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ACIM11-08-27

2011年8月27日

前回は下記の文章を読んで終りました。

[In any situation in which you are uncertain, the first thing to consider, very simply, is “What do I want to come of this? What is it FOR?” The clarification of the goal belongs at the BEGINNING, for it is this which will determine the outcome. In the ego’s procedure, this is reversed. The SITUATION becomes the determiner of the outcome, which can be anything. The reason for this disorganized approach is evident. The ego does not know what it WANTS to come of it. It is aware of what it does NOT want, but only that. It has no positive goal at all.]

[あなたを悩ませている全ての状況内ではまず一番初めに「ここで私は何を望んでいるのだろう? {私はここで何を求めるべきなのだろう?}これは何の為なのだろう?」という質問を考慮するべきなのです。 一番初めにゴールを明確にするべきなのです。 何故なら、これが(明確に理解されているゴールが){あなたが体験する}結果を決めるのだから。 しかしエゴのプロセスはこの逆なのです。(エゴのプロセスの中では)状況(それはどのようなものでも在り得るのです)が結果を決定しているのです。この様な乱雑なアプローチ(手法)が行なわれる理由は明白です。エゴには自分が何を求めているか解らないのです。エゴに解るのは「それが何を求めていないか」だけなのです。エゴはポジティブなゴールは持っていないのです。]

“What do I want to come of this?”
[私はここで何が起こることを欲しているのだろうか?]

この質問につまずかないで下さい。 
上記の文章では、あなたが自分に(自分のエゴに)「私はここで何を求めているのだろう?」と言っているように聞えてしまうかも知れません。
しかしわたし達は、そのようなことではなく、「二つのステップ」を行なうことに関して話しているのです。 自分の最上の考えへの依存をあなたが手放すことに関してわたし達は話しているのです。

そしてあなたの思考の静寂の中、あなたの思考が不在な場所で、「ここの真理は何ですか? 私がここで求めるべきことは何ですか?」と父に訊ねるのです。
あなたは反応/思考を躊躇して、二つのステップを行って、聖なる瞬間を実践して、この質問を精霊に訊ねるのです。
『父よ、私はここで何を望むべきなのですか? 父よ、あなたの娘/息子として私はこの状況から何がもたらされることを望むべきなのですか?  この状況は何の為なのですか? 私はそれが知りたいのです。 あなたの視点こそが私に与えられるべき「私の当然の権利」なので、私はそれを求めています。
あなたの視点は私の中に初めからある視点です。そして、あなたと私の間に繋がり(絆)が無いかのように振舞い続けることを私はこれ以上求めません。
あなたと私の繋がりがとても強くなって、私があなたの視点からこう訊ねられるように成りたいのです、「私はここで何を求めているのだろうか? これは何の為なのだろう?」』

(ここで私が指示しようとしていたことは)あなたが行動し始める前に「私はここで何を求めているのだろうか?」と自分に訊ねることではなく、「父よ、あなたの子である私はどのような結果を求めるべきなのですか?」と訊ねることなのです。 これが繋がる行為なのです。
「私はどのような結果が欲しいのだろう?」と自分だけに訊ねることは独立的な行動で、それはここで求められていることではありません。

だから、
[Without a clearcut, positive goal, set at the outset, the situation just seems to happen, the situation just seems to happen, and makes no sense until it has ALREADY happened. THEN you look back at it, and try to piece together what it must have meant. ]

{ここのポジティブなゴールは何ですか?と父に訊ねることによって}[明確でポジティブなゴール(目標)を初めに設定していないので、状況がただ襲い掛かって来ているように見え、その状況が終るまでその意味が解らないのです。物事(状況)が終ってしまって初めて、あなたはそれを振り返り、その意味(理由)が何だったか調べようとするのです。 ]

はじめに二つのステップを明確に行なわなかった場合[状況がただ襲い掛かって来ているように見え、その状況が終るまでその意味が解らないのです。]
そしてあなたはその状況の意味が何だったのか後から推測することになってしまうのです。
「このような意味があったに違いない。それは共和党か民主党のせいであったに違いない。それは強欲が悪かったに違いない。あれこれがその原因/責任であったに違いない。」
二つのステップが行なわれていなかったことが、この(混乱の)責任なのです。それだけなのです。 そこでは誰も「父よ、ここの真理は何ですか?」と訊ね聞いていなかったのです。

[. . . you look back at it, and try to piece together what it must have meant. And you will be WRONG. Not only is your judgment in the past, but you have no idea what SHOULD happen. No goal was set with which to bring the means in line. And now the only judgment left to make is whether or not the ego likes it; is it acceptable, or does it call for vengeance?]

[あなたはそれを振り返り、その意味(理由)が何だったか調べようとするのです。 そしてその時あなたが考え付いている理由は間違っているのです。
それ(あなたが考えた理由)は過去の判断であり、そしてあなたは何が起こるべきだったかさえも知らないのです。(何故なら)初めにゴールが設定されておらず、それによって方法を定めることがされていなかったのだから。
だからここで出来る唯一の判断は、エゴがそれを気に入っているか(それともエゴが復讐を求めているか)どうかだけなのです。]

この質問だけが、事態が終った後に(あなたが)エゴに向かって問えることなのです。

[The absence of a criterion for outcome, set IN ADVANCE, makes understanding doubtful and evaluation impossible.]
[あらかじめ結果に対する判断基準を決めていなかったことが、理解を難しくしており、評価を不可能にしているのです。]

二つのステップを行って(精霊に訊ね聞いて)「結果に対する判断基準」をあらかじめ決めておかなかったことが、理解を難しくしており、評価を不可能にしているのです。
もしあなたがあらかじめ二つのステップを行なったなら(あなたが精霊か父かガイドに訊ね聞いていたなら)それが理解を明確にし評価を可能にするのです。

[The value of deciding in advance what you WANT to happen . . .what the Father discloses to you that you want to happen . .is simply that you will perceive the situation as a means to MAKE it happen.] 

[あなたが求めている出来事{あなたが求めるべきこととして父があなたに示したこと}を(それが起こる前に)あらかじめ決めておくことの価値は「そうすることによりあなたは(それ以降に発生する)事態/状況をそれを(あなたの父が求めている出来事を)発生させる方法として知覚認識する」ということです。]

販売促進の仕事でアフリカに送られた二人の靴のセールスマンの話を私は以前しましたね。 (これはまだ靴がアフリカに普及していなかった時代の話です。)
彼等がアフリカに赴任してから三ヶ月経った時点で、一人のセールスマンは全く業績が上がっておらず、靴は一足も売れていませんでした。
彼を派遣した会社が「何が問題なのですか?」と訊ねました。
するとそのセールスマンは「それはハッキリしてます。ここでは誰も靴を履いていないのです。何が期待出来るというのでしょうか?」と言いました。これがこの人の得た意味/結果です。

もう一人のセールスマンは非常に優秀な販売成績を上げていました。
そして会社側が彼に尋ねます。「どうしてこのような販売が出来たのですか?」
すると彼が答えました。「それはハッキリしています。ここでは誰も靴を履いていないのです。」

このお話しを実際に起こった出来事として受け取ってもあまり意味はありません。
これは特定のアイディアを表現している例え話なのです。
初めのセールスマンは二つのステップを行わずに状況へ入って行ったのです。
そして自分の最上の判断と今までの体験を使って状況を判断したのです。
彼は「オオ、この人達は裸足で歩く習慣があるのだ。彼等にとっては裸足で歩くことに意味があるのだ。 彼等はこれでグラウンディングしており、母なる大地とこうして繋がっているのだ。このような条件を覆すことは不可能だ。」などと考えた訳です。 

この人は二つのステップは行なわず、自分の最上の判断を聞いていたのです。
その時彼は何を聞いていたのでしょう(何に訊ねていたのでしょう)? 
彼は怖れの声を聞いていたのです。
彼は真理の声は聞いていなかったのです。
彼は、何も神聖なものと繋がっていない自分を、状況内で聖なる目的を探していない彼自身を、自分の孤児的マインドを、聞いていたのです。
もう一人のセールスマンは二つのステップを行って「ここでは誰も靴を履いていない。ここに発見のチャンスがあり、人々がまだ知らないもの(彼等にも得られるもの、彼等が求めるもの)を与えるチャンスがある」という真理を聞いたのです。

興味深いことに、この二人は両者とも「ここでは誰も靴を履いていない」という同じ答えを聞いたのです。
この答えが真理であったと言うことは可能でしょう。
しかし一人のセールスマンは怖れの声を通してこの真理を聞いたのです。だからそこでは実りと成就と意味深さを体験する方法が示されていなかったのです。
だから彼は意味の無い(実りの薄い)体験をしたのです。
だから(もし真理の声を聞いていたなら彼が靴を売ったであろう)アフリカの人々と彼との繋がり(関わり合い)もまた意味の無い体験になってしまったのですが、(もし真理の声を聞いていたなら)それ以外の体験が在り得たのです。

もう一人のセールスマンは精霊に訊ね聞きました。 彼は真理を聞き、真理の声を通して彼に聞こえた真理の中には「なにも上手く行かない。ここにはチャンスがない。」という障害が存在していませんでした。
だからこの二人の人達は異なった体験をしたのです。

[The value of deciding in advance what you WANT to happen is simply that you will perceive the situation as a means to MAKE it happen.]
[あなたが求めている出来事を(それが起こる前に)あらかじめ決めておくことの価値は「そうすることによりあなたは(それ以降に発生する)事態/状況をそれを(あなたが求めている出来事を)発生させる方法として知覚認識する」ということです。]

成功した方のセールスマンは、「自分には乗り越えるべき問題があると感じさせるネガティブな思考」を持つべき理由を発見しなかったのです。
彼は自分が提供し全ての人を祝福する機会をシンプルに発見したのです。

[You will therefore make every effort to overlook what interferes with the accomplishment of your objective, and concentrate on everything which helps you meet it.]
[これによりあなたは、ゴール(目的)の達成を邪魔するもの全てを無視することに全力を費やし、ゴールの達成を促進するすべてのことに集中するのです。]

二人の異なる人が、それぞれに異なった答えを真理として得る場合もあるでしょう。
しかしこのケースでは真理は同じ答えでした。
この同じ答え(真理)を真理の声から聞いたか、それとも怖れの声から聞いたか、その違いが二つの全く違った結果を生んだのです。
これを理解して下さい。

二つのステップを使うことで、
[It is quite noticeable that this approach has brought you closer to the Holy Spirit's sorting out of truth and falsity. The true becomes what can be used to meet the goal. The false becomes the useless from this point of view.]

[このアプローチ(手法)を使うことで、「精霊が真理と間違いを見分けている」方法にあなたが近づいていることが明白に解るでしょう。(このアプローチでは)「真理は」ゴールをもたらす為に使えるものになるのです。 そしてこの視点からは「間違い」は「無用なもの/無効なもの」になるのです。]

「ここでは誰も靴を履いていない」というアイディアは、父の視点と繋がっていない人によって間違いとして体験され、それは無効だった(そのアイディアは使いようがなかった)のです。
しかし同じ真理を見ていたもう一人の神の子(二つのステップを行なった神の子)にとっては、その真理が有用だったのです。

[The true becomes what can be used to meet the goal. The false becomes the useless from this point of view. The situation now has meaning, but only because the GOAL has made it meaningful. The goal of truth has further practical advantages. If the situation . . .. . . is used for truth and sanity, its outcome MUST be peace.]

[(このアプローチでは)真理はゴールをもたらす為に使えるものになるのです。 そしてこの視点からは「間違い」は「無用なもの/無効なもの」になるのです。このアプローチをとることにより状況に意味が与えられますが、それはゴールが状況に意味を与えたからなのです。これ以外にも真理のゴールには実際的な利点があります。もし状況が真理と正気の為に使われたなら、その結果は平和に違いないのです。]


[もし状況が真理と正気の為に使われたなら、その結果は平和に違いないのです。] これはどの様な状況にも当て嵌めることが出来るのです。(二つのステップを行なって)全ての状況を真理と正気の為に使うべきなのです。

あなたはどのようにして状況を真理と正気の為に使うのでしょうか?
あなた自身の最上の考え/判断を手放して、静かに成り、あなたの最上の判断/思考を超えて「ここの真理は何ですか?」と訊ねるのです。
その時あなたは(自分の正しいマインドでしかない)精霊に自分が尋ねていることを知っているのです。 あるいは「神の子であるあなたの当然の権利」をあなたの中で表現している父にあなたは訊ねているのです。

[If the situation is used for truth and sanity, its outcome MUST be peace. And this is quite apart from what the outcome IS.]
[もし状況が真理と正気の為に使われたなら、その結果は平和に違いないのです。そしてこれは結果がどうであるか(結果がどう見えるか)とは全く関係がないのです。]

つまり平和が基本的結果に成るのです。
そしてこれが(父の意志が表現されている証拠を示す)結果のグラウンドワーク(基礎)を築くのです。

[If peace is the condition of truth and sanity, and cannot be WITHOUT them, where peace is THEY must be.]
[もし平和が真理と正気の(絶対)条件で、真理と正気が無い限り平和が成立し得ないなら、平和が在る所には真理と正気が在るに違いなのです。]

だから、あなたが二つのステップを行なっている時、あなたが聖なる瞬間を持っている時、あなたは平和に成る意図を発揮しているのです。
そして二つのステップを行なって平和を体験することが一番強く求められているのは、何か非常事態が起こっていて平和を持つことが全く不可能に思われている時なのです。
その時そこではあなたの注意が求められているのです。(あなたはそう感じるのです。)
そこではあなたが個人的コントロールを発揮するように求められているのです。(あなたはそう感じるのです。)
「外側で(体として)」物理的に何かリアルなことをするように求められているのです。(少なくともあなたはそう感じるのです。)

しかし自分で何か行動することを求められているようにあなたが感じているその時こそ、あなたに本当に求められていることは、思考を黙らせて、自分の平和を選び、自分の独立を放棄して、怖れている心配している立場や自己感覚を放棄して、あなたの注意を直ちに父に向かわせ、父の視点を訊ねることなのです(あるいはあなたの正気でしかない精霊に「何が真理か」訊ねることなのです)。
「父の視点が何か?」訊ね、その視点から行動し始めるのです。父の視点があなたに与えた体験から行動し始めるのです。

状況があなたに行動を迫っている(事態が緊迫している)性急さと同じぐらい迅速に、あなたはこれをするべきなのです。
あなたは迅速に父に向かい合うべきなのです。 言い争うことで時間を浪費することなく。自分が直面している要求に関して怒ったり動転したりするのではなく。それらは成就の体験を遅らせてしまうだけです。

あなたは上手く働かないこと(それは思考や論理や「自分の権利を使って何者かに成る機会」を尊ぶことです。)を直ちに放棄して、訊ね聞くことを行なうのです。
思考や論理や自己主張を直ちに無視するのです。
(それらを)無視することは、容易なこと(手放すこと)なのです。
容易なことを直ちに行なって「父よ、ここの真理は何ですか?」と訊ねるのです。
このようにして、修正が必要とされている状況が「始めにゴールとして設定した目的」の為に使われるのです。
緊急事態が終ってから、神がどのようにしてあなたに偉大なレッスンを授けていたのか探すのではなく。 (緊急事態が始まり次第、あなたは精霊に訊ね聞くことにより、真理のゴールを設定するべきなのです。)

物事(状況)が終ってから神の意図を探しても、正しい答えは得られません。
それでは必要な答えが得られません。 
そのようにして得た答えは、もしかしたら無知の中に居るあなたを少し慰めるかもしれません。
しかしあなたはそのような無知の中に留まるべきではないのです。
そして無知から脱出する方法は、性急な状況の中でも「父よ、ここの真理は何ですか? 父よ、ここの目的は何ですか? 父よ、私は何を知るべきなのですか?」と直ぐに訊ねられるようになることなのです。
何故ならこのようにすることにより、あなたは何をするべきか知り、この状況がどのようにして修正の方法に変換出来るか知らされるのだから。
これを理解することが大切です。

[If you experience peace, it is because the truth has come to you, and you will see the outcome truly, for deception cannot prevail against you. And you will recognize the outcome BECAUSE you are at peace. Here again, you see the opposite of the ego's way of looking, for the ego believes the SITUATION brings the experience.]

[(従って)もしあなたが平和を体験しているなら、それはあなたのもとに真理がやって来たからなのです。そしてあなたは結果を正しく見るのです。 何故なら(真理を自分のゴールとして設定している)あなたが騙されることは不可能なのだから。そして(真理を自分のゴールとして設定している)あなたは平和の状態にあるので、この結果を認識するのです。
これもまたエゴの見方とは正反対のものなのです。何故ならエゴは状況が体験を発生させていると考えているから。]

そして状況が引き起こしている体験は、それがあなたを打ちのめした後でなくては理解出来ないものなのです。(という体験をエゴはあなたに与えるのです。)
一体どこに祝福があるのか一生懸命探さなくては見つからない状態にあなたを追い込んで、そうなってからはじめて理解を求め始めるのです。

だからあなたは(事態が収まる前に)「絶対違う!私は絶対それはしない」と言うべきなのです。
『これは正しい答えではなく、私はそこには利益や祝福を探さない。
私は、聖なる瞬間を実践しないことの中には祝福を探さない。
祝福を求めるなら私は聖なる瞬間を実践する必要がある。
状況(緊急事態)が「状態が落ち着くまであなたの平和はもたらされない。」と言い立てていてもそれは嘘っぱちなので、私は聖なる瞬間を実践して平和を求める。どのような言い立てがされていても、私は自分の平和を見つけるのだ。』
(そうあなたは言うべきなのです。)

[The Holy Spirit knows that the situation is as the goal determines it, and is experienced ACCORDING to the goal.]
[しかし精霊は「(実際には)ゴール(目標)として定められている通りの状況が起こっており、それがゴールに従って体験されているのだ」ということを知っているのです。]

だからここでも唯一の答えは「不当な要求がされた途端、事態があなたを慌てさせてしまった途端、あなたは自分の反応を止める必要がある」ということなのです。
状況に対する感情的反応/反発状態に留まってしまっては駄目なのです。
たとえ答えを求める余裕が無いと思っても、あなたは「父よ、ここの真理は何ですか?」と言って、自分の感情的反応(反感/反発/怖れ/怒り)は止めるのです。
自分の反応/反発をあえて沈めるのです。そして決意をもって「父よ、ここの真理は何ですか?」と言うのです。
「(私を呆然とさせている)この状況の原因に見えているものを呪う言葉ではなく、ここに癒やしをもたらす答えは何ですか?」と父に訊ねるのです。

これはとてもシンプルなのです。 余りにシンプルで、それ程多彩な表現は私には出来ません。
だから私は同じ言葉を繰り返しているだけに聞えるでしょう。
あなたは二つのステップをしなくてはいけません、二つのステップをしなくてはいけません。聖なる瞬間を持たなくてはいけません。
言い方は二つだけですが、これはシンプルな答えなので私はそれらを繰り返し言う必要があるのです。

立ち止まって少し考えてみなさい。 自分の人生を振り返ってみなさい。
あなたは沢山の色々な事態に遇って来ましたね?
その幾つかは非常事態で、幾つかはそれ程酷いことではなかったでしょう。
いずれにしろ、それは(非常事態は)あなたを脅し、卑小な自己だけで物事をコントロールして事態を解決しなくてはならないとあなたに思わせたはずです。
もしかしたらその時あなたは神に祈る必要を感じたかもしれません。

しかし私は下記のことをあなたに尋ねたいのです。
あなたは今でもここにおり、今夜私の話を聞いていますね?
であれば、あの酷い緊急事態はあなたを殺しはしなかった訳です。
だから、急がなくてはならない事態に見えていたとしても、5分だけ使って「父よ、ここの真理は何ですか?」と訊ねることが出来るのではないでしょうか。
もしかしたら丸一日反応 /反発を止めて、あなたの平和に留まり続けることが出来るのではないでしょうか。

例えば20年前に体験した緊急事態に関してあなたはまだ、立ち止まって「父よ、ここの真理は何ですか?」と訊ねていないかもしれません。
「あなたが盲腸を病んでいて、それを取り除かなければならなかったあの状況の真理は何だったのでしょう? あなたの虫垂(盲腸手術で取り除く部分)はまだ戻って来ていませんか?  その状況に対する癒やしをもうあなたは得ていますか?」
それらの事に関してまだ訊ね聞いていないなら、今そうしても良いではないですか。
それらの状況が起こっていた時に訊ね聞くことが出来たのですが、そう出来るとあなたは気付いていなかったかもしれません。 今あなたはそれらの事に関して訊ね聞くことも出来るのです。
あなたは20年前に起こった状況に関して聖なる瞬間を今持つことも出来るのです。 あなたは今、20年前の出来事に関して聖なる瞬間を持つことが出来るのです。

だからあなたが今日緊急事態に面していたなら、(事態に)反応することを無視することが出来るのです。 (緊急事態に脅されて)あなたの世界を逆さまにしてあなたのマインドをカオス状態にしてしまうことを拒否することが出来るのです。
あなたは怖れのマインドを黙らせることが出来るのです。
そしてあなたの静寂の中で父から真理を求めるのです。
「あなたの娘/息子としての私は、あなたが私に与えてくれた生得権を受け取っている私は、ここから何を求めるべきなのでしょうか? 私はここでどうあるべきなのでしょう? これは何の為なのですか?」と父に訊ねるのです。

(そしてあなた自身で考えている)あらゆるバックグラウンド情報は取り去って、無邪気に無垢に聞くのです。
あなたのマインドをまっさらな静けさに保って聞き続けたなら、あなたは平和が来ていることを感じ、(あなたの平和から分離し得ない)真理と正気が来ていることを感じるでしょう。
そしてあなたは答えを聞くのです。
そしてあなたは「行うべきこと」を知り、状況があなたに与えている方法が(その中で修正が起こり得る)サポーティブな(友好的)環境に成るのです。
これが真理なのです。

[If you experience peace, it is because the truth has come to you, and you will see the outcome truly, for deception cannot prevail against you.]

[(従って)もしあなたが平和を体験しているなら、それはあなたのもとに真理がやって来たからなのです。そしてあなたは結果を正しく見るのです。 何故なら(真理を自分のゴールとして設定している)あなたが騙されることは不可能なのだから。]

もしあなたが怖れの声を聞き続け独立し続けることを選んだなら、あなたはウソに取り囲まれ、それから逃れることが出来なくなってしまいます。
現時点では、自分のことを独立した存在として考える度に、あなたの人生の中ではウソが行なわれているのです。
兄弟姉妹の弱点を突き、操りを使用して成功を修め、自分をより高くすることが可能な独立的存在に成った積りでいるなら、あなたはウソを生きているのです。

[And] you will recognize the outcome BECAUSE you are at peace. Here again, you see the opposite of the ego's way of looking, for the ego believes the SITUATION brings the experience. The Holy Spirit knows that the situation is as the goal determines it, and is experienced ACCORDING to the goal.]

[そして(真理を自分のゴールとして設定している)あなたは平和の状態にあるので、この結果を認識するのです。
これもまたエゴの見方とは正反対のものなのです。
何故ならエゴは状況が体験を発生させていると考えているから。
しかし精霊は「(実際には)ゴール(目標)として定められている通りの状況が起こっており、それがゴールに従って体験されているのだ」ということを知っているのです。]

[The goal of truth requires faith.]
[真理のゴールには信心(信じる心)が必要なのです。]

あなたが(自分に可能だと自分で考えている)あらゆるコントロールを握りこんで事態を操作して自分を安全にしようとしてしまうのは、信心を使うことにあなたが馴れていないからです。
真理が何か知りたいと求め、それをあなたの最上の判断の外から聞こうとし、そこで聞えたことにコミットメント(決意/信頼)を与えて、それを基に行動すること。
あなたは上記のことに対して自分を投ずることには馴れていないのです。
あなたはこれには馴れていませんが、これが信心なのです。

[The goal of truth requires faith. Faith is implicit in the acceptance of the Holy Spirit's purpose, and this faith is all-inclusive. Where the goal of truth is set, there faith MUST be.]

[真理のゴールには信心(信じる心)が必要なのです。
精霊の目的を受け入れるためには信心が必要不可欠なのです。
そして信心とは、全てを内包した総括的なものなのです。
真理のゴールが設定されている所には信心も在るに違いないのです。]

(全ての、そして慌ててしまう様な)状況に面している時のあなたのゴールは何であるべきなのでしょうか? あなたのゴールは「真理が何か、神のまっすぐな真理は何か発見すること」です。 

[The Holy Spirit sees the situation as a WHOLE. The goal establishes the fact that everyone involved in it will play his part in its accomplishment.]

[精霊は状況全体を一つのまとまりとして眺めています。これに関わっている全員がその役目を達成するという事実を、ゴールが確立しているのです。]

解りますか? あなたが一人だけの時、あなたが独立的に物事を行なっている時{そのようにあなたが見て考えている時}、あなたは他の人達のことも独立的存在として見ているのです。
その時あなたは、全ての人達が(あなたと全く同様に)自己中心的に傲岸に意地悪に振舞って他者を虐げていることを見るのです。
それではあなたは信頼を感じることが出来ません。その状態(環境)では信頼する理由が見つかりません。
しかしあなたが訊ね聞いて真理のゴールがあなたに示されたなら、あなたは自分の平和と真理と正気が自分の意識の中に住んでいることを見つけるのです。
するとあなたは、その状況に関わっている全員がそれぞれの役割を果たすことを見るのです。
(精霊に訊ね聞いて真理のゴールを見つけた)あなたは、父の意志/意図を実らせることに対する役割をそれぞれの人達が果たすことを見るのです。
そしてあなたは沢山の靴を売り上げるのです{神の果実が沢山実ることを見るのです}。

[This is inevitable. No-one will fail in anything. This seems to ask for faith beyond you, and beyond what you can give.]
[これは避け得ようのないことです。 失敗する人は誰も居ないのです。これは「あなたの信心」以上そして「あなたに与えられること」以上を求めているように見えます。]

これは素晴らしいことではないですか?
はじめのセールスマンは「あなたを超えた信心を持たなくてはいけません? 自分を超えた信心なんか持てる筈がないでしょう。」と言ってしまうのです。 何故なら、彼は自分が誰か知らないから。

もう一人のセールスマンは自分が神の子だと知っており、「あなたはあなたを超えた信心を持たなくてはならないのです」と聞いて「ええ、解ってますよ。それは素晴らしい。勿論イエスです。私は常にそれ(自分を超えた信心)に譲っています。」と言うのです。
だから、その状況を見ている人の視点によって、同じ真理が逆境として体験されたり順風として体験されたりするのです。

[This seems to ask for faith beyond you, and beyond what you can give.]
[これは「あなたの信心」以上そして「あなたに与えられること」以上を求めているように見えます。]

つまりあなたはこれを読んで、自分が持っているとはまだあなたが考えていない度量に対する確約として受け取ることが出来るのです。
「オオ、ラジが言っていることを信じよう。 それは私を超えた信心、私に与えられることを超えた信心を求めている。 つまりこれは、私がそのような度量(自分を超えた信心/自分を超える信心)を持っているという意味に違いない。」
この度量に関する認識を受け取れるよう、私は喜んで注意を払い続けよう。
それ(自分を超えた信心の度量)が感じられるように、それと一つに成れるように、その体験の中でそれに逆らうことが無いように。
これが良き知らせであり、これが良き反応なのです。

[Yet this is so only from the viewpoint of the ego, this is so only from the viewpoint of the ego, for the ego believes in "solving" conflict . . .]
[しかしこれはエゴの視点からそう見えるだけなのです。何故ならエゴは分離する(切り分ける)ことにより闘争/矛盾を解決出来ると信じており、]

つまり(あなたと他者を祝福する答えを引き出そうとする)あなたの独立的能力(自分を高めクリアに論理的に思考すること)で闘争/矛盾が解決出来るとあなたは信じていたのです。

[. . . the ego believes in "solving" conflict through fragmentation, . .]
[何故ならエゴは分離する(切り分ける)ことにより闘争/矛盾を解決出来ると信じており、]

繋がることではなく、独立し続けること、分離し、(あなたから分離して離れている他の人達から)離れていることを通して、闘争/矛盾/問題が解決出来るとエゴは信じているのです。

[. . . and does NOT perceive the situation as a whole.]
[状況全体を一つのものとして知覚認識することがないからです。]

もしあなたが自分の平和を選び、その中に留まって、精霊を招待し、「真理の認識、そして真理体験の中で神の子が感じている体験」を精霊が持ち込むことをあなたが許可したなら、神の子はもう独立存在としては見られなくなり(存在しなくなり)、神の子が他者(他の神の子)を独立存在として見ることもなくなります。
そうではなく、あなたは自分を含めた全員を全体の文脈(視点)から見るように成るのです。

(その中で全ての神の子に確実なリアリティ体験が与えられており、そこには脅威や分離や侵害性がない)創造という表現の中の父の意図の視点から全てが見られるようになるのです。
創造は、全てがその無限の中に統合されているひとつの全体としてそれ自身を見ているのです。

[Therefore, the ego,… which does not perceive the situation as a whole . . .seeks to split off segments of the situation and deal with them SEPARATELY, for it has faith in separation, and not in wholeness.]
[だから{状況を全体的に(全体として)知覚していない}エゴは、状況を細かく切り分けて、その一つ一つにバラバラに対処しようとするのです。何故ならエゴは分離に信心を与えており、全体には信心を与えていないから。]

これは重要なことです。
特に異なる要素(人物/派閥/グループ)が関わっている状況がこれに該当します。
(例えば議会のように)他グループから分離して行動し物事を起こすことが出来る複数の要素/人物が関わっている状況がこれに該当します。
(誰かに操作され影響されてしまい、必要なことがないがしろにされている)党派が存在している上院やその他の政府機関など(がありそれが問題を悪化させている)。
何故ならそこでは全員が異なる形の攻撃/強要に踊らされており、どのようなコントロールの蛸足が働いているか解らない。
{エゴはその様に見て考えて分析し解決を求め対処しようとするのです。}

[. . . the ego believes in "solving" conflict through fragmentation, and does NOT perceive the situation as a whole. Therefore, seeks to split off segments of the situation and deal with them SEPARATELY, for it has faith in separation, and not in wholeness.]

[エゴは分離する(切り分ける)ことにより闘争/矛盾を解決出来ると信じており、状況全体を一つのものとして知覚認識することがないからです。だからエゴは状況を細かく切り分けて、その一つ一つにバラバラに対処しようとするのです。何故ならエゴは分離に信心を与えており、全体には信心を与えていないから。]

そしてあなた個人も全く同じことをしているのです。
そしてあなたはファミリーの一部をファミリーの他の一部と戦わせて、彼等(ファミリーの一部)をポジティブな方向に向かわせようとするのです。
しかしそれは操りで、そのようにして問題を解決する方法をとっても、それは合一(unity/一体性)を伝達してはいないのです。 それは(基本的/原則的なものである)ファミリー全体の価値を伝えてはいないのです。

わたし達は「赦しの実践」と題されたセクションを読んでいます。
状況の修正(癒やし)は無限の合一からしかもたらされないという認識が赦しの実践には不可欠なのです。
「無限の合一」とは、あなた達が使っている党派の統一、(あなた達がそれらを使って、自分達が求めているものを得ようとしている)党派/分派が統一されることなのです。
これ(党派/分離から利益を求めること)をあなたは意識的に手放さなくてはいけないのです。
あなたが聖なる瞬間に関わっている時、そこで真理を知りたいと欲している時、その時あなたに聞えている真理を使って「人々を操ったり特定のことをさせることは出来ない」と理解してください。

あなたは真理が何か知っていますか?
それはあなたのハートに愛の現われが訪れ、それが抱擁し統合することなのです。
何故なら愛の現われの中には独立独尊の余地は無く、党派(分派)の余地は無く、細分化に価値があるように見えたり、分離が有用に見えたりする余地は無いのだから。

これが今夜のメッセージです。
これが(今晩の話の)全てを要約しています。だからここで一旦話を止めて休みましょう。
次回お会い出来ることを楽しみにしています。

I love you all.


A Course In Miracles (reference pages)
Chapter 17 – Section: PRACTICAL FORGIVENESS
1 Sparkly Book – p.416, 2nd Full Par./JCIM – p.174, Par. 6/CIMS – p. 350, Par. 59
Chapter 17 – Section: SETTING THE GOAL
First Edition – p. 341, 2nd Full Par./Second Edition – p.366, Par. 3

「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはその様なものだから。 あなたと同等の方が既にこのギフトをあなたに差し出したので、これらの資料があなたに提示されています。 Raj の指示により、これらの資料が売買される事はありません。 
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A Course in Miracles Study Group with Raj, August 27th 2011
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テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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ご無沙汰してます

いつもありがとうございます。

誤植と思われたので書いておきます。

彼は真理を聞き、真理の声を通して彼に聞(こ)えた真理の中には「なにも上手く行かない。ここにはチャンスがない。」という障害が存在していませんでした。

wannaさん、ありがとうございます。

聞えた
聞こえた

両方とも正解だと思います。
辞典にも両方載ってますし。

でも「聞こえた」に変えてみました。

そうなんですね。

>両方 と も正 解だ と 思い ます 。
>辞典 に も両 方載っ てま すし 。

そうなんですね。失礼しました。
いつも自分が使ってる用法がすべてだと思ってました…
プロフィール

翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

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