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ACIM11-06-18

2011年6月18日

特別な関係は邪悪なものなのです。 特別な関係の働きを一言で言い表せばそれは邪悪(Evil)です。
しかしあなた達は特別な関係を比較的穏やかに体験しています。 だからこれが邪悪なものだと考えることはあなた達には難しいのです。
華麗に飾り立てられた額縁を見ることは、この特別な関係の邪悪な働きを見ることを含んでいるのです。
特別な関係とは、あなたが何か(それは何でも可能なのです。物体とか兄弟とか姉妹とか)と関係を持っている時のことなのです。
しかし今回は兄弟姉妹との関係(人間関係)に焦点を絞りましょう。

物との関係は、人との関係ほど邪悪には成り得ないのです。
何故なら、あなたは自分の誤認識の中で物と繋がることは出来ないのです。
しかしあなたは自分の誤認識(誤解)の中で人と繋がることは出来るのです。
これがあなたと他者の関係をとても邪悪にしているのです。

特別な関係の中では神の子供達が自分達の意志によって「物事が何か/自分達がどのような者か」作り上げているのです。 こうして作り上げられているものが相互合意なのです。
あなた達はこの相互合意の中に自分達の意図を持ち込み、それに感情を入れ込んで相互合意をより頑強にしているのです。
(あなたが特別な関係を物との間に築いている時、意図と感情を使ってお互いと結び付き合うことは出来ません。)


相互合意に感情を入れ込んで「神が与えている意味とは無関係な意味」を何かに与えて、それを感情的決意で強化することが、神に対して無意識(無自覚)なマインド状態(マインドの枠組み)を作っているのです。
あなた達は自分達だけで全てのもの/ことに意味(定義)を与えて、「自分達だけで意味を与えたもの」の聖なる意味に対して無意識に成ることを感情を込めて決意したのです。
特別な対人関係が何にも増して邪悪なのは、特別な対人関係が(それに参加している人々に対して)自分達の源が何か思い出すことを全く出来なくさせてしまうからなのです。
特別な関係(特別な対人関係)は、人々を幻想体験の中に閉じ込めてしまおうとするのです。 
そして、あなたを「あなたの源」に対して無意識にしてしまおうとするものこそが「悪」なのです。
これが特別な関係の中で行なわれていることなのです。

このように言うことがあなたの助けに成るのでしょうか?
確かに助けになるのです。
何故なら、これを理解することは容易だから。少なくとも論理的にこれを理解することが可能だから。
そしてこの論理が正しいと証明されたなら、特別な関係に参加しなくなることがあなたに相応しいのです。

「自分達は唯の物理的身体的人間ではない」と認識出来るようになることを私はあなた達に勧めて来ました。
しかし物理的人間として知覚されているものは神の子なのです。
あなた達は全員スピリット(霊)で出来ており、物質から出来ているのではないのです。 だからあなた達は、神の法則に従っており、物理的法則によって統治されている訳ではないのです。
「現在のあなた達のマインドが許可していること(それがあなた達の探求を禁じているのです)を超えているものが認識出来るように成りなさい」と私は促して来ました。
しかし何人の人達が一日中父と繋がって、神の子としてのあなた自身を体験すること(それがあなた達の生得権なのです)を体験しているでしょうか?
{殆どの人達はまだそれが出来ていません。}
特別な関係がそれを不可能にしているのです。 それ程に特別な関係は破壊的なのです。
このことが、あなたが自分のマインドの中でどれだけ縛られているか、特別な関係から自分を解放することがどれだけ難しくなっているか、示しているのです。
このことを見て、特別な関係がどれだけ「あなたの求めているスピリチュアルな成長」を滞らせているか見てみなさい。
これを理解して、それを特別な関係を放棄する理由としなさい。
(神との繋がりをこのように滞らせてきた)あなたの孤児的マインドを放棄することが重要だと気づきなさい。
そう出来たなら、あなたはガイダンスを聞き始め感じ始め、聖なる瞬間の祝福を体験し始めるでしょう。

(あなた達が楽しんできた、少なくともまだ迅速に手放せてはいない)特別な関係や孤児的マインドを擁護する意味は全くありません。
神の聖なる息子よ娘よ、あなた達は私の兄弟姉妹であり、あなた達が現在体験しているよりも(あなたが自分に体験を許しているよりも)とても多くの「あなた」があるのです。

特別な関係の思考システムは「自分達の高尚な善良な努力と忍耐により、自分は自律した存在に成れる」という信念の周りに構成されているのです。
あなた達はこの信念を信じており、この不可能な信念を達成しようとする試みに自分達の感情と決意を与えているのです。

確かにあなた達は「これは不可能ではない」と教えられて来ました。
しかしあなた達がすでに最上に価値あるものであったなら、それ以上の価値を得ることが出来るでしょうか? そのようなことをする必要があるでしょうか?

(あなたが自分の指を上げる前に、あなたが自分の想像力を使う前に)あなたがもしすでに神性/知性(神の全ての性質)の最上の現われであったなら、より正しいより独立した存在としてより良くなることは不可能です。


あなたがすでに神の子であったなら、あなたは自分で考えているような惨めな必滅者(モータル)ではないので、どうにかして(自分自身を自分で抱え上げて)あなた自身を向上させることは不可能です。

(独立した自己を作り続ける)悲惨さ、惨めさ、そして(独立した存在として)何かを達成する方法、それらは絵(絵に描いた餅)なのだと私はあなた達に言っているのです。
こう言えば、私があなた達から何か重要なものを取り上げようとしているように見えるかもしれません。何か酷いことを教えられているように感じられるかもしれません。
これに参加したなら自分が終ってしまう、とあなたは思うかもしれません。
しかし下記の文章を読んでください。

[Be not deceived by the most superficial aspects of this thought system, for these aspects enclose the whole, complete in EVERY aspect. Death lies in this glittering gift.1 ]
[この思考システムの一番表面的要素に騙されるのは止めなさい。 何故なら、これらの要素はその中に各要素全体を完全に含んでいるのだから。死はこの輝くギフトの中に潜んでいます。 ]

酷い言葉ですね。

[Death lies in this glittering gift. Let not your gaze dwell on the hypnotic gleaming of the frame.]
[死はこの輝くギフトの中に潜んでいます。 この額縁の催眠的光に見入ってしまうのは止めなさい。]

この額縁はあなた達全員が一緒に想像し発達させて来たものなのです。
この額縁は「自分達が陥っている酷い状況を克服することが出来る」と言っている信念/思考/アイディアなのです。

そうして「リアルに成るために自分達に出来ること」としてあなた達が想像したものを達成する仕事に夢中に成ってしまうのです。 しかし額縁が作られる前からあなた達はすでにリアルだったのです。
そしてこの額縁の中の絵はあなたとは何の関係もないのです。この絵はあなたが克服しなくてはならないものではないのです。
あなたが手放さなくてはならないもの(絵)は本当は初めか実在していなかったのです。

[Look at the PICTURE, . .]
[絵を見据えなさい。]

あなた達が考え付いた壮大なアイディアではなく、あなた達の先輩達が考えあげたものではなく、(酷い状況として見えている)絵を見据えなさい。

[Look at the PICTURE, and realize that DEATH is offered you.]
[絵を見据えなさい。そして死があなたに提供されていることを理解しなさい。]

これより良い助言はありません。
勿論神の子が本当に死ぬことは出来ません。
だからあなたがどれだけこの(死の)アイディアを受け入れていたとしても、この不可能なアイディアが可能だと考えていたとしても、そうして自分自身を死に向かわせていたとしても、死は起こり得ないのです。

(目覚めない限り)あなたは多くの罪/病/死(そしてそれらに付随した全ての苦しみ)の体験をし続けます。 何故なら、神の聖なる娘よ息子よ、あなた達は気を失っているフリを続けることは出来ないからです。神の聖なる子供達がそのマインドを失い続けることは不可能なのです。
それを試すことは出来ても、それを達成することは出来ません。
そして痛み無くして、これ(気を失っているフリ)を試すことは出来ないのです。
これを試している限り、あなたの内なる正気が「あなたにはこれは出来ません。これは不可能です。あなたは何も達成していません。あなたは何もしていないにも関わらず、自分が何かをしていると考えています。」と言い続けるのです。

「自分には物事を達成する能力がある」とあなたは知っている(信じ切っている)のですが、あなたの正気は「{神と繋がっていない限り}あなたにはなにも達成することが出来ない」というクレージーなアイディアを示し続けるのです。
狂気のマインド内では、あなたの正気がクレージーに聞えるのです。
それは特別な関係に信心/決意を与えている限り、感情でもってその意図と決意を固めている限り、真理が聞えないからです。
何故なら、あなたが(額縁に織り込まれている)特別な関係だけに専念しており、額縁の中の酷い絵を無視するほど額縁の全てを尊んでいるからです。

だからこの絵に関するシンプルで意味深い真理を受け入れ、額縁を手放せるように成り、絵を見て「確かに、罪/病/死が私の人生の日々で行なわれている。死が私の頭の周りを回っており。それは年齢とは必ずしも関係ない。それは事故かもしれないし、怪我かもしれない。それは身体が不全になってしまうことかもしれない。」と(いう人生を受け入れてきた)ことが見られるように。
このようなもの(絵/考え)と生きるなんて!
{からかう調子で}しかしあなたは強い人なのです。あなたにはそれを耐え抜くことが出来るのです。それだけでなく、あなたにはイエスの言葉がついており、あなたの生命を守ってくれるのです。 
だから、あなたはイエスの言葉を使って困難を克服し、身体体験が物理的法則に従わないようにしようとします。
それは、物事全てがそのようであるべきだからではなく、あなたが神の力でもって(神の栄光のために)ネガティブな体験を自分に有利なものに変えることが出来るからです。
しかし(あなたがこれを試みている時)本当に起こっているのは、あなたが奇跡を体験していて「私は物理的物質的宇宙に住んでいる。私は物理的身体である。わたしは生き物なのだ。私は神とは全く関係がない。 私は神の完璧を体現している体験の中には居ない。 私は物理的体験をしている神聖なる存在なのだ」と言い続けていることなのです。
だからあなたはすでに奇跡を得ていて、しかしまだあなたの物理的身体的体験の中に閉じ込められているのです。
あなたはまだ(絵の悲惨さにも関わらず希望を与えているこの華麗な)額縁の中に織り込まれている定義や意味に捕われてしまっているのです。

この狂気が理解できますか?
もしこのような奇跡が生命に対する誤解からあなたを引き上げたとしても、自分はただの物理的生物にしか過ぎない(自分は身体的体験の中の神聖な存在なのだ)という信念からあなたが引き出されていなかったなら、あなたは未だにグルグル回り続けているだけなのです。 その時あなたはまだ罪/病/死のメリーゴーラウンドに乗り続けているのです。

そしてこれ(コース)はメリーゴーラウンドから降りるためのものなのです。
特別な関係(人間的体験/孤児院内の生活)を磨き上げるだけなら、聖なる関係をもつ必要などありません。
神はここであなた達をハッピーな孤児達にしようとしているのではないのです。
「これが私の愛する息子だ。これが私の愛する娘だ。 そして今ここにいるあなたに私はとても満足している。」と言うために神はいるのです。
あなたはこれを物質的世界/宇宙と呼んでいるけれども、あなたは私の聖なる子供で、あなたが物理的宇宙と呼んでいるものは(あなた達によって誤解/誤認識されている)天国なのです。
あなた達は天国に対する誤解(あなたは他の神の子と相互合意を交わしてこの誤解を作りそれを保持し続けています)に耽溺しているので、天国の99%はあなた達の注意/意識から外れているのです。
そして私はあなた達両者に「これを放棄しなさい。これを止めなさい。」と言いに来ているのです。
「私と繋がり、あなたの生得権を思い出しなさい。私と繋がり、あなたが誰か再発見しなさい。私と繋がり罪/病/死が失われた記憶になっていくのを見ていなさい。」

[The holy instant is a miniature of Heaven, sent you FROM Heaven.]
[聖なる瞬間は、天から送られてきた天国のミニチュア(縮図)です]

ミニチュア=小さな絵です。
聖なる瞬間を体験したいと決めて二つのステップを行なった時、あなたは思考を止めて静かになって思考の無い状態で、あなた達の惨めな限定された人生体験の周りを縁取っている偉大な額縁を挿入することなく、「父よ、精霊よ、ここの真理は何ですか? ここに現れている神の真理はなんですか?」と言うのです。
その時まず始めにあなたは静けさを体験します。
すると突然「惨めでネガティブな絵」を受け入れているあなたの意識から「豪華絢爛で金ぴかで複雑に入り組んだ額縁」が消えるのです。

その時あなたはそれら(絵や額縁)を捨てて、無(に見えるところ)から父と繋がろうとしているのです(意識的に孤立を放棄しているのです)。
この華麗な大きな額縁が(そして額縁が与えている意味や、全てを正しく保つ為にあなたが覚えていなくてはならないアレコレの全てが)無くなった「空虚に見える状態」の中に静けさがあるのです。 これを私は「妊娠している静けさ/発見の子宮/悟りの子宮」などと呼んできました。

その時あなたは自分の源と繋がろうと身を伸ばして(手を伸ばして)おり、(この額縁を作った時にあなた達が全てのものに与えた全定義を捨てて)真理がなにか知ろうと願っており、あなたは全てをより正しく見ることの邪魔をしておらず、ビジュアルな雑音や妨害電波は出していないのです。 そして、あなたが物質的世界と呼んできた全てのもの(テーブル/葉っぱ/手/兄弟姉妹)が正しく見えるようになるのです。 
大きな額縁とあなた達全員が合意している意味/定義が無くなれば、直接体験を邪魔するものはなくなるのです。 全てのものの神聖が直接体験出来るようになり、目覚めへの道があなたの前に与えられます。

[The holy instant is a miniature of Heaven, . .]
[聖なる瞬間は、...天国のミニチュアです]

これをあなたは初めのうち空虚として体験します。
静けさ、愛が現れ出てくる平和、そこから何の理由もなく喜びが沸き起こり出す無。
これらが、あなたの見ている(あなたが物質と呼んできた、あなた達全員がその意味を決めてきた)もの全てに対するあなたの知覚を照らし始めます。

[The holy instant is a miniature of Heaven, sent you FROM Heaven.]
[聖なる瞬間は、天国からあなたに贈られて来た天国のミニチュア(小型版)です。]

[It is a picture, too, set in a frame.]
[これもまた額縁に入った絵なのです。]

この絵とは聖なる瞬間のことです。
この絵はどのような額縁の中に入っているのでしょうか?
この絵は、あなたの物事に対する現在の知覚/認識の枠の中に据えられているのです。
あなたが華麗な額縁と「それに対する全ての相互合意」から(新しい絵/聖なる瞬間へ)注意をシフトしている時、あなたはまだあたかも時間の中にいる存在が自分の注意を一つのものから他のものに移しているかのようにそれを行っているのです。
特別な関係の重い枠組みに見入っている時、あなたは確かに時間に縛られている生き物なのです。
しかし時間が放棄されている聖なる瞬間の中にあなたがシフトした時、それはまだ時間の枠組みの中でなされるのです。 何故なら、あなたはこの枠組み(時間)の中でこのシフトを行なうのだから。
あなたが孤立から繋がることへのシフトを行っている時も、あなたは自身を時間の中にいるものとして知覚し続けています。

だから、
[It is a picture, too, set in a frame.]
[これもまた額縁に入った絵なのです。]

聖なる瞬間は額縁(枠組み)の中に嵌め込まれていますが、そこに長くは留まりません。 しかしあなたは枠組みの中から見て探しているので、これは枠組みの中に入っているのです(少なくとも初めの内は)。 あなたは枠組みの中から枠組みを手放し始めるのです。

だから、
[It is a picture, too, set in a frame. Yet if you accept THIS gift, you will not see the frame at all, because the gift can only be accepted through your willingness to focus ALL your attention on the PICTURE. ]
[これもまた額縁に入った絵なのです。しかしあなたがこのギフトを受け入れる場合、あなたは全く額縁は見ません。何故なら、このギフトは、自分の注意を全て絵だけに当てるあなたの意欲によって初めて受け入れられるものだから。]

このギフトとは、聖なる瞬間の中に抱擁されている絵のことです。
この絵はどのようなものなのでしょう?
この絵は空なのです。
この空っぽの絵の中に向かってあなたは「父よ、ここの真理は何ですか?」と訊ねるのです。
この空っぽの絵は、全てで、無限で、「全てが本当は何か」全く隠していない無限と永遠の無物質性なのです。
だからあなたはこの空っぽの絵を見て、それ自体がそれ自身を(あなたの意図ではなく)それ自身の意図で現れ出して来る真実を{自分の意志として}受け入れるのです。

これは全く新しい意志/意図の表現なのです。
これはゲットするための意志ではなく、自分のために何かを作る意志ではなく、父があなたにリアルなものを(何がリアルか)示させる意志なのです。
リアリティを、創造の全てのその無限の意味を、あなたに伝えさせる意図なのです。

[Yet if you accept THIS gift, you will not see the frame at all, . .]
[しかしあなたがこのギフトを受け取る場合、あなたは全く額縁は見ません。]

時間はあなたの前から消えるのです。
あなたの注意は時間には引き付けられなくなり、時間があなたを定義するものでは無くなるのです。
何故なら、あなたは「リアル」な新しい体験(リアルなものの真の体験)の中に取り入れられるのだから。
そして、あなたが以前は時間感覚の中からこれら全てを眺めていたことは忘れられてしまいます。 何故なら真理の体験の方がより意味深いのだから。

[The holy instant is a miniature of eternity. It is a picture of timelessness, set in a frame of time. ]
[聖なる瞬間は永遠のミニチュアなのです。 これは時間の枠組みの中に据えられた無時間性の絵なのです。]

これは、現在あなたが全てを(あたかも時間に縛られている生き物であるかのように)体験する方法の中に据えられた、しかし時間にとらわれていない絵を表しているのです。

[If you focus on the picture, you will realize that it was only the frame that made you think it WAS a picture. Without the frame, the picture is seen as what it REPRESENTS. ]
[あなたが絵に意識を集中したなら、額縁だけが「これを絵だとあなたに考えさせていたこと」がわかります。額縁なしなら、絵は「それが表明しているものそのもの」として見られるのです。]

つまり、「父よ、ここの真理は何ですか?」とあなたが言った故にこれが真理を表している絵だとあなたが考えたなら、そして真理があなたの上に描かれた時あなたの上に描かれたものが真理の絵だと考えたなら、それは実際には真理そのものであって「真理を表明(表現)しているもの」ではないとすぐわかるでしょう。
神/創造の意味深さが、それ全てに関与しているあなたの役割が、あなたの上に全て本当に描かれるのです。 それはリアリティのアイディア(象徴)としてあなたの上に描かれるのではなく、リアリティそのものがあなたの上に描かれるのです。

[If you focus on the picture, you will realize that it was only the frame that made you think it WAS a picture. Without the frame, the picture is seen as what it REPRESENTS. ]
[あなたが絵に意識を集中したなら、額縁だけが「これを絵だとあなたに考えさせていたこと」がわかります。額縁なしなら、絵は「それが表明しているものそのもの」として見られるのです。]

あなたが精霊(啓示体験に)に集中したなら、
「絵が表しているもの」つまり「真理そのもの」が見えるようになるのです。

[For] as the whole thought system of the ego lies in its gifts, so the whole of Heaven lies in this instant, borrowed from eternity, and set in time for you.]
[何故なら、エゴの思考システム全体はそのギフトに依存しており、天国全ては(永遠から借り受けられ、あなたの為に時間の中に設定されている)この瞬間に掛かっているのだから。]

エゴの思考システムとは、素晴らしい額縁に縁取られた特別な関係の絵のことです。
そのギフトとは(特別な関係が与えている)額縁の中の絵のことです。
つまり、あなたが身を伸ばして真理を知りたいと訊ねた時、真理が来てあなたを迎えるのです。
それは父が放蕩息子を迎えるようなもので、あなたは家の中で迎えられるのではなく、外で荒野で真理/父を求めているあなたがいるその場所であなたは歓迎されるのです。

[For] as the whole thought system of the ego lies in its gifts, so the whole of Heaven lies in this instant, . .]
[何故なら、エゴの思考システム全体はそのギフトに依存しており、天国全ては...この瞬間に掛かっているのだから。]

天国のミニチュアである聖なる瞬間に掛かっているのだから。
これが良き知らせなのです。
しかし特別な関係の一部があなたにとって大切である限り、あなたはそれを完全には手放さず、あなたは真理を受け入れないのです。 あなたは「あなたを完全に自由にするもの」を抱擁しないのです。
「あなたの人生にその全ての意味を与えている額縁」の中の絵に関して考え続けてその意味を汲み取ろうとするのは止めなければいけないのです。 何故なら、枠組みは絵の中の糞(惨めな状況)がウソで(一過性のもので)、あなたは自分の努力でそれを向上させることが出来ると言っているのだから。
これ(あなたは自分の努力で状況を向上させることが出来る)がウソなのです。

この絵はあなたに関するウソなのです。
華麗な額縁の真ん中に掲げられている絵は、あなたに関するウソなのです。
あなたは「父よ、私はウソを捨てられます。父よ、私はあなたの名前をもう一度呼びたいのです。」と言うべきなのです。
「父よ、私はあなたを私の体験の中に取り戻したいのです。 何故なら、神の子としての私の意味をあなたが私に与えていることを私は知っており、それ以外の何者もその意味を私に与えては居ないことを私は知っているのだから。
私と一緒に孤児院の中で眠っている神の子達の全てを合わせても、わたし達を神の子にすることは出来ないのです(わたし達はすでに神の子なのだから)。
決意と感情を使ってわたし達が自分達を持ち上げよう作り上げようとしている努力の全てが、わたし達を孤児院に閉じ込めているのです。 誰かが(精霊が)何とかして孤児院の中に入って来て、わたし達の注意を引けるようになるまで(わたし達はここに閉じこまれ続けてしまうのです)。」
そういう訳なのです。 これはあなたを喜びで満たしませんか?

[Two gifts are offered you. ]
[二つのギフトがあなたに与えられています。]

二つの見方があることに関してわたし達は以前話しました。
正しい見方と間違った見方です。 無限の見方と限定的な見方です。
生得権(父から受け継いでいるもの)を持った神の聖なる子供として存在するか、
あるいは源を持っていない孤児が闘争(争い)の中に自分が存在していることを発見して、自分にはバイタリティーとエネルギーとマインドがあるのでそのような闘争に対応する能力があると考えるか(何故なら、目的もなく存在するなんてそんな過激に馬鹿なことが起こるわけはないから)。
このようなアイディアから得られる自由がどのようなものか理解し、それを笑えるようになるべきなのです。
こうしてあなたはこのアイディア(自由意志)を放棄する方法を得るのです。

[Two gifts are offered you. Each is complete, and cannot be partially accepted. Each is a picture of all that you can have, is a picture of all that you can have, seen VERY differently. ]
[二つのギフトがあなたに与えられています。両方とも完成した一つのものなので、部分的にそれらを受け取ることは不可能です。 両方とも「あなたの得られる全て」の絵なのですが、それらは全く違う風に見えているのです。]

それぞれの絵は全く異なっているのです。 一つの絵の中ではあなた達は孤児で孤児の所持品の全てをあなた達は持っています。 しかし孤児は王家の生得権(王位継承権)は持てないのです。
孤児には、永遠の全知遍在の愛の生命の源を受け継ぐ生得権は持てないのです。
孤児は孤児が持つべきもの全てを得られるのです。しかし実存してはいても孤児には持てないものもあるのです。 これは全ての孤児のために存在しているものなのですが(何故なら本当の孤児など一人も存在してはいないのだから)、孤児である限りそれは得られないのです。

[Each is a picture of all that you can have, seen VERY differently. You cannot compare their value by comparing a picture to a frame. ]
[両方とも「あなたの得られる全て」の絵なのですが、それらは全く違う風に見えているのです。 絵と額縁を比較することによって、それらの価値を比較することは出来ないのです。]

神聖の絵と(孤児が得られる全ての知性と認証と成功の可能性を表現している)華麗な額縁を比較することは出来ないのです。
わかりますか? 
額縁から絵を取り外して、入れ替えることは出来ないのです。

[It must be the pictures only that you compare, or the comparison is wholly without meaning. ]
[あなたは絵と絵を比較しなくてはいけません。そうでなければ比較には全く意味がないのです。]

だからあなたがするべきは惨めな絵と「本当は全く絵ではないもの」を比較することなのです。 「本当は全く絵ではないもの」とは(あなたが自分の神聖/神/生得権を体験しないよう使っている防御を手放してリアリティを自分の中に受け入れた時起こる)リアリティの実体験なのです。

[Remember that it is the picture that is the gift.]
[絵がギフトであることを覚えておきなさい。]

人がその兄弟と繋がって「お父さんがなんと言おうと、わたし達は自分達の思考の方を大切にしたいです。」といっている時与えられているギフトが惨めな絵なのです。

[Remember that it is the picture that is the gift. And only on this basis are you REALLY free to choose. Look at the pictures. ]
[絵がギフトであることを覚えておきなさい。この観点からだけ、あなたは本当に自由に選ぶことが出来るのです。 絵を見なさい。]

額縁を見るのではないのです。

[Look at the pictures. BOTH of them.]
[絵を見なさい。両方の絵を見比べなさい。]

正直になって、(物事を考え続けてあなたを目覚めさせることを無視してしまう)「ポジティブシンキング」の性癖を手放すことを私は勧めているのです。
(惨めさから抜け出るための「これまでとは違った方法」が示されている今)あなた達が行なって来たことは上手く働いて来なかったという明確な評価を見る必要があるのです。

[One is a tiny picture, hard to see at all beneath the heavy shadows of its enormous and disproportionate enclosure. ]
[一つは小さな絵で、不似合いに大きな額縁の暗い影によって見え難くなっています。]


[一つは小さな絵で、]
この絵の中に示されているのはそれ程多くの惨めさではなく、非常に多くの酷さでもないのです。
これは巨大な額縁の中の小さな絵で、その額縁にはあなた達のプライド/傲岸が示されており。 額縁の中であなた達は繋がって自分達の無知を尊んでおり、それをより複雑なものにし続けているのです。

私はあなたを裁いているのでは無く、あなは自分を裁くべきでもありません。
しかしあなた達が無知故に無知を使用しており、それが上手く働いてはいないことを見ることは非常に役に立つのです。
「それは上手く働いていないよ!」と誰かが言っていることに関して神に感謝を捧げるべきなのです。 それを聞いてあなたが「成る程、私の人生の中で(そして全ての人々の人生の中で)罪/病/死が繰り返され続けている。何かが上手く行っていない。どうしたら上手く行くのか私は知りたい。私はまだしたことがないことをしてみよう。」言えるように。
これが(わたし達が話してきた)正直に真摯に見ることの大いなる利益なのです。

[One is a tiny picture, hard to see at all beneath the heavy shadows of its enormous and disproportionate enclosure. The other is lightly framed and hung in light, lovely to look upon for what it IS.]
[一つは小さな絵で、不似合いに大きな額縁の暗い影によって見え難くなっています。もう一つの絵は、軽い額縁に入れられており、光の中に掲げられています。それそのものを見たなら、それは愛らしいものです。]

重い額縁の中の絵は、それそのものを見た場合愛らしくはないのです。それを目立たなくするために、大きな額縁の中にこの絵が入っているのです。
しかし軽い額縁の中の絵は愛らしいのです。

[You who have tried so hard, and are STILL trying, to fit the better picture into the wrong frame . . .]
[あなた達は非常に努力してより良い絵を間違った額縁に取り付けようとして来ており、そうしようとし続けているのです。]

わかりますか?
「(あなたを重要にリアルに有効にするために必要な全てを持っている)額縁の中に永遠の絵が据えられている。」
これが間違いなのです。
自分を重要に感じさせようとしている者は、自分自身が重要ではないと知っているのです。

だからこの額縁を作るために多くの努力が払われているのです。
しかし孤児としてのあなたは重要ではなく、重要に成ることは出来ないのです。
しかし自分のことを孤児だと考えているあなたは実際には孤児ではないのです。
そしてあなたの生得権(持って生まれた当然の権利/父のものを受け継ぐ権利)があなたを待っているのです。

しかしあなたは、他者へのコミットメントを、あなた達自身で作り上げてきた意味をお互いに信じ続ける義務を、放棄しなくてはいけないのです。
あなたが特別な関係を尊ぶことを止めて、感情を使って特別な関係へのコミットメント(信心/決意)を硬くしていない状態になれば、あなたをメクラにし続けるものは全て無くなるのです。 あなたの父が誰か見えなくしているものは、あなたとそして全ての真理が何か見えなくしているものは、消えて無くなるのです。

[You who have tried so hard, and are STILL trying, to fit the better picture into the wrong frame and so combine what cannot BE combined, accept this and be glad: These pictures are each framed perfectly for what they represent. One is framed to be out of focus, and not seen. The other is framed for perfect clarity. The picture of darkness and of death grows less convincing as you search it out amid its wrappings. ]
[あなたは、良い方の絵を間違った額縁の中に入れようとして、一緒に出来ないものを一緒にしようとして、とても頑張って来ました。そして今でも頑張っているのです。このこと(これが理解できたこと)を受け入れて喜びなさい。それぞれの絵は、「その絵が表しているもの」にパーフェクトに相応しい額縁の中に入れられています。 一つの絵はピンボケになるように、見えないように額縁の中に入れられており、もう一つの絵はクリアに見えるように額縁に入れられています。 暗闇と死の絵は、あなたが額縁の中のそれに手を伸ばした時、その輝きを失います。]

華麗な額縁の装飾の中にあるその絵にあなたが手を伸ばしたとき、

[As each senseless stone which seems to shine in darkness from the frame is exposed to light, it becomes dull and lifeless, and ceases to distract you from the picture. ]
[額縁の影の中で輝いているそれぞれの無駄な石が光に晒されれば、それは鈍く生気を無くして見え出し、あなたの注意を絵から逸らさなくなります。]

私の意図は、あなたが額縁に惑わされずに絵を見れるようにすることです。

[And finally, you look upon the picture itself, seeing at last that, unprotected by the frame, it HAS no meaning.]
[そして最後にあなたは絵そのものを見ます。額縁に守られていないそれが無意味であると、やっとわかるのです。]

あなたが弱っている時、何かを見てそれが良いものに見えなかったなら、あなたは憂鬱に成ってしまうことが多々あるでしょう。 何故だかわかりますか?
何故なら、その時あなたが見ていたものの中に意味が表されていなかったからあなたは憂鬱に成ってしまったのです。
あなたが体験している何かに意味が無いことは、それは惨めな体験なのです。

しかしそのような場合、あなた達はすぐ働き馬のポジティブシンキングを使い出し、働き馬を鞭打ってそれを動かそうとするのです。
しかしそれは駄馬なので、必ずしもあなたの思うとおりには動かず、あなたはもう暫く惨めなままなのです。
あるいはこの馬は直ぐに鞭に反応して動き出し、あなたは「おお、やはり神はいるのだ! 人生捨てたものではないな。私はコントロール出来るのだ。」と言うのです。
そうしてあなたは長年使ってきたこの働き馬(ポジティブシンキング)を今まで通り使い続け、これが時々は働くけれど、殆どの場合これが動かないことを無視してしまうのです。
「これはまた動いた。これが動くと私は信じていたんだ! これがまた動くまで鞭で叩き続けるぞ。この働き馬(思考)から降りる訳にはいかない。私はこうして生きて来たのだから。人はこのように生きるべきなのだ。」というわけです。

これがどれだけ馬鹿か気付いて、私と一緒に笑いなさい。
これは余りに馬鹿げているので、あなたはこれ(思考)を放棄して、それでもあなたの周りの世界が崩壊しないことを期待出来るのです。
あなたは、あなたが今まで惨めな絵を見ていた場所にリアリティが現れることを期待出来るのです。これが期待出来るのです。
リスクを取ってこれを発見するよう、私はあなた達を勇気付けているのです。

あなたがチャンスを生かしてこのリスクを犯したなら、万一あなたが間違ってしまったとしても、ただ罪/病/死が今まで通り繰り返され続けるだけではないですか?
あなたはそのような状態を良く見知っており、それに対処してきました。
だから少しはリスクを取って、少し楽しんでみなさい。

この先は来週のお楽しみにしましょう。
わたし達は(軽い額縁の中の)もう一つの絵に関する楽しい話に移ります。
あなたは今憂鬱ではなく落ち着いているから。厳粛だから。
来週まであなたの落ち着きの中に留まってください。わたし達が今晩話したこと(天国/地獄)を考慮しながら。

しかし来週まで待つ必要は無いかも知れません。
10分後には(パチン)あなたは目覚めている(かも)。
それを体験しているのがあなたの生得権である明晰をあなたは持っています。
何故なら、あなたは特別な関係の酷さ/シリアスさを明確に見て、そして(特別な関係の内実を知ることを)少しは楽しんだのだから。

I love every single one of you. And I look forward to be with the new you next week.

A Course In Miracles (reference pages)
Chapter 17 – Section: PERCEPTION AND THE TWO WORLDS
1 Sparkly Book – p.410 1st Par. / JCIM – p.172, 2nd Par. / CIMS – p. 345, Par.37
Section: THE TWO PICTURES
First Edition – p. 335, Last Full Par. / Second Edition – p.360, Par.11

All of the activities of the Northwest Foundation for "A Course In Miracles" are provided without charge or obligation. This is possible because of thoughtfulness, love extended without conditions. Such is the nature of Gift. As a result these materials are available to you, because someone like you has already gifted you with them.

And, at Raj's instruction, these materials will never be sold.

If you would like to add your thoughtfulness and love, to gift others with the availability of these materials, you're invited to make a tax-deductible contribution
at our website, or send it to our address,
both of which are shown below.


A Course in Miracles Study Group with Raj, June 18th 2011
© by The Northwest Foundation for “A Course in Miracles” a non-profit corporation.
All rights reserved
PO Box 1490 / Kingston, WA 98346-1490 / USA
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
Website: http://www.nwffacim.org
E-Mail: paul@nwffacim.org


テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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翻訳 岡上

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