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ACIM12-03-31

何か新しいもの(新しい動き)が現れる時、新もののが古いものに取って替わろうとしている時、古いものの特性が新しいものに与えられ、それが新しいものの一部として定着してしまうことがよくあります。
自動車が発明された時、自動車が馬車に取って代わったのです。だから自動車が広まった時にそれは{英語では}「Horseless Carriage (馬なし馬車)」と呼ばれていました。
そして初めのうち自動車のデザインは馬車ととても良く似ていました。
しかし自動車が普及して暫く経つと、自動車は(馬車の延長としてではなく)馬車とは関係なく自動車として見られるように成りました。

私がこのようなことを話している理由は、もし私の教えがあなた達をより進化させる(より優れた存在にさせる)ものであったなら、あなた達にとってはより面白いより興味深いよりエキサイティングなものであったかもしれないから{しかしそうではないから}です。
多くの「ニューエージの教え/メタフィジカルな教え」は、あなた達を「進化し続けているスピリチュアルな存在」として扱っています。
それは種が進化して少しづつより複雑/利口/機能的/支配的に成って行くダーウィンの種の起源の仮説と似たものです。

もしあなたが「自分自身をよりスピリチュアルにしようとしている(自分を以前よりも神に近づけようとしている、自分の可能性を広げようとしている)単にスピリチュアルな存在」であったなら、そのような考えをわたし達が受け入れたなら、あなたに得られるのは(成功の確約ではなく)ポジティブな未来の希望だけになってしまいます。 
何故ならそのようにしてポジティブな未来を考えている時に使われている前提が「存在にはプログレシブ(進化的)な動きがある{神の存在がより良く成れる}」と示唆していることになるから。
今までに教えられて来たこと故に多くの人達は「自分達自身をよりスピリチュアルにすることがコース(ACIM)の目的なのだ」と考えていますが、それは間違っています。 このことを理解する必要があります。

私は下記の言葉を何度も言ってきました。
[あなたはパーフェクトなポイントの後ろに居るのではなく、そこに向かって進んでいる訳でもありません。あなたはパーフェクトなポイントに既に居り、そこからあなた自身を理解するべきなのです。]
“You are neither behind the point of perfection nor advancing toward it. You are at that point and must understand yourself therefrom. “

あなたはパーフェクトな状態に進んでいるのではなく、進化しているのではなく、あなたはあなたが既にパーフェクトである視点(立場)からあなた自身を理解する必要があるのです。
解りますか?
あなたは神の子であるか、でなければ神の子ではないのです。
あなたはパーフェクトであるか、でなければパーフェクトではないのです。
そして「{パーフェクトでなかったものが}パーフェクトに成る」ということは不可能なのです。{完璧でないものが完璧に成ることは出来ないのです。}

これは素晴らしいことなのです。
何故なら、あなたはパーフェクトに成ろうと努力することなく、パーフェクトな体験をすることが出来るのだから。背伸びしてあなた自身よりも優れたものに成ろうとすることなく、パーフェクトであることが出来るのだから。
これは距離(移動)を伴わない旅なのです。何故なら(たとえどこが目的地だとあなたが想像していたとしても)あなたは既に目的地に立っているのだから。 

もう既に話しているように、あなた達は神の子なのです。
そしてあなた達二人が想像的な楽しいゲームをしようとしたのです。
それは楽しく遊ぼうとすることだったのです。
それは父を追放しようとする暗い意図から始った訳ではありません。
あなた達は自分達の定義群を作り上げ、自分達で作り上げた定義群に対して信心/確信を与える選択をしたのです。 (これに関しては以前に詳しく説明しています。)
これが起こった時、あなた達は自分達自身の神聖/無限に対して無意識に成っているように見え始め、怖れと罪悪に襲われ出したのです。
あたかも怖れと罪悪が自分達の存在理由であるかの如く、あなた達は怖れと罪悪に囚われ始めたのです。それだけなのです。
神の息子/娘であるあなた達が想像の中に入り込み、自分達の想像(イメージ)に対して従順に振舞うことを決めたのです、しかしあなた達は本当は一瞬たりとも神の子以下(神の子以外の者)に成ってはいないのです。
だからあなたは自分のポジション(居場所/地位/神聖)を取り戻そうとする必要はないのです。あなたの神聖はあなたのもとを決して離れていないのだから。
あなたは自分の神聖を無視しているだけなのです。
あなたは自分が失ったポジション(神聖)を取り戻している課程にある訳ではないと理解する必要があるのです。
あなたは自分が一旦無視することを決めたポジションに対して目覚めているだけ(再認識出来るように成ろうとしているだけ)なのです。それだけなのです。
この認識が重要なのです。 何故なら、この認識によってあなたがあなたの神聖に対して目覚めることが容易になるのだから。 あなたの神聖はあなたにとってナチュラルで、あなたが神の表現であることを止めたことは一度も無いのだから。

しかし「父から離縁を得て自分は独立した存在に成った」と信じ出した途端、無限の存在であるあなたが「あなたの体」と呼ばれている自分の特定の側面を「自分の独立状態を保つ方法」として使い始めたのです。
あなたは、あなたの体を使いあなた自身を安全に保ち始め、あなたの体を使って他者をコントロールして自分を安全に保とうとし始めたのです。
あなたは自分の体を使って「自分の怖れと罪悪感から立ち昇ってくる行動」を実践し始めたのです。
つまりあなたは、あなたの神聖なる個性の見える触れる様子(可視性/可触性)である「あなたの体」を「あなたの体の本来の役割と性質」に反して使い始めたのです。
このあなたの体の使い方が、あなたを無知なマインド状態に縛り付けているのです。
「自分が誰か思い出すこと」が出来なくなる方法で(それは神が思い出せなくなる体の使い方なのです)、あなたはあなたの体を使っているのです。
何故なら、{分離が起こった時}あなた達は常に体を使って(神の定義ではなく)あなた自身の定義を証明し実証しようとし始めたのだから。


あなたはあなたの体を使って(父ではなく)あなたを証明/認証しようとしているのです。
しかしあなたの体は(そして全創造は)一つの働きだけを持っているのです。
それは神を称えることです。神をあらわし神を顕在化することがあなたの体の役割なのです。
体の中に備わっている力を使ってこれをするのではなく、体の本質(Virtue/徳)によって、そしてあなたが体をそれそのもののままに存在させて、父が体を働かせることを許し/父により体が能動化されることを許し/父が体にエネルギーを与えることを許すことによって{神が称えられるのです}。
今...今...今...今...、全ての瞬間の中で父の意志が体を動かすことを許可するのです。

「自分の定義を実証する為に体を使うこと」を放棄することが目覚めへの道であると先週言いました。
怖れと罪悪が無意味であることを理解し、そして防御の為にあなたの体を使うことを放棄すること{が目覚めへの道なのです}。
怖れと罪悪はあなたの正気ではなく、怖れと罪悪はあなたの神聖から立ち昇ってはいないのです。

そしてあなたが父と(あるいはあなたの正しいマインド/正気でしかない聖霊と)繋がっている時、あなたは罪悪や怖れを体験しないのです。

これがどれだけシンプルなことか解りますか?
これが良き知らせなのです。
そしてこれはあなたが理解することの出来る「良き知らせ」なのです。もしかしたらこれはまだあなたが意識的に常時保ち続けられれる意識では無いかもしれませんが。
しかし要点は、あなたがこの真理を一度知ったなら、あなたが一度この意味深さを理解したなら、常に繋がり続けようとすることが、そしてより頻繫に「父よ、ここの真理は何ですか? 」と訊ね続けることが出来るようになるのです。
「聖霊よ、何がここの真実なのですか? 私が物質を見ているように見えている所で、私が物質的世界を見ている所で、何が本当は起こっているのですか? 『本当はここは天国なのです』とあなたが言っているその天国を私が体験出来るよう助けて下さい。」と訊ね続けられるようになるのです。

あなたの目の前に永遠に物理的世界/宇宙が示されているように見えているその場所に天国を見たいという熱望を持つのです。 その熱望をあなたの意識の一番上に置き続けるのです。
何回も何回も、繰り返し繰り返し、天国を見たいという熱望を持つのです。
何故なら誤知覚しなくなることがあなたにとって重要なのだから。
手足が癒やされたり乳房が修復されたり、歯が治ったり、体が真っ直ぐに治ったりすること、(神の性質を反映しているパーフェクション/完璧性の確証)をあなたの目の前に見ることを押し留めているのは誤知覚/誤認識だけなのだから。

本(ACIM)の中には何と書かれているでしょうか?

[You can stretch out your hand and reach to Heaven.]
[あなた達はその手を差し伸ばし、天国に届くことが出来るのです。]

これは「(天国が存在しているかもしれない)天空/宇宙にあなたが手を伸ばす」と言っているのでしょうか?
いいえ。
あなたが手を伸ばして天国に届くことが出来るのは、(あなたの体、テーブル、花、水の入ったグラスなど)あなたが触る全てのものが全部天国(神のマインドの見えて触れる様子)だからです。


しかしそれ以上に、あなたは私が話しておりコースの中で説明されている徳(virtue)を理解し始めているのです。
あなたが何かを触っている時、あなたは「マインド」を触っているのです。 全ては「存在すること」の意識体験として「マインド」の中で起こっているのです。
あなたが本やテーブルを触っている時、あなたはアイディアを触っているのです。
あなたはあなたの注意/意識を使ってそれらに触れているのです。
あなたがそれを指や腕と呼んでいても、体と呼ばれているものであなたが奥さんを抱きしめていても、樹に触れていても {その時あなたはあなたの注意/意識を使ってそうしているのです}。

それらは全て空間(とここでは言っておきましょう)を占めているように見える意識体験なのです。
しかしそれは無限なマインドであって、その中で全てが起こっているのです。
(あなたのマインドが神のマインドの顕在化であるが故に)創造を無限に体験しているマインドとしての無限なあなた{の中で全てが起こっているのです}。
それ(無限なあなたのマインド)は神のマインドの現れなのです。
しかしそれはいわゆる顕在化(manifestation)ではないのです。
神がエーテルの中に顕在化(物質化)を行い、それがあなたのマインドに成った訳ではないのです。
いいえ。
例えば「エーテルの中に神が居ること」が「(存在するという意識体験として)あなたが体験しているマインド」なのです。
と同時にそれはカエルや岩が(存在するという無限の意識を)体験しているマインドでもあるのです。その体験の中であなたは岩(やカエル)の「存在する意識体験」の一部でもあるのです。
在るという意識体験(conscious experience of Being)は全てひとつで、全てマインドなのです。

だから、
[You can stretch out your hand and reach to Heaven.]
[あなた達はその手を差し伸ばし、天国に届くことが出来るのです。]
これを新しい叡智/意識/視点と呼ぶことも可能です。

[You whose hands are joined have begun to reach beyond the body, but NOT outside yourselves, to reach your shared identity TOGETHER.]
[お互いに手を繋いでいるあなた達は、体を超えて手を(そして意識を)伸ばし始めており(これはあなた達自身の外に手を伸ばしているのではありません)、あなた達が分け合っているアイデンティティ(自己認識)へ一緒に手を伸ばしているのです(自分達の意識をそこへ届かせようとしているのです)。]

意図的に聖なる関係を持っているあなた達は「体を超え始めているのです」。
これはどういう意味でしょう?
あなたは体に対してあなたが与えた意味/定義/意図を超え始めているのです。
何故あなたは体を超えて伸び出し始めているのでしょうか?
その理由は、聖なる関係の中で繋がっているあなた達二人が、体として繋がろうとすることをやめたからです。
その代わりに、個人として、一人の人として「父よ、ここの真理は何ですか?」と言うことをあなた達は選んだのです。 あなた達は聖なる瞬間を実践することを選んだのです。
自分の記憶から物事を理解するのではなく、他者からの教えをもとに物事を理解するのではなく、お互いに教え合っていることをもとに物事を理解するのではなく、{あなたは聖なる瞬間を持つことを選択したので、だからあなたは体を超えて届き始めているのです}。
そして直接父から(あるいは聖霊から)存在の真理(そこにある真理)を受け取る選択をあなたはしたのです。 そして勿論聖霊は父の代理人であり、あなたがエゴで戯れている間預けられているあなたの正しいマインドに過ぎないのです。
私はこれらのことをもう既に言っていますが、これをより明確にする為に繰り返し述べているのです。

[You whose hands are joined have begun to reach beyond the body, . .]
[お互いに手を繋いでいるあなた達は、体を超えて(意識を)伸ばし始めており...]

自己防御や{他者に対する}コントロールと強制の為にあなた達が使っているこのもの(体)を超えて、意識を伸ばし始めています。
しかしこれはあなた達自身の外に意識を伸ばしているのではないのです。
部屋の中でお互いに離れて立っているあなた達の体の外に意識を伸ばしているのでもないのです。
そうではなくあなたは「父よ、ここの真理は何ですか?」と言って内側から触れる(伸び出す)のです。

あなた達は 、
[. . . have begun to reach beyond the body, but NOT outside yourselves, to reach your shared identity TOGETHER.]
[体を超えて(意識を)伸ばし始めており(これはあなた達自身の外に意識を伸ばしているのではありません)、あなた達が分け合っているアイデンティティ(自己認識)へ一緒に意識を伸ばしているのです。]

その中で全てが抱擁されており全てがマインド/意識として体験されている「存在するという意識体験のワンネス(一体性)」{があなた達が共有しているアイデンティティなのです}。

[Could this be OUTSIDE you? Where God is NOT?]
[これが(あなた達が共有しているアイデンティティ/自己認識)があなたの外に在り得るでしょうか? 神があなたの外に居ないのに?]
いいえ、それは不可能です。

[Is HE a body, and did He create you as He is not, and where He cannot be?]
[神は体でしょうか? 神は自身と違う風にあなたを創造したのでしょうか? 神は自分では存在し得ない場所にあなたを創造したのでしょうか?]
いいえ。論理的に見てもそれは在り得ません。

[You are surrounded only by Him.]
[あなた達の周りを囲んで居るのは神だけです。]

あなたは神という無限のマインドだけに包まれているのです。
そして無限のマインドである神が動いた時、全てを内包している(その中で全てが充足しており完璧である)存在の意識体験(自分が存在しているという意識)が起こるのです。
この意識体験の中では、どの要素も他の要素から(どの部分も他の部分から)排除されていないのです。
存在(在る/居る)という無限の意識体験の中で全てが一緒に抱擁されており、それがワンネス(一体性)を作っているのです。

[What limit can there be on you whom He encompasses?]
[神に囲まれているあなた達にどの様な限定が在り得るでしょうか?]

神という無限のマインドが動いており、その動きがあなたの存在(あなたが存在すること)を作っているのです。

[Everyone has experienced what he would call a sense of being transported beyond himself. This feeling of liberation far exceeds the dream of freedom sometimes experienced in special relationships . . .]
[誰でも自分自身を超えて(体を超えて)持っていかれた(トランスポートされた)感覚を体験したことがある筈です。これは(特別な関係の中で時々体験される自由の夢を遥かに超えた)解放のフィーリングです。]

(あなたの神聖でありあなたの正しいマインドである)父と繋がることなくお互いに対して無防備に成っている「特別な関係の中で時々体験される自由の夢」がもたらす「開放感/高揚」を超えた解放のフィーリングをあなたは体験するのです。
{父と繋がった}その中であなたは無限界(限界がない無い様子)を体験するのです。

[This feeling of liberation far exceeds the dream of freedom sometimes experienced in special relationships. It is a sense of actual ESCAPE from limitations.]
[これは(特別な関係の中で時々体験される自由の夢を遥かに超えた)解放のフィーリングです。これは数々の限定/制限から実際に逃れる感覚なのです。]

それ(特別な関係の中で時々体験される自由の夢)は真理の片鱗であっても、真理ではないのです。何故ならそれは聖なる瞬間の結果ではないから。
それは意識的/意図的に父と繋がって(あなたと関係している人に対する)父の視点を体験したいとあなたが願った結果ではないのです。

[If you will consider what this "transportation" really entails, you will realize that it is a sudden unawareness of the body, and a joining of yourself and something else in which your mind enlarges to encompass it.]
[このトランスポテーション(移動)が本当に何を含んでいるか考慮してみたなら、これは『体に対して瞬間的に無意識(無自覚)に成り、あなた自身と「何か他のもの」が繋がり、それを包み込む為にあなたのマインドがより大きく成ることなのだ』と解るでしょう。]

そうなのです。しかし注意してください。
体に対するこの瞬間的無自覚(無意識)が起こるのは、体がリアルで無いからではなく、体には聖なるリアリティが全く無いからでもないのです。
それは「物事に対する拡大された意識」へ移行(トランスポート)する中で防御の必要をあなたが忘れているからなのです。

防御の必要が無い時あなたの体は依然としてそこに在るのですが、あなたの体は重要なものとしては意識されないのです。 何故ならその時あなたの体は「あなたの安全を確保するもの」では無くなっているから。
だから体はそこに在り続け、あなたが必要とする機能をパーフェクトに果たし続けるのですが、その時(聖なる瞬間の中で)あなたの体は今までの目的(防御)の為に存在していないのです。
体に対してあなたがつい最近まで使っていた唯一の定義は防御なので、{聖なる瞬間を実践して自己防御が無くなった時}体が不在であるように感じられるのです。{防御としての}あなたの体や他者の体は、もはあなたの意識を占めなくなるのです。
何故なら(例えあなたの思考がまだ幾分プライベートなものであったとしても)あなたの無防備の中であなたは「在ること」の平和を感じているのだから。
だからあなたは愛の度量を感じるのです。
あなたは抱擁する度量を感じ、抱擁される度量を感じるのです。
これが聖なる瞬間のリアルな効果をあなたに垣間見させるのです。
これが起こった時それを良く憶えておいてください。 二つのステップ(聖なる瞬間)を今実践する理由があると自分自身に思い出させることが出来るように。

[It becomes part of you, as you unite with it. And both become whole, as neither is perceived as separate. What really happens is that you have given up the illusion of a limited awareness, and lost your fear of union.]
[あなたが「何か他のもの」と融合した時、それが(何か他のものが)あなたの一部に成るのです。その時両方(あなたとそして他のものが)が十全/健全/全体に成るのです。 何故なら、もはやその時にはどちらも分離しているとは知覚認識されなくなるのだから。そこで本当に起こっていたのは、あなたが限定された意識という幻想を手放して、合一すること(union)に対する怖れを手放したということなのです。]

あなたは限定的意識(区切られた意識)という幻想を放棄したのです。
あなたは限定された体として存在しようとする幻想を手放したのです。
あなた自身を防御する役割を持ち、より優れた者に成ろうとし、そのプロセス上で知的に他者を圧倒し、賢く強制し、独立的にコントロールを保とうとする『体』という幻想を手放すことが聖なる瞬間の目的なのです。

[The love that instantly replaces it EXTENDS to what has freed you, and unites with it.]
[あなたの幻想と怖れが愛によって瞬間的に置き換えられて、その愛が「あなたを自由にしたもの」に差し出され、それ(あなたを自由にしたもの)とあなたをひとつにしたのです。]

こうして『「この人と聖なる関係を持とう」とあなたが意図した人』に愛が差し伸べられるのです。
しかし間違えないでください。合一はあなたと父の間(あなたと聖霊の間)で起こるのです。{つまり「あなたを自由にしたもの」はあなたのパートナーではなく、聖霊なのです。}
そして聖なる関係の中のあなた達二人はお互いとの関係には意識の焦点を当てていないのです
全ての瞬間に(聖なる関係の中でお互いと向き合おうとする前に)まず聖霊と向き合うことをお互いに対して要請するべきなのです。
あなたが求めるべき聖なる関係は、あなたとパートナーの間の一対一の関係ではないのです。
聖なる関係は常に、あなた達がそれぞれに「父よ、ここの真理は何ですか?」と訊ね聞くことに合意している結果として起こるのです。
あなた達は自分達の第一の動機を「まず父と繋がること」にするべきなのです。「まずはじめに聖霊に訊ねること」を自分達の関係の第一目的とするべきなのです。
それから聖なる瞬間の中で示された明晰(インスピレーション)をもとにお互いを見つめてお互いと関わるべきなのです。
これが聖なる関係なのです。
しかしこれはギフト(あなた達に与えられること)なのです。これはあなたが作ることではないのです。
そしてこれは新しさのギフトなのです。これは再生/贖いのギフトなのです。これは正気に戻るギフトなのです。

[The love that instantly replaces it . . .]
[あなたの幻想と怖れが愛によって瞬間的に置き換えられて...]

限定されている意識(区切られた意識)という幻想をあなたが手放した時、
[. . . EXTENDS to what has freed you, and unites with it. And while this lasts, you are not uncertain of your identity, and would not limit it. You have escaped from fear to peace, asking no questions of reality, but merely accepting it.]
[その愛が「あなたを自由にしたもの」に差し出され、それ(あなたを自由にしたもの)とあなたをひとつにしたのです。この体験が続いている限り、あなたは自分のアイデンティティ(自己認識)を明確に知っており、そのアイデンティティを限定しようとはしていないのです。(この体験をしている時)あなたは、リアリティに対する質問はしておらず、リアリティをただ受け入れて、怖れから平和に逃れたのです。]

解りますか?
あなたがまだ独立しようとしている時、あなたがまだ孤児院の中に居る時、あなたが苦しんでいて脱出したがっている時、あなたは父に向き返り「どうやったら同じフロアの223号室にいるあの嫌な奴を変えることが出来ますか? 彼は私をイライラさせ続けてそれを止めないのです。」と訊ねているのです。
このように訊ねている時、あなたは自分の質問が答えられる為に必要なプロセスを提供/強要した上で助けを求めているのです。
あなたはリアリティがあなたに反応して(限定された知覚に従って適切な結果を求めている)あなたの為にリアリティが変ることを求めているのです。
そしてあなたが求めているものが得られないなら、初めから訊ねない方がましだと考えているのです。違いますか?

しかし素晴らしいことには、世界/宇宙に対して「自分をどうのようして良く扱うべきか(あるいはどのようにして物事をあなたの為に整えるべきか)」指示しようとすることをあなたが放棄した時、そしてあなたが自分で決めようとしている定義やコントロールを放棄した時、そのような意図が無くなっている状態で平和がそれ(定義/コントロールしようという意志)に取って代わるのです。


そして父の視点がやって来て、あなたがするべき事があなたに明確に示されるのです。
あるいはあなたの体の使い方をどのように変えるべきか示されるのです。あなたのマインドの使い方をどのように変えてそれを謙虚に静かに{神に}譲るようにするべきか示されるのです。
こうしてあなたの自己主張(分離的意図)が作り出している歪みが無くなっている時、同胞と一緒に存在しようとするナチュラルな調和が現れ、孤児院の構造が消え始め、あなたは自分が神の子であることを(そしてあなたが神の子であることを止めたことは一度もないことを)再発見し始めるのです。

だから、
[You have escaped from fear to peace, asking no questions of reality, asking no questions of reality, but merely accepting it. ]
[あなたはリアリティに対する質問はしておらず、リアリティをただ受け入れて、怖れから{そして罪悪から}平和に逃れたのです。 ]

その時あなたはリアリティを自分で決定してはおらず、自分が求めてることをリアリティにさせようともしていないのです。
あなたの自己主張(willfulness、自分のやり方/見方に固執すること)が存在していない時、あなたの自己主張があなたの知覚に与える歪みが消え、あなたは真理が見える/感じられるようになり、物事をそれそのままに(その真の姿)で見ることが出来るので、リアリティが受け入れられるようになるのです。

[You have accepted this INSTEAD of the body, and have let yourself be one with something beyond it, . .]
[あなたは体の代わりにこの体験を受け入れて、...「体を超えているもの」とあなた自身を「ひとつ」にしたのです。]

「体の代わりにこれをあなたが受け入れた」とはどういう意味でしょう。
あなたは「自分の体を使って自分の体験の決定者であろとすること」を止めて、父の視点を「自分の体験を決定しているもの」として受け入れた、という意味です。
これはあなたが自分の体を捨てたと言っているのではありません。
あなたが自分の体を全く無意味/無価値な幻想として見るように成るということではないのです。
そうではなく『父の視点/視界を「あなたが見ている全てのことを決定/定義しているもの」としてあなたが受け入れ、体とそしてあなたが体に与えている意味にあなたの見ている全てを決定/定義させなくなる』という意味なのです。

[. . . and have let yourself be one with something beyond it, simply by not letting your mind be LIMITED by it.]
[...自分のマインドを体によって限定させるのを止める事によって、「体を超えているもの」とあなた自身を「ひとつ」にしたのです。]
これは「{自己主張/自己定義を}しなくなること」による解除なのです。

[. . . simply by not letting your mind be LIMITED by it.]
[...「自分のマインドを体によって限定すること」を止める事によって...]

つまり体を馬鹿げたことに使わなくなるのです。
あなたは父の意志に反するやり方で体を使わなくなるのです。
あなたはそのような体の使い方を放棄するのです。
その時何が起こるのでしょうか?
その時あなたはもうそれ以上は体に対する定義群を提供しなくなる(意地悪に自己防御的に体を使用しなくなる)のです。
あなたを限定していたこれら(体に対する定義、防御的な体の使用)が無くなっている時、平和と新しい視点があなたのものになっているのです。
そして「(あなたと共に聖なる関係を築こうとしている)もう一人の人」と「あなた」の関係が強化されるのです。何故なら、その時あなた達と父の関係が働き始め、あなた達と父の関係が{あなた達によって}保持されているのだから。
これはシンプルなことなのです。

[This can occur regardless of the physical distance which seems to be between you and what you join; of your respective positions in space; and of your differences in size and seeming quality.]
[あなたと「あなたが繋がっているもの(人/物)」の間にどれ位物理的距離が在るように見えていたとしてもこれ(トランスポテーション)は起こり得るのです。 空間内の位置がどうであっても、サイズに違いがあっても、特質に違いがあっても、これは起こり得るのです。]

距離、大きさ、空間、位置、これら全ては物理的特性と呼ばれているものです。
これらはより大きくより力強くより巧妙な操りやコントロールを発生させているのです。
そしてこれら全ては無意味/無関係なのです。何故なら、大きさを持っているように見えているもの全ては、{大きさ/距離/空間などが見えている}その中に神が置いた目的を満たしているアイディアでしかなく、それらは全創造の中で機能し、全創造と(そして全創造の調和と成就と)関係しているのだから。

[Time is not relevant; . .]
[このことと時間には関係がありません。]

{聖なる瞬間の}意識体験の中で、
[Time is not relevant; it can occur . . .the clarity . . . with something past, present or anticipated. The "something" can be anything and anywhere; a sound, a sight, a thought, a memory, and even a general idea without specific reference.]
[このことと時間には関係がありません。 これは(ひとつに繋がることは)過去のこと(もの)とも起こり得るし、現在のこと(もの)でも在り得るし、未来に起こると思われていること(もの)と繋がることも可能なのです。この「何かあなたと繋がるもの」はあらゆる場所のあらゆる者/物で在り得るのです。それは音/光/思考/記憶/あるいは(特定のこととは関連していない)より曖昧なアイディアなど、何でもあり得るのです。]
{ラジの説明/注釈に従えば[明晰は過去のこととも起こり得るし、現在のことでも在り得るし、未来に起こると思われていることと繋がることも可能なのです。]となります。}


実際それら全て(光/思考/音/記憶など)はアイディアなのです。

[Yet in every case, you joined it without reservation because you love it, and would be with it.]
[しかしいずれの場合でもあなたは躊躇無くそのもの(そのこと/その人)と繋がったのです。何故なら、あなたはそれ(その人)を愛しており、それ(その人)と一緒に居たいと思ったのだから。]

あなたが自分の目の前に(自分の前に現れているとあなたが考えている物理的世界/宇宙ではなく)天国を体験したいと思っているなら、あなたはそれ(天国)と繋がろうと求める必要があるのです。
天国と繋がることにより、あなたは天国を(幻想/空想と呼ぶのではなく)認証するのです。
そして天国と繋がろうとすることにより、天国と繋がろうとしない理由を全て放棄するのです。そして「天国と繋がろうとしない理由」とは、あなたが天国に対して当て嵌めている意地悪な定義群で、それが天国を神の現われではなく見せているのです。 それ(あなたの定義群)が天国を物理的世界/物質的宇宙に見せているのです。

だからあなたの目の前に現れている何かを幻想と呼んでしまっては、幻想でしかないと言ってあなたの目の前のもの/ことを無視してしまっては、駄目なのです。
あなたは誤知覚を見ているかもしれませんが。しかしそれでもあなたは何か聖なるものを誤知覚しているのです。{あなたの目の前には常に何か神聖なものが存在しているのです。}

[Yet in every case, you joined it without reservation because you love it, and would be with it. And so you rush to meet it, letting your limits melt away, suspending all the "laws" your body obeys, and gently setting them aside. There is no violence at all in this escape. The body is not attacked, but simply properly PERCEIVED.]
[しかしいずれの場合でもあなたは躊躇無くそのもの(そのこと/その人)と繋がったのです。何故なら、あなたはそれ(その人)を愛しており、それ(その人)と一緒に居たいと思ったのだから。だからあなたはそれ(その人)と繋がるために息せき急ぎ、あなたの限定を溶かして、あなたの体を統治している全ての「法」を保留して、それらを優しく傍らに退けたのです。このエスケープ(夢からの逃避)の中には全く暴力がないのです。体は攻撃されず、ただ適切に知覚されるのです。]

解りますか? 体をリアルでないもの(幻想)と呼んでしまうことは、体を無意味なものとして無視しててしまうことは、体を攻撃することなのです。

[The body is not attacked, but simply properly PERCEIVED. It does not limit you, merely because you would not have it so.]
[このエスケープ(夢からの逃避)の中には全く暴力がないのです。体は攻撃されず、ただ適切に知覚されるのです。もはや体はあなたを限定しなくなるのです。 何故ならその時あなたは体をそのようなもの(自分を限定していないもの)としたのだから。]

今現在あなた達は体を「自分達を限定しているもの」にしているのです 。
あなた達は自分達の体が自分達を限定するようにさせているのです。 何故なら、体をこのように使うことでのみあなた達自身を守ることが出来ているように見えているから。
そして{現在のあなた達にとっては}防御されていることが一番重要なのです。
それは何故でしょう?
それは(あなた達が独立を試みた時に発生し始めた)怖れと罪悪故なのです。
あなた達はこれらの怖れと罪悪が(無意味ではなく)リアルだと考えているのです。
{だから防御がとても重要に思われているのです。}

[It does not limit you, merely because you would not have it so.]
[もはや体はあなたを限定しなくなるのです。 何故ならその時あなたは体をそのようなもの(自分を限定していないもの)としたのだから。]

もうあなたは体があなたを限定することを望んでいません。
もはやあなた達は体を今までの目的で使用していません。

[You are not really "lifted out" of it; it cannot CONTAIN you.]
[本当はあなたが体から抜き取られる訳ではないのです。あなたは初めから体に包まれてなどいなかったのだから。]
だから初めから体(体の定義)はあなたを閉じ込めてなどいないのです。

[. . . it cannot CONTAIN you. You go where you would be, gaining, not losing, a sense of self.]
[あなたは初めから体に包まれてなどいなかったのだから。あなたはあなたが行くべき所に行くのです。自己の感覚を(失うのではなく)得ながら。]

二つのステップを行いあなたのヴィジョン(視界)を変容させるこのプロセス上で、存在することの豊潤と全体性(常に増えて行く体験)があなたの意識上に戻るのです。 何故なら、その時あなたはもうそれ(常に増えて行く体験、存在することの豊潤と全体性)をブロックしていはいないのだから。

その時あなたは「これが欲しい」と言っているのです。
あなたはあなたの世界の中の物を見て「私はそこにある(しかし私が見ていない)パーフェクションが欲しい」と言っているのです。
私はこれを求めており、「『真理ではない定義群の縛り』の中にこれを保つ方法」で自分のマインドを使い続けることはもう止めます。私はこれに関する真理を知りたいと求めています。父よ、私は静かになって、あなたの声に聞き入りましょう。
私は真理を知りたいと願っています。
「今まで物質だと(リアリティと全く関係のない物体だと)私が考えて来たこのもの」のリアリティと私は繋がりたいのです。{とあなたは言っているのです。}

[You go where you would be, gaining, not losing, a sense of self. In these instants of release from physical restrictions, you experience much of what happens in the holy instant; the lifting of the barriers of time and space, the sudden experience of peace and joy, and, above all, the lack of awareness of the body, . .]
[あなたはあなたが行くべき所に行くのです。自己の感覚を(失うのではなく)得ながら。このようにして物理的/身体的限定から解放される瞬間に、聖なる瞬間内で起こっている多くのことをあなたは体験するのです。それは時間と空間という砦が取り除かれることであり、瞬時に平和と喜びが体験されることであり、そして何よりも体の意識が無くなることであり...]

防御手段としての、コントロール方法としての、そして父と繋がらないで済ませる方法としての、体の意識が無くなるのです。
あなたの定義に従った場合、あなたの体と(そして体に対してあなたが与えている定義と)繋がることこそがあなたに救済をもたらすことになるのです。
そして救済に対するあなたの定義は、自分一人で完全に魂の入った個人に成ることなのですが、それは不可能なのです。

[. . . the lifting of the barriers of time and space, the sudden experience of peace and joy, and, above all, the lack of awareness of the body, and of the questioning whether or not all this is possible.]
[...時間と空間という砦が取り除かれることであり、瞬時に平和と喜びが体験されることであり、そして何よりも体の意識が無くなることであり「このようなことが一体可能なのか?」という疑問が消えてなくなることなのです。]

あなたは父に文句を言い続けることも可能でしょう。
これが可能かどうか(これが自分に出来ることなのかどうか)調べ続けて学びを渋滞させてしまうことも可能です。
これらの疑問は(動物の種にしろ、スピリチュアルな存在の変容にしろ)進化の観点からは当然に思われるでしょう。
しかしこれらの質問は「父よ、あなたの意志がなされますように。」と言うことから気を逸らしてしまう(注意/意識を逸らしていまう)ことでしかないのです。
「父よ、何があなたの意志なのですか? 父よ、ここの真理は何ですか? 私は(何が真理/真実かという)定義を自分で提供することはもう止めます。」{あなたはそう言い続けるべきなのです。}

[It is possible because you WANT it. The sudden expansion of the self which takes place with your desire for it is the irresistible appeal the holy instant holds. It calls to you to be yourself, within its safe embrace.]
[これが可能なのはあなたがこれを望んだからなのです。あなたがこれを望んだ時に起こる自己の急激な拡張は、聖なる瞬間が持っているあがらい難いアピール(懇願)なのです。このアピールがその安全な抱擁の中から「あなた自身に成りなさい」とあなたに呼び掛けるのです。]

この安全な抱擁は、あなたに明確な真理を提供する抱擁なのです。
これはあなた自身のより優れた定義をあなたが作り上げられる場所ではないのです。
それがここ(聖なる瞬間)を安全にしているのです。

あなたの正しいマインドでしかない精霊によって、
[There are the laws of limit lifted FOR you, ...]
[あなたの為に限定的法則が取り除かれ、...]

これは「(あなたがもうそれ程ブロックしていない)神聖なるあなた」によってあなたの為に行なわれ、それによってあなたは正気に帰るのです。

[There are the laws of limit lifted FOR you, to welcome you to openness of mind and freedom. Come to this place of refuge, where you can be yourself in peace.]
[あなたの為に限定的法則が取り除かれ、オープンなマインドと自由の中にあなたが歓迎されるのです。あなたが平和の中であなた自身に成れるこの避難場所に来なさい。 ]

それはあなたが「あなたという自己(真のあなた)」に成れる場所なのです。
『あなたの体をそれが本来意図されいなかった方法(防御と自己保持)で使って「あなた以外の者」に成ろうとする試み』を放棄した時に「真のあなた」が暴き示されるのです。

[Come to this place of refuge, where you can be yourself in peace. Not through destruction, not through a "breaking out," but merely by a quiet "melting in." ]
[あなたが平和の中であなた自身に成れるこの避難場所に来なさい。 破壊を通してではなく、離れることによってではなく、静かに「溶け込む」ことによって。]

これが謙虚な状態なのです。
『父よ、私の意志ではなく、あなたの意志がなされますように。
決して止まる事の無い創造の動きの中であなた(神)が成っている真理を知りたいと私は求めます。
私はもう自分自身の定義には興味がありません。
リアリティに反する定義群を作って自分自身を混乱させ続けることにはもう興味がありません。
権威を表明しているように見せることから来る興奮にはもう疲れました。
だから私はあなた(神)に「あなたという創造」を動かしている者に成ってもらいたいです。
そして私自身はあなた(神)に動かされる者に成りたいのです。』

[For peace will join you there simply because you have been willing to let go the limits you have placed upon love, and joined it where it is and where it led you, in answer to its gentle call to BE at peace.]
[愛に対して自分で課した限定(限界)をあなたが喜んで放棄出来るように成ったので、そして愛が存在している場所であなたがそれと繋がったので、そこで平和があなたと繋がります。そして「平和であれ」というその優しい呼び声に(あなたが)答えた時に愛があなたを連れ出す所で平和があなたと繋がるのです。]

わたし達が今晩読んでいる文章は、ここ数週間わたし達が読んで来た文章よりも穏やかな表現を使っています。
しかしこれは「聖なる瞬間の祝福の美はあなたが聖なる瞬間を実践している時にだけ体験出来るという事実」を変えるものではありません。
あなたの兄弟姉妹を「あなたが聖霊と向き合い聖なる瞬間を実践する理由」としなさい。{兄弟姉妹の為に聖霊と向き合い聖なる瞬間を実践しなさい。}
そしてあなた達の関係が、神のデザイン(あなたとパートナーの存在の正気のデザイン)によって変えられるようにしなさい。
あなた達のお互いとの関係が、あなたの在り様とあなたのパートナーの在り様(それらは本当は一つなのです)によって変えられるようにしなさい。


Chapter 18 – Section: DREAMS AND THE BODY
1 Sparkly Book – p.438, 3rd Full Par. / JCIM – p.183, 4th Full Par. / CIMS – p.369, Par. 58
Chapter 18 – Section: BEYOND THE BODY
First Edition – p. 360, Last Par. / Second Edition – p.387, Par. 10

この文章はサンローズが書き取ってくれた英文を元にしています。サンローズへギフトされる場合下記が彼女のアドレスです。
Francine Mienik (Sun~Rose)
13 Dunes Lane
Port Washington
New York 11050


この原文を提供しているNorthwest Foundation for A Course In Miracles へ募金される場合下記のWEBサイトを通して行なうか、あるいは下記の住所に郵送して下さい。

The Northwest Foundation for “A Course in Miracles”
PO Box 1490 / Kingston, WA 98346-1490 / USA
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
Website: http://www.nwffacim.org
E-Mail: paul@nwffacim.org

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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