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ACIM11-11-05

2011年11月5日

変容、再生、贖い。
今晩はこの三つの言葉を考慮することから始めましょう。

コース(A Course in Miracles)を勉強している多くの人達は「目覚め」(「あなた自身のどの部分も最早真理から遠ざけていない」意識体験を持ち始めること)が再生/変容/贖いの動きだと考えていることでしょう。

しかしとても奇妙で変態的なエゴの理由/理屈によって、「人が自分自身と呼んでいるもの=マインド」に対してこれらの言葉(再生/変容/贖い)を適応することは許されていても、人の体や人の世界に対してこれらの言葉を適応することは許されていません。
すると(このように考えて振舞っていた結果として)あなたは、あなたのマインドの中では変容され再生し贖われる、ということなのでしょうか(ということをあなたは信じているのですか)?
しかし「このような(再生/変容/贖いは限られた個人的マインド内でしか起こらないという)概念は捨て去られなくてはならない」と私は長いこと言って来ました。

あなたの世界が再生され、変容され、贖われる必要があるのです。
今日これが世界の中で求められていることがあなた達にも見えています。
そして「ええ、行なわれなければならない事があります。不当なことは止められなくてはいけません。現在物事が行なわれている方法は変えられる必要があるのです。」とあなた達は言っていますね。

しかし、良いですか。
これらの(実際的な)ことはコースとは関係無いと思われしまっています。 何故なら「世界は幻想である」とコースには書いてあるのだから。 違いますか?
だから「ここ(世界の中)で何らかの状態を正すことは、目覚めること(あなたの正しいマインドに帰って行くこと)とは関係が無い」と考えられているようです。
もし世界を癒やすことが重要ではなく、目覚めることだけが最重要で、あなたのマインドがクリアに成り、真理と幻想に対してあなたがクリアに成り、そのプロセス上で世界が消滅するのであれば、これらのこと(世界の中で起こっている事柄)を修正しようとすることは無意味だと人は言ってしまうかもしれません。
「ギリシャやアフリカの問題とは関わり合う必要がない。 それらは崩壊するままに任せればよい! 何故なら、幻想は幻想として現れ、それらは倒れ去るがままにすれば良いのだから。」

しかしコース(ACIM)を言い訳にして、このような態度を取るべきではないのです。
コースには修正の呼びかけ(修正の必要、call for correction)に関して書いてあります。
コースは「全ては愛か、でなければ愛の呼び掛け(愛を求める声)である」と言っています。
世界の中で何かが起こっている時、あなたはそれが愛を求めている声ではないと言うのでしょうか?
そしてあなたはそれを(その愛を求めている声を)無視してしまうのでしょうか?
あなたの身体の全てがうまく機能していないように見えている時「これは愛を求めている声ではない、これは変容を必要とはしていない」とあなたは言うのでしょうか?
それは崩壊するままにしておけば良い、見かけ上崩壊するままにあなた自身を放っておけば良い、とあなたは言うのでしょうか?
もしそうする積りであれば、コースがそのようなことを正当化しているとは言わないで下さい。
自分がコースの生徒だから、そのようなことをしているのだとは言わないで下さい。

私はこれを冷静に優しい声で言っています。
しかし私がこれを叫んでいると思って聞いてください。
これをあなたに聞くことの出来る一番大切なこととして聞いてください。
私が言っていることを「今ここに対して変容をもたらす真理を告げていること」として聞いてください。

何が世界と宇宙を物質的なもの(material)にしているのでしょうか? {何が、物質的な宇宙/世界の体験を成立させているのでしょうか。}

世界を見て「父よ、私が見ている全ての真理は、あなたが創造した全ての真理は、何ですか?」と訊ねることをあなたが拒否していることが物理的世界を作っているのです。
『「私が見ている全ての真理は何ですか? あなた(神)はそれをどの様に体験していますか?」とあなたが父に訊ねていないこと』が物理的世界を成立させているのです。
「創造(私はそれを真に見ているか、そうでなければ曇りガラス(歪み)を通して見ています。)はあなた(神)の視点からはどの様に見えていますか? あなたが創造の中で体現している意味/意図からは世界(創造)はどの様に見えていますか?」{とあなたが父に訊ねていないことが物質的世界を構成しているのです。}

解りますか。 あなた達はこれを父/源に訊ねていないのです。
その結果として、あなたは父の視点/視界があなたに届くことを可能にするよう注意を(父に)与えることを怠っているのです。
「父はこれに関しては視点/視界(意図)など持っていない。これらは全て幻想なのです!」
{あなたはそう言ってしまっていませんか?}

あなたがそのような愛の無い概念を信じてしまい、そのような概念(父は世界に対する視点/意図は持っていないというような概念)に統治されてしまうことは、父の意志ではなく、私の意志ではなく、聖霊の意思でもありません。
あなたが苦しみに負けてしまって、「(苦しみが引き起こしている)全てに対する真実でない視点」を意識的に受け入れてしまうことは父の意志ではありません。

「あなたの注意を真理に当てられるようにすることが聖霊の目的である」とわたし達は言って来ました。

そして聖霊とはあなたの正しいマインドでしかなく、このあなたの正気(聖なるマインド、リアルなマインド)はあなたに真理を照らし示すことによりあなたを変え、あなたの視点を変え、あなたの意識/振舞いを変えようとするのです。

では何が真理なのでしょうか? 真理とは反論しようの無い明確な事実でしょうか。真理とは永遠に変化し得ない宣言/声明のようなものなのでしょうか? 真理とは情報なのでしょうか?
私は皆さんにこれを訊ねたいのです。

沢山の人達は上記のように(真理とは叡智という情報だと)考えています。
だから「父よ、ここの真理は何ですか? 聖霊よ、ここの真理は何ですか?」と訊ねなさいと私が言っている時、往々にしてあなた達は情報を求めなければいけないのだと考えてしまっています。 何か知的な(そして変化しない不滅な)シンボルや言葉や文字を求めてそれを得られなくてはならないと考えてしまっている人達がいます。
しかし真理はそのようなものよりも偉大なのです。 
考えてみてください。
神と同義語である(真理)が情報の欠片で在り得るでしょうか?

例えば「愛」という言葉を取り上げてみましょう。
愛は生気のないもの(動かないもの)ではありません。
愛は生きているものなのです。愛は動いているものです。愛は体現されるもの、表現されるもの、愛情として現れるものです。
愛は気遣いとして現われ、愛情の行動がそれに続きます。
だから愛とは生きているものなのです。

命はどうでしょう? 命も神のもう一つの同義語ですね。
生命が情報の欠片だと考えている人はいないでしょう。
生命とは生きて動いているダイナミックなものです。

真理はどうでしょう?  (わたし達が先週話したことよれば)真理とは情報の集まり以上のものです。 真理は生きているのです。
だからあなたが「父よ、ここの真理は何ですか?」と訊ねている時、あなたは自分の最上の判断を越えて聞くことを選択しており、「真理が何か」示される(暴露される)ことを求めているのです。
わたし達が先週話したように(ア・コース・イン・ミラクルズに書いてあるように)真理は(理屈や論理や知的プロセスを通してではなく、父の意志を暴き示すことにより)あなたを変えるアクティブな現れ(存在)に成るのです。
それぞれの瞬間に父が体現している全てのものの意味/意図をあなたに暴き示すことにより、真理はあなたを変容させるのです。
そして物事のリアリティを体験することは、神の創造の意図を体験することは、(あなたが抱擁したり拒否したり出来る)効果を持っているのです。
{あなたは神の意図の現われを受け入れることも出来るし、それを拒否することも出来るのです。}
もしあなたが神の意図/意志を抱擁したなら、それがあなたを変容するのです。
神の意図の働きとは、認識を通してマインドを変えさせる事なのです。
解りますか?

だから「父よ、ここの真理は何ですか?」とあなたが訊ねている時、真理を説明する言葉の羅列を待っていたなら、あなたは要点を取り逃がしてしまいます。あなたはそこで起こっていることの深さと幅(リアリティ)を見違えてしまいます。何故なら、「あらゆる物/事」に対する「神の意図」の豊潤さに対してあなたが無防備になった時、「あらゆる物/事」に対する「神の意図」の豊潤さこそがあなたに示される真理なのだから。
そしてこれがあなたを変えるのです。 あなたはそうして目覚めるのです。
そうしてあなたの正しいマインドが「あなた」としてあなたに届き始めるのです。

わたし達はすでに「マインドを使って何かを達成する為にあなた達のマインドが存在している訳ではないこと」を仔細に説明して来ました。
人間的状況(夢の世界)は、あなた達が自分達のマインドを使って物事を起こそうとした結果として発生しているのです。
「父よ、私は自分のやり方で見てみたいです。 父よ、私は自分でして見たいです。父よ、『全ての物事が何か』私は自分で決めてみたいです。 だから私はあなたから離縁して、自分だけで機能して、私のマインドを使って物事を発生させてみたいです。」 {と神の子が言った結果として、天国が物理的世界として働いてしまっているのです。}

そして次が興味深いことです。
あなたが自分で(神がそこに居ることから異なった)何かを起こそうとしている時、あなたは誤創造の行為をしているのです。
その時あなたは(すでに存在しており変えることは全く不可能な)創造を変えようと試みているのです。
その時あなたは「物事はこう起こるべきだ/物事はこのような意味を持つべきだ」とあなたが考えていることに従って物事を起こそうと試みることで精一杯なのです。

だからあなた自身のマインドを使って物事を起こそうとすることは、常に父の意志(神の視点/創造それ自身)に対抗し続ける行為なのです。

その結果が罪/病/死の生活なのです。その結果が苦しみの生活であり、苦しみを克服しようとしてエゴを満足させる行為なのです。その結果が自分自身で何かを達成する満足の高揚感を得よう、不可能なことを達成しよう、と試みることなのです。

「変容、再生、贖い。これらの言葉を覚えていなくてはいけません。これらの言葉を考慮してください。」と私が言っている時、「あなたのマインドを使って癒やしを発生させなさい。あなたのマインドを使って何かを起こしなさい。」と私が言っていると考えてしまうかもしれませんが、そのようなことをしても何も起こりません。
「何かを起こす」本当の方法は、あなたが物事の邪魔をするのを止めて「父よ、私に真理を示してください。 聖霊よ、ここの真理を私に示してください。」と言って、聖霊が真理をあなたに示すことを許可することなのです。

私が「変容/再生/贖い」という言葉を強調しているのは、「私の体は物理的なものだ。全ての人々の体は(最終的には)死ぬのだ...私の体は死ぬだろう。私は癒やしを期待することは出来ない。 私は年を取り続けている。また怪我をしてしまった。」などとあなた達が確信している事柄以外のことであなたのマインドを満たす必要があるからです。 
あなたが演じて(信じて)いる脚本以外のことをあなたのマインドの中に入れなくては成らないので、私は「変容/再生/贖い」という言葉を強調しているのです。
罪/病/死に対するあなたの確信(それらがあなたをコントロールしてしまっていること)から(あなたの生得権である変容/再生/贖いへと)あなたの注意をシフトさせる脚本をまだあなたは持っていないのです。
あなたを殺してしまう確信(とここでは言ってみましょう)以外の選択肢をあなたが持っていなければ、あなたは自由に成ることが出来ません。
だから変容/再生/贖いのことを忘れてしまってはいけないと私はあなたに言っているのです。
それらのことを(変容/再生/贖いが可能だと)思い出していれば、あなたに起こり得る最低のこと(そして物質的世界や物質的体が働く方法)に対するあなたの確信(それがなんであろうと)にチャレンジ(挑戦)することが可能になります。

これらの言葉を覚えておくことにより、何処にあなたの注意を払えば良いのでしょうか?
あなたのより優れた思考でしょうか?より優れたよりパワフルなアイディアでしょうか?
それとも「ここの真理は何ですか?」と父に訊ねることが可能なあなたの中の静寂でしょうか?
「この世界の中のここで私の生得権(持って生まれた当然の権利)を暴き示してください。」とあなたが聖霊に訊ねられる場所にあなたの注意を与えるべきなのです。

「私という個人(性)の見れる様子触れる様子(私の体、私の隣人、私の友達)の中に父が置いた意図を私に示してください。 私が彼等の真理を見られるように成り、それが『変容/再生/贖いが私に(友達に、恋人に、隣人に、私の世界に、私の隣国に)届く』グラウンドワーク(基礎工事)と成るように。」

あなた達は物質的世界(幻想)の中に居るので、あなた達は病気に成り罪を犯し死んでしまっているのです。
そしてだらしなく怠惰にマインドを使っているので、あなた達は真理ではない事柄を(それにチャレンジすることなく)受け入れてしまっているのです。

だから私は、「もう少し腹を括って、それらのこと(死/病/罪)にチャレンジしなさい(異を唱えなさい)。」と言っているのです。

それらを否定しなさい。リアルなものを否定するようにこれを行うのではなく、あなたのマインドを振り向かせ「父よ、聖霊よ、ここの真理は何ですか?」と言って自分の独立を放棄出来るように成りなさい。
「私は自分の間違ったネガティブな思考を使いません。私は(誰の得にも成らない)エゴの意地悪な性質は使いません。私はマインドのお喋りを閉じて、真理が私に示されるまで静かにしています。私のマインドを変える(そして体や世界に対する私の体験を変える)意図とパワーを持っている生きた真実が示されるまで私は静かにしています。{と言えるように成るべきなのです。}」
これが重要なことなのです。

[THE DREAM AND THE REALITY 1]
[夢とリアリティ]
[To substitute is to ACCEPT INSTEAD. If you would but consider exactly what this entails, you would perceive at once how much at variance this is with the goal the Holy Spirit has given you and would accomplish FOR you.]
[代用(substitute=取り替える)とは何かの代わりに他のものを受け入れることです。代用の全容を考慮してみたなら、これは聖霊のゴールから程遠いことが解るでしょう。 聖霊はあなた達にゴールを与え、そして聖霊があなた達の為にこのゴールを達成するのです。そして取り替えること(代用)は聖霊のゴールからは程遠いのです。]

これが重要なキーです。
これはあなたが達成することではないのです。
聖霊があなたの為にこれを達成することをあなたが許可するのです。
それは何故でしょう?
何故ならこれは、あなたが今まで行なってきた独立行動から離れるやり方だからです。
あなたは今まで何から独立しようとして来たのでしょうか?
父からの独立、あなたの神聖からの独立を、あなたは試みていたのです。
「父よ、私は自分自身でしたいです。私は(あなたの意志を見るのではなく)全ての意味を私自身で決めたいです。」と言った時あなたは何の代わりに何を受け入れたのでしょうか?
その時あなたは父の意志/意図の代わりに{神から分離し続けようとする}あなたの権威を受け入れたのです。

これはとても馬鹿げたことです。このようなことは不可能なのです。
これは実際には達成不可能なのですが、(これを試み続けている)あなた達は不調和と苦しみと奮闘の体験を作り出しており、それを乗り越えることが可能だという約束を信じているのです。 これ(父の意図から独立する試み)があなた達を突き動かしているのですが、これを実際に達成することは不可能なのです。
だから目覚めとは、あなたが父の意志の代わりに自分の意志と自分自身を代用し続けること(それが原罪であり唯一の間違いなのです)を放棄することなのです。 

[To substitute is to CHOOSE BETWEEN, renouncing one in favor of the other. For this special purpose, one is judged more valuable and the other is replaced by him. The relationship in which the substitution occurred is thus fragmented, and its purpose split accordingly.]
[取り替える(代用する)とは、どちらかを選ぶことです。 それは二つ(あるいは複数)を見比べ、片方がより好ましいとしてもう片方を否定することです。この特別な目的の為に、片方がより価値があると判断され、もう片方がそれ(より価値があると見なされた選択肢)で置き換えられるのです。このようにして「代用が行なわれている関係」はより細分されてしまい、その目的もこれにより分割されてしまうのです。]

この文章があなたと兄弟/同胞の関係に関して述べていると考えた場合、あなたは要点を取り違えてしまうので、注意してください。

[The relationship in which the substitution occurred is thus fragmented, . .]
[このようにして「代用が行なわれている関係」はより細分されてしまい、]

あなたと父の関係の間にこの代用が用いられているのです。
このようにして代用が行なわれている(父の意志があなたの意志で代用されている)関係をあなたは分離したものとして体験しているのです。
あなた達のお互いとの関係が安定し平和に成り神聖に成るには、この関係(父とあなたの関係)が修復される必要があるのです。

[The relationship in which the substitution occurred is thus fragmented, and its purpose split accordingly. To fragment is to exclude, and substitution is the strongest defense the ego has for separation.]
[このようにして「代用が行なわれている関係」はより細分されてしまい、その目的もこれにより分割されてしまうのです。細分化することは疎外することなのです。そしてエゴが分離を守るために使っている一番強い防御が代用(取り替えること)なのです。]

(あなたが父から離れたときに起こった)代用が唯一リアルな代用であることを忘れた場合、あなたは自分の全ての関係を見て、そこに不可能なことを見ている様に感じるのです。
つまり、神の真理に関してあなたの全ての兄弟姉妹と合意することは不可能に見えるのです。
しかしあなたが{第一に}するべきは、そのようなこと(真理に関する合意を兄弟姉妹と取り結ぼうとすること)では無いのです。

兄弟姉妹と繋がる前に、兄弟姉妹と(能動的に)関係を持つ前に、あなたは止まって聖なる瞬間を実行し、静かに成って自分の思考/理屈を止め、物事を自分で行なうあなたのパーソナルな能力を尊ぶことを止め、あなたの中の静寂に対して「父よ、ここの真理は何ですか?」と訊ねるべきなのです。
このようにして、あなたは自分が行なった唯一の間違ったステップ(「父よ、私は自分でやりたいです。」とあなたが言ったこと、これが全てを複雑に見せているのです)を解除するのです。

だから答えはとてもシンプルなのです。
答えは、自分自身で思考することを止めて、自分を静かにして、静けさに対して『聖霊よ、ここの真理は何ですか?』と訊ねることなのです。
「聖霊よ、私の正しマインドにしか過ぎないものよ、私に関する真理は何ですか? 私に関する真理を暴き示してください。そうすることがあなた(聖霊)の役目なのだから。そして生きている真理が私に届く(響く)ようにして下さい。
それが私を変えて、独立的存在に成ろうとしていた私の試みを解除し、その結果として私が体験していた全ての苦しみが消されて、そうなれば「兄弟の目を見て神を思い出すことが出来る」ポジジョンに私は置かれるでしょう。
こうして、兄弟に向かって私が差し伸べる(拡張する)祝福が私のために確保され、わたし達は一緒に癒やされるのです。」 これが唯一上手く働くことです。

癒やし、変容、再生、贖い。
この最後の言葉(贖い)が一番素晴らしい言葉です。
その意味は「何かをその原初の状態に復元する、初めの状態を取り戻す」ということです。

これ(原初の状態=無垢)が本当にあなたの生得権だとあなたは信じていますか?
「誰か他の人なら奇跡を得られることでしょう。 他の人なら素晴らしい癒やしが得られるかもしれません。 しかし私は罪を犯し過ぎた。私は十分な誠意は持てなかった。だから私はそれ(癒し)には値しない。」
このような脚本(台本)をあなたは書いてしまっているのです。

このような言葉が出始めたなら、直ちにこの口を(思考を)閉じて、お喋りが起こっていないあなたの静けさの中で「父よ、ここの真理は何ですか? 私が自信を持って信じていることを越えている真理は何なのですか?」と訊ねるのです。
「何が変容をもたらす真理なのでしょう? 何が贖いをもたらす真理なのでしょう?
真理をわたしのもとに来させて、私のマインドを変えてください。それが私の脚本を変えるでしょう。
古い脚本よりも優れた新しい脚本(独立的存在として私が使い続ける脚本)が与えられるのではなく、真理であるものを意識的に体験して、その体験の驚きによって{私には決して起こりえないと自信を持って奇跡を無視していた状態}から私が抜き出されるでしょう。」

[The Holy Spirit never uses substitutes.]
[聖霊は決して代用品をもちいません。]

もし聖霊が代用品{あなたの意志}を使ったなら、聖霊は神の代わりに「神に似ていない何か」を代用することに成ってしまいます。 神の代わりに「何か神から異なったもの」を使うことに成ってしまいます。
聖霊にはそのようなことは出来ません。 聖霊はあなたの正しいマインドなのです。
聖霊はあなたの正気で、あなたの父によってあなたの中に設立されているのです。
そしてあなたはエゴと共に(エゴを使って)これを日々無視しているのです。

しかし、
[The Holy Spirit never uses substitutes. Where the ego perceives one person as a replacement for another, . .]
[聖霊は決して代用品をもちいません。エゴは一人の人を他の人の代わりとして知覚認識していますが、]

あるいは、エゴは「一人の聖なる神の子」を父(源)の代わりとして知覚していますが...。

[Where the ego perceives one person as a replacement for another, the Holy Spirit sees them joined and indivisible. He does not judge between them, knowing they are one.]
[エゴは一人の人を他の人の代わりとして知覚認識していますが、聖霊は彼等を繋がって切り分けられないものとして認識しているのです。聖霊は人々がひとつだと知っており、人々の間に異なった判断を挟まないのです。]

しかし人々はこのようには考えたくないのです。
あなたにも自分達の仲間の一人として迎え入れたくは無い人が居ることでしょう。
それがあなたの脚本なのです。

しかし、
その人と一つに成りたくない兄弟(あなたが嫌っている兄弟)を誹謗することなく(その人に対して自分を防御的することを忘れて)、あえてその兄弟を見て「私の兄弟に関する真理は何ですか?どのようにすれば私は兄弟を見て(彼が行なった数々の酷いことではなく、彼が私と他の人々を傷つけたことではなく、彼が私を利用したことではなく)神を思い出すことが出来るのでしょうか?」と父か聖霊に訊ねることを思い出せなくてはいけないのです。

でも、あなたはそれらの不平を持ち彼を嫌っているのです。
自分の不平(反感/嫌悪感)を放棄出来るように成るまで、あなたは兄弟の眼の中に神を見ることが出来ないのです。 何故なら、あなたの不平の実践(誰かを嫌う行為/意識)があなたを正気に保っているとあなたは考えているから。 
この(不平/嫌悪感)の実践が「大いなる喜びをもたらす真理が見られない状態」にあなたを保ってしまうのです。
何故でしょう? それは(あなたが不平/嫌悪感を手放したなら)あなたは真理を見るだけでなく、あなた自身の正気があなたに戻される体験をするからです。{だからエゴはそれをしたがりません。}
(しかし、あなたがあえてそうしたなら)あなた達二人は一緒に喜ぶのです。
これが起こるべきことなのです。


もう一度読みましょう。
[The Holy Spirit never uses substitutes. Where the ego perceives one person as a replacement for another, the Holy Spirit sees them joined and indivisible. He does not judge between them, knowing they are one. Being united, they are one because they are the SAME.]
[聖霊は決して代用を行ないません。エゴは一人の人を他の人の代わりとして知覚認識していますが、聖霊は彼等を繋がって切り分けられないものとして認識しているのです。聖霊は人々がひとつだと知っており、人々の間に異なった判断を挟まないのです。人々は同じであり、人々はひとつに繋がっているのです。]

(人々は)全て同じで、彼等は神が表現されている状態なのです。

[Substitution is clearly a process in which they are perceived as different. One would unite; the other separate.]
[代用は人々の中に違いを認識しようとするプロセスなのです。聖霊のプロセスは合一(ひとつになること)をもたらし、代用のプロセスは分離をもたらします。]

上記の文章は何を言っているのでしょうか?
それはあなたが聞いている教師に依存しています。
もしあなたが聖霊を聞いていたなら、働き(機能)と目的と結果は「一つにすること、一緒にすること」なのです。

もしあなたがあなた自身(独立したあなたの自己=エゴ、それ自身の他には何も配慮せずに行動している存在)に訊ねていたなら、その時あなたは分離する(バラバラに切り離す)行為をしているのです。

だからここでも答えはシンプルで、白黒ハッキリしたものです。
あなたは自分自身だけで自分の為に思考しているか、そうでなければ、
あなたは父があなたに真理を示すことを許可しており、あなたが「そこで知っている」真理があなたの注意/意識/意図/判断を満たしているのです。
しかしこれはあなたの判断/判定ではないのです。
これは「父が自身の創造を計って(認識して)おり、それ(創造)を父自身の視点から理解していること」をあなたが見ていることなのです。

[Nothing can come between what God has joined and what the Holy Spirit sees as one.]
[神が繋げたものを(そして一つのものとして聖霊が見ているものを)分離することが出来る者は存在していません。]

そして聖霊とは、何かあなたの外にあるものではなく、あなたの外にある何かが、何か(他のもの)を一つのものとして見ている訳ではないのです。
聖霊はあなたの正気にしか過ぎず、それが全てを「ひとつ」として見ているのです。

「エゴとしてのあなた」をあなた自身に信頼させている(自分を自分自身として成り立たせているとあなたが考えている)個人的スキルやその他の全てを放棄して、真理/真実が何か?「他の何者」かに訊ね聞かなくてはならないと云うことは、とても屈辱的/侮辱的に思われるのです。

しかし(その時、聖なる瞬間の中で)あなたが聞き入っている者は、あなたの正気である聖霊に他ならないのです。
だから聖霊に聞き入ることは、あなたの自身を放棄することではなく、あなたの卑小な自己をより大きな「自己」のために放棄することなのです。
これにより全体が統合されることに成り、それ(統合された全体)をあなたのマインドの中に取り入れることを許せば、それは二度と(あなたのマインドを)去らないのです。
そして神の統合性(統一性/完全な状態)が、宇宙の統合性が、あなたの統合性(誠実/全体)と分離し得ないものとして体験されるのです。

これがコースの要点なのです。 今までわたし達が話して来たことが上記のことをもたらすのです。
(これは)あなたが十分無防備に成って真理をあなた自身に届かせ(響かせ)て、真理の生気(生きたエネルギー)の中であなたが真理の動きによって変えられることなのです。

これはあなたが大切にしているセルフコントロール(自己制御)やその他全てをコントロールする術を放棄して、(はじめの内はあなた自身とは見えない、しかし本当はあなたの正気でしかない)「何か他のもの」にあなた自身をコントロールさせることなのです。
だから「それ(聖霊/何か他のもの)」に譲ることがあなたの正気に譲ることなのです。
何故ならこれこそが、独立的に行動しようとしている意図の全てをあなたが放棄することなのだから。 そして(神から離れて)独立的に行動しようとしているあなたの意図が幻想体験を作っているのです。


これがコースの教えようとしていることの要点なのです。
コースは長大で様々なトピックをカバーしていますが、それら全ては、このことに収斂されるのです。

さて、ニュースを見ている時あなたは、「変えられるべきもの(変革されることを求めている呼び声)」を見ているのです。
殆どの場合、あなたは変化の呼び声(変化の必要)を感じているか、でなければ変化の呼び声(変化の必要を訴え掛けているメッセージ)を抑圧しているのです。
何故なら(あなたが変化の必要を感じているにしろ、感じていないにしろ)変化の必要は絶対にあるのだから。

何故わたしはこう言っているのでしょうか?
何故なら、今日コース(ACIM)のテキストを学び切ろうというゴールを持つことは、良いゴールではないからです。 何時の日であったにしろそれは良いゴールではありません。
コースが教えていることを実践することがゴールであるべきです。
そしてコースは、上手く働かないことを続けるのは止めて、上手く働くことを始めるよう教えているのです。
そしてこれはとてもシンプルなことなのだから、これを(達成不可能な程)複雑なプロセスにしてしまうのは止しなさい。

あなた自身の為に話す代わりに、「父よ、ここの真理は何ですか?」と訊ねて聞き続けなさい。何故なら、これが一番大切なことなのだから。
夢がリアリティに置き換えられることは、このようにして起こるのです。
そしてこれは難しいプロセスではないので、あなたはこれを今日することが出来るのです。

聖なる瞬間(二つのステップ)の実践は簡単です。
あなたが口/マインド/思考を閉じて、静けさの中で「父よ、ここの真理は何ですか?」と訊ねて、そして聞くのです。
そして(答えが)聞えるまで動かず待ち続ける意図を持っていなさい。聖なる瞬間を行なっているあなたの行動にシリアスネス(深刻さ/決意)が加わるように。

「アー、父よ、ここの真理は何ですか?」 ウ、ウーン... これ以上はもう待てない、自分で考えて行動しよう。 {というようでは駄目なのです}

もしかしたらあなたはその時、直ぐに行動しなくてはならない状況に在るのかもしれません。
しかし(そのような場合でも)全ての行動を父/聖霊(あなたの正気)との繋がりから発生させるあなたの意志が必要なのです。 何故なら、あなたはそのようにして目覚めるのだから。

そしてあなたが居る世界の中で、あなたは目覚めるのです。
あなたが住んでいる世界が、そしてあなたが体験している体が、変容/再生/贖いが起こる場所なのです。

そして良き知らせは、「これは複雑ではない」ということです。
世界の中で毎日これを実践する機会にあなた達が豊富に恵まれているということが、良き知らせです。

学者や「政府を良く理解している人々」でなくては(世界の中に)必要な変化が起こせないとあなたは考えているかも知れません。しかしそれは間違いです。
あなたが、あなたが、あなたが、あなたが、あなたが、あなたが、あなたが、あなたが変容を再生を贖いを可能にするアイディアを授かる人で在り得るのです。

神は、パズルのようにあなたに謎解きさせる為に創造を行った訳ではありません。
これは(目覚めることは)難しいことではないのです。
しかしあなたが自分一人で(聖霊の意志を借りずに、霊の流入を受け入れずに)この全てを理解しようとしたなら、それは今まであなたが体験して来た通りの体験で在り続けることでしょう。
でも(あなたの体験が)そのようである必要は無いのです。

変容/再生/贖いを考慮する(変容/再生/贖いを体験したいと求める)このプロセス内で、それを可能にしなさい。
つまり変容/再生/贖いのプロセス内であなたが受け持つ重要な役割を否定してしまわないようにしなさい。
変容される必要があるのは「悪い人達」ではなく、...
変容される必要があるのは「悪い人達」だけではなく、「良い人達(良いと思われている人達/自分は良い人だと思っている人)」も変容される必要があるのです。 あなた達が変容される必要があるのです。

だから世界がどれだけ酷い状況にあるか、どの様にまずい対処が行なわれているか、世界の統治がどれだけ強欲な者達によって行なわれているか、文句を言うのは止めなさい。
全てをトイレに流してしまおう(無に帰してしまおう)とするのは止めなさい。

(世界が変えよう無く酷い状態にあると)そのように考えることは、どの様な脚本なのでしょうか? この脚本を信じて、それに従って生きた場合、どのような確証が得られるのでしょうか?
この脚本の確証(結果)は、変容/再生/贖いとは見えないものに成るでしょう。
それは(この脚本に従って生きることは)混乱を更に酷くし、答えの啓示体験(答えが示される体験)からあなたのマインドをブロックして(締め出して)しまいます。

そして答えは複雑ではなく、難しくも無いのです。
答え(解決をもたらすもの)は「愛」です。
答えは常に、誰かが心遣いを与えて、隣人の目を見て神を思い出し、愛(人らしさ/親切/慈しみ)を表現することなのです(それが解決をもたらすのです)。

そうするのではなく(神を思い出すのではなく)、隣人が行なった悪い行いの全てを思い出し、あなたの生活や世界に対して行われた全ての悪しきこと(あなたや世界を縛っているもの)を思い出してしまっていては、それは殆ど抜け出すことが不可能な状況に成ってしまうのです。
これは何と酷い脚本でしょう!
あなたがどのような脚本を演じて(信じて)いるか、それに注意しなさい。

(あなたが信じている脚本を見直す必要があるのは)その脚本が物事を本当に起こしているからではなく、そのような脚本があなたに真理を思い出せなくしているからなのです。

あなたが天国と言い争うことを止めた途端、力(権威)を持って独立的に振舞う試みを全て放棄することによりあなたの神聖に逆らうことを止めた途端、神の真理があなたに届くのです。
何故なら、その時最早あなたは神の真理をブロック(無視)していないのだから。
これだけシンプルなことなのです。

だから世界中の人達は、「真理を見たい」と訊ねられる素晴らしく肥沃な土の上に立っているのです。
聖霊/父に訊ね聞くことにより、あなたが今居るそこで真理が暴き示されることを許可し、それ(真理)によりあなたは変化して、あなたは真理の明晰さ(ハッキリと示された真理)のもとに瞬間的に(突き動かされて)行動するのです。 そして(あなたがそのように訊ね聞きインスピレーションをもとに行動していることを見た)他の人達もインスピレーションを受けて「自分も同じようにしよう」と思えるように成るのです。

この章の主題である「夢とリアリティ」は、本の中のただ興味深い題材ではなく、これはあなたに関することなのです。 これは目覚めることを言っており、これは困難無く行なうことが可能なのです。

今週はこのことを忘れず実践してください。

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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プロフィール

翻訳 岡上

Author:翻訳 岡上
ACIM - A Course In Miracles

hiro.okaue@gmail.com

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