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ACIM11-09-17

新しいセクションに入ります。

[THE NEED FOR FAITH]
[信心の必要]

わたし達は「信心」という言葉を特定の意味で使っています。
「背水の陣」(追いつめられる)という言葉を知っていますか?
コースやその他の本当に有用なスピリチュアル・システムは、その信者を追いつめるのです。 (一つの選択に直面する)絶対的な境地まで彼等を追い込んでいくのです。
多くの選択肢(オプション)を用意しておきたい人にとって、これは不公平で理屈に合わず、このような境地に追い込もうとしているスピリチュアル・システムを放棄する正当な理由に見えるのです。

人々は様々な可能性を研究して、背水の陣に陥ってしまうことを遅らせたいのです。 目覚めを遅らせたいのです。
信心と不信心を父と繋がる行動/状態から切り離して考えることは出来ません。
父と一緒になること(合一)とは、「あなたが神の子であるという事実」を父と一緒になっている状態の中で受け入れ認めることです。 そして今まであなたが主張して来た、今まであなたが教えられて来た、今まであなたがそれに決意を捧げてきた(そしてこれからもずっと決意を捧げる積りでいる)「自分は限定された、神から離れた必滅者/肉体なのだ」という信念を捨てるのです。
「自分は、死を定められている卑小な存在ではなく、神の聖なる子供なのだ」と神と一緒に成った状態で認め直すのです。

信心と不信心は二つのステップと切り離せないものです。
信心は聖なる瞬間の実践で、不信心は(全ての人達が行なっている)父からの離縁なのです。
信心と不信心これだけシンプルで明確なことなのです。
信心の必要とは、独立を放棄する必要について言っているのです。

これは(あなたが自分達の想像の中で作ったと考えている)裂け目を修復することなのです。
これは分離されていると考えられている(しかし本当は分離不能な)ものを、もう一度一つにすることなのです。
信心とは、不信心の領域にあなた達を引き入れているものを解除することなのです。
信心とはあなたが自分の独立行為(独立を主張し、独立に成功しているように振舞うこと)を解除する方法なのです。 


「信心が当然である状態」をあなたが否定している時、あなたは不信心の状態にいるのです。
「分離しているスリル/繋がっていない興奮/安定から切り離されているドキドキ感」のためにあなたが「全体(健全)として在ることの平凡さ(その当然さ)」を否定している時、あなたは不信心なのです。

不信心とは「孤児的境遇」に居る(孤児的境遇を選ぶ)ことなのです。
不信心とはリアルが何か気付かないでいる状態のことです。
あなた自身を源から分離している状態を保ち続けながら(そのような不安定で危険な状態に自分を置いたまま)真理に対して無意識でいて、真理を引き出すチャレンジを楽しもう、(独立したまま)安全で安楽なリアリティを作ろうとすることが不信心なのです。
繋がることが信心なのです。
(父から)離縁していること、繋がっていないことが不信心なのです。

(父と)繋がっていない場所では、あなたはあなた自身にしか信心を与えることが出来ないのです。
そしてあなたはこの場所(あなたが自分だけに信心を与えている場所)に留まり続けようとしてしまうのです。何故ならこの場所は刺激に満ち{あなたのエゴ/分離感覚に}満足をもたらすから。
しかしあなたがあなたの源と繋がっていない時、自分が誰か意識出来ていない時、源と繋がってリアルに成ったあなたを意識出来ていない時、それは常に不信心の状態なのです。
これを理解することが重要です。

聖なる瞬間は、いわば中継地点なのです。
一旦あなたがそこを越えて行ったなら、あなたは「あなたが誰か知って」おり。そこには疑いがないのです。 そうなれば信心の必要はもはやないのです。
何故ならその時あなたは「あなたが誰か、そして全てが何か」完全に理解しており、あなたは自分が故郷に(自分の正しいマインドに)帰って来ていることを知っているのだから。

問題の修正は、物や状態を操作することではなく、あなたのマインドの中であなたが「父よ、私は自分でしたいです。 お父さん、私は自分のやり方で見てみたいです。」と言っているポイントまで戻ることなのです。
「父よ、私は物事の意味を自分で決め、それを自分で見て、自分で言いたいです。」とあなたが言っている時点で幻想/幻惑が作られており、あなたはそれに自分の注意を与えており、それに自分の信心/信念/決意を与えているのです。
だから問題への修正は、この決断の結果(父から分離して自分だけで見ている結果)に対して行なわれることでは決してないのです。
問題の修正は常に、あなたが「父よ、私は自分だけで見てみたいです。父よ、私は全てに対する定義を自分で決めたいです。」と言っている地点まで戻ることなのです。
この地点まで戻ってあなたの最上の判断への決意を放棄するのです。 何故ならあなたがあなたの父を放棄したことが問題の原因であって、父を放棄したことの結果が問題の原因ではないのだから。

これゆえに繋がることはシンプルなのです。 あなたは繋がっているか、でなければ繋がっていないのです。
あなたは信心を実践しているか、でなければ不信心を実践しているのです。
あなたが信心を何に与えているか、あなたが何に対して不信心を持っているか、それは問題ではないのです。
あなたが信心を実践しているか不信心を実践しているか、それが問題なのです。
あなたが天国の中に居て、あたかもそれが物理的な宇宙/世界であるかのように、あたかもそれが物体(偶然によって生まれ出た物質)であるかのように振舞って、自分がそのような状態/環境の中にいると言い張って生きて行こうとしていることが問題なのです。
そこからは、あなたの聖なる存在と天国は(それらとは)全く反対のものとして体験されるのです。

そしてあなた達はこの物理的世界/宇宙の中の中で(自分達が父から分離している結果/状態の中で)問題やストレスを解決しようとしてしまうのです。
しかし本当に必要とされていることは、あなたが「あなたの中で不信心になる選択をした地点」まで戻って行って、あなたが独立的認証者と成りそれがもたらす興奮/力/権威/栄光を選択した地点まで戻って行って、あなたが不信心を手放すことなのです。
信心と不信心に関して上記のことを明確に理解する必要があるのです。
あなたは独立的存在として在り続ける執着を意識的に放棄する必要があるのです。
これが不信心を放棄するという意味なのです。
これを明確に理解しておけば、あなたはより迅速に目覚めに近づいて行くことでしょう。

それは何故でしょう?
何故ならこれを理解しておけば、あなたはもう事態を直したり物体を動かして、それらがあなたをもう怖れさせないようにしようとして時間を使うことが無くなるから。
あなたは、自分のマインドの中であなたが間違いを犯した場所に行くのです。
そこであなたは、不信心の行為と意図を放棄するのです。
そこであなたは、不信心を信心で取り替えるのです。

信心とはあなたが黙ること(思考を止めること)です。 静寂の中であなたがあなたの不信心を越えて手を伸ばし、あなたの最上の思考を超えて伸び進み、本当にそこにあるようには見えていない何かに手を伸ばすのです。
これを可能にする為にあなたからの信心が必要なのです。 
そしてあなたは「父よ、精霊よ、真理を知っている者よ、真理が何か私とシェアしてください。私は静かにして聞きましょう。わたしの不信心(私の最上の思考)を差し挟むことなく。そして私は信心をもって意欲をもって(あなたの中に)入って行きましょう。
私を創造したものの中に、私を愛しているものの中に、それそのもの(自身の体験)を全く私から遠ざけていないものの中に入って行きましょう。
そして私は聞こえるまで、真理が学べるまで、静かな好奇心と(聞く)意欲の中に留まり続けましょう。」と言うのです。
これが信心です。

しかしそれだけでなく、あなたがその場所に留まって自分だけの意志を使わないことが出来たなら、自分でコントロールしようとすることを思いとどまれたなら、世界の在り様を自分で定義し続けることが手放せたなら、真理があなたに示され、それによりあなたが世界を体験する方法が変わるのです。 あなたが物理的世界/宇宙と呼んできたものが、あなたが必滅者(肉体)と呼んできたものが、その体験が変るのです。
聖なる瞬間の中で真理があなたに示されることが、あなたが全てを見ている見方を変えるのです。
あなたが問題を見てきた所に問題が無くなるのです。 何故ならあなたは真理を知るのだから。

そしてあなたは物理的世界/宇宙と呼ばれてきた所で平和であることが出来るのです。
何故ならそこが天国であるとあなたに明白に解っているのだから。
これにより(あなたが上記の体験をすることにより)信心が取り替えられる(信心の必要が消えるのです)のです。
あなたは二度と信心を実践しなくて良くなるのです。 何故なら(難しいレッスンもなく)不信心がシンプルに消えて行くのだから。

それはなくなったのです。
全てを変えた知覚の優しいシフトが、今まで誤解されてきたことを消滅させ、あなたが解決しなくてはならない問題や、あなたのマインドをよりスピリチュアルにしなくてはならないことはもう残っていないのです。
癒しが起こったと言っても良いでしょう。
あなたが(不信心ではなく)あなたの信心を実行した結果として現れた明晰の恩恵を受けた人々は、奇跡が起こったと言うでしょう。
彼等が期待していなかったことが起こり、彼等の好奇心が高められ、彼等自身には正当化(説明)出来ない自信や期待が起こることでしょう。
いずれにしろ、彼等の注意を引き付けたヒーリング(癒やし)の実現の全てが(いままで彼等を怖れさせて来た場所/状態で)このような自信をもたらすのです。



本を読みましょう。
[There is no problem in any situation that faith will not solve.]
[どのような状況であっても信心に解決出来ない問題はありません。]

皆さんは、自分達の関係や人生の中には信心(信頼)では解決できない問題がある考えたことがあるでしょう。
どれだけポジティブシンキングを行なっても、あなたの愛する人や隣人や友達から最上のものを期待し続けたとしても、そのようなこと役に立たないと感じたことがあるでしょう。
同胞に対する信心(信頼)では全く問題が解決出来ない。 
これが怖れです。 あなたは自信をもってこの怖れを信じているのです。

しかし信心という言葉をあなたが使っている方法が(信心という言葉に対するあなたの定義が)、あなたをそのように感じさせているのです。
信心という言葉に対するあなたの 定義が、そのような怖れを正当化しているのです。
何故ならあなたはこう言っているのだから。「私がどれだけ信心を持とうと、これが自分だと私が考えている孤児からどれだけの信心を作り上げようとしても、何も変えることは出来ない。」
その通りなのです。

何故ならわたし達は、あなたの中であなたが作り上げ発生させて、それによってあなたの世界を祝福し、それによってあなたの兄弟姉妹をアレコレさせられるようなことに関して話しているのではないのだから。
そのような信心は問題を解決するものではありません。

[ There is no problem in any situation that will not solve.]
{あなたが聖なる瞬間を実践したなら} [どの様な状況であろうとも、信心に解決出来ない問題は存在していません。]

信心とは、あなたが自分の独立を放棄して「父よ、ここの真理は何ですか? 精霊よ、天国の体験を私に与えてください。 そして私の聖なる兄弟そのもの(私の兄弟の本当)の体験を与えてください。」と言うことなのです。
そしてあなたが(父/精霊/ガイドに)訊ねて答えを得られるまで行動することを控えた結果としてあなたに与えられた真理のインスピレーション(霊の流入)から立ち昇って来たこと以外は何も行なわないようにするのです。


[There is no problem in any situation that faith will not solve. There is no shift in any aspect of the problem but will make solution impossible.]
[どの様な状況であろうとも、信心に解決出来ない問題は存在していません。 問題のどの要素であってもそれをシフトしてしまえば、解決は不可能に成ります。]
{ラジは次のように解釈しています。 [問題のどの要素の中にもシフトは存在しておらず、問題の要素の中からシフトを起こそうとした場合解決は不可能です。]}

あなたが不信心になっている場所から、あなたが独立的に存在している場所から、あなたの個人的権威から、シフトを行うことは不可能です。

[There is no shift in any aspect of the problem but will make solution impossible.]
[問題のどの要素であってもそれをシフトしてしまえば、解決は不可能に成ります。]

あなたが何か操作を加えようとしてしまえば、解決は不可能に成ります。
何故でしょう? それはあなたがシフトを(問題解決の試みを)無力な場所からしようとしているからです。
あなたは問題解決を不信心な場所(マインド状態)からしようとしているのです。
あなたは自分の源(あなたの中を流れて癒やす力、問題を解決する力)から抜き取られている状態で問題解決を試みているのです。

[For if you shift part of the problem elsewhere, . .]
[もし問題の一部を他の場所にシフトしたなら]

これはどういう意味でしょう?
あなたが間違いを犯した場所以外のところに問題の一部をシフトしたなら、です。
どの教師に答えを訊ねるかあなたが選択した場所からシフトしたなら、です。
もしあなたが問題を別の場所(どちらの教師に訊ねるかあなたが選択している場所以外の所)に持って行って、あなたの兄弟姉妹が見ている見方でその問題を見たなら、あなたの独立的視点からその問題を見たなら、解決は不可能なのです。
何故ならその見方は、常にあなたを縛ってしまうから。
それがあなたを縛ってしまうのは、あなたが間違った場所から問題を眺めているからです。
あなたは問題が解決出来ない場所を見ているのです。 何故なら問題が作られているのはその場所(あなたが問題を見ている場所)ではないのだから。
問題が作られている場所とは、二人の教師(精霊かエゴ)のどちらに訊ねるかあなたが選んでいる選択の中にあるのです。
そしてあなたは間違った選択をしているのです。


[For if you shift part of the problem elsewhere, the meaning of the problem MUST be lost, . . ]
[もし問題の一部を他の場所にシフトしたなら問題の意味(本質)が失われてしまいます。]
それだけではなく、
[ . . . the meaning of the problem MUST be lost, and the solution to the problem is inherent in its meaning. ]
[しかし問題の解決は、その意味の中に(問題/状況が提示している意味の中に)含まれているのです。]

問題の意味とは何でしょうか? それはあそこの馬鹿者がこのアバズレにチョッカイを出して、このアバズレが怒ってあなたの所にやって来て、あなたの一日を台無しにしてしまったことではありません。 それは問題の意味ではなかったのです。

問題の意味とは「あそこの馬鹿者とアバズレを見る前に、私は自分がどのレンズを通して彼等を眺めるか選択しており、彼等を知覚(観察)する時どちらの教師のどの教えを使うか選択していたか」ということなのです。

問題の意味は(教師の)選択に掛かっているのです。
問題の意味が教師の選択(知覚の与え方)にあると理解出来なければ、あなたは自分が見ている世界を(それ以上あなた自身だけで見続けようとしなくなることで)赦すのではなく、馬鹿者やアバズレに対して自分を守ろうとしてしまいます。
つまり信心を持つ必要があるのです。 
つまりあなたが見ている世界を、それ以上あなた自身だけで見続ける選択を取り消して、世界を精霊に見てもらい世界を精霊から教えてもらうことが、赦すことで、これをすることが信心を持つことなのです。

[Is it not possible that all your problems HAVE been solved, but you have removed yourself from the solution?]
[あなたの全ての問題はすでに解決されており、あなたが自分をその解決から切り離していることは在り得ないでしょうか?]

たった今ここが天国で全ての人達が神の息子/娘であって、創造の全ての部分が神の真実を照らし出していることは不可能でしょうか?
全てがすでに天国で、それは決して変えらることがなかったので、あなたの問題はすでに解決していることは不可能でしょうか?
{不可能だと考えたらなあなたは不信心を使っており、可能だと信じることが出来ている時あなたは信心を持っているのです。}
あなたがあなたの不信心を通して全てを眺めようと選択した時に、あなたは全てを特定の見方で特定のものとして見るように成ったのです。
その特定の見方とは、あなたが孤立しており、あなたは源(あなたの存在に意味を与えているもの)から切断されていて不毛だということです。
しかし全てはそのようなもの(切断されているつもりのあなたの見方に合致したもの)には決して成らなかったのです。 だから問題は決して起こっておらず、それを解決する必要も本来無いのです。

[Is it not possible that all your problems HAVE been solved, but you have removed yourself from the solution? ]
[あなたの全ての問題はすでに解決されており、あなたが自分をその解決から切り離していることは在り得ないでしょうか?]

何故なら、全ての問題はリアルではないのだから。
あなたは信心の行動からあなた自身を取り外したのです。
あなたは、神が創造した全ての聖なるものの意味を照らし出して有効にしているもの(源)との繋がりからあなた自身を切り離したのです。
「でもお父さん、私は自分でやってみたいです!」といってあなたはあなた自身を(源/神)から切り離したのです。
「でも父よ、私は自分のやり方でやってみたいのです! だって父さん、私は全ての意味定義したいんだもん。だから絶対そうするよ!」

[Is it not possible that all your problems HAVE been solved, but you have removed yourself from the solution? Yet faith must be where something has been done, and where you SEE it done. ]
[あなたの全ての問題はすでに解決されており、あなたが自分をその解決から切り離していることは在り得ないでしょうか? あなたの信心は、何かが行なわれた場所、何かが行なわれていることをあなたが見ている場所にあるに違いないのです。]

[ . . . faith must be where something has been done, . .]
[あなたの信心は、何かが行なわれた場所...にあるに違いないのです。]

信心は、自分を自分の父から分離する何らかの行為をあなたがした場所、何らかの分離行為をあなたがしていることをあなたが見ている場所、にあるに違いないのです。
あなたが選択を取り替えた時に、あなたは自分が幻想を教える教師を選んでいる(いた)ことを見るのです。

[A situation is a relationship, . .]
[状況とは、...関係なのです。]

そう、誰も関わり合いからは逃れられないのです。
「神が成っている全体」を構成している兄弟姉妹の共同体は、一緒に一つのものとして適応している兄弟姉妹は、何に対してもコントロールする必要を感じていない兄弟姉妹の全ては、操る必要がなく、自己満足のために力を使う必要がなく、自己強化したり自分をより重要に見せる必要を感じないのです。

[A situation is a relationship, being the joining of thoughts. If problems are perceived, . .]
[状況とは複数の思考が繋がって出来ている関係なのです。もし問題が知覚認識されているなら、]

つまり馬鹿者やアバズレがそこにいるものとして見られているならば、

[If problems are perceived, it is because the thoughts are judged to be in conflict. But if the goal is truth, this is impossible. Some idea of bodies must have entered, for minds cannot attack.]
[もし問題が知覚認識されているなら、それは複数の思考がぶつかって争っていると判断されたからに違いないのです。 しかしもしゴール(目的/目標)が真理であるなら、それは(複数の思考が争うことは)不可能です。{あなたが問題を知覚している}そこには体のアイディアが忍び込んでいるに違いないのです。 何故ならマインドには攻撃することは出来ないから。]

「おお、そうだ! 私の注意は体に捕らわれていた。私が考えていたのは体だけだった。 一日中私は体だけを見ていた。確かに私の問題は、私が体を見ていたからなのだ。」
誰もこのようには考えないのです。 だから次の文章の理解が難しいのです。

[Some idea of bodies must have entered, . .]
[そこには体のアイディアが忍び込んでいるに違いないのです。]
 
普通あなた達は神の創造物を見て(ここでは生き物のことを言っています、あなたの兄弟姉妹を見て)それを体とは考えません。
あなたは自分の兄弟姉妹をマインドとして見ています。 あなたは自分の兄弟姉妹のことを、それぞれの人生/両親/環境/教師によって条件付けられたマインドとして見ています。
そしてあなたは彼等のことを(特定の方法で振舞うようにトレーニングされている)条件反射メカニズムとして見ているのです。 彼等のマインドの条件反射的考えが体を通して行なわれるのです。
だからあなたは人々のことを体として考えてはいませんが、予測可能な特定の振舞いをするように条件付けられている(機械的)マインドとして考えているのです。
(条件付けからくる)彼等の振舞いは予測可能で確実なので、あなたは彼等に対する安定した結論(予断)を持ち続けることが出来るのです。
{彼等の振舞いが予測可能なので}自分とその人の関係の中である程度の均衡を保つ振る舞いがあなたには出来るのです。
このような評価(結論、予測)はどこから導かれているのでしょうか?
あなたの同胞に対するこの評価は何処から来ているのでしょうか?
もしあなたが父と繋がっていたなら(父とひとつに成っていたなら)、このような評価があなたの中で起こることさえ不可能なのです。
{人々の行動が予測出来るという}このような評価は全く存在せず、全く得られないのです。
兄弟姉妹に対するあなたの評価は繋がっていない場所から来ているのです。
あなたが源を放棄した結果として、あなたが怖れと罪悪に直面しているマインド状態から(その場所の中に)、これらの評価が立ち昇って来るのです。
すると突然あなたの不死身な存在が、無防備(傷つけられてしまうかもしれないという怖れ)と防御の正当性で置き換わるのです。
怖れと罪悪によってコンディショニングされて(条件付けられて)おり間違った信頼出来ない振舞いをしているマインドに対する怖れと防御が当然必要に成る訳です。(あなたの不死身の体験が消えて、怖れと防御が正当である状況がその替わりに現れるのです。)

あなたは兄弟姉妹のことは体とは考えていないでしょう。
しかし「あそこに居るジョーは余りハンサムではなくて、余り頭も良く無くて、彼の振舞いに対して私は防御的に成らざる得ない。 彼はそのように振舞うに違いない。」
とあなた達は考えているのです。
このようにして体に対する思考が忍び込んで来ているのです。

[Some idea of bodies must have entered, for minds cannot attack.]
[そこには体のアイディアが忍び込んでいるに違いないのです。 何故ならマインドには攻撃することは出来ないから。]

あなたが聖なる瞬間を実践して神の平和があなたに満ち溢れあなたを平和な状態に導いた時、あなたが自分の兄弟を怖ろしいものとして見ることは不可能なのです。 あなたは自分のマインドを「そのようなことが見えるように使おう」とは全く思わなくなるのです。
そこには体の感覚が無いのです。そこには条件付けられているマインドやコンディションされている神経システムも無いのです。 わかりますか?

[The thought of bodies is the sign of faithlessness, . . ]
[体(複数形)の思考(体に関して考えること)は不信心の証です。] 

体の思考は、あなたが「父よ、私は自分の見方で見たいです。父よ、私は離縁したいです。父よ、私はあなたから自分を解放して、独立的物質的状態に移行して、それを自分でコントロールしたいです。」と言った証拠なのです。
体の思考はあなたがあなたの父から離縁した証拠です。これが不信心と呼ばれているのです。

体の思考は
ここのキーワード(要点)は「思考」であって「体」ではありません。


[The thought of bodies is the sign of faithlessness, for bodies cannot solve anything.]
[体(複数形)の思考は不信心の証です。 何故なら体には何も解決することは出来ないのだから。]


一旦あなた(達)がこのように条件付けられているマインドとそのようなマインドに従う神経システム(体)を評価(確定/認識)したなら、それは問題を解決しません
しかしあなた達の殆ど全員は、一日中兄弟姉妹を操作して過ごしているのです。
何故なら、あなたは彼等(兄弟姉妹)をそのように(条件付けられたマインド/体として)見ていて、自分自身を彼等から防御しなくてはならないと考えているのだから。
そうすることによりあなたは「自分が間違った教師を選んでしまった場所」に行くことを拒否し続けているのです。 だからあなたは、するべき唯一のこと(もう一人の教師に向き合うこと)が出来る場所に居ないのです。

[The thought of bodies is the sign of faithlessness, for bodies cannot solve anything. And it is their intrusion on the relationship, . . ]
[体(複数形)の思考は不信心の証です。 何故なら体には何も解決することは出来ないのだから。そしてこれは(体の思考は)関係の中に入り込んで邪魔するものであり、...]

邪魔する? ここで体という言葉に惑わされないでください。

[The thought of bodies is the sign of faithlessness, . .
And it is their intrusion . . . . . . the thoughts of bodies . . .. . . it is their intrusion on the relationship, an error in your thoughts ABOUT the situation, which then becomes the justification for your lack of faith. ]

[体(複数形)の思考は不信心の証です。 ...そしてこれは(体の思考は)関係の中に入り込んで邪魔するものであり、状況に対するあなたの思考エラーがあなたの信心の欠如の言い訳に成るのです。]

それ(状況に対するあなたの思考の間違え)は、孤児的マインド状態に留まる言い訳(正当化)なのです。 その場所では(孤児的マインド状態内では)自己防御が必要で(そこで)あなたは失われ(損なわれ)続けてしまうのです。
その時あなたは癒しが起こり得る場所には居ないのです。

さて、[あなたはこのエラー(間違い)をするでしょう。] 
そしてあなた達は毎日、そして今この時点で、この間違いを続けているのです。

[You WILL make this error, but be not at all concerned with that.
あなたはこのエラー(間違い)をするでしょう。 しかしそれを心配する必要はありません。]

何故なら、このエラーを心配している唯一の者は、独立することに夢中に成っている孤児だけなのだから。
孤児はこの体験によって驚かされ怖がっており、より一層の自己防御を作り出しているのです。
そうしている間は「おお、間違った選択の結果として私が体験しているディーテール(細部)を修正しようとするのではなく、私は自分が間違った(選択を行なった)場所まで戻って行こう。」と言うことが出来ていないのです。

[You WILL make this error, but be not at all concerned with that. The error does not matter. Faithlessness brought to faith . . .]
[あなたはこのエラー(間違い)をするでしょう。 しかしそれを心配する必要はありません。
このエラーは問題ではないのです。 しかしあなたの利益(優位)を確保する為にこのエラー(誤解)を使おうとするのは止めなさい。何故ならそうしようとしてしまうことは問題なのだから。{細字の部分はUrtextにしか存在せず。JCIMやSparkly Book からは削除されています。従ってRajはこの部分は読みませんでした。} 不信心が信心の前に引き出された時、]

これはどういう意味でしょう?
不信心つまり独立的状況が「人の意識の中で自己統制を超えて伸び上がり(手を伸ばし)その先にある何かと繋がろうとする場所(意識)」に引き出されたのです。

[Faithlessness brought to faith will never interfere with truth. But faithlessness used AGAINST truth will always destroy faith.]
[不信心が信心の前に引き出された時、それが信心の邪魔をすることはありません。しかし信心に対して不信心(疑い)を使った場合、信心は常に壊されてしまいます。]

つまりあなたの独立的孤児のマインド内では、繋がることから来る真理の体験が意識的に避けられているのです。
あなたは独立し続けることに固執しており、繋がることを拒否しているのです。
これが(このように振舞うことが)必ず信心を破壊してしまうのです。
「他者が良きことを行なうことが出来ると」いうあなたの自信の欠如が、繋がる行為である信心を破壊してしまいます。 間違った教師を選んだ結果起きたエラーを解除する行為が出来なくなってしまいます。

[If you lack faith, ask that it be restored where it was LOST, . .]
[あなたの信心が不足しているなら、それが失われた所でそれが修復されるよう求めなさい。] 

だからわたし達が今夜話していることはとても重要なのです。
だからスピリチュアルなシステム/思考/教えは、全ての人達を「どちらの教師を選ぶか選択する場所」に追い込んでいかなければいけないのです。 そしてあなたが正しい選択をして幻想を手放せるようにするのです。誤解から解き放たれ、狂気が終るようにするのです。

[あなたの信心が不足しているなら、それが失われた所で]
それが失われた所とは、あなたが自分の中で間違った教師を選択している場所です。

[. . . and seek not to have it made up to you elsewhere, as if you had been unjustly deprived of it.]
[あたかも不正にあなたからそれ(信心)が奪われたかのように、それ以外の場所(あなたの信心が失われた場所)で信心があなたの為に作り上げられることを求めるのは止めなさい。] 

真理の理解で満たされている時、あなたは自分から信心が不当に奪われる体験はしません。
正義(敵討ち)の必要は、あなたの体験の中(あなたのマインドの中)には起こらなくなります。何故なら、自分が被ったと考えていた全ての苦しみがリアルではなかったことをあなたは見るのだから。
それらは間違った選択の結果に過ぎなかったのです。その結果としてあなたは闘争/矛盾を体験していたのです。
そしてあなたは修正が起こり得る場所(教師を選んでいる場所)で問題を解決しようとしていなかったのです。

[Only what YOU have not given can be lacking in ANY situation.]
[どの状況であれ、あなたが与えていないものだけがその状況内で不足出来るのです。]

こうしてわたし達は背水の陣に戻ってきた訳です。
どのような状況下であれ不足し得るものは、あなたがまだ与えていないものだけで、それは正しい選択なのです。 それは正しい教師を選択することなのです。

[Only what YOU have not given can be lacking in ANY situation.]
[どの状況であれ、あなたが与えていないものだけがその状況内で不足出来るのです。]

「オーノー。あなたは彼に十分な愛を与えなかった。 アー、あなたは彼女に十分な辛抱を与えなかった。 それが不足していたのです。もしあなたがそれらのものを与えていたなら、問題は起こらなかったことでしょう。」
いいえ。 そうではないのです。 

[Only what YOU have not given can be lacking in ANY situation.]
[どの状況であれ、あなたが与えていないものだけがその状況内で不足出来るのです。]

どのような状況にしろ、あなたが拒否出来るものはひとつだけで、それはあなたの源を認識するあなたの意欲です。
あなたの父/母を認めるあなたの意欲、あなたに(正しい)定義を与えているものを認めるあなたの意欲、あなたが責任を負っていない(あなたが作ったのではない)あなたから取り上げることは出来ない生得権(持って生まれた当然の権利)を認める意欲だけが唯一あなたに拒否出来るものなのです。
あなたはそれを隠してそれに対して無意識になることは出来ます。
しかしあなたはそれを変えることは出来ず、それはあなたの中に永遠に存在し続けます。
(あなたがそれに無意識だった場合)あなたはそれに出くわし続け、それを発見し続けるでしょう。
あるいは、あなたはそれ(あなたの源/あなたの生得権/あなたの父母)を意識的に選んで、それによって変えられる喜びを体験することが出来るのです。

聖なる瞬間を選ぶことは、信心を選ぶことです。
独立を選ぶことは、不信心を選ぶことです。
これはシンプルで意味深いものです。
これを抱擁して(受け入れて)これが真実に成ることを許可することにより、あなたは目覚めるのです。
あなたはどちらの教師を聞くことを選ぶのでしょうか?


A Course In Miracles (reference pages)
Chapter 17 – Section: THE NEED FOR FAITH
1 Sparkly Book – p.418 / JCIM – p.175 / CIMS – p. 352
Chapter 17 – Section: SETTING THE GOAL
First Edition – p. 342, Last Full Par. / Second Edition – p.368, Par. 2

「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはその様なものだから。 あなたと同等の方が既にこのギフトをあなたに差し出したので、これらの資料があなたに提示されています。 Raj の指示により、これらの資料が売買される事はありません。 この機関「Northwest Foundation for A Course In Miracles」へ募金される場合、下記のWEBサイトを通して行なうか、あるいは下記の住所に郵送して下さい。

A Course in Miracles Study Group with Raj, September 3rd 2011
© by The Northwest Foundation for “A Course in Miracles” a non-profit corporation.
All rights reserved
PO Box 1490 / Kingston, WA 98346-1490 / USA
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
Website: http://www.nwffacim.org
E-Mail: paul@nwffacim.org


テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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翻訳ありがとうございます!!ヽ(^^)ノ

先程のメールにも書きましたが、
ご無理はくれぐれもなさらないようにしてくださいねe-330
プロフィール

翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

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