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ACIM12-02-18

この新しいセクションには(それぞれのACIMバージョンによって)異なるタイトルが与えられています。

[DREAMS AND THE BODY] or [BEYOND THE BODY1]
[夢と体] あるいは [体を越えて]

「体を越えて」というとあなたが体を越えて体を残して移動して行き、体が存在しなくなり、体が無に成って、体が無意味になるように聞えますね。
あなた達は死んで体の束縛を逃れることになると広く考えられているので、体を越えて行くことがよりスピリチュアルな考えだと思われているかもしれませんが、そうではないのです。

体とはあなた達が「形(フォーム)」と呼んでいるものです。
体とは私が「神のマインド内にあるアイディアの見える様子触れる様子」と呼んでいるものです。 体とは私が「創造を発生させている神の動きの可視性と可触性」と呼んでいるのです。

創造とは{神の}アイディアの触れる様子/見れる様子なのです。
天国とは創造の動きの(神のマインドの動きの)見れる触れる様子なのです。
創造の動きはあなたのマインドの上に書かれていきます。それは空間や時間の上に書かれているのではありません。それはあなたのマインドの中に書かれているのです。それはあなたの意識の中に照らされているのです。

「父よ、私は自分自身でしたいです。父よ、私自身で定義したいです。」とあなたが言う前までは、あなたは天国を体験していました。 あなたは父が創造したものなので、無限存在の意識体験として創造を体験していたのです。 そして父は父自身を全てあなたに与えているのです。 父は自身の全てのどの部分もあなたから遠ざけてはいないのです。
だからあなたの意識は神の無限のマインドと同じく無限なのです。
そしてあなたが父から離縁するまで、あなたの体験は意識的体験だったのです。あなたは全てを意識していたのです。
あなたは全てを「(スピリット/霊で構成されている)創造の見えて触れる様子」として体験していたのです。 あなたはそれを物質として体験しては居なかったのです。

「父よ、私はあなたの仕事を奪い取ることにしました。私自身が全てを定義する者に成ります。」と言ってあなた達が状況を逆転させて自分達自身で神に成ろうとするまではそうだったのです。

しかしあなた達がそう言って父から離縁した時、アイディアの実体としてのスピリットの体験が物質に成ったのです。 スピリットが(神の法に統治されていない、あなた達が独自に作り始めた物理法則に統治されている)物理的宇宙に成ったのです。 

この状態を止めることが我々のしようとしていることなのです。
その中で全ての形がスピリットであり全てが創造の結果であった「天国」の上にこのような解釈{物理的宇宙の定義}が被せられたのです。
既にパーフェクトであった天国の上に物理的宇宙という解釈が被せられたのです。
{天国の中では}全てのものは「父のマインドの現われ」だったのです。
そして神のマインドの無限の現れの直接表現である「あなた」は(狂気ではない)無限のマインドを持っていたのです。
そしてあなたは{真理を}把握し理解し感じ、あなたの中には真理(全てに対する真理)の意識が深く埋め込まれていたのです。
そして創造が起こっている場所が自分であることをあなたは理解していました。何故なら全てのアイディアが体験されているマインドがあなたなのだから。
そこには混乱がなかったのです。あなた達はそこに戻ろうとしているのです。

本を読みましょう。

[There is nothing outside you. That is what you must ultimately learn, for it is the realization that the Kingdom of Heaven is restored to you. For God created only this, and He did not depart from it, nor leave it separate from Himself.]
[あなたの外には何も在りません。これがあなたが最終的に学ばなければならないことです。 何故ならこの認識の上に天国{リアリティ}があなたの為に修復されるのだから。何故なら、神はこれ(全てを自分の中に内包しているあなた達=天国)だけを創造し、神はこれから離れず、神がこれを神自身から分離したことも無いのだから。]

神のマインドは動いて、神が動きを体験します。
そして神が動きを見てそれを「良きもの」と呼び、それを自分自身として認識します。
これが自己認識、全体、完全なのです。
この全体の中にあなた達は居たのです。 神の子の全てがそこに居たのです。

神はこれだけを創造し、神はこの創造から離れませんでした。
神はこれを変えませんでした。 神はこれにどのようなアレンジも加えず、これを自分自身から分離した異なったものにはしませんでした。 神はこれ(創造)を操ることが出来る「自分から分離したもの」として扱いませんでした。
彼(神)は自分が作ったものを見て。 見よ!それは真に真に良いものだったのです。それは彼自身だったのです。
彼(神)はその真理を体験したのです。しかし真理を操作はしませんでした。そのような必要は無かったのです。

真理は触れられ体験され、そして無限に永遠にエンジョイされるべきものなのです。
そして神はマインドの動きなので、創造は永遠に開き続けているのです。
そして創造の真理は神とあなたによって体験されているのです。何故なら神とあなたが(創造の全てと共に)「神の動き」なのだから。
そして創造の真理がそこで体験されるのです。
それを体験することがあなたの生得権(持って生まれた当然の権利)であり、あなたの責任であり義務なのです。

「これがあなたの任務/責任なのです」と私が言っていても、あなた達が(全てのことに対してあなた達が与えている、神の法とは異なった)定義を放棄し自分達の正しいマインドに帰って行くプロセスを行なっていない限り、これには意味がありません。
例え聖なる自分をあなたが無視していたとしても、それでもあなたは神聖なる存在なので、自分の正しいマインド(正気)を取り戻し「あなたの真理」と「全てに関する真理(何故ならあなたの外には何も無いのだから)」を体験することへの衝動と動機と責任をあなたは自分の中に持っているのです。 

動きの中の創造とは、
[The Kingdom of Heaven is the dwelling-place of the Son of God, who left not his Father, . .]
[天国とは(自分の父から離れなかった、父と離れて住んではいない)神の子の住家なのです。] 

人は父から離れているフリをしており、自分は父から離れているのだと自分に思いこませており、「天国/神が抱いているアイディア/スピリットで出来ているもの」を(生命と愛の永遠の性質を持っていない「物理/物体の性質」{罪/病/死}によって統治されている)物質的宇宙として見る権利の為に戦う積りでいるのです。 

[The Kingdom of Heaven is the dwelling-place of the Son of God, who left not his Father, and dwells not apart from Him.]
[天国とは(自分の父から離れなかった、父と離れて住んではいない)神の子の住処なのです。] 
人は自分の想像の中でだけ父から離れているのです。

[Heaven is not a place nor a condition.]
[天国とは場所ではなく、条件/状況でもないのです。]

天国は時間でも空間でもないのです。
(しかしより重要なことは)天国は場所ではないのですが、それはあなたが何処かの場所に居て何かを体験している時にそこが天国ではないという意味ではないのです。
それ(あなたが天国以外の場所に居て天国以外を体験している積りでいること)はある種の幻想なのです。
いや...、それは(天国を独立的に見て、自分達で天国に対する定義を作り上げることに固執することによって)天国に対してあなた達が与えているバイアス(歪み)が幻想なのです。
これが天国を天国とは異なって見せており、天国とは反対のことが起こっているように見せているのです。

[It is merely an awareness of perfect Oneness, and the knowledge that there is nothing else; nothing outside this Oneness, and nothing else within.]
[天国とは単にパーフェクトなワンネスの意識(一体性に対する気付き)であり、それ以外には何もないと知っていることなのです。 このワンネスの外には何も無く、その中にも{天国以外のものは/ワンネス以外のものは}何もないのです。]

天国の中にあるものは、神のマインドが「存在」の無限の意識体験として動いていることだけなのです。
これが創造の動きで、これが天国なのです。
それ以外は何も天国の中には在り得ないのです。
しかしあなた達が物事を想像して様々な定義を作っている時、あなた達は天国の中にそれら(定義された状況)を持ち込んでいるように見えています 。 しかし本当はそのようなことはされていないのです。 何故なら、神が存在していること以外は天国の中には何も無いのだから。「神の無限のマインドがそこに存在している無限の動き」以外は何も無いのです。

天国の中ではそれ以外は在り得ないのです。
そして天国の外には何も存在していません。しかしあなた達は自分達で何かを作り上げていると考えており、父に確認するまでもなく、啓示/洞察/癒やしを得る必要なくそれ(天国/リアリティ)が何か自分達で解っていると考えているのです。
そしてあなた達はキチガイなのです。
あなた達は全てを間違って体験しているのです。

[What could God give but knowledge of Himself?]
[神自身に関する知識以外に、神が(あなた達に)与えられるものがあるでしょうか?]  

あなたを創造する過程で神の現れ以外の何が行われたのでしょうか?
神が現れ出ること以外何も起こらなかったのです。
神が与えられるものは、神自身に関する知識、神自身の顕在化、神自身の証拠、神自身の見える触れる様子だけなのです。
そして神はスピリット(霊)でありマインド(意識/心)なのです。
神は愛で真理でプリンシプル(尊い原則)で魂で、そして神はスピリット(霊/精神)なのです。

[What could God give but knowledge of Himself?]
[それ以外に(神があなた達に)与えるべきものが在り得るでしょうか?]  

神は創造の中に自分自身を投入したと言うことも可能でしょう。
これは神が陶芸家のように特定の陶器を作り上げたことを意味しているのでしょうか? 神は「自分とは異なるもの/展示して売りさばけるもの」を作ったのでしょうか?

{いいえ、}神は自分の知識/叡智を与えたのです。
神が神自身を表現したのです。 そして神はその表現なのです。
その表現の中で体現されているものが神なのです。
神とは体現の後ろにあるものなのです。
神とは体現を下から支えているものなのです。
神とは体現を超えているものなのです。

しかし超えていると言ったなら、それはやはり分離しているように聞えますね。
あなたは体現の前に何が在ったのか知りたいと思っています。
これ(体現の前に存在したもの)が主体です {これがあなたの意識が求めているものです}。
その場合、体現は主体ではないですね。
だからといって「体現(体現されているもの/顕在化されているもの)がリアルではない」ということではないのです。
これが要点なのです。これが重要なのです。

[The belief that you could give and GET something else, something OUTSIDE yourself, has cost you the awareness of Heaven, . .]
[それ(神への認識)以外のもの(あなた自身の外に在るもの)を与えたり得たりすることが出来るという信念が、天国に対するあなたの認識を損なっており、あなたのアイデンティティの知識を喪失させているのです。]
天国以外のところに自分が居るとあなたが想像し始めるまでは、天国以外のものに成ってそれを存在させようリアルにしようとあなたが想像し始めるまでは、あなたは天国に対する気付き/意識を持っていたのです。
あなたは全てを得ていたのです。 (あなたが父を離縁しようとした直前まで)父が成っている全てが存在に対するあなたの意識体験だったのです。
(父からの離縁を実行するまで)あなたは正気で目覚めていました。 そしてあなたは「創造の真理を認識するという、創造の真理を感じ取るという、創造の真実を知るという」自分の役割を満たしており、それに反対しようと考えることは無かったのです。

しかし、

[The belief that you could give and GET something else, something OUTSIDE yourself, has cost you the awareness of Heaven, . .]
[それ(神への認識)以外のもの(あなた自身の外に在るもの)を与えたり得たりすることが出来るという信念が、天国に対するあなたの認識を損なっており、]

この信念があなたの正気に対する認識をそこなっているのです。すると急にあなたは罪/病/死/老化/腐敗が起こる物資的な宇宙(それはエントロピーと呼ばれているそうですね)の中に居るように成ったのです。
罪/死/病/悪化が必然的で当然な生命を生きているように見えているのです。
しかしそれは違うのです。

[. . . has cost you the awareness of Heaven, and the loss of your identity.]
[天国に対するあなたの認識を損なっており、あなたのアイデンティティの知識を喪失させているのです。]

何故でしょう? 
それはあなたが「私には父が居ない、私は孤児だ。私は(正気を抜きにして私自身を体験するにあたり)私以外の源を認めないことに決めた。」と言ったからです。
こうしてあなたは自分のアイデンティティを放棄して、父なし子に成り、{あなたは自分のことを}神の子として認証しなくなったのです。
こうしてあなたの遺産(あなたが神から継承しているもの)が無くなったのです。あなたには生得権が無くなったのです。 あなたには源が無く、あなたは電源に繋がれていない電灯のように無意味に成ったのです。
だからこれ(神以外のものを認識したり与えたりすることが出来るという信念)が天国に対するあなたの気付きとあなたのアイデンティティ(自己認識)を失わせたのです。

[And you have done a stranger thing than you yet realize. You have displaced your guilt to your bodies from your minds.]
[そしてあなた達はこれ以上に奇妙なこともしているのですが、自分達自身ではまだそれを認識していません。あなた達は自分達の罪悪(感)を自分達のマインドから自分達の体に移したのです。]

考えてみてください。
創造/天国が本当はどのようなものだと私が言ったか考えてみてください。そして創造/天国に対するあなたの役割がどのようなものだと私が言ったか考えてみてください。
天国への(天国そのものへの)意識的気付きに成ることがあなたを源と同調させ、すると(父が成っている)真理以外はあなたの意識体験の中に入ってこなくなり、あなたは神を認識し賞賛する自分の役割を満たすことになるのです。
このことの中であなたは神の共同創造者に成っているのです。そして神の共同創造者としてのあなたが独立的存在になることは不可能なのです。

[Yet a body CANNOT be guilty, for it can do nothing of itself.]
[しかし体は有罪には成り得ません。 何故なら体そのものだけでは何も出来ないから。]

それは体がリアルでは無いからではなく。体の目的は有罪(guilty、罪深くなること)ではないからです。 
{私が知る限りACIMのどのバージョンにも「体がリアルなものである」とは書いてありません。 しかし「人は何らかの形で常に自らの体(自分を示すもの)を認識し続ける」というのがラジの一貫した主張です。 訳注}
神の全てのアイディアは(例えそれがあなたの体でも手でも、例えそれが樹でも、創造のその他の全ての側面でも)リアルなのですが、それらのものが(創造の一部が)それ自体で何かをしたり、罪を犯したりすることは出来ないのです。

創造の各部分に出来ることは、いまそこに神が現している(顕在化している)ものとして存在し、神をその時そこで表現することだけなのです。これがコミュニケーション(意味の伝達)を構成している表現なのです。
何故なら(兄弟姉妹の共同体内の全ての人達とその他創造の全てによって構成されている)「全てを知っているマインド」{に成ること}、無限のコミュニケーションそして叡智(Knowledge)を受け取ること、つまりそれぞれお互いの真理を知る体験をすることがあなたの役割なのだから。
これがあなたが体験していることをリアルにするのです。

あなたが離縁を得た時、あなたが「私は自分でルールを作りたいです。私自身が全てを定義したいです。」と言った時、あなたはこの(天国の)体験の中に怖れと罪悪を持ち込んだのです。
そして怖れと罪悪は耐え難いものでした。
だからあなたはそれらの怖れと罪悪を「創造」に投げ付け、するとそれはもうあなたには創造には見えなくなったのです。
すると創造が急に(エントロピーが成り立っていて罪/病/死が避けれない)物理の法則に司られている「物質」に成ったのです{少なくともあなたはそのような体験をし始めました}。 

酷いことです。 しかしあなたは自分がこれをしたとは思っていません。
何故あなたは怖れの中に住んでいるのでしょうか?
何故事故が起こった時あなたはそれも致し方ないと思うのでしょうか?
樹が枯れた時何故あなたは驚かないのでしょうか?
ハリケーンが破壊を起こしているように見えている時何故あなたは驚かない(疑問を抱かない)のでしょうか?
それは「自分は非情/無慈悲な世界に生きている」とあなたが考えているからです。
闘争/対立にも関わらず生命が何とか可能な世界に自分は生きているとあなたは考えています。

だから{あなたが体験している世界の中には}何か「怖れるべきこと」や「心配するべきもの」の可能性が常にあるのです。
だからあなたはストレスの中に生きていて胃潰瘍や高血圧に悩んでいるのです。
何故あなたはこれに驚かないのでしょうか?
何故なら、あなたは「あなたの以外の全てもの」をあなたの罪悪の対象(object)にしているからです。 
あなたは{自分の罪悪を}「{自分以外の}何か」のせいにしているのです。
「それ」が問題なのです。{あなた以外の何かに罪悪の原因があるとあなたは考えているのです。}

[Yet a body CANNOT be guilty, for it can do nothing of itself.]
[しかし体は有罪には成り得ません。 何故なら体そのものだけでは何も出来ないから。]

「本当に? ではマグマに圧力が掛かって火山が噴火してポンペイやその他の町を埋め尽くし破壊し人を殺したことはどうなのでしょう?」
そうです{そう疑問に思った}あなたは正しいのです。そのようなことは何かが間違っています。
そして間違っていることを正す時なのです。
意識がシフト出来るように成るべきなのです。あなたが体の中のマインドとして存在し体の外側に世界を見ている状態から、「あなたの外には何もないこと」をあなたが認識出来ている状態にシフトするべきなのです。
しかしこれは「あなたの体の外には何も存在していない」という意味には成りません。
「あなた」の定義が変えられるべきなのです。
あなたという『「存在」の意識体験』の外には何も無いのですが、しかしあなたは「あなたのマインド」を誤解しており誤って定義しているのです。
マインドとは脳という物体の中の神経細胞やシナプシス(ニューロン間の接合部)や電子の動きだとあなたは考えています。 それらのこと故に自分が考えられ意識を持てているとあなたは考えています。
頭の中の物質があなたの全ての体験を作っているとあなたは考えています。
例えそうだったとしても「外側」にリアリティなどないのです。
{このように考えた場合でも、それでも}それ(あなたの外側)は肉体の中を動き回っている電子が起こしている物理的幻想でしかないのです。

[Yet a body CANNOT be guilty, for it can do nothing of itself. You who think you hate your bodies . . .]
[しかし体は有罪には成り得ません。 何故なら体そのものだけでは何も出来ないから。自分は自分の体を嫌っていると考えているあなた達は、]

チョッと待って。誰かさんが「私は自分の体を憎んでなどいません。」と言っているのが聞えます。
{例えあなたが自分の体を嫌っていると考えていなくても}あなたは例えば伝染性の高い病原菌に満ちた病院に行くことは怖れているでしょう。あなたは例えば車に満ちたハイウエーの真ん中に立とうと思ったりしますか?そうしたいとは思わないでしょう。
何故なら、そのようなことをした場合あなたの体に酷いことが起こり得ることをあなたは怖れているのだから。 そのような状態ではこの物理的なものは機能しなく成ってしまうとあなたは怖れているのだから。

このようなこと(このような世界)があなたをハッピーにしていると思いますか?
「死に対する恐れはあなたの体に対する憎しみの現われではない」とあなたは考えていますか? 体に対するあなたの不信は憎しみに満ちているのです。それ(体に対するあなたの不信)は愛ではないのです。それは調和ではないのです。
(身体的な見方をした場合でも)それはあなたの血圧を下げず、血圧を上げてしまうでしょう。 それは不健康なのです。
もしあなたが自分の体を怖れているなら、もしあなたが自分が年取った時の体の状態を怖れているなら、あなたは自分の体に関してハッピーでは無い訳です。 あなたはこのことに関するストレスを忘れたフリをしているだけなのです。
しかし事実あなたは自分の体を憎んでおり、「体を自分だと思うこと(body identification、world identification)」から「マインドを自分だと思うこと「Mind identification」にシフト出来るように成るまであなたは体を憎み続けるのです。 
例えば「私の手の動きは頭(マインド)の働きを反映しており」... しかし「マインド」という言葉をこのように使うのは適切ではありません。 それは真理を表していません。
意識的気づき(意識体験)は、無限が感じられている({あなたによって}定義されていない)限りない体験なのです。

[You who think you hate your bodies deceive yourselves. You hate your MINDS, for guilt has entered into them, and they would remain separate, which they cannot do.]
[自分は自分の体を嫌っていると考えているあなた達は、自分達自身を欺いているのです。(本当は自分達の体を嫌って居るのではなく)あなた達は自分達のマインドを嫌っているのです。 何故なら、罪悪があなた達それぞれのマインドの中に入って行っており、それらのマインドは分離している積りでいるのですが、そのようなことは不可能なのだから。]

{エゴに囚われている}あなたのマインドは、あなたのパートナーのマインドから分離しつづけようとしているのです。
あなたのマインドは私のマインドから分離していたいと考えているのです。
あなたのマインドは神のマインドから分かれていたいと思っているのです。
これが{エゴの}基本ルールなのです。
これが開始地点であり終了地点なのです。
そしてだからこれは狂気なのです。 神のマインドが混乱し得る(狂気に成り得る)というこのアイディアは馬鹿げているのです。
そしてこれは不可能なのです。 わたし達は(マインドが分離し得るという)この信念を解除しようとしているのです。

[Minds ARE joined; . . ]
[各マインドは繋がっていますが、]
プライベートな思考は存在していないと私は既に言いました。

[Minds ARE joined; bodies are not. Only by assigning to the mind the properties of the body does separation seem to be possible. ]
[各マインドは繋がっていますが、それぞれの体は繋がっていません。(分離している/分離して見える)体の特質をマインドに割り当てることによってはじめて、分離が可能に見え始めたのです。]

「私のマインドは私の頭脳の中で働いているもので、あなたのマインドはあなたの頭脳の中で働いているもので。 あなたがあなたの頭脳をニューヨークに持って行って、私が私の頭脳をサンフランシスコに持って行ったなら、それらは同じ場所には存在していないでしょう。」
このようにして体の特性がマインドの特性としても定義されており、これが人々のマインドを分離したものに見せています。

しかし多くの人達が「静けさの中で(物理的なコミュニケーションが起こっていないように見えているにも関わらず)遠くにいる他の人の必要を知る体験」をしています。
そして命を救ったり、その他意味深いことを他の人の為にしてあげられたことがある筈です。
多くの人達がマインドが限定されていない(区切られていない)ことを体験しています。
あなたの兄弟姉妹のマインドとあなたのマインドが隔たれていないことを体験したことがある筈です。
(あなたは定義を信じ切っていますが)マインドに当て嵌められている定義は間違っているということが事実なのです。 (あなたの)現在の体の定義に基づいている「マインドの限定」は間違っています。
あえてこれを見てみなさい。幻想に縛られるのではなく、幻想に確信を与えるのではなく。

[Minds ARE joined; bodies are not. Only by assigning to the mind the properties of the body does separation seem to be possible. And it is MIND that seems to be fragmented and private and alone.]
[各マインドは繋がっていますが、それぞれの体は繋がっていません。(分離している/分離して見える)体の特質をマインドに割り当てることによってはじめて、分離が可能に見え始めたのです。そうすることで(繋がっていないという体の特質をマインドに割り当てることで)「マインド」(本来ひとつである神の子のマインド)がバラバラでプライベートで孤独であるように見えているのです。]

時々あなたが祈って答えを得ている時以外は{対立しているマインドがバラバラに成立しているように見えているのです。}。

[And it is MIND that seems to be fragmented and private and alone. Its guilt, . .]
[そうすることで(繋がっていないという体の特質をマインドに割り当てることで「マインド」(本来ひとつである神の子のマインド)がバラバラでプライベートで孤独であるように見えているのです。罪悪(感)が...]
{父から}離縁を得て独立的に存在することをあなたが選んでいる時、罪悪が発生しているのです。

[Its guilt, which KEEPS it separate, is projected to the body, which suffers and dies because it is attacked to hold the separation in the mind, and let it NOT KNOW its identity. Mind cannot attack, but it CAN make fantasies and direct the body to act them out. ]
[罪悪(感)がマインドを分離しており、それが体に投射されているのです。マインドの分離を保持する為に、そしてマインドの合一(一体性)を知らせずにおく為に、体が攻撃されており、故に体が苦しみ死んで行くように見えるのです。{本来}マインドには攻撃は出来ないのですが、{攻撃の}幻想を作ることは出来ます。そしてこの幻想を行なうよう体に指示することが分離したマインド(分離しているつもりのマインド)には出来るのです。]

これ(分離したマインド)がファンタジー/幻想を作り、時として(体が実際には何もしていない時でも)体がこのファンタジーを行動しているように{分離したマインドは}解釈するのです。
例えば強い病原菌にさらされ、その被害をこうむり、直ぐに死んでしまうというように。

[Yet it is never what the body does that seems to satisfy. Unless the mind believes the body is actually acting out its fantasies, it will attack the body by increasing the projection of its guilt upon it.]
[しかし(分離したマインドに)満足をもたらしているように見えているのは「体がしていること」では決してありません。 体が本当にその幻想(攻撃)を行動に移しているとマインドが信じない限り、マインドは体への罪悪(感)の投射を増やすことにより体を攻撃し続けます。]

あなたが自分の世界を見てそれが無垢であり(神の在り様の性質を反映している)天国であると考えてみることが出来たなら、その時あなたはあなたの裁きを取り消しているのです。 その時あなたは世界に対してあなたが行なった{罪の}投射を取り下げているのです。
するとどうなるのでしょうか? 世界が変るのでしょうか?
いいえ。 その時(創造を見えるよう触れるように描いている)神の全てのアイディアのコミュニケーションがあなたに話しかけるのです。
何故ならそれら(神のそれぞれのアイディア)の目的はその意味(存在意義)を知らせることなのだから。
何故なら天国の中で「創造の他の部分」から分離され分け隔てられているものは何も無いのだから。
これが{世界に対する罪の投射をあなたが止めた時に}起こることなのです。 そしてこれによって夢が解除されることに成りますね?

しかし自分が独立して存在していると信じ続けることをあなたは未だ求めているのです。
「自分は創造を行える/物事をコントロール出来る独立した存在である」と信じることがあなたにとってはまだとても大切に感じられているのです。
だからもしあなたが本当に世界を見てそれが「あなたの想像や断定的自信」から無垢/無罪であることを発見したなら、あなたのエゴはとても怖がってエゴがあなたの世界に与えている罪悪の定義をより一層強めるのです。
するとあなたは世界に関するより強い怖れを体験するのです。そして以前よりも世界が不意安定に怖ろしく感じられるのです。そしてあなたは自分の独立(独自性)の為により忙しく戦わなければならなくなるのです。

だから、
[Unless the mind believes the body is actually acting out its fantasies, it will attack the body by increasing the projection of its guilt upon it.]
[体が本当にその幻想(攻撃)を行動に移しているとマインドが信じない限り、マインドは体への罪悪(感)の投射を増やすことにより体を攻撃し続けます。]

あなたが聖なる瞬間を実践している時、あなたは目覚めのプロセスを行なっており、あなたは世界/宇宙を無垢なものとして認識し始めるのです。 世界を「エントロピーが絶対的である物理法則」に縛られていないものとして認識し始めるのです。
すると{目覚め始めようとしている}あなたはチャレンジ(抵抗)に面するのです。
目覚め始めようとするとあなたのエゴがあなたを脅し(あなたが今まで使って来た)偽りの性質を投射し続けようとするのです。

要点は:
聖なる瞬間を実践し始めた時、あなたの中の「世界の怖れ/恐怖」が強まったとしても驚かないでください。
何故ならあなたは、このような恐怖を自分に与えることにより自分の権威を手放さなくて済むようにしようとしているのだから。
独自の権利を有している「あなた」の統合性と権威から来ている誠意/誠実を放棄しなくても済むように{このような怖れが現れるのです}。
世界をより怖ろしく見せて「世界を無垢なものとして見ようとするあなたの意欲」を捨てさせようとするのです。
世界を天国として見ようとする試みを捨てさせようとするのです。
世界が物質で出来ているのではなくスピリット(霊)で出来ていて、物理法則に従っているのではなく、世界は神の法則だけが行き渡っている場所であること(何故なら神だけが「あなたを含む全創造の動き」の中に存在しているのだから)を見つけることを捨てさせようとするのです。

もう一度読みましょう。
[Unless the mind believes the body is actually acting out its fantasies, it will attack the body by increasing the projection of its guilt upon it.]
[体が本当にその幻想(攻撃)を行動に移しているとマインドが信じない限り、マインドは体への罪悪(感)の投射を増やすことにより体を攻撃し続けます。]

{エゴ的}マインドは、あなたをより怖れさせることにより、罪悪を体や世界に対して投射しているのです。
世界や体をあなたにとって一層脅威的にして(全創造に対して聖なる意味をコミュニケートすることしかしていない)天国に対してあなたをより防御的にさせてしまうのです。  しかし天国(リアリティ)はその聖なる意味をあなたに受け取ってもらおうとしているだけなのです。

[In this, the mind is clearly delusional. It cannot attack, but it maintains it CAN, . .]
[これに関してマインドは確実に幻覚を見ています。マインドが攻撃することは不可能です。 しかし(エゴの)マインドは自分に攻撃が可能だと信じ込んでおり、]

世界への罪悪の投射を強めることに関してマインドは幻想を見ています。
攻撃が可能だと信じているのはどのマインドなのでしょうか?
それは孤児のマインド、自らの源を否定している独立したマインド、「神との合一(一体性)」と「神との共同創造」への認識を失っているマインドです。

[In this, the mind is clearly delusional. It cannot attack, but it maintains it CAN, and uses what it does to hurt the body to PROVE it can.]
[これに関してマインドは確実に幻覚を見ています。マインドが攻撃することは不可能です。 しかし(エゴの)マインドは自分に攻撃が可能だと信じ込んでおり、それを証明する為に、自身に出来ることを使って体を痛めようとします。]

体(腕や足や動体や頭などと呼ばれているもの)を痛めるとはどういう意味でしょうか?
これは「エゴのマインドはその力(エゴに出来ること=幻想/誤知覚)を使って創造の全てを痛める」という意味です。
(あなたの体と呼ばれている)創造を間違って解釈/定義して、その間違った解釈/定義に従ってそれを裁くことによって、それ(体)を痛めるのです。
そうすることでその意味が否定され、それ(創造)が幻想に引き渡され、それ(創造)が憎まれるのです。  
それそのものとして抱擁/体験されるべき創造が否定され幻想によって上書きされ憎まれるのです。
{ラジはここで「あなたが自分の体と呼んでいるものも本来は創造の一部なのである」という主張を元に話をしており、これはACIMテキスト内には書かれていないアイディア(新しい主張)だと私は思います。 訳注}

[The mind cannot attack, but it CAN deceive itself . . . ]
[マインドには攻撃は出来ませんが、それ自身を欺くことは出来るのです。]
{分離的マインド=エゴは}想像力を駆使して自らを欺くのです。

[And this is all it does when it believes it has attacked the body.]
[だからマインドが体を攻撃していると信じている時、マインドはこれだけ(自分は体を攻撃していると自身を欺くことだけ)をするのです。]
間違った定義を「あなたが体と呼んでいるもの」に与えて、自分を世界と対敵するものとして定義することによって{体を攻撃していると信じ込むのです}。

[It can project its guilt, but it will not LOSE it through projection. And though it clearly can misperceive the function of the body, . .]
[マインドには自分の罪悪を投射することは出来ますが、投射しても罪悪を失うことにはなりません。そしてマインドは体の役割を誤認識(誤解)することは出来ますが、...]
{マインドは}創造のどの部分でも、創造の見て触れるどの側面をも{誤認識することが出来るのですが、}

[. . . it clearly can misperceive the function of the body, it cannot change its function from what the Holy Spirit establishes it to be. ]
[そしてマインドは体の役割を誤認識(誤解)することは出来ますが、聖霊が設定した体の役割を変えることは出来ないのです。]

想像力の使用は何も変化させないのです。 それは「あなたの正しいマインド」があなたと繋がり「全てをその真の姿であなたが認識している意識」を照らし出す能力を消すことはないのです。

[The body was not made by love. ]
[体は愛によって作られたものではありません。]
これはどの体について言っているのでしょうか?
父を離縁している者によって見られている体です。
父を離縁している者(孤児)によって見られている体は、怖れと罪悪のレンズを通して作られているのです。
だから(体の)定義には何らかのネガティブな要素が入っており、そのネガティブな要素に対する自己防御が必要になるのです{必要に見えるのです}。
{体に}与えられている定義は愛によって作られてはおらず、それは父と繋がってリアリティを見ることによって作られてはいないのです。
{あなた達が自分達の定義を通して物事を体験している限り、}ここに物質的宇宙が成立して働いているとあなたが主張しているその場所にあるリアリティをあなたは父と一緒に見ていないのです。

[The body was not made by love. Yet love does not condemn it, and can use it lovingly, respecting what the Son of God has made, and using it to save him from illusions.]
[体は愛によって作られたものではありません。しかし愛は体を裁かず、愛をもって体を使うことが出来るのです。神の子が作ったものを尊重し、彼(神の子)を幻想から救うことが出来るのです。]

何故{愛は}体をこのように使用出来るのでしょうか?
何故なら体は本来は神の見えて触れる様子なのだから。だからあなたが体に対する間違った定義を信じている間も、愛は体をこのように使用してあなたのマインドの変容が可能なようにあなたの注意を引き付けることが出来るのです。
その結果として(あなたは初めから天国に直面していたので)天国が物質の法則に従っている物質的宇宙ではなくなり始め、天国がスピリットとして振舞い始めるのです。

大切なのは、あなたのマインドの中の変容が起こる場所にあなたが注意を払うことなのです。{変容が起ころうとしている}あなたのマインドを天国の中に保つことなのです。
それを超えて見越そうとすることは 不適切です。それを超越しようとすることは不適切です。
{あなたの体として現れているその}「リアリティが何か」見ようとすることで「聖霊の動きがあなたの注意を引き付けられるようになること」が重要なのです。 致死的で怖ろしく危険であるとあなたが決めたもの{あなたの体}がシフトして、スピリットで出来ているものへの意識体験に成るように。
スピリットの性質は愛で、その役割はその神聖をあなたに伝達しそれによってあなたが目覚めることなのです。

[Would you not have the instruments of separation re-interpreted as means for salvation, and used for purposes of love? Would you not welcome and support the shift from fantasies of vengeance to release from them? Your perception of the body can clearly be sick, but project not this upon the body. ]
[あなたは分離の道具を救済の方法として解釈し直して、それを愛の目的で使いたいとは思いませんか?あなたは「復讐の幻想」から「幻想からの解放」へのシフトを歓迎しサポートしたいと思いませんか?体に対するあなたの知覚は明確に病んでいます。 これを体に投射し続けることは止めなさい。]

「体に対するあなたの知覚は」つまりあなたが体に与えている定義は病むことが可能なのです。
これ(あなたの病んだ定義/知覚)を「神のアイディアの見える様子触れる様子(天国)」に投射するのは止めなさい。

[For your wish to make destructive what cannot destroy can have no real effect at all. And what God created is only what He would have it be, being His Will. You CANNOT make His Will destructive. You can make fantasies in which your will conflicts with His, but that is all.]
[何故なら「破壊出来ないもの」を破壊しようとしたあなたの願いがリアルな効果は示すことは全く無いのだから。そして神が創造したのは、神の意図であって、「このように在れ」と神が意図したものだけなのだから。あなたが彼(神)の意志を破壊的にすることは不可能です。あなたは幻想を作り、彼(神)の意識に逆らうことが出来ます。しかしそれだけです。]

しかしそれだけなのです。
これはとても意味深い言葉です。 これがキーワードなのです。
一番初めの言葉は、 [あなたの外には何も在りません。] でした。

これが要点なのです。
体との自己同一(body identification)からマインドとの自己同一(Mind identification)へとシフトする必要があるのです。「マインドとしてのあなた(神の現れ)」が スピリットを解釈することを止めて、全創造をあなたから分離している(従ってあなたと対立しており、あなたにとって危険な)物質として解釈することを止めることなのです。

今週は毎日これを行なってください。 何かを見て「これは物質ではない。これはスピリットで出来ているものだ。 ああ、これはアイディアなんだ。私がこれを触った時硬く感じられるけれども、これはアイディアを体験しているのだ。これを体験しているのはマインドであって、体が体験している訳ではない。 これはマインドがアイディアを感じている体験で、指がテーブルを(私の外にある物体を)感じている訳ではない。」
これを今週楽しんでください。 出来るだけ沢山これを行なってください。
これが馬鹿げて見えたとしても、これを楽しんでください。このようにしてシフトが始るのだから。
あなたが何かを見ている時に「それが今まであなたの考え続けて来たものでしかない」と自動的に思ってしまわないように。 あなたはそのような状態を超える必要があるのです。

I love you.
この練習を楽しんでください。 これが全て難しいネガティブなことである必要などないのです。
(天に)持ち上げられることにより、インスピレーションを受け取ることにより、誤認識/間違った信念/無知への忠誠心を放棄することがより易しくなるのです。


Chapter 18 – Section: DREAMS AND THE BODY
1 Sparkly Book – p.436 / JCIM – p.182 / CIMS – p.367
Chapter 18 – Section: BEYOND THE BODY
First Edition – p. 358 / Second Edition – p.384

上記は下記のウェブサイトを翻訳したものです。


The Northwest Foundation for “A Course in Miracles”
PO Box 1490 / Kingston, WA 98346-1490 / USA
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
Website: http://www.nwffacim.org
E-Mail: paul@nwffacim.org

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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