くまで真理が現れないのなら、この本は脇に置いてご自分の僅かな人生を楽しまれたら良いでしょう。
考えられる限り罪悪(神からの分離)を堪能したらよろしいでしょう。
出来るだけエキサイティングで充実した人生を送れば良いでしょう。
死ぬまで答えが得られないのなら、(生きている間においては)人生を死ぬまで楽しむ以上のことが可能でしょうか?

[There IS no order in reality because EVERYTHING there is true.]
[リアリティにはオーダー(順位/形式)は無いのです。何故ならリアリティ内に存在しているものはすべて真理なのだから。]

そして「ここ」がリアリティなのです。
だからあなたの使命は全てを新鮮な目で見ることなのです。 あなたの喜びは全てを新鮮な目で見ることなのです。
無垢な(無邪気な)目で全てを見なさい。「あなたに見るように条件付けられているもの」を超えて見る度量を持ちなさい。 既にあなたは、その度量を持っているのだから。
あなたは神の子供であり続けているのだから(どれだけあなた達がそのことを隠し続けていたとしても)。

[Be willing, then, to give all you have held outside the truth to Him Who KNOWS the truth, . .]
[だから、真理の外にあなたが保管していたもの全てを「真理を知っている彼」に与えなさい。]

つまり精霊(あなたの正しいマインドでしかないもの)に与えなさい。

[. . . and in Whom all is brought to truth. Be not concerned with anything except your WILLINGNESS to have this be accomplished. ]
[だから、真理の外にあなたが保管していたもの全てを「真理を知っている彼」に与えなさい。彼の中で全てが真理に戻されるのです。 これが達成されることを求めるあなたの意欲以外のもので満足してしまうのは止めなさい。]

これが答えです。
[Be not concerned with anything . . .]
[これ以外のもので満足してしまうのは止めなさい。]

恐ろしい放射性物質やガンやその他のもの(が現れている状態、を認めている状態)で満足してしまうのは止めなさい。

[Be not concerned with anything except your WILLINGNESS to have this be accomplished.]
[これを達成しようと求める意欲以外のことを思い煩うのは止めなさい。]

しかし次が(エゴにとって)侮辱的/屈辱的な部分です。

[HE will accomplish it; NOT you. ]
[あなたではなく、彼がこれを達成するのです。]

これが美しいのです。これが愛なのです。
この中にあなたの根源的不可侵性(不死身)が存在しているのです。


私は下記の二つの言葉を示して来ました。
[Wish to see the evidence of Love, no matter what’s presenting itself. ]
[(どのようなことが示されていようとも)愛の確証が見られるように望むこと。]
そして
[Wish to be the presence of Love. ]
[愛の確証に成ろうと望むこと。]

もう一度言いましょう、
[Wish to see the evidence of Love and wish to be the evidence of Love. ]
[愛の確証が見たいと望むこと、と、愛の確証に成りたいと望むこと] です。

さてこの二つの内どちらが先に来るのでしょうか?
これには順番があるのです。(これも重要なことです。)

これは「愛の確証を見たいと望むこと」から始まるのです。
はじめに献身(自己放棄)があるのです。
あなた自身にギフト(認識)を与えるのではなく、(まず最初に)あなたの兄弟姉妹にギフト(認識)を贈るのです。

あなたが兄弟姉妹(あるいはあなたが眺めている何らかのもの)の内に愛の確証を見たいと願ったとき、あなたは神聖な明晰さ(ビジョン)の流入に自分を明け渡しているのです。

この明晰なビジョンがあなたの中に流れ込んで来たなら、それがあなたを満たし、あなたにインスピレーションをもたらし、あなたは否応無く愛の確証に成ってしまうのです。

つまりその時のあなたの行動は、(あなたの思考に基づいた)特定の効果/効用を目的としたものではなくなっているのです。 あなたの行動はあなたの意思を離れたもの(神のもの)に成っているのです。

あなたから自動的に湧き上がってくる喜びが愛の確証なのです。
そしてあなたの喜びが、それに触れた全てのものを祝福するのです。
特に、「愛を求めている人」に対して、「あなたが(初めの内は)愛の確証ではないと断定していた人」に対して、より多くの祝福がもたらされるのです。

「ええ、私は自分の兄弟のために愛の確証に成りましょう! 彼はそれをとても必要としていて、私はそれを持っているので、彼に与えることが出来ます。 私はコースを何年も学んできたので、それをとてもよく知っています。 だから、私は愛の確証になりましょう。」
こう考えているなら、あなたは要点を取り違えているのです。

あなたはこのようにして愛の確証に成ることは出来ません。
あなたは自分の過去から始めたり、自分自身(の視点)からこれを始めることは出来ないのです。

あなたは自分が居る無垢な瞬間の中のからこれを始める必要があるのです。
この無垢な瞬間の中で、あなたは父の視点(父の意思)に対して無防備に成っているのです。  あなたの父の意思があなたの本当の意思なのです。

しかし父の意思があなたの上にもたらされた時、あなたは今までとは全く異なったやり方で振る舞い始めるのです。 何故なら、その時あなたはもはや自分の行動をつかさどってはいないのだから。

そして、これはあなた達が繋がり、全ての人たちがそれに繋がっている素晴らしい出来事なのです。
これは、このように働くのです。

だから、
[Be willing, then, to give all you have held outside the truth to Him Who KNOWS the truth, and in Whom all is brought to truth. Be not concerned with anything except your WILLINGNESS to have this be accomplished. HE will accomplish it; NOT you. But forget not this: When you become disturbed and lose your peace of mind because ANOTHER is attempting to solve his problems through fantasy, you are refusing to forgive YOURSELF for just this same attempt. ]
[だから、真理の外にあなたが保管していたもの全てを「真理を知っている彼」に与えなさい。彼の中で全てが真理に戻されるのです。 これを達成しようと求める意欲以外のことを思い煩うのは止めなさい。あなたではなく、彼がこれを達成するのです。しかし次のことを覚えて置きなさい。 他者が幻想を使って彼の問題を解決しようと試みていることに対して、あなたが不安(動揺)を抱きはじめている時、あなたは(彼と全く同じことを試みている)あなた自身を赦すことを拒否しているのです。]

上記の文章は何を意味しているのでしょうか?

誰か他の人がその人自身の幻想(夢想)を使って問題を解決しようとしている時、それに対してあなたが動揺してしまっているなら、その時あなたは「この表明(その人が表明している問題)を真理の下に持って行かず、それを真理に修正させないこと」を選択しているのです。
その時あなたは、この表明(問題)を自分で受け取って、自分の目的の為に使おうとしているのです。

自分(あなた)の目的とは、(他者が行なった)この表明に対して自分で怒って(あるいは怖れて)、あなた(のエゴ)が得られる最大の効果をここから引き出すことなのです。 何故なら、その方があなたにとっては(この時点ではまだ、これを精霊に差し出すよりも)より重要なのだから。

このように振舞うことは自己主張なのです。 自己を押し出し自分で物事を決めることなのです。 
違いますか?
このようにして、あなたは自分がリアルに存在していること証明しようとしているのです。
怒り(怖れ)の表現は常にこれを目的としているのです。

しかしそれだけではありません。
怒る(怖れる)ことで、あなたは自分のマインドの中で自分を主人公(責任者/当事者)にするのです。
何故なら、怒ること(怖れること)であなたは自己を自分のマインド内の一番重要な登場人物にしているのだから。

そうすることであなたはより力強く感じ(分離している自己をよりリアルに感じ)、より実在感を増すのです。
しかし実際には、(怒っている間、怖れている間)あなたはリアリティから完全に飛び出しており、リアルなものとはなにも繋がらず、愛の確証にも成れずに、狂気の狭い範囲内でクルクル廻っているだけなのです。

それは何故でしょう?
それはあなたが「私は愛の確証には成りたくない。」と言ったからなのです。
{「私は、神を反映している愛の確証ではなく、神から離れた独立独尊する存在に成りたい」とあはたは言ったのです。}
これが真実です。


読み続けましょう。

[When you become disturbed and lose your peace of mind because ANOTHER is attempting to solve his problems through fantasy, you are refusing to forgive YOURSELF for just this same attempt. And you are holding BOTH of you away from truth and from salvation. ]
[他者が幻想を使って彼の問題を解決しようと試みていることに対して、あなたが不安(動揺)を抱きはじめている時、あなたは(彼と全く同じことを試みている)あなた自身を赦すことを拒否しているのです。 その時あなたは、あなた達両方を真理や救済から遠ざけているのです。]

そうして、あなたは卑小な狂気の中でクルクル廻り続けてしまっているのです。

[. . . you are holding BOTH of you away from truth and from salvation. As you forgive him, you restore to truth what was denied by BOTH of you. And you will see forgiveness where you have GIVEN it.]
[あなたは、あなた達両方を真理や救済から遠ざけているのです。 あなたが彼を赦したなら、あなた達両方が否定していた真理が修復されるのです。その時あなたは、あなたがそれ(赦し)を与えた場所で赦しを見るのです。]

では「あなたの兄弟を見て彼を赦し、あなた達両人に対して真理を修復すること」と「放射能や放射性物質に満ちている日本の特定の危険な場所を見て、それを赦し、修正が起こることを見ること、真理が修復されることを見ること」には違いがあるでしょうか? 
何が違うのでしょう?

あなた達が物質と呼んでいるものを見て、それを真理の下に持って行き、それが本当は実体(Substance)であることを真理があなたに示すこと。 「この実体がリアリティの中ではスピリット(霊)=神の実体である」と真理があなたに対して示すことを許可すること、と
何が違うのでしょう?

そして、「私が言っていること(好奇心を持って物質を眺めて、それがスピリットとして振舞っていることを発見し始めなさい)」がどの様にして「コースが言っていること」を否定しているのでしょうか?
そこに違いはないのです。

ここに違いがあるとあなたが考えたなら、コースの中に示されている修正の原則はあなたのためには働けません。何故なら、その時あなたは次のことを表明している根源的原則(プリンシプル)を否定しているのだから。

神が全て、全て、全て、全てです。 
神が放射性物質の全てです。 神があなたの爪の間に挟まった木屑の全てです。 神が私の指の全てです。
神という[マインド]が(草の葉から星まで)全てのアイディアを(永遠にそれぞれのものとして)保っているのです。

「コースはこのことを教えている」とあなた達に理解出来た時、あなた達全員が変容を見るでしょう。 あなた達全員はこの変容体験に値するのです。 そしてその時コースがその使命を達成したことに成るのです。

あなた達は怖ろしい世界に住んでいるわけではないのです。
しかし現在、あなた達の多くは世界を怖ろしい見方で見ています、孤立独立したやり方で世界を見ています、父から離れた見方で世界を見ています。 父から独立して、相互合意の中で(誤認識の中で)兄弟姉妹と繋がっているのです。

この良き知らせがあなた達に理解出来るまで、そしてあなた達がコースを全く新しいやり方で抱擁し(理解し)始めるまで、つまりあなた達が世界を全く新しいやり方で理解し始めるまで、この良き知らせをあなた達に繰り返し知らせ続けるのが私の喜びなのです。  

I love you all,
来週お会いすることを楽しみにしています。

原文テキスト
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=31436&mid=151088#M151088
オーディオ&ビデオ

原文を提供している 「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で(読者に義務を課すことなく)提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはそのようなものだから。 
あなたと同等の方が既にこのギフトをあなたに差し出したので、これらの資料があなたに提示されています。 Rajの指示によりこれらの資料が売買されることはありません。 この機関「Northwest Foundation for A Course In Miracles」への募金は下記のWEBサイトを通して行なうか、あるいは下記の住所に郵送して下さい。

A Course in Miracles Study Group with Raj, Apri16th 2011
© by The Northwest Foundation for “A Course in Miracles” a non-profit corporation.
All rights reserved
PO Box 1490 / Kingston, WA 98346-1490 / USA
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
Website: http://www.nwffacim.org
E-Mail: paul@nwffacim.org

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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完了

最後まで翻訳して、全体に細かい修正を加えました。

校正

全体の校正をもう一度行ないました。

フリフリしっぽさん

写真を褒めてくれてありがとう、

日本で朝起きてなんとなく野良猫を撮ったら、
あーなりました。

Re: コメントせずには…

> 失礼ながら、岡上さんがお財布無くしかけた時の顔マネ!とか思うと可笑しさ倍増で、写真を思い出すだけで笑えてしまいます。

確かに、あの写真はそっちの話に使えば良かったかも。
では私の顔も「カワイイ」と言うことにしておきましょう。


> 犬っていいですよね~。大型犬なら結婚したい位です。
(八犬伝の)伏姫さんみたいですねー。
プロフィール

翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

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