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ACIM11-09-24

先週は下記の文章を読んで終わりました。

[Only what YOU have not given can be lacking in ANY situation.1]
[どの状況であれ、あなたが与えていないものだけがその状況内で不足し得るのです。]

これはあなたに重い責任を負わせているようにも聞えますね。 全ての責任があなたに掛かっているようにも聞えます。

[Only what YOU have not given can be lacking in ANY situation.]
[どの状況であれ、あなたが与えていないものだけがその状況内で不足し得るのです。]

しかしあなたが(状況に対して)与えられるものは一つしかないことを憶えておく必要があります。
あなたが与えることが出来るのは一つのものだけです。
あなたが与えることの出来る唯一のもの/ことは、あなたの独立を捨てて源/父と繋がることです。
あなたが与えられる唯一のものは、「(あなたの中に神が成立させている)生得権が定義している」あなたと繋がること、なのです。
どのような状況であれ、これがあなたが与えることの出来る唯一のものです。そしてあなたが与えないことが出来る唯一のものも「繋がること」なのです。

現在あなたは夢の中に居ます。
あなたは天国の真ん中にいて、天国を誤知覚しています。そして天国に対するあなたの定義と天国に対してあなたが下した結論によって、あなたは自分を怖れさせています。

あなたが天国を天国として見ない選択をしている状態が不信心なのです。
世界と宇宙の定義を書き入れるあなたの著作権や権限を放棄することが、物事を認証して権限のように見えているあなたの能力を放棄することが、不信心を放棄することなのです。

[Only what YOU have not given can be lacking in ANY situation.]
[どの状況であれ、あなたが与えていないものだけがその状況内で不足し得るのです。]

他の人が何をしているか何をしていないか(何をしているように見えるか何をしていないように見えるか)はどうでも良いのです。
宇宙が何をしていても何をしていなくても(何をしているように見えても何をしていないように見えても)どうでも良いのです。
何故なら、あなたがあなた自身を物事(現象)に対する独立的著作者として確立している限り、そしてあなたが全てに対して定義を与え続けている限り、あなたは不信心な状態に居るのだから。 その場合あなたは「自分の同胞が何かをしていること」や「宇宙が何かに成っていること」をあなた自身の狂気のレンズを通して見ざる得なくなっているのです。
これを理解する必要があります。

独立的著作者として、孤児として、父母を持たない者として、源を持たない者として、あなたは全てをとても歪んだ風に体験するのです。 あなたはとても歪んだ自分自身を体験するのです。
その場合あなたは全てが源(永遠に有効であり続ける何か)と繋がっていることが見えないのです。
そしてあなたが独立孤児的な視点から自分の同胞や自分の世界と関わっている限り、全てをそれそのものとして(それそのままに)見る機会をあなたは自分に与えていないのです。
あなたはクリアに見ることを可能にするものを保留にしているのです。

あなたが保留にしているものを与えた時、あなたに与えることが出来る唯一のものをあなたが与えた時、それはあなたが父を招き入れて父をあなたの父として認め、あなたの父としてあなたが認めた父ゆえにあなたに属している生得権(当然の権利)を受け入れて、世界が狂っていても/あなたの同胞が間違っていても、それらが破壊的でも建設的でも、あなたはあなたが与えることの出来るひとつのものを与える(引き出す)のです。

そしてこのことが(あなたがそれを与えていなかったことが、あなたが父と繋がっていなかったことが)あなたに世界と同胞を正しく見えなくしていた唯一のことなのです。
そしてこのひとつのことを与えること(父と繋がること)により、愛以外のものは何も分け合うことが出来なくなり、父と繋がることが宇宙の全ての部分(と全ての同胞)の絶対的価値(神と繋がった価値)であると認めることに成るのです。

「ラジよ、あなたは以前、あなたが人々を変えるように強制することは出来ない、と言ったではないですか。 ならばどうしてこのようなことが私に出来るのでしょう。どうして私が与えていないものだけが全ての状況内で必要とされているのでしょう。 もう少しリアルに話して下さい。 」とあなたは言いますか?

いいでしょう。
あなたは二つのステップをしようと選択することは出来ないのです。あなたは(自分の反射的反応を)躊躇して静かに成って父に「ここの真理は何ですか?」と訊ねて聖なる瞬間を実践しあなたの世界と同胞を変えることを選択することは出来ないのです。
もしこれが可能だったなら(もしあなたが自分の力でこれをすることが出来たなら)、あなたはあなたの中に住んでいる偉大な力を避けようなく認識することになってしまい、あなたが権力を譲るポジション(立場)に追い込まれることは不可能で、謙虚になることも出来ず、あなたが目覚めに進む課程で自己奉仕でない目的は持てなくなってしまうのです。
自己奉仕的な(自分勝手な、自立的な)要素が少しでも残っていたなら、目覚めのプロセスの中に自分勝手な要素があったなら、目覚めは起こらないのです。

だから、あなたがまだ与えていない唯一のものは、何かを与える要求がされているとあなたに感じさせることである、と言うことも出来ます。
あなたがまだ与えていない唯一のものが、あなたに問題を与えており、その問題があなたに解決を探させており、その解決の探求が最終的に「あなたがまだ何かを与えていないことが問題なのだ」と発見することに導くのです。
そして「あなたはそれを与えるように求められている」がその答えです。

あなたは「上手く働く唯一のことをして、あなたの正気に帰って行くよう」求められているのです。
そしてそれはあなたの独立を放棄することなのです。
それは自己確定的権利(と見えているもの)を放棄することなのです。
責任者に成ろうとするあなたの試みを放棄するのです。
コントロールを手放し、それを「父よ、ここの真理は何ですか? 父よ、あなたの視点は何ですか? 」と訊ねる基盤にするのです。 何故なら、あなたの父の視点があなたの中であなたの視点として確立されているとあなたは聞いたのだから。 そしてあなたの中の父の視点を体験することで、あなたは自分の正気を取り戻すのです。

さて私は上記の文章のどこかで「(あなたが父の意志/視点に譲ることで)あなたの兄弟に正気が戻る」と言ったでしょうか? あなたの宇宙に秩序が戻ると言ったでしょうか?
いいえ、私はそうは言いませんでした。
では(あなたが神からの独立を取り消した時に)何が起こるか教えましょう。
そして万が一これが瞬間的に起こらなかった場合は、あなたの兄弟姉妹が(あなたがしたように)より容易に譲れるようになる環境が与えられるのです。

あなたが孤児院(または孤児達が参加してる議院/連邦国、孤児的マインド内のコミュニティ組織)内のパートナーシップ(関わり/約束)を放棄したなら、あなたはそこから自分のエネルギーを引き抜き、その孤児院内/議員内/連邦国内に残された者達が自分達の孤児院を保つことはより難しくなります。
それは、その時もはやあなたが人工的な一体/合一/一緒の概念を彼等(孤児院内に残っている人達)に強いてはいないからです。

[Only what YOU have not given can be lacking in ANY situation.]
[どの状況であれ、あなたが与えていないものだけがその状況内で不足し得るのです。]

そしてあなたが与えずにおくことが出来ることは一つだけです。
それはあなたとあなたの父の合一(あなたがあなたの父と繋がり一つに成ること)です。
それはあなたが精霊(それはあなたの正しいマインドに過ぎません)に献身して従うことなのです。

[Only what YOU have not given can be lacking in ANY situation.]
[どの状況であれ、あなたが与えていないものだけがその状況内で不足し得るのです。]

これは世界最高の「騙し」を行い、極上の操作を兄弟姉妹のマインドに対して行なって何か良きことを引き出すことではありません。
しかしあなたがとてもパーフェクトで美しく、とても絶妙な操作をしたので、それが兄弟姉妹の注意をすり抜けて行き、兄弟姉妹はそれには気付かず、それでも彼等はそれに影響され彼等に「アハ!」と霊感体験がもたらされ...

イイエ! チョッと待って。 下記の文章はそのようなことを言っているのではないのです。

[Only what YOU have not given can be lacking in ANY situation.]
[どの状況であれ、あなたが与えていないものだけがその状況内で不足し得るのです。]

何故なら、私が今説明したことはあなた達が今まで散々やって来たことなのです。
それはあなた達が今現在していることのなのです。

[Only what YOU have not given can be lacking in ANY situation.]
[どの状況であれ、あなたが与えていないものだけがその状況内で不足し得るのです。]

あなたがどのような状況に面していたにしろ、「あなたがその状況の中であなたの父と繋がること」があなたがそこに与えていなかった唯一のことなのです。
あなたはその状況に対して「父よ、この状況内の真理はなんですか?」と言うのではなく、あなたはその状況の中で「父よ、この状況内の真理はなんですか?」と言うべきなのです。
「私はあなた(父であり神であるあなた)と繋がって、今のその繋がりの動きの中で、あなたの視点と(そして創造者であるあなたの権威の結果として現われている物事の在り方と)完全に合致し従っている振舞いがしたいのです。」とあなたは言うべきなのです。
これがあなたが与えていないものなのです。
そしてこれだけがあなたに出来ることなのです。

もう一度読みましょう。
[Only what YOU have not given can be lacking in ANY situation. But remember this; the goal of holiness was set for your relationship, . .]
[どの状況であれ、あなたが与えていないものだけがその状況内で不足し得るのです。しかしこのことを覚えていてください: あなたの関係のために神聖のゴールが設定されており、]

なぜここでこのようなことが言われているのでしょう?
それは神聖のゴールがあなた個人の為に設定されていると考えてしまう傾向があるからです。
あなたが恩寵を受けて(私のように)アセンション/昇天して目覚めるために精霊のゴールが設定されていると考えてしまいがちなのです。

あたかも私がしたことが特別であって(そのようにして)あなたも特別に成ることが精霊のゴールであるかのように、私がしたことが何か私個人に関することであったかのように考えてしまいがちです(勿論そうではなかったのです)。
しかしそれ(私がしたこと)は「あなたは私よりも縛られはいない。あなたの自由を受け取りなさい」と(私が人々に)言ったギフトだったのです。
私は「あなたが私を見たなら、あなたは父を見たのです」と言ったのです。
“If you have seen me, you have seen the Father.” 2

つまりもし誰かがあなたを見たなら、その人は父を見たのです。 
私があなたを見ている時、私が父を見ていることを私は知っています。
しかし大抵の場合、兄弟姉妹を見ている時あなた達は父を見ていません。 あなた達は父以外のものを見ているのです。
(同胞を見ている時)あなた達は自分達の最上の判断(一番よく作られている裁き/一番抜け目ない評価)を見ているのです。
(同胞を見ている時あなたは)あなたを良く作り上げる(見栄えの良い孤児として見える)ように他者を操作しようとして裁き(評価/判断)を当て嵌めるのです。 (同胞を孤児的に見て)同胞の相互合意を取り付け同胞があなたを{神から離れた孤児として}評価してくれるよう(同胞を操ろうとするのです)。

[But remember this; the goal of holiness was set for your relationship, . .]
[しかしこのことを覚えていてください: あなたの関係のために神聖のゴールが設定されており、]

あなた個人のために神聖のゴールが設定されているのではなく、あなたの関係(あなたとあなたの兄弟姉妹の関係)のために神聖のゴールが設定されているのです。
それ(神聖のゴール)はあなた達両者が信心を持って聖なる瞬間の中で繋がることにより(父に)譲り、(あなた達の抜け目ない能力ではなく)父の視点で満たされることなのです。

[. . . remember this; the goal of holiness was set for your relationship, . .]
[しかしこのことを覚えていてください: あなたの関係のために神聖のゴールが設定されており...]

あなたがこれを自分一人だけですることは不可能なのです。
これはあなたが自分自身だけでするように出来てはいないのです。
これは(あなたが鏡の中の自分を見つめるのではなく)あなたの兄弟(姉妹)の目を見て神を思い出すことなのです。

[. . . was set for your relationship, and NOT by you.]
[あなたの関係のために神聖のゴールが設定されており、それはあなたによって設定されたのではないのです。]

ゴールはすでにそこに在るのです。
ゴールはあなたの関係のためにすでに設立されているのですが、それはあなたが設立したものではないのです。
あなたが不信心を実践している間、あなたが独立的境地から存在している時、(あなたの)ゴールはあなたにより設定されているのです。 そして他の人々のゴールも彼等自身によって設定されているのです。
これが意味することは、{あなたが聖なる瞬間内に居ない時}あなたは他の人々が(それぞれの怖れや罪悪や価値観に基づいて)設定している様々なゴールに直面しているということです。
人々は自分達の(孤児的)存在感を高めるために、彼等が(神から離れた孤児としての)価値を持っていると信じてもらうために、あなたを(あなたの孤児的合意を)必要としているのです。

これが普通の日常生活ですね。
そしてこのような生活は目覚めをもたらしていません。 しかし目覚めがあなたの生得権(持って生まれた当然の権利)なのです。
そしてわたし達は目覚めに関して話しています。だからあなた達は今まで自分達でしてこなかった事をし始める必要があるのです。
だからあなたが今までして来なかった事が、あなたがこれからしなくてはならない事で、それはあなた達が自分達で作り上げなかったルールに従うことなので。
それはあなたが自分を謙虚にして「父よ、私の意志ではなく、あなたの意志がなされますように。」と言った時に自然に楽々と起こる「あなたが自分で作り上げなかったゴール」に従うことなのです。

「あなた(神)の意志がジョーやメアリーの上に起こりますように。それが彼等を正しますように。」と言うのではなく「あなたの意志が私の中でなされますように。」と言うのです。
「あなたの意志が行なわれますように。 私の意志が『あなたの意志が私を統治し、あなたの意志を私が尊重出来るようにする視点/視界を私に与える』ことを許可出来るようにしてください。 あなたの視点はとてもインスピレーションに満ちていて、あなたの意志が瞬間的に私から流れ出すのです。何故なら、あなたのインスピレーションは余りに素晴らしくて私はそれを押さえつけて置けないから。これが私の求めているものです。これが私が今まで状況内に(この孤児院内に)与えてこなかったことです。わたしは今これを状況内に持ち込みたいのです。」(というべきなのです。)

[You did not set it . . .]
[だからあなたがこのゴールを設定したのではないのです。]

[ . . . because holiness cannot be seen EXCEPT through faith, . .]
[神聖は信心を通してだけ見えるものなので、]

わたし達は信心と不信心の違いに関して話しています。
信心は「父よ、ここの真理は何ですか?」と訊ねてあなたの父と繋がる行為です。 
「父よ、私は私自身のやり方で行ないたいです。父よ、私は自分自身で全てを定義したいです。」と言って「その枠組み(あなた達が自分達で定義した枠組み)の上に自分達が存在していると想像すること」が不信心を意識的に実践することなのです。
だからあなたは、あなたの{聖なる}関係のゴールは設定しなかったのです。

[You did not set it because holiness cannot be seen EXCEPT through faith, . .]
[神聖は信心を通してだけ見えるものなので、. . . だからあなたがこのゴールを設定したのではないのです。]

上記の文章は、神聖は繋がることを通してしか見えない、と言っているのです。
これがどれだけシンプルかわかり始めましたか? これは(行なっているか行なっていないか)白黒ハッキリしたことなのです。 (譲り繋がることが)されているかされていないか、二つに一つなのです。 

[You did not set it because holiness cannot be seen EXCEPT through faith, and your relationship was not holy was not holy BECAUSE your faith in one another was so limited . . .]
[神聖は信心を通してだけ見えるものなので、そしてあなた達のお互いに対する信心はとても乏しく限られたものなので、あなたの関係は神聖なるものではなかったのです。だからあなたがこのゴールを設定したのではないのです。]

あなたと全ての者/物/事の関係は神聖ではなかったのです。
[そしてあなた達のお互いに対する信心は、]
あなたからもう一人の人への信心(信頼)は、 
家に居る人、道に居る人、町に居る人、州に居る人、国に居る人、地球に居る人へのあなたの信心はとても乏しく、あなたと兄弟姉妹へのリンクはかすかなものなのです。
何故なら、あなたの兄弟への信心は「あなたの最上の判断(評価)/お気に入りの論理」などに根付いているものなのだから。
だからあなた達のお互いへの信心(信頼)は、父(との繋がり)から断ち切られているものなのです。
父があなたの中に現れることが、リアルなもの/ことに対する信心を照らし出し、あなたにインスピレーションを与えて、あなたが信心と共に行動出来るようにするのです。
信心は、あなたが兄弟姉妹に対して使えるような道具ではなく、愛の現われの振舞いなのです。
「愛の現れ」はそれが愛である故に愛を行なうもので、それ(愛)が達成出来ること故に何かを行なうのではないのです。

[You did not set it . . the goal . . because holiness cannot be seen EXCEPT through faith, ... through being joined. . . and your relationship was not holy BECAUSE your faith in one another was so limited and little.]
[神聖は信心{繋がること}を通してだけ見えるものなので、そしてあなた達のお互いに対する信心はとても乏しく限られたものなので、あなたの関係は神聖なるものではなかったのです。だからあなたがこのゴールを設定したのではないのです。]

(現時点での)あなた達の関係は、あなたが創造者と繋がった結果として兄弟姉妹の神聖をあなたに示すことによって、あなたの神聖をあなたに示したことではなかったのです。
全てのことの意味に関する、そしてあなたの兄弟姉妹の意味に関する、創造者と繋がることから来る理解と体験が要点なのです。 この体験と理解を得ることが信心の状態に居るということで、これが不信心の不在なのです。

[Your faith must grow to meet the goal that has been set.]
[設定されているゴールを達成する為にあなたの信心は大きく育つ必要があります。]

どのゴールでしょう?
あなたが設定しなかったゴールです。 一番大切なゴールです。
あなたの兄弟姉妹に対する無限の視界のゴールで、そこには必然的にあなたも含まれているのです。
そこに示されている無限の意識の中にあなたが取り残されることは在り得ません。

[Your faith must grow to meet the goal that has been set.]
[設定されているゴールを達成する為にあなたの信心は大きく育つ必要があります。]

(わたし達の)目的は(神聖の)ゴールを達成することなのです。

[The goal's reality will call this forth, . .]
[このゴールのリアリティが...求め呼び出すのです。]

あなたがこれ(信心が育つこと)を求め呼び出すわけではありません。 あなたが自分個人でしようとする全てのことはこれ(信心が育つこと)を全く呼び出さないのです。
しかし自分は(全ての物事がリアルに働いている成り立ちから)独立した存在であると主張しないことにより、あなたの信心は育つのです。 (あなたの関係のために)はじめから設定されているゴールが信心を呼び出すので、信心が育つのです。

[The goal's reality will call this forth, for you will see that peace and faith will not come separately.]
{あなたが作らなかったあなたが設定しなかった}[このゴールのリアリティがあなたの信心が育つことを求め呼び出すのです。何故ならあなたは平和と信心は常に一緒にやって来ることを見るのだから。]

あなたの存在の奥底から、平和と信心が常に一緒にやって来ることを感じるのです。
平和か信心のどちらか一つがもう片方を生み出すのです。 そしてあなたが平和と信心の両方を抱擁しなかったなら、両方とも得られないのです。

[What situation CAN you be in without faith, and remain faithful to each other?]
[どのような状況の中で信心を持たずにいて、お互いに対する信頼を保つことが出来るのでしょう?]

この答えは毎日です。 毎日の中で信心を持たなかったなら、お互いに対する信頼は保つことが出来ません。

[どのような状況の中で信心を持たずにいて、お互いに対する信頼を保つことが出来るのでしょう?]

つまり、繋がること無く居て、孤児院の中に居て、お互いに対して信頼を保つことが出来るでしょうか? 勿論出来ません。
何故なら、あなた達が多くの時間を過ごしている(神と)繋がっていない状態の不信心なアリーナ(領域)では、マインドの枠組みが怖れと罪悪に支配されている領域では、全く何事も「それそのもの」として知覚することが出来ないのです。
そしてあなたが自分の源との繋がり(グラウンディング)を失っているので、あなたが独立の自由落下状態を楽しんでいるので、あなたは全てのもの/ことの中に危険を見るのです。 あなたは生活(存在)することを防御し続けることとして体験するのです。

[What situation CAN you be in without faith, and remain faithful to each other?]
[どのような状況の中で信心を持たずにいて、お互いに対する信頼を保つことが出来るのでしょう?]

あなた達は自分達を防御することに忙し過ぎて、お互いに対して信頼を保つこと(信心を与え合うこと)が出来ないのです。

[Every situation in which you find yourself is but a means to meet the purpose set for your relationship.]
[あなたの全ての状況は、あなたの関係の目的を満たす為の方法でしかないのです。]

これがリアルな(本当の)目的なのです。
[あなたの全ての状況は]あなたが現在その中に存在している天国で、しかしあなたはそれを天国としては見ていません。 が、しかしそれは[あなたの関係の目的を満たす為の方法でしかないのです。]
天国の全ては、リアリティの全ては、[あなたの関係の目的を満たす為の方法でしかないのです。]

全ての関係がそうなのです。神聖のゴールとは、あなたの関係の目的が満たされることなのです。
これが真理のゴールです。
平和のゴールは「父の視点に譲ること」から切っても切り離せないものです。
何故なら、あなたはあなたの最上の判断以上のものを、あなたの一番慣れ親しんだ性癖/思考プロセス以上のものを、欲しているのだから。

{今現在すでに天国の中にいる}[あなたの全ての状況は、あなたの関係の目的を満たす為の方法でしかないのです。]
あなたの関係の目的は、父により設定されており、物事が働く在り様によって設定されているのです。

[See it as something else, and you ARE faithless.]
[それ以外のものとしてあなたの関係を見たなら、あなたはその時不信心なのです(神に信頼を与えていないのです)。]

わかりますか? それ以外(天国以外)のものとして(あなたの関係を)見るには、あなたはあなた自身を父から離縁しなくてはならず、神があなたの中にあなたとして設定した神の視点からあなた自身を切り離す必要があるのです。 {これをあなたはし続けているのです。}
あなたがしているこのこと(父から離縁し続けること)を放棄しなくてはいけないのです。
だから、

[See it as something else, and you ARE faithless. Use not your faithlessness.]
[それ以外のものとしてあなたの関係を見たなら、あなたはその時不信心なのです(神に信頼を与えていないのです)。あなたの不信心(疑う心)を使うのは止めなさい。]

だから信心を選択しなさい。
次のことを自分に思い出させなさい。
「私は不信心を実践する必要はない。私はそうしない自由を何時でも持っていた。しかし私は不信心を使うよう奨励されていた。そして不信心を使うことから沢山の興奮を得ていた。そして私は自分に対して酷い問題も作って来た。私は自由落下し続ける怖れと危険のフィーリングを愛してきた。」
しかし、

[Use not your faithlessness. Let it enter and look upon it calmly, but do not USE it.]
[あなたの不信心(疑う心)を使うのは止めなさい。それを自分の中に受け取り、静かに眺めてみなさい。 しかし疑いを使うのは止めなさい。]

不信心が起こったなら、それにただ気付きなさい。
例えばあなたが瞑想していて、マントラなどを唱えていて、思考が起こったとします。
あなたはこの思考のことは忘れて「うん、これは後でも出来る。」と言ってマントラに戻るのです。
これだけシンプルなのです。 その時思考する必要はないのです。

[Faithlessness is the servant of illusion, and wholly faithful to its master.]
[不信心は幻想の召使であって、その主人の(幻想の)忠実なしもべなのです。]

不信心とは何でしょう?
不信心とはあなたが自分の源と繋がっていない状態のことです。 あなたの父/母を意識的に無視して、(独立/個人的力/自己向上などと呼ばれている)とても空想的な生活を意識的に実践することです。 (特に、他者の不利益の上にこれを行なうことが不信心の最たるものです。)

[Faithlessness is the servant of illusion, and wholly faithful to its master. Use it, and it will carry you straight to illusions. ]
[不信心は幻想の召使であって、その主人の(幻想の)忠実な僕なのです。不信心を使ったなら、それはあなたを幻想に直接導くことでしょう。]

あるいはあなたがすでに体験している幻想を保ってしまうのです。
そしてあなたは自分の同胞達を精子と卵子が繋がった結果として見続けてしまうのです。
あなたは彼等のことを、(良く育てられた/不当に扱われてきた/ダメージを受けた/健康な)マインドのプロセス(思考の集まり) として見るのです。
あなたは他者のことを(様々な記憶をもとに行動して)人々に困難をもたらす振舞いをしている生命体として見てしまうのです。
これが幻想です。


[Faithlessness is the servant of illusion and wholly faithful to its master. Use it, and it will carry you straight to illusions. Be tempted not by what it offers you. It interferes, not with the goal, but with the value of the goal to YOU.]
[不信心は幻想の召使であって、その主人の(幻想の)忠実な僕なのです。不信心を使ったなら、それはあなたを幻想に直接導くことでしょう。それ(不信心)があなたに与えようとしているものに誘惑されるのは止めなさい。それは(ゴールに対して邪魔するのではなく)あなたがゴールに与えている価値に障害を与えるのです。]

わかりますか?
あなたは概念に捕らわれてしまうのです。 概念はナンセンス(無意味)なのですが、あなたにはとても重要で有効に思えるのです。 無意味な概念が重要視されている一例は、...例えば政府などですね。
これ(あなたがこだわっている概念)が(ゴールの邪魔ではなく)あなたにとってのゴールの価値の邪魔をするのです。
あなたは気に入っている論理や、自分のバイアス(偏見)や、自分のプランに捕われてしまいます。 しかしそれらは上手く働きません。
そしてこれらに関わっている課程で、ゴールの価値があなたにとって何なのかあなたは考えなくなってしまうのです。 
あなたはレミング(集団自殺をするといわれてる動物)のように海に飛び込んでしまうのです。他の皆がそうしているから、皆と一緒にそうすることが気持ちよく感じられたから。
{ACIM文と説明文の関係が不明瞭ですが、「不信心があなたに与えようとしているもの=無意味な概念」という説明に聞えます。 「不信心を使ったなら、あなたは無意味な概念に捕らわれはじめ、ゴール(目的)の価値を見失ってしまう」と言っているようです。}

[Be tempted not by what it offers you. It interferes, not with the goal, but with the value of the goal to YOU.]
[それがあなたに与えようとしているものに誘惑されるのは止めなさい。それは(ゴールに対して邪魔するのではなく)あなたがゴールに与えている価値に障害を与えるのです。]

これは(誘惑を退けることは)ソール(魂)を失うことのように感じられてしまうでしょう。何故ならあなたは(独立のスリルの)絵から抜け落ちるのだから。 あなたが尊んでいるもの{あなたの独立独尊}が絵の中から抜け落ちるのだから。

[Accept not the illusion of peace it offers, but look upon its offering and recognize it IS illusion.]
[不信心が捧げている幻想の平和を受け取るのは止めなさい。その捧げものを見据えて、それが幻想であると認識しなさい。]

あなたは一日中、自分の父と繋がることを自分自身に思い出させ続けることが出来ます。
あなたはアラームを掛けて、それが鳴る度「うん、今私は繋がっていない。早速繋がろう。」と言えるのです。
そしてまた少し経ったらアラームが鳴って、あなたは「うん、私は繋がっている必要があるんだ。 もう一度繋がろう。」と言えるのです。

これは良い練習/習慣です。
そして繋がることが起こった時の体験に注意し欲しいのです。 何故なら、そこであなたの聖なる誠実/統合性(integrity)があなたに照らし出され、それをあなたが感じられるように成るのだから。これに注意を払ってください。
何故ならこの方が(あなたの存在の誠実、あなたの神聖の感覚/体験/統合性の方が)アラーム音よりも重要で、この方があなたにとって価値があるから。
この体験/感覚が譲り繋がり続けることを容易にし、アラームを不要にするのだから。

状況を克服しようとすることは、(余り優れていない/モラルのない)あなたの敵/相手/兄弟を克服することは、彼等を正すことは、あなたが平和を感じられるように彼等が振舞えるようにしようとすることは(不信心の状態なのです)。
いままで通りの振舞いを続けなくても良いと彼等に本当に理解させて、何故そのような振舞いをしなく良いか彼等が感じられるようにしたならあなたの心配が減るから、 そうなればあなたはもう彼等を調教しなくても良くなるので(自分の平和を保つために)調整/管理することが減るから(という風に状況や人物を克服しようとすることが不信心なのです)。

不信心の中であなたは上記のように振舞っています。
信心の中であなたは、兄弟姉妹を操ってそこから自分の平和を得ようとはしないのです。
信心の中であなたは(あなたを向上させる)個人的技術として兄弟へ良きことをしようとはしないのです。 そうしようとすることが不信心なのです。これが不信心の実践なのです。
そして「そのように振舞おうとすること」があなたを忙しくし続けているのです。

何故なら、あなたがまだ与えていないことが一つあるのだから。
あなたはまだ「あなたのマインド」を父に与えて、父を思い出し、父を思い出したことによってあなた自身を思い出し、あなた自身を思い出すことによって兄弟を(兄弟の神聖を)思い出していないのです。
必要なのはこれだけです。 これが要点なのです。

[Accept not the illusion of peace it offers, but look upon its offering and recognize it IS illusion.]
[不信心が捧げている幻想の平和を受け取るのは止めなさい。その捧げものを見据えて、それが幻想であると認識しなさい。]

この認識が(アラーム音のように)あなたの注意をあなたの父にシフトさせるのです。
これは、あなたが静かな至福の中で座り込んで、継続されて行く全ての幻想に動かされなくなり、至福に満ちた状態に留まることが目的なのではないのです。
そうではなく、神である「(能動的な)存在の動き」(あなたはその目撃者/証言者なのです)とあなたが人生の中でより深く繋がり連結出来るように、信心の場所(繋がった場所)からこれをして、あなたの全ての行動/フィーリング/動きが真実をコミュニケートし伝えるように(なることが目的なのです)。

わたし達が今回カバーした箇所を読み直してみてください。
そして「外に飛び出して、世界を真理で正しなさい」あるいは「外に出てアレコレをして今すぐに目覚めなさい。」というような指示を私が出さなかったからといって落胆しないでください。

これ(わたし達が話した気付き)と共に静かに居てください。 何故なら二つのステップを実践することは、聖なる瞬間を実行することは、自己意志の主張(willfulness)がない時だけ「働く」ものなのだから。
それは譲る意志(willingness)がある時だけ、今まで不足していたものをあなたが与えた時だけ、それは上手く行くのです。 どのような状況でも、あなたが与えていないものだけが不足しているのです。

これを静かに見てください。これを真摯に見てください。 これを見てください。
これが人生から逃避する方法ではなく、現在起こっている事態からエスケープすることでもないと気付いてください。
これは『「今現在起こり続けている天国」を天国らしからぬ様相に見せているもの』から抜け出る方法なのです。
これは、酷い有様であなたを包んでしまっている場所、そこに捕らわれ続けることが「間違った選択がなされている場所」に戻ることよりも重要だと考える馬鹿らしさから歩き去る方法なのです。
これが「父よ、私は自分のやり方でしてみたいです、物事を自分の定義で限定したいです。とあなたが言っている場所」に戻る事よりも重要だと考える不条理から抜け出る方法なのです。

このようにしてあなたは信心に戻っていくのです。
だからこれを静かに優しく厳粛に考慮してください。
これと共に居て(煽り立てるような助言などを必要としていない)譲る意欲がある場所があなたの中に見つけられるように。
これはとても重要で有用なレッスンです。


A Course In Miracles (reference pages)
Chapter 17 – Section: THE NEED FOR FAITH
1 Sparkly Book – p.418, Last Par. / JCIM – p.175, 5th Full Par. / CIMS – p. 352, Par. 67
Chapter 17 – Section: SETTING THE GOAL
First Edition – p. 343, 2nd Full Par. / Second Edition – p.368, Par. 4
2John:14

「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはその様なものだから。 あなたと同等の方が既にこのギフトをあなたに差し出したので、これらの資料があなたに提示されています。 Raj の指示により、これらの資料が売買される事はありません。 この機関「Northwest Foundation for A Course In Miracles」へ募金される場合、下記のWEBサイトを通して行なうか、あるいは下記の住所に郵送して下さい。


A Course in Miracles Study Group with Raj, September 24th 2011
© by The Northwest Foundation for “A Course in Miracles” a non-profit corporation.
All rights reserved
PO Box 1490 / Kingston, WA 98346-1490 / USA
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
Website: http://www.nwffacim.org
E-Mail: paul@nwffacim.org

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

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