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ACIM12-02-05

先週読み終わった箇所から少し戻して読み続けましょう。

[The miracle of the holy instant lies in your willingness to let it be what it is. And in your willingness for this lies also your acceptance of yourself as YOU were meant to be.]
[聖なる瞬間の奇跡は(聖なる瞬間をそれそのままに存在させる)あなたの意欲に掛かっています。そして本来のあなた自身をあなたが受け入れることも、このこと(聖なる瞬間をそのまま保つこと)に対するあなたの意欲に掛かっているのです。]

シンプルなアイディアですが、人々はこれを複雑にしてしまっています。

[The miracle of the holy instant lies in your willingness to let it be what it is.]
[聖なる瞬間の奇跡は(聖なる瞬間をそれそのままに存在させる)あなたの意欲に掛かっています。]

下記の分部を強調しましょう。
[It(The miracle of the holy instant) lies in your willingness to let it be what it is.]
[それは奇跡/聖なる瞬間をそのままにさせるあなたの意欲に掛かっています。]

あなたはそれが何だかまだ知らないのです。だからあなたはまだ夢見ているのです。
だからまだあなたは天国の中の命を人間的状況/人生として体験しているのです。
「それが何だか自分では知らない」と認め「だからそれについて訊ねよう」とするあなたの決意こそが、聖霊の働きに任せるあなたの意欲なのです。
(特定のもの/ことに関して)それが何か訊ねている時あなたが全く推察/前提を持たず、「それがそれ自身に成ること」をあなたが許可し、そのプロセスの中で「それが何か?」あなたに示され、あなたは今まで自分が知らなかったことを学ぶのです。
だから聖なる瞬間の中に身を浸している時、あなたが自分の予断/予測を使って身構えてしまっては(自分で奇跡の準備を整えようとしてしまっては)駄目なのです。あなたはただ譲るのです。

[And in your willingness for this lies also your acceptance of yourself as YOU were meant to be.]
[そして本来のあなた自身をあなたが受け入れることも、このこと(聖なる瞬間をその真の姿のままにし続けること)に対するあなたの意欲に掛かっているのです。]

聖なるあなたは、「かく在れ」と神によって意図されている(運命付けられている)あなたは、「{神に、神聖に}注意を与える存在」なのです。
あなたは問題解決マシンではなく、知的な修正警官でもないのです。
あなたの役目/目的は、創造がそれ自身を「存在に対する意識体験/気付き」としてあなたに開き示すことを受け入れることなのです。 これは神の視点をあなたの中に満ちさせることなのです。 何故ならば神の視点こそがあなたの本当の視点なのだから。

良く考えてみれば、これは本来とてもシンプルなことなのです。
あなたが忙しく考えていたなら、あなたが一生懸命問題解決をしていたなら、自分自身のやり方を通そうとあなたが獅子奮迅していたなら、その時あなたは聞いてはいませんね?
その時あなたのマインドは静かになっておらず、あなたは注意を払っていない状態なのです。
注意を払っている状態と自己主張している状態の違いが、目覚めている状態と眠っている状態の違いに該当するのです。
これだけシンプルなことなのです。とても根源的なことなのです。


[. . . in your willingness for this lies also your acceptance of yourself as YOU were meant to be.]
[...「本来{意図されていた}あなた自身」をあなたが受け入れることも、このこと(聖なる瞬間をその真の姿のままにし続けること)に対するあなたの意欲に掛かっているのです。]

聖なる瞬間と口論するのではなく、コントロールの主権を取ろうとして戦うのではなく{あなた自身を}それそのままにさせるのです。
すると「あなたの人生の中から全ての意味が出て行ってしまったポジション(境地)」にあなたは連れて行かれます。
その時あなたは主張者/発起人の役割を手放したので「あなたがあなた自身に与えてきた全ての意味」が消えて無くなったのです。
これはエゴにとっては屈辱的なことです。
しかし抵抗せずにこれを抱擁したなら{受け入れたなら}、これが謙虚となるのです。そして下記に言われているように、これは無意味なことではないのです。

[Humility will never ask that you remain content with littleness.]
[謙虚とは、あなたが卑小さで満足してしまうことではありません。]
これ(謙虚)は無意味さや価値の無さはもたらさないのです。

[Humility will never ask that you remain content with [them]. But it DOES require that you be NOT content with less than greatness . . .]
[謙虚とは、あなたが卑小さで満足してしまうことではありません。謙虚とは、あなたが「...偉大さに満たないもの」では満足しないことなのです。]

もしこの文章だけで終っていたなら。これはあなたをとても満足させたことでしょう。そしてあなたは目覚めるチャンスをまた取り逃がしてしまったことでしょう。
しかし、下記が文章の全体なのです。

[Humility . . . DOES require that you be NOT content with less than greatness which comes not of you.]
[謙虚とは、あなたが「自身に由来している偉大さに満たないもの{己から来ている卑小なもの}」では満足しないことなのです。]

あなたは自分では開始しなかった/開発しなかった/創造しなかった(だから自分の業績として誇ることは出来ない)偉大さで満足出来るように成るべきなのです。 もう一度読みましょう。


[Humility will never ask that you remain content with littleness. But it DOES require that you be NOT content with less than greatness which comes not of you.]
[謙虚とは、あなたが卑小さで満足してしまうことではありません。謙虚とは、あなたが「自身に由来している偉大さに満たないもの」では満足しないことなのです。]

謙虚とは、(あなたが成就/満足がやって来る)あなたの生得権(持って生まれた当然の権利)とは、あなたが「自身に由来している偉大さに満たないもの」では満足しないことなのです。

「聖なる瞬間/二つのステップ/自分に目覚めをもたらすこと」に対するあなたの困難は「自分はそれには相応しくない」というあなたの固い確信から来ているのです。
(自分はそれに値しない)これがエゴの言うことなのです。
エゴはこのように言って「あなたにとってとても大切な何か」を放棄させようとするのです。
それはあなたにとって余りに重要なので、あなたは自分にウソをついて「自分は自分の成就(満たされる体験)には値しない、だから自分はそれを得られない。」と言うのです。これはとても病的なのです。

[Your difficulty with the holy instant arises from your fixed conviction that you are not worthy of it.]
[そしてこれは(自分が聖なる瞬間に値していないという思い込みは)「思い通りの自分に成りたい」というあなたの決心から来ているのです。]

聖なる瞬間は、実践的/実際的なもので、実践する価値のあることなのです。
自分はそれに(聖なる瞬間に)値しないというあなたの確信が、あなたの甲冑(防御)なのです。
それは「自分にとって大切だとあなたが考えている権威」を手放さずに済ませる方便なのです。それだけなのです。これはあなたが自分に言っているウソなのです。このウソがあなたを夢の中に保つのです。
そしてこれは「自分が思う通りの自分に成り続けようとする決意」以外の何ものでもないのです。
あなたは思考を使って、静かに成らないことによって、二つのステップを行なわないことによって、「二つのステップから発生することに相応しくない者」にあなた自身を作っているのです。
そして「二つのステップから発生すること」とは、真理へ目覚めること、あなたが誰か再発見すること、あなたの生得権を再発見し、ウソや反論を使ってあなたの生得権(あなたの本来の性質)に抵抗しなくなることによりそれ(あなたの生得権)を体現することなのです。

[God did not create His dwelling-place, to be unworthy of Him. And if you believe He cannot enter where He wills to be, you must be INTERFERING with His Will.]
[しかし神は自分に相応しくない住家を自分の為には創造しませんでした。{この神の住家があなたなのです。 訳注} 神が行こうとしている所に神が入れないとあなたが信じていた場合、その時あなたは神の意志を妨害しているに違いないのです。]

神の住家=あなたです。
神があなたの{意識の}中に入って来れないのは、あなたがそれに相応しくないからではなく、あなたが父の意志の邪魔をしているからなのです。 
あなたを正気に戻そうとしている/あなたが狂気に苛まれないようにしようとしている/あなた自身を神の子として明確に体験出来るようにしようとしている「父」の邪魔をあなたはしているのです。
「神の全てがパーフェクトに体現されている神の直接表現としてのあなた=神の子」を知らしめよう(現そう)とする父の意志が、あなたを「神が住まうに相応しい場所」にするのです。
そして神の住家はあなただけなのです。 神の住家は一つだけなのです。
神が自身を表現している場所があって、それは「あなた、あなた、あなた、あなた」と呼ばれているのです。 そして全ての人々が神の住家なのです。

[You do not need the strength of willingness to come from YOU, but only from HIS Will.]
[{聖霊に譲る}意欲(willingness)の力はあなたから来る必要はなく、神の意志だけから来る必要があるのです。]

ここが困難な箇所なのです。 何故ならば、あなたは自分でも参加したい(自分でコントロールしたい)と思ってしまうから。
あなたは自分もここで役目を果たさなくては成らないと考えてしまうのです。
独立存在としてのあなたの存在はあなたの知性/理論/能力/定義の周りに築かれており、だからあなたのような存在にとってはそれら(知性/理論/能力/定義)がノーマルで自然な行動であると感じられるのです。
だからあなたは目覚めのプロセス上でも、特定のステップを行なうことにより自身が目覚めの認証者/権威者に成り続けようとしてしまうのです。
つまりあなたは目覚めようとする意図を働かせようとしてしまう訳です。
このプロセスの中であなたは「自分の譲る意志の意義」や「自分の譲る意志がもたらすものに対する定義」を作り上げてしまうのです。
こうしてあなたは「自分で信じることが出来る何か良い定義」を{自分の意志に}与え、それを引き起こそうと努力するわけです。 こうして努力し続ける許可を自分に与えるのです。

しかしそうしている時あなたは自分のプランを遂行しているだけなのです。
二つのステップや神聖意識に関するあなた自身のアイディアを使っているだけなのです。
だからあなたは袋小路に留まってしまうのです。
その時あなたは訊ね聞いている(精霊に注意を与えている)状態に居ないので、あなたは自分の生得権が体験出来ない場所に留まってしまうのです。

[The holy instant does not come from your little willingness alone. It is always the result of your small willingness combined with the unlimited power of God’s Will. You have been wrong in thinking that it is needful to PREPARE yourself for Him. It is impossible to make arrogant preparations for holiness, and NOT believe that it is up to you to establish the conditions for peace. GOD has established them. They do not wait upon your willingness for what they are.]
[聖なる瞬間は、あなたの少しの意欲(聖霊に譲る意欲)だけから来ているものではありません。それは常にあなたの少しの意欲と神の意志の無限の力が融合したものなのです。(あなた自身を神の為に準備する必要があると考えていた)あなたは間違えていたのです。神聖の為の準備を傲慢に行ってしまったなら、あなた自身で平和の条件を設立する必要があると信じてしまわない訳にはいかなくなります。しかし神が平和の条件を設立したのです。 平和の条件は(それを自分で決めたいという)あなたの意欲によって左右されるものではありません。]

おお、何と侮辱的なことでしょう!
わたし達が前に進めば進む程あなたがするべきことは減って行き、あなたが自分の意志を通そうとしている時に、あなたが何かをなそうとしている時に、あなたが静かに成っていない時に、注意を与えるだけの者にあなたが成っていない時に、侮蔑的な表現が現れ始めるのです。
これは屈辱的なことで、あなたはそれを解っています。
そしてあなたが本当に真摯に父に意識を届けることを決めた時、父の意志と繋がることに対してあなたはそれ程居心地良く感じていないことが顕わに成るのです。
「私の意志ではなく、あなたの意志がなされますように。」と言うことは、自分の意志の執行を通して自分がリアルに成れると考えていた者にとっては屈辱的なのです。
その試みを放棄することは、あなたがリアルでは無くなってしまうことを意味しています。
これが怖いこと、侮辱的なことなのです。

[It is impossible to make arrogant preparations for holiness, and NOT believe that it is up to you to establish the conditions for peace. GOD has established them. They do not wait upon your willingness for what they are. Your willingness is needed only to make it possible to TEACH you what they are.]
[神聖の為の準備を傲慢に行ってしまったなら、あなた自身で平和の条件を設立する必要があると信じてしまわない訳にはいかなくなります。しかし神が平和の条件を設立したのです。 平和の条件は(それを自分で決めたいという)あなたの意欲によって左右されるものではありません。平和の条件を(聖霊が)あなたに教えることが出来るようにする為に、あなたの{譲る}意欲が必要なのです。]

これはとてもシンプルなのです。
あなたは思考する能力があるように見えています。あなたは論理的に考えて結論を引き出す能力があるように見えています。あなたはロジック/論理を使う能力を持っています。
論理そのものが無意味な訳ではありませんが、あなたは論理を使って無意味なことを成立させようとしているのです。
あなたの論理/思考/理由付けは全て「現在のあなたのものの見方(正義感/リアリティ/現実感覚)を越えている真理」を誰かがあなたに知らせている時に{その真理を無視するために}使われているのです。

あなたは聖書を読んでスピリチュアルなアイディアを抱きしめます。しかしそれらのアイディアはあなたの妥当性(常識)の中に取り込まれてしまうのです。
彼等(聖霊、あなたに真理を告げている人達)の目的は(関係の中であなたが学んだ理性が「神は愛である」とあなたに告げることにより)コントロールを自ら進んで放棄出来る時点にあなたを到達させることなのです。
それ(聖霊/真理)は「神があなたの源なのだ」とあなたに告げるのです。
それ(聖霊/真理)は「あなたが神と繋がった時、あなたは平和の内に居て(あなただけではなく全創造と全兄弟姉妹との関わり合いの中で)完全な成就(満たされること)が体験出来る場所に居るのです」とあなたに告げるのです。
これらのことが「父よ(そう言ってあなたは独立を手放します)、何がここの真理なのですか? 父よ、これに関するあなたの視点は何ですか?」と言えるようになる地点にあなたを導くのです。
『父よ、この人間的状況をその真の姿で見ているあなたは、これをどのように見ていますか? この人間的状況が本当は天国であり、私が本当に神の子であることをあなた(父)はどう見ていますか? 父よ、私は「コントロール/権威を必要とすること/権威を実行することから来るエゴの満足」を放棄し黙りましょう。 安堵の息をつきストレスを手放して、私の注意を(私の献身と共に)「あなた」に捧げましょう。そして(あなたの応え/答えが)聞こえるまで私は聞き続けましょう。私が「あなた」と繋がることを願うこの瞬間をあなたが待っていたことを私は知っているのだから。』
これが論理と思考と理性の正しい使い方なのです。

「父よ、あなたはこれをどのように見ていますか? 私の当然の権利(私の本来の性質)から来る体験を示してください。私の神聖を見せてください。」と言ってあなたが父と繋がった結果として「自分の正しいマインド/正気」に帰って行くことは「傷付くこと/脆弱になること」とは関係ないと考えられるようになる為に「論理/思考/理性」が存在しているのです。

[If you maintain you are unworthy of learning this, you are interfering with the lesson by believing that you can make the LEARNER different.]
[自分はこの学びには値しないと考えた場合、「自分が学習者を変えなければいけない」と信じることにより、あなたはこのレッスンの邪魔をしてしまうのです。]
あなたが学習者なのです。

[You did not make the learner, nor CAN you make him different.]
[しかしあなたは学習者を作ってはおらず、学習者を変えることも出来ないのです。]

学習者とは、「自分が誰か」あなたが本当には理解していない時に「自分はこれだ」とあなたが思っている人のことです。
学習者とは、自分が神の聖なる子供であることをあなたが知らない時に「自分としてあなたが理解している者」のことです。

[You did not make the learner, nor CAN you make him different. Would you first make a miracle yourself, and then expect one to be made FOR you?]
[しかしあなたは学習者を作ってはおらず、学習者を変えることも出来ないのです。あなたはまず最初にあなた自身から奇跡を作り出しておいて{何が奇跡か自分だけで定義して}、それからあなたの為に奇跡が作られることが期待出来ると考えていたのです。]

下記がシンプルなことです。
[YOU merely ask the question. The answer is GIVEN.]
[しかしあなたがただ「質問」を訊ねれば答えが与えられるのです。]
これがギフトなのです。

[Seek not to answer it, but merely RECEIVE the answer as it is given.]
[質問に{自ら}答えようとするのではなく、与えられた答えをそのまま受け取りなさい。]

しかしあなたは回答を自分自身で出そうとしてしまっているのです。
そして自分で正解を出そうとしていない場合でも、あなたは答えを訊ねた後で「どうして自分には答えが得られないか、どうして答えが欲しくないか、どうして答えを受け取りたくないか」言い募って自分を混乱させてしまうのです。
「ああ、そんなことに成ったら自分の人生は余りにも変わってしまう。まだやりたいことが沢山あるのに、今目覚めてしまえば、それらをやり残してしまう。 それをすること(訊ね聞く/譲ること)は自分を尊重することにならないので、そんなことは出来ない。 自尊心を失わなくてはこれをすることは出来ないから。緊急事態が発生しているから私はパーソナルな注意/評価を払う必要があるのです。座って静かに成って答えが何か訊ね聞けるようになる前に私はアレコレのことを処理しなくてはならないのです。」
しかし(聖霊からあなたに与えられる)答えはあなたの個人的努力の結果よりも格段に優れておりより迅速なのです。

[Seek not to answer it, but merely RECEIVE the answer as it is given.]
{あなたは自分で質問に答えようとしてしまう可能性が非常に高いのですが}[質問に答えようとするのではなく、与えられた答えをそのまま受け取りなさい。]

あなたは答えを知っていないことを憶えておいてください。
そして{父/聖霊から}あなたに与えられる答えは、今まで行ったことのない方向にあなたを導くのです。何故ならば、あなたがすでにその方向に行っているのであれば、あなたはすでに目覚めている筈なのだから。
だから目覚めのプロセスの中では「私の意志ではなく、あなた(神)の意志がなされますように」と言えるようになること以外に、あなたには何も有用なことは出来ないのです。
「父よ、私はあなたに寄り掛かり、あなたの腕/サポート/視界/洞察の中に休まること以外は何も導入しないことにします。」 

[In preparing for the holy instant, do not attempt to make yourself holy to be ready to receive it.]
[聖なる瞬間を準備するに当たっては、聖なる瞬間を受け取る為にあなた自身を神聖にしようと試みるのは止めなさい。]
これ(あなた自身を神聖にしようと試みること)がどれだけ馬鹿げたことか解りますか?

[In preparing for the holy instant, do not attempt to make yourself holy to be ready to receive it. That is but to confuse your role with God’s. Atonement cannot come to those who think that THEY must first atone, but only to those who offer it nothing more than simple willingness to make way for it.]
[聖なる瞬間を準備するに当たっては、聖なる瞬間を受け取る為にあなた自身を神聖にしようと試みるのは止めなさい。そのようなことをすれば、あなたの役割と聖霊の役割を取り違えることに成ってしまいます。アトーンメント(和解/贖罪)は「自分がまず初めに償わなければいけないと考えている人達」にはもたらされず、「アトーンメントの邪魔をしないようにシンプルに譲る意欲だけを捧げている人達」だけにもたらされるのです。]

アトーンメントがそれ自身を現してあなたを変えること(学習が起こること)に譲るのです。 何故なら、その時あなたは論理や概念や理由付けや否定を導入して学習の邪魔はしなかったのだから{だからその時学習が起こったのです}。
これ(アトーンメント/贖罪/和解)に関しては、これを呼び入れる以外にはあなたは何もする必要がないのです。 だからこれはシンプルなのです。
これ(聖なる瞬間/訊ね聞くこと)をしないで済ます為に一番よく使われている言い訳は「私には時間が無い。時間が足りないから私には静かにしている暇がありません。聞き続ける時間がありません」です。
そう言って自分で物事を解決しようとすることを探求しそれに失敗した後でやっとあなたは「座って静かに成らなくては、私には助けが必要だから」と言える境地になれるのです。
「あなた一人では出来ない。」つまり「この問題の解決に関しては私が自分で何かを行うことは出来ない。」ということなのです。
『父の関与が必要なのです。 「父の現れ」と「父を受け取る私の意欲」の中で解決するべき問題など存在していないことを私は見つけるでしょう。問題は消えてなくなってしまったのです。修正が起こったのです。』

浄化(清めること)とはあなたのマインドから思考/信念/概念/定義を掃除することだと考えたことがありますか?
「シンプルに注意を与えている状態とは相容れないこれらのこと(思考/概念/定義)」を取り去ることが{アトーンメントの前に必要な}浄化なのだと考えたことがありますか?

[Purification is of God alone, and therefore for you. Rather than seek to prepare yourself for Him, try to think thus:
"I who am host to God AM worthy of Him. He Who established His dwelling-place in me created it as He would have it be. It is not needful that I make it ready for Him, . .”]
[浄化は神だけがあなたの為にすることです。神の為にあなた自身を整えようとするのではなく次のように考えなさい。
“神のホストである(神を宿している)私はそれに相応しいのです。自身の住家を私の中に確立した神自身がそれ(神の住家=私のマインド)を自身の意志に従って創造しています。私がそれを神の為に整えることは必要ではありません。]

[“It is not needful that I make it ready for Him, But only that I do not interfere with His plan to restore to me my own awareness of my readiness, which is eternal. I need add nothing to His plan. But to receive it, I must be willing not to substitute my own in place of it."]

[”...私がそれを神の為に整えることは必要ではありません。{神の意志に譲ろうとする}私の意欲に対する私自身の気付き/意識(それは永遠なのです)を修復しようとしている神のプランの邪魔をしないことだけが私に求めれていることなのです。私は神のプランに何も付け加える必要はありません。神のプランをただ受け取って、神のプランを私自身のプランで取り替えよう(代用しよう)とはしなくなる必要があるのです。”]

これは美しくシンプルで、シンプルに美しいのです。
{あなたが父からの分離(原罪)を始めるにあたって}「父よ、{神であるあなたの見方ではなく}私は自分の見方で見てみたいです。父よ、{あなたのやり方ではなく}私のやり方でやってみたいです。」と言ったことを考慮すれば、上記の意味が解るでしょう。
目覚める為にはあなたはこれ(分離の宣言)を解除する必要があるのです。

[“I need add nothing to His plan. But to receive it, I must be willing not to substitute my own in place of it."]
[“...私は神のプランに何も付け加える必要はありません。神のプランをただ受け取って、神のプランを私自身のプランで取り替えよう(代用しよう)とはしなくなる必要があるのです。”]

問題は、人間的状況は、罪/病/死/苦しみは、あなたが父の意志を自分の意志で取り替えた(代用した)結果として起こっているのです。
これはとてもシンプルなのです。 だからその修正もシンプルなのです。
あなたが私の話を聞いたりACIMを学んだり他のスピリチュアルなものを学んだりして、そこで真理が示され、あなたは理性や思考や論理を使って「神の意志を自分の意志で取り替え続けようとしなくなるポイント」に到達出来るように成るのです。
そういう境地に立てた時あなたは故郷への道を歩んでいるのです。
その時あなたは幻想(実際には決して起こらなかった事の中にあなたが捕らわれていること)から出始めているのです。
天国が人間的状況に変換されたことは一度も無いのです。物理的宇宙/物質世界は一度も発生してはいないのです。
しかしあなた達はそれらの定義群を自分達で作り上げているので(それらがどれだけ間違っていても)、それらの定義を硬く信じており、自分達の存在(あり方)をそれらの定義に基づいて体験しているのです。 だからあなた達は道に迷っているのです。
だからあなた達には天国が見えておらず、あなた達は天国を間違って解釈しているのです。
しかしあなた達は{幻想、天国に対する誤解から}脱出しつつあります。
あなた達は自分の正気に帰りつつあります。

[“I need add nothing to His plan. But to receive it, I must be willing not to substitute my own in place of it."
And that is all.]
[”...私は神のプランに何も付け加える必要はありません。神のプランをただ受け取って、神のプランを私自身のプランで取り替えよう(代用しよう)とはしなくなる必要があるのです。”これで全てなのです。]
それで全てなのです。

[And that is all. Add more, and you will merely TAKE AWAY the little that is asked.]
[これで全てなのです。これ以外のものをあなたが付け加えようとしたなら、ここで求められている少しのもの{あなたの譲る意欲}が取り去られてしまうのです。]

何故なら、その時あなたは認証者/権威者に成ろうとするあり方に戻ってしまっており、自分一人で存在しようとする方向に戻ってしまっているから。
その時あなたは(本当は天国は決して変えられてはいないのですが)天国を人間的状況そして物質的世界として見せているマインドに戻ってしまっているのです。

[Remember you made guilt, and that your plan for the escape from guilt has been to bring Atonement TO it, and make salvation fearful.]
[思い出して下さい、あなたは罪悪を作ったのです。そして罪悪から逃れようとしているあなたのプランは、アトーンメント(和解/贖罪)を罪悪の下に持って行き救済を怖ろしいものにしてしまうのです。]

「あなた達が罪悪として作ったもの」に関してまだ言い争いたい(主張したい)人達がいることは私も知っています。
「父よ、私自身のやり方で見たいです。父よ、私はあなたから離縁したいです。お父さん、私はあなたから顔をそむけて、私自身だけに注意を与えることにしました。」とあなたが言った途端に二つのものが見え始めたのです。 この二つのものとは怖れと罪悪です。
父を放棄しよう(父から注意を離そう)というあなたの決断が、自分一人独立した存在に成ろうというあなたの決意が、怖れと罪悪を作ったのです。
これが(この決断をあなたがしたことが)実際に起こったこと(実際に起こっていること)なのです。

[Remember you made guilt, and that your plan for the escape from guilt has been to bring Atonement TO it, and make salvation fearful.]
[思い出して下さい、あなたは罪悪を作ったのです。そして罪悪から逃れようとしているあなたのプランは、アトーンメント(和解/贖罪)を罪悪の下に持って行き救済を怖ろしいものにしてしまうのです。]

それは何故でしょう?
あなたの幻想にアトーンメント(贖罪/解除)をもたらした場合、それはあなたの幻想を無効化させることになるからです。
それはあなたを無効化することになり、あなたはあなたが今直面していることを直視しなくてはならなくなるのです。 それはつまり「あなたが無意味になってしまう、あなたが二度と意味を持てなくなってしまう」という怖れなのです。
これがアトーンメントを怖ろしく見せているのです。しかしアトーンメントは本来怖ろしいことではないのです。

[And it is only fear that you will add, if you prepare YOURSELF for love.]
[そしてあなたが自分であなた自身を愛の為に整えようとした場合、あなたは怖れだけを付け加えてしまうのです。]

あなたが自分を整えよう(自分を準備しよう)としている時にあなたは「自分を聖なる瞬間の為に整えなければならない。自分を神聖の為に整えなければいけない。」と考えているのです。
しかし「あなた自身を愛の為に整えようとした場合、あなたは怖れだけを付け加えてしまうのです。」


「愛はインスピレーションを与え、照らし出し、道を示し導くのです。」
“Love inspires, illumines, designates and leads the way.”2
という美しい文章があります。

どうやったらあなたは自分を愛の為に整えられる(準備出来る)のでしょうか?
インスピレーションがあなたの中に入って来れるよう、愛が持って来るインスピレーションによってあなたが持ち上げられるよう、あなたは十分従順になり静かになる必要があるのです。
あなたは自分の為に(あなたを持ち上げる)インスピレーションを準備することは出来ないのです。あなたは愛の為に準備することは出来ないのです。
あなたに出来ることは静かになって招き入れることだけなのです。
愛はあなたに招待されることを待っています。
あなたが愛を受け入れた時、あなたはインスピレーションを感じるのです。
あなた達は全員「何らかの困難な状況/状態からあなたを引き上げる、そしてあなたを導き困難な状況からの脱出をサポートする(愛からもたらされた)インスピレーション」を体験したことがあるはずです。 (あなた一人だけで持ち得なかった)平和をもたらした愛のインスピレーションを受け取ったことがあるはずです。
愛の為に自分を整えよう(準備しよう)とした場合あなたは怖れだけを付け加えてしまうのです。だから{自分で自分を整えようとするのではなく}愛がインスピレーションを通してそれを(何が癒やしをもたらすかを)あなたに示すことを許可するべきなのです。

[The preparation for the holy instant belongs to Him Who gives it.]
[聖なる瞬間の準備は(聖なる瞬間をあなたに与える)彼/聖霊の役割なのです。]

聖霊=彼が、あなたから聖なる瞬間の準備を受け取るのではないのです。
だからあなたが聖なる瞬間を選択したなら、あなたに必要なのは「父は、聖なる瞬間の為にどのように私を整えるのだろう?」と楽しく好奇心を働かせることだけなのです。
自分を整えて聖なる瞬間の為の準備をしなくてはならないと考えることは、あなた自身を忙しくしてしまい「父があなたを整えること(あなたが静かになった時これが起こるのです)」を遅らせることにしかなりません。

[Release yourselves to Him Whose function is release.]
[(解放する役目を負っている)彼/聖霊に対してあなた達自身を解き放ちなさい。]

これもまた繰り返し言われていることですね。 自分でしようとするのは止めなさい、とここでも言われています。
あなたは自分で答えを作ることは出来ないのです。あなたは{自分の力で}答えを引き出すことは出来ないのです。今までとは全く違った在り方をあなたが自分で思いつく訳ではないのです。

しかしそれら全てを得る方法があるのです。
「ヘルプ!」あるいは「父よ、助けて下さい!」あるいは「父よ、道を示してください。父よ/聖霊よ/イエスよ、私に真理を示してください。」と言うことによってこれが可能になるのです。

[Release yourselves to Him Whose function is release. Do not assume His function for Him. Give Him but what He asks, that you may learn how little is your part, and how great is His.]
[(解放する役目を負っている)彼/聖霊に対してあなた達自身を解き放ちなさい。彼/聖霊の代わりに彼の役目を行なおうとするのは止めなさい。彼/聖霊が求めているものを彼(聖霊)に与え、あなたの役割がどれだけ小さなものか、そして彼(聖霊)の役割がどれだけ偉大なものか学びなさい。]

[It is this that makes the holy instant so easy and so natural. You make it difficult, because you insist [that] there must be more that you need do. And it is very hard for you to realize that it is not personally insulting that your contribution and the Holy Spirit’s are so extremely disproportionate. You are still convinced YOUR understanding is a powerful contribution to the truth, and makes it what it is. [And] Yet we have emphasized that you need understand nothing.]
[このことが聖なる瞬間をとても簡単でナチュラルにしているのです。「もっと自分でやることがあるに違いない」と固執することによりあなたがこれを難しくしているのです。とても沢山のものを受け取るために、とても少しのもの(譲る意志)を与える必要があるというアイディアを受け入れることはあなたには難しいのです。そしてあなたの貢献と聖霊の貢献にこれ程の差があることが、あなた個人に対する侮辱ではないと理解することはあなたにはとても難しいのです。あなたは今でも「自分の理解が真理へのパワフルな貢献で、自分の理解が真理を真理にしているのだ」と信じ切っているのです。わたし達はあなたは何も理解する必要がないことを強調し続けてきました。]

[Salvation is easy just BECAUSE it asks nothing that you cannot give RIGHT NOW.]
[救済は簡単なのです。 何故ならそれは今あなたに与えられること以外は何も求めていないのだから。]

しかし「現在あなたが手放したくないと思っていること」を手放すことが要求されるのです。それは{あなたにとっては}あなたを犠牲にすることであり、あなたの誠実を犠牲にすることなのです。

これは映画俳優のあなたが配役係のところに行って「どんな端役でもいいから私にください。」と言うのようなものです。 「群集の役でもいいから、少ししか映らない役でもいいですから。 私の存在が出来事に何かを付け加えられるようにしてくれませんか?」
しかし神に感謝すべきことには、それは(そのようなあなたの配役は)必要ないのです。あなたは映画の中に居る必要はないのです。
あなたは既に天国の中に居るので、あなたが天国の中で自分の居場所を求める必要はないのです。

だからあなたが人間的意志を黙らせて「父よ、ここの真実は何ですか?」と訊ねた時、真理が(あなたの準備によってではなく、あなたの想像によってではなく)父によってあなたに示されるのです。

天国の中の(不変で永遠なリアリティ内の)あなたの場所が啓示された(暴き示された)時、『あなたの「存在」の全ての意味深さ(意味深い体験)』は常にあなたのものであり続けており、二つのステップを真摯に行いあなたの意志/意図を放棄出来ないでいる間も、あなたがそれ(アリティ)以外のことを想像している間も、それ(あなたの意味/真理)はあなたのものであり続けているのです。

これは全く美しく、とてもシンプルで、しかしこれが不可能に見えているのです。

「でもね~、イエスさん、あなたの教えは二千十一年も存在して来たけれど、それはまだ起こっては居ないじゃないですか?」とあなたは言ってしまっているのです。

「あなた(イエスキリスト)の前にも偉大な教師達が居たけれども、それ(奇跡/救済)はまだ起こっていません。だから、このアイディアを私が受け入れることは全く理に適っておらず、私には不可能です。 他の人にとってもこれが可能だとは私には思えません。 今までにこれが一度も起こっていないなら、これが起こり得ると信じるどんな理由があるというのでしょうか?」

例えばもし(飛行機を発明した)ライト兄弟が「人が鳥のように空を飛んだことは過去一度もない。鳥は飛ぶように出来ているが人はそうではない。人が空を飛ぶことは不可能だ。」と言ったならどうだったでしょう。
彼等がそのような主張/論理を使ったとしたなら、「歴史が始って以来、人が存在し始めて以来、地上から飛び立った人は誰もいない。だからそれが今起こることも在り得ない。」{ライト兄弟がそう考えてしまったなら、彼等には飛行機は発明出来なかったでしょう。}

それ{過去一度も起こっていないように見えていること}が起こり得ると私は言っているのです。それが起こるべき時なのです。
あなたが自分のキチガイ染みた(ネガティブな)思考 にどれだけ確信と信心を与えているか見てみなさい。 「何が可能で何が不可能か」ということに対するあなたの思考を見てみなさい。
「何が可能であって何が可能ではないと(特定のことは可能で特定のことは不可能だと)」あなたに見せているのは、あなた達が信念/アイディア/誤解/そして真理の欠片を繋げている{その結果としてリアリティを想定している}そのやり方故なのです。
「あなた達がこれ程大きな確信/決意を与えているもの」への確信を放棄することによりあなたは解放されるのです。

「新しいテクノロージーに基づいた何か新しい機器が持てない理由など全くない」と多くの人々が考えており、そう主張しています。
「わたし達を地面から浮き上がらせる機械が存在出来ない理由はない。新しい発明を探求しない理由など存在していない。」
そして{そのように考えた人達は}大いなる意欲を持って新しい発明に取り組んでいるのです。
だからあなたも(ライト兄弟のように)今までまだ一度も起こっていないことを求めてください。 あなたの神聖を求めなさい。あなたの正気の体験を探求しなさい。
(あなたがすでにその中に居る)天国の体験を求めなさい。
あなたは既に天国の中に居て、しかしあなたはまだ天国を体験していないのです。
何故なら「物質や宇宙が働く法則に対するあなた達の定義群故に私が言っていることは真実では在り得ない」とあなた達は確信し切っているから{だからあなた達は天国をそれそのままに体験出来ていないのです}。
理屈/理由を言い募って自分達を敗北させてしまうのは止めなさい。勇気を持って探索/探求し、少しは過激に成ってみなさい。

[Forget not that it has been your decision to make everything that IS natural and easy for you impossible.]
[「自然で簡単なこと全てを自分にとって不可能にしようとしたこと」があなたの決断だったことを忘れないで下さい。]

これに気付くことが正気なのです。これがあなたを瞬間的に解放する真理なのです。これがとても役立つことなのです。

[Forget not that it has been your decision to make everything that IS natural and easy for you impossible. What you believe to be impossible will BE, if God so wills it, . .]
[「自然で簡単なこと全てを自分にとって不可能にしようとしたこと」があなたの決断だったことを忘れないで下さい。不可能だとあなたが信じたことは不可能に成るのです。神が「このようにあれ」と意図したことでも...]

何が正しくて何が正しくないかあなたが決めて、それを真実にすることは出来ないのですがしかし、
[What you believe to be impossible will BE, if God so wills it, but you will remain quite unaware of it. If you believe the holy instant is difficult for you, it is because you have become the arbiter of what is possible, and remain unwilling to give place to One Who KNOWS.]
[不可能だとあなたが信じたことは不可能に成るのです。神が「このようにあれ」と意図したことでも(それは不可能だとあなたが信じたなら)あなたはそれに対して全く無意識なままで、それには気付けないのです。もし「聖なる瞬間は自分にとっては難しい」とあなたが信じているなら、それはあなた自身が「何が可能か」判断する裁定者に成ってしまっており、「知っている者」に場所(認識)を与えないようにしようとしているからです。]

だから譲るのです。ギブアップして権威を放棄して注意が与えられるようになり、そして「何か他のもの」にあなたの注意/意識を満たさせるのです。 「あなた以外の何か」があなたの注意/意識を満たすのです。

[The whole belief in orders of difficulty in miracles is centered on this.]
[奇跡の難しさに違い(奇跡の難易度に違い)があるという信念の全ては、このこと(あなたが「知っている者」をその居るべき場所から排除し続けていること)から来ているのです。]

奇跡の難しさに違いがあるという信念は何処から来ているのでしょうか?
少し前に遡って読み返してみましょう。

[If you believe the holy instant is difficult for you, it is because you have become the arbiter of what is possible, and remain unwilling remain unwilling to give place to One Who KNOWS.]
[もし「聖なる瞬間は自分にとっては難しい」とあなたが信じているなら、それはあなた自身が「何が可能か」判断する裁定者に成ってしまっており、「知っている者」に場所(認識)を与えないようにしようとしているからです。]

あなたの父、あなたの正しいマインドにしか過ぎない聖霊、(私=イエスを含む)あなたのガイドが「知っている者」です。{この「知っている者(父/聖霊/ガイド)」をあなたは無視しているのです。}

[The whole belief in orders of difficulty in miracles is centered on this.]
[奇跡の難しさに違い(奇跡の難易度に違い)があるという信念の全ては、このこと(あなたが「知っている者」をその居るべき場所から排除し続けていること)から来ているのです。]

[. . . unwilling to give place to One Who KNOWS.]
[(あなたが「知っている者」をその居るべき場所から排除し続けていること)から来ているのです。]

「知っている者」をあなたが{自分の意識の中から}排除し続けようとしていることから来ているのです。
これが様々に異なった奇跡の難しさが見えている原因なのです。

[Everything God wills is not only possible, but has already HAPPENED. And that is why the past has gone. It NEVER happened in reality. ]
[神が意図していること全ては可能であるだけでなく、それらはすでに起こっているのです。だから過去は消え去っているのです。リアリティ内では過去は全く起こらなかった(起こっていない)のです。]

全ての幻想はリアリティ内では発生していません。 
「私には聖なる瞬間を実践する余裕がありません」とあなたに言わせている全ての問題は初めから起こってなどいないのです。 

[It NEVER happened in reality. Only in your minds, which thought it did, is its undoing needful.]
[リアリティ内では過去は全く起こらなかった(起こっていない)のです。あなた達のマインドの中だけから過去を解除することが求められているのです。(あなた達のマインドの中でだけ)あなた達のマインドは過去を行なったつもりでいるのです。]

つまり実際に起こったのは少しの誤解(取り違え)だったのです。
あなたは問題を見て「あの問題を解決するよう働きかけなくては」と言います。
しかし問題をリアルに見せている唯一の原因はあなたのマインド内の取り違えなのです。
だから問題を解決したり問題に対処したいと思ったなら、あなたはそれ(問題に対するコントロール)を手放して、(問題をリアルに見せている)取り違えと対処する必要があるのです。
それ(取り違え)が「自分のマインド内で起こっている取り違え(誤認識)と対処するよりも重要な問題」があるとあなたに思わせているのです。
しかし取り違え(誤認識)に対処することは聖なる瞬間によって達成されるのです。
これがシンプルで美しいことなのです。
そしてそれ故に(原因があなたの中の取り違えにあるということ故に)、これ(奇跡)は不可能に思われており、これに関するあなたの疑いが手放せないように思われているのです。
しかしあなたはあえて継続する必要があるのです。


Chapter 18 – Section: THE LITTLE WILLINGNESS
1 Sparkly Book – p.432, 2nd Full Par. / JCIM – p.180, 7th Full Par. / CIMS – p.364, Par. 34
First Edition – p. 355, 2nd Full Par. / Second Edition – p.381, Par. 3
2 Mary Baker Eddy


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A Course in Miracles Study Group with Raj, February 5th 2012
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