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ACIM11-06-26

2011年6月26日

原文
http://www.nwffacim.org/tgp/forums/thread-view.asp?tid=32301&mid=154637#M154637


わたし達は二種類の額縁と絵について話して来ました。主に額縁に関して話して来ました。
しかしより重要なのは、それぞれの絵を見ることなのです。
何故なら、(特に重厚に装飾されている方の)額縁が「シッカリと見るべきも(額縁の中の絵)」からあなた達の注意を逸らしてしまっているのだから。
その絵をハッキリと見つめたなら、その時あなたは自分の正気が取り戻せるポジションに居るのです。
絵を見て「その絵が本当は何か」見通すことが出来たなら、その絵には価値が無く、その絵が無意味であることがあなたに解るのです。
するとあなたは「待てよ、私は時間を浪費していただけなのだ。 私は騙されていたのだ。」と言うのです。
そして必要なところに自分の注意と意識を与えられるようになるのです。
だから、わたし達はこのことに関して多くの時間を費やしているのです。

さて、それぞれの絵の中には何が入っているのでしょうか?
コースには「絵を見なさい。絵を見なさい。額縁は無視しなさい。絵を見なさい。」と書いてありますね。

両方の絵の中にはそれぞれ「関係(a relationship単数形)」が入っているのです。
片方の絵の中には惨めな関係が入っています。
もう片方の絵の中に入ってる関係は、とても意味深く至福に満ちた体験なのです。

華麗な額縁の中の小さな絵の中の「関係」は、二人の神の子達が神からの離縁を選んでおり、自分達の想像力を通して全てを眺めている状態なのです。
この離縁行動の中で神の子達は「自分達が誰か」に対する記憶を失ったのです。
彼等が独立する権利を主張して、その主張の下に行動し出して、お互いに対する感情のこもった決意で自分達の独立を確定した時、彼等は「自分達が誰か」忘れたのです。
そして、それから後に起こったことは幻想的体験だったのです。 それは狂気の体験、大げさで惨めな幻想の体験だったのです。
今日この日に目覚めていない人達全員はこの絵を生きているのです。

しかし次のことが救済の恩寵なのです。
(「自分が誰か」に対するあなたの考えにも関わらず)あなたは実は神の子なのです、と誰かがあなたに告げているのです。
あなたはリアリティに対する歪められた体験(間違った体験)を得ようとしている神の子なのだ、と何かが知らせているのです。
リアリティはどこにも行っておらず、リアルなあなたは全く変質していないのです。

しかしあなた達二人が行なった決意の結果として、あなた達には自分達の神性が全く見えておらず、それを意識的に認めることが出来ていません。
この事態をもたらしてしまうから、特別な関係は邪悪なのです。これ故に特別な関係は破壊的なのです。
だからあなたは自分の注意と意志(あなたの神聖な意志)を使って特別な関係に力を与え続けることを止め、特別な関係を放棄しなければいけないのです。
何故なら、特別な関係を認めている限り、あなた達は「自分を狂気の状態にしてしまっているもの」を有効にし続けているのだから。

あなた達はこれが見えるように成らなければいけないのです。
そう成るまで「今まであなたにとってとても大きな意味を持っていたもの」を放棄して、マインドを静まらせ、二つのステップを行なって聖なる瞬間を行なうことは出来ないから。
これがこの惨めな絵(邪悪な絵)からの解放の道で、これをすることによりあなた達は自分達の正しいマインド(もう一つの絵が示している状態)に帰っていくのです。

そして、もう一つの絵(軽い額縁の中の絵)も関係の絵なのです。
この絵は、あなたとあなたの父の関係の絵なのです。
まだあなた達はこれにそれ程多くの注意は与えていません。
しかしこの絵は、永遠にあなたと共にあなたの中に在る絵で、あなたはこれを思い出し、もう一度この絵に自分の注意を与えたいと考えるようプログラムされているのです。

これを行なうためのプログラムが精霊なのです。
それは「あなたの正しいマインドでしかないもの(あなたの正気/良心)」と呼ばれており、あなたがどれだけキチガイ染みた振舞いをしていたとしても、それは少しも変化していないのです。
だからあなた達はキチガイ染みた行動をしていますが、あなたの正気はずっとあなたと共に居続けており、それが完全にあなた達を統治し続けているのです。

精霊はそこに在り、(あなたが精霊を聞いてそれに注意を与えていようがいまいが)あなたの為にそれ自身を主張(挿入)することにより、あなたに対するその信心をあなたの体験の中に挿入ことにより、その目的を遂行しているのです。
それは多くの場合、あなたからの要請によって働いているのではなく、あなたの狂気の中に弱点があるので、精霊は(神から分離した積りでいる)あなたの弱点を突いて(神の子である)「あなたのためになること」をするのです。 {多くの場合、精霊は(神から分離したままでいようとする)あなたの意志に反して、(神の子である)あなたの為に働いているのです。}

しかしあなたが「二つのステップ」をしたなら、聖なる瞬間を行なったなら、静かになり「父よ(精霊よ)、ここの真理は何ですか?」と訊ねたなら、その時あなたは「自分の中にすでにプログラムされているもの」に対して扉を開いたのです。その時あなたは(精霊を遠ざけている)抵抗を自分の中から取り除いたのです。

このもう一つの(軽い額縁の中の)絵は、あなたと神の関係なのです。
両方の絵の中に示されているそれぞれの関係が「創造の全てがどの様に体験されるか」を決定しているのです。

あなたが父との関係を抱擁して(神の子、聖なる者としての)自分の生得権(持って生まれた権利)を認識したなら、その時あなたは父の視点から見た創造を体験しており、それを意識的に抱擁しており、それをもう邪魔してはいないのです。 
その時あなたは、父がそれぞれのものを創造しその行為によってそれらに父が与えている意味を、それらの(創造の)中に見ているのです。

華麗な重い額縁の小さな絵の中で、あなたは父を(そして、父の創造を、父が創造に与えた意味を)否定する為に兄弟姉妹と繋がっており、そこでのあなたの全体験はこのこと(神からの分離/相互合意)により色付けされていて、だからあなたは何も正しく見ることが出来ていないのです。

あなたはそれ(リアリティ)を天国として見ていないなのです。
あなたはそれを父の創造として見ていないのです。
あなたはそれを(知的デザインを持たずランダムに発生している)物理的宇宙の中で起こっている物理的出来事として見ているのです。

では本を読み続けましょう。
前回わたし達は、華麗に装飾された額縁とその中の小さな絵について読み、そして額縁ではなく絵を見る必要があることを読みました。

[The other picture is lightly framed, for time cannot contain eternity.]
[もう一つの絵は軽く縁取られています。 何故なら、時が永遠を閉じ込めることは出来ないから。]

華麗な額縁に入れられていない方の(軽い簡素な額縁の中の)絵です。
この絵の中に示されているものがリアリティなのです。
何故なら、この絵はあなたが父と持っている関係で、そこではあなたと父の関係は全く否定されていないのだから。 
だから、そこにあるのは永遠なのです。そこにはリアリティが在るのです。そこにはパーフェクトな創造の全てが在るのです。

これは時間の中に縁取られているように見えているだけなのです。何故なら、あなたは(その中では全てが時間の中に在るように見えている)他方の絵を見つめて来ており、あなたの判断基準(考えの枠組み)は時間なのだから。
だから、このもう一つの(軽い額縁の)絵を時間の中から眺めた時、あなたはこれが時間の中に嵌め込まれている(実際には違うのですが)と考えるのです。
しかし「父よ、私はここの真理を知りたいです。あなたの視点を体験したいです。」と言った途端、あなたは時間を越えているのです。 あなたは時間を踏み外しているのです。
その時(自分の特別な関係の中で使ってきた)時間の基準を保つことをあなたは止めているのです。
この絵を見ることを選んでいる時、あなたは孤児院を放棄することを選んでいるのです。
その時あなたは「自分と他者が交わした(自分達の神性に対してあなた達を盲目にしてしまう)相互合意」の放棄を選んでいるのです。

だから、
[The other picture is lightly framed, for time cannot contain eternity. There IS no distraction here. The picture of Heaven and eternity grows MORE convincing as you look at it.]
[もう一つの絵は軽く縁取られています。 何故なら、時が永遠を閉じ込めることは出来ないから。ここには(絵から額縁へと)注意をそらせてしまうものはありません。 それ(絵)をあなたが見つめれば見つめる程、天と永遠の絵はよりリアルに育っていきます。]

だからあなたがこれをよりリアル(確実)にしたければ、この絵を常により頻繁に見るようにしなければいけません。
これはどういう意味でしょうか?
つまり、あなたは常に自分の全関係を父と共に見る必要があるのです。

「起こっている全てのことは父の意志なのだ。 ここで起こっていること全てには聖なる意図があるのだ。 それが何か私には解らないけれど。」とあなたが言っていたなら、その時あなたは「自分には物事/リアリティが解っている、ここでどのようなことが起こっているか自分には解っている」と実際には主張しているのです。
しかしそうではなく「私の考えに関係なく、これら全てに関して私が信じていることと関係なく、これら全てがあなた/神の仕業だと考えている私の信念に関係なく、ここの真理は何ですか? 父よ!」と言うべきなのです。 
解りますか?

「物事(リアリティ)がどのように働いているか自分には解っている」という自分の自信に疑問を持たなくてはいけないのです。 
修正を求める呼び声(修正されるべき事態)が起こっていたなら、あなたはそれにチャレンジしてその修正を可能にする為に、静かに成り父に訊ね聞かなくてはいけないのです。

修正の呼び声(修正されるべき事態)に対して「精霊が、父が、これを私のアドバンテージに変えてくれるだろう。 父がこの一見酷く見える状態を私のために上手く使ってくれている(だから修正が起こらなくても、見えなくても構わない)。」と考えてそれ以上の関与を止めてしまってはいけません。
「父は全知全能だから良きように計らってくれるはずです。私は我慢して、起こることをそのまま受け入れよう。あるがままを享受しよう。」{あなたは、このように考えてはいませんか?}
しかし、違うのです。
わたし達がしようとしているのは、受身になって起こり続ける事態をそのまま受け入れたり、全く決意/覚悟をせずに「私はこのような見方を受け入れることも出来る。そのように物事を見てみたなら、それはより良く働いているように見えるだろう。」と言ったりすることではないのです。
そのようにしていた場合、あなたは重要なことを忘れているのです。

その時あなたは「父よ、(これらのことがあなた/神によって良きことの為に行われているという)私の最上の論理とは関係のなく、私の最上の判断は別にして、過去の経験から導かれた結論は抜きにして、ここの真理は何ですか?」と言うことを忘れているのです。
「ここの真理は何ですか? 修正の呼び声が求めている修正(修正されるべきことが修正されること)を私は見たいのです。」と、あなたは言うべきなのです。

だから、
[The picture of Heaven and eternity grows MORE convincing as you look at it.]
[それをあなたが見つめれば見つめる程、天と永遠の絵はよりリアルに育って行きます。]

あなたが常に(軽い額縁の中の)絵を見続けるようになれば、あなたが父の中により深く入って行けば、あなたは「父よ、より多く教えて下さい。父よ、今私が得ている体験よりも多くの体験を与えて下さい。 私はあなたが今ここに存在している「より多く」を体験したいのです。私の体験の中から罪/病/死がまだ消えていません。 だから私は自分の体験していることのより多くの意味を体験したいのです。父よ、私はただ座って人生/生命の動きをなすすべ無くただ受け取って、それがあなた(神)だと考える訳にはいかないのです。」と言うようになるのです。
「あなたがそこに明確に現れている確証を私は求めます。(神がそこに現れている様子が)「老化プロセスが無くなること」として現れる確証を見たいのです。病が癒やされることや、私の毛髪が増えることや、私の乳房や尻や腹の弛みが無くなることとして現れる確証(そこに神が存在している様子がよりクリアに現れること)が見たいのです。」

(父とあなたの関係を示している絵を見続ければ)存在の均衡/バランス/均整が実際に発生して、それが絵の中で認識されるのです。

だから、
[The picture of Heaven and eternity grows MORE convincing as you look at it. And now, by REAL comparison, a transformation of both pictures can at last occur. And each is given its rightful place, when both are seen in relation to each other.]
[それをあなたが見つめれば見つめる程、天と永遠の絵はよりリアルに育って行きます。そして今、本当の比較により、両方の絵の変容がやっと始まるのです。両方の絵を見比べたなら、それらの絵がそれぞれに相応しい場所に置かれるのです。]

重厚で華麗な額縁の中の惨めな絵が(幻想を信じて、それ故に罪/病/死/その他の人生の苦難を被っている)二人の悪戯な神の子供達の関係の絵なのだと気付き、そしてあなたが聖なる瞬間を実践してもう一つの絵を体験しており、父との関係の中で自分自身を体験していたなら(それがあなたに天国の住民の資格を与えます、何故ならその時あなたは自分が神の子で在り続けて来たことを発見したのだから)、(二つの絵を並べて見比べて)明晰な気付きが起こったなら、あなたは幻滅するのです。
あなたはとても幻滅する(幻想を失う)のです。
幻滅するとは、幻想/幻覚から自由になること、あなたが正気を取り戻すことです。 これが要点なのです。

[The dark picture, brought to light, is not perceived as fearful, . .]
[光の中に引き出された暗い絵は怖ろしくは見えません。]

この絵を見てあなたがその額縁(相互合意)を信じていて、額縁の仔細から物事を体験し続けていた場合、その体験は怖れに満ちたものなのです。
あなたが父を離縁する決断をした途端に怖れと罪悪が同時に現れたのです。
しかしあなたが額縁を無視して二つの絵を見て、片方の絵の惨めさとリアリティの無さと、もう片方の絵の美しさとそのリアリティと「そこにあるあなたに対する新しい定義」を見比べたなら、その時もう暗い絵(華麗な額縁の中の小さな絵)は怖ろしく見えないのです。 何故なら、(二つの絵を良く見比べた)あなたはもう騙されていないのだから。
そして暗い絵が全く無意味だとあなたに解るのです。このことがシンプルに解るのです。

[The dark picture, brought to light, is not perceived as fearful, but the fact that it is just a PICTURE is brought home at last.]
[光の中に引き出された暗い絵は怖ろしくは見えません。それが絵にしか過ぎないことがやっと理解されるのです。]

勿論それは初めからただの絵だったのです。 
「おお神よ! これは津波の絵だ。これが私を呑み込んでしまう。いやいや、これは唯の絵だ。 ハー、やれやれ。」 解りますか?
これが絵にしか過ぎないと理解した時、これがリアルだと考えていた時に現れていた誤解が直ちに消えて、あなたは安堵するのです。
これはこのように働くのです。 この体験をする為にわたし達はこの本を読んでいるのです。

[And what you see there you will recognize as what it is; a picture of what you THOUGHT was real, and nothing more. ]
[そしてあなたは「そこに見ていたもの」を「それそのもの」として認識するようになるのです。 あなたがそこに見ていたものは「あなたがリアルだと考えていたもの」の絵であり、それ以上のものではなかったのです。]

より厳密には「それは、あなた達二人がリアルだと考えることにした、それがリアルだと合意した、それがあなた達の行為と感情を統治していることにした、それに基づいて話し合うことにした、『絵』なのです」。
つまりこれは「あなた達二人がリアルだと考えたこと/リアルだと想像したもの」を表している絵であって、それ以上のものではないのです。

[For beyond this picture, you will see nothing.]
[何故なら、あなたはこの絵の後ろに何かを見ることは出来ないから。]

あなた達は創造の光景を見て、そこから目を逸らして、それから創造に対する定義を作り(自分達に)与えているのです。
あなたはもう一人の人とパートナーシップを作って彼/彼女と一緒にこれを行なっており、あなた達はこの定義に基づいて行動しているのです。 その時あなた達はリアリティから離れているのです。
これはあなた達が、小さな箱を自分達の想像したもので一杯にして、その中に自分達自身をも入れているような状態なのです。しかし、その小さな箱には実体/実質が無いのです。
あなた達は実質/実体を全く伴っていない「惨めな卑小なプライバシー状態」の中にいるのです。

もう一つの絵に関しては...
(二つの絵の違いを)下記のように説明してみましょう。
あなたが小さな部屋の中に入っていて、そこに壁があると考えてみてください。
壁の上には二つの絵が掛かっています。 
そしてこれは暗い部屋なのです。
あなたの目の前の壁には重厚な額縁の中に入った小さな絵があります。
しかし部屋が暗いので、あなたはまだ絵がそこにあることに気付いていません。
その絵の隣には同じサイズの額縁があります。 しかし本当は、壁に穴が開けてあり、その壁の上にガラスが嵌めてあります(その周りを額縁が囲んでいるのです)。(これは小さな部屋から外に向かって開けられている窓で、本当は絵ではないのです。)
しかしガラスの上には閉じられたシャッターがあり、その先を見通すことは出来ない状態です。

あなたはこれらの額縁の前に座っています。すると急に部屋の中が灯り、外を見渡す窓(簡素な額縁)の前のシャッターが一瞬だけ開きます。
しかし直ぐにまた灯りが落ちて暗くなってしまい、シャッターも直ぐ閉まってしまいます。
するとあなたは「私は今二つの絵を見ていました。」と言うのです。

華麗な額縁を持った左の絵の後ろには(絵の中に示唆されているものの実体は)何もありません。
これはただの紙で、その上には想像から描かれた絵が描いてあるだけなのです。
この絵の後ろ/裏には何も存在しておらず、ここには実体が無いのです。

もう一つの額縁を見たとき、そこにも額縁があるので、これもまた絵なのだろうとあなたは考えてしまうのです。
あなたはそれを十分長く見続けられなかったので、それが壁の上に掛かっている絵ではなく額縁を通して部屋の外を見ていたのだということが解らなかったのです。  部屋の中に明かりが灯ってシャッタ-が一時的に開いていた時、部屋の壁の向こうの風景が見えていたことが(現時点では)まだ理解されていないのです。

だから、
[. . . what you see there you will recognize as what it is; a picture of what you THOUGHT was real, and nothing more. ]
[そしてあなたは「そこに見ていたもの」を「それそのもの」として認識するようになるのです。 あなたがそこに見ていたものは、「あなたがリアルだと考えていたもの」の絵であり、それ以上のものではなかったのです。]
これが左側の絵(華麗な額縁の中の絵)です。

[For beyond this picture, you will see nothing.]
[何故なら、あなたはこの絵の後ろに何かを見ることは出来ないから。]
これがこの絵(左側の華麗な額縁の中の絵)の意味(本質)なのです。

しかし聖なる瞬間の中であなたは(右側の絵を、自分と神の関係を)見て、父(あるいは精霊)とコミュニオン(交歓)している瞬間(リアリティのよりクリアな感覚であなたが満たされている時)に絵(ビジョン)を見て、あなたはその時まだ自分が絵を見ていると考えるのです。
しかしそれは絵ではないのです。
それは絵(ビジョン)以上のものなのです。
そこには(そのビジョンの向こうには)何か実体があるのです。
その絵の左に右に、その上にも下にも、その奥にも何かが存在しているのです。
そこにあるものは神の子の戯画ではなく、そこに神の子達自身が生きて住んでいるのです。

[The picture of light, in clearcut and unmistakable contrast, is transformed INTO what lies beyond the picture. ]
[光の中の絵は対照的に、絵の後ろに実在しているものへと明確に変容して行きます。]

「光に中の絵」とは右の簡素な額縁の絵(あなたと神の関係)です。

だからあなたが「お! ちょっと待てよ、これは3Dだ、これは絵ではない。」と理解した途端、あなたの注意は額縁を超えてその先へと引き付けられるのです。
そして、「より偉大なリアリティが存在しており、あなたは自身をその中に入れるべきなのだ」という真実に対する理解によって、今まであなたが絵だと誤解していたものが、あなたのマインドの中で変容するのです。
するとあなたは「そこに絵があるという感覚」を自然に手放します。
そして、(初めは絵だと考えていた)リアリティのより広い体験の中にあなたは入って行くのです。

[As you look on this, you realize that it is NOT a picture, but a REALITY. This is no figured representation of a thought system, but the Thought Itself. ]
[これを見続けたなら、これは絵ではなくリアリティなのだとあなたは理解します。 これは思考システムを示している絵ではなく、「思考」そのものなのです。]

これは戯画ではなく、無から作り上げられている定義ではなく、これはリアリティそのものなのです。 これは神の「アイディア」そのものなのです。

[What it represents is THERE.]
[それが表しているもの(絵が示唆しているもの)がそこに存在しているのです。]

解りますか。普通、絵とはそこに実際には存在していないものを表しています。
{牛の絵の中には、牛は実存していません。}

しかしあなたが初めのうち絵だと考えていたもの(軽い額縁の中のもの)は、そこに本当に在るものを表しており、それは全く絵ではなかったのです。
これがあなたが自分の正しいマインドに戻って行くことなのです。
これがあなたが明晰を取り戻すことなのです。
これが、全てのもののリアルな意味に対する十全な感覚の中にあなたが入って行くことなのです。 
するとあなたはもう怖れや罪悪を感じられなく成るのです。何故なら、その時あなたは全てを「リアリティそのもの」として体験しているのだから。

[The frame fades gently, and God rises to your remembrance, . .]
[額縁は優しくゆっくりと消えて行き、あなたの記憶の中に神が現れ出ます、]

これが「聖なる瞬間/二つのステップ」の目的なのです。
これは「その時初めて神があなたの前に現れる」と言っているのではないのです。
初めに(分離を行なう前に)あなた達は真理を知っていたのです。
想像の領域で戯れ遊ぶことをあなた達が決める前まで、あなた達は真理を知っていたのです。
そしてあなた達が想像の領域で遊んでいる間も、あなた達は真理を知っているのですが、それが思い出せないのです。
そして今あなた達は思い出し始めています。
これが要点なのです。

[The frame fades gently, and God rises to your remembrance, offering you the whole of creation in exchange for your little picture, wholly without value and entirely deprived of meaning.]
[額縁は優しくゆっくりと消えて行き、あなたの記憶の中に神が現れ出ます。そしてあなたの卑小な絵の替わりに(小さな絵と取り替えるべきものとして)創造の全てを神があなたに捧げています。 あなたの卑小な絵には全く価値が無く、全く意味がないのです。]

あなた達がこのシフトを行い、聖なる瞬間をより頻繁により熱心に選び続けたなら、リアリティと永遠がより興味深いもの、あなた達の注意を与えるべきより好ましいものに成って行くでしょう。
そして華麗な額縁の中の小さな絵の中で意味を持っていた全てが、あなた達にとって全く無意味に成って行くのです。
それが全く無意味になって、あなた達の注意を引かなくなり、それに注目しなくなり、それに対する好奇心を失うのです。
あなた達はそれ(小さな絵)から自由に成るのです。

[Raj did not read: As God ascends into His rightful place and you to yours, you will experience again the MEANING of relationship, and know it to be true.]
[神が神の正しい場所に昇って行って、あなたがあなたの居るべき場所に移動したなら、あなた達は関係の「意味」を再び体験して、それを真理と知るでしょう。]

[Let us ascend in peace together to the Father, . .]
[...わたし達は平和の内に一緒に、父に向かって昇って行きましょう。]
ここにキーワードが示されており、もしかしたら、あなた達はこれを今でも取り逃がしてしまっているかもしれません。 
それは「関係」の意味である「わたし達」なのです。
キーワードはアセンド(昇り上がる)でも平和でもなく、
「わたし達は一緒に」なのです。
「わたし達」とは神の視点/視界を選んでいる「私とあなた」なのです。

[Let us ascend in peace together to the Father, by giving Him ascendance in our minds. ]
[わたし達のマインドの中で彼(神)に上昇(優位/支配力)を与えることにより、わたし達は平和の内に一緒に父に向かって昇って行きましょう。]

フー!  そうですね。
これはあなた達が聖者かあるいは不思議ちゃんにでも成ることを意味しているように聞えますね。
神の気付きをマインド内に懐いて一日中過ごしている人、神を目の前に発見することに毎日勤しんでいる人、あなた達はそのような人に成りたいとは(まだ)思っていません。
しかし「そのような人は社会とは折り合いが悪いに違いない。」という考えは、条件付けられた思考で、特別な関係がこのような条件付けをしているのです。
(だからあなた達はそのように考えてしまっているのです。)

しかしあなたは不思議な奇妙な人に成るわけではありません。
あなたは周りで起こっている全てとより上手く調和し、全てにより直接タッチしている人に成るのです。
あなたは問題が起こる前に変化の必要を感じ取るように成るでしょう。あなたの兄弟姉妹が必要を口に出す前に、あなたはそれを認識出来るように成るでしょう。
だからあなたは、とても適切でとても有用に成るのです。
別に奇矯は人に成るわけではありません。

[Let us ascend in peace together to the Father, by giving Him ascendance in our minds. We will gain EVERYTHING by giving Him the power and the glory, and keeping no illusions of where they are. ]
[わたし達のマインドの中で彼(神)に上昇(優位/支配力)を与えることにより、わたし達は平和の内に一緒に父に向かって昇って行きましょう。 わたし達は、彼(神)に力と栄光の全てを与えて、それらが何処に属しているか幻想を抱かないことにより、全てを得るのです。]

力と栄光は何処にあるのでしょう? それらは父と共にあるのです。
それらは創造者(あなたという存在を創造し続けているもの)と共にあるのです。

[They are in US, through HIS ascendance. ]
[それらは、彼の上昇(支配)を通して、わたし達の中にあるのです。]

この文章は神が自身を持ち上げていると言っているのでしょうか?
違います。 
わたし達のマインド内で神が持ち上がれば(わたし達のマインド内を神が支配するようになれば)、父にあなたの注意を与える意欲が上がれば、あなた達の中に、わたし達の中に、栄光と力が出現するのです。

[They are in US, through HIS ascendance. ]
[それらは、彼の上昇(支配)を通して、わたし達の中にあるのです。]

わたし達が特別な関係を選んでいる時、それら(神の栄光と力)はわたし達の中には余りなく、わたし達は罪と怖れに圧倒されてしまうのです。

[What He has given is HIS.]
[彼(神)が与えたものは彼のものなのです。]

これに関する幻想が全く無い時、あなたは彼(神)があなたに与えているもので自分を満たすのです。 何故なら、その時あなたは自分だけで行なう権利を主張していないのだから。

[What He has given is HIS. It shines in every part of Him, as in the whole. The whole reality of your relationship with Him lies in OUR relationship to one another. ]
[彼(神)が与えたものは彼のものなのです。それが彼(神)の全ての部分で(そして全体的にも)輝いています。あなたと彼(神)の関係の全リアリティは、わたし達のお互いとの関係に依存しているのです。]

こう聞くとあなたは「成る程もしかしたら、私が常に神のことを考え続けて、兄弟姉妹やすべてのものの中に神を見ようとし続けそれにより祝福を体験し続けたとしても、私はおかしな人には成らなくて良いのかもしれない。」と思うでしょう。

しかし私(キリスト)は「神とわたし達の関係のリアリティ全体は、わたし達がお互いとの間に築いている関係に依存している」と言っているのです。
こうしてわたし達は気遣い(caring)の問題に戻って来ました。兄弟姉妹がわたし達の気遣いと注意と時間に値すると発見することに戻って来ました。 
兄弟姉妹に気遣いと注意を与え、父との繋がりによって、兄弟姉妹が何を必要としているか知り、わたし達の関係の中で何をすることが(神の)目的を満たすのか知りたいと願うことに戻って来ました。

するとあなたは次のように考えるでしょうか。
「誰の邪魔もしない、少なくとも間接的に人々を祝福しているプライベートな個人であってはダメだとあなた言うのですか? 新しい「評判」を作ってしまうようなことをしなければいけないのですか?」

しかし、(あなたが実際にこれを行い始めれば)人々はあなたのことを次のように考えるでしょう。
「今までは存じ上げなかったけれど、最近彼女は他の人達とアクティブに関わっているようです。 彼女に何が起こったのかは解らないけれど、彼女の言うことはとても的を得ています。 彼女は自身の関係(関わり合い)に適切なものを与え続けています。」 (だからあなたが心配する必要はないのです。)

[The whole reality of your relationship with Him lies in OUR relationship to one another. ]
[あなたと彼(神)の関係の全リアリティは、わたし達のお互いとの関係に依存しているのです。]

「あなたと彼の関係」とは「あなたと父の関係」のことです。

コース(ACIM)は「あなたの兄弟の目を見て、神を思い出すこと」を説いています。
これはあなた達が一番したくなかったことです。
他の人々に不快感を与えない存在であることによって、静かに天国の中に入り込むことが出来れば良いとあなた達は望んで来ました。

しかし私はより多くのことを知らせています。
お互いと実際に関わり合うという、(あなた達にとっては)この不快なことが、ここで必要とされているのです。

何故なら、あなた達はお互いと関わり合って、そこに神の現れを見たいと望んで、あなたの兄弟姉妹の中に神が自身を現すことを求めて、そうしてあなたは「彼等の体験の中に変容をもたらす者」に成るのだから。
(言い方がオレ様過ぎますか? では言い直しましょう。)
あるいは、あなたが関与することによって、そこに喜びと愛と平和と楽しみが現れることが必要とされているのかもしれません。 何故なら、その時神が思い出され、その時あなた達が自分達の正しいマインドに帰って行くのだから。

しかしあなたが自分の正しいマインド(正気)に帰って行くのは、あなたの正気があなたにとって重要だったからではなく、あなたの兄弟姉妹の正気があなたにとって重要だったからなのです。
だからあなたは自分の兄弟姉妹の正気(正しいマインド/良心)を照らし出す方法を探すことに自分を捧げるのです。
これは父があなたの帰郷方法として設置したシンプルで美しいアレンジメント(はからい)なのです。

[The holy instant shines alike on all relationships, for in it they ARE one. For here is only healing, ALREADY complete and perfect. For here is God, and where He is only the perfect and complete CAN be. ]
[聖なる瞬間は全ての関係を等しく照らしています。 何故なら、その中で彼等はひとつなのだから。 ここには、すでに完了してパーフェクトな癒やししかないのだから。 ここに神が居て、神がいる所にはパーフェクトで完璧なものしかないのだから。]

ここ(神が居る場所、全ての関係が一つである場所、全てが癒やされている場所)が、神の法が全てを統治している場所なのです。
ここが、調和と平和と喜びと愛が確実な場所なのです。

私が今まで聖なる瞬間に関して話している時、あなた達はそれを愛していました。
そしてこの時点で、聖なる瞬間の意味、それが意味しているもの、その機能/役割、それが何からあなたを解放するのか、がより明確に解って来ました。

何故なら、わたし達は華麗な額縁の中の小さい絵を見つめられるように成って来ているから。 額縁の装飾に惑わされて絵の醜さを見過ごしてしまうことなく、この絵を見つめられるように成って来ているのです。
この絵に対する冷徹な正確な理解が、(概念的にはあなた達がすでに愛している)聖なる瞬間を実践することへの決意を促進する一番重要なことなのです。

いままであなた達は十分な「けしかけ/促進」を得ていなかったのです。
しかし今あなたはそれを得ています。
今あなた達はより意欲的に自発的に聖なる瞬間を実践出来るように成っており、それがあなた達を大いに祝福するのです。



A Course In Miracles (reference pages)
Chapter 17 – Section: PERCEPTION AND THE TWO WORLDS
1 Sparkly Book – p.411 1st Full Par. / JCIM – p.172, 5th Par. / CIMS – p. 346, Par.40
Section: THE TWO PICTURES
First Edition – p. 336, 2nd Full Par. / Second Edition – p.361, Par.14

All of the activities of the Northwest Foundation for "A Course In Miracles" are provided without charge or obligation. This is possible because of thoughtfulness, love extended without conditions. Such is the nature of Gift. As a result these materials are available to you, because someone like you has already gifted you with them.

And, at Raj's instruction, these materials will never be sold.

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A Course in Miracles Study Group with Raj, June 18th 2011
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